941 :
考える名無しさん:2011/12/25(日) 17:33:27.94 O
しかし、クリスマスも今年で最後となると、しのびないな。
何らの思想信条に基づかない、ただのお祭りとしては。
何故最後?来年もあるわけだが
クリスマスなんか祝ってんのは、日本では商売人だけだ。
ただ、儲け時を新たに捏造しているだけ。
(日本特有の祝い事は、どれも公的に取り決められたもの)
地方で公共事業を推し進めようとする知事なり市長なりが就任すると、
街宣右翼がわめき散らして、攻撃をしかけたりする。
あれも民間の商工組合の回し者。表向きは国粋主義を掲げても、
実際にはただ、自分たちの利益よりも公益が優先されることに抵抗しているだけ。
来年は、そういう奴らがいなくなる年。
表向きの顔と裏向きの顔を使い分けるのは、商売人の性分。
顧客にはできる限りいい思いをさせるようなへつらい顔でいて、
部下には辛く当たり、利害の反する同業者や公人には徹底的な攻撃を加える。
その、商売人の裏の顔を叩き伏せるためにこそ、侍も武装する公人であった。
私利私欲のための、商人の裏表の使い分けを全くの折込み済みとして、
鬼畜同然の裏の顔に対する、実力行使も辞さない牽制を加えていた。
今は、商人の裏の顔が全く隠された上で、完全に放任されている時代。
「お客様は神様です」の表向きのへつらい攻勢で衆目を、裏の顔から逸らし、
衆目を逸らせられている限りにおいて、裏での鬼畜の所業は野放し状態。
裏の顔が鬼畜であることは「大人の事情」として、見てみぬフリをすることが
紳士の嗜みとされ、そこにまで批判を加える者には、容赦なく冤病や冤罪をあてがう。
公家なら、自分たちの修身によって商売人の取り入りを未然に防いでいたし、
武家なら、鬼畜然とした商売人の裏での振舞いを武威によって屈服させていた。
日本の歴史のほとんどは、商売人への一定以上の統制と共に紡がれてきているが、
今はそうではない。古墳時代における豪族の跋扈や、戦国時代における大坂商人や
近江商人らの跳梁並みかそれ以上にも、商売人の横暴がまかり通っている時代であり、
大化の改新か、幕府開設並みの大革命によってでなければ、その横暴が止まることはない。
自分たちの裏での働きを、ドラマや小説などで相当に美化しつつ描いたりもしている。
主人公である商売人を、鬼畜のような商売敵に抵抗する正義の味方として描いたり
することで、自分たちの所業にも多少は正義の要素があるかのように見せかける。
そして、政治家は徹底的に貶めて、本来、自分たちの身勝手を阻む統制役であることを
「全国民の自由を阻む悪の手先」であるかのようにわめきたてて、本当に自分たちの
言うことだけを聞かせる悪の手先に、政治家や官僚を仕立て上げてしまう。
商売人であるだけでは、そこまではできない。商売人であると共に、国家権力をも脅かす
縦横家でなければならず、その、縦横家としての商売人の所業こそを絶対に許してはならない。
商売それだけなら世の中の役に立つことだっていくらでもあるが、縦横家と化してまでの
悪徳商売だけは、絶対に世の中にとって有害無益なものであり、必ず全体の利益が
プラスマイナスゼロ以下になる。その、縦横家としての商売人の権力犯罪加害こそを
大逆無道な重罪として罰し、それでも居残るただの商売人の商売だけをこれからも認める。
まさに、縦横家の商売人を無制限に野放しにして来たことこそは、
人類が滅亡の危機にまで陥った、原因中の原因だといえる。
縦横家の自由こそは自由主義とされ、縦横家が主人公であることこそは民主主義とされた。
そのような自由主義や民主主義が推し進められてきたことで、世間一般大多数の人々の
自由は奪われ、縦横家としての素養に欠けているだけで、ろくでなし扱いされるようなことともなった。
縦横家の商売人の自由を奪うこと、縦横家をただの犯罪者ないし道化とみなして、この世の王座から
引き摺り下ろすことでこそ、人類滅亡の危機も回避され、不必要に虐げられていた大多数の人々の
自由も取り戻されて、商売の成功者でないだけで尊厳を損なわれるようなこともなくなるのである。
サムライは、ただ民を押さえ付けることを目的としてこの世に君臨するのではない。
農家や、優秀な職人や、誠実な商売人を保護し、
縦横家や、ガラクタ屋や、悪徳商人を屈服させるためにこそ君臨する。
そこに資産の多寡などは一切関係なく、悪いことして貯め込んだ金なども容赦なく没収する。
むしろ、採算すら度外視しての純良な生業に励む人間などを称賛し、保護の対象ともする。
金満の魔性こそはサムライにとっての大敵であり、その撃退こそを一生涯の課題ともしていく。
宝石屋もボーリング屋もこっちで用意するから、デビアスもベクテルももういらーん。
どうしてボーリング屋にまで代替がいるのかって?
これからは、避難や財産保護や原発の停止を済ませた上での計画的な人工地震で、
未然にプレートのストレスを解消して、大地震による被害を最小限に食い止めていくからだ。
武の力の行使には、責任が伴うからな。
それは、人間性の根本に根ざすものだ。
この責任が、縦横家にはないものなんだよ。
それに対して、知の力の行使には責任は伴わない。
知による戦いは、軽いものになる。よく言えば、傷つく人間は必要最小限で済むとも
言える。
諸葛亮を評価してたけど、
武に伴う責任が生じなければ、本人が節制に勤めていてもいずれ墜落するんだよ。
世の中の大きな流れを形作る力の源泉となるのが、武であるのか知であるのか。
そのいずれによって、世の中の体制は大きく変わる。
今は知の力が世の中の大きな流れを作っている。
それが現代社会の今の性質そのものを決めているんだよ。
950 :
考える名無しさん:2011/12/26(月) 09:17:56.13 O
諸葛亮は、自分では小刀一つ用いていない。
ただ白扇一つを手に、赤壁の大船団の大火災を煽っていただけ。
いまイルミナティがやろうとしていることと何も変わりはしない。
強いて言えば、軍略の二番煎じに成功はまずない点だけが違う。
馬鹿|バカ|アホ|情弱
イルミナティは、知が武を操る仕組みじゃなくて、
知そのものがこの世界を管理する仕組みを作ることを目指してるんだよ。
それが彼らのイデオロギーそのものと言って良いと思うよ。
その理由は、彼らは武が嫌いだから。それ以外に言いようがない。
それは生理的なものだよ。
953 :
考える名無しさん:2011/12/26(月) 09:45:04.71 O
デビアスの宝石に目がくらんで、また書き始めやがったよ。
本当は宝石なんて今じゃ人工でいくらでも安く作れる。
だから闇社会では、人工ダイヤモンドの刃を用いた超低深度ボーリングも可能となっている。
値段を吊り上げる前のダイヤモンドを、
ロスチャイルドがロックフェラーに大量に横流ししていたわけだ。
何が武嫌いだ。地震テロの重大共犯めが。
954 :
考える名無しさん:2011/12/26(月) 09:55:54.17 O
あ、武が好きなんじゃなくて暴力が好きなわけか。
好きとまではいかなくても、武よりはまだ暴力のほうがその存在を認められると。
元ヤクザや元チーマーの巡査長たちにも、それなりの道徳教育を施すつもりだったんだがなあ。
ジェイコブの拘束にあてる警官には、教育もいらないわけだな。
武も暴力も紙一重だろ。
この世の中を収めるには力が必要ってことだ。
その力の源泉が知であるか武であるかだ。
彼らが武を暴力に劣化させてるというのはあるかもしれない。
それは、暴力が武に昇華することを彼らが妨げてるからだ。
彼らは武による治世を許さない。だから、武に昇華せず、暴力に留まってしまう。
956 :
考える名無しさん:2011/12/26(月) 10:09:24.87 O
公家は、暴力すら用いることなく世を治める。
自分たちでは力を用いず、力を用いる役職のものには、
武のたしなみを必ず義務付ける。
ただの公家の劣化版を、そんなに尊大めかされてもな。
彼らは公家じゃなくて、商家だよ。
公家も元は、武によって統治したわけでしょ。
江戸幕府も後期になれば半分公家みたいなものでしょう。
公武合体っていうのは、初心に返るようなもの。
商家はまた違うよ。
確かに彼らは、武は嫌いだけれど、暴力は嫌いではないし、目的達成のための手段としている。
彼らが恐れているのは、武であって、暴力ではないってことだよ。
959 :
考える名無しさん:2011/12/26(月) 10:21:45.92 O
頭の使える力士、即ち武士。
公家はそれを恐れないが、商家はそれを恐れる。
武士を恐れざるを得ない後ろめたさが、
公家にはないが商家にはあるから。
その後ろめたさの正体こそは、
自分たちが世界の破滅の元凶になっていることでもある。
頭の使えるというのはもちろんある。
でも、真の脅威は、道徳的な正しさだよ。それが、治世を強固なものにする。
逆に、道徳的な正しさのない力ほど、それは反対側への動きを助けることになる。
道徳的な正しさのない暴力は、世の中を知の側に向かわせる。
そして彼らは逆のことが起きないように、知に道徳的な正しさを付与することにものすごく大きな労力を割いているよ。
暴力に道徳的な正しさが付与された状態が、武家による統治だ。
これは中世の基本的な統治形態であり、彼らは何よりこの再来を恐れているんだよ。
961 :
考える名無しさん:2011/12/26(月) 10:41:03.92 O
中世つったって、西洋の君主は昔からユダヤ商人ともズブズブの金満の虜だろうが。
ハプスブルグ家なんて、ただの金持ち組合の元締めだっただけだし。
商売人にとっては、王候との結託すら必要がなくなった点だけが、近代以降は違う。
(日本の財界が朝廷との結託を必要としなくなったのは戦後から)
王候との結託が絶たれて、なおかつ民間人だからこその優遇までをも奪われる
東洋流の封建統治は、西洋の商売人は未だ一度たりとも体験したことはない。
そこまで完全にねじ伏せられれば、かえって気楽になれるかもな。
おまえらは、王候の友人だったからこその思い上がりを持ち越しているのだから。
>>961 まず、西洋でも君主による武的な統治はあったよ。封建制もあったしね。
彼らは封建制を一番恐れてる。
それから、日本の商家もそうとうだよ。米不足のとき、買い占めで相場を高騰させたりね。
江戸時代も中期になると、西洋顔負けの商品先物相場が出来てるよね。
中国は、アレでしょ。もう近世からユダヤそっくりの商魂だよね。。
963 :
考える名無しさん:2011/12/26(月) 10:59:49.56 O
しかし、東洋の商家は縦横家ではない。
民間人の往来も関所で厳重に取り締まられ、
江戸時代の豪商も大坂堺圏外に勢力を拡大はできなかった。
華僑や印僑もただの商売人であるばかりで、在地の政権まで乗っ取りはしない。
西洋は、王族からして持ち回り制だった。
領主自体が半ば縦横家も同然の姿勢を取り、商売人もそれに倣って諸国を自由に往来した。
参勤交代で定期的な旅行が義務付けられたとはいえ、
大名家老は諸藩への根付きを原則とされ、転封も戦国時代でほぼ立ち消えた。
諸国にしっかりと腰を据える士人の姿勢が、商家にも腰軽を許さなかった。
縦横家っていうのは、武に干渉する商人、知識人ってことでしょ。
それは、確かに日本ではほとんどみられないね。中国ではまま見られた。
日本の士農工商というのは、核心を突いた序列だよね。
そして、今の世界の体制を作り上げた強力な縦横家たちは
西欧で生まれることになった。それは、確かに西欧でしか起きなかったね。
まあ、他の地域でも遅かれ早かれ、似たような勢力は誕生したと思うけど。
965 :
考える名無しさん:2011/12/26(月) 11:15:22.62 O
「武に干渉する商人」ではなく、「暴力に干渉する商人」な。
武士に縦横家が取り入る隙はない。
今の日本の警察官みたいな、「権力者の警備員」としての騎士はいたところで、
自分から自主的に縦横家を取り締まって行ける武士までは、西洋にはいなかったからな。
彼らの力の源泉は、知と金と暴力でしょう。
何が欠けているか? 武ってことだね。
知と金、武と暴力という組み合わせにおいて、
3つを駆使している。そして、武による統治を何よりも恐れている。
その偏り具合に病的さがあるんだろうね。
967 :
考える名無しさん:2011/12/26(月) 11:30:53.46 O
金と暴力と、悪知恵だな。
悪知恵の中に、女色によるたぶらかしも含まれている。
ヤクザや北朝鮮の工作員もよく使う手だ。
>>967 悪知恵とは思わないよ。彼らが作り上げ、この世界を統治する知は
整合性があり、この世界を十分に機能させている。
悪知恵では、この巨大な世界を統治することはできない。
とにかく、彼らの基盤になっている何かは、人間の本質における重要な部分だと思う。
それがあなたと自分の見解の相違だよ。
あなたは、彼らは単なる特異的な異物だと見なしてるけど
自分は彼らを人間の本質を表す一つの極だと思ってる。
969 :
考える名無しさん:2011/12/26(月) 11:40:57.59 O
十分な整合性のない悪知恵止まりだから、
世界を取りまとめることもできずに破滅に追いやるんじゃないか。
物事の肝心な部分を見定められているかいないかが、あなたと自分の見解が相違する原因だよ。
>>969 知という言葉も語弊はあるかもしれないね。それと同様に悪知恵という言葉も語弊がある。
とにかく、彼らの偏りが問題を引き起こしていて、それは彼らが一つの極に寄り過ぎているからだ。
彼らの本質を表す何か(知と言う言葉を使わないなら、悪知恵でもよいが)は、人には誰でもある。
そしてそれは、害だけではなく、益もある。
孔明が良い行いをしたようにね。
971 :
考える名無しさん:2011/12/26(月) 11:58:30.43 O
行いが利益以上の損害をもたらすのは、行き過ぎた商売人や縦横家の本性だ。
商売人や縦横家ってのは、そういう風にできている職業だ。
世の中に損害以上の利益をもたらそうと思うのなら、まず士大夫や農家になろうとする。
士大夫や農家といった職業自体が、世の中に損害以上の利益をもたらすようにできているから、
まず最初の取っ掛かりから過ちとならないように、それを選択する。
始めの取っ掛かりから過ちを犯しているものだから、
その過ちが雪だるま式に肥大化していって、最後には世界の破滅をも招いた。
まず始めの取っ掛かりから間違わないように慎んでいく所から、見定めるべき肝要だといえる。
972 :
考える名無しさん:2011/12/26(月) 12:47:16.29 O
ロスチャイルドがロックフェラーにダイヤモンドを横流ししたのではなく、
ロックフェラーがベクテル社を通じて、価格吊り上げ協定を無視した
大量の合成ダイヤモンドブレードを用たボーリングで、
超低深度の地震断層に爆薬を埋め込むことをロスチャイルドが黙認したわけだ。
それが協定違反なものだから、このたびロックフェラー一族をロスチャイルドが拘束した。
何も、震災被害に同情したわけでもない、ただの商魂の断末魔でそうしただけ。
協定違反に及ぶ前に取り締まらなかったあたりも従犯だといえる。
973 :
考える名無しさん:2011/12/26(月) 12:47:52.61 0
こーゆ
>>971 楽して金儲けしようとするのも人間の本性でしょ。
人間は楽して何かをするために、いろんな工夫を重ね、それによって困難を乗り越えてきた。
また、同じことを忍耐強く繰り返し行うことで、いろんな困難を乗り越えてきた。
この両輪があって、人間でしょ。
二つの道がある。そのどちらの道も極めないといけない。
どちらか一方の道だけを極めると、偏った害の多い存在になってしまう。
ダイヤモンドを横流ししていた場合よりは、罪は軽いだろうが、
かといって、「万物を見通す目」が、東北沿岸でのベクテルの策動に限って
全く見逃していたなどとは言わせない。おまえらは日本政府とは違うからな。
極めれば破滅する道を選んだのだから、破滅するか拘束されるかしかない。
究極に限って通用するような融通こそが、ありはしない。
まだ究極までいっていなかったからこそ、これまで融通もきいて来たのだから。
生きていくには必要なのは力だ。
力には、二種類ある。
三国志がまさにわかりやすい。
軍師的なな力と武将的な力だ。
これは、国家や社会だけでなく、
個人が生きていくための方法論ですらある。
この二種類の力こそ、人間の性質に根ざし、人間の生き方そのものを
決めている。
この二つの力を調和させなければならない。
道徳はこの二つの力の一方のみに依拠してはならない。
「検察官は被告人となかよくしなければならない」といっている。
道徳が検察官、真理が裁判長。縦横家は被告人。
キリスト教あたりが被告人の弁護人。
封建社会に弁護人はいない。
別に、俺は弁護人でも被告でもないぞ。そんな力はないし。
個人の良い生き方に興味があるだけ。
彼らには力がある。あなたには、それに対抗する力があるのかないのかしらないけど。
俺にはそれに影響を与えるような力は何もないよ。
徳治者にも、徳治者なりに貫かねばならない道義がある。
その中に「縦横家などとは仲良くしない」という条項も含まれていて、
それを守らないのなら、民に徳治を施す名分も立たない。
口先だけで道徳を謳いながら、その実、世界を破滅に
陥れる悪魔崇拝者などと結託していたりするのでは、
たとえ隠したところで、民からの不信を拭い去ることはできない。
それは、米英の縦横家の手下と化している今の日本の政治家から
にじみ出ている薄汚さなどを見ても分るとおり。後ろめたい所のある人間ってのは
どうしたって、その振舞いなどに帯びる不審さをぬぐいきれないものだからな。
縦横家からの誘いを一貫して断り続けていることが、
それだけでも相当な仁義道徳の実践になっているから、
いま大いに道徳を語り込むことにも、何らのむなしさも感じない。
もしも、誘いに乗って縦横家の一員になったりすれば、途端に語るだけむなしいものとなる。
ちょうどおまえらが孔孟の言葉を聞いてみたところで、何も響くところがないように。
ロックフェラー一族の獄門梟首――
自分から絶対にやるとも言わないし、また絶対にやらないとも言わない。
ただ、勅命でもなければやらないし、勅命ともなればやる。
全世界を公家支配に置くのなら勅命を下されないだろうし(平安時代は死刑0)、
ある程度は武家に頼るつもりなら、勅命を下されることだろう。
以前の武家社会は、平氏や藤原純友の横暴によってもたらされたが、
今度の武家社会は、完全な朝廷の意向によってもたらされるか、もしくは否。
985 :
考える名無しさん:2011/12/27(火) 12:20:21.92 O
武士というものが、武士というままに復権するのは、縁起が悪い。
四度めの幕府、四度めの武家社会。
数が不吉な上に、武家社会は朝廷にとっても已む無い理由があってもたらされたもの。
藤原氏を始めとする平安貴族の権威の失墜と、平家を始めとする一部の武家の暴慢という。
公家の権威を復興させ、武家の専横に十分な牽制をきかせつつ、
どうしても公家だけでは治めきれない部分を武家が治める。
結果、武家の権威は武家社会よりはかなり低いものとなる。
公家が直接治められる人口規模は、各国につき数百万人程度なので、
大多数の民衆を直接統治するのは、やはり武家になるだろうが。
986 :
考える名無しさん:2011/12/27(火) 13:01:40.92 0
987 :
考える名無しさん:2011/12/27(火) 13:35:38.68 0
俺も恣意で罰したりはしないし、もちろん陛下も恣意で罰せられたりはしない。
ただ、乱世に狂生を謳歌し過ぎた界隈に、族滅級の討伐を加えることで
治世が獲得されたことは、今までの日本史上に何度もあった。
平家や豊臣家が滅ぼされたことで、
武家時代なりの治世が得られたことがあるだけでなく、
蘇我氏宗家掃討によって、律令制社会が確立されたことでこそ、
平安時代の死刑一つない治世までもがもたらされている。
何よりも「けじめ」としての意味合いが大きく、大多数の人々の福利厚生のために、
ごく一部の「乱世の覇者」を滅ぼすことが武の真髄であると、柳生宗矩も述べている。
当然、スケープゴートを用いての責任逃れなどもできない。
本物の権力犯罪者の親玉こそが討伐されることで、真の治世も獲得される。
王族や政治家に全責任を押し付けて、最大の権力を持つ財閥が易々と責任追及を
免れてきたからこそ、西洋では数百年規模の治世が得られたためしもない。
連邦軍募集要項:
・現役自衛官、本格武道の経験者、情報戦スキルのあるオタクやゲーマーなど……上等兵から
・元暴力団組員、元暴走族メンバー、元チーマーなど……一等兵から
・現職警察官、高学歴など……二等兵から
これですぐに100万人ぐらいは人員が稼げる。
最終的には3〜400万人程度にまで国内での人員規模を拡大して、
全世界からも2〜3億人程度の人員を登用する。
各国の軍隊や警察がそのまま連邦軍に取り込まれる場合もあり得る。
これから、高学歴こそは仕事がなくなるから、特にリサイクルが必須。
実業の下っ端をやらされていたような人々こそは、
大企業の重役にも就かせて、連邦軍の保護下にも置く。
薩摩隼人のテロリスト気質も、路頭に迷わせると危ういものだから、
最低限、職につなぎ止めておきはする。最底辺には道徳もいらない。
道徳が必要とされるのは、下から二番目以上だからな。