>>163 >「本能」と「言語化された人間の思考」というのは全く違うものだし、働く脳の部位も違うんですよ
では、オオカミやサルが社会集団を形成する為にお互いに殺さない、という選択をしている部分が「本能をつかさどる部分」である、という証明が要りますが、当然そんなものは無いんだよねw
どうせ細かい説明は避けるんだろうし、宛てにもしてないけどねw
そして何度も何度も言ってるけど
>>160に書いてる様に↓
>「お互いに殺さない」という(言語化すらされない暗黙の了解であっても)約束のもと、助け合う事で「社会」を形成するならば、
それが本能的なモノと見えても「殺人禁忌の社会契約」と本質的に全く変わりアリマセン♪
「言語化されてるかどうか?」は「殺人禁忌の社会契約」の成立には重要ではアリマセン。
ついでに
>>161 宗教倫理道徳は省く、という事になってるしそれらは「殺人禁忌の社会契約」の補助として後から作られた、
>>143>>151と説明済み。
「家族が悲しむ」は「殺人が社会的にいけない事」である事から、殺人者の家族として社会的制裁を受ける、って事なので宗教道徳以外の理由でも「殺人禁忌の社会契約」の範疇だね。