ジョルジュ・バタイユ Georges Bataille2
性犯罪というのが突発的か周到で計画的かはケースバイケースでしょう。性の発現自体は
どのようにでも出てくる。ただ上のレスに書かれているのは、あれは私がハイデガースレに書いた
犯罪分析を、バタイユ思想の応用であるかのようにして誰かが書き直しペーストしたものだけど
。ただバタイユにせよ、押さえておかなければならない文脈をみるべきで。外すと論点がぼやける
ので気をつけなくてはならない。何故彼があのように、禁止の侵犯を言い、蕩尽を言い、続けたか
が真の問題で。性とバタイユというならそこを外してはならない。そこで初めて、価値や良識や制
度や、への隷属を断ち切れる。それが侵犯としての性の意味。それは事故のように、アクシデント
のように、狂乱のように、訪れる場合には、もう好運というしかない。そこがバタイユ思想の肝で、
その場合、バタイユに於ては性衝動が発現されること自体、僥幸である。で、その侵犯性の発現と
いうのは、計画的でなく、突発的であるほど、侵犯性の度合いも高まる。そう言えるのではないか
と思う。性犯罪とバタイユという連関で考えるなら、そこで価値、役立ち、生産性、良識からの離
脱という方面から考えるべき。つまり性衝動自体がバタイユ思想に占める位置を捉えるべき。何
故あれほどerotismeに拘ったか。そこで性の意味を捉えるべき。