弁証法 テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ

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1考える名無しさん
言語命題は常に一面的である。
それは反対命題で補わなければならない。
定立・否定・総合=否定の否定。
例。
(定立)月は常に地球に落ちてきている(引力)。
(否定)月は常に地球から遠ざかっている(慣性力)。
(総合)月は常に地球に落ちてきつつ遠ざかっている(楕円軌道)。
2考える名無しさん:2012/01/11(水) 03:08:58.38 0
言語って何かなって考えたときやっぱり行き当たるのは意志の疎通で
であれば、そんな面倒な表現は好まれないのが当然ですよね

であるからして、出す側が努める必要はなく、
受け側が察するよう努める必要があるわけです
3age:2012/01/11(水) 15:53:28.44 P
「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメな
ところはここだ。アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチ
ノミックな二項との間でバランスをとる」(プルードン『革命と教会における
正義』未邦訳、 斉藤悦則氏のHP↓より)
http://www.minc.ne.jp/~saito-/travaux/vive.html

この言葉はベンヤミン『パサージュ論』邦訳第4巻(岩波現代文庫第4巻391
頁)にも孫引きされている(アルマン・キュヴィリエ Cuvillier,Armand「マル
クスとプルードン」1937未邦訳より)。ベンヤミンは『パサージュ論』で
20箇所くらいプルードンに言及しているが(マルクスの半分以下だろう)、
孫引きが多い。ボードレール論を書く際にもその素材をフーリエやブランキを
描写したようには活用しなかった。
4age:2012/01/11(水) 15:55:04.06 P
「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。 受想行識、亦復如是。」の解説。

   /\       /\
  /  \     /  \
 / 色  \   /  空 \
/      \ /      \
\      / \      /
 \    /   \    /
  \  /     \  /
   \/       \/


     /\    /\
    /色 \  /空 \
   /    \/    \
  /色不異空 /\     \
 /     /  \空不異色 \
/     /色即是空\     \
\     \空即是色/     /
 \     \  /     /
  \     \/     /
   \    /\    /
    \  /  \  /
     \/    \/
5age:2012/01/11(水) 15:55:29.39 P


       ______
      |  識   |
      |  /\  |
      |_/__\_|
       /    \
  /\  /      \  /\
 /  \/        \/  \
/ 色 /\   空    /\ 行 \
\   \/        \/   /
 \  /\        /\  /
  \/ _\_    _/_ \/
    |  \|  |/  |
    | 受 \  / 想 |
    |   |\/|   |
    |___|  |___|


人間=空性∩(色∪受∪想∪行∪識)
6二人:2012/01/16(月) 22:11:28.98 0
まぁね謂いたかったことはこれでした。
7考える名無しさん:2012/01/17(火) 19:28:54.06 0
          触_____受_____愛
        / \                /\  
       /    \     歌      /   \
  六処/        \         /      \取
    /   和      \____/     山     \
  /           /      \              \
名色_______/   知弁   \_______ \有
 \           \          /           /
   \   餓      \____/    畜     /
   識\    鬼    /      \    生    /生
      \      /   地獄    \      /
       \   /             \   /
       行\/__________ \/老死
                 無明
8考える名無しさん:2012/03/03(土) 11:57:11.66 0
 
 質//量//das Mass

日本語に、[die Mass]に適した言葉の無いことが、悲劇的。 
9考える名無しさん:2012/03/03(土) 11:57:36.67 0
 
 質//量//das Mass

日本語に、[die Mass]に適した言葉の無いことが、悲劇的。 
10考える名無しさん:2012/03/03(土) 11:59:51.37 0
訂正  dieは大間違い!dasだ。
11洋楽:2012/03/03(土) 16:38:24.82 0

     das=マジ / mass=じっさい

         ぐらいで 

    いったん なっとくしましょうよ ねぇ ・・・ (笑)
12考える名無しさん:2012/03/03(土) 21:20:30.34 0
mass=じっさい。これがないと、質も量も、マジ絵空事。
13考える名無しさん:2012/03/11(日) 17:26:39.44 0
豊永うぜえ
14あぼーん:あぼーん
あぼーん
15考える名無しさん:2012/08/09(木) 22:30:28.02 O
うんばとえんば
16考える名無しさん:2012/08/13(月) 17:50:55.60 0
止揚し続けたらどうなるかやってみようぜ。

(定立)月は常に地球に落ちてきつつ遠ざかっている(楕円軌道)。
(否定)月は減速されても、加速されないのだから、いつかは地球に落ちてくる。
(総合)月は楕円軌道を描きながら、ゆっくり地球に落ちて来ている。
17考える名無しさん:2012/08/13(月) 19:07:33.76 0
ジンテーゼってのは合ではないよ?
日本人のやる正反合の話法とは違うよ?

新しい次元のテーゼを生むことだよ?
18考える名無しさん:2012/08/13(月) 22:03:40.67 0
>>17
ぶっちゃけよくわかんないだよね。
アンチテーゼを持たないテーゼはあるのか?とか、
一つのテーゼに対して複数のアンチテーゼがあり得るのか?とか、
一組のテーゼ、アンチテーゼから複数のジンテーゼが生まれる事があるのか?とか。
教えてもらえませんか?
19考える名無しさん:2012/08/14(火) 09:11:19.04 0
>>18
ああ、なるほど。言う通り、テーゼがアンチテーゼになってるとか日本人はよくやっちゃうね。
おそらくだけど、元々日本の村では提起=物言いという体質があるから、その癖なんだろうな。
西洋人の定立に純粋性があるのは彼らの定立そのものがいくらか原理的思考によっているからではないかな。
20考える名無しさん:2012/08/14(火) 18:00:47.37 0
>>19
とりあえずやってみませんか?
弁証法を積み重ねていった時、このスレ終わる頃にどこに到達するのか、興味あります。
>>1の命題がスタートにふさわしくない(僕もそう思いますが)なら、何からでもいいですから。
実践の中でなら、正しい弁証法が理解出来そうな気がします。


21考える名無しさん:2012/08/14(火) 21:28:13.28 0
>>20
あなたは優れた知性の持ち主です。
そこには信頼するが、困難は、あなたの要求に私の思考が整わないことだ。
少し時間をください。
追ってレスする。

あなたから参考があれば今のうちに聞いておきたい。
22考える名無しさん:2012/08/14(火) 21:40:03.06 0
なんで片言の日本語?
23考える名無しさん:2012/08/14(火) 21:50:20.48 0
片言?かな、自覚ない。
2420:2012/08/14(火) 22:01:25.91 0
>>21
一つ心配なのは、正しく止揚されているかをどう判断するのか、
その判断の妥当性を議論する事でレスが無駄に消費されるのではないかという事ですが、
やってみるしかないと思ってます。
25考える名無しさん:2012/08/14(火) 22:19:03.99 0
>>24
全く。多少そのあたりで経験的容忍が欲しいですね。
これが日本語での対話、日本人的会話での乗り越えるべき障壁ですことは、どうやらあなたはよく分かっている。

まず先に、あなたが押さえておきたい私についての情報はありますか?
欲しければおっしゃってください。

2620:2012/08/14(火) 22:24:31.61 0
>>25
特にありません。二人だけで全てが進んでいくとは思ってませんし、
そうであってはならないとも思ってますから。
2720:2012/08/14(火) 23:12:28.45 0
一つ進めておきます。

(定立)月は楕円軌道を描きながら、ゆっくり地球に落ちて来ている。
(否定)月は地球から遠ざかっていると測定されている。
(総合)不確定要素の多い超長期的予測は意義が薄い。月は楕円軌道を描いているとみなされる。
28考える名無しさん:2012/08/14(火) 23:37:00.92 0
待ちなさい。
総合という意味がわからない。
言論は言葉ありきです。
まず言葉から改めましょう。

総合ではない。とすれば私見では、
更定、新定、次定、etc..
“定”の字は置くべきだと思うんだが如何だろうか。
ここからすでに難題で気の毒だが。
29考える名無しさん:2012/08/14(火) 23:57:55.75 0
追記、、

アンチテーゼは現代用語解釈される“否定”ではない。

反定または、異定ではどうか。
異定がよいかな。

ともかくまずはだ、名も知らぬ君よ、言葉を考えよ。
3020:2012/08/15(水) 15:13:37.53 0
名前にはこだわりません。正確でありたいのなら、和訳しなくても問題ない。

(定立)月は楕円軌道を描いているとみなされる。
(異定)月は地球から遠ざかっているか近づいているかのどちらかだ。
(Synthese)どの程度の誤差が許容されるのかは、命題を設ける目的による。
31考える名無しさん:2012/08/15(水) 16:06:17.17 0
ニワトリかタマゴかでやるとどうなん
32考える名無しさん:2012/08/15(水) 19:16:30.84 0
ニワトリかタマゴかどちらが先か

どちらにせよ進化の途中に選択されるよ

選択こそ進化なのかもね
3320:2012/08/15(水) 20:46:12.61 0
(定立)一番最初のタマゴから生まれたのが一番最初のニワトリである。
(異定)一番最初のタマゴを生んだのが一番最初のニワトリである。
(Synthese)タマゴから生まれる事、タマゴを生む事と、ニワトリである事の関係をハッキリさせる必要がある。

途中だけど、こんな感じでどう?
34考える名無しさん:2012/08/15(水) 21:40:23.32 0
ジンテーゼは「顕定」でどうよ?
35考える名無しさん:2012/08/16(木) 21:42:47.27 0
>>34
なるほど、優れた言葉ですね。
それにしましょう。というか、
私には考えつかなかった。
すばらしいです。
36考える名無しさん:2012/08/18(土) 23:42:08.62 0
顕定
a生態がニワトリへと変異したと認めうる時点
b措定である「どちらが先か(最初か)」
aとbは同義と見なせる。
37考える名無しさん:2012/08/20(月) 18:19:51.93 0
うーん、もっとぶっ越えたものをジンテーゼと呼ぶんじゃね?
38考える名無しさん:2012/08/23(木) 01:47:13.79 0
おっけーおっけー全体として良い方向いってるよこの話し。
39考える名無しさん:2012/08/23(木) 20:00:56.89 0
>>18「一つのテ−ゼに対して複数のアンチテ−ゼが、あり得るのか?」と述べている。
テ−ゼ(定立)に複数の命題が隠れている場合に、アンチテ−ゼ(反定立)の複数化が生じる。
複数のアンチテ−ゼの「アウフヘ−ベン(捨てる・否定する)される時に、複数のアンチテ−ゼは、
「否定」或いは、「捨てられ」、最終的に一つに搾られ、他のアンチテ−ゼ(反対意見)は、生かされないと思う。
弁証法は、「否定の否定」の思考作用なので、この点をどう理解すれば良いのでしょうか。
40考える名無しさん:2012/08/24(金) 02:36:31.38 0
>>39
状況によるんじゃね?
41考える名無しさん:2012/08/24(金) 08:19:28.82 0
>>39
つまりテーゼに選ばれるわけか。
42考える名無しさん:2012/08/26(日) 21:07:45.47 0
(定立)どの程度の誤差が許容されるのかは、命題を設ける目的による。
(異定)科学的事実は一つである。
(顕定)事実は観測者の能力による。観測者から独立した完全な事実に、観測者は到達し得ない。
43考える名無しさん:2012/08/29(水) 23:04:25.88 0
(定立)観測者から独立した完全な事実に、観測者は到達し得ない。
(異定)完全な事実が到達し得ないのであれば、完全な事実は存在しないとすべきだ。
(顕定)存在する世界と認識する自己を二項対立として捉えるのは間違っている。認識する自己は存在する世界の一部である。
44考える名無しさん:2012/09/03(月) 21:58:46.27 0
>>43
「認識する自己は、存在する世界の一部である。」と述べている。

この「存在する世界」とは、「客観的存在」と解釈出来る。客観的存在を認識
するには、その対極にある「主観的存在」である、自己が「主体的存在」である事を
実体として「認識」しなければ、「客観的概念」も形成されない。従って、「00に先立つ」と言う
優越的存在論は、成立しない。 主観(自己)と客観(世界)は、互いに独立した存在と考えるのが
正しいと思う。
45考える名無しさん:2012/09/04(火) 13:54:10.97 0
43は、
客観は主観によってしか認識できない。
各々の主観は同じであると証明できない為、客観も主観によって異なる。
異なる客観しかないのに、そこにアプリオリな客観は存在するのか。
って問題に対して、
主観がなければ客観は存在しない。
「客観的である」という主観でしか、客観を認識することが出来ない。
って事。

46考える名無しさん:2012/09/04(火) 21:50:37.16 0
>>45
>主観がなければ客観は存在しない。
「客観である」という主観でしか、客観を認識することが、出来ない。と、述べている。

「「客観である」と言う主観でしか、客観を認識することが出来ない。」と言うことは、
 「客観存在」は、実体として存在しているが、「客観存在」を認識するのは、主観(自己)である
「内在意識」からの「本質観取」として捉えることと解釈出来る。従って、デカルトが述べている様に、「主観」と「客観」は、
 独立した存在であり、主観と客観の「二項対立」としての考察は成立する。
47考える名無しさん:2012/09/06(木) 13:51:53.77 0
>>44←は異定として述べてるの?
48考える名無しさん:2012/09/06(木) 17:46:49.65 0
>>47
「認識する自己は、存在する世界の一部である」を、前提として、推論(複合的推論)を
 経て、主観(自己)と客観(世界)は、互いに独立していると「結論」している。
 尚、この思考法は、弁証法ではありませ、演繹法(前提−推論−結論)を使用しています。
 持論になりますが、「弁証法」は、「推論」の過程で、反定立という形で「項目」を限定
 してしまうのと、「アウフヘ−ベン(捨てる・否定する)」によって、複数の異定(反定立)が、
 ある場合に、一つの意見以外は、捨てられる(否定される)為に、反定立での複数意見は反映されず
 顕定(結論)の多様性・包括性が、ないものとなると考えられる。
49考える名無しさん:2012/09/06(木) 17:50:51.32 0
>>48
(訂正)ありませ、→ありません、
50考える名無しさん:2012/09/06(木) 18:00:59.01 0
テスト
51弁証法命:2012/09/06(木) 22:28:34.13 0

(定立) 私は弁証法を知りたい。
(否定) 私は弁証法を知らない。
(総合) 私は弁証法を勉強する。
52弁証法命:2012/09/06(木) 22:34:33.13 0

(定立) 私は弁証法を勉強したい。
(否定) 私は勉強方法を知らない。
(総合) 私はその方法を人に聞く。
53考える名無しさん:2012/09/06(木) 22:44:49.66 0
(定立)認識する自己は存在する世界の一部である。
(異定)認識する行為は主客の存在を前提にしている。主客は互いに独立している。
(顕定)存在は認識の対象であるが、認識なき存在は意味をなさない。
存在は認識を前提にしている。
54弁証法命:2012/09/07(金) 00:29:26.04 0

(定立) 人間は主観的に生活している。
(異定) 衣・食・住は客観世界から入手。
(顕定) 主観を客観的世界に近付ける。
55考える名無しさん:2012/09/07(金) 08:05:19.85 0
>>54
ん?おもしろい、そうかそうか。
56考える名無しさん:2012/09/07(金) 20:24:15.81 0
>>54
>(顕定)主観を客観的世界に近づける。

主観を客観に更に関連付けていく−−−これは、なかなか面白い考察ですね。
57弁証法命:2012/09/07(金) 22:57:35.58 0

(定立) 内的心的世界は主観的精神的変化・運動
(異定) 外的物的世界は客観的物質的変化・運動
(顕定) 客観的物質的変化・運動を弁証法で学ぶ
58弁証法命:2012/09/08(土) 11:38:26.85 0

(定立) 客観(世界)の存在なくば、主観(自己)は生まれない
(異定) 主観(自己)はなくとも、そこに客観(世界)は存在する
(顕定) 私にとって主観(自己)と客観(世界)とは相対的独立関係
59考える名無しさん:2012/09/08(土) 14:31:22.10 0
>>58
定立で、「客観(世界)の存在なくば」としているが、この「客観の存在」を、
どの様にして存在たらしめたのか、論理的に説明する必要があると思う。
それは何故かと言うと、西洋哲学では、「主観が、客観に先立つ」としているからです。
つまり、主観的認識によって、客観的存在が生じると言う、根強い哲学的認識があるからです。
60弁証法命:2012/09/08(土) 15:18:43.14 0

>>59
>論理的に説明する必要があると思う。
以下のように考えてみました。論理的であるか!は自信ありませんが…

誕生して、少し成長した子供時代、全能感溢れる自分の存在が全ての「即自」的時代の私。
その後、自分と他者の違いが分かるようになった「対自」的時代の私。
その時代から、私の中に主観(自己)的部分と客観(世界)的部分ができ始める。
この主観(自己)から客観(世界)の存在を説明することはできないが…
でも、私の中の客観(世界)から私を含めた周囲をみた時、私のいない時代の母の存在した
世界(客観)を知ることができる、のだろう…

>>55-56
「主観を客観的世界に近付ける」 とは、私の中の客観(世界)的部分を外の世界に近付ける、
ということですね。

外界たる客観的世界は、一瞬一瞬休み無く変化・運動していますが…私の中の客観的世界は
一瞬一瞬ごとに外界と同じようには変化・運動できていないから…
61考える名無しさん:2012/09/08(土) 15:50:09.57 0
>>58
客観の存在なくば、主観は生まれない

主観はなくとも、そこに客観は存在する
は矛盾していない。
両立するのなら、併記すれば良いだけで、止揚する必要はない。

弁証法はテーゼとアンチテーゼが並び立たないから、ジンテーゼが必要となるし、
ジンテーゼがテーゼ、アンチテーゼより上位の物となる。
62考える名無しさん:2012/09/08(土) 16:10:12.12 0
>>60
「私の中の客観(世界)から私を含めた周囲を見た時」と述べていますが、
 これは、大変、認識論上で重要な事を述べていると、思います。それは、
 「現象学」の超越論的主観に関わっている事であると思う。現象学では、
 「構成的内在(主観=自己)」の領域内で、客観(世界)を捉え、私を含めて、
  周囲(存在のすべて)を認識しているからです。
63考える名無しさん:2012/09/08(土) 21:46:23.47 0
>>58
定立と異定で論が噛み合ってなくね?
定立を基に思考したものとして異定されないとおかしいぜ。
64考える名無しさん:2012/09/08(土) 21:50:28.37 0
あ、すまんすでに62が指摘してたわ

顕定
おれは指摘すら下手。
65弁証法命:2012/09/08(土) 23:29:04.10 0

>>61 >>63-64
   
(定立) 主観(自己)なくば、客観(世界)は認識されず存在できない
(異定) 客観(世界)なくば、私は生まれず主観(自己)の存在はない
(顕定) 私のの認識可能な客観と私を生んだ客観とは異なっている

これは、どうですか?
66考える名無しさん:2012/09/08(土) 23:31:31.44 0
スコラ神学のそのまんま焼き直しかよw
67弁証法命:2012/09/08(土) 23:47:54.29 0

>>66 
>スコラ神学のそのまんま焼き直し
 ↑そうなんですか…
  「スコラ神学」とは、こんな事を言っていたのですか?
  ひとつ〜勉強になりました ♪♪♪
68考える名無しさん:2012/09/09(日) 01:12:55.58 0
>>64を訂正

指摘してるのは61さんですゴメン
69考える名無しさん:2012/09/09(日) 01:27:39.50 0
>>65
とりあえず顕定はそれでよろしいとする。
しかし、やはり定立から導かれる異定が、逆説にしかなってないので、“異なる定”に成れてない。
58の論も異定でなく逆説。
逆説てのは矛盾した相互の論がともに帰結するものを言う。
帰結しているなら“異”でないので定立のうちとして論ぜられるべきだ。
70弁証法命:2012/09/09(日) 09:55:58.66 0

>>69
御指導ありがとうございます。
実際に書いてみると、思っていたよりも
ずっと〜難しいですね…
今後も宜しくお願いします。
71弁証法命:2012/09/09(日) 17:57:06.29 0

[命題]:
主観(自己)が先か?客観(世界)が先か?

[前提]:
世界は自己の主観に対して客観として認識される。
その認識する自己は、存在する世界の一部である。

[推論]:
世界を認識する自己の存在しない世界を客観と誰が認識するのだろうか?
世界を客観とみる自己の存在しない世界では、世界は客観ではないのだろう。
客観は世界を世界とみる主観の存在があるからの客観である。

[結論]:
主観(自己)の誕生とほぼ同時に世界を客観としてみる見方が誕生した。
主観(自己)の誕生以前の世界は客観としての世界ではない。

こう考えると、動物が本能で関わっている世界と人間が見て感じている世界、
彼が見て感じている世界と私が見て感じている世界、そして、十代の私が見て
感じた世界と今の私が見て感じている世界…は、みな同じ世界でありながら、
みな同じ世界には見えても感じられてもいないのだろう〜
72考える名無しさん:2012/09/09(日) 20:29:25.56 0
>>71
過去の体験、記憶を「在る物」として語るのは、
哲学としては相当甘い。
73弁証法命:2012/09/09(日) 21:04:35.01 0

>>72

甘くないものを一発!頼んまっせ!

74考える名無しさん:2012/09/10(月) 00:52:24.78 0
>>72
おまえ書いてみ
75〜「言うは易く行う難し」〜:2012/09/10(月) 10:48:07.04 0

>>69 は哲学に精通しているようなので、ここは、
一発!過去現在の先人の言葉でない、自分の
言葉で!辛口の哲学で何かを語って下さいな〜

    ♪♪♪〜ヨ・ロ・シ・ク・〜♪♪♪
76失礼しました…訂正です:2012/09/10(月) 10:56:00.17 0

>>75 のコメントは、>>72 殿にへの贈り物でした。

>>69」←×
>>72」←○

>>69 殿、間違えてすみませんでした。
>>72 殿、辛口!楽しみにしています。
77考える名無しさん:2012/09/10(月) 11:40:07.00 0
>71は、「みな同じ世界でありながら」というところが、
なぜ「同じ」と言えるのか、わからないな・・・
78考える名無しさん:2012/09/10(月) 11:48:51.21 0
>>71
>[結論]:
>主観(自己)の誕生とほぼ同時に世界を客観としてみる見方が誕生した。
>主観(自己)の誕生以前の世界は客観としての世界ではない。
は、ちょっと違うだろう。

哲学史的に言えば、こうなるだろう・・・

世界を「客観」として見る見方は、人間を「主観」として見る見方と同時に確立された。
そしてそれは、デカルト〜カントにおいて確立された見方である。
79考える名無しさん:2012/09/10(月) 12:01:21.75 0
>>76
流れも読まんと好きな事書いて、つっこまれたら逆切れか。
何様だよ。
1から53まで、お前が出てくるまでは異論もあるだろうが一応つなげてきた。
これからもゆっくりだが、やめるつもりはない。
80考える名無しさん:2012/09/10(月) 12:28:20.67 0
>>79は、ひどいレスだな・・・
こんなレスを書くなら、何も書かないほうがいい。
81考える名無しさん:2012/09/10(月) 12:31:11.49 0
>>78
「主観」と「客観」の分離は、デカルトから始まっている。>>71の結論で、
「主観(自己)の誕生と、ほぼ同時に世界を客観としてみる見方が誕生した」と、
記していますが、この内容は、主観と客観の「相対的(分離)」と、「融合的(統一)」の
両方に捉える事が出来る。そこで、「結論」が、主観と客観の「融合する」と言う
プロセスで、推論を進める事が出来ないでしょうか。
82考える名無しさん:2012/09/10(月) 12:52:06.55 0
>>81
主観と客観が「融合する」の、「融合」の意味が分からない・・・
83弁証法命:2012/09/10(月) 13:02:58.80 0

>>79
>流れも読まんと好きな事書いて、つっこまれたら逆切れか。

ここでの目的は他人の言説への批判でも突っ込みでもなく、「みんなで一緒に考えよう〜」だ、
と私は感じています。そして…その叩き台として色々書いているのです。
なので、 >>72 には、評論家のようなコメントでないものーここでの主旨に沿って、
< 「相当甘い」=私の定立、に対しての「辛口」=貴方の異定、を書いて下さい >、
と文章では表現できていませんが、心の中では、そのように想いながら、私は書いたのですが…。

書かせて頂きますが…
これを「逆切れ」と受け止めてしまう貴方のその感性に、私は哀れで悲しいものを感じています。
84考える名無しさん:2012/09/10(月) 14:08:54.94 0
おまえら待て、整理しよう。

72の書き込みで話がおかしくなった。これは間違いないな?
それでだ、これの原因は72の述べた、論理の欠如した曲解による難癖戯言そのものにあるな?
そしてだ、これはすでに参加者皆が周知のことだな?

よし、72の汚点を大いに参考にしようぞ皆。
論理の欠如した曲解による難癖戯言を自らより排除せねば、知には近づけん。

>>72へ、
その為体によって、おまえは今、人に気づきを与えたのだ。
ここに居たまえ。

>>70
さぁ知性よ、
安心して思考を続けなさい。
85考える名無しさん:2012/09/10(月) 14:19:43.65 0
コピ用


定立:
異定:
顕定:
8672:2012/09/10(月) 16:49:17.35 0
弁証法以前に、哲学的命題を作る際には、デカルトの方法的懐疑が重要である。

デカルトは「我思う故に我あり」のあと、我があるのだから、我を作った神もあるとして、後世の批判を浴びた。
66の指摘(これは私ではないが)にもある様に、65の「私の認識可能な客観と私を生んだ客観とは異なっている」は、
私を生んだ、認識可能な客観とは異なる客観=神の存在を表すものだ。
方法的懐疑に基づけば、本当に確かなのは「思う我」のみであり、
自己、サルトルの言うところの対自存在は、「それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものであるもの」である。

一言で言えば、「甘い」。
87考える名無しさん:2012/09/10(月) 17:09:25.04 0
>>86
それをまず先に言えと。
んでその結論は甘いかよ。

帰れよ

8872:2012/09/10(月) 17:13:48.66 0
>72の書き込みで話がおかしくなった。これは間違いないな?

無駄な書き込みで申し訳ないが、
53までは1から、少なくとも形の上では正しくつながってきた。
弁証法命は自分が書いたジンテーゼ投げっぱなしじゃないか。
弁証法は積み重ねなきゃ意味ないよ。
89考える名無しさん:2012/09/10(月) 19:01:59.87 0
>>82
デカルトの場合は、主観と客観が、互いに独立した形で存在している。
主観と客観が、「融合する」とは、フォイエルバッハの哲学の様に「私」と「汝」は、
一人の人間としての存在ではあるが、「思考(コギタチオ)」を介して、「私」から「汝」へ、一致する。
この「一致(合一)」と言う概念を「融合」と述べている。
90考える名無しさん:2012/09/10(月) 20:26:55.46 0
ま、一致でいいわいな。ややこしなるで
91弁証法命:2012/09/10(月) 23:15:43.27 0
>>77 
>同じ世界…
とは、SFのパラレル・ワールドでない、時間に場所は違っていても同じこの地球上、ということです。
ここでは、このスレを読んでいる人々は、同じ世界を共有している、といえると思います。
92弁証法命:2012/09/10(月) 23:23:52.92 0

私が気付いた事は、その人物の全言説を(定立)としてとらえることも可能なのでは、ということです。
具体的には、>>72 が私の言説を「相当甘い」と(定立)したのなら、>>72 は(異定)として、「甘く」ない
辛い言説を具体的に書くのが、ここでの実践だろうと私は考えました。
そして、それを読んだ第三者が(顕定)をしてみるのも良いのではと思いました。
93弁証法命:2012/09/11(火) 00:25:05.97 0
>>71 の言説について…

定立:  (>>72) 哲学としては相当甘い。

異定: (私)  哲学者では無い者に「哲学しては相当甘い」、という評価は不要であり不当である。
         本物の哲学者、哲学者的人物は、このような評価は書かない。心で思ったとしても、
         相手はただの一般人だから…そのように書くことは、自分の哲学者、哲学的人物と
         したのプライドが許さないのだろう。

顕定:      この人物は、哲学を知らず哲学という言葉を弄んで使っているだけの人物である。
         なので、そのような評価で落ち込むことは無用である。

94弁証法命:2012/09/11(火) 00:26:33.23 0
ここでのコメント、言説の流れについて…

定立: 53までは1から、少なくとも形の上では正しくつながってきた。
    1から53まで、お前が出てくるまでは異論もあるだろうが一応つなげてきた。

   異定 : 貴殿のその流れとは何か。その後もそれなりに流れもあり、流れていた。
        ピント外れがあったも、定立、異定、顕定、で考え書こうとしていた。
       そこへ、>>72 のコメントである。そのコメントに対して
       >72の書き込みで話がおかしくなった。これは間違いないな?
   
   顕定 : ここの流れをぶち切ったのは>>72 のコメントの内容では無く、その書き方、表現方法・形式である。
       ここでは、そのコメントの内容の正しさ正確さを問題にしているのでは無く、
       定立に対しての異定、定立と異定との顕定の、その関係を問題にしている。(と私は理解していますが…)
95考える名無しさん:2012/09/11(火) 00:29:33.89 0
そうだな。
>>72は「そうではない」としか述べてないからな。
「そうではない」ではなんにもならん。
そうではない“論"を求められている場なのにな。
なので結果的として多くから発言内容をダメ出しされたんだろう。
96弁証法命:2012/09/11(火) 00:35:52.53 0
スミマセン…

>>86 の言いたいことが理解できません。
誰か!もっと分かり易く解説をお願いします。

この内容が、どのように私の定立、異定、顕定、が
「哲学として相当甘い」に繋がるかが理解できません。
97考える名無しさん:2012/09/11(火) 01:10:55.79 0
>>96
言い訳になっちゃってるから論的にぐちゃぐちゃなのよ>>86は。
その程度の戯言だ、気にするな。
9872:2012/09/11(火) 05:27:34.39 0
>>96
懐疑が足りないという事。

私は本当に生まれたのか?私を生んだものは何か?それは本当に存在するのか?
そもそも存在するとはどういう事なのか?
世界の存在さえ疑う状況なのに、
自分の出生に関する自分の記憶や記録、他人の記憶だけは
無条件に正しいとするのはおかしいのではないか?

「あるんだから、あるんだよ」は一般的な考えとしては正しい。
ただ、(西洋)哲学的にはそれを言ったらおしまいだ。

弁証法は止揚を重ねれば真理に近づくことができるという事。
テーゼが持つ欠点を、アンチテーゼによって明らかにする事。
93,94は61の指摘が当てはまる。テーゼとアンチテーゼが矛盾していない。
99弁証法命:2012/09/11(火) 11:17:25.36 0
>>97

御言葉をありがとうございます。
頑張れる、まだまだやれる…
そんな勇気のもとを頂きました。

100弁証法命:2012/09/11(火) 11:39:08.94 0
>>98 の72

分かり易く解説をありがとうございます。

>テーゼとアンチテーゼが矛盾していない。
↑そうです。この矛盾の創り方に難しさを痛感していました。
 その理由を以下のように考えてみました。

(定立) と(異定)を同じひとりの人物がやっていたのでは、
その二つの考えが矛盾することが難しい。
何故なら、一般的に人は、その人としては矛盾なく生きているだろうから…

(定立): 主観に基づくもの。
(異定): 主観に基づくもの。
(顕定): これらの主観が同一人物のものである時、
      この定立⇔異定間に矛盾は発生し難い。
101弁証法命:2012/09/11(火) 11:52:49.56 0
>>98 の72

>懐疑が足りないという事。

なんとなくですが…分かります。

デカルトの「我思う故に我あり」について考えてみました。

(定立): 我思う故にわれあり。

(異定): 我思わなくても、他人から見た我あり。
      我思わなくても、生きている我あり。

(顕定): 我思う故に、我を我と感じる我あり。
      我思わない時、我を我と感じる我なし。
102考える名無しさん:2012/09/11(火) 12:21:46.59 0
>>100
言うとおりだろうな。
同じ人物だと上手くいかないんだろう。

顕定を述べるために定立と異定を用意した感は否めないからな。

定立から異定や顕定といったすべての定は、
議論する中でごくたまに生じるべきものだろうな。
103弁証法命:2012/09/11(火) 13:53:09.30 0
>>98
>懐疑が足りないという事。 <について…

(定立):「 懐疑が足りない」、と他人に言うことは真である。

(異定):「懐疑が足りない」と言っている時は、その「懐疑が足りない」と思っている自分を疑っていない。
     その懐疑があれば、言葉にして他人に言うことはでき難い。

(顕定):本当に懐疑が足りないと思っている人物は他人に「懐疑が足りない」とは言えない。
     ただ、自分自身に対して懐疑が足りないと思い続けることは可能である。
10472:2012/09/11(火) 14:38:49.54 0
どうして時間をかけて熟慮しないんだ。
どうして一つの事をじっくり深く追求しないんだ。
52,54,57の続きは?
65はあれでいいのか?
93,94は諦めたのか?
105ixtlan=波平の可能性有り、注意!↓:2012/09/11(火) 19:26:53.10 0
> 255 : 第三の波平 ◆JXLBbnYqTY : 2011/10/03(月) 19:40:14.99 0
> それは江戸時代にさらに形式化されたときがひどい。
           ↑
         『ひどい』を平仮名で書く同一の特徴
           ↓
> 321 :ixtlan:2012/09/05(水) 19:05:40.47 0
> 竹田がハイデガーについて書いた本を大昔読んだが、
> あれはひどかった。
106弁証法命:2012/09/11(火) 22:42:20.81 0

>>104 72へ

>どうして時間をかけて熟慮しないんだ。
>どうして一つの事をじっくり深く追求しないんだ。

↑ そうですね。熟考が大切ですよね。
  移り気は私の短所なのです(苦笑)。
  御指摘をありがとうございます。
  今、一度考えてみます。
107考える名無しさん:2012/09/11(火) 22:47:56.17 0
思考の途上を共有するのは案外いいことだぞ
108考える名無しさん:2012/09/11(火) 22:56:46.51 0
いずれにしてもこのスレめちゃくちゃいいっす
17の登場と18のレスポンスが神だな
ここまで愉しくなるとは
109考える名無しさん:2012/09/12(水) 00:18:23.81 0
ここも自演スレか。
110考える名無しさん:2012/09/12(水) 00:42:35.33 0
自演どころかめちゃくちゃ人きてんじゃねーか
よめねーのかぼけ
111考える名無しさん:2012/09/12(水) 01:15:43.06 0
それが全部自演なんだろ?
112考える名無しさん:2012/09/12(水) 01:32:07.46 0
>>111
おまえ110だろ
113弁証法命:2012/09/12(水) 10:38:36.54 0
>>104

熟考したら、気付きました。
私は、ここで色々のテーマを、定立、異定、顕定、的に考える事で、
弁証法について考えていたのです。
なので>一つの事をじっくり深く追求していない<ようでいて、実は、
一つの事=弁証法を深く追求していたのですね。

定立: 定立、異定、顕定、は弁証法である。

異定: 定立、異定、顕定、は弁証法でない。

顕定: 定立と異定の関係が矛盾している時、そして、その
    矛盾を正しい止揚できた時、それは弁証法である。
    それらが出来ていない時は、弁証法ではない。
114弁証法命:2012/09/12(水) 11:02:14.28 0

>>62

思い付きで書いたことなので…そんなに重要とは思いもしませんでした。
できたら、何故に以下の事が重要かを教えて頂けたら嬉しいのですが…

>「構成的内在(主観=自己)」の領域内で、客観(世界)を捉え、私を含めて、
  周囲(存在のすべて)を認識しているからです。
115考える名無しさん:2012/09/12(水) 12:52:37.35 0
> 20 :ixtlan:2012/09/10(月) 19:55:54.85 0
> 主語が物自体と現象に二重化される。
> これは弁証論の構造に同じ。
> 矛盾した述語をなんとかするのは主語の二重化である。

この↑発言からして、↓のスレも波平=ixtlanが立てたという事が分かる。

弁証法 テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1326070709/
116弁証法命:2012/09/12(水) 14:00:31.95 0

>>115

「誰が立てたか」より、「自分が如何に役立てるか」、
が大事だと思います。

なので〜みんなで自分の世界を語り書きましょうよ〜。
117弁証法命<世界>:2012/09/12(水) 14:27:58.79 0

(定立): 世界は一つ。
(異定): 世界は無数。
(顕定): 私がいて世界が一つ。貴方と私で世界が二つ。
      そして、彼が来て世界が三つ。 みんなが集まって世界が無数。


(定立): 世界は一つ。
(異定): 世界は二つで、世界は無数。
(顕定): 私が見ている世界と、私に見られている世界とで、二つ。
      私が感じている世界と、私に感じられている世界とで、二つ。
      私に見えている世界と、私には見えていない世界とで、二つ。
      私に感じられている世界と、私には感じられてない世界とで、二つ。
      私の世界と貴方の世界とで、二つ。
      無数の私と無数の貴方とで、二つが無数で、世界が無数。
118考える名無しさん:2012/09/12(水) 14:42:04.53 0
>>114
「構成的内在」とは、フッサ−ルの「内在(主観)と超越(客観)」構図の
「内在」の解釈からきている。この「内在と超越」の内在(主観的意識)は、 
「実的内在」と「構成的内在」に分かれる。 「実的内在」とは、「知覚」、
「想起」「想像」などの個別直観としての「内在」です。一方、「構成的内在」とは、 
「現象学的還元」によって、明証的に構成された内在(意味の直観)である。

「現象学」で、中心となるのは「現象学的還元」であり、この「現象学的還元」とは、
主観的(自己)に意識統一をして「一切の先入見(既成概念)を排して意識に直接に
明証的に現れている現象(外界の事象)を直観する。」方法です。
そして、「構成的内在」の領域内で客観(世界)を捉えると言うことは、もともと、
私達が捉えている「時間」によって構築された世界(空間)は、「主観的世界」なのであり、
「現象学的還元」によって、本来の「客観的世界」を捉えることになると考えられる。
119考える名無しさん:2012/09/12(水) 20:45:52.43 0
(定立)存在は認識を前提にしている。
(異定)物質の存在が、科学法則によってある程度の確度を持って予測される事は、
認識がない間の物質の存在を意味する。
(顕定)存在していると認識する事と、存在する事は別のものである。
存在の認識は、存在している物や概念のある一面に、何らかの意味付けをする行為である。
120弁証法命:2012/09/12(水) 22:43:49.03 0

>>118
ありがとうございます。
自分の目から見た主観的世界ではなく。
自分から離れた場所から自分と世界全体
を見た、より客観に近い主観的世界。
ということですね。


>>119 の(定立)・(異定)・(顕定)は、なんか良いですね、
>存在していると認識する事と、存在する事は別のものである。
↑ とてもよく分かります。
121考える名無しさん:2012/09/13(木) 02:47:51.92 0
>>119
いいねーいいかんじ。
論的にもきれいに整合とれてる。

些細なことだけど、

(異定)ある程度の確度を持つ科学法則によって、物質の存在が予測される事というのは、
認識がない間の物質の存在を意味する。

のほうが文法的にいいかな。
122弁証法命:2012/09/13(木) 10:44:48.67 0

>>119 >(異定): 物質の存在が、科学法則によってある程度の確度を持って予測される事は、
           認識がない間の物質の存在を意味する。

>>121 >(異定): ある程度の確度を持つ科学法則によって、物質の存在が予測される事というのは、
           認識がない間の物質の存在を意味する。


ありがとうございます。気付きました。
自分の中に主観でない客観の創り方が…。

(定立): ある疑問に対する主観的解答。
(異定): 科学的法則に基ずく客観的解答。
(顕定): 自分の中で、主観と客観との融合により納得できた解答。
      このことにより、主観がより客観性を帯びた主観となる。

この時、その科学法則が、その結果だけでなく、実験過程も含めたものであった時、
その始まりから終わりまでが、一つの客観的世界として自分の中に残るのだろう。(←何故?)

科学的実験が、まだ無かった時代は、ここの科学的法則に変り
他人の主観=自己にとっての客観との融合だったのでしょう。
123考える名無しさん:2012/09/14(金) 00:43:12.17 0
>>122
早まるでない。
ゆっくり思考するのだ。
古代哲学者も皆ゆっくり思考した。
124弁証法命:2012/09/14(金) 11:02:25.41 0

>>123
>ゆっくり思考するのだ。

そうですね。
>>123 殿も、一緒にユックリと考えて頂けますか。
125考える名無しさん:2012/09/14(金) 14:19:26.08 0
>>124
お、おう。
まぁおいらはおそらく一番最初から>>124と対話してきた輩だぜ。
良いスレになってきてる。これからもがんばろうぜ。
126弁証法命:2012/09/14(金) 15:15:30.75 0

>>125

ありがとうございます。
宜しくお願いします。

127考える名無しさん:2012/09/14(金) 20:31:28.05 0
弁証法と言えば、三浦つとむ氏の本しか読んでいない。
128考える名無しさん:2012/09/14(金) 20:39:54.71 0
o
129考える名無しさん:2012/09/14(金) 21:40:17.42 0
定立、異定、顕定、を一つずつ起こしてみたい。
これらは議論の中で至り得て誕生するものと思うのだ。

誰かまずひとつ措定してくれ。
130考える名無しさん:2012/09/14(金) 21:49:30.17 0
>>129
じゃあ、これで。

(定立)存在していると認識する事と、存在する事は別のものである。
存在の認識は、存在している物や概念のある一面に、何らかの意味付けをする行為である。
131考える名無しさん:2012/09/15(土) 00:24:24.98 0
我々が存在を認める時、総じてそれが意味付けしたものであるのならだ、我々は自らの意味付けに基づくことでしか、世界を捉えられていないことになる。
したらば、我々が人間的知性を以て世界の何らかを認めているかぎり、けっして捉えられない世界が在ることそのものを、我々は認めなくてはならなくなる。
しかしここでひとつの欲求が我々に起きる。
それは、認められないことを如何にして認めるかという方法論である。
132考える名無しさん:2012/09/15(土) 15:19:40.48 0
>>131
>したらば、我々が人間的知性を以て世界の何らかを認めているかぎり、けっして捉えられない世界が在ることそのものを、我々は認めなくてはならなくなる。

43がその辺りの話。
けっして捉えられない世界=客観
世界を認める我々=主観
としてここまで議論したつもり。
43 主観も客観の一部
53 客観は主観を前提にしている
119 主観が捉えた客観は、アプリオリな客観のある一面である
133考える名無しさん:2012/09/15(土) 16:39:51.00 0
>>132
そういったレスは無用だろうとおもうよ
134考える名無しさん:2012/09/17(月) 12:19:37.21 0
>>131
しかし、ここでひつの欲求が、我々に起きる。それは、認められないことを如何にして、
認めるかと言う方法論である。」と述べている。

この「認められないこと」とは、デカルトの懐疑論による「主観−客観」図式での「客観的存在」の概念の
ことと解釈している。 この「客観的存在」を如何にして認めるか。 その方法が、現象学に於ける「現象学的還元」であると
思う。>>118さんが、記している様に「主観的に意識統一をして、一切の先入見を排して意識に、明証的に現れている現象(外界の事象)を
直観する。」 これが、「現象学的還元」であり、この直観認識が、「構成的内在」と解釈している。 そして、この「構成的内在」が、
>>130で記している主観的領域での「存在していると認識する事」と解釈している。
135考える名無しさん:2012/09/19(水) 08:22:46.72 0
少し定義遊び言葉遊びに過ぎるかな。
もっと話しにしないと広がらない。
136考える名無しさん:2012/09/19(水) 11:50:02.23 0
>>135
「もっと話しにしないと広がらない」と述べている。」>>130で(定立)として、
「存在していると認識する事(主観)と、存在する事(客観)は別のものである。
存在の認識は、存在している物や概念のある一面に、何らかの意味付けをする行為である。」と
記している。 弁証法的展開の一つの試みとして、「存在していると認識する事(主観)」と、
「存在する事(客観)は別ものである」と、「現象学的還元」とを関連づけた「定立」で、組み立てていくのも
一方法と思う。
137考える名無しさん:2012/09/19(水) 14:12:58.06 0
(定立)存在の認識は、存在している物や概念のある一面に、何らかの意味付けをする行為である。
(異定)存在の認識が、直接に存在そのものを意味しているのではない。
(顕定)存在への懐疑とは、五感の反応と存在そのものとの因果関係への懐疑である。

だいぶ不親切だな。
ループしてるか?
138考える名無しさん:2012/09/19(水) 15:11:08.14 0
>>137
存在の認識には、「知覚表象(五感)」と「本質直観(意味の直観)」とがある。
(顕定)で、存在の認識を「五感の反応」しているが、五感の反応(知覚表象=個的直観)から
「本質直観(意味の直観)」へと、弁証法的展開をすることにより「現象学的還元」が可能になると思う。
139考える名無しさん:2012/09/19(水) 15:43:49.98 0
>>138
世界(客観)―五感(知覚表象)―認識(本質直観)
      ↑
こっちの方に注目した。
後ろの方は、「何らかの意味付けをする行為」になるから、
行為の主体とか、意思とか、社会とかそういう話になりそうで、避けました。
140考える名無しさん:2012/09/19(水) 16:14:38.48 0
>>139
世界(客観)とは、認識論の「客観的存在」であり、つまり、>>130の「存在するもの」と
解釈出来る。 >>137の、「五感(知覚表象)」と「存在そのもの(客観的存在)」との
因果関係は、認識論の主観的存在と、客観的存在の一致と言う関係にある。 従って、
世界(客観的存在)と知覚表象としての五感(主観的存在)、そして、本質直観とは、
切り離して考える事の出来ない存在論との関係にあると思う。
141考える名無しさん:2012/09/21(金) 16:46:28.96 0
>>139
本質直観(意味の直観)の概念は、少し難しいので当分の間は、世界(客観)に
しぼり、五感の反応(個的直観)で、弁証法的展開を試みてはどうでしょうか。
142考える名無しさん:2012/09/24(月) 10:58:11.39 0
(定立)存在への懐疑とは、五感の反応と存在そのものとの因果関係への懐疑である。
(異定)五感の反応は、例えそれが錯覚であったとしても、その反応を起こさせたものの存在を表す。
(顕定)五感は客観である。存在への懐疑とは五感と認識の関係の不確定性である。
143考える名無しさん:2012/09/25(火) 10:42:34.41 0
>>142
(顕定)に記している「五感」は、知覚表象です。この知覚表象は>>140で
述べている様に「主観的存在」です。従って、この場合の(顕定)は、五感ではなく
意味の直観(本質直観)としなければなりません。意味の直観を認識するには、少し
現象学還元の「認識訓練」が必要ですが、すぐ習得できるものです。
144考える名無しさん:2012/09/25(火) 15:38:37.97 0
ボツ顕定。こっちの方がよかったかな?
(顕定)世界はアプリオリに存在する。存在への懐疑とは、存在の不確定性である。

五感を認識する時、認識する主観に対して、認識される五感=客観になるって事。

五感が主観的存在であるというのは、どの様に説明されているのでしょうか?
145考える名無しさん:2012/09/26(水) 11:48:37.34 0
なんだか組み合わせになってるな
146考える名無しさん:2012/09/27(木) 00:09:29.23 0
>>144
現象学では、>>118で記している様に、基本として「内在(主観)と超越(客観)」構図から
哲学的考察が始まります。「五感」とは、自身が知覚表象として認識しているものなのであり、
「五感」とは主観である。 そして、上記の基本構図の様に「主観」とは「内在」として定義されている。

現象学で重要なことは、客観(超越)を「現象学的還元」により意味の直観(本質直観)として把握(認識)することです。 
つまり、自己の「主観的領域内」より「意味の直観」によって、外界(客観)の事象を捉えることです。

又、「五感を認識する時、認識する主観に対して、認識される五感=客観になる事」と述べている。

五感そのものが主観(自己)です。「現象学還元」により認識された五感(個的直観)から意味の直観に進み、
主観的存在領域(構成的内在)より、客観的事象を把握(認識)することです。
147考える名無しさん:2012/09/27(木) 21:14:45.15 0
(定立)五感は客観である。存在への懐疑とは五感と認識の関係の不確定性である。
(異定)五感そのものの存在を認識する事は出来ない。五感は主観である。
(顕定)認識という行為は、主客の断絶を生む。主客の断絶が、存在への懐疑である。
148考える名無しさん:2012/09/28(金) 13:40:44.47 0
>>147
五感は、人間の「知覚表象」なので、もともと主観的存在です。

(定立)五感は主観である。存在への懐疑とは、五感とアプリオリの関係の不確定性である。  
(異定)アプリオリそのものの存在を、五感で認識する事は出来ない。アプリオリは「現象学的還元」で認識される客観である。
(顕定)現象学的還元が、主客を再統一し、認識による存在への懐疑を消滅させる。

 
 上記は、アプリオリ(客観的存在)を入れたので「構成的内在」が前面にでている。 >147の(顕定)内容は良かったと思う。  
 次は、主客の断絶を「現象学的還元」を使用して、いろんな形で主客を再統一する弁証法的展開を試みると良いと思う。 
  
149〜弁証法命〜:2012/09/30(日) 11:49:10.43 0

>>143
久し振りです ♪♪♪

>現象学還元の「認識訓練」が必要ですが、すぐ習得できるものです。
  ↑ 訓練方法を具体的に教えて頂けますか?

150考える名無しさん:2012/09/30(日) 18:19:44.30 0
>>149
現象学的還元は、>>118にも書いてある様に、禅の意識統一と同じ要領です。
まず、自身の心(意識)に集中し、次ぎに「一切の先入見(既成概念)を排して、」
次ぎに、「意識を一切の既成概念を排した”あるがまま”の意識状態へと持っていく。」
この、「あるがまま」の意識(構成的内在)から、外界の事象を意識の中に再構築(形相的還元)をする。
この一連の「認識訓練」は、すべての既成概念を排した真っ白な意識状態(純粋意識)に至ることが基本となります。
151〜弁証法命〜:2012/09/30(日) 19:26:58.27 0
>>150 へ、早速のレスをありがとうございます。

 >「意識を一切の既成概念を排した”あるがまま”の意識状態へと持っていく。」
 
 一種の「空」の状態にするのですね。
 でも…この「あるがまま」の状態の維持が、難しそうですね…
      
 私が、今トライしているのは、自分の先入観の全てを知る努力をして、
 それを知った上で、その考え思いを脇に置いて対象を認識しようとする試みです。
 でも…先入観を脇に置いても、また新たな先入観が生まれ…それをまた脇へ…の繰り返し…
 この瞬間の認識が客観的事象の把握なのか、自分の先入観なのかの判別が難しいのです。

 >>150 殿の経験談などをを聞かせて頂けたら、嬉しいのですが…
152考える名無しさん:2012/10/01(月) 02:47:17.51 0
>>150
あれだな言う通り、禅だな。
153考える名無しさん:2012/10/01(月) 13:14:24.85 0
>>151
「自分の先入観の全てを知る努力をして、それを知った上で、その考え思いを
 脇に置いて対象を認識しょうとする試みです」と述べている。

まず、最初に、自分の先入観(既成概念)を知る努力をしない。そして、
「先入観の全てを知った上で、その考え思いを脇に置いて、対象を認識しょうとする試み」と、 
述べているが、 この段階では、従前の先入観を脇に置くのではなく、従前の先入観をすべて意識から取り払う。
次ぎに、 それでも、意識に現れる「先入観(既成概念)」を根気良く、一つずつ取り除いていく、一連の意識活動により、
個人差はあるが、無念無想の「あるがまま」の状態に至る。 この「あるがままの意識状態」が、現象学で述べている
「純粋意識(構成的内在)」です。 そして、「純粋意識(あるがまま)」から、外界の事象(客観的事象)を把握(認識)していく。
従って、「あるがまま(純粋意識)」と外界の事象(客観的事象)の把握とは、別の認識過程となります。

154イメージ〜出来そう〜:2012/10/01(月) 14:09:37.99 0
>>153 殿、ありがとうございます。

自分の先入観を知る努力はしない!努力なしでも先入観は現れてくるので無理に引っ張り出す必要は無い。
また、脇に置いていたのでは、見えて捉われてしまうので、「意識から取り払う」のですね。
それでも、その都度意識に現れてしまうので、「根気良く一つずつ取り除く」のですね。
なんとなくですが…イメージが掴めそうです ♪♪♪      〜感謝で〜す〜
155考える名無しさん:2012/10/02(火) 14:12:54.99 0
>>154
現象学還元で、特に重点を置くのは、「根気良く一つずつ取り払い、純粋意識(あるがまま)に至ることです。」
そして、「純粋意識」から外界の事象を把握(認識)しながら、その場で、用紙に自分の意識に現れた
考えを書き写していく(本質観取)。つまり、本質観取(形相的還元)しながら用紙に書き写していく方法は、
より鮮明に外界の事象(客観的存在)を捉えることができる。私の今までの経験から「本質観取」しながら用紙に
書き写していく、この方法は「現象学還元」を体得するうえで大変に良かったと思っている。
156若かりし頃…:2012/10/02(火) 22:53:43.52 0
>>155 殿 再びのレスをありがとうございます。

確かに書くことって良いですね。
昔、二十代の頃の事…思い通りに夢を見る方法が書いてある本を読んで、
毎晩、枕元にノートとシャーぺンを置いて、夜中に目覚めた時など、その都度、
見ていた夢を書きました。朝、起きて読むと、全く覚えていない内容が書いて
あった事が何度もありました。〜不思議ですね〜
そうそう…偶然か必然か…当時思いを寄せていた女子の事をただただ考えていたら、
その子の誕生日を当ててしまったのです。
「あるがまま」〜なんか懐かしい響きですね〜
〜二十代の頃の自分は、今よりも純粋だったのでしょう〜
157考える名無しさん:2012/10/03(水) 22:13:33.84 0
(定立)認識という行為は、主客の断絶を生む。主客の断絶が、存在への懐疑である。
(異定)存在の認識がなければ存在への懐疑も存在し得ない。懐疑なき認識はない。
(顕定)認識と懐疑は別の瞬間に行われる。存在への懐疑とは、過去への懐疑である。
158考える名無しさん:2012/10/04(木) 05:43:25.96 0
>>157
テーゼがあれこれになってる。
159考える名無しさん:2012/10/07(日) 16:05:21.75 0
>>157
主観と客観の分離は、デカルトにより提唱されて、今日に至っている。 従って、
自己の存在を哲学的に認識すると言うことは、「主観」と「客観」の分離という形で、普段
私達は認識している。 >>144さんが、「存在への懐疑とは、存在の不確定性である。」と、
述べている様に、この主観と客観という形が、存在の不確定性を生じていると思うので、
「現象学的還元」によって、主観と客観の再統一をどの様に、弁証法的展開の中で試みるかが
必要と思う。
160157:2012/10/07(日) 18:19:40.48 0
>>159
認識される自己は、常に過去の自己だ。
「思う我」、「ある我」、「我をあると思ってる我」は全て違う時間の「我」だ。
「それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものであるもの」ね。

あと、僕は現象学的還元に興味ないし、それを訓練しようとも思いません。
体験は、共有されない。
161考える名無しさん:2012/10/07(日) 19:53:25.85 0
>>160
哲学的な思考法には、大別して二つに分けられると思う。直観思考(現象学等)と論理思考(演繹、帰納等)があるが、
そのどちらを使用するかは、その問題の性質(形而上学か形而下)又、各人の価値観によって、思考法の選択が異なって
くるものと思う。 この主観と客観は、形而上学の領域に入るので、思考法も絞られてくる。
162157:2012/10/07(日) 21:16:49.25 0
>>161
僕はただ考えて、進めるだけです。
もし、より良い顕定があるのなら、是非書き込んで下さい。

ところで、「現象学」という「既成概念」は、「現象学的還元」によって排されないのですか?
163考える名無しさん:2012/10/08(月) 15:14:51.61 0
>>162
「現象学的還元」は、形而上学的領域又、形而下の両方に通じる「哲学的思考法」です。
 従って、「現象学的還元」を実践している時は、「現象学」と言う言語的既成概念も
 一切が排された「あるがまま」の純粋意識になります。 「現象学的還元(直観思考)」を
 停止すれば、「本質観取」として「現象学」を使用出来る。
164考える名無しさん:2012/10/09(火) 12:11:46.94 O
ほう
165〜弁証法命〜:2012/10/09(火) 14:58:02.62 0
>>163

いつも〜ありがとうございます〜
あれから…考えました。
「あるがまま」、とは、自己の持てる想像力、空想力、妄想力…の全てを停止して、
今この瞬間の自己の外部からの視覚・聴覚・臭覚・触覚・味覚…の五感情報に
意識を集中して、そこからの連想をも停止して、その五感情報から形成されるもの
だけをみつめる、ということですね〜

あと〜質問です〜>、形而上学的領域又、形而下の両方<の
「形而上学」と「形而下」との区別、連関を教えて頂ければ
嬉しいのですが…
166考える名無しさん:2012/10/09(火) 20:44:53.19 0
>>165
五感情報の連想をも停止する。 ここまでは良いのですが、次ぎに五感を停止した後に
一切を排した「あるがまま(純粋意識)」となる。 この「あるがままの状態」を意識に、
強くもち維持することが肝要です。 そして、一呼吸置いてから「あるがまま」の意識より、
外界の事象(客観的存在)を見つめ、そして捉える。 この「外界の事象」と言うのは、五感情報(形而下領域)
だけではなく、形而上学的領域等すべての事象(情報等)が入る。

形而下学とは、感性的現象(人間の五感)を対象とする学問であり、有限的領域を対象とする。 形而上学とは、
感性的現象(人間の五感)を超越し、存在そのものの本質を、純粋思惟により、或いは「直観」によって探求
していく学問であり、無限的領域を対象とする。
167考える名無しさん:2012/10/09(火) 21:13:55.01 0
Thesis―Antithesis―Synthesisとかいう図式は、
ヘーゲルのどの著書のどこにあるんですか?
168〜弁証法命〜:2012/10/09(火) 22:18:22.30 0
>>166

いつも〜丁寧なご説明をありがとうございます。
>…次ぎに五感を停止した後に 一切を排した「あるがまま(純粋意識)」となる。 
>この「あるがままの状態」を意識に、 強くもち維持することが肝要です。 
以上を了解しました。

また、「五感の停止」とは、何も感じないようにすること、心を無にすること…
169〜弁証法命〜:2012/10/10(水) 12:24:57.89 0
>>166

「また、「五感の停止」とは、何も感じない、ようにすること、心を無にすること…」
↑ 違っていたようです。再考して以下のように考えました。。
「五感の停止」とは、自分の個性的感じ方、主観的感じ方――見たいよう見て、聞きた
いように聞いて…のような感じ方を止めるように頑張る、ということて゜しょうか?
実際に生きているので、実体である〜目、耳、鼻…の機能は停止出来ない以上は、
認識すること、自分なりの主観的像、個性的像…の創像を停止するしかないのでしょうね〜
170考える名無しさん:2012/10/10(水) 19:49:48.77 0
>>169
五感によって形成された意識又は、認識が対象となるので、目、耳、鼻等の機能のことではありません。
そして、自分の個性的認識、主観的感じ方、認識を「停止」すると記してあるけれども、「停止」という概念
よりも、五感(知覚表象)の既成概念としての、「認識を一切排していく」と言う考え方が、良いと思う。

別の言い方をすると、五感によって形成された既成の認識を「取り除いていく」。そして、最終的に従前のすべての
既成認識を取り除いた状態が、「あるがまま」です。
171〜弁証法命〜:2012/10/10(水) 23:57:45.54 0
>>170

いつも懇切丁寧な解説を感謝しております。

>五感によって形成された既成の認識を「取り除いていく」。そして、最終的に従前のすべての
>既成認識を取り除いた状態が、「あるがまま」です。

「あるがまま」について、>>170 を参考にして、もっとよく考えてみます。
172<弁証法命>:2012/10/11(木) 15:51:40.85 0
>>170 へ〜
>五感によって形成された意識又は、認識が対象となるので、目、耳、鼻等の機能のことではありません
そう〜感覚器官の使い方、感覚を像として認識したもの〜これらが全てが、特殊的個別的=主観的なのでしょう…
「五感器官の機能」と「形成された認識又は認識」とは相対的独立なのですね〜

思っていること、思いたいこと、考えていること、考えたいこと、感じたもの、感じているもの、感じたいもの、
感じてくるもの、感じるもの〜これら〜全てを「取り除いた状態」を維持している過程が「あるがまま」なのでしょうか…
そして〜たぶん…その時〜特殊的個別的=主観的で無い〜丸ごと全体的に何か…が…浮かんでくるものなのでしょう〜
173考える名無しさん:2012/10/11(木) 19:03:29.23 0
>>172
「現象学的還元(直観思考)」の進行は、第一段階と第二段階に分かれる。 第一段階は、
 実的内在(個的直観)で、知覚(五感)、想起、想像が対象になる。 最初に意識統一を
 して、実的内在の「すべての既成概念」を「取り除いていく(中立性変様)」。次ぎに、
第二段階の「構成的内在」へと進む。 この構成的内在とは、根源的な本質、普遍者、類的なものの、
「現象学的還元」を行う。 「実的内在」は、主観的領域、そして、「構成的内在」は、客観的領域に入ると思う。

「主観的で無い〜丸ごと全体的に何かが、浮かんでくるものなのでしょう〜」と述べている。 私も「あるがまま」とは、
「現象学」の超越論的領域としての、「純粋現象(純粋意識)」と解釈しているので、「あるがまま」の状態に於いては、
 主観と客観の壁は、消滅して、一種の「融合化」現象が起こるのではないかと思っている。
174<弁証法命>:2012/10/12(金) 14:20:51.70 0
>>173
いつもいつも〜レスをありがとうございます。
2チャンネル掲示板で貴方のような人物と出逢えて、とても嬉しく思っています。
一期一会〜この出逢いを大切にしたい!と想っています。
>主観と客観の壁は、消滅して、一種の「融合化」現象が起こるのではないかと思っている。
〜「融合化」現象〜うん!なんとなくですが、分かります〜♪♪♪良い感じ〜
175考える名無しさん:2012/10/12(金) 15:48:11.72 0
>>174
>155でも記している様に、「現象学的還元」を実行中、「あるがまま」の状態時に、
 頭の中に創出する「思い」「考え」を必ず用紙にメモをする様にしている。 この思考
 しながらメモをする方法は、「現象学的還元」のみならず他の「哲学的思考」でも私は
 実行している。 自身の体験から、考えを文字として書き写し、その文字(思い、考え)を
 基に再度「現象学的還元」を繰り返す事によって、漠然としていた考え(理論等)が、だんだんと
 煮詰まってくる。 つまり、本質観取としての「外界の事象」の捉え方と、結論の出し方が身についてきます。
176<弁証法命>:2012/10/13(土) 20:40:11.93 0
>>175

今日、「あるがまま」をイメージしたように〜「立禅」で試してみました。
それは、二十代の頃、一時熱中していたー「大気拳」の「立禅」というものです。
これは、足を肩幅に開いて膝を軽く曲げ、腰を後ろに少し落として、両手でお
腹の前で大きなボールを抱いている感じに広げて、じっと立っているだけです。
目は閉じると色々考えてしまうので、半開きが良い、と書いてありました。
当時は、頭の中の流れてゆく想いを、それに捉われること無く眺めていたのですが…
今回は、「考えない!想わない!感じない!」と繰り返しながら立っていました。
当時は、授業の空き時間の45分立っていましたが、今日は五分程度でした。
ひとつ発見したのは、今回は半眼では無く、開いて遠く正面の木々を見ていました。
すると…暫くすると…その木々が「怖い顔」に見えてきました。不思議でした。
そう〜時々〜ボーッと〜空の雲を見ていると、その雲が「犬」、「ドラゴン」、「顔」…等に
見えたりしましたが…木々が「怖い顔」に見えたのは初めてでした。
もっとも、今日のように木々をじっと見たのも初めてでしたが…それでも〜とても怖い顔でした。
177考える名無しさん:2012/10/13(土) 21:34:23.36 0
>>176
現象学の「あるがまま」を体現する方法として、既成概念を「取り除く」と言う
意識とは別に、私は、「捕らわれ」の心を無くすると念じながら「あるがまま」を体現する様に
実行している。 「木々が恐い顔に見えた」のも、新しい事に挑戦する気持ちが、そうさせたのかも
知れません。 又、いろいろなイメ−ジが創出すると言う事は、「現象学的還元」が深まり、意識がより
「あるがまま」に近づいて来たと思います。
178<弁証法命>:2012/10/14(日) 00:08:05.09 0
>>177
>現象学の「あるがまま」を体現する方法として、既成概念を「取り除く」と言う 意識とは別に、
>私は、「捕らわれ」の心を無くすると念じながら「あるがまま」を体現する様に 実行している。 

>「現象学的還元」を実行中、「あるがまま」の状態時に、 頭の中に創出する
>「思い」「考え」を必ず用紙にメモをする様にしている。 

色々とアドバイスをありがとうございます。
今後も頑張って、やってみます。
179考える名無しさん:2012/10/15(月) 22:54:09.84 0
現象学はあくまで内在−超越の構造を記述することにあるんだから
180<弁証法命>:2012/10/16(火) 10:15:04.13 0
>>179

ハイ! ありがとうございます。

>「現象学的還元」を実行中、「あるがまま」の状態時に、
> 頭の中に創出する「思い」「考え」を必ず用紙にメモをする様にしている

↑ ですね〜「あるがまま」状態にの維持中の頭の中の「思い」、「考え」ですね〜
普通の自己の「考え」、「思い」と区別するようにですね〜頑張ります〜
181<弁証法命>:2012/10/16(火) 18:25:20.31 0
>>179

「内在ー超越の構造」かどうかは、分かりませんが一つ気付いたことがあります。
それは、>>179 で、初めて木々が怖い顔に見えてから、次に「立禅」しながら見た時、
自分の中で、『 今回も怖い顔に見えないかな〜』という想いで見ている自分に気付きました。
これって…「あるがまま」では、なくなっていますよね?!
また、考えた事があります。
それは、「内在ー超越の構造」知る為に、日頃の主観的認識をも詳しく知る必要があるのだろう〜と言う事です。
182考える名無しさん:2012/10/16(火) 20:08:57.57 0
>>181
自分の中で、「今回も恐い顔に見えないかな〜」という想いで見ている自分に気づきました。

これは、「現象学的還元」の実行中に主観が、入っている状態です。
>>173で記している様に、現象学的還元は第一段階と第二段階に分かれると述べている。
第一段階の実的内在は、知覚(語感)、想起、想像を対象とした主観的領域です。第二段階が、
構成的内在で、根源的な本質、普遍的存在、類的なものを対象とした客観的領域です。従って、
「現象学的還元」による純粋現象(あるがまま)とは、主観的領域と客観的領域に於ける
「一切の既成概念」を排するのが、基本であると解釈している。

183<弁証法命>:2012/10/16(火) 21:36:09.71 0
>>182

アドバイスを、ありがとうございます。
第二段階を目指して、チャレンジです〜
184考える名無しさん:2012/10/18(木) 05:01:50.34 0
(定立)認識と懐疑は別の瞬間に行われる。存在への懐疑とは、過去への懐疑である。
(異定)存在の認識は過去の経験と現在(正確には近い過去)の比較である。
存在の認識において経験、過去はアプリオリなものとされている。
(顕定)懐疑の認識に対する優越には根拠がない。
185考える名無しさん:2012/10/18(木) 05:17:38.99 0
追記
では、なぜ懐疑を認識に先立つものとしているのか?
それは西洋哲学、西洋的な学問が、弁証法を土台としているからだ。
186考える名無しさん:2012/10/18(木) 18:30:11.97 0
>>184
>(顕定)懐疑の認識に対する優越には根拠がない。

 上記の「懐疑」と「認識」に、優越の根拠はないとは、どの様な見解でしょうか。
187考える名無しさん:2012/10/18(木) 20:20:54.15 0
>>186
存在を懐疑する人は、「存在する」ということがどういう事か知っている。
それは、経験によって得られたものだ。
経験とは、過去の記憶の積み重ねである。
一方で、存在への懐疑とはごく近い過去への懐疑である。

つまり、経験という遠い過去の記憶をアプリオリなものとしながら、近い過去を懐疑している。
188考える名無しさん:2012/10/18(木) 21:42:43.11 0
「存在」を疑う(懐疑)すると言うことは、「存在」に含まれる「時間概念」も、
 疑う(懐疑)ことである。「方法的懐疑」によって「時間概念」をも疑うと、
 それは(時間そのもの)も、数学理論と同じ様に、疑わしく、不確かなものである。
 デカルトは、究極の「疑いえないもの」として「私は考えるゆえに私は存在する」と言う
 明証的な認識に到達している。従って、「時間概念」に捕らわれている限り、本質的な
 「存在」には至る事は出来ない。
189考える名無しさん:2012/10/18(木) 22:04:29.63 0
>>188
本質的な存在に至る事を目的としていない。

あと、デカルトは160ですでに否定した。

時間概念が適当でないなら、知識と読み替えればよい。
「存在」に関する知識はアプリオリで、知覚されたものに関する知識は不確定なものとするのは、公平でない。
190考える名無しさん:2012/10/19(金) 10:06:21.96 0
>>189
存在に含まれる「時間概念」は未来、現在、過去と言う「時間の流れ」の解釈によって、
各哲学理論によって異なっている。 この「時間概念」は、存在を懐疑する論究に於いて
重要な位置づけにある。>188さんが記している様に、本質的な存在に至ることを目的と
していなくとも、普段、私達が暮らす日常的生活の中でも、「時間概念」が、存在認識の
基本構成の一面を持っている。従って、私達日常のレベルに於いても、自分の存在を知識として
認識する為には、「懐疑(疑う)」は避けて通る事の出来ないプロセスと思う。
191184:2012/10/19(金) 17:33:57.11 0
なぜ懐疑しなければいけないのか?
192考える名無しさん:2012/10/20(土) 18:04:38.23 0
>>191
「懐疑」には、二通りの方法がある。それは、「生きた懐疑」と、「方法的懐疑」です。
この「生きた懐疑」とは、私達の日常生活(形而下学的領野)に於いて「懐疑(疑う)」することによって、
真と偽を振り分け、正しい認識を見つけ出す方法である。 そして、「方法的懐疑」とは、「形而上学的領野」の
考察の時に行うものです。 例えば、デカルトの場合は、事象(存在)の疑うことの出来ない「普遍化の極点」として
「私は考えるゆえに私は存在する」と言う、存在の究極的な確実性に到達している。
193184:2012/10/21(日) 08:42:59.57 0
>>192
その懐疑に関する知識、情報はアプリオリなものなのですか?
それが真であることは、どのようにして示されるのでしょうか?
194考える名無しさん:2012/10/21(日) 21:03:26.50 0
>>193
デカルトは、「方法的懐疑」の方法について「ほんの少しでも疑わしさが残るものは、
断固として、それを偽とみなし、斥ける。」と、述べている。 「懐疑」に於いての
「真」と「偽」の見分け方は、ほんの少しでも疑わしさ、不完全さ、不確実さの残るものは、
「偽」とみなしている。 その疑わしさを決める根拠は、事象に対して、あらゆる観点から判断される。
ただし、「方法的懐疑」の場合は、根源的に確実なもの、真なるものを求めているので、少しでも疑わしさの
残るものは、それを偽とみなし斥ける。
195184:2012/10/21(日) 21:23:32.41 0
>>194
>「ほんの少しでも疑わしさが残るものは、断固として、それを偽とみなし、

その「みなす」根拠がないっていう話をしている。
196考える名無しさん:2012/10/22(月) 14:41:49.04 0
>>195
方法的懐疑は、「ほんの少しでも疑わしさの残るものは、これをすべて偽とみなして斥ける。」
この「みなす」根拠は、「あらゆる認識の最終的な源泉(根源)」に到達することを、根拠としている。
「認識の最終的な根源」を根拠として、少しでも不確かなもの、そして、不完全性を含むものを、「疑わしいもの」と
して斥ける。この「認識の最終的な根源(起源)」とは、「絶対に疑いえないもの」としての確実性と完全性もった領野です。
この領野での認識を、デカルトは「私は考えるゆえに私は存在する」と表している。
197184:2012/10/22(月) 17:47:41.79 0
>>196
ヘンペルのカラスって呼ばれているらしい。

少ししゃべりすぎた。これでこの話は終わりにします。
198考える名無しさん:2012/10/25(木) 21:18:29.00 0
(定立)懐疑の認識に対する優越には根拠がない。
(異定)懐疑によって、認識は否定され得る。懐疑は認識に優越する。
(顕定)認識は知識に、懐疑は情報に基づく。懐疑の優越は知識と情報の格差である。
199考える名無しさん:2012/11/06(火) 12:13:36.68 0
(定立)懐疑の優越は知識と情報の格差である。
(異定)知識と情報の格差は、主観的価値観によるものであり、懐疑の優越もまた主観的価値観にすぎない。
(顕定)哲学は主観的価値観に過ぎない。
200考える名無しさん:2012/11/17(土) 08:18:12.48 0
(定立)哲学は主観的価値観に過ぎない。
(異定)哲学は知識として共感されうる。
(顕定)本当に知識が共感されているかは確かめる術がない。

戯れか。
201考える名無しさん:2012/11/17(土) 15:35:24.96 0
>>200
顕定になれていないな。

新しく顕れでたものであるべきで、起こるものだからな。
わかってて書くのは案外むずかしい。
202考える名無しさん:2012/11/17(土) 20:19:15.81 0
>>201
やっぱり言われたか。
練りが足りないね。
すいません、出直します。
203考える名無しさん:2012/11/18(日) 00:26:04.51 0
まぁ、わかってて書くのはむずかしいよ。
204考える名無しさん:2012/11/19(月) 16:13:24.33 0
(定立)哲学は主観的価値観に過ぎない。
(異定)哲学は知識として共感されうる。
哲学は人類共通の真理となりうる。
(顕定)本当に知識が共感されているかは確かめる術がない。
知識が正しく共感されている前提において、哲学は真理となりうる。

やりなおし。
205考える名無しさん:2012/11/20(火) 13:22:34.49 0
>>188
デカルトの「方法的懐疑」と、現象学の「中立的変様(あるがまま=エポケ−)」の概念は、
根本的に異なる。 つまり、方法的懐疑は、すべての事象に於いて、「真」でないものを
否定し、廃棄するが、「中立性変様」は、「真」でないものを否定するのではなく、
「偽」なるものの「判断停止」をする。従って、現象学還元の状況で、
すべての事象と同様に「判断中止」されていた事象も復活し、「本質観取」される。この点が、
「方法的懐疑」と「中立性変様」大きな違いであり、現象学が多様性のある優れた思考法であると思う。
206考える名無しさん:2012/11/25(日) 21:32:58.33 0
(定立)知識が正しく共感されている前提において、哲学は真理となりうる。
(異定)正しく共感されているかは、主観的にしか判断出来ない。前提は成り立ちえない。
(顕定)言語の存在は、他者との共感の存在を前提としている。知識は共感されている。
207考える名無しさん:2012/11/25(日) 23:41:14.96 0
正反合か、怪しい
208考える名無しさん:2012/11/26(月) 10:32:07.23 0
テスト
209弁証法命:2012/11/26(月) 10:38:19.79 0
お久し振りです〜毎日〜見させて頂いてました。
>>206
>言語の存在は、他者との共感の存在を前提としている。知識は共感されている。
↑ 私も100%の共感です!
210206:2012/11/26(月) 18:36:40.10 0
まあ、こんな風に言語によるコミニュケーションは得てして成功しない訳です。
それでも人は発言をやめないわけで、次はその辺りを糸口にしていきたいと思っています。
211弁証法命:2012/12/02(日) 17:33:43.68 0
(定立) 弁証法は役立たない、と言う人がいる。
(異定) 弁証法は必ず役立つ、と言う人がいる。
(顕定) 役立たないかもしれない弁証法を、役立つと信じて
    求め続けゆく、と私は言っている。
212弁証法命:2012/12/02(日) 17:42:47.98 0
自宅のパソコンは、アク禁で…ここに自由に思い通りに書き込みができません…
でも…いつも見ています〜
213206:2012/12/02(日) 18:42:45.71 0
(定立)知識が正しく共感されている前提において、哲学は真理となりうる。
(異定)正しく共感されているかは、主観的にしか判断出来ない。前提は成り立ちえない。
(顕定言語の存在は、他者との共感の存在を前提としている。知識は共感されている。
214考える名無しさん:2012/12/02(日) 18:44:03.93 0
間違えました。すいません。
215考える名無しさん:2012/12/02(日) 19:27:43.30 0
(定立)思考法には、方法的懐疑、現象学的還元、論理思考、弁証法がある。
(異定)どの思考法が正しいかを判断する方法は、あるのか。
(顕定)思考法の多様性、普遍性、そして否定するのではなく、創造する思考法を求める。
216考える名無しさん:2012/12/02(日) 20:39:01.08 0
(定立)言語の存在は、他者との共感の存在を前提としている。知識は共感されている。
(異定)言語によるコミニュケーションは共感されない事もある。言語の存在は知識の共感を表してはいない。
(顕定)言語は幅を持つ。哲学が言語を用いて行われる限り、哲学はその幅以上の正確性を持つ事はない。
217考える名無しさん:2012/12/04(火) 19:29:24.65 0
(定立)言語は幅と創造性を持ち、他者と知識は共感される。
(異定)それぞれが、異なる考えは、他者と知識は共感されない。
(顕定)哲学の「創造性」は、他者との言語の限界を取り除き、共感への可能性を拡げる。
218考える名無しさん:2012/12/04(火) 22:36:20.86 0
異定がむずかしいかんじね
219考える名無しさん:2012/12/05(水) 06:30:41.70 0
>>217
「言語の創造性」とは何か?「哲学の創造性」との関係は?
「言語の限界」とは?

あと、異定が日本語になっていない。
220考える名無しさん:2012/12/05(水) 13:28:07.25 0
「言語の創造性」とは、例えば、デカルトを例にしてみると、「私は考えるゆえに私は存在する」
 と、言う命題は、この言語(命題)の内に「考えること」、「疑うこと」、「判断すること」、「感じること」などの
 複数の思考作用(コギタチオネス)が含まれている。この複数の思考作用を創出させているのが、「哲学の創造性」
 であり、この「哲学の創造性」が、「言語」の深層にある本質を、「言語の創造性」として創出すると解釈している。
 
221考える名無しさん:2012/12/05(水) 15:50:06.46 0
破壊なき創造性とかパクりにすぎないから。
222考える名無しさん:2012/12/05(水) 16:55:32.74 0
>>220
言語とその言語によって表される物は必ずしも一対一で対応していない。
一つの言葉は多様な解釈が可能で、それが言語が幅を持っているという事だよね?

その話だと、書き手が真理を表せたのかより、読み手が真理に到達したかが大事だって話になる。
そうすると、自分が到達すればいいから、言葉は何でもいい事になる。
223考える名無しさん:2012/12/05(水) 17:02:51.63 0
話ちょっとそれるけど、西洋哲学における真理を表すって事と、
東洋哲学の悟りに達するっていうのを
分けて考えなきゃいけないんじゃないかと僕は思う。
自分が悟りに達したいなら、座禅でも滝行でもすればいい。
西洋哲学は技術じゃなくて、知識じゃないのか?
224考える名無しさん:2012/12/05(水) 19:25:58.61 0
デカルトは、方法序説(第二部)で四つの規則の中で、「明晰的で判明に精神に現れる
直観認識」と述べている。 つまり、「方法的懐疑」による直観的認識は、「純粋精神」の
状態に到達するので、東洋哲学の「悟り」と同じ精神状態になるものと解釈出来ると思う。
デカルトは方法序説の四つの規則の中で、西洋哲学の論理的知識(論理学)と直観認識を、
明確に分けている。 東洋哲理に於ける「悟り」は、論理ではなく一種の直観認識なので
この両方の関わりを論究する事は、意義がると思う。
225考える名無しさん:2012/12/05(水) 20:02:30.25 0
>>222
「哲学の創造性」とは、方法的懐疑又は、現象学的還元による「直観認識」のことです。
 この「直観認識」は、思考プロセスの過程で「すべての事象」を対象としているので、
 書き手の言葉の真理と、相手の言葉の認識の両方を対象としている。
226219、222、223:2012/12/05(水) 20:48:34.75 0
220と225って同じ人?
227考える名無しさん:2012/12/05(水) 22:06:55.22 0
違います。
228219:2012/12/06(木) 10:04:07.44 0
西洋哲学は書き手中心、東洋哲学(≒宗教)は読み手中心なんだよね。
だから、発言しなければ哲学者にはなれないし、宗教は教典の解釈が問題になる。
大雑把な話だけどね。

2chじゃ、俺は※※を読んで理解した!って威張る奴多いけどね。
229考える名無しさん:2012/12/11(火) 17:58:11.14 0
(定立)言語は幅を持つ。哲学が言語を用いて行われる限り、哲学はその幅以上の正確性を持つ事はない。
(異定)言語を重ねて行けば、個々の言語の幅よりも真理に近づくことが出来る。哲学の正確性は言語の幅に左右されない。
(顕定)言語の作用は分割である。また、分割されない言語は存在しない。
よって、哲学は真理に近づく事しか出来ない。

解説がいるかな?
230考える名無しさん:2012/12/25(火) 20:26:27.75 0
(定立)言語の作用は分割である。また、分割されない言語は存在しない。
よって、哲学は真理に近づく事しか出来ない。
(異定)哲学を含むほぼ全ての学問は、言語及びそれに類するものによって、その真意を理解できる事を前提としている。
(顕定)人間は、自分が本当に理解出来ているかを確かめる術はない。


自分が哲学的ゾンビでない事を証明できますか?
231考える名無しさん:2013/01/21(月) 19:42:20.96 0
>>225
直観認識(直観思考)は、西洋哲学では、どの様な時に使用するのですか?
232考える名無しさん:2013/01/21(月) 20:06:47.15 0
>>231
西洋哲学は、始めに必ず自分の思想の「核」となる概念」を、直観認識(直観思考)で、
命題化している。>224さんが、記述している様に明晰的で判明に精神に現れる直観認識を、
「命題」としている。そして、この命題を基に、論理思考(演繹法、帰納法)で、論理構築を
進めている。
233考える名無しさん:2013/01/22(火) 23:49:50.41 0
理解の正当性は、たとえそれが他者との関わりを通した結果であったとしても、自分自身によってのみ判断される。

思考にあたって、存在や正当といった根本的な概念は、なぜそこにあるのか。
234考える名無しさん:2013/01/23(水) 13:27:43.45 0
存在や正当(真理)といった根本概念は、人間の理性を超えている。物事の理解は、
他者を通した結果であっても、最終的に「自分自身によってのみ」判断される。
つまり、どの様な科学的理論、或いは、どの様な思想であっても、それを最終的に
判断し、認識しているのは、自分自身の「意識」が判断しているのであり、デカルトが、
疑うことの出来ない根源的存在を「私(自分自身)」と定義したのも、ここにあるのだと思う。
235考える名無しさん:2013/02/07(木) 10:08:21.64 0
テスト
236弁証法命:2013/02/07(木) 10:17:03.21 0
>最終的に判断し、認識しているのは、自分自身の「意識」が判断しているのであり、…<

そうですよね…正しいも間違いも、素晴らしいも空虚も、全て自分自身が感じ判断するものなのですね…
237考える名無しさん:2013/02/07(木) 12:07:21.96 0
「an sich, fuf sich, an und fur sich」の 「sich」は当然「自己意識」を指すのでしょう。
238弁証法命:2013/02/07(木) 12:16:49.81 0
「自己意識」を自覚=認識する自己(意識)が重要ですね…
239考える名無しさん:2013/02/07(木) 13:02:16.47 0
「認識」する自己意識に対し、「行動(行為、活動、実践)」する自己意識、はどうなるのでしょうか?
240弁証法命:2013/02/07(木) 14:48:10.89 0
「自己意識」を認識した自己が、その「自己意識」と周囲の状況、自己の状況を客観的に総合的に分析して、自己の判断で
現時点での自分にとってベストだ、と思う「行動(行為、活動、実践)」を選択して実行する、ということなのでしょう~
241考える名無しさん:2013/02/07(木) 14:52:25.14 0
その場合の弁証法は?
242考える名無しさん:2013/02/07(木) 20:59:26.28 0
弁証法っていうのは基本、
(定立)A=B
(異定)A≠B
(顕定)A=C
ってなってる。それで、
(定立)A=C
(異定)A≠C
(顕定)A=D
ってなって行けば、テーゼは止揚され続けるはずなんだけど、
(定立)A=C
(異定)A≠C
(顕定)A=B
ってなっちゃう。
243考える名無しさん:2013/02/07(木) 21:02:44.21 0
本来A=CにはA=B、A≠Bが含まれるはずなんだけど、止揚が続けばその明示されないテーゼは膨大な数になって行って、
どこかでループしちゃう。
単なる注意不足なのか、弁証法が持つ矛盾なのか。
244考える名無しさん:2013/02/07(木) 21:07:30.16 0
はははw
なるほどな。
日本人の正反合そのものも、合には出戻りを含有してるんだよね。
空間方向としても“上位(高み)”を好まない体質があるしね。
245弁証法命:2013/02/08(金) 14:01:57.06 0
>>241>その場合の弁証法は?

先ずは、「自己意識」の否定からスタート、自分(「自己意識)の判断の結果(正しいと信じた事)を(新たな自己を用いて)否定し、その結果を疑う事。
次に、その結果に至った過程を見直し再考する(自己の体験・経験、性格、身体的条件…との再度の相互浸透、過去・現在の周囲の状況との相互浸透、そして、それら対立物の統一的把握とその量質転化化…)で再度の結果を導き出す。
その「自己」で出した結果と「自己意識」の結果が一致すればOKであるが、不一致の時には、「自己意識」では納得し難いが、「自己」の結果を信じて実行して、先に進んでゆく。
この繰り返しで「自己意識」が弁証法性を帯びてゆき、否定された「自己意識」が新たな「弁証的自己意識」と量質転化化してゆく、否定の否定的にレベルアップされた<自己意識>となってゆくのだろう…
↑ 以上が>>240における弁証法です。
246考える名無しさん:2013/02/08(金) 15:15:09.31 0
>>245
「弁証法的自己意識」が量質転化してゆく過程で、アウフヘ−ベンはどう関係
していくのでしょうか?
247弁証法命:2013/02/08(金) 15:50:23.68 0
>>242
A=円形(上方向からの平面図形としての名称)
A≠円形、A=長方形(横方向からの平面図形としての名称)
A=円柱(三次元空間的立体図形としての名称)
ここから言える事は、円形は円柱の一側面であり、長方形も円柱の一側面である。
しかし、だからと言って、円形=長方形とはならない、という事である。
248弁証法命:2013/02/08(金) 16:12:31.14 0
>>246

過去において結果が全て的(過程を意識不能的)だった「自己意識」と弁証法=過程重視的自己とが、対立物の相互浸透的量質転化化の過程で、結果重視的「自己意識」が「結果・過程全体重視的自己意識」へとアウフヘーベン…

ただし…現実的に役立つ「唯物論弁証法」と「認識学」とを相互浸透的、対立物統一的学習をしながらの実践があれば!こその「アウフヘーベン」なのだろう…
249科学びと:2013/02/10(日) 17:54:29.81 0
誰か〜!? もっと突っ込みを!
250考える名無しさん:2013/02/10(日) 20:22:52.88 0
>>245 ですね。納得。
251考える名無しさん:2013/02/12(火) 22:30:21.01 0
>>245
>先ずは、「自己意識」の否定からスタ−ト。自分(自己意識)の判断の結果を
 否定し、その結果を疑う事。

>上記の「自己意識」を判断停止(エポケ−)のように「保存」するのではなく、
 否定したのでは、その結果を再考する事は、出来ないのではないでしょうか?
 つまり、否定とは、廃棄することであり、現象学のエポケ−(判断停止)のように、
 否定せず「保存」し、後から「再考」する事は出来ないのではないでしょうか。
252考える名無しさん:2013/02/13(水) 09:24:43.38 0
確かに。テーゼ段階は、[an sich、即自」。
この「自己意識」はそのままにしておいて、「fur sich,対自」に向かうわけですからね。
253考える名無しさん:2013/02/18(月) 09:59:39.25 0
テスト
254弁証法命:2013/02/18(月) 10:10:03.72 0
「即自」から「対自」への変化には、「即自」的で自覚できていない自己を強烈に意識
させられるような現実を体験することが必要です。
その現実を意図的に起こそうとするのが、「自己意識」の否定、だと私は感じています。
255考える名無しさん:2013/02/18(月) 10:21:14.49 0
聞きたい。
その自己意識否定の意図は、自分の要請によるトレーニングなのかな。
256弁証法命:2013/02/18(月) 10:32:03.99 0
>>255
「自己意識否定の意図」は、新たな自己の可能性の発見の為に、現在の自己の殻=
現在の即自的認識とその認識パターンを破る、というような事です。
257考える名無しさん:2013/02/18(月) 10:47:16.82 0
なるほど、確かにそうだと俺の経験が後ろ盾している。
258弁証法命:2013/02/18(月) 11:35:58.73 0
後ろ盾〜ありがとうございます♪♪♪
259考える名無しさん:2013/02/18(月) 13:33:12.07 0
いーえー。
さて、その自己意識の否定についてだが、
それは段階として捉えた場合、どのような段階と言えるのか。
260考える名無しさん:2013/02/18(月) 13:36:21.80 0
>>256
対自は、「即自の自己の殻」を破るという「意図的行為」というより、
即自意識の不完全性(恣意的主観に徹する)が、不可避的に対自意識を励起するという図式
で現れるのでは?
261考える名無しさん:2013/02/18(月) 13:44:57.24 0
したがって、この場合の「否定」は、「不可避的に対自意識を励起」を指すことに。
262考える名無しさん:2013/02/18(月) 13:53:41.80 0
ごめんなさい。>>254でOKでした。
263考える名無しさん:2013/02/18(月) 14:01:46.08 0
意識は対象をもち、即自意識は、「自己」→「対象」。「必然」的に「自己」←「対象」に気がつく。
この「必然」は、人間の生物的進化、自己生存、の故ならずや???
264弁証法命:2013/02/18(月) 14:46:04.34 0
>>259
>どのような段階…
弁証的に考えると、第一の否定段階。過去の体験・経験で量質転化化されている即
自的「自己意識」を解体する為の、初期ー揺さぶり的否定を行おうとする段階〜だと
思いますが…
これに関しては今の段階では自信を持ってそうだ!言えませんが…
>>259殿は、どのような段階だと思いますか?
265弁証法命:2013/02/18(月) 14:51:23.10 0
>>263
>この「必然」は、人間の生物的進化、自己生存、の故ならず…
そうです〜この「必然」を意図的・意識的に実行しようとするのが、
弁証法を駆使するという事であると、私は理解しています。
266考える名無しさん:2013/02/18(月) 15:05:59.63 0
>>264
私、>>259>>263ですが、>>265の御理解に尽きると思います。
ついでといってなんですが、「否定の否定」(止揚)の段階についても、御見解を開示していただけたら有難いです。
267考える名無しさん:2013/02/18(月) 15:08:35.11 0
>>266での訂正 >>259でなく,>>260です。
268考える名無しさん:2013/02/18(月) 15:36:07.28 0
>>260
特に、止揚が、即自の高位の回復といわれる所以です。対自の回復何処?
269考える名無しさん:2013/02/18(月) 15:47:59.04 0
>>268訂正 宛先>>260>>265様です。>>265様、宜しくお願い致します。

薄暗い所でKB操作、かさねがさねの誤りはずかしい。、
270考える名無しさん:2013/02/18(月) 21:45:03.92 0
自分のブラウザでID出てないから大丈夫だと思ってるのか
271考える名無しさん:2013/02/18(月) 21:48:51.22 0
ぜんぶ見られてわかってるんだぞおまえww
272考える名無しさん:2013/02/19(火) 09:17:16.55 0
テスト
273弁証法命:2013/02/19(火) 10:02:43.77 0
>>268 >…対自の回復何処?
話が抽象的になり過ぎて訳が分からなくなったので…少し具体的に書いてみました。
現在はちょうど受験シーズンですね〜今ここに受験生Tさんがいます。彼女は勉強嫌いで
中三まで授業も宿題も真面目にやらず、自主勉強は殆どやっていませんでした。
しかし、受験が近付いた〜ここ数カ月間、彼女にとっては必死レベルで勉強しています。
そして、受験終了後、彼女はまた以前の自主勉強しない彼女に戻ったといます。
この前半の勉強しない彼女は「即自」的であり、必死に勉強している彼女は「対自」的であ
ると私は考えました。そして、受験を終えた彼女は、再び勉強しない「即自」的彼女にもどります。
この例では、「止揚」は起っていません。
しかし、この受験勉強の過程で彼女が勉強の必要性を痛感して、合格後も真面目に勉強す
るTさんになれたなら、「即自」的勉強しないTから、普段から真面目に勉強する過去の「対
自」的Tを内包した「即自」的Tに止揚できた、という事ではないでしょうか…
274弁証法命:2013/02/19(火) 10:26:02.59 0
「受験勉強」いという比較的具体な事物ですと分かり易いのですが…これを認識一般で考えると事は、難しく分かり難くなります。
人生に挫折を感じ、「即自」的自己が再出発の為「対自」的に弁証法を勉強しよう〜としたとしても…
「弁証法」とは超一般的法則です。数学の勉強、英語の勉強は分かっても…弁証法の勉強(習得)ですと〜???となってしまいます。
何しろ「法則」なのに…「量質転化」、「相互浸透」、「否定の否定」…これらのどこが法則?…と〜なってしまいますよね…
また…「量質転化」を量質転化の法則として個別的に量質転化的に分かってしまうと「量質転化」を弁証法としては、分かる事が
できないようになってしまうのでしょう…
〜悲しい事に…
275考える名無しさん:2013/02/19(火) 12:55:14.78 0
>>273,>>274
真摯なご対応、有り難うございます。

・即自;のんびりした自分の性(さが)に即して、普段から「勉強すること」の緊張を嫌い、ほとんど勉強せず。
・対自;受験が近づいて、「勉強すること」の緊迫の必要性を認識し、必死レベルで勉強する。
・即且対自への止揚
a) 即自の高次回復;対自での修羅場の経験から、即自の性からゆっくりいくべく、高次の即自として、
 効率的に勉強することの必要性に目覚め、経常的に要領よく、勉強する。
b)対自の高次回復:対自での必死の「勉強」の効果を認め、高次の対自として、
 「普段から」、常在戦場、常に高度に集中して勉強するようになる。

弁証法のニュアンスとしては、どうなんでしょうか?
弁証法は普通、a)を取るように思いますが、b)についてはどうなるのでしょうか。

問題の発生は、即自から始まるわけで、一応の解決は、否定の否定、「即自の回復」とは思いますが、
b)的な論理は、一般にどのように考えられているのでしょうか?
276弁証法命:2013/02/19(火) 14:18:37.92 0
>>275へ>b)対自高次回復…については、何を「不可避的」な現実と受け止めるか、また、その後の過程〜いかんなのでしょう〜
実際に「受験勉強」に対しても、最後まで今まで通りの勉強をしたい、勉強しなかったりと〜最後まで即自的自己で受験を迎える生
徒もいれば、それこそ寝る間も惜しんで、教師や塾講師のアドバイスを頼りに、参考書を片手に必死に勉強する生徒もいます。
この後者の生徒が高校合格後も、まだまだ先の大学受験を「不可避的」な現実と観念的に設定して、必死レベルの勉強を継続させ
てゆき、大学合格後は就職を「不可避的」現実と設定して…この繰り返しの過程で「常在戦場、常に高度に集中して勉強する」こ
とが量質転化化されて、「対自高次回復」となってゆくのでしょう…
ただし、この全ての過程に自己の能力への不信感が存在する必要があります。
自己への不信感があるから、勉強しても
勉強しても安心できずに、さらなる勉強を自己に強いるからです。
そう〜人間の場合、実際には避けることの可能な現実でも、観念的には「不可避的」現実と設定可能なのでしょう〜また、
「弱い犬ほど吠える」と言われるように、自己の存在価値、能力、…への不信感が強烈な人ほど、回避可能な現実を不可避
的だと思い込み、頑張らざるを得ないのでしょう〜ただし…自分の能力に絶望しないで続けられる人であれば…
また、頑張り続ける過程で自己の能力に自信が生まれ、「要領よく」を習得した人は「必死さ」のレベルダウンを起こし、
「対自高次回復」に至らない事もありましょう〜
そう〜「対自高次回復」への道は、遠く険しいものがある…のでしょう〜
277考える名無しさん:2013/02/19(火) 20:39:15.20 0
(定立)人間は、自分が本当に理解出来ているかを確かめる術はない。
(異定)「理解」などの基本的な概念は社会を通して獲得した物であり、一定の社会的正確性を持っている。その正確性をもって自己の理解を測る事ができる。
(顕定)人はその言語や概念を獲得した時点で、それらをある程度理解している。自己の理解を問う事は、それに対する不服を表明しているに過ぎない。

要はしっくり来たやつが真理。
278御子柴.A 宗光 ◆WalkyrieuQ :2013/02/19(火) 22:45:52.66 O
西洋式弁証法だと確かに>>1の形式(定立・否定・総合)で記述可能だが

東方神起の楽曲にもあったように
東洋式弁証法だと正・反・合の三項で記述する
例.(正)+,(反)−,(合)±0,
但し,合=反の反であり,かつより高次の正となるわけだから
(反の反)−×−→+0.

この操作を繰り返していくと
東方神起が歌うように○(円環)ができる
0が○へと転換する運動こそ東洋式弁証法である
279考える名無しさん:2013/02/19(火) 23:17:06.07 0
>>178ナイス弁論!!
280考える名無しさん:2013/02/19(火) 23:18:20.81 0
いけね>>278
281弁証法命:2013/02/20(水) 11:02:17.63 0
0についての考察、0には大まかに分類して、絶対無−何も無い=0、目的物が
無い=0、基準値としての0、がある。
例えば、「道(東洋的にtao)」のど真ん中を基準値の0と考えると、左へ「−」
右へ「+」(この逆もあり)と考える事ができる。
この時、「(+)+(−)=0」は、道のど真ん中に戻ったと言う事なのでしょう〜
なので、仮に弁証法で=0と考えたとしても、絶対無や目的物が無くなったので
は無いのでしょう〜
282考える名無しさん:2013/02/20(水) 11:45:54.74 0
>>263
意識は対象をもち、即自意識は「自己」→「対象」。「必然」的に←「対象」に気がつく。
この「必然」は、人間の生物的進化、自己生存の故ならずや。

>上記の「必然」的に「自己」←「対象」に気がつく、と言うことは即自意識が、不可避的に
 対自意識を励起し、止揚されるのであれば、この状態での「自己」は、否定し、廃棄するのでは
 なく(即自意識を否定するのでは、即自意識は回復しない)、テ−ゼ段階の自己意識(an sich、即自)は、
 そのままにしておいて“保持”し、対自意識(fur sich対自)へ向かい、「アウフヘ−ベン」されると思うのですが。
283弁証法命:2013/02/20(水) 13:39:16.03 0
ある状態を言語で表現するのは、本当に難しいものですね…
私の想い描いている「即自意識の否定」とは、「即自意識」を肯定しつつ否定す
る、というような意味です。
「即自意識」の存在を肯定し見つめつつ、それでも〜このままでは駄目だ!と
否定している、そんな状態なのです。
284弁証法命:2013/02/20(水) 13:53:00.63 0
>>276 ついての反省
行変えをミスって…とても読みにくく、また長文で見苦しい文章である。
内容を短くまとめてみると以下のようになるのだろう〜
観念的「非常心」の養成と実態的「学力」の養成とでは、次元が違うものである。
必死の努力の結果、「学力」が養成され満足してしまった時点で、その必死の
努力は「非常心」の養成とはならなくなってしまうものなのだろう〜。
285考える名無しさん:2013/02/20(水) 14:17:51.11 0
>>278
うまく言えないが、
西洋は“高く”なっていくが、
東洋は“中心”ができていくというかな。

なんかよくわかんないよなこれじゃwごめんな
286弁証法命:2013/02/20(水) 14:42:10.34 0
>>285
東洋では、「中道」という考え方をしているようです。
287考える名無しさん:2013/02/21(木) 12:19:03.78 0
>>276
「対自の高次回復in ジンテーゼ(即且対自)」は誤りでした。即自提題に曖昧さがあったための錯誤のように思います。
この場合の即自には次の3種があったと思います。
(1)即自が「勉強一般」。対自を経て、ジンテーゼは常在戦場。
(2)A君の即自は、怠け性を自覚しつつ怠けに流れる自分。受験勉強の対自を経てのジンテーゼは(1)的な常在戦場。
(3)B君の即自は、普段の怠け癖を何とかならないかと模索しつつ勉強する自分。
  受験勉強の対自を経てのジンテーゼは効率の良い要領の良い静かな勉強。

いずれにしろ、ジンテーゼの場所に顕在的に「対自の高次回復」を持ってくるのは誤りで、「対自の回復」は常にジンテーゼ中に解消している。
其処は常に即自由来のその解決「即自の高次回復」のための場所だとおもいます。

でも、即自提題の曖昧さ許容こそがむしろ弁証法の効用でしょうか。この曖昧さを許容してくれる弁証法の利点は、
弁証法が「意識の弁証法(即自意識、対自意識、即且対自意識)」であるからのように思います。
288考える名無しさん:2013/02/21(木) 13:05:01.84 0
最終行追加訂正;弁証法が「自意識」の弁証法(即「自意識」、対「自意識」、即且対「自意識」)であるから、、、。
289考える名無しさん:2013/02/21(木) 14:34:56.57 0
テスト
290弁証法命:2013/02/21(木) 15:37:56.06 0
私も以下のように、より具体的に考察してみました。

a 受験が終わっても、以前と殆ど変わりない勉強しない即自回復の場合。
b 受験が終わると、普段から勉強する習慣が身に就いた即自回復の場合。
c 度重なる危機的状況の繰り返しで、常時戦場的認識=対自が内包された即自として回復した場合。
ここで、bとcの違いは、即自の中に対自が有るか無いか、なのでしょう。
291考える名無しさん:2013/02/21(木) 15:50:47.66 0
なるほど、bは単なる「経験・学習」というような。
ちなみに、学習は繰り返しによる対応性向上。止揚とは全く違いますね。
こんな理解でいいのでしょうか。
292弁証法命:2013/02/21(木) 23:29:03.64 0
>>291
イメージ的には、ある事をやらない(動く事考える事は疲れるから的感情)、あ
る物を食べない(苦くて不味いから的感情)のような即自的意識のその行動に
対して、疲れてもやれ!不味くても食べろ!的命令して強引にやらせる事ので
きる意識―自分自身を客観的な対象として捉えられる対自的意識、そんな意
識が自己の中に存在しているような感じかな…
293考える名無しさん:2013/02/22(金) 09:20:08.23 0
即自だけではやっていけないというような、一種の生存本能由来のような、ですかな。
294弁証法命:2013/02/22(金) 14:49:56.77 0
>>293
そんな感じですね〜
295弁証法命:2013/02/23(土) 21:01:11.99 0
>>293
>一種の生存本能由来のような…
人類初期の頃は自然環境からの強制的=生存本能由来的であったのかもしれま
せんが…
殆どが人工的環境の中の現代の我々は、環境からの強制力はあまり期待できな
いのかもしれませんね…
296考える名無しさん:2013/02/24(日) 10:33:26.14 0
>>295
テーゼアンチテーゼの、生得的な側面がこれかな」といったつもりで書きました。
認識的側面で言うなら、例えば、存在論の基本カテゴリー、「質」、「量」「das Mass*」でいうなら、手に取った意識対象、リンゴ、
をまず主観的にリンゴとみなすのが「質」。これだけでは認識面でも不安、再注視、対象から実際に手を通じて
伝わってくる重さを対象の「量」として認識するというわけです。
 なお、質、量両方を満足するジンテーゼの認識、リンゴ特有の重さ、これが「対象としてのdas Mass*」。
*よい訳語が日本語にありません。「かさ」、リンゴのリンゴとしての重さ(数値的に言うなら平均重量的な現実の感覚的重さ)、でしょうか。
 現行の[尺度]、[限度]などちょっと源義にそぐわないと思います。
297考える名無しさん:2013/03/02(土) 01:39:26.90 0
結局、「蓼食う虫も好き好き」という事か。
298考える名無しさん:2013/03/07(木) 21:17:34.75 0
テスト
299弁証法命:2013/03/07(木) 21:20:51.11 0
>>297
>結局、「蓼食う虫も好き好き」という事か。
↑の解説をお願いします。
300弁証法命:2013/03/08(金) 10:01:43.23 0
>>296
そうですね〜「リンゴ」を知っている大人は、パッと見でそれをリンゴと(経験からの主観的)判断して、次に手に持って感触重さを感じ、香りを嗅いで、齧ってみて、やっぱりリンゴだ(主観の客観的判断)と確認しているのでしよう。
次のジ・テーゼとは、「では、その我々がリンゴに見えているその物の実体は…」というような事でしょうか?
301考える名無しさん:2013/03/08(金) 12:30:05.47 0
Sein(有)の下位規定;テーゼ/Qualitat(質)、アンチテーゼ/Quantitat(量)、ジンテーゼ/Mass*。
*das Massの語源は適度。形容詞Massigは適当な。なお、紛らわしいのがdie Masse、「質量、実質」。

 したがってジンテーゼ/Massは、リンゴという質に適した量(200~300g程度?)。すなわち、存在に関して、
その質、量ともに満足させる論理規定ジンテーゼが「Mass」。
302考える名無しさん:2013/03/08(金) 13:11:35.65 0
ちなみに、ジンテーゼSyntheseのsyn-は、ともに、の意味。シンクロナイジングスイミング、シンフォニー、、。
テーゼとアンチテーゼの両論理規定をともに満足させる論理規定ジンテーゼ。
303自由な悟得びと:2013/03/19(火) 09:46:05.24 0
(定立)この世に、この私はひとつだけ。
(異定)この世は、無限的な存在である。
(顕定)ひとつの私は、無限的な事物事象に接し、それらから学び、
    多くの他の私に関わり、それらから学び、この頭脳を無限大にする。
304考える名無しさん:2013/03/19(火) 18:24:21.13 O
我はΑでありΩである
305自由な悟得びと:2013/03/19(火) 23:11:33.94 0
>>304
>我はΑでありΩである
↑〜だから〜なあに?
  何を書きたいの?
306考える名無しさん:2013/03/21(木) 03:41:14.81 0
ギリシアの感性を備えたつもりで話しするとよいぜ
307弁証法命:2013/03/26(火) 09:31:03.93 0
>>306
>ギリシアの感性〜とは、
どの様な感性かを具体的に
解説頂けと有難いのですが…
308考える名無しさん:2013/03/26(火) 11:23:26.99 0
そんなこともわからないようじゃキミ、もう駄目だよ。
309考える名無しさん:2013/03/26(火) 11:34:50.38 0
Ωというのはね、本質定数とも言えることがさまざまな包含関係を吟味し
演算をくりかえしそれを帰着することで判別できるようになるはずだ。
310考える名無しさん:2013/03/26(火) 22:26:08.05 0
>>307
キミィ!
311弁証法命:2013/03/27(水) 09:12:17.00 0
(定立) 他人から「もう駄目だよ」と言われている私
(異定) 『駄目なものか!』、と反発を感じている私
(顕定) 今に見ていろ!『大器晩成』、なのだ!の私
312考える名無しさん:2013/03/27(水) 13:05:38.80 0
弁証法という言葉は、ギリシャ哲学に初めて登場し、その弁証法の種類は、
二枝弁証法、三枝弁証法、四枝弁証法がある。ソクラテスの問答法は、二枝弁証法であり、
ヘ−ゲル、マルクスは、三枝弁証法、シェリングは四枝弁証法、シュライエルマッハ−は二枝弁証法である。

ソクラテスの二枝弁証法と、ヘ−ゲルの三枝弁証法の違いは、「アウフヘ−ベン」の導入に
あると思う。このヘ−ゲルの「アウフヘ−ベン」は、ヘ−ゲル哲学の骨格を成している「精神現象学」の
現象化を意味している。ギリシャ時代からスコラ哲学時代までの、いわゆるアリスチテレスの「三段論法」は
形式的論理思考であり、ヘ−ゲルは、この「論理思考」に現象学を初めて導入している。その様な意味に於いては、
画期的なことではないかと思う。
313考える名無しさん:2013/03/27(水) 13:13:28.92 0
>>312
訂正
  アリスチテレス→アリストテレス
314弁証法命:2013/03/27(水) 14:12:51.02 0
>>312-313
解説をありがとうございます。
ここでも〜真面目に学び習得
出来れば〜と想っています。
315弁証法命:2013/03/27(水) 15:10:13.12 0
>>312
>四枝弁証法〜とは、
どのような弁証法なのでしょうか?

私でも理解できるよう〜優しく
具体的に解説頂けると有難いのですが…
316考える名無しさん:2013/04/25(木) 08:21:55.17 0
(定立)人はその言語や概念を獲得した時点で、それらをある程度理解している。自己の理解を問う事は、それに対する不服を表明しているに過ぎない。
(異定)自己の理解への疑問は他者によって起こされる。理解度は他者、外界との関係において存在する。
(顕定)正確性や理解度といった基本的な価値観は、他者との関係をどの様な枠組みで主観的に捉えているかが土台になっている。

1+1=2が正しいのは数学の中だけ。
317弁証法命:2013/04/26(金) 12:53:49.52 0
>>316
ありがとうございます。
この記述で私的に、
観えてきたものが、
ありました。感謝です。
318考える名無しさん:2013/04/29(月) 13:17:29.31 0
>>312
>四枝弁証法〜とは、
どのような弁証法なのでしょうか?

優しく 具体的に解説頂けると有難いのですが…
319弁証法命:2013/04/30(火) 15:31:17.22 0
>>318
そんな事!人に聞くな!
自分で、その答えを探せ!
320考える名無しさん:2013/05/20(月) 10:00:25.16 0
>>309様、ご記入の事柄、ぜひぜひ詳しくご陳述下さいませ。
本質定数や包含関係、演算など。また関連書などあればよろしく。
御解説切望しております。
321考える名無しさん:2013/05/21(火) 09:31:44.92 0
テテスト
322弁証法命:2013/05/21(火) 09:57:10.97 0
私は、>>309ではありませんが…考えてみました。

「Ω」とは、「絶対精神」的ものであり、森羅万象、全てが
「Ω」の変化・運動の結果、という事なのでしょうか?
だから>我はΑでありΩである<、と言う事なのでしょうか…
323考える名無しさん:2013/05/21(火) 14:14:43.98 0
では、「A」とは?
324弁証法命:2013/05/21(火) 18:37:40.00 0
「A」は「Ω」では無い
何か、という事でしよう〜
325考える名無しさん:2013/05/21(火) 22:06:25.57 0
>>309様 ひたすらお願い致します。宜しくお聞きとどきのほどお願い致します。>>320です。
326考える名無しさん:2013/06/01(土) 10:11:24.58 0
>>304
要するに思惟は大なる意識体系の発展実現する過程にすぎない、若し大なる意識統一に住してこれを見れば、思惟というのも大なる一直覚の上における波瀾にすぎぬのである。
327弁証法命:2013/06/01(土) 23:22:44.02 0
>>304 >我はΑでありΩである

Ωが全体であり、Aはその全体の部分。
部分は部分として独立的に視えても、
結局は全体の一部分に過ぎないという事?!
328考える名無しさん:2013/06/02(日) 04:55:47.84 0
テーゼ:Αである
アンチテーゼ:Αでない
ジンテーゼ:Ωである

こんだけの話じゃねーの
329考える名無しさん:2013/06/02(日) 09:01:38.36 0
<< >>309 Ωというのはね、本質定数とも言えることがさまざまな包含関係を吟味し
演算をくりかえしそれを帰着することで判別できるようになるはずだ。>>

 じゃー、本質定数、包含関係、演算なんて、比喩的に言っただけのことか。なにか自然言語間の具体的な論理算のようなものを考えているのかと思っちゃった。
330弁証法命:2013/06/02(日) 10:47:03.44 0
>>328
>こんだけの話じゃねーの
↑確かに文字化すれば、「これだけ」なのだろう。
 しかし、この結果に至るまでの実体験の豊富さが重要である。
 何故なら、この言葉だけを覚えても、実生活では役立てられない、使えないのである。

>>309 の記述を以下のように解釈している貴殿は〜
>じゃー、本質定数、包含関係、演算なんて、比喩的に言っただけのことか。
↑豊富な実体験⇒一般化⇒(一般的)言語化⇒適切な言語表現、の過程が不足しているように見受けられる。

>>309の「本質定数、包括関係、演算」とは、>>329 の書いているな、比喩的ものでは無く、
現実の彼?彼女?の、その一般化の過程を、これらの言語を用いて表現してくれたものである。
331考える名無しさん:2013/06/02(日) 13:51:24.63 0
式で表現してみてください。
332考える名無しさん:2013/06/02(日) 14:01:27.51 0
定数も、包含関係も、演算も、いずれも、記号を使った式で表現され得るはず!?
333考える名無しさん:2013/06/02(日) 15:46:13.38 0
記号には、勿論、適当な規定(定義)が明示されているはず。
334弁証法命:2013/06/02(日) 16:44:53.73 0
>>332-333
>記号を使った式で表現され得るはず!?

↑こう〜考えるのなら、他人に頼らずに御自分でおやりなさい!
335考える名無しさん:2013/06/02(日) 17:48:57.91 0
結局あなたはやっていないわけだ。
336考える名無しさん:2013/06/02(日) 17:53:01.75 0
>>330
弁証法なんて論理の別名なんだから、論理を信じてりゃ実体験は必要ないだろ
論理を疑ったことがあるかどうか、という経験は必要かもしれないが……

実体験が必要という姿勢は、精神現象を真に理解するために、
一回悟らなければ(絶対精神を体感せねば)ならないことになってしまう

論理にて理解して、正しいとわかってりゃ充分だよ
337考える名無しさん:2013/06/02(日) 17:55:10.71 O
ああ、やってない。純粋なものが勝った
338弁証法命:2013/06/02(日) 21:25:30.65 0
>>336
絶対精神は観念論の創造物で、実際には存在していません。
だから、実体験したものを抽象化して絶対精神的ものを創造するのです。
また、論理は論理として分かっただけでは、余り役に立てられません。
339考える名無しさん:2013/06/03(月) 18:35:33.60 0
>>334 >>337 実は私も考え中。作用連関、順序連関、、など。何か参考にさせて頂けたらと飛びついたわけでした。
今後ともよろしく。
340考える名無しさん:2013/06/03(月) 22:29:53.84 O
>>338
存在とは言いがたいが、絶対精神は人が体験できる事かと
絶対精神が、絶対無や神や如来の体感などと同一だというのは結構説かれている
これらのうちどれかを体験した上で、この体感は絶対精神とは違う、と言うならそれもいいが、
もしそれ無しに存在しないと切り捨てるなら実体験軽視しすぎ
341弁証法命:2013/06/03(月) 23:09:29.99 0
>>340
私の思い描いている絶対精神とは、異なっているようです。
342考える名無しさん:2013/06/03(月) 23:12:52.39 O
体験もしてないのに?
まあしかし>>338見ると世界精神が混ざってるようにも見える
343弁証法命:2013/06/04(火) 10:17:19.28 0
>>342

絶対精神は実体験できなくとも、
実生活の中で、成長して自分の精神の変化・発展の過程を実感する事で、
絶対精神的変化・運動を想像する事は可能です。

変化・運動して行く、行ける事こそ、絶対精神の生命なのでしょうから…
344考える名無しさん:2013/06/04(火) 15:03:45.65 O
>>343
世界精神に囚われて絶対精神が見えないだけ、のように思う
根源まで遡るんや
345弁証法命:2013/06/05(水) 12:47:49.54 0
>>344
>根源まで遡るんや

私の理解している絶対精神とは以下のようなものです。
時間も空間も無い宇宙的存在である絶対精神は物質として誕生した。
その物質的絶対精神は、地球→自然→人間として転生して、人類の中で初めて精神的存在となった。
なので、我々人類の中には絶対精神が宿っている。後は、自己の精神が絶対精神である事に気付ければ良いだけである。
その為には、現代までの絶対精神の変化過程を自分の精神が繰り返す事が必要なのでしょう。
自己の実体験を通しての精神の変化、他の言説からの精神の変化、この両方の変化過程が必要かと思います。
もし、人間が純粋な精神的存在な、実体験は不要なのでしょう〜
346弁証法命:2013/06/05(水) 12:59:50.54 0
>>344
>世界精神に囚われて絶対精神が見えないだけ

そうですね〜
実体験を精神的体験にして行く必要があるようです。
ご指摘をありがとうございます。

世界精神の奥にある絶対精神を求めて、
事物・事象の見えている表面では無く、
その本質が視えるように頑張ってみます。
347考える名無しさん:2013/06/05(水) 13:12:20.29 O
だから遡るべきは物事の根元でなくていい
自らの精神を弁証法的に遡れば事足りるし、実感も可能
348弁証法命:2013/06/06(木) 09:58:31.53 0
>>347
>自らの精神を弁証法的に遡れば事足りるし、実感も可能
↑〜ありがとうございます。取り組んでみます♪♪♪
349考える名無しさん:2013/06/08(土) 08:40:44.20 0
弁証法っておかしくね?
正反の時点では通常論理と矛盾を含んだ論理を採用する、それはすばらしいと思う、
でも、合を導く時点では通常論理のみを採用してる

合を導くと同時に反合が導かれるのが本来じゃね?
発展と同時に衰退、収束と同時に拡散を導かなきゃ論理に対して誠実じゃなくね?

そもそも主観と客観を一致させる技術が科学であり、その本質に論理があるわけだから、
正反の論理から正の論理へと導けば主観と客観が一致するのは当然であって、
本来なら「主観と客観が一致する」「故に主観と客観は一致しない」とならねばらないのでは
350考える名無しさん:2013/06/08(土) 09:55:09.16 0
合と反合を同時に導いてはならない、というルールがあるのはもちろん知っている
しかし、そのルールが何故かあるかを突き詰めると、結局、
「意味がある結論を導けないから」とかに落ち着くんよな

要は、そもそも意味を求めるために論理を使うのだから、
論理は意味を導かねばならない、みたいな自己循環構造になってる
おいおい、反というすばらしい論理を持ち込んだのは、
正のみの論理の自己循環から抜け出すためではなかったのか!?


実際んとこ、殆どの現象について弁証法は正しい、ということは言えると思うんだが、
そもそも正反を自覚的に含む系そのものを扱うことはできないように思う
351考える名無しさん:2013/06/08(土) 12:47:18.53 0
正反両者の止揚(論理和?論理積?)で得られる反合を、対象の破滅、崩壊、消滅と解するなら、これは日常的によく見られる現象ではあるが、次の論理展開はなく、論理table上では存続しえないのでは?

 正からから反への移行論理の範疇内容(形質phenotype)は、正合への論理が潜在している者のみを選ぶべきなのか?
352考える名無しさん:2013/06/08(土) 19:05:18.39 0
>>351
生成という合に対しては、確かに消滅という反合があります
生成と同時に何が失われたか、という視点は次の論理展開にも有益では
発展という合に対しては、衰退という反合があるだけですので、
何が衰退したかという視点は次の論理展開に充分に寄与するかと

ただ、これを突き詰めてしまうと、究極の発展については究極の衰退が対応し、
何も残らないようにも思います

>正からから反への移行論理の範疇内容(形質phenotype)は、正合への論理が潜在している者のみを選ぶべきなのか?
意味を求めるなら、そうせざるをえない、のではないかと
353考える名無しさん:2013/06/09(日) 12:11:53.17 0
止揚算の内容は、かなり具体的に、正ー反の論理和や論理積として思い浮かべることが出来るようですが、
正から反のget、否定算の内容は、論理否定はあまりに抽象的で具体内容に乏しいので困ります。
354考える名無しさん:2013/06/09(日) 14:26:22.01 O
合から反合を導けば良い
仮に好きと嫌いを同値とすると
正:好きという関心
反:嫌いという関心
合:好きであり嫌いである関心
反合:好き嫌い以外の関心

正:好きであり嫌いであるとい関心
反:好き嫌い以外の関心
合:関心すべて
反合:無関心

よく「好きの反対は嫌いでなく無関心」というが、あれが二段とばした論理であることがわかる


ちなみに、関心を無視(前提と)して、世界を好き嫌いの二値化すると
正:好き
反:嫌い
合:好き嫌い
反合:嫌い好き(=好き嫌い)

正:好き嫌い
反:好き嫌い
合:好き嫌いがただ在る
反合:好き嫌いは存在しない

こうなり、則無意味化できる
色即是空に繋がる場の弁証法のエゲツなさよ
355考える名無しさん:2013/06/10(月) 11:55:33.94 0
止揚結果の「合」に対して、[反合」なるものを規定可能とするなら、当然、次の段階として
「合ー反合」の止揚という規定が存在することになります。
しかし、ヘーゲルは、この展開は考えない。例えば、現象論で、「実存ー現象」の止揚の結果得られる「合」は「本質的相関」。
ここで「反合」は規定されていなくて、さらに進むには、「現象」まで戻って、「反省ー現象」の止揚結果としての「現実性」に移行し、
その下位規定の「絶対者(自立者)」に行く必要あり。かくして、「本質的相関」は「自立者」へ移行できる。
要は、「合」の「本質的相関」から、「絶対者」に行くには、一度上位に迂回しており、直接的に[反合」は規定していない。
止揚という操作は一者のみを得る高度の操作で、止揚結果がさらに「合ー反合」に分解されるという初歩的思考操作とは考えていないのでは?
356考える名無しさん:2013/06/10(月) 12:11:34.09 0
たしかに、「反合」を規定すれば、「本質的相関」から「絶対者(自立者)」に迂回なしに
直接的に、より真実的に移行できます。でも、その時「合」としての「本質的相関」に対し、
どんな論理規定を「反合」として規定すればよいのでしょうか??
357考える名無しさん:2013/06/10(月) 12:28:19.06 0
「あまたの相関」かな?
358考える名無しさん:2013/06/10(月) 12:29:38.68 0
ヘ−ゲルに於ける「アウフヘ−ベン(止揚)は、一種の「現象学思考」と考えられる。
このアウフヘ−ベンは、「廃棄・否定」と「保存する・高める」という相矛盾する意味を
もっている。
弁証法は、「定立(前提)→反定立(前提)」の思考過程をもつ「論理思考」と、
「アウフヘ−ベン(止揚)」という「現象学的思考」とを結合した思考法ではないかと思う。
359考える名無しさん:2013/06/10(月) 12:34:38.03 0
>>356 「反合」を新規に規定するなら、螺旋上昇はより直接的に進行するように思えますが、どうなんでしょう?
360考える名無しさん:2013/06/10(月) 13:37:03.23 0
(テーゼ・アンチテーゼ)ー(ジンテーゼ(ジンジンテーゼ・アンチジンテーゼ))なん?
361考える名無しさん:2013/06/10(月) 13:47:11.01 0
no!
(テーゼ・アンチテーゼ)ー(ジンテーゼ(ジンテーゼ・アンチジンテーゼ))
362考える名無しさん:2013/06/10(月) 13:57:14.84 0
>>357
OK! 了解!!!
たしかに、このように「反合」なるものを規定して行くなら、展開はよりスムースになることは確か。
363考える名無しさん:2013/06/10(月) 14:33:28.51 0
でもその論法で行くなら、各規定にアンチをつけた規定が派生することになる。

(テーゼ(アンチテーゼ1)・アンチテーゼ(アンチアンチテーゼ)・ジンテーゼ(アンチジンテーゼ))
 アンチテーゼ1と、後出のアンチテーゼの相違は???

それとも、ジンテーゼにのみアンチジンテーゼが派生する?その根拠は??
364考える名無しさん:2013/06/10(月) 14:49:03.67 0
>>355 <<止揚という操作は一者のみを得る高度の操作で、止揚結果がさらに「合ー反合」に分解されるという初歩的思考操作とは考えていないのでは?>>

この一人相撲、、、分かりました!
止揚操作の結果は、安易に否定されたり再止揚したりできるような安易な操作ではない。これをするには、>>355のように、一旦より上位の論理規定に上昇しておこなう必要があるということ。

お騒がせしました。
365考える名無しさん:2013/06/10(月) 16:23:24.85 0
>>364に「  」を追加
>>355 <<止揚という操作は一者のみを得る、、
 止揚というの操作は「その論理レベルで」で一者のみを得る、、
366考える名無しさん:2013/06/10(月) 17:31:42.47 O
反合を用いないと、神に限りなく漸近できるのみで、到達はできないんじゃないか
用いたらすぐに絶対無に到達しちゃうけど
367考える名無しさん:2013/06/10(月) 17:55:56.89 0
テーゼt論理学・アンチテーゼu自然哲学・ジンテーゼs精神哲学。
そして、精神哲学はその下位レベルで、t主観的精神・u客観的精神。
芸術/神/哲学のどの「絶対的精神」には、t主観的精神/u客観的精神のジンテ−ゼとして直接的に到達可能。
少なくともHegelは、このように理解。その可否は別としても。
368考える名無しさん:2013/06/10(月) 18:50:37.34 0
「弁証法」は、精神活動の、数ある「方法method(原義は(道を辿る))」の一つにすぎない。
絶対化する根拠はないと思う。
369考える名無しさん:2013/06/10(月) 18:58:39.64 0
適用に「曖昧」な部分が多いので、それだけ適用範囲が広いと言えるかもしれないけど。
370考える名無しさん:2013/06/11(火) 22:05:44.19 0
>>355
正反両者の止揚(アウフヘ−ベン=現象化)で得られる「反合」は、「「正合への論理」のみ
選ぶとは限らない。何故かと言うと、止揚(アウフヘ−ベン)は「廃棄・否定・消滅」と「保存・高める」と
言う相反する現象化を行う。従って、定立(正)でなく、反定立(反)を合(綜合)として選択することも論理
としてあり得ると思う。
しかし、よく解らないのですが、アウフヘ−ベン(止揚)とは、一般的(三段論法)な推論的思考とは異なって
いるのであり、>355さんが述べている「現象化する」と言うことは、「現象学的還元」と解釈して良いのでしょうか?
と、解釈して良いのでし
371考える名無しさん:2013/06/12(水) 08:05:04.21 0
>>350
弁証法の要は、正を正たらしめている構造を明らかにする事にある。
350は弁証法に弁証法を用いる事で、論理と、その目的としての意味のある結論との関係を明らかにした。

数学の様に、構造が強固であれば、正しさもまた強固となる。
構造を壊す事を目的とする哲学において、正しさはあるのだろうか?
372考える名無しさん:2013/06/12(水) 09:34:17.05 O
>>371
特定の段階において正しさを求めるとき、自己言及的な正しさはある
「全体」についての正しさは存在するし存在しない、突き詰めればいかなる言及も絶対無
373考える名無しさん:2013/06/12(水) 10:58:20.04 0
>>377 >>355です。Hegelの大論理学の目次に従ったというお粗末な話、申し訳ありません。
要は、「論理」は、「テーゼ存在論/アンチテーゼ本質論/ジンテーゼ概念論」という下位構成を持つ。
ついで、そのうちの本質論についてその下位構成は、「反省/アンチテーゼ現象/ジンテーゼ現実性」。このうちのアンチテーゼ「現象」について
その下位構成は「テーゼ実存/アンチテーゼ現象/ジンテーゼ本質的相関」、
ジンテーゼ「現実性」のそれ、下位構成、は、「絶対者/現実性/絶対的相関」となっています。
ジンテーゼとしての「本質的相関」が、「絶対者」に移行するためには、ジンテーゼ「本質的相関」を直接的に否定ないしは止揚するのでなく、
一旦上位のアンチテーゼ現象に上昇、このレベルでのジンテーゼ現実性に移行して、そこでの下位規定のテーゼ絶対者に
下降する必要があるということをのべただけです。
 確かのまわりくどい、本質的相関から直接に絶対者に移行する弁証法的な論理があればよいのですが。アンチジンテーゼの論理を研究してください。
374考える名無しさん:2013/06/12(水) 11:01:12.11 0
>>373訂正
>>377 でなく >>370 です。
375考える名無しさん:2013/06/12(水) 11:25:02.55 0
アドルノの否定弁証法は、Hegelの概念自己統一化を避けるため、アンチテーゼに留まり否定を
深化するのだそうです。しかしこのアンチジンテーゼも上位概念に上昇することなく、具体的下位レベルで横断的、効率的に
進展を図ることができるところが魅力。
376考える名無しさん:2013/06/12(水) 11:27:51.42 0
ただ、(ジンテーゼの「否定」の図式(メカニズム))を要研究。
377考える名無しさん:2013/06/12(水) 12:05:29.61 0
>>372
合が導かれた段階においてのみ、それが正しいという事か。
だから、合と反合は同時に導いてはならない。
378考える名無しさん:2013/06/12(水) 12:29:44.09 O
>>377
「正しさを求めるなら」やね
379考える名無しさん:2013/06/12(水) 12:47:52.16 0
反合は、合が導かれた後にということ? あたりまえじゃないの??
ちょうど、テーゼが設定されないとアンチテーゼが設定されないのと同じ。
380考える名無しさん:2013/06/12(水) 14:41:43.47 0
>>371
>弁証法の要は、正を正たらしめる構造を明らかにする事にある。

>正反両者の止揚(アウフヘ−ベン=現象化)で得られる「合(ジンテ−ゼ)」は、
 「正合への論理」のみ選ぶとは限らない。何故ならば、弁証法の思考過程は、
 「定立(正)→反定立(反)→アウフヘ−ベン(止揚)→合(綜合)」という図式となる。
 つまり、定立(正)と反定立(反)、この二つの判断をアウフヘ−ベンで統合した、より高位の
 判断(綜合)となる為です。

 弁証法で重要な位置づけとなっているのは、「アウフヘ−ベン(止揚)」であり、
 この「アウフヘ−ベン(止揚)」は、「否定・廃棄・消滅」と「保存・高める」と言う
 二様の相反する概念をその内に持ち、「現象化」を行う。
 この「現象化」という思考活動は、一般的(三段論法、演繹法、帰納法)な推論的思考とは
 異なっている。 又、フッサ−ルの「現象学的還元」とも異なっている。しかし、アウフヘ−ベンの
 「否定・廃棄・消滅」と「保存・高める」という意識活動は、一種の「現象学的思考」であることは
 間違いないと思う。

 このアウフヘ−ベン的現象化は、正(定立)概念と反(反定立)概念を、その現象活動の中で、一度
 解体されて、止揚の働きにより、再構築される。
 従って、定立(正)の概念が再構築によって「正合」となるか、或いは、反定立の概念が、再構築に
 よって「反合」となるか、又は、定立(正)概念と反定立(反)概念が再構築により、「中庸的な合」
 となるかは、「現象化の働き」によって異なってくる。

 
 
 
 
 
 
 
381考える名無しさん:2013/06/12(水) 14:52:09.09 O
え、既納演繹と異なるの?
形変えただけにしか見えんが
382考える名無しさん:2013/06/12(水) 15:32:13.86 0
ヘ−ゲル的弁証法は、「定立(正)→反定立(反)→アウフヘ−ベン(現象化)→合(ジンテ−ゼ)」の
思考過程によって、高位の判断(上位概念)を確立するが、この合(上位概念)は、独立した一つの確立した
理論(一定の結論)となる。 従って、この上位概念(確立した理論)が、不完全なものと解した場合は、
その上位概念から、弁証法的展開が行われていく。
>>355の現象論で「実存−現象」のアウフヘ−ベンの結果得られた「合」としての「本質的相関」という
合(上位概念)は、「合」という結果による「上位概念」なので、「定立」として新たな弁証法的展開としての
アウフヘ−ベン(現象化)は、可能であると考えられる。  
383考える名無しさん:2013/06/12(水) 17:55:23.52 0
(実存/現象/本質的相関)の三つ組みの上位規定は(現象)、換言すれば(現象)の下位規定が、(実存/現象/本質的相関)の三つ組み3成分規定。
この3成分はさらに下位にそれぞれ三つ組み規定が規定される。例えば、この3成分のうち、例を「本質的相関」に取ると、
その下位三つ組みは、「テーゼ(全体と部分の相関)、アンチテーゼ(力とその発現の相関)、ジンテーゼ(内面と外面の相関)」となる。
 
要は、上下展開(例えば本質論の下方展開を例にとると、反省、仮象、本質的存在と非本質的存在)と左右展開(テーゼ/アンチテーゼ/ジンテーゼ)の
両方向の展開の弁証法的整合性をとりたいということ。この今までになかった「アンチジンテーゼ」の論理規定は、この問題に一石を投じるものと思います。
384考える名無しさん:2013/06/12(水) 18:30:04.91 0
>>380
それだと、ambiguityの拡散拡大によって、弁証法の方法論としての整合性が成立しにくくなるのでは?
385考える名無しさん:2013/06/12(水) 21:49:40.20 0
>>384
アウフヘ−ベンによる「現象化」と、弁証法の方法論としての「整合性」について、
具体的に説明願います。
386考える名無しさん:2013/06/13(木) 07:00:05.98 0
>>385
そもそも、「止揚が現象化>>382」という意味が私にとっては不明なのです。
むしろ、一種のカテゴリーミステイクに思えるのです。要するに>>382の趣旨がつかみ切れていません。

私の理解では、「現象」という論理規定は、Hegelの弁証法的論理では,
流れゆく、うたかたの、単にそう見える、そう見させる、状態を示す論理規定「原義:Erscheinung、見させること」。

従って、「現象」は、止揚されるべき中間駅で、いずれ、「現実性」に道を譲り、こうして「概念、判断、推論、、、」への道を開く過渡的な
論理規定。

一方、止揚は、「概念」でのジンテーゼ「理念」に属する「方法論」中の「弁証法」の核心部分。
387考える名無しさん:2013/06/13(木) 12:05:26.02 0
論理思考(演繹法、三段論法)の思考過程は、「前提→推論→結論」という図式となる。
この論理思考の「推論」段階では、弁証法の様に「正」に対する反定立としての、否定・矛盾・
反対の定義を限定して設定(命題化)をしない。

論理思考の、「推論段階」では「正(定立)」に対して、自由な推論形式をとる。
従って、論理思考は、「正」から自由な推論形式を経て、「正」の結論を導き出す。

弁証法の場合は、正→反の「アウフヘ−ベン」の「現象化」により、合(結論)は「正合」、
「反合」、「中庸的合」と言う結論が導きだされる。
この様に「論理思考」と「弁証法」とは思考過程が異なっている。
388考える名無しさん:2013/06/13(木) 12:20:09.24 O
止揚は二段階でしょ
止、は正と反の和である集合その物
揚、は止と正の積であり現象化(合)
389考える名無しさん:2013/06/13(木) 12:23:41.77 O
>>387
正と反を足すと演繹的に集合が得られる
集合から正を抽出すると帰納的に正側の合が得られる
(集合から反を抽出すると反合)

フツーの論理思考くね?
390考える名無しさん:2013/06/13(木) 12:27:14.24 0
>>正→反の「アウフヘ−ベン」の「現象化」により<<
この意味がわかりません。勿論、形式論理と弁証法論理の差は一応承知していますが。

現象化される前のアウフヘーベンとは?
アウフヘーベンに対する「現象化」という作業?は何を指す?
そして、現象化されたアウフヘーベンは、ヘーゲルのいうアウフヘーベンとどこが違う?
391考える名無しさん:2013/06/13(木) 12:33:38.60 0
わたし、>>390ですが、>>388,>>389 で、現象化の趣旨大体わかりました。有り難う。
392考える名無しさん:2013/06/13(木) 12:37:56.70 0
>>388,>>399 「正合ー反合」をまた止揚するのですか
393388-389:2013/06/13(木) 14:50:51.00 O
なんか間違いだったようだ
取り消す
394>>392:2013/06/13(木) 16:18:45.23 0
>>393 正反の論理和は正合、正反の論理積は反合。何か意味ありそうで面白かったのに。
>>382さんはどうなんでしょうね。
395>>392:2013/06/13(木) 16:55:28.50 0
勿論、論理積にしたって、機械的形式的な論理積でなく、むしろ数学的掛け算に近いものを想定しての上で。
396考える名無しさん:2013/06/13(木) 18:14:30.17 0
>>355
 現象論の「実存−現象」の意味は、実存が「主観的存在=即自存在」として、現象を
 「客観的事象」と解するのでしょうか?
 
397>>392:2013/06/13(木) 18:24:37.85 0
そうだと思います。大論理では、即自が「実存」、対自が「現象」、即且対自が「本質的相関。」
398397:2013/06/13(木) 18:57:21.72 0
「実存」は、本質論や根拠的制約の過去を引きずっており、「本質的相関」は、「現実性」、「概念」、へと道を開く作業を伴う。
399考える名無しさん:2013/06/13(木) 19:01:52.91 0
そして、対自の「現象」は、現代での対自作用を規定する。
400考える名無しさん:2013/06/13(木) 19:14:59.40 0
現代での 訂正 現在での
401考える名無しさん:2013/06/13(木) 19:25:27.31 0
>>386
ヘ−ゲルが述べている「現象」の意味は、「流れゆく、そう見させる、」と言う一種の精神活動(思考活動)を、
現しているのだと思う。
止揚(アウフヘ−ベン)の意味は、「否定・廃棄」と「保存・高める(創造する)」と言う二様の
精神活動であり、「現象化」の意識と、アウフヘ−ベン(止揚)の意識は、本質的には同一の精神活動
であり、現象と止揚(アウフヘ−ベン)は、分けて考えるものではないと思う。

ヘ−ゲルのアウフヘ−ベン(止揚)は、「否定概念」を思考活動の基本としている。
本来、アウフヘ−ベンとは、その精神活動の中に「否定概念」と「保存する、高める(創造する)概念」と言う
二様の精神活動が働いている。 ここで、発想の転換をすると、ヘ−ゲルの「否定概念」を保留とし、アウフヘ−ベンの
「高める(創造する)概念」の精神活動を基本とした、定立命題と反定立命題の「止揚」による精神活動(現象化)から、
上位概念としての綜合命題を創出する。

「否定概念」によって成立した「本質的相関(綜合命題)」は、下位規定のテ−ゼ絶対者に下降する必要があるが、アウフヘ−ベンが、
「高める(創造的概念)」を基底とした「本質的相関」である場合は、存在と意識(認識論的)の両方の要素が含まれるので、下位規定
のテ−ゼ(絶対者)に下降はしないと考えられる。 
402考える名無しさん:2013/06/13(木) 19:33:49.28 0
反省ー現象の止揚態「現実性」と「本質的相関」の関係?
403考える名無しさん:2013/06/13(木) 19:38:50.50 0
現象は対自で「受け身的規定」。止揚は、即自とその高次回復の即且対自の「能動的作業規定」。一緒にならないのでは。
404考える名無しさん:2013/06/13(木) 20:11:53.90 0
>>386については、Hegelの論理規定の3分肢体系を逆tree状に展開した図、
最上位は「論理」、其の下が、三つのnode、「存在論」「本質論」「概念論」。そのそれぞれの下に三つのnode、計9個、
其の下に27個のnode、さらにしたに81個のnode、場所によって、同一性、因果の相関、、、はさらに下に展開。
この樹状図を見ながらでないと話は進みにくいですね。
405考える名無しさん:2013/06/14(金) 12:51:54.02 0
>>403
 
 「定立(実存=即自)→反定立(現象=対自)→アウフヘ−ベン(止揚)→綜合(本質的相関)」が、
 弁証法の思考過程のであり、即時存在(定立)と対自存在(反定立)は、それぞれが独立した存在なので、
 思考活動である「アウフヘ−ベン(止揚)」は、独立した精神活動として捉えられる。

 アウフヘ−ベン(止揚)を、独立した「精神活動(思考活動)」と基底し、即時存在と対自存在をアウフヘ−ベン(現象化)
 することにより、高次の「本質的相関」へ結論する。
 この場合のアウフヘ−ベンは、「否定概念」を一旦保留として、「創造的(高める)概念」を導入する。
 このアウフヘ−ベンの「高める(創造的)概念」は、論理的には整合性があり、アンチジンテ−ゼの論理規定との対比のなかで
 論究されるものと思う。
406考える名無しさん:2013/06/15(土) 11:23:52.92 0
>>405
(訂正) 即時存在(定立)→即自存在(定立)
407考える名無しさん:2013/06/16(日) 09:19:28.37 0
>>405
>>即時存在と対自存在をアウフヘ−ベン(現象化) する<<

この言語表現「アウフヘーベン(現象化)」、全くの意味不明。
()の解釈次第だが、言い方を変えれば、「即自存在と対自存在を現象化(Aufheben)する」??
 なおさら、理解不能。「現象」という論理規定をどうかいしゃくしておられるのかな?
408407:2013/06/16(日) 17:32:42.15 0
仮に止揚をphenotype化とみても、>>404の論理体系の上下左右移行運動へのmerit
は何だろう?自問自答。
409考える名無しさん:2013/06/16(日) 22:26:37.74 0
>>407
私が定義している「現象」と弁証法の「現象」とは、だいぶ違う様ですね。私は、
現象を「時空間的に制約されることのない事象の本質に対し、それが時空界に現れた
姿を現象」と定義している。

アウフヘ−ベン(止揚)は、否定と高める(創造する)という、複数の意識活動を行うが、
この「意識活動」を、一種の「現象学的」な精神活動(現象)と、とらえている。
アウフヘ−ベンの意識活動(思考活動)そのものは、論理思考(演繹法・三段論法)的な思考過程
ではない事は誰しも理解できると思う。
410407:2013/06/17(月) 10:49:41.70 0
OK!
その種の認知的神経活動現象と捉える。わかります。

 ただ、弁証法における「止揚」は、正反2個の契機を一つにsublateすることを指しますが、2個とは??
「正/反/合」のトリアーデで、良く知られている、「質/量/das Mass」,「反省/現象/現実性」、「概念/判断/推論」などの例で、
それぞれの止揚結果、「das Mass」、「現実性」、「推論」など、に対する第二の論理規定をお示しください。
411407:2013/06/17(月) 12:56:09.78 0
>>410
すなわち、「das Mass」、「現実性」、「推論」それぞれの、「正合と反合」。
412407:2013/06/20(木) 11:38:42.53 0
>>409
要は止揚とい操作が、それぞれにおいて、ただ一つの止揚結果(ここでは、das Mass、現実性、推論)」)を与えて、
そこでstop(後は、にっちもさっちもいかない)が止揚の欠点。「Mass」がその存在論の限界を感じて反省論に上昇、
「現実性」はその反省論の限界を認識して概念論に上昇、「推論」は主観概念の限界を感じて客観概念に上昇すべきなのに、
いずれの場合も(上昇迂回しか道がなく)、止揚結果に直接的にその契機が示されていない。
これが私に不満。
413407:2013/06/21(金) 08:50:42.52 0
弁証論理にだけ興味があって、ヘーゲルには門外漢の私、一晩寝ての結論。
止揚の目的は、対象認識の体系化が目的。体系は、全的ではなくても、現対象の上下左右少なくとも一定の範囲で、
ノードを連立(同時成立)させること。下降などチェックはその時代の知識レベルに依存。周辺は体系が破たんして当然。
414407:2013/06/21(金) 09:02:05.30 0
以上は論理カテゴリーを形質化した実世界での話、当然と言えば当然の話。
なお、ヘーゲルが行った論理規定についての体系化(大論理の目次)についていえば、
客観概念内の諸カテゴリーや目的論(現工学)など、現在では大きく変わる必要があるのは当然。
415弁証法命:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN 0
>>413-414
当人の認識可能な一定範囲の現対象の体系化が果されたなら、
現対象の範囲を更に拡大して、その拡大部分と既に体系化された部分との
止揚を果し再度の体系化、そして更に拡大〜〜
と続けてゆくものだろう…
416考える名無しさん:2013/10/15(火) 11:53:59.89 0
誰か?!
417弁証法いのち:2013/10/15(火) 14:13:33.35 0
彼は言う、「弁証法とは、思考方法である!」と…
私は言う、「弁証法とは、運動に関する科学である!」と〜
そして我思う、『人の思考方法も運動の一つの形態であろう〜』と…
結局〜弁証法は、森羅万象の変化・運動に関する科学である、と言ってよいのだろう…
418考える名無しさん:2013/10/20(日) 19:03:51.43 0
 弁証法とは、思考方法「の一つ」である。

 弁証法とは、運動に関する科学である、「それは無理」。
419弁証法いのち:2013/10/20(日) 21:56:38.75 0
思考方法が人間の思考運動であるなら、
弁証法はその思考運動の科学である。
〜↑〜これって〜は変ですか?
420考える名無しさん:2013/10/20(日) 22:00:19.71 0
思考運動の工学と言った方がまだマシ
421考える名無しさん:2013/10/21(月) 10:11:17.97 0
思考運動の工学形態の一つの選択?
422弁証法いのち:2013/10/21(月) 10:46:29.51 0
呼び名は何でもよいのですが…
事物・事象の変化・運動に関する科学を弁証法と呼んだら、何か不都合な事が生じますか?
423考える名無しさん:2013/10/21(月) 11:08:18.01 0
はい。現在の弁証法という単語の定義と合いません。
424考える名無しさん:2013/10/21(月) 11:10:10.83 0
弁証法のどのへんが「科学的」だと思ったんだろう
425考える名無しさん:2013/10/21(月) 11:19:06.87 0
科学的というなら反証可能性を考えた上で、実際の出来事に適用できるか見てみないとなあ
426考える名無しさん:2013/10/21(月) 11:41:52.96 P
反証可能などという曖昧な概念を使うべきではない
何が反証できるかは実際に反証されるまでは常に未決定だ
427考える名無しさん:2013/10/21(月) 11:47:42.27 0
科学哲学における反証可能性は別に曖昧な概念ではないだろ。
要するに、現象の観測前にきちんと予測できるかというかという話だ。
428考える名無しさん:2013/10/21(月) 12:03:58.97 P
予測可能性と反証可能性は違うだろ
実際に予測が外れた場合にも理論が反証されたことにならない場合は多々ある
何らかの実験データが現れた場合に新しい理論が作り出されるのが実際だ
つまり反証というのはその過程で起きる副作用に過ぎない
反証自体が理論的なものだ
従って反証可能性を重視するなら反証そのものの反証可能性が問われねばならなくなる
だから反証可能性を科学の本質とするのは根本的に間違いだ
429考える名無しさん:2013/10/21(月) 12:07:12.13 0
科学というからには最低限、対象とする現象を説明する能力がないとな
430考える名無しさん:2013/10/21(月) 12:08:39.58 P
そもそも単なる可能性という曖昧なものは指標にはなり得ないことは明らか
バカでもわかるw
431考える名無しさん:2013/10/21(月) 12:11:07.54 0
>>430
弁証法は科学的だと思う?
432考える名無しさん:2013/10/21(月) 12:12:20.55 P
ものの語り方が科学的かどうかは無意味な問いだろ
重要なのは内容であって
433考える名無しさん:2013/10/21(月) 12:14:46.86 0
弁証法の内容ってなんだろうね
434考える名無しさん:2013/10/21(月) 12:25:01.57 0
>>428
> 実際に予測が外れた場合にも理論が反証されたことにならない場合は多々ある
> 何らかの実験データが現れた場合に新しい理論が作り出されるのが実際だ

新しい理論が必要ということは反証されたということだろ。理論を修正すれば正しい
予測ができる程度に反証されるか修正不可能ほど反証されるかの違いにすぎない。

> 従って反証可能性を重視するなら反証そのものの反証可能性が問われねばならなくなる

反証可能性は、理論に外れた現象が存在可能かどうかという話。「反証そのものの反証可能性」
は意味をなさない。
435考える名無しさん:2013/10/21(月) 12:28:35.48 0
科学あっての工学、工学あっての科学。その過程での諸契機のうちの一つの形態にすぎない、弁証法は。
これでどうよ?
436考える名無しさん:2013/10/21(月) 12:33:48.02 P
アホだな君は
その反証可能性こそ理論的なものだと言っている
観測と理論を厳密に分けることはできない
例えば宗教であれ予測をたてることができる
その予測が誤りだからと言って、誰も宗教を科学と言わない
では君はその予測が反証可能であれば科学だというのか
その可能性の判定こそ理論であって、宗教は宗教なりに反証可能であると言うだろう
科学的な意味で反証可能でなければならないと君は言うのか
ならばそれは科学の定義を科学であることと言ったに過ぎない
したがって反証可能性を科学の本質とする理論は科学的であるものは科学的だというトートロジーを語っているに過ぎない
実際には何も意味のあることを言っていない
反証可能性は科学の本質ではない
科学というものはそんなちっぽけなものではない
437考える名無しさん:2013/10/21(月) 12:38:54.97 0
科学弁証法の先駆者たちは、熱力学と進化論を「弁証法的運動の事例」に挙げているよ。

あと、弁証法が科学かどうか、は元々反証不可能なために、反証可能性だけでは決定できないよ。
「反証可能性を持つ理論のみが科学的である」という命題自体も反証不可能であるのと同じで。
438考える名無しさん:2013/10/21(月) 12:41:23.83 0
>>436
> 例えば宗教であれ予測をたてることができる
> その予測が誤りだからと言って、誰も宗教を科学と言わない
> では君はその予測が反証可能であれば科学だというのか

宗教は別に正しい予測をすることを目的としているわけではないからな。
宗教が自分の仕事は正しい予測をすることだと言い出したら、それは(似非)科学
と呼んでも別に問題ないだろう。ただし、科学であるための要件は理論の公示性とか
反証可能性以外のものもあるだろうけど。
439考える名無しさん:2013/10/21(月) 12:44:58.55 P
ならば科学と似非科学をどう区分するのかね
そのための指標だろ
上に書いた理由で反証可能性はそのための指標にならない
反証可能かどうかは科学かどうかに関わることではまったくないw
それは理論の強弱に関わる
強い理論は簡単に反証されない
弱い理論は簡単に反証される
それだけだw
科学であるかどうかに関わらない
440考える名無しさん:2013/10/21(月) 12:45:17.31 0
ニュートンの運動の法則、どこが「科学弁証法」?
熱力学のエネルギー保存則のどこが「科学弁証法」?
441考える名無しさん:2013/10/21(月) 12:46:28.27 0
科学の基本は再現可能性だろ
442弁証法いのち:2013/10/21(月) 12:47:23.19 0
>>423
>現在の弁証法という単語の定義と合いません。
 言葉の定義は、時代とともに、その学問の発展とともに、変わってゆくものではないのですか?
443考える名無しさん:2013/10/21(月) 12:50:18.60 0
未来での言葉の用法まで考慮してたら、現在において何も言えませんよ
444考える名無しさん:2013/10/21(月) 12:50:51.36 0
>>439
> ならば科学と似非科学をどう区分するのかね
> そのための指標だろ

上にも書いたけど、反証可能性は科学性の最も重要な指標の一つだろうが、
唯一の指標ではないだろう。例えば、血液型性格判断は、性格分類の客観的な
基準ができれば、反証可能になるだろうが、それでも似非科学でありえるだろう。
445考える名無しさん:2013/10/21(月) 13:06:03.41 P
>>444
反証不可能な科学もあるな
例えば超弦理論の十次元時空だ
このようなものも検証可能な段階になって初めて反証できるかどうかが明らかになる
そしてその反証可能性も一つの理論として現れざるを得ない
そう考えると科学とは反証可能性などを指標とするのではなく、それはいくつかあるうちの重要な指標ではないということがわかる
いくつかの必要条件をあげるやり方というのは本質がつかめないでいるときの便宜的なやり方に過ぎないのだ
科学とは真理との照応だと言える
真理と照応が大きければ大きいほど、反証されることが少なくなる
だから強い理論ほど真理に近いと我々が考えるのは理由のないことではない
我々は真理そのものには到達できないだろうが、弱い理論を強いそれによって克服して行くことで、自然との一致に近づくことができる
それが科学の営みだ
446考える名無しさん:2013/10/21(月) 13:10:31.77 0
>>445
では、ある理論が「真理と照応」していることをどうやって確かめるのだ?
447考える名無しさん:2013/10/21(月) 13:14:32.73 P
そんなことはできないに決まっているじゃんw
科学と言えるかどうかなど人間が判断できるわけがない
たとえばフロイトの精神分析理論にしろ、脳科学の進展とともに正当性が明らかになって行く可能性もある
それを科学ではないと切り捨てるのは単なる高慢だわな
科学というものはそういう探求なんだよ
固定したものじゃないw
448考える名無しさん:2013/10/21(月) 13:23:05.25 0
>>442
一つの言葉に二つの意味を持たせるのは「不都合」です。
それ以上の利点があれば、やがて社会が受け入れるかもしれません。
しかし、「事物・事象の変化・運動に関する科学を弁証法と呼ぶ」ことに利点はありません。
449考える名無しさん:2013/10/21(月) 13:51:44.84 0
ニュートン力学は、推力と慣性力との弁証法的展開だとも理解できるのではあるまいか。
エネルギー保存則は、まさしくそれによって諸エネルギーが同一の何かの「弁証法的諸段階」であることが明らかになる。
450考える名無しさん:2013/10/21(月) 14:08:33.13 0
エネルギー保存則は熱力学です。
451考える名無しさん:2013/10/21(月) 14:18:30.03 0
>>447
> そんなことはできないに決まっているじゃんw
> 科学と言えるかどうかなど人間が判断できるわけがない
> たとえばフロイトの精神分析理論にしろ、脳科学の進展とともに正当性が明らかになって行く可能性もある

それは将来の人間が判断できる可能性があるから、科学性の判断を保留しているだけだろ。
それでも、心の科学に関しては、脳と心の関係についてまだよくわかっていないからという言い訳ができるけど、
弁証法なんていう法則は、何を頼りにして将来「正当性が明らかになっていく」と期待できるのかね。
452考える名無しさん:2013/10/21(月) 14:42:24.65 0
>>449 エネルギーと仕事(力・距離=モメント)の関係、客観的な力学現象,
を弁証法の必然的展開の例証?
じゃ、弁証法て,現象の後ろに控える「神」なん?
453考える名無しさん:2013/10/21(月) 14:48:30.17 0
弁証法て、脳内の複雑極まりない意識運動の形態の一つ(即自意識、対自意識、即且対自意識)にすぎないと思うけど?
454考える名無しさん:2013/10/21(月) 14:57:00.74 0
弁証法を神の位置に持ちきたす、ひいきの引き倒し、弁証法にとっては迷惑極まりない?
455考える名無しさん:2013/10/21(月) 15:58:55.27 0
もちろん、弁証法が極めて有用な方法であることは明白で、このことを否定するつもりは毛頭ありません。
456考える名無しさん:2013/10/21(月) 16:00:50.01 0
有用な方法「の一つ」で〜
457考える名無しさん:2013/10/22(火) 16:20:45.59 0
>>448
>一つの言葉に二つの意味を持たせるのは「不都合」です。

>例えば、弁証法のアウフヘ−ベンで、「否定・廃棄と保存・生成」という
 相反する「二つの意味」を、ヘ−ゲルは持たせているが、不都合であり、間違いと
 言うことでしょうか?
458考える名無しさん:2013/10/22(火) 17:04:34.37 0
>>457
否定・廃棄と保存・生成という相反する二つの意味を持つ単語がなかったから、ヘーゲルは「アウフヘーベン」という単語を新たに作り出す必要があったのです。
459考える名無しさん:2013/10/22(火) 17:35:44.61 0
ヘ−ゲルは、「アウフヘ−ベン」という哲学的概念を基に弁証法を構築しているが、
ここで一つの留意点として浮上するのは、「生成」という「創造的な現象化」と「否定論理」
とは、理論的概念自体が“互いに異なる思考概念”としてあるのではないかと思う。
その根拠は、「否定論理」は、主観(自己)によって操作が可能であり、一方、「生成の現象化」は、
客観的領野に入るからです。
従って、弁証法を創造的概念としての「生成」と、主観的概念の「否定論理」とを、独立した概念として
捉えると、ヘ−ゲル的弁証法を、より明確に理解する事が出来ると思う。
460弧高の鬼才 ◆zD.tvziESg :2013/10/22(火) 19:18:53.47 O
自意識 と他意識 を 統合すると絶対無となる
461考える名無しさん:2013/10/22(火) 23:32:25.42 0
アウフヘーベンはルターの 1545 年版聖書にも普通に出てくるありふれた一般語。
http://jesus-is-lord.com/germtoc.htm
の Lukas 18 Kapitel 13 とか。

日本語の「摘み取る」とかもゴミなら「捨てる」、果実なら「保存する」意味になるから、両義な語はどの言語にも
普通にあると思うよ。
462考える名無しさん:2013/10/24(木) 13:33:51.63 0
 
 >>459 弁証法での否定は客観による否定、対自fur sichの所以。
463考える名無しさん:2013/10/25(金) 15:57:42.32 0
>>459 生成にしても有/無の「止揚結果」であって、止揚操作の内部には、生成の因子は、否定の因子と同様に存在しないのでは。
464考える名無しさん:2013/10/25(金) 17:00:29.03 0
>>459
「現象」にしても、これは、本来対自カテゴリー。即自の「本質」とともに、止揚自身の対象。
本質/現象の両者は、止揚されて「現実性(現実的作用性)」に移行。

>>459での「否定、生成、現象」なる語の使い方、まさに、カテゴリーミステイク。
465考える名無しさん:2013/10/25(金) 18:38:10.74 O
おまえはヘーゲルじゃないんだから、なにを言っても意味なし
466考える名無しさん:2013/10/25(金) 23:18:14.70 0
>>459 ヘーゲルの大論理学を謙虚に読んだ上で語りなさい。
467考える名無しさん:2013/10/26(土) 23:09:21.72 0
ヘ−ゲルは、「みずから分裂し、対立し、否定し媒介する存在こそが本質であり主体である」と、
述べている。
しかし、事象の本質には「否定し、対立し、分裂する」の要素を持つと同時に「合一、対話、調和」という
要素が“内在”している。この点は、ヘ−ゲルが事象をパ−スペクティヴ的に捉えていると解釈している。

従って、「現象」の概念の場合も、フッサ−ルが、事象の本質の捉え方を、「合一、対話、調和」と「分裂、対立、否定」
との“総体”として捉えているのに対して、ヘ−ゲルは「分裂、対立、否定」としてのみに捉える場合とでは、180度
「概念」の意味が異なってくる。
468考える名無しさん:2013/10/27(日) 20:05:08.72 0
>>459,>>467
いいえ、ヘーゲルは、即且対自(ジンテーゼ)カテゴリーの「現実性Wirklichkeit/actuality//workability)」を、「現象」が行う「反省」との止揚(合一?)で得ていますよ。
469考える名無しさん:2014/02/04(火) 18:40:18.53 0
>>467
ヘ−ゲルは、「みずから分裂し、対立し、否定し媒介する存在こそが本質であり主体である」と、

つまりだな・・・
人間という存在には男と女がいて、セックスすることによって新たに子供が生まれてだな、生命が連続していく・・・
っつことだな。
470考える名無しさん:2014/02/04(火) 19:03:14.44 0
>>467 世迷いごと
471考える名無しさん:2014/02/05(水) 17:28:31.81 0
>>468
ヘ−ゲルは、即自(定立)と対自(反定立)に於ける“否定の否定(否定論理)”の段階で、
一定の反省を行うが、>>467に記しているように、ヘ−ゲルは「みずから(主観)分裂し、対立し、
否定し媒介する存在こそが本質であり、“主体”である。」と述べているように、アウフヘ−ベンでの
「生成論理(=現象化)」は、働いていないのではないであろうか。

従って、「合」に於いての結論は、存在の本質である“主観”が再構築されることとなり、「生成論理」
としての“現象化”は、されていないと考えられる
472考える名無しさん:2014/02/05(水) 19:30:08.61 0
「合」に於いての結論は、存在の本質である“主観命題”と、客観的な存在現象の表現命題との、両方を満足する両者の論理積命題をget。当然、論理積(論理和)演算の過程で、即自、対自命題はそれぞれ再構築され、「現実性」の命題に吸収される?
473考える名無しさん:2014/02/05(水) 21:17:36.44 0
即自(主観命題)と対自(客観命題)が、否定論理(否定の否定)により、即自と対自の“本質”が
抽出され、その“本質”がアウフヘ−ベンにより「合」としての“高次の主観”を構築するが、問題は
即自と対自の「本質」が合(ジンテ−ゼ)となる“思考プロセス”にある。

つまり、即自と対自の「本質」が、“思考過程”に於いて、主観を基底とした「否定論理」を導入するか、
或いは、「否定論理」を排して、「生成論理」を導入するかによって再構築としてのジンテ−ゼ(綜合)の
存在次元が異なってくる。
474考える名無しさん:2014/02/12(水) 23:30:14.95 0
世迷いごと
475考える名無しさん:2014/02/15(土) 19:27:51.64 0
>>473
合は単純な否定では不可能、後者に決まってるじゃん。
476考える名無しさん:2014/02/15(土) 20:03:51.00 0
「合」と「アウフヘ−ベン」の連関を論究する必要がある。
アウフヘ−ベンは、否定論理と生成論理で構成されたヘ−ゲルの哲学的概念である。
「合」概念は、AとBの対立する概念が「融合化」する事であり、否定論理そのものは、
対立した一方を「否定し廃棄」することである。
従って、否定論理の実行は、一方を廃棄(否定)するので論理上、「合」にはならない。
ここに、アウフヘ−ベンの矛盾がある。
弁証法に於いて、「合」と言う展開をするためには、否定原理を導入せずに、生成論理を
基底として再構成することが必要となる。
477考える名無しさん:2014/02/17(月) 20:10:59.87 0
>>476は、生成論理の中身、わかっててしゃべってるのかな?
478考える名無しさん:2014/02/18(火) 19:11:14.77 0
>>477
ヘ−ゲルの弁証法は、自己(主観)が異質な他者(客観)の中で、いったん自己を見失い、
その他者(客観)と和解しあうことによって、より大きな自己へと“生成”し、究極的(弁証法的展開)な
絶対知へ至る。

さらに具体的に述べると、即自存在(正)を否定して、「反」としての対自存在(客観)となり、さらに「反」
である対自存在を否定して「合(否定の否定)」として高次の自己へと“生成”した自己存在(主観)を構築する。

弁証法の基底概念としての「アウフヘ−ベン」は、ヘ−ゲルの用語であり、「廃棄」、「高める」、「保存」の意味がある。
この「廃棄」するの概念は、定立・反定立の“否定”の意味であり、否定された定立と反定立の『本質』が、高められて(
生成されて)「合(ジンテ−ゼ)」となる。

従って、「生成論理」とは、アウフヘ−ベンの高める(=生成)のことであり、要素(定立)と要素(反定立)間での「現象化」
のこととして捉えている。
私見としては、ヘ−ゲルの「精神現象学」を読んでみて感じたことは、アウフヘ−ベンの“生成”を一種の“現象学的還元”と
解釈している。
479考える名無しさん:2014/02/18(火) 20:18:18.29 0
命題Tと命題Uの論理積(AND)、T⋂U=S は、いかなる不都合ありや? 教えて下さい。
480考える名無しさん:2014/02/18(火) 22:49:47.08 0
>ヘ−ゲルの「精神現象学」を読んでみて感じたことは、アウフヘ−ベンの“生成”を一種の“現象学的還元”と
解釈している。

なわけない。
481考える名無しさん:2014/02/19(水) 15:25:25.74 0
TheseとAntitheseの関係は、単純な否定(Un-)でなく、抗(Anti-)の関係。
従って、形式論理による、両命題のANDでは、無数の可能なSyntheseが生成。
例えば、「同一性」と「区別」からSyntheseとしての「矛盾」の生成。見かけ的な「現象」的生成というよりは、意図的に「現実」的生成としての操作で初めて、唯一の解「矛盾」を得る?一晩考えての結論。
482考える名無しさん:2014/02/20(木) 00:02:32.62 0
>>481
>見かけ的な「現象的」生成というよりは、意図的に「現実」的生成としての
 操作で初めて、唯一の解「矛盾」を得る?

>「現象化」とは、形式論理のように「前提」を設定しない。 つまり、「前提」を設定しない
 思考が「現象化」です。
 上記で、意図的に「現実的」生成としての操作ということは、生成(=現象化)の過程に於いて、
 “主観”を導入していることになるが、定立と反定立の「本質」に於ける“転化”は行われないと考えられる。
483考える名無しさん:2014/02/20(木) 11:25:54.09 0
「現実性」は、「反省(根拠の)」の主観性と「現象」の客観性との止揚態。
現実性(Wirklichkeit/workability)とは、主観と客観の止揚態。
484考える名無しさん:2014/02/20(木) 11:52:50.82 0
>>481の >>TheseとAntitheseの関係は、単純な否定(Un-)でなく、抗(Anti-)の関係。 従って、形式論理による、両命題のANDでは、無数の可能なSyntheseが生成>> の意味は、
前提のテーゼ/アンチテーゼが、単純に否定の関係なら、相互の関係は形式論理的となって、ANDの答えは無数にあるという意味です。舌足らずでした。
なお、上記の「現実性」の解釈はヘーゲルに依ったもの。
485考える名無しさん:2014/02/20(木) 12:08:17.04 0
ムッ
486考える名無しさん:2014/04/10(木) 19:13:07.81 0
弁証法と数理論理学の関係を説明してくれるような本はないでしょうか?
そもそも弁証法でいうところの命題(テーゼ)のどこが「命題」なのかとか
487考える名無しさん:2014/04/12(土) 20:41:23.06 0
石川 康晴;数理論理学と弁証法的論理学 (単行本) ????
488考える名無しさん:2014/04/12(土) 21:16:03.03 0
これも運命石の扉の選択なのか・・・エル・プサイ・コングルゥ
489考える名無しさん:2014/04/12(土) 21:25:29.57 0
>>487
ありがとございますー。とりあえず図書館に取り寄せてもらって読んでみます
490考える名無しさん:2014/04/13(日) 17:09:07.91 0
relation of dailectical logic and mathematical logicでグーグッた方が良いのですが。エル・プサイ・コングルゥ
491考える名無しさん:2014/04/13(日) 18:50:44.79 0
なんかヘンだなと思ったら dialectical ですね。
英語の文献もいろいろ読んで見ます。ありがとうございます
492考える名無しさん:2014/04/13(日) 19:01:00.77 0
          ▲■■■■■▲
        ▲■■■■■■■■▲
      ▲■■■▼▼▼▼■■■▲
      ◆ ▼▼        ▼■■■
     /           ▲■■■■    >>1
     | --- ,-- - 、  ◆,■■■l■
      |            ◆■■■■   お前のことを思って
     .{▲■|! |■■■▲  ■▼,へ,■
     }/_●l  i"´ ●ヽ-=   ■ |^i ■    せんずりかいちまったよ。
     〈  / ,:,:    ̄二    ■ |  ¶
      ▲___,,, )`ー--     ■ )iノ ¶     布団を敷こう、 な!
      ▼■■■■■▲   ■■-'_▲
      ■、`ー----'_ノ■▲■■  ̄ ▼
      ▼■■■■■■■■■  /\
        ■■■■■■■■■ _/   \
       ▼■■■■■■▼ _ノ       _>、
         , -" ̄ ̄ ̄ ̄ ̄     _,. - '´  \
493考える名無しさん:2014/04/14(月) 09:53:46.62 0
>>491 dailectical スペル間違えて恥ずかしい。
494考える名無しさん:2014/04/18(金) 04:54:36.13 0
 
http://atsites.jp/sate/set/Avatar_set/Avatar_set-1.html
http://atsites.jp/sate/set/Prometheus_set/Prometheus_set-1.html
お世話になります。
私、責任者の加茂と申します。以後、宜しくお願い致します。
http://www.karilun.com/img_shop/15/ss52_1368685958.jpg
浪速建設様の見解と致しましては、メールによる対応に関しましては
受付しないということで、当初より返信を行っていないようで、今後につい
てもメールや書面での対応は致しかねるというお答えでした。
http://atsites.jp/sate/set/Evangelion/Evangelion.html
http://atsites.jp/sate/set/PacificRim/PacificRim.html
このように現在まで6通のメールを送られたとのことですが、結果一度も
返信がないとう状況になっています。
http://atsites.jp/sate/set/BattleLosAngeles/BattleLosAngeles.html
http://atsites.jp/sate/set/District9/District9.html
私どものほうでも現在までのメール履歴は随時削除を致しております
ので実際に11通のメールを頂戴しているか不明なところであります。
http://atsites.jp/sate/set/TheWindRises/TheWindRises.html
http://atsites.jp/sate/set/Oblivion/Oblivion.html
弊社としましても今後メールでのやり取りを差し控えたく、浪速建設様
と同行の上でお会いさせていただきたい所存です。
http://atsites.jp/sate/set/correspondence/correspondence-1/correspondence-1.html
http://atsites.jp/sate/set/correspondence/correspondence-6/correspondence-6.html
495考える名無しさん:2014/04/19(土) 04:40:51.08 0
どうもいまいちテーゼというのがわからなかった。
真偽のある命題ではなく、「定位」であって判断や命題や措定なわけですね。
余計な意味を取り去って単純に「肯定(文)」ということにしちゃうと削りすぎかな?
そうするとアンチテーゼは否定ではなく「肯定と対立する肯定」かな?
マクルーハンのテトラッドは弁証法の一種だったのかも
496考える名無しさん:2014/04/19(土) 04:44:04.89 0
うう。うっかりageてしまった。ち、同じサーバだったのか
497考える名無しさん:2014/04/19(土) 05:13:52.09 0
弁証法による最適化された真理は常に見えている真理しか掴めない
壁の奥に隠れて取り出せないような真理にはたどり着けない。
それはフレーム問題という原理によって問答と討論が導きだす
総和にはすべての破壊のような原理が入り込めないからである。
498考える名無しさん:2014/04/19(土) 22:40:48.71 0
ヘーゲルの生家をヘーゲルハウスという
499考える名無しさん:2014/04/20(日) 10:18:07.93 0
>>497
そうだね。
500考える名無しさん:2014/04/20(日) 12:43:58.29 0
>>497
>弁証法による最適化された真理は常に見えている真理しかつかめない。

>「合」という結論に於いて、何故、見えている真理(=特定された真理)しか
 つかめないのか、その原因は「否定の否定の論理」にあるのではないかと思う。

 つまり、「否定論理」は、その論理の中に主観が導入されているからである。
 ヘ−ゲルの哲学が、根本としているのは「絶対精神(=主観的領野)」であり、フィヒテと同じように、
 「一切を自己の絶対的自由の活動性(=精神活動をも含む)から生ぜしめる絶対的自我へと拡張する」
 ことであり、ヘ−ゲルの論理は“主観的領野”を基底としている。

 従って、“主観的領野”を基底としていると言うことは、ヘ−ゲルの弁証法は、「合」という
 結論の中に、個々人の「主観(=考え方)」が、意識的にせよ、無意識的にせよ導入されてしまうのである。
501考える名無しさん:2014/04/20(日) 15:49:51.64 0
それがdialektikという所以。
502考える名無しさん:2014/04/20(日) 19:30:12.07 0
おしえてもらった数理論理学と弁証法的論理学を読むと、著者の石川は客体的論理学≒数理論理学、主体的論理学≒弁証法的論理学という感じだった。
客体的・主体的という分類はおもしろい。
弁証法って、結局最後は声の大きい奴(または最後まで生き残った奴、後出しした奴)の勝ちとなる議論のことだと思ってたw
503考える名無しさん:2014/04/20(日) 23:59:33.45 0
ジンテーゼを知らないでアンチテーゼという言葉だけ使ってたやつが多かった
504考える名無しさん:2014/04/21(月) 17:41:59.55 0
>>502>>503
Theseテーゼでgooglと、語「These」の意味には、「主張」という因子がある。主体的といえるわけですね。
505考える名無しさん:2014/04/21(月) 19:25:24.93 0
そして数理論理学/記号論理学(1階述語論理など)は、「集合論」に
形式化されてるらしい。
506考える名無しさん:2014/04/21(月) 22:39:45.97 0
弁証法といっても範囲は広い。
2ch式弁証法では「罵倒」というのが入るけど、それらしい用語は弁証法関連にあるのだろうか
507考える名無しさん:2014/04/24(木) 23:33:15.27 0
弁証法を調べていて気になったのだが、「哲学」ってなんかの役に立っているのだろうか? 応用という意味ではなく、そもそも「哲学」は「哲学」というものの役に立っているのかという疑問が……
大森荘蔵なんか物理学科も卒業したはずなのに科学に対して無知だし、ただのトンデモにしかみえない。
現代哲学の立脚点がどこにあるのか、あるいはないのか
508考える名無しさん:2014/04/25(金) 19:03:45.69 0
弁証論理の記号化は可能なりや?
509考える名無しさん:2014/04/26(土) 16:44:53.98 0
弁証法というか哲学って終わりなき運動であって螺旋運動しながらどこまでも進行しようとしているものなのか?
ミミズが土を耕すように、弁証法(あるいは哲学)が通った後・跡・痕にこそ豊饒な何かが残されるのだろう。
哲学(者)とはミミズである!
すなわち天使なのだ(ミミズ天使)
510考える名無しさん:2014/04/26(土) 21:52:27.27 0
哲学というのは、他者(自分の中の他者も含む)との同意を積み重ねていく行為であり、
哲学という学問の中だけで行うものではなく、本来は日常の生活における思考や議論も
哲学的な行為なのだと思います。

弁証法というのは、その同意のために求められる客観的な説明を得るための枠組みです。
科学には実験や観測、数式の展開等による客観的な検証の方法がありますが、それ以外の
問題、特に主観的な問題については検証の方法がない、そこで客観性・機械的な枠組みを
用意して、できるだけ客観性の高い説明をできるようにする、というものだと思います。

ですから、その単なる枠組み自体に、あまり主観的な意味や解釈を込めるべきではない、
むしろ、なるべく主観を排して淡々と弁証を進めるべきなのだろうと思います。
511考える名無しさん:2014/04/26(土) 23:39:21.88 0
つまりは客観的なもの(同意)を求めようとしているのか。
コロッサスとガーディアンが交信しようとしている場面ですね。
そのため(異文化間でのコミュニケーション)の前に自己の中で(仮想的な)他人と対話するというところあたりが哲学の始まりなのかも。
主観を超えようとする行為こそが「哲学」であって、弁証法とは哲学という行為の(行為による行為のための)ひとつの試み
512考える名無しさん:2014/04/28(月) 02:52:18.59 0
>>508
記号化が気になった。AはAである、というのはAはAではないことでもある。
圏論あたりが使えるかもしれない。集合論では無理かもしれない。
客体ではなく主体による論理。量子論理って主体による論理なんじゃないか?
それって交換法則が成り立たないことを前提として数理論理学を再構築すれば弁証法も記号化できるのではないか?
主体(観測者)がいれば交換法則が成り立たない論理世界も構築できそうだ
513考える名無しさん:2014/04/28(月) 16:01:12.41 0
「交換法則ー主体客体」の関係、もう少し詳しく展開して頂ければ有難い、どうかよろしく。
514考える名無しさん:2014/04/28(月) 16:31:13.52 0
「(主体客体)−(交換則)」です。
515パンの耳:2014/04/28(月) 16:38:45.72 0
    
  分割 に 代数投下しても 順番にならないでしょお

  イタリア人に ピザの切り分け方てもらっても 

    どれが 1 で どれが 8 だか わかる?

  あえてゆーなら 向かって上から見た目の時計回りってだけ

     法則ってゆーか 法律も含めて 

   精神的な 損得感情の発生は 待ち時間の 

           分配と 順番で もめてんだから
   
516パンの耳:2014/04/28(月) 16:41:49.72 0
   
   マルクス資本使って

  無から有を生むには 待たせておく(熟させる) って

        錬金 フリーメイソンルール があるんです


   Beaujolais nouveau には 通用しないけど
  
517パンの耳:2014/04/28(月) 16:47:11.09 0
  
 でも そこに早い者勝ちの競争原理 投下するってことは

  最初から 数が足りないってことでしょお

  ユニセフ 子供使って実際にそれやってたし

 
       植民地支配でそーゆーお膳立ては もうやめなさい
   
518考える名無しさん:2014/04/28(月) 18:21:28.18 0
>>515
すみません、そこでの交換則の意味とは?
519パンの耳:2014/04/28(月) 18:59:08.58 0
     
  CULTURE    地上と地下 の 等価比率 

  言葉の世界 と マルクス資本 の 等価交換


 物理経済でゆーと 都会の一等地に 経済を縦積みした水槽は

 海からやってきた へんなおじさんのピラミッドビジネス
   
520パンの耳(UFO):2014/04/28(月) 19:04:58.29 0
 
   もともと 段差のないモニュメントだったのに

  泥棒が上剥がして 段差つけちゃったから 

     バベルの原理構造が おかしなことになったの


  碁盤や将棋盤の裏 に ウンチみたいなトグロの 
 
  SS(音受け)掘り込み入れられたらいやでしょお
     
521考える名無しさん:2014/04/28(月) 19:17:51.02 0
>>513
交換法則ではなく分配法則のほうだった。成り立たないのは分配法則。
むろん、(量子)状態を扱うなら交換法則も成り立たない。
AはAである、という言明に対して2つのAの同一性とともに非同一性を語ったのはヘーゲルだったと思う。
「A≡A」において左辺と右辺があるのは表記上の技術的な問題ではなく、そもそもAは同じものであると同時に違うものとしても記述されている。たしかに記述をみる限りそうとも受け取れる。
圏論での恒等律でも2つ出てきてしまうし、Aから矢印を出して戻ってくるようなループ表記でもループの始・終がある。
交換法則・分配法則・結合法則など考えてみても、評価の「順番」が自明ではなく恣意的だったら……そこに「主体」(あるいは主観)が存在するのではないかと。
そもそもヘーゲル論理学はそれまでの形式論理学を打ち破るものではなかったのかw
(客体的な)数理論理学に主体(主観)を持ち込めばヘーゲル論理学も形式化できたりするかもしれない。
Qビズムなんてのも量子力学にあるけど、これも主観的だったりする。
バナッハ=タルスキーのパラドックスによって否定される予定だったはずの「選択公理」なんてのも控えているから主体・主観を持ち込んだから解決するかどーかなんてのはわからないけどおもしろい。
まとまりがないけど、まあとりあえず思考継続中
522考える名無しさん:2014/04/28(月) 19:34:11.55 0
「AはAである」の、2つのAが交換できないんじゃないかとか、対称性・非対称性・対称性の破れとか考えたから「交換法則」といってしまったが、主体(主観)と対象との間での「結合法則」の問題なようだ。
そのように解釈するとヘーゲル論理学が取り扱えるという矛盾ってのは結合法則から生まれたものだと考えられる。ほんとか?
量子論理ってのは結合法則が成り立たない論理だ。(量子論が解釈でしかないという以外は)きちんと形式化されている。
結合法則が「主体(主観)」の問題で成り立たないのだとすれば、そこを(量子論理に)補うだけで(ヘーゲルあたりの)弁証法を形式化できるのではないか、というただの思いつき。思いつきですからね。否定してくださいねw
523考える名無しさん:2014/04/28(月) 20:19:58.99 0
早速のお返事、多謝の極み。よく読ませてもらって応答させていただきます。
524考える名無しさん:2014/04/28(月) 21:07:30.29 0
>>523
すみませんね。まだ考え中なのでいろいろと矛盾も含んでいて説明不足です。
ヘーゲル論理学が矛盾律を含んでいるとかいうので図書館いってこなきゃ。
矛盾からいろいろ引き出せてしまうってのはあたりまえのことだけど、どうやってそれを正当化できるのか/できているのか
525考える名無しさん:2014/04/30(水) 11:12:31.88 0
なかなかわかりません。でも集合論に基づく?分配則、交換則、結合則、、、の、巨大な威力と正確さ、凄いと思います。
この横暴を主体的に制御できるかどうか。これを考える前に、現行のトポス理論、ちょっと参考になりそう? 
本題に行く前に、圏論、しばらく勉強させてもらいます。難しそう。今後とも宜しく。
526考える名無しさん:2014/04/30(水) 11:26:39.28 0
現代数学を援用して、ヘーゲル的な弁証法の延命を計ろうとするお馬鹿さんには、
ソーカル先生に鉄槌を下されていただきたい
527パンの耳:2014/04/30(水) 11:40:08.37 0
  
    太陽信仰と相対する 簡単な意味づけなんです

 質量が少しずつ減ると 莫大なエナジーを放出し続ける

                  それだけ

  べすとあんさー は 

   さそり座のつじつまあわせの たわごとですから
 
                    無視してください
    
528パンの耳:2014/04/30(水) 11:49:59.63 0
    
  末代までたたってやるぅううー 


               それだけの ばいぶれーしょん


  だろ  ジーン・シモンズ (笑)
   
529考える名無しさん:2014/05/01(木) 00:07:39.41 0
「世界を動かすものは矛盾である」ヘーゲル
かこいいと思った。恒等式からすべてを生み出せないかと考えていたが、これは(ヘーゲルのいう)矛盾と等価なのだろう。
矛盾からなんでも生み出せてしまうのはあたりまえのことだ。ヘーゲルのいうところの「矛盾」がどういうものなのか。そこのところが知りたい。
>>525
日経サイエンス2013年7月号が主観的な数理論理を思いついた(ただの思いつきですよ)元ネタです。
揺らぐ境界の新版は日経サイエンスのサイトで無料で読めます。
この号ではQビズムも解説されてます。
ただし、EPRパラドックスの意味がわかるぐらいでないと難しいかも
530考える名無しさん:2014/05/01(木) 00:27:39.14 0
圏論は数学とかコンピュータサイエンス関係でないなら、無理に扱わないほうがよいかも。
圏論そのものは単純ですけど、数理論理を考えるために層とかトポスとか束論とかに踏み込む必要がでてくるし。
でも、集合論レベルでは、主体・主観を扱えるのだろうかという疑問
531考える名無しさん:2014/05/01(木) 12:27:28.77 0
>>530
有り難うです。少なくとも今は石にかじりついてもの気持ち。
日本語の本、どれも極端に難しく書いてあって取り付くしまがない感じ。英文でも結構、「素人」前提の解説書があれば。
今後ともよろしく。

なお、御承知と思いますが、「矛盾」は、ヘーゲでは、Reflex反省の内部、Erscheinung現れ経由のWesenheit本質性内部での、テーゼ/Identitat同一性、アンチテーゼ/Unterschied区別、ジンテーゼ/Wiederspuch矛盾。
矛盾は次のGrund根拠へ移行。一応、整合的に収まっている感じです。
532考える名無しさん:2014/05/01(木) 19:56:48.27 0
Identitatのウムラウトはいいとして、Wiederspuchはrが抜けているだけなのか、WiederspruchとWiderspruchがあって、後者だとは思うけど前者でもおかしくないw
ヘーゲルぐらい原書がインターネットのどこかにころがっているだろうから無理して読んでみようかなとも思います。
ヘーゲルの「矛盾」に対してはいろいろと論文が(インターネット内に)落ちているので拾い読みはしてるのですけど、どれが正解なんだか。
"オンラインで入手できる数理論理学・数学基礎論のテキスト" をGoogleで検索したら親切なリストがありました
533考える名無しさん:2014/05/01(木) 20:46:39.40 0
ttp://www.thenewdialectics.org/hegeldiallog.htm
The Formalization of Hegel’s Dialectical Logic
Its Formal Structure, Logical Interpretation and Intuitive Foundation
Michael Kosok
これってヘーゲル弁証法の論理的な解釈ですね。おれが読みたかったのはこれだ。
想像していたのとちょっと違うけど、形式化(定式化)ではあるようですね
534考える名無しさん:2014/05/01(木) 21:54:34.67 0
これ読みかけでほったらかしてたやつ。
同じようなウットおしい記述だけど、R.Goldblatt;Topoi The categorical analysis of logic
大枚払って読みだしてるけど、日本語の類書よりはとっかかりヤスそうです。

なお、哲学関連語は、ドイツ語のほうが原義が掴みやすいですね。
535考える名無しさん:2014/05/01(木) 22:06:20.54 0
すみません、記号論理や意味論で、圏論/トポスなどの導入の究極の効果て、どこにあるのでしょうか、簡潔に。
教えていただければ有難いです、読むのに、motivationが持てると思いますので。
536考える名無しさん:2014/05/01(木) 23:55:16.73 0
ttp://www.is.s.u-tokyo.ac.jp/isnavi/logic06.html
にあるように数学を語るための言語です。
The Formalization of Hegel’s Dialectical Logic にも矢印が一杯でてきますよね。ああいう説明に使ったり考えたりするためのものです。
Wikipediaによれば「Kripke-Joyalの意味論とよばれる手続きによって集合論的論理式をトポスの対象と射についての言明として解釈することができる」とか、「層の圏における論理は直観論理であることが発見された」とかいろいろそれらしいことはかかれてあります。
このへんの業績を活用できるかどうかはわかりません。わたしは実務的な必要性から拾い読みして活用しているだけです。
ただし、もし、論文などにするのであれば(ただの矢印や対象ではなく圏論による)それらで表現するのが現状ではベストでしょう
537考える名無しさん:2014/05/02(金) 10:27:07.36 0
早々にお返事賜り誠に有り難うございました。一番知りたかったこと、圏論も「集合論(外延的情報)」の範囲内にあるのか?ということでした。あるということでよいのでしょうね。

多くの哲学的カテゴリー(内包的論理規定、ヘーゲルなら3のn乗個)を発現する判断/推論の記号化に興味あり。
厚かましいついでに、Kosokをお読みななった後、その記号化弁証法をおもらし頂けたらと思います。圏論トポスとの関係についてもです。
厚かましすぎる門外漢(全くの非数学/非哲学、化学分野です)の伏してのお願いです。
538考える名無しさん:2014/05/02(金) 10:34:19.71 0
追伸
ほんとにわかりやいいサイトをご紹介いただきました。今読んでいます。たいへんわかりやすいです。感謝の極み。
539考える名無しさん:2014/05/02(金) 22:22:52.21 0
まあ、荒らさないように、あまり弁証法から離れずにw
Kosokを読めば弁証法がわかるかな、と思ったのは大きな間違いで、出自不明の数学のような記法が理解しがたい。
とりあえず(ヘーゲル)弁証法がわからないと読めないのにはまいった。
「反射」に対してはなにふざけたこといってるんだ、ぐらいにしか思えない。それはドイツ観念論ではなく数学的対象をベースに考えているからだ。
まず、ドイツ観念論を数学的(数学的構造として)に把握するところからか。遠い道のりだ
540考える名無しさん:2014/05/03(土) 12:44:39.42 0
Kosokについてはご苦労様でした。
二本柳:推論と論理―可能世界論理の階型理論的展開のための研究  
これお役に立つかも、一応本書の「目次」はアマゾン通販で見ることができます。
実物、近くの図書館で昨日見てきました、ヘーゲル弁証法の哲学も一応書いてあります。

私、しばらくGoldblattのTopiにしがみついてみるつもりです。
とりあえずお返事の御礼まで。
541考える名無しさん:2014/05/03(土) 12:46:46.31 0
TopiはTopoiの誤り。
542考える名無しさん:2014/05/03(土) 15:02:25.90 0
トポスについては「圏論による論理学 高階論理とトポス」を持っています。トポスなんだろうとは思うけど、古典的な高階論理のほうは考えたけどトポスはやりかけですw
推論と論理は読みたいですねぇ。近くの図書館には無かった。残念。
ヘーゲルは3にまつわるところが多くて、どうやら「三位一体」が根本にあるのだということまではわかりましたw
543考える名無しさん:2014/05/03(土) 17:33:47.72 0
テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼは「因の三相」に相当するものなのか?
仏教論理学(因明)との類似性。絶対精神とは「仏(仏性)」のことかも。量子論的に考えるよりはとっつきやすいw
544考える名無しさん:2014/05/03(土) 17:42:19.45 0
分配してしまうから矛盾するのであって、分配法則が成り立たないとして世界をみなおすことが弁証法である。(量子論的に考えてみた)
545考える名無しさん:2014/05/03(土) 18:05:50.78 0
因明より前の古因明ではニヤーヤ・スートラにある五分作法の「主張(宗)・理由(因)・実例(喩)・適合(合)・結論(結)」があり、この裏ルートとして「宗(テーゼ)・(反へ向かう)因・反喩(アンチテーゼ)・(反との)合・結(ジンテーゼ)」を考えることもできる
546考える名無しさん:2014/05/06(火) 21:23:21.89 0
ちょっと考えただけでも、弁証法は仏教論理学や量子力学との親和性の高さをみつけることができる。
しかし、kosokはいまだに(R)eとR(e)の違いすらわからない。どこに説明されてんだか。
そうこうしているうちに、ロマン主義方面でテーゼ(客観)・アンチテーゼ(主観)・ジンテーゼ(両者の相互浸透)という記述をみつけてしまってさらに混乱中
547考える名無しさん:2014/05/07(水) 13:15:07.01 0
>>546
弁証法の記号化、論理化、、、などでGoogleといっぱい引っかかります。
たとえば、木藤らの「対立の弁証法的解決に向けた妥協的推論とみなしてその形式化」、
高原「証法論理再構築 Re-structuring Dialectical Logic」、、、などいろいろと試みられているようです。

でも、我々門外漢にとっては、その要点を読みととることはなかなか困難。

なお、ふつうは、テーゼは主観、アンチテーゼは客観ですね、ロマン派にとってはテーゼは教科書的根拠関係の外在、アンチテーゼは主観的恣意性に思えるのでしょうか。
548考える名無しさん:2014/05/07(水) 13:17:55.77 0
高原「証法、、は「弁証法論理、、の誤り
549考える名無しさん:2014/05/07(水) 13:22:03.04 0
>>547の表題も「対立の弁証法的解決に向けた妥協的推論の形式化」の誤り、」すみません。
550考える名無しさん:2014/05/07(水) 19:43:06.35 0
>>547
ありがとうございます。人工知能・情報論はわたしのフィールドですのでとっつきやすい。
J-STAGEで日本ヘーゲル学界のヘーゲル哲学研究など読んでみてたけど、いまひとつ納得できなかった。
弁証法を推論として扱うならば、テーゼが分解できるものとは限らないので、形式的にやるとなればアブダクションによる推論にならざるを得ないと思いますね
551考える名無しさん:2014/05/23(金) 19:31:52.44 0
テスト
552考える名無しさん:2014/06/07(土) 18:19:38.53 0
弁証法は、定立(自己)→反定立(他者)→合(深化した自己)という論理展開を
するが、即自存在(自己)が否定されて、対自存在(他者=客体)となり、さらに
対自存在(他者=客体)が否定されて、否定の否定として「合(ジンテ−ゼ)」としての
高次の自己(深化した主観)となる。

ここで疑問となるのは、何故、否定の否定の「合」に於いて、“主観”に立ち戻るのか、
ということである。 本来、即自(主観)と対自(客観)が、“共に否定”されたのであれば、
「合」に於いては、「主観」或いは「客観」として特定されることはなく、別次元(主客未分化領野)
として捉えられるものであろう。
553考える名無しさん:2014/06/07(土) 18:34:54.09 0
 「「主」AND「客4」」でしょ!
554考える名無しさん:2014/06/07(土) 18:35:36.93 0
 
 「「主」AND「客」」でしょ!
555考える名無しさん:2014/06/20(金) 11:45:09.18 0
 >>552 弁証法は、対象を認識する「方法の一つ」と思う。
 >>554は、対象に「語」を選んだ場合の、やはり、方法の一つ、弁証論理。
 「意識」を選ぶと、やはりその認識法の一つとして、an sich即自、fur sich対自、an und fur sich即且対自、があることに。
556考える名無しさん:2014/06/20(金) 11:58:21.47 0
>>552 なぜそうなるのかでなく、そのようにするのがこの方法の特徴?
[A and B ]は、A,B各単独の場合でなく、AとBをそれぞれ、moment契機とする、あくまで両モメントの合成、「論理和」、「AとBの同時の満足」。
557考える名無しさん:2014/08/14(木) 01:00:53.63 0
自分はいわゆるポストモダンの(ポスト構造主義の-デリダ、ドゥルーズ辺りの)
「大きな物語は終わった」「主体は死んだ」「弁証法的止揚ー絶対知の完成は死んだ」
という批判にはいつも疑問に思ってきた。


1、弁証法とは「絶対知」で終わる目的論的方法なのか?(永遠の弁証法もあるのでないか)

2、主体とは単独的、反復的なのものなのか?(複数的で偶発的な主体もあるのでないか)

3、ポストモダンは本当にヘーゲルを克服できているのか?(デリダやドゥルーズの
言ってる事は既にヘーゲルの否定の否定による弁証法の中に含まれている話でないのか)

と疑問に思っていた。
558考える名無しさん:2014/08/14(木) 01:26:02.34 0
例えばここにあるアイデアがあったとする。
アイデアは個人の頭の中にある内は単なる構想の域にあるにすぎない。
今、革命やらフロンティア開拓などが生じてその構想に基づいた社会が
構成されたする。

ここで生み出された社会は時空の一時点を占めてるにすぎず、その時点では
フーコーやスピヴァクやレヴィストロースなどが問題にする外部を生み出してしまう。

この外部に気が付くことがいわゆる最初の否定性だ。しかし「あれか、これか」と
いう議論では結局、他者の抑圧の問題を超えられないことに気が付く。
それを転倒したところで(奴隷が主人になったところで)結局新たな抑圧される存在
が生じるだけだし、抑圧される側の美化は結局、ある種のオリエンタリズムに
すぎない。

次に生ずるのが自己を脱構築する段階だ。そもそも意味の確定には言葉を聴く他者を
必要とする。他者はコミュニケーションネットワークの郵便的誤配によって
常に想像もしていなかった外部からの存在である可能性も生ずる。論理はこの
外部の他者も含む可能性をあとから事後的(再帰的)に発見することで自らの
あり方を脱自存在化する。この時、他者も含む論理へと論理の枠は組み変わる(普遍化される)

これがヘーゲルの言う二重の否定性だ。こういう運動を繰り広げていった結果
論理は最終的に絶対知に達するのだろうが?マラブはそうではないと言っている。

訪れるのは止揚の止揚、通俗的時間の連鎖の破棄、根源たる自己が死滅し
多種多様体を本性とした偶有的を必然ととした産出的自動運動(生成変化)
へ生まれ変わる。
559考える名無しさん:2014/08/14(木) 01:45:16.76 0
ヘーゲルとデリダ・ドゥルーズの思考の最大の違いは体系性だろう。
デリダの脱構築は下手をすると解釈の多義性の中で言葉の意味が発散しかねない
ドゥルーズの多種多様体をネグり的「帝国」と読み替えたら無秩序と読めるだろう

ヘーゲル的ジンテーゼだと多様な存在へ登場できる場を残しながら同時に法的に
交通整理が行き届いた世界への道のりが見えてくる。
560考える名無しさん:2014/08/14(木) 22:31:22.80 0
デリダがどこまで考えたのか知らないし興味もないが、脱構築の果てにビット世界にたどりついた。
ビット世界には「ビット」と、ビット間の「関係」(つながり)しかない。
そこには豊饒な世界を見出せるのだが……人間には……扱いきれない
561考える名無しさん:2014/08/17(日) 09:50:45.52 0
>>557>>560   激しく同意!
相対的な史観、常に、「過去」は即自(存在)、現時点で言うなら近代(大きな物語)。
「現在」は対自(現象)、「未来」は即且対自(把握//Begrif概念)。
562考える名無しさん:2014/08/17(日) 15:35:25.75 0
ん? 560ですけど、557〜の人とは違うからね。

時間など煩悩のひとつにすぎない。AとBの2つの状態しかないなら、未来と過去は同じものだ。
過去も未来も現在の中にあるものであり、(観測者が現在にいるかぎり)それらは現在の一部にすぎない
563考える名無しさん:2014/08/17(日) 16:25:39.19 0
すみません。
>>過去も未来も現在の中にあるものであり、(観測者が現在にいるかぎり)それらは現在の一部にすぎない 。
Yes、Yes!
「過去、未来」は、現在の記憶の中にのみですね。
564考える名無しさん:2014/08/17(日) 16:36:14.61 0
そして現在は、現象として、「感覚記憶、短期記憶」の中に、bit間の動的関係としてのみある。
これでよろしいです?>>562
565考える名無しさん:2014/08/17(日) 16:51:05.42 0
過去は長期記憶として、未来は、過去長期記憶と現在短期記憶の、両記憶の止揚態としての作業記憶として、ですね。
566考える名無しさん:2014/08/18(月) 00:19:16.58 0
562ですけど、「現在」というものがいちばんやっかいな気がするのでして。
なにも気にせずに「現在」しかないのだと考えてますw
観測者によって観測された世界。現在の中にあるものしか観測できない
567考える名無しさん:2014/08/18(月) 11:14:50.30 0
>>566
同感、同感。
ただ、動物/羊が、自己生存維持のためには、「現在」の現象/感覚bitパターン(ライオン接近)が、同時に「過去」(長期記憶、経験)
と二重映しになり、逃走しようとする「未来」意思を発動。この生理機構とは?
この「現在」での3重映しの発現機構????現在は<<いちばんやっかいな気がするのでして>>566>>。
568考える名無しさん:2014/08/18(月) 22:15:30.67 0
その昔「サイバネティックス」というものがありまして、その生理機構?とは広義のサイバネティックスかも。
わたしは情報理論の側からしか考えてませんけどね。
フィードバックとしての過去の記憶を持った方が生き残れたということでしょうかねぇ。
まあ、それらを一般には「学習」と呼ぶのでしょうけど
569考える名無しさん:2014/08/20(水) 10:17:17.74 0
機械学習にしても、認識動作は瞬時で現在的。現入力である、認識対象のビットパタンは、学習ベクトルと瞬時に内積され、認識結果が現在的に出力される。機械学習の学習作業にしも現在的。
現代では、「現在」から逃れられません。
570考える名無しさん:2014/08/20(水) 12:58:02.18 0
メルロ=ポンティの「現在野」の捉え方が“理”に適っているように思う。

つまり、過去と現在という時間・空間を「現在」という“不動性”を基底として捉える。
571考える名無しさん:2014/08/20(水) 13:01:16.80 0
>>570
訂正 
  過去と現在という時間・空間→過去と未来という時間・空間
572考える名無しさん:2014/08/21(木) 15:08:22.22 0
>>558
マラブは訪れるのは、止揚の止揚による根源たる自己が死滅(=主観の死滅)と
述べているが、止揚(アウフヘ−ベン)の概念は、否定と生成(高める)という
二様の働きがある。「否定の否定」ではなく、「止揚の止揚」によって自己(主観)が
死滅するのは、止揚(アウフヘ−ベン)に内在する「生成の働き」が認められない。

アウフヘ−ベン(止揚)の大きな特徴は、「否定の否定」という二重否定から、生成(高める)により
ジンテ−ゼ(総合命題)に於いて、より高次の自己形成にある。
573考える名無しさん:2014/09/24(水) 17:12:07.02 0
無意味に上げ
574考える名無しさん:2014/12/21(日) 00:23:07.40 0
面白い議論だったけどもう誰もやらないのか
575考える名無しさん:2014/12/24(水) 15:34:56.53 0
もう少し続けてほしいと切に思う。
576123:2014/12/24(水) 18:43:11.54 0
自己があって他己があって、その両者をいかに合成するかという問題である。
そこで第一に否定の関係を認識する。
次に両者の同一性を認識する。
よってそこに合成が完成する。
その合成の完成形態が絶対精神である。神であることになる。
だからして人間は神に至る途中形態であることになる。
577考える名無しさん:2014/12/24(水) 22:02:56.91 0
後知恵でコジツケるだけの遊び
578123:2014/12/29(月) 18:13:58.24 0
コジツケがないと実践ができないということである。
革命なんてものは飛躍であり、コジツケであることになる。
だがそこに追い込まれる人生もあるかも。
579考える名無しさん:2014/12/29(月) 19:46:53.24 0
「正反対」の意味を、
「正」「反対」ではなく、
「正」「反」「対」として考えればよいのじゃよ。
580123:2015/01/01(木) 07:15:10.93 0
仏教では正、反、否、ということになる。
否とは解脱である。
それは隠遁か。
否として、現実に帰ることになる。
それは弁証法なのか。
581考える名無しさん:2015/01/04(日) 21:54:29.93 0
「止揚」という概念。「否定」という概念。
 
 両概念の関係は?
582考える名無しさん:2015/01/05(月) 01:59:27.42 0
>>581
「止せて揚げる」のは偽物として「否定」される
583123:2015/01/05(月) 18:43:12.93 0
正を否定して反となる。
その反を否定すると、元にもどることになる。
だからして、反の主体を否定して否となる。
その否によってしか、その場合にだけに、反を否定しても、正に帰らないことになる。
それが止揚かも。
以上、試案。
584510:2015/01/05(月) 20:55:15.25 0
ある命題を論証するために、その命題を肯定する例をどれだけ挙げたとしても、
命題の補強になりこそすれ証明したことにはなりません。しかし、命題の反例
を一つでも挙げることができれば、その命題は否定されます。

このことから、論証しようとする命題の反対命題を求めて、それが否定できた
ならば、命題を正しいものとすることができます。これが反対命題を持ち出す
意義になります。

しかし、ここで考慮しなければならないのは、否定したものが本当に反対命題
なのかどうかということです。命題と反対命題が本当に反対の関係にあるため
には、両命題に共通するより抽象的な命題が存在して、命題と反対命題がそれ
について表と裏の背中合わせになるようでなければなりません。この抽象的な
命題が総合命題になります。

そして、止揚あるいは揚棄という言葉は抽象化のことを意味します。正か反か
を特徴づける部分を棄てることによって抽象度を揚げる、ということです。
585510:2015/01/05(月) 21:02:32.07 0
(584の訂正)
>そして、止揚あるいは揚棄という言葉は抽象化のことを意味します。正か反か
>を特徴づける部分を棄てることによって抽象度を揚げる、ということです。

そして、止揚あるいは揚棄という言葉は抽象化のことを意味します。正か反か
を分ける部分を棄てて共通部分を取り出すことで、より抽象度を揚げるという
ことです。
586123:2015/01/06(火) 18:48:15.39 0
共通部分を取り出すことで抽象度を揚げるか。
そこでは、どの部分を抽象するか、捨象するかの問題である。
弁証とは部分と部分との弁証であることになる。
共通部分は弁証の前提であることになる。
だからして、そこで問題点がずれることになる。
弁証の前提としては、どちらの部分が優秀であるかという問題となる。その相互が平等であることは許されないことになる。
587考える名無しさん:2015/01/07(水) 11:21:34.24 0
ベン図で、二つの集合A,Bを表す「輪っか」が交叉する場合の、交叉領域。というほど単純ではないか。
Aの交叉領域の要素群は、Bのそれにまったく等しくなるし。
588510:2015/01/07(水) 20:24:06.91 0
>>587
その集合が単なる同じ種類のものの集まりではなく、あるものについての定義や属性の集合と
考えると良いかもしれません。


「AはBである」という命題があったとき、その反対命題は単純に考えれば「AはBでない」
になりますが、これを「〜でない」という否定の形式ではなく、きちんと定義しようとすれば
「AがBでないってどういうことだ?」という問いが出てきます。

そして、その問いを解決するために、またこの命題と反対命題が正反の関係にあることを確認
するためには「そもそもAって何だ?」という問いが要求され、そこで得られたAについての
定義としての命題は、元の命題に対して抽象度を一つ上げたメタな関係にあるものとなります。
589考える名無しさん:2015/01/08(木) 15:40:50.85 0
質ー量ー尺度
根拠ー現象ー現実性
同一ー区別ー矛盾
構造ー機能ー構造機能相関
概念ー判断ー推論
590考える名無しさん:2015/01/08(木) 16:32:10.05 0
たとえば、「同一」と「区別」。両ベン図の交叉領域が、「矛盾」ですね。
591123:2015/01/09(金) 07:34:01.66 0
二つの円の集合が重なる部分は共通である。
共通でない部分が相互に弁証することになる。そこに矛盾があることになる。
592考える名無しさん:2015/01/09(金) 13:44:24.26 0
同一集合と区別集合のそれぞれの部分集合が、矛盾として重なって共通部分を発現する。
この部分、本来、同一集合と区別集合。だから矛盾??
593123:2015/01/09(金) 17:43:33.38 0
共通部分は矛盾でない。
その他の共通部分でないところに矛盾が存在する。
その部分の一方がすべてを占領すれば、矛盾が解決する。
そして共通部分だけになる。
594考える名無しさん:2015/01/09(金) 18:00:10.43 0
その場合、共通部分は何と呼ぶのですか?
595123:2015/01/11(日) 16:51:41.50 0
共通部分は正、反、合、の合の部分ということになる。
だからして合の部分が拡大して全部を占領すれば終わりとなる。
そのときの、どちらが占領したのかが、問題となる。
596考える名無しさん:2015/01/12(月) 14:48:56.34 0
どちらが?どちらが?
597123:2015/01/16(金) 21:07:01.82 0
その部分に何を代入するかの問題である。
資本家と労働者を代入すればどうなるか。
資本家は少数であるからして、少数支配の法則ができあがる。
そして資本家の代表としての労働者として、経営者が登場する。
そこで労働者の分断支配が成立する。
598考える名無しさん:2015/01/18(日) 12:06:50.46 0
どっちがテーゼで、どっちがアンチテーゼ?
599123:2015/01/20(火) 18:51:33.69 0
どちらが先か。
それは歴史的には決まるが、
論理的にはどちらであっても良い。
労使での問題は合として国家が登場する。
その国家は労働者国家の登場である。
だが、その国家は敗北した。
その次はどうなるのか。
600考える名無しさん:2015/01/29(木) 23:20:15.75 0
「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。 受想行識、亦復如是。」の解説。

   /\       /\
  /  \     /  \
 / 色  \   /  空 \
/      \ /      \
\      / \      /
 \    /   \    /
  \  /     \  /
   \/       \/


     /\    /\
    /縦 \  /横 \
   /    \/    \
  /引力引力 /\     \
 /     /  \慣性慣性 \
/     /楕円軌道\     \
\     \楕円軌道/     /
 \     \  /     /
  \     \/     /
   \    /\    /
    \  /  \  /
     \/    \/
601123:2015/01/30(金) 11:48:40.37 0
600.
客観主義には限界がある。
そこから、いかにして脱却するのか。
そこが理解できれば救いとなる。
602考える名無しさん:2015/01/30(金) 12:24:08.71 0
客観主義の徹底こそ救いである
603考える名無しさん:2015/01/30(金) 15:37:57.46 0
>>578
コジツケがないとオナニーの実践もできないわけか、君は
604考える名無しさん:2015/01/31(土) 11:14:41.75 0
テーゼ主観的概念 アンチテーゼ客観的概念 ジンテーゼ理念
605考える名無しさん:2015/01/31(土) 11:55:12.64 0
客観主義を徹底させることで底が抜けてしまったんですよ?
606考える名無しさん:2015/01/31(土) 14:29:15.30 0
哲学者は屁理屈ばかり
そんなに実在の認識の不確かさに自信がお有りならトラックの前に飛び出してみればいい
607考える名無しさん:2015/01/31(土) 16:39:32.26 0
哲学者のそういうイメージって
カントから始まってる。
んで、日本の哲学は明治以降、ドイツ思想の影響が敗戦後なおもして色濃い。
日本の学者は西欧の翻訳家がもとで、
カントは哲学者として初めて大学教授という肩書を確立させた。
本来、哲学とは知愛であり、デカルトや
ベイコンのように旅や実験をするなかで
論証力を培われていくものであった。

カントはヒッキー文明の発端ともいえるのではないのだろうか。
独身者で、規則的、観念的な生活者として知られている。つまり、オナニスト。
608考える名無しさん:2015/01/31(土) 16:54:21.32 0
カント哲学=ロボット養成哲学

企業に都合のいいだけだな。

なんてコメントがカント愛院生幼女誘拐事件のニュー速スレ
にあった。
609考える名無しさん:2015/01/31(土) 17:56:59.92 0
俺ん中ではむしろカントが最後の『屁理屈でない』哲学者
俺が辿り着いた考えがおぼろげにカントの主張と重なって、理解して楽しんで読めた
後に続くやつらは次のどっちか
『何言ってんのかわからん』
『それがどうした』
610考える名無しさん:2015/01/31(土) 18:18:21.88 0
屁理屈というのではないと思うのだけどね。
611考える名無しさん:2015/01/31(土) 19:25:15.91 0
客観主義では客観は制御できない。客観がヒトを主観化するだけ。
612考える名無しさん:2015/01/31(土) 20:05:24.02 0
お前らの正体は
意味不明な文章を流暢に発話するウェルニッケ失語症ってこと分かっとるんやで
613考える名無しさん:2015/01/31(土) 21:38:11.96 0
哲学なんて何の役にもたたん。
しかし、哲学はそれをわかったところからスタートしなきゃならん。
自分がなぜ哲学をするのか、まずそれを知らない奴は何やっても無駄。
614考える名無しさん:2015/02/01(日) 00:49:59.53 0
哲学=物事を統一的に把握する理念がないから行き当たりばったりで苦しむ

役に立つものこそ哲学
役に立たないものはエセ哲学
615考える名無しさん:2015/02/01(日) 01:12:22.34 0
>>612 それはおかしいですよ。正体の本質とは外界的知覚から内在的認識行動へと
至るための顕在的アイオロニーなんです。今の日本が抱える問題のリゾームとは
比喩的でそれでいて反体制的、なんていうのかな。ヤヌス的な両義性を伴った概念
ちょっと君達には難しいかもしれない。つまり多様性を認めながら超越的世界観にシフトしてゆく。
意味を意味としてそこに意味そのものを見出してゆく。
フッサール・ベルクソンあたりをもっとよく勉強してくださいよ。
今日本に一大センセイーションが吹き荒れようとしているんです。
乗り遅れてしまいますよ。
616考える名無しさん:2015/02/01(日) 01:25:16.72 0
だから何度も言ってるじゃないですか!
資本主義はある種の分裂症なんですよ!ドゥルーズが何度も言っているじゃないですか!
プラトーなんですよ。そういったアバンギャルドな収束性を伴った画一的なものの見方が
フランス革命以降であり産業革命の起爆剤でもあるんです。
そしてナポレオンの台頭。
ソーカル事件なんてでっち上げなんだ。
617考える名無しさん:2015/02/01(日) 01:28:29.97 0
もぉうんざりなんだ!いい加減にしてくださいよ!
なんで分からないんですか!
618考える名無しさん:2015/02/01(日) 01:31:47.67 0
本日のメソッドは継承の特徴をうまく利用した至極日常的なものです。
619考える名無しさん:2015/02/01(日) 01:44:40.58 0
文句つける方がまずい
フランス現代哲学を読むべしだ
620考える名無しさん:2015/02/01(日) 02:22:00.28 0
ドゥルーズの意味の論理学では、まず変化とパラドクスについて語られてる
621考える名無しさん:2015/02/01(日) 02:27:56.36 0
秩序だった順序を確定する常識的意味と、その秩序を壊す変化としてのパラドクス
622考える名無しさん:2015/02/01(日) 02:30:23.25 0
「意味の論理学」第一セリー 純粋生成のパラドクス
623考える名無しさん:2015/02/01(日) 02:34:21.89 0
○秩序だった順序を確定する常識的意味の体系と、その秩序に対するパラドクスとしてある生成
624考える名無しさん:2015/02/01(日) 02:42:24.68 0
浅いし駄目だろうけど全く読めないわけでもない
625考える名無しさん:2015/02/01(日) 02:43:17.06 0
読めるんだから読めば良い
626考える名無しさん:2015/02/01(日) 02:47:56.44 0
で、読んだら謙虚に伝えれば良い
627考える名無しさん:2015/02/01(日) 03:06:56.67 0
思想家の思想不在において、それを読んだ人と読まない人の対立と混乱が生まれるのは馬鹿らしいですよ
628考える名無しさん:2015/02/01(日) 03:11:58.70 0
イメージは充分伝わってますよ キャベツとかの遺伝子っぽい
629考える名無しさん:2015/02/01(日) 03:16:59.91 0
フランス現代思想=難解というのが未だにあるというのは、どうかという気はする
630考える名無しさん:2015/02/01(日) 09:21:11.54 0
現代フランス哲学者の名前は
高校世界史の教科書に載ることはないだろう
631考える名無しさん:2015/02/01(日) 09:25:03.87 0
難しすぎるからね。これが理解できる高校生が増えた時
日本は変わるはず。
632考える名無しさん:2015/02/01(日) 09:28:21.26 0
スタ−トが十年遅れた
633考える名無しさん:2015/02/01(日) 10:17:40.54 0
その前に、教科書を執筆する教授たちに評価されん
634考える名無しさん:2015/02/01(日) 10:41:32.91 0
二章むずいw。
原因に伴う効果があり、これは表層的だというのは何となく分かる。
635考える名無しさん:2015/02/01(日) 10:50:24.13 0
イデア論的に原因が結果をもたらすとするのではなく、原因の連結を表層的な効果が媒介するという感じか。
636考える名無しさん:2015/02/01(日) 11:09:42.00 0
「原因結果相関」、「原因結果の自立相関」
637考える名無しさん:2015/02/01(日) 11:10:46.82 0
これ読みこなしてたらもうちょっと何かあるやろ
638考える名無しさん:2015/02/01(日) 11:23:26.91 0
ストア派、ルイスキャロルも詠まないといけない
早い所読むべきものは読んでしまおうぜ
639考える名無しさん:2015/02/01(日) 11:30:46.85 0
読むに終始、考えるに終始。
640考える名無しさん:2015/02/01(日) 12:44:34.20 0
そう簡単でもない・・
641考える名無しさん:2015/02/01(日) 12:53:14.19 0
フランス哲学での「ジンテーゼ」の位置づけとは?
642考える名無しさん:2015/02/01(日) 12:57:08.72 0
signification
643考える名無しさん:2015/02/01(日) 12:58:51.46 0
我々結社ではユーグスフリゲールの悪魔と呼んでいます。
644考える名無しさん:2015/02/01(日) 12:59:41.82 0
「意義、語義」の意味に尽きる?
645考える名無しさん:2015/02/01(日) 13:01:05.41 0
ユーグスフリゲール、原語でお願い。
646考える名無しさん:2015/02/01(日) 13:01:49.36 0
ユーグスフリゲール、原語でお願い。
647考える名無しさん:2015/02/01(日) 13:05:49.66 0
ちょっと変換できませんね。候補にない。

黒と白を混ぜる場合を想像してみください。
灰色になるか分離層を形成し境界線を作るかのどちらかです。
両者が等価であれば層はできませんね。
これは純粋なテーゼとアンチテーゼの関係ではない。

ユーグスフリゲールとはその境界線に潜む概念です。
648考える名無しさん:2015/02/01(日) 13:06:58.44 0
おまんこです。
649考える名無しさん:2015/02/01(日) 13:08:37.43 0
ちょっとまてぃ!
650考える名無しさん:2015/02/01(日) 13:14:26.32 0
>>647
 境界線にとどまって、両相への「行き来」を想定する概念でしょうか?
651考える名無しさん:2015/02/01(日) 13:34:01.33 0
>>644 共存する2個の反対語に、1個の語を対応させる意味付け。なるほど。
でも、その動的内容は、意味付けするひとがひき受け顕示しない?上品、エスプリ?
652考える名無しさん:2015/02/01(日) 13:42:30.63 0
カレイドスコープ的な行き来というよりは中央を押し広げて奥へ進む感じですね。
ただ、単純で単調な道のりではないです。
ユークリッド的遭遇っていうのかな?観察をすすめてゆけば否応なし向き合わねばならない。
シンボライズされたメタファーみたいな。
それでいてオスマンキッシュでモダンなイメージです。
653考える名無しさん:2015/02/01(日) 13:51:18.44 0
652>> 表現がとても洗練されてますよね。
皮茶(rubber)的(笑)というか。癖になる深みとコクを感じさせるみたいな。
こういった言語を言語としてではなく意味の意味の奥行きと本質を
語感と五感(舌)で感じとれる。洒落がきいてますよね(笑)
日本的情緒というか。常人には真似できない芸当だと思いますねぇ。

どうです?今度一緒に飲みに行きませんか?
654考える名無しさん:2015/02/01(日) 13:52:10.83 0
なるほど、行き来でなく、境界層/境界相を押し広げつつその中を進む、認識を深める!
655考える名無しさん:2015/02/01(日) 14:00:20.41 0
>>651 さらに納得。signification。ヘーゲルでもジンテーゼは常に「一語」で表現。
656考える名無しさん:2015/02/01(日) 14:13:44.31 0
>>654 続き
「ユークリッド的遭遇っていうのかな?観察をすすめてゆけば否応なし向き合わねばならない。
シンボライズされたメタファーみたいな」。まさに!
657考える名無しさん:2015/02/01(日) 14:20:25.14 0
おめーらwバカだろwこれは俺が作った彼女とのSEXを思い出しながら作った文章だよ。
こんな場所でグチグチやってないで風俗いってこいよw
658考える名無しさん:2015/02/01(日) 14:23:44.54 0
なるほど、「中央を押し広げて奥へ進む」、
659考える名無しさん:2015/02/01(日) 14:30:49.45 0
>>656
[ユークリッド的遭遇っていうのかな?]〜これはテーゼ領域。
[観察をすすめてゆけば否応なし向き合わねばならない。 シンボライズされたメタファーみたいな。]〜これはアンチテーゼ域。
660考える名無しさん:2015/02/01(日) 14:35:31.25 0
クリトリスの事なんですが
661考える名無しさん:2015/02/01(日) 14:50:18.30 0
さすがフランス人
こっちの方が哲学より向いてる
662考える名無しさん:2015/02/01(日) 17:20:33.62 0
>>660
止揚体は汎在ね。
663考える名無しさん:2015/02/01(日) 20:17:12.83 0
      ヽレ
       人
      / \
     /   \
    (       )   
     \三三三/

       n_n
      / ・ \
      /ヽ__・
  /Ξミヽ/   |
 ( ―、| (ノ  |ゝ
  \_人人__)_)
664考える名無しさん:2015/02/02(月) 07:24:13.29 0
clitばかり攻める。
665考える名無しさん:2015/02/02(月) 12:24:29.98 0
clitのaufheben。
666考える名無しさん:2015/02/02(月) 16:06:00.41 0
神について
667考える名無しさん:2015/02/02(月) 20:05:49.42 0
残酷な天使のアンチテーゼ
=優しい悪魔?
668考える名無しさん:2015/02/03(火) 00:38:53.40 0
       n_n          ヽレ
      / ・ \           人
      /ヽ__・         / \
  /Ξミヽ/   |         /   \
 ( ―、| (ノ  |ゝ       (       )
  \_人人__)_)        \三三三/
669考える名無しさん:2015/02/03(火) 05:38:05.27 0
テーゼとアンチテーゼなんてのは詭弁だよ。
たとえばイスラム国、連中にとってはそれはテーゼ、
おかしいんじゃないか?てのがアンチテーゼだとする。
中間のジンテーゼなんてあるのか?

どっちか片方が必ず間違っている。
人殺しもそうだろ、圧倒的におかしいものってあるだろ?
670考える名無しさん:2015/02/03(火) 07:10:48.93 0
それを裁くのが「神の御意志」なんですよ。
671考える名無しさん:2015/02/03(火) 07:25:34.22 0
天災 人災 含め 神の御意志としたほうが整合性のつく場合が世界各所で起きています。
672考える名無しさん:2015/02/03(火) 07:30:44.90 0
人間同士の争いだけではありません。地上でおきているすべては
分かり易く例えれば信号なんですよ、そして大宇宙法則。
ライブニッツ的モナドに作用し地上に反射される。

我々人類はそれを自然と呼んでいます。
673考える名無しさん:2015/02/03(火) 07:34:33.96 0
身を持って知る。それ以外に悟る方法はないでしょう。
674代行者:2015/02/03(火) 07:41:59.18 0
カント的アプリオリ、倫理観、道徳観。
この直感を基軸とした価値観を宇宙的法則に介在させれば分かるはずです

そして同時に起きる偶発的事故

この両者の繋がりを感じることができた時、人類に新しいstageが用意されるのです。
675考える名無しさん:2015/02/03(火) 13:33:02.18 0
>>669
テーゼ;当面の意図的なテロリズム戦略。
アンチテーゼ;これに対する強力な反「イスラム国」現象。
もし、これらに対しジンテーゼがあるとしたら、彼ら自身による上記「テーゼ/アンチテーゼ」相関の覚醒。
676考える名無しさん:2015/02/03(火) 13:38:55.67 0
相関についての覚醒
677考える名無しさん:2015/02/03(火) 15:28:30.41 0
・thesis  男社会
・antithesis 女の言い分
・synthesis 共生社会

・thesis  工業化
・antithesis 自然保護
・synthesis 持続可能な開発

・thesis  伝統
・antithesis 外国文化の流入
・synthesis 和洋折衷など
678考える名無しさん:2015/02/03(火) 15:55:49.39 0
>>677
・antithesis 自然保護 というより、・antithesis 環境破壊。
679考える名無しさん:2015/02/03(火) 18:34:59.21 0
>>669
テーゼ「イスラム国は正しい」
否定「イスラム国は正しくない」→「正しくないのはなんで?」→アンチテーゼへ
止揚「そもそも自称国家が正しいってどういうこと?」→ジンテーゼへ

なお、アンチテーゼとしてあげられた命題を反例をあげて否定できたら、テーゼは
証明されたことになります。(もちろんアンチテーゼが正しく設定されている必要
がありますし、ジンテーゼはその根拠ともなります)。
680考える名無しさん:2015/02/03(火) 19:28:03.02 0
>>678
アンチテーゼの言い分には一理ないといけないので環境汚染ではまずいかと。
681考える名無しさん:2015/02/03(火) 21:22:12.83 0
環境破壊こそ、現代のアンチテーゼ。大きな問題では?
682考える名無しさん:2015/02/03(火) 21:28:09.99 0
>>679
浅学のもの、おっしゃる止揚(ジンテーゼ?)の図式がわかりません。恐れ入りますがそのscheme、ご解説いただけないでしょうか?
683510 (679):2015/02/03(火) 21:37:07.47 0
>>682
以前、>>584,585,588 に書いてみたのですが、いかがでしょうか。
684考える名無しさん:2015/02/03(火) 21:37:37.59 0
>>682、追加;私は>>675です。
>>679様、宜しく。
685考える名無しさん:2015/02/03(火) 21:39:48.68 0
>>684様、早速のお返事、読ませていただきます。
686考える名無しさん:2015/02/03(火) 22:53:37.84 0
>>584-588はわかりづらくてしょうがないんだが、具体例を挙げて説明してくれない?

   /\       /\
  /  \     /  \
 / A  \   /  B \
/      \ /      \
\      / \      /
 \    /   \    /
  \  /     \  /
   \/       \/


     /\    /\
    /正 \  /反 \
   /    \/    \
  /     /\     \
 /     /  \     \
/     /共通部分\     \
\     \ 合  /     /
 \     \  /     /
  \     \/     /
   \    /\    /
    \  /  \  /
     \/    \/
687考える名無しさん:2015/02/03(火) 23:32:24.69 0
法則に当てはめようとするバカどもw全く2CHてのは馬鹿の巣窟だな。
テーゼとアンチテーゼは絶対に相容れないものなんだぜ?w
共通する部分なんてあるわけがないだろw
ジンテーゼが見つかる事それ自体が
最初に提示されたテーゼ アンチテーゼが誤りである証明となる。

そっちにこそ気が付くべきだろう。

例えば白と黒、それぞれの中の共通する色が混ざっていればそれは
白と黒ではない。あえて共通する部分を探せば「色」という器
それをジンテーゼに持って来ればどうなる?w

そんなもんペテンだろw
688考える名無しさん:2015/02/03(火) 23:33:03.36 0
人殺しの国と人殺しはダメだという国に共通するもんなんてねーだろw
689510:2015/02/03(火) 23:50:56.05 0
>>686
たとえば「同一ー区別ー矛盾」で言いますと、こんな感じになるでしょうか。。。

テーゼ「AとBを同一とする」
否定@「AとBを同一としない」
止揚@「AとBを同一とする、しないとはどういうことか?」
止揚A「テーゼと否定@の共通点は、AとBの比較」
否定A「同一としないということは、比較して別とすること」
アンチテーゼ「区別」
止揚B「同一かどうかは、比較して一致するかしないか、共通点があるかないか、同じグループに入れられるかどうか、…」
止揚C「命題AとB、またはある条件に対してAとBを並べた時に、両者の間に矛盾があるかないか」
ジンテーゼ「矛盾」
690510:2015/02/04(水) 00:00:09.76 0
>>688
まず国という共通点があります。また人殺しについて何らかの共通点も見出せそうです。
命題の形になっていないので、実際に何を共通点とすべきかは特定できませんが。

二つのものを「絶対に相容れない」と判断するには、「何について」という判断の条件
があり、その「何」は両者に共通しているはずです。
691考える名無しさん:2015/02/04(水) 01:31:13.22 0
・thesis  男社会
・antithesis 女の言い分
・synthesis 共生社会

・thesis  工業化
・antithesis 自然保護
・synthesis 持続可能な開発

・thesis  伝統
・antithesis 外国文化の流入
・synthesis 和洋折衷など

・thesis 正と反の共通部分を取り出すことで、より抽象度を揚げるのが弁証法。
・antithesis 共通する中間のジンテーゼなんてあるわけがないだろwどっちかが必ず間違っている。
・synthesis 俺氏「どちらも正しく、どちらも間違い。止揚とは1+1が2以外の何物かになること」

・thesis  雑種A
・antithesis 雑種B
・synthesis 雑種強勢

・thesis  部分A
・antithesis 部分B
・synthesis 完成品
692考える名無しさん:2015/02/04(水) 01:32:22.99 0
2以上の
に訂正
693考える名無しさん:2015/02/04(水) 12:17:04.65 0
「区別ー同一ー矛盾」の逆転はあり得ないが、「雑種B−雑種Aー雑種強勢」の逆転は許容。OKね?
694考える名無しさん:2015/02/04(水) 17:14:03.86 0
・thesis 正と反の共通部分を取り出すことで、より抽象度を揚げるのが弁証法。
・antithesis 中間のジンテーゼなんてあるわけがないだろバカどもwどっちかが必ず間違っている。
・synthesis 俺氏「どちらも正しく、間違っている。止揚とは1+1が2以上の何物かになること」

・thesis  純血種A
・antithesis 純血種B
・synthesis 雑種強勢

・thesis  部品A
・antithesis 部品B
・synthesis 完成品

・thesis  男
・antithesis 女
・synthesis お前ら

・thesis  臓器移植
・antithesis 倫理問題
・synthesis iPS細胞

・thesis  働きたい
・antithesis 満員電車は嫌だ
・synthesis 自宅でお仕事
695考える名無しさん:2015/02/05(木) 02:07:19.47 0
【回転ドアに関する問3】

回転ドアは、1分間でちょうど4回転します。
また、3枚の扉で分けられたそれぞれの空間には、最大で2人ずつ入ることができます。
30分間で、この回転ドアを通って建物に入ることができるのは最大何人ですか。

A 60人
B 180人
C 240人
D 720人
696考える名無しさん:2015/02/05(木) 10:33:11.23 O
>>689
全然具体的じゃない。
なんか腹立ってきたんだが

「日本人を殺すべき」と「韓国人を殺すべき」の命題から「人を殺すべき」を導くのが弁証なのか?
くだらねえ

>>687にも腹立つ。
697考える名無しさん:2015/02/05(木) 12:59:58.64 0
テーゼ、ジンテーゼの間の逆転は、弁証法ではあり得ない。止揚は、テーゼ-ジンテーゼ間の単なるベン図的交差部分ではないのだ。
698考える名無しさん:2015/02/05(木) 13:16:21.22 0
>単なる

交差してるだのしてないだの
もう集合は忘れようぜ
アウフヘーベンてのはヴェン図眺めても出てこない閃き💡なのだから
「ヒラメキ」は論理で辿るものじゃなくジャンプするもの

凡人は常に天才の止揚を、後から検証することしかできないのだよ(笑)
699考える名無しさん:2015/02/05(木) 13:32:37.69 0
天才が持つ概念への逃げと依存

思考の放棄、自己欺瞞、自己正当化ですね。
700考える名無しさん:2015/02/05(木) 13:39:02.90 0
テーゼ/ジンテーゼ間の逆転を許容しない場合は、交差部分になる可能性はある。
ジンテーゼの「則且対自」の且(かつ)は、ANDの意味、論理積/交差部分。
なら、交差になる条件はどう考えようか?
701考える名無しさん:2015/02/05(木) 13:39:04.06 0
天才とは周囲が決定します。自身で天才を名乗る人間は
キチガイか馬鹿のどちらかでしょう。

ひとりノーベル賞でも楽しんでください。
702考える名無しさん:2015/02/05(木) 13:41:07.47 0
an und fur sich。undはand。
703考える名無しさん:2015/02/05(木) 13:51:41.97 0
フリーザです
704考える名無しさん:2015/02/05(木) 13:53:09.80 0
フリーザとは?教えてください。
705考える名無しさん:2015/02/05(木) 13:54:59.64 0
>>701は認識がちょっと違う

理由1. 天才はアイデアが飛んでいればいるほど常人には評価できない。
理由2. 天才が自分を客観視したとき自分を天才と判断せざるを得ない。

君みたいな人が天才を苦しめているのをわかってください。
お願いします。
706考える名無しさん:2015/02/05(木) 13:57:14.99 0
それは天才をキチガイに当てはめても成立しますね。
707考える名無しさん:2015/02/05(木) 14:02:35.53 0
フリーザ。ドラゴンボール?
708考える名無しさん:2015/02/05(木) 14:06:44.01 0
その通り。

反論1. しかし天才は知能・学力・社会生活・精神科の診断・判断力に問題がない。
反論2. そして常人は上記のいずれかで/いずれにも天才に劣っている場合もそれを認めない。
反論3. 常人はその正しさを人数で決定し、論理的に思考しない。

以上の点から常人にとって「天才とバカは紙一重」となる。ー
709考える名無しさん:2015/02/05(木) 14:15:13.90 0
あなたの論法であれば天才とは常人の能力+αが備わっているということになる。
710考える名無しさん:2015/02/05(木) 14:17:37.10 0
天才の話はさておいて、>>700についてご意見を伺いたいです。
711考える名無しさん:2015/02/05(木) 14:21:58.11 0
用心深いな、乗ってこないか。

では続けます。
であるならば天才とは常人を納得させるだけの手段を簡単に用意できるはず。
理解されないと喚いている自称天才はキチガイの側となる。

いかがでしょうか?自称天才さん?
712考える名無しさん:2015/02/05(木) 14:24:59.58 0
数式的に思考すれば包括概念なのですから。

それは
反論1. しかし天才は知能・学力・社会生活・精神科の診断・判断力に問題がない。
で定義されていますよね?

これは常人にも備わっている能力です。
713考える名無しさん:2015/02/05(木) 14:25:05.23 0
>>710 3人が錯綜しているような。 私は鈍才です。だから、お願いしているのです。
714考える名無しさん:2015/02/05(木) 14:27:30.42 0
.>>712 多謝、上位概念なのですね。
715考える名無しさん:2015/02/05(木) 14:34:36.04 0
交差部分を、外延とする、新たな新概念ですね。
716考える名無しさん:2015/02/05(木) 14:37:19.07 0
フリーザの件は変身するという意味からではありませんか?

真の天才とは上位概念。常人にも分かり易く説明できる人達です。
哲学者イエス・キリストしかりです。

常人を見下し理解しない君らが悪い。天才は孤独だ。と気取っている方々は
「天才だと思い込んでいる」あるいは自身が天才ではないと認識しつつ「天才を演じている」

悲しいピエロなんですよ。
717考える名無しさん:2015/02/05(木) 14:45:32.28 0
常人は天才よりも以下の点で劣っています
❶洞察力
❷発想力
❸問題解決能力

しかしこれらはスコアで客観評価できませんね
なので不充分ではありますがわかりやすい例として

❹知能指数
❺知識・技能
❻精神科の診断
をやむなく挙げました。

しかし、常人は❶〜❻いずれか、或いはいずれも劣っていても尚自分の卑小さを認めません。
そればかりか天才をバカやキチガイ呼ばわりします。
説明が簡単とかそういう問題ではありません。
むしろ背伸びしたバカの方が難解な言い回しで天才を煙に巻こうとします。

因みに、私は天才の事情がよくわかるだけで、天才を自称してはいません。
まだね。
718考える名無しさん:2015/02/05(木) 14:48:24.44 0
1.2.3は可能ですよ。
719考える名無しさん:2015/02/05(木) 14:58:34.59 0
>>718
そうでしょうか。
もしかしたら常人目線ではそうなのかも知れませんが、所詮常人は天才の下位互換です。
天才は常人の❶〜❸に驚かされることは少ないですし、即座に理解しますし
常人は天才の❶〜❸に反発したり、まぐれで片付けようとします。

可能とかどうでもいいことです
そりゃ可能でしょーよ、同じ人間として連続体なのだから
しかし常人と軽度の知的障害者にある隔たりが、常人-天才間にもあることを忘れないで下さい。
720考える名無しさん:2015/02/05(木) 15:14:03.18 0
仮想と現実にも関わりますが

天才が生み出した、発見したと思い込んだ「物理法則」
があったとしてここで証明が必要となります。

例えば天才が電子レンジ(電磁波)を利用してい時空をキャンセルできるとする。
常人は当然理解できない。では証明して見せろ。当然こうなりますよね?

あまり「洒落になっていない」例えではありますが

天才の証明は「電子レンジ()」にあります。
721考える名無しさん:2015/02/05(木) 15:15:00.65 0
マズイな・・・。早すぎる
722考える名無しさん:2015/02/05(木) 15:20:13.54 0
私は偽物の登場を危惧しているんですよ(まぁいいけどw)

たしかにソレはある。と私は知っていますよ。
2CHに鍵があるとは思えないが・・・。

「縁」ですかね。

月並みですがお互いがんばりましょう。
723考える名無しさん:2015/02/05(木) 15:46:44.27 0
相変わらず>>700は人にわかってもらおうとか
査読検証を受けたいって気が感じられない件
724考える名無しさん:2015/02/05(木) 16:03:10.16 0
ごめんなさい。ちょっと進むことができました。
ある程度まとまったらお示しします。
725考える名無しさん:2015/02/05(木) 16:17:43.89 0
>>723 厚かましいついでに、たとえば、ジンテーゼの「有」から下降して「質/量/マス」へ、、アンチテ-ゼの「現象」
から下降して「実存/現象/絶対的相関」へ。この下降の弁証法についてご教示頂けないでしょうか。、
726考える名無しさん:2015/02/05(木) 16:20:17.90 0
訂正:これらの下降の弁証法について
727考える名無しさん:2015/02/05(木) 16:25:10.13 0
訂正;ジンテーゼの「有」は、テーゼの「有」。
728考える名無しさん:2015/02/05(木) 17:39:09.73 0
「現象」からの下降は、「現象」の抽象性の克服?
「現象」とその一段上の「本質」とのジンテーゼとしての「実存/現象/絶対的相関」??
729考える名無しさん:2015/02/05(木) 17:45:50.23 0
>>723
未完なので、査読検証の段階ではありません。
730考える名無しさん:2015/02/05(木) 17:46:19.47 0
俺はヘーゲルに詳しくなりたいんじゃなくて
ただ弁論の仕組みについて知りたいだけなんだけど
731考える名無しさん:2015/02/05(木) 17:55:46.06 0
私も、弁論/対話/Dialektikの本質的な機構/仕組みを把握したくて右往左往。
732考える名無しさん:2015/02/05(木) 18:09:00.72 0
>>686
>>696

その1
(テーゼ) デスクトップパソコン (欠点:外では利用できない)
(アンチテーゼ) ガラケー電話 (欠点:ネットがサクサクできない)
(ジンテーゼ)タブレット型スマホ(テーゼとアンチテーゼの欠点を補い合った最高形態)

その2
(テーゼ)パンを食べる (欠点:味気ない)
(アンチテーゼ)サラダやハンバーグを食べる (欠点:食器が必要)
(ジンテーゼ)サンドイッチにする(アウフヘーベンし欠点を補い合った最高形態)

その3
正(定立):テニスがしたい。
反(反定立):強風でできない。
合(総合):悪天候でもできる体育館を作ろう。
733考える名無しさん:2015/02/05(木) 18:25:30.38 0
テーゼ;an-sich/即自、自己に則したテーゼ。
アンチテーゼ:fur-sich/対自、自己のテーゼに対する外界からの逆反応。
ジンテーゼ;an und fur sich/即且対自、両者のaufheben/止揚。

討論なので常にsich/self/自己に対するテーゼの位置づけが明示されている必要がある。即自、対自、即且対自です。
734510:2015/02/05(木) 18:29:54.97 0
>>686,696
「合」や「総合」は、両者を足し合わせたり混ぜ合わせたりするイメージではなく、
両者を一つに袋に入れる場合どんなラベルを付けるかというイメージです。ベン図で
考えるよりも、2分木のような形で考えた方が良いかもしれません。

    ジンテーゼ
     (合)
テーゼ(正)┻(反)アンチテーゼ

>>694
「弁証」法なのですから、テーゼを証明するのが第一目的であり、そのためのツール
であるはずです。ジンテーゼは証明の根拠であり、さらに次回のより高次の弁証での
テーゼとして使われるかもしれない重要なものではありますが、一回の弁証の中では
副産物という位置付けです。弁証の結論はあくまでテーゼが正しいかどうかです。

そこに挙げられている例の正反合への当て嵌めが正しかったとしても、証明になって
いないならば単なる頓智問答で終わってしまいます。

>>728
正:実存
反:現象
合:(本質との)絶対的相関(の有無)
と考えるとよいのではないでしょうか。
735考える名無しさん:2015/02/05(木) 18:32:18.96 O
>>729
未完成だから他人の意見が必要なんだよ、おたんちん。
736考える名無しさん:2015/02/05(木) 18:42:28.29 0
>>734
ですのでグラフ理論とトポロジーの勉強中。

そこでの合は、あくまで、実存-現象の合ですが、下降の場合は、本質-現象の合として「実存-現象-本質的相関」へ下降して抽象性を克服!
整合性がありますね!!
737考える名無しさん:2015/02/05(木) 18:51:24.27 0
即自のより高位での回復が合ですね。
738考える名無しさん:2015/02/05(木) 19:04:26.02 0
今時の若者はさ、頭が観念的なものに
染まりすぎてんだよ。単純にな。
人工娯楽というか、生まれたときから
バーチャルなものに囲まれて他人の評価を受けない
ところで過ごして。思考を自己純粋化しすぎてて、萎える。もっと主体性をもって
能動的に社会と繋がっていくべきだと思うね。
なにも哲学の勉強を批判してるわけじゃない。
哲学用語を記号のように操作するのではなく、人口に膾炙するように自分たちの言葉で説明すべきなんだよ。

そうは思わんかね。
739考える名無しさん:2015/02/05(木) 19:15:09.62 0
純粋に哲学を愛する人間はメディアに雑誌に哲学用語をファッションのように
ギラつかせたりしない。
理解者は分かり易い切り口で丁寧に諭しますよ。子供にも分かるようにね。

そして晴耕雨読。
740考える名無しさん:2015/02/05(木) 19:26:29.86 0
当方、哲学にど素人、専門家に教えて頂きたいこと山積。効率的に教えを乞わんとてつい、の仕儀。
弁証法の工学的応用に興味あり。
741考える名無しさん:2015/02/06(金) 00:59:25.15 0
がんばれおっさん
だがここの住人は屁理屈をこねれる自分に酔ってるだけかも
742考える名無しさん:2015/02/06(金) 03:18:36.94 0
まずヘーゲルについて学ぶべきかも知れない。
弁証法と統一、統一と表象、そこで提示される世界観について。
更に、そこにおいて、統一から外れるものは、それ自体として認められうるか。
743考える名無しさん:2015/02/06(金) 03:27:04.31 0
the primacy of identity,however conceived,defines the world of represantation.
but modern thought is born of the failure of represantasion,of the loss of identities,
and of discovery of all the forces that act under the representation of the identical.
the modern world is on of the simulacra. man did not survive god,nor did the identity of the subject survive that of substance。‘

diffrence and repetition
744考える名無しさん:2015/02/06(金) 03:54:19.70 0
同一性はsimulateの効果でしか無いと言うことが言われてる。
つまりより根本的なのは、同一性が同一-矛盾において形成する表象体系の世界ではなく、それを効果として形成するシミュラークルの世界であると。
745考える名無しさん:2015/02/06(金) 03:55:35.68 0
ドゥルーズもヘーゲルも出発点は同じという感じがする。
746考える名無しさん:2015/02/06(金) 04:05:07.83 0
つまり何が言いたいかというと、まずは本を読むべきだと思った。
弁証法を論じるより先にヘーゲルを読む、差異を論じるより先にドゥルーズを読む。
747考える名無しさん:2015/02/06(金) 04:11:15.23 0
特に何もいうべき事がない時は古典を読むといえばいいんじゃないかと思う。
748考える名無しさん:2015/02/06(金) 04:11:48.04 0
○古典を読むといい、
749考える名無しさん:2015/02/06(金) 04:23:23.23 0
上は序文だが、ついやってしまった。
750考える名無しさん:2015/02/06(金) 04:55:37.95 0
議論の最中に無意味に乱入して、感想をつぶやいてすまない。
751考える名無しさん:2015/02/06(金) 05:08:17.07 0
極力口出しは控えるから勘弁して下さい。
752考える名無しさん:2015/02/06(金) 05:21:38.41 0
悪感情は持ってないです。無意識に皮肉りたくなる悪戯心はたまに生じる。
753考える名無しさん:2015/02/06(金) 05:25:42.66 0
教養がないとそういう事しか出来ない。その窮屈さを感じる。
消えるよ。
754考える名無しさん:2015/02/06(金) 05:34:06.02 0
黙る、言う事はない。。。
755考える名無しさん:2015/02/06(金) 08:31:10.39 0
「身近な例を用いて説明しろ」ってアンチテーゼが出てるのに
一向に噛み砕いて説明しない510自身がジンテーゼできてなくて笑える

こういう使い方でよろしいか?w
756考える名無しさん:2015/02/06(金) 16:27:49.65 0
585 :510:2015/01/05(月) 21:02:32.07 0
(584の訂正)
そして、止揚あるいは揚棄という言葉は抽象化のことを意味します。正か反か
を分ける部分を棄てて共通部分を取り出すことで、より抽象度を揚げるという 
ことです。

688 :考える名無しさん:2015/02/03(火) 23:33:03.36 0
人殺しの国と人殺しはダメだという国に共通するもんなんてねーだろw

690 :510:2015/02/04(水) 00:00:09.76 0
>>688
まず国という共通点があります。また人殺しについて何らかの共通点も見出せそうです。
命題の形になっていないので、実際に何を共通点とすべきかは特定できませんが。
二つのものを「絶対に相容れない」と判断するには、「何について」という判断の条件
があり、その「何」は両者に共通しているはずです。

738 :考える名無しさん:2015/02/05(木) 19:04:26.02 0
今時の若者はさ、頭が観念的なものに
染まりすぎてんだよ。単純にな。
人工娯楽というか、生まれたときから
バーチャルなものに囲まれて他人の評価を受けない
ところで過ごして。思考を自己純粋化しすぎてて、萎える。もっと主体性をもって 
能動的に社会と繋がっていくべきだと思うね。
なにも哲学の勉強を批判してるわけじゃない。
哲学用語を記号のように操作するのではなく、人口に膾炙するように自分たちの言葉で説明すべきなんだよ。
そうは思わんかね。

739 :考える名無しさん:2015/02/05(木) 19:15:09.62 0
純粋に哲学を愛する人間はメディアに雑誌に哲学用語をファッションのように
ギラつかせたりしない。
理解者は分かり易い切り口で丁寧に諭しますよ。子供にも分かるようにね。
そして晴耕雨読。
757510:2015/02/06(金) 19:43:26.98 0
>>755
それでもよろしいですよw。私が何か困るわけではありませんのでw。

身近な例と言われても適当な命題が思い浮かばないので >>679の例(正しいではなく
悪いとする方をテーゼとしましたが)を使ってみます。実際は以下のように単純では
ないでしょうし(もっと複数のアンチテーゼやジンテーゼが出てくると思われます)、
正反合の当て嵌めも適切とは言えないかもしれませんが、イメージを掴むのにいかが
でしょうか。
                                       ・・・
                           人命は尊重されるべき(正)┻(反)人命は軽視されてよい
                               (合)
                        殺人は悪い(正)┻(反)殺人は許される
                        (合)
               テロ行為は悪い(正)┻(反)テロ行為は許される
                 (合)
        テロ国家は悪い(正)┻(反)テロ国家は許される
          (合)
イスラム国は悪い(正)┻(反)イスラム国は正当

あるいはジンテーゼが否定されるべき命題になるとして、次回の弁証でアンチテーゼ
の側に置くような形になることもあるでしょう。言い回しの問題というか、今回の例
で言えば「テロ国家であることを根拠に、イスラム国は悪い」とした場合などです。
            ・・・
       人命尊重(正)┻(反)人命軽視
        (合)
人を殺さない(正)┻(反)殺人
            (合)
     日常の行為(正)┻(反)テロ行為
                 (合)
          一般の国家(正)┻(反)テロ国家
                      (合)
            イスラム国は悪い(正)┻(反)イスラム国は正当
758考える名無しさん:2015/02/06(金) 20:20:04.79 0
The Anthyphairetic Revolutions of the Platonic Ideas
Stelios Negrepontis

Abstract.
In the present work Plato’s philosophy is interpreted as an imitation,
a close philosophic analogue of the geometric concept of a pair of lines
incommensurable in length only and of its (palindromically) periodic
anthyphairesis.
759考える名無しさん:2015/02/06(金) 23:34:55.89 0
Mathematics and Dialectic in Plato's "Theaetetus".
Paul Anthony Stevens - 2008

The difference between antanairesis and anthyphairesis is as follows:
antanairesis has to do with the unique series of interpolated pairs
of arithmetic and harmonic means whereby an irrational root is "handled"
while anthyphairesis has to do ...
760考える名無しさん:2015/02/06(金) 23:38:50.05 0
ユークリッドの互除法⇔プラトンの対話
     ↓↑      ↓↑
   連分数計算 ⇔  弁証法
761考える名無しさん:2015/02/06(金) 23:47:21.64 0
コモンセンスを追求するとはどういうことか?
762考える名無しさん:2015/02/06(金) 23:58:35.30 0
しかし、この矛盾は世界と人間という2つの要因の本性の中にその根を持つというだけではなく、
又全知的進歩の主要な梃子であり、人類の無限の進歩の中で毎日毎日、不断に解決されてもいる
のである。それはちょうど、例えば数学の課題が無限級数や連分数で解かれるようなものである。
(マルエン全集第20巻34-5頁)
体系、das System - マキペディア(発行人・牧野紀之) - Gooブログ
763考える名無しさん:2015/02/07(土) 16:22:31.18 0
>>757
その例は全く相応しくない。
>>1の方が優れている。
764考える名無しさん:2015/02/07(土) 21:34:48.25 0
アウフヘーベンは改良のことだから間違ってるね
765考える名無しさん:2015/02/08(日) 16:12:29.49 0
     ⊂二 ̄⌒\ 
          )\   ( 
         /_     ) 
 /⌒\    //// /_∧ 
/    \ / / / //(´∀`*)  弁 償 し て く だ さ い 
|      |/ / / (/\⌒    ⌒ヽ 
\     |((/    \     | \  へ 
 \    |\_____\    |\ V / 
  )     )        ̄ ̄ ̄ ̄\\__'っ 
  |    /⌒\__ノ        |\__ 
  \_ノ        ̄ ̄―___ノ___ ̄―⌒\ 
                            ̄ ̄\_⊃ 


  __ _________
      r | |――┐  r――  ヽ <利息つけて返してやるよ!
      L.! !_∧_∧ Li__   \
       ._| |(  ゚∀゚) ||____    \_              (~ヽ       .. .
     (_| |/   /つ⌒ヽ  i     \)         /⌒ヾ .\\_   :・:∵:
        \ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄"''' - ..,,  人 /⌒ヾ / \\ ̄ヽ∴: ゲハァッ
      _  \_/⌒ヽ________/⌒ヽ  て   / ノテ-ヽ( 。Д。)二二つ
        ヽ      _ノ r―――─―――┐ _ノ ドカッ/ / /   ∨ ̄∨
         |  ____| 三三三三三三三.|__l__    / / | |
      | ._|--[_______________] / __) ノ )
     ノ.|  |    ===========[___]======='   ー'    し'
   ヽ_ノ_ノ               ヽ__ノ_ノ
766考える名無しさん:2015/02/09(月) 00:34:09.71 0
辨辯辮辧瓣弁
767考える名無しさん:2015/02/09(月) 11:51:18.87 0
>>757 
1行目「人命〜」と2行目「殺人〜」までは、どちらかというと道徳の問題。
3行目はどちらかというと、人倫での市民社会の問題。
4行目以下は、人倫での国家の問題。

ご呈示のテーゼ展開はどう考えたらよい、自問自答。要は、弁証法で下降と上昇の問題を継ぎ目なく導入?してその系列でどのような状態を結論とみなす?(>>736)。
768考える名無しさん:2015/02/09(月) 12:41:33.21 0
どのような状態を結論〜

要は正しい弁証論理の展開を希求。
769考える名無しさん:2015/02/09(月) 13:28:13.56 0
<<正しい>>
どちらかというとヘーゲル大論理的推論に依拠し、かつ検証された、
770考える名無しさん:2015/02/09(月) 13:33:07.24 0
「ヘーゲルの弁証法は偽である」っていう命題はここの専門家さん(笑)によるとジンテーゼ
できるのかな?
できないのかな?
771考える名無しさん:2015/02/09(月) 14:02:59.19 0
「その現代的意義についての認識了解へ」?
772考える名無しさん:2015/02/09(月) 17:05:38.85 0
>>771 「その  は ヘーゲルの弁証法  を指します。
「  」の中は、意味的に、>>770の云うジンテーゼを指します。
773510:2015/02/09(月) 21:17:59.89 0
>>770
専門家(笑)と言われているのは私のことでしょうか? 私は専門家でも何でもなくて
全くの素人です。弁証法について要領を得なかったので、自分なりに再構成した考え
を元にこのスレに書き込んでみたというわけで、自分はこう考えているが本当の所は
どうなのかと寧ろお聞きしたかったくらいなのですが、妙な展開になってしまったと
いう心持ちです。w

>>767
そのように言われますと、どうも >>757の方法は良くないようですね。
止揚のやり方が難しいので、複数の弁証を重ねる形にすれば単純でわかりやすく実現
できるかもしれないと考えたのですが。

>>757 の例は、国家の正しさについての命題ですので、本当は倫理だけでなく法的な
根拠や国際社会からの承認とかそういった観点からの命題も多々現れてくる中での、
倫理に関する部分だけを取り出していますから、道徳の問題へ向かうのも良いのでは
ないかと思ったのですが、次元が違い過ぎるきらいはありますでしょうか。レスの中
でも断っていますように、弁証の内容自体はあまり深く考えないで下さいw。
774510:2015/02/09(月) 21:20:48.26 0
>>764
本来の止揚は、一回の弁証の中でテーゼとアンチテーゼの間を何度も行ったり来たり
を繰り返してジンテーゼを高めていくようなイメージである思います。この行ったり
来たりが「否定の否定」と呼ばれるところであり、単純な否定による行き来だけでは
テーゼとアンチテーゼが繰り返し現れるだけなので、否定と同時に何かしらの発想に
よって高めながら上昇させていくところが「螺旋階段状に」「捨てて持ち上げる」と
言われるところだと思われます。

仰られている改良というのは、上記の発想の部分によるものだと思います。
例えば「質ー量ー尺度」は尺度によって両者を区別していますが、大きな量の変化が
質の変化をもたらすという点で両者を併せるものという発想を得ることができます。
「同一ー区別ー矛盾」は矛盾によって両者を区別していますが、A=A以外は矛盾と
するのか、AとBの共通する属性を以って比べるのかなど、矛盾の定義について発想
を得ることができます。そのような止揚によって得られる弁証法の効能の一つとして、
改良があると思われます。
775510:2015/02/09(月) 21:22:00.74 0
>>763
>>1が本当に命題の弁証になっていますでしょうか。それについては寧ろ以下の方が
良いように思います。

正:月は地球に落ちてもこないし、遠ざかってもいかない
反:月は地球に落ちてくる、または遠ざかっていく
合:月と地球の間には、引力と、慣性力による見かけの力である遠心力が働いている
(見方によっては、月は引力によって地球に落ち続けている、という部分で両命題を
 併せているとも言える)
776考える名無しさん:2015/02/09(月) 22:11:48.57 0
「空を見ろ!」
正:「鳥だ!」
反:「人だ!」
合:「いや、スーパーマンだ!」
777考える名無しさん:2015/02/09(月) 22:13:40.68 0
ジンテーゼ:スーパーマン=鳥のように空を飛ぶ人
778考える名無しさん:2015/02/09(月) 22:27:26.07 0
「空を見ろ!」
正:(なんてデカイ奇妙な)「鳥だ!」
   ↓ 否定(鳥はあんな姿をしていない)
反:「人だ!」
   ↓ 否定(人が鳥のように空を飛ぶはずがない)
合:「いや、スーパーマンだ!」(納得)
779考える名無しさん:2015/02/10(火) 01:18:17.44 0
LOOK,
its a bird,
its a plane,
NO ITS SUPERMAN!!!

no wait, its a bird
780考える名無しさん:2015/02/10(火) 08:31:14.19 0
ユークリッドの互除法⇔プラトンの対話
     ↓↑      ↓↑
   連分数計算 ⇔  弁証法
781考える名無しさん:2015/02/10(火) 14:25:56.83 0
>>757
実は弁証法わかってないでしょ、あんた。
782考える名無しさん:2015/02/10(火) 15:07:57.81 0
ヘーゲルの弁証法って抽象化とは何が違うのん?
783考える名無しさん:2015/02/10(火) 15:57:55.92 0
そうだよな。
そんなに抽象化したかったら全部「the thing」で終わるよな。
784考える名無しさん:2015/02/10(火) 18:24:10.32 0
ゲーゲル弁証法は具体化がいのち。テーゼ/普遍的抽象的概念、アンチテーゼ/特殊的概念、ジンテーゼ/具体的個別概念。
彼の論理学の進展は、終結、最も具体的なもの、主体、を目指して進む。具体こそいのち。
785考える名無しさん:2015/02/10(火) 18:25:58.46 0
ゲーゲルはヘーゲル。
786考える名無しさん:2015/02/10(火) 19:26:18.94 0
つまり絶対精神はもっとも具体的なもの?
787考える名無しさん:2015/02/10(火) 19:33:03.56 0
詳しくないから間違えてるなら指摘してほしいんだけど
ヘーゲルは過去からの人間の道徳的価値観みたいなものを
モデル化すると弁証法的発展をしていて
それは最終的には絶対精神(=神)に
到達するための中途段階である

みたいなことを言ったんじゃないの?
だとすればテーゼもアンチテーゼも同レベルの
抽象度にならんかな?

詳しい人、フルボッコにしてくれ
788考える名無しさん:2015/02/10(火) 19:49:01.58 0
絶対精神じゃないw
世界精神
789考える名無しさん:2015/02/10(火) 19:56:53.47 0
弁証法とは、人類に在る
「創造−破壊−新たな創造」
という傾向を指し、
それを肯定する考え方

それ以外の説明する人はウンコ💩
790考える名無しさん:2015/02/10(火) 20:39:10.04 0
>>786
ヘーゲル哲学ど素人の答え。詳しい人、助けて。
絶対、Ab-solute:Solute溶ける/解ける(solution溶液)、Ab-離れて/去って、すなわち、
絶対=「自立」。

絶対的なるもの/絶対者:究極の目的、これは、「実体Substanz」として把握されねばならない。実体なるゆえの自立性、絶対性を求めて。 さらに進んで、絶対者は、「否定の否定、高次の肯定」、として、「精神」、「主体」として把握されることが求められる。
791考える名無しさん:2015/02/10(火) 21:32:46.07 0
実体と具体個物の関係:世界のうちに存在する多様な有限的個物は、実体が自己を有限化することによって帰結するところの、「実体」自身の単なる「様態Modus」としてとらえられる。ヘーゲル事典「実体」より。
792考える名無しさん:2015/02/10(火) 21:34:06.85 0
神も自立者?
793考える名無しさん:2015/02/11(水) 08:18:50.15 0
「弁証法とは共通点を探して抽象化すること」(猛苦笑)

だから具体性ゼロのモヤっとした議論しかできないのか
794考える名無しさん:2015/02/11(水) 08:34:07.18 0
ヘーゲルの弁証法的歴史観って間違いだよね?
だって、ある事実を恣意的に抜き出して、テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼにしてるじゃん?
早い話が、結果論だよね?
だったら未来予測としての正当性はないよね?
マルクスもね
795考える名無しさん:2015/02/11(水) 12:00:54.37 0
モヤっとした議論にモヤっとした道をつけて進歩に道を開いてほしい。
796考える名無しさん:2015/02/11(水) 12:51:23.55 0
モヤっとするのは自分でもわからないからだよ
話を聞く必要はない

>>794
進歩は必然
問題はどう進歩するかわからないとこ
予測できたらとっくにやってる
797考える名無しさん:2015/02/11(水) 14:40:20.82 0
>>問題はどう進歩するかわからないとこ   だね!
ピケティさえも、受け身の対策。
798考える名無しさん:2015/02/11(水) 16:58:11.37 0
>>794 ヘーゲルは、体系の大の尊重家、恣意と戦った。
799考える名無しさん:2015/02/11(水) 19:36:11.12 0
弁証法で未来は予想出来るなんて言ってる人がいるけど
間違いだよな?
800考える名無しさん:2015/02/11(水) 19:40:41.02 0
厳密に言えばできるよ。予測ではなく操作。
801考える名無しさん:2015/02/11(水) 19:44:06.89 0
なんとでも置き換え可能って意味で?
802考える名無しさん:2015/02/11(水) 19:47:46.12 0
お前が受験勉強中だったとする。

勉強しなければ不合格の未来。
勉強すれば合格の未来。

勉強しても落ちるのは勉強していない証拠。言い訳。
偽の勉強

本当に勉強したら合格する。
803考える名無しさん:2015/02/11(水) 19:49:34.42 0
哲学的に言えば100%にする為の「真実」がそこにある。ってことだな。
804考える名無しさん:2015/02/11(水) 19:53:06.36 0
人間から先の領域に踏み込みたければまず人間を極めてからだ。
805考える名無しさん:2015/02/11(水) 19:57:36.83 0
そうすれば思念だけで書き込むこともできる。
806考える名無しさん:2015/02/12(木) 09:00:42.12 0
>>757
それ程誤った認識で延々と解説できるのは妄想に近い
807考える名無しさん:2015/02/13(金) 00:26:39.13 0
小便砲
808考える名無しさん:2015/02/13(金) 09:18:00.46 0
(例)「日本人について」弁証法でサラッと考えると

 (1)テーゼ(命題):日本人は優しい
 (2)アンチテーゼ(反対命題):日本人は優しくない
 (3)ジンテーゼ(総合命題):日本人には優しい人もいれば、優しくない人もいる
809考える名無しさん:2015/02/13(金) 09:30:28.61 0
ぜんぜんダメじゃん
(3):日本人は優しいときもあれば、優しくないときもある
(3):日本人が優しいか否かは相手による
(3):日本人が優しいか否かは私の気分による
全部、成立してしまいますね
810考える名無しさん:2015/02/13(金) 11:26:53.50 0
(2)日本人には、優しい人も、優しくない人も、その程度は人さまざま
(3)その程度は、各人に固有だが、世界平均で、どちらかといえば優しい方に偏っている人が多い
811考える名無しさん:2015/02/13(金) 11:41:02.27 0
>>810 (3)の末尾に追加、<<〜に偏っている人が多い、それが日本人>>
812考える名無しさん:2015/02/13(金) 11:54:45.90 0
そもそも弁証法のテーゼ、アンチテーゼって
単にある事象の真偽を当てはめるものではない気がするんだけど
どうなの?
813考える名無しさん:2015/02/13(金) 12:19:19.68 0
>>812
いわゆる「形式論理」ではないね。
以下、ヘーゲル哲学にど素人の理解。
彼にあっては、語の使用は、「Logics=言語技術」にしたがうべき。
かれにあっての「言語規定」=「論理規定」に従うべき。これはシステム化、体系化されていて、>>810,811では、
彼の論理系の、「存在論」の下位規定の「質、量、尺度」に従って展開してみた。
なお、彼の体系は今は時代遅れとされてる。、
814考える名無しさん:2015/02/13(金) 12:46:13.82 0
Logos、言葉、意味。初めに言葉ありき、精神。
言葉の使用技術 logics。
815考える名無しさん:2015/02/13(金) 13:58:51.35 0
言語〜思考

「対象の認識」、これを深めるための言語使用。より深く、質<量<尺度。
816考える名無しさん:2015/02/13(金) 14:16:21.80 0
◆ 「弁証法」とは?
ヘーゲルの弁証法を構成するものは、ある命題(テーゼ=正)と、
それと矛盾する、もしくは否定する命題(アンチテーゼ=反対命題)、
そして、それらを統合した命題(ジンテーゼ=合)の3つである。

「テーゼ」 VS 「アンチテーゼ」 → 「ジンテーゼ」

※「ジンテーゼ」は単純に「テーゼ」と「アンチテーゼ」のいいトコ取りではない。
「テーゼ」と「アンチテーゼ」のなかで葛藤が在りより高い概念で答えが出ること。
817考える名無しさん:2015/02/13(金) 14:23:24.33 0
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
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818考える名無しさん:2015/02/13(金) 14:39:51.33 0
「空を見ろ!」
正:「鳥だ!」
反:「人だ!」
合:「いや、スーパーマンだ!」
819考える名無しさん:2015/02/13(金) 14:54:12.62 0
テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼは、即自、対自、即且対自の関係。
>>816,<<ある命題(テーゼ=正)と>>ではなく、テーゼは「、即自」的命題。ある任意の命題ではない。

即自Ansichとは、自分に密着し、自分の本生をぴったり身につけているが「無自覚」的な状態。
その段階から、対自、即且対自へと高まることが予料された命題と思う。
820考える名無しさん:2015/02/13(金) 14:56:31.29 0
>>818のテーゼは、即自的でOKと思う。
821考える名無しさん:2015/02/13(金) 15:01:17.69 0
即自Ansichの状態から、胎児という矛盾を孕んで、お産で新生児が生まれるんですねw
822考える名無しさん:2015/02/13(金) 15:08:14.11 0
Yes,Yes。子供>青年>大人。種から大木など。
823考える名無しさん:2015/02/13(金) 15:17:53.94 0
>>821,822は経時的な進展、運動。
>>818は共時的な認識深化。
824考える名無しさん:2015/02/13(金) 15:42:03.84 0
実用性皆無な上、深みもなく、お遊びにすらなってないんだなあと改めて思った
825考える名無しさん:2015/02/13(金) 15:44:37.25 0
期待しすぎ。
826考える名無しさん:2015/02/13(金) 16:07:55.83 0
べんしょうほう【弁証法】《dialectic》
自己の内にある矛盾をみずからの発展によってなくして、あたらしく統合された統一に到達する理論。

ジンテーゼ《synthesis》
あらたな高次の概念によってテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)を統一し、矛盾を解決すること。総合。統合。合。
(新選国語辞典 より)
827考える名無しさん:2015/02/13(金) 21:18:47.92 0
利尿性
利便性
弁償せい
828考える名無しさん:2015/02/14(土) 08:55:39.70 0
私を、理解してくれた人間は、一人だけだった。
しかも、彼でさえ、本当に理解してはいなかった。
-   ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

歴史を学ぶと、いかに歴史から学ばないか、学べる。
 - ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

真なるものは、全体からなるもの。
 - ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

自分が、他人に隷属するのは、自身の責任であり、
国家が、他国の奴隷となるのも、民族の意志である。
 - ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

友よ、太陽に向かって、努力せよ。
 - ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

世界史とは、自由の意識の進歩以外の何物でもない。
 - ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
829考える名無しさん:2015/02/14(土) 13:22:19.93 0
>「ソフィストは、我々の[歴史的]学殖とはまさしく反対のものである。
>我々の[歴史的]学殖はたんなる知識に向けられており、存在しているもの・
>存在していたものを探求するにすぎない。それは経験的な素材の集積にすぎず、
>そこでは、新たな内容の発見、新たな虫けらないしその他の害虫やダニの
>発見が、偉大な幸福とみなされる。その限りで我らが学殖ある教授連は、
>ソフィストよりも潔白である。しかし哲学は、かかる潔白さに一文の値打ちも認めない」。
- ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
「ヘーゲルを裁く最後の審判ラッパ」、p.198
830考える名無しさん:2015/02/14(土) 13:27:20.64 0
>「彼ら[歴史記述者]は、ある絵を描いた画家の歴史を詳しく語り、その絵の運命や、
>時代々々にどれほどの値がつけられ、誰の手中に帰したかを語ってくれるが、
>しかし彼らはその絵そのものに関しては我々に何も見せてはくれない」
- ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
「ヘーゲルを裁く最後の審判ラッパ」、p.196

>「学殖とは、主として無益な事柄をたくさん知ることのうちにある。つまり知識
>それ自体をもつという以外には何の関心も内容も持っていないということである」

>「ひとは、自分が一番知らない事柄についてもっとも学識豊かでありうる」
- ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
「ヘーゲルを裁く最後の審判ラッパ」、p.196
831考える名無しさん:2015/02/14(土) 14:15:24.20 0
>>828-830
>なにいってるかわからん
・名無しさん
832考える名無しさん:2015/02/14(土) 16:07:38.29 O
名言が理解不能かどうかでその哲学者が優秀かどうかわかるね
833考える名無しさん:2015/02/14(土) 18:01:06.07 0
理解不能であればあるほど名言である。まずはarchive。
834考える名無しさん:2015/02/14(土) 21:40:30.79 0
その理屈で行くとタックル!も名言だね
猿が適当に打っても名言だくぁwせdrftgyふじこlp
835考える名無しさん:2015/02/14(土) 21:50:26.17 0
だくぁwせdrftgyふじこlp

濁  汗(w)汗 dr(ink) f(inal) t(ong) g(u)y 不二子  液化石油ガス
836考える名無しさん:2015/02/14(土) 21:52:31.64 0
ぜんぶおまえがカスだからだろで返してきます
837考える名無しさん:2015/02/15(日) 01:02:10.82 0
なにいってるのかわからない。カスというお前がカオス
838考える名無しさん:2015/02/15(日) 17:21:18.49 0
ヘ−ゲルの弁証法で一番重要な概念は、アウフヘ−ベン(止揚)である。
アウフヘ−ベンは、廃棄(=否定)するという意味と、高める(=肯定)という意味との
“二様の意味”を持っている。
ここで、アウフヘ−ベンが矛盾するのは、廃棄し否定の意味は、否定されたものは保存されずに
完全に廃棄されることである。従って、ジンテ−ゼ(=合)の“領野”に於いて、否定と肯定の概念が
“同一合体”した論理はありえない。
839考える名無しさん:2015/02/15(日) 18:00:51.43 0
正反合と、弁証法の即自対自即且対自は馴染まない。したがって止揚とも馴染まず。
840考える名無しさん:2015/02/15(日) 18:03:56.84 0
正テーゼ、反アンチテーゼ、合ジンテーゼの表現。ヘーゲル自身も、この表現は使っていないそうだ。
841考える名無しさん:2015/02/15(日) 18:50:16.30 0
 「合」は「総合」にシフト。止揚になじまない。普遍から具体へ

分析は具体から、普遍。
842考える名無しさん:2015/02/15(日) 21:05:46.38 0
ごちゃごちゃ言ってないで、原典からドイツ語で引用してきな
843考える名無しさん:2015/02/15(日) 21:23:30.41 0
SUHRKAMP版、ヘーゲル全集 Werke 5,S100(第5巻、ページ100)
上から9行目から20行まで。
844考える名無しさん:2015/02/15(日) 21:31:17.73 0
索引付けは引用ではないよ
845考える名無しさん:2015/02/15(日) 21:31:25.14 0
>>842 語数で100語以上、移すの大変。
本はめちゃ安いから、買って読んだら?
846考える名無しさん:2015/02/15(日) 21:44:15.20 0
なお、Werke 5 は、Wissenschaft der Logik 1 。
847考える名無しさん:2015/02/16(月) 00:43:25.55 0
無鉄砲やけくその便焼砲
848考える名無しさん:2015/02/16(月) 10:49:22.47 0
きょうび、ヘーゲルの弁証法にとらわれていたら、前へ進めない。
849考える名無しさん:2015/02/16(月) 12:47:17.85 0
囚われるのはなんであれ良くない
ヘーゲルは自明のシステムを明らかにしただけ
なんか深いものと思って理解に時間をかけるのは1mmも理解できてない証拠
850考える名無しさん:2015/02/16(月) 12:48:19.02 0
出てこいよ、雑魚。
851考える名無しさん:2015/02/16(月) 13:25:02.93 0
>>849
自明のシステム?
852考える名無しさん:2015/02/16(月) 13:26:50.67 0
ユークリッドの互除法⇔プラトンの対話
     ↓↑       ↓↑
   連分数計算 ⇔  弁証法
853考える名無しさん:2015/02/16(月) 13:26:56.83 0
自明を明らかに??
854考える名無しさん:2015/02/16(月) 13:31:59.37 0
>>852
説明お願い!
855考える名無しさん:2015/02/16(月) 13:36:51.34 0
暗黙の、に訂正
何れにせよ違和感は残るが
856考える名無しさん:2015/02/16(月) 13:44:37.50 0
>>855
???????
全文?
857考える名無しさん:2015/02/16(月) 13:46:04.94 0
暗黙のシステム?
858考える名無しさん:2015/02/16(月) 13:47:53.73 0
暗黙のシステム、歴史依存、内容を要説明。
859考える名無しさん:2015/02/16(月) 13:51:42.13 0
二段階の啓蒙まで考えてそうで面倒くさい。啓蒙自体には賛成だがそれには乗りたくない。
860考える名無しさん:2015/02/16(月) 13:52:18.37 0
所詮、無理ね。
861考える名無しさん:2015/02/16(月) 13:52:21.31 0
そう言う事をされるとやる気がなくなる。
862考える名無しさん:2015/02/16(月) 13:53:38.62 0
俺は849じゃないけど何となく分かるじゃないか。
当たり前の思考のシステムを明示的に叙述しただけで、ヘーゲルは新しい事を何も付け加えていない、とそういう感じでしょ。
863考える名無しさん:2015/02/16(月) 13:56:52.47 0
二段階の啓蒙?  弁証法との関係を簡単に。
864考える名無しさん:2015/02/16(月) 13:58:40.92 0
積極的な人物Aを啓蒙する、彼を見てその積極性に触発されて自己啓蒙する。

弁証法はヘーゲルを読んだことがないので知らない。
865考える名無しさん:2015/02/16(月) 14:00:26.30 0
○積極的な人物Aを啓蒙する、彼を見た他の人々がその積極性に触発されて自己啓蒙する。
866考える名無しさん:2015/02/16(月) 14:02:42.16 0
リクエストに答えたんだから何かいいなよ。
867考える名無しさん:2015/02/16(月) 14:03:12.32 0
まあヘーゲル読みなよ。
読んで理解できないならどうしようもない。
868考える名無しさん:2015/02/16(月) 14:10:19.48 0
でこれも微妙にとはいえ啓蒙に資する。
そういうものだろう。
869考える名無しさん:2015/02/16(月) 14:10:50.87 0
妄想的な部分も含めてそれなりに媒介になる。
870考える名無しさん:2015/02/16(月) 14:14:11.80 0
啓蒙は大賛成でそこから人が良くなるのは全然良いんだけど、啓蒙は見てて疲れる種類の啓蒙もある。
871考える名無しさん:2015/02/16(月) 14:36:31.82 0
「ヘーゲルを読む」っていう意味がわからない
要は「発展するとは問題点を見つけて解決していくこと」てだけだろ
その程度のことでよく一冊の本がかけるな

ヘーゲルの読者は一口に言って勿体つけ商法のカモなんじゃないのか
872考える名無しさん:2015/02/16(月) 14:38:29.56 0
間違ってた。
口出ししてすまん。
873考える名無しさん:2015/02/16(月) 14:39:25.25 0
>>866
啓蒙として、思考に弁証論理を導入、OK。

 いまは、啓蒙の時代を通り越して、現象学、実存主義を通り越した時代。
思考としての弁証論理の限界が知りたいのです。
874考える名無しさん:2015/02/16(月) 14:39:49.55 0
>>871
そんな訳ないよ。
読んでないのに何で分かるの。
875考える名無しさん:2015/02/16(月) 14:41:02.84 0
弁証法は一つの思考法だが、即自存在(正)→対自存在(反)→総合命題(即且対)の
三段的思考が、我々が思考する過程に於いて“整合性”があるのかと言うことを論理的に
>>838のように論究することが必要と思う。
876考える名無しさん:2015/02/16(月) 14:42:01.36 0
>>871
そう言って言えないこともないんだろうけど、それがすべてじゃないだろう。
それからそうまとめても余り意味がない。

つまりはヘーゲルが無意味なんじゃなくて、必ずしも外れてるとは言えないそういうまとめが余り有益で無いと言うことだとおもう。
877考える名無しさん:2015/02/16(月) 14:48:30.03 0
>>875

>>839,>>840は既知として、>>873のことが知りたい。
878考える名無しさん:2015/02/16(月) 14:55:22.24 0
いかに事物の関係をつけて行くかという事じゃないの?
A,Bというものがある時にこれにどういう関係をつけるか。
879考える名無しさん:2015/02/16(月) 15:13:56.66 0
やばい、全然抑制が効かない。すまん消える。
880考える名無しさん:2015/02/16(月) 21:39:45.08 0
うつ病に典型的な症状
881考える名無しさん:2015/02/17(火) 09:24:42.93 0
カントの道徳論

(1)自己に対する完全義務:自殺の禁止、
(2)他者に対する完全義務:嘘の約束の禁止
(3)自己に対する不完全義務:才能の浪費の禁止
(4)他者に対する不完全義務:他人を助けるべし

参考URL:http://www.let.osaka-u.ac.jp/~irie/kougi/kyotsu/2002ss/2002A09ethics1.htm
882考える名無しさん:2015/02/17(火) 10:19:52.00 0
>>881
カントの道徳論に対するヘーゲルの批判、あるはず、要点だけ教えて。
883考える名無しさん:2015/02/17(火) 10:57:50.85 0
どうでも良かったな。。。
暇なだけだ 何かやらないとだめだ
884考える名無しさん:2015/02/17(火) 11:01:36.78 0
他人に乗せられても別にいい
885考える名無しさん:2015/02/17(火) 11:40:16.17 0
だね!
886考える名無しさん:2015/02/17(火) 11:53:00.38 0
カントの道徳論を偽善とするヘーゲルより、カントの方が優しいね。助かる。
887考える名無しさん:2015/02/17(火) 13:24:01.76 0
カントの方が哲学者として上
888考える名無しさん:2015/02/18(水) 09:07:01.73 0
2、道徳論の区別 
われわれは、道徳論を次のように分けることができる。                       

(a)個人主義の倫理:リベラリズム        カント、ロールズなど
(b)共同体主義の倫理:コミュニタリアニズム   ヘーゲル、テイラーなど

現代はコミュニタリアニズム全盛なんだっけ?
889考える名無しさん:2015/02/18(水) 09:27:55.30 0
アホくさ
890考える名無しさん:2015/02/18(水) 10:27:41.75 0
>>888  Danke!
891考える名無しさん:2015/02/18(水) 13:32:06.89 0
Welcommen!
892考える名無しさん:2015/02/19(木) 09:01:13.15 0
cuntの哲学
893考える名無しさん:2015/02/19(木) 11:42:06.29 0
>>879  大丈夫?  心配。
894考える名無しさん:2015/02/19(木) 11:55:40.68 0
もう大丈夫。
895考える名無しさん:2015/02/19(木) 11:58:59.30 0
にちゃんを暫く止める。
896考える名無しさん:2015/02/19(木) 11:59:07.47 0
よかった。
897考える名無しさん:2015/02/19(木) 12:11:49.22 0
茶番化するのが嫌だった。
898考える名無しさん:2015/02/19(木) 12:12:19.59 0
それでやる気がなくなった。
立て直さないといけない。
899考える名無しさん:2015/02/19(木) 12:19:48.92 0
相手の自我を崩壊寸前に追い込んでそこから一瞬にして建て直し、自我の再構成を図る、とか真顔で言ってるのを読んで疲れた。
これは不確かだけど、にちゃんでそういう事をやってたと言ってたような気もする。
何かを学ぶのにそれを真似したいやつは真似すれば良い、そういう人はいるでしょう。俺はそれをみて二ちゃんに書くのが嫌になった。
900考える名無しさん:2015/02/19(木) 12:20:17.30 0
宮台の話。
901考える名無しさん:2015/02/19(木) 12:22:06.13 0
コミュニケーションを取るの嫌になるでしょ。
そういう彼がコミュニケーションを重視する社会学者で、彼が内発性とか劣化とかいうと気力が無くなる。
902考える名無しさん:2015/02/19(木) 12:45:17.50 0
一つの意見をスルーという事にはならない。
今回は社会そのものが嫌になるという事なので。
903考える名無しさん:2015/02/19(木) 12:48:58.45 0
ヘタレとか言われるのも嫌だから、にちゃん外で堅実に頑張ろうかなと思います。
904考える名無しさん:2015/02/19(木) 12:51:27.07 0
開き直るしかないかなという感じですね。
905考える名無しさん:2015/02/19(木) 12:52:04.76 0
普通にやるだけだけど。
906考える名無しさん:2015/02/19(木) 13:06:41.74 0
連投はもうしないと思う。
907考える名無しさん:2015/02/19(木) 13:54:53.50 0
恣意的飛躍多すぎ、弁証法論理は死んだ。
908考える名無しさん:2015/02/19(木) 15:02:23.89 0
ポパーがすでに論破してるわな
909考える名無しさん:2015/02/19(木) 15:16:13.32 0
でも、批判も合理も、積極的創造とは無縁。どうする?
910考える名無しさん:2015/02/19(木) 17:58:48.57 0
先の見えない「現代」、積極的創造は絵空事かも。
911考える名無しさん:2015/02/19(木) 18:20:17.21 0
批判も合理も理性
創造とは理性+若干の狂気
912考える名無しさん:2015/02/19(木) 18:30:04.63 0
現代と狂気、なるほど馴染む。
913考える名無しさん:2015/02/19(木) 19:06:09.02 0
馴染むどころか、「現代 狂気」でgoogってみたら、あるは、あるは。知らなかった。
914考える名無しさん:2015/02/19(木) 19:07:38.08 0
現代とは狂気が市民権を持っている時代ね。
915考える名無しさん:2015/02/19(木) 19:08:55.40 0
時代なんて言ってない
時代にかかわらず創造とは狂気と理性の所産だ
独り合点すんなボケ
916考える名無しさん:2015/02/19(木) 19:21:50.32 0
時代性を言ってるんだけど
917考える名無しさん:2015/02/19(木) 19:35:37.00 0
だから、サービス産業の一翼を担うプチ創造が蔓延するのか。時代だね
918考える名無しさん:2015/02/19(木) 22:56:18.61 0
 ノヽ人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人(テーゼ)
 )
 )  /愛●国\ 〜中国のチベット侵攻〜
 )  .|/-O-O-ヽ|  征服した民族を使って、次の国を侵略する糞シナ!
< 6| . : )'e'( : . |9 漢民族が殺したことにはならないと言い訳する卑劣さ!
 )   `‐-=-‐ '
 )
 ⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V
 ノヽ人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人(アンチテーゼ)
 )
 )  /愛●国\  〜日本の閔妃一派惨殺事件〜
 )  .|/-O-O-ヽ|
< 6| . : )'e'( : . |9  実行犯朝鮮人だけどね、それ!
 )m9`‐-=-‐ '
 ) 
 ⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V ※[注]そんな事実はありません
  ,-──────────────────
 |
 |   /,凡、\   他民族を使って虐殺するのは許されるの?
 |  |/(・).(・)ヽ|
<. 6| U ∀  |9  許されないの?
 |   `‐---‐ '
 |
 `ー──────────────────
 ノヽ人_人_人_人_人_人_ /) _/) 人_人_人_(ジンテーゼ)
 )    | ̄ ̄ ̄|     /⌒ヽ   │
 )  ノ | 左 翼 | バシッ |O"O-ヽ │
 ).  ). | レッテル | ( ミ | :'e'( : : | │ 偽善者ブサヨ工作員乙!!!
<  /|___| ゝ /つ-=-‐  │
 )  .|/(・).(・)ヽ| ⌒  | 愛国  |_/ │
 ) 6|.  д  |9
 ⌒ `‐---‐ '  ⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V
919考える名無しさん:2015/02/20(金) 08:18:30.43 0
〈 ヘーゲルの名言 〉
2. 天才を知る者は天才である。

名言ナビ☆名言データベース
http://www.meigennavi.net/kw/h/hegel.htm


私を、理解してくれた人間は、一人だけだった。
しかも、彼でさえ、本当に理解してはいなかった。

-   ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
http://www.fesh.jp/detail_3729.html
920考える名無しさん:2015/02/20(金) 09:05:17.50 0
>>916で言いたかったこと、狂気の時代性。格差必然(ピケティ)の現代。排除された、個人、共同体、国を狂気が襲う。。
切れ勝ちの子供、若年層。
国家でさえ、狂気が襲う。ナチスドイツ、ファシストイタリア、滅私奉公/一億一心特攻国家日本。
ヘーゲルの「集団的倫理観(>>888)に駆られて狂気に走る。一億一心、総止揚!!!
921考える名無しさん:2015/02/20(金) 09:11:06.72 0
>>917の肯定的狂気も現代(第3次産業)に特有。

>>915さん、どう思う?
922考える名無しさん:2015/02/20(金) 09:56:16.95 0
近代の「啓蒙、自由平等博愛」
そして、「神は死んだ」の現代。確たる根拠「現象、実存」。
必然的に発生する排除/格差。狂気に、集団的倫理観が市民権を与える。
923考える名無しさん:2015/02/20(金) 10:01:57.56 0
げに恐ろしきは集団的倫理観
924考える名無しさん:2015/02/20(金) 10:56:38.46 0
狂気を発動する集団的倫理観、集団的倫理観を発動する排除。げに恐ろしきは格差、排除。
925考える名無しさん:2015/02/20(金) 11:29:46.51 0
やっぱりゲスサヨクのアイコンみたいなのが登場してオンドとるんでしょ
926考える名無しさん:2015/02/20(金) 12:32:47.08 0
私、狂気好き。ゲスサヨクにあらず。
927考える名無しさん:2015/02/20(金) 14:40:35.36 0
+ゲスサヨクは19世紀の遺物。
928考える名無しさん:2015/02/20(金) 22:10:45.01 0
朝鮮半島の人たちはいい人が多い
ネトウヨは洗脳されている😭
929考える名無しさん:2015/02/21(土) 11:12:55.01 0
(正)韓国は反日である→韓国に行きたくない
(正)台湾は親日である→台湾旅行は楽しかったなー
  ↓
(反)韓国旅行も楽しかったでー
  ↓
(正)お前も反日!在日ブサヨク工作員乙!!wwww
(合)もしかして親日と反日ってくくりは正しくないのかも。。。
930考える名無しさん:2015/02/22(日) 01:06:09.56 0
せいぜい言ってな
931考える名無しさん:2015/02/22(日) 09:17:57.68 0
「ヘーゲル弁証法と狂気」の関係、今やっとわかった。
932考える名無しさん:2015/02/22(日) 09:54:19.94 0
kwsk
933考える名無しさん:2015/02/22(日) 11:19:23.79 0
ごめん、これをもって次の仕事、消える、ごめん。
934考える名無しさん:2015/02/22(日) 11:32:21.04 0
自分の立場からわかったということ。一般的な関係は、「ヘーゲル弁証法と狂気」でgoogれば沢山出てきます。
935考える名無しさん:2015/02/23(月) 10:16:34.83 0
ベンショーハウアー
936考える名無しさん:2015/02/23(月) 11:38:49.11 0
ペシミズム
937考える名無しさん
加トチャンペ
シミズム