吉本隆明 共同幻想論 を考察するスレ 01 ■■■■■
1 :
考える名無しさん :
2011/10/31(月) 02:52:40.37 0
2 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/10/31(月) 04:16:10.68 0
角川文庫5014 改訂新版 共同幻想論のp42より フロイトの「トーテムとタブー」 >性的欲求は、男達を結合させるどころか、逆に彼らを分裂させてしまう。いいかえれば、父親を圧倒するためには、兄弟達は互いに団結しあったが、女たちの場合には、互いに敵同士になった。 >みんなが父親と同様に、女たちを全部、自分のもにしようとした。そこで互いに争いあって、新しい組織は滅びてしまいそうであった。しかも、父親の役割を演じて成功を収めるような、あくまで強力な人はもはやいなくなっていた。 >したがって、兄弟たちは、共同生活をしようとすれば、近親性交禁止のおきてを作るしか、もう仕方がなかったのである。 『 近親相姦は家族という構造を壊す、だから近親相姦をタブーとした 』 とか、書いてくれればすんなりと受け入れられるですが、 なぜ、こんなややこしいたとえ話をフロイトは作ったのでしょうか? あるいは、我々の深層心理において、これは事実なのでしょうか? ご存じの方いたら教えて下さい。
なんなのそのリンク?アホなの?
対幻想が恋人とか親子間であって、共同幻想が集団で起こるんでしょ。
5 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/10/31(月) 18:07:50.31 0
そうです。
6 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/11/01(火) 01:18:27.20 0
つーか、古事記とか柳田とかは娯楽で楽しむもの、と思ってたけど、違うんですね。 研究対象になるんだ。
7 :
考える名無しさん :2011/11/01(火) 03:26:34.55 0
対幻想も共同幻想だろ。 つまり人間には私的幻想か共同幻想しかない。 吉本隆明の区分はわかりづらかった憶えがある。
8 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/11/01(火) 03:41:05.92 0
9 :
考える名無しさん :2011/11/01(火) 03:46:47.14 0
対幻想というのは誰かと共同化されているわけだから 共同幻想でいいんじゃないの? 私はわかりにくかったなあ。共同幻想の中に集団幻想・対幻想としてくれる ほうがすっきりするんだけど。
10 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/11/01(火) 04:09:52.46 0
>>9 つーか、あなただって、社会に対する気持ち(共同幻想)と、家族、恋人に対する気持ち(対幻想)は違うでしょ。
種類の違う幻想じゃないですか。
11 :
考える名無しさん :2011/11/01(火) 04:21:58.97 0
そういう情緒的な区分がわかりにくくしてる。 感情にとらわれすぎてると思う。 対幻想といえば集団幻想とは違うのは当然わかるだろう。 しかしどちらも共同化を土台にしている。 ところで家族は対幻想なの?父親母親兄弟姉妹祖父母も入るのに? 家族幻想と言うのは集団幻想にちかいんじゃないの? 対幻想というのはちょっと。 ごめん。「共同幻想」なんてずいぶん昔に読んだので。 数学や国語や諸分野の学問がつながっていると言う見解には当時、新鮮だった。
12 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/11/01(火) 04:36:26.96 0
>>11 > そういう情緒的な区分がわかりにくくしてる。
> 感情にとらわれすぎてると思う。
たぶん、情緒的、感情的な話だと思う。
> ところで家族は対幻想なの?父親母親兄弟姉妹祖父母も入るのに?
> 家族幻想と言うのは集団幻想にちかいんじゃないの?
そう言われてみればそうですね、家族の延長線上に共同体がある、って感じで。
> 数学や国語や諸分野の学問がつながっている
たぶん、これは勘違いだと思う。
13 :
考える名無しさん :2011/11/01(火) 04:40:05.15 0
諸分野の学問がつながっているとだんだん見えてきた というように対談形式で言ってたんだけど 「共同幻想」じゃなかった?
14 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/11/01(火) 04:44:16.62 0
>>13 つーか、wikiにマルクスとフロイトをドッキングさせた、って書いてあった。
数学はないと思うw
15 :
考える名無しさん :2011/11/01(火) 05:03:49.26 0
いや、数学とか国語とか子供時代の勉強に絡めて話してたんだよね 。(笑) もういいや。 「トーテムとタブー」はよくわからないなあ。 しかし怖いなあ。深層でそういう心理が生きているのかな? 見てみぬふりをして強く押さえ込んで生きているのだろうか?
16 :
考える名無しさん :2011/11/01(火) 05:05:07.24 0
背負ってというか。
17 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/11/01(火) 05:31:07.96 0
>しかし怖いなあ。深層でそういう心理が生きているのかな? とりあえず、この辺をこの板の先生に教えてもらおうと、いう趣旨なんですよw
18 :
考える名無しさん :2011/11/01(火) 05:44:13.04 0
>>2 フロイトが生きてきた歴史的背景を知ればその辺の事は分かるよ。
フロイト自身もものすごい精神的な病に苦しんでいたんだよ。
詳しくは「フロイト最後の日記」で。
ラカン信奉者にフロイト読んだことないやつが多いことに失望する
20 :
考える名無しさん :2011/11/01(火) 06:05:13.34 0
>>17 私も教えて貰いたいと思ったもので同語反復してしまいました。(笑)
21 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/11/01(火) 14:23:45.40 0
>>18 > フロイト自身もものすごい精神的な病に苦しんでいたんだよ。
とすると、フロイトにも、
>みんなが父親と同様に、女たちを全部、自分のもにしようとした。
このようなえげつない心の動きがあった、ということでしょうか?
こないだ図書館に行ったら心的現象論を借りてるおじさんを見かけたよ。 本は誰も借りないらしくてピカピカだった。
23 :
考える名無しさん :2011/11/01(火) 17:26:18.88 0
何回も同じこと書くな
24 :
考える名無しさん :2011/11/03(木) 23:11:45.05 0
>>14 共同幻想論は、たしかにマルクスとフロイトのドッキングだろうね。
ただ、マルクスはともかく、今フロイトの評価が急落しているからぁ。
フロイト主義そのものがグダグダなのだから、それを応用した形の吉本の共同幻想論も
かなりグダグダだよな。
一般的な説明では、吉本思想は、 マルクス:共同幻想論 フロイト:自己幻想論 と大雑把に位置づけた場合、それと別に、 対幻想論の位相を独自にとりだしたところが 吉本思想だとされている。
28 :
考える名無しさん :2011/11/05(土) 21:35:16.84 0
フロイトが扱っていたのは自我の問題と文化の類的問題で、 フロイトの場合は個体なる幻想から共同なる幻想へと 一挙に問題意識を接続しちゃうんだけど、 吉本思想はそのどちらでもない対なる幻想を設定した。 そこがフロイト主義とも一線を画しているんだよというのが 吉本氏自身の主張でもあったんじゃなかったかな。
>>28 いや、リビドー論が対幻想論でしょ?
もしそうならリビドー論は、自己幻想の問題になっちゃうの?
対幻想論は家族論(親子、夫婦関係)であり、それはフロイトがリビドー論を展開した領域だよ。
むしろ、吉本は、フロイトはリビドー論を家族領域だけでなく社会論にまで拡張した点が間違いだって言うんでしょ。
共同幻想が上部構造であり、対幻想がリビドーだよ。
禁止がかけられて上部構造がつくられるということですか? それは家族の段階でそうなのでは?
31 :
考える名無しさん :2011/11/06(日) 00:46:12.49 0
横レスですが、フロイトはなんでも性に還元してしまう、つまり自我の問題も社会の問題も性に還元してしまう。 それは吉本流にいわせれば、自己幻想も共同幻想も対幻想に還元してしまうということになるのでは。
最近無知多いな もっと本読めばいいのに。
34 :
考える名無しさん :2011/11/06(日) 01:08:44.65 0
最近無知多いな
もっと本読め32 :考える名無しさん:2011/11/06(日) 01:02:10.20 0
最近無知多いな
もっと本
もっと本読めばいいのに。
33 :考える名無しさん:2011/11/06(日) 01:08:20.52 0
>>32 ご苦労
34 :考える名無しさん:2011/11/06(日) 01:08:44.65 0
>>32 まだ決定論を読んでいないのか、無知め
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名読めばいいのに。
ばい最近無知多いな
もっと本読めばいいのに。
いのに。
36 :
考える名無しさん :2011/11/06(日) 07:14:57.90 0
>>29 単に家族の問題、性の問題を扱うから、対幻想論じゃないと思うんだなあ。
それを独自の領域としてとりだしたところに吉本思想があって、
フロイト主義の場合は、自己幻想から共同幻想までのすべての幻想領域を一緒くたに
しちゃっているという意味ですよ。たしか吉本さん自身がそんな主張をしていたはず。
>>36 いや、そういういい方ならわかるけど、それだと、
マルクス:共同幻想論
フロイト:自己幻想論
と言う区分けはおかしいでしょ。
フロイト:共同・対・自己幻想
と言うことになる。フロイトの中ではそれは未分化なんだから。
吉本の思想はあくまで、上部構造(共同幻想)、対幻想(リビドー)だよ。
フロイト主義を対幻想性に限定した。
限定したと言う点で、独自だと言うならわかるけど。
吉本自身は何か新しいものを発案したわけじゃない。
カテゴリー整理を行っただけ。
>>37 マルクス:共同幻想論
フロイト:自己幻想論
吉本:対幻想論
というのはもちろん大雑把な相対論的分類だよ。
吉本さんだって共同幻想や自己幻想について大いに論じているしね。
その意味ではどの人の思想もカップリングしている。
とはいえ、それぞれの相違をあえて特徴づければ大雑把に見て、
本質論の力点が異なってくる。
フロイト主義は対幻想を未発達なものとして自己幻想と共同幻想に
還元してしまう傾向が強かったのを吉本さんは修正してアジア的な段階
やらアフリカ的な段階やらを「普遍的なもの」としてとりだそうとした。
そういう思想的スタンスの違いがある。
>>31 フロイトにはどうやら性が実体としてあるようで実体の延長として幻想領域総体がある。
もう一つは自我という概念へのこだわりが西欧思想にはあって、
フロイト主義もそこから自由ではなかった。
少なくとも共同幻想論の中での吉本さんにはそれへの批評的な意識があったのではないかなあ。
フロイトの問題意識をある種の方向に拡張したという意味ではフロイトの後継者ではあるけれども。
40 :
考える名無しさん :2011/11/06(日) 09:30:52.10 0
>>37 > カテゴリー整理を行っただけ。
いや、単なるカテゴリーの整理ではなく、そこが思想的に本質的だという見方が
吉本を評価する立場からするとあると思うんだなあ。
単なる概念上のカテゴリーという話ではなく、社会論・倫理論として
そこに本質的な意味がある、思想的切断がある、そういう評価がなされていると思う。
>>30 >禁止がかけられて上部構造がつくられるということですか?
禁止がかけられて、上部構造ができると言うわけじゃない。
吉本からしたら、下部構造から上部構造が疎外されるのは自然哲学上の必然。
その一形態として、「逆立」になるということでしょ。
この逆立という考え方は、フロイトの超自我が自我を抑圧するという構造の流用だとは思うけど。
>>38 まあ、そこまで行くと解釈の問題になるかもしれないが、吉本がフロイト思想と同じ欠陥を
抱えているのは確かだと思うよ。
フロイトはリビドーを反証可能性が生じるほど、明確に定義できなかった。だから、今では疑似科学扱いされる。
なんでも性、性に還元できちゃうと言う点で。
吉本も、最後まで対幻想を明確に定義できなかった。そこはフロイトと変わらない。
共同幻想は、法制度という形であるていど明確化できるが、性はどうしても曖昧化するからね。
性的要素が社会に与える影響は大きいだろうけど、どこまで科学として明確化できるかは、難しい問題だ。
吉本はマルクス再解釈者としてはすごいと思うけど、フロイト解釈になったらかなりグダグダだよ。 「国家は幻想化された性」とか言われても、はぁ?って感じ。
43 :
考える名無しさん :2011/11/06(日) 10:01:04.50 0
>>41 フロイトは性を実体として捉えた面があった。
だからフロイト主義には将来的には反証可能性が出てくるんじゃないかな?
吉本の対幻想論は「なんでも性に還元する」のとは違うと思うんだなあ。
むしろ「還元するな」と言っているわけで。
44 :
考える名無しさん :2011/11/06(日) 22:43:37.10 0
>>31 だけど、フロイトが唯性論というのは常識的な見解で、当時の吉本もそれに則って対幻想と他の領域の峻別を説いた。
もう一つ、フロイトには個体発生と系統発生の重ね合わせの発想があって、これも当時は吉本は一蹴していた。
ところが、晩年になると吉本はいずれも肯定するようになってきたわけです。
いろんな場面で、吉本の主張が1970年頃までと1980年代以降とではひっくり返っていることに気づく。
45 :
考える名無しさん :2011/11/06(日) 23:43:50.09 0
リビドーと対幻想にはかなり距離を感じるけどね。 リビドー概念には生物学的概念にかなり依拠しようとする意図を感じる。 対幻想はそんなことを問題にしない、そこから独立に扱える問題なんだ というニュアンスが少なくとも共同幻想論の中ではあったのでは? とはいえ、 その吉本さん自身にも対幻想を家族や生物学的性に還元する向きがあった。 還元とまではいかなくとも、その実体像にこだわりつづけた。 共同幻想論を読むと、バイオテクノロジーが男女の生物学的性を超越しちゃう そういうところまでを見越した幻想論になっているような気がしながら読んだ。 しかしその一方で、家族の崩壊=対幻想の崩壊であるかのように現在家族の問題 を情況論的に語ったり、ウーマンリブが産む性からの技術的解放を望む衝動を 対幻想の危機であるかのように語ったり、フロイトに舞い戻っている感があった。
クリシンとかヨシモトとかおわこんじゃね
あまなは始まったためしもない
始まらず終わったのが佃煮(あまな)
どう終わったのか説明して。そこが大事。
自分の終わりも自覚せず亡霊のように高みの見物をしている あまなには無理。
なんだこの信者の必死な自演はw 精神分析とかアミニズムなんてもう過去の遺物なんだよw 患者にお祓いしたり精神分析を施すと状態が悪化する事が分ってすっかり廃れたんだよ。 意識にまつわるあれこれをごった煮にしてしまった吉本の真似をしてインテリぶろうとする世代が昔いたけれど、 今はもうそんなのバカにされるだけだよ。 未だにわかってないやつが似た様な事してポーズとりたがるからなあ。
じゃ黙って去るかすればいいのに(笑) おれ信者じゃないから黙って去るもんね。 佃煮目立ちたがりの知ったかぶり。シンコテの売り込みかい?や〜い
入眠幻覚がある人の自我をフロイト的に解体するとか今の医学ではありえないからねw シャーマンの多くについて歯切れの悪い説明してるようだけど、あれはようするにてんかんだし。 まあ言ってる事はめちゃくちゃなんだけど、文体がかっこいいんでしょ、この人。
最初からそう思ってニヤついてたんだろう? 心的現象論が新品だとか言って。あほすぎ。
終ってる理由を説明しろとか言って説明するとそういう幼稚な反応しかできないんでしょw ああそうだよ、心的現象論なんてだれも借りてないから新品みたいにピカピカだったよw まったく吉本スレ界隈は頭のおかしい信者が巣くってるからなあw
そこにくるからなあ。w
団塊とか団塊ジュニアの暑苦しいおっさんで埋め尽くされてるんでしょ、このスレとかw ああきもちわるいw
紳士ぶって最初はやってくるが結局こういう人です(笑) 他のスレにも出没してます。(笑)
中島みゆきとか浜田省吾とか河島英五とか聞いてるおじさんきもすぎ! 絶対イヤ!
>>45 つまり、「対幻想=性」ではない、というニュアンスが共同幻想論にはまだ垣間見れた。
しかし対幻想論の情況論的語りのほうでは、結局、「対幻想=性=家族(母子)」の範疇に
徹底してこだわった。たしかに情況論的にまだその範疇が有効だと考えたのかもしれない。
しかしそれは本質論ではない。
共同幻想論では本質論的な男女の差異をとりだそうと、
生物学的性に還元できない対幻想論をほのめかしていた。
>>45 >>60 あははw
なんかもっともらしく言ってるけど、結局、「対幻想」は明確に定義できないんでしょ。
定義できないものを議論したって、意味ないよ。
議論が哲学的というよりも、思弁的、スコラ的になる。
リビドーと対幻想が違うというのなら、お互いをまず定義すべきだ。その上で区別をつけるべき。
フロイトも吉本も、自分の造語を明確に定義できなかった。
その点は変わらないよ。
本人も定義できない、造語を振り回されても。
もしそれが許されるのなら、吉本思想は思想と言うよりも、文学だね。
考える文章と言うよりも、感じる文章だ。
定義できないものを中核にして展開された共同幻想論なんて、砂上の楼閣そのものだ。
対幻想=性的な対象をめぐる記述とその思惟構造。 象徴的な共同体を個人の欲望を媒介に破壊する効果を持つ。 自己内幻想に自足しないために、現実界(ラカン)の範疇にあるとも言えるが、 国家及び共同体(ヘーゲル)に回収され、民族の存続に奉仕する生殖という体 制維持に加担する危険も合わせ持つ。 フレーゲによる一対一対応(ヒューム)の数学的再評価と呼応し得る。
>一対一対応(ヒューム)の数学的再評価 だから対現実と呼ぶべきなのだ。
64 :
考える名無しさん :2011/11/10(木) 00:23:01.49 0
対幻想は生物学的性とか性的衝動とはなんの関係もないでしょう。 家族ともなんの関係もない。 それは互いの承認自体が目的である関係しか指していない。 男女や親子の関係である必要がいっさいない。
65 :
考える名無しさん :2011/11/10(木) 00:26:33.91 0
>>61 リビドーも定義できないのなら、リビドーと対幻想が同じだとも言えないはず。
そもそも対幻想は科学の対象だろいうか。
>>41 はどういう意味で科学の対象だと思っているのだろうか。
その場合の科学とはどう定義されている?
う〜ん、吉本自体の対幻想の定義が曖昧だからなぁ。 その読者の解釈もどうしても多元的になるなぁ。 >それは互いの承認自体が目的である関係 たしかに対幻想は一対一の関係でもあるんだが、共同幻想論では「性的交渉」と呼んでいる。 あと家族の本質でもある。 性的要素も十分含んでるんだよねぇ。あくまで性的要素を排除しだしたのは、後からでしょ。 共同幻想論の中では明らかに「性」性を対幻想の大義の中に含んでいる。 ここはまだフロイトの影響下なんだよなぁ。
対幻想の問題点は具体性に欠けるところだ。 具体化できないから、なにか曖昧な文学的存在になる。 吉本が、兄妹、姉弟の対幻想が空間的に拡大して国家が成立したと言う主張は有名だが、 この場合「対幻想」をどう定義する? どう解釈する? いったい、具体的になにが空間的に拡大したんだ?
対幻想は本質規定で家族はあくまで歴史規定じゃないのかな。 対幻想を社会論ないし歴史論として語るときに、 家族という形態、親子という形態、男女の性的関係という形態は、 いまのところ無視して論じれない。 単にそれだけのことであって、対幻想それ自体は家族とも性とも なんの関係もないんじゃないだろうか。 とはいえ、たしかに、そこは曖昧にわざと(?)しているところが 吉本さんの言動にあるね。
69 :
考える名無しさん :2011/11/10(木) 19:19:42.46 0
動物行動学、社会生物学に明るい人、いないかな。 動物の社会という場合、大抵そこで指し示されるのは人類社会でいうところの家族か親族。 つまり、これを超える社会形態、要するに人類社会でいうところの国家をもっている動物はいるの?
動物にはイデオロギーや宗教や文化がないんだから 国家もないでしょう。
ふ〜む、確かにマルクスは人間の性的な部分を軽視しすぎている。というか、配慮していない。 これはフロイトも指摘していることだ。 そこはマルクスの欠陥だとは思うんだけど、世界には具体的に性がさまざまな影響力を持っている。 AV業界や風俗産業は大きな経済的影響力を持っているし、政治的儀式も性的な要素、セックスを 模擬したものが多い。文学やドラマはほとんど恋愛物だ。 しかしだ、だからと言って、どうやって性的要素を国家論に結びつけるんだ? リビドーと国家が結びつかないんだ。 リビドーと国家にはミッシングリンクがある。
イタリアのチンポコ首相が辞めて全世界同時不況になった
吉本は言った。 共同、対、自己幻想はそれぞれカテゴリーが違い、独自の法則で動いていると。 確かにその通りだ。 しかし、だからこそ、この3つは交じり合わないんだ。 マルクスとフロイトは補完、融合すべきものじゃない。 カテゴリーが違うものなんだよ。 その二つを融合させようとしたところに、吉本の間違いがあるんじゃないのか? 兄妹、姉弟の対幻想の空間的拡大が共同幻想に転化しただなんて、こじ付けだ。 交じり合わないものをムリヤリ、くっつけようとしてこじつけたものだよ。 対幻想はどれだけ空間的に拡大しても、共同幻想には転化しない。別物なんだから。 マルクスの上部・下部構造論に、対幻想が入る余地なんかないんだ。
>>73 対幻想はどれだけ空間的に拡大しても、共同幻想には転化しない。別物なんだから。
それこそ吉本の主張していることじゃなかったのか?
もっとも吉本の思考回路には自分もよくわからないところがある。
たとえば対幻想というのはあくまで2人の関係で、それは夫婦関係にとどまらず親子、兄弟・姉妹の関係でも
つねに1対1の関係に還元されて、顕在的・潜在的に性的な関係性だととらえられているように見える。
このような吉本の思考回路にはどことなく近親相姦への親和性が感じられる。
また、友人・知人の関係も、これでいくとすべて1対1の性的幻想を潜在させた関係性に還元されなければならなくなる。
そういうことは明言していないが。
1対1の関係の束となった家族という関係性そのものはもはな対幻想ではなく共同幻想としなければならなくなるような概念規定が含まれてしまっている。
至る所で詰めると行き当たる、こういう論理の詰めの甘さは吉本の詩的思考回路に独特のものだな。
論理的にはいろいろな要素が詩的インスピレーションの中にごっちゃに含まれたまま精錬されずに投げ出されたままになっている。
しかし、そこからいろいろな着想を掘り出そうとすればいろいろ出てくる原石のようなものだと思うことにしている。
75 :
考える名無しさん :2011/11/11(金) 08:00:04.93 0
>>67 > 吉本が、兄妹、姉弟の対幻想が空間的に拡大して国家が成立したと言う主張は有名だが、
それは共同幻想論のなかの母制論あたりかなあ。
つまり母系制もしくは母権制の社会の成立条件について述べているところ。
母系制もしくは母権制の社会が可能になったのは、
対なる幻想が共同なる幻想に「同致」されるような祭儀を通じてだったのであり、
その空間的拡張に耐えうる対幻想は兄弟姉妹のそれだけだろう、と論じているところ。
>>69 母系制の群れをつくる哺乳類では民俗学で研究されているいわゆる若者組みたいな群れを
一時的に若い雄がつくる形態がありますね。
ほら、自演でもしないかぎりスレが伸びないだろ? 今どき吉本なんて時代遅れなんだよ。 スレ01なんて思い切ったタイトルつけちゃってさあ、恥ずかしいよね。
伸びないなら伸びないでいいじゃん。それが答えだ。 わざわざ心配してんのか?内心嗤ってるだけのくせに(笑) ほんとに嫌な奴(笑)
79 :
考える名無しさん :2011/11/13(日) 19:26:32.40 0
>>77 最初からはっきり物も言わずほんとに意味のない人だ
この人って原発が安全だって言ってたんでしょ? バカじゃん。
なんだ自分よりバカさがしてんのか?
えっまさか311のあとも原発安全神話を信じてるの? 痴呆か何か?
ちゃんと読んでる?(笑)
でも、あの災害は確実に原発安全点検の教訓になったよ。 昔はともかく、今の原発はかなり安全でしょ。 津波や電源喪失の対策も他の原発はちゃんとできてるはず。
>>84 ねえ本気なの?
それ冗談じゃなくて?
吉本信者って寒いな〜(笑)
愚民そのものだわ!
あまな終わってるな
信者って全員オムツ着用してるの?
(笑)ばかだ。こいつ
吉本みたいなのが識者って言われるような日本だから海外からバカにされるんじゃない?
あほ(笑) こんなとこでいきがってるよ(大笑い)
電力なんて火力と水力だけで十分間に合うのに、ウランをアメリカからわざわざ輸入してる実情を知らないの? 放射能は水で洗えば安全だと思ってるの?どこが安全なのよ?
共同幻想論(笑)
ほんとバカだよなあ。信じられないレベルだよ。
あまなは吉本新喜劇だな。 そこまで腹にいちもつありながらすまして出入りしてるんだよ。 こいつ(笑)
96 :
考える名無しさん :2011/11/13(日) 19:57:51.77 0
タイトルだけはかっこいい われわれの共同幻想の成立・崩壊をもう一度 分析すべきだな だまされないためにも
吉本と吉本信者は全員オムツをはいて福島の浪江町に移住しなよ。 それで原発が安全って言うなら信用するよ。
空疎だな。いつも
佃煮って前々からちゃんと反論してたの?
>>75 のつづき
つまり、例外として、対幻想と共同幻想が重なり合うような(仮装で現れる)形態を
母権制社会に見出せると論じられているだけであって、対幻想を空間的に延長すると
共同幻想と同致できるということを論じているのではないと思うんだなあ。
でなければ、結局、批判したフロイト「主義」に逆戻りしてしまう。
それはおかしいだろ。 そうなら、そもそも共同幻想論で対幻想論を展開する必要がなかった。 吉本は、3つの幻想領域が違うといっておきながら、明らかに対幻想の拡大が国家といってるんだよ。 少なくともその違いを曖昧に語っている。 そこにカテゴリーエラーと矛盾がある。 だいたいそうじゃないと、中上の「国家は白昼に突発する幻想化された性」という表現がおかしくなるだろ。 吉本は共同幻想論の時点では明らかにフロイト主義、性的交渉論を引きずっているんだ。 対幻想に性的要素を排除しだしたのはその後。 吉本自身その間違いを認めたから、性的要素を排除しだしたんでしょ。
102 :
考える名無しさん :2011/11/14(月) 12:12:30.58 0
>>101 吉本氏がそう言っているというのは具体的にどの文献のどの箇所?
103 :
考える名無しさん :2011/11/14(月) 15:55:41.56 0
1967年の講演「幻想としての人間」から抜粋しときます。 《…それから家族の共同性あるいは一対の男女の共同性、つまり性的な共同性といいますか、対幻 想の世界、領域というのは、必ずしも社会あるいは国家の共同幻想性にたいして(個人幻想のよう には)逆立ちはしませんけれども、まったく次元と位相が違うというところから由来する矛盾とい うものを、必ず生ずるわけです。そこで、国家の共同幻想性というようなものを、直ちに対なる幻 想の領域の拡大、拡張というふうに理解すべきではないというような問題意識がでてまいります 。》 《この問題は、たとえば現象学的な人間学あるいは現象学的な精神医学が非常に無造作に考えてい る点であって、そこでは個体の幻想性というものを拡大していけば対なる幻想性とうものが成り 立ち、対なる幻想性を拡大していけば社会的な幻想性の問題に到達できるというような無造作な 考え方が存在しています。しかし本当はそれほど無造作ではないのであって、個人がいったん他者 を意識する場合に生じる問題と、それが共同性、つまり複数、多数を包括する共同性としての問題 に拡張される場合には、必ず、ある基軸が存在して、その基軸において次元と位相を異にするとい うような問題が生じるものであります。》(『吉本隆明全著作集14』262-263頁 勁草書房) あと、対幻想については、同じ講演の中で《人間がいったん他者と関係付けを行おうとする場合は 、必ず性としての人間という範疇で他者と関係付けられるわけです。だから、それが男どうしの 関係、たとえば友情というようなものでも、あるいは女どうしの友情というようなものでも、その 関係の本質というものをどこに求めるかといいますと、それはやはり性としての人間ということ が原形になっているわけです。》と言っており、これも参考になると思います。
馬鹿馬鹿しい。 吉本自身が対幻想の定義を明確化していない以上、読者がなに語ったって意味ないよ。 ノストラダムスの大予言解読と大差ない。
いや、私は何も言わないで吉本が語っているわけだけど(笑)あの、どの辺が分からないのかな? 思想用語としてはそんなに難解な部類ではないと思うけどね。あと、吉本の説明もよくされてる よ。著書が多いから探しにくいのはあるかもしれないがね。『共同幻想論』だけでも用語は中で説 明されてる。それは読めば分かることだけどね。 《〈性〉としての人間はすべて、男であるか女であるかいずれかである。(それが対幻想の領域であ る)》(『改訂新版 共同幻想論』182頁 角川文庫) 《わたしたちはさしあたって〈対なる幻想〉という概念を、社会の共同幻想とも個人のもつ幻想とも ちがって、いつも異性の意識でしか存在しえない幻想性の領域をさすと考えておこう。》(同上 183頁)
いや、だからその定義では思いっきりフロイト主義を引きずってるじゃん。 後に、「性は関係ない」と言い出したのと矛盾する。 そもそも、その定義では意味ないよ。 「性」が定義されてない。 >異性の意識でしか存在しえない幻想性の領域 その領域はその気になればいくらでも拡大可能だ。 そんなものも性だ性だと言い出しうるからだ。
対幻想は具体化できないんだよ。 対幻想が具体化したものはなんだ? だから思想としては意味ない。 対だ性だといわずに、普通にプライベート領域とでも言えばいいだろうに。 だいたい、共同幻想と関係ないのなら、どうして対幻想論を共同幻想論の中で語ったのか? その説明ができない。 共同幻想を語るのに、対幻想など持ち出す必要がなかった。
結局、対幻想論なんて、フロイトのリビドー論を改良して、何とか使い物になるように努力しようと 思いましたが、結局ムリでしたって言う話でしょ。 「性は関係ない」と言い出した時点で、もうフロイトのフォローは無理だと吉本も思ったんだよ。
ちょっと待った。「性は関係ない」と言ったのは私。
>>64 ただし、吉本対幻想論のバックボーンにフロイトがあることはそのとおりだろうし、
フロイトというか、俗流フロイト主義に回収されてしまう面が皆無だ
と言い切るつもりは端からない。
その点については吉本思想にいくらか不満を持っている。私の誤解かもしれないが。
ただしフロイト主義と距離をとろうとするスタンスは常に吉本思想のなかにあったし、
彼自身、再三にわたってその点について語ってきたこともたしかに認めざるをえない事実で、
こっちのほうが吉本思想の正統でまっとうな解釈であろうとは思う。
性的要素が社会に影響を与えてるのは確かだけど、それは偶有性が高すぎるんだよね。 だって、恋愛の形とか、フェチとか人それぞれでしょ。 対幻想は2人っきりの関係だから、いくらでも社会常識や世間体から乖離できる。 そういう関係が特徴なんだろうけど、でも、それがゆえに一般論として語れないんだよ。 一般論として語れないがゆえに、科学にそぐわない。 文学や芸術論の一種ではあっても、社会論とかに拡大すべきものじゃないよ。 性なんて、せいぜい統計学的に、「女は地図を読むのが下手、男は人の話を聞くのが下手」 みたいな、男女の性差についての傾向性論としか語れないでしょ。 男の得意な分野(肉体労働とか、数学とか)、女性の得意な分野(子育てとか、服飾や装飾とか) みたいな区分けはできるけど、「男女の一組の組み合わせ」という語り方は難しいと思う。
>後に「性は関係ない」と言い出したのと矛盾する。 いや、そこはね、生物体的な性差ーすなわち雄雌ーとは関係ない、という意味なんで。生物体の性 差とは無関係、という意味で言ったと思います。対幻想でいう〈性〉という場合、そういう性差とは 無関係ですよ、という意味。そこを誤読されてると思います。
ふん。 結局抽象論に逃げてるじゃないか。 雄雌と関係ないのなら、何と関係してるんだ? 具体性も反証可能性もまったくない。
具体性は現在の方が性が多様化してる分、幾らでもあります。そこは現在の方が60年代に言われ た時よりも説得力があるでしょう。少なくとも「具体性がない」は当たらない。むしろ状況の方が 対幻想論に追い付いた、とも言える。そう思いますね。しかし読解力ないなあ。(笑)そんなに難し いかね。(笑)
ほらすぐ過疎る。今どき吉本なんて流行らないってことだな。 だって時代遅れなんだもんね。読んでて恥ずかしいレベル。
117 :
考える名無しさん :2012/01/01(日) 15:42:29.26 0
吉本の思想はあくまで、上部構造(共同幻想)、対幻想(リビドー)だよ。 フロイト主義を対幻想性に限定した。 限定したと言う点で、独自だと言うならわかるけど。
>>116 そこにわざわざ文句書き込みにくるバカ。
過疎るのがよほどつらいらしい。ほんとアホ。
119 :
考える名無しさん :2012/01/03(火) 17:11:03.62 0
吉本なんてボケ老人だろ
アホ(佃煮)とボケ(吉本)の闘争
121 :
考える名無しさん :2012/01/13(金) 17:44:48.81 0
うんこ
・・は孤独な作業
頭がおかしくなりすぎて娘に引導を渡されましたねプ
↑私も恋していたんです。
親の子作りの思惑はすべてビジネスで成り立っている。 親が子に愛情をかけるのもすべて将来への投資である。 投資の見込みがないと見るや否や、親にとって子は障害以外の何者でもなくなる。 親の本音は労働者を容赦なくリストラせよと経営者に迫る投資家に一番近い。 親子関係のすべての悲劇は、 マルクス主義的な資本家と労働者の再生産との間の悲劇に由来する。 家族の本質は対幻想ではなく共同幻想である。
126 :
考える名無しさん :2012/01/18(水) 08:40:38.00 0
対幻想・共同幻想の吉本幻想領域論ってフロイトというよりは ゲゼルシャフト・ゲマインシャフト論のテンニースじゃないか?
親の子作りの思惑はすべてビジネスで成り立っている。 親が子に愛情をかけるのもすべて将来への投資である。 投資の見込みがないと見るや否や、親にとって子は障害=ゴミ以外の何者でもなくなる。 親の本音は労働者を容赦なくリストラせよと経営者に迫る投資家に一番近い。 親子関係のすべての悲劇は、資本家と労働者との間の利害に由来する。 家族の本質は共同幻想と個人幻想との結託を対幻想によって偽装していることにある。 偽装はあくまで偽装でしかない。すべての家族の悲劇はここに由来する。
128 :
考える名無しさん :2012/03/16(金) 07:38:14.80 0
学生時代に読んで受けた衝撃は今も忘れません。思想が人を時代を動かした−間違いなく「巨人」でした。 ここ何年かで私に考える力を与えてくれた方々が旅立って逝かれます。寂しい限りです。 ありがとうございました。安らかにお眠り下さい。
吉本隆明の思想に毒された者は 世の中の全てを吉本隆明的方法論で考えてしまうものだ☆ 潮崎選手の場合…* かわいいスモールパッケージチンポ…☆ & コンパクトなスモールパッケージ金玉* ジョージ高野のチンポレプリカを買う時 「5万円も出せないから、少しマケてよ」と頼んだら 「価格は下げられない代わりに、もう一つ、オマケに付けるよ」 というのでOKすると オマケとして出てきたのは、なんと子供のチンコのレプリカ* 「子供のチンポレプリカなんか要らないよ。 俺はレスラーのチンポレプリカが欲しいんだ」と 文句を言うと、「お客様、それは子供のチンポレプリカではなく 潮崎選手のチンポレプリカなんですけど」と一蹴された* また 売店に行って買ってきたヨ☆ 今度はオマケとして出てきたのは、なんと細くて長いチンポ!* 「こんなに細くて長いチンポなんか要らないよ」 と 泣きながら文句を言うと、 「お客様、チャンバラをする時には 細くて長いチンポが有利なんですけど」 と一蹴された☆ 「チンポプロレスカード」はブームになりそうだね!* カードでチンポをガードせよ!* お前らァ! 一日中チンポを咥えてると チンポ色したウンコが出て来るぞ!* バナナばっかり食ってると 黄色いウンコが出て来るだろ! それと同じだ☆ 吉本隆明の次女は作家の ヨシモトバナナさん* 吉本隆明の思想に毒された者は 世の中の全てを吉本隆明的方法論で考えてしまうものだ☆
モコだ
132 :
考える名無しさん :2012/03/16(金) 16:46:22.87 0
糸井重里の番組で、「マルクス主義の構造を芸術に取り入れたかった」と言っていた。 俺は、これを聞いて、やはり吉本は偽物だと思った。 いくら流行だからといって、マルクス主義を全く別次元のものに取り込むなんて出来るはずない。 経済理論としても、その正しさが疑われているものを、日本得意のメタ論理で、ほかの次元のものに結び付ける。 そんなものからは何も出てこないし、現に出てこなかった。 日本の歌舞伎のなかに、相対性理論は見出せない。 当たり前だ。全く別の次元のものだから。まったくつながらないから、誰もわかるはずないのに、 それを難渋な言葉で埋めて、さも何かありそうに見えさせる。 吉本はこれだ。俺はそう思ってる。
>>132 おまえそれ柄谷行人にいってこ
馬鹿にされるから。物事は何にでも結び付く持論を永遠説いてくれるよ
134 :
考える名無しさん :2012/03/16(金) 17:02:51.45 0
俺の主張は正しいよ。 日本の言論界は論理性が破たんしていて、それが日本が抱える問題の本質をわからなくしている。 パンツ汚い。 自民党は汚い。 ゆえに、自民党はパンツであるという、変な論理がまかり通っている。
135 :
洋楽れべる :2012/03/16(金) 17:23:33.47 0
・・・・・・・・ おぷしょん かも?
136 :
洋楽れべる :2012/03/16(金) 17:29:13.45 0
こゆいの ・・・・・・ こゆーい JKP ぶるせら電波
>>132 あれは、理論的遺産を芸術(詩学)理解に適用したかった、と言っていたのでは?
吉本は資本の再編成による社会や言語の階層分化(つまり構造ね)の外部にこそ
芸術的な“美”が発見される(だろう)と糸井に対して説明していたわけで、
これは社会進化とその宣材(つまり従属物)としての文芸といったプロ芸に対する批判でもある。
そういう意味では吉本は最後の最後まで反党官僚的知識人だったわけです。
でも、このような一種のロマン主義的美化はバーリンによるサルトル批判ですでに無効になっているわけで。
基本的にヘーゲル主義者である吉本は実存に対する相当なこだわりがあったんでしょう。
これこそが彼の原動力だと思いますよ。
結局吉本の思想の問題点は、対幻想の不明確さだよな。 対幻想を男女の異性間の恋愛感情だけに限定すればよかった。 同性でも成立するとか、一対一とかいい出した時点で、支離滅裂になったんだよな。 今で言う「萌え」感情と言う程度の意味でよかったのかもしれない。
共同幻想は、たしかに民主化以前は重要な概念だとは思うけど、現状じゃ意味ないよねぇ。 個人主義の発達した民主国家で共同幻想といわれても。 国家が完全に、システムとして完成されてしまっている。 宗教国家や全体主義国家のように、そこにアナログな幻想性が介入してくる余地がないんだよ。 幻想性が支配の正統性たりえない。 国家が霧のような幻想ではなく、明文化され、意識化された法制度として完成されてしまった。 ウェーバーが言うような、カリスマ的支配や伝統的支配は共同幻想と呼べるかもしれないが、 合法的支配は共同幻想とはもういえないだろ。 大きな物語の終焉、歴史の終わりは、共同幻想の解体でもあったと思う。 すべてはもう小さな物語、自己・対幻想の歴史になってしまうと思う。
140 :
考える名無しさん :2012/03/17(土) 11:47:37.66 0
>基本的にヘーゲル主義者である吉本は実存に対する相当なこだわりがあったんでしょう。 わけわかりまんこw
吉本はヘーゲルとは違うでしょ。 ヘーゲルは本質的に弁証法が思想全体を貫いているが、吉本はあくまで構造性でしょ。 自己・対・共同幻想は独自の運動をしているわけであって、弁証法的に統合されたり止揚 されたりするものじゃない。
構造と弁証法は対立概念じゃないでしょ 自己幻想だって共同幻想に対立して成立するみたいに書いてるし
吉本の国家幻想論では、国家が持つ排他性を説明できないんだよ。 別に国家の広がりは、フランシス・フクヤマが考察しているように優越願望の拡大でいいと思うよ。 優越願望の拡大が、国家と言う排他的な縄張りを構成するんだよ。 国家とは幻想と言うよりも、優越願望の発現形態なんだよ。 だからリベラル民主主義によって国家体制は完成し、歴史は終わる。 感性と言うよりも、自我なんだよ。センスと言うよりも、エゴ。 だから排他性を持つ。 吉本の国家幻想論では、国家が持つ排他性や、主権性を説明できない。 文化や宗教の本質は曖昧な幻想でもいいが、国境線が明確化している国家の本質を幻想と 言うべきじゃない。 幻想(文化や宗教)は霧のように入り混じるものかもしれない。 しかし、国家とは国境線で明確に反発しあうものだ。不可侵であり、入り混じるものじゃない。 文化幻想論はいいが、国家幻想論はムリがあると思う。 国家を文化、宗教的なものとして取り扱っている点に吉本のムリさがある。 天皇制も、日本人の共同幻想の凝集体と言うよりも、日本人の優越願望の集中点なんだよ。
つまり、ヘーゲルは二重に批判されなければならない。 ヘーゲル流のアウフヘーベンの必要性はなく、 さらにヘーゲルの体系自体においてはアウフヘーベンが実現されていない、と、、、 吉本的な大衆の原像は統整的理念だから、吉本はヘーゲルよりカントへ遡行するべきだったし、 吉本をヘーゲルに回収するつもりもないが、あえて吉本との関連で以下述べると、、、 ヘーゲルやマルクスもスピノザを通過しているから自然の考え方、自然観が能産的であり、 自立分散的であり、自律的だ。 つまり吉本やその批判者による自然観よりよっぽど豊かだ。これはその自然観がそのまま 大衆観及び科学観に直結するので重要な点だ。 吉本がスピノザを読んでないのはアカデミズムからは離れたからだし、プルードンなど アナキズムの豊かな遺産を活用できなかったのは党派性から離れる代わりに人脈も断って しまったからだろう。 そうした貧しさは我々も受け継いでしまっているかも知れない。
145 :
考える名無しさん :2012/03/17(土) 12:35:38.70 O
吉本隆明は、言葉は言語化されてるものよりも言語化されていないもののほうが重要と考えたんだよな。 それから、我々がなぜ、海をうみっていうかというと、うみ〜って言ったからだと。吉本の言語論はここがポイントなんだな。 それから国家論で大事なのは、個人も家族も会社も国家もみんな一緒なんだよ。ってことに尽きる。 それから思考で大事なのは、客観の比較じゃなくて、自分とは何なんだ?自分はどうなんだ?ここから出発することが大事ということに尽きる。以上 後は戦後左翼批判は結局、弱者の味方のふりをしながら、実は弱者支配の構造の上でアグラをかき、弱者がそれに甘んてしまうことで、いつまで弱者は弱者のままで終わってしまうから、いけないことだ。これに尽きる、 以上。
国家は幻想と言うには、明確化されすぎてるんだよな。 それは所有権の明示でもあるからな。 確かに宗教国家が存在するように、国家の一部分は幻想ではあるだろう。 しかし、もっとデジタルで強固な存在だとは思うよ。 また、国家の本質が幻想なら、戦争や征伐によって、国境線が任意に自由に動くことが説明できない。 軍事的征服によって、幻想が動いたとでも言うのだろうか? 国家体制とは当り前だが何よりも、強制力を持った支配体制であるからね。
>>132 マルクス主義は経済理論ではなく芸術だと思っているあなたのような人たちにこそ、
その吉本氏の言葉は共感をもって受け入れられるはずだろうにねw
共同幻想論は日本国を欧米の国家モデルとは別のもの すなわち共同幻想という神話的ものと再定義して、強制力の正当性を退けようとした。 だから、ヘーゲル的な承認欲望やそれにまつわる闘争と法という視点が抜け落ちる。 その一方で補強物としてフロイトを持ちだして自己/その他という方向に議論を誘導するので 自己幻想から対幻想そして共同幻想へと移行する段階で話がぐちゃぐちゃになってしまう。
何がおっしゃりたいのか訳わかめ。
旧宮家復帰を支える右翼団体『日本青年社』が暴力団『住吉会』系であることは国会でも証明されている。
136-参-地方行政委員会暴力団員…-2号 平成08年06月06日
http://kokkai.ndl.go.jp/ ○有働正治君
【質問】警察の方にお尋ねします。日本青年社の最高顧問・西口茂男なる人物は、住吉会とはどういうかかわりがありますか。
○説明員(植松信一君)
【回答】日本青年社最高顧問・西口茂男と、住吉会会長の西口茂男については同一人物と見ております。
水野孝吉・救う会新潟=『日本青年社』総本部・時局対策局長=「NPO新潟海難救助隊・隊長」
小林楠男・小林会(『住吉会』系)会長=『日本青年社』会長
西口茂男・『住吉会』会長=『日本青年社』最高顧問
結論。巨大暴力団に食い込み、金を搾り上げて権威を与える「旧宮家」連中など日本の、いや人類の
恥であり、日本人の名に値しない。暴力団排除法にもとづいて社会から追放するべき。
151 :
考える名無しさん :2012/03/27(火) 10:58:29.90 0
せっかくテーマが決まってるスレなのに、読んでないやつばかりで残念だね。 読んでないなら、批判する前にとりあえず読んだやつの書き込みをロムればいいのにね。 ま、過疎っちゃうだろうけど。
152 :
考える名無しさん :2012/03/27(火) 11:06:31.27 0
>>144 >ヘーゲルの体系自体においてはアウフヘーベンが実現されていない
わけじゃなくて、神として実現されてる。
それを人間社会の中に見ようとしたのがフォイエルバッハやマルクス。
と、高校の教科書には書いてなかったっけ?
>>145 >言語化されていないもののほうが重要と考えた
でも、表現されなければ何もない、と書いてるよ。
153 :
考える名無しさん :2012/03/27(火) 11:43:02.00 0
アンダーソンの『想像の共同体』って、83年? 『共同幻想論』よりずいぶんと後だな。逆かと 思った。
155 :
考える名無しさん :2012/03/28(水) 23:39:50.50 O
いや、アメリカは個人主義の国だから古典かと。
この人の「共同幻想論」なる話を読んでの率直な感想なんだが。 一言で言えば、国家が幻想であると思いこむ幻想。 これにつきる。 例えば、〜〜〜は〜〜〜という幻想である、と論じて話を進めているが 「いやいやいやwww 幻想じゃないんで!!普通に存在してますから!!」 となる。 あなたのいう「幻想じゃないもの」は何?って聞きたくなる。 幻想というのは、現実には起こらない妄想であり、存在しないということだが、何が幻想で何が幻想ではないか? 俺が幻想を見て、うわーー目の前にマリリン・モンローがいる!って叫ぶなら、それは幻想。他の人には見えないから。 でも一方で、自分が日本という国家に所属していることは、それこそモルジブに行こうが通用する「客観的な事実」なわけだ。 この人はその客観的事実を「共同幻想」と造語しただけ。実際は幻想でもなんでもない。 なぜこんな簡単な間違いに誰も気づかないのか? 国家は幻想だ、とのたまいながら、国家が出す年金をもらって蕎麦とか食ってるわけでしょ? 何が幻想なの?その蕎麦も幻想? 信者の連中、俺の言ってる事間違ってるかね?
マルクスなんて完全に間違ってるのに、マルクスの構造とかアホかよwwww 文系脳の連中は個人が勝手に言ってる事をまるで自然の定理かのように錯覚してることだな。 間違った定理いくら重ねても出てくるのは間違った結果だけ。
>>156 >「共同幻想論」なる話を読んでの
とは《『共同幻想論』なる著作を通読しての》と解すべきか?
159 :
考える名無しさん :2012/03/29(木) 11:33:32.55 0
>>158 「共同幻想論」(について2chで書き散らかされているレス)を読んで
ということだろう
156を読めば 156は「共同幻想論」を全く読んでいなくて 「共同幻想論」について2ちゃんで悪態をついているカキコ等を見て 「共同幻想論」はこんなものか、とわかったつもりになっているのは明らか
共同幻想論はけっきょく家族論だという気がする。対幻想と家族との間を論じている。
162 :
考える名無しさん :2012/03/30(金) 00:47:23.68 O
要するに日本は朝鮮半島みたいに南北に別れて2つの国にはならないってこと?
163 :
考える名無しさん :2012/03/30(金) 10:36:42.39 0
>>161 もう一度読んでみたほうがいいと思うんだけど。
国家は共同幻想である 男女関係は対幻想である ふむふむ たしかにそうですな 人間の頭の中にしかないものですわな で?
165 :
考える名無しさん :2012/03/30(金) 11:26:45.31 0
>>163 読めば読むほどそういう気がしてきたんだよ。最初は国家論かと思って読んだけども。
167 :
考える名無しさん :2012/03/30(金) 12:38:19.23 0
>>166 それじゃちょっとだけ。
対なる幻想とは(男か女かの)性としての個人が他者と出会うときに生れる幻想。
共同の幻想とは人が(家族ではない)共同的な場所に入ったときに生れる幻想。
そこには性としての個人はいない。
だから家族をいくら拡大しても(原始)国家にはならない。
(吉本のレヴィ批判はそこのところ)
というのが吉本の幻想論。
だから幻想という言葉を妄想とか想像に近いものとしてとらえると違う方向に行く。
吉本の論考が正しいかどうかを論じたければこのあたりは最低限抑えておかないといけない。
168 :
考える名無しさん :2012/03/30(金) 15:10:25.93 0
>>167 吉本幻想論のなかでいちばん私が引っかかったのはそこのところで、
「家族」とか「性的関係」とかいう概念に代わって「対なる幻想」
という概念をなんでわざわざ持ち出す必要が吉本思想にあったのかということ。
「共同幻想」は国家や企業体(会社)などをひっくるめた総称として意義がある
のかもしれないが・・・
家族と対幻想は同じものなのかがやはり問題として残る。
吉本思想にはこれらをまったく同じ水準で考えたいというスタンスもたしかに
見られるけれども、そこにやはり最も大きなツッコミどころがあると思われるからね。
私の実感としては家族とか結婚というのは対幻想の延長とは矛盾するものがある。
この実感を吉本思想はなんら考慮していないのではないか。
ところが、『共同幻想論』を注意深く読んでいくと、
「対幻想論」の章のところで鴎外や漱石の話がなぜか出てくる。
そこで「習俗としての家族」と「対幻想としての本質的な家族」という言い方が出てくるではないか。
(『共同幻想論』角川文庫179頁)
ここを読み損ねるかどうかで大きく違ってくる問題がある。
俺もそんなに勉強してるわけじゃないが、 共同幻想論を当時の学生運動と切り離して考察しても無意味だと思う。 少なくとも、吉本が何をしたかったのか見えなくなる。 後に修正されるまで、マルクス主義の前提は、共産主義が実現することにより、 国家が消滅するという考えだった。 しかも、国家否定(反日とかそういう話ではない)の達成には、 暴力革命という手段が据え置かれる。 吉本の国家=共同幻想は、このアンチテーゼとして捉えることで、 初めて歴史的な文脈を持つ。 つまり、「幻想は暴力革命では壊せない」ということだ。 革マル派がやってることは、サッカースタジアムにミサイルをぶちこめば、 サッカーというゲームが消滅すると主張してるのに等しい。 サッカー=ルールの総体としてのゲーム=共同幻想と捉えれば、 それがいかにおかしなことかはすぐに分かる。
もちろん、吉本がその次の段階で若干迷走気味なのは事実だ。 ただ、好意的に解釈すれば、吉本は結局マルクス主義の出発点である、 生産力の発達段階=社会の発達段階→科学技術信奉に立ち返ったのかもしれない。 原発発言などを見るとなんとなくそう感じる。 90年代の消費社会に関する考察は、マルクス経済学を放棄しつつも、 最終的に生産関係や消費関係が社会構造の基礎にある、 という前提を捨ててない点が注目される。
アメリカ人に「ゲンソーの共同体」とか言われると、 ちょろりとやられる奴は多いだろ。
消費消費って騒いでたのは80年代な。 アンダーソンなんて新自由主義の流れか?
家族はむしろ対幻想と区別されて、むしろ共同幻想として論じられるべき水準にあると思う。 共同幻想としての家族という水準と対幻想としての家族という水準とを識別して論じたところに 共同幻想論のポイントを置かないと、どうもすっきりしない。
「対幻想論」の章では、あくまでも「対幻想としての家族・夫婦関係」に執着する漱石と、 「世上に流通する習俗」に割り切って「忠実にしたがっているまで」家族・夫婦関係を 営むことを決意しているかのように見える妻との間のコンプレックス関係が例題として 挙げられている。 これが示唆しているのは、「家族」とか「夫婦」という観念の水準(幻想)がすでに 共同幻想の水準と対幻想との水準とに分裂している様だ。
>>172 消費論は80年代には始めてたが、マルクス経済学はもうはっきり駄目だ、
と消費論の文脈で断言したのは90年代なのでは?
株価が崩壊し始めたのは89年だろ。 九十年代って、何やってた? オウム?
89年の昭和天皇の崩御で重苦しい昭和が終わった途端に 株価が低迷を始めて「あれ、ひょっとしたらこれまで通りに いかないもんかな」という予感はあったな。
>>176 いや株価崩壊とは関係ない。
吉本が『超資本論』書いてマルクス経済学ばっさりしたのは90年代じゃなかった?
ソ連崩壊してガタガタしてる最中か? ジジィのそら言を真面目に受け取ってた奴いるのかな。 『甦るヴェイユ』も90年頃でなかったっけ?
ジジィは郵政民営化賛成論だったんだな。 俺は無関心を守ってて、2005年頃を境に 反対することに決めて、新自由詐欺を暴き 立ててやった。
自由世界はマルクスの革命理論を普通選挙導入という 柔軟な方法で回避した。ロシア革命成功と同時に。 おそれをなして、というべきか。
>>161 いや、なかなか面白い指摘だ。
ちゃんと読んだ人間にしかその指摘はできない。
煽るだけの、
>>163 >>167 みたいな吉本信者よりも何倍も面白い指摘だ。
たしかに、共同幻想論は国家論までは行き着いてない印象を与えるよ。
最後の起源論もせいぜい邪馬台国レベルの国家だし。
家族が国家に転化しそうなところで、論が終わった感じ。
吉本自身共同幻想論はまだ序論みたいな言い方してたし。
ちゃんと読めば、明らかに国家論よりも家族論のほうに多くの分量が割かれている印象を与える。
だからあれはあくまで、対幻想論だよ。共同幻想論と言うほど国家を論じてはいない。
共同幻想論は国家論としてみたら、かなりお粗末だよ。突っ込みどころが多すぎる。
しかし、対幻想論、家族論、家族発展史としてみたら面白いかもしれない。
根本的な矛盾として、共同幻想と対幻想は別物だと吉本が指摘しているのに、なぜ対幻想論を
共同幻想論で語っているのかと言うことだ。語る必要がない。
それは、実は共同幻想論は対幻想論だからだ。
タイトル表記の誤りだよ。『対幻想論』というタイトルなら違和感なく読めた。
>>164 残念ながらそれ以上の内実はないです。あしからず。
俺は田川健三の批判本しか読んでないなw
資本主義に夢を見るべきではない。民主主義は 資本主義にとってもともと邪魔物に過ぎない。 第一次大戦の結果、大衆の時代が到来した。現代 資本主義の始まりとも言えるだろう。 ファシズムは、大衆の時代に旧時代の反動資本勢力が 大衆型民主主義を上書きする形で打ち立てた特殊な 政治体制だ。 これは21世紀の現代でも克服されない病と言える。
>>182 対幻想から共同幻想がいかに疎外されるかを論じているという認識に
異論はないと思うけど、だからこそ家族という観念のうちに対幻想と
共同幻想の二つの水準を分けてとりだそうとする吉本思想の試みが
共同幻想論のもっとも重要な部分になるはずなんだよね。
187 :
考える名無しさん :2012/04/01(日) 00:59:42.89 0
>>182 もちろん、どう読もうとそれぞれの自由だ。
ただ、著作者の書いたことをできるだけ理解しようとしないと読む意味がないと思う。
共同幻想論はあくまでも「幻想(上部構造)としての国家」を論じたものだから、違うといってもしかたがない。
否定したり反論したりはできても、論じていない、というのは読み違いとしか言いようがない。
賛成してもしなくても吉本はレヴィ=ストロースの交叉いとこ婚が国家につながるという考えを否定している。
家族をいくら拡大しても国家にはならないと主張している。
だから「共同幻想論」を対幻想論として読んだのなら、それは読み間違いだ。
煽りだの信者だのいう前に、もう一度読んでみるか吉本を読むのをやめるかしたほうがいい。
今の君たちの資質では理解することが難しそうだ。
別に吉本にこだわる必要は全然ない。
188 :
考える名無しさん :2012/04/01(日) 01:39:34.00 0
>>182 >>187 じゃあ、まとめて。
『共同幻想論』はたしかに「上部構造としての国家」を独立に論じうるはずだよ
という思想的立場を前提において書かれたものだというのはそのとおりですけど、
それはすでに論じる前の大前提になっていて、そこを論証しようとしているんではなく、
『共同幻想論』ではむしろそこから先へとすでに論がすすめられている。
本論での中心的なテーマになっているのはやはり、対幻想の水準をいかに共同幻想から
とりだすかということだと思いますね。それによってはじめて共同幻想を明確にできる。
だから『共同幻想論』は『対幻想論』に改題すべきだという話になるとこれまた
ニュアンスが違ってきちゃうんですけどね。たんなる『対幻想論』だとも言えなくなる。
で、「対幻想をいくら拡大しても共同幻想にはならない」まではたしかにそう主張されている
と思いますけれども、「家族をいくら拡大しても国家にはならない」とイコールじゃない。
吉本さんはたしかにイコールであるかのように論じてもいますけれども、必ずしもそうじゃない。
そこを見落とすか見落とさないかというのは大違いだと私は思っているわけです。
共同幻想論は前古代から古代あたりまでの幻想領域を扱っているから、 それ以降についての共同幻想論も書こうと思っているとかいうような話を たしかにどこかでされていましたね。 私は共同幻想論の現代版がマスイメージ論だったりハイイメージ論だったり したのかなとは思いましたけれども、そうじゃないのかもしれませんw
>>182 > 共同幻想論は国家論としてみたら、かなりお粗末だよ。突っ込みどころが多すぎる。
具体的に言うとそれは何ですか?
191 :
考える名無しさん :2012/04/01(日) 02:05:27.08 0
>>188 >対幻想をいくら拡大しても共同幻想にはならない
というのと
>家族をいくら拡大しても国家にはならない
というのは吉本が幻想の問題を扱っている範囲ではイコールだよ。
機構(機能)としての家族や国家を扱っているわけじゃないから。
幻想としての家族は対幻想として扱い、幻想としての国家は共同幻想として扱っている。
192 :
考える名無しさん :2012/04/01(日) 02:54:29.72 0
>>191 その、「機構や機能としての家族」と「幻想としての家族」とは
具体的に言うとどういうことを指しているんですかねえ。
「40近くにもなって独身だと世間的に信用が落ちるので結婚した」とか
「離婚して実家に変えると出戻りだと世間体が悪いし、親にも迷惑がかかるので、
離婚せずに夫婦関係を維持している」みたいなのは機能としての家族であって、
幻想としての家族とは無関係だとおっしゃりたいのですか?
私はむしろこうした側面は「共同幻想としての家族」が疎外・表出された様であって、
家族の紐帯を「共同幻想」が支えている側面を意味していると考えているんですがね。
193 :
考える名無しさん :2012/04/01(日) 07:32:41.57 0
>>192 そういう思考では原理的な理解は難しいだろう。
でもせっかくだから一つ二つ。
「機構(機能)として」というのは制度として運用されている状態を外形からみたもの。
幻想というのは幻想のあり方の原理を分析したもの。
>家族の紐帯 とか >世間体 とかの個人的な感じ方とは無関係。
現実(を見ているとの思い込み)と原理的な分析をごちゃ混ぜにしてはいけない。
>>192 は思考の方向がぐちゃぐちゃだから文章もぐちゃぐちゃになってしまう。
吉本の共同幻想論を命題の形で書いてみてよ 反証してあげるから
195 :
考える名無しさん :2012/04/01(日) 08:20:38.25 0
>>194 単純に真偽を決めたいってこと?
せっかくだからちょっとだけ付き合ってあげる。
世界は下部構造と上部構造に分けて考察することができる。
上部構造は必ずしも下部構造に連動するわけではない。
これが共同幻想論の前提だけど、こんなとこでいい?
反証してみてね。
>>190 共同幻想論なんてそれこそ、無数に突っ込みいれられるでしょw
造語の定義が不明確なのもそうだし、根拠薄弱なことを断言している部分もたくさんある。
国家論としてみた場合、ぱっと見ただけでも、
1、なぜカテゴリーが違うと断言しているのに、共同幻想論で対幻想論を展開しているのか。
無関係だから、論じる必要がない。読者を不要に混乱させるだけ。
2、国家幻想論では、国家の持つ排他性、国境の明確性を説明できない。
3、「宗教・法・国家」のくくりはおかしい。宗教は文化、情報として国境を越えて伝播できるが、
法や国家は、官僚制や軍隊を伴わないと、国境を越えて移動できない。幻想ではない。それを
混同している。
4、共同幻想が国家の本質だと言うのなら、すべての国家が幻想論で説明できるはずである。
しかし、吉本の幻想論は近代国家にはまったく適応できない。近代国家の支配の正統性は、
宗教性やカリスマではなく、合理的な民主主義によって保障されている。デジタルな法制度で
あり、幻想と言うカオス的なフィクションではない。
論理飛躍してんじゃねえよアンポンタン
198 :
考える名無しさん :2012/04/01(日) 08:51:34.56 0
>>196 1.共同幻想の位置づけを明確にするため。
2.排他性は幻想からもたらされるし、国境の明確性(必ずしも明確ではないが)は国家間の取り決めに過ぎない。
3.共同幻想としてみると「宗教・法・国家」の本質は同じということ。それぞれが成立する根拠を論じている。
4.共同幻想である国家の形態は無関係。>近代国家の支配の正統性は >保障されている わけでもないし、どのような制度も共同の幻想によると主張されている。また、幻想という言葉は >カオス的なフィクション という意味で使われているわけではない。
>>198 反論になっていませんな。
>1.共同幻想の位置づけを明確にするため。
こんなもん、読者を混乱させるデメリットのほうが大きいでしょ。あれだけの分量のページを対幻想論に
裂く必要はなかった。大体、明確になんかなってない。造語の定義もろくにしないで、明確性など笑わせる。
吉本は共同幻想の最小単位は三人だっていってるんだよ。だったら、「父母子」の3人家族でも、共同幻想
化してしまう。対幻想性の象徴である家族が、共同幻想との2重性を持ってしまう。
吉本は氏族制国家と部族制国家の違いは、近親相姦のタブー化ぐらいにしか言っていない。
>2.排他性は幻想からもたらされるし、国境の明確性(必ずしも明確ではないが)は国家間の取り決めに過ぎない。
だったら幻想なんていう言葉を使わずに、「上部構造」あるいは「優越願望の表象」とでも言えばいいでしょう。
幻想などと言う用語は、判断を混乱させるだけ。国家の本質は幻想だなんて、何も言ってないに等しい。
>3.共同幻想としてみると「宗教・法・国家」の本質は同じということ。それぞれが成立する根拠を論じている。
まったく違うものだと思いますが。観念的な存在と言う意味ではそうですが、宗教と法・国家はまったく違う
ものです。それを不要に混同させるだけです。
>4.共同幻想である国家の形態は無関係。
これも同じです。だったらもはや幻想などと言うべきではありません。何度も言いますが、強制力と支配力を
もった国家体制を幻想と表現するのは不適切です。まったく何も言ってないに等しいと思います。
吉本の国家幻想論は、国家は観念であるという当たり前のことを言っているだけで、何も説明していない、
何も言っていない、何も分析できていない点が問題だと思います。
>>193 > 「機構(機能)として」というのは制度として運用されている状態を外形からみたもの。
> 幻想というのは幻想のあり方の原理を分析したもの。
なにを言っているのかさっぱり分からない。説明をなしていない。
「外形」とは何か、「幻想のあり方」とは何を指しているのかをまず定義してくれ。
制度として運用されているものと幻想とは何が異なるのか。
吉本がそれについて言及している箇所を指摘してくれ。
> >家族の紐帯 とか >世間体 とかの個人的な感じ方とは無関係。
家族の紐帯や世間体は個人的な感じ方ではない。
自己幻想が共同幻想とどう向き合うかということで、共同幻想との関係が問題になっている。
対幻想とは水準が違う、夫婦や家族関係の存立根拠が問題になっているんだよ。
>>196 君こそツッコミどころ満載w
> 1、なぜカテゴリーが違うと断言しているのに、共同幻想論で対幻想論を展開しているのか。
> 無関係だから、論じる必要がない。読者を不要に混乱させるだけ。
共同幻想を対幻想から区別するために対幻想をはっきりさせておく必要があるだろう。
フロイト批判が込められているならば尚更だ。
> 2、国家幻想論では、国家の持つ排他性、国境の明確性を説明できない。
なぜそう思うのか。それが明確ではない。そこを君は説明しないで説明できないと
感情論で決めつけているにすぎない。
> 3、「宗教・法・国家」のくくりはおかしい。宗教は文化、情報として国境を越えて伝播できるが、
> 法や国家は、官僚制や軍隊を伴わないと、国境を越えて移動できない。幻想ではない。それを
> 混同している。
幻想と政治制度とが区別されているという前提があるとそう世見間違える証拠。
> しかし、吉本の幻想論は近代国家にはまったく適応できない。近代国家の支配の正統性は、
> 宗教性やカリスマではなく、合理的な民主主義によって保障されている。デジタルな法制度で
> あり、幻想と言うカオス的なフィクションではない。
民主主義が成り立つには民主主義のイデオロギーが共有されていることが大大大前提でしょ。
君がそれを言うとき、君は古典的なマルクス主義下部構造還元論者と変わらないことを言っている
にすぎない。
>>199 > こんなもん、読者を混乱させるデメリットのほうが大きいでしょ。
それは書き方の問題であって、共同幻想論自体が間違いである根拠にはならん。
> 大体、明確になんかなってない。造語の定義もろくにしないで、明確性など笑わせる。
君のほうこそ定義を明確にしていない。
君が幻想と定義するものは個々人の中に勝手に成立する脳内幻想のみ?
インターネット上で行われている人間関係は幻想?
> 吉本は共同幻想の最小単位は三人だっていってるんだよ。だったら、「父母子」の3人家族でも、共同幻想
> 化してしまう。対幻想性の象徴である家族が、共同幻想との2重性を持ってしまう。
まさに、それが『共同幻想論』の「対幻想論」の章で論じられていること。
だから「対幻想論」の章は単なる対幻想論ではなく、共同幻想の外形を対幻想との差異を
とりだそうとしたもので、吉本の共同幻想論が内向的なそれではないことを示している。
> だったら幻想なんていう言葉を使わずに、「上部構造」あるいは「優越願望の表象」とでも言えばいいでしょう。
> 幻想などと言う用語は、判断を混乱させるだけ。国家の本質は幻想だなんて、何も言ってないに等しい。
上部構造という言い方はかなり批判を受けている。「共同イデオロギー論」と言ったほうがいいかもな。
> まったく違うものだと思いますが。観念的な存在と言う意味ではそうですが、宗教と法・国家はまったく違う
> ものです。それを不要に混同させるだけです。
まったく違うものだと繰り返してもなんの説明にもなっていない。
なぜまったく違うのか、その根拠を説明できないかぎり、なんの反論にもなっていない。
>>201 >>202 だからさ、長々と書いてるけどさ、結局、「共同幻想と対幻想の反証可能性が生じるほどの明確な違い」
って何よ?
対幻想性の定義が不明確、プライベート全領域まで拡大してしまう点が問題なわけ。
具体的な面識があったら、その時点で対幻想化してしまう。
たとえ国会や職場のようなパブリック領域でも、具体的に接したら対幻想領域になってしまうの。
何でもかんでも対幻想領域にできちゃうのよ。
吉本思想の脆弱さは、「対幻想の定義の不明確さ」に尽きる。
その違いが、明確にできていないのに、対幻想論を描くことにより、共同幻想との違いを明らかにしよう
としたとか言っても意味ないわけ。
だから、結局、共同幻想論は家族論であって、国家論まで行き着いてないじゃないかって言う指摘を受けるの。
自分も定義できない用語を得意げに振り回しているところに、吉本、いやポストモダンの滑稽さがあるの。
対幻想論は恋愛教批判の先駆と違うのか?
う〜ん、逆かな? 「思想の危険」からの又聞きなもんで。 巫女様萌え思想らしい。シャーマニズムには性別は関係ないとは 俺は思うが。
>>203 > だから、結局、共同幻想論は家族論であって、国家論まで行き着いてないじゃないかって言う指摘を受けるの。
その指摘が成り立つためには「国家論」の国家の定義を明確にする必要があるだろう。
で、君は反証可能性が生じるほどに明確に国家の定義をしているのか?
でなければ、君のその批判も無意味だろう。
>>206 くだらん。
共同幻想と対幻想の境目が曖昧だから、共同幻想論は対幻想論にも読めるという印象論を述べてる
だけじゃないか。
対幻想の定義を明確にしたら、そんな誤解は受けないだろ。
すべては定義が不明確な点が問題なんだ。
共同幻想論が家族論ではなく国家論だというのなら、早く、対幻想との明確な違いを述べてくださいと
いってるんですけどね。
まあ、対幻想の明確な定義化なんかできた吉本信者はいませんから、ムリでしょうけど。
まず、私は少なくとも、共同幻想論が対幻想論にも読めるなどと述べていない。 家族論としても読めると述べたが、共同幻想=対幻想をここで吉本が述べているなどとは 一度も言ってない。 国家が異国との相対関係のなかで承認されてはじめて存立根拠を与えられるならば、 それこそまさに幻想領域の話であって、幻想論だって同じことになる。 ゆえに、対幻想について論じなければ共同幻想を論じたことにならない。 民主主義が合理的だというのも意味不明だ。最近の合理的選択論者は民主主義を不合理な 選択システムとして批判しているくらいだ。
209 :
考える名無しさん :2012/04/01(日) 13:16:49.06 0
国家発生の源を男女関係に求めて説明しようとしてるんじゃ ねえの? イザナギ・イザナミの国造り神話とか連想するな。確かに、 社会参加の最低条件としての婚姻というのはあるけど。
家族の本質はビジネス。カネの切れ目が縁の切れ目。 対幻想でもっている家族は極めて例外的ではなかろうか。
>>209 社会参加の最低条件としての婚姻?
未婚マザーが半数を越えた時点で社会という概念は崩壊するのかい?
212 :
考える名無しさん :2012/04/01(日) 13:36:01.26 0
「共同」幻想論だろ。
詩人ってのは、一種のシャーマンであり得るからな。 旧約の詩編が良い例だ。
>>195 すいません そんなんじゃ反証可能性がないですw 却下
吉本信者って実はフロイトもユングもマルクスもエンゲルスも読んでなさそうだよなw
共同幻想論には反証可能性がない! 肯定も否定もできません。 だから科学ではありません。 ポエムであり、文学です。 以上!!
政治倫理の水準を論じようとするのに反証可能性ってあんた? サンデル教授の授業でもそんなのないのに。
国家は共同のカルトである。そもそもカルトの定義に反証可能性をもってこれるのか。
>>217 政治学や経済学にも社会科学として反証可能性があるだろ
具体性がないんだよ、吉本の共同幻想論には
現象論化して話せよ
具体化できない国家論など意味がない
どっからどこまでが家族で、どっからどこまでが国家なんだ?
具体的に言ってみろといってるんだ
具体性があれば、おのずと反証可能性は生じる
>>218 観念的なものでも、定義が明確なら、反証可能性が生じる
例えば数学が正否を判別できるのは、観念的なものだが、定義やルールが明確だからだ
将棋やチェスのようなパズルゲームが成立するのも、ルールが明確化されてるから
たとえカルトであっても、定義が明確なら議論になる
吉本思想には明確な定義もルールもない
「自己・対・共同幻想」も「逆立」も明確な定義がない
思想という高度なパズルゲームをやりたいんですが、定義とルールが不明確だからゲームにならないと
言っているんです
吉本思想はルールに欠陥があるゲームなんです
対幻想で問題なのは意味の多重性だよ 家族って言っても、 夫婦、親子、兄弟(姉妹、兄妹、姉弟) という、複数の関係性があるんだから。これを一緒くたにしてるのが問題 夫婦的対幻想、親子的対幻想、兄弟的対幻想と分けるべきだったね あと、幼馴染や友人は対幻想から排除したほうがいい そこまでいったらもう家族論とは呼べない 親友も対幻想領域と言い出してから、もう完全にグダグダになった もし家族に限定しないというのなら、単純に異性間の恋愛感情、萌え感情でよかったんだよ 同性間まで含んだから、おかしくなった
つまんねーからさっさと消えてくれ
「幻想」って言葉を盾にして好き勝手解釈。 婚姻関係には氏族制社会との関わりもある。
まったく、吉本にしてもその信者にしても、「用語を作るのなら、その定義を明確にしましょう」という 当たり前のことができないのかねぇ 読んでるほうが、必死に定義を発見しないといけないなんて本末転倒じゃないのか?
225 :
考える名無しさん :2012/04/01(日) 18:14:42.51 0
定義を予めするというのは推論としては間違った方法だな。 科学というのは定義が最初にあるんじゃないからねえ。 猿とか人間という定義を最初にしちゃうのは科学的態度じゃない。 吉本思想は男女の性関係には国家などの共同関係には還元できない要素が あるととりあえず漠然とした仮説を立ててはいる。 だからそんな要素などどこにもないということは反証すればいいだけ。
仮説って…
左翼離脱したかった全共闘に民俗学を装って逃げ道を用意した?
小林のベルグソン論中断は63年、『共同幻想論』は68年。 進化論よりはマシってとこか?
>>225 >猿とか人間という定義を最初にしちゃうのは科学的態度じゃない。
しかし、定義する努力はすべきだ。
確かに漠然として現象界、明確に定義できないものは多い。
その不明確なものを定義しようという意志が、哲学的態度というものだ。
しかし、吉本はそんな努力はせず、自分勝手な論を積み重ねていくだけ。
国家が幻想だとマルクスから教わったのなら、その定義を明確にするように努力すべきだった。
上に積み重ねていくのではなく、下にくだっていくべきだった。まず定義という土台を築くべきだった。
吉本は吉本なりに、国家や家族を結びつける重力のような未知の力を直感したのかもしれない。
しかし、その直感を明確化するように努力すべきだった。足元を固めるべきだった。
直感の段階に過ぎないのに、どんどん家族だ、国家だと拡大していくからおかしくなった。
矛盾が広がっていった。
その典型例が、対幻想の多重性だ。
むしろ贅肉をそぎ落として、論を縮小していくべきだった。単純化し、抽象化し、明晰化すべきだった。
そして、明確な定義を得られてから、それを応用し、論を再拡大すべきだった。
それが科学というものだよ。
>>226 科学的仮説じゃなくて政治哲学的仮説かもしれないけれども。
サンデル教授の授業がやっているテーマに仮説という概念は不適当かな。
必死にインターセプトしにくるなw
小林のベルグソン論だって、おっかさんの霊の話から 始まってるからなぁ。ベルグソンは超心理学会の会長 やったりしてて、心霊現象は反証可能なものに分類さ れることになるんだろ。
国家や家族が幻想であるのはいいんだけどその先の話がないでしょ吉本には
永久革命論とかじゃねえの?
俺も最近はすっかり丸くなってしまって駄目さ・・・
幻想という言葉を吉本さんは観念と言い換えているから幻想が気にくわなければ 共同観念でもいいんじゃね? 共同観念としての国家の水準をあくまで論じているんであって、下部構造を否定して 観念や幻想の水準にしか国家がないなんて論じていないわけで。
237 :
考える名無しさん :2012/04/03(火) 01:42:41.22 0
このスレに書き込まれてる否定的な疑問は、ほとんどといっていいくらい角川文庫版の序に書かれていることだね。 吉本がそういう疑問を持つ読者がいることを見越して簡単に説明している。 昭和56年と書いてあるから30年前だな。 30年たっても妙な誤解をされているのはなぜなんだろう?
吉本なんか相手にしてる時点でアレ。
239 :
考える名無しさん :2012/04/03(火) 02:12:56.22 0
>>238 アレってなんだかわからないが、ここは吉本の共同幻想論のスレだぞ?
240 :
考える名無しさん :2012/04/03(火) 16:37:40.43 0
吉本は国家を共同幻想とみなすのになぜもっと根源的な言語を共同幻想とはみなさないのだろう?
言語がもっている上部構造の水準(側面)を論じなかったと?
幻想なのは誰も知ってるわけで それが幻想なのに確固たる性質、構造をもっているわけでしょう そこを論じないからアンタ何言ってんのってことになってします
243 :
考える名無しさん :2012/04/03(火) 20:59:14.47 0
吉本にとって言語は共同幻想ではなかったと思うよ。 むしろ自己幻想。 だからこそ自己表出が重要になる。 たしかに言語そのものを共同幻想とみなして、 自己表出を共同幻想の自己表出と考えていたら、 もっと面白かったとは思うね。
色即是空って言いたかったんじゃ?
ソシュールはラングの水準を共同幻想と見なしていたし、 パロールの水準を自己幻想とみなしていた。 言語の共同幻想論に関してはソシュールがすでに論じていた。
吉本思想からすれば、むしろ、対幻想としての言語が次に論じるべき課題だった? 想像しにくいけど、母型論がこれに近い? つまりアフリカ的段階。 共同幻想論では母系社会というモデルが共同幻想と対幻想が同値されるモデルとして 挙げられていたので。
>>236 国家が純粋に下部構造だけになったときが国家の死滅?
国家と国民の関係は契約であり、ルール。 ただそれだけ。 それは幻想でもないし、観念でもない。 あくまでも国家などないってとこから出発したいんだろうけど、真実には程遠い
結局マルクスなんてデタラメでまるっきり見当違いの妄想だったとハッキリしたわけで。 マルクスがどうしたとか、なんの意味もないよ。誰かが〜〜とみなしたとか、誰かが〜〜と言っていたとか無意味。 誰が何を言おうが重力はあるし、太陽は燃えてる。 マルクスは太陽はないと書いていたが、って前提で話をはじめてもそれ以後の全ての話しが全く無意味なのと同義。
国家が本当に幻想だと思うならパスポートも持たずに海外へ行ってみるといい。 幻想なんかじゃないってハッキリ体でわかるだろうw
251 :
考える名無しさん :2012/04/04(水) 17:44:45.05 0
248,249,205は中学生だと思うが、個人的には249がいちばん可愛い。
252 :
考える名無しさん :2012/04/04(水) 17:47:48.64 0
205は250の間違い。 ついでになぜ249を可愛いと思うかといえば、 言説が事実そのものに影響を与えて事実を構成してしまう (自然的現実とは異なる)歴史的現実に対する素朴な違和が 素直に語られているから。
現代思想史としてみたら、大体こんな感じ レーニン「国家はブルジョワ支配の暴力装置であり、共産主義革命を起こせば消滅する! 国家は 虚偽意識でしかないのだから」 (マルクス自体は、「国家の死滅」までは考えていなかったと思う) ↓ 吉本「おいおい、国家はブルジョワ階級の暴力装置ではなく、共同の幻想だ。共産主義革命を起こした だけでは消えはしない。下部構造をどういじっても変化はない。下部構造から疎外された幻想なんだ」 吉本は独自の上部構造論である共同幻想論をといたが、上手くいかなかった。 他のポストモダニズムも一緒。 冷戦終結後、ヘーゲル・コジェーブ主義を展開したフランシス・フクヤマ 「国家とは優越願望の表現形態。人間が優越願望を持つ限り国家は存在する。現代の国家を解体するに は、普遍的認知、平等主義を世界規模に広げるしかない。そうしたら、国境は必要なくなる。世界が民主化 したら、世界政府の創設も可能である」 結局、こういう流れでしょ。 EUがその現実例だよ。 あれほどナショナリズムが盛り上がったヨーロッパが今や完全な平和共存状態で、一体化に向かっている。 ローカルで近代的なナショナリズムは、もはや解体されたといっていい。 グローバル化が進んで、共同幻想はかなりのレベルで消滅した。
>>252 そういう幼稚な感想じゃなくて、キチンと反論してよ。反論できるなら。
できないんでしょ?
違和って言葉はからだの調子がくずれることを指す言葉だけど、素朴な違和って意味不明。
もしかして違和感って書きたかったの?
ちゃんと正確に言葉使わないと話なんてできないよ?
で、違和感として読むと、色々とおかしいんだが、
まず、自然的現実って君の造語だろうけど、自然っていうのは何をもって自然と言ってるわけ?
言説ってのは、まあマルクスの妄想を指してるんだろうけど、マルクスに限らず、言説が影響しない歴史なんて存在し得ないんで。
だとしたら、そこに違和感覚えるなんて事自体ナンセンス。
ようするに君の書いてることは中身空っぽの駄文ってことだけど。反論あるならキチンと具体的にどうぞ。
>>254 一つ一つ見ていくと
国家はブルジョワ支配の暴力装置であり ← 決め付け。妄想。
共産主義革命を起こせば消滅する!← 決め付け。妄想。
国家は 虚偽意識でしかないのだから← 決め付け。妄想。
国家はブルジョワ階級の暴力装置ではなく共同の幻想だ。← 決め付け。妄想。
下部構造から疎外された幻想なんだ← 決め付け。妄想。
国家とは優越願望の表現形態← 決め付け。妄想。
人間が優越願望を持つ限り国家は存在する← 決め付け。妄想。
現代の国家を解体するに は、普遍的認知、平等主義を世界規模に広げるしかない← 決め付け。妄想。
そうしたら、国境は必要なくなる← 決め付け。妄想。
世界が民主化 したら、世界政府の創設も可能である← 決め付け。妄想。
こんな妄想を有りがたかってるのとバカみたい。
それから
あれほどナショナリズムが盛り上がったヨーロッパが今や完全な平和共存状態で、一体化に向かっている。 ←大間違い。新聞くらい読めよ
257 :
考える名無しさん :2012/04/05(木) 01:30:12.19 0
>>248-
>>250 いまの若い人は幼いから高校生どころか大学生かもしれないな。
昔だったらちょっと気の利いた中学生はこのくらいのこと言ってたと思うけど、いまじゃそんな子供に出くわすことはないね。
でも(たぶん)若いのにこのスレを見てるだけでたいしたもんだよ。
いつか本を読むようになって自分の考えを育てていくことを、切に祈る。
>>257 君は随分偉そうに語ってるけど、何ひとつ答えてないじゃん。
バカなの?
キチンと反論しろよw
できないんでしょ?w
アホみたいな本いくら読んでもなんの意味もないよ。
九九が間違ってる人間がいくら数学勉強しても意味ないだろ?それと同じ。
>>256 決めつけって言うなよw
国境というのは可変的なんだよw
昔はいわば村レベルの集落が、国だった。
それがだんだん拡大して、日本で言えば、薩摩や長州みたいな藩になって、さらにそれが拡大して
日本国、日本人というナショナリズムをもつようになった。
ヨーロッパだって、世界大戦してた時から比べたら、比べ物にならないぐらい一体化が進んだよ。
これは妄想でも、決め付けでもない。社会科学的事実。
国家が幻想かどうか。 幻想というのは「)現実にはないことをあるかのように心に思い描くこと。また、そのような想念。」を指す言葉だ。 で、実際に国家が現実には存在しないのか? 確かめる方法はいくらでもある。 そのひとつとしてパスポート持たずに海外へ行ってみろといっている。 そうすれば物理的に、それが存在するということを認識できるだろう。 つまり、100%国家は幻想というのは間違いである、ということ。 それから下部構造から疎外された幻想というのも妄想。 下部構造というのは要するに経済。疎外とは「そこから派生するがそこには減少, 変形, 転化、影響されない」ということだ。 「国家は経済から派生するが経済に転化されない」なんていうのは完全なる決め付けであり、大間違い。 経済と国家とは密接につながっているし、どちらかが還元されないなんていう状態はありえない。 ここがもう(ここだけじゃないが)論理の飛躍。 こんな間違った前提に立って話をしても出てくる仮説は全て間違い。そんなの当たり前。
>>259 ヨーロッパに限らずだが・・・
まず宗教が違う。言葉が違う。経済システムが違う。産業が違う。
また、それが既に国家が幻想であるということが完璧に間違いということの証明でもあるのだが。
幻想であるということは現実にはないということなのだから一体化する必要がない。そもそもが。
それを一体化とか言ってる時点で、幻想なんかじゃないということ。
つまり何重にも国家は幻想であるなんてのは妄想であるということが証明されたわけ。
>>261 幻想っていう言い方をするから誤解を生むんだろ。
国家は契約である、でいいじゃないか。
国家が契約関係であり、法制度であり、統治体系であることは君も認めるんだろ?
>>262 >>248 幻想っていう言い方をするから誤解を生む、というか、誤解じゃなくて間違ってるの。
で、そもそもそれが間違いなら、「共同幻想論」なんてどれだけ長い事を書こうが、ぜーーーーーーーーんぶ無意味な駄文ってこと。
定理が間違ってる数学の教科書読んでも意味無いでしょ?
それと同じ。
国家って言うのはあくまで観念的な存在。 数学の数式と一緒で、現実界に存在するわけじゃない。 だからその点において、幻想ではあるんだよ。 物理的に存在しているわけじゃない。 ただ、物理法則にも負けないぐらい、強固な強制性と支配力を持っているというだけ。 社会科学的存在なんだよ。 例えば、地球や自然物は人類が滅亡しても存続するだろうが、国家は人類が死滅したら文字通り消滅してしまう。 人間の共同主観によって発生するものだから。
>>264 >国家って言うのはあくまで観念的な存在。
はい。大間違い。
>数学の数式と一緒で、現実界に存在するわけじゃない。
はい、大間違い。
数学の数式が存在しないと?
数学の数式が存在しないならコンピューターもビルも、何もかも存在し得ないが??
今ここで使われているインターネットは存在してない?してるだろ?どっち?
この技術に数学が使われてるってことくらいは理解できるよね?
じゃあ数学は現実に存在してるの?してないの?どっち?してるって理解できる?
例えばさ、保険屋が保険の契約結んで、いざ保険金払わなくならなくちゃならなくなった時に
「それは幻想だ、観念だ。物質じゃない」とかいって保険金払わなければいいよ。
ぶん殴られて物質としてのアザができるか、逮捕されて物質としての留置所入ることになるから。
国家が幻想とか言ってるのはこれと同レベルのアホさ加減。
>>265 いや、数学はあくまでもイデア的な存在でしょ。
現実に存在するわけじゃない。
うんじゃ、もっとわかりやすく言えば幾何学の完璧な真円や直線は現実には存在しないでしょ?
人間の頭の中にしか存在しないんだよ。
267 :
考える名無しさん :2012/04/05(木) 02:27:47.23 0
>>258 なにについて反論しろ、と?
国語の時間に算数の質問しても、しょうがないだろ?
>>260 「幻想」も「下部構造」も「疎外」も「還元」も意味のとり方、、使い方が間違ってる。
「幻想」だけは吉本特有の使い方があるから、まあ、許せるとしても、ほかはひどすぎる。
>こんな間違った 言葉の使い方をしていては会話にならないよ。
>>265 ちょっとだけ質問しておくよ。
選挙というのは意思の表明とその意思の実行だろ?
立法府というのは国家の意思を決めるところだろ?
国家には意思があるだろ?
268 :
考える名無しさん :2012/04/05(木) 02:33:57.14 0
昔から学問ていうのは言葉に新たな意味を付与したり、新たな言葉を作ったりして発展してきた。 「幻想」が吉本独特の使い方だからけしからん、なんていうのはそうした発展すべてを否定していることになる。 言葉の意味を理解した上で批判することが最低限必要なこと。 吉本自身は明確に説明しているんだから。
>>267 >>268 言葉というのは、なんのためにあるか?
それは意思の疎通のためにある。
ではその言葉が、勝手な造語であり、誤った使い方をされた場合どうなるだろうか?
意思の疎通は不可能となる。
マルクスでもこの人でもなんでもいいが、この手のインチキな連中はみなこの手法を使っている。
>「幻想」も「下部構造」も「疎外」も「還元」も意味のとり方、、使い方が間違ってる。
こういうなら、その勝手に、独自に、バカみたいに定義したその定義を書きなさい。
国家は幻想ではない、が、吉本は幻想という意味を別の意味で言ってるので問題ない。
こんな詭弁は通用しない。マトモな脳みそ持った人間には。
とことん議論してやるから、まずお前のいう「幻想」も「下部構造」も「疎外」も「還元」を明確に定義しろ。
マルクスなんてただの妄想だが、どこが妄想かがわからない人に教えてやるけど 例えば一番最初の商人についての妄想。 >商品は、人間の欲望をみたす使用価値(近代経済学で言うところの効用の対象となるもの)と、他のものとの交換比率であらわされる交換価値(発展した貨幣表現としては価格)をもつ はい。まずここで間違い。 商品ってのは売れるモノと売れないモノがある。売れない商品は在庫であって一応簿価としては交換価値があるとされているが、実際にはその価値は決して等価ではない。 つまり第一行目からすでに間違っているということ。 これから以後の妄想全てが誤りだというのも自明。 次。 >等価関係におかれた二商品は、なぜ価値が等しいと言えるのか。使用価値が等しいからではない。なぜなら使用価値が異なるからこそ交換の意味があるからである。 はいここも大間違い。 使用価値が等しい場合も当然等価関係に置かれるわけだ。 例えば100円は100円と交換できる。この時使用価値はまったくもって等しい。 完全なる妄想。 次 >では商品から使用価値を取り去ると何が残るか。それは、商品とは、自然物になんらかの人間の労働が付け加わった労働生産物である、ということだけである。 はい、上2つの妄想、完全なる誤りから出た結論がこの馬鹿げた妄想。 1+1=999の世界でいくら数学やっても無意味なように、マルクスの妄想はなんの意味もない。 商品価格というのは何も使用価値のみで決まるのではなく、もっと複雑でカオスなものである。 ある人にとって無価値なモノがある人には貴重なものである。 ある時期に無価値なモノがある時期に高価である。 決してこのマルクスという人の妄想しているような単純なモノなどではない。 歴史における共産主義の不幸というのは実証されているわけだけど(当たり前だ)、 結局、マルクスがデタラメだとわからないバカどもが人類を不幸にしてきたということだと思う。 自分の頭で考える事もできないバカども。 国家が幻想だとか言ってる人になんの疑問も持たないバカども。
>>269 >言葉というのは、なんのためにあるか?
>それは意思の疎通のためにある。 こうした目的論的な言語観もまた〈言語〉に対する〈幻想(すなわち 関係意識)〉の一種にほかならない。
>>271 ほんとーにそう思ってんの?
じゃあ言葉でなんで会話できるわけ?
目的論とかじゃなくて、あんたスワヒリ語で会話できる?
出来ないんならそれは言葉が意思の疎通の道具である事の現れ。
違うっていうなら何で言葉で意思の疎通ができるのか説明してみなよ?
>>271 君みたいなタイプの人ってさ
結局何も言ってないじゃん?
中身空っぽのバカ丸出しの妄想書いてるだけ。
早く言葉の定義して説明したら? お前らの造語でかつお前ら以外その真意が明確でない言語とか、ジョークにしても面白くないんで。 それともお前らって造語のナンセンスさも理解できない頭の悪い人達なの?
275 :
考える名無しさん :2012/04/05(木) 21:14:20.58 0
言語も共同幻想だよね?
276 :
考える名無しさん :2012/04/05(木) 21:26:31.97 0
>>252 いやいや、褒めてるんですよ。「可愛い」って。
「反論」なんてとんでもない。
こんどの「違和って言葉はからだの調子がくずれることを指す言葉だけど」もまた可愛い!
国語辞典をひいたのが分かって(笑)。
277 :
考える名無しさん :2012/04/05(木) 21:40:33.11 0
そもそも世界自体が幻想だよね? われわれが幻想の中にいるんだよね? 幻想を飲み食いして幻想的に生きている。
だから、弁証法的唯物論を論破するために、幻想という言葉を使った。 けっこう難しいんだよ、弁証法的唯物論を論破するのは。 意識は脳の働き。 よって大脳生理学によって人間の意識はすべて説明できる。 この考えをちゃんと論破できる? いまだに脳科学うんぬん言ってる学者がいるでしょ。 心身二元論は非科学的だといっている自然科学者とか。 そこに苦労したんだよ、吉本は。
国家は「幻想」という語で述定するには、あまりにも実体的、普遍的、永続的に存在するわけでね。 その原因に言及しないと国家論としては不十分でしょうね。
>>275 違う
>>276 違和なんて言葉使わないから。
いいかい?
言葉は正確に使うこと。こんなことすらできないからこんなバカな妄想にダマされるんだよ。
>>277 違う
>>278 だから、間違ってるんだよ。
そもそもが。
論破もくそもない。
自分が論破されてんじゃん。
もっとマトモな反論はないの?吉本信者の。
281 :
考える名無しさん :2012/04/06(金) 00:33:43.78 0
>>269 >>274 >>280 まず、国家というのはすべて法に基づいて運営されている。
憲法以下ものすごくたくさんの法律とそれを実行するための細則(規則、条例等)に基づいて運営されている。
法律に違反したときは罰則のあるものは罰を受けるし、罰則がないものでも行われたことが無効になる。
その法律を作るのは立法府。
日本では国会や地方議会だ。
議員になろうとするものは自分の理念や思想を掲げて立候補してその理念や思想に賛同した人が投票する。
その理念や思想に基づいて法律が作られてそれを実行するのが国や地方自治体等の行政だ。
つまり、国家は国家としての意思で動いている。
この意思のあり方を考えることは君にもできるだろ?
つぎに言葉の定義。
「幻想」は辞書を引けば十分だよ。
できれば大きな辞書でいくつかの意味を調べてみるといい。
「下部構造」、「疎外」、「還元」はwikiではない百科事典がいいね。
意味を知るにはその言葉の概念を把握する必要がある言葉だから。
マルクスの話は君がもっと本を読んでからじゃないと無理だ。
別にそんなに専門的な本ではなくていいから、とにかく字の書いてある本を読んでからにしよう。
アンチ幻想君の国家論を一度じっくり聞いてみたいものだ ただ、間違い、妄想と子供が駄々こねてるレベルのことしか言わないのでは 何も反論したことにはならない
>>281 だからそんな話してないだろって。
どこに意志のあり方を考えるって書いてあるの?
よく読めよ。
幻想ってのは実際は
[名](スル)現実にはないことをあるかのように心に思い描くこと。また、そのような想念。
で、国家は現実にはないの?あるのどっち?
ないとしたらなんで年金で蕎麦食ってる老人がいるわけ?説明して。
>百科事典がいいね。
あのさあ、なんでもいいよ。お前の定義をかけよ。
面倒だから。
どうせ、何書いても、「それはちょっと定義から外れる」って書くんだろ?
面倒だからお前が定義しろ。
マルクスに関しては1行ごとに批判した文章が
>>270 にあるから、文句があるなら 『 具体的に 』 にすること。
お前が偉そうにしたいっていう気持ちは伝わってくるけど、話にならんから。
わかった?
>>282 は?
上からよく読むといいよ。
何をもって「何も反論したことにはならない」になるわけ?
妄想って言葉の定義は
根拠もなくあれこれと想像すること。また、その想像。
論理的に明らかに誤りであるから、妄想だと断じているわけだ。
あんたの言う子供が駄々をこねてるレベルっていうならあんたが答えてみろよ。
国家は幻想なの?幻想じゃないの?
どっち?
幻想だったら税金払う必要ないよね?だって現実にはないんだから。
なあどっち??答えろよ。イエスかノーだ。たったこれだけ。
目に見えないから存在しない、幻想だ。 って書いてるバカがいるけど、じゃあなに?目に見えないものは存在しないわけ?w どんだけバカなんだよ。 重力見えますか? 時間は見えますか? 見えない?ならあんたらバカの定義だとどちらも存在しないことになるけど? なんども結論書くけど、国家は幻想ではないし、この吉本って言ってる事は完全なる間違い。 マトモな反論一つもないし、これが最終結論でいいよな? 信者の人ってさ、こんな大間違いの本を読んでたわけ? 君たちみたいなバカがいるから北朝鮮みたいな不幸な国が生まれるんだよ? 反省したほうがいい。
286 :
考える名無しさん :2012/04/07(土) 00:12:13.94 0
>>283 >>281 だが、何を「よく読め」と?
国家の本質を国家の意思のあり方として追求したのが共同幻想論なんだよ。
国家の本質とは、それがなくては国家(特に近代国家)として存立できないもの。
それが法律。
だから
>>281 で法律のことを説明した。
年金を出すのは法律があるからだよ。
税金も法律があるから払わなきゃならない。
国家の行為はすべて法律によって行われる。
どんなに幼い思考の持ち主でもこれは認めるだろ?
法律を作るのは理念や思想。
理念や思想を幻想と言うんだ。
だから法律は幻想のひとつ。
それまではなかった年金制度を実現させたのも法律。
つまり、「現実にはないこと(年金制度)をあるかのように(あったらいいなと)心に思い描くこと」から、法律がつくられた。
その結果、現実にはなかった制度が社会に突然現れる。
これが国家の本質が法律(幻想)だということの意味。
これだけ易しく説明すればわかるだろ?
これでわからなければちょっと本を読むこと自体無理だと思う。
ネットの情報だけで自己満足してればいいんじゃないかな。
それからね、ほかの難しい言葉は君には不要だから心配しなくていいよ。
>>286 幻想っていうのは現実にはないことをあるかのように心に思い描くことを表す言葉。
で、国家が幻想であるなら、国家の本質などあるわけがない。
なぜなら、現実にはないのだから。
国家の意志なんて国家が幻想であるならば存在し得ない。
もしも国家の本質なり、意志なりがあるとするなら、それすなわち国家が幻想などではないということだ。
理解できる?
で、年金があるのは法律があるからってお前は書いてるけど、国家が幻想であるなら法律は誰が強制させるわけ?
現実にはないわけだから法律だってないんだよ。
お前が書いてるそばから矛盾してるって理解できない?
で、挙句に「法律は幻想のひとつ」って書いてる。
じゃあ法律も現実には無いものになるけど。
君さ、幻想って言葉の意味わかってる?
独自に言葉を造語しすぎ。
幻想っていう言葉が現実にはないことをあるかのように心に思い描くことを表す言葉だっていうのを再認識してそのバカみたいな文章を書きなおしたら?
>理念や思想を幻想と言うんだ。
違うからw
勝手に造語をしないことw
そんなことしてるから君みたいなアホができあがるんだよ。
しっかし、ここに書きこんでから数日経つけど
今まで一人としてマトモに反論できた人いないな。
まあこの共同幻想論ってのが間違ってるから反論のしようがないのかもしれないが。
想像以上にレベル低い人しかいないんだね。ここ。
論理に自信があって、この吉本って人の話をマトモに擁護できるやついないわけ?
>>286 みたいなバカは2秒でバカってわかるから、そういうバカは時間の無駄だから書かなくていい。
自信あるやつだけ反論してくれ。
国家は精神分析の資格で論じるよりもゲーム論上の秩序問題として見たほうが面白いと思うよ
>>289 精神分析の資格?
なにそれ?
精神分析ってフロイトによって始められた神経症診断の方法のことだけど、その資格?
神経症診断の方法の資格って何?精神科医としての専門医の資格ってこと?
いつどこで誰が国家を医師の精神科の資格で論じたの?
ちゃんと、はっきりと、具体的にまず書いてよ
292 :
考える名無しさん :2012/04/07(土) 02:39:15.50 0
>>287 >>288 ほんとに馬鹿だね。
あそこまで易しく説明してあげてもわからないんだから。
あるものとないものの区別がつかないんだな。
一生反論とやらを待ってな。
>>292 在日なの?
説明じゃなくて思い込みといいます。
>>284 >幻想だったら税金払う必要ないよね?だって現実にはないんだから。
だから、お前は根本的に間違ってるって。煽りかも知れんが。
幻想は、錯覚や迷信じゃない。
幻想とは支配の正統性だ。
正統性が存在するから、集団生活の中で強制力を持つんだよ。
逆に聞くがどうして税金が強制なんだ?
税務署が取り立てに来るからだろ。
ではどうして税務署が取り立てにくるんだ?
国家と言う共同幻想、支配の正統性を共有しているからだ。
>>248 契約やルールが幻想でも観念でもないとしたら、その実体はどこにある?
物理学的に観測できる? どんな物質、素粒子で構成されている?
>>287 幻想というのは我々の脳内にのみあるという意味だね。そこまではいい。
しかし「我々の」というところが重要。それは共有された脳内存在ということ。
297 :
考える名無しさん :2012/04/08(日) 01:03:19.43 0
>>293 いかにもネトウヨらしい反応だね。
だけどいくらネトウヨでもここまでバカだとネトウヨ仲間からも爪はじきにされるよ。
>>294 >幻想とは支配の正統性だ。
それはあんたの造語でしょ?
たとえば、俺がさ、「パンダが逆立ちしながらハーレーダビッドソン乗り回しつつ落語を一席売ってたっていう幻想を見た」って言うじゃない?
お前の言ってる造語が正しいなら、そのパンダの支配の正当性を見たってことになるけど、ハーレー乗ってるパンダの支配の正当性を見るってのがどういうことなのか説明してみてよ。
できないだろうけど。
勝手に造語すんなよ。話にならんから。
>>295 そんなこともわからんのか。ほんっとバカなのかな。
契約がわかんないならさ、いい方法あるよ。
ヤクザと契約すんだよ。ヤクザの車かなんか買うって契約してこいよ。
で、こういうの、「その実体はどこにある?物理的に観測できる?」って。
そしたらお前は物理的に観測できるくらいボッコボコにされるからきっとわかるよ。いくらバカなお前でも
>>296 全然違うよバカ。
丸出しのバカだな。色々いるけど、お前が一番バカだわ。飛び抜けて程度が低い。
299 :
考える名無しさん :2012/04/08(日) 01:47:38.71 0
>>298 >幻想を見た なんて言うのは日本語のできないやつ。
「幻覚」を見た、と言うんだ。
勝手に造語すんなよ。話にならんから。
やっぱりお前が一番バカだわ。飛び抜けて程度が低い。
>>299 じゃあ
「パンダが逆立ちしながらハーレーダビッドソン乗り回しつつ落語を一席売ってたっていう幻想をした」に言い換えるから
ハーレー乗ってるパンダの支配の正当性をするってのがどういうことか説明してみてくれ
よくよく話し読むとほんとお前らってバカだな。 お前らがどういう人間か知らないけど、心底バカだと思う。 自分がバカってことすら認識できないバカ。 というか何人かは本当に知的障害者なんじゃないか?って思う人もいる。ここには。 まあそれはそれで可哀想だからあまり何も言いたくないが。 残念なのは、本当に一つとしてマトモな反論がないことだね。 俺としては、なるほどね、と思いたいわけ。 ああ、そういう事か、と。 しかし全くないね。それどころか、「こいつらってここまでバカなの?」っていう驚きの方が遥かに大きい。 こんなバカが平気な顔して生きてるんだもん北朝鮮みたいな国も生まれるわって思った。
>>289 みたいなことを書く人がいるんだよ。
別にいいけど。
で俺は
>>291 の文章を書いた。
だって289の文章って脈絡ないじゃん?
なんでいきなり精神分析の話でてくるわけ?誰か精神分咳の話してたか?
何が言いたいかって言うと、結局お前らって、この吉本っていう人も含めてだけど、中身の無い事をあるように造語して語ってるだけじゃん?ってこと。
中身あるんなら、あるんだから色々説明できるわけ。
できるだけわかりやすく言うこともできるし、本当に主張したいことがあって人に伝えようとするならわかりやすく言うよ。
そうしないのはなぜか?
理由は色々あって、あくまでも仮説だけど
劣等感が強すぎて、自分を大きく見せようと必死。
他人に理解できないであろう言葉を曖昧に使って、自分を大きく見せようとしている。
これがここにいる奴らの大半だな。ほとんどがただのアホ。
吉本って人は、これまた主観的仮説だが、感情的なとこがほとんどで論理は後付だろう。で、国家は幻想だとか間違った主張を本にしたっていうだけの話。
で、そのトンデモ論理に飛びついたが、当時ファッションだった左翼系の学生で、ここにいる奴らみたいに自分を大きく見せたい気持ちで読んで一時的に流行した。
こんな感じだろうなあ。あくまでも仮説だが。
303 :
考える名無しさん :2012/04/08(日) 02:16:23.41 0
>>300 お前はどのレスを誰が書いたかも想像できないバカだな。
心底バカだと思う。
自分がバカってことすら認識できないバカ。
ここまでバカなの?っていう驚きは非常に大きい。
そんなバカなお前が、ああ、そういう事か、なんて思えることがあったら、そっちの方が遥かに驚くよ。
お前みたいなバカなネトウヨが平気な顔して生きてるんじゃ北朝鮮も安泰だな。
>>303 論破されて頭おかしくなったの?
ドンマイ。
305 :
考える名無しさん :2012/04/08(日) 22:00:03.95 0
重要なのは対幻想という概念だろうな。 共同幻想ってのは吉本以外にもたくさんの奴が言っていて、そんなにめずらしくない。 そんなのを批判するなら、まとめて観念論を批判すればいいだけのことだから。 対幻想というのはかなりめずらしい。 上野千鶴子の批判があるけどフェミニストだから…
306 :
考える名無しさん :2012/04/08(日) 22:13:51.22 0
>>277 ある意味ではその通りだけど、哲学ではふつう「幻想」なんて言わずに「表象」という。
もちろん世界自体が表象だ。
われわれが表象の中にいる。
表象を飲み食いして表象的に生きている。
自明のことだ。
>>305 ああ。それも完全なる間違い。
笑ってしまう位の間違い。
勝手に概念言い出して造語。やってることこれだけ。既存の言葉の意味を破壊しながら曖昧で無意味な言葉を重ねてるだけ。
で、何が言いたいの?と問えば本当に何もない幼稚さっていうのか。
幼稚な感傷から思い込みを出発させて、継ぎ接ぎだらけの造語で補填した、そんな感じ。
対幻想という概念が云々
お前が勝手に作った造語なんて無価値だから、と。そのバカみたいな造語で何を伝えたいんだよって話。
勝手な造語でアホどもにそれっぽい雰囲気提供する事だけが目的なんだろ?
アホしか騙せんよ。
>>306 あとこいつバカっぽいね。あえて触れないでおこうかと思ったけど。
可哀想な感じするアホっぽさが全面にでてる。なんか痛々しいな。かわいそうになってくる。
309 :
考える名無しさん :2012/04/09(月) 09:31:48.97 0
土台が上部構造を規定するという唯物史観を打ち壊したかった談だろうけど、 おれは唯物史観にむしろ逆の問題を感じるな。 政治が幻想過程なのはよいとして、経済はなんで物質過程だといえるのか、と。 確かに物が交換されるけど、しかし貨幣を媒介にしてだし、 その貨幣は金本位制が終わった今では貨幣の存在そのものが 「共同幻想」という語がぴったりだと思うけど。 いつもいる馬鹿な奴は答えんでいいから、吉本ファン系の人に答えて欲しい。
以後低レベルネトウヨのあらし、煽りは一切スルーで
>>309 全然違うわw
幻想の意味もわからないアホw
本当に頭悪いのかな。
幻想ってのは実際は
[名](スル)現実にはないことをあるかのように心に思い描くこと。また、そのような想念。
国家は現実にはないの?あるのどっち?
ないとしたらなんで年金で蕎麦食ってる老人がいるわけ?説明して。
結局何も答えてないじゃん。信者連中ってww
>>309 それはあなたのいう通り。
経済とは幻想だよ。
ただの経済史観を唯物史観と呼ぶのはおかしい。
>>311 国家は現実には存在しないよ。
存在しないのに人々が頭の中で共有していることによって国家として存在できているの。
制度や社会は形のないモノならぬコトなんだよ。物象化論を勉強したほうがいいかもね。
314 :
考える名無しさん :2012/04/09(月) 15:55:05.67 0
>>309 いい指摘だと思う。
上部構造・下部構造論を単純に政治・経済と解するのはあまりにも矮小化しすぎている。
行動経済学の議論なんかを眺望すると、けっきょく、経済も心理学だなと感じる。
幻想でさえも脳内の物質代謝という実体をもっているという面では唯物論的だしね。
そうなると幻想にも唯物論的な側面があることになる。
幻想とは「自然から疎外されたもの」を指す。 これをもっと明確に言えば、「自然科学を超えたもの」が、幻想だ。 つまり、幻想領域とは、人文・社会科学領域を指す。 芸術も、国家も、経済も本質は幻想だ。人間の共同主観性が生み出すもの。 よって、人間が死滅したら、芸術も、国家も、経済も消滅する。 だから正確には、3部構造に分けるべきなんだよね。 自然科学領域(技術革新)が下部構造 社会科学領域(社会的国家、経済)が、中部構造 人文科学領域(芸術、哲学、政治的国家)が、上部構造 これなら混乱せずに整理できる。
社会科学領域と人文科学領域の区別が、 まだまだ混乱させるような曖昧さを含んでいないかな。 政治と経済が水準を異にするというのはどうも分からない。 社会的国家と政治的国家の分類にいたってはますます分からなくなる。
>>314 心理現象に対して脳内の物質代謝が原因なのか結果なのかは無限ループのような問題だなあ。
心理学は、誰かのある心理が別の誰かのある心理の原因や結果になることを論じている。
ここでは心理間の因果関係が議論される。
いっぽう脳科学は、それらの心理の物質的土台との間の因果を研究している。
脳の物質代謝と心理との間の因果関係が議論される。
論じられている水準が違うんだな。
318 :
考える名無しさん :2012/04/10(火) 00:57:39.42 0
そういえば、フィジカル、フィジカルなんて歌ってた人がいたけど、あれはただ肉体ということだったんだろうな。
> ないとしたらなんで年金で蕎麦食ってる老人がいるわけ?説明して。 年金で蕎麦食ってる老人がいるという幻想に惑わされる馬鹿がいた wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
320 :
考える名無しさん :2012/04/10(火) 09:27:58.89 0
糸井君、
>>319 に座布団1枚あげて
草がなければ2枚あげるんだけどねえ
321 :
考える名無しさん :2012/04/10(火) 12:51:49.75 0
唐突で すいません。 三島と東大全共闘の討論が在った際、吉本隆明が参加していたとすれば、 どのようなものに成っていたと想像しますか?
>>316 ようするに、吉本は国家とは社会科学的カテゴリーじゃなくって、詩や芸術のような人文科学的
カテゴリーだって言いたかったんだろうけど、この考え方自体にムリがあるよ。
国家とは、本質においてホッブズやルソーが言うような、社会契約の総体であって、あくまで
社会科学でしょ。
詩人である吉本が、ムリヤリ、国家論を自分の得意なジャンルに引き込もうとして、ムリが生じた感じ。
>>317 >心理現象に対して脳内の物質代謝が原因なのか結果なのかは無限ループのような問題だなあ。
いや、実はここが吉本が一番戦ったポイントでしょ。
脳がなくては意識は生まれないが、意識は脳には還元できないよ。
無限ループというよりも、ジャンルがちがうんよ。
脳をいくら自然科学的に分析しても、知覚問題は説明できても、価値観や審美眼は説明できない。
価値観、審美眼は自然科学的な「観察」では確認できない。
名作といわれる文学書を、いくら顕微鏡で観察しても、その価値が理解できないようなもの。
人文・社会科学は、対象を観察するんじゃなくって、了解するんだよ。
意識は、人間が了解することによって発生する心的現象だから。
脳の活動は自然科学的カテゴリーだが、意識は人文・社会科学カテゴリー。
人文科学に言語学も含まれるんだろうか。 ソシュールが言葉を論じるとき、結局のところ、言葉はもっとも根源的な 社会契約の産物だと言っているように思う。 しかしこの場合の社会契約はむしろ「押し付けられた契約」である側面が 広いことをソシュールは強調し断っている。 吉本さんにとっては、詩や芸術は個人的観念の産物だということになる。 それに対して国家は、他者と共有された観念の集合体だということになる。 ホッブズやルソー流にいえば、他者と契約された観念だということになる。
例えば、私が勝手に計画言語・人工言語を創作したとする。 このレベルでは私の個人幻想の表現としてこの計画言語は存在するにすぎないことになる。 ところが、この言語の文法や語彙を理解する人が増えて、この言語をつかって私とその人たち との間でコミュニケーション関係を成り立って行ったときに、この個人幻想はもはや個人幻想の 水準を超え始めている。 計画言語自体は私が勝手に空想して仕上げた創作物にすぎなかったかもしれないが、 それを理解してくれる人たちがいて、あるいはそれを教育することによって広めていけば、 この言語はもはや個人の脳内幻想ではない水準へとはみ出し、ついには私の手を離れ始めるだろう。
しかし、そうなった暁にも、この計画言語が観念であるという本質に変わりはない。 それがただ「契約された観念」になっただけのことである。
326 :
考える名無しさん :2012/04/11(水) 09:58:53.23 0
>>324 エスペラント語、文字だけならハングル、か。
業界用語とかギャル語なんてのもそうかな?
327 :
考える名無しさん :2012/04/11(水) 10:07:55.03 0
>>323 吉本は、言語学は言語をあるものとして扱うけど、自分は、ないもの、表現されるものとして扱う、と言ってるね。
そういう意味でお互いに終わったところから始まる、と。
つまり、言語が表現された結果と表現される過程との違い。
328 :
考える名無しさん :2012/04/11(水) 10:21:24.38 0
993 :レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/26(月) 19:57:06.87 私も、吉本はアナクロだとずっと思ってきたんですよ。 これは同年代の多分に漏れず、蓮実・柄谷のいうことを鵜呑みにしていたということです。 ところが、五年くらい前、古本屋でたまたま昔の「海燕」を買って、載っていた「ハイイメージ論」を読んでみたら、 なんか、吉本のほうがぜんぜん新しかったんじゃないか、と感じたわけさ。 吉本がヘーゲル的だといわれるのは、同一律なしに論理は成立しない、という当たり前のことを無視してないだけなんですよ。 ハイイメージ論に関して言うと、数物系の知識水準が柄谷とは明らかに違うのね。 ちなみに浅田の本音は、柄谷よりも吉本のほうが正しい、だと思う。 だから、柄谷支持、吉本批判は、党派的なもんでしょう。 似た経験に関して言うと、同世代の多分に漏れず、ハイデガーも、ドゥルーズの批判を鵜呑みにして、 長らくダメだと思い込んでいたんだが、よく読むとドゥルーズよりも明らかに「正しい」のね。 上手く言えなく申し訳ない。
>>327 それは俗に言われる認知言語学とは違うのでしょうか。
>>323 今までここで散々ここの連中の批判してた者だけど、
あなたのこの文章いいと思いますよ。
ここの連中は殆ど白痴みたいな人ばかりだけどあなたはまあまあ賢い。
あなたが書いたその観念という言葉。
それを幻想という間違った言葉で置き換えただけなのが、この吉本という人のやった事。
つまり何百年も前に語り尽くされた当たり前の事に造語して誤解を与えただけ。
>>328 同一律ってなに?
なんで同一律なしに論理が成立しないならヘーゲル的なわけ?
わかってるからコピペしてるんだと思うけど、説明してよ
>>327 要するに
吉本の本はただのポエムであって、意味を掴もうとか内容を吟味しようとするやつはアホってことでしょ?
あなた正解。
その通り。
ようやくマトモな人が現れたな。
>>330 てか、そもそも吉本さん自身が幻想とか観念とか言い換えて使っている。
たしか、共同幻想論の冒頭でそう断っている。
だからそこにツッコミを入れるのは今更感があるね。
そもそも哲学的には、観念論の文脈でこの観念という語があるということを
知っていないと幻想=観念の文脈がのみこめないと思うぞ。
334 :
考える名無しさん :2012/04/12(木) 02:01:41.94 0
>>329 >>327 です。
認知言語学というのは知らないから比較できない。
吉本の自己表出というのは自己疎外とその止揚による表出。
指示表出というのは通常の言葉の選択。
意味合いとしては時枝の辞と詞の区分には近いかもしれない。
逆に認知言語学というのがどういうものか教えてください。
吉本はあくまでも言語の美(文学の価値)の基準を追求している。
その意味ではヘーゲルの美学と同じ方向だし、論理の進め方としてはマルクスと同じ。
>>333 >言い換えて使っている。
つまりただのポエムってこと。
ポエムの内容吟味する人は野暮というか、阿呆
336 :
考える名無しさん :2012/04/13(金) 11:41:06.05 0
>>334 >>329 ではないんだが、wikiによると
1.これまでほかの認知能力に還元できない生得的な言語知識として記述・説明がなされてきた言語現象を、一般的な認知能力の発現として捉え直し、記述・説明を行っていく。
2.意味は静的なものではなく事態把握・語用論的側面を含めたダイナミックな「概念化」として記述する。
3.言語の運用という側面から言語の実態を見直す。
だそうだ。
なんだかわからん。
言いたかった事は 「単純な断定に疑問を持とう。」ってこと。 こんなところでいくら何を書いたところで意味はないかもしれないが この手の話に興味を持つ人は、自分の頭で考えるという必要があると思う。 なぜなら、自分の頭で考えられない人達がソ連や北朝鮮のような不幸を生んだのだから。 マルクス主義者と言われるような人達が話す内容は本当に呆れるばかりで、 彼らは「マルクスによると〜〜」という方式で語る。 そのマルクスが書いたことが正しいなんて保証はどこにもないのだから、いくらそのマルクスの話を前提として語ったところで何ら意味が無い。 意味が無いどころか、非常におかしな結論となる。 その結論の一つが北朝鮮じゃないだろうか。 あくまでも極論だが、ある種の真実は捉えてると思う。 真実はもっとシンプルで誰にとってもわかりやすい。 造語によってわざと難解に、わざと理解されにくくした文章に騙されてはいけない。 単純な断定に疑問を持とう。
>>337 >「単純な断定に疑問を持とう。」
この訴え自体には同調できるけれども、《国家は共同の幻想である。》という文句の中の「幻想」を〈造語〉だと解する態度には同意できない。というのも、「幻想」は普通の辞典にも載ってる既成の熟語にすぎないし、この文句での用法が〈暗喩〉であるコトは明らかだから。
そして、〈暗喩〉であるがゆえに、当の文句を〈単純な断定〉だ見なす態度にも同意できない。じっさい、この文句の出典のテキストや「〈幻想〉領域の解明」(中公文庫『世界認識の方法』pp.141-154)に目を通せば、件の文句が〈暗喩〉としても“単純” でないのが解かる。
340 :
考える名無しさん :2012/04/14(土) 01:25:16.38 0
>>337 偉そうでなかなかいいよ。
>「マルクスによると〜〜」
なんていうやつがいたら、変なやつだと思うが、そんなやつにあったことない。
>ソ連や北朝鮮のような不幸
なんてマスコミの情報を「自分の頭で考え」ずにそのまま受け売りしてるだけじゃない?
別に幸せな国だとも思わないが。
アメリカの言いなりになって金融投資で大発展なんてことを信じ込んでる日本が幸せだと思うのも大変だけどね。
だいたい
>真実はもっとシンプルで誰にとってもわかりやすい
のか
>単純な断定に疑問を持
ったほうがいいのか、どっちなんだよw
341 :
考える名無しさん :2012/04/16(月) 00:44:15.24 0
>>339 「幻想」が〈暗喩〉だとすると、なにを喩えてるの?
343 :
考える名無しさん :2012/04/16(月) 11:00:39.81 0
>>342 >>337 は、吉本が北朝鮮を擁護したから、それに反応したステマで小銭を稼ぐネトウヨじゃない?
だけど、このスレじゃ住人が少なすぎて小銭にもならないから、くだらないことを書き残して別のスレをさがしにいったんだろう。
>「幻想」が〈暗喩〉だとすると 一致かとえば「暗喩」ではない、無理やり一致させるなら 一致させたい本人がそれを説明するべきである。 用法という捉え方の側面を暗喩とした場合に用法以外に対しても それを短絡的に結びつけるのは2ch脳としかいえない。
345 :
考える名無しさん :2012/04/16(月) 14:23:09.89 0
>>344 「幻想」は〈暗喩〉とかではなくただ意味が拡張されてるだけということ?
>>341 (
>>267-269 への横レスをも兼ねる。)
一般化していえば、「τは幻想である。」のうちの"τ"という辞(コトバ)でもって示される存在者εが
〈非具体的な存在者(すなわち、抽象的存在者)の位相にある事〉を喩えている。
その事の喩える辞として"幻想"が択ばれているのは、〈存在者εが辞"τ"として現象する事〉自体が、
〈存在者εの浮島現象(蜃気楼の一種)〉の様にイメージされているからだと推される。
論理学的に観ても、どんな存在者εも、辞"τ"で表現される位相においては、多かれ少なかれ、
〈"τ"を表現する者自身のεに対する関心を反映した抽象的存在者ε'〉としてしか出現せざるをえない。
《一般にわたしたちが、どんな憲法のもとにあっても、どんな「制度」や「体制」のもとでも、(中略)
それに「反抗」する自由と権利をもつのは、おおよそ「憲法」や「制度」が「共同的幻想」を本質としているからである。
また、大衆がそれを「意識」しないでも結構それを「享受」しうるのも、「制度」や「憲法」が「共同的幻想」であり、
すこしも具体的な物質ではないからである。いいかえれば、「憲法」や「制度」は、げんこつや飴玉のように直接に痛かったり
甘かったりするものとして人間にとって存在しないからである。》(『情況とはなにか:2 戦後知識人の神話』[1966] から。)
347 :
考える名無しさん :2012/04/17(火) 00:35:12.20 0
>>346 こんなやつが吉本読者として滔々と語ってちゃ、吉本が馬鹿にされてもしかたがないな。
348 :
考える名無しさん :2012/04/18(水) 03:10:45.74 0
吉本の幻想の意味の拡大は、ミサイルの意味をロケットにまで拡大させたのと似たようなものか?
349 :
考える名無しさん :2012/04/18(水) 13:19:28.20 0
ある紙切れを個人が勝手に貨幣だと思い込んでいるだけなら それは「妄想」、または「夢」か「幻」だろ。 2ちゃんねらーなら「お前の脳内妄想だ」と表現するだろ。 吉本さんに言わせればこれは個的な幻想だ。 しかし、「その紙切れは貨幣である」という思い込みを 他者と共有することになれば話は違ってくる。 その思い込みを共有した者の間ではその紙切れが貨幣として 機能し始める結果を生むことになるだろう。 社会契約と言われているものは、根源的には共有された思い込み と分析することができる。 したがって、社会契約と言われていることは思い込みの共有化だと訳せる。 だからこの意味で共同幻想という言葉のほうが社会契約より分析的概念だ。
社会契約と言っただけでは学術的には何も言っていないに等しい。
>>345 ,
>>348 そのような“意味の拡張・拡大”とはならない。
〈暗喩〉いいかえれば〈隠喩〉としての《τは幻想である。》では、
>>287 の始めに書かれてあるような「幻想」が有する“通常の意味”が、
読み手の想像力を立ち上げるように“τの対比物”として選択されているだけである。(*)
吉本の《国家は共同の幻想である。》は〈隠喩〉として表現されていて、それゆえに、この表現は〈言明〉としては〈偽な言明〉でしかないが、
ドーキンスの《神は妄想である。》は〈隠喩〉としてでなく、〈真な言明〉として表現されている。
前の表現は《国家 ∽ 幻想》; 後の表現は《神 ⊆ 妄想》 のような形式で表わし分けられる。
前のような形式を有つ表現を 後のような形式を有つ表現として読み解ってしまう点に
>>282 が呼ぶところのアンチ幻想君の“リテラシーの堅さ”が感じられる。
(*) この解釈はドナルド・デイヴィッドソンが『隠喩の意味するもの』[1978]で述べた見解に従がっている。
〈隠喩〉の効果は、喩として用いられる言葉が〈意味するコト〉にではなく、その言葉で以って〈喚起するコト〉のほうにある。
吉本自身の見解は『詩とはなにか』[1964] や『言語にとって美とはなにか』[1965]に在る。後者では、
《言語をつかっておこなう意識の探索》が《人間の幻想が生きている仕方ともっともぴったりと適合したとき》に《抽出される》表現が〈喩〉である
と述べている。
352 :
考える名無しさん :2012/04/20(金) 10:04:43.49 0
>>351 吉本の共同幻想はそもそも〈喩〉じゃないよ。
そのまま「ふわっとした妄想」とか「もうろう状態での幻覚」とかいう普通に使われている意味での幻想から、法としての国家の意思までの広い範囲を説明した概念。
ただ、それだけのこと。
なにか書きたければ読んでからにしな。
>>352 >ただ、それだけのこと。
なのに、アンチ幻想君がしているような“誤解(曲解?)”が為されるのなぜか。
そのわけは、吉本の文脈から外れては吉本が与えているような内包を有たない既成語の「幻想」が、
かの内包を言い表わすための名辞として吉本が用いて(しまって)いる所為だろう。
では、そのような語弊を惹き起こす「幻想」の使用を吉本が行なったのはなぜか。いいかえれば、
『共同「観念」論』でも『共同「意志」論』でも『共同「仮象」論』でもない、『共同「幻想」論』であるのはなぜなのか。
コレは語義論や語形論の観点からは解ぐしづらい問いなので、語用論の観点から
>>338-339 ,
>>346 ,
>>351 でのように解ぐしてみた次第。
吉本の思想的脈絡においては、ヒトの個体において特有な心的現象である〈関係意識〉が「幻想」と謂われている。
そう謂われた事の“積極的な理由”はなにか。
>>351 で引いた〈喩〉という詩的表現についての吉本自身の見解を応用して答えれば、
吉本の言語観(日本語-観)あっては、〈言語〉を使って探索しようとする対象である〈関係意識〉の像に対して
「幻想」という言葉の像が《もっともぴったりと適合した》からだろう。
『抒情の論理』[1963]の「あとがき」で《わたしは、もともと、詩論と文学論と思想論を、じぶんのなかで区別していない。》と述べているとおり、
〈国家〉という集合概念を紡いでゆくような種々の〈関係意識〉が論じられているために思想論として読まれがちな『共同幻想論』も
〈言語の表現としての芸術〉の在り方を明確化しようとする詩論的、文学論的なモチーフの派生作のひとつとして読める。
354 :
考える名無しさん :2012/04/26(木) 13:25:40.47 0
>>353 吉本自身は何回も「幻想」というのは一般的な意味での観念と同じだと書いてる。
そして「共同幻想論」では「幻覚」とか「妄想」という普通に使われている意味での「幻想」から書き起こしてる。
「幻想」を含む「観念」一般の意味で使っているだけだよ。
355 :
考える名無しさん :2012/04/27(金) 12:14:22.23 0
>>353 難しく考える必要はないんじゃないでしょうか?
吉本氏はわかりやすい表現にしようと努力してる。
そのまま普通の言葉として理解すればいいと思います。
そうすると、とても普通のことが書いてあることがわかる。
法というものが観念(理念)によって成立していることに異論はないでしょう。
社会の要請に応じて法が制定され、制定された法が現実の社会に適用されて強制力となる。
その強制力を保証するのは行政組織や軍。
司法や行政、軍のあり方を決めるのも法。
この繰り返しが国家の政治的な運営です。
国家の本質を法に求めれば、国家はまさに観念(幻想)そのものです。
強制力に本質を求めたのがレーニン。
賛成するにしても反対するにしてもとてもわかりやすく書いてある。
吉本氏自身が「共同幻想論」は観念としての国家の成立を論じたものだと言ってるんだから、そう読むほかない。
そう読めないとしたら、著者か読者のどちらかの力がたりないということでしょう。
356 :
考える名無しさん :2012/04/30(月) 19:12:08.25 0
「共同幻想論」の幻想とは、私も「幻想」を含む「観念」と解釈しています。 これを機会に、吉本氏の世界観を記すと、共同幻想論(国家、宗教)、 自己幻想(個人)、対幻想(男女、親子)があり、対幻想は吉本氏が作り上げた 観念ですが、この対幻想と親鸞の哲理の関わりと、自己幻想としての自己の実存的観念と 対幻想の関わりが、今一つ分かりません。
岸田秀のものぐさ精神分析を読めば、幻想について良く分かる
>>354-356 そのとおり。
>>352 の終わりの“仮言命令”に従がって『共同幻想論』の「序」だけでも読めば、
吉本の「幻想」が「観念世界」「観念の体系」「上部構造」などに相当する語句だという事が程なく解かる。
けれど、それらの相当語は《既成のいろいろな概念が付着していて、つまり手あかがついてい》るという“負の事情”に由って
唯名的定義語へと引き下げられて、「幻想」という日常語がそれらに取って代わる名辞に、いわば表看板に択ばれた。
では、その「幻想」が表看板に掲げられた事の“正の事情”はなにか――という 問いを
>>346 〜
>>353 のように解ぐしてきた。
いまは、ソレを“「観念」と「幻想」とが互いに同様の喚情的意味によって結びつくという事情”だろう、と言い解ぐせる。(*)
「観念」と「幻想」とを“共有結合”する喚情的意味は「観念的」や「概念的」という形容(動)詞の意義に近い。
「観念的」・「幻想」の双方の意義を突き合わせると、つぎのような喚情的意味βが抽り出せる:
β=《それの実在性や実現性が疎かにされうる情態の下で想像されたり思考されたりするコトやモノ》。
このような喚情的意味β を共に有つコトのために「観念」と「幻想」とがリンクするという事情に由って、
「幻想」が「観念の体系」や「上部構造」に取って代わる語句として択ばれた、と推される。
(*) 「喚情的意味_Ekemocigxa senco」は、「情動的意味_Emotive meaning」または「概念感情_Begriffsgefuhl」とも謂う。
ところで、吉本の「幻想」は、その相当語の「上部構造」が「土台(下部構造)」と対をなす語句であるという事情に由ってか、 他の語句と対をなして使われもする。 〈西洋史学者・鈴木成高が戦争期と戦後期との間に示した“主張の豹変”〉を論らった数節のうちに、つぎの印象的な一節がある: 《知識を販(う)ること、文を売ること、思想を売ること、政治運動を売ることは怖ろしいことである。 そして買いとったものをプラスを見込んで組織的に流布することは、さらに怖ろしいことである。 なぜ怖ろしいかといえば、これらは「行動」を売ることではなく「幻想」を売ることだからである。 「やってみるだけ」を販ることではなく「言ってみるだけ」を販ることだからである。行動は、その行動が もたらす結果によって可視的であり、そのかぎりにおいてその行動のおよぼす影響、その行動の受けとり方に ある明瞭な限定をおこなうことができる。その動機やその行動にいたる理念がかくされていたり難解であったりしても、 行動そのものの評価はある限界のなかで可視的である。しかし、幻想はどのように表現されようとも可視的ではなく、 その影響も測定が不可能である。ささいな表現が、雷鳴のとどろくような影響をあたえることがありうるのだ。》 (『情況とはなにか:2 戦後知識人の神話』[1966]より。) ここに現われる「幻想」は、「言ってみるだけ」の同義語であり、「行動」や「やってみるだけ」の対義語である。 つまり、〈実践〉や〈活動〉に対しての〈理論〉や〈思想〉を意義とする語句として用いられている。
そんなマイナーな山かっことか使わなくても 普通に実践、活動、理論、思想と書けばいいんじゃないでしょうかw
361 :
考える名無しさん :2012/05/18(金) 15:15:46.56 0
どうしても気になったところ。 「どんな多数の男性との性関係を想定したとしても、ひとりの女性は自分の生み落とした子供の父親がたれであるかを 確実に知っているはずだ」(改訂新版角川文庫p160) ・・・そうかなあ?
362 :
考える名無しさん :2012/05/18(金) 18:24:53.54 0
>>361 これは日常的な乱交状態を想定してるんじゃなくて、どちらかというと女から見た場合は一定期間単位のカップルを想定しているらしい。
普通の共同体の一員である女には日常的な乱交状態はなかったと考えているようだ。
つまり夜這いの相手は男からは多数の女だが、女からは特定の男、というようなもの。
男の嫉妬と女による男の選択はあったということが前提だろう。
そんなようなことをどこかで答えてた。
吉本がモラリストだから、じゃなくて、対なる幻想という考え方からは没個人的な乱交状態はでてこないからだろう。
対幻想としての人間には男または女としての観念的なあり方しかない、という考え方によるもの。
363 :
考える名無しさん :2012/05/18(金) 19:04:47.27 0
>>362 まあ、そういうことになりますよね。
何か女の直感的な事を言ってるのかと一瞬思ってしまいましたw
364 :
考える名無しさん :2012/05/18(金) 20:51:44.97 0
>>363 とくに文学的な素養がある人が読むとそう受け取りがちかもしれない。
かなり高名な評論家も、乱交状態で誰が父親か分かるわけない、と言っていた。
女の直感で分かるのか?とも。
観念的に社会的な性の束縛から自由になっている人は、読み流すとそう読んでしまうようだ。
カネの切れ目が夫婦の切れ目、カネの切れ目が親子の切れ目。 家族の絆もカネ次第。 この言葉のほうが吉本の対幻想論なんかよりずっと本質をついているのに。
366 :
考える名無しさん :2012/06/05(火) 09:04:00.32 0
>>365 貧乏家族は今でもすごく多いけど、どうする?
367 :
考える名無しさん :2012/06/05(火) 09:58:53.66 0
さんでるもうかってる〜
唯物論>幻想論の図式が逆転するには共産社会の実現を待つしかない。
唯物論と共産主義は論理的に独立ですよ
マルクスは共産社会の最終形態というか発達した形態では、 唯物論的宿命から人類が解放されると見積もっている。 あの有名な自由論だよ。
371 :
考える名無しさん :2012/06/22(金) 18:10:55.53 0
強く生きぬこうとする気持ちもまた、 死から逃げたいと思う逃避心の現れにすぎない。 生きることも自殺することも、 逃避行の二つのパターンに過ぎないのだ。 それを認めたくないのも逃げなのだ。 生命が持っているのはけっきょく逃避の本能のみである。 フロイトは要するにそう言っている。
372 :
考える名無しさん :2012/06/22(金) 18:26:59.80 0
敗北の過程で、なんで「集団自決」とか「玉砕」なんてことに、なっちまったんだ。なんで「天皇」なんてものを、捨てることができないのか。 吉本を読む動機です。
374 :
考える名無しさん :2012/09/30(日) 23:51:11.13 0
〉374さん バカなたとえで恐縮ですが、「玉」(天皇)を詰めようとする「飛車」と「角」と、前者吉本で後者丸山と。あっ、バカなうえに古くさいですね。
376 :
考える名無しさん :2012/10/01(月) 18:28:48.74 0
>>375 その喩えでいえば、吉本氏は将棋のルールの成り立ちを解明しようとしたんだと思う。
将棋というゲームそのものを解体すれば、残るのは字の書いてある木製の駒だけだ、と。
〉376さん マジなレスありがとうございます。教えていただきたいのですが、〈古代の心性〉である「天皇制」を、吉本氏は、最終的にどこまで追い詰めたのでしょうか?著作名など教えていただければと。
>>376 ってしないとアンカーにならないので一応。
379 :
考える名無しさん :2012/10/01(月) 20:34:16.85 0
>>377 言うまでもなく「共同幻想論」だが、「アジア的ということ」(状況への発言)、「アフリカ的段階について」、あとは「ヤポネシア(琉球弧)」に関する講演などだろう。
皇室祭儀の分析も講演集などにあったと思う。
網羅できるほど覚えていないのでこれくらい。
書名等の間違いは乞ご容赦。
ただ吉本氏自身が「共同幻想論」の序文などに書いているとおり、うまくいってるとは思えない。
吉本氏の基本的な方向は大和王権が前王権の支配構造をそのまま帽子をかぶりなおすように受け継いだ、ということ。
その受け継ぎ方の解明が、日本独特の天皇制を成立させた共同幻想の根拠からの解放につながる、と考えていたことは間違いないだろう。
〉〉379さん アンカー気をつけます。 ありがとうございました。「アフリカ的段階」は未読でした。結論としては、「うまくいっているとはいえない」ですよね。個人的には、最も力を注いでほしかった分野ですが。
381 :
考える名無しさん :2012/10/01(月) 23:19:25.97 0
>>380 それは読者の受け取り方しだいでもあるし、またうまくいっていないと思ったら読者自身が考えを進めて、解決する道をさがすべきだろう。
吉本氏は万能でもなければ特効薬でもない。
〉〉381さん それは、もうおっしゃるとおりです。唐突ですが、ちょうど40年前の、「連合赤軍」による「粛清事件」をどうおもわれますか?ゆるやかな「集団自決」とも「玉砕」ともおもわれるのですが。早朝から、すみません。
383 :
考える名無しさん :2012/10/02(火) 07:00:07.52 O
>>382 横から失礼します。
記号や英数字には半角と全角がありネットでは原則半角だそうです。
>>383 さん ありがとうございます。皆様、ご迷惑をおかけいたしました。
385 :
考える名無しさん :2012/10/02(火) 18:56:11.49 0
>>382 さあ?
新聞報道等からの情報だけで判断すれば、集団の固定化された行動に対する阻害物を排除した、というだけのことに見えるけど?
集団の意思決定がすべての個人的な意思や感情を排除した。
その意思に従わない人間はただの邪魔もの。
だから、はじめから消滅させる(殺す)ことによって排除したか、リンチによって個人の意思だけを抹消しようとして結果として死亡してしまったかのどちらかではないの?
指導部の個人的な資質の問題ではないと思う。
連合赤軍は極端な例に見えるけど、実は日本の軍隊も同じ側面を持っていた、というより、軍の本質だと思う。
軍法会議と同じような会議が開かれた結果じゃないだろうか?
自分は「集団自決」とも「玉砕」とも考えたことはない。
軍隊としての普通の行動だと思ってる。
>>381-384 ちなみに↑のような書き方もできます
このスレ、50代以上がほとんどなんでしょうか
>>385 むちゃぶりにもかかわらず、まっとうなコメント、ありがとうございます。事実として、古今東西の「軍隊」、そして、「革命軍」にも、「内部粛清」というものは、つきものだということですね。私も、基本的には同様に考えています。
ただ、劇作家別役実氏の、「浅間山荘事件」としてあぶり出されなければ、「そして誰もいなくなった」への道をたどったであろう、という指摘を読んで、心底恐ろしくなりました。 私は、「玉砕」という側面をも少し考えています。
388 :
考える名無しさん :2012/10/03(水) 00:50:42.03 0
>>387 その著作は知らないので、関係なく言うと、「玉砕」については水木しげるの戦争漫画が一番深い考察だと思ってる。
軍隊というものの本質をリアルに描いている。
自分は、個人の側からのあれ以上の考察を見たことがない。
横レスですが小田実とドナルド・キーンの玉砕をめぐる交通は興味深いものでした
>>388 、
>>389 さん ありがとうございます。是非とも、ご指摘頂いた文献に目を通したいとおもいます。
391 :
考える名無しさん :2012/10/05(金) 10:13:20.38 0
>>387 「内部粛清」と言うとなにかしらかの意味合いが付加されてしまうが、ただの規律違反に対する処分だろう。
戦争の前線にいる軍隊での処分としては一般的なことじゃないかと思う。
行為が異常に見えるのは、武器、状況などからその場で取りうる方法を選んだからだろう。
繰り返すが、集団の規律はそこまで行く。
これが吉本氏の言う「共同幻想」だし、日常的にどこにでもある集団性の本質だ。
アメリカ軍も革命軍も、連合赤軍も、学校の運動会も変わらない。
>>391 ただ、具体的にみていくと、「逆立」の度合いには相当の差があります。組織の正式な規律というよ りも、内面にまで浸透した呪縛力の強さ。たとえば、 ベトナム戦争での米軍死者は、末期に至ると部下に 殺された上官というケースが過半という事態に至っていましたね。
393 :
考える名無しさん :2012/10/05(金) 20:02:12.89 0
>>392 個別に見れば人さまざまであることは当然だ。
プロレタリアもブルジョアジーも個別に存在するわけではない。
視点を変えて抽象性を把握する必要があるのではないか。
本質的な部分を見ようとするときには個別の状況を抽象しなければいけない。
>>393 ぶっちゃけ、誠に微力ながら実践志向があるものですから、具体的な日常生活意識批判が、私の課題 とするところです。「市民社会」の「本質」は「階級社会」、と指摘しても、それだけで は無力です。文中、「抽象」は「捨象」ではありませんか。 「抽象」では意味が通りにくいような?
>>393 ってか、「抽象」と「捨象」を、ふつう間違えますか? 信じられません。
396 :
考える名無しさん :2012/10/05(金) 21:28:00.62 0
>>394 >>395 「捨象」はありえない。
「捨象」ではなく「抽象」。
この違いは理解して欲しい。
吉本氏の論考を理解するためには「抽象」の概念の把握が必要だと思う。
>>396 「本質的な部分を見ようとするときには個別の状況を抽象しなければいけない。」これが、日本語として 間違いであることが、わかりませんか?
398 :
考える名無しさん :2012/10/06(土) 00:49:27.38 0
>>398 状況を抽象する、 状況を抽象しなければいけない。 誤「を抽象する」 正「から抽象する」
古い油の臭いのするスレ
401 :
考える名無しさん :2012/10/06(土) 09:52:21.15 0
>>401 下らない指摘を全面的に撤回して謝罪いたします。申し訳ありません。自分としても、正直なところ、生理的な反応に手を焼いています。失礼いたしました。
哲学板で謝罪する人めずらしいな あっぱれだわ
>>403 ありがたい叱咤激励のお言葉として、受けとめさせていただきます。
405 :
考える名無しさん :2012/10/06(土) 19:19:03.39 0
どうでもいいなんて、めっそうもない。私のいたらないレスに対する、すべてのリアクションに感謝です。
>>391 「学校の運動会」という指摘は鋭い。運動会の練習は、軍の教練そのもの。 どなりちらす教員は、あきらかに快感に酔っている。 あれが、私たちの身体に染み込んでいる。
408 :
考える名無しさん :2012/10/11(木) 15:58:10.96 0
奥さんも9日亡くなったんだな 合掌
「結婚にいたる経緯」を、最大の事件と書いていました。添い遂げられて、同じ年に逝かれたんですね。合掌。
410 :
考える名無しさん :2012/10/19(金) 01:37:50.33 0
吉本和子さんの死は、吉本隆明の死とともに、こたえた。 和子さんには、まだまだ長生きしていただきたかった。なぜかそんな感じを持った。俳人であった 和子さんの句を三つほど挙げておく。 黒蝶や 帰る空なく 黒く舞う 去る肩に 推理とどかぬ 五月闇 盆提灯 悔いのみ残る 死がふたつ
411 :
考える名無しさん :2012/10/21(日) 15:15:52.04 0
>>410 以前、隆明氏のことを、悪魔が羽ばたいてる感じ、と言ったという話を思い出して、つい、黒蝶を隆明氏に見立ててしまった。
412 :
考える名無しさん :2012/10/30(火) 10:37:36.87 0
>>411 その話、よく見る有名な話かと思うんですが、初出は何の本になるんでしょうか?
和子さんのインタビュー?
413 :
考える名無しさん :2012/10/30(火) 11:54:22.94 0
>>412 「情況への発言」に吉本氏本人が書いていた。
吉本氏が家事全般をやることについての奥様の発言としてだったと思う。
414 :
yiuy676dfasf789 :2012/11/19(月) 01:23:40.15 0
松本人志なんて電車通勤しないんだろ
416 :
名無しさん :2013/01/13(日) 15:47:14.90 0
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf
417 :
考える名無しさん :2013/02/06(水) 22:03:34.74 O
「吉本リューメーの言う共同幻想が」とかしたり顔で言う奴は、 リアリスムを放棄してんだろうか? 貴様らどうょ
418 :
考える名無しさん :2013/02/06(水) 22:20:11.37 O
「ならず者国家異論」で小泉批判しながら石原内閣推ししてんだな。 ああ、やれやれ…
419 :
考える名無しさん :2013/02/18(月) 20:05:03.37 P
論理を捏ね回すのが仕事と思ってて、結局ただの馬鹿だからなw
420 :
考える名無しさん :2013/06/19(水) 17:44:06.62 0
柴崎明・・・・
422 :
訂正 :2013/10/29(火) 00:52:25.64 P
423 :
考える名無しさん :2013/10/29(火) 12:55:40.35 0
新商法、
ボロメオの環(カント、ヘーゲル): ____ ____ / \/ \ / /\ \ | | | | | 悟性 |__| 感性 | | /| |\ | \ / \/ \ / \|___/\___|/ | | | 想像力 | \ / \____/ ____ ____ / \/ \ / /\ \ | | | | | 国家 |__| 市民社会| | /| |\ | \ / \/ \ / \|___/\___|/ | | | ネーション | \ / \____/ 「市民社会=市場経済(感性)と国家(悟性)がネーション(想像力)によって結ばれている…」 (柄谷行人『世界共和国へ』。図は175頁より)
(
>>424 の図を左右反転させ、さらに反時計回りに回転させると、)
カント、
ヘーゲル、
ラカン、
吉本隆明:
____ ____
/ \/ \
/ 悟性 /\ 想像力 \
| 国家 |意味|ネーション|
|象徴界S |__|想像界I |
|共同幻想/| a|\個人幻想|
\ ファロス\/文学\ /
\の享楽_/\芸術_|/
| 感性 |
| 市民社会 |
\ 現実界R /
\_対幻想/
a=対象a、剰余享楽。
通常はネーションが共同幻想になるが、吉本隆明の場合、共同幻想と個人幻想は逆立する。
>>425 の図は柄谷行人の交換図と類似する。
柄谷行人:
_________________
| | |
| S | I |
| 国家 | ネーション |
| B | A |
| 共同幻想 | 個人幻想 |平
|________|________|
| | |等
| R | |
| 資本 |アソシエーション|
| C | D X |
| 対幻想 | |
|________|________|
自 由
『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照、改変。
文学芸術の位置にアソシエーションがあるとも考えられる。aの位置にあると考えても同じことである。
対象a=アソシエーション?とも言える。吉本の欠点はアソシエーションの位置がわかりにくいことだ。
>>425 と上の二つの図の関係は、下記の図形とその展開図を考えればいい。
______
/ 悟性 /|
/_____/想|
| |像|
| 感性 |力|
| | /
|_____|/
>>428 他人の分類に当てはめようとする理由は?
/非知へ /__\ /\親鸞/\ /__\/__\ /\心的現象論 /\ /__\ /__\ マスイメージ\ /ハイイメージ /__\/__\/__\/__\ /\ /\ /__\ /__\ /\ 詩/\ 吉本隆明体系 /共同幻想\ /__\/__\ /__\/__\ /\言語にとって/\ /\共同幻想論 /\ /__美とは何か/__\ /__\ /__\ /自己表出\ /指示表出\ /個人幻想\ /\対幻想\ /__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\
3は主体性はあるが神秘主義になる 4は主体性は劣るが神秘主義は回避できる 吉本は3 最近の柄谷は4 ラカンのように両者を横断することが神秘主義を回避しつつ 主体性を持つために必要になる
軽度でガードマン、中度でミュージシャン、重症だと病人、というわけ。 だから音楽で人を救うなんて絶対できっこない。救われないと思っている奴らの嘆き節なんだから。 かくいう私の音楽もまさにこれですね。立派に嘆きたいと思っていますよ。どうせ落っこってくるのだから。
>>432 あなた突然つまらなくなりましたね
80年代は凄かったのに
434 :
考える名無しさん :2014/02/26(水) 12:53:46.04 O
まだ何かあるの?この人。
共同幻想というのはとても有効な概念なんだけど、あまり広まらないね
有効というか当たり前のことを言ってるだけじゃね
>>437 でも、そのあたりまえのことを国家の本質につなげて見せたのは吉本の功績じゃない?
ヘーゲルもあそこまで明確じゃなかったし、マルクスを除いて国家の本質が共同幻想にあると言った人はいないんじゃないの?
国家を含む社会制度が人間の脳の産物であることはだれでも知ってる
441 :
考える名無しさん :2014/08/14(木) 10:22:50.09 0
吉本信者が一番ウザイ
443 :
考える名無しさん :2014/08/14(木) 13:09:43.03 0
むしろ吉本アンチのほうが馬鹿だろw
445 :
考える名無しさん :2014/08/14(木) 23:51:21.07 0
すぐになんで?とか聞くヤツはガキなの? ガキは崇高かつ高貴なる哲学板には来ないでね^^
>>445 ガキが哲学板に来ちゃだめなの?
君にはガキの時代がなかったの?
歳をとってもボケ老人にはならないの?
君にはいましかないの?
447 :
考える名無しさん :2014/10/23(木) 00:58:57.10 0
448 :
考える名無しさん :2014/10/23(木) 10:28:00.10 0
>>447 熊野のステマ?
それとも熊野のネガキャン?
449 :
123 :
2014/10/23(木) 18:55:18.50 0 共同幻想とは。 それは幻想の集合である。 そこで目立つのが宗教幻想の集合体である。 吉本氏が、そこに介入しなっかったことが欠点となる。そこに彼の限界を見る。 宗教オタクより。