吉本隆明 2011

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609考える名無しさん
 大衆の性質については鶴見俊輔との67年の対談「どこに思想の根拠をおくか」で‘僕の捉えてる
大衆とはウルトラな存在で、為政者に反抗もすれば為政者の予期した以上に突っ走るものでもあ
る。海外に戦争に駆り出され、残虐行為もすれば、為政者が変われば反戦平和を訴えもする。どう
とでも成りうる存在で、鶴見さんたちのいう大衆はウルトラに成りうるその一部を捉えてるだけ
じゃないですか’と言ってる。これは大衆というものをよく捉えてると思った。

 『ひきこもれ』は良いものだったけど、ただ不満があるとすれば、現代のひきこもりというのは社
会や国家に強い拒絶反応を持っており、その絶対的拒絶の質を思索しないと捉えたことにはなら
ないんじゃ、と今は思う。強いられるかのようにひきこもる。それはじゃあ何を拒絶してるのか、
てところで。で、もっと言えば、実際にひきこもってる訳ではない人間で潜在的なひきこもりを数
えれば日本人の相当数がそうなんで。潜在的なひきこもりなら相当数に上るだろう、この情況は、
実は社会というのが人間にとって、疎外以外ではなくなってくる。そういう段階を指すだろう。そ
れは新しい段階かもしれず、『ひきこもれ』でもそこまで論じられているわけではない。つまりこ
の疎外に対抗するには、価値法則を逃れる行為、解離性の行為しかない。解離性の犯罪が横行する
理由がそこにある。『ひきこもれ』はまだ楽観的だと思う。その楽観性が吉本だったのでもあり、好
きなんだけどね。