832 :
考える名無しさん:
最近も俺は容赦なく正論で誰か構わず批判してぶった切っているけれど、
1年前なら嫌儲板住民は「何事も否定から入る奴」だとか、
そして、
2年前ならニュース速報板住民は「負けを知らない勝馬に乗りの常勝軍団」と評されていたよな。
それはそれでそれなりに殺伐としていた。
でも、
10年前の2ちゃんねるなんて、1,2年前や今と比べものにならないほどにもっともっと殺伐としていたわけだよ。
でも、
なぜ、「そこまで殺伐としていられたのか」というからくりの種明かしをすると、
内部で複数人が連んで、ターゲットを嵌める虐め技を繰り返していただけだったから、というものであり、
その現象は、
先週暴露されログなど証拠が流出したことから明らかなように、
S氏などのラノベ作家一同が連んで、要は10年前の嵌め技と同じような殺伐空気を作っていたという事実が歴史に確実に刻まれたわけだ。
アフィ騒動とステマ騒動、それ以前はウヨサヨの政治運動会、常に蔓延る目立たず枯らせずの業社常駐員。
こいつらは死んでも●されても、社会に影響ないだろう、というところから「NPC」の概念は発展された。
そして現在の豚スレに至る。本当の殺伐の斬り味を継承した状態で。
833 :
考える名無しさん:2013/09/28(土) 14:54:00.95 0
因果応報。そして因縁。さらに縁起。また、やった分は全部自分に返ってくる。
この面白い法則で作られた世界で、自己責任に(事故に対して無責任)に行動する人が昔は多くいた。
最近は、因果と因縁のリターン速度が速くなって、自分の身を大切にする人が(無根拠に大きく因縁をつけに行かない人が)増えてきた。
834 :
考える名無しさん:2013/09/28(土) 21:54:27.00 0
しかし、日本には美しい文化がある。その文化はハラキリと呼ばれる。
切腹。自害。介錯。これらは美徳。死ぬことを美しくした画期的な発明。
なぜ外国からハラキリがそこまで評価されているのかは、
誰もが第一に避けるべき「死」を、「美の見せ所」に価値変換しているところが大きいが、
この美的な自害には、因果の流れに伴う余計な時間経過を短縮する働きを持っている。
また、加害者を生まずに事態を次に展開させる。
この機能性がとても効率的であり、数学的にも美しい。
けれども、日本ではこのハラキリ文化の利点と美点が悪用されている言うのが実情だ。
テレビに出てくる謎の自殺者や、初めから迷宮入りの殺害被害者。
これが日本の成れの果て。
だから、次は海の向こう、世界を国内に呼び込む因果を自ら作り上げてしまった。
835 :
考える名無しさん:2013/09/28(土) 22:42:55.20 0
「三島賞」なんてものが日本にはあるけれど、洒落や通例や義理立てや箔付けで、その「名」を借りているのだとしたら、日本はやばいよ。
三島の自害の美学は、
俺の様な「日本列島の外側からそのちっぽけな島国を見る第三者の視点」から見れば、既に説明したように
因果の回転率を上げ、時間経過を加速させ、事態の進展に余計な要素を入れないまま進め、それを美しい形で締めくくったところにある。
事態の進展に余計な要素を入れないまま進め、というのは、1+0=1という、入れ込む無駄の少ない展開だ。
美しくない無駄だらけの「普通の展開」には、1+4-2*3-(4i^2)-2=1 などということになっている。
三島賞を授与されたのに、美学もなく、因果の加速もできない人間なんて、もし居たら、
この国は色々と間違っているのだと思うよ。
だから、世界の国々のほうが日本の国内に侵入してくる因果が速度を上げる。
836 :
考える名無しさん:2013/09/28(土) 22:57:41.93 0
非礼や無礼は当たり前。器物破損に公共物破壊、むしゃくしゃしたからやっちまうような奴がグループになって、
欧米風のパーティーを平日の夜にお前の家で開こうと提案する。
こいつら素行が悪い割にはそれなりに金は持っている。どこから入ってくる金かは知らない。
「あしたのパーティー、俺らがそれぞれ色々買って持っていくから、お前も何かそれ相応の準備をしておけよ。明日は楽しもうぜ。」
こんなことを言ってパーティー当日が訪れる。
「あと、言い忘れたけど、割り勘な。俺たち結構買ったけど、お前も自分の分を払えよ。」
運命の話を始める前に、五輪開催が日本に決まって、とても面白いと思った。
誰も何も知らないうちに、全て決めておく術が成されていた。
これに比べれば震災ビジネスなんてハイエナや廃品回収業者が好む臭いの格下階級の死事だ。仕事と打って死事と変換された。苦情はこの日本語IME製作会社まで。
837 :
考える名無しさん:2013/09/28(土) 23:11:53.93 0
世界の外国全部が、日本の小部屋でパーティー開く取り決めをして、喜んでいる日本がいる。
この「日本」が「リア充」であるはずがない。論理的にそう結論される。