◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない183◆
つまり、
自然の理解が各々の方法(論理体系)で一つしか得られないということは
それが正しい(か誤ってるか)ということは問えない
というのも、論理体系A,B,C,D,,,,,とどれも可能であるからである
前者の言明は、自然とその法則(または事物)との相対関係である
後者の言明は、思考と「自然とその法則(または事物)」を対象とした言葉との相対関係である
前者の言明が世界(自然を含む対象自体)の理解に無意味であるなら、後者の言明だけが残る
「自然はE=mc^2によって理解できる」といった言明が世界の理解の手段として成立しないなら、
『思考が「自然をE=mc^2によって理解する」ということ』だけが、
世界の理解に成立する(可能性をもつ、または否定されない)ことは、そのこと自体が何を意味するか?
以下、欠く