>>747 「客観的現在」も「物自体」も、
それが思考的産物であったとしても、普遍的な成立である以上、
それが産まれる理由を求めることができるのですよ。
幽霊のような誰もが眉に唾するような話も
リサ・ランドールが大真面目に唱える五次元も
それが産まれる理由を求めることができるわけです。
「存在するわけではない」と言い捨てるのは簡単だが
では何が存在するのですかね?
ひょっとして「何も存在しない」とか言いませんよね。
そんなことをしたら存在の意味を消失しますよ。
当然、「存在しない」の意味も無くなる
「客観的現在」なる概念が産まれる理由もあるわけです。
それが物語だと言い捨てるのは簡単なことです。
しかし貴方のように「全てが物語り」としてしまえば、「物語り」の意味は霧散するでしょう。
客観的現在も、それが意味として理解できるなら、
それがどのような事態であるのかアクセスできるはずなんです。