1 :
考える名無しさん:
分析哲学も比喩
2 :
欲望の弁証法 ◆UWlz.qtia2 :2011/12/27(火) 09:11:23.13 0
まるでやかんみたいなスレだ。
|G.F.:
デリダとの論争は有名ですね.
|サール:
デリダを読むと,とんでもない誤謬が何度もでてくるよ.わけがわかんないくらいでね.しいて言うと,
彼はこんなことを言ってる.
デリダは,西洋の知的な活動,西洋哲学に伝統的な対立があれこれみつかると言 ってる.たとえば,字
義的なものと隠喩的なもの,事実と虚構,男と女とか,そう いう対立.もちろん,いろんな二元論的な対立が
あるという点では彼は正しい.さらにデリダが言うには――ぼくは疑わしいと思うんだけど――つねに一方が他
方よりも「優越」してるそうなんだ.「優越」というのはデリダの言葉遣いなんだけど.つねに一方が他方より
もイイってことだね.字義的なものは隠喩的なものよりよくて,男性は女性よりいいとか.
それで,いつでもこんな風に一方が他方よりも優越してるらしい.まあ,なかにはたしかに正しいのもあるよ.
つまり,偽よりも真の方がいいのは明らかでしょ.
でも,デリダはこれにつづけて珍妙なことを言い出すんだ.こんな具合.A とB,2つの項があって,AがBに優越し
てるとき,デリダはそれをひっくり返してホントはBの方が根本的な項だと示したがる.どんな風に変形して転倒
していくかっていうと,こんな感じ.彼いわく,「Aを前提に与えられてるとき,Bはいつでも可能だ」たとえば,
字義的な発話が前提に与えられてるとき隠喩はつねに可能だ,非・虚構が前提に与えられてるとき,虚構はつねに
可能だ,とか.それにつづけてデリダが言うには,「しかし,この可能性は必然的な可能性だ.」 あるものが虚
構じゃないって前提が与えられてるとき,それが虚構だというのは必然的な可能性だっていうんだ.他にも,お金
が存在してるとき,偽金の可能性は必然的な可能性である, とかね.この先になると,デリダの言ってることはも
う愚にもつかないくらいだよ.「可能性が必然的な可能性だから,とにかくB はすでにA に銘記されている」って
言うんだ.どういうわけだか男はすでに女であり,非虚構はすでに虚構で,真はすでに偽である,なんて具合に他
にもあれこれ言うわけ.劣るとされた項がすでに もう一方の項に銘記されてるというんだけど,どういう意味でな
のかデリダの説明はない.
これの問題点は,様相論理としてたんに馬鹿げてるってところだね.様相論理の 体系によっては,「P が可能であ
る」から「P は必然的に可能である」が含意される よね.Mp→LMp だ.ルイスのS5 ではそうなってるし,たしかS4
でもそうなってたんじゃないかな.でも,こんな風に様相演算子をいじくり回そうっていうんな ら,様相論理をま
じめに取り扱わなきゃだめだ.ところがデリダはそうしない.その挙げ句がこの出任せのたわごとだよ.デタラメな
んだ.で,みかけはうまくいくんだ,文学の人たち相手だと.でも哲学者はこんなのにはさっぱり感心しやしないね.
デリダにはこの論証が何度も何度もでてくる.これを最初にぼくに教えてくれたのは,ケヴィン・マリガンだ.デリ
ダのねらいは,劣るとされてる項がホントは優越した項だと示すことにある.どうやるかって言うと,劣る方の項の
可能性がどういうわけだかとにかく優越する方の項に含まれてると示すんだ.それから,その可能性は必然的な可能
性だと示す.その次に,どういうわけだか,とにかくその可能性の必然性によって,劣ってる項がすでに優越してる
項に含まれてるのが証明されると示す(このあたりでひどく曖昧模糊としてくるんだけどね).
デリダは他にもたわごとを言ってる.彼の言う「反復可能性」についての論証が それで,こんな具合に進む.どんな
しるし(文とか)もいろんな場面でいろんな目的に使える.たとえばメモに「カサを忘れた」と書いてあるのを見つけ
たとして, ぼくはこの文をありとあらゆる用途に使える.この文を使って発音練習したっていいし,うちの飼い犬を
呼ぶのに使ってもいい.それで,デリダが言うには,メモを書いたやつのもともとの志向性がこの文の発話の意味の決
め手になる力を失っているのがこれで証明されるから,たとえば文の意味と話者意味の区別も根拠をなくしたり打ち壊
されたりするんだって.
この論証はひどすぎて,もうどこから批判していいやらわかんないね.あきらかにデリダはタイプとトークンの区別を
把握してないよ.おなじタイプ〔の表現〕のいろんなトークンをいろんな目的に使えるからって,そんな途方もない含
意はでてきやしない.デリダは混乱してるんだ.
6 :
考える名無しさん:2011/12/27(火) 10:31:41.88 0
おまえも比喩
|G.F.:
デリダはあなたの文章を本に入れるのを望んだのですか?
|サール:
許可しないよ.ああいう連中を調子づかせたくないんだ.デリダを攻撃する文章はもう1本書いた.ぼ
くが脱構築について思っているとおりを書いてある.題名は 「さかさまになった言葉」(The Word Upsi
de Down)で,『ニューヨーク・レヴュー・オヴ・ ブックス』に載った.
でも,あれは本当のところ一種の哲学の貧民窟だね.ラッセル・ウィトゲンシュタイン・フレーゲの時
代にあんなゆるゆるな論理構成の本が書かれるなんて,耐えられないよ.あれでやってけるのは,相手に
してる読者が専門分野で有能な哲学者じゃないからじゃないかな.彼らは文学理論みたいな他分野の人た
ちに向けて話してることが多いよね.それに,哲学にはいつもこんなふうに考える一派がいるんだ,「い
や,ぼくらは自分たちの専門だけを狭くやるばかりじゃいけない.こういう他のアイディアにも開かれて
なきゃね」って.新しいアイディアに開かれている方がいいってのは全面的に賛成だけど,まともで高度
な哲学の著作と,知的に許容できない著作との区別はしないとね.
このことは前にミシェル・フーコーに言ったことがある.デリダに対する彼 の敵対心ときたらぼくすら
上回るくらいだけど,その彼が言うには,デリダは obscurantisme terroriste(テロリズム的蒙昧主義)
って手法を実践してるんだって.ぼくらはフランス語で会話してたんだ.で,ぼくはこう言った,「いった
い そりゃなんのこと?」 で,フーコーが言うには,「デリダはすごくあやふやな 書き方をして,何を言っ
てるんだかわからなくするんだ.これが「蒙昧主義」の部分.で,人がじぶんを批判すると,『あなたは私
を理解していないよ.あたまがわるいね』とくる――これがテロリズムの部分だよ.」 これが気に入ってね.
脱構築について文章を書いたときに,ミシェルにその発言を引用してもいいかなって訊いたら,「いいよ」
って言ってくれたよ. フーコーはしょっちゅうデリダと一括りにされてた.でも,それはフーコー に対し
てすごくアンフェアだよ.彼は思想家としてデリダとはまるで器がちがう.
サールって馬鹿だよね。
大家をバカにできる俺カッコイイみたいなのはダサいですよ
10 :
考える名無しさん:2011/12/27(火) 11:16:36.76 0
(´・ω・`)
11 :
考える名無しさん:2011/12/27(火) 11:26:17.98 0
>>9 大家だとか権威だとかカッコイイだとか関係なくね
お互い議論の中身がすべてだろ
デリダに直接言えばいいのに
フーコーの陰口をひけらかし
サールってほんと愚か
13 :
考える名無しさん:2011/12/27(火) 11:36:41.66 0
サールも比喩
14 :
考える名無しさん:2011/12/27(火) 13:32:05.10 0
ゲーデルも比喩
15 :
考える名無しさん:2011/12/27(火) 13:50:03.71 0
フッサールはハゲ
16 :
考える名無しさん:2011/12/27(火) 14:14:25.06 0
フッサールはハゲも比喩
17 :
考える名無しさん:2011/12/27(火) 14:20:19.63 0
私のこの他者の心が実在しているという確信を「間主観性」というのだが、
このとき私は、私の身体と彼の身体が同一の世界に属していることを直観している。
もし私と彼が同一の世界にいるなら、
私にとって「ここ」にあるリンゴも、彼にとっては「そこ」にあるのだと考えることができる。
そして、彼がそれをリンゴとして扱うことで、
私はリンゴの実在性をはっきりと確信することになるのである。
18 :
考える名無しさん:2011/12/27(火) 15:47:38.53 0
デリダも比喩
19 :
ユーサネイジア ダニエル・カール:2011/12/27(火) 15:56:48.34 0
あ〜 気が付かないか〜
20 :
考える名無しさん:2011/12/27(火) 16:12:43.28 0
意識も比喩
21 :
考える名無しさん:2011/12/27(火) 19:25:59.51 0
存在も比喩
22 :
考える名無しさん:2011/12/27(火) 21:07:30.01 0
原発事故も比喩
4を読むと、サールはソシュールも読んでないバカだということが良く分かる
そしてラテン語で読んだふりしてフランス語を中心に読んでいたことを
デリダに突っ込まれて、恨み続けていたフーコーのセコさw
24 :
考える名無しさん:2011/12/27(火) 21:54:42.99 0
智弁和歌山も比喩
サールって馬鹿だよね。
人妻モノも比喩
27 :
ユーサネイジア ダニエル・カール:2011/12/27(火) 22:32:18.69 0
カントの頭に「お」の尊敬語を付けろよ
おカント
28 :
考える名無しさん:2011/12/27(火) 22:32:43.52 0
全員ことばあそびのアホでオッケー
本読み語学自慢も分析屋もね
科学やれや
学問としての哲学は19世紀に終わったよ
以降は教養の一部として残る
それを恥じる必要は無い
哲学は全ての学問の基礎を打ち立てたのだから
:
世 世界_放射線量/発送電分離_
現 界 | |
存_内_内存在_了解_頽落_企投__関
在 存 | 内部被曝 死 心
在 自己____癌/本来性___|
|
改変:ハイデガー『存在と時間』 半減期
31 :
考える名無しさん:2011/12/28(水) 07:13:54.55 0
科学も比喩
32 :
考える名無しさん:2011/12/28(水) 07:59:22.42 O
比喩は比喩?
33 :
考える名無しさん:2011/12/28(水) 09:33:02.61 0
___
,r '´r ` ‐、
r' ,. .: ミ
/ ;r i,.. iヽ
.lji; jr,ナi':::_;: -- ,.::、 - l:' i
.l:' i ,.イ',r';:::::',.r__ーj:.=_,r_‐ヾ.ミ
i ;li'/!r';三:‐'`ナ`;::i i`ナ;゛i゛i
ノ; 人/j;,ji::::'´::. ´ ., _ l` _;! ミ
r/'´rj' ィ 彡::::::. / ー、_ノヽ ,ミ.、i
'i/ i' r'/ij,r'''r';, , ,:-―,.-、 ミ ヾ
i.l li. l lrィi::i' '";i' "'"""゛ヾ゛、 ,,j
'i:ヽj i 乂ヾli. il il!r i' j li!il;!
'´rr' ;ノ i川li ミi、li::.j! ; ,; !l ,!/"ヽ
/,! ji' ,r';r'彡ノノ,l!,i:.j, i! ,i! ! `il
! ヾil jllill!ii'r'r''イi'i / , , i !i ,ノ
ヾ_ ;:'' ;! )::.lヾ.ヾヾ:j!i :( i;. '/ イヾ
.r'´r'r' /' ',ri/;il イ, li j i r ; ,!,!
ヾ:. !i:i' li' i' .Y ,.; j
` ii'ヾヽヽヾ ヽ`,イi
'' ヾr'r''
デリダさんは文学屋だからね
タイプ理論やゲーデルの不完全性定理や様相論理を知らないのは仕方ないよねw
35 :
考える名無しさん:2011/12/28(水) 12:01:59.68 0
社会科学・自然科学の科学哲学や数学の哲学や論理学なら
すこしは存在意義がある。
科学の方向性を決めうるから。
あとは文学屋による文献伝承。
ことばのアクロバット体操なんてやりだしたらもう終わり。
ああ、デリダで終わってるかw ポストモダンは。
36 :
考える名無しさん:2011/12/28(水) 12:05:12.29 0
>>29 そもそも学問としての哲学なんてなかった。
「科学の芽」としての自然哲学などはあったが。
18世紀、19世紀のドイツ人だけでしょ。学的にしようとしてたのは。
国が英仏に比べてかなり遅れてて他にやることなかったから。
たとえばロラン・バルトもブランショも
難解だし文学的な表現だけど
読んでいくとなるほどなと思わせる。
ドイツ人だけどアドルノやベンヤミンも同様。
ところがデリダはおんなじようなトートロジーを
グルグル繰り返しているだけ。
ようするにたんなる駄洒落だし、
アホらしくなるくらい中身がない。
ドイツっつーかカントだよな
あの人がなんか体系めいた三大批判書なんて書いちゃうから
39 :
考える名無しさん:2011/12/30(金) 00:53:25.80 0
で、きわめつけはヘーゲルな
あんなんは世界の中でもプロイセンだけの特殊事情
で、明治日本はドイツ帝国憲法を導入したあたりから
哲学=ドイツ体系哲学マンセー的な勘違いをし始めた。
英米仏より独思想の方が天皇制官僚制に相性が良さそうだからか?
>>37 >ところがデリダはおんなじようなトートロジーを
>グルグル繰り返しているだけ。
デリダのどの本読んでそう思ったの?
『哲学の余白』を今読み中なんだけど、
まったくそうは思わないんだが。
41 :
考える名無しさん:2011/12/30(金) 01:58:42.34 0
ああ?wwwwwwwwwwwww
まん魏だろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
何の具体例もなく抽象的でただ長い文を理解できるわけがないwww
ハウスに必要な真のリズム感ってなんだよwww
あまりにもりマンだろ?
42 :
考える名無しさん:2011/12/30(金) 16:12:07.80 0
149 :考える名無しさん:2011/12/28(水) 19:27:11.79 0
丁度スレの話題に合っているので。
以下、小泉義之による『リアルの倫理』書評より
ジュパンチッチが指摘するように、近年のカント解釈はまったくダメである。
ロールズやハーバーマスやアレントの解釈(柄谷行人『トランスクリティーク』はこの段階にある)は、すべてダメである。カントの凄まじさを見逃しているからだ。
カントは、日常的な「功利主義の倫理」を断ち切って、「欲望の倫理」を導入したのである(浅田彰『構造と力』はこの段階にある)。
しかし、カントを越えて進まなければならない。ラカンは、欲望の倫理を突き破って、「欲動の倫理」を導入したからだ(スガ秀実『「帝国」の文学』はこの段階にある)。
しかし、ラカンも越えて進まなければならない。ry
そのドイツ哲学もそれ自体に対抗するものとしてのマルクスとニーチェを生み出して終わったしな
ハイデガー以降?知らんよ
44 :
考える名無しさん:2011/12/30(金) 21:17:02.72 0
そして最後はデリダな
デリダに何言っても脱構築されて終わり
あほらしいし非生産的だからもう思想作るのはやめようかとなる
>>42 不勉強で申し訳ないが、定言命法が欲動の倫理ってどういうこと??
羅漢はしらん。
>>44 >デリダに何言っても脱構築されて終わり
デリダ読んでないの丸わかりなんだが。
46 :
考える名無しさん:2011/12/31(土) 01:16:48.69 0
>>45 デリダがいわんでも、おんなじ論法で終わらせてしまえるだろ
弁証法はその逆
>>46 だからデリダそんなこと言ってないって。
脱構築はそんなんじゃない。
脱構築には終わりはない
弁証法と逆というより文字通り正反対
八巻正治先生も笑わせてくれますねえ。
自称・教育学博士(ニューポート大学大学院)のお方は言うことが違いますね
「日本の大学だって、海外ならば非認定校だ。ディプロマミルと同列視されるのは、とても不愉快だ」(弘前学院大学・八巻正治教授)
八巻正治さん、これって学歴詐称じゃないのかな。 ね、八巻正治さん。
でも八巻正治さんは、大学教授なんだよな。結局は勝ち組なのかなあ…
サールのこの意見、デリダの話を可能性=必然性と読んだ場合に様相論理としておかしなことになると指摘してるだけじゃないか?
でもデリダが言ってるのは定立的な概念が前提にしている条件を疑える可能性は常にある、っていうことだろ。
様相論理的にいえば、現状とは違う概念の枠組みで対象を記述できる可能世界が常に一つでもあれば、その可能性が必然的であると言えるじゃん。
で、実際にそうじゃない可能世界は確実にあるだろ。概念の枠組みなんていくらでも作りだせるんだから。
たしかにそれを論理的に記述しようとしたら、可能世界の全体を含んでいることを前提とした一つの可能世界っていうものを考えないといけなくなるけど、
そんなのライプニッツみたいな発想を取り入れればいいだけの話。
男はすでに女とか、二項対立の一方を他方に帰属させるなんている話もデリダはしてない。
俺はどっちかと言ったら分析哲学の方が好きだけど、この論点についてはサールの言ってることの方がおかしいと思う。
51 :
50:2012/01/06(金) 20:54:50.13 0
訂正
4行目 ×そうじゃない ○そういう
スマソ
52 :
考える名無しさん:2012/01/07(土) 00:36:40.74 O
物事との合致・整合に取り組むのが比喩?
そういう意味で言えば、文字で描くAAも比喩。絵に見えるもんねw
そもそも言語自体が比喩だし、それどころかあらゆる記号が比喩だろ。
スレタイの意見はあまりにも当たり前すぎて、むしろそれを前提に何を言いたいのかが気になる。
55 :
考える名無しさん:2012/01/08(日) 01:02:46.43 O
比喩じゃないのは例えば何ですか?
57 :
考える名無しさん:2012/01/13(金) 09:30:50.56 0
ニーチェの良さがわからないなんて脳障害かよ
ハイデガー2年勉強したけど哲学し尽くしたニーチェと比べたらカスだよハイデガー
まぁ使い始めた頃ハイデガーはマジ神!とか思ってた俺は馬鹿だけどなw
ハイデガーに限界感じて習い初め難すぎだったけど補習が神すぎた
ハイデガーじゃ100%できない事も簡単にできるしなwww
ニーチェで賢さが異常になったわ
ウィトゲンシュタインとニーチェと比べたが素の状態なら余裕で勝ってるし
ウィトゲンシュタインとかニーチェとか未来ないしゴミだろ
特にハイデガーはない、カス
まともに使えない時点でカス
哲学出来ない脳障害か初心者にはお似合いだ
ハイデガー(笑)じゃ一生無理な話だなwww
いまひとかけらの知性もない書き込みをみた
コピペだろ
60 :
考える名無しさん:2012/02/20(月) 12:28:30.33 O
ブローティガンにくらべたらニーチェの比喩なんて(笑)
ニーチェの比喩はイメージを正しく伝えるための比喩。
ブローティガンの比喩は言葉の掛け算で新しいイメージを生み出すための比喩。
目的が違う
ブローティガンは、ジョン・ダンの影響をかなり受けているから、コンシート(奇想)系の比喩ですね。
ニーチェは古き良き時代の聖書的暗喩ですな。
63 :
考える名無しさん:2012/02/21(火) 15:58:30.15 0
画期的な考えを思い付いたと思っても
本を読んだら、大抵誰かが考えていて、がっかりしてばかりだ。
例えば?
自分で気づくならまだしも
他人に指摘されるとこたえる
68 :
考える名無しさん:2012/02/22(水) 23:05:42.42 0
デリダの「脱構築」だが
磯崎新と浅田彰に詰め寄られて
「脱構築の意味は再構築ということだ」って
認めたからなあ
なんか化けの皮がはがれるとなんていうことはない存在だ
ドゥルーズ・ガタリが機械とかブラックホールとか俺達が言ってるのは比喩じゃないって言ってたのは何なんだろう
70 :
洋楽:2012/02/22(水) 23:35:30.87 0
言語や記号を ベクトルで 表示した
たとえ イメージ ってやつ ・・・ どちらかと言うと
工学系 になるのかな ・・・
71 :
考える名無しさん:2012/02/22(水) 23:52:27.29 0
「概念」だという意味なんだろうな
72 :
洋楽:2012/02/23(木) 00:14:36.62 0
うん あとは アウトプット のしかた
73 :
考える名無しさん:2012/04/30(月) 22:53:39.80 0
水の上を走る乗り物…オポポス
壊れて取り換えが付かない事…ヌププ
断定系の動詞…アフン
オポポスアフンヌププ
74 :
考える名無しさん:2012/08/03(金) 21:23:22.52 0
崇高さは比喩か
画期的な考え=びっくり一発芸
こんなことで一喜一憂してる粋がれる気持ちよくなる池沼はマジ死んでくれ
幼稚でイラッてくる
うんこ
eureka
78 :
考える名無しさん:2012/08/20(月) 20:17:39.04 0
デリダは一般的に、論理相対主義者と見なされているが、「差延」の考え方は、
「現象学的認識」である。 事象全般を「階層的秩序二項対立」として捉える
手法は、斬新で革新的と思う。この「二項対立」は相対主義であり、この差延(現象学的認識)と、
論理相対主義の思考プロセスの組み合わせは、今まで、西洋哲学にはない試みと思う。
79 :
名無しさん:2012/12/17(月) 19:37:04.03 0
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf
80 :
考える名無しさん:2013/02/12(火) 05:57:43.56 0
守中高明 @ladissemination
古井由吉論のために必要があって後期ハイデガーの論文いくつかを読むが、創
文社版の全集では、かの≪Ereignis≫をことごとく「性起」と訳しているのに
辟易する。この訳者たちは「性起」が華厳宗における純然たる佛教概念である
ことを知りつつそうしているのだろう。
守中高明 @ladissemination
≪Ereignis≫を「性起」と訳したり、≪wesen≫を「現成する」などと訳すの
は、京都学派の末裔たちによるハイデガーの横領と言うべきであり、自民族中
心主義的な恥知らずの翻訳の典型である。そして、その種の訳語を無批判に援
用する他のヨーロッパ系哲学の研究者たちも同罪である。
81 :
考える名無しさん:2013/02/12(火) 11:20:51.11 0
なにが恥じ知らずかといえば、自民族中心主義とか共産主義とか
コスモポリタニズムとかイデオロギーに関係なく、権力の広告
代理店としてしか発言しない知識人の姿だ。知識人が尊敬される
とすれば、それは発言力の限られた一般の人間に代わって自らの
身に危険を引き受けて発言するからである。そうでない知識人
は、権力から与えられた地位から一般人の発言を抑え込む役割
を果たすだけであり、徹底的に軽蔑されてしかるべきなのだ。
実際のところ、この種の広告代理店としての知識人は本質的に
知的に不誠実なので、まともな人間と取り違えて誠実に相手を
しようとすればするほど、泥沼にはまることになる。
徹底的に軽蔑の眼差しを向けてやることが唯一正しい対処法だ。
ちなみにきみの言ってることが偽だったらどうなんの?
自分で判断しろ。偽だと思うなら、自分の良心に恥じないように
それに応じた行動をとればいい。それだけのことだ。
自分で判断しろと言われてもね。
俺はきみの言ってることの有意味性を疑ってるわけだから、
偽だったらどうなるかって内容がないものにとる態度なんかないよ。
意味がないと自分で判断したのなら無視すればいいだけ。
答えてもらえないようだとそうするだろうね。
>>82 こういうこと言ってる奴が依拠する知識人も広告と無縁じゃないぜ
知識人に依拠しないと非難されたことはいくらでもあるが、
特定の知識人の主張に依拠していると批判されたことは一度もないな。
90 :
考える名無しさん:2013/02/16(土) 07:28:29.94 0
陰毛フッサール
91 :
考える名無しさん:2013/12/21(土) 10:57:06.17 0
>大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
>島本町って町は、暴力といじめの町なんだな
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない後遺症になるなあ
デリダって、ダリダ?
失礼しました。
デリダごときに哲学のなにがわかるってんだよー
すでにすべてが比喩だとはニーチェが大々的に絶叫してたし
すべてが比喩とした上でいえることは、どれだけその比喩が力を持ちうるかが
重要であり、脱構築することなんてナンセンスだ
比喩表現つまりあらゆる言語表現の力動の強さを見る目をデリダは持っていない
言語表現のすきを狙ってくだらん遊びをしているのがこの人の哲学だ
本物の比喩表現はキリストの言葉のように偉大な精神的感動をもたらす力をもつ
デリダ自身の表現はつまらんというか力強さや切実さや崇高さが欠落していて
とてもとても哲学者のものとはいえんな ポモクオリティ
ポモどもは哲学はニーチェで始まったとかぬかすが逆だろ
ニーチェとベルクソンあたりが哲学の最後の花だったな ポモはカスな枯葉!
関係ないけど間違いなくいえるのは
比喩でない表現は数学のみ
94 :
考える名無しさん:2014/05/15(木) 16:49:00.24 0
考える名無しさん:2014/03/20(木) 02:27:54.86 0
衝撃の真実
日本の構造
波平
つのがらいクリ テノバンミックンク キンタマクッサーラ長老
豊田 /\ 創価学会 産経新聞 杜玖椀晶子
電通 /∧_,∧\ 統一教会 ハンニバル擁護論者 サラ金
総連 / <*`∀´> \ 経団連 天下り官僚
/ 自民党&公明 \
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___日本人奴隷___
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/____/___無職_ニート_老人_貧困層______\
クリばかり攻める。
究極 真実、結論
いっそく飛びに、理解
人間 〓 キチガイ
これに、間違いはない!
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考える名無しさん:
そりゃそうよ