■ ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 11 ■
今年は西田幾多郎の『善の研究』が出て100周年らしいが、そこで説かれる主客身分の純粋経験と、 ドゥルーズ的な超越論的経験論を比較対照してみるのもいいかもね。 檜垣立哉の『西田幾多郎の生命哲学』はベルクソンとドゥルーズが参照されてるらしいから、一度読んでみるか。 この本、新書で出てたけど、知らぬ間に文庫になってたんだな。新書から文庫化されることもあるのか・・・。
5 :
考える名無しさん :2011/05/23(月) 18:59:11.00 0
ひとりっきりの戦争機械 文学芸術全方位論集 鈴木 創士 著 201105刊/四六判/327頁 C0090 定価2520 円(本体2400 円) ISBN978-4-7917-6607-9 ランボー、ジュネ、アルトー、土方巽、 寺山修司、クロソウスキー、 蔡國強、さらには、坂本龍一、 マイルス・デイヴィス、いしいしんじ、 そして、生涯の友人・中島らも・・・etc. 共通点は 「すべてを覚悟しなければならない」 という至上命題の思考における結実。 それこそが 「カオスに対抗する力」(ドゥルーズ)への道に他ならない! 不世出の天才・鈴木創士が全方位へ放射する、超ハード・ボイルド文学芸術論集。 戦争機械には
鈴木創士はほとんど読んだことないんだけど、『文藝』の宮沢賢治特集号での 「暗黒のブラウン管」は好きだ。ドゥルージアンが読む賢治。
7 :
考える名無しさん :2011/05/23(月) 23:42:18.07 0
5つ星のうち 5.0 素晴らしく読みやすい翻訳!, 2011/5/19 By ジョン・ドゥ - レビューをすべて見る (トップ50レビュアー) (VINEメンバー) レビュー対象商品: マラルメ全集I 詩・イジチュール (単行本) マラルメは色々な仕事をしているが、やはり「詩人」という肩書きが一番ふさわしい。 私が本書を手にとって驚いたのは、翻訳が実に分かりやすくなされているということだった。 当たり前の事だが、「フランス語の詩はフランス語で読む」方が当然にいいに決まっている。 しかし、誰でも外国語が得意というわけでは無いからこそ、翻訳という仕事の意味がある。 私が今まで目にした(といっても過去に2例くらいか)翻訳の中でも、間違いなく本書が一番読みやすいと断言できるだろう。 そして詳細な解説は、読む者の理解と味わいをさらに深くする。 本書の値段は確かに高いが、フランス象徴主義といわれる難解な詩をこれだけ読みやすく翻訳できたことは、快挙といってもいいのではないだろうか。 研究者や、専攻している学生に独占させておくにはもったいなさ過ぎる。 「詩」が「好きな人」には、むしろ積極的に読んで欲しいと思えるほどに、素晴らしい全集に仕上がっているといえよう。 全5巻を揃えなさいとはさすがに金額的に考えても簡単には言えないが、マラルメの詩をまとめたこの「第1巻」は本当におすすめしたい。 他の翻訳と比べてみる楽しさも、当然ながらあることを付記しておきます・・・。
鈴木創士は、少し前に、千葉か國分にtwitterで喧嘩売ってたな。
そのひと頭いいの?
10 :
佃煮マニア :2011/05/25(水) 19:20:45.91 0
>>9 哲学の事は詳しいですよ。
中島らもの親友で、80年代にらもの家に居候してた元ヒッピーです。
らもの家でドラッグとセックスに明け暮れる毎日を送っていました。
11 :
考える名無しさん :2011/05/25(水) 19:36:29.68 0
こんどの鈴木の本の最後に丹生谷と対談がある。
でもらもって天才じゃないし・・・
13 :
考える名無しさん :2011/05/25(水) 21:46:08.88 0
「天才」なんてのはむしろマーケティングや政治力学のための言葉でしょ。 実際そんなやつぁいない。
と、思いたい人↑
中島らもは笑いの天才だろ。それとすごく粋な人だった。
17 :
佃煮マニア :2011/05/26(木) 23:48:02.19 0
鈴木創士の書く文章ってらもさんとちがって陰気くさくてヘタクソなんですけど、 それでも魂が入ってる感じはします。
18 :
考える名無しさん :2011/05/27(金) 03:22:07.10 0
>>14 イチローとか中田秀とか見りゃわかるでしょ。
「天才」ってのは努力しようとしないやつの言い訳。
中田ハゲは天才じゃないだろ 凡庸な選手だった
20 :
考える名無しさん :2011/05/27(金) 10:17:16.07 0
>>19 すべてのアスリートは「凡庸」である。
「天才アスリート」なんてのはマスコミが持ち上げてるだけ。
評論家や学者にしたってそう。
羞恥心と自尊心から努力してる面を隠してるだけ。
そんぐらいの洞察もできなくて何が「哲学」だよ。
「天才」という概念は、
ルネサンス期では創造性を、ロマン主義の時代では英雄性を意味していたけど、
現代では精神医学的な見地から使われることが多いね。
アルトーの狂気と天才といったふうに。
日本的な横並び主義の文脈においては、
>>20 のようなルサンチマンの対象となる。
22 :
考える名無しさん :2011/05/27(金) 12:10:50.52 0
>>21 ルサンチマンはむしろあんたのほうでしょうよw
23 :
考える名無しさん :2011/05/28(土) 18:43:01.42 0
褒めて伸ばせ
千葉雅也スレでドゥルーズスレが馬鹿にされていた
くだらないことにひっかかるのをおやめなさい
前スレで結局こんなことで何も意味なかったじゃないか と、書いてたやつがいたが、10すれを超えたので まとめwikiIでも書こうと思うが,どうだろうか? このスレは専門家が出入りしているので、 俺が適任かどうか分からんが。
ドゥルーズ流行ってるの? ウザイわー 全員首吊ればいいのに
>>27 は借金してシャブを買いまくり、その借金をかえすために万引きしたものを転売して金を作っている社会のお荷物
>>28 そうはいかないよ。俺たちには首をつらない理由があるんだ。
自殺は飛び降り決め打ちなんだ
自殺するには絶望が足りない
ドゥルーズみたいに、呼吸に障碍を抱えている患者が、空気を求めて発作的に窓から飛び降りることはあるらしいが、 首吊りはそれとは真逆だしなあ。 自殺するには生命の過剰さが無い、とドゥルージアンなら言うべきかもな。
34 :
佃煮マニア :2011/05/30(月) 18:42:10.58 0
いや、首吊りや飛び降りに限らず、自殺というのはどれをとっても病理とは切り離せませんよ。 病んだ状態というのは生命力が落ちた状態です。
ドゥルーズはごくまっとうな社会人だったし…
なんで肺病になったんですか?ヘビースモーカーだったの?
>>33 絶望には、精神的絶望と肉体的絶望(を起点とする精神的絶望?)があるだけだろう
ドゥルーズの自死をことさら特権化するのは宗教的じゃないか?
健康って大事だね なんて…
>>35 ドゥルーズのどこが「ごくまっとうな社会人」なんだよw
みんなも名前欄に!ninjav(・x・)v鈴木雄介#+って入れて書いてね
>>40 しつこいよ佃煮マニア。しかもつまんないよ。
何これ。こわっ
43 :
考える名無しさん :2011/05/31(火) 00:55:26.16 0
死体は窓から投げ捨てよ
どうでもいいスレだな。
だからポエム板でやれって
46 :
考える名無しさん :2011/05/31(火) 01:37:22.39 0
「ワーニャ伯父さん、生きていきましょう。長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう。 運命が送ってよこす試練にじっと耐えるの。安らぎはないかもしれないけれど、ほかの人のために、 今も、年を取ってからも働きましょう。そしてあたしたちの最期がきたら、おとなしく死んでいきましょう。」 (「ワーニャ伯父さん」光文社古典新訳文庫) ドゥルーズはある時期のフーコーをチェーホフに喩えている(「フーコー」)。 チェーホフのような「地図作成者」としての面を、彼に見ている。 「地図」とはわれわれが生きるこの現代の「管理社会」の地図であり、その踏破のための地図だ。 チェーホフは「ワーニャ伯父さん」を書き、「サハリン島」を書いた。 それらは管理化が見せる一つの側面で、ベンサム的なパノプティコンが社会統治のひとつのモデルになっていたこと、 それがすでに19世紀の終わりから始まっていたことを示唆している。 17世紀から18世紀の歴史をたどる中で、フーコーはそれをやっていたのだとドゥルーズは書く。 そして後期のフーコーは「ベールィに似たトポロジスト」、つまり戦略家だと書く。 「ゴーゴリ的な古文書学者」「チェホフ的な地図作成者」を経て「ベールィに似たトポロジスト」に、 フーコーはなったのだ。 それは「古文書」と「地図」を元に、戦略を練るもののことだ。 彼は地の利、人の利を量り、戦略を練る。ほかならぬ自分自身の、世界に対する戦略を。 同じことはドゥルーズにも言えるだろう。 彼の死はその延長線上で考えられなければならない。それはある意味で、三島の死とも通じている。
三島の演劇的な死と一緒にしてもしょうがないと思う。 長々とした演説をした後、それが受け入れられなかったから、という筋書きで 死に理由づけするのを最初から狙ってたんじゃないのかあれは。 なんで三島が出てきたのか分からん。最近のニーチェ・スレでも覗いてたの?
消尽した果ての死の欲動でした。
50 :
佃煮マニア :2011/05/31(火) 20:28:51.36 0
う〜ん。私も三島とドゥルーズの死は全然別ものだと思うなあ。 三島の死は計画的に仕組んだ死で、ドゥルーズは衝動的な死でしょう? 三島の晩年は商業的に落ち込んでいて本人も悩んでいたそうだし、 ドゥルーズの晩年とは違いますよね。
話ぶった切って悪いが、スピノザと表現の問題の新訳ってどうなったんだ?
三島さんはどう足掻いても大江さんには勝てそうもないのが見えてきて頭おかしく なっちゃったんでしょうね。
古地図ブームになってきてるらしいね。不動産買うに当たっての資料。 地盤は本当に大丈夫かと
三島は、ボディビルで色々健康的にはなったけど、気をゆるめると肉体が弛緩してしまう恐怖を抱えるようになり、
それが自害の一因という説もあるとか。
『太陽と鉄』なんかを読むと、観念がそのまま筋肉に転換したような印象だが、
生の過剰が皮膚内にとどめられなくなって切腹、という解釈もあり得るだろうね。
とはいえ、それはやはりバタイユ的な過剰だろうな。
ドゥルーズ-アルトーは過剰というより永劫回帰的(木の周りを回る虎がバターになるような by浅田彰)な内在性だろう。
>>51 そういやあったなそんな話。
個人的には、フッサールの『算術の哲学』の翻訳と、パゾリーニの『映像の詩 詩の映像』が気になるな。
作家がボディビルディングとかもうその時点で頭トチ狂い始めてるとしか想えません けどね。
>>54 >ドゥルーズ-アルトーは過剰というより永劫回帰的
>(木の周りを回る虎がバターになるような by浅田彰)な内在性だろう
って「器官なき身体」のファクターほどうなるの?
どういう計算になるわけ?
>>55 いやいや
三島は劇作家だからね
サド侯爵夫人
スーパーキッチュ…
あの人の終わりを狂気で済ませるのはあんまりでしょう
>>55 お前はボディビルしなくていいからとりあえず痩せろよ。
もう哲学じゃないよね 文学板でやってくれ
そんな事を言うなら、フランス現代思想はいっそ文学って事にしといたほうがいいのでは? むしろあなた方の為に
>>60 いつもご苦労さんっす!
本当に惨めな人ですねぇ〜w
フィンランドの小学5年生が自分たちで作った、議論における10のルール 1. 他人の発言をさえぎらない 2. 話すときは、だらだらとしゃべらない 3. 話すときに、怒ったり泣いたりしない 4. わからないことがあったら、すぐに質問する 5. 話を聞くときは、話している人の目を見る 6. 話を聞くときは、他のことをしない 7. 最後まで、きちんと話を聞く 8. 議論が台無しになるようなことを言わない 9. どのような意見であっても、間違いと決めつけない 10. 議論が終わったら、議論の内容の話はしない
ルールなんてものはそこから出るためにあるのだよ
まず哲学を文学の上にみる必要はない むしろ哲学もひとつの言説になったのが20世紀 フーコーもデリダも自分を哲学者だとは言わなかった
ポエムとしてなら最大級の評価を与えるよ
執拗にポエムとか文学板とか言ってる奴は、他になんか言うことないのかよ・・・ 機械的に同じカキコ繰り返したって、ほんとに文学板に行ったりとかするわけないんだから。 哲学について、 ニーチェは、その諸目的と産物においては芸術、手段としての概念的記述においては科学である文芸、 ヴァレリーは、小説と詩との中間的な文芸だと言った。 ウィトゲンシュタインですら、哲学はある詩的な方法でしかなしえないと言っていた。 ドゥルーズがことさら文学的なレトリックに淫していると言って批難しているつもりの奴は、単に読めなかっただけだろ。 「哲学」の妥当な定義を提出しろと言われたら何も言えないんだろうしな。
デリダは知らんが、フーコーは自分のこと哲学者と言っているよ。
68 :
考える名無しさん :2011/06/02(木) 08:22:54.12 0
>>67 歴史家じゃなかったっけ?
フーコーは自分で哲学者を名乗ったりしてないと思う。
「知性および言語が明晰さと審美的配慮を持たなければならないというフランス的エスプリ」 (フロイトからラカンへ・金剛出版p12) と言う意味合いにおいて、哲学地理学的にフランス哲学は「明晰かつ審美的」なテキスト としてエスプリの意味合いにおいて扱われなければならない。単に文芸でもなく単に形而上学でもない。
フーコー「私のやっている事は、いかなる意味でも哲学ではありません。」
自称は知のアルケオロジストだな
思想史といういわゆる分野から、方法的な差異を強調して「知の考古学者」と言いたいとは思えます。
回フーコースレ(4回)の136に快楽の活用野の引用にフーコーの哲学観が書いてあるよ。
ここは檜垣の本とか語っちゃいけないの?
国家による教師への政治的意志と行動の強制はよくない。 では、サヨク教師による生徒へのそれは?
>>68 「私が、自分は哲学者ではないなどと言ったところで無駄であって、
私の取り組んでいる対象が真理であるのなら、私はやはり哲学者なのです」
(ちくま学芸文庫『フーコー・コレクション4』、248-9)
ジャンル横断が売りのフランス現代思想でいったい何を言っているのか しかもドゥルーズ、フーコーでしょ
あのさ〜… 気持ちは大いに理解できるが この種の問題をいわゆる人種論で片付けるのは反則でないかな フランス人はこうなんだよ!みたいな それは勘弁してよっていう
人種じゃなくて、国民性でしょ。 ドゥルーズも『哲学とは何か』でイギリス、フランス、ドイツでやってるしな。 合田正人は『ヒューム』の解説で、「〜人は・・・」みたいなのを超越論的なものの例に挙げてたな。 ところで、鈴木大拙ってハイデガーに会ってたんだね。 ハイデガーが親鸞に感心してたって話も、大拙を通じての親鸞なのかもね。 ドゥルーズも意味の論理学で禅について触れてるから、日本人哲学者が何か批評してほしいところだ。
AOの英語訳と日本語訳(文庫版)を比較しながらちらっと読んでいるところだが、 宇野訳は文体のリズムを優先するあまり正確性を無視しているように感じる。
宇野氏は基本文学の人だからね
>>77 誤読してるよ。その文って、フーコーが
自分のことを哲学者と自称しようとして言っている箇所じゃないから。
地理学に関するインタヴューの席において、自分としては哲学者じゃないと言いたくても
扱っている対象に関して言えば、(周りから)そうみなされることは
仕方がないというニュアンスでしょ。
『フーコー思考集成』みたいなのがドゥルーズにもあればね〜。 もうちょっとインタビューとかばんばんと受けて、時事問題にも積極的に発言してくれてばよかったのに。 それがドゥルーズらしくないことは分かっているけれど、読み物は多ければ多いほどいい退屈しなくていい。
自身については何も語らないのがドゥルースの美学 自分などいない
皮肉で言ってるのに敢えてマジレスすると、ドゥルーズってポエムとしてはどうかと思うぞ。 自身の思考をナマのまま提示した結果、ああいう、或る意味、無防備な文体になってるだけで。 ミシェル・セールのように詩的な文体ではないし、ロラン・バルトのように繊細でもない。 だから蓮実重彦は『シネマ』を批判するし、浅田彰も「全否定に限りなく近い全肯定として「ドゥルーズは偉大な哲学者だった」と断言」したんじゃないの。 ポエムポエム言う奴は、実際にはポエムに一切興味なさそう。
89 :
佃煮マニア :2011/06/04(土) 14:17:13.07 0
トリスタン・ツァラが批評無用論を語っていますが、これはドゥルーズへの反論になりうると思います。 私はツァラの意見に賛成です。
>>88 シネマの文体はドゥルーズの著作の中で
最も散文的です。シンプルでプレーンです。
財津さんのブログにあった白仁高志の本を時間を作って読んでみた。 「野心的な」という試みではあるが、ストリップティーズみたいなところが あって、もっと違う言い方もあるだろと言う部分が多少恥ずかしい。
上述の本チャート式みたいなまとめ方で、要約しようという側面があるが、 ドゥルーズはそれからもれたほかのことも言っている所が、はっきりあるわけで、 果敢な試みではあるが、成功しているかどうか今の時点では分からない。
上述の本果敢ではあるが、完全に網羅的であるかどうかが不安だ。
一番不安なのは(クルーシャル)であるのは上の本、 ドゥルージアンとしての文体やスタイルから外れてやしないか、 と言う一点にかかっている。
『アンチ・オイディプス』をちゃんと読むためにとラカンを集中的に勉強してたら、逆にラカンにはまってしまったでござる。
ドゥルーズを読んでプラトンに興味を覚えたり、 ニーチェを読んでキリスト教(特にプロテスタンティズム)に関心が出てきたり、 左翼的な天皇制論を読んで却って右翼思想に興味が出たり、等々、 そういうのってあるよな。
97 :
佃煮マニア :2011/06/05(日) 22:45:20.77 0
ドゥルーズがまだ生きていたら石井聰互とか塚本晋也を語っていたかもしれません。
極東のマイナー文化よりはさすがに911を語ってたんじゃね?
ジル、どぅーーーーーん
112 : 忍法帖【Lv=7,xxxP】 v(・x・)v鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ (27) :sage:2011/06/05(日) 21:07:37.98 マルセルさんは狂人だってドゥルーズ先生が言ってましたよ。
自己レスコピペほど恥ずかしいものはないなw
102 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 04:34:23.72 0
【近刊】山内志朗『ドゥンス・スコトゥスと13世紀の〈知〉の革命──中世哲学講義』、岩波書店、7月28日刊行予定。A5判360頁、ひさびさの大著。
>>97 石井聰亙(今は改名して石井岳龍)の『エンジェル・ダスト』、
逆洗脳士の台詞がドゥルーズっぽかった。
>>100 は俺じゃないけど、俺がプルーストスレに書いたレスですね。
自身をいっさい何も語らなかったがドゥルーズ そういう意味では詩人的
俺もそう思う。自分の言いたいことは全ての 哲学的著作の中にこめられていると言いう意味で。
詩人的という言葉をどう意味づけるかは人それぞれだろうけど、 自分のことを語りまくったニーチェの方が詩人的な気が・・・。
>>107 それはレベルの差であるのはドゥルーズも
二ーチェも同じ。自分の言いたいことを言って
ちゃんと哲学になるかどうかが問題。
思想と言う言葉が60年代に日本ではやったが、
なぜそういう考えを持つにいたったかを、
一から考えた人だけが哲学者になれる。
今「失われた時を求めて」を読んでいます。読むのは二度目になります。
これで「プルーストとシーニュ」が読めるかな・・・
>>103 石井聰亙は昔から好きです。前衛的な手法を駆使して退廃美を描き出す優秀な監督です。
エンジェルダスト良かったですよね。
あんなもん全部読むやつは馬鹿。
プルーストを読む奴が馬鹿ならプルーストを読んで批評をする奴はどうなるんだ
馬鹿だよ。馬鹿。しかも2度目って。どうしようもない馬鹿だな。もっと時間を大切にしろ。
馬鹿のスレにきて書き込みしていくってどんだけ馬鹿なんだよw
即レス乙。読破できなくてくやしいのはわかった 半年ロムッてろ
自己紹介芸
へえ〜「失時」読めない低能がいるんだ
蓮実さんは、読破したとか言って自慢するのはバカだとか言ってたな。『闘争のエチカ』でだっけ。 小説は百科事典であって、どこから読んでもいいんだと。 まあ、どこから読んでもいいというのは、ヴァレリーが『失われた時を求めて』についてそう言ってたのを繰り返してるだけとも思えるが。 繰り返しといえば、阪神大震災のときには蓮実さん、筒井康隆が詳しく被災地に着いて報告してくれるインタビューより、 「笑犬楼(筒井さんのハンドルネーム)無事」の五文字の簡潔さの方が読者により訴えかけると言ってたそうだが、 これもドゥルーズが『記号と事件』で電報について言ってることに影響受けたっぽいよな。 千プラの各章タイトルについて話している箇所で言ってるんだけど。
ドゥルーズの出来事への信頼には哲学的裏づけがある
>>117 だれも読破したなんて自慢してないが。
読んでない奴が読んだ奴をバカにするのがおかしいってだけ。
この人のオリジナルな主張ってなんですか?
蓮實信者は痛い人が多い
あんなもん全部読むやつは馬鹿ってのは、読破することに意味があるような小説じゃないって言いたいのか、 『失われた時を求めて』なんて全部読むほどの価値も無いと言いたいのか、どっちなんだよ。
どうなってるんですかこの流れは(笑)
なんでプルーストを読むのが馬鹿なんですか(笑)
このスレって専門家が出入りしてるって誰か言ってなかったですか?
だからこれから「プルーストとシーニュ」を読んでわからないところをここで質問しようと思ってたのに・・・
>>122 単純に面白い物語ですよ。
さまざまな悲喜劇的な恋愛模様や、サロンを出入りするスノッブ達の滑稽なやりとりなどなど、
饒舌に語りながら、さまざまな芸術作品についての批評なんかも時折まじっていたりして。
こいつが読んでるって抜かしてるのは抄訳の失時だよw
また私のストーカーが粘着してきてますね。しつこいなあ。 ドゥルーズもプルーストも読んでないくせに。 私の投稿が20:41:01.60 でストーカーが20:41:20.64ですよ。 このスレにどれだけ貼り付いてるんだって話ですよね。最悪です。 私は完全版を一度読んで、そのあと編訳版を読んだんですけど。
じゃあ抄訳版を読んでますって言えばいいじゃん。どんだけ見栄っ張りなんだよw
ほんとわかりやすいなあw
麻薬常習者で、万引き常習者であることを開きなおる鈴木雄介 339: 忍法帖【Lv=7,xxxP】 v(・x・)v鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ (149) :sage:2011/06/05(日) 22:56:30.14 麻薬はやってたよ。今はめちゃくちゃクリーンだけどw 万引きで生計を立ててるのも本当だね。で、だから何だよ?
コテハンいなくなるまで ROMってる人多数
鈴木って奴がまともにドゥル〜ズの話してるとこ見たことないんだけど?
単なる有名な作家の追っかけ=ワナビーで、「有名であること」に憧れてるだけだから 鈴木がその作家の本を読むことはない。 いつかチャップマンみたいに阿部和重を刺殺するんじゃないの、コイツ。
お前は俺の事に詳しいんだなあ。的外れだとは思うけど、阿部和重ファンである事は確かだ。
早く消えろ
佃煮は名無しじゃなくコテつけて鈴木とやりあえよw
どのレスが佃煮なの?
なんでこんな馬鹿が居着いちゃったんだろう
所詮ドゥルーズなんてファッションだし
「狂い咲きサンダーロード」って古いなあ。
「RED」面白かった。
佃煮って一種の縮約だよね
>>139 ドゥルーズなんてファッションだと思ってる人はドゥルースがファッションだと
しか思っていない程度の人なのさ所詮
ドゥルーズを参考に社会問題を論じろ 思想ってのは使ってなんぼだから
じゃあ、「断層」と「メルトダウン」について。
マジ勘弁
プルースト読めなかった奴乙
抄訳版乙
石井 岳龍って映画で海外で二度もグランプリ取ってんのに 全然メディアに露出しないね。 ただ「五条霊戦記」ってつまらなかったなー。下らなかった。 結局何が言いたいのかわからい。 やっぱり日本受け全然しねえ。駄目でいいな。
151 :
考える名無しさん :2011/06/15(水) 19:17:50.37 0
@lethal_notion 國分功一郎 ツイートを拝見していて思い出しました。ドゥルーズの話。クレールパルネに 「ドゥルーズ先生、数学の本とか引用してるけど、どうせ理解できないんでしょ? なんで引用すんの?」と聞かれるドゥルーズ。@stupid164 18時間前 webから
そうでもないんだよな。その当時の数学教育って 「ブルバキ」と言う人物(実はグループ)のすごくレベル高い 教科書(東京図書)が出てた時期なんだよな。
「暗喩」や「想像力」と言うものや「幻想」と言うものに、ドゥルーズ自身はそれほど頼っているわけ ではない、と言うことに気づかないというが問題だとわかった。 も少し言うと「差異と反復」における哲学的主知主義が「資本主義と分裂症」の非説明的な 論述との間に、差異をもたらしていると言うのは、「無意識における欲望する諸機械の 自動的アジャンスマン」を後者が理論的に前提とするようになったため、つまり無意識のうちの判断を 自明としたため、論述の仕方が異なるようになったためです。 得てして、「資本主義と分裂症」を哲学書と読めない方々が「ポエム」などといいますが 、哲学者とても日常的には無意識のうちに何かしているわけで、ましてや民衆が 分析的思考を日常生活でしているはずはないのです。とりわけ労働というのは無意識的なものです。 この点にたって、対象に応じた論述の仕方のほうを性急に選んだ書が「アンチ・オイディプス」であると言えるでしょう。
ドゥルーズのレトリックって結構ドライだよ。
テクストの先にある生存の様態、つまり生き方を問題にしてたからね。
ウンコの事を書かなきゃ許されるってもんでもないだろ。
MXTV深夜枠の「ユキチカ!」で特集やるでしょ。
158 :
考える名無しさん :2011/06/17(金) 02:38:54.62 0
Epouserlanotion Epouserlanotion
仏国営ラジオで5日間のドゥルーズ特集(「千のドゥルーズ」)6月13日〜17日
(Mille Deleuze 1/5 : Deleuze va au cinéma - Idées - France Culture
:
http://t.co/XSnpqvR 初日はP.モンテベッロ登場
19時間前
「〜なのです」 wwwww
大統領夫人の元愛人がホストなのです
「ポエム」が蔑称として揶揄されるのは2ちゃんやくだらない日常の中でしかないと思う立場です。 ポエジーの結晶としてのルネ・シャール全詩集や吉増剛造の仕事を追っている奴がいるのか? オレにとってはドゥルーズやガタリの仕事が、シャールやランボーのポエジーに通ずるというのは最大の讃辞と思うんだけど
いつまでその話題やってんだよ。
ルネ・シャールの詩とかトンデモ神秘科学に類似した見せ掛け深遠さを 気取っただけの糞。あんまり腹が立ってゴミ箱に投げ捨てた。
165 :
考える名無しさん :2011/06/17(金) 15:08:22.08 0
@masayachiba 千葉雅也 Masaya Chiba ついでに江川隆男さんが『思想』に二回載せているドゥルーズ+ガタリ論も。 すごい密度で、含蓄の深い議論。激しく難しい文体だけど。 6月13日 webから
>>165 それって
分裂的総合について--ドゥルーズ=ガタリ論 「思想」2010年二月号
脱地層化のエチカ--ドゥルーズ=ガタリ論(2) 「思想」2007年五月号
のことか。去年の九月号にも「書評 機械論(マシニスム)は何故そう呼ばれる
のか--フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス草稿』」を書いているよ。
江川先生は私の師匠筋なので鼻ガ高い。
>>166 間違えた(1)の方が2007年で(2)の方が2010年。
168 :
考える名無しさん :2011/06/17(金) 21:20:31.19 0
江川の『死の哲学』は愛読した。
170 :
考える名無しさん :2011/06/18(土) 02:06:20.06 0
tetsushi_wata 渡辺哲史 僕だけじゃなかったんですね… RT @lethal_notion: […]一人の哲学者の説 明を受けていると、そいつが正しいと思えてくる。しかし次にそいつを批判す る哲学者の説明を受けると今度はこっちが正しいと思えてくる。 6月14日 返信 ↑ @lethal_notion 國分功一郎 @tetsushi_wata まぁそういう一つ一つが整合性を持っているけど、それらは まとめられないけど、しかし、「哲学」という総体を作っていると。でその総 体がドゥルーズの言う多様体でしょうね。ちょっと無理矢理な解釈ですが。 6月15日 webから 結局哲学史の知識を沢山知ってる奴強いってこと
もし、哲学史の知識に乏しいながらも自力で多様な視点や概念を用いて思考できる天才がいたら、 知識量なんか不要だろうけどね。逆に、知識だけあっても概念的な関係性が見えない奴がいたら、 博識なだけで、ただのバカな役立たずだろうしな。
どこがだよ。
アンチ・オイディプスって経済学の書としても読める?
戦争機械とCIAと言うのは如何。
>>175 そう言ってる。リビドー経済と実体経済の間は欲望論として同一かまたは平行関係がある。
俺が嫌いなのはドゥルーズではなく必要以上に熱狂するファンなのだ 結局奴らは学校や仕事先でがんばれてなかったり、勝ててなかったりする奴らの 集まりで、それをひいきのドゥルーズに託し、ドゥルーズが頑張れば自分も頑張った気になるし、 それで成功すれば自分も成功したような気になるのだ 俺の様に毎日2chで戦ってる人間なら人を応援する余裕なんてある訳がない
>>178 馬鹿だな。ほかのやつ等は、フランス語原典読んで勉強してるよ。ここ
で戦ってどうする。
それコピペなんだけどこのスレが一番頭悪い反応してたな
俺は毎日最低3pはフランス語で読むことにしてる。 真にドゥルーズを理解するため。 翻訳読んで済ましtりゃ「鷹くくってるとしか思えない」.。
「真に理解」とか言ってるうちは青すぎる ドゥルーズのチンポにすがり付いてるガキ
やっぱり常にギンギンなんですかね?
デリダとドゥルーズは苗字で得をしている。 彼らの姓の音韻にはアウラがある。
音韻、というか音律、かな。
>>182 真に理解していると言うのは、この概念はパラフレーズすると
こうなると言う風に、普通でもドゥルージアンであり得るような考え方を
取れるようになることだ。そのためにこのような主題について斯く
のごとくの概念を用い、何処までの範囲にどのよな射程で意味されるかを
確定しなければならない。日常生活でドウ振舞っても、ドゥルージアンでありうるような
ドゥルーズだったらドウ考えるだろうかと言う回答を全て
用意しておかねばならないはずだが、そこまで考えられるお前ではあるまい。
>>184 たしかに音楽的な名前かも知れませんが、
アウラというものは主体に宿って発散されるものではなくて、
受け手の思い込みの産物でしかないんですよね。
>>185 1960年代の暗き果実を追うのか
君はまだ隆明の後を追うのか
ああ君よ
いまだ「言語にとっての美とは」
と問うのか
自己表出とは初源にありて
韻律であると彼の人の言う
万葉に残せし古のひとのいう
その声の響きに
やまとごころとひとのいう
ここ揺るするものにありしか
ポエムどう?
>>186 そこまでやってる人が存在するんですか?
私です笑)
パネェ…(畏)
195 :
考える名無しさん :2011/06/20(月) 12:08:41.52 0
デリダとドゥルーズはどちらも20歳で西洋哲学史のすべてを理解した天才 @リオタール
>>195 君はリオタールのどの本をフランス語で読んだか?
少なくとも君は天災ではあるまい。
197 :
考える名無しさん :2011/06/21(火) 03:02:03.30 0
思想としての3・11 河出書房新社 2011年6月21日 本体1,600円 A5判並製208頁 ISBN 978-4-309-24554-6 帯文より:あの日から何が変わったのか、何が変わらないのか、何を変えるべき なのか。生、死、自然、震災、原発、国家、資本主義……思索者たちがいまこそ問う。 佐々木中「砕かれた大地に、ひとつの場処を――紀伊國屋じんぶん大賞2010受賞記念講演「前夜はいま」の記録」 鶴見俊輔「日本人は何を学ぶべきか――いま心に浮かぶこと」 吉本隆明「これから人類は危ない橋をとぼとぼ渡っていくことになる」 中井久夫「戦争から、神戸から」 木田元「技術はもう人間の手に負えない?」 山折哲雄「二つの神話と無常戦略」 加藤典洋「未来からの不意打ち」 田島正樹「はじまりもなく終わりもない」 森一郎「世界を愛するということ」 立岩真也「考えなくてもいくらでもすることはあるしたまには考えた方がよいこともある」」 小泉義之「出来事の時――資本主義+電力+善意のナショナリズムに抗して」 檜垣立哉「自然は乱暴であるにきまっている」 池田雄一「われら「福島」国民――3・11以降を生きるためのアジテーション」 友常勉「労働=生の境界に際会して――3・11をめぐる備忘録」 江川隆男「中間休止と脆弱さの規模――天災と人災の究極的融合について」 高祖岩三郎「3・11以降の地球的アナキズム」 廣瀬純「原発から蜂起へ」 『来たるべき蜂起』翻訳委員会「反原発のしるし」
福島の県立医大には放射線治療科が新設されて、 福島県民全員が今後数十年以上に渡ってサンプルをとられることになるそうです。 ネットでは反原発の動きが目立つけど、テレビでは原発推進派と反対派が朝生で一回討論したっきりで、 その意義を問う番組はその後作られてない様ですね。
199 :
考える名無しさん :2011/06/21(火) 19:20:26.30 0
@lethal_notion 國分功一郎 たとえばドゥルーズはドゥンス・スコトゥスという中世の哲学者神学者がいう 「存在の一義性」について大いに語りますが、あれはほとんどすべてエチエンヌ・ ジルソンの研究書から得た知識で、スコトゥスをラテン語で直に読んでいるか と言えばかなりあやしい。ジルソンの本を読んでみるとわかります。 6時間前 Twitter for iPhoneから
200 :
考える名無しさん :2011/06/21(火) 19:24:06.04 0
lethal_notion 國分功一郎 ドゥルーズとスコトゥスと言えば、凄まじい会が夏に企画されています。 朝日カルチャーセンター新宿校でこの夏、あの山内志郎先生が「中世哲 学入門」と題してドゥルーズとスコトゥスについて全三回の講義を行わ れます!8月1日、8日、29日。これはもう行くしかない。私も勿論参加 します!勉強勉強! 6時間前
>>198 ねえ。20年以上前にねえ。絶対に電事連の圧力でやれないんですよ(怒)
202 :
考える名無しさん :2011/06/21(火) 20:21:41.04 0
慶應義塾大教授 山内 志朗 講座内容 古代哲学とキリスト教の思想を引継ぎつつ、 近代哲学の礎と もなった中世哲学。 現代哲学からスコトゥスの「存在の一義性」に注目 したドゥルーズの視点を踏まえて、スコトゥスの哲学の大枠を分かりや すく考察します。(講師・記) 第1回 ドゥルーズとスコトゥス−−−中世哲学の魅力 ドゥルーズはスコトゥスの存在の一義性に注目し、スコトゥス、スピノ ザ、ニーチェという三人を一義性の系譜においたが、その概要をまず押 さえながら、中世哲学の魅力について考えます。 第2回 存在論の問題 中世哲学の中心課題は存在論ですが、その全体像を押さえるのは難しい ので、ここでは無限性と有限性、アナロギアと一義性という二つの概念 軸を設定して、整理を行います。 第3回 超越と内在 存在論の課題として、超越と内在という一見すると相容れない二つのも のが結び合うところに中世哲学の一つの姿があります。それまでの2回 の内容をまとめ、中世哲学の特徴を、ドゥンス・スコトゥスを中心に考えます。 日時 8/1〜8/29月曜11:00-12:30 2011年 8/1, 8/8, 8/29 受講料(税込み) 8月(3回) 会員 8,820円一般 10,710円
山内志朗はなんかの本でスコトゥスについてのドゥルーズが語ってることに関して、 ドゥルーズのテキストの読み方は信用できない部分があるから批判的にしか参照出来ない って言ってた気がするが、この講義ではどんなこと言うんだろう
哲学史的にはドゥルーズの書いたものは基本的に評判悪い
>>158 >初日はP.モンテベッロ登場
まだ初日しか聞いてないけど、ほとんど映画関係なくね?
ベルクソン、構造主義、(カント的な)現象学との対比でドゥルーズの
立ち位置を確認しただけのような印象受けたけど、哲学の映画論って
こんなものでOKなわけ?
206 :
考える名無しさん :2011/06/22(水) 18:59:12.58 0
lethal_notion 國分功一郎 @ @sho36ban どんな著者についてもそうですけど、関心のあるところから読めば いいと思いますよ。ドゥルーズ・スコトゥスに関心をお持ちなら是非 Étienne Gilson, Jean Duns Scot, Vrinに挑戦してください!700頁もある大著ですが…。 6時間前
洋書買う金がねえ
山内はドゥルーズの専門家じゃないだろ。倫理学専攻だし。 どんなもんかね。意見聞きたいな、山内志朗について。
第2回のネタ。で、結局、誰も聞いてないの? おまいらインチ・ドゥルーズ・オタだな Bergson's primary concern in this distinction and in his affirmation of the virtual-actual couple over the possible-real is to emphasize the creative force of being....
インチキと書いたつもりがインチになってた。スマソ
>>209 なんで英語なんだよ。何かの英語放送なのか?
WWWWW。
潜在的ー現働的/可能的ー現実的の区別は「差異と反復」だろ?放送で聞く必要もねえ。
もうひとつ教えてやると、潜在的と現実的の二種類の区別を持ち込んだのは、
ベルグソンはもとより英米系ではA..N.ホワイトヘッドの哲学にも同じような考え方が
あるんだ。それを知らないとでも思うか?
フランス語勉強しろ。インチ野郎。
ヘドウィグ&アングリーインチと関係あるのかと思った
論理学や自然科学の勉強で忙しいから語学にそんなかまってられないからw 微積分できないド文系くんにはなりたくない
>>211 >英米系ではA..N.ホワイトヘッドの哲学にも同じような考え方が
せめてスピノザかライプニッツにしとけw
インチキ・オタが
ちなみに、
>>209 の引用はネグリ&ハートのまとめだが、「being....」
の続きを読めば、それが明らかにライプニッツに向けられた批判である
ことが分かるはず。放送もそういう脈絡でベルクソンとドゥルーズの
違いについて話題にしていたから引用したんだよ。
うん、このスレは勉強になるよ いつもありがとう
ぽわわわ〜ん♥ いつもギスギスしたドゥルーズスレが一瞬和やかになったのであった
>>214 A.N.ホワイトヘッド著
『科学と近代世界』Science and the Modern World (1925)
科学と近代世界 (1981年) (ホワイトヘッド著作集〈第6巻〉)
まあ絶版本だから出来ないやつが知らないのは仕方ないな。
>>215 あんたの聞いてるのは”Du cote de chez Sade 2/5”なのか?訊くのめんどだ。
時間の無駄だ。
坊や、ご存じ「LE PLI」でドゥルーズはライプニッツを認めているんだよ。ある意味合いで。
精神分析批判か。フランスの精神分析とかどうでもいいんで 何言ってのかよく分からんけど、椅子○○○工作員のホストが 陰謀論がどうとか言ってるのだけ印象に残った。
222 ⊂(^▽^ ⊂⌒`つ≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
>>219 自己レス。
科学と近代世界 (1981年) (ホワイトヘッド著作集〈第6巻〉)
P173
「実現ということは、延長の場における時間の生成である。
延長は、潜勢態である限りのもろもろの出来事の複合体である。
実現において潜勢態が現実となる。」
(絶版故に引用しとく。)
ベルグソンの書簡集を調べても二回しかホワイトヘッドの名前は出てこない。
ホワイトヘッドの本を送られた時、ベルグソンはもう80年も仕事をしており、
とても読むことはできないと答えている。憶測ではあるが、ホワイトヘッドが
一方的にベルグソンに影響を受けているように見える。
ベルグソンとドゥルーズの間にホワイトヘッドが入っているように、 ホワイトヘッドの影響をドゥルーズは受けている。他のファクターもいっぱいあるからね。
ホワイトヘッドと一番よく似ているのは、「出来事」につての主題化と差し当たりいえる。
ベルクソンの理解が椅子○○○工作員レベルにさえ達していませんw >une chose n'est pas possible avant d'etre reelle. >Avant d'etre reelle, une chose n'est pas programmee >pour etre quelque chose.
>>226 釈迦に説法。p224ホワイトヘッドについて言った言葉だよ。
ベルグソンも全集持ってる。ウーブルス持ってるよ。
残念。放送を聴いていない/理解できない。 何が変であるかにさえ気がつかない。 似非哲学者の工作員ホストのレベルにも達していない。
このスレのまとめサイトを作ってる人は作業状況を報告して下さいよ。
230 :
考える名無しさん :2011/06/27(月) 07:16:51.65 0
存在の一義性を求めて――ドゥンス・スコトゥスと13世紀の〈知〉の革命 [単行本] 山内 志朗 (著) 価格: ¥ 7,035 内容紹介 中世には、生死に直結する、生々しい思想闘争と〈知〉の革命があった。 「存在の一義性」と「このもの性」──神と人間との関係と存在の理解を めぐり、スコトゥスが記した巨大な一歩の意義とは何か。中世に固有の思 考の道具を、今日の概念システムに映しとりつつ、豊饒な中世思想の海を 航海する。存在の問題を羅針盤とする、中世哲学講義。 単行本 出版社: 岩波書店 (2011/7/29)
231 :
座敷童子 :2011/06/27(月) 07:20:12.65 0
・・興味あるけど、7000円もするのかよ。この値段って どうやって決めてるんだ?
何よ朝からいきなり
出版してくれるだけありがたいと思うべきだよ。
岩波としては安いぐらいじゃね?と思ってしまう自分が怖い・・・w
こんな売れそうもない値段でつまんなそうな本出してどうするの
そもそも読書なんて金がない奴のための趣味だ 貧乏人から大金を巻き上げようとはどういう神経だ
こんな儲けにならない本を貧乏人が買えるくらいに安くで出版してくれるわけないだろ。 慈善にも限度があるんだよ。
図書館で読め。4週借りれば済む。大事なとこだけ、抜書きかコピーでOK。 買うほどののもんじゃない
大体ドゥルーズの本を何回も読めばいいので、 そんな周辺的な読書に時間かけられない。 大切なことは「少なく読んで多く考えることだ。」
でもドゥルーズの本ってとにかく説明不足だからな。 細かな説明とか論証とか抜きで、こんなあっさり断言しちゃっていいの?的な 短文テーゼが次から次へと襲い掛かってくる。 文章のひとつひとつは簡単なのに、まとまった本だとやたら難しく感じるのはそのせいか。 本人も言ってるけど、SFやファンタジーを読んでる感覚。 例外はスピノザ論ぐらいか… 圧倒的な教養があってこその書き方だろうけど、背景を知る為には どうしても周辺の参考文献に手を出さざるを得ないところはある。
ドゥルーズを読むためにニーチェ読んでスピノザ読んでプルースト読んでベルクソン読んでって あの映画もこの映画も見て・・大変ですよ。読んだり見たりしたももも片っ端から忘れてくのに。
ドゥルーズスレのみなさん『意味の論理学』という本は記号に潜在する強度の存在を解明している哲学書という認識でいいでしょうか? 本当の意味での思考の始まりを予感するような内容になっているんでしょうか?
俺は知ってる お前は知らない
『意味の論理学』も、キャロルの作品を読んでないと「お前は何を言ってるんだ」状態になりそうな箇所があるんだよな。 とにかく、読者に説明するという手間をドゥルーズはやってない。自分の着想を早足でテキスト化していく衝動の他は脇目もふらない感じ。
>>241 「少なく読んで多く考える」は基本だが、その前にどの本を読むか、の問題が残っている。
一番正しい読み方は「源泉から汲む」である。そのディスクールでもそのオリジンを
探してものにする。プラトンに解説書を何冊も無駄に読んでも、プラトンには行き着かない。
「プラトンそのものを理解したことにならない。」原典で読むこと(ここの場合ギリシャ語)
はことさら大事である。
プロになるための常識。自分の専門分野の原典を読んでないというのは、致命傷だ。
もう少し、言うと専門分野でない本ははっきり言って邦訳でいい。(こういう仕掛け)
入門者にお勧めする立花隆流の本の選び方- 「まったくの初学者用入門書の良いものを一冊、 学会定説のオーソリティ的な本を一冊、 定説についての新しい見解、問題提起的な本を一冊読む。」 この三冊の選び方が難しい。これだけ読むだけでも相当苦労する。 入門書を読んで、原典(邦訳)を読んだだけ力はつかない。 学生さんなら必ずやること。学術論文を専門の分野について すべて読む。学術論文(ドゥルーズの場合、財津とか宇野とか江川先生とか国分とかの) 学会誌を図書館で検索して探して読む。学術論文専用の検索エンジン、データベース、 が、学校図書館にあるのでこれで検索してコピーしてもらう。大事な参考文献だ。 論文用。この辺でやっと原典に書かれていることが、理解できるようになる。 方法的にやらないと、プロにはなれないよ。俺もまだプロじゃないが。
>>245 じゃあなんのためにドゥルーズは翻訳されている訳?
翻訳は意味がないってこと?それは偏った意見だと思う
解説書だって、原書の核心部分を上手く要約してるものであれば十分役に立つと思う
>>247 >>246 が書いていることをちゃんと読めば、
専門外の人のために邦訳があるということに決まってるじゃないか。
そんな読解力で大丈夫か?
>>248 >プラトンに解説書を何冊も無駄に読んでも、プラトンには行き着かない。
解説書が理解のために役立たないって言ってるじゃん
いい辞書と文法書があれば外国語の本なんでも読めるのか、おまえら たいしたもんだな。
ドゥルーズは研究者やオタクに分析なんてされたがってない 月遅れの雑誌の様に読み捨てて欲しいって言ってるのにね
>>250 そりゃ本当の理解には何の役にも立たないだろ。当たり前じゃん。
ただ素人が知ったかぶりするには充分役に立つだろ。
>>253 解説書は知ったかぶりのためにある訳じゃなくて
深い理解を助けるための補助的な役割を果たすんだよ
原典がどうのって話をすると、外国語にあまり堪能でなかったっぽい ドゥルーズ本人との折り合いをどうつけるかが
解説書に頼るというのは、解釈学の圏域だから、むしろ原典信仰が背景にあると見ることもできる。 原典など最初から反復された物だと思っているからこそ解説書など不要だと ドゥルーシアンなら思うのではなかろうか。自分はドゥルージアンどころか哲学なんて知らんから知らんけどw
ちなみに自分は差異はともかく反復は好き。ていうか反復は好き。みのもんだは嫌いだが。
258 :
考える名無しさん :2011/06/29(水) 08:06:49.03 0
>>256 >原典など最初から反復された物だと思っているからこそ解説書など不要だと
>ドゥルーシアンなら思うのではなかろうか。
それこそ講壇哲学の破壊だね
祭司なんていらないってさ
解説書は不要だがコピーは推奨ということになるんでしょうかね?ドゥルージアン的には。 オリジナリティなんかなくても創造はできるということで。 まぁ自分は原典なんか読んでも一行も理解出来ないから普通に解説書を読みますけどね。
>>259 解説書の類は重要なところに線を引くため、
コピーします。確かに役立つ日本語の文献てあるんですよ。
何でかっていうと、日本のドゥルーズの研究水準を示す文献はコピーしますよ。
>>259 ていうか哲学書なんて理解するものじゃなくて理解した気になるものだし
そこのところわきまえてないと、解説書頼みの他人依存の人間で終わるよ
>日本のドゥルーズの研究水準を示す 哲学研究が哲学者研究にすり替わって、終わってしまうのが日本の現状 相対性理論の研究がアインシュタイン研究になってしまうようなもの アインシュタイン研究の水準を示したって、たいした評価もされないだろう
そういうの江戸以来の訓詁学の伝統があるんじゃないのかみたいなこと大森荘蔵が言ってたな
訓詁学なら 三経義疏が既にそんな感じだろ
不毛な議論ばっかりでドゥルーズの著作の内容にはいっさい触れないのなw 日本の馬鹿ちゃねらーには無理なんだろうけど
フランス哲学アカデミズムで偉い哲学者はリクールとマリオンとアンリだから ドゥルーズとか馬鹿しか読んでねーから まぁこれは日本でも同じかw
現象学の神学的転回って流れですか ドゥルーズも現象学の視点からの研究とかありますよね
>>263 日本には200人しか理解している人はいない、と言われる
数学を伴った相対性理論の研究水準の最高峰のものを
プロになるなら読まなきゃならんでしょう?(偏微分なんか
私には無理だな)
相対論なら楽勝です本職がそっちだから
レベル結構高いな、このスレ。アインシュタインに触発されて、結局別の道を 辿ったフッサールとベルグソンが晩年考えたものは、両者ともに、 「多様体理論」であるという。相対論本職の人に数学的な、コメントを お願いしたい。ドゥルーズにおいてそれは「強度的多様体」となる。 解説よろしく。ギボンヌ。
ドゥルーズの多様体理解はデタラメ。 まぁ数学書を自己流で読んで何か電波を受信したんでしょう。
273 :
考える名無しさん :2011/06/30(木) 18:41:16.09 0
>>272 ソーカルの批判にも無理からぬ所があると、
言うわけですね。
ギボンヌを待っているよ。
差異と反復読まなきゃダメかな。270さん。 気にせず相対論レジュメして。
>>272 うえの相対論が本職の人だけどドゥルーズの科学理解は素晴らしいと思うよ
いろんな概念の厳密な定義はあるけど科学者がもってるイメージとしてはほんとにドゥルーズとかわんないもん
それに概念のimplicitな定義の仕方も特徴だな
ソーカルの世代の精神はFashionable nonsenseなんだろうよ そういう意味ではソーカルは1950年代を自己紹介した男と言えるかもな
278 :
考える名無しさん :2011/07/01(金) 18:29:33.58 0
VOL 05「特集=エピステモロジー——知の未来のために」 VOL Collective:編 金森修・近藤和敬・森元斎:責任編集 以文社 2011年6月 本体2,400円 A5判並製280頁 ISBN978-4-7531-0289-1 帯文+カバーコピーより:真理は自然に内在する。新たな現実からの予測不可能な問いに実を捧げ、 次代の知の探求へ、そしてエピステモロジーの冒険へ! 知のテクノクラート化のもとで失われた 〈概念の哲学〉を再びこの手に――思想誌『VOL』の第5弾! シニシズムの時代からの訣別のために。 目次: 1 宣言/問題提起 近藤和敬&森 元斎「来たるべきエピステモロジー」 近藤和敬「カヴァイエスの問題論的観点からみた科学的構造の生成——来るべきエピステモロジーのために」 2 真理論 中村大介「問題としてのイデアと一なる〈宇宙〉——アルベール・ロトマンのハイデガー読解」 原田雅樹「数学と哲学における操作、対象、経験——フッサールのノエシス‐ノエマ相関とグランジェの操作‐対象双対」 ジャン=トゥサン・ドゥサンティ(中村大介訳、解題)「エピステモロジーとその身分」 3 経験論 ガストン・バシュラール(森 元斎訳、解題)「相対論概念の哲学的弁証論」 三宅岳史「カオス研究前史と決定論をめぐる論争——初期値鋭敏性と特異点に関する哲学的考察」 森元斎「経験の雫——経験論的エピステモロジーを展開するために」 4 主体論 ステリン・ローラン「シモンドンにおける存在の問いとしての個体発生」 パスカル・ジロ(近藤和敬訳、解題)「科学とイデオロギーのあいだ——ルイ・アルチュセールと主体の問い」 アラン・バディウ(松本潤一郎訳、解題)「ジャン=ポール・サルトル(1905 -1980)」 5.社会論 金森修「エピステモロジーに政治性はあるのか?」 西迫大祐「フーコー、ベルヌーイ、ダランベール——天然痘の予防とリスクについて」 ブルーノ・ラトゥール(村澤真保呂訳、解題)「〈社会的なもの〉の終焉——アクターネットワーク理論とガブリエル・タルド」 6.鼎談 小泉義之/米虫正巳/檜垣立哉「ドゥルーズ哲学をエピステモロジーとして読む」
河出文庫は紙が変わったのかな? 中央製版印刷から凸版印刷へ。 凸版のは鉛筆が走りやすくていい。 逆に、中央製版のAOや「意味の論理学」はとにかく鉛筆と相性が悪い。 凸版で刷りなおしてくれないかな・・・
俺の世代じゃ単行本ばかりだから、線引くの楽。だが 改訳じゃないからな。だいぶ違うみたいじゃん。「スピ表」なんか。 ほんとに改訳でよくなったかな?比較してください。両方持ってる人。 レスギボンヌ 市倉の初版のAO「実在的区分」が「実際的な区別」になってるみたいだ。 原書もあるんだけどさ。AO扱いにくいよ。何故そういう表現になるか ならんかを押えないと。逆に「差異と反復」のほうが楽。哲学色が強くて。
>>278 以文社気合入ってるな。
カントの翻訳が一番いい出版社だからかね。
「現代思想」昔に比べるとオワコンかな。「思想」図書館の常備雑誌
じゃなくなってきてるけど、いい仕事してる。
だんだんマイナーになってるか?
『スピノザと表現の問題』の文庫本はもう出たんだっけ?
まだみたいだ。
284 :
考える名無しさん :2011/07/04(月) 07:27:33.20 0
>>284 松本は自衛隊出身なのか。ただ時間に遅れるはやっぱりミステイクだ。
>>285 文官なんだから文官らしいことで怒れよ。
組員じゃあるまいし。
287 :
考える名無しさん :2011/07/05(火) 18:44:16.97 0
近藤 和敬はメチエに差異と反復入門書執筆中
288 :
考える名無しさん :2011/07/05(火) 22:38:29.12 0
中国「菅直人首相が北朝鮮系の団体に政治献金で厄介な事態」 Y! 【政治ニュース】 【この記事に対するコメント】 2011/07/04(月) 20:27 中国メディアの環球時報(電子版)は2日、菅直人首相の資金管理団体 「草志会」が日本人拉致事件の容疑者の長男が所属する政治団体「市民の党」 の派生団体「政権交代をめざす市民の会」に計6250万円の政治献金をしていた と伝え、「菅直人首相が北朝鮮系の団体に政治献金していた問題は、『北朝鮮 拉致問題対策本部』の本部長でもある立場としては厄介(やっかい)な事態だ」 と伝えた。
やっと白仁高志の本の一章目「関係の外在性」を読了。次二章「強度と記号」 凄く煮詰まってる議論。悪くないな。所々納得いかないところあり。
汁ヅルーズって鼻水すすってるような名前だな
Gilles Deleuzeっていうの変わった綴りなんだが、はフランスでは ありふれた名前なのか聞きたい。 フランスにj詳しいひとコメントギボンヌ。 本当は誰にも言いたくなかったが。 いたずら言わないでほしい。 deleuzeではなくdouleureuxという書くとは「痛み・苦痛・悲しみ」 という意味だ。 私はドゥールズと書いていたらとても師匠が怒りまくったのを記憶している。
ドゥルーズって普通にいるよ 日本で言うと田中や鈴木ほどではないが100円のハンコに入るぐらい
293 :
考える名無しさん :2011/07/10(日) 01:38:15.80 0
>>202 スコトゥスの話の腰を折って悪かった。
ジルソンは確かに信頼できる「スコトゥス研究者」らしい。
山内志郎は慶応の倫理学所属だが、例えばスコトゥスからスピノザへと出たりしたら、
立派に倫理学(エチカ)になるだろうかも知れない。
超越論的経験論の最初の一歩は「ENS」であって、フランス語ではetreではなく
訳語としては「e'tant」になると言う。さらに此性(hecsseie')の概念の提出も
スコトゥスによるものだという。
>230の,
存在の一義性を求めて――ドゥンス・スコトゥスと13世紀の〈知〉の革命 [単行本]
山内 志朗 (著)
もやってみることもありかもしれないな。かなりドゥルーズを離れるけど。
r ‐、 | ○ | r‐‐、 _,;ト - イ、 ∧l☆│∧ (⌒` ⌒ヽ /,、,,ト.-イ/,、 l |ヽ ~~⌒γ⌒) r'⌒ `!´ `⌒) │ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ⌒~~ / │ 〉 |│ |`ー^ー― r' | │ /───| | |/ | l ト、 | | irー-、 ー ,} | / i | / `X´ ヽ / 入 | ドゥルーズ=ガタリ
本は少なく読んで多く考えるが良い、ですか。 たしかに年間1000冊とか読んでる人がいますけど、 読んでる本のうち面白かったものは全体の1割にもみたないって言ってますね。 私もあちこち手をつけないで名作だけ読もうっと。
合田正人と小泉義之は本読み過ぎて思考が取っ散らかってるよなwww ありゃ駄目だ、読書廃人というかポンコツだ。
>>297 彼らの読んでる本を見ると、多くが重要な文献であることは、
伺える。ただそれでそうするが、自分のものにする、消化する
というのとはまた別。まとまった主張にならないみたい。
アンチオイディプスの訳は市原と宇野とどちらの方がよいですか
すまん市倉
>>300 おそらくは市倉さん退官のはず。なんとまあ特攻隊の生き残りでおられました。
1921年生まれ。現在名誉教授。
まあ、どうでもいいことだが ジルソンのスコトゥス解釈は、当時の資料の限界もあるし 彼独特の視点もあるので、スコトゥス解釈としてスコトゥスに寄り添っているかについては 現在の研究者の間で意見が分かれるところ ただジルのスコトゥスはエティエンヌの解釈に依っているところ大
俺の知るかぎりライプニッツ研究者にはドゥルーズは評判悪いな。 理由は言わずもがなだが…。 中世哲学に関しても同じじゃないのか。
ライプニッツ専門家でもないしライプニッツの本だけどライプニッツの上に自分の哲学を組み立ててしまうからな
305 :
考える名無しさん :2011/07/12(火) 05:23:19.09 0
kumatarouguma tatsuyahigaki Kn_D0がリツイート まだ一ページも書いていない執筆予定講談社メチエ『『差異と反復』を読む』近藤和敬 と共著講談社学術文庫『偶然性の問題 全注釈』NHKブックス『映像の哲学』(仮題) 人文書院『日本哲学』(仮題)世界思想社『食べることの倫理学』(仮題) 7月10日
>>303 だって「共立不可能性」は発散するという「解」を与え、彼の
離接的接合は結局ドゥルーズの中心概念になるんだから。
308 :
考える名無しさん :2011/07/12(火) 21:22:48.73 0
>>308 botはほとんど記号と事件からの引用。
この人論文関係ないね。
そういえば前スレで『記号と事件』しか読んでない奴が、 何度も引用しながら得々とドゥルーズを語ってたな。
>>308 でもこの人結構状況にコミットしようとしているように思う。
よく見るとこの人のツイッターの壁紙は、2005年に出たドゥルーズ回顧集
のなかの写真製版のドゥルーズの手書き原稿であることがわかる。
なかなか手に入らない本だから、知人にフランス語の詳しい人がいそうだな。
一日中ドゥルーズの本(邦訳)を読んで、感想を書いている生活を送っているような。
そういう人がいるということだ。俺はそんな暇がないよ。
『記号と事件』しか読んでないってツッコミは入ったが、その後の展開はちょっと違ってたような。
入門書はだめですか? 私は檜垣さんの「解けない問いを生きる」で出て来た「細胞分裂する卵」の話を興味深く読みました。
314 :
考える名無しさん :2011/07/15(金) 01:38:47.26 0
ソクラテスとソフィストの区別について ──ドゥルーズにおける『ソピステス』解釈の再検討── 面 一也 (127)
>>313 檜垣先生は檜垣先生なりのまとまり方をしているので、
いいと思います。本を読む限りちゃんとした学者ですよ。
言い換えれば要件を満たしてます。
>>314 面白そうだ。面氏は早稲田政経出身のドクター。博論が何かはわからんが、
彼の所属は政治経済学研究であって、ドイツのレオ・シュトラウス研究
が主になりそうだ。中世から見て近代のリベラリズムが懐疑主義に陥る
と考える点で、保守主義であり、ある種のポストモダニストを僭称するであろう。
ブッシュ政権の哲学的基盤だったそうだが。(いいんだか悪いんだか)
これからの彼の活躍が期待される。及びLeo Strauss(ユダヤ人)の日本への
影響いかに?
318 :
考える名無しさん :2011/07/16(土) 01:17:50.46 0
磁気と火山の最後が素敵なんで暗記がんばっているところ。
ドゥルーズがほとんど文庫で読めるとか凄い時代だなあ まさにドゥルーズの世紀だ
321 :
考える名無しさん :2011/07/16(土) 15:21:35.21 0
>>319 意味の論理学のたしか第22セリー。
火山はラウリーとして、磁器はどういう意味?
323 :
考える名無しさん :2011/07/18(月) 21:51:58.66 0
>>323 大澤真幸が昔そんなのやってたな。王の身体論。
王の身体論で大澤を思い浮かべるやつって論壇病だろw
ウィキペディアの「器官なき身体」のページを救済して上げて下さい。
328 :
考える名無しさん :2011/07/19(火) 18:14:12.32 0
香山リカに言え。
329 :
考える名無しさん :2011/07/19(火) 19:40:59.84 0
[器官なき身体]とはドゥルーズとガタリがアルトーの言葉をもとに自ら
の哲学的概念として展開した概念である。
身体には[有機体的サイクル]とは別個の[欲望する身体]とでもいうべき
[器官なき身体]が存在し、それにとって個体の生存を維持する諸器官は
必要とされない。植物における[成長サイクル]と[生殖サイクル]をたと
えにすれば、人間にとっては生殖器という器官は性行動にとって結果と
して使われるものに過ぎず、[五感、全身]を使って生殖活動があらゆる
[社交活動、創造活動]へと広がってゆく。それは[女性的な身体]と言え
るかもしれない。[器官ある身体]が、[男性的身体、生存してゆく身体
、個体を形成する身体]だとすれば、[器官なき身体]とは、[女性的な、
包み込む、癒しの身体、対象を欲望し、また生み出す身体]ということ
がいえるかもしれない。
「
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%99%A8%E5%AE%98%E3%81%AA%E3%81%8D%E8%BA%AB%E4%BD%93 」より作成
自信なさげな記述だな 「かもしれない。」って何だよ
器官なき身体なんて幻 ドゥルーズとガタリが涎たらしてくらいついた妄想
世界の9割はCsOだがな
ドゥルーズもオカルト学者だがその弟子たちも研究者もみんなオカルトだ 現実を見ず妄想にふけるのはいいがメジャーにならないでほしい
幻というか理念でしょ。 もっとも、狂人とみなされるのは、本人たちの望むところなんだがw
狂人ぶったただの人にしか見えないけど
そうそう。病人の立場なんて追体験できるわけがないのに悲しいなりきりプレイをしてしまったんですよ。
器官なき身体の概念が、何か具体的なテクノロジーの創造に寄与したことってあるの? リゾームでもいいけど。
「感覚の論理」が最高傑作とみる人は多いだろうが、(ノーマルの範囲だからね) 「器官なき身体」の必然性はわからない。ドゥルーズの哲学の全体像が分からない ままで終わったって別に人生どうっていうことないかもしれない。
結構本質的概念だと思うけどね つまり数字で例えると0を考えてるわけでしょ
要するに、西田の風呂敷
具体的なテクノロジーとやらに展開するのはそれ専門の人間の仕事。 ドゥルーズの概念にそうしたものを産む潜在力があるのかないのか、 未だドゥルーズの概念を「具体的なテクノロジー」に生かせる奴が出てきてないだけなのかどうか、 その辺はまだこれからの話でしょ。 あとさ、別にドゥルーズは「病人の立場を追体験」なんぞしてるつもりもなかっただろう。 「なりきり」というか模倣(つまり同一性の反復)というのは、差異の反復としての「〜になること」「生成変化」とは違うと明言してるし。 デ・ニーロが演技について、蟹のイメージがどうとか言ってたのを引用して、蟹の物真似をしたかったわけではなく、 蟹の持つ差異から何らかのインスピレーションを得たのだと、千プラのどっかで書いてなかったっけ。 つまり、有機的な組織としての蟹を模倣したのではなくて、そこに内在する差異をデ・ニーロ的に反復したと。
ちょっとからかっただけですよ。
リゾーム=インターネット 欲望する諸機械=原発事故 器官なき身体=放射能
器官なき肉体について、いろいろ言われているけど、要するに 「エス」のD=G版なわけでしょ?
資本と接続したところが決定的なんだよ。>CsO
ことばをつくるのが趣味なんでしょDGって
作るんじゃなくて引用、ピックアップでしょ、ほとんど。 言葉に触発される面もあるだろうけど、シュレーバーみたく、 精神に訪れた事態を表現しようとすると、一見異様な言語が紡ぎだされてくるわけで。 造語自体が趣味とかいうのは俗な解釈。
こうやって、解釈を変えることで表面だけ取り繕うとか DGから最も遠い態度。
ふーん、ようするにフランスの宇野常寛みたいなもんだな
市川真人とか宇野常寛とかあのあたりって怪し過ぎますよね。
353 :
考える名無しさん :2011/07/23(土) 00:11:25.78 0
エバンスいけ!!!!!!!!!
354 :
考える名無しさん :2011/07/23(土) 00:44:26.36 0
プレミアム会員じゃないんで見れません。 いっちーはすぐボコられるから可愛いのです。
つまり、「エス」=「資本」=CsOかね?
宇野常寛は東や宮台同様に、社会を設計していこうということを考えるたちだから、 ドゥルーズみたいに、リゾーム状の無意識がどうとかいう思考は「ワケ分からん」となるタイプだと思うが。 宇野が東に対抗心燃やしたり、東が蓮實のワセブン選考委員就任に対して、妙な対抗意識をツイートしたり、 つまんない陣取り争いに必死になっていて、まったくノマド的でない。
>>302 これからスコトゥスで行こうっていう人悪くないな。
ずっと前からそういう見方はありえたのに、初めて
スコトゥスが神学上それを哲学として打ち建てたんだから、
立派なもんだな。高いけど読む価値あるかも、件の本。
アリストテレスに拮抗することができるか否か、
の要石なんだろうな。
朝吹はなんだか読む気にならないなあ。サラブレッドであること以外に話題性がないというか。 西村は愚直で退廃的な雰囲気を持っていて文士らしいというか、好感が持てるけど。
361 :
考える名無しさん :2011/07/24(日) 18:36:05.56 0
朝吹は読んだことないけど、ルックスは好き。
ルサンチマンを原理に生きないのはなかなか難しい
ドゥルーズって、キリスト教の洗礼は受けていたの?
『ドゥルーズ 千の文学』のいくつかをコピーしてこようと思うんだけど、おすすめの論文ありますか?
366 :
考える名無しさん :2011/07/26(火) 20:49:44.89 0
367 :
考える名無しさん :2011/07/27(水) 02:17:43.22 0
『思想』(岩波書店)の十月号に掲載される ドゥルーズ論の内容を簡潔にしたものです。 ですので、 内容の紹介は割愛しますね。 (なお、この十月号から不定期でドゥルーズ論を全五回連載します)。
AOがすらすら読める人たちが羨ましい。 何を書いているのかさっぱりだ。
層化が近づいて来るのには理由がある。 必ず、魂胆があります。 「スイス政府民間防衛」より。敵国が侵略してくる際の戦争なき戦争 無血戦争ですね。 第一段階「工作員を送り込み、政府上層部の掌握。洗脳」 第二段階「宣伝。メディアの掌握。大衆の扇動。無意識の誘導」 第三段階「教育の掌握。国家意識の破壊。」 第四段階「抵抗意志の破壊。平和や人類愛をプロパガンダとして利用」 第五段階「教育や宣伝メディアなどを利用し自分で考える力を奪う。」 最終段階「国民が無抵抗で腑抜けになった時、大量植民。」 ←(外国人参政権・子ども手当て) 今ココ!! 第一段階 自民党を取り込み、洗脳乗っ取り 第二段階 テレビ局に工作員を送り込み乗っ取り 第三段階 君が代日ノ丸排除 第四段階 24時間テレビ、27時間テレビ 第五段階 層化お笑い芸人だらけにして低俗な番組を垂れ流す 日本の今は、まさに危機的状況。
>>365 全部は読んでないが、堀千晶が書いているものはなかなかよかった。
371 :
考える名無しさん :2011/07/29(金) 04:02:29.14 0
この前初めて丹生谷「光の国」オビ付で現物を古本屋で見た。 定価2800を4000で売ってたから買えなかったけど。でかいね
372 :
考える名無しさん :2011/07/29(金) 04:25:01.17 0
4000円なら相場からすればかなり安いほう 買っておけば読んで即売っても損はしなかったのに
373 :
考える名無しさん :2011/07/29(金) 15:03:02.39 0
374 :
考える名無しさん :2011/07/30(土) 12:07:58.28 0
http://www.twitlonger.com/show/c1dqum フジテレビ内部者からの告発
フジテレビは内部で戦っています。
ホリエモン買収対応で、ソフトバンク系SBIに助けてもらったので、
朝鮮系グループが 経営側でチカラを出してきましたが、
報道部はサンケイ新聞とともに、朝鮮系グループに喧嘩を売って戦ってます
どうかみなさんの応援で助けて下さい。
朝鮮系グループのしつこさとえげつなさには、正攻法では戦えないです。
テレビ側が言うのはおかしいですが、ネットで話を盛り上げて助けて下さい。
盛り上がれば多くの芸能人の耳にも入り、さらに話が大きくなると思います。
日本のメディアは瀕死状態です。 助けて下さい。行動を起こして下さい。
応援お願いします。
今TV局のお偉方は全員国家公務員の天下りだろ。 フジは母体が経団連なんだからあわてることなんかないだろうに。 親方日の丸でしょ。
376 :
考える名無しさん :2011/08/02(火) 03:46:12.53 0
フランスは70年代以降成長が終わって、社会全体が閉塞感に覆われた。 外国人労働者や不法移民の増加、失業、外国人憎悪、多文化主義の陥穽… 左派政権が誕生するが、結局失望に終わる 千のプラトーなどで説かれる、マイナーになること、女や子供になること、 劣等人種になること・・・男=国民=人間からの逃走線、その他もろもろ、 これらは決して単なるキャッチコピーではなく、本当に切実な社会問題を背景にしている ことがよくわかる。 今の日本は30年ぐらい遅れて、ようやくその状況になったということ。
ドゥルーズbotを、毎日気軽に読んでいますが、 この人は人と会話するとき、とても素早く答える事が出来る時と、 答えるのに数年かかる時があるようで、 相手に気をもたせて怒らせてしまうことがたまにあったようですね。 答えるのに数年も考えるなんて思慮深い人です。
378 :
考える名無しさん :2011/08/03(水) 05:03:58.34 0
contractio さかい
[philosophy][lib]
http://t.co/ddhj04N 350頁7000円てなんなの??????????
/ Amazon.co.jp: 存在の一義性を求めて――ドゥンス・スコトゥスと13世紀の〈知〉の革命: 山内 …
http://htn.to/H2MBpk 3時間前 » shinichiroinaba 稲葉振一郎 @
@contractio 岩波が東大出版会化しただけのこと。民事再生まであと一歩。
3時間前
» contractio さかい @
@shinichiroinaba ごごごごご……
3時間前
返信 ↑
@shinichiroinaba
稲葉振一郎
@contractio 山内士朗さんはファンの多い書き手なんだから、せめて5000円以下にした
らもっと売れるのに、バカだよねえ。著者も編集者も泣いてるでしょう。誰があほなの
かねえ。営業かねえ。もっと上の方かねえ。
3時間前 webから
返信 ↓ » contractio さかい @
@shinichiroinaba 出版助成とるとなぜか本が高くなる問題????
3時間前 » shinichiroinaba 稲葉振一郎 @
@contractio まあねえ。なんなんでしょう。
3時間前
岩波の学術書なんて、昔から殿様商売じゃないw 何をいまさらw
高けりゃ共同購入でもして回し読みでもしろや。 本読む以外に能がないくせに本代ケチるなや。
Deleuze's hypothesis is that hitherto most theories of power, particularly those developed by the Left, treat it as a problem of interests - power is consolidated in the hands of a ruling class and exercised according to a set of protocols that best serve their interests. この文脈で言うinterestに訳語をあてると、どういうものになりますか?
ちなみに Ian Buchanan の Deleuze and Guattari’s Anti-Oedipus からです。 英語が不得手なので翻訳されていないドゥルーズ論を読んで勉強しているところです。
読み進めていったら、利害関係でしっくりきました。 スレ汚しすまそ。
というより、権力か。
interest's' で「利益」だろ、普通。 文脈的にも「利益」で問題ない。
本代をケチってなるべく図書館を利用してると書いたら、 自称不労所得が月700万で180万円の時計を愛用しているらしい人に すごい勢いで貧乏貧乏って煽られました。
>>382 ドゥルーズを真剣に社会的状況に適応するとなると、
在来の”LEFT”でかたずくとは思えない節がある。
”Ian Buchanan”ってどうかな。フランス語勉強しよう。
【拡散お願いいたします】創価・集団ストーカー この被害に遭うとプライバシーは丸裸にされ、 悪質な嫌がらせをひたすら受ける生活を強いられます。 (忌野清志郎さんも集団ストーキングの被害者のようです) 米国ではすでに報道され法整備がなされようとしています。 ぜひこの犯罪の実態を知って下さい。
389 :
考える名無しさん :2011/08/11(木) 10:33:49.94 I
だからドゥルーズなんか思いつきくっちゃべりだけじゃんw
共産党の性でおばさんが役所でのたくってた
>>389 そうじゃないよ、って言うために、毎日フランス語で読んでいます。
392 :
ZEEK :2011/08/11(木) 17:47:51.18 0
も少しいうと、ドゥルーズは著作を書くたびに少しずつ、 立場が変わっていく。「差異と反復」で一応の完成を見たものの、 既に「感覚の論理」で、予告されているが、「スピノザ実践の哲学」 までで、一応完成を見たドゥルーズは、「アンチ・オイディプス」で スピノザに対する立場を変更し、さらに「ミルプラトー」ではその方向において 立場が深まっていく。 その後は第三期ともいうべき「シネマ」のイマージュ論になる。 あの本をそんなに簡単に読めるはずないじゃん。w
どのようにもなにも『感覚の論理』はフランシス・ベーコン論。 『意味の論理学』とは別物。
>「差異と反復」で一応の完成を見たものの、既に「感覚の論理」で、予告されているが、「スピノザ実践の哲学」 までで、一応完成を見たドゥルーズは、「 何回完成を見るの?
397 :
ZEEK :2011/08/13(土) 10:25:53.85 0
>>396 「差異と反復」で自らの地歩を固めたが、その延長線での、
完成は「スピノザ実践の哲学」で一応完結する。
がしかし「意味の論理学」に言及された、「器官なき身体」
についての論述は第二期の「資本主義と分裂症」
で展開され、その特色は、オーセンティックな「スピノザ」
読解から、一歩進むことから始まり、
「受動的総合」の内容を、「結合的総合」」「連接的総合」
「離接的総合」の三者に対応づけることから始まる。
>>397 「スピノザ実践の哲学」は『千のプラトー』より後じゃねえの?
399 :
ZEEK :2011/08/13(土) 11:18:30.60 0
>>398 「スピノザ実践の哲学」はMinuit社から1972年に出ている。「アンチ・オイデプス」は同社から
1975年に発刊されている。
ドゥルーズ の前にさあ、、 在日ばかりの創価学会がやってる自殺強要・集団ストーカー犯罪 優秀な日本国民狩りだってさ。 創価の連中は祖国に帰れといいたい。 日本国民の自殺者が増えてるのは創価の集ストのせい。 犯罪創価は出て行ってほしい。 それからだ俺にとって平穏にドゥルーズを語れるのは。
アンチオイディプスの初版は1972年。 増補版が1975年。
改訂版の日付で考えるのなら、『スピノザ 実践の哲学』は『千のプラトー』より後に出版されている。
405 :
ZEEK :2011/08/13(土) 17:45:50.26 0
>>404 改訂版は1981年に出ているらしいが、
私が間違えました。ケアレスすみません。Mnuitではなく、
PUFから1970年に「スピノザ実践の哲学」が刊行されています。
時系列なんてどうでもいいだよ、アレンジメントが大切やねん(意味不明
プルーストとシーニュを買いましたよ。読むど!
>>406 最初に述べたとうり、書かれた本により、
少しずつ立脚点が違うことを述べているわけです。
あんたにその差異がわかんのかよw。
ドゥルーズの前に、、、 創価学会はフランス、オーストリア、チリ、ベルギー等でカルト指定。 さらにアメリカ下院議会では、危険な組織として指定。 ドイツでは、なんとアルカイダ並みのテロカルト組織に指定されている。 集団ストーカー犯罪組織の創価信者達 を日本から追い出すべき。 創価学会=公明党 は 憲法20条違反。 即時政教分離をすべき。 犯罪殺人集団を断固撲滅。 日本人は在日創価を糾弾・告発すべき。 そうでないと平穏にドゥルーズを語る気がおきない、、、
公明党議席どんどん減らしているよ。 なくなちゃえばいいのにな。
創価学会は昔からアメリカの使い走りで食っていたが、 今のk状況で創価が狂暴化しているのは、 CIAとの直接の連携でこうなている。
原理が使いにlくくなったのでなったので、 今はCの方が創価を使っている。 洗脳をやるそうだ。
ほほう、洗脳機械とな
414 :
考える名無しさん :2011/08/16(火) 15:48:27.79 I
ヘーゲル、カントを横綱だとすると、 レヴィナスー小結 デリダー関脇 フーコー、リオタールー十両 ドゥルーズー中学生相撲
日本人はすべてを在日になすりつける癖があるよね 創価って法華経の流れを汲む宗教なんだって? 法華信者は昔から排他的でキリスト教徒と論争してたのもほとんどが法華信者 そのころ日本に在日はいなかった
朝鮮戦争の生き残りがジル・ドゥルーズです!
在日朝鮮人が危険なのは、 民団、総連、創価学会、電通 ソフトバンクといった集団で日本を貶める行動をとることである。 創価学会が、日本国の一個人に行なっている悪辣な集団ストーカー犯罪等も許されざる行為だ。 これはもはやテロを超えて戦争レベル。 もっと恐ろしいのは、テレビ、新聞、ラジオを支配し、 国民がじわじわと洗脳されて、洗脳されていることすら気が付かないこと。 正しい魂をもった日本国民の一人一人がこの緊急事態を自覚し、 創価学会 及び 関連組織 に対し、断固、 糾弾・告発、阻止し、日本国民が総出で立ち上がるべき時。
>生活保護200万人超 3兆4000億円 もうこれ完全に制度として破錠してるだろ。 だから在日は祖国へ帰らないんでしょうね。 これ、在日(帰化していない)の生活保護受給者も含んでのデータっぽいんですよね。 ちなみに2010年時点で、在日の生活保護総計は2兆円に届きそうでした。 そうなると日本人受給者の割合が…。
なぜドゥルーズスレに来てそんなこと書くかね せめてドゥルーズ語で在日語るくらいしてくれよ
ネットに蔓延るこの手のパラノイア入ってる人たちを ドゥルーズ的に分析しろっていうネタ振りなんじゃないだろうか
在日は、犯罪を起こしても通名を変更することで合法的に別人に化けることだってできる。 こうなると、いくら捕まっても初犯で済まされるわけ。 風俗業界の在日経営者にこういう輩が多いらしい。 在日が韓国で差別されるのは、 朝鮮戦争時に自らの意思で日本に逃げ隠れたから。 しかし在日らは強制連行されたと大嘘を吐き続ける ⇒ 在日朝鮮人は「警戒」を「差別」にすり替える。
>>419 ネトウヨのフジテレビ襲撃の日が近づいてるんであちこちでコピペの絨毯爆撃してるんでしょう。
マルチチュードですね
一般人、普通の人がデモに参加すると、 玄人の活動家目線から「劣化保守」と呼ばれてしまうのか。 馬鹿らしい。 そういう括りで集まっているわけじゃないことを理解してないのかな。 別に参加者は自分が保守だ右翼だ活動家だと思って集まっているわけじゃない。
8月21日(日)13:30〜と、15:00〜、 お台場でフジテレビ抗議デモあるんだよな
それより日本の教科書が、国旗掲揚が、在日教師が、 マスゴミが、創価学会が、公明党が、創価の集団ストーカー犯罪が、 電通が、民団が、総連が、ソフトバンクが、NHKが、諸々が、 日本国を内側から腐敗させてることが問題なんだ、 これは生成変化とはいえない、、 差異と反復ではない、、、 もっと希望がもてるはずのものでないと困る、、、
とりあえず、白人でも男性でも成人でもない婦女暴行の被害者とやらへの 生成変化はあり得るかどうか、について
結局ドゥルーズって大ざっぱに分けると全三期かなと思ってたんだが、 Wikipediaみると全五期になってるな (っていうか中期が三分割されてる)。 あれは誰が全五期にしたんだろ? インタビューか何かでドゥルーズも答えてた記憶があるが。。。忘れた。
『記号と事件』の「哲学について」ってインタビューでインタビュアーが三つの時期に分けてる。 ドゥルーズも概ね同意してる感じ。 曰く、第一期は哲学史の仕事に費やされていて、『ニーチェと哲学』で頂点に達し、 ついで『差異と反復』や、ガタリとの共同作業で、学級的なところから離れた独自の哲学にいたる。 第三期はベーコン論や映画論でイマージュを扱っている。
学級的じゃなくて学究的ね。
>>429 ドゥルーズの生涯にわたる思考の変遷を、把握して初めて
そのように諸著作で考えれれた前提を考え、それについて
どう自分が考えるのか、という原典記述・祖述ではないような
哲学的発展が、われわれに託されることになる。
自分でドゥルーズを基礎にして、物事を考えることが始まる。
>>426 原理研というものを、よく考えると、分かってくることだが、
それは、韓国の反共組織としてうまく利用できる新興宗教として、
アメリカが利用している組織に過ぎない。
こう見てみると、「立正安国論」以来、釈迦はもう駄目だか、
日蓮本人が俺お拝め、という日蓮宗の、仏教本来の大筋からの
逸脱としての鎌倉期の振興宗派を元に、欲望肯定を、ご利益を
世間的に、(本来出世間的には法華経が肯定できないことを)モットー
として掲げている創価学会の新興性というのは、
実は、韓国における「原理」と同じで、アメリカは対日戦略の
道具として、創価学会を利用してきたのが長い学会の歴史なのだ。
アメリカのプレゼンスというのは、 日本のどこにもいる訳で、とりわけ アメリカ帰りの日本人は深入りして来たたぶんだけ、 CIA工作員として日本で活躍することになる。 ああこの人はそうなんだ、ていうCIAをみたことがあるし、 そういう高度な人物は別として、日本人を大衆的に組織 するための方法としての宗教というのが 実は創価学会であることに、一般人は気がつかない。
馬鹿馬鹿しいことだが、被差別の朝鮮部落民が ある意味誰も救ってくれる人がいなくて、 暴力団がらみで、ずいぶんと多くの右翼団体が、 このように出来上がっている。 「日の丸」に敬礼しろという宣伝団体が、ほとんど 朝鮮の人だということは、常識の範囲に入っている。 本当は馬鹿臭いことが、世間で起こっており、 フジテレビで抗議する右翼もまた朝鮮の人であるという 事態が生じてくるわけで、それこそテレビで見ていて 本物のお笑い番組というのがそういうところを 写すテレビ番組なんだと思う。
別段そういうことが、不思議でもないという 時代なのであって、民主党は朝鮮総連と民団 の双方から支援を受けている政党なのであって、 こういうことは、起こるとしたら当然ではあるのだ。
ワイプというものをご存知だろうか? この辺が、通の話だが2CHでは 当たり前だな。Yというのは外国車両 のナンバーであり、アメリカがらみの 利権で動いているポリス集団がワイプと 呼ばれている。 ワイプは、酷くステレオタイプな 人物像であって、「HOYA」のフレーム のめがねをかけているじじいが多い。 全員が創価学会の説教師の資格 である講頭の資格を持っている。
こいつらのつまらなさと言えば、アメリカ側の 基地側の意向に従って、大衆を宣伝するために マルクス主義をも援用し、左翼的言辞を用いること も辞さない。そのくせ、大衆がアメリカの 要求道理に動けば潤うというじんせいを 送り、俺は玄人で、日本とアメリカの間で 歴史を動かしてきたんだということを、 内心の誇りとして生きてきた。大体が オカマのじじいである。
何故オカマなのか? 実は簡単なことで、人と同じ 人生を送ることが嫌で、世間に たてついてたもののすぐに 世間に負けて、力ずくで敗北した タイプの人が多く、カマとしてしか 生きていくことしか許されていない のだ。そういう半端さ加減が、 屈折したメンタリティを形作り、 半端なインテリジェンスと ドブ臭い金儲けの欲で メディアをいじって、人を 迷わせて喜んでいるだけの 話だ。
こういう詰まらん人物が、かなり 出版界に多くて、いい加減な本を よく作っている。 まあいずれにせよ、日本は オカマとして、アメリカにかわいがられ て来た訳で、これからはどうなるかわからないよ。 Yのちんぽなめて生きていくより、 格闘技をやろうと思っている。 ドゥルーズがただのおしゃべり だ、ていう人が多いのはのは、 Y的なものに見えるから詰まらん というなら 是である。
書いてたら、鯖から規制が着たので、またの機会。
>>429 レスthx
『記号と事件』見てみるわ。
フジテレビのデモ行ってくる。晴れるし午後。
何日か前の朝日新聞に載ってた國分へのインタビューは…まあ関係ないか
444 ⊂(^▽^ ⊂⌒`つ≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
世界の国々でオウム真理教と同じ テロカルト認定されている創価学会(公明党)が すべての在日企業に関係していて 日本国にダメージを与え続けてる事実はみんなもう知ってる事 昨日のフジデモのように 日本国民が立ち上がって層化反対デモが行なわれる日も近い 打倒!犯罪集団・創価学会!
哲学とは知性の脱コード化による緩慢な自殺である。
脱コード化されて解体されてし消滅してまうとしたら、それはスタティックな 「表象代理現前」でしかない。 知性が単なる常識をソフィスティケートしたところの、例えば、主観における認識と、 対象としての延長の一致であるかのような、一群の観念の体制、 であるとしたら、それは、19世紀的なパラダイムの中に 安住する「抽象的」な思考可能性としての「知性」でしかない。 実在的経験から生じる思考の動的構成を問題としないならば、 19世紀的認識論の範疇にあって、観念論的合理論 を、少しも出ることはない。 別に横断的な知性が理論を「脱領土化」したとしても なんら自殺でもなんでもない。それはひとつの創造性 を示しているに過ぎない。
理論ではなくて自我です
いい反論だと思う。自我の構成がそもそも個体化における生成と 考えられないとしたら、自我崩壊の不安が個体化のプロセスの中にないとは、 言えない。とりわけ若い人にとっては、その不安感はすごく重く感じられる。 「自我の不安」をメインに論じると「心理主義」になることを、 あえて無視して言うと、大人の自我が、広くて深くなるのに対して、 若年の人の自我は狭くて浅い。自我は無意識のうちに何度も 構成されては(領土化されては)解体する(再領土化される)プロセスをたどる。 終生決して絶える事はないプロセスなのだが、 モル的にはパラノイアとスキゾに固まってくるという分析もありうる。 女性について言うと性交のときに、その度に、絶頂で自我が崩壊する、快感を味わう。 単なるオルガスムじゃなくてエクスタシーの先のアクメにおいてなんだが。 自我はこのようにリビドー経済における諸対象への備給の体制の問題であって、 恋愛について論じた「プルーストとシーニュ」を読んでみてください。
政治経済の体制と違って個人の自我はコードを2つも3つも持てない、分裂して崩壊して終わり、 というのはあくまでもモル的であって、 人間には共同体を構成するが遺伝子に組み込まれてるはずだからモル的ではないはず。 そうなると自我境界は明確で曖昧、共有の領域がないのが健全という現代の精神分析論は再考が必要ですね。 しかし、そういう議論とは別に、 自我を構成するアプリオリなコードを自我の上部構造である知性が暴走して 掘り崩していく過程が個人の内部における哲学の過程の一側面であると思うのです。 コードを徹底的に掘り崩したら懐疑と虚無しか残らない。 懐疑と虚無で自我が保てるだろうか、いやない。 というのはいかが
>>450 実にそのとうりです。
「差異と反復」の第二章の時間の第三の総合のくだり
のそのことが書かれています。すなわち「死の本能」についてです。
「未来の時間的総合」においては、「タナトスがエロスという根拠とハビトゥス言う土台の
彼岸においてまさにそうした無低へと突き落とすのだ。」(181p)といわれますが、これは
永劫回帰的反復における、生成の肯定を帰結するのであって、懐疑と虚無に
とどまる訳ではないです。「フロイトがナルチシスム的なものへと生成したリビドーの
脱性化したエネルギー」は思考における「生得的でもなく、獲得されたものでもなく、
、それは生殖的なもの」(180p)となるのです。
実はドゥルーズはポスト・ヒューマニズムとして、自我なんか当てにしてないわけで、
非人称的な出来事の生成こそが、真に問題提起的なものなのであって、ようやく
それだけが哲学の課題である。と実は考えているわけです。
そうなのですか そこからは私の知識を超えるのでわかりませんが 現代思想はたいしたものだ
>>450 自分も若いころ深いニヒリズムに拮抗するために一生懸命学問に打ち込んでいたのですが、
どうしても納得いかない(了解感がない)ことが、ありました。そこからの回復は実践的な
生活上の「自己への顧慮」によってできたのですが、実際は「離人症的な解離」
に陥っていたことに、そのころ気づいていました。
問題の整理のためにずっと考えたことは二十歳代では
現象学的精神医学(ビンスワンガー)の言う、「超越論的主観性による
過度の現実的根拠の掘り崩し」の結果生じたものという、結論までは
達しておりました。
デカルトにしてもカントにしても「失敗しないための方策」を実は周到に用意しており
デカルトで言うなら「実生活上では誇張的懐疑の方法はけっして用いないこと」
としており、哲学をする人は、ドゥルーズを含めて実生活上の健全さとは
別個に「哲学的狂気」を操縦することに成功した人といえるでしょう。
>実践的な生活上の「自己への顧慮」 ってどういうこと? 他に書かれていることは、なにからなにまで自分そっくりだと思った。
「実存うつ」ってwikiにも載ってるくらいだから 過度の掘り起こしに対しては、精神医学の手法として 哲学的狂気を操縦する方法を開発・利用する必要があると思います。 ってか助けて…ww
哲学をやろうとする人には、 実は哲学外の「準備」を条件としなければならない、 ということを、あまり言う人がいないです。 「現実解離的」になるのは、一旦実践的な具体的状況から 身を引考えることに向かう人に(ものを考える人)の特性なのですが、 それは結局「現象学的なエポケー」によく似ているわけです。 その反対のことを生活上の、というか生存の必須条件として、 「規律」「規則」をどんなに意味もなくくだらないようなことであっても、 形而上学的にも形而下的のも無意味だと思っても、 自分で自分に課したことえを、現実に必ずどんなことがあってもやりとうす ように努力する、ということが自分の回復法でした。 実際「行動療法」とか「作業療法」しか統失には、 薬物療法以外ありません。
ミスタイプ「身を引き」です。 実はうつ病の研究はアメリカでは脳の部位への刺激で 直るということが解明されているのですが、 抑うつ的でないような人ばかりになると人類は 「何もものを考えなくなる」のだそうです。 学生時代昼夜逆転とかありました。 だめの象徴みたいなものです。 昼間の世間的なことになんか 意味ないような気がしてだらだらします。 もうひとつは、この危機的な状況からの回復 のために、日記をつけることでした。これも難しいのですが、 自分の頭で発想したことだけを短く書きぬくようにすることです。 誰かの哲学者の言葉などは決して引用しないことです。
自分の言葉で重要なことを表現する練習から、 やっと本物の自分の思考が成就するのです。 後から気がついたことですが、重度のうつ病から回復した人は 回復期に天才的な仕事をすることが観察されてます。マックス・ウエーバーが その典型例だそうで、もしも皆さんがこの危機的な境界状態の辛さから、 本当にその代価を受け取るとしたら、「生殖的な思考」において、誰も考えたこと のないような、創造的な仕事へとそれを結びつけることです。私はニーチェに インスパイアされてずいぶん思考実験をしました。 苦しいでしょうが、無意識が送ってくるかすかな 信号をうまくキャッチして、自分の言葉を獲得することに専念することと、もうひとつ くだらないと思っても生活上必要な規律をそれとは別問題として無意味でも 環境への働きかけとして行動上の解決へ向けるものとして必ず意思的に守ることです。
若い哲学徒にとって、判別の難しい意問題は、 人生には、行動によってしか解決されえない問題と、 正当に思考上で、権利上形而上学によってしか扱えない 問題があるということの判別だと思います。 学生時代、性欲はあっても、いっそう懸命に工夫して、 ナンパの術を磨かなければ、オマンコすらできないわけで これは実践的にしか解決できない問題なわけです。 ところがこのプリモディアルな行動様式すら知性は拒むことができるため、 本当は努力してセフレたくさん作ったほうがいいのに決まってんのに、 昼夜逆転で夜哲学書読んだりしたりします。 実践上の問題と理論的実践は別の分野であることは上に述べたとうりです。学生さんは 二つの側面で、二つの分野で同時に問題をこなさなければならないわけです。
ところが、ナンパの術を磨きそれに没頭して 大学4年間を過ごした人は、私のみた限り 「ヤクザ」にたいていはなってしまうのであり、 ろくなことはないです。 やはりある本性上の差異のある実践を うまくスイッチしなければ、だめになってしまうのが、 避けられない法則(loi)でありことを銘記するべきです。 うまくやれれば及第です。
弱い自我にとってはある意味「実在的経験」というのは恐怖の 対象なわけで、そういうところを通り抜けると人生が変わります。 それは「捨てきり」でやるしかないです。 大人の恋愛というのは男にとって、「あなたならいつでもOKよ」 という女性を作ることで、生半可な根性でできるわけないです。 恋愛というのは、直接的な「実在的経験」であって、チャート式参考書なんかありません。 若くて一番いいときに恋愛したほうがいいですよ。 それとは別に先の「解離的離人症」から完全に脱却するには、 実は努力とさらに時間が必要です。5年位はかかるんじゃないかと思います。 苦しいですが、そこにはまってしまったなら、ある自分のスタンスを確立して、 そこから思考を無意識の時熟をじっくり待ちながら醸成させる姿勢でやってください。 手っ取り早くは自分の言葉を獲得すると、ある時するすると、哲学書が本当の意味で 了解・理解できるようになります。 皆さんのご幸福をお祈りしとります。
以上、チラシの裏でした。
うつが電極挿せば治るというのはいいすぎでわ
本当にに電極刺すだけで直るとは私も思いませんが、 脳科学的に「欝」に関係ある部位が特定されつつあるの、 と思ってます。
白仁高志の本二章め読了。
電気治療は鬱に効果があります。 昔は懲罰目的でやっていたけど、今は麻酔をして治療のために行われています。 私は今「プルーストとシーニュ」を読んでいます。
白仁高志の本半分読んだ感想。面白い要約だと思うので十分価値がある。 だが、ここまで読んだところ、これからどうなるか分からないが、 スコトゥスを立てて、ドゥルーズ自身が問題にしたスピノザを十分に 主題化出来ていない、ということと、変わってると思うが、ヒュームをずいぶん 評価しているようだ。その反面ドゥルーズのカント読解に触れずに、 ハイデガーを持ち込んだりしている。面白い本だと思う。ドゥルーズの 言うことなんかぜんぜん理解できなかった、弟子の元毛沢東主義者の パリジャンの本なんかよりづっと面白い。一応理にかなってるからさ。 これ読んで分かった、って鷹くくらないほうがいいよ。
財津が紹介していた本なのだが、こんな厚い本誰も翻訳しないだろうと書いていた。 想像するところ、グループで分担して作った日本語訳があるはず。 私が修論を書いていたころにも、出版前の「シネマ」の日本語訳コピーがあって 読書会をしていた。 笑えることに、「現代思想」が仕掛けして「ニューアカ」が、はやったころにも、 マニュアルみたいな現代思想の抄訳みたいなものが流布して、みんなで口真似してた。 早分かり本って本当のところその場しのぎなんだよね。
朝鮮の問題って、「冬のソナタ」が日本ではやり始めたころから、 徐々にきてるんだよね。「韓流ドラマ」ばかりずっと見てる人たちの 層も作ったし。初めからアメリカの指導下でやってたことなんだしさ。 「冬ソナ」なんて現実の韓国の状況の現実から見たらほんの一部に 過ぎないようなもんなんで、あれが韓国だなんてことはない。 依然として地上波のテレビって面白くないな。トークが 破天荒なやついないしさ。常識の範囲でしょ。
>>467 バディウのこと?
バディウはドゥルーズの弟子なんかじゃなかったよ。
他の人のことだったら、ごめん。
471 :
考える名無しさん :2011/08/26(金) 22:42:29.96 0
乖離的になってそうとう長期間しんどい状態がつづくんだけど、 この状態をほめようとかゆめゆめ思わないけど、あえていえば、 このしんどい状態経験者は、「実在的経験」とか何とかいうものを、多分、 世の人より、より切実に明晰に見るというか観るというか体験してるはず。 自分はアランとか凡庸と言われがちの中庸の人の凄みに気づいた。
ドゥルーズの国フランスでは集団ストーカー犯罪は、 すでにカルト犯罪として特集報道されている。 日本のマスゴミは魂を売った売国奴なため、真実を報道しない。 集団ストーカー犯罪の特徴は、携帯とPC を操り 1人が2〜3役 を演じ分けること。 ターゲット(仏敵)の「囲い込み」「追い込み」を行なうのに、 加害者たちに都合よく話を捏造し、携帯とPC で 強い流れ をつくろうとする陰湿卑劣な犯罪手口。 被害者をすぐ統合失調扱いにし、自分達に不利益な事実を隠蔽しようとする犯罪加害者たち。 自殺強要・集団ストーカー犯罪に一刻も早く法規制を!
473 :
考える名無しさん :2011/08/27(土) 09:07:02.04 0
國分のエントリーまんまそのこと書いてる。
http://ameblo.jp/philosophysells/entry-10952838928.html 内田氏はこの知性の最高の状態を手に入れるために「技術的な視点」から考察するひとがほとんどいない
ことを驚いている。この場合「技術的な視点」とはどういうことかというと、
どういう状態で生きていれば、自分が知性の最高の状態にしばしば到達できるのか、
その術を考えるということである。内田氏は、そのための彼なりの「技術」を持っている。
実は彼のこの「技術」が俺のそれと酷似しているというか全く同じだったので、大変おどろいた。
それはどういうものかというと、平凡な暮らしを維持できるように全力で努力するというものである。
「「アカデミック・ハイ」がまた経験したいから、僕はとりあえずよく寝て、健康管理に気づかって、
同僚と仲良くして、家族をいたわって……という平凡な暮らしを全力で維持しているわけです。僕が
ルーティン大好き人間であるのは、ルーティンそのものが好きだからじゃないんです。そうじゃなく
て、ルーティンを守って暮らしていかないと、絶対に「アカデミック・ハイ」は訪れてこないという
ことがわかっているからなんです」(p.68)。
そうそう!そうなんだよなぁ!これ、俺も友人に話ししたことがあって、その時大笑いされたんだけど、
ちょっともめ事とかあると、もう頭がまわらない。だから、ものすごい努力して
一定の生活を維持できるようにしている。
474 :
考える名無しさん :2011/08/27(土) 09:32:06.66 0
勿論よくわかりませんが、取得だけならほぼまわり全体、それを疑うということはいえるでしょう。事実としてのものならばその分布は不確定となりましょう。
直観層同士のコミュニケーション、文学的な方法論は、 コンテクスチュアルだからアカデミズムのでは不適切です 私もやってみたが、似非科学にすらなりませんw
禁欲と昇華。。。 修行僧かよ()笑
ドゥルーズは文化や伝統をどう考えていた?
千プラのヨガに関する言及とか。 分裂病者や文学者の言語への評価と同じと考えていいんじゃないの。 既存の文化はあくまでも素材であり、パラノ的にその枠内にとどまるな、と。
でも歴史問題から戦争が起こったり実際には人は歴史文化に囚われるよ
オマンコはいつもしたいと思っているし、 こんな馬鹿でも生きていく資格はある、と 他人を思っているし。 似非科学って言う限りで、もう何も分かってないよ。 カントの直観主義すら理解してないだろ。 文化や伝統は「地層化」するでしょ。
>>479 「実際には」云々つーその「実際」の世界からいかに逃走するかってのがドゥルーズでしょ。
情動やら触発やらがなんちゃらって言ってるのに 他人に触発されて情動的に「あうううう」とか煩ってるドゥルージアン 案外ドゥルーズ本人もそんなものかも 議論嫌いだったらしいし
現実から逃げるまったく無意味な思想ってことね
衒学趣味
>>482 ドゥルーズはコミュニケーションは哲学でないといっている。
「逃走論」を書いた浅田にはそういわれてよい十分な理由がある。
例えばゲリラ戦は逃走だって事が理解できないレベルではね。 まあ、単に読んでないんだなってことが分かるだけだけど。 辞書に載ってる「逃走」の意味だけで考えるとか、アホと言うしかない。
ドゥルーズだって、苦痛から逃げるために自殺したじゃん。 誰も無意味な苦痛には耐えられないのだ。
ノマドの逃走線を分布図にするとどんな図が浮かび上がるんでしょうね。
創価学会はドゥルーズの国フランス、オーストリア、チリ、ベルギーでカルト指定。 さらにアメリカ下院議会では、危険な組織として指定。 ドイツでは、なんとアルカイダ並みのテロカルト組織に指定されている。 集団ストーカー犯罪組織の創価信者達 を日本から追い出そう! フジデモの次は信濃町デモだ!
>>488 無意味な苦痛に耐えろなんてドゥルーズも言ってないでしょ。
むしろスピノザ的に悲嘆や苦痛といったものを排する方向だろう。
浅田はまあどうでもいいから、レヴィナスの「逃走論」を読んだ方がいい。
フジデモの先に信濃町デモを。カルト犯罪思想・創価 創価内部文書 【各地域の敵対者排除/躾】 a)創価学会への強固な敵対者に対しては、将来的に考えてもその子息子女を 落とす必要がある。 子息子女の不幸により折れる可能性も高い。 子息子女へは創価学会へ反発しないよう躾る。 敵対者の子息子女の結婚は潰す必要がある。 会員の子息子女の敵であってはならない。 b)会員の商売敵を排除することは資金確保の上で重要である。 商売敵の子息子女も、将来を見据え落とす必要がある。
>>492 c)敵対者が地域で高評を受けぬよう計らう。
d)各会員が連帯し、自然と不幸になったように落とす必要がある。
【くれぐれも会員が疑われてはいけない。】
e)敵対者の言に信頼が集まらないよう計らう。
f)敵対者の安定につながる者らも落とす必要がある。
g)常に経済的/心理的に圧迫させる必要がある。
蘭とスズメバチは何と読み解けばいいのかな いまいちよくわからんのだが
単なる進化論で説明できるのに、脱領土化とかwww オートポイエーシスとか口走る奴もいるよな
進化論というとベルクソンしか頭に浮かばないくせに、突如としてスチュワート・カウフマンとか言い出したりしてな
は?書きたりねぇから書き足しただけだし。
>>494 種が分化していくのが進化論なのに
異なった種の間に、生殖機能が成立
するところが、「非並行的進化」という
カテゴリーに入るという。
>>495 説明してみろよ。
できないんだろwww
ヘーゲルだって弁証法で若菜→つぼみ→花の変化を説明してたじゃん。 全く科学的じゃないけど。 ドゥルーズだって自分の理論で自然を解釈していいはず。
>>496 こいつに複雑系が理解できてるとはとても思えない。
>>501 って、具体的にドゥルーズの自然観を述べてみて。
仏敵ぶっ倒せ!【ぶってきぶったおせ!】 創価学会に敵対する人物を、読経により学会員全員で呪い殺す為のスローガン。 学会員には年初にマス目を塗りつぶせるポスターが配られる。 読経の度にマス目を塗りつぶし、1千万遍唱え全部塗りつぶせると、仏敵は死ぬと信じられている。 まさに世界が危険認定済みのカルト集団。 国は創価を早く解体させるべき。公明党と分離させるべき。憲法20条違反だ。
ところでクレールってなかなか美人だよな あの女はやっぱドゥルーズの…なんだよなw
本人は否定してたけど、本人以外はみんなそう言っているね。
フランスの師弟関係って、男女間でも 日本的な意味でそうじゃなくても 結構べたべたな事があったりするから分からんよね
アベセデールのときの女性でしょか。 あのお年であっちのほうが元気だったら、ドゥルーズは、 ご立派と見るべき。ところがファニーという奥さんもすごい美人 なんだな。もてるね。
白仁の本はスピノザにほとんど言及しない代わりに 何かというとスコトゥスを引き合いに出す。スコトゥス は差異と反復に少しだけしか引用されてない。 本来のニーチェの引用がない代わりにほとんどドゥルーズが言及していない クロソウスキーの解釈ばかりを引き合いに出す。 スピノザがドゥルーズにとって重要でないとしたら、 アルトーの器官なき身体に触れるべきだが、それも出てこない。 こんな博論でよくフランスの博士号がとれたなと思う。
【創価】世間を震撼させた創価学会の在日犯罪者達・抜粋 ●池田大作(ソン・テチャク)→父親が朝鮮籍。朝鮮部落出身。信平信子レイプ事件 公職選挙法違反事件 ●少年A→在日朝鮮人。山口県光市母子強姦殺害 ●畠山鈴香→在日朝鮮人。秋田県児童殺害 ●三宅正信→在日朝鮮人。ペッパーランチ強姦 創価大学卒 ●宅間守 →朝鮮部落出身。大阪 附属池田小学校児童殺傷 両親も創価学会員 ●少年A →元在日朝鮮人。酒鬼薔薇聖斗 神戸の首切り小僧 ●林真須美 →帰化人。和歌山毒入りカレー事件 4人毒殺 63人が負傷
創価学会員在日犯罪者・抜粋/続き ●丘崎誠人→奈良連続強姦 事件 在日朝鮮人 ●金大根 →在日韓国人の強姦魔 連続児童虐待暴行殺人 6名の女児死亡 ●李昇一 →在日韓国人 東京 テレビ「ガキの使い」関係者を名乗り少女140人を強姦 ●沈週一 →在日韓国人 鳥取 大阪 和歌山 9人を強姦 ●張今朝 →在日韓国人 長野 「一緒に猫を探して」と小学校4年の女児を強姦 ●ぺ・ソンテ →在日韓国人 横浜 女子小学生14人を強姦 ●宋治悦 →在日韓国人 東京 主婦19人を強姦 これはほんの一部。マスゴミは朝鮮名を報道せよ。国は通名制度を廃止せよ。
フランスのマスコミはまだ生きているのかね? フランスに通名制度はあるのかね?
だろうな。
というか、こういうこと同世代に話しても、わかるやつがいないんだよねw はてな、とかに書けばいいじゃん、というけど、それも違うんだよね。 まあ、偉そうにいえば、今の日本には、無能か無教養しかいないじゃん。 教養あってかつ有能っていうのがいない。 ゆとり教育のせいか、っていうと、それも違っていて、昔からそうなんだよね。 ゆとりを馬鹿にする奴が、じゃあ今年の東大の受験問題解けるのか、っていうとそうでもないわけで。 これは、西洋19世紀あたりまで遡った歴史的問題。 近代の専門主義っていうか何ていうか。 別にそれが必ず悪ってわけでもなくて社会的には効率がよいことは確かで。 それに万能人なんていうのはそれこそ幻想だからね。 といっても明らかに水準が低いんだよね。 知が知たりえなくなっている、というか。 まあ、おれもその流れにいることはそうなんだけど、でも無意識にいすぎなんだよね、みんな。 別に衆愚化とかはどうでもよくて、あくまで知を代表せんとする言論家とかブロガーの話。 まあ、これ書いたらすぐしばらく旅行に行くので、またこのスレッドから離れます。
>>516 その有能さと教養で、
旅先でつまずいて来い。
ドゥルーズはパリから一歩もでなかったらしいな 旅行嫌いだったのかね?年とってからは 差異と反復に距離は関係したのだろうか 旅行に行って距離を移動することが、差異にも影響するのだろうか
気が向いたらフラッと旅に出てしばらく消息知れずになれる人生なんて羨ましいな。
それアルチュール・ランボーちゃうの?
「色んなものを見もし聞きもした」式のアプローチでは大した文学にならないとか言ってたし、 旅に出なくともその場に居ながらにして旅(トリップ)しているとも言ってたから、 空間的な距離よりも、知覚の仕方や物の感じ方を多様に変えうる「速度」こそが、ドゥルーズ的な差異哲学にとっては肝心なんだろう。 ノマドとは場を動かぬ存在のことだ、という言葉も、あらゆる場所を瞬時に占拠してしまえる遊牧民は、 点から点へ向かう「移住者」と違って、常に線上に在るって意味だろうね。逃走の線。 で、セルジュ・ダネへの手紙で「何かを確かめに行く旅」にしか旅する意味は無いと書くわけだが、 むしろ俺は、リゾーム的なるものの空間的な展開についてあまり具体的に思考しなかったのがドゥルーズの不充分さに思える。
ドゥルーズの差異って微分思想と関連があるっていうけど、どういうこと? ライプニッツについて何ていっているの?
524 :
523 :2011/09/04(日) 14:19:49.77 P
\////// 無矛盾 \//// 2、類比の原理 同一律 \// /|(結合法) 同一的なもの \ /↑| & /_\______/__|______ 1、矛盾律 \/////分析的|////// (例: \///(潜在↓|////// アルファベット) \/ 的同一)|////// /\充分理由律|////// ___________/__\3 ↓ |////// /////////// (記号法、 |////// ////////// 微分積分dy/dx)|////// 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 //////// ↑ |////// ///////4、不可識別者同一の原理|////// ////// (モナド1/∞)|//////
525 :
考える名無しさん :2011/09/04(日) 20:25:12.96 0
Epouserlanotion Epouserlanotion lethal_notionがリツイート
本日(現地)仏国営ラジオでまたもやジャック・ラカン特集。先ほどの
番組とは別番組。ポッドキャスティング可能。Jacques Lacan ( 1901-1
981)
http://bit.ly/nzoeOZ 恐るべしFrance Culture!めっちゃレベル
高すぎ!
9月3日
>>525 letha_notinって致命傷だな、その名のごとく。
日本のジャーナリズムなんていくら足掻いても、
あっちのメディアにはかない、なんて今頃気づく
フランスの大学入試科目の必須 に「哲学」があるということにきづいているか? (ギムナジウム) 必死である。民心を衆愚化するために、 ギムナジウム科目から「哲学」を排除するのに シラクは必死の努力をしていた。 懲りずにまたやるだろうね。それが フランスの財産なのにさ。
ミスタイプ、は和製英語。 タイポグラフィカル・エラーが正しい。
失礼。。。 mistypeという単語があった。。。
リセの間違いでは?ギムナジウムはドイツだろw 哲学が必修なのはもはやフランスだけだからね。 デリダの哲学教育養護の活動もなんだか日教組の利権運動みたいに思えてしまう。 必修じゃなくなったら彼らは失業しちゃうわけだしさw
>>531 ヨーロッパの国では一般にギムナジウムで通用するはず。
なんかカフェで哲学談義している風土がなくなちゃうんだろうな。
とは言え、フランスの教育問題を云々してる文脈で 人口に膾炙しているリセを避けて、ギムナジウムとわざわざ言う理由が俺には思いつかない
DALF C1が通らなきゃフランスの大学には行けネイ。 俺には関係ないな。
536 :
考える名無しさん :2011/09/07(水) 20:59:57.15 0
哲学は学科として勉強してもだめでしょう 生活レベルで浸透しなければならない まあフランスの哲学教育は高レベルなのはそうだけど
>まあフランスの哲学教育は高レベルなのはそうだけど まあフランスの哲学教育は高レベルなのはうそだけど に見えた てか、フランス人の知り合いがいたら分かるけど 「学校で無理やりやらされたから、嫌い」って人もいたりして 学校で義務=みんな哲学を好き / 哲学を良く知ってる と言うわけでもない 所詮義務の科目の宿命
でも、論理的な読み書き(特に書く方)の訓練と大学入試検定試験があるから、フランスでは自然言語による論理的な著述が理系の人でも得意だよね。 日本では国語教育で、「自分が思ったことを書きなさい」みたいな教育がなされるから、 学部でレポート書かせても論文じゃなくて「私はこう思います」みたいな単なるエッセイになる人が多い。 向こうの中等教育ではド・ゴールの演説読ませて要約させた上で反論させたり、起承転結や論理的骨格がある読み書きの訓練を受ける機会が多い。
そういう神話が日本ではあるけどね、向こうの大学生連中と付き合ったら分かるよ そんな神話、すでに全然機能してないから
それって、単なる大学の大衆化の問題なんじゃないの? 要するにフランス版ゆとり世代の問題。 エコール・ノルマルと東大文学部で比べるとか比較研究はないのかな? もちろん、定員がぜんぜん違うにしても一応の目安としての比較は。
542 :
考える名無しさん :2011/09/08(木) 18:50:19.37 0
schizoophrenie schizoophrenie AOパラパラとめくってたら見つけたけど,文庫上巻p.185にある「心的疎外」 ってたぶんaliénation mentaleだろうから単に「精神異常者」の意味ですね. もちろん,経済的な疎外論の含みもかかっていると思われます. 9月7日
543 :
考える名無しさん :2011/09/08(木) 18:51:41.68 0
schizoophrenie schizoophrenie また関連して,ドゥルーズ(&ガタリ)の翻訳で「délire 妄想(病)」 の語が「錯乱」と訳されているのが如何におかしいか,という話にもつ ながる話です.錯乱だとdeliriumで,せん妄の意味になっちゃいますから. 9月7日
544 :
考える名無しさん :2011/09/08(木) 21:14:40.88 0
叢書・ウニベルシタス 960 言説、形象(ディスクール、フィギュール) ジャン=フランソワ・リオタール:著, 合田 正人:監修, 三浦 直希:訳 四六判 / 706ページ / 上製 定価:7,000円 + 税 ISBN978-4-588-00960-0 C1310 [2011年09月 刊行] 見ることと語ること、言葉と像のあいだで、意味はどのように生まれ、欲望は何を成就するのか。現象学と言語哲学、 構造主義と精神分析、美学と記号学の領野を自在に移動しながら、メルロ=ポンティやラカンを批判的に乗り越え、 言説と形象の空間的厚みを比類ない知性で探究した初期リオタール哲学の頂点。翻訳不可能といわれたポスト構造 主義の記念碑的著作、刊行から四〇年後の全訳。
545 :
考える名無しさん :2011/09/08(木) 22:10:03.06 0
a
アトミックファイアーブレードかっ! くっ(汗)、まさかこの局面で出してくるとはっ!
547 :
考える名無しさん :2011/09/09(金) 00:03:32.59 0
五枚まで買います。 みなさんのお気に入りの音楽を挙げて下さい。
哲学に金かけるくらいならアニメに金かけた方が100倍有意義
550 :
考える名無しさん :2011/09/09(金) 00:27:42.99 0
>>537 「大学の学問なんて役に立たない」という輩が往々にしているが、
本当は実生活上に、生かせるほど身についた学問をしないで卒業した
自分を分かってないだけで、哲学には哲学をきちんと学んだ人にしか
分からないことがある。
>>549 「学校行く学費がもったいないからアニメを見る金をくれ」
ったら親は悲しむだろうな。
556 :
考える名無しさん :2011/09/09(金) 04:46:29.87 0
ドゥルーズって仏現代思想の三人じゃ今では一番かげ薄いよね。 ルックスも悪いしね。
そっかな 哲学者としては一番研究されている気がするけど
受容のされ方 デリダ→文学 ドゥルーズ→哲学 フーコー→社会学
デリダとは一体何だったのか 触覚とか、ほとんどポエムでしょう。
ドゥルーズ研究してるのに、位相幾何、多様体論やってない人ってなんなの
デデキントも読まないとな。岩波復刊させろよ。
数学板の多様体スレッドを覗いたら、圧倒されたでござる
触覚しか読んでねーのかよ
ドゥルーズは現代数学もバリバリ出来たんですか?
できません 微分が理解できてないことをバカにされました
クレール・パルネに「数学できないのにどうして数学的概念を使うの?」と問われてた。 ドゥルーズがそれになんと答えたかは失念。
タルスキとかクリプキとか数学もできるアメリカの哲学者がカッコいいと思ったんじゃないの? でもまあ流石に微分が理解できないとかはないでしょ。 歴史的に無限論って哲学の主要テーマじゃん。 複雑系とかは胡散臭いけどね。
で、数学方面で推薦図書はありませんか?
数学の概念がいいかげんだって言ったのってソーカルじゃないんですか? 記憶違いかな?
>>572 質問の意味が多義的なのでいくつかに分けて返答しますが。
無限を扱った哲学関連では、素人でも読めるのは、
「 リーディングス 数学の哲学―ゲーデル以後」
「無限―その哲学と数学」
あたりかね。
いわゆる数学の哲学や基礎論は興味ないんで専門的な本は知らん。
「Elements of Intuitionism」という直観主義論理学の定番教科書を書いたらしいダメットなんかを読めばいいんじゃない。
ドゥルーズ関連で数学というと、
「New Elements of Mathematics」パース(翻訳なし)
「プリンキピア・マテマティカ序論」ホワイトヘッド(絶版)
は必読書でしょうね。
まあ、どっちも日本のドゥルーズ学者は知りもしないと思うけど。
複雑系なら、いろいろ真面目な本はあるけど、社会的現象という点では、
古い本だけど「複雑系経済学入門」だな。
このトピックはトンデモ多いので注意。
多様体なら、ふつうに「多様体の基礎」あたりから読めばいいと思う。
あと、「強度」というのはただの内包量のことだよ。極限内包量としての微分につながる。
つかカントの議論をライプニッツのスコラ哲学を経由してただ持ってきただけ。
数学よりも科学哲学学んだほうがいい どうしても数学なら数学基礎論 直観主義なんか読んじゃだめよ 論理主義の本読まないと
ドゥルーズは、哲学的にも数学的にも科学的にもかなり寛容を持って接しないと読めない。 彼の本でパースやホワイトヘッド、複雑系、多様体を理解しようとしてもほとんど不可能。 だからといってソーカルがいったように完璧無意味とも思えないけどね。 まあ、いわゆるまっとうなアカデミズムではない。 けどドゥルーズは多分こんな感じで考えたんだな、と補足的に読めば、面白い。 まあ、ドゥルーズを正しく理解できている人は世界中でもほとんどいないでしょ。
なんというか、この人に限らず、フランス現代哲学は村上春樹的なサブカルにしか感じられない。 フランス現代哲学の科学上の必要性を明確に言える人は、ドゥルーズを理解している人の中にいるんだろうか。
科学上の必要性?最初から科学の為のもんじゃないだろw
というか、フランス現代哲学って今現在はドゥルーズとかどうなんかね? なんかドゥルーズ読まれているのって日本ぐらいって聞いたぞ。
既にアカデミズムで囲い込まれつつあると聞いたが。
普通に読まれてるよ 英語圏での研究も増えてるし、今は、日本ぐらいということは全くない
>>572 数学なんて、哲学書と違って学者毎に解釈が異なることはないから
(最新の研究現場、論争現場は別)
まず微分積分を理解し、次に集合論、行列式を理解しましょう。
そして学部レベルの位相幾何、微分形式、微分幾何学までが、だいたい数学科の
学部レベルです。そして私もこのレベルどまり。
数学板だと、もっと遙かに専門的なことやってた。
572です、皆さん色々挙げて下さってありがとうです。 チャレンジしてみます。
どれどれ・・・
>>550 もうすこし私が年を重ねたら理解できるかも。今は退屈に聞こえる。
>>555 これは文句なく名曲。
>>556 グールドはなぜいつも指揮をしながら弾くのか?面白い人。
みなさん音楽センスがいいですね。勉強になりました。
キリエさんも作曲頑張って。
586 :
考える名無しさん :2011/09/16(金) 03:24:23.31 0
587 :
考える名無しさん :2011/09/16(金) 08:04:30.43 0
550はやばい
K136 1ー2 効果 ノイズキャンセラー 不快な雑音も曲の中に吸収される ほとほと困った場面でお試しあれ、特に対奇声には効果絶大
590 :
考える名無しさん :2011/09/16(金) 10:29:08.97 0
社会科学はアカデミズムの方法論に固執すると何もできなくなからなあ… DGは資本論、世界システム論、マルチチュード、社会システム論、の系統なんだろうな
592 :
考える名無しさん :2011/09/16(金) 17:14:38.35 0
>>591 「何もできなくなる」のではなく、「何もさせない」ようにしている。
何も理解できない馬鹿か、狡猾に枠を極端に狭く限定するように導く
利口者を組織で高い地位に就けて権限を与えているのは正にそれが
目的である。
アリストテレスの「最高善」は論証できないし、 ヘーゲルの「時代精神」は論理的に無意味であり、 フロイトの「無意識」は自己言及のパラドックスであり、 カントの倫理学はレトリックに過ぎない。
>>590 初めて聞く音楽だが有名なのか? ところでピアノとバイオリンの奴、俺あった事ある気がするぞ。
>>594 ゴダールの映画でその曲を知ったな。
10minutes olderの一編。
ヒンティッカやマルティン・レーフを読んでも、女の子にモテない。 ラカンやフロイトあたりで女の子を騙すのが一番さ。
なんでこのスレにクラシック音源が貼られているのですか? ドゥルーズのスレじゃないんですか?
クラシックもたまにはいいですね。 私は今ソフトマシーンのサードを聞いています。
なんだ工作員見習いはまだ日本にいたのか フランスに渡米するんじゃなかったのか? とっくに時代に取り残されてるぞ
600 ⊂(^▽^ ⊂⌒`つ≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡ ぴころもヴェトナムに渡米するでしゅよ ε=ε=ε=ε=┏( `0´)┛
Shirani Takashiの本第三章まで読了。あと100ページ。 今度出る「フランス哲学・思想研究」に財津氏の書評が 載る予定。楽しみにしている。
D=Gやいわゆる転向前のドゥルーズに依拠して分析活動をやってる 臨床家っているの? ラボルドとかの実践がそれほど影響力あるとは思えないんだけど っていうか万が一臨床家のお世話になったとして 「分裂分析しましょうね」なんて真顔で言われたら不安になる
精神分析じたいトンデモだろ?
ここではトンデモかトンデモじゃないかという議論はナンセンス。 何が起こるのか何が生じるのかだけが問題。
たとえ精神分析がトンデモであっても面白けりゃそれでいいわけでね。 ドゥルーズは精神分析ツマンネってことで批判してるだけでしょ平たく言えば。
とある精神分析家が、「最近の若者には去勢が必要だ」と言ってたよ。
トンデモと自覚して読むならいいけど 統合失調の原因とかよく勉強してから読んだほうがいいと思うけどね 精神分析が正しければ薬は必要ないんだから 精神分析は医学という科学内での流派なので、文学や哲学と違って、トンデモには厳しくしないと駄目でしょ
>>607 精神分析ってもともと疑似科学だし、医学が「科学」になったのはごく最近の話だし。
ましてや医療におけるエヴィデンス主義というのは、現場ではいまだに主流とは言えないんじゃないかな。
個々の医者の勘が物言う世界でしょ。
>>602 その転向とみなされる時期はいつですか。
典拠はありますか。
マドッホとサドを読むために次は閨房哲学を読む予定。
夢で「私はドゥルーズ派の分析家です」って名乗る海外の
分析家の特集してるドキュメンタリー観てて、
起きてから「なんだあれ?」と思いつつそういう臨床家いるのか訊きたくなったのよ
>>609 多分『アンチ・オイディプス』以降だったかな? 『意味の論理学』かもしれない
確か中公の『哲学の歴史』に鈴木泉が書いてたような
要は精神分析ベッタリのドゥルーズとそこから離反してからの差
ラカンとの距離って言うかそんなとこ
『マゾッホとサド』ってラカン派ベッタリだったっけ? そういやマゾヒズムを弁証法的とか言ってたような気がするからヘーゲルもそんなに否定してなかったのか。
萱野 バリバールやネグリ、アルチュセールも、スピノザについて書いています。ただ、 大学院に入って本格的にスピノザを読んでいくと、現代思想業界で言われている ことの半分ぐらいはでたらめであることがよくわかりました。特にネグリのスピノ ザ論(『野生のアノマリー』)は問題です。アルチュセールに関しては、正面から スピノザを論じていないところもあるから、一方的に断定するのはフェアじゃない けれど、正直言ってあやしい。 アルチュセールのいう新しい唯物論の概念はそれ自体としてはおもしろいけど、そ れをスピノザから導き出すのは相当無理があるんじゃないか。 國分 現代思想業界でスピノザについて言われていることの半分ぐらいがでたらめだって いう話に同意するんですが、僕にとってはやはりドゥルーズのスピノザ論が大きか った。そして勉強を進める中で、ドゥルーズのスピノザ論がまともに読まれていな いということが分かってきた。『スピノザと表現の問題』はかなりテクニカルな話 をしていて、相当に読み込まないと分からない。ドゥルーズの文章は非常に簡潔で すので、彼が一行の中に込めている内容はそのロジックを順序立てて理解していか ないとまったく分からない。今回の本の最後で、『エチカ』の定理十一までの話を 細かくしていますが、ドゥルーズはそのことだって、二、三行で書いている感じです よ。ドゥルーズの不親切さには注意しないといけない。なのにドゥルーズのスピノザ論の 名前はよく耳にする。そういうこともあって、今回の本ではドゥレーズのスピノザ論 で読まていない部分、たとえば「分析的方法と総合的方法」を論じた箇所や、フラ ンス語訳『エチカ』の誤訳の指摘、『単論文』における神の定義の問題点などといった 箇所をかなり意識的に引用しているんです。
アメリカでは精神分析は教養課程でちょこっと触れる程度だと医者が言ってたが、日本ではどうなの?
日本で精神分析興味あるのってドゥルーズ読んでいる美大生とかぐらいじゃん? ファッションとして消費されている気がする
>>615 皆がどう読んでるかって言う次元のことが問題なら、
ドゥルーズでなくてもいいだろうに。
俺はドゥルーズ読んでどう思うか、
ということをつかむには結局行き着かないままだろうに。
>『マゾッホとサド』ってラカン派ベッタリだったっけ? >そういやマゾヒズムを弁証法的とか言ってたような気がするからヘーゲルもそんなに否定してなかったのか。 マゾッホが弁証法的?と疑って読み返してみたら、確かに書いてあった まあでもスピノザ的なサドとの対照で言ってる感じだったけど ドゥルーズ=反ヘーゲル、って図式に囚われすぎてもダメかもね
弁証法についての理解(「=ヘーゲル」ではない)が 甘いからそういう誤解をする。
ドゥルーズはヘーゲル理解できてないから こういうの、古典研究者からのソーカル的批判も必要だと思う
もと美大生です。ドゥルーズはたしかにファッションかも知れません。
だろ? でもまだ芸術方面なら意味あるよ ドゥルーズは芸術についてのコメントは面白いし 哲学とか科学とか真面目な話になると、意味不明としかいえないよ そもそも日本人で本当にあの文章をまともに読める奴がいるのか、と凄い疑問なんだよね 原文、翻訳問わずね ドゥルーズ=反ヘーゲル、スピノザ好き、反ラカン、スコトゥス好き、ベルグソン好き、パース好き、ホワイトヘッド好き、反ハイデガー、差異、出来事、多様体、複雑系、リゾーム・・・・・ というレベルの理解が大半だと思う 「差異」とかの理解も、「何か分からんが、言語や記号の秩序ではなく、こうなんていうかどんどん変化していくような、そんな感じの」とかそういった連想ゲームレベルなんだろ
差異とは、微分的なものであり、定立的な多様体としてのイデアを問題として捉え、それを解くことで現れるうるものである、とかさドゥルーズはいっているわけだけど、常識的にいっても、学問的にいっても、はあ?としかいえないわけじゃん それがドゥルーズの代表的なコンセプトなわけで 「潜在的なものは、差異的=微分的な諸要素と諸関係=比でつくられている」 とかで無理数がどうのこうのとか微分がどうした無限がどうした、とかいっているわけだけど、 これは、ライプニッツからコーシーまでの無限についてのいろいろな議論や現代の超準解析(よく知らない)とかの議論を、ドゥルーズがハイデガーの思想を経由して、独自に(学術的手続きを踏まず)何かいっているだけの話なんだよね しかも、簡易にいやあいいのに、ほとんど電波文でさ こういう数学についての哲学的な議論つーのは、戦後は英米が本場なんだけど、そっから持ってきているんだと思うよ、おれはよく知らないけどね たいてい、ネタ元があると思う それをソックリやってもだめだからこそ、あの手の電波文が出てくるわけでさ 日本だと、この手の「知の欺瞞」がいつまで経っても死滅しないわけで、最近では何とかぺギオとかが出てきているようだし だから、ドゥルーズを読むはいいんだけど、ネタ元とか知っていないと、とても読めた代物じゃないわけで、ドゥルーズ学者とかでもホンマに理解しておるんかいな、って疑問があるんだよね パースとかスピノザとか読んでいる奴いねーじゃん? みんな解説書レベルの知識でしょ もっとしっかり研究して、公開してほしいね、第三者としては
ここ読んでいる研究者の人はね ドゥルーズだけ読んでても、ドゥルーズの考えていたことには迫れませんよ、と 頑張ってください
ドゥルーズなんてタマネギの皮むき
>>622 カントは読めてんのか。何故微分が出てくるのか?
カントの批判者で、微分を論じたものは誰か?
マイモンだろ。 これが哲学史による抑圧ってやつか。
差異の存在は直観的に明らかなんだがなー。少なくとも僕にはね。 まぁ数学の多様体とドゥルーズのそれはだいぶ違いますよね・・・ 存立平面(キリッ
629 :
考える名無しさん :2011/09/22(木) 20:44:47.36 0
masayachiba 千葉雅也 Masaya Chiba ピエール・モンテベロのドゥルーズ論、Pierre Montebello, Deleuze. La passion de la pensée, Vrin, 2008 だが、相変わらずのフランス人的な ドゥルーズ論というか、ベルクソン・スピノザ・ニーチェの三位一体に浸かり すぎである。 9月21日
ドゥルーズ論も何もないよ だってドゥルーズが参照しているパースやホワイトヘッドやライプニッツじたいまともに読んでいる日本人いないんだもん 仮にいたとしても、そういう人はドゥルーズなんてアホらしくて読めないw 今日本でドゥルーズ読んでいるのは、哲学や数学の知識を欠いた科学者とか美術者とか
まともに哲学(と数学)の知識あると、ドゥルーズというのがいかに皮相的かがわかる ウィトゲンシュタインとかハイデガーとかドゥルーズとか20世紀にはこの手の哲学者が多いんだけど それがまた日本では一般レベルで人気で
ランボーって天才詩人といわれてるけど奇抜な語の組み合わせしてるだけで中身なくない? ドゥルーズはランボーのことをどう思ってたの?
見つかったぞ 何が? 永遠が 太陽と 融合した海が
634 :
考える名無しさん :2011/09/23(金) 15:10:53.12 0
新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか (NHK出版新書 361) [新書] 萱野 稔人 内容紹介 危機の時代を現代思想で読み解く、 俊英が満を持して放つ挑発的論考! 今、なぜナショナリズムを考察するべきなのか? 格差・貧困問題から 経済復興までの喫緊の課題は、「国家」「民族」などのナショナルな意 識に訴えかけることなくしては、もはや解決しえない。ナショナリズム を否定するだけの従来の議論を徹底的に批判し、ドゥルーズ=ガタリや フーコーなど現代思想のキーテキストを読み解きながら、ナショナリズ ムの社会的・政治的な可能性を考える。 新書: 224ページ 出版社: NHK出版 (2011/10/6)
「生とは一つの実験である」 ドゥルーズのこの言葉は、どういう意味なんでしょうか? 前後の文脈を読んでもよく分かりませんでした。
「生とは一つの実験である」 まさにそのまんまの意味じゃん…
みんな いろいろやって おおきくなる じるを
>>635 それってニーチェの言葉じゃなかったか?
いや、ドゥルーズも言ってたか。
実験ってのはそのままの意味、これをやったらどうなんのかな?と試すことで、
ただ生きてるだけの、維持されるだけの人生よりは実験しろよってことでしょ。
ニーチェのスレでは、強度の概念はときに人の頭を狂わせるっていう実例を嫌ほど見たが、
概念を打ち出すってのもひとつの実験ではあるんだろーな・・・。
最近ジルオタのみなさんで議論にならないのでつまらないです。 リヒター祭りのころは面白かったのに。
リヒター祭りなんか馬鹿げた言い争いだよ。あれはドゥルーズと関係ない話でしょう。
リビドー祭って楽しそう
「生とは一つの実験である」 と、パラフレーズすると、実験じゃない生なんてねーよってなるな
643 :
考える名無しさん :2011/09/25(日) 15:55:37.95 0
音楽の趣味悪いな
リゲティのピアノ聞いてます。
>>643 その人は初めて知りました。
646 :
考える名無しさん :2011/09/25(日) 23:51:20.62 0
女性専用車両は一つの実験である この世では様々な裏の実験が行われている。女性専用車両も彼らが目を付け裏から手を回して作り上げた実験場である。 社会で対象者に実験であると気づかれずに実験をすることはなかなかむずかしい。 こと人間に関しては他の人間に対する意識をキャンセルするためそういう実験環境が不可欠となっている。 女性専用車両は、閉鎖空間、移動中の時間的しばり、公共の他者、曖昧な特権と、まさにヨダレものの実験場となっている ここに男性を送り込んだ時に示すメス豚共の動態と心の葛藤をデータ取りするのが女性専用車両の裏の存在理由となっている
647 :
考える名無しさん :2011/09/26(月) 13:31:07.34 0
ドゥルーズに限らず、日本で哲学って言うと、 どうしても認識論レベルでの受容に堕しちゃう傾向ってあるよね。 哲学が実践と結びついてないから、空疎なものとして受け取られてしまう。 ま、江戸の朱子学以来の悪しき伝統なのかな。
648 :
考える名無しさん :2011/09/26(月) 15:29:29.42 0
一歩先に地面があると認識するか、深淵が広がっていると認識するか。 認識が違えば実践も違う。認識とはそういうもの。
>>647 実践っていうけど、実践的哲学って仏教哲学とかビジネス哲学とかあるじゃん?
西洋哲学はそもそも実践から出てきているわけじゃないからなあ
ドゥルーズの哲学を学んで何を実践するのか、っていう
ガタリの統合失調についての実践とかも、やっぱどうなんかな、と思うわけよ
統合失調って脳のディスオーダーなわけで、薬がかなり効くんだよね
実践といえばマルクス主義があるだろ。
欧州の大学哲学科のカリキュラムを調べてみるといいよ
>>371 もちろん19世紀までの哲学はのぞきますが
>>650 ドゥルーズは政治的には新左翼であって、共産党的左翼ではない
日本でいえば吉本隆明のポジションでは?
ガタリに感化されたんじゃないかね。 ドゥルーズは片肺の静かな学究で直接社会にガンガンモノ申すみたいな人じゃなかった。 吉本は今となっては読むべきところは少ないが、全体的知識人というか、 いわゆるサルトル的だと思う。共産党とは対立したけど。
654 :
考える名無しさん :2011/09/27(火) 11:51:47.46 0
大陸系哲学は自滅しただけ というより「哲学」ではなくなった だってデリダとか読んでも「哲学オワタ」しかいってない ドゥルーズなんて脳科学に哲学を還元さえしてる 挙句の果てに多様体がどうたらいってソーカルにたしなめられている始末 分哲は大陸を敵視してはいない ハイデガーをバカにしたのは論理実証主義であって分哲とはまた違う まあ、ハイデガーを正面から評価した人は一人もいないが だから分哲が偉そうにしていたわけじゃない 逆にデリダのような人間が喧嘩を売ってきた サールに対する応答はとてもひどいもんだ 大陸系哲学、つまり現象学とハイデガーとフランス現代思想は、分哲との争い、というより、自滅した フッサールはリーダビリティが低すぎたし、ハイデガーは政治的に色がつきすぎたし、フランス現代思想は数学や科学を濫用した そもそもハイデガーまでは哲学だけど、フランス現代思想はもはや哲学じゃない デリダやドゥルーズにとっては分哲も現象学も形而上学で批判の対象 後期ウィトゲンシュタインがフランス現代思想で人気なのはそこで、ウィトも分哲を認めていなかったわけで 大陸系哲学とくにフランス現代思想は問題意識が違うから、分哲とどちらが哲学的に優位かは論ずることはできない 個人的にはカントからパースなどを経由して現象学と分哲へと哲学的伝統は続き、ハイデガー以降の大陸系哲学は哲学ではなく、戦後は分哲と科学哲学が西洋哲学の伝統を継承している、と理解している
97 考える名無しさん sage New! 2011/09/27(火) 11:49:30.13 0 ハイデガー以降の大陸系哲学は、いわばドイツ観念論のようなもので、マトモな哲学ではない フランス語でグラマトロジーで検索してみれば一目瞭然 誰もそれを引き継いでない ウィキにも学問として掲載されていない 差異と反復も日本語がもっとも検索ヒットする フランス語で検索しても読んでいるらしき人間がまったくいない 日本だと大陸系哲学がなぜか人気だが、当の大陸では全然状況が違う 日本だと数学をまったく知らない人間でも哲学に興味を持つような環境がある だから論理学などを参照する分哲は受けなかった 最近ではいろいろ変わってきてはいるが 西洋哲学の古典も結構数学を参照した議論を組み立てている部分がある 大陸哲学も数学を参照するが、この場合、数学を自分の哲学の正当化に使用しているところが古典や分哲との違い カントや分哲は数学とは何か?を問う。ドゥルーズは自分の哲学を説明するのに多様体を持ち出す。 数学コンプレックスがある人はそれに説得力を感じてしまう。 一ヶ月ぐらい勉強すればドゥルーズのいっていることはおかしいと気づくのだが ここが日本における大陸系の人気なのでは
ローティは最初ハイデガーを研究してたと聞いたが
分哲のしみったれた挑発はもういいよ 右翼と左翼の対話が不毛なのと同じくらい 哲学といっても土俵がちがう 本当に議論したければ『差異と反復』か『千のプラトー』を通読して 具体的に疑問な箇所をページ指定で展開してくれ
土俵が違うという言い草もしみったれてるけどな。 ドゥルーズだって分析系からずいぶん拝借してるし。
脳科学に哲学を還元さえしてる、なんてことはない。 神経学のモデルに従って思考するというわけではない、とインタビューで明言してるし。 「カオスから脳へ」とか「新たなシナプス」とかいった片言隻語から勝手な解釈をしては困る。 異論があるなら、まさに「具体的に疑問な箇所をページ指定で展開してくれ」って感じ。
>>657 ローティは分哲じゃないよ
少なくとも彼に言及する分哲プロパーは少ない
政治的に色がついている人は分哲では避けられる傾向がある
>>660 それソースは?
「記号と事件」では結構脳科学モデルで、ということをいってた気がする
もう手元にはないから憶測だけど
まあ、脳科学に還元、というのは言いすぎかもしれないけど、
分哲を形而上学として批判しているのはそのとおりだろう?
伝統的な哲学的問題を認めていないし
おれは分哲プロパーでもないから、大陸もよく読んでいるよ
究極的にはソーカルの批判も的外れだと思うけどね
ただハイデガー以降の大陸系哲学って哲学って感じじゃないんだよね
科学とか数学とか言語学とか文学とかを使って世界観を構成しているから
デリダなんて「記号の解釈は何でもあり!」とか学問としてさえ崩壊しているわけで
でもラカンは、分哲を意識してるよね
ところで構造主義って結局何だったんだろう? ドゥルーズの「構造主義とは何か」を読んだけど、要は抽象代数学以降の数学的な構造がやっぱ起源なのかね? ソシュールの構造もあるんだけど、ドゥルーズはそっちはあんま重視してない
>ただハイデガー以降の大陸系哲学って哲学って感じじゃないんだよね >科学とか数学とか言語学とか文学とかを使って世界観を構成しているから どういうのが哲学だと思ってるの?
「哲学とは何か」「シネマ」「脳、それはスクリーンだ」とかからそう思われるのかな ベルグソンを考慮に入れたほうがいいのかな
>>664 トートロジーに逃げないで、ちゃんと説明してほしいな
観察や実験によってテストされない命題についての考察、と教科書的にいえばいいんですか?
まさに『記号と事件』で「神経学に沿って思考するわけじゃないよ。 観念連合説みたいに、哲学と特別な関係にはあると思うけどー」と言っている。 観念連合にしても、哲学は概念的にそれがどう起こるのか、その機能は、みたいなことを考え、 神経学は物理的にどう起こるのかの関数を導き出すってことだろう多分。 『哲学とは何か』も別に脳科学に依拠してるわけではないし。有限オートマトンがどうとかいった話も、 ベイトソンが「差異」概念と絡めてサイバネティックスを重視していたことの影響もあるのでは。 サイバネティックスはあくまでも数学的なモデルであって、脳科学とイコールではないはず。 ハイデガーは、現在は哲学の代わりをサイバネティックスが務めていると否定的に言及していたけど。
もはや観念連合なんて哲学の問題じゃないだろ
『プルーストとシーニュ』では、単なる観念連合では説明できない本質直観の問題を扱っているし、 パースが「関心による連合」というのを提唱した影響も受けてそう。 そもそもヒューム論から始まってるんだしドゥルーズは。
>>669 プラトンのイデアがいまだホットな話題の哲学界で何を言うとるんだw
ヒュームなんて中堅バリバリの現役じゃんか
672 :
考える名無しさん :2011/09/28(水) 21:30:00.40 0
開かれ―人間と動物 (平凡社ライブラリー) [単行本(ソフトカバー)] ジョルジョ・アガンベン, 岡田 温司, 多賀 健太郎 Like 1317212929 false -1 0 0 0 (0) -------------------------------------------------------------------------------- 価格: ¥ 1,365
プラトンのイデアと違って観念連合は心理学や脳科学の問題なわけで・・・ 本当にヒュームは読んだ?
>>673 確かにその手の話は19世紀の心理学、生理学の流れとして科学史になるよな
あと強度とか情動とかも哲学として語るんじゃなくて脳科学として定量的に語るべきもんだと思う
そういう意味でドゥルーズなんかのいっていることで純哲学的なことって案外少ない
>>673 すまないね。こいつスレ汚しに来ているんだけど、
本当は分哲も分かってないよ。こいつの書き込みに応じるのはやめとけ。
俺は暇がなくて少しだけ言ってみると、
「土俵が違うという言い草もしみったれてるけどな。
ドゥルーズだって分析系からずいぶん拝借してるし。」
で、ドゥルーズが分哲からどういう概念を拝借しているかを
具体的なドゥルーズの論考のどの部分が分哲なのかを、
具体的に指摘してみて欲しい。こいつに出来るはずないぜwww
676 :
考える名無しさん :2011/09/29(木) 00:28:37.11 0
>>649 まず最初の点について。
西洋の哲学が実践から生まれたものじゃないってのは違うと思うよ。
西洋哲学はどの時代のものであれ、
それぞれの時代の政治、宗教、社会上の先鋭的な問題を思考することから出発してる。
実践ってのは社会のアウトフレームを見通すことであって、
仏教哲学やビジネス哲学のような処世術とは違うよ。
677 :
考える名無しさん :2011/09/29(木) 00:30:03.51 0
>>649 続き。
あと、統合失調症を含めた精神疾患について。
精神疾患の治療は薬物療法と精神療法をセットで行うのが普通であって、
「薬物のみで事足りる」という認識は医学的には大きな誤りだよ。
実際そういう通念が一部医者(たいていは転科医)の中にもあるため、
オーバードーズやドクターショッピングといった社会問題が生じてる。
あと現場レベルでは拒薬の問題もかなり重要。
薬は飲み続けなきゃ意味ないからね。
ちなみに統合失調症への精神療法の現在の主流は非力動的な認知行動療法。
精神分析を主とした力動的精神療法が適用されるのは基本的に神経症圏の患者で、
精神分析が統合失調症に使えないってのはすでにフロイトの時代からわかってた。
だからこそフロイトは統合失調症者を嫌ったんだし、
ドゥルーズ=ガタリはその原因を「エディプス・コンプレックス」に見たんだろう。
>>676 >西洋哲学はどの時代のものであれ、
かなり物知りのようですが、すべて根拠なし。
>>674 で、話のついでに言うと「分哲」では無意識
をどのように取り扱うことになっていますか。
長年来の疑問に答えてください。
分哲専攻の面目を発揮した明確な定式と理論を
ご提示期待しております。wwwww
>>677 勉強になる。
現在の精神医学は薬物療法のみだと誤解してた。
知り合いの精神科医相手に恥かく前に知れてよかった。
薬物治療と認知行動療法のセットじゃないと効果がないですね。 認知行動療法とプラセボでも効果があるという結果が出ています。
682 :
考える名無しさん :2011/09/29(木) 01:26:26.25 0
>>678 一応補遺として書くけど、どう受け取るかはご自由に。
例えばプラトンの哲学は明らかにポリスの凋落と関係してる。
プラトンの哲学が幾分か保守的な傾向を持つのは、
ポリスを外敵から守らなければならないと彼が考えたから。
同じようにデカルトがコギトを考えたのも、
ルネサンスや宗教改革を経てフーコーの言う「人間」が生まれつつあった時代に、
人々が拠って立つ根拠を必要としたからであり、
カントが「神の首を切り落とした」のも「近代」の胎動を予期してのものだろう。
いずれも標準的な哲学史の教科書にはどれにでも書かれてるようなことだけど。
683 :
考える名無しさん :2011/09/29(木) 01:31:25.23 0
>>681 そういう実験結果も確かにあるね。
ただ認知行動療法にも弱点があって、それは一言で言えば継続性。
薬物療法と同じで、続けないと意味がないからね。
この辺は現場の医師の間でも意見が分かれるんだろけど。
話を戻せば、Continental philosophyと分析哲学との関係なら、分哲側からいくらでも本は出ている。 ドゥルーズはウィトゲンシュタインは哲学のアサシンである、なんてこといっているけど、ウィトゲンシュタインは分哲と陸哲との相関関係そのものでしょう もっともウィトが果たして分哲かは疑問だが 日本でも言語ゲームとか軽く口にしている人は多いけど、それが数学的命題についてのラディカルな考察ということをどこまで意識しているのか あとは、陸哲に対する分哲科哲からの評価の一例として、 「ゲーデルの定理:利用と誤用の不完全ガイド」 をぜひ読んでみましょう デリダがいかにアホかがわかります
>ドゥルーズだって分析系からずいぶん拝借してるし って意見はアホかなと。哲学とは何かで、ユーモラスにこき下ろすこと以外、ドゥルーズのどの文献を精査しても 分哲からの影響なんて見当たらないよ。かろうじてホワイトヘッドだけど、あれも分哲から遠く離れたホワイトヘッド単独の「出来事」の哲学だし(ソースは襞ね、いちお)
>>677 論理をすりかえないように
認知行動療法は精神分析と違ってエビデンスがあるのだが
ガタリの実践がトンデモといってるだけ
君は、精神科医のようだから冷静な判断はできないだろうけどね
まあ、おれは幻聴が聞こえてきたら行動療法より抗精神病薬を選ぶがね
脳に不可逆な変化がある、ともいうから飲みたくはないがね
>>679 おれは分哲専攻者ではなく素人よw
ドゥルーズも読みますよ
>>682 全部悪い意味で人文的レトリックだなあ
そりゃそのレベルで考えれば何らかの社会的な背景はあると思うけどね
ただ君がいってるようなのは表面的すぎ
例えば、ポリスの凋落とプラトンの哲学が関係がある証拠は?
そもそもプラトンの哲学って実はほとんどピタゴラスがすでにいってることなんですが
そもそもアカデメイアでプラトンが何を教えていたかは記録が残ってないんですよ
いわゆるイデア、つまり「形」の理論、というのはプラトンに限ったことではないので、君がいってるポリスの凋落とは関係がない
デカルトがコギトを考えたのも、ルネサンスの直接的な影響ではない
ロジャー・ベーコンなどがすでにデカルト的主観について語っていますしね
(それだってイスラム哲学ですでに考えつくされたことですが)
しかもデカルトは政治的には穏健派ですよ
ついでにいえばフーコーは歴史学者からはトンデモとみなされています
カント本人が「神の首を切り落と」そうと意図していた文献学的証拠は?
>いずれも標準的な哲学史の教科書にはどれにでも書かれてるようなことだけど。
標準的かどうかは知りませんが、事実レベルで誤りがあります
哲学はひとつひとつ問題意識が異なるので、統一的な歴史は難しい、と思う
強いてあげるなら分哲だけどAnthony Kennyのシリーズが公平な見方をしている
あと、実践哲学に興味あるなら、東洋哲学なんかのほうが面白いよ
精神科医なら道教哲学とか
ガタリつながりなら知っていると思うけど、ヴィルヘルム・ライヒとかトンデモだけど
そもそも認知行動療法ってアドラー心理学からの流れでライヒやガタリともクロスしている
>ロジャー・ベーコンなどがすでにデカルト的主観について語っていますしね >(それだってイスラム哲学ですでに考えつくされたことですが) 知ったか糞ワラタw フーコーは歴史学者からはトンデモとか、ネット上で聞きかじった情報しか持たないバカなんだろうなあ・・・ アナール系の連中への影響は計り知れないのに
ドゥルーズに話を戻すと、 統合失調を審美的に考えすぎ 哲学と違ってダイレクトに社会的影響があるわけで、こういうレベルでのトンデモは厳しい対応をしないと たとえばアルトーなんかの解釈としては面白いんだけど、それを実際の統合失調に結びつける必要はない(精神分析に対する目配せとして以外には
>>688 アナール系の連中がなぜ歴史学の代表なんですか?
おれは歴史学も素人ですが、この連中はポモ系でしょ?
影響受けて当然だと思いますが
後、挑発してロジャーベーコンについての情報を私から聞き出そうとしているようですが、教えませんよw
>フーコーは歴史学者からはトンデモとみなされています 「歴史学者」に全称記号を付けたようなテキトーな書き方をするから アナール系の連中など、関心を持っている歴史学者も多い、という事を指摘しただけなのに それに対して「アナール系が代表なんですか!?」と逃げる っていうか、多分、基本的な論理的思考能力に欠けてる人だとお見受けするけど 中世ネタの方も、アヴィセンナの空中人間が、デカルトのネタ元という 決して論証はされていない説を、そのまま信じちゃっているかわいそうな人なんだろうなあ・・・ ロジャー・ベーコンにデカルト的主観があるとかw 一般にスコトゥス的な主意主義がデカルトのコギトを準備したとは言われるし また科学史的な文脈でベーコンとデカルトの繋がりが語れることはあるけど デカルト的主観のようなものをロジャーベーコンが論じていたなどと、誰もいいませんし そんなくだりは、ベーコンの、どのテキストにも見つかりません 中世ネタなら、適当言っても許されるとか、勘弁してほしいネ
そう思うならそう思い続ければいいじゃない
まともな反論の一つも出来ない、かわいそうな人でした
694 :
考える名無しさん :2011/09/29(木) 03:06:03.23 0
>>680 特に拒薬の問題は普通考えられてる以上に大きくて、精神科に入院するような精神病圏の人って、
統合失調症に限らず妄想(鬱にも妄想がある)とか幻覚がほとんど主症状だと考えていいから、
そういう人に薬の服用続けさせるのって、普通に考える以上に難しい。
妄想とか幻聴とかで薬を毒だと思い込むことが多いし、また一般にもオーガニック志向の風潮があって、
それがそういった症状を助長してる面もある。
精神が「健康」なら確かにオーガニックでもいんだろけど、精神病者ってのはドゥルーズ的に言えば
機械が故障して誤作動起こしてるわけだから、そこに「自然」を持ち込んだとしても、
壊れた機械は結局現実に作用しない歪んだ生産物を恒久的に生み続けるだけに過ぎない。
695 :
考える名無しさん :2011/09/29(木) 03:08:38.18 0
>>680 つづき
ここにまさにドゥルーズが
「しかし、錯乱が臨床的状態に陥ってしまったら、言葉はもはや何ものにも到達することはないし、
人はもはや言葉を通して何一つ聴くことも見ることもない――
みずからの歴史と色彩と歌を失ってしまった夜のほかには。つまり、文学とは健康であることなのだ。」
と書き付ける謂れがあるんじゃないかな。
ドーパミン仮説なんてホントかどうかわからないの信じて ヤク中同様の脳みそになったら ハイおわり
ドゥルーズとガタリは欲望をそれ自体計測もしくは記述可能なものとして扱ってるの? 顕在化する事象の背後でそれを成り立たせている超越的な原理として説明するんじゃなく。 そうでなければ彼らが言ってることも一種の形而上学的なモデルに過ぎなくなってしまうような気がするんだけど。 詳しい人がいたら教えて下さい。
>後、挑発してロジャーベーコンについての情報を私から聞き出そうとしているようですが、教えませんよw キモすぎてわろたw
スキゾアフェクティブディスオーダーで入院をした経験があるけど、 俺のまわりはほとんどは拒薬じゃなく過薬だったなぁ。 色んな所で薬もらって、常に規定量をこえてた。 あげくのはてには個人輸入ですよ。 自分の方が医者より薬に詳しいと思って、好き勝手に飲むから、医者の治療方針と合わないのさ。よくなるわけない。 認知行動療法もやっているところもあるけど、圧倒的に少ない。 一番ありきたりなのは無意味なカウンセリング。 あとは作業療法かね。 作業療法って言っても、ただ革とか木の小物作るだけ。 斎藤環の病院(勤めてるだけ?)に通ってたってやついたけど、薬付けにされたとか言ってた。 今現在の日本では薬物療法中心なのは間違いないよ。 これからどうなるかは知らないけど… 長文乙!ちらうらでした。
701 :
考える名無しさん :2011/09/29(木) 15:43:43.95 0
>>697 超越論的場の問題だね。
『スピノザ 実践の哲学』でドゥルーズ自身はこう書いてる。
「本質に属するのは[その本質のとる]状態ないしは変様、それだけである。」
本質とは状態のことであり、だからこそ強度が問題になってくるんだろう。
知覚可能な物質にしろ思想のようなものにしろ欲望はその強度によって量られるんじゃないかな。
またそれゆえニーチェ的な系譜学(もしくは力)の問題にもなってくる。
薬以外で治しようがあるのかねえ どの時代環境でも罹患率は同じなんだろ? とすると脳のディスオーダーとしか・・・・ もちろん環境も原因だとは思うけど、それは直接的な原因ではない 症状がどのような経緯を辿るかについては環境の影響が大きい気はするが、 そもそも幻聴が聞こえてきたりするのは、基底核のどっかがおかしくなったから、だろうな 被害妄想とかは常人でもなるときはなるが、幻聴っつーのね・・・・ もっとも現行の抗精神病薬とかも対症療法的だとは思うんだけど だからそれが万能だとは思ってないけどね 自我の同一性の崩壊、とかそういう人文的なレトリックは何も問題を解決しないだろう そもそも自我っつーのが精神分析が考えているようなもんじゃないってのが昨今の脳科学の知見だし ラカンを読むと、父の名の排除、が統合失調の原因とか書いてあるけど、体育会系とかでも統合失調になる奴もいるしね やっぱ脳だろうね
昨今の脳科学はどう考えているの?
>>701 ドゥルーズの強度って内包量のことだよ
それは主観によって感じとられるしかない、っていうカントの議論から来ているんだよ
カントの時代は脳科学がなかったからね
でもカントは流石にそのあたりは意識していて、将来の科学的発展によって自分の論が崩壊しないように注意深く書いている。
将来脳科学が進めば何らかの測定が可能になるわけで
強度とかはいつまでも超越論な場ではない
ただの経験科学の問題にすぎん
例えば、アルコールを摂取しているときとそうでないときで強度は違うわけ ドゥルーズもアル中だったみたいだけど あとさあ、 超越論的な場、とかいうけど、カントを読んだほうがいいよ ドゥルーズの超越論的、という言葉とかなりニュアンスが違う ドゥルーズって哲学史に詳しいけど、ことごとく意味を拡張して使ったりしている 数学や科学や芸術の概念と結び付けているんだよね だから科学者とか芸術家から好まれるんだけど この人の本読んで哲学を学ぶのは危険すぎ
もうねー、偉そうに批判するならフッサールくらい読んどいでくれよ…。 単純にいい迷惑なんだよ…。
>>701 >>704 ありがとう。
>将来脳科学が進めば何らかの測定が可能になるわけで
やっぱりこの辺がポイントなんだね。
ただ、科学で計測されるような生理学的な要素を社会や経済の問題にアナロジックに適用することで問題が生じないかどうか気になる。
サルトルが現象学の認識上の問題を社会生活のレベルの話に直接結びつけたことが批判されてるみたいに。
主観によって感じられた強度ってのは、既に質的差異として外延化してるんじゃないの? ドゥルーズが『差異と反復』でベルクソンを批判しつつ言っていたのは、差異・強度は、 単純な経験論が想定する「経験」としての感覚ではない、ということでは? 例えば或る出来事を経験した場合(出来事が出来事として知覚されるのはそこに差異が作用しているからだとベイトソンは言った)、 その出来事の差異は記憶として反復される際、その都度異なった体験として感覚されたりするわけで。
>>702 >どの時代環境でも罹患率は同じなんだろ?
んな訳ねえだろ。
差異は何かと何かの差異なのだから「それ自身における差異」とか何言ってんの? というツッコミはあって然るべきかもしれないんだが、そこは存在の一義性としての永遠回帰、 何らかの差異はそれ以外の全ての差異との差異であり、 つまりは或る差異を肯定するなら森羅万象の差異を肯定するのだというニーチェ的な肯定になるんだろうな。
最初に差異があって差異しかないというのは当たり前としか思えんが。 最初にあるのが同一性だったらいつまでたっても同一で宇宙が開始しないじゃないか。
712 :
考える名無しさん :2011/09/30(金) 22:02:30.49 0
lethal_notion 國分功一郎 あと、岩波書店『思想』11月号では、俺のドゥルーズ論、『ドゥルーズの哲 学原理』の連載が始まります。連載といっても毎月ではないです。すみません。 第一回はそもそも「ドゥルーズの思想」はどこにあるのかを探っています。 4時間前
知覚・認知・記憶については、 起こり得る外的物象のデータベースを予め遺伝的に保有している気がする。 知覚で差異があればそのデータベースとの差異が新記憶として更新されてく気がする。 そのほうが効率的
>>712 そういえば國分さんは「それ自身における差異」を「内なる差異」として社会の様相をとらえる場合にも適応できるような解釈をしてたなあ。
強度が内包量と関わるならそういう解釈も成り立ちそうだけど。
どんな話かあんまり覚えてないからそういう部分について突っ込んだ議論を展開してくれてると嬉しい。
>>713 それオートポイエーシスでかつていわれてたこと
しかもトンデモだぜ
差異も同一性も世界には存在しておらん 人間の脳の認識システムにしかない 脳科学の分野
脳が脳科学を行うことは不可能。
脳科学の発展に怯えるドゥルーズ教徒
>>715 オートポイエーシスは単語しか知らんが
脳科学じゃ記憶はモデルとして保存して修正すうようだよ
遺伝的というよりモデルを差異で再起的に修正し続けるようだけど
722 :
考える名無しさん :2011/10/02(日) 19:02:24.82 0
差異を外延として捉えることはドゥルーズの哲学から考えて矛盾しないと思うよ。 なぜならそれは内在性とかかわるからね。 その意味じゃドゥルーズの哲学はプラトンやアウグスティヌスの哲学の書き換えとも言える。 プラトンやアウグスティヌスの哲学の中心にあった個体(身体)を関係性に置き換えた上での書き換えだね。 ドゥルーズが脳科学や分析哲学を批判するのもそのため。 実際、現在の標準的な精神医学や脳科学は精神や脳をひとつの関係性のシステムとして捉えてるはず。
数式で表現してくれないか?
724 :
考える名無しさん :2011/10/02(日) 19:27:04.13 0
数字フェチ?
昔一時期だけオートポイエーシスを説明できたけど最近は脳がふやけてきてだめだ
「関係性のシステム」って意味不明だからさ 具体的に誰のどんな論文? ただあなたの脳科学の通俗書読んでの思いつきじゃないの? 「プラトンとアウグスティヌスの置き換え」というのも意味不明だし。
「関係性のシステム」とか言っているけど、本当にその言葉を理解していっているのか? 「関係性」って定義は何だ? 「システム」って定義は何だ? 君の言い方じゃ「関係性のないシステム」ってのもありうるが、それは例は何だ? 脳や精神のような複雑系を理解するには、数式がないと意味がない 自然言語それ自体が複雑系なのでほとんど意味をなさない記述にしかならない リゾームとか勇んで口にしても誰も相手にしない
728 :
考える名無しさん :2011/10/02(日) 23:48:16.90 0
一人で盛り上がられてもねぇ…
システムという単語はチューリングマシン知らない人に使ってほしくない
731 :
考える名無しさん :2011/10/03(月) 14:02:17.52 0
>>729 テンプと知りつつ。
たしかにSSRIやSNRIといった新規抗うつ薬と自殺の関連性は一部メディアで言われてるけど、
科学的には証明されてない。
それに90年代後半といえば山一證券や北海道拓銀の破綻など、社会的要因の存在も大きい。
バブル崩壊以降の景気低迷に伴いうつ病患者の増加や、
また社会全体でのメンタルヘルスに対する意識の向上もうつ病患者の増加には関連してる。
そもそもうつ病患者の自殺率は結構高いから、患者が増えればそれだけ自殺者数も増える。
基本的にうつ病も含めて精神疾患は現在の標準的な精神医学ではストレス‐脆弱性モデルで考えられてる。
疾患は遺伝と(ストレス)環境の相関関係で考えられてるんだ。
だから統合失調症であれうつ病であれ精神疾患の要因を還元主義的に脳に帰することは適当ではないんだ。
732 :
考える名無しさん :2011/10/03(月) 14:25:27.56 0
還元主義ということでいえばドゥルーズはプラトンのイデアを含めあらゆる還元主義を拒否する。 その表明ともいえる重要な概念が内在だろう。 リゾームも固定したシステムとして捉える限りでは還元主義的になり得るし、内在に反したものになる。 (リゾームは常に生成されている) 関係あるいは触発ということで言えば、ドゥルーズはこれらの概念を主にヒュームやスピノザに依拠して使ってる。
概念をヒュームやスピノザに依拠することも、ヒュームやスピノザを 固定的に捉える限りでは還元主義的になり得るし、あらゆる還元主義を 拒否するのなら、ヒュームやスピノザの概念に依拠することも避けるべきだろう。
その通り、ドゥルーズのダメなとこだね すぐに自説を、哲学史や数学や科学や芸術で説明、補強しようとするから、この人
735 :
考える名無しさん :2011/10/03(月) 23:46:06.40 0
>>733 そういう0か1か的な思考がすでに還元主義的なんだよ。
若手のドゥルーズ研究者でマシなのは、千葉さんということでいいのでしょうか?
千葉や國分の名前を出すとアゲインストする人がいるから控えめに。
>>730 チューリングマシンが即「システム」を説明するわけねえだろww。
↑ バカ
ドゥルーズなんて研究してどうすんだ? いったい何が分かるんだ?
>>739 チューリングマシンの議論は機械と
人間の間にある「等価性」を証明するであろうが、
その両者はブラックボックスのままにとどまり、
ブラックボックスがどのような「システム」であるかはなんら
説明することは出来ない。
だろ?間抜け。
→→→ ↑ __↓__ ↑ | バカ | ↑ |↓ ↑ | ↑ | → | ↑ |____| まぬけ ↓ ↑ ↓ ←←←
千プラっていうのは要するにみんなの抱えている地図が連結して一枚になあれってお話でしょ、 感動したもんだ、もうだんだん内容忘れて来てるけど。 昔のドゥルーズスレで、ドゥルーズをいかに読むべきかという話になって、 漫画みたいに読み捨てる派と綿密に一語一句研究しつつ読む派で分かれて議論したもんだ。 ドゥルーズの著作はポエムか論文かっていう議論もあったなあ。最近はなくなった。 住人が入れ替わってるんだろう。
744 :
考える名無しさん :2011/10/04(火) 22:25:30.28 0
千プラっていうとカッコいいな ドゥルーズを研究するっていうのが非ドゥルーズ的
千のブラジャー
いつもミルフィーユとかミルクレープとか連想するんだが
ピンクパンサーのように速くあれ w
749 :
考える名無しさん :2011/10/05(水) 03:05:10.21 0
http://news.nicovideo.jp/watch/nw123456 脳の中、のぞけるようになる? 脳内映像の再現に成功
人間の脳内の映像を再現して、ほかの人も見られるようにすることが
可能になるかもしれない。米カリフォルニア大学バークリー校の科学者
が、fMRI(機能的磁気共鳴画像)と計算モデルを使って、人間が見た光
景を再構築することに成功した。
現時点では、人間が実際に見た映像しか再現できず、人の心を読めると
いう段階には程遠いが、夢や記憶などほかの人間には見えない脳内の映
像を再現する道が開けると、同校の西本伸志氏らは語っている。
同氏の研究では、研究チームのメンバー3人が被験者となり、映像を見
ながら視覚野の活動をfMRIで測定し、映像の形や動きと脳の活動パター
ンを関連づけるモデルを作成した。このモデルを使って、脳の活動から、
被験者が実際に見た映像と似た映像を再現することができたという。不
鮮明ではあるが、人の姿らしきものや、象が歩く場面に似た黒い影が動
く映像が再現され、YouTubeで公開されている。
順調に強度を可視化しているね・・・・
こんな感じで、感情とかも数値化されるんだろう。 セカイはドゥルーズ主義にはならんかった・・・
日本のドゥルーズ学者で手堅いのは?
宇野さんと財津さんが専門の草分け。 千葉と国分が目立って露出しているが、 両者ともに雑誌論文をリスペクトしているのが 江川隆男先生。あと、桧垣さんとか小泉さんとかが いるが、入門書は書いても、研究論文はない。 後は表文関係の芸術論の人とかが いるが分からない。
756 :
考える名無しさん :2011/10/06(木) 22:09:39.45 0
宇野さんはいいね
宇野先生ってホモ?
ポモだろ。
760 :
考える名無しさん :2011/10/07(金) 20:57:08.13 0
ほんとに初期のころは 田中敏夫だっけ、のカントのドゥルーズ論を論じたやつ、あれは よく引用されてた記憶がある。当時のまともなドゥルーズ論
761 :
考える名無しさん :2011/10/07(金) 21:32:11.44 0
田中敏彦だね
762 :
考える名無しさん :2011/10/07(金) 22:01:43.02 0
どこが分かりやすいんだ?
好き嫌いで物事語るような年齢じゃないよw べつにデリダもドゥルーズも嫌いではない。 少なくとも部分的には完全に知の欺瞞だと思っているがな。 信じがたいも何もこれは本当のことですよw 嘘だと思うならこの連休に図書館にでも行って、 『フレンチ・セオリー ―アメリカにおけるフランス現代思想 』 という本を読んでみることだ。 他にもいろいろな本はあるが、訳出されており、最新の情報が載っている手ごろなのはコレだ。 デリダもドゥルーズもフランスの学生は誰も読まないw 名前も知っているか怪しいw フランスをのぞいてこの十数年で欧州ではアカデミズムからは陸哲は完全に消えつつあり、分哲に移行が完了している。 陸哲を今読んでいるのは、一部の政治活動家とか美術評論家といった連中で、哲学理論としては研究はされていない。 一般大衆レベルでドゥルーズなんて知っているのは日本だけだ、完全にw
アカデミズムの主流がなんであるかなんて、一読者には全然関係ありません。
哲学理論として研究されるより政治家が読んで影響うけてるほうがいいじゃん
768 :
考える名無しさん :2011/10/08(土) 21:47:39.54 0
フランスで読まれず日本で神扱いって、これもうそうとう前から いわれてる。いまさら感。だから?
ヨン様みたい。
ドゥルーズは日本の映画監督をよく褒めてなかったっけ。 忘れたけど。黒澤明をほめてたような気がする。 日本の映画のフランス語字幕付きとかって出回ってるんだろうか。 黒沢クラスのならありそうだけど。まあメジャーなものに限られるよな。
771 :
第四の波平 :2011/10/08(土) 22:01:36.63 O
まあそういうことですよ。襞
哲学自体って話だ
ずいぶんと権威主義的な批判だね。 アカデミズムの主流から外れることが、そんなに気になるもんですかね〜。
他人の承認や権威付けがないとだめな人ってのはいるものだ
775 :
考える名無しさん :2011/10/08(土) 22:51:19.75 0
ドゥルーズは本当に自殺だったのかな? 他殺な気がしてきた あれだけ先進の思想を説いたということは 集団ストーカー犯罪の標的にされてもおかしくない気がする
>>765 社会学科の話で悪いが、「孤独な大衆」って知ってる?
よんでない?「伝統指向型」「内部指向型」「他人指向型」
という理念型があるの知らない?
悪いが君を社会心理学で処理させてもらうよ。(哲学ではなく)
君は典型的な「他人指向型」だが、ドゥルーズ自身の記述によると
哲学は「内部指向型」の人間のすることだ。君には哲学は無理だ。
止めておきなさい。無駄だ。出来るはずがない。
いつでも反論受け付けるよ。
778 :
考える名無しさん :2011/10/08(土) 23:53:53.84 0
779 :
考える名無しさん :2011/10/09(日) 01:33:43.46 0
“I don’t have the prejudices many have today, I don’t believe in a naturalist world view. I don’t base my thinking on prejudices or a world view and do not believe in materialism.” He claims that many people think that they have a scientific world view and believe in materialism, but that this is an ideology.
780 :
考える名無しさん :2011/10/09(日) 03:49:41.40 0
5つ星のうち 5.0 既存の国家肯定論に欠如していたものを担う, 2011/10/7 By フューラー (兵庫県) - レビューをすべて見る (新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか (NHK出版新書 361) (新書) 本書は、「ナショナリズム=悪」という既存の人文科学の流れに、大きく 疑念を呈しつつ、それを丁寧に解体していく議論を展開している。 既存の国家肯定論は、渡部昇一らに代表されるように、エモーショナルに、 そして時局に応じたレスポンスという形で展開されることが多かった。 しかし、萱野の議論はそれら、浅薄で絶叫するような国家肯定論とは一線 を画す。あくまでも論理的に、国家を論じていく。 特に、ドゥルーズ=ガタリらを援用しつつ、丁寧に国家、ナショナリズムを 肯定していく姿勢は脱帽する。どこまでも論理的で、明確な論旨を 的確に展開していく。姜尚中や上野千鶴子らの議論の誤謬を正確に指摘する 流れも渡部ら既存の国家肯定論者の誰の議論よりも説得力がある。 本書で批判されている誤謬だらけの左翼はもちろん、この水準の国家論を 今日まで展開できなかった右翼の知的堕落をも抉り出す、 2011年度新書の中でも、間違いなくトップクラスの一冊である。
>>780 萱野って相変わらず同じことばっかりやってるんだね。
人文・思想系の安易なナショナリズム批判を撃つ、みたいな。それしか言うことないのかよ、と。
wikiと2ちゃんで聞きかじった程度の知識で、 党派性と人間関係の話しかできないやつが煽りまくってるなw
783 :
考える名無しさん :2011/10/10(月) 00:54:33.43 0
784 :
考える名無しさん :2011/10/11(火) 03:10:47.66 0
kumatarouguma tatsuyahigaki が、ひどいとおもったのは彼の『カネと暴力のなんたらかんたら』、、、みなさん 国家はヤクザと同じですよ、ヤクザみたいなもんですよああこわいですね、国家の 不当性を認識しましょう。これで「革命」がおこせるとか本気でおもっていて、こ んな幼稚な主張するやつの「構造主義」がまともに読めるか 10月8日 » kumatarouguma tatsuyahigaki おかしいし、そんなものはどっちの関心が強いかによってどっちが自分にあってい るかにきまっているだろうが。本当に阿呆がいるもんだとおもったが、なんだかお れ社会学とかやってフーコー読んでいる人間に全面不信があるんだよね。K野君の 本がだめなところが弱小学会紙に数年前に書評書いたでいわない 10月8日 » kumatarouguma tatsuyahigaki 昔あぶらくさすなんとかという馬鹿左翼を絵に描いたような阿呆に絡まれたが、 K野N人のフーコーなんとかがおれのフーコーより何年か前にでているけど、構造の 理解において先をいっているだって、馬鹿もやすみやすみいえ。K野の書いたもの は社会事象批判で俺は哲学なんだからそもそも比較するのも 10月8日
785 :
考える名無しさん :2011/10/11(火) 03:12:25.88 0
kumatarouguma tatsuyahigaki すくなくとも相米の映画くらいみろよ、鶴田浩司の男気ぐらい考えろよ。巷 でささやかれているが現今の暴対法が警察の天下りでヤクザの仕切っていた 地域を警察OBのシマとしてのっとるためというのもリアリティを感じるね。 一般市民への暴力は悪い。そりゃあたりまえだ。だがこういうマイノリティ集団 10月8日 » kumatarouguma tatsuyahigaki されるのか、何故彼らはどうなのか、どう考えてもマイノリティーで、被差 別だったり在日だったりする連中をおおく抱えているそういう集団がどうやっ て存在しえいるのか「根底」的に考えないで、ああヤクザは怖いですね、国 家も同じです、とか書ける人間の文章にだまされる馬鹿には救いがたさをおぼえる 10月8日 » kumatarouguma tatsuyahigaki K野はまがいなりにもフーコー読んでいてドゥルーズよんでいるんだろう。ヤクザ 集団が国家と共犯同一関係にあることなんていうまでもないはなしにきまってい るし、じゃあなんだよ、こいつの議論だとヤクザはアプリオリに悪だということ になるが、そういう問題じゃないだろう。どうしてヤクザが生成 10月8日
786 :
考える名無しさん :2011/10/11(火) 03:13:48.30 0
kumatarouguma tatsuyahigaki 日本におけるヤクザ=国家性をもっともみやすく提示してくれて、左翼スターリ ニスト政党の末路をよくよく提示してくれている小沢がいよいよ親分角栄と同じ 運命を辿りそうなのは慶賀の至りだが、このあとさらに党官僚みたいのがでてき て馬鹿スターリニズム市民運動と結託しないかみておかないとだめだ 10月8日 » kumatarouguma tatsuyahigaki そんな言説にだまされるやつが、フーコーやドゥルーズの「アクチュアリティ」 とかいってあほかとおもう。フーコーやドゥルーズは絶対反時代的なことしか 選択しないし、反社会的なことしか選択しないぞ。それが哲学の「健全な」機 能だろう。 10月8日 » kumatarouguma tatsuyahigaki が、どうしてできるのか、彼らふぁいかに「そもそも根本的に」国家となれあ いなのか、何が問題なのか。つぶせば連中はどうなるのか。暴力とは何か。根源 的に考えたら、こんな幼稚なことはとてもいえないはずだとおもうぞ。 10月8日
>>784 檜垣立哉さんかwおとなげないおっさんなんだな〜
"Deuze et une philishopy de l'immanence" Takashi Shirani L'HARMATTAN 2010 を読破いたしました。400P読むのに三ヶ月かかりました。 野心的な試みといってよいと思います。T期〜V期までのドゥルーズの立場の変化にも かかわらず、それらを横断または縦断する形でまとめています。ただ何箇所もドゥルーズ 読みには、首を傾げたくなる、「独創的過ぎる」または「逸脱しすぎる」論考があるようには 見られました。勉強になりました。質問のある方はどうぞ。
哲学者研究から哲学研究に発展するのかな? ドゥルーズ研究から出発して哲学者になった日本人は誰? 作曲家研究を続けても、作曲家になれるわけじゃないし、 もとから作曲家を目指しているわけじゃないと言えばそれまでだけど。
>>790 ドゥルーズがまさにそうじゃん。
研究者から哲学者へ。
>ドゥルーズ研究から出発して哲学者になった日本人は誰? >ドゥルーズがまさにそうじゃん。
潜在性って物理のポテンシャルエネルギーのことなんだね、それ知ってあまりにもバカらしい、とおもいました。。。。
>>792 おめえがそうなら許すが。
あんたは何の哲学者研究中?
ハイデガーも哲学史家だった。ドゥルーズも哲学史家から独自の哲学を展開した。
そもそも哲学史家でない哲学者など偽物
フッサールとかウィトゲンシュタインとか哲学史家じゃない。 サルトルもフーコーも哲学史家じゃない。 カントもヘーゲルも哲学史家とはいえない。
ドゥルーズも哲学史家から独自の知の欺瞞を展開した。
ジャック・ブーブレス『アナロジーの罠 フランス現代思想批判』
作曲家研究を続けても、作曲家になれるわけじゃないし、 もとから作曲家を目指しているわけじゃないと言えばそれまでだけど。 そもそも哲学史家でない哲学者など偽物 >偽物哲学者の代表=ラッセル、フレーゲ、クワイン
元祖偽物哲学者、ソクラテス 英国を代表する偽物哲学者、ホッブズ フランスを代表する偽物哲学者、ルソー ドイツを代表する偽物哲学者、ライプニッツ
>>そもそも哲学史家でない哲学者など偽物 20世紀以降の哲学者は確かにそうだろうな。 分析哲学は、あれは論理学か、数学だからな。哲学じゃないし。
ドゥルーズが哲学史家とかギャグみたいなもんだけどねw
分析哲学と現代思想は、名誉革命とフランス革命みたいなもので、 血を流さずに革命したか、血を流すことが目的化したかの違いで、 実在に対する出来事の先行性とか、デカルト的自我の消去論とか、 基調のテーゼそのものは意外と似通ってる。
哲学者研究や哲学史研究はオタク化する。哲学者研究や哲学史研究の サークルで認められるために対象に対する知識を競い合うことになるから。 問いに対する答えを見つけるため、より優れた問いを発するために 先人の知恵を借りるのは当然だが、知恵を貸してもらう先人を哲学者に 限定する理由はどこにもない。研究対象を哲学者に哲学史に絞ることで 生まれてくるのは哲学評論家であって、哲学者ではない。
>>797 フッサールは確かに古典近代哲学的ではないが、「現象」という概念はカントに由来
し、ヘーゲルの用いた概念を引き継いでいる。ウィトゲンシュタインは日常言語学派を設立する前は、
論理実証義だった。サルトルは現象学とヘーゲルの研究家だった。フーコーはデビュー前に私淑して
ノートをとっていたのはハイデガーであり、構造を論じる限り構造主義の影響下にある。カントは
ルソーとヒュームにインスパイアされている。ヘーゲルこそカント以来のフィヒテ・シェリングの
継承者として有名である。
こんな初歩が分からなくてどこが哲学なんだ?
だからお前には無理だって言ってんだろ。やめろ。
>>804 >実在に対する出来事の先行性とか、デカルト的自我の消去論とか、
>基調のテーゼそのものは意外と似通ってる。
そこのところをもう少し詳しく。よろしく。
面倒くさいからやだw
>>806 >ウィトゲンシュタインは日常言語学派を設立する前は、論理実証義だった
それは違うよ。
ウィーン学団はウィトゲンシュタインを敬っていたけれど、
ウィトゲンシュタイン自身はウィーン学団と距離をとっていた。
>>793 その部分だけを取り出すと本質が変わってしまう、
分かりやすく説明しようとするとこういう人が出てきてしまうね
>>808 バカは無視したほうがいいと思います。
「実在」「出来事」「デカルト的自我」とか自分で何いっているのかもわからないと思いますし。
分析哲学のダメットのTruth and Other Enigmasとかこの手の人間が読めるわけでもなく。
理系教養程度の数学さえマスターしていない人間ですから、ドゥルーズオタクは。
誰が教典に最も精通しているか、誰が教典の最も正当な解釈を提示しているか を競い合うのは哲学ではない。そんなものは擬似神学に過ぎない。教典の 解釈が歪んでいても、それが現実に有効であることの方が重要であり、 なんなら教典そのものがでっち上げであっても問題ない。物理の学説の 解釈が間違っていても、その間違った解釈の方が現実に即しているなら、 物理学として正しいのと同じことだ。
そのとおり。 文献学しかやっていない連中が哲学だと、笑わせる
815 :
考える名無しさん :2011/10/12(水) 20:50:11.51 0
>>814 物理学の素朴な実在論を哲学に持ち込まれてもね。
文献学を嗤う者は文献学に泣く。
素朴って・・・ 中二病かよ
物理学は素朴実在論じゃないでしょ
>>806 オマエ本当に馬鹿だな。
確かに自分は哲学史家ではない哲学者を何人か挙げたが、
それはハイデガーやドゥルーズなどの狭義の意味での哲学史家から出発したわけではない人々を挙げたまでで、
哲学の歴史や先行哲学者の影響を一切排した哲学者だったなどと言っているわけではない。
何も無いゼロから思考したなどと言っているわけではなく、講壇哲学史家ではなかったと言ってるだけだ。
それくらい、いちいち書かなくても分かりそうなもんだろうに。
何が初歩なんだ、この馬鹿が。
あのニーチェも文献学なんてくだらない、といっている 後年は生理学や科学しか勉強しなくなった
>>819 >何も無いゼロから思考したなどと言っているわけではなく、
講壇哲学史家ではなかったと言ってるだけだ。
あっめぇ〜なぁ、おめえ。
お前な、ヘーゲルに「歴史哲学」って言う本があるんだが、その存在は知ってるか?
内容はへーゲル主義による哲学史の総合なんだよ。それはへーゲルが講壇哲学者
として講義したものなんだよ。
だが少なくとも哲学史を学ばなかった哲学者は決して後世に残る仕事は出来ない。
もうお前は相手にしねえよ。
ヘーゲルは「哲学史」の講義やってるよ。
ウィトゲンシュタインは哲学史なんかに興味なかったろう。
諸概念を受け継ぐだけでは、「哲学史家」とは言い切れないな
「哲学史」を学んだんじゃなくて過去の哲学者の思考を検討してその上で自説を展開しただけだろ。 ヘーゲルが単なる哲学史家でありうるはずがない。
ヘーゲルはハイデガーやドゥルーズのように 特定の書き手について本を書いているわけではないしな。
>>813 哲学書を「解釈する」奴って、哲学分かってない。
ずっと昔「マル・エン全集」が聖典であったころ必死で解釈してたが。
そういうのは「聖書解釈学」に淵源するドグマとか、カルトの問題だろ。
でも、ハイデガーのプラトン解釈、ニーチェ解釈などは凄いけどな。 ハイデガーが「存在と時間」を発表したのが38歳くらいだったか、それまで論文ひとつ書いてない。 哲学史家としての講義の素晴らしさにハンナ・アーレントを含む多くの学生が集まってきた。
>>825 >>795 >>796 >>802 .
>>803 ですんでんよ。
諸概念を引き継いだ時点ですでに「哲学史」の中に入ってるだろ。
ドゥルーズだって、「単なる哲学史家であ」ったわけではないし、
「「哲学史」を学んだんじゃなくて過去の哲学者の思考を検討してその上で自説を展開した」
のがドゥルーズだし。
>>828 読んでねえだろ。ドゥルーズの「ヒューム論」も「ベルグソン論」も「カント論」も「二ーチェ論」も、
ドゥルーズの言いたいことを言ってるだけで、ヒュームの祖述じゃないのが分かってねえ
だろ。
じゃあ、誰でも哲学史家で哲学者だ。その意味でならね。 ところで哲学史家でない偽物の哲学者って誰だ?
>>831 ちなみに哲学史上「ソフィスト」っていうのがいたけどね。
ソフィストもよくは知らないが、ソクラテス以前の哲学者を深く研究した当時の最先端の哲学者だったんじゃねーの?
関係ないけど、ソフィストって聞くとなぜだか浅田彰を思い浮かべるなw
ピカソはあらゆる過去の芸術作品を踏まえて自らの作品を制作しているが、 それでピカソが芸術史家になるわけではない。 数学でも過去の積み重ねの上に成立しているが、数学史を研究することも なく、ガロアは数学史の1つの頂点とも言える業績を残している。 ライプニッツも数学を微分方程式を考え出したのは数学を研究しはじめた 初期だったはず。過去の研究を踏まえることは、その分野の「歴史」を 研究することと同義ではない。
過去の哲学者(と呼ばれる人々)が対峙したのは、自らが生きていた現実であり、 そのために(哲学者のものに限らない)過去の言説、同時代の言説と取り組んでいる。 哲学を研究するために対象を「哲学者」、「哲学史」に絞るのは本末転倒である。 特定の対象についての薀蓄を競うという態度は、哲学的な探究の姿勢の対極にある。
あのニーチェも文献学なんてくだらない、といっている 後年は生理学や科学しか勉強しなくなった
ドゥルーズの「資本主義と分裂症」は同時代的な射程を持っていると考えていますが。
自称哲学者の哲学評論家が本末転倒を強制することを止めましょうということです オタク評論家が互いに嫉妬して、貶め合っている姿も醜いし
ラカンもドゥルーズもどんどん過去の人になっていくな。 ドゥルーズにはまだ詩的要素があるから救われているが ラカンは致命的だ。
>>841 相変わらずドゥルーズの本は売れてるけどな。
ラカンの翻訳なんてもともとほとんどないし。
843 :
考える名無しさん :2011/10/13(木) 08:05:04.44 0
『脱原発「異論」』 市田良彦、王寺賢太、小泉義之、すが秀実、長原豊 予価:1800円(税別) 「3・11」以降の思想的・運動的状況を総括して、議論なきまま「脱原発」 に流れ行く風潮に異論を呈し、射程はるかな資本主義批判の視座を提示す る、5人の論客による、過激にしてまっとうな討論! 本書で出されている諸「異論」は、決して、現在の多様な反原発運動や、 それを準備・組織してきた、あるいは、直接的には無関係な、これまでの さまざまな運動の存在を単純に斥けるものではない。また、今後の運動を、 一意的に方向づけようとしているわけでもない。われわれは、運動し組織 してきた者を基本的に尊敬しているし、今後もそうであろう。また、われ われ自身、何らかの「現場」に向かうことが、三・一一以前からもあった し、これからもあるだろう。ただ、繰り返せば、小泉も討議で言っている ように、議論の「厚み」と「蓄積」が、運動と組織には必要だと考えてい るということである。そのために、われわれのあいだの討議も、相互の 「異論」の交差となっているはずである。(すが秀実「あとがき」より)
844 :
考える名無しさん :2011/10/13(木) 08:16:28.39 0
ウィトゲンシュタインは? カルナップは? クワインは? クリプキは? 全員哲学史なんて学ばないけど、英米圏で20世紀を誇る哲学者だよ。 そもそも、哲学史を学ぶっていっても、ただ学ぶのと、文献学的に研究するのとでは違うでしょう。 後者はもう哲学でも何でもない。 ただのパズル
846 :
考える名無しさん :2011/10/13(木) 18:56:35.99 0
蓮實重彦スレ
745:名無シネマさん :sage:2011/10/12(水) 23:01:49.34 ID: 5i1j9h7J (1)
>>821 ウィトゲンシュタインは?
カルナップは?
クワインは?
クリプキは?
全員哲学史なんて学ばないけど、英米圏で20世紀を誇る哲学者だよ。
そもそも、哲学史を学ぶっていっても、ただ学ぶのと、文献学的に研究するのとでは違うでしょう。
後者はもう哲学でも何でもない。
ただのパズル。
746:名無シネマさん :sage:2011/10/12(水) 23:08:22.52 ID: 5oYi5k9V (1)
こんなクソスレに誤爆すんな
747:名無シネマさん :sage:2011/10/13(木) 18:08:35.79 ID: /6CNFDc7 (1)
哲学板のドゥルーズスレに書こうとして誤爆したんだな。
ドゥルーズのパクリの蓮實のスレをチェックしてる奴か。
>全員哲学史なんて学ばないけど、英米圏で20世紀を誇る哲学者だよ。 おいおい それらが哲学史学んでないってどこの情報だよ
849 :
考える名無しさん :2011/10/13(木) 22:09:35.81 0
ウィトゲンシュタインの伝記を読むと哲学史を学んだ形跡はないねえ。
>>849 それは主題が20世紀に限られているからです。
ヨーロッパ大陸的伝統に真っ向から勝負する必然性が、
200年の歴史しかないアメリカの哲学には毛頭ない
ことぐらい自明でしょうが。
>>849 ウィトはラッセルのような「西洋哲学史」そのものを論じるようあn著作は書いてはいない。
ただし、プラトン、アウグスティヌス、デカルト、カント、ショウペンハウワー、ハイデガー、
キルケゴール、ニーチェなどはかなり読んでいたようだよ。アリストテレスについては、
読んでいないと周囲に吹聴していたようだが、これはオクスフォードのアリストテレス協会
から講演を依頼されたが断ったことの表だった理由だろう。デカルトについても某哲学者から
コギトについてコメントを再三再四求められてスルーし続けた。という経緯がある。後年、
近しい友人達との対話の中でコギトについてコメントを残してはいる。
彼が他の哲学者の著作などにコメントをほとんどしなかったのは、この哲板の哲学者スレの
ような解釈ベースのコメントを述べることに興味が無かったというのが主たる理由だろう。
論考の独我論、あるいは探求の201節にもあるように、他論を論じることに確たる意義を
見いださなかった。ということもあるかもね。例外的にフレーザーの金枝篇については論文を
相当量書いたようだが、弟子との読み合わせに1週間掛けたが、細々とした批判に終始して、
結局全13巻の最初の1冊もこなせなかったとか。その論文の大半は焼却されて部分しか残って
いないらしい。
ジョン・ロールズはロールズしか読まない。という神話がある。本人は単に忙しいから。
といったらしいが、ウィトゲンシュタインも同様。ほぼ定稿でも全集になるほどの分量があり、
未定稿はそれ以上あっただろう。本人の問題を哲学することが重要で他の哲学者を論じる暇など
これっぽっちも無かったのだろう。
フレーザーってまたなんで? ソースは?
>>848 それらの人で哲学史を専門的に学んでいる人はいないよ
アメリカではなく20世紀後半の世界中の今に至るまでの哲学に業績を残している
しかもドゥルーズと違ってプール-エルとクリプキの定理とかで数学史にまで革新的な業績を残した。
フレーザーは哲学者というより、社会人類学者。金枝篇の完成は1936年らしいから、 新刊本として話題になっていたから。ということだろう。批判の論点は、西洋人が西洋的 視点で、他の民族を論じることはナンセンス。ということが主旨だったらしい。 金枝篇に関する部分的遺稿は大修館の全集にある。モンクの評伝が主ソースだが、 彼が引用している英文のメモリアルな文献を漁れば裏が取れると思うよ。
>>854 サンクス
ウィトは分析系でも異質だからね。
哲学や文学も結構読んでいる。
でも、哲学史を講じる、ということはなかった。
後、文献学的な哲学者研究にも興味はないだろう。
ドゥルーズも手堅い文献学者じゃないよね。
大森荘蔵も哲学史研究を重視していたようには見えないな
ベルクソン メルロー=ポンティ 哲学史研究に没頭していたように見えない
哲学史って要は学説史みたいなもんだろ。 そんなのどのジャンルでも2流がやる仕事だろ。
あのニーチェも文献学なんてくだらない、といっている 後年は生理学や科学しか勉強しなくなった
哲学史研究のというものののの定義をはっきりさせてほしい。 今一度。混乱してないか?先人の哲学を学んでいることは 哲学史研究ではないが、哲学研究では必須だ。 ドゥルーズだって、哲学史研究家ではない。
俺が間抜け呼ばわりしたやつが元凶らしい。 ドゥルーズが「新しいもの創造」に主眼を 置いたなら、過去の哲学史を学ぶのはは無意味だ。 ということらしい。 ドゥルーズはそうは言わない。 またこの間抜けが自分で新しい概念を創造できるとも思わない。 出来るならやってみせろ。 本当は哲学史を丹念に追う勉強を積み重ねてこなかったために、 専門的レベルの水準に届かないことの嫉妬の裏返しだろうと思う、。
>>860 ウィトゲンシュタインは?
カルナップは?
クワインは?
クリプキ
863 :
考える名無しさん :2011/10/14(金) 03:09:27.48 0
ドゥルーズの議論の仕方を考えるとき、スピノザ的な知のあり方ってのがやっぱり重要になってくる。 知は決して私有されるものではないという、あれね。 その意味で知はドゥルーズの中では歴史的なものというより地層学的系譜学的なものとして扱われてるし、 実際それは正しい選択だと思う。 『フーコー』の中でドゥルーズは19世紀のキュヴィエとジョフロワ・サンティレールの論争を引きながら サンティレールを擁護するけど、遺伝子操作の技術やiPS細胞が開発された今となっては、 サンティレールの主張を一概に否定することはできないと思う。
ウィトゲンシュタインは? カルナップは? クワインは? クリプキは?
>>862 >>851 のところ読んでねえ。ウィトゲンシュタイン、カルナップ、クワイン、クリプキの
いずれの著書も読んでねえ。ただの、ブラフだけで世の中渡れねえ。
本当に読んでるならドゥルーズスレにくるわけない。
オカマだろお前。コピペでスレ汚しやがって。
866 :
考える名無しさん :2011/10/14(金) 03:42:30.47 0
エディソンの1+1=1のエピソードのように、数学も、その暗黙の前提とする条件があって始めて成り立つ。 ゲーデルも、同じことを違った次元で言ってたように思う。 ちなみにエディソンが斯様に考えたのは彼が粘土の塊で考えたからだ。 一個の粘土の塊ともう一個の粘土の塊を足す(つまりくっつける)と大きな粘土の塊が一個できる。 創造ってのはこういう発想の下で始めて可能なんだと思う。
何も読まずに新しい概念が想像できるとか言ってる奴はどこにもいないと思うのだが。 ただ単に日本によくある「〜の〜期の〜について」論文しか書けないようなやつを罵倒してるだけだろ。 そんなの哲学じゃなくて文献学だろうって。
868 :
考える名無しさん :2011/10/14(金) 03:47:26.27 0
>>865 読んでいるけど?
ドゥルーズスレも重彦スレも見ますよ。
蓮實スレは酷い事になってるね
>>867 だがニーチェは文献学者だったし、フーコーは新しい文献学を
「知の考古学」で提唱したわけで、文献学をいやしめる理由に
積極性は認められないが。
構造主義以降の文献学に新しい見地を
見出したのが、「狂気の歴史」以降のフコーなのだが、
古い文献学についての固定観念にしがみついていないか?
知らないだけだね。皆さん。
>>871 ジャック・ブーブレス『アナロジーの罠 フランス現代思想批判』
現象学からハイデガー以降の大陸哲学なんてやってるのは欧州にはもうほとんどいない。 欧州の哲学科のカリキュラムを見るべし。 今、デリダやドゥルーズはフランスでは哲学科で教えることはまずない。 アメリカのリベラルアーツや文学科、美術評論、および日本の美大、芸大の一部(と、マイナーな国)ぐらいだよ、ドゥルーズなんて読んでいるのは。デリダもドゥルーズもフランスの学生は誰も読まないw 名前も知っているか怪しいw フランスをのぞいてこの十数年で欧州ではアカデミズムからは陸哲は完全に消えつつあり、分哲に移行が完了している。
わかったから反復はやめてくれw
ポッシュになってさらに売れてるのに 嘘でも100回繰り返せば真実になるとでも思っているんだろう
>文献学をいやしめる理由に積極性は認められないが。 擬似哲学でしかない分析哲学を除けば、文献を研究するのは当然だから、 その意味で文献学を軽んじる理由はない。でも、多くの自称哲学者が やっているのは文献の研究というより、祖先崇拝だからな。対象を 「哲学者」、「哲学史」に絞るという態度は、自らの立っている位置が 過去の哲学者との関係だけで規定されているかのように錯覚させる 視野狭窄を生む。
>>872 アナロジーwwwwていうところからすでに、
フーコーじゃないし、ドゥルーズでもない。
デリダのことは知らない
(駄目な面がある)
面倒だから内容を要約するか、
代表的なフレーズを引用しろ。
でなきゃ即刻このスレから出て行け。
>>877 こいつ本当にフコーを読んでのか、超wwwww
そういえばファインアートの作家でインスタレーションのコンセプトにドゥルーズを引用してる人がいたな。 美術系に好かれるんだろうか。
フーコーやデリダを問題にしているわけではない。 日本の自称哲学研究者の哲学オタク評論家の話だ。
頭の悪い人↑
>>877 擬似哲学は、大陸系哲学のほうだろ?
ソシュールとかレビストロースとかラカンとか今では否定されている疑似科学を使っている時点でパラ哲学としかいいようがない。
一方、地道に哲学、すなわち、森羅万象の根本的考察をしてきた分析哲学者は、歴史に残る業績を出している。
たとえば、それは、数学史にも残る。
クリプキの定理。
頭のいい人間には哲学はまったく向いていない。 というより哲学に関しては完全に無能。
頭のいい人間でも哲学的な人間は多いよ。 ライプニッツって頭いいよね? ライプニッツって哲学者だよね、それも超一流の。 はい、反例挙げた。 証明終了。
残念、ライプニッツの哲学、モナド論なんてトンデモ以外の何物でもない。 数学者として優れていたが、哲学者としては失格
>>886 お前がそう思うならそれでいいじゃない。
フーコーの文献学は文献学って言っても同じ膨大な文献を使ってフーコーと全く逆の結論も導き出せそうで、 しかも彼の理論自体の結論としてそれを容認せざるをえない所がある。 読めば面白いのは面白いが、これが新しい文献学ならもうなんでもありだね。 ある種の人々が嘲笑の対象にするのも避けられないように思う。
>>888 これデリダだけどさ、「知の考古学」よめてるのか?
ちょっとした疑問なんだけどさ 自分が嫌悪する大陸系哲学者のスレにきて分哲>大陸の図式で批判してるやつは分哲学んでて根拠あるんだよなあ? ならなんでクリプキやカルナップのスレたててそこで高レベルの議論をしないのだろうか? 科学万能主義や論理学万能主義者ってドゥルーズの批判はするけど自分の崇高な意見は言わないよね
科学万能主義はドゥルーズのほうじゃん・・・ 多様体、カオス、量子力学、分子生物学・・・・ 分析系の人は、科学に頼らないよ・・・
お前らはなんでそう何でも喧嘩の材料にするんだ いい大人なんだろ?
二元論好きなんだろ
16でドゥルーズか なかなか読書家だな
俺はまだ13だよ
ほほう!それは早熟だな!
まさに中二病
masayachiba 千葉雅也 Masaya Chiba しばらくバートランド・ラッセルに耽溺してみることに。まとめて古本を購入した。 2時間前
>>895 ドゥルーズなんて真面目に読んでませんけどねw
クリプキの定理から分析に入っています。
>>901 クリプキもまじめに読んでませんけどねw
こういう問題はこういう仕方で主題化しよう、 こういうことを問題にすることは正しくない、 こうした仕方で考えるのが正しいという、 思考の暗黙の前提が分哲にあるとして、 ドゥルージアンの立場から、 分哲の「思考のイマージュ」を 暴いて見せればいいじゃないか。 誰かやんないかね。 分哲では主観ー客観の二元論が まだ同一性に関して、固持されており、 常識の転写としての「表象代理現前」を 維持しているわけだが。
904 :
考える名無しさん :2011/10/15(土) 11:28:45.82 0
>>903 http://mind.oxfordjournals.org/content/120/478/570.extract Yagisawa’s general metaphysics contains two fundamental tenets
that must be registered if his metaphysics of modality (in particular)
is to be understood: (i) reality is fundamental, absolute, monadic ( x is real),
and the ultimate subject matter of metaphysics; (ii) existence is
invariably relative, dyadic ( x exists in/at y), and a non-ultimate
part of the subject matter of metaphysics (p. 9, pp. 49–54 et passim).
>>904 アメリカでも形而上学を語る余地があるとすればまだいいんだな。
なんか焼き直しじゃないかな、モナド論もさ。
要はアメリカ向けに輸出できればいいんだ。
アメリカでマジョリティになるかな。
>>903 異なる信念体系の翻訳不可能性に全て還元されそうな気もするが、
それじゃ話が広がらないしな
英米ではユダヤ・キリスト教神学と矛盾する哲学は許容されない。 比較文学学部などで哲学としてではなく、「外国の思想」として許容されるだけ。
>>906 信念体系ではなくて、科学史における「パラダイム」みたいなものでどうでしょう。
要するに、こういうことは言えるが、こういうことは言えないという、
ある学問の研究者の間にに共有されている基準とか、
規範的にl働く考え方の暗黙の公準について考えるということは。
こうした考え方の公準に従っている限り、学問としての主張の正当性(モラル)が
認めれられるというその在り方が、分哲と大陸哲額では違う、
というので、両者の間に抜きがたい嫌悪感が生じたりするだけなんじゃないかな。
そういう意味でのモラルではドゥルーズはぜんぜん関係なくエチカで行こう、
といっていると思いますが。
>公準に従っている限り、学問としての主張の正当性(モラル)が認めれられる 神学に従ってる限り、哲学としての正当性が認められる、それが英米 神学との関係を明確にしない限り、哲学として認めない、それがフランス ハーバード大の教授が、普通に「○○は無神論者だ!」と非難して、それが 否定の根拠として受け入れられる。そんな風景を普通に目にするよ、 米国の大学にいると。
大陸と分析の差は、文系と理系の差
無神論や不可知論が当たり前の日本にいると、あの英米人の教授たちの 「生理的」と呼ぶほうがふさわしいような反応を容易には理解できない。 仏教とか何らかの「伝統思想」に基づくものを出されたなら、まだ異物 と見なしながらも表面的には敬意を払っているふりをする。ところが 哲学の枠組みで無神論や不可知論に基づくものを出されると、まるで 料理を待っていたのに、牛糞が皿にのせられて出されたかのように激怒 する。論理的に批判するのではなく、頭ごなしに「こんなものは糞だ!」 と真っ赤になって叫び出す。
へへー。スピノザは嫌われてたし、カントだって生前は国王命令で発禁だったし、 ベルグソンだってユニテリアン神学でも、教会のインデックスに入ってたし、 ダーウィンだってアメリカじゃ禁止されてた。やっぱり中庸の美学でモラル やる人は歴史に残らないね。
ドゥルーズは「極限形式」に至るまで行き着いた概念以外は 永劫回帰的反復の篩にかけられて残らないという。 哲学史って極限を体現しないと、創造性にかけてるものになりそうですね、
ドゥルーズは哲学者じゃなくて、すごおく優秀な哲学史家でしょ
日本のミッションスクールにいたが、ダーウィンは理論自体否定されていた。 中世の大学に迷い込んだかと思ったよw
ベルクソンの持続って修士論文なんだよね しかも持続なんて妄想だってはねられて、 でも前半のまとめはよくまとまってるから審査に通った
優秀かな? そういう学究肌の人はもっといるでしょ。 名前は知られていないけど。 同じ時期のフランスだと、ライプニッツとかクーチュラなんかのほうがやっぱ手堅いよ。 ドゥルーズは、アイデア肌の人間で、ガタリと組んで表舞台に立つような人。 優秀な哲学史家というのはちょっと無理がある。
だから、狭い意味でのアカデミズムとは別の形で思考したわけで、 哲学者というより、やっぱ思想家だろうね。 哲学というから批判されたけど、思想なら多分批判はされなかったと思う。 樫村晴香もいっているけどドゥルーズは面白い。
「(私のもののような最近の哲学ではなく) 古典を研究することは何よりも大切です。 私もライプニッツ研究を続けています。」と言うのは有名なセリフ。
ドゥルーズってオプティミズム? おれ暗いんだけど合わない?
ドゥルーズが足りない♪
違うぞ。「スピノザの研究者である」で、 スピノザ哲学の概念的人物とは、 「幼児」であって、無邪気な肯定があって、 「哲学者のキリスト」だと言ってるぞ。
>>920 古典を読むのはどんな哲学者にとっても大事なことで、それはドゥルーズにかぎった話じゃないんじゃ。
確かにドゥルーズはライプニッツ、ヒューム、スピノザ、ベルクソン、カント、ニーチェと昔の哲学者・思想家の研究書を多く書いてるけど、
これは思考のイマージュを読み取るというドゥルーズのスタイルからくるもので、どれもドゥルーズ的な解釈なんだよなあ。
そういうのは、すでにドゥルーズ以前のスピノザ研究で出来上がったイメージなんだよね。 戦前にスピノザがかなり読まれている。 アインシュタインとかのスピノザ理解をみれば一般大衆レベルまで広がっていることがわかる。 ドゥルーズのいっていることは、結構、すでにいわれていることが多い。 個体化とかも当時の思想にすでにある。
ドゥルーズの哲学史家的側面はひとつの戦略だろうからね それが上手くやれたのかはまた別の話で
「差異と反復」を読んでいると、それまで別々なものとしてとらえていた哲学者たちの思考が結び合わされていき、頭の中が洗われていくような感覚になる。 ああいう読書体験はそうそうできるものではないと思った。 まあ細部をばっさりそぎ落としてるからできる芸当なんだろうけど、それだけでもドゥルーズは素晴らしい。
>>921 私は仏教徒なんですけど「涅槃」って暗くなる心とは別なんですよね。
>>924 >これは思考のイマージュを読み取るというドゥルーズのスタイルからくるもので
すごいな。多分そうだと思います。思考のイマージュを読み取れないと、
逆に、いくら読んでも哲学書は分からないと思います。
ドゥルーズが生きてたら原発爆発とか911テロにどんな反応するのかな。
931 :
考える名無しさん :2011/10/16(日) 18:51:14.32 0
原発をツリーに、スマートグリッドをリゾームに例えて説明するとか
>>933 あなたがどう思うかではなくて
ジル・ドゥルーズがどう思うかなんだけど。
含むとこあって言ってんだろ?
>>936 ドゥルーズがどう思うかなんて知らないよ(笑)
著作を網羅した訳でもないし会った事もないんだから。
何考えてるのかぜんぜん分らない人だよ。
じゃ、何を反応うかがってんだよ? あんたの文章っていっつもそれ。 思わせぶりなだけ。
せっつかれてもなあ。まあそうだな、想像力を働かせてみると、 ドゥルーズは全てを平均化してマイノリティ擁護をしてたんだっけ。 だとしたら被災者になりきったつもりで何か熱く語ったりしたかも知れないね。
へえ。
>>939 ドゥルーズはマイノリティをマイノリティとして規定することそのものに反対したんだよ。
マイノリティという特定の立場に立ったつもりなって、そこから発言をするとは思えないな。
そうだねえ。 ドゥルーズは分裂症になったつもりで詩を描いたでしょ。 でも自己模倣とか嫌いそうだし、震災に立ち会って同じ事するわけないかも。 千葉まーくんとかにツイッターでその話ふってみればいいんじゃない? きっと何か面白い事言ってくれるよ。
>ドゥルーズは分裂症になったつもりで詩を描いたでしょ。 それ、どう考えてもドゥルーズが自分の扱ってるテーマについてより実践的に思考するための方法だよね? マイノリティっていう文脈じゃないだろ。 だいたいドゥルーズは分裂症を資本主義全般に特徴的な性質だとみなしてるんだから。
はいはい
みんなn個の性とか襞とか分裂病ばっか言ってないでたまにはフィッツジェラルドでも読みなよ。面白いよ。
どういう風に面白いんだい?
マイロストシティーは面白かったよ。ひっそりとした挫折の悲壮感が上品に描かれていて。 面白かったから今グレートギャッツビーを読み始まった所だよ。 ドゥルーズはカフカとかサドとかプルーストとか変態作家ばっか好きだけど、フィッツジェラルドはいいよ。
自分の主観や感覚の肯定みたいばっかで ちっとも内容が伝わってこないな。いつもこれだ
前に本について蘊蓄を長文で書いたら「ネタバレされた、今読み始まったばっかりなのにひどい」 ってすごい責められた事があるからね。
じゃあ、そもそも書くなよ。
フィッツジェラルド読んでドヤ顔とかほんと底が知れるなw
別にドヤ顔じゃないよ。面白いって言っただけ。 あと図書館で借りて来たのは尾崎翠とか丸谷才一、あとはハリーポッターを買って来た。 受け付けにいたら「心的現象論」を借りてるおじさんがいて「おっ」と思ったね。
君が面白いから何なんだい? それをいつも羅列して?
ガチガチのドゥルーズオタっていうのも痛いって話だよ。 ときどき似た事いいに来る人がいるじゃない。 趣味も増やして読書の幅も広げた方がいい。
あんたの読書の趣味なんかどうでもいい。 あんたが面白いドゥールズ論でも展開しろよ。 自分に出来ないのに人に言うなよ。偉そうだね。 だからドヤ顔って言われるんだよ(笑)
ぜんぜん会話の成り立たない相手にとっておきのドゥルーズ論なんて話して聞かせたって意味がないじゃない。 どうせなんでも悪意にとってあら探しして話の腰を折るだけなんでしょう? 面白いドゥルーズ論なんて学者の論文とか解説書を読めばいいんじゃないの? 仕事中で忙しいので落ちるよ。
君の趣味の読書傾向には意味があるんだ。?へ
>>957 悪意にとってと君は悪意にとるわけだw
反省のないあまなっちゃんにハイデガーはかっこよかったわけだw
煽っとらんぞ。見解だよ。 おまえさんの受け取り方が下品みたいだね。
ドゥルーズは文学。 『知の欺瞞』は経済学における数学の使用などについて批判すべきだった。
あまなの意見に具体的におかしいところがあると思って指摘した者だけど、俺にはそれ以上の意図はないよ。 コテだからっていう理由でおかしな絡み方するのはどうかと思う。 それにしてもあまなの妙な自己顕示欲は抑えた方がいいだろうけどね。
「あまな」は結局ドゥルーズどころじゃない 唯の小説の厨房的読書感想文やってんだけだ。 こいつにガチの学としての立論なんか出来ないよ。 ネカマ。
お前らってドゥルーズを神格化しすぎだよな。 そんで自分は批評家にでもなったつもりでいる無能だ。 くだらねえんだよ。
いいんだよ。ドゥルーズで修士とったんだ。博論まで俺はGDに付き合う。
この不況下で家が金持ちでもないのに人文系の大学院に行くとか世間舐めてるよ。
キリエは院に行ったら2チャン卒業したのに
日本の保守系からはポストモダンは左翼の変種と馬鹿にされてるけどドゥルーズ学者のみなさん認めてね
974 :
考える名無しさん :2011/10/18(火) 11:54:25.10 0
この円高で理系の技術者になろうとか目指すのも世間舐めてるし、 この信用不安のときに金融勉強して銀行就職しようとかも世間舐めてる
とはいっても、工学部だと中堅大学院卒でも1流企業にエンジニアとして入れるからな。 人文系大学院だと東大大学院卒でもワープアにしかなれないしw
>>974 実用的な技術や知識があっても厳しい状況なのに、
ましてヤケクソ哲学で時間と金を無駄にしてまともな就職できると思う?
どっちが世間舐めてるかは自明だよね。
世間は舐めていい。状況はきびしい
ゼミで優秀な奴ほどさっさと就職する感じがする。 ヤケクソ哲学研究をする機会費用を考えればあたりまえのことだが。 つまり人文系大学院進学者はその程度のそろばん勘定もできない人間。
家が金持ちなんじゃね?それか親が大学教員でコネ持ちとか。 教員は小学校から大学までコネが幅をきかせる世界だから。 俺はギリシャラテンから勉強して10年努力して、どの程度成果が出て、 どの程度就職確率があるかな、そして世間でどれだけ役に立つ知識が得られて、 潰しが効くかなと考えた時に職業としての哲学を目指すのを諦めたね。
実用的な知識身に付けたつもりがITバブルがはじけて、インドの技術者 雇いだしたから、米国のIT技術者総崩れだよね。そうなるとなんのつぶし もきかないし、哲学の素養があったほうがまだ人生に役立つw
まあ、そう思いたけりゃ、思えばいいんじゃね? あんがい哲学徒はアタマが悪いな。 IT技術者でも哲学研究者よりは職はあると思うよ。 ごく普通に常識的に考えてみなさいよ。自分が経営者の立場に立ってさw
現実が見れない、夢だけ見てる、身の程知らずでプライドだけは高い、 人文系院生ってほんと婚期を逃す女と同じだな。 悠長に哲学研究している間に自分の労働者としての価値がどんどん磨り減ってることに気づけよ。
私はムサビだったけど就職は楽だったな。 滑り止めとかは受けないで行きたい会社一社だけに絵を送ったら受かった。 哲学科とか卒業したあとって大学の講師とか狙ったりするの?
ドゥルーズのように自ら命を絶つ。
自分に労働者としての価値しか見いだせない可哀そうな犬が吠えている
コード化されないと社会人になれない、働けない それが嫌なら死ぬしかない
いや、家が大金持ちで働かなくてもいい立場なら別にいいと思うよ。 でも結局は働くんなら価値が高いうちに売りつけるのが得であって、 博士課程修了後では労働者としての価値がゼロになっているわけだから…
哲学科の学生には、アルバイトすらしたことも無い奴がいるからな… 本当にドゥルーズと同じ最後になるぞ
「「これを見るたびに屈辱感を味わう」。埼玉県所沢市の男性(45)は唇をかんだ。視線の先には、 所属する学会の名簿。A大教授、B大准教授……。同僚の名前を追うと、自分の所で止まり、 「無職」の2文字が目に入ってくる。大学院の博士課程を修了して10年。日本文学の研究者にな るという夢はかなわないまま、予備校2校と高校の非常勤講師をかけ持ちして生計を立てている。」 人文系院生の末路。
>>983 それで君のような人になるのか?うーむ。
ドゥルーズは病気で自死したわけで、パリ大学教授の地位は揺るぎないものがあったわけだし、ちょっと違うだろ。 お前らの最後はアレだよ、派遣村。アレを思い出しなさいよ。
ドゥルーズスレで就職話すんなよ・・・ と言いたい所だけど切実なんだな がんばれよ
就職の話は2chねらーらしく付け焼刃の知識で討論するのに肝心のドゥルーズのことは何も語れないのなw これが日本の哲学界の現状かw
ここは単なる2chであって哲学界じゃないけどな
馬鹿が一生懸命ドゥルーズスレを荒らしても ドゥルーズにも研究者にも哲学界にも何の影響もないからね 2ちゃんが教会になっちゃってる馬鹿にはそれが分からないw
東浩紀あたりのイタい本から哲学に入門した馬鹿が、 知的活動に挫折して一生懸命哲学板を荒らしてるんだよね〜
山師のハッタリが知的活動ってw
ドゥルーズって名前は有名だけど、何人がまともに読んでるんだろうな。 カント学会が2000人だっけ?
ネトウヨが保守系の学者を読んでないのと同じくらい読まれてないよ
ポストモダ〜ン
1001 :
1001 :
Over 1000 Thread このスレッドは1000を超えました。 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。