1 :
プラトン ◆06jO0o602k :
日本語で哲学は可能なのか
古代の論理学ひいては哲学は主語-述語の対応が前提になっているが
日本語はもともと主語の概念があいまいである
印欧語との根本的な構造の違いが(西洋的な)哲学の普及を阻んでいるのではないか
中高で英語を習ったとき、主語述語がはっきりした英文の直訳文に不自然さを感じた人も多いだろう
どんなに欧米文化が入ってきても、西洋の言語感覚までは容易に移入されていないのである
日本語は主語が不要で、そのうえ厳密な格変化もないので、コンテクストや状況、
雰囲気が十分理解できていないとテキストの意味をとりにくい
こうした言語構造が、以心伝心とか空気の文化を発達させる要因になったのかもしれない
西洋哲学を日本語を介して理解するのはもとから無理があるのか
大昔から日本語の一部になっていた漢語にしても和語と相性がいいとは思えない
漢文の書き下し文は見方を変えると、かなり無理のある読み方である
文法的な「主語-述語」と論理的な「主語-述語」は意味が違う。
これが分からないとそもそも古典哲学は読めないはずなので、
そんなことが分からない程度の人は「哲学の普及」とか気にしてくれないっていいッスw
7 :
プラトン ◆06jO0o602k :2011/11/01(火) 17:43:25.03 0
>>6 日本語には文法的な「主語-述語」がないので、主語を明確にして個体を厳密に識別し、
同一律を重視する西洋の論理にマッチしないという話し
そんな日本語をむりやり論理的に記述することに意味があるのかという問いでもある
日本語を習いたての欧米人は、西洋的な論理(主語-述語)で言葉を組み立てるのでおかしな表現に聞こえる
しかし、英語習いたての日本人は律儀に主語-述語構造を守ってこんな感じにするだろう
「今朝はパン食べた」
I had some bread this morning.
しかし、日本語的にはこっちの方が直感的で分かりやすいはず
This morning bread had.
無生物主語とか難しい表現を無理して言葉にして結局変な英語になるくらいなら、
日本語文法の英語をごり押しした方がマシではないか
だから伝統的「項論理学」は西洋人目線でも「不自然」なんだってw
馬鹿が無理住んなよw
>>9 無理に反論しなくてもいいから建設的なアイデアを出してくれたまえ
日本語の多くはitが主語
別にそれは非論理的ではないし、英語にもある
例:it' raining
だから英語を規準に他言語に論理非論理を無理矢理当てはめようとすると無理がでる
のは英語と論理学を理解していないから
文頭にくる日本語の「は」は主題の提示として日本語文法学者の見解は一致している
そうした日本語文法への無知も原因だ
12 :
11,訂正:2011/11/02(水) 11:34:24.61 P
it's raining
>>11 それは「象は鼻が長い」問題のことであるね
学校文法がいまだにああなのは英語教育の布石と何かで書いてあったような
14 :
考える名無しさん:2011/11/02(水) 19:32:39.63 0
>>2 西洋的な哲学が普及したらなにかいいことあるの?
というか、日本的な哲学の定義って何?
15 :
プラトン ◆06jO0o602k :2011/11/03(木) 01:56:35.36 0
>>14 日本的な哲学の定義などないけど可能性としては西田哲学とか。一応先例があるし
あと西洋哲学の普及は、日本語構造が印欧語的に改造されるとか根本的な変化がないとないとなさそう
学校文法は主語ベースの考え方とか中途半端に真似ているだけで不十分
>>15 おもしろそうな話ですね。
より日本語に適した(日本語)文法理論があるのでしょうか。
文献等がありましたら読んでみたいのですが。
よく難易度という言葉を使いたがる輩がいるが、
正確には「難度」のことじゃないか?
「易」についての意味は無視されている。
難度が高い、もしくは難度が低いが正しくは無いか?
×高濃淡度汚染水
○高濃度汚染水
18 :
考える名無しさん:2011/11/03(木) 20:56:30.79 0
言語ってのはいいたいことを伝えるものだよ
>>16 主語廃止論の文脈でいくなら三上文法のがいいんじゃないですか
>>17 難度も濃度は、漢和辞典をみると載っていないので、明治以降の造語と思われ
たぶんその辺の違いはてきとーに考えてたんでは
難易度については、昔から「難易」という同じ意味の漢語があるので、
それを学問っぽく「度」をつけただけかもしれない。あくまで憶測
20 :
16:2011/11/03(木) 23:15:25.87 0
>>19 御回答ありがとうございます。
上のレスにもあった「象は鼻が長い」は著作名でもあったんですね。
図書館で入門書を漁ってみることにします。
日本語の人称表現について
私・僕・オレ・自分……と相当に豊富だけど、普段は「オレ」と表現していても
上司の前では「私」とか使い分けを余儀なくされるケースがあるわけで、西洋的な
自己同一性とかアイデンティティを確立するのに障害になっているのかもしれない
>>15 >>2 >印欧語との根本的な構造の違いが(西洋的な)哲学の普及を阻んでいるのではないか
阻むという単語だったから、西洋哲学を普及させたい意図と受け止めたんだけど、
普及させたらメリットがあるの?
哲学なしに2000年も日本人が安穏と暮らし得たと考えた根拠は?
自己同一性と西洋的基準で型にはめないと苦労する?言いあらわせないはみ出るものは切り捨て?
24 :
プラトン ◆06jO0o602k :2011/11/07(月) 00:15:52.32 0
>>22 結局哲学や論理学のような考え方が国民に普及すれば、議論が活発になると思ったのである
>>23 西洋の学問は、世界を理解するために言ってみれば真か偽の二者択一という究極の単純化で
推し進めたといえるけれども、それでは割り切れないことがあるのも確かであるね
要するにただの言葉遊びですよね
日本語のなかには、基本的な語彙なのに漢字ベースの言葉しかなく
和語に置き換える言葉がないというケースがある
「信じる」とか「感じる」などである
古代の日本人に「信じる」という概念自体なかったわけではないと思うが、
武士道の忠義は儒教を参考にしたものであるし、日本には言葉とともに概念が海を越えて
たびたび移入されている
しかし考えてみると、どんな概念や観念も元々は一部の地域で使われていた局地的な思想なのではないか
それが各地に伝わり受け入れられていくうち次第に普遍性を帯びていくのであろう
茶道や華道などの芸事だとその思想体系は「口伝」なので文字にないよ
タブーというか万人には伝えづらい
芸道の思想体系は昭和に入ってから口伝が文字ベースになってきているけど、肝心なところは未だに口伝と稽古のみで伝えられる
もじでは「ひたすらに見る」行為が何を実際にするかわからないと思う
カルトじゃないただの生け花でさえその行為はあるよ
29 :
プラトン ◆06jO0o602k :2011/11/09(水) 12:04:41.27 0
>>27-28 伝統芸能も思想というわけであるね
考えてみればピアノの稽古も座学じゃ何も体得できない
風姿花伝や五輪書みたいな文字ベースのもあるにはあるが
30 :
プラトン ◆06jO0o602k :2011/11/11(金) 13:03:40.22 O
学校の英語と古文教育は似たところが多い
どちらも文法を重視する頭でっかちところなど
不慣れな洋式文法、主語ー述語文などを中途半端に教わった後、ただちにそれを前提とした英語・古文カリキュラムに放り込まれるのである
実際、古文を外国語のように感じた人も多いだろう
古い日本語を英語と同じようなやり方で教えるのだから、そうなるのも当然である
当時の時代背景、コンテキスト、作中の人物の説明といったテキスト外の情報を十分に教えず、テキスト内の情報だけを頼りに読解させる、エスパーのような能力を要求する学習指針なのだから
欧米の文化や風土、考え方の違いに関する教育をおろそかにして、テキスト分析と読解を重視する英語教育と似ているわけである
>>29 日本の芸事は人間同士のコミュニケーションを如何に円滑にするために
よく演出するかということにもとづいている。
つまり、「人をもてなす」ことはなんなのかを考えるために
自分というものを考え、そして相手の本質を考える
その思想に基づき生活のあり方、立ち居振る舞い、心遣いすべてが統制される
それが各流派、各芸事によりほぼ口伝により伝えられているが、一般にはほとんど公開されていない
口伝なのはその部分を文字に残さないであくまで【教える】ことで金をもらっていたこともある
流派の看板免許制にそれがみられる
看板とその【伝書】を得るのには未だに数十万かかるw
千利休はその思想を文字にまったく残さず口伝のみが弟子に伝わっている
昭和に入り芸事が爆発的に流行して弟子の数を把握しきれなくなったことと
その普及のために活版印刷の恩恵で文字ベースに大分変わってきた
>>31 茶道は禅の思想が入っているからもともと心身一如の思想で、
言葉だけで語れるものではないのであるが、それが近代に入って
形骸化したのはなぜだろうか。やはり思想の文字化が背景にあるのか
とはいえ、利休の茶道は何を志向していたのであろうかと思う
思想といっても実際に茶室のなかで茶人同士
熱く議論してたわけではなさそうであるし
茶道がもともと華美で豪華な茶の作法への反動から
生まれたのであるとすれば、目に見えない内奥とか奥ゆかしさ、
隠れた精神性に着目するといった方向へ進むのは理解できるが
映画スタンドバイミーは原題がThe Bodyで「死体」という
ショッキングなタイトルだったことが知られている
しかし、bodyは同時に身体という意味があり、日本ではもっぱらそちらの方が知られているし、
現代日本の言語感覚で身体と死体を同じ言葉で呼ぶことに違和感がある
ただし、中世以前では「からだ」は魂のない状態「から」の派生語として認識されていて、
死体の意味もあったようだ
アニミズム起源と思われる霊肉二元論的な素朴な考えが昔はまだ根付いていたのである
34 :
考える名無しさん:2011/12/09(金) 09:57:32.30 0
>>34 海外といっても中国やインドといった後進国の評価は気にしてない人間が多いだろう
近代化の教師である欧米の評価をもっぱら気にするのである
生徒が教師に認められたいと思うのと同じで
しかし、この近代化学校に卒業というのはない
無条件に受け入れているようにみえる、この近代化に対して疑問や批判を持つレベルまで民衆の意識が進まなければ、構造的なコンプレックスの呪縛は解かれない
あぼーん
37 :
考える名無しさん:2011/12/12(月) 21:21:51.46 0
なにも西洋の哲学をそのまま理解する必要はない。西洋の哲学が正しいと決まっているわけでもない。
そうなのに西洋の哲学をそのまま理解したら間違った真理を学ぶことになってしまう。
自分なりに西洋のばか哲学者が言ってるらしいごたくを適当にヒントにしながら、それなりに自分の考え方をまとめていけばそれでいい。
38 :
考える名無しさん:2011/12/14(水) 09:40:06.48 0
この日本刀で人を斬れる時代が、早くやつて来ないかなあ。
(三島由紀夫「日録(昭和42年)」より)
あぼーん
40 :
考える名無しさん:2011/12/20(火) 21:29:58.31 0
ああ?wwwwwwwwwwwww
まん魏だろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
何の具体例もなく抽象的でただ長い文を理解できるわけがないwww
ハウスに必要な真のリズム感ってなんだよwww
あまりにもあまりにも、アメ、マンぎだろ?
あぼーん
42 :
プラトン ◆06jO0o602k :2011/12/29(木) 13:25:36.62 0
言葉とその話者との関係は切っても切れないものがある
しかし西洋論理学は、言葉とその話者の切り離しを大胆に行った
言葉そのものがコンテキスト不在のなかで解釈されることを目指したのだ
しかし、現実には言葉とその話者を簡単に切り離せるものではない
盗人が盗みはよくないことだと言っても説得力がない
だが、盗みがよくないというのはどの世界でも普遍の説である
言葉そのものに目を向けるなら、盗人が言おうと誰が言おうと言葉の意味は同じなのにである
東アジアには古代から諱(いみな)とそれを避ける風習がある
言葉と呪術が結びついた例である。それは現代でも脈々と続いていて、
たとえば昭和天皇のことを海外の書籍ではヒロヒトと堂々と書くが、
日本でそれはあまり見られない
また、日本人なら、たいして親しくもない人に姓でなく名前で呼ばれるとむっとするものである
これからの受験の季節、滑るとかいう言葉はタブーであるように
適切な場に適切な言葉という暗黙の認識が受け継がれているのである
そういった風土だから、西洋移入の言論の自由がなかなか受け入れられないのも当然なのであろう
あぼーん
プラトンってのはぴかぁ〜?
あぼーん
>>11 日本語を使う人間(日本人)によっても、階級によって「it」すなわち
「指示語」「こそあど言葉」の捉え方やニュアンスは全然変わってくるよ。
中学受験予備校で、学校の勉強だけやってれば入れるような学校ではなく、
学校の勉強は無勉で出来て当たり前、常にトップクラスの常連に君臨する
連中だった奴なんかは、膨大な文章を一定のルールに則って読まされる過程で、
自然と前後の文脈から指示語が何を指しているのかを確認しながら読むクセがついてるし、
英語教師だって、代名詞が出てきた時は、そのまま訳すのではなくて、
具体的な名前に訳しながら読めって授業でも参考書でも常々言ってるはず。
受験に出てくる文章ってのは、あれは読解力、つまり「読む」力ではなくて
「読み解く」力を試しているのだから、「トリッキーな方法を学ぶのではなくて
頭から正確に読んでいくんです!」とはならないの。受験者層によって読み方が根本的に違ってくる。
もし、現代文の意義が、現代人として、現代の文章を読んでいける、
すなわち一緒になって、現代浮き彫りになっている問題の解決手段を考え、
あるいは書評を読んでいく訓練を孕んでいるならば、人の言ってることを
そのまんま無反省に「うんうん!そうだよね!誰々はこう言ってる!」
では話にならないし。自分も一緒にアイディアを出したり、発問したり、
議論や討論が出来るようにならなければ、読むだけ時間の無駄。
48 :
考える名無しさん:2012/02/07(火) 05:48:17.95 0
本日は脳内睡眠物質の過剰蓄積により就寝させて頂きます
あぼーん
50 :
考える名無しさん:2012/03/04(日) 01:09:29.91 0
俺は翻訳をやってるんだけど、日本語って本当に欠陥言語だと思う。
それは主語と動詞の語順がどうとか、借用語が多いからとか、そういうレベルじゃない。
日本語の欠陥とは、もっともっと根深いものだ。
一言で言うと、言葉を論理的に使わないという日本人の非合理的精神に由来するものだと思う。
論理的に整合性のある文章を良しとしない民族が、哲学などできるはずがない。
51 :
考える名無しさん:2012/03/04(日) 01:32:59.85 O
ポエム言語 なぁなぁ言語
>>42 論理学は文と文の間の関係を扱うのであって、価値判断なんて端から問題にしていない。
貴方の主張自体に異論を差し挟むつもりはないが、見当違いの理屈で自説を補強しようとするのは不誠実だと思う。
53 :
考える名無しさん:2012/03/04(日) 22:29:24.55 0
欧米人は頭が悪いし言語も非論理的。リーマンショックとかみれば明白。まさに土人、野蛮人のたぐい。
54 :
考える名無しさん:2012/03/05(月) 00:31:59.92 O
>>52 善悪は価値判断だが真偽は価値判断でないというのかね
54にトリップ付け忘れた
>>50 日本語が高文脈言語であることや、主語がそもそも存在しない言語なのかもしれないことや、英語もラテン・ギリシャ語の借用語を取り除くと学問すら満足にできなくなるといったことを知っていて欠陥言語と言っているのかね
まぁ、どの言語が最も論理的合理的であるか、と言うのは考えて損はないのかもね。
歴史的にはやっぱりフランス語?
57 :
考える名無しさん:2012/03/05(月) 04:13:59.32 0
ハングルに決まっているだろ
以上、ハングルに決まりました。
やはりな
>>54 文と文の間の関係から確実に言えることは何か、を論理学は扱う。
一つ一つの文自体の真偽は問題にしていない。
論理学からは外れますが……、
しかし、価値判断は明らかに真偽判断に影響を及ぼす。
統合失調症の患者を見れば明らか。
で、問題なのは、統合失調症患者と健常人はデジタルに分けられる物では無い。
スペクトラムによって「診断」されるものに過ぎない。
このあたりは、哲学というか、少なくとも現象学には関係してくる事だと思う。
スレ違い失礼。
あぼーん
64 :
考える名無しさん:2012/06/22(金) 22:37:30.77 0
age
65 :
考える名無しさん:2012/07/27(金) 21:26:19.28 0
age
68 :
名無しさん:
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf