やっぱり一番基礎的な学問は工学だった

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410考える名無しさん
工学と電子工作はどちらが先か?
ニワトリと卵のような関係だけど、電子工作が先だと思うね。

例えば、電球作った奴が手当たり次第に材料試して、上手くいけそうな材料を特定した。
これこそ電子工作の醍醐味であり、学校の登場以前から存在している【人間的活動内容】。
この活動における試行錯誤と合成・ブレンド・バランス調整といった作業が、
旨い料理を作る醍醐味と同じであり、
石器時代の人が、役に立ちそうな石の道具を作り上げるのと同じ。

石器道具を作るのに試行錯誤した原始の人類達は、学校になんて行っていない。
学ぶべき法則よりも先に道具の需要、必要性があった。
理屈に従い足踏みするより、失敗覚悟でできるだけ色んな物・事・方法を試さないと危機的現状を回避できない状況にあった。
悠長に歴史を聞き学んでいる暇も無く、知らないことを試して結果をすぐにでも確認しないと、明日の食料さえ危うかった。

安定した物質(物資)供給を受けられる文明と社会の基盤ができてから、
それら試行錯誤の工作活動が、机上の論を学んだ後から始めるべきものへと順序が逆転された。
「物理を知らなくては電子工作はできない。」【安定】した文明社会には、そういう常識のほうが好まれた。

石器時代の原始人と同じ活動をしていた電球発明家のような【不安定】な生活方法・人生運営方法は推奨されなかった。
【安定】した社会の上に成り立つ現代人の生活を支えるのは、人々の【安定】した活動によるものであり、
今更(石器時代のような目前の危機にも面していない現代)において、
【不安定】な活動をする人間は、せっかく【安定】できた社会構造に害を及ぼして、最悪、皆の生活を【不安定】にしてしまう恐れがある。

「知らないのに手を出したら駄目だよ」
そういう理屈が通るようになったのも、安定維持が根源的な目的だ。

だが、そういった常識や通念は、皆が「きっとそうなんだろう」と思っていること、
構造としては人間同士の間に張り巡らせた活動制御の知恵であって、活動自体とは無関係。

電子工作は錬金術と同じ。採用する教義が違うだけ。電子工作は魔術とさえ共通点を多く持つ。
そして、それら電子工作、錬金術、魔術を誰も知らない領域まで持っていくのは人に備わった超能力。
胡散臭いけど真面目な話。
411考える名無しさん:2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN 0
ということは、代入に代入を重ねると、
この【安定】した社会の現存は、何者かの意志により、そうあるべきだと方向付けられ、
もはや現代人では理解のしようもない例えば魔術などによって、制御されている可能性すらある。

既視感ほど己に優しく告げてはくれない現実感は、果たしてどこから手に入れたものなのか。
「人間同士の間に張り巡らせた活動制御の知恵」と記したように、我々の社会は、何者かによって【工作(人間的活動)】されている。

そのような目には見えない「工作された装置」は、先に挙げた「合意」の束縛だけではなく、他にも見つかる。
文中に挙げた内容から見つかる部分からひとつとりあげれば、
「試行錯誤の工作活動と、机上の論を学ぶ順序の逆転・変更・調整」がそれにあたる。
この【工作(人為的操作)】は、一体どのような(魔術的)因果を齎すのだろうか?

この【工作】が社会全体にかけられる前には、「必要なもの」を獲得すべく、
その目標達成に適切な「道具」(手段・方法・論・組合せ・スタイルも道具のうち)に焦点を当て、「それ」の具現・実現を目指した。

この【工作】が社会全体にかけられた後には、「有効な論」が先に登録されるようになり、
それらの論の上でなら、その原理上可能なものなら何でも作ることができるようになった。
結果として、人は「不必要なもの」をできるだけ多く、際限なく作り続けるようになった。焦点は、あえて言うなら無限遠。
「道具」の「階層」に必要性からの優劣をつけることがなくなった。
手に入りやすさ、価格差など、別次元の価値上の優劣をつける「「道具」」として「道具」は「道具」にされるようになった。

超能力による新天地への牽引に工作が続くのならば、その工作の後に工学が続く。
我々の物理的なリアルな世界を象り描くのはここまでの活動だ。
ここから先の机の世界は、荷馬車の荷台のようなもの。

超能力という馬がある。
繋がれた紐や車輪の「働き」という工作活動がある。
牽引される安定した作りの荷台という社会がある。
荷台の上に座り、空を眺め、空論を唱えて揺られる論者がいる。

もちろん論者の中には、荷台の上で考えながら、
自分らを引っ張って走っている馬の頭に、棒に繋いだニンジンをぶら下げてみようと計画を立てる者もいる。