アドルノ:まずまず良い
アルチュセール:良かった
アレント:結構楽しい
ウィトゲンシュタイン:初心者でも良い。(客観的に多方向からクールにみつめている感じ。全く知らない人が理解出来るかは保証出来ない)
エーコ:だめ(素人には向かないだけ?ネタとしては新鮮)
カフカ:最悪
ガダマー:まぁまぁ、結構楽しい
クーン:おすすめ・初心者でも良い。(科学哲学の動向が手堅くまとまっている。「新科学哲学」がまとめられてるだけかも)
クリステヴァ:最悪
クワイン:初心者でも良い(先に分析哲学を知ってから読め)
デリダ:まぁまぁ(全く知らない人が理解出来るかは保証出来ない)
ドゥルーズ:一番最悪(買ってはいけない)
ハイデガー:バツ(全く知らない人が理解出来るかは保証出来ない)
バシュラール:科学哲学を知らないとだめ
バタイユ:同じ事の繰り返しが多いく、そのため素人には分かりやすい。
ハバーマス:まぁまぁ(全く知らない人が理解出来るかは保証出来ない)
バルト:最悪だった。(鈴村の自家撞着にしか過ぎなく、単純に読みづらい)
メルロ=ポンティ:木田元の書いた奴のほうが面白い
フーコー:いまいち(全く知らない人が理解出来るかは保証出来ない・読みやすいという人もいる)
ベンヤミン:微妙。(平凡社ライブラリーの野村修著『ベンヤミンの生涯』のほうがおすすめ)
ポパー:おすすめ(初心者でも良い)
ユング:ユング自体逝ってよし
ラカン:何気に面白い。評判もいい。内容濃い。(フロイト初心者にも分かり易く、「鏡像段階」の解説だったらこの書が一番)
ルカーチ:まぁまぁ
レヴィナス:あまり・・・(哲学だけを論じてて宗教的要素への切り込みが足りない)
ロールズ:結構楽しい
2 :
考える名無しさん:2011/07/11(月) 20:39:09.54 0
>>1 だから何? 基本的なことわかってないと、ヘーゲルやカントなんか読んでも時間の無駄だよ。
中島義道とか、永井均とかの入門書は面白いけど、所詮読み物でしょ。
それでも考えるヒントにはなるけどね。
あぼーん
>>1 それらの本を読んで衝撃的に世の中が違って観えただろ。
さぁーそれをここに書くんだ!
5 :
考える名無しさん:2011/07/11(月) 22:40:23.73 0
私は哲学について学んだ事も無く、勿論哲学書など読んだ事ないのですが
哲学スレに来て一番目に着いた所は、(人の意見には耳を貸さず自分の主張だけ
を他人に押し付ける傲慢さ。自分の意見を否定されると感情的になりさらに相手
を攻撃する。)ということでした。
これって、難しい言葉を並べ続けて語るだけの子供の口喧嘩と変わらないのでは?
こういうのが哲学なんですか?
>>5 彼らは、真理は語り得ないということを知っている。
そして、真理を、語るのではなく、己の活動を通じて示そうとしている。
彼らは真理を語ろうとして語れていない姿を晒すことによって、
かえって真理が語られないという真理を映し出そうとしている。
実に哲学的な姿勢だ。
7 :
考える名無しさん:2011/07/11(月) 23:19:40.54 0
つまり、哲学的思索は何ら意味はないと
あぼーん
9 :
考える名無しさん:2011/07/12(火) 02:18:17.22 0
哲学とは自分自身の人生、人生が「語る」ということである
人は自分の未来を決めることが出来る
人の一生に口があれば、それはその人の哲学を語るだろう
10 :
考える名無しさん:2011/07/12(火) 07:20:35.60 0
この板は哲学が好きな人にとっては
「互いに意見を交換して見識をふやす楽しい場」です。
が、「コンプレックスから抜けられない人」や、「煽ることしか
自分を表現する事が出来なくてそれがルサンチマンになってる人」には、
「煽り煽られる板で、煽ってだれかを糾弾した人のほうが頭がいい」とされる
板です。
みじめな人にとっては後者の意味、ちゃんと清々しくものを考えられる人には
前者の意味になっています。ちなみに前者と後者の違いは、「スレの話に全く
関係の無い事しか話せないのは後者」という事になります。
後者は寓話「蜘蛛の糸」にでてくるカンダタに群がる餓鬼の群れみたいな物です。
そんな人には「無言で軽蔑の目」でみてあげましょうね。
屁理屈を言うなと親に怒られるタイプだったな。
屁理屈のお化けみたいなものだった。
しかし、こういうタイプの人間は、実は哲学にあまり向いてない。
屁理屈が大好きだから、ソフィストに傾きがち。
暴力に対抗しうる暴力
13 :
考える名無しさん:2011/07/12(火) 17:22:54.68 0
哲学史を学ぶことや特定の哲学者に心酔するあまりに
本当の意味での自己流といったら変だが「哲学する」人が少なすぎる
ざっと板を見た限りでは
・原則を研究している人
・日常哲学派などと自称するpikkarrr氏
くらいしか思い当たらない
14 :
考える名無しさん:2011/07/12(火) 19:22:54.83 O
誰かを攻撃する人は、自分が攻撃してることを知らないんだよ。
人間はみな自分が正当なる義であると思ってる。
だから主張を受け入れられないとなると、義に逆らう不当な輩として押し込めようとするんだ。
これが攻撃になるんだけど、本人は正当なる権利を以て相手を打ちのめしてると考えてる。
なぜなら自らの主張こそが他ならぬ真理だと思ってるから。
それだけじゃない本人は何も憤ってないし冷静とすら思ってる。
こういう人達は哲学を以てしても哲学に辿り着かない。
自分の正当性を証す為に知恵を利用してるだけだから、目的は勝ち残ることであって、真理を追求することではないから。
これ何かに似てると思わない?
宗教を利用して自分が儲けようとしてる人に似てる。
罪を犯しても法律により勝利すれば罪に定められないという人にも似てる。
他人に正義を説き自らの不義を隠す人そのもの。
しかし本人は自分がそんなことをやってるとは思いもしない。
人間は誰でも、これだけ意識をはっきり持ちながら、何が義であるのかを自分なりに知りながらも、何をやってるのかを気づけないんだ。
それだけ自分が何者であるのかを知ることはとっても難しいんだよ。
15 :
考える名無しさん:2011/07/12(火) 20:27:07.33 0
イマヌエル・カントという名前のいやらしさにアソコがぐっちょりなんじゃろ?
16 :
考える名無しさん:2011/07/12(火) 21:06:21.89 0
>>14 俺も初心者と言うか、ちょっと興味あってこの板覗いてるだけの者なんだけど
今通勤中の電車の中で高校の倫理の教科書を読んでるんだけど
過去の哲学者(思想家?)というのは、そういった人間になりきれていないような人たちの
目を開かせることを目指していたかのように受け取れるんだが
あんまり上手くいかなかったのは、彼らが大衆というものを高く評価し過ぎていたからなんじゃないかと
思った
「哲学を学ぶことはできない。ただ哲学することを学びうるのみである」カント
>>17 そう言ってしまうと自分の辿り着いたものが
真実に近いものなのか的外れなものなのか
それすら分からないので一見不毛な感じがするけど
何でも疑ってみたり違った見方を探してみたりって
モヤモヤしたものを扱わなければならない現代の物理学にとって
ヒントになったりしそうだね
19 :
考える名無しさん:2011/07/12(火) 22:28:16.51 O
真実がない世の中というのは、個々の主観による現実が真実になる。
要するに人数分だけの現実があり、それと同じ数だけの異なる真実が混在する世界となる。
此処へ倫理道徳あるいは法律を持って来ても、統一性ある倫理道徳法律にはならない。
異なる種族による倫理道徳法律が混在する。
同一民族ですら、その国に真実がないなら多種的な民族になってしまう。
宗教を見ればわかりやすい。
倫理道徳は似たようなものであるにも関わらず、真実が個々によりバラバラで、現実に赴きを置いた法律が罷り通ってる。
これは宗教だから敢えて見やすい歪みだけど、一般人もそれは変わらない。
それだけ人間には思想が大きく影響してる。
国による思想理念を持たないと国民は迷い子となる。
その前に真実を見出だす必要がある。
日本はそれを個々に委ねられてる。
だから国は動かない。それにより国民も動かない。
だから日本人には気づきが起きない。
それゆえ大きくの人が迷い挫折し死を選んでる。
それがまた現実主義を促進させる。
そういう悪循環に入ってる。
「人は全てを失わなければ自由を手にすることは出来ない」
そう全てを失うまで気づきが起きない状態なんだ。
失って始めて動き出す世がその証。
あらゆるものが後手後手のうちに済まされ、それが解決策だとされている思考力がその証。
>>18 生き方をまねしてもそれは貴方の生き方ではない。
モヤモヤしたものは掴めばウソになる。
海で永遠に泳ぐなら魚になればいい。人として泳げば
いつかは力尽きるもの。
物理学を捨てたとき、物理学を超える力を得ることが可能になる。
そんな単純なことにすら気が付かないものが多すぎる。
超えたそれは既に物理学ではないのだから。
21 :
考える名無しさん:2011/07/13(水) 06:34:49.23 0
考える人ってあるじゃん
あれって「考えてる」んじゃなくて地獄で苦しんでいる人を眺めてるんだってね
ソースはインターネット
22 :
Q:2011/07/13(水) 07:09:13.01 O
ロダンの「地獄の門」って作品があって
その門の上に考える人はいる
「考える人」はそこから切り取られた一作品
23 :
考える名無しさん:2011/07/13(水) 09:41:17.63 0
あぼーん
26 :
考える名無しさん:2011/07/14(木) 04:13:15.14 0
俺は無知の知が好きだな
哲学できない原因は、劣等感だろう。
誰でも劣等感を突かれるとカッとなって、意固地になり自説にこだわって思考停止してしまう。
誰にでも劣等感はあるから、哲学を続けずに間違った考えを信じてしまう。
でも、人間だからそれはしょうがない。
28 :
考える名無しさん:2011/07/14(木) 05:27:48.54 0
俺はただの物質には当たり前のように疑問を抱かないのに
動植物には疑問を抱いてしまう、例えばなぜ種を残すのかっていう
本能に疑問を抱いて否定してみたのが始まりじゃないかな
集団において欲は抑えるべきみたいな社会とある程度自由と平和だからだろうなってなんとなく思う
自分の場合は時々大衆とギャップのある自分をどうにか肯定しようとしてる気がする
状況によって考えが変わるのは全然哲学じゃないな
あぼーん
30 :
考える名無しさん:2011/07/14(木) 07:48:46.47 I
TAKE IT EASY ってか?
31 :
考える名無しさん:2011/07/14(木) 08:21:10.37 0
「ソフィーの世界」は、平易な文章で書かれており、大人も子供も楽しめる書籍です。
「哲学」などと難しくお考えにならず、
ファンタジー物語を読むつもりで気軽にお読み頂けると思います。
32 :
考える名無しさん:2011/07/14(木) 13:50:15.89 O
自分は哲学の答えは死ぬ直前にでそうな気がする
下手したら答えがでないまま死ぬ可能性もありそうだw
33 :
考える名無しさん:2011/07/14(木) 13:51:58.84 O
無知の知で議論しないといけない
ソクラテス先生がおっしゃってる
34 :
考える名無しさん:2011/07/14(木) 13:55:07.39 O
リアルで尊敬できる人がいない
人生の師匠がなかなか現れない
でも歴史上の人物から学べばいいと気付き
本を読みだすと必ず哲学にぶつかるんだ〜
35 :
考える名無しさん:2011/07/14(木) 13:58:38.99 O
お前みたいにバカ正直でまっすぐにしか生きられない奴はバカだ!と親から学んだ
哲学者の本を読むと善く生きると善い人生になると書いてた
自分の生き方は間違ってないと哲学が教えてくれた
36 :
考える名無しさん:2011/07/14(木) 14:01:24.59 O
いま貧乏でつらいけど幸せだ←物欲は満たされないが心は満たされている
37 :
考える名無しさん:2011/07/14(木) 14:03:02.98 O
哲学って自分の人生への問いかけなのかな
38 :
考える名無しさん:2011/07/14(木) 14:05:43.53 O
思考だけは誰にも邪魔されない
親の言いなりの自分は
唯一自分で決められるもの
39 :
考える名無しさん:2011/07/14(木) 14:06:39.76 O
頭の中は宇宙より広く無限だから楽しい
あぼーん
ゲームオーバー
もう完全に詰んでないですか?
42 :
考える名無しさん:2011/07/14(木) 15:45:22.47 0
マズローの評価は?
43 :
考える名無しさん:2011/07/14(木) 16:10:03.34 0
心理学じゃねえか
44 :
考える名無しさん:2011/07/14(木) 18:27:52.50 0
>>1 今日、昼にも言った事だが。
随筆みたいな主観的文章を書かれても、
意味を理解するのが禿しく面倒だ。
きみは、君自身のコミュニケーション障害を改善するために、
まずは文章の書き方を改善しろ。
1. 最初に、「概要」を短く簡潔に書き、
2. 「各論」は番号をつけて箇条書きにし、
個々の論は、改行2つで段落分けし、
3. 暗黙の前提知識を含む
「新しい概念」をスレに導入するときは、
直後もしくは注釈で説明を加え
4. 最後に、「結論」を簡潔にまとめ
暇だから初めて哲学板にきて見たが、まぁ見事にみんな語ってんな。俺も親や友達からよくすぐに語り出してうざいと言われるが、まだまだだったようだ。
46 :
考える名無しさん:2011/07/14(木) 23:53:21.94 O
哲学と議論をごっちゃにしてるだけだよ
真実を追求しないで現実を追求してるだけ
それならまだいい方で、実際は自己主張してるだけ
そういう糧だよ
47 :
考える名無しさん:2011/07/15(金) 07:51:55.13 0
見かけ上の勝ち負けが大事だったり
居心地の良い考え方を肯定しがちな性質だと向かないだろうな
それがより良い考えでありそうならばそれ以外の要素は「どうでもいい」
と思える人間じゃないと
48 :
考える名無しさん:2011/07/15(金) 12:40:12.28 O
必ずしも少数派意見が間違ってるとは言えない
正しくても少数派だから肩身が狭いのはおかしい
左巻きノンポリの性的満足度はゼロである
とは何か、という問いを立てる人は総じて疑ってかかった方がいい。
そいつの好みをさも正しいことのように述べていることが多いからである
BY某法哲学者
51 :
考える名無しさん:2011/07/19(火) 21:22:15.11 0
考えることじゃないですか
52 :
考える名無しさん:2011/07/19(火) 22:03:10.31 0
考えるためには知識が必要
今は高校の化学と倫理やってるよ
無知は損
人間は考える葦である。
55 :
考える名無しさん:2011/07/20(水) 12:43:54.81 O
考えぬいたら哲学の答えはでるのか?
それとも死ぬ前にならないと分からないのか?
56 :
考える名無しさん:2011/07/20(水) 12:47:53.81 O
なぜ生きる
なんのために生きる
自殺はなぜいけない
存在する意味は???
57 :
考える名無しさん:2011/07/20(水) 12:49:02.16 O
いま風が教えてくれそうな気がした
58 :
考える名無しさん:2011/07/20(水) 12:51:15.28 O
ここだけ別世界にいるようだ…自然の中に溶け込み
世界でたった一人だけのような気がして落ち着く
59 :
考える名無しさん:2011/07/20(水) 12:51:54.54 O
おまいはナウシカか
60 :
考える名無しさん:2011/07/20(水) 12:52:35.63 O
木と風がとても優しい
生きる意味を教えてくれそうだ
61 :
考える名無しさん:2011/07/20(水) 12:54:16.36 O
ジブリちらっとしか見たことないorz
コクリコは来週見る予定
62 :
考える名無しさん:2011/07/20(水) 12:56:18.32 O
人間が嫌いなんだ
たまに好きになるぐらい…
自然や本の中にいるほうが好き
63 :
考える名無しさん:2011/07/20(水) 16:21:27.87 O
よく他人は自分を写す鏡て言うけどもっと複雑だと思う。
おそらく合わせ鏡じゃないかな?
自分が左右逆転で写てる、その後ろには後ろ姿の自分が正転して写てる、
その後ろにはまた逆転した自分が写る、その後ろには正転した後ろ姿が‥
この合わせ鏡が二枚だけじゃなく無数にあるのがこの世界なら、どえらいことだよ。
それが全部自分だよ。ありえない数だ。
もし輪廻があって時間軸がないとするなら今まで会った人達、これから会う人達、一生会うことがない人達も全て輪廻の自分かもしれない。
64 :
考える名無しさん:2011/07/20(水) 20:02:51.40 0
誰でも分かるスターバックスオーダー基礎知識
1.ホットかアイスかを決める
2.ショート、トールサイズのエスプレッソのショットを決める(1ショット、ダブル)
3.サイズを決める(グランデ、トール、ショート)
4.シロップのトッピング(バニラ、アーモンド、ヘーゼルナッツ、キャラメル)
5.ミルクの種類を決める(無脂肪乳、低脂肪乳)
6.水やミルクの量、温度も注文可(多い、少ない、熱い、温い)
7.コーヒー名(通は最後にコーヒー名を注文する)
つまり、トールサイズのアイススターバックスラテに、エスプレッソツーショットに、
ヘーゼルナッツシロップを2杯加え、牛乳の泡を多めに変えたい場合は、
「アイス、ダブル、トール、ダブルヘーゼルナッツ、エクストラフォーミー、ラテ」
と注文すればいいわけですね、簡単でしょ?
65 :
考える名無しさん:2011/07/20(水) 20:40:49.76 0
>人間が「生きる」という実践の中にしか哲学はない。
>数学も物理学も、その行為と関連して成立したものだ。
>自明なことについていつまでふにゃふにゃ言ってるの。
↑
これには大きな見落としがあります。気がつきましたか?
そう哲学は「生きる」実践だけがテーマではありません
「死ぬ」こともテーマです。キルケゴールも言っているじゃありませんか
これについて反論ありますか?
66 :
考える名無しさん:2011/07/21(木) 14:47:41.65 O
考えるとしたら
生が9割
死が1割かな
死を考えないと生きる意味が浮かばない
永遠に生きるなら哲学は必要ないもんね
永遠に生きて世界の変化をこの目で見届けたい。でも人間が唯一絶対に不可能なことが永遠に生きることなんだよな。でもそれは、永遠に生きること意外ならなんだって可能って事だろう。そう思うとなんだか活力が湧いてくるよ
68 :
考える名無しさん:2011/07/21(木) 16:29:59.71 O
永遠に生きる
それ以外は全部可能なのか…それなら
やらなきゃ損って気持ちになるね
自分は永遠には生きたくない
とても長生きして世界中や宇宙の変化を見てみたいが
永遠に生きられるとなると
すべて後回しで精一杯生きないような気がする
いつか死ぬという期限つきだから
それまでにやり終えたい!と頑張るんだと思う
69 :
考える名無しさん:2011/07/21(木) 17:29:14.36 0
>>67 肉体的に永遠に生きることは当然のごとく不可能だけど
意識だけを何かの媒体に保存して半永久的に存在することは可能かも知れない
今の科学のレベルでは発想することくらいしか出来ないが
事物・事象について「考える」ことかな
71 :
考える名無しさん:2011/07/22(金) 01:09:02.80 O
たぶん人間の意識を永遠に保存して思考し続けると狂うか自殺すると思う。
そうならないならワタシは神だって言い出す。
「意識」って感情を伴うのか?
喜んだり、悲しんだり、苦しんだり、考えたり、、、。
俺はゴメンだ。
死と共にに消え去って欲しい。
73 :
考える名無しさん:2011/07/23(土) 08:05:53.05 0
聖闘士星矢に出てくるギリシャの神々のようになりたい
永遠の命を持ち数百年に一度地上に蘇り
10代後半くらいの美男美女で超能力者
74 :
考える名無しさん:2011/07/23(土) 18:15:16.57 O
私も永遠には生きたくない
死ぬよりそっちのほうが怖い
ゴールの見えない道を歩き続けるのは怖い
75 :
考える名無しさん:2011/07/23(土) 18:57:20.66 0
長い時間がたてばそのうち考えも変わるさ。何しろ永遠だから。
>>73 容姿を要求するのはルール違反だと思う。
ブサで何百年は地獄だぞ。
俺は二桁の年数で十分だW
77 :
考える名無しさん:2011/07/24(日) 12:39:28.38 O
いただいた容姿だから
本当は受け入れないといけないんだろうけど
日々コンプとの戦いになる
短所も好きになるように
心も体も変えていこうと思う
78 :
考える名無しさん:2011/07/24(日) 14:35:41.97 0
自分の容姿の美醜なんて、単なる思い込みか、外部からの刷り込みだよ。
鏡で自分の顔を良く見てごらんよ。美しくもなければ醜くもないただの顔だろ?
あぼーん
80 :
考える名無しさん:2011/07/25(月) 12:53:30.85 O
み〜んないつか死ぬんだよなぁと考えると
嫌いな人間も愛しく感じる
81 :
考える名無しさん:2011/07/25(月) 13:27:00.78 0
思索を重ねることだろう、それが哲学
悟り開きたかったら思惟すればいいんだ
82 :
考える名無しさん:2011/07/25(月) 19:44:50.71 O
考えぬく力がないと無理だな
83 :
考える名無しさん:2011/08/07(日) 02:00:54.65 Q
2ちゃんねるにおける哲学とは西村博之である
西村博之を学ぶとは中央大学で哲学を学ぶことである
哲学を実践するとは2ちゃんねる哲学板にて己れをさらけ出すことである
権威主義よりも酷い儒教的な何か。
85 :
レイア:2011/08/07(日) 02:44:35.83 O
>>83 続き…
更に2ちゃんねるによってアホをさらけ出す事である
正確に理解しようとがんばって思索を重ねる事かな?
87 :
考える名無しさん:2011/09/09(金) 00:26:07.31 0
ちんぽ
ただの時代遅れのインチキ学問じゃね? 学問ってのは、まず大前提で
「問」があって成り立つもので、学術論文ってのは、必ず問題提起があり、
帰結があるもんだが、日頃、生きてる最中に何か疑問が湧いた時、
それには必ずその疑問を取り扱う専門分野、個別書科学というものがある。
そのディシプリン固有の問の立て方、思考回路、論法、解決プロセスというものがあるものだ。
たとえば、その問や悩みが、経済的な問題にあるのならば、それは経済学的な
考え方が解決手段として求められるだろう。あるいは、それが社会にあるのならば、
それは社会学的なものの考え方が求められる。まず自分の立たされている立場を
理解するということだ。そしてそれが、共時性を越え、通時的な次元にあるのならば、
もっと歴史的な要因、事の発端や軌跡を考究し、そこから解決策を見出す必要があるだろう。
もちろん、問の原因というものは本来、どこか一箇所に帰属させられるものではなく、
個別科学よりもまず理屈で割り切れるものではないし、自分の偏狭な物の見方や
当てずっぽうな論法を矯正すれば済むだけの話かもしれない。故にこれらは、
重ね合わせて用いることでこそ効力を発揮するものであるが、少なくとも、
どの学問にも明確な名前がついており、取り扱う問題を誤魔化さずに措定している。
でも、哲学にはそれがない。哲学者は何を取り扱うの? と聞かれると、
哲学者は「全部!」と言う。全てに通底する普遍的な問やテーマなんぞ、
そもそも存在しないのに。そんでもって口から出てくるのは、決まって、
「神学・法学・医学を除いて、昔の学者はみ〜んな哲学者だったんだよ〜」という昔話。
そうやっていつも、哲学は神話とは違うとか、科学とは違う、思想とは違う、
違う違う違う違う…×100と連呼してばっかりで、結局、定義曖昧で抽象的な、
如何様にも解釈できそうな言葉や、自分らの中だけで通用するような専門用語を並び立てて、
「哲学は難しいんだ」「説明しても分らないおまえが低脳なんだ」と全て質問者側を責め立てて
言い逃れしてばっかりいるだけで、結局何もやっていない。そのくせ色んな分野に口突っ込むしな。
哲学は、諸学の先に立つものとして日々更新される世界探索の学。
92 :
哲人:2011/09/09(金) 08:20:54.32 0
哲学の語源である愛智とは、物事の理を悟ることで理性と人間愛と良心(善なる心)を獲得します。
そして、理性と人間愛と良心のはたらきで真理を会得し、物事の道理をさとり知り、物事を理解し、是非・善悪を弁別する
心の作用と言う知・智と知性を会得し知能(知のはたらき)が活発化します。
知能の活発化で、人は知ることや知識を集めることができ、その知識から智恵を産みだします。
話が長くなりましたが、智恵は人間愛によって産みだされると言うことを愛智と表した言葉が後に哲学と略されたのです。
ところが、人類社会は知能の活発化を促すヒユーマニティと言う人間愛と対峙する、知能の活発化を抑えるナルシシズムと
言う自己愛が支配している為に人類の脳は進化せず、誰もが何も知らずに人生を終えることを余儀なくされます。
人類は己の無知を補うために、知っているつもり理解しているつもりと言う思い込みを武器として生きているのです。
哲学は愛知県とは関係がありますか?
94 :
哲人:2011/09/10(土) 06:31:22.52 0
>>93 愛知県庁に電話をして名前の由来を聞いてみて下さいね。
面白いかも、、
95 :
哲人:2011/09/11(日) 09:04:37.54 0
>>93 「愛知県」の「あいち」は、万葉集の
桜田へ鶴鳴きわたる年魚市潟潮干にけらし鶴鳴きわたる
(さくらだへ たづなきわたる
あゆちがた しほひにけらし たづなきわたる)
という短歌にも詠まれている「年魚市(あゆち)」に由来するとされています。
と、wikiに有りました。 なるほど、です。
>>95 そのwiki書いたの俺だけど、あれは捏造だから。
97 :
考える名無しさん:2011/09/11(日) 22:45:20.26 0
現実逃避の口実として哲学に縋っている奴に一言
働け
99 :
哲人:2011/09/15(木) 19:37:29.36 0
哲学は道理をさとり知ることが目的です。
その哲学を研究しても、何の足しにも成りませんよ。
100 :
考える名無しさん:2011/09/15(木) 20:01:24.15 0
「哲学とは何か?」を知ることは哲学の基礎を固めること。
哲学の哲学であり基礎哲学と言える。
というか、研究者という社会的存在の、存在基盤それ自体に問題あるだろ。
ごくごく一部の本物の賢者は昔から気づいていた。本当に優れた人間というのは、
決して専門家などにはありはしないことを。
人間は本質的に、社会によって規定された存在であり、環境に規定され、
遺伝に規定され、そして世界によって規定された存在だ。どういう遺伝子を受け継ぎ、
どういう家庭に生まれ落ち、どういう就学前教育を受け、どういう学校で、
どういうピアグループの中で育ってきたのか。賢い者は対象をより繊細に観察できる。
よく人は口にする。「自分が悪いんだろ」「おまえのだろ」。
しかし、自分とは何か、おまえとは何か。明確に定義しないまま、人はそれを用いる。
自分を対象化し、自分とその発達を規定している要素をより繊細に分割して、
何十年もかけて、その1つ1つを入れ替えてきた人間のことを、本来美しいと言うべきなのだ。
自分を規定しているものの、その無意識的な関係性に気づき、
世界との関係、宇宙的広がりを確立してきた人間。
世界は決して客観にありはない。無限はゼロに等しい。世界は自分で確立して
いくものであり、細かく分節されたパーツ、パーツとの、その関係性に他ならない。
出版社や教授連中がグルになったところで、やっぱり人間を規定しているのは、
究極的に社会であり、環境であり、遺伝であり、世界だ。高度な専門を身に付けて
職業人として社会に貢献することが、本当に全人格的に優秀たりえるのか。
人と人との長い付き合い、同居することで露顕されてくる、真の内面的宇宙。
人はそこまで人間の内面に踏み入ることなく、単に見ため的に特徴的な部分だけで、人を判断してしまう。
やれ齋藤孝だ、苅谷剛彦だと、出版社は持ち上げる。でも、そいつが実際、
家で一人でいる時、どれだけ広範な書物を、有意味的に受容してきたのか、ちょっと著書を調べれば分かる。
「あ、こいつは何十年も社会学ばっかりやってきたんだなー」とか、
「こいつは俗受けする本を書くために何十年も費やしてきたんだなー」とか。
新書1冊書くにしても、相当時間かかるだろう。それを、100冊もあんなくだらん
ネタの本ばっか書いて、こいつは何をやってきたんだって奴の方が、
なぜか縣秀彦みたいな、陰で本当に勉強してきた奴よりも持ち上げられる。
そして、そういう連中が持ち上げられている陰で、世間から黙殺され、
周囲から脚光を浴びることなく死んでいった天才たちが、実は星の数ほどいたりして。
なぜ日本にしろドイツにしろ、出版社はロクでもない三流ばっかり持ち上げるのか。
なぜ本当に幽玄の美を内に備えた星たちが、次々に黙殺され、惨敗し、三流の陰で
敗北者として生を終えておかなければならないのか。
104 :
哲人:2011/09/17(土) 19:42:12.11 0
>>101>>102>>103 遺伝は肉体的な事柄のみに限定されますので、性善説や性悪説は過去の話です。
方法さえ正しければ、哲学の目的とする道理をさとり知ることは小学三年生ぐらいから叶います。
>哲人は道理をさとり知ることが目的です。
>その哲人を研究しても、何の足しにも成りませんよ。
つまり悟ってないってこと?
哲学の本は読んだ事もないし、誰かに聞いた事もない。
でも、知らぬまに社会から哲学を学んでいた。
哲学とはもともとそういうものだったはずだ。
>>106 哲学という言葉の起源を調べてきたほうがいい、
最初に海外で哲学らしい行いを行ったのは曖昧であるが、
それを組織や術として学問とは別のジャンルとして考えたのは
三平方の定理で有名なピタゴラスである。
哲学とかの言葉が独り歩きを始め俺の定義が正しいみたいな流れが始まり、
哲学が元の知識の探求の姿勢であったものから学問で学ぶこと教えることと
思い違いされてきている。一部の人が万能の用語のように使う例もある。
考える人がいてもそれは哲学というジャンルではなく、個人が行う態度を
過去の人が哲学者だと表記しただけにすぎない、
人間が安易に「宇宙」と名付けて割り切った、この世界は一体何なのか、
誰が創ったのか、どういう意図がある(あった)のか、この世界はどこまで続いていて、
どこかで何が起こっているのか、そして、そんな全くもって意味も意図も分らない世界に、
いつの間にか放り込まれて存在し、今、現にこうして呼吸し、生命活動している、
この自分という不思議な存在は一体何なのか、なぜ自分はこんな顔をしているのか、
なぜ自分と似たような顔した連中が、この地球という星に60億もいるのか、
なぜ手を動かそうと思っただけで即座に動くのか、それを働かせている意志、
こうして俺を思考させている意志は一体誰のものなのか、そしてそいつは、何かしらの姿形を持っているのか、
自分も世界も言葉によって創られると云うが、その言葉ってのは一体何なのか、
誰かによって必然的に与えられたものなのだろうか、そもそも言葉は世界を捉えられるものなのだろうか…
などなどなど、この世は不思議に思おうとさえ思えば、それこそ芋づる式かつ無制限に疑問が湧いてくる。
でも、それが人間の本来の自然で、根源的なものなのだ、そしてそれだけに
拘って生きてる俺(私)は、周りの連中より贅沢なんだって言うようになったら、
それは欺瞞以外の何ものでもない気がする。
疑問は疑問であるが故に、生の不思議であり続けるのであって、
そんな考えても答えの出ない問に仮説を当て込んで納得しようとしたり、
それだけに執着して、本来得られたはずの、もしくは経験できたはずの体験を
蔑ろにしてしまう人生などクソ喰らえだし、俺(私)は「贅沢な」趣味に生きてるんだ
とか考え出すと、そこには世俗的・金銭的な優越感が漂っている。自身を文化資本的に高級で、
他は低級という図式を造りたい、あるいはそうあって欲しいという本人の傲慢な願望が臭い始める。
哲学が誰でもしている根源的なものなら、それこそ恋愛だって、誰でもしている根源的なものであり、
快楽であり、麻薬だ。少なくともセックスは、この世に生きとし生ける者に許された
最高の快楽であり、この世に生きる最高の楽しみであるし、恋愛は、それらをさらに味わいあるものに
ソフィストケートした、哲学にも負けない立派な文化だ。哲学がなくても別に人生大したことはない。
でも、セックス体験もない人生なんて、それこそ最高の不幸だ。もし哲学を、
生まれてこのかたHもロクにしたこともない(それも心から愛する相手と)童貞や処女が、
自分の人生を贅沢だと思い込みたいがために用いているのなら、それは単なる飾りや欺瞞以外の何ものでもない。
哲学者のそういう欺瞞的なとこ、本当勘弁して欲しいわ。ショーペンハウアーだって、
本当は女が欲しかっただろうし、何十年も生きていりゃ、心から愛する、独占したい女の一人や二人出来るし、
男なんだから好きな女思い浮かべてマスターベーションぐらいやる。
そんな、本当は欲しかったくせに手に入れられなかった、どうしようもない悲しみや喪失感、
虚無感といった本当の気持ちは無視して「俺の人生高尚www」はないよ。
教育学的に見れば、幸福というものは、人間的諸能力をフルに活用することで
満たされるものらしい。よくよく意識してみれば、男の股についている棒も、
女の股についている穴も、単なる飾りでついているわけじゃない。
なぜ男は肉棒を持ってうまれたのか。なぜ女は膣・子宮をもって生まれたのか。
それはそれなりの使い方があり、意図があって造られたものであり、用途がある。
それは別に、出産に限ったものじゃない。子供を生まないセックスも、人間には許されている。
これをフル活用せずして、何が幸福で満足な人生か。
人は、どんなに高い学位を手に入れても幸せにはなれない。どんなにお金持ちになっても
幸せにはなれない。でも、心から愛する者と、全存在を受け入れ合い、毎日一緒に寝て、
温め合って、包み込み合える仲を築きあげられた時、人間は最高の喜びを得るし、
セックス・コミュニケーションは最高に生きたものになってくる。斎藤孝も凡そそう主張する。
だからこそ、何を人生の至上の目的とすべきか、自分の心からの叫びに正直に耳を傾けるべきだ。
お金も、学位も、最終的にはこれを手に入れるための手段であって、これがないなら、
お金も学位も何の役にも立たないし、逆に、これさえ手に入れられるなら、
もうお金も学位も、他は何もいらない。人は人に認められることで始めて存在する実感を得られる。
独りで詩や恋愛文学読んでも、音楽器弾いても仕方ないし、働く意味もない。
でも、それに意義を与えてくれる存在がたった一人いてくれれば、自分の人生はどこまでも満たされたものになる。
そして逆に、それが無いのなら、やっぱり何やったって、究極的にはそれは、
単なる独りよがりな虚しい「行為」にすぎない。
後で見てみれば最高にイタイタしいだろうけど、やっぱり最後に人間を幸せにしてくれるのは、
制度でもなければ金銭でもないし、科学でもないし、動物でもない。やっぱり最後は人間の、それも異性だ。
答えは最初から与えられている。股の下についているもの、そのパートナーを見つけること、それが答えだ。
111 :
哲人:2011/09/18(日) 05:56:14.36 0
>>105 何のことやら、
>>106 その通りですよ。
哲学の目的とする、道理をさとり知ると言う道理の理とは人が人間として生きるための根本原理ですので、
その根本原理の理から派生した道理をさとり知ると言うことです。
道理は理から派生する流れの一つですので、道理をさとり知るには物事の理を悟ることで必ず叶うのです。
そして「物事の理を悟る」と言う行為は小学三年生ぐらいから叶うと言うことです。
>>107>>108>>109
112 :
哲人:2011/09/18(日) 06:10:56.21 0
ああ、生きるのが苦しい…もうこの先生きてても、何の楽しみも何の意味も
ないことも悟ってしまった…大学卒業まであと2年…せめて死ぬ前に、
奨学金の残りで売春でもしまくってやろうか…
頼んでもいないのに生まれさせられ、しつけられ、虐待までされ、
人間関係も崩壊し、あらゆる集団から排除されて生きる残されていない上、
女に抱かれる経験もなく死んでいくなんてあんまりだ。キスすらしたことないのに。
俺の20年やそこらの人生、一体何の意味があったのだろう。生前に何か悪いことでもしたのかな。
それとも死の直前の売春のためだけに生まれてきたのかな。本当クソみたいな人生だった…
哲学と関係ない話して本当悪ぃ…本当人生詰んじまったよ…
ひきこもりや貧乏人や低学歴って、やっぱ傍から見てもかなりイメージ最悪だしな。
社会学でも、ひきこもりは周りからすれば、生きる意義すら問われる汚物にしか見えないんだとよ。
本当、何のために生まれてきたんだ俺…
114 :
哲人:2011/09/18(日) 08:15:02.88 0
>>113 本当かさ?
異性に好かれすぎると誤解を産む場合がありますが、人生が楽しくない何てことは私には考えられません。
ひきこもりや貧乏や低学歴で引け目を感ずることなど何処にも有りませんよ。
@社会の誰もが自分という心の殻に引き籠もって生きているのです。
A富の独占が戦争や飢餓を産みだし、多くの人々を苦しめているのです。
B人生に必要なことは学ぶ(まねてする)ことではなく物事の理(原理)を悟ることです。
物事の理を悟ることは簡単にできますので、君が真面目に望むなら、その方法をこのスレでお伝えしますよ。
>>108 宇宙は誰が創ったわけでもないし、意図があったわけでもない。
君の存在に意図も意味もないし、
顔はモンゴロイドなのかアングロサクソンなのか、そして遺伝に影響を受けている。
60億の人間は、生存競争の現在の勝者だし、君の思想は君以外の誰のものでもない。
難しく考えることはないのだ。
答えを決めるのは君なのだ。
そして、「わからない」が最後の答えだったとしても構いはしないのだ。
>>110 悲しいことではあるけれど、ほとんどの人間がそれを手にすることは出来ないのが現実でしょう。
人間は欲深い生き物だから。
しかしながら、必死に知恵を絞った。
どうにか幸福を手に入れられないものかと。
その答えが、お金と学位なのだ。
確率的に一番幸福に近いのだ。
>>113 少なからず、ほとんどの人も同じように思い悩んでいるものだ。
案ずるなかれ、だ。
何とか喰らいついて大学を卒業するのだ。
きっと今よりははるかに楽になるはずだ。
現代日本、下には下がある。
そして、その日本は世界が羨む豊かな国なのだ。
118 :
考える名無しさん:2011/09/18(日) 13:31:33.55 0
空間の広がりを「宇」といい
時間の流れを「宙」という (老子)
科学的な用語はSPACEで宇宙ではないな、
宇宙だと中国思想の話になるな。
120 :
哲人:2011/09/19(月) 08:11:30.13 0
>>119 >科学的な用語はSPACEで宇宙ではないな、
SPACEを日本語にすると何と言いますか?
>>120 >容量
>スペースはする無限の、三次元の範囲であり、オブジェクトとイベント
>が発生し、相対的な位置と方向を持っている。 [1]物理的な空間は
>しばしば三つに考案された線形 寸法現代ものの、 物理学者は通常、
>それを考慮すると、 時間の一部であること、無限の四次元連続体
>として知られている時空 。 で数学 one次元数が異なると別の
>基本的な構造を持つ"スペースを"調べ。 空間の概念は、物理の
>理解に基本的に重要であると考えられている宇宙の意見の相違が
>間続く ものの、 哲学それ自体がエンティティ、エンティティ間の
>関係、またはの一部であるかどうか以上の概念的枠組み 。
122 :
哲人:2011/09/19(月) 19:47:25.03 0
>>121 やはり、日本では宇宙の方が良いようですね。
どうも有難う。
123 :
考える名無しさん:2011/09/20(火) 07:48:38.57 0
線と点は同じでなく、また線と立体はべつのものであるという
事実をエジプト人にくらべてギリシャ人は理解できなかった、と
プラトンの法律に書かれてたな。この三次元を提案した
ユークリッドは古代ギリシャ人とされ
てるけど、ほんとかね?
哲学は思想の思考の実験じゃん!?♪。
125 :
哲人:2011/09/20(火) 08:49:35.80 0
>>123 私には分かりませんが、点と線には大きさや長さそして幅に一定の決まりが有るのですか?
例えば、太陽ほどの大きさでも宇宙的規模から観れば点にすぎず、ペン先ほどの点でもミクロの世界から観れば大きな面と言えます。
こう考えると、点と線の大きさや幅そして長さは視観的な常識の範囲に於いて定められると言うことですかね。
126 :
哲人:2011/09/20(火) 09:14:54.05 0
>>124 哲学は物事の道理をさとり知ることを目的とする学問の一種ですよ。
何故、哲学が物事の道理をさとり知ることを目的とするのか、と言う理由は人類の脳のはたらきと深い関係があります。
人類の脳は、物事の道理をさとり知ることで正しくはたらき、その者が望む全てのことを知ることができる仕組みに成っているのです。
>>123 プラトンよりアルキメデスの方が、理数について造詣が深い。
引用だけで本人の著作が残っていないのが残念ではあるが。
>>126 >哲学は物事の道理をさとり知ることを目的とする学問の一種ですよ。
では何故貴方は結果を示すだけで考えようとしないのですか?
>何故、哲学が物事の道理をさとり知ることを目的とするのか、と言う理由は人類の脳のはたらきと深い関係があります。
まったく意味のある表現がないことに気がついてないなら凄い才能です。神域でしょう。
>人類の脳は、物事の道理をさとり知ることで正しくはたらき、
「正しく」を理解なされていないようですね。
>その者が望む全てのことを知ることができる仕組みに成っているのです。
これって思い込みする、自分に暗示するって説明してません?wwww
テニスの練習のような壁打ちやりたければ、他でやればいいのにw
130 :
哲人:2011/09/20(火) 20:18:53.76 0
>>130 それガラス球だから、貴方が悟ると全てのガラスの残骸がダイヤと
表現してくる。まさしくマヤカシ
132 :
哲人:2011/09/21(水) 04:09:56.09 0
>>131 荒らしくん、哲学とは何か?に付いて君の書き込みは何番ですか?
え?でも哲学板に何番とかないんじゃない
136 :
哲人:2011/09/21(水) 11:38:33.15 0
ご苦労様、一人三役ですか。
137 :
考える名無しさん:2011/09/22(木) 02:34:24.17 O
原理を探求する思考
学問の基礎
哲学は学問の基礎を破壊する。
というか学問それ自体が、社会の神話、妄念、欺瞞を抉る営みそのものだろ。
生活経験主義的に見ても、疑問というものは必ず欲求不満、不条理、不合理から生じる。
今はこんな図体をし、日々当たり前のようにものを考え、こうやってカタカタ
パソコンを打っているが、かつては人間みな、オギャーオギャー泣いてるだけの
赤ちゃんであり、そのさらに前は、ただの精子と卵子でしかなかった。
でも、いつの間にか人々はそれを忘れるようになり、非科学的で力づくな、
「自己責任論」という理屈の欠片もない横暴が行き交うようになり、
齢を重ねるに連れて動物味を失い、狂った生物へとなってゆく。
哲学、とりわけ教育哲学は、そうした誤謬だらけの巨大な人間形成物語をぶっ壊し、
新たな理念、人類の指針を築くものである。(まあ滅ぶのが一番いいんだが)
真の想像は、破壊の上にしか成り立たない。クソみたいな親のもとに生まれた落ちた
子供が人格からまともな人間になろうと思ったら、親を対象化して批判することで、
その子供としての自我をぶっ壊し、新たな拠のもとで薫化を受けながら自我を築いて
いかなければならない。同様、人類がまともな方向に向かってゆくためには、
まずは今までの腐りきった歴史、そして人間道具主義的な社会システムを
批判するダダニズムのレベルから始めなければならない。
哲学がこの世から消える時は、人類から完全に動物味が消え失せる時であり、
愛のレベルまで機能道具主義が浸透しきった時だ。哲学は愛智、この世の真実を探求するという、
極めて数学者的・人間的な営みから始まった。それがなくなって全員が思考を
停止させた社会なんて、それこそ死んでる方がよっぽどマシな社会だ。
動物世界も確かに残酷だが、今度は逆の意味で残酷な世界になってしまった。
悲劇の反対は、絶望的な退屈。
今、とくにこの日本という国に必要なのは、哲学であり、文学であり、恋愛だ。
科学技術は、もうこれというほど、それこそウンザリするほど発達した。
今本当に人間に足りないのは、それを扱う側の中身だ。
人間形成、発達や幸福など、これらを阻害するものを根絶し、
「善い」ものを取り込んでゆく、愛の科学。道徳、倫理、思想。すなわち、人文科学。
今の人文科学は、はっきりいって腐っている。読書の世界に世俗的な権威を持ち込む、
学術を名声のために利用する腐った学者共のせいで、児童文学や大衆文学が読めなくなったではないか。
己が地位や権力を誇示したいがために高級文化というバイアスを作り上げ、
大衆文学を差別し、子供たちにまでそれを教え込みやがる。粗野な子供が持つ悪魔性が
根絶されても、それと同時に、子供が持つ無邪気性・天使性までぶっ壊してどうすんだ。
142 :
哲人:2011/09/22(木) 06:16:02.28 0
>>138〜
哲学とは、物事の是非・善悪を弁別する心のはたらき(知性・知能)を得るため、
物事の理を悟ることを目的とする学問の一種なのです。
人類の脳は、物事の理を悟ることで正しいはたらきが始まる仕組みに成っていますので、
物事の理を悟らずに話すことの全ては世に氾濫する雑音の一つに過ぎません。
君の言う社会批判は分かりますが、しかし人類が今現在の社会を構築する智恵しか
持ち合わせが無いために創られた必然的社会なのです。
子供が持つ無邪気性・天使性までぶっ壊さず正しい教化を施すには如何にすべきか、
と言う論議を行うために不可欠なことは、先ず己が物事の理を悟ることです。
あぼーん
768 名前: 年金払えよ。 [sage] 投稿日: 2011/09/18(日) 20:20:03.49 0
>>142 ドットコムて何を生業にして暮らしているの?
もしかしてニート君?
147 :
哲人:2011/09/23(金) 08:47:04.54 0
各種の統計によれば、子供の1割は何らかの発達障害を抱えており、ニートの場合、厚生労働省の調査によれば
2割強が発達障害者であるとされる。
精神科医の星野仁彦は自著において、臨床的にはニートの8割とする統計も別に存在すると指摘し、
その方が厚生労働省の調査よりも実態に近いと述べている。
発達障害のある人は、自分を客観的に見つめる事が苦手で、基本的に目先の事しか考えられず、
長期の目標に向かって長期間努力することができないため、自分の欠点ばかりが目立つような職業に就いて、
仕事が上手くいかなかったり職場に馴染めなかったりして、転職を繰り返したりニートになったりする
ケースが多いと述べている。
星野は、発達障害者は小児期から学習障害や認知障害を持つケースが多いため、英語、数学、国語などの
基礎的能力を必要とするような職種に就いてもなかなか熟練できないという問題も抱えていると分析している。
148 :
考える名無しさん:2011/09/23(金) 08:52:18.21 0
特殊西洋的な知的営み by木田
149 :
哲人:2011/09/23(金) 08:54:34.60 0
同じニートでも、今の状態から脱却しようと考えるニート@と、
今の状況を固持しようと考えるニートAとでは全く違いますね。
768 名前: 年金払えよ。 [sage] 投稿日: 2011/09/18(日) 20:20:03.49 0
>>149 ドットコムて何を生業にして暮らしているの?
もしかしてニート君?
151 :
解放思想:2011/09/23(金) 23:05:48.96 0
実 事 求 是
shi shi qiu shi
152 :
正しく考えたいと思う人:2011/09/24(土) 00:37:38.30 0
現実に顕れた現象を素直に認め、
事実にもとづいて正しい道理で考察し、
原因を探り、問題点をつきとめ、
自身も回りも具合よくするための考動。
153 :
哲人:2011/09/24(土) 08:13:17.75 0
現実も現象も事実も原因なども、一切関係有りません。
正しく考えたいので有れば、先ず始めに己が正しい心を持つこと。
己が正しい心を持てば、人の心が創りだす全てに関し正しい答えを導きだせます。
これって当たり前なことでしょう。
年齢や学歴・性別や人種、そして過去の一切に関係せず、この誰でもできる簡単なことをする、
それが哲学ですよ。
154 :
第四の波平:2011/09/24(土) 14:10:58.07 O
めちゃギャンブルで確変でてんですけど。ただいま9万がち
板来違い。
156 :
第四の波平:2011/09/24(土) 20:28:27.70 O
ぷは〜酒がうめえ。最高
157 :
考える名無しさん:2011/10/01(土) 16:26:31.79 0
哲学ってまだまだ発展途上の学問って感じだな。
発展した分野は科学のように哲学から独立して、
あまりレベルの高くない事を小難しく考えてるのが哲学。
哲学とはオナニー
159 :
哲人:2011/10/08(土) 08:26:55.88 0
>>157 >哲学ってまだまだ発展途上の学問って感じだな。
その通りですね。
>発展した分野は科学のように哲学から独立して、
>あまりレベルの高くない事を小難しく考えてるのが哲学。
つまり、哲学が本来進むべき道から外れてしまった似非哲学だと言うことですね。
君は珍しく冷静な方ですね。
哲人が病気なのはこれで証明された
いまの哲学が発展途上なんじゃなくて、科学未満の発展途上の学問が哲学と呼ばれるというだけの話
162 :
哲人:2011/10/08(土) 15:04:38.21 0
>>161 哲学は諸学の源と言う理由を分かっていますか?
学問の全ては、正しい心の上に成り立たなければ成らない、と言う理由から理性を扱う哲学が諸学の源に据えられているのです。
ところが、理性を蔑ろにして欲得のみを追い求めた科学が今や人類の存亡さえ危うくしているのです。
地球の周りに数千・数万の宇宙ゴミを撒き散らすよりも、人類全体が幸福に暮らせるようにすることが先だと思いませんか?
164 :
考える名無しさん:2011/10/08(土) 17:59:04.28 0
哲学とはレースでいうなら、
スタート地点から前方のゴールへダッシュする過程ではなく
スタート位置で足踏みを続けて、そこをゴールに決定するようなモノ
走った距離とスピードがいわゆる「実力」の成果であるなら、
足踏みした量とそれで固めた土の固さが「哲学」の成果である
と思っている
165 :
哲人:2011/10/09(日) 03:20:57.55 0
cattくん、
その場に合う、適切な言葉を使うように心がけましょうね。
>>165 人類全体の「幸福」とは何を指してます?
167 :
考える名無しさん:2011/10/09(日) 10:41:00.17 0
cattくん、
言葉の意味が分からなければ、辞書で検索しなさい。
168 :
哲人:2011/10/09(日) 10:48:32.19 0
>>167 そうですね。
cattくん、
人類全体の「幸福」とは、
人類全体の心が満たされた状態を指します。
>>168 そんなおぼろげな理解では世界もおぼろげにしか見えていないことだろう。
170 :
哲人:2011/10/09(日) 19:19:55.57 0
>>169 >そんなおぼろげな理解では世界もおぼろげにしか見えていないことだろう。
君が言葉の意味を、おぼろげにしか理解できないと言うことですよ。
例えば【理解】と言う言葉の意味は「物事の道理をさとり知ること」ですが君に理解の意味が理解できますか?
何故、【理解】と言う言葉の意味が「物事の道理をさとり知ること」なのかを説明して下さいね。
>>170 「理解」というのは「物事の道理をさとり知ること」であるのなら
じゃあ「道理」って何よ、さとり知るってなによ、語義的にはといくらでも
踏み込んでいける。それは形骸化された記号としての言葉の世界。
それより「理解」についての自分の概念を切り崩していくことが重要であり、
それは「理解」ということばについておぼろげに見えている自分の概念を
明確にしていくこと。哲学書ばかり読んでもぜったい届かない「教養」の境地。
172 :
考える名無しさんZX:2011/10/09(日) 19:35:53.51 0
cattは哲学板の《知ったか3人衆の》一人だな。
★波平、純一、catt★
これぞ「STK23」だ(知ったか2ちゃねらー3人衆)ヒヒヒ
>>172 しったかに見えるのは、自分の解像度が低すぎるからだと気づけよw
>これぞ「STK23」だ
超爆笑したwww
これからは「STK23」と呼ぼうなWWWWWWWWWWWWW
175 :
哲人:2011/10/10(月) 04:09:12.80 0
>>171 >「理解」というのは「物事の道理をさとり知ること」であるのなら
>じゃあ「道理」って何よ、さとり知るってなによ、語義的にはといくらでも
>踏み込んでいける。
さて、何も答えられぬために得意の煙に撒く作戦を始めたね。
「物事」とは感じることの全てを指し、「道理」とは人が守るべき正しい道を指します。
そして「さとり知る」とは習い覚えるのではなく、物事の本質を感じ取ることを意味します。
ついでに、【理解】と言う言葉の意味が「物事の道理をさとり知ること」の更に意味を説明しましょう。
理解とは、物事の道理をさとり知り、悟った道理で物事を解き明かすことを指すのです。
つまり、人類の脳は物事の道理を悟らぬ限り、何一つ理解できない仕組みに組まれているのです。
この仕組みとは、思考の法則的な繋がりですので自然の摂理と同じく、誰も変えることはできません。
従って、君も物事の道理を悟らぬ限りは何一つ理解できず、一生涯無知にて終わるのです。
さて、次は【智恵】の意味「物事の理を悟り、適切に処理する能力」に付いて解説をして下さいね。
>>175 >理解とは、物事の道理をさとり知り、悟った道理で物事を解き明かすことを指すのです。
つまり、人類の脳は物事の道理を悟らぬ限り、何一つ理解できない仕組みに組まれているのです。
ぜんぜん間違ってる。w
177 :
考える名無しさん:2011/10/10(月) 06:15:41.46 0
>理解とは、物事の道理をさとり知り、
まったく根拠がないデタラメです
>悟った道理で物事を解き明かすことを指すのです。
違います、貴方が明かしたと思い込んでいるだけでしょう。
>つまり、人類の脳は物事の道理を悟らぬ限り、
>何一つ理解できない仕組みに組まれているのです。
理解できた唯一の哲人とでも思っているのでしょうか?
178 :
哲人:2011/10/10(月) 11:33:58.10 0
>>176も
>>177も理解とはの問いに一度も答えていませんね。
ですから、
>>172に、
cattは哲学板の《知ったか3人衆の》一人だな。
★波平、純一、catt★
これぞ「STK23」だ(知ったか2ちゃねらー3人衆)ヒヒヒ
と書かれるのですね。ナットク
>>178 根拠も示せない妄言に躍らされるほどおれは素人じゃないよ。w
180 :
f哲人l:2011/10/10(月) 19:51:20.78 0
>>179 哲学の玄人とは到底、言い難いし、
君は一体、何の玄人ですか?
182 :
f哲人l:2011/10/12(水) 12:30:36.40 0
>>181 何一つ、まともに答えられないと言う点で、君は玄人を凌ぐね。
必ず、自分の態度が自分に帰ってきます。
君は、もう少し真面目に人生を生きなさい。
`di`di`di`i
`di`di`i`i
危ない`if
>>182 「まとも」とか「まじめ」とかぼんやりとしか批判できないなら、
何も言わなくても良い。w
185 :
f哲人l:2011/10/13(木) 06:10:39.81 0
>>184 それって、君は「まとも」とか「まじめ」とかを、
ぼんやりとしか受け止められない知能程度と言うことですね。
正しく修正、
「まとも」とか「まじめ」とかを、ぼんやりとしか受け止められない知能程度ならば、
何も言わなくても良い。w
186 :
f哲人l:2011/10/13(木) 08:42:36.48 0
おれが全て間違いです。
オウムか。
188 :
哲人:2011/10/14(金) 04:05:38.73 0
>>186 イタズラをしたら駄目ですよ。
>>187 >オウムか。
逆こそ真なり。全ての罪は我にあり。
つまり、全ての原因は君の心に有るのですよ。これが本当の自己責任ですね。
自己責任とは他人の責任を問うものではなく、己の責任を感ずることです。
己の責任を感ずるには、人間として高度な知性を必要とします。
君もこれから、全てに於いて己の責任を追及してご覧なさい。
他の全てに対して、君の思い遣りの欠落に気付くはずです。
>>188 それは心理主義。
それが心理主義。
可哀想に思うよマジで。
190 :
哲人:2011/10/14(金) 10:03:45.82 0
>>189 >それは心理主義。
>それが心理主義。
残念でした。
私は心理主義者でも論理主義者でも有りませんよ。
何故なら、心理主義やは論理主義は未完の者達が主張する主義です。
君に、この意味が理解できますか?
『全てに対する、思い遣りの欠落』が君の知能が育たぬ原因です。
本当に哀れなcattくん。
今が、過去の自分から抜けだす唯一のチャンスだよ。
191 :
f哲人l:2011/10/14(金) 13:37:07.78 0
おれが全て間違いです。
>>189 炉端の糞溜に石を投げ込むなYo 道が汚れて皆が迷惑。w
194 :
哲人:2011/10/15(土) 23:14:04.65 0
>>192 >炉端の糞溜に石を投げ込むなYo 道が汚れて皆が迷惑。w
気を確かに持て、言ってることが全く意味不明だわさ。
195 :
考える名無しさん:2011/10/20(木) 05:30:24.46 0
哲学は過去の遺物になるのがその使命とも言える。
現状その域にはまだまだ達していないが。
哲学:精神病一歩手前
197 :
考える名無しさん:2011/10/20(木) 07:52:12.19 0
自分は精神病に罹っていないと信じて疑わないその慢心が
あるひとつの深刻な精神病による症状であるのだが。
正しい心w
正しい道w
199 :
考える名無しさん:2011/10/22(土) 00:09:55.60 0
なるほど。
>>197 ある精神病理学者は、哲学。特に認識論や独我論のような
認識者をあたかも自身とは別個に機能する者として措定論ずる形態が
精神分裂病者の症例と極めて類似している。と指摘している。
例えば、グランツーリスモみたいなレーシングゲームのように、
哲学は認識者の背後に在って、その所作や現象、過程を詳細に記述したりするが
精神分裂病者もまた、医師の眼前にいる自身をあたかも他から操作されている
仮象人格として振る舞うことがあるらしい。
この種の症例の端的な例は、「シュレーバー回想録(邦訳あり)」が参考になる。
201 :
考える名無しさん:2011/10/24(月) 01:58:05.27 0
なるほど。
202 :
考える名無しさん:2011/10/24(月) 02:51:31.28 0
>>200 なにか、ある重大な誤謬を含んだまま
事実の再確認を促すことになりやしないかと思うのだが。
野生動物と同等に健康な、非病的な人間などいるのだろうか。
>>202 「横暴な健常者」への危惧は分からないでもないが、杞憂かもしれないよ。
パスカルは『「狂人」からすれば、我々の方がむしろ「狂人」であろう。』
と云ったらしい。危惧はここで立ち止まらざるを得ないような気がするな。
たとえば、2ちゃんの「名無し」もレーシングゲーに似た人格分離システムだよね。
ある議論が祭り状態になって叩かれても、凹むのはネット人格の名無し
の方であって、名無しをリモート操作している本人ではない。ゲームでも
クラッシュするのは画面に描画されている仮想自動車で、ゲーマーではない。
むしろ、(自称)健常人でさえ、人格が分離する場合がある。そういう事実を
了解し、そこで生じるであろう問題を自省的に把握する。ところが、その哲学的な
試みにおいてさえ、思索の過程に内在的に人格分離が発生している。
という指摘が面白い。と思っているわけ。「横暴な健常者」とはあまり関係ない話だと思うよ。
204 :
考える名無しさん:2011/10/29(土) 05:32:09.36 0
×そういう事実を 了解し、そこで生じるであろう問題を自省的に把握する。…
むしろ、(自称)健常者でさえ、人格が分離する場合がある。そういう事実を
了解し、そこで生じるであろう問題を自省的に把握することにこそ意義がある。
あの指摘は、そんな自省の促しだと思っている。
我々が慣れ親しんでいるはずの哲学的な思索の試みにおいてさえ、
内在的に操作する私、操作される私といった人格分離が発生している。
という指摘が面白い。「横暴な健常者」とはあまり関係ない話だと思うよ。
あぼーん
ベロベロべー
あぼーん
208 :
考える名無しさん:2012/01/30(月) 21:46:02.63 O
どんな前提にも依存しない立場から物事を理解し直すこと
あぼーん
210 :
名無しさん:
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf