ジョルジュ・バタイユ Georges Bataille2
>バタイユの他者性(自分とは違うひとだという事)を尊重する事
無論そこに他者性は介在するに決まっている。そのことと、にも拘らず或思想が他者性をかいく
ぐる貫通性を含有することとは両立するのだよ。他者性というのはいとも安易に切断操作の別名
となって流通することがある。バタイユのような思想の場合、むしろ切断操作として使われる危険
が高い。「私はこっち。あれはあっち。関係ない」という具合にね。ついでに言うと、池田大作の本も
読んだことはあるが、あれはまさに存在の開けを塞ぐことを奨励し、単独性の意味を帳消しにした
がり、社会的な効果のある思想を築こう、社会に貢献出来ない思想など無意味、と言いたがる思想
の典型だな。2000年以降の柄谷行人とかの悪影響も、このての区分けをはびこらせた一因として
ある。あれこそ〈理論どおりにはいかない〉を身を以てさらしている本当の反面教師だけどね。