吉本隆明 2011

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560考える名無しさん
 昔、文学者の反核運動批判のとき、〈現在から追い詰められた自己崩壊〉という表現をしていた
それがどうもいまだに、分かりやすい善悪ー復興支援運動から反原発運動含めーに人々が雪崩れ
込んでいく、背景にあるような気がしてならない。そこには柄谷の訴える「デモの意味」も含む。す
べからく、〈現在から追い詰められた心性〉が、災害、不況、などを起点として社会の紐帯を回復す
ることを狙っている。メディアに出てくるああいう光景や言説を見る度に、失われた共同体の復活
を賭けているようで、痛ましさを感じる。表現者でもそういう紐帯を主題にしてる人がいるが、
表現のモチーフが乏しくなってきたこと、を感じさせる、敢えて言えば衰弱をあからさまにして
いる。昨今のそういう作品や慈善やを見て衰弱ばかりが目につく。浮かれているのはメディアと
そういうアーティストの信者、あとは失われた共同体を夢見てる人間だけではないだろうか。こ
れらもやはり〈崩壊の形〉のバリエーションに見えてしまう。