◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない188◆
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抄録:
存在は実在するか〜「全ては物語」と「物語に過ぎない」
映画のマトリックスってありますよね。
あの世界で生きている人間は、そこが現実だか電脳空間だか実際の所は分かってないわけです。
ところがですね、あれには哲学的なwトリックがあって、
マトリックス、あるいはいわゆる水槽脳に於いては、
「実在としての私の存在」は“物語”からは除外されてるのです。
この私が私であることだけは夢でも幻でも物語でもない。
ここを根拠にしているので、安心して物語を物語として見れる。
中途半端なトラップなわけです。
ところが、「他者を私と同格に見ることができる」ことを根拠に
【私】を一般化できるとすれば、「実体としての私の存在」すら物語とすることが可能となる。
ここで遂に「全てが物語」が完成するわけですが、
しかしこのとき「全てが物語であることが物語である」となってしまい、
物語はその根拠を失い、物語の意味が霧散するわけです。
変化するとかいうような座標変換にようなぬるい話ではないように思う。
物語が霧散した先に尚なにかが残るなら、
それを真理とでも呼ぶしかないのではなかろうか。
(どうなんですかね禁哲さん?)