◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない183◆
1 :
考える名無しさん:
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない182◆
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1298964480/
>> 960
> 実際、決定論的にはそれも決まっているでしょうから、
> 機械さんでもカラス君にでも、どうなるのか予測してもらいたいもんです。
知らないことについては考えることは出来ないということも知らないようですね。
世界は変わらない
4 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2011/04/12(火) 10:12:54.18 0
>>2 「考えることのできないこと」とは、いかなる意味に於いて存在し得るのか
その緩みきった頭のネジを巻き直して考え給えよ。
しかし、カラス君は「決まっている」ことは知っているのだろう?
いつ、どこで、どのようにして知ったの?
それとも、それは信仰かな?
6 :
Q:2011/04/12(火) 13:03:49.72 O
夢を見たところでどうせ
枯れた地で繰り返してくだけさ
死の灰かなにか
君だけがうまく奇跡を手に入れて
死の灰かなにか
救われるか賭けようぜ♪
昔、十八番だったんだよね、この曲
まさか現実になるとは思わなかったよ
7 :
Q:2011/04/12(火) 13:06:59.42 O
最近、イエモンを聴いてる
テレビをつけてニュースを見てるとJAMとか聴きたい気分になってくるんだよね
8 :
Q:2011/04/12(火) 13:18:06.49 O
地震が起きた直後、世界は日本を称賛した
「大災害の中で、ただ悲観に暮れるわけでもなく、
神に祈るでも自然を呪うわけでもなく
自分たちが為すべきことを分かっている」
未来のために、これから何をしていくべきか?
こういった問題と向き合うのはとても理性的だ
でも原発関連のニュースを見てると、人間の醜い面ばかり見ているようで
まぁ、歌でも歌いたくなるよね
この意味、わからない。
世界は変わりつづけている。w
世界の「何」が変わらない、といいたいの?
君は佃煮クンだよね?
10 :
Q:2011/04/12(火) 17:49:36.96 O
>>9 ネコ
それは俺だ
日本が戦争をした時、敗戦を「戦略的後退」などと言って
日本は自らの失敗を認めなかった
言葉は、内容を確認しそこから知識を得るためではなく
その風潮や社会性のために使用された
今回の原発の事故でも同じことが起きた
実際のデータは伏せられて、「実際に何が起きているのか」ということには目を向けられず
発表が社会に与える影響から言葉の内容がチェックされた
権力を有する者は「真理」の価値を隠す
言葉は他人を陽動するための道具でしかない
古代ギリシャではソフィストたちは、言葉で言いくるめる技術を「知恵」と呼んだ
ま、それから何も変わってないと感じてしまってね
世界は変わらない
世の中はソフィストのままだ
って感じの一言
11 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/12(火) 23:25:12.85 0
>>2 >知らないことについては考えることは出来ないということも知らないようですね。
ふーむ、そう言い切れるのでしょうか?
「夢の掲示」ではありませんが、人間には「あれ!知らないことが夢に現れた!」
・・というような経験が実在するようです。
たぶん「言語的に意識している(左)脳」と「音楽的に感応している(右)脳」の
「2つの大脳」が「脳梁」という神経の束で結ばれている・・という「人間(人類)の
大脳の構造」に由来している「体験」なのだと思います。
ある意味「左脳と右脳には別人格が宿っている」と考える方が妥当でなのだと思います。
しかし「この(言語による)レスそのもの」が「あくまで『言語脳』である(あなたの)左脳」
に対して、「あくまで『言語脳』である(わたしの)左脳」が「言語を用いて」伝えている
だけなので「その真の『意味』」は伝わらないかもしれません。
「ある(特定の)音楽の意味」とか「ある(特定の)ワインの味わい」等々
「言葉だけでは拾いきれない『意味』の世界」こそが、私達が「生きている世界」
・・であると言うことであり、それは「左脳に対して右脳が(言葉では)説明できない」
・・ともどかしがる・という「私達(人類の)脳内の葛藤」であると思われます。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
12 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/12(火) 23:50:18.76 0
>>10 >権力を有する者は「真理」の価値を隠す
>言葉は他人を陽動するための道具でしかない
ある意味正しいと思いますが、(たぶんフーコー的な)
「(見えない)権力」・・・と言っても「偏向報道」が見えないようでは
哲学はできませんが、と(ドゥルーズ・あるいはボードリヤール的な「誘惑」
の意味もある「陽動」と(マクルーハン的な)「メディアはメッセージ(そのもの)
である」・・・という「メッセージ」を含んでいるのでしょうね。
「過失の追求」という意味では、今回の震災に関する一連の出来事の中で、
メディアが公平ではない・・と感じたのは東電に対する「悪者扱い」の姿勢です。
別に東電社員とか役員が原子力発電所の防波堤を6m?に決めたわけでないのに、
その防波堤を越えた津波が緊急冷却系を押し流してしまった・・のが全ての原因であって
要は「発電所の設計ミス」の問題だと思われます。
津波さえ防波堤を越えなければ!という思いは「押し流された人や家」に対する防波堤
を築く(あるいは設計する)立場にある(各街々の)責任者と同等かあるいは「軽い」
(放射線による死者は今のところゼロ?)・・「津波の死者数は?」・・だと思われますが・・。
本日は就寝させて戴きます。
13 :
asp:2011/04/13(水) 01:58:37.44 0
11
↑
間違いないですね 左と右の脳でパラレルワールドで違う意識を持っているとしか考えられませんね
まったく違う人格がまったくしらない体験を自分の中でしているとしたら面白いですね
14 :
考える名無しさん:2011/04/13(水) 02:40:15.88 0
>要は「発電所の設計ミス」の問題だと思われます。
さすが機械的唯物論者といったところでしょうか。本領発揮ですね。
その時代で対処しうる限りの完璧な設計で作れば安全対策は完璧になるはずだというわけですね。
社員が日々どう安全対策を心がけるかとかはまったく関係ないというわけで。
さすが、物重視主義というか数値主義というか。災害はマップの上だけで起こっていて現地人の実状には無関心ってとこでしょうね。
機械さんは前職は官僚でもやっていたのでしょうか?
15 :
asp:2011/04/13(水) 03:02:26.41 0
数値主義?笑
そんな言葉ないでしょ笑
16 :
asp:2011/04/13(水) 03:04:08.88 0
なんでも主義つけて簡略させる主義?
誰もツッ込まないけど俺は突っ込むよ
17 :
asp:2011/04/13(水) 03:11:13.84 0
14
↑
偉そうにキレたけど若干恥ずかしい
もう来んなわ
18 :
考える名無しさん:2011/04/13(水) 03:11:39.15 0
>>-15-16
ば〜か
19 :
考える名無しさん:2011/04/13(水) 03:13:19.70 0
じゃあ数字主義でいいよもう
20 :
asp:2011/04/13(水) 03:17:08.66 0
というか
さすがとかいって自分も安全な場所にいる官僚と変わりはないんだが笑ちょっとの優越性で上から目線&知識の独占で威張ろう、もしくは人に忠告したい欲求にかられて我慢できない
インテリぶりたいなんなの結局は14は
学歴コンプレックスか?抑圧されてんのか?
そのまんまおまえに返すよとかきそう
21 :
asp:2011/04/13(水) 03:19:07.37 0
ちなみにおれは学歴に劣等感感じてるよ
22 :
考える名無しさん:2011/04/13(水) 03:22:19.40 0
またいつもの論点の挿げ替えでつか
23 :
考える名無しさん:2011/04/13(水) 03:23:40.53 0
×言いえないことについては沈黙せねばならない
○言い得ないことについては論点挿げ替えせねばならない
24 :
考える名無しさん:2011/04/13(水) 03:27:21.13 0
この板で官僚批判をしたときのリアクションの確率といったらw
まじで哲板の主は穴下り官僚の放蕩息子説が疑われる
25 :
asp:2011/04/13(水) 03:27:22.38 0
死は経験対象ではない 経験し得ない
26 :
asp:2011/04/13(水) 03:28:30.20 0
官僚の放浪息子でもイケてればいいんだよ
27 :
考える名無しさん:2011/04/13(水) 03:32:03.08 0
ass hole peanut
28 :
asp:2011/04/13(水) 03:40:32.02 0
議論に対する努力 それを諦めない姿勢こそが
誰かにインスピレーション与えるかもしれないね by ドナウイリアムス
29 :
asp:2011/04/13(水) 03:55:33.91 0
という特攻隊精神好きな奴多いよね
君が代やめれ
30 :
asp:2011/04/13(水) 03:57:07.92 0
着地できないから
31 :
asp:2011/04/13(水) 03:59:03.36 0
最初から飛ばない奴は論外だがな
32 :
asp:2011/04/13(水) 04:11:55.94 0
33 :
ゲーム:2011/04/13(水) 09:36:53.10 0
>>10 そうだったの。
佃煮君も、どこかで「変わらない日常世界」みたいな言い方をしていたので。
ところで佃煮君は昔、君が議論したむじん君だろう?
たしかに“世界”はソフィストで満ちている。
タダで「知」を提供するソクラテスのような奇特なご仁はいない。
評論家はもとより、学者も“知”を商品に替えている。
なお、戦争の当事者がそのさなかに戦況を客観的に述べるのは難しい。
「戦略的後退」は「隠蔽する」ためというよりも“信念と願望の表現”と解したほうがいい。
戦局を客観的に見定められるようになったときは、もう勝負は決している。
私見では、ソクラテスのほうがソフィストたちよりも「いいくるめる技術は上」である。
死んでみせなければ、後世、彼は当代きってのソフィストと評価されたにちがいない。
その点では、イエスと似ている。
あのような死に方をしなければ、イエスはバプテスマのヨハネの後塵を拝しただろう。
あいかわらず“真理”に囚われている。
哲学は“真”の追求ではなく、むろん商売の道具でもなく「“知”を愛求するもの」
ではなかった?
34 :
ゲーム:2011/04/13(水) 09:56:29.04 0
>>12 機械さん、東電を容赦したり同情する理屈はどこにもありません。
それとも貴方にも、某女史のように東電から何がしかの余禄の恩恵があったの?
35 :
Q:2011/04/13(水) 13:23:32.71 O
>>33 知識には、真なる知識と偽なる知識があるのではないだろうか?
知を愛するならば、自らの問題とする知識を真と偽に分別することに関心をもつのではないだろうか?
相反する言明がどちらも真であることはない以上
相反する言明の少なくとも1つ以上は偽の言明である
その偽であることを探ることが知識の発展につながる
前スレでは、「地球が平らならなぜ水平線の向こうが見えない?」と書かれていた
これが知識の発展につながる言明の関係であり
真理を問題にしているということだ
どうでもいいが、相対主義を自称しながら「客観的」などと発言するのはいかがなものか?
君は「客観的」と呼ばれるものは何一つ認めない立場ではなかったか?
>>5 信仰です。決まっていると考えるのは自分の考え方、脳の使い方です。
それが真実なのか真実では無いのかという議論も決まっている事実を前提としています。
>>11 左脳右脳分かれているだけでなく左脳だけだとしても自分の脳のプロセスがわからないという
ことでしょう。脳のプロセスを鏡で見れたらわかるのでしょうね。鏡無しに自分が何者なのか
わかる存在は無いと思います。
37 :
考える名無しさん:2011/04/13(水) 20:34:43.85 0
>>1 あれまた元の文に戻ってるけど
いつの間に?そしてなぜ?
こっちのがいいけど
38 :
考える名無しさん:2011/04/13(水) 20:52:52.63 0
「進め一億火の玉だ」「節電で 産めよ 戦地で待つ兵器」 「一億玉砕」「最後には神風が吹いて
日本は必ず勝つ」 本土決戦」「国民精神総動員」 「欲しがりません勝つまでは」「撃ちてしやま
む」 「ぜいたくは敵だ」「出せ一億の底力」 「挙国一致」「『足らぬ足らぬは』工夫が足らぬ」
「神州不滅」「理窟言う間に一仕事」
これらの標語が大日本帝国臭くて使えないので、
「ひとつになろう日本」「がんばろう日本」「がんばれ東北」 とかいうようなインパクトがない
言葉しか出てこないのです。
日本は終わったんではなく、敗戦で終わってたんですねwwww
怯むな!大日本帝国は不滅だ突撃! 「進め一億火の玉だ」「節電で 産めよ 戦地で待つ兵器」
「一億玉砕」「最後には神風が吹いて日本は必ず勝つ」
「本土決戦」「国民精神総動員」 「欲しがりません勝つまでは」「撃ちてしやまむ」
「ぜいたくは敵だ」「出せ一億の底力」 「挙国一致」「『足らぬ足らぬは』工夫が足らぬ」
「神州不滅」「理窟言う間に一仕事」
プラス
「ひとつになろう日本」「がんばろう日本」「がんばれ東北」
絶対復活大日本帝国!!!!!!!!!!!!!!!!!!
39 :
考える名無しさん:2011/04/13(水) 20:53:49.23 0
スピリチュアリズムでは死後の世界は肯定してますよねー!?♪。
大宮に顕正会の本部があります
41 :
考える名無しさん:2011/04/13(水) 21:11:39.09 O
所詮文系(笑)の戯言だな
数学も満足に出来ない池沼集団文系(笑)
42 :
考える名無しさん:2011/04/13(水) 21:17:55.82 0
43 :
考える名無しさん:2011/04/13(水) 21:36:43.88 0
「進め一億火の玉だ」「節電で 産めよ 戦地で待つ兵器」
「一億玉砕」「最後には神風が吹いて日本は必ず勝つ」
「本土決戦」「国民精神総動員」
「欲しがりません勝つまでは」「撃ちてしやまむ」
「ぜいたくは敵だ」「出せ一億の底力」
「挙国一致」「『足らぬ足らぬは』工夫が足らぬ」
「神州不滅」「理窟言う間に一仕事」
44 :
Q:2011/04/13(水) 22:07:04.98 O
みんなで一致することが美徳だと考える人たちがいる
同じ考えの人たちが集まれば大きなエネルギーを産むだろう
でも同じ考えの人たちが集まっても知識は何ら進展しない
45 :
考える名無しさん:2011/04/13(水) 22:07:49.67 0
「進め一億火の玉だ」「節電で 産めよ 戦地で待つ兵器」 「一億玉砕」「最後には神風が吹いて
日本は必ず勝つ」 本土決戦」「国民精神総動員」 「欲しがりません勝つまでは」「撃ちてしやま
む」 「ぜいたくは敵だ」「出せ一億の底力」 「挙国一致」「『足らぬ足らぬは』工夫が足らぬ」
「神州不滅」「理窟言う間に一仕事」
これらの標語が大日本帝国臭くて使えないので、
「ひとつになろう日本」「がんばろう日本」「がんばれ東北」 とかいうようなインパクトがない
言葉しか出てこないのです。
日本は終わったんではなく、敗戦で終わってたんですねwwww
怯むな!大日本帝国は不滅だ突撃! 「進め一億火の玉だ」「節電で 産めよ 戦地で待つ兵器」
「一億玉砕」「最後には神風が吹いて日本は必ず勝つ」
「本土決戦」「国民精神総動員」 「欲しがりません勝つまでは」「撃ちてしやまむ」
「ぜいたくは敵だ」「出せ一億の底力」 「挙国一致」「『足らぬ足らぬは』工夫が足らぬ」
「神州不滅」「理窟言う間に一仕事」
プラス
「ひとつになろう日本」「がんばろう日本」「がんばれ東北」
絶対復活大日本帝国!!!!!!!!!!!!!!!!!!
46 :
考える名無しさん:2011/04/13(水) 22:39:17.49 0
知識(過去)しか見ない奴は、想念(未来)を描けない故に
先へ進めず流されるだけである。
47 :
考える名無しさん:2011/04/13(水) 22:42:30.06 0
気がつけばダウは12000越えしてるのにnikkeiは10000割れのまま(震災前でも11000〜8000
をさまよってた)
とうの昔に脱落の道を歩んでますよ。この差はニュースではとりたてて取り上げられませんがね。
48 :
考える名無しさん:2011/04/13(水) 23:12:11.94 O
本しか読めない文学部とかいう学部をなくせば大学教育も良くなるな
理系も3年までは大半が座学だよ
実験も、お手盛りだし
50 :
考える名無しさん:2011/04/13(水) 23:39:33.24 O
世界に貢献するものを創り出す人々=理系
自己満足オナニーしか出来ない人々=文学部出身者(笑)
まあ、ひとそれぞれだな
理系の最下層は、文系の最下層を笑うぐらいしかできんわけで
結局は体育会系が生き延びる気がしないでもない
そうねぇ
逞しい奴、馬力のある奴には勝てんな
54 :
考える名無しさん:2011/04/13(水) 23:58:10.59 O
まぁそれでも理系の最下層>文系の最上位なんだがな^^
理系の最下層=文系の最下層
56 :
考える名無しさん:2011/04/14(木) 00:08:44.58 O
ごめんそもそも文系自体最下層の集まりだったわ
鏡みろ
まあ、機械さんも文系のくせに哲学科の存在を否定するという
自虐的な存在だしな
60 :
考える名無しさん:2011/04/14(木) 01:50:50.40 0
test
決定論はマルクスにつながるから嫌い
62 :
asp:2011/04/14(木) 04:54:24.01 0
決定論とランダムなにか違いがあるんでしょうか
63 :
ゲーム:2011/04/14(木) 09:38:40.43 0
>>35 厳密にいえば、そうだね。
「客観」には、常に主観の陰が落ちている。
主観性を帯びずに「それは成立しない」といってもいい。
“客観性”とは、だから言葉のアヤ(綾、絢、彩、紋、文、怪w)でしかない。
“客観”を辞書で引くと、認識の「対象」と載っている。“世界”は主客の相関、
相対として現前する。(私は最近、主客の合作と称している)
主観から独立して存在する“外界”との言い方、これも言葉のアヤ。
「戦いの当事者は客観的に状勢を把握できない」の“客観”は第三者的立場の意。
厳密にいえば、当事者はもとより、その観望者も客観(第三者)的たりえない。
ただし戦争は(苛烈ではあるが)ゲームなので、それ(客観)に近い立場を仮構して、
そこから形勢判断することはできる。(主観性を完全には払拭できないが)
表現の彩として“客観”という言葉を私が使ったからといって、検閲するな。w
64 :
ゲーム:2011/04/14(木) 10:36:54.26 0
>>35 まともに反論するなら、君のいう「真なる知識」はまだみつかっていない。
機械さんの満腔の希望に反して、当面、見出されそうな気配はない…。
現在、流布されているそれは「以前のそれよりも説明・利用範囲が広い」と
いうにすぎない。いずれは、それも古い知識(迷信)とみなされるだろう。
相反する言明の「どちらも真」である事態は成立している。
真/偽(という構制)はそこでは乗り越えられており、真/偽を脱構築した言表の
樹立が要請されている(らしい)。
文系にそれが不可能なら“哲学”は断念して、理系の専門○○どもを、いかに
その気にさせて働かせるか、その“(いくるめる)技術”を磨くほうがいい。ww
なお前述したように、地球は丸くも平らかでもない。
遠望すれば、球体のようにみえるらしい。
「真なる知識は見つかっている」は真か偽か
>>35の立場・・・真
>>64の立場・・・偽
>>50 理系でも虚学など掃いて捨てるほどある。
物理学も工学系以外は微妙だが、意外な所から新発見が飛び出すから油断できない。
偉い人にはそれが分からんけどな。
>>64 真とは間のこと、つまりデジタルではなくアナログ(ノイズ入り)
明確な事ではなく不確定な物の領域を示す。
物事の知識や論理を極めるとデジタル脳が出来上がる。
それは普遍な状況で永久に変わらない類には有効であるが移り行くもの
には無意味である。その時点では正論であっても時代によって変わってしまう。
哲学で行うものを学問の知識とし全て理解するものに割り切るならば
それは哲学ではなく、科学の反証可能で考える必要すらない類である。
真はそういう人が主体となる知で割り切れる類ではないのは歴史が証明
している。
68 :
Q:2011/04/14(木) 16:47:21.25 O
>>64 真なる知識は見つかってないとして
偽なる知識は見つかっているだろうか?
もし、歴史と共にある知識が偽であることが判明したならば
それは知識が真理に向かって発展したことを意味するはずである
昔は、世界の果ては滝に囲まれその向こうでは竜が待っているとされていた
そのような知識が偽と判明したならば
それは、真か偽か分からない知識が偽であると判明したということである
この仕組みは「真」と「偽」の2つがないと成立しない
「真理」がないならば、「偽」もまたありえないのである
ある知識が偽であると指摘できるのは
その背後に「真理」の理念を要する
もし君が「真理はない」という態度を徹底するならば、君は「偽なる知識などない」という態度をとらざるをえない
偽とは人為と書きますね。人為から独立して自然は達成されない。
人為も自然に入れてあげてください。ソフィストとはこれらを切り分ける者のことです。
70 :
ゲーム:2011/04/14(木) 18:16:04.57 0
>>68 それが偽かどうかはしらぬが、役に立たなくなった知識はある。
真/偽という二項対立によっては“世界”は解けない、といっているのである。
ちなみに「世界の果てには滝がある」というのは或る共同体における真理。
別の世界像をもっていた共同体も存在した。
仮に、それが“偽”だとして、では、それに対置される“真”は何?
世界の果てには何があるのだ?
所用があるので後ほど。
71 :
考える名無しさん:2011/04/14(木) 18:44:13.74 0
>>70 偽は人が為すものだよ、物事の本質ではない。
人が関わらずにはありえない。
72 :
考える名無しさん:2011/04/14(木) 18:46:48.02 0
人がたどり着けないものが真、そして人が為すものが偽
簡単すぐる。
73 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/15(金) 00:40:17.01 0
>>64 >真/偽という二項対立によっては“世界”は解けない、といっているのである。
「世界を解く」って「自分の主観で解釈する」という意味なら、誰でもやっていることです。
「世界を解く」とは、まさにガリレオガリレイがやったように、教会は「見かけの星の動き」
だけを基に千数百年間「天動説」を唱えてきたが、自分が観察した「内惑星の動き」の説明
をするには「地球が太陽を回っている」と考える「コペルニクス的転向」が「正しい」・・と
信じ、それを発表し「おまえは星や太陽や月が地球を回っているということが見えないのか?」
・・・と宗教裁判所で脅迫され「はい、おっしゃるとおりです」と回答した帰り道に
「それでも地球は(太陽を)回っている」という「歴史的言葉」を残したのだと
(半ば伝説的に)伝えられております。
「地球の周りを太陽が回っている」のか
「太陽の周りを地球が回っている」の小学生でも知っている現代において、
「どちらも『真理かもしれない』などという『相対論至上主義』は「観念論的
悪趣味・・・言葉遊び、屁理屈、目立ちたがりの奇矯なパフォーマンス」なのです。
「観念論」が今まで数千年生き延びた理由は「人々の(脳の)非知性的分野に訴えて
それを誘導する「言葉の働き」について「卓越した伝統を誇る」ことです。
そもそも「解く」とか「解釈する」とか「解明する」ということとは何か?
を「問う」のは哲学の分野(仕事)であり、アプリオリに「それは解釈された」
「それは解釈されていない」などと無造作におっしゃるのは、「自分が好きか嫌いか」
・・を理由も告げずに言明していることとあんまり変わりはしません。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
74 :
Q:2011/04/15(金) 00:51:59.14 O
国破れて山河あり
家族からの手紙は万金に値する
個を個足らしめている身体
身体の身内は国より山河かな
手紙と国は言語という家族かもね
Qさん言語好きだね
人類がみんなひとつの言語(英語とか)使うようになったら
「国」という概念の名称終わるかも
「誰もいない無人島で大木が倒れた」とき、そこに音は存在したんだろうか?
78 :
ゲーム:2011/04/15(金) 09:16:43.85 0
>>73 ガリレオもニュートンも“真理”を語ったわけではない。
アリストテレス−プトレマイオスのそれよりも彼らのそれのほうが
汎用性の高い言説だった、というだけである。
いまどき「真理、真理と夜も眠れない」のは、科学好きの機械さんと
哲学好きのQ君くらい。w “真理”志向という力への意思を、どう
解体するかが“思想”の課題とされる、このご時世に、あえて真/偽を
問うのは、流行を超脱した素敵な試みなのかもしれない。w
なお、厳密には(というほどでもないが)太陽の周りを地球が回っている
のではないそうです。これも言葉の綾ですね。
79 :
Q:2011/04/15(金) 09:32:25.85 O
>>78 俺も機械君も二人とも
「誰かが真理を発見した」とは言ってないよ?
「すべては言葉の綾でしかなくどうとでも言える」に反対しているだけなんだよ
それを指して「真理はある」と言うんだよ
すべては言葉の綾でしかないから、原発は安全です
ただちに健康に被害はない
仮に誰かが健康を害したら、言葉の綾でごまかせばいい?
いやいや、真理はありますから
言葉には「嘘」と「本当」がありますから
自分の都合や利益に合わせてごまかしの言葉を発さずに
真理を問題にして言葉を語らねばならない
ま、22世紀は来なそうだから真理はなくてもいいんじゃね?
嘘つきまくりでいこう
80 :
考える名無しさん:2011/04/15(金) 09:40:42.12 0
>>74 それが詠まれたのは、まだ放射能が撒き散らかされることのなかった時代では?
81 :
Q:2011/04/15(金) 09:42:58.82 O
政府は安全性について、現実と対応した発言をすべきかすべきでないか?
実際に安全なら「安全」と発言し
実際に危険なら「危険」と発表すべきだろうか?
このような、言葉と現実の対応関係を「真」とすることを対応説真理観と言う
ネコには数年前に言ったよな
で、ネコは、現実なんてものはないから
「安全」も「危険」も言葉の綾でどうとでも言えるということだね
82 :
Q:2011/04/15(金) 09:45:47.47 O
>>80 だね
春望は好きで、昔は暗唱できたのに
今じゃあまり覚えてない
まぁ、ただ家族からの手紙が恋しくてふと書いただけだから、どうでもいいといえばどうでもいい
83 :
ゲーム:2011/04/15(金) 10:15:36.08 0
>>79 御託を述べる前に「世界の果てには何がある?」に答えなさい。
「滝がある」のは偽なのだろう?
もう一つ、論駁するときは私の語ったことに沿ってやってくれないと…
君に都合のいい箇所を採りだして論難するのは、三流詭弁家のやり口。
だから、だれも君を相手にしなくなったのである。(私の他にはw)
私は、こう述べた。「言葉は“一意”と“彩”の角逐として表出される」と。
両義性のどちらかに、自覚的に比重をかけて語りうるけれども、言葉を
“一意”に押し込めることも“綾”に離散させてしまうこと不可能。
抄録さんも知らなかった“角逐”とは、そういうことだ。w
ずいぶん昔に訊いた覚えがあるが、もう一度、たずねる。
君のいう真/偽を決めるモノサシ(基準)は何?
「嘘」と「本当」のそれでもいい。
昔の答えは記憶している。君は、あとが続かなかった。w
84 :
Q:2011/04/15(金) 10:30:00.94 O
「滝はある」の否定は「滝はない」でしょ
そんなことも分からないの?
85 :
Q:2011/04/15(金) 10:31:17.68 O
あと、「矛盾は偽である」
真理を図るものさしはこれで十分
86 :
ゲーム:2011/04/15(金) 10:37:51.78 0
>>81 女と仕事で苦労しただろうから、君も多少は成長したにちがいない
と想像していたが、ヒトの本質はかわらないらしい。「本質は実存を
凌駕する」ようです、サルトル先生。
いつ「現実はない」と述べた?
こういう嘘を平気でつくから、君は“人事”にしくじるのだ。w
たしかに「現前は主客の合作」とはいった。
この“現実”なるものは、主体の外部には存在しない。
といって“心のなか”にあるわけでもない、という意味だ。
で、君のいう「現実」って何?
87 :
Q:2011/04/15(金) 10:40:18.98 O
>86
「語り得ぬもの」でも「ものじたい」でも結構だが
「真理はある」ってそういうことだよ
88 :
ゲーム:2011/04/15(金) 10:56:43.08 0
>>84 それは典型的な言葉のアヤ。しかも程度の低い。
小学生の頃、そういう答え方をするのがいました。
「滝がある」の否定など訊いていない。
「世界の果てには何がある?」と質問しているのである。
その答えが「滝がない」ですか。
君らしい答え方です。w
>>85 それは、初級者向け。w
“世界”は君の嫉妬ぶかい心よりも広く、矛盾を許容するらしい。
89 :
Q:2011/04/15(金) 11:03:19.15 O
>>88 知らんよ
「世界の果て」が何を指しているのか分からんし
君がその言葉で何を表現しようとしているのか分からん
君が矛盾を禁止しないならそれはそれで結構
『プロタゴラス』でソクラテスは
矛盾した表現を弄する詩人を「大バカモノ」と呼んでたっけ
古代ギリシャから、矛盾した表現でなにがしかを語ったふりをする詩人たちは大衆から称賛を集めたらしい
ソクラテスはそれが嫌だったみたいだ
90 :
ゲーム:2011/04/15(金) 11:06:32.21 0
>>87 それは「不可知の領域はある」といっているにすぎない。
“真理”はヒトには「わからない」という意味だ。
91 :
ゲーム:2011/04/15(金) 11:16:03.49 0
>>89 世界の果てとか滝とかは、君がだした例だ。
君は「それは偽だ」といったのでは?
では、滝ではなく、何があるのか、と訊かれるに決まっている。
だいぶん前に読んだので忘れたが、ソクラテスは「詩」を相当に読み込んでいる。
その意義をも理解していたと思う。
詩人を目のカタキにしたのはプラトンでは?
“真理”主義も彼から始まるのでは?
92 :
Q:2011/04/15(金) 11:18:20.72 O
>>90 相対主義は「不可知の領域はある」とは主張できないんだよ
「不可知なものなど何もない(わたしの知るものが世界のすべてである)」と主張するか
「すべては不可知である(知ることができる領域など何一つない)」と主張するかしかできない
不可知な領域を設定するってことは
人間の認識と切り離された自律した世界の存在を設定することと等価なんだよ
君が嫌う「客観世界」ね
>>77 ゲームさん的には、「音は存在しない」わけです。
なんせ、世界の全て(の事象)は「主客の合作」ですから。
しかし「何もない」わけであろうはずがない。
唯物主義者として、あたくし的には、そのような問いにどう対応しようか、久しく悩んでましたが
「音を観測可能な事態が既に成立している」てのが最近のマイブームです。
人は、自然と対等に世界を合作できるほどのタマじゃない。
自然は観測に関わりなく勝手に“現象”しているのであります。
(※「現象」は微妙ですか。。。。もうめんどくさいw)
ゲームさん
私が教養人であるはずもないので、角逐を知らないのは当然の事態なのであります。
94 :
Q:2011/04/15(金) 20:04:21.40 O
>>93 人間の言葉がそもそも根本的に誤っている可能性を認めてしまったらいい
「何もない」が真である可能性を認めてしまおう
これで、われわれは「なにがしかはある」と考える立場として
「何もない」と考える人たちと対話可能である
われわれは考えを違える者たちと対話をし続けるしかない
95 :
ゲーム:2011/04/15(金) 20:32:32.28 0
>>93 人間がそこにいなければ、ヒトにとっての“音”はないでしょう?
しかし、イヌやネコやトリや、はたまたミミズがいればどうか。
それら“動物”がいなくても、傍らの別の木はそれをどう感受する
のだろう? “無”ではあるまい。
生物がいなくても、近傍の石はどう受容するのだろう? 何がしか
の微反応を示すのでは? すべて類推だが…
工員のかたわら、翻訳に従事する抄録さんは“奴隷”にして文化人。
知らなくても“恥”ではないが…w
96 :
ゲーム:2011/04/15(金) 20:50:11.44 0
>>92 カントがそういっているだけだ。
私は「すべて不可知である」に近い。
昔、こういったことがある。
「そこにいるQ君が何であるか、言い尽くすことはできない」
Q君のような複雑な存在でなくてもいい。w
消しゴムでも一葉でもいい。
しかし不可知なのはカントとはちがって、彼方にあるからではなく、
それ“自体”がないからである。
>>94 いきなりそんなちゃぶ台ひっくり返すようなことを言わないで。
やけくそですか
「言葉が根本的に誤っている」なる命題というか言葉の列は自己否定となるでしょう。
いかなる意味の成立を狙って発せられた言葉なのか私には分からないが。。
「以降の私のいかなる言説も、それは意味の成立を意図していない」
との可能性でも表明されたのかしら。まさかね
ゲーム氏も、言葉の成立構造を破壊するまでは意図していないように思う。
「狭い路」とか言っているのだから。これは買い被りかしら
こんなときにスモっちなら、わけ分からん境界を見つけてくるのだがー
私には荷が重い
Qさん、粘ってくださいw
>>95 奴隷とはなんぞ!
肉体労働者は奴隷ですかね?
「労働者」で通じる話を、わざわざ「奴隷」に言い換えるのは
悪意を感じますな。
貴方得意の相対化によって、いかなる文化人、知識人、資本家も
それを何某かの奴隷とすることができるわけでしょう?
しょせんは、「下見て暮らせ」の自己欺瞞を達成するための方便です
まあ、過敏に反応した私は、まんまと貴方の術中に嵌っているわけだがw
99 :
Q:2011/04/15(金) 21:21:09.32 O
>>97 やけくそではなく、くそ真面目です
そして僕が「21世紀の新しい合理主義」と呼ぶキモがここにあるわけです
ところで、あなたが出した言明ですが、その狙いに関係なく真偽を考えることはできますし
それは無意味な問いでもありません
仮に自然が偶然的に文字列をつくって、その内容から意味を読み取れたとして
その内容の真偽を考えることはできます
「わたしはいない」という発言がテープレコーダーの声で実際に死んでいるかもしれない
仮にそうだとして、「この人は本当にいるのか?」と考えることの価値は何一つ落ちません
同じことが「われおもうゆえにわれあり」の理性の自己正当化問題にも言えます
つまり、僕の主張は簡単です
合理主義者は非合理主義者と対話できるし、
また、その対話は意義があるのです
ここから、僕のような立場の可能性が出てくるわけです
>>99 まじめだったんですか。。。
しかし、何を言っているのか全く分からないので一つ一つ訊きますけど
>「人間の言葉がそもそも根本的に誤っている可能性を認めてしまったらいい 」
「誤っている」という“言葉の意味”は、私はどのようにとらえればいいのです?
101 :
Q:2011/04/15(金) 21:39:43.94 O
>100
論理の内部に嘘つきパラドックスのようなパラドックスが含まれている
われわれの悟性そのものに致命的誤りがある
そのような可能性は想像できる
>>101 それは論理の構造的な問題でしょう
「真偽の判定そのものが矛盾となる命題を作ることができる」ということでしょう?
実際そのようなパラドックスはあるわけです。
しかし、そこからいきなり「悟性そのものの致命的な“誤り”」となるのです?
「誤り」の意味が宙に浮いているのではないですかね?
悟性は何をどう誤るのです?
もしかして真理に鑑みてですか?
私は「真理はある」と思っていますが、
「真理は、それによって悟性とか論理とかを誤りであると照らすことのできる類である」
とすることが想像可能ですか?
その“想像”からは悟性を排除するのですか?
その先の可能性がありますか?
*********************************
Qさんは、世界五分前創造仮説とか、水槽脳を
「あり得べき事態である」
と“想像”してしまう人なのですかね?
103 :
Q:2011/04/15(金) 23:19:22.10 O
>>102 まぁ、僕は論理が誤ってないと考えてますが
論理に誤りの可能性がないとは考えていません
この違いが僕の立場にとっては大事なわけです
さて、世界五分前創造説もいいんじゃないですか?
僕はどんな空想も即誤りとは言えないと思っています
しかし、想像の一万円札ではコンビニで買い物はできません
誤りがあることを想定できることは、実際に誤りがあること、誤りが指摘されたことを意味しないのです
追伸
僕はパラドックスな言明があることを理由に論理の誤りの可能性を指摘しているのではなく
論理構造がパラドックスを築く可能性をもって、論理に誤りがある可能性を指摘しています
104 :
Q:2011/04/15(金) 23:43:22.01 O
暇だから
誤りの可能性があることを指摘されることは、誤りであることを意味しない
また、誤りであることを指摘できる可能性があることは
それが他者と対話可能であることを意味する
もちろん僕は、他者と対話不能に陥るようなファイナルアンサーは求めていません
入手不可能とかではなく、まるで興味がない、いらないのです
しかし、真理には関心を持ちます
こちらは入手可能であり、対話を続行させ、実り豊かな言語営為を成立させるものだからです
この2つを分別して、片方はゴミ箱に投げ捨てて、片方は大事にする
それが僕の立場です
もちろん僕の立場も批判可能です
真理とファイナルアンサー(正当化のことを2ちゃん風にそう名付けてみました)
これが峻別できるかどうか
もし、峻別不可能ならば、僕の立場は撤回されて然るべきでしょう
>>103 全く分かりませんけど
悟性とか論理がどのように誤っている可能性があるのか想定できますか?
それとも、その想定はできないけれど、「誤っている可能性」だけは想像できるのでしょうか?
「誤っている」とは「不都合だ」と等価なのでしょうか?
貴方の「想定」は宙に浮いているように思いますが
しかし、今回はもういいですw
こちら信仰を強要されるわけでもないので、貴方の立場を尊重しましょう。
あと
世界五分前仮説は、その想像が常識に反しているから駄目なのではなく
実用性が無いから駄目なのでもなく、
ましてや「誤り」であるから駄目なのでもなく
初めから「その言明に意味を成立させることが不可能である」から駄目駄目なのである
と、少なくとも私は考えているわけです。
106 :
Q:2011/04/16(土) 00:09:51.54 O
>抄録
抄録さんは真理のものさしに観察や知覚、経験を置いていませんか?
蜃気楼の例を見てもわかるとおり
知覚されるものが実際にあるかどうかは分からないわけです
われわれの感覚器官は大いに誤りうるわけです
もちろん僕は、人間は経験とともに知識が増大すると考えてますが
理論の経験への優位性を認めています(経験論ではなく合理論)
僕の経験主義は、実験主義です
人間は実験をすることで知識を獲得するというものです
ところで、実験というのは正しいか間違ってるか分からないからするわけです
また、実験結果が理論を根拠付けもしないわけです
実験の結果は、ある種の知識の連関が全体で誤りであることを指摘することしかできないわけですが
これは対話にも通じます
科学者が実験をする時、彼は他者と対話をするのと同じだけのプロセスを踏んでいるわけです
僕が科学を信頼するのは、それが多くの対話を経てつくられた知識だからですね
せっかくだから、理も対話可能であってほしいものですね
過去に縛られるものは、過去から抜け出せない。
君のことだよ。
108 :
Q:2011/04/16(土) 00:21:53.39 O
>105
失礼、入れ違いになった
さて、悟性の誤りですが、具体的に想定できます
つまり、誤りを実際に指摘される可能性があるのです
誰かが論理の構造がパラドックスを成立させることを発見するかもしれません
未だ見つかっていないことは、これからも見つからないことを意味しません
(もちろん僕は、誰かが発見したら非合理主義になりますよ)
さて、「世界五分前創造説を考えることには意味がない」とあなたはおっしゃりますが
僕は意味があると考えます
まぁ、興味はほとんどないですが。
その真偽を問うに意味がない問いというものがあるとは思えないんですよ
僕は「無意味なものは(批判不可能なもの以外には)何もない」と考えているので
どんなバカげた想像だろうと考えることは意味があると思うわけです
109 :
Q:2011/04/16(土) 00:24:04.04 O
>>107 先にあるべき未来を先行させ、それを過去によって批判する
それが過去を教訓に未来をつくるということだよ
110 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/16(土) 00:32:30.96 0
>>83 >御託を述べる前に「世界の果てには何がある?」に答えなさい。
私に問われたわけではありませんが、「世界の果て」には「最大の過去」である
「ビッグバン」があり、それは「超高性能天体望遠鏡」で見えております。
「遠くを見れば(観測すれば)遠くになるほど過去である」・・ということはご存じだと
思いますが、「過去は有限である」が故に「夜空の星々」を(地球から)観測することが出来るのです。
「宇宙(過去時間)は無限であって欲しい」という素朴な願望は理解でないでもありませんが、
「宇宙(過去時間)は無限」ならば「地球から見える恒星(太陽のような星)も無限にある」
ことになってしまい、地球上は「無限にあるの恒星の光(電磁波)」に満たされ高熱で蒸発してしまう
筈です。
「過去は有限である」=137億年前に「この宇宙」は時間と空間が同時的に発生した・・・という
「真理」については、理論物理学でも宇宙物理学でも既に「50年前に検証されて揺るがずにいる世界(宇宙)観」
なのです。
それは「全ての最新の観測結果によっても揺らがない」=「(最終)真理の世界(像)」だということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
111 :
Q:2011/04/16(土) 00:40:46.96 O
>抄録
せっかくだから
知識の増大というのは
誤りの可能性を具体的に明確にすることです
誤りとは両立不可能な言明の関係です
要は、両立不可能な言明の関係を指摘していくことが対話だということです
前スレで
地球が平らだという返答に対して
「ではなぜ船は水平線の向こうから現れる?」と質問した人がいました
「地球は平らだ」と「船は水平線の向こうから現れる」が両立不可能な関係だということが
この批判を成立させるわけです
さらに言えば、両立不可能な関係の言明が多ければ多いほど、それは情報量の多い言明だということになります
あらゆる言明と両立可能な言明はそれだけ魅力がないということです
世界五分前創造説はおそらくいかなる言明とも両立するので、僕にとってはあまり魅力がないですね
112 :
考える名無しさん:2011/04/16(土) 00:46:51.01 0
>「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
自由意志は思い込みであり、人間は遺伝子のプログラムに従って生きているロボットのような存在ってことですか?
じゃあ、モーツァルトのような人間が生まれたのも偶然ではなく、必然ということですか?
>>106 感覚は、それ自体がイリュージョンなので、正しくも誤りでもないわけです
感覚に於ける意義は「好都合が、不都合か」「安定しているか、不安定か」です。
蜃気楼を見て誤るのは、「常識に依存する判断能力」であり、感覚ではないでしょう
(似たようなことをカントも言ってませんか?)
脳を中心とする自然システム(適当すぎるがw)は、その来歴に従い主体的に意識構造を形成しますが
それは脳の勝手気ままではなく、自然の秩序を写し取るように形成されます(独断ですがw)。
論理と雖も。自然の秩序がそれを支えている(これも独断ですがw)
私は、唯物主義者だからかどうかは分かりませんが、より自然に近い「感覚」に集中する傾向はあります。
私の思考は感覚なんですよ。意識の中を探っているのです(なんぞそれw)
理論は、それに不都合が生じた際に、それ自体が足かせ、目隠しとなる。
その時には、意識に有意に成立可能な新しい相関を探らねばなりません。
それは特定の理論を解体する作業であるが、論理的である必要はあるでしょうね。
合理とはそのようなことではないのでしょうか。おかしいですか?
実験は、普遍的な自然の振る舞いを探っているわけです。
対話とは、相手にこちらの希望する意味が成立するように探る行為でもあります。
いずれも、自然の普遍なる秩序を前提にするものであり
対話によって理を探りながら成立させることも可能でしょう。
(まあ、この辺になると全く適当ですが)
科学が踏む手順はもちろんありますが、その手順が有効に機能するのは
結局、自然にそのような機能がもとから備わっているから、と考えるのが合理的
と、私は思っているわけです。
・・・なんかぜんぜん、話が本論からは的はずれですけど。
「悟性が誤る」とは、いったい何なんですかw
114 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/16(土) 00:50:18.48 0
>>111 世界五分前創造説は、私から見れば「思考実験」でも何でもなく、
「よくある観念論的思考ゲーム」・・・中世の修道院でやることがない修道士達が
「無限に尖った針の上に天使が何匹止まれるか論争」を思い起こさせます。
それは、数百年に亘ってヨーロッパ各地の教会や修道院で論じられた他の馬鹿馬鹿しい
「神学論争」の代表格ですが、他の「公案」(禅における「禅問答」)と同じで、
要は「暇人の暇潰し」以上でも以下の意味も持ち得ません。
そういう「意味のない思考」で「外界(を観測すること)」を拒絶した結果、キリスト教会
は、ガリレオを弾圧し、ダーウィンを無視する・・という愚行を繰り返したのです。
本日は就寝させて戴きます。
>>108 私が世界五分前想像仮説を「無意味だ」というのはですね
「考えても仕方ない」という意味ではなく、
「それがいかなる事態であるのかを理解できない」という意味です。
116 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/16(土) 00:58:05.42 0
>>112 あの時代のウィーンに「特別に(異常に)発達した右脳」を備えた個体
(W,A,モーツァルト)が誕生し、父親が宮廷楽士だったという環境の下
多くの優れた作品を生み出し、「たまたま(運良く)」後世に残ることになった
ということは「神の意志」でも何でもなく「必然」です。
「彼の右脳」という物体が存在し、それが「特段よく働く環境があった」・・ということです。
本日は就寝させて戴きます。
あと
「悟性の誤り」についてですが、
私が言いたいのはですね
>誤りを実際に指摘される可能性があるのです
この「誤り」と判断するのも、
指摘されて理解するのも
それ自体が「悟性」に頼っているのではないですか?
ってことが疑問なわけです。
118 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/16(土) 01:02:43.03 0
>>115 ですから、「科学」は137億年前にビッグバンで出来たと「観測」しておりますし、
その「観測」は50年間の「さまざまな検証」に揺るがず耐えているので、5分前創造説
というのは、「じゃ、なんで5分前じゃないの?」・・とう回答しようがない「小学生的
質問(仮説)」・・だということです。
本日は本当に就寝させて戴きます。
>>118 機械さん、
もうw
なんなんすかww
宇宙の年齢が137億年とされたのは50年前ではなく最近ですよ
私の子供の頃はよく分かってなかったはず
いやそんな話じゃなくてさwww
120 :
112:2011/04/16(土) 01:27:49.73 0
>>116 つまり、人間はプログラムであるというわけですね。
では、仮にモーツァルトと全く同じ個体を用意し、かれの人生を寸分違わず育てたとします。
機械論的には、このときその個体は偉大な音楽家になっているはずです。
ではこの個体は、モーツァルトとまったく同じ曲を作られるでしょうか。
僕は、不可能だと思います。
たとえ、どれだけその個体がモーツァルトに近づいても、それはモーツァルトではありません。
僕には、世界は「必然」のみで成り立ち得ないと思います。
あ、返事は明日でもいいです。
縁起の話?
仏教で語り尽くされてるじゃん
東大、量子操作使いシュレーディンガーの猫を実証
nikkan.co.jp/news/nkx0720110415eaaf.html
125 :
考える名無しさん:2011/04/16(土) 09:54:44.78 0
www.nikkan.co.jp/news/nkx0720110415eaaf.html
126 :
Q:2011/04/16(土) 10:47:36.28 O
>117
悟性は論理と言い換えてしまいましょう
われわれは論理を前提としてしか思考できません
したがって、論理に誤りがあるかどうかもまた論理を使用しなければならず
論理が誤っているかどうかは考えることができない、という見解があります
抄録さんの意見はこのような意見と同じですね
これに対する僕の答えは
論理をもって論理を正当化することはできませんが
論理をもって論理を批判することはできるのです
僕の立場はこの部分に乗って成立している
>>120 プログラム的にしか思考できないから、世界も物理法則も全てがプログラム
のように信じちゃうんですよ。
>>109 > 先にあるべき未来を先行させ、それを過去によって批判する
> それが過去を教訓に未来をつくるということだよ
流されているだけじゃん。
129 :
ゲーム:2011/04/16(土) 12:18:43.75 0
>>126 その論理批判もまた批判されるだろう。
一意性に収斂させたがる“真理(権力)志向”を鎧の下に隠しているかぎり、
いつまでも果てしなき不毛の“言葉の抗争”が繰り広げられるだけ。
両義性、多義性、多様性を包摂する“非一意的”表現……君の嫌う言い方を
すれば、論理と非論理の両立…
>>110 機械さんのように、その宇宙観を「信じ込んでいる」ムキも少なくはない。
しかし宇宙が“無”から始まったのなら、それを“有”に転じた超越的存在
を要請せざるをえなくなる。それは機械さんの本意ではあるまい。w
Q君からは「果てのないのが果て」といった気の利いた(もう古いか)台詞が
聞きたかったのだが…w いささか古びたけれども、これも両義的表現。
130 :
ゲーム:2011/04/16(土) 12:43:22.47 0
>>抄録氏
やっぱり奴隷といわれるのはいやですか。w
肉体労働者にかぎらず、賃労働者は現代の(契約)奴隷でしょう?
ただ、いにしえの彼らと異なるのは「やめる」ことができる点。
ただしQ君のように立派な両親の保護があるか、運よく遺産でも入れば別だが、
そうでなければ、たとえ辞めても他の“主人”を探さざるをえないだろう。
抄録さんは奴隷にして文化人。文字どおり両義的存在、一つのモデルです。w
131 :
ゲーム:2011/04/16(土) 12:51:15.61 0
>>Q君
少しアクチュアルのテーマ。
Q君が「原発は安全か危険か」を云々し、ネコには答えられまい、と
ほざいていたけれども、では君ならどう答える?
「安全であり、かつ危険である」 これが私の答えだ。
さあ、Q君、答えなさい。(だいたい、予想できる)
>>126 悟性は論理に言い換えることができるんですか。
論理はそれ自体「誤る」性質を持ち得るんですか。
論理要素を用いて「悟性の力により」論理体系(の完全性など)の批判はできるでしょう
しかし悟性は分解できない能力そのものでしょう。
その何を批判するのです?
私は自らの理解力の無さにがっかりすることもありますが、そんな意味ですか??
まあ、今日は保留にしておいてください。
>>130 ゲームさん
賃金労働者だろうが、自営業者であろうが、大富豪であろうが
貴方の好きな貨幣の奴隷でしょう
ついでに
ヒトがいかなる善良なる魂を発動しても
神がいる限り、それはそれ自体の価値を持ち得ない
究極的には単なる神の気まぐれに解消されてしまう。
まことに腹立たしいw
>>112 >>116 卑怯者め。
>仮にモーツァルトと全く同じ個体を用意し、かれの人生を寸分違わず育てたとします。
仮定として立てる以上はそれが可能である事は前提に含まれているはずだ。
ならばその人物はモーツァルトそのものであり、モーツァルトそのものの人生。
モーツァルトがモーツァルトそのものの人生の中で曲を作っているのに、曲を作れないと
考える合理的な理由はない。
そう発言する理由とはつまり、モーツァルトそのものがモーツァルトそのものの人生を二度
生きることはできないという、メタ条件を含んでいるからではないか?
そのような前提ならば、そのような結論に至るのは当然だろう。
しかし、仮定を自分に都合良く操作するのは卑劣な行為だ。
135 :
112:2011/04/16(土) 18:13:48.59 0
>>134 そんなにひどいですか?
僕はただ、人間がプログラムの通りに生きているとするなら、
同じ課程を踏めば同じ結果が得られるのは当然の結論だと思って書いただけですが。
動物実験だって、似たようなことしているじゃないですか。
結局は自由意志といいながら、決定論に流されているだけ。
137 :
あまの:2011/04/17(日) 00:25:26.26 0
>>122 もう量子力学が科学のラストワードだと良く分かるな。
現代物理学、要するに量子力学はもう真理とか放棄している。
あとは解釈だけ。
138 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/17(日) 00:28:09.47 0
>>129 >機械さんのように、その宇宙観を「信じ込んでいる」ムキも少なくはない。
>しかし宇宙が“無”から始まったのなら、それを“有”に転じた超越的存在
>を要請せざるをえなくなる。それは機械さんの本意ではあるまい。w
@「その宇宙観」とは=「無から有が生じた」という「宇宙観」だから
A=「超越的存在を要請せざるを得なくなる」
@あなたが考える「無」とか「有」とかとは『全く異なる「何か」』について
どうしても想像力が働かない「ブンカケイカンネンロンシャ」はそう言って
「封印」しようとしますが、「ビッグバン宇宙論」はガリレオの地動説の延長上に
あり、「あくまで無視したい」という「観念論的(宗教的)自己欺瞞」は通用しません。
A何かあると「ああ!これは一大事だから『超越的存在』の出動を要請しよう」と考える
のが「観念論的自己欺瞞(宗教)」だと申し上げているのです。
「粛々と物理科学法則により展開する(この)宇宙」に、「超越的存在」は必要が無い
・・ということを「証明する営み」こそが「科学」なのです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
139 :
あまの:2011/04/17(日) 00:32:12.79 0
本当のことなんかもう知らん!!
唯物論?何それ?馬鹿?
何で俺が俺やねん?
やっぱりこれが科学の終着点でしたわ〜!!
量子論はこう言ってます。
140 :
あまの:2011/04/17(日) 00:35:40.24 0
機械さんも最新の物理学の成果をよく読んでご自分の「解釈」を聞かせてくださいな。
141 :
考える名無しさん:2011/04/17(日) 02:20:53.54 0
>機械さんも最新の物理学の成果をよく読んでご自分の「解釈」を聞かせてくださいな。
無理。彼にそんな能力はない。
142 :
Q:2011/04/17(日) 07:40:12.32 O
>132
>抄録
はい
はい
どうも抄録さんはネコと同じく「批判」という言葉に固定のイメージをもってませんか?
批判とは、言葉の関係でしかないのです
僕はですね、抄録さんやネコが大事にしている価値観はゴミ箱に捨てているわけです
ネコや抄録さんは、批判不可能なものに価値があり、批判不可能なものに価値がないと思っていることでしょう
僕は逆です
批判可能なものに価値があり、批判不可能なものには価値がないと考えているわけです
僕は論理は批判可能だと考えるわけです
この時、論理を前提として思考しますが
そのことは論理の批判不可能性を意味しないのです
143 :
Q:2011/04/17(日) 07:49:06.20 O
>129
僕は論理を批判していません
「論理は批判可能である」と言っているのです
この言明は「論理は批判不可能である」という言明と両立しません
したがって、僕の発言は批判可能です
また、批判可能であるがゆえに、僕の発言は有意味なのです
144 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2011/04/17(日) 10:01:42.19 0
>>142>>143 貴方がゴミ箱に何を捨てるのも自由です。
しかし貴方の期待する「批判」の意味が私に成立していないのは
貴方の責任で「も」あるわけです。
「悟性は批判可能であるから有意味である」と言い捨てるのは
「楽な仕事」だとは思いませんか。
「批判とは言葉の関係でしかない」
なるほど。「悟性の批判可能性」とはどんなものでしょうか。
その「言葉の関係」を示してくださいとお願いしているのです。
私には理解できないのです。
“あるある詐欺”に掛かった気分なのです。
貴方の主張の根拠は今のところ「うそつきのパラドクス」だけです。
それが貴方の根拠の全てですか?
それならそれでいいのですよ。
私としては「そうですか」以上の感想は無いですが。
あと
「批判不可能な言明」は“無意味”であることが多い、と思います。
例えば「我々と全く干渉しない世界が実在する」とかですね。
それに価値があるかどうかは分かりません。
しかし「悟性を批判する」では意味が成立していない。
しかしだからといって、悟性が無価値とは言えない
石を批判不可能であるから石は無価値ですか?
言葉は、使われる状況に対応してその意味を探りますよね。
無機的に「批判可能性」と言い捨てるだけでは、
「対話」を成立させるには不十分ではないですか。
現状、貴方のよく言う「豊か」な状況とはなっていませんよね。
145 :
Q:2011/04/17(日) 10:11:11.40 O
>>144 あなた、僕の文章を欠片も読んでませんね?
僕は嘘つきパラドックスの例は出していませんよ
幸いにして書かれた言葉は残っています。もう一度、読み直してはいかがですか?
あと、あなたが挙げた言明は批判可能です
論理的に両立しない言明を挙げることが可能な言明は批判可能ではないでしょうか?
あなたが無意味に感じたところで、誰かには有意味かもしれない
146 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2011/04/17(日) 10:22:44.81 0
>>145 私が貴方の文章を欠片も読んでない。。。
そうなんですか?
>>101の
>論理の内部に嘘つきパラドックスのようなパラドックスが含まれている
>われわれの悟性そのものに致命的誤りがある
これはいったい何を言っているのですか?
147 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2011/04/17(日) 10:26:43.26 0
「我々と全く干渉しない世界が実在する」
なるほど、これは理解可能であるので「無意味」ではなかったですかね
せいぜい、検証不可能程度ですか。すいません
148 :
Q:2011/04/17(日) 10:27:06.10 O
>>146 論理規則がパラドックスを形成している
ということです
そのようなことが判明したら僕は論理は信頼できないです
149 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2011/04/17(日) 10:30:55.54 0
>>148 事実、嘘つきのパラドクスは存在していますが
貴方は既に論理を信頼していない、ということですか?
150 :
Q:2011/04/17(日) 10:31:10.31 O
「信頼できない」というのは曖昧な表現でした。
論理を破棄するということです
151 :
Q:2011/04/17(日) 10:50:12.73 O
>149
僕の過去のレスを読み直せ
152 :
ゲーム:2011/04/17(日) 11:41:08.03 0
>>151 だれも君の過去スレなんかを読むわけないだろう。
もったいぶらずに、いまいいなさい。
そういう夜郎自大なところが女に嫌われ、論争相手が離れていく理由。w
抄録氏や私は暇人なので、気が向けば相手しますが。w
もったいぶらずに、いまいえばいい。
>>151 じゃあ止めておきましょうw
私が2chで何度も読み直す価値を感じたのはスモっちのレスぐらいです。
ゲーム氏の四次元論評の様式美にも(内容はともかくw)ひっくり返るときがあるが。はっは
Qさん、またそのうち相手してください。
154 :
ゲーム:2011/04/17(日) 12:09:39.16 0
>>138 “ビッグバン”と通称される事態を否定する向きは少ない。
それを「始点」とする宇宙観が、超克されようとしているのである。
“点”は、あらゆる「論」を無効にするからである。
“無意味”を支配できるのは「神」だけであり、その回避を図るのが近年の
一つの科学的傾向。(ほんとうに機械さんは知らないの?)
起原(創造)のない、ただ存在するだけの、したがって「終末もない」宇宙の
描出が、超越神を否定する立場の企図らしい。
カントの純粋理性批判てありますよね。
私はそれを一行も読んだことはない、とまでは言いませんが
読んだことがある、とはとても言えないw
しかしなんらかの「批判」をしてるんでしょう。
察するに、感覚とか理性とか悟性、総じてヒトの理解可能性の性質を
あれやこれやと、さまざまな「言葉の関係」を紡いで
カントの思考構造を他者の心の内にも成立させようと努力されたものなのでしょう。
しかしカントによる「批判」とは果たして
「悟性が根本的に誤っている可能性」を指摘できる可能性(なんぞそれw)など
念頭にした“批判”なんですかね。
賢明で慎重な超人カントは、そんなすっとこどっこいなことをしますかしら。
156 :
ゲーム:2011/04/17(日) 12:23:06.13 0
>>153 まぁ、お互いにそうなのだろうが、Q君はカラミにくいだろう。w
ダチョウの上島がぼやく寺門のように。w
寺門は肉さえ食っていれば満足らしいが、
Q君は、あれで議論好きなのにはあきれる。
曲解が多いしね。(これも、お互いさまか)
>>156 ゲームさんは偉いよ
わたしはまだまだだ
158 :
Q:2011/04/17(日) 17:26:59.80 O
>152
このスレですでに抄録さんあてに書いている
一度言ったことをもう一度言うのは嫌いなのです
159 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/17(日) 23:42:16.06 0
>>154 >起原(創造)のない、ただ存在するだけの、したがって「終末もない」宇宙の
>描出が、超越神を否定する立場の企図らしい
そもそも「超越神ありき」の世界観は「そうなんですか?何でですか?無効ではありまえせんか?」
・・と「問うこと」から始めなければ「真の哲学(真理だけをひたすら追求する学問)」は成立しません。
「終末論」に依拠する「キリスト教的世界観」は「完全に間違いである」ことが
(自然)科学によって証明されて何十年も経っているのに、未だに「天地創造」とか「ノアの箱船」とか
「エデンの園」とかの「キリスト教的世界観」に精神的に依存している人口比率が多すぎることに
懸念を抱いているだけです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
160 :
「幽霊的唯心論」者 ◆j4g3l23KTLaU :2011/04/18(月) 00:00:24.20 0
俺様はスピリチュアリズム肯定派だから死後の世界は実在の現実世界の社会問題ですよねー!?♪。
>>159 もう十分でしょう。
誰も跡継ぎがいない思想なんですから、
機械さんが滅んだら機械的決定論も滅びるでしょう。
滅びることも決定されてるならそれでいいでしょう。
あなたが死去したらあなたの思想も消えるでしょう。
本気なら後継者を育成したらどうですか。
しっかり後継者を残さないと、
もし、機械的決定論が真理だった場合に
あなたの名は残りませんよ。
本気ならこんな辺境で語ることに疑問を持ちますがね。
単なる遊びなら大変な迷惑をかけてることに責任を持たなきゃ。
あなたが死ぬまでやるんですか?
あなたが死んだらどうするんですか?
162 :
考える名無しさん:2011/04/18(月) 00:50:12.67 0
誰に迷惑かけてんだよw
この気持ち悪い文体は佃さんですね。
だからなぜ「物質」だと「必然」になるのよ?
165 :
ゲーム:2011/04/18(月) 09:55:08.23 0
>>159 そこが機械さんの無自覚なところ。
少し前に、機械さんは「宇宙は有限」だと述べていた。
それは「始まりと終わりのある」宇宙観。
つまりそれは、ユダヤ−キリスト教(徒)の世界観と同型なのである。
彼らもまた「神の御業」の一意性、必然性、確定性…その“全一性”を
確信してきた。やさしくいえば「真理はある」という信念だ。
“真理”にいたる、とは「神の御心を知る」ことを意味している。
機械氏は「神なしにすませたい」らしいが、その言説は逆に超越神を
呼び込んでしまうのである。
166 :
Q:2011/04/18(月) 10:03:33.62 O
>>155 カントと現代では哲学の研究も変わってきていますが
僕の立場は哲学において名前がつけられたある思想から拝借しています
その態度はカントを現代に継承した形に近いだけです
抄録さんもネコもですね
僕には同じ穴のムジナに感じるわけです
だから、僕はよく抄録さんもネコもいっしょくたに語るわけです
167 :
ゲーム:2011/04/18(月) 11:25:08.28 0
>>166 他人を鋳型にいれて、わかったような気になるのは
君の悪い癖です。女性は、それをとくにイヤがります。w
反基礎づけ主義、可謬主義、反証主義…こういった概念群が
君の短絡的なオツムのなかで回っているのだろう? w
このような知を創発させる場の要件として野中氏は、次の6つを挙げた。
・自己超越的な意思・目的をもつ自己組織(セルフ・オーガナイジング)
・自他の感性、感覚、感情が直接的に共有される(間身体性)
・場で生成する“コト”の傍観者でなく当事者として全人的に関わる(コミットメント)
・多様性のバランスをとれる人事(適材適所)
・境界は開閉自在で中心は動く(細胞の浸透可能性)
・異質な知の矛盾と効率よいインタフェースの両立(球体の最小有効多様性)
170 :
Q:2011/04/18(月) 13:40:41.85 O
>167
そう、僕が抄録さんに言った話題は可謬パラドックスとリンクする話なわけで
基礎づけを放棄することで反基礎づけ主義的合理主義としての真を擁護しようという試みです
君や抄録さんは基礎づけ主義的思考にのっとっている
だから「同じ穴のムジナ」なわけだ
つまり、君は真理に関心がなくて基礎づけに関心があるわけさ
俺は君の逆、基礎づけに関心がなくて真理に関心がある
>>166 同じ穴のムジナ
皆さんの言われるところの「カテゴリー」みたいなもんですか
そのムジナ君の「本質」とはなんでしょうw
私は自分が基礎付け主義と自覚したことはないですが
大事にしてるのは
1.(命題によって)語られる事態が理解可能でなければ、それはかなり胡散臭い。
2.言葉の意味を勝手にスライドさせてるのが分かれば、間違いなく胡散臭い。
ぐらいだと思いますよ。私にはこれより他に頼りにする術がない。
哲学的なパラドクスが起こるのは大概、理解が不十分だからと思ってます。
可謬パラドクス、面白そうです
語って下さいw
172 :
Q:2011/04/18(月) 15:48:14.50 O
>171
抄録さん、あなたの態度の欠点は
あなたが未知に対してあまりにも閉鎖的であるということです
最初から聞いた瞬間に理解可能な言明とは
最初からすでに既知である言明だというだけです
あなたの態度は未知が既知に変遷していく過程が抜けている
あなたの生き方ですからご自由になさればいいでしょうが
僕は「この人は外部に対して閉じている」と感じるだけです
「可謬パラドックス」の話は有名ですからご自分でお調べください
>>172 理解可能かどうかというのは簡単に言えば
「青い赤」「四角い三角」
とかは理解不可能な言明ということですよ。
一見意味が通りそうな命題も、よくよく考えれば述べられた内容が
そのままでは事態として理解不可能な場合がある。
世界五分前創造仮説とか、水槽脳仮説とかが、それになります。
それはもとの命題の語る内容(に対する常識的理解)が不十分である、と“理解”されるのです。
この作業は、貴方の言われる「両立不可能な内容」の判定作業と似ている。
理解可能であることは「最初から既知」とは言えない。
例えば貴方が
>>111で言われた、以下の言明。
>「地球は平らだ」と「船は水平線の向こうから現れる」が両立不可能な関係だということが・・
貴方はそう判断されるのかもしれないが、
これは私から見れば論理的に両立不可能とは言えない。
「光の進路は遠方に行くにつれて上方にそれる」としても理解可能なわけです。
貴方にとって最初から既知でしたか?
私は理解することが瞬間的にできるなどとは思っていませんし、言った覚えもない。
私の生き方について云々いわれていますが
いきなり言われてもなんだかピンときませんね。
可謬パラドクスは、語りたくないなら結構です。
何事も調べるだけなら、それはできるでしょう。
しかしそれを深く正確に理解するのは容易ではない。
哲学なんてのは、どれだけ精緻に思考できるか、理解できるか
ってことじゃないですかね。
それを競うのが楽しくて私はここに来ています。
知識を深く理解しようと本も読んだりします。
それ以上の他人様の「生き方」なんて、どうでもいいですよ。
174 :
Q:2011/04/18(月) 18:09:21.28 O
>>173 あなたの理解可能、理解不可能の線引きに疑問を感じるのです
あなたが水槽脳や世界五分前創造説を理解不能としているのは
あなたが単にそれらの仮説の内容を知らないからではないでしょうか?
さて、わたしが挙げた言明が両立可能という話ですが
補助言明を入れたら両立可能になるのは当然なのです
なぜならば、いかなる言明も補助言明を導入することで両立可能にすることができるからです
しかし、言明群全体においての両立不可能性は成立するのです
(全体論、DQテーゼ)
逆に次のように言えるわけです
言明全体での両立不可能性があるからこそ
「光が歪む」などの補助言明を要請する必要がある
このことは、両立不可能性が議論を進展させることを意味するわけです
対話が成立して対話が進展していますよね
これは将棋において「王手をされたらあなたは王を逃がさねばならない」と同じレベルで議論の内部で成立するわけです
ここで大事なことは
「何らかの補助言明を導入すれば両立可能になる(チェックメイトを逃れる手段がある)」ということではなく
「何らかの補助言明を導入せねばならない(チェックメイトを逃れることがゲームを成立させる要件である)ということなのです」
175 :
Q:2011/04/18(月) 18:25:02.52 O
訂正
「何らかの補助言明を導入せねばならない」
→「何らかの補助言明を導入せねば両立不可能な関係を回避できない」
>>174 >「いかなる言明も補助言明を導入することで両立可能にすることができる」
そうなんですか?貴方は
>>143で
>「論理は批判可能である」と言っているのです
>この言明は「論理は批判不可能である」という言明と両立しません
と言っておられるが
これにどのような補助言明を導入すると両立可能となるのです?
177 :
Q:2011/04/18(月) 18:55:59.23 O
>176
それは矛盾律を拒否するしかないですね
(2つの言明が矛盾した関係をつくっているから)
将棋やチェスなどのゲームを放棄するように振る舞うか
ネコのような言葉を発するしかないです
もしくは「論理」という言葉や「批判」という言葉を解体してまったく別の解釈を組み入れてしまうとか
人間の言語営為はほぼ無限ですから、いかようにも理屈をつけることはできるでしょう
178 :
Q:2011/04/18(月) 19:12:23.64 O
「ほぼ無限」と書いたけど有限かもしれませんね
まぁ僕は「無限に近い」と考えてますが
「原理的に有限だ」と答える人はいるかもしれません
179 :
Q:2011/04/18(月) 19:21:55.06 O
ああ、あと矛盾律はルールの一種ですから
「ルールに従う」という方を破壊するという方法もあるかもしれません
まぁ、両立不可能性は言葉の連関全体においてしか成立しないでしょう
逆に言えば単一言明の決定的反証が可能ならば
それは反証主義への決定的反証になるかもしれませんね
アイロニーですね
>>177 「矛盾律を放棄する」ことと「補助言明を導入する」を
同列に扱えると思われますか?
矛盾律を放棄したら「議論の進展」を続行できませんよね。
ならば、もとから「両立不可能」の二重規範だとは思われませんか?
(貴方は「議論は続行できる」と言うかもしれないが、私を納得させるのは
難しいでしょう。)
※ネコには矛盾律はありませんか?(まあ「矛盾律〜」とは鳴きませんね)
「地球は平らだ」と「船は水平線の向こうから現れる」は、
もとから両立不可能でもなんでもなかった。
「光は直進するもんだ」という常識が暗黙知としてあったからこその「成立」。
貴方の言われる「言語群全体」は、なんだかよく内容が分かりませんが
物理で言うところの「体系」のようなものでしょうか。
ある力学体系Aは、前提の異なる別の力学体系Bとは混同できない、
みたいなことかしら。
もっと深いのかもしれませんが、今のところは何とも言えません。
181 :
Q:2011/04/18(月) 19:28:45.22 O
言明ってのもおかしいかな
でも批判不可能な言明があることがCCRテーゼへの批判になる以上
決定的反証ができる言明があることもまたCCRテーゼへの批判になるはずなんですよ
182 :
Q:2011/04/18(月) 19:39:37.16 O
>178
あなたの解釈が正しい余地はありますよ
でもそれって相対主義なんですけどね
「論理は批判可能である」と「論理は批判不可能である」はその2つを見ればただの矛盾ですが
両者は言葉の連関の中で語っているので、ただの罵り合いではなく議論が進展する余地があるんですよ
光が粒か波か論争も似たようなもので
「波は媒介物質がないと伝達しない」という暗黙知があるから両立しないだけでもとから両立するのではなく
両者が両立しないからエーテルの有無や光の速度の実験が行われ知識が発展したのだと僕は解釈するわけです
いまさらですが
ネコとはひょっとしてゲーム氏ですか?
ゲームさんは、矛盾律など放棄してないでしょう。
せいぜい「言葉と対象との関係の成立は相対的(微妙w)である」ぐらいでは?
Qさん、また、です。
184 :
考える名無しさん:2011/04/18(月) 20:24:57.76 Q
ここはテツガクびとのサロンですか?
テツガクと物理学は関係があるの?
185 :
あちら側の人:2011/04/18(月) 20:30:50.38 0
私は多分Q氏を螺旋状のα一般として知っているかもしれない。
186 :
あちら側の人:2011/04/18(月) 20:39:24.57 0
Q氏は食べまくっても便秘体質なのか
それとも常に栄養失調気味で便秘なのか
どっちだ?
また定義をせず議論にならない状態。よほど暇なのでしょうね。
まず自分や相手が使う言葉の意味をあきらかにしましょう。
例えば
批判は対象となる事実を知り対案を提示し比較することで可能になります。
188 :
(^:e;^):2011/04/18(月) 22:35:22.59 0
最近被爆したようで、私も太りましたね。
189 :
(^e^):2011/04/18(月) 22:37:08.18 0
>>186 2chばかり覗いてる人が便秘になりますね。
190 :
Q:2011/04/18(月) 23:27:40.50 O
>184
このスレはサロンスレだと思われ
テツガクと物理学は近いところもあるかもね
100年前は哲学者であり物理学者であった人もいたからね
俺はただ、自然科学に近い分野の哲学をかじっただけ
科学的知識の正当化の問題やそこらへんの話題を少し本で読んだ
そんでもって、科学的知識の発展メカニズムの理論としてここらへんを学んでいる
簡潔に書くと
「論争や議論が科学の知識を発展させた」ということ
この考え方は記述理論や知識の正当化問題を扱う人たちと一見似たようなことをやっているけど
実はまったく正反対な考え方をしているんだよね
で、この立場からネコみたいな相対主義への批判を試みている
その内容はこうだ
「どの答えが最終回答か」について考えるのは不毛だからそれにこだわるのはやめよう
正しい知識を問題にして、知識の発展に向けて言葉を営むべきだ
こう主張している
問題はだ、僕のこの主張は矛盾を含んでいるのかどうか?ということなんだよね
抄録さんとの議論は哲学において「合理性は正当化できるか」「批判的合理性の成立する余地はあるか」といった問題とリンクするけど、まぁ哲学好き以外にはつまらない話
191 :
(^e^):2011/04/19(火) 00:19:10.68 0
魂の栄養にならないものは「私において」”一切が意味はない”
魂に水を撒きなさい
193 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/19(火) 01:25:20.73 0
>>182 >光が粒か波か論争も似たようなもので
論争なんてアインシュタインの「特殊相対性理論」が発表された1905年以来
ありませんよ。「光は粒子かつ波動」という「存在」だということです。
逆に言えば「波だと言うならその『媒介』を指摘しなければ話にならないだろw」
・・と言われて来たのですが、真空に光子が突入する過程でそのエネルギー量によって
周波数が異なるので、ガンマ線や紫外線や可視光線や赤外線、遠赤外線とか名前は変わる
けれど「周波数以外の違いはない」・・ということなのです。
本日は就寝させて戴きます。
電磁波(光)は真空中を「電場⇔磁場」波動しながらすっ飛んでいく「粒子=光子」
ですから、真空中を「光速」で暖波する・・と言う性質は「重力波」と同じなのです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
194 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/19(火) 01:30:16.03 0
哲学にとっての「最良の売り籠」は「サロン』だと思います。
ぎらぎらとした「金儲けの種がないかな?」という情報収集坊や
が出入りすべきではない「サロン」で良いと思います。
本日は就寝させて戴きます。
メタテクネー
196 :
ゲーム:2011/04/19(火) 09:42:50.34 0
>>193 “存在”は両義的なのである。
その場合は“相補性”という概念と重なる。(両義≠相補)
>>190 Q君、私が相対主義だって?
そうやって、君好みの鋳型に他人を容れたがるのが君のシュクア。
決めつけずには、不安でたまらないらしい。
老婆心ながら、治さないと、人間(女性)関係には苦労しますよ。w
197 :
Q:2011/04/19(火) 09:52:51.96 O
>196
あなたは相対主義者です
196のその発言は単に「・・・でない」という回答をして議論や対話から逃げているだけです
別に君に「議論をしろ」と迫っているわけではない
僕の関心は以下の点にある
対話しない人と対話できるか?
議論によって議論の無意味さを説得される余地はあるか?
こういった問題と取り組みながら、
他者との対話精神を形而上学レベルまで掘り下げていくのが哲学の面白いところだと思う
198 :
ゲーム:2011/04/19(火) 10:06:14.48 0
君のいう相対主義とは、どういう意味?
では、君の立場はは絶対主義ですか。(答えろよ)
君から逃げる? 夜郎自大も極まれり、だね。
「はぐらかしの名人」からそういわれるのは、ちょつとした名誉かも。w
199 :
Q:2011/04/19(火) 10:06:30.22 O
>ネコ
君こそ「不安」との付き合い方が甘いんじゃないか?
不安ってそんなに悪いものなのかねぇ
まぁ、女性を不安にするような男はダメ男だとは思うけどね
200 :
Q:2011/04/19(火) 10:15:25.60 O
>198
俺から逃げているんじゃなくて
君が議論や対話から逃げているだけ
俺の立場は「客観主義」とか「多元主義」とかの呼び名がある
「相対主義」の定義は「真理はない」という立場
201 :
考える名無しさん:2011/04/19(火) 13:25:07.30 0
いいかお前ら、利とは誰かにたいしての利である、
誰もいない世界には利ではなく、その関係は乱やら迷でしかない。
誰も意をもたない砂浜の砂の個々の並びに意はない、
それは乱とか迷な関係にすぎない、
意も状態によって生まれる。
つまりどんなに普遍的な法則であっても、それを意として捉えなければ
乱迷のそれと何も違いはない。人がいなくても法則が乱迷の混沌と違う
と思いたいのは心理であるが、幻想にすぎない。
202 :
ゲーム:2011/04/19(火) 17:33:51.42 0
>>201 「利」よりも“理”のほうが適切では?
たしかに“理”は対象と、相互主観とのあいだに立てられる。
「乱」は対象を指して使われもするが「迷」はどうだろう?
乱迷…ね? 世界を意(主観)と対象(客観)の相関として捉えているので、
概ね賛成だが。w
乱迷の混沌、ときましたか。
203 :
ゲーム:2011/04/19(火) 17:40:09.01 0
>>200 昔からいってきてように、君が一つでも“客観的真理”を挙げるか、
示すかしてくれれば即、転向します。「地球は丸い」はだめ。w
“多元”はどういう意味で使用しているの? カラス君とは違うので、
大雑把でいい。
204 :
考える名無しさん:2011/04/19(火) 17:52:45.80 0
相対主義は、絶対主義に対する相対であるという事を
真理としている絶対主義。
205 :
Q:2011/04/19(火) 17:59:40.86 O
>>203 ・多元主義
回答の多元性を認めるが
相対主義と違い
異なる考えをもつ人たちが議論という場において接点をもつという態度
違う意見をもつ人たちが、皆、自分の意見を固持したまま、議論をし続ける
それをもって合理的な状態と認める態度
だから、ポイントは議論ができなくなるような言明があるかどうかが争点になる
議論可能であればオーケー
議論不可能な議題とはどういうものか?って考えていくことになる
206 :
ゲーム:2011/04/19(火) 18:03:56.23 0
>>204 信仰者(絶対主義者)に対して、戦術的に相対的言辞を弄するだけ。
不可知論であり、最近は両義主義的。
207 :
考える名無しさん:2011/04/19(火) 18:05:44.79 0
「自分はダメな人間だ」という命題は
相対的に判断する他人基準であるが、
その答えは自分を絶対的な立場から、
相対的に劣っていると結論ずけ判断している。
簡単に言ってしまえば、ダメな自分が
ダメな人間だと判断することは不可能なのだ。
つまり無効だ。
しかし、そういう矛盾を平然と言ってしまうこと
自体こりゃダメだとも言える。ん〜。
208 :
ゲーム:2011/04/19(火) 18:12:20.92 0
>>205 君の場合、君好みの規則に相手を呼び入れようとしないことが肝要。
互いが受け入れられる規則をめざすものだが、なかなかうまくいかないのが普通。
一人の女性とだって、難しいだろう? w
209 :
Q:2011/04/19(火) 18:33:38.63 O
>208
議論の仕方も違う
相手との相互了解は概念上の目的としては設定する
しかし、議論はいやいや相互了解する必要などないのだ
自分が正しいと思うことを語り、矛盾を回避する努力だけすればいい
それは将棋やチェスのルールに似ている
しかし、それらのゲームはルールに従うことは不可欠な要素だ
ルールに従う義務がない者はゲームができない(ゲームを楽しめない)
(ここらへんは昨今の哲学でも扱うテーマだろう)
将棋やチェスは一見、自由に駒を動かしても良さそうだが、少しだけ自由に動かせない制約が存在する
「王手を受けたらあなたは王を逃がさねばならない」
この制約を破るならば、彼はもはや将棋のゲームはやってないに等しい
どのように王手を回避するかは個人の自由だけど
回避する義務はあるわけだ
これと同じことが議論においても成立する
議論とはそのような圧力を言明の関連にかけていく行為なんだよ
210 :
考える名無しさん:2011/04/19(火) 18:41:53.64 0
多元主義とは真理が複数に存在する。
しかし、平坦に公平に同様の権利があるように
考えるのは想像の世界の中の話で、
世の中では優劣として展開される。
211 :
ゲーム:2011/04/19(火) 18:46:10.99 0
>>209 そういう喩え方に、君の甘さがよく顕われている。
将棋をやるのなら、そのルールに従うしかない。
が、君は将棋を指したがっているのに、相手は囲碁を打ちたがっている。
どうやって将棋と囲碁(チェスでもいい)をやるのか。
これが“多元的な対話は可能か”という問いだ。
だれも彼もが将棋をしたがっているわけではないのである。
212 :
ゲーム:2011/04/19(火) 18:51:13.97 0
>>210 おそらく、そうなるだろう。
結局、強者の論理(規則)が罷り通り、弱者にルサンチマンを残す。
それを踏み越えて征け、というのがニーチェ先生。w
213 :
210:2011/04/19(火) 19:01:33.49 0
>>212 世の中は弱者の歴史で展開されている。
世間では歴史は勝者のモノとされる。
ルサンチマンの力は絶対多数になる故に巨大であり
常に弱者(勝者)のものである。
強者は少数であるがゆえに価値があり、守るべき存在である。
ニーチェ談
>>204 絶対ということは絶対に無いという主義。
人間もロボットも入れないところでも機械さんなら入ることができます。
216 :
Q:2011/04/19(火) 23:21:02.85 O
>211
ルールは統一されている必要はないんですよ
お互いの駒の動きは違っていいんです
勝手なルールで組み立てていい
ポイントはですね
自分で組み立てたルールには、自分が不利益になろうとも従わねばならない、ということなんです
このことがゲームを成立させている
そしてこれは客観的理念へのコミット抜きにはありえないんです
217 :
(^e^):2011/04/19(火) 23:45:14.17 0
218 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/19(火) 23:53:53.52 0
>>215 >人間もロボットも入れないところでも機械さんなら入ることができます。
ロボットがあんまり活躍してないようですね。
キャタピラーで走り回って放射線の線量測定するなんて、あまりにプリミティブな
ロボットなので、「そんなものしかないんですか?」と言いたくなってしまいます。
いっそのこと「鉛の皮膚30cmで覆われたエヴァ5号機」を造って各炉心やタービン建屋に
進入できないものなのでしょうか?
それが出来れば、「日本のロボット技術力」を世界に誇示できるでしょうに。
219 :
考える名無しさん:2011/04/20(水) 01:27:15.84 0
技術なんてものは、ぱくられれば終わるんだよ、
そんなことすら知らないから韓国やら中国にパクラレル。
技術よりそれを生み出す人が大事なのぐらいワカレ!
>ワカレ!
理解とは信じなければできないのね。よく勉強しよう
221 :
考える名無しさん:2011/04/20(水) 09:47:14.03 0
222 :
Q:2011/04/20(水) 10:40:24.07 O
>210
サロンの中では平等ならいいんじゃないですか?
そういう対話を心がけることができるようになれるということが
哲学を学んで得られる大きい利点だと思います
223 :
考える名無しさん:2011/04/20(水) 17:46:32.37 0
平等には何らかの復讐心がみえる。
自らの力の充足に、平等など入り込む余地はない。
:理性の本性
224 :
Q:2011/04/20(水) 17:53:54.53 O
>>223 サロンの内部(議論の場)はただ言葉の内容だけが力を持ち
他の一切は言葉に対して平等であるべきだと思うけど
それはもしかしたら、権力のない者がサロンの中だけでは一人前の権力を持ちたいだけの願望かもしれないね
225 :
223:2011/04/20(水) 18:11:57.15 0
気にするな
このスレ面白い。全レス読ませてもらった。
227 :
考える名無しさん:2011/04/20(水) 21:05:23.47 0
>>権力のない者がサロンの中だけでは一人前の権力を持ちたいだけの願望かもしれないね
それはあなた自身のことを自嘲的に暗示しているのですか?
もしそうだとすれば、それなりにご自分のことをよくわきまえていらっしゃいます。
少なくとも単なる利口馬鹿ではないことは分かります。
誰しも病気にならないための気晴らしというのは必要ですからね。
228 :
SPHERE ◆ZS5FJPpAlk :2011/04/20(水) 21:31:12.33 0
言語構造の「ルール」の中でのみ羽を広げて清々と。
そこでは絞め殺す筋肉も、魅了する美貌も、ひらめく機転も、全てを和解させる
富も、つまりおよそ君が苦手とするあからさまな「リアル」はなにも関係がない。
自ら選んだ牢獄の中で踊る囚人。
論を超えるには非論しかないんです。
それは言葉でも意味でもいえる。
その仕組みの中で無限ループをする。外にでる、それを超える
飛躍するとかありえない。
230 :
考える名無しさん:2011/04/20(水) 23:39:31.17 0
>>229 非論というのは、どう言ったロジックの構造を持っているのか。構築されるものですらないのか。そういった建築は
可能であるのか。どう言った点が、通常とは違う論で、非と呼ばれるものが否定するのはどの核心についてなのか。
ニヒリストかも
>>230 非論はロジックを否定すること、世界はロジックで作られたと
思いたい人がいるがそうではないのでは?
ロジックなどは人が作った価値観にすぎない。
233 :
1/2:2011/04/21(木) 03:08:41.74 0
人をプラナリアのように分裂させた場合意識はどちらに帰属するのか?
1、観測者Xを台Aに寝かせてコールドスリープ状態にする //台A:観測者X
2、台Bに観測者XのコピーであるコピーYを作る(*注) //台A:観測者X 台B:コピーY
234 :
2/2:2011/04/21(木) 03:11:53.34 0
3、観測者XとコピーYを断面が同じになるように切断し、観測者Xの半身をそれぞれXL,XR,コピーも同様にYL,YRとする //台A:XLとXR 台B:YLとYR
4、XRとYRを入れ替え、台AにXLYR、台BにYLXRの組み合わせで結合する //台A:XL+YR 台B:YL+XR
この時、観測者Xの自我は台Aと台Bのどちらにあるかのか。
また、その分岐の条件はなにか。
(*注)コピーとは体と記憶の完全複製を指す
235 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2011/04/21(木) 06:51:49.56 0
>>232 超越的存在が、非論理であれば分かる。非論と言うとき、論ありきの考えであることは否めないだろう。
もし何か操作を概念に対して施したければ(すなわち論に対する反駁をしたいのであれば)、論を
無視する事が必要だ。それは一体どのように表現されるのか。非論が「存在する」という価値観を否定できない
のは明白で、存在性を共有している限り、非論を徹底することはできないような気がする。
すなわち非論の論がなりたつゆえんを問うているのだが、表象も存在もしない表せないものは、
想像の上にしか成り立たず、否定性のみが残る。複雑系的な、一でも多でもない、在るようでないもの
と言った想像は、刺激的ではある。論理の存在性にたいし、非存在というものが考えられるところにこそ、
肯定と否定のどちらが先でもないような、超越的と存在的とが対になったような、非人間的な論も
成り立つ。ただ、自然理解と言った場合、世界のロジックを解体したところに何があるのか、例えば
混沌。ロジックが明晰性を獲得している場合、その明晰性の裏にあるものを想像することは、大切で
在るような気もする。
236 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2011/04/21(木) 07:09:51.55 0
つまり、超越的と言った場合、それは存在を超えている。存在するものは、すべて論理的なものである(のではないか)。
超越的なものは、想像によって認知される。想像は、存在を超える。
>>236 それ人は全てを認知できると言っているのに等しいと気が付かない?
いつから人は全知万能の神になったの?
認知とはなんなのかな。難しい
239 :
Q:2011/04/21(木) 13:32:56.99 O
>>227 自嘲はしてないかな
皮肉っぽく言いはしたが
「哲学者は政治に参加するな」とはカントの言葉
サロンの住人は、言葉を通して権力を批判する側であり権力にとりこまれてはならない
言葉はしょせんは奴隷、侍女に過ぎないかもしれないけど
侍女はドレスの裾を引っ張ってついていくだけでなく
自ら進んで灯りをもって先導することもできる(『永遠平和のために』より)
サロンの住人として権力をもたないことに誇りをもっているから、自嘲はしないね
権力を持ちたくない側の人間だから
>>233>>234 まずフィクションの実験は置いておいて、ノンフィクションの話を。
>この時、観測者Xの自我は台Aと台Bのどちらにあるかのか。
両方にある。
この実験では肉体を分割しているが、肉体を分割しない後天的な分離脳の場合、
約9割の人は左脳が主人格として維持され、1割は右脳が主人格となる。
やや利き腕に依存しているようだが、必ずしも利き腕側になるとも限らない。
先天的な分離脳の研究は少ないが、どうやら先天的な場合は片方の脳にしか
自我が作られないようだ。
3歳前後までのニューロンの急速な増加と刈り込みの過程で、片方の脳だけで
全身を操作するよう機能調節され、反対側の脳は司令塔としてのチャンネルを
閉じて不用器官としてしまうらしい。
>また、その分岐の条件はなにか。
左脳の優位性については諸説あるが、そもそも脊椎動物に備わっている
非対称性と成長過程での重み付けによるのではないだろうか。
>>233>>234 というわけで、フィクションな実験へのノンフィクションを参考にした
回答。
>>240より
Xの右脳か左脳のいずれかが優位であり、つまりいずれかにXの
自我が含まれている。
XLが有意だった場合は、台AのXLYRにXの自我がある。
XRが有意だった場合は、台BのXRYLにXの自我がある。
>>241 ならば同様の実験を優位な脳に対し行うとどこまで細分化できるのか。
XLが優位の場合、XLをXLLとXLRに
XLLが優位の場合、XLLLとXLLRにと
>>343 ナノマシン等を使って原子レベルの正確さで切断、結合すれば死なないと
>>245 君が言っているのは、捉えた意味を明確にすること。
それは多くは正しいことが多いだろう、だが間違ったときは正しさが多い分だけ
致命的なものになる。側面も捉えてみてはどうかな?
選択できるものを限定しそれに誘導するのは典型的な言論誘導にすぎない。
君が無意識にやっているのはわかるが、君自身もそれに縛られている。
>>247 トンデモ君のトンデモ言論誘導でしょうか。
>>244 命に別状はないと設定しても、なんらかの機能を持った脳細胞をナノマシンが配置変え、破壊、新規作成する以上、
結果がどうなるのかはナノマシンの采配に委ねられる部分が出てくる。
そして脳内の微細な構造は一人一人異なるので、結果も個人差が大きくなる。
つまりフィクションの設定に依存する部分が極めて大きいので、結果は貴方の望むまま、ということ。
一例として俺の妄想を書くなら、XLLとYLR、YLLとXLRを繋げると、左脳全体で「自分だ」と認識するように統合され、XとY双方をシームレスに
引き継いだ人格Zが誕生し、外見内面共にに変化が見られないかもしれない。
あるいは、統合に失敗して脳内に他人の空声が響いたり手足の震えや幻覚などの症状に苦しむようになるかもしれない。
あるいは視床下部を備えたXLR、YLRが体の主導権を握り、XLL、YLLはオフの状態となるかもしれない。
250 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2011/04/22(金) 00:56:47.06 0
>>237 人間が無限の観念を抱くことができるということが、人間にとっての認知がすべてであり、それに尽きると言っても過言ではない。
新しい観測手法等の、物理法則の理解の深まりは、発見されれば新しいが、それ抜きでも生活に支障はない。
人間の神は、すでに死んでいるのである。
あるものを見ると言う場合、あるもの、という言葉の指し示すもので、すでにそれは在る程度の概念化を含んだ、
簡略化された物体であるということが、暗黙裏の内に示されている。
視界の限定性と、想像の無限性、両者が結びついて、神の視点が得られると思う。
人間の観測という行為は、ただの行為であって、人間に意味がある範囲において意味を持つ。
人間が存在しなければ、そこにあるのは、時間もないただの混沌である。
251 :
考える名無しさん:2011/04/22(金) 01:14:19.10 0
大学の最近の哲学でも死後の世界は実在ですよねー!?♪。
>>249 聞きたいことは実現可能かどうかではなく自我とは脳のどこに宿るかなので、完全に元と同じままの原始配置で分離結合をできるとして欲しい
>>242を別パターンで行うと、
1、観測者Xの脳細胞の数だけのクローンを作る
2、観測者Xの脳細胞を一つ一つにばらばらにし、n個の細胞Xnとする
3、一人のクローンに対し一つの細胞Xnを対応する位置と入れ替える
このとき観測者Xの自我はどうなるのか
>>248 どうみても誘導しているようには見えないが。
255 :
のんでも安全、プルト君:2011/04/22(金) 13:59:52.18 0
ぼく原発のマスコット、プルト君だよ。
僕を飲んでも安全だよ、飲んだら体内にはほとんど吸収されない(科学的事実)
によって、ただちに健康を害することはないんだよ。
当時の最先端の動物実験でも体内に僕が入らないと実証※されたよ。
つまり僕の科学技術は正しいんだよ。
※マウス実験で影響がほぼないことは確認された。
これが科学技術の悪い側面である。合理性と知識はこういう結果を生む。
魔法の言葉で、ぽぽぽぽーん
>>255 >これが科学技術の悪い側面である。合理性と知識はこういう結果を生む。
どこが「悪い」のか、悪さが明確になるように説明希望。
258 :
考える名無しさん:2011/04/22(金) 17:20:58.72 0
>>257 どこも悪くないよ、お前の日本語読み取りの能力がないだけ
260 :
考える名無しさん:2011/04/22(金) 19:21:18.39 0
>>258 無人偵察機自体は日本の会社でも販売してるけどね。
今回は直接関与してないみたいだね。政府がアメリカを立てたのか、日本の販売者のやりくりが相当下手なのか。
Tホークは小回りがききそうだ
261 :
考える名無しさん:2011/04/22(金) 19:35:51.58 0
>>260 戦闘経験で実績がありますから緊迫した状態での信頼性が違うのでしょう。
また米国はデマではなく、生のデータが収集できるので好都合でしょう。
両者に益するところがあるのでナイスではないでしょうか?
>>253 A 1で実験失敗
B 2で実験失敗して死亡
C 3で実験失敗して死亡
D 3までは成功するが、やはり死亡
E 3まで成功して生存するが、昏睡状態の植物人間化
F その他
A〜Eの時、観測者Xの自我は消滅。
Fの時、観測者Xの自我は元のまま維持される、元とは変化するのいずれか。
>>257 どこが悪いか、それは前提から悪い。
>>255は科学が悪いから科学が悪いというトートロジー。
興味ナスコ
265 :
!ninpo:2011/04/23(土) 12:50:12.78 0
おもしろい思考実験だ。
266 :
考える名無しさん:2011/04/23(土) 12:51:51.45 0
ニートターーーーーーーーイム
267 :
Q:2011/04/23(土) 16:42:22.52 O
最近、考えていること
「結果が行為を正当化する」という考え方に俺は反対なんだけど
これって道徳問題になるのかな?
カントが「永遠平和のために」の補説で書いてるんだよね
269 :
Q:2011/04/23(土) 21:27:14.63 O
>>268 さぁ?、カントの文章そのまんまだから分からないけど
理論じゃあないですかね?
できちゃった婚wとか、ハイエクの自生的秩序とか
そんな感じの道徳問題には なるかもですね
271 :
考える名無しさん:2011/04/24(日) 00:09:41.53 0
>>269 カントが主体である彼との正当という関係?
272 :
考える名無しさん:2011/04/24(日) 00:25:20.52 0
>>263 >
>>255は科学が悪いから科学が悪いというトートロジー。
>>1が、決定論は正しいから決定論は正しいというトートロジー
であることと同じだね。
結果が 正当化する 行為を
S+V+O型で、Sは結果だから
主体はとりあえず置いといていいんではないか
「結果が行為を正当化する」というのは、いわゆる功利主義のことではないのですか。
カントだろうと誰だろうと、「人間の幸福」に基づかずに倫理を基礎づけることは
不可能だ(というか、そんなことをしても無意味)だと思うのですが。
この場合の問題は
1.「人間」といっても、誰のことか。
2.そもそも「人間の幸福」に何の意味があるのか。
この2点だと思います。
皮肉がわかんない奴がいるようだね。
>カントだろうと誰だろうと
カントと誰かの考えは完全一致だから区別する必要は無いのでしょうか?
277 :
Q:2011/04/24(日) 13:15:52.37 O
>>274 でもそれって
結果的に幸福なら善で、結果的に不幸なら悪だってことにならない?
例えば、公務員が横領をして競馬をやって勝った
そしてお金を返した。
これは善?
逆に、彼が競馬でまけていたら彼は悪になってしまうのだろうか?
殺意の有無と結果として死に至らしめたかどうか
殺人未遂と傷害致死
前者は善で後者は悪なのだろうか?
戦争は?
負けた戦争が悪で、勝った戦争が正義なのだろうか?
とすると正義を求めるなら、正義の女神は彼の耳にささやくのか
「正義の女神は勝った方につく、先制攻撃をして勝利をものにせよ、敗者には何も与えられない」
278 :
考える名無しさん:2011/04/24(日) 15:44:50.80 0
>>277 同じですよ、幸福なら善です、不幸なら悪
お金を返したら善です。
競馬で負けたら悪です。
殺人未遂は善です。何もやってないじゃないです。
傷害致死は悪です。実際に殺している。
>戦争は?
負けた側が悪そのものです。日本は世界大戦で負けました、つまり悪。
アメリカは勝ったつまり正義です。
こんな基本的なことすらわかんないQとは、教科書をちゃんと習得してこない
低学歴の人に見えてしまいます。
ww
281 :
ゲーム:2011/04/24(日) 17:48:18.05 0
>>278 粗いね。
何に照準を合わせて幸/不幸(善/悪)を語っているのだろう?
人類?国家?個人?
わが国の先の戦争の敗北は、だれにどんな“不幸”をもたらしました?
人類にとってはどう? この国にとっては? 個々の国民にとっては?
敗戦によって「天皇は神聖にして侵すべからず」といった憲法を有する
国家が崩壊したことは、むしろ「幸いだった」とみる論者は少なくない。
当時の戦争指導者と戦争から利得を得ていた連中以外の、だれにどんな
不幸を、あの敗戦がもたらしたのか、教えていただきたいものである。
「負けた戦争」と「勝った戦争」を分けるのはおかしくないか。
戦争は敵と味方がやるもので、その全体が戦争だ。
どちらかが勝ってどちらかが負けて、その全体が戦争だ。
だから「戦争が善か悪か」が結果で決まるというのなら、
第二次大戦なら第二次大戦が人類全体(宇宙全体?)にどういう
結果をもたらしたのか、で決めるべきだろう。
>>282 宇宙全体より広い多次元全体というのはどうかね?
考え方の分かれ目は、善悪というのは
1.「行為自体に内在する何か」なのか
2.「行為と他の何か(結果とか)との関係によって相対的に規定される何か」なのか。
とにかく「絶対的な何らかの尺度」が嫌いなゲームなどは2.の立場だろう。
もちろん結果を評価する尺度(幸福とか)も果てしなく相対化されていく。
そういう態度が許せないQなどは、1.的な考えだろう。
285 :
考える名無しさん:2011/04/24(日) 23:19:48.12 0
普遍的な善があるのは明白、それは絶対成る法則がそれを支配しているからである。
未来すらその法則から抜け出せない、故に未来は世界が生まれた時点で
既に変更できないという。それは素粒子の挙動まで全て確定しているからである。
おまえ等今、何言い争ってるんだ?
哲学であらず、お前等の会話は考察にしかなってない
未来に何を求めているのか、知りもしない過去に何があるのか。
過去が完全である訳がない、未来も決まっているわけがない。
粒子は元々ベクトルを持ち自由に動いている物、それらが反応を起こせば、二つの粒子の目的が決まる。
エネルギーが自由に動ける領域が存在しているからこそ、我々に選択という余地が存在する。
288 :
考える名無しさん:2011/04/25(月) 00:35:22.89 0
記憶と意識、これは全く別物である。
記憶は配列や状態を示し、意識や無意識は相対変化を示す
100km/minで走る物質は100km/minという状態であり記憶である、この物質が抵抗を受けると無意識に減速をはじめるし、減速から元の値に戻ろうとする場合、意識が発生しているのである。
我々が常に意識を持つように感じるのは、元々は0から始まり、記憶によって状態が保持され、外界の刺激により相対変化が発生しているから。
まぁ、さっきちょこっと考えて思いついただけだから、全くまとめてない。
はじめこれを見たときに抵抗を感じれば、お前の常識はこいつではないことがいえる。
抵抗を感じなければ思考してない、あるいは、これに近い発想を持っていると考えられる。
こいつは脳がそれに近いものを比較している事を示し、その関係する相対変化が行われていることを表す。
今回はこれでいくわ
290 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/25(月) 02:02:19.24 0
>>278 >同じですよ、幸福なら善です、不幸なら悪
>お金を返したら善です。
当座のお金に困ってお金を借りたら全部「悪」なんですか?
>競馬で負けたら悪です。
競馬で勝ったら、その人以上の「負けた人」が出ます(テラ銭があるので)が。
>殺人未遂は善です。何もやってないじゃないです。
殺人をしようとして「無能だから」失敗した訳ですから
@殺人をしようとしたこと→社会の秩序への挑戦
A失敗すること→殺人犯より(社会的)能力がないことの証明
・・・ですから、ある意味殺人犯(既遂犯)より「罪」が重いような気がいたします。
291 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/25(月) 02:12:08.04 0
>>278 >>>戦争は?
>負けた側が悪そのものです。日本は世界大戦で負けました、つまり悪。
>アメリカは勝ったつまり正義です。
ナチスドイツがヨーロッパ全土を占領していた時期(1942年頃)に
ナチスドイツは「ユダヤ人殺戮工場」を造り4百万人以上のユダヤ人を
その「工場生産物(死体)」として出荷(一部は工場内保管)しましたが、
それも「正義」なんですね?
>こんな基本的なことすらわかんないQとは、教科書をちゃんと習得してこない
>低学歴の人に見えてしまいます
教科書を忠実に暗記するとあなたのような考えを抱く人が生じてしまうという
・・・「教訓」ですね。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
俺って歪ませる天才かw
3.「行為と他の何か(結果とか)との関係によって相対的に規定される絶対的な何か」
初っ端から世界を絶対性と相対性に分別する思考には吐き気がする。
そんなものが世界に先立って存在するほど基本で偉いのかよ。
世界舐めんな。
舐めている奴は他人の思想に吐き気を催す、よくわかる。
295 :
(^e^):2011/04/25(月) 20:37:22.28 0
私も気付けばとても遠くへ来てます
思えば遠くへきたもんだぁ。
297 :
考える名無しさん:2011/04/26(火) 00:29:40.88 0
人類のユートピアとはどういうものでしょうか?
>>297 機械君が考えている未来が計算しつくされた現象で予測可能、
それどころか算定済み(決定済み)の社会です。
299 :
考える名無しさん:2011/04/26(火) 02:19:35.75 0
>>298 わかります、機械君の夢の中ってことでしょ。
全ては予めそこに存在している。
それらは不規則な動きをしており、反応が起きるまで空間を等速で移動し続けているるのだ。
301 :
考える名無しさん:2011/04/26(火) 05:29:07.79 i
すべてが物理的法則に従って動いていて、そこに自由意志が入る余地がないとしても…
あの、人と心が繋がったような気がする瞬間とか、他に何もいらないという瞬間は確かに感じたんです。みなさんのいう、あくまで感じ、なのですが。
不思議ではありませんか、まだ文明も発達していない昔そして今。「愛してる」って形に表せないことやものを言葉として口から出し、互いがテレパシーみたいに理解し合っている。
(これも理解し合ったという自分の感情ですが)
スレのテーマとからは的外れですが、まずは自由意志が入り込める隙間がないか探す事から自分は始めてみます。
302 :
考える名無しさん:2011/04/26(火) 13:34:19.79 0
おまえらのへっぽこ論では超論理は100%無理。
それ以前に論として成立しておりません。
意識は物質内に存在するエネルギーの変化
そもそも宇宙では物質の移動する方向は決まってないので、あらゆる現象が不特定乱数となりリアルタイムで変化し続けているのである。
つまり、未来は全く決まっておらず、現在だけが進行しているといえる
未来が決められるためにはまず、宇宙に方向が必要になってくる
306 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/27(水) 00:03:39.72 0
>>301 >自由意志が入り込める隙間がないか
「決定論(真理)」の立場から見ると、それはありません。
但し、近代(現代)国家では基本的な「社会契約論」が世界(地球)を網羅しておりますので、
A国内においては「A国が決定した罪刑」で裁かれることを覚悟しなければならないし、
一橋容疑者が沖縄の無人島に逃げていた・・・そこに居続けることが出来ずに「文明」に還り
さらに再び「無人島」に向かう途上で(フェリー乗り場で)逮捕されたということは象徴的です。
例えば(仮に)一橋容疑者がリビアとかシリアとかに渡り「政権側の戦士」に加わって戦って
勝利した場合に「罪刑法定主義」に基づいて(日本国としては)「犯人引き渡し要求」は出来るでしょうが、
「犯人引き渡し協定」が無い国(リビアやシリアは当然該当)に対して「国際法上の請求権」さえ生じません。
それはすなわち「(全ての)権利は『(社会)契約』が前提になっている」・・という「社会(政治)学的大原則」があるからです。
すなわち「国内秩序」のみならず「国際秩序」も全て「契約(国民の権利と気味に従うか否か)or国際条約」によって
成立するのであって、「それ以外の(道徳的を含む)権利・義務」は存在しない・・ということです。
それが「自由意志」と何の関係が・・・・w
社会契約は決定論に優先する、というわけですね
309 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/27(水) 00:10:43.11 0
>>307 「犯罪」に罰を下す・・のは「国家という組織の権利である義務である」ということです。
その「犯罪か否か」については、例えば「心神喪失状態の犯罪は無罪」というのが近代国家
の常識であり、「結果的に殺したなら(心神喪失であっても)罪に問える」としている国家は
(私の知る限り)存在しません。
すなわち「犯意の有る無し」が「犯罪の成立」には決定的要素となる・・ということです。
>>309 「意志」の有無が「犯罪の成立」に直結する、と?
「過失による罪」に関与する「意志」は「犯罪を行う自由意志」なのか「決定論的に不可避に成立する罪」なのか?
312 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/27(水) 00:24:35.34 0
>>310 一橋容疑者にはリンゼイアダムスさんを殺すか殺さないか選択する「主観的選択肢」があった
・・と考えられるので、日本国の警察・検察当局は「このような証拠があるので一橋を訴追します」
・・と裁判所に請求する(できる)・・ということです。
一橋容疑者が(仮にですが「狼男に変身したため」)心神喪失状態にあり、「気づいたら犯行を犯していた」
・・ということを(弁護側が)証明し、それを法廷(裁判所)が認めたならば、一橋容疑者は「無罪放免」になります。
パリでリンゼイワグナーさん(でしたっけ?)を殺して「肉を焼いて食べた」佐川容疑者は、とっくの昔に「無罪放免」
になっております。
ちなみに彼は「佐川急便」の跡取り息子(の予定)」だったとか言われてますが真相は(どうでもいいので)よく知りません。
>>309 つまり機械さん的には
個人の「自由意志」など「感じ」に過ぎないのだから
自由意志に責任を押しつける「近代国家の常識」などは滑稽な話であり
犯罪は「ビッグバンの責任である」と認識を改める必要がある
と、こういうわけですね
「主観的選択肢」
機械さんは、そんなものがあると認めるのですか
「主観的選択肢」は「客観的必然性」に「真理」として解消されるのか?
316 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/27(水) 00:35:00.28 0
>>311 「明確な犯意」>重大な過失>未必の故意>過失
「明確な犯意」・・これは「刑法典」に「何をしたらこういう刑に処する」
と書いてあれば「国家」は「処罰する義務」があるというレベルです
重大な過失・・・「明確な犯意」に準じて罰せられるのが通常の判例です
未必の故意・・・これも「そうなっても仕方がない」という「犯意」を認め
「明確な犯意」に準じて罰せられるのが通常の判例です
過失 ・・・これが認められれば当然「罪を減じる」理由になりその程度は裁判所が
判断する・・ということです。
>>316 つまり刑法典や判例、裁判所の判断は
真理(である決定論的必然性)に優先するのが“残念ながら”現状の世の中である
と、こういうわけですね
318 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/27(水) 00:40:31.66 0
>>314 「主観は存在しない」などとは一度も言ったことはありません。
「主観も存在するし、客観も存在する」というのが「人間(人類)の脳内の状態」です。
ただ、「主観だけを全面的に信奉する考え方」・・「誰が見たって星々や太陽が地球の周りを回っている
から「天動説」は正しい・・という考え方に対して、
「科学的な観測結果によれば地動説の方が正しい」・・という考え方が「より正しい」と
・・申し上げているだけです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
319 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/27(水) 00:50:57.21 0
>>317 人間は(残念ながら)「つい昨日までは弱肉強食当たり前の史上最悪の残虐な動物」であった
・・という認識が前提になっております。
それ(万人に対する万人の闘争)は、「お互いの為にならないので『社会契約』を結びましょうよ」
・・と考えた思想家が「ジャン:ジャック:ルソー」だったということです。
彼が考えつかなかったとしても、誰かが考えついた思想だとは思いますが、「思想史」的には軽視され
すぎているのでは?・・と思います。
本日は就寝させて戴きます。
毎日就寝できてうらやましいです。どんな睡眠薬を使っていますか?
321 :
Q:2011/04/27(水) 01:10:54.61 O
>379
弱肉強食に従うしかないのは自由がない獣
ただ人間は違う
人間には自由がある
だから弱肉強食の原理に逆らって生きることができる
人間は義務に従う自由がある
他人を利用しない自由がある
人を愛する自由がある
でも、それって不自由じゃない?
獣のように生きたっていいじゃない?
322 :
考える名無しさん:2011/04/27(水) 01:22:39.10 0
だめだよ
したくてもしなくてもよい=権利
したくてもしたくなくてもしろ=義務
”ラーメン食べたくなった”のでとんこつラーメンにするか、
味噌ラーメンにするか考える=自由意志。
”ラーメン食べたくなった”は気まぐれ=不自由意志
>>301 その「感じ」や自由意志が、物理法則に従って成立してたら何か問題あるの?
選挙って「権利」なんだよね〜
だから以前話した民主主義反対もあり、
選挙はいきません。
いえ、実はいったことありません(^e^)(^e^)(^e^)
”したくても””したくなくても”どっちでもいいし、どっちも選べる=権利
というべきでしたかw
知る権利だと〜〜〜
教える義務はありません!
これで万事OK
328 :
考える名無しさん:2011/04/27(水) 01:42:57.55 0
万事OK
なのかな?
「脳は物質だから意識は必然に過ぎない」からといって
なにか現実に不都合が生じるだろうか?
330 :
ゲーム:2011/04/27(水) 09:38:59.62 0
>>317 の皮肉と嫌味たっぷりの突っ込みは冴えていますね。w
ところで、機械さんの
>>319 はホッブズでは?
ルソーはそれを継承してはいるものの、結論的主張は逆では?
性悪論的なホッブズのそれのほうが、いまでは高い評価をえており、
ルソーは「甘い」とみる向きが多い。性善説に立つwwQ君あたりが
カント、ハーバーマス、サンデルなどを糾合して、ルソーの復活を
図らねばなるまい。w
331 :
ゲーム:2011/04/27(水) 09:56:56.65 0
>>329 “天動説”に依っても生活上とくに不都合がないように、
機械氏的“世界観”に依拠しても、同じことがいえる。
ただ、機械さんのいう“物質”も“意識”も、必然(一意)的
ではなく、「確率的に推移する」としたほうが説明できる
範囲が広がる、ということである。
332 :
考える名無しさん:2011/04/27(水) 11:12:05.30 0
抄録のオッサンはどこへ消えたのだ? 規制されているのか。
333 :
Q:2011/04/27(水) 14:11:07.19 O
>>330 間違った使われ方が多すぎて訂正するのもアホらしいと思うのだが
「性悪説」ってそういう意味ではないよ
でも俺が2ちゃんやってる14年前から
「人間の本性は悪だ」って意見は多かった
(それを「性悪説」と呼ぶ輩も多かった)
人間に本性なんてあるのかよく分からんが、
そんなに自分の都合ばかり考えるのは頭が疲れるんじゃないかと思ってしまう
>>331 表面上の不都合だけを表に出すのは、屁理屈だろ。
>>324 世の中には形而下の物理法則、形而上の物理法則がある。
君が理解できていないのは形而上の物理法則のほうで
何かすら捉えていない。
>>335 >世の中には形而下の物理法則、形而上の物理法則がある。
その根拠は?ただの信仰?
337 :
ゲーム:2011/04/27(水) 16:26:45.29 0
>>333 あいからず君は…。(苦笑)
“性悪説”の本来の意味? それとも“性悪”の?
“性悪説”もしくは“性悪”にまつわる君のご高説を、お聴きしましょう。
さぁ、どうぞ。
君は他人に対話を求めるくせに、そうやって、どうでもいいところで話の腰を
折って悦に入っている。テーマは、そこにはないだろう?
338 :
考える名無しさん:2011/04/27(水) 16:29:35.17 0
形而上の物理法則って何?
>>338 形而上とは何かを答えてみろ。
それができないなら説明することは不可能。
341 :
考える名無しさん:2011/04/27(水) 20:50:46.16 0
1の意見に同意します。
人間は生物発展の最高段階にあるらしいが、生物としての原初形態は蛋白質である。蛋白質は生物だから外界刺戟に反応する。
無生物は反応しない。その反応は、刺戟より遠ざかるか、近づいてぶつかってゆくかの二つに一つである。両方を一どきにはできない。
どちらにしても目的は自己保全である。この作用を人間の脳もちゃんと継承しており、それから外れることはない。
342 :
あまの:2011/04/27(水) 21:26:18.58 0
1が何と戦ってるのかあなたには分かるとおっしゃるんですか!!
是非お聞かせ願いたい。
343 :
あまの:2011/04/27(水) 21:33:12.59 0
1は自分のあたまをポカポカ叩いているだけにしか見えなんですけど・・w
344 :
考える名無しさん:2011/04/27(水) 21:47:59.25 0
※342
うーん自分も茂木のいってるクオリアはよくわかんないけど・・・
われわれには、生まれつき他人と関わりを求めよ
うとする『関係欲求』が、遺伝的に備わって
いると考えることができる。(たぶん)
345 :
考える名無しさん:2011/04/27(水) 21:59:40.90 0
※342へ
前頭葉が破壊された例でいうとゲージって人が脳に鉄棒がぶっささって
IQはあまり変わらなかったが人間性知能(性格)が最低になりました。
こころなんてなくて脳細胞っていう物質ありきってことかな。
まあ脳科学はまだ未発展の部分も多くよくわからないことが多いですが。
346 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MINORKEYcM :2011/04/27(水) 22:09:50.09 0
何度見てもイミフなスレタイ・・・
347 :
あまの:2011/04/27(水) 22:14:09.23 0
意識が現象であると言う点は異論は無いよ。
脳も現象として存在するわけだからね。
そんなの機械に言われるまでも無いこと。
ただ物質が人間の意識と独立して存在はしないよ、というのが観念論なんだよ。
348 :
あまの:2011/04/27(水) 22:21:04.17 0
機械自身が観念論が何を言っているのか分かってないから、結局彼が何を言いたいのか皆
正確にわからないという状態が何年も続いているんだよ。
349 :
考える名無しさん:2011/04/27(水) 22:43:38.28 0
機械? 1の事? wikiで観念論見たけどむずかしい。
350 :
あまの:2011/04/27(水) 22:57:30.50 0
なるほどな。じゃあきみはその物質のことを、もっとも単純な水素原子でも
いいから、どれほど知っていると言うのか、とっくりと考えるところからだよな。
351 :
考える名無しさん:2011/04/27(水) 23:26:37.43 0
ごめんなさい、確かに知らないわ。そして脳科学、物理学をもっと勉強しとくよ。
澤口のいってる脳内操作系理論どうおもう?
前頭葉は相手の脳を操り、操られる器官である。ってやつ
相手の感情を操作し、また自分の感情も操作される。
352 :
あまの:2011/04/27(水) 23:40:54.48 0
結局、脳ってさあ生存を確保しようとすることが最大の目的の補助器官なんだから
そういうこともあるだろうよ。
353 :
あまの:2011/04/27(水) 23:43:10.95 0
そうしたほうが、本人、しいては関係する相手ともども闘争が起こりにくく
生存が確保しやすいんだろうよ。
人間の心理とか生きるための下らない営みがなんと多いことか。
354 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MINORKEYcM :2011/04/27(水) 23:51:32.62 0
1.脳は物質である
2.意識は必然に過ぎない
この2つがなぜ「だから」でつながるの
・1は2が成り立つ条件では無い
・意識は必然「である」では無く、必然に「過ぎない」とする意味が不明
だよね
355 :
あまの:2011/04/27(水) 23:55:10.47 0
そうなんだよね、唯物論でいうと脳は主観なんだろうけど、子供じみてるよねこれ。
観念論的な言回しだと客観化された認識作用、客観化された刺激と反応、以上のものでは
ないんだよ。
そのうえ脳は個体の生存を確保するための補助器官にすぎない。
脳は、ひょっとすると、あってもなくてもどうでもいい器官なのかも知れない。
あくまでも、我々は、その補助器官、物自体に対しては二次的原理である我々の
知性でしか世界を眺められていないと言うことだ。
356 :
考える名無しさん:2011/04/27(水) 23:59:17.45 0
なるほど、まあ脳科学も興味あるけど宇宙のことも興味あるな。
まあ、まだまだ解明されないんだろうけど、まあアニメでも見て寝るかな、
あまのさん回答乙
>>354 「物質は必然」「意識は脳にある」
という前提があるのだと思われます。
>>354 以前トマス・ネーゲルのスレをたてた人でしょうか。
359 :
あまの:2011/04/28(木) 00:09:34.93 0
>>346 真剣に考えるスレタイではありませんよ。
でもこうです。
「脳は物質だから、意識は必然に過ぎない」
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
脳も物質なんで、物理法則によって意識が発生してます。
法則なので意識することも全て身体の法則で決定済み。
どう意識しようが法則によってきまってるから「どう意識しようが、どう生きようが」無駄。無駄。無駄。
「どのように」決まってるかはわかけど、とにかく「決まってる」んです。
これが決定論です!!!!!!
「で?」
でって 聞かれてもwww
これがこのスレの永遠課題ですよ?^e^)^e^)^e^)^e^)
>「どのように」決まってるかはわかけど
「どのように」決まってるかはわからないけど
でした
”とにかく”「決定してます」!
これがキャッチフレーズです。
362 :
(^e^):2011/04/28(木) 01:08:29.60 0
性善/性悪 説?
人の「性」が善であるか、悪であるかを前提で考えているからこんなへんちこりん
な説が生れるのです。
「性」しかありません。それに善悪を人々(機械君なら脳の法則)が付加します。
善悪とは見方を変えれば「幻想」ですね。
363 :
あまの:2011/04/28(木) 01:23:48.76 0
悪があるから善がある
悪が無ければ善は無い
意識は相対変化です。
脳に意識があるのは物質だからではなく、刺激を受けると脳の構成次第で様々な動きを作るからである。
ちなみにそれは必然的に起こっているのではない、人がかってに遅延して反応し、過去に意識を持っていってしまっているからそう感じるだけで、素粒子には元々進行方向が存在していないのです。
地球上では進行方向が向いてますが、その方向にかかる補正であって、確実に移動を起こす向きではないのですね。
g分必然であり、残りは偶然によって起きるものなのです。
善悪、どちらに偏っていればそれは常識「0」になります、助けるを善とし、助ける人が集まれば善が常識になりますが、そこに助けない人がでると非常識「0以外」の刺激がはいります。
それが悪と定義されるわけですが。
人を殺すのは悪です。
通常環境であれば殺すという選択肢は生まれません、つまり、人がいきなり殺す衝動に出れば、それは必ず非常識的な行動になりうるからです。
戦争というものにいくら正義をいれても、ふつうに生きている側は他人を殺すという感覚を得ないため、悪なのです。
自己防衛だろうと他人から見れば殺人は殺人なのです。
それを正義とみせてしまうのが差別意識です。
まあ、差別意識が全くないのは治安が悪くなるだけですけどね
ストレスがたまり続ければ生物は必ず何かの行動を起こしてしまう物なんですね。
この場合脳が決める方向性が不安定なまま実行してしまい、大体は犯罪、暴行、自殺に直行してしまうわけです。
いじめがだめな理由の一つですね。
いじめられ側が悪いという意識でいじめを起こしても相手がそれを直す確率が減るだけですし、その嫌な思い出で将来受けるストレスが増えたりもします。
要するに成長に悪いということなので、学校や社会でいじめがあるというのは、そもそも成長を促す所ではなくなるのです。
367 :
ゲーム:2011/04/28(木) 09:32:22.83 0
>>359 そうでもない、のでは?
機械さんなりに真剣に考えて、あのようなスレタイになったのではないか。w
が、いかんせん彼の論述を基礎づけているのはニュートン力学。
これはこれで大変の世界観であり、役にも立ってはいるが、「世界そのもの、
世界それ自体が、確たるものとして存在する」という自明の大間違い(ウソ)を
その前提としている。w
抄録氏のいうように、世界は全き混沌ではなく、秩序がある(整序されている)
ようにみえる。が、その秩序は“不確定性”に貫かれている(らしい)のである。
いわば世界は背理として、あるいは両義性として存在する…。w
368 :
ゲーム:2011/04/28(木) 09:52:12.88 0
>>362 “性”があるかどうかは、ひとまず措く。
問題は(貴君の言葉を借りれば)人々が付加するという善/悪。
ここに主観や文化(共同主観)を超えた“普遍的な線引き”が可能かどうか。
この点について、Q君は何かを語るふりして、いつも大道香具師のごとく、
前口上だけで終わっている。w
369 :
考える名無しさん:2011/04/28(木) 10:14:55.41 0
なんだこのスレw独特の風習を醸してるなw
370 :
考える名無しさん:2011/04/28(木) 10:49:54.80 0
社風があるように、スレ風も自ずと醸成されます。
>>369 哲学をやっている人と、外から眺めているお前等の違い。
スレ風ってなんだよ?
機械くんの独裁暴走体制しかないぞ。
哲学をやっている人???
>>373 学校で学ぶもの→歴史哲学(既出知)。。。これは明確に教科書に載っている。
哲学を行う→これからの哲学(未開知)。。。これは理解したり習うものではない。
科学でいう学習での知識と研究での模索の違い。
ピタゴラスが何故に哲学というジャンルの言葉を個別に作ったかぐらい学んでくるべき。
偉ぶって先に進むのではく謙虚に先にすすむ、それは過去を崩して進むわけで
過去の教科書的な知識を信仰してしまったら実戦などできない。
「はたしてそうかな?」「ほんとうにそうだろうか」という態度でなければ
哲学の姿勢ではない。常に疑う、全てを疑う、自分自身すら疑うことで先に進める。
否定できないから知識が正しいと信じてしまった時点で老害が始まる。
>機械くんの独裁暴走体制しかないぞ。
空気読めていないな。
機械君に振り回されているアフォとか相手にしないほうがいい。
哲学科をなめんなよ
379 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/29(金) 00:01:12.51 0
>>368 >問題は(貴君の言葉を借りれば)人々が付加するという善/悪。
>ここに主観や文化(共同主観)を超えた“普遍的な線引き”が可能かどうか
「絶対悪」とか「絶対善」とかは「観念論的幻想」ですので「実在しない」ということです。
すなわち「全ての善悪は相対的である」ということは、「社会秩序の維持のために死刑制度は必要である」
という意見は「人を殺すのはいかなる場合でも悪である」という意見と両立できません。
正当防衛で人を殺すのは当然「無罪」であることは間違いありませんし、戦争において敵兵(これも人間)
を殺すことは「国家が奨励したり、義務づけたりすること」であり、その国家とは北朝鮮やリビアのような
「非民主主義国」であっても「(西欧的な)民主主義国」であっても同じことです。
死刑を廃止した国は沢山ありますが、外敵が侵略してきても敵兵を殺してはいけないとしている国家は存在しません。
国によっては「牛を殺すと重罪」の国や「豚を食べると重罪」の国が存在したりしますし、
オーストラリアやニュージーランド等では牛やダチョウを大量殺戮して食肉として輸出する産業を奨励してるくせに
商業捕鯨には絶対反対という奇妙な価値観を持った「西欧型民主主義国家」も存在します。
380 :
(^e^):2011/04/29(金) 00:02:00.84 0
思えば遠くへ来たもんだぁ。
>>379 >「絶対悪」とか「絶対善」とかは「観念論的幻想」ですので「実在しない」ということです。
観念論的幻想かどうかは置いといて、
これに関しては私も機械君と同意見ですよ。
*中国人が犬を食うのを”野蛮”とは思えません。
機械さん、
「ある事態、または、ある行為が、善であるかどうか」は見方による(≒相対的)かもしれない。
しかしそれならば何故、それを「善」として理解可能なのですかね。
「善」の普遍性とはそのようなことでしょう。
「独在で特別なこの私」の普遍性に似ている。
食対象の動物に関する善悪の定着は所詮”偶発的な主観”の問題ですよ。
兎がペットだと〜?
俺なら食べるけど。
最近はうちの田舎でも兎をさばける人は激減しましたが…
384 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/29(金) 00:22:30.41 0
>>381 「真・善・美」を究極の価値であるとする考え方もありますが、
私は「真(理)」こそが究極の価値であり、他の二つは「相対的」だと
思います。
善については前に述べたとおりですが、美についても例えばゴッホの好きな
方が、100億円ぐらい出して向日葵を手に入れるのはご勝手ですが、私には
そこまで価値がある絵には見えません。
むしろ、その1/1000くらいの価格で買えるブラマンクやルオーや
カンディンスキーの絵を買う人の気持ちに共感できます。
すなわち「美」とは万人普遍の価値ではなく「相対的である」ということです。
モーツァルトの同時代の作曲家サリエリは同じくらい成功した作曲家で、モーツァルト
が若くして貧乏のどん底で亡くなり共同墓地に葬られた時にも人気を保っておりました
しかし、現在ではサリエリをわざわざ演奏するオーケストラは希です。
「真(理)」については「プトレマイオスよりコペルニクスの方が正しい」ように
「ニュートンよりアインシュタインの方が正しい」・・・という「一方向の道」が
存在する限り「絶対的」である・・・と言うことが出来ます。
まだ「大統一理論」の段階であり「超大統一理論」で重力を取り込まねばなりませんが、
遅かれ早かれ「最終的な世界(宇宙)像」が(理論)物理学によって明らかにされるでしょう。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
385 :
考える名無しさん:2011/04/29(金) 00:24:11.46 0
俺もそう思った。
犬を食うのは野蛮だと思ったから、
クジラを食うのも野蛮だなとおもった。
それは、何を美味いと感じるかは人それぞれで相対的だが、
「美味い」の意味自体は皆同じで理解可能で普遍的だ、という話と
同じことですか。
387 :
考える名無しさん:2011/04/29(金) 00:30:39.92 0
俺にとっては、犬を食う奴は人間じゃないと思っているから
クジラを食う奴は人間じゃないって思う奴がいてもおかしくない。
>>386 意味自体が「同じ」かどうか、を考え出すと、
比較可能性が無いので、もはや分からないわけです。
しかしたしかに言われるように
主観に過ぎないはずの「美味い」が、その言葉によって他者に意味が成立し
それが発話側の期待と不都合を生じない事態がある。
そこに途方もない普遍を感じずにはおられん。。。ふふっ
「犬を食う奴は野蛮な人間だ」ならわかるが
「犬を食う奴は人間じゃない」は理解不能だ。
「人間」をほめ言葉として使う理由がわからん。
390 :
考える名無しさん:2011/04/29(金) 00:37:14.38 0
「犬を食うのは伝統文化です」
↑
正気の沙汰ではない
と同じだろクジラも。
>>382 抄録さん
>しかしそれならば何故、それを「善」として理解可能なのですかね。
>「善」の普遍性とはそのようなことでしょう。
これは「善」とする評価が人に定着し、普及していくという共通認識のことを
”普遍性”ということで?
同じように善とするからには同じような理解の普遍性が働くはずだと。
機械君がいう”普遍性”とは万国共通の絶対的善、絶対的悪の普遍性の有無の問題のような気がします。
392 :
考える名無しさん:2011/04/29(金) 00:42:50.97 0
ほやとかくさやを食える奴は野蛮人か?伝統文化を継承する文化人か?
日本人が食うのを止めれば人類の文化が一つ消えることになるのかな?
納豆とかも関西の人は食えないとか聴いたけど
>>392 くさやは美味しい。
でも兎はもっと美味しい!
394 :
考える名無しさん:2011/04/29(金) 00:48:00.08 0
西洋人:「クジラを食う食文化の国に世界遺産などあるのかね。この野蛮人。」
日本人:「世界遺産から脱退します。キリ」
395 :
考える名無しさん:2011/04/29(金) 00:53:36.20 0
>>393 うさぎおいしぃーバーベキュ〜♪
小娘釣りしナンパ氏〜♪
だ〜れかつづきーをかんがえーてーよ♪
わすれがーたきフール佐藤〜♪
396 :
考える名無しさん:2011/04/29(金) 00:54:03.26 0
エスカルゴを食うのは野蛮人だと思わないように、
ホヤを食うのも思わない。
しかし、犬はヤバいだろ。と同じくクジラもやばいんだろうなぁ。
397 :
考える名無しさん:2011/04/29(金) 00:59:04.62 0
>>396 人類がペットにしてる動物は食うことに反発が強いのは理解できる
では、オーストラリア人はクジラをペットにして飼ってるのか?
398 :
考える名無しさん:2011/04/29(金) 01:02:27.92 0
>>397 理解できるだろ。
犬を食うのは伝統文化だと言われれば吐きたくなるだろ。
399 :
考える名無しさん:2011/04/29(金) 01:07:20.59 0
>398
なんねーよ、それはてめーが日本のチンケな価値観を相対化できてねーからだよ
400 :
考える名無しさん:2011/04/29(金) 01:10:56.54 0
>>399 それはってどれだ?
それが日本のチンケな価値観を何と相対化できてないんだ?
>>393 そう
機械さんは、どこまでも「ものの価値」に執着するひとなんでしょうw
この理論は真理(?
石原軍団の炊き出しは善(?
かんじんすきーのこんぽじしょん○○は美・・・と
善なる共通認識が定着する・・・・ですか
んー微妙
私には、個々のハートに「善良なる魂」が発動する際の、
その駆動部(善のエンジンw)は先験的であるように思われる。
しかしその現れ方、構成のされ方、行為との対応、は習慣的なのかな・・・分かりません
日本人が鯨を食べるのは鯨が大量の魚を食べちゃうからなんだよ。
403 :
Q:2011/04/29(金) 01:27:21.70 O
善悪についてわれわれが考える方法はここでも使用された考え方
「犬を食べるのが野蛮でないならクジラを食べるのは野蛮でない?」に見られる発想だ
犬は犬でクジラはクジラだ
両者を比較できるということに
何らかの前提が潜んでいるような気がする
善悪がないとしたら、そのような比較自体が成立しないのではなかろうか?
善悪と比較は無関係。
比較するには今の常識と今受けている刺激だけあればいいわけだけど。
人が善悪を判断する
これは文化や習慣によって組み立てられるもの。
決して元からあるわけではない。子供が善悪をもって泣いたりしてるわけじゃないだろう?
406 :
ゲーム:2011/04/29(金) 01:56:13.33 0
>>384 機械さんの待望する「超大統一論」が樹立されたとしても“存在の総体”が
明らかにされるわけではない。それよって、美や善の意味(主観性)までもが
解かれるわけではないからだ。地動説、相対性理論、量子論の登場がヒトの
価値意識にどれほどの変化をもたらしたかを思いやれば即、わかるはずだ。
ヒトは美、善、利を生きる生きものであり、機械氏の信奉する物理学的言説
も心的現象については、その切っ先を当てることさえできない。重力よりも
主観性(意識)を取り込んだ「世界像」を描出するほうが至難だろう。
なお“美”も同様で「モーツアルトよりもサリエリ」と後戻りすることは、
まずなかろう。ただし、これは“一般性”としてそういえるだけだ。
お前何言ってるの?
まるで病人は人でアラズと言ってるみたいだ。
人は単に記憶できる密度が高いだけだろ?
世界てのはね存在確立する定理でできてるんだよ
それが二極定義だろう?
善悪?それがどうかしたの?
善悪だけあっても基準が決まっていなければそれは存在していないのと同じ。
409 :
ゲーム:2011/04/29(金) 02:56:50.23 0
胎児のことは措き、乳幼児にとっては不全感を満たしてくれることが“快”
であり、また善きことでもあるのだろう。それをもたらしてくれる対象が
“善きひと”なのだろう。
私たちが「育った」のは“善”を受けとったからで、だれしもに善良さが
あるようにみえるのは例外なく贈与としての善を経験しているからである。
しかし、人と人の関係は、たとえ相手が肉親であっても、快と同時に不快
をも味あわされる。悪しきことをもまた経験させられるのである。
この快/不快が「善/悪」観の基底をなす、との説があるのだが…
事実は絶対に正しいのではないか
411 :
Q:2011/04/29(金) 13:02:40.50 O
>>405 個々人が善悪を判断する
それは個々人によって違いうる
しかし、われわれは善悪を問う会話コミュニケーションが可能である
先ほども例を挙げたが
「クジラがダメなら犬もダメでは?」とか
「クジラがいいなら犬もいいのでは?」とか
こういった会話が成立する
しかし、なぜそのような思考が可能なのか?
善悪が完全に主観的なものならば、そのような思考すら不可能なのではないか?
法に携わる者は、罪に応じた罰の量刑を考える
しかし、なぜ罰を罪に応じて決めねばならないのか?
言い換えれば、「同じ罪ならば同じ罰でなければならない」という前提がある
犬やクジラも同じで
「同じ性質なら扱いも同じでなければならない」という前提を共有しているから先ほどの会話も成り立つ
412 :
Q:2011/04/29(金) 13:11:11.62 O
例えば将棋のようなゲームを考えてみる
ゲームのルールをわれわれは自由に決めることができるとする
それは駒を好き勝手に動かしていいということと一致するのだろうか?
それとも何らかの制約を受けることが前提とあるのだろうか?
あるゲームのルールは変わりうる
地域や時代によってルールは状況に応じて変わるだろう
しかし、そのことはルールがゲーム参加者に対して相対的であることとは異なる
「ルールを守る」「ゲームに参加する」ということは
地域や時代を越えて普遍的なのではなかろうか?
>>412 普遍的だよ。漏れが生きている間は不変だ。
>>410 :飛べないカラス:2011/04/29(金) 12:15:51.39 0
> 事実は絶対に正しいのではないか
そうでもカラスは絶対に正しい。
>>408 :考える名無しさん:2011/04/29(金) 02:32:12.52 0
> 世界てのはね存在確立する定理でできてるんだよ
日本語でおk
この頭の悪そうなスレタイで183スレも続いていることに驚く
意識は必然に”すぎない”…
ってことは、意識が〜に”すぎない” とは思ってなかったが、
思っている人へ価値なしを強調したかたんでしょうかね?
機械君自身が以前、唯識論者(又は信仰を持つ者)であったことへの自己軽蔑、
新展開へ向けての自己脱皮。
いや〜いや〜、こんなにマジに考えたのも俺くらいじゃね?w
はっは
”意識 な ん て 大した価値ありませぬ!
所詮、脳からの信号ですから。”
うん、やっぱり価値をおいてたか、
おいてる人への無意識的反論が機械君にはあるように思えますが…
ま、どうでもいいか
>>416 おまえみたいな頭のいいのが何故あつまってくるのかが不思議だ、
だから早くカエレ!
>>418 意識とか呼び名にすぎないし、それが共通の何かすら分かっていない奴が
言っても無意味にすぎない。
そしてその理(仕組み、仕掛け)とかまったくわかっとらんのに意味不明な
表現で説明するのは当然の結果である。
意識にはなんの重要性もない。
421 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/30(土) 00:19:37.89 0
>>401 >機械さんは、どこまでも「ものの価値」に執着するひとなんでしょうw
なるほど、「ものの価値に執着しない」ことに価値を求める・・・という
「禅思想」のようなものですか?
「価値あると思うこと自体が執着であって、それから離れることに『本当の意味』がある」
・・・とかの「公案」=「臨済宗的禅問答」が「哲学」だと思い込んでおられる方も日本には
多いようですね。
「価値のないものに執着する」というのは「単なる信仰(観念論の一路線)」にすぎません。
観念論の(色々ある)バリエーションの一つとして、「目新しい」ものでは
ありませんね。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
422 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/04/30(土) 00:35:56.26 0
>>412 >例えば将棋のようなゲームを考えてみる
私は将棋の「一挙逆転」のような展開があるゲームはつまらないと思い、
囲碁や麻雀をすることがありますが、囲碁の武宮九段がお書きになった本を読んでいて
「?」と思った部分があります。
それは「負けを喜びなさい。それは成長の足がかりだから」というような記述でしたが、
所詮は囲碁も「勝負事」ですから、「結局、勝ち負けが全て」という方が正しいと思いました。
まあ、プロを目指している方(に対して)は別でしょうが、アマチュアに対して「勝ち負けに拘るな」と言うのは
「ゲームに参加するな」と言っているのに等しいと思います。
誰も「勝負事」に参加する際に「負けることを希望する」人は居ないし、そういう人が居るという前提では
「ゲームとしての勝負事」は成立しないでしょう。
「S」と「M」が同数出会えば「成立するかもしれないSMの世界」とは違うからです。
本日は就寝させて戴きます。
423 :
あまの:2011/04/30(土) 01:04:34.89 0
将棋や囲碁ってさあ、知性の卑しい属性に拠っているよね。
趣味としている人には申し訳ないが・・・
このスレでは知性に対しても批判が許されているはずだからいいと思うんだけど。
>>421 あたくしは禅などしたことがないので知りませんな。
「もの」はそれだけではただの「もの」であり、
ゴッホの絵も麻の布に顔料と油を塗りたくった物体に過ぎないわけです
しかしそこに「美」を見る者にとって、その「美」そのものは、
何ものからの、そう、神からの保証さえも必要としない価値(微妙w)として屹立する。
それならば、特定の物体である「絵一枚」を「所有すること」の価値とは何ですかね?
それは「美」の様相(or本質orカテゴリー?わからんw)からは変容しているでしょう。
得体の知れない物欲と、貨幣の魔力がそこには巻き込まれている・・・ふはっ
425 :
あまの:2011/04/30(土) 01:12:41.21 0
要するに、仕事を押し付けられないと頭脳が活動しないってことだよね。
大半の頭脳は独力で活動を開始しない。相手を負かすというような「意志現象」に
一生奉仕することでその頭脳の役目が終了してしまうわけだ。
426 :
あまの:2011/04/30(土) 01:19:44.70 0
計算機でもできることを何時間も頭脳にやらせる行為って、
もう文字通り、暇つぶし、Kill time、しているわけだ。
くだらないと思うよ。
427 :
あまの:2011/04/30(土) 01:22:39.75 0
機械の頭脳も所詮その程度だと決め付けたい。
428 :
忍法帖【Lv=5,xxxP】 :2011/04/30(土) 02:33:52.97 0
まあ秘密なことがある
脳についての問題はロジャー・ペンローズを読め
>>416 心脳問題をおさえている人なら、
「心は脳という物質にすべて決定されている」
とでも書くでしょうね。
タイトルとしては冗長でだめだけどw
431 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/04/30(土) 08:50:38.51 0
>>357 スレタイではそんなことは言っていない
脳は確かに物質で構成されているけど、
その働きは必ずしも物質だけに支配されるものでは無い
意識は確かに脳の働き(機能)によって決定されるけれど、
必然に「過ぎない」という論理は破綻しているよ
432 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/04/30(土) 08:52:44.60 0
>>358 スレは立てられないから立ててないよ
でもネーゲルさんの考え方は好きです
433 :
考える名無しさん:2011/04/30(土) 08:57:37.88 O
イエスフォーリンラヴ
>>431 >脳は確かに物質で構成されているけど、
>その働きは必ずしも物質だけに支配されるものでは無い
ここでいう「物質」というのは狭義のそれではなく、物理現象のことだから、
結局働きはその物質(=物理現象)だけに支配されたものになる。
>必然に「過ぎない」という論理は破綻しているよ
破綻していないし、まったく問題ない。
435 :
ゲーム:2011/04/30(土) 11:18:31.48 0
対象に照準して述べるなら、その生起する模様を“物理現象”と
称しても差し支えない。が、このとき対象を観測する主体(主観)
は消去されている。
反対に、主観(意識)に定位するなら、その物理現象なる一切は、
心的現象(心模様)に反転する。
どちらに定位して語っても「論理は破綻していない」かのようだ
が、それはどちらも“片肺”における「仮象に過ぎない」から。
ブラックホールの中でその客観性は通じない。
つまり自分が普通とか当たり前だというお前の思い込み
で定義された世界の一部の常識に対しての客観性といっている
わけで、それ以外から見たらお前の俺正義にすぎない。
考えが単純すぎるぞ。
>>410 > 事実は絶対に正しいのではないか
お前の浅い考えが生じさせた、お前との関係における事実、
それは主観的な事実であり他者から見れば事実ではない。
たとえばお前が薬で幻想をみても、それはお前の脳内では事実であるが
他者の脳内には影響しえない、故に他者の事実ではない。
ちがうよ
おれはおまえでおまえがおれであることの根拠をしめせつってんだよ
>>435 消去されているのではなく、物理現象の一部になり区別されなくなるだけで、
無くなっているわけではない。無くなっているのは観測主体ではなく、観測主体との「境界」。
440 :
ゲーム:2011/04/30(土) 12:54:32.13 0
>>412 「普遍的」という言葉をつかうから、不自然さが残るのである。
ヒトがゲームに参加し、ルールに縛られるのは“群れて”生きるしかないからだ。
このての生きものは、哺乳類にかぎらず(例外はあるものの)生のゲームに参加し、
なんらかのルールに従うよう刻みつけられている(ようにみえる)。ルール遵守は
生き抜く先験的w方法であり、善/悪に先立つ“本能”といいかえてもよい。w
ヒトにも、群がり、ゲームをし、自ずとルールを布く“性”が書きこまれている
らしい。しかしヒトの場合、これを本能的所産として一括するには無理があり、
また、これを“善”希求の根拠するのも短絡すぎるだろう。
441 :
Q:2011/04/30(土) 14:12:57.45 O
>440
「ルールを守る」という行為は
それが「ルールを守らないことが可能である」という前提がないと成立しないものだ
だから、ルールを一切守らない人間がいることも可能である(形而上学的問題なので、形而上学的可能性でしかないが、その可能性はある)
だから、君が言うように、生物がルールを守るということが本能によってインプットされているとは俺は思わない
ルールを守らないことが可能でなければ、「ルールを守る」ということの是非を考えることはできないからだ
442 :
Q:2011/04/30(土) 14:22:34.03 O
ルールを守れない人間がルールを守れるようになった事例として、俺はヘレン・ケラーを思い浮かべる
彼女は、幼少期は獣のように食事をしていたらしい
しかし、サリバン先生に言葉を教えられ、自分の外に世界が自律して存在することを感じて、理性的な人間になりえた
そこで彼女はルールを守れる側に立ったわけだ
獣は、自分が怪我をすると「世界が傷んだ」と感じるらしいが
ヘレン・ケラーは幼少期は「世界は闇だ」と感じていたが、
言葉を得ることによって、「自分には闇なだけで、世界は闇ではない」と感じたということだ
あれ?、話がズレた
443 :
Q:2011/04/30(土) 14:53:46.15 O
ああ、そうそう
そのヘレン・ケラーが奇跡を感じた瞬間
彼女にとって他者がいない世界が、他者のいる世界になったのかもしれない
ネコが「他者」がどうこうとか言ってたので
俺はよく分からんが、まぁそうかもしれんねということだ
444 :
Q:2011/04/30(土) 16:50:53.34 O
>>434 なるほど
「世界を何が支配するか?」という問いに対して
「物質が支配する」と答えるのが決定論だということだね
そして同じ問いに対して
「社会的圧力が支配する」と答える人もいるし
「争いと力が支配する」と答える人もいるということか
誰が王様になるべきなのだろうね
>>431 意見の違いは定義の違いが原因だと思います。
例えば、
必然:他に選択肢が無い。
物質:要素。部分。
>>435 議論においては使用する言葉の定義は客観でないと通じないです。
>>437 > それは主観的な事実であり他者から見れば事実ではない。
事実は客観。
>>438 同一律
思考の原理の一。一般に「 A は A である」という形式で表す。いかなる事物も自己自身と同一であり、
我々の思考過程においてもこれを否定するような思考をしてはならないという要求をいう。
>>445 >> それは主観的な事実であり他者から見れば事実ではない。
>事実は客観。
なんの根拠も示さないそれはデムパ発言と言える。
君の無能さの自己紹介?
447 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/01(日) 00:03:24.93 0
>>424 >何ものからの、そう、神からの保証さえも必要としない価値(微妙w)として屹立する。
要するに「自分が勃起する対象の女性は(女性として)魅力があるし、勃起しない
女性は(女性として)魅力がない」と断言する・・・という「主観主義しかない」
・・という観点から脱出できない・・という「悲鳴」だとしか思えません。
「現実にあなた自身の肉体が勃起する(勃起できる)対象となりえる『実際の女性』を
(「言葉のイメージ」だけでも)ご紹介できないことはある意味残念なことです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
448 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/01(日) 00:15:22.88 0
>>445 >我々の思考過程においてもこれを否定するような思考をしてはならないという要求をいう。
その通りです、
三十三万三千三百三十三年三ヶ月三十日後の「今の東京の座標から見える星座」は今(現在)
とはかなり(とまでは言えないかもしれませんが)異なっており、それは「今現在の天文学で予測できる」
・・・ということも間違いありません。
その頃に人類が生き残っている・・としたら「奇跡」だとは思いますが・・。
450 :
考える名無しさん:2011/05/01(日) 01:17:32.72 0
451 :
ゲーム:2011/05/01(日) 01:20:01.05 0
>>448 カラス君の要求する、そのような言葉の使い方は、大昔、素朴リアリズム
と称されて、検閲の基準になった(権力を握った)こともあったらしいが、
いまでは田舎の親父でさえ、もう少しシュールな表現をするだろう。w
言葉の使用に圧力をかけるのは、遅れた国々の遅れた精神(信仰)の持ち主
の仕様である。カラス君が連呼する“定義”とは、言葉の言葉による解釈
だが、その言葉には「本来の意味」などなく、言葉に言葉を重ねてみても
共通の定義(意味の一致)にいたることは、めったにない。
人々が言明し、論じ合うのは“定義”に基づくものではない。むしろ各々の
“定義”を交換しあい、そこに差異や不一致を見出すためである。
452 :
考える名無しさん:2011/05/01(日) 01:47:16.63 0
>>451 三十三万三千三百三十三年三ヶ月三十日後の「今の東京の座標から見える星座」
は言葉の表現の問題だと?
ゲーム氏をある意味信頼してきた俺にもとてもそうは思えない
>>445 そうですね
ただし、
>物質=要素。部分。
というのはスレタイからは読み取りにくい
それに必然に“過ぎない”という言い方をする必要性も無いよね
454 :
考える名無しさん:2011/05/01(日) 01:52:04.82 0
必要って何よ?
「部分」というのはピンと来ないなあ
『脳は物理的機能で働いているから意識は必然である』
ならまだ言わんとすることはわかるけど
外的/内的刺激に対する反応を物質とは言わないでしょ
>>454 馬鹿に対しそういう哲学的な質問をしてはいけない
457 :
考える名無しさん:2011/05/01(日) 02:04:49.08 0
最近はプラトンに凝ってるんだが
プラトンって全然答えを言わない、まったく何もいってないに等しい
で何も答えがなければ、そこに正しい事があるとか、そういう感じ
でも考えてみれば何もないところに良いものがなければ
人間が何のためにあるのか意味がわからん、そもそも欠陥品どころか
意味がないという事になるのではないか、で多分良いものがそこにあると思うんだ
で、結論はプラトン哲学はまあ廃れまいということだ
458 :
ゲーム:2011/05/01(日) 13:04:56.41 0
>>452 一日でも一年でもいいが、そのての“時間”はヒトからみた事象の変化を
表わす単位。それはヒトによる記号であって、一日とか一年という何かが
人間(主観)を離れて、つまり“客観的にある”わけではない。
機械氏の文章は“客観”を言い当てているかにみえて、その実、“概念”の
羅列でしかないものがほとんど。たとえば「いま」「東京」「座標」「星座」は、
ヒトが発案した特異な記号。それらが「客観的に、物理的に存在する」わけ
ではない。
なおプラトニズムは“極北の概念”を実体とし、現前する様態を仮象とみなす
逆立ちした世界観。このスレの唯物論者や科学信奉者の大半が、機械氏にみる
ごとき無自覚なプラトニストである。人間は新たな装いをこらすのが好きだが、
さほどには進歩していないのである。w
>>447 いきなり勃起勃起と4回も連呼されても困りますわ。
「善」と「美」の話から「勃起」へとワープできちゃう機械さんの頭脳に脱帽・・
・・脱糞しかけましたばいw
しかし情欲は「善」とは対立することが多いですね。
どうしてでしょう。。。
純粋な情欲はちょっと、「とんがりすぎ」なんですかね。
調和は極端を嫌うのかしらん。。。
461 :
(^e^):2011/05/01(日) 18:44:23.74 0
不覚にもわたし(達w)がブスに勃起するのも「決定」してたんでしょうか…
カオスは人の印象に過ぎない
世界は全て調和と秩序で成り立っている
らしい
463 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/02(月) 00:17:32.14 0
>>462 >世界は調和と秩序によって成り立っている
そうかなあ
調和も秩序も無いと思うけどなあ
どだい無理な話なんだよ
464 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/02(月) 01:20:43.83 0
>>458 >機械氏の文章は“客観”を言い当てているかにみえて、その実、“概念”の
>羅列でしかないものがほとんど。たとえば「いま」「東京」「座標」「星座」は、
>ヒトが発案した特異な記号。それらが「客観的に、物理的に存在する」わけ
>ではない。
では「ヒトが発案?した特異な記号」である「概念や言葉」を介さずにあなたの「考え」
の一端でも述べることが可能であるとお考えなのでしょうか?
「物理学」について全くご存じない方だと思われますが、「(実在する)自然」について
「観測に観測を重ねその観測に基づいて仮説を立て実験して立証する」・・・という地道な
手間を重ねて「この世界(宇宙)」の実態に迫ってきた・・という「物理学の歴史」について
もう少し(中学生レベルでも結構ですが)学習されることをお奨めいたします。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
465 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/02(月) 01:36:05.66 0
>>460 >いきなり勃起勃起と4回も連呼されても困りますわ。
確かに「品のない表現」であったかもしれません。その点はお詫び申し上げます。
ただ「勃起」を例に挙げざるを得なかったのは、大部分の哲学徒が未だに「(キリスト教的)観念論」
の呪縛に陥っており、「性行為を連想させるような表現は下品だ」・・という「潜在的な先入観」を
「抱かされている」・・ある意味フーコー(私は否定的ですが)が抱いた「観念論の危機感」について
どなたも「無かったこと」のようにお書きになっているので、ふと「性的なこと」について書いてみたく
なった・・ということです。
三島由紀夫が書いた小説の中で「想像力だけで勃起する」だけではなく・・
「想像力だけで射精する」・・ということを「精神の(物質的な事象に対する)勝利である」ような書き方を
していた部分があることを思い出しました。
実際にそんなこと(想像力だけで射精すること)ができる方がいらっしゃるとしたら『観念論も正しいかもしれない』
・・と考える余地はありますが、そんな人はこの世(世界=地球)には存在しないでしょう?
本日は就寝させて戴きます。
>>447 機械さん、人のセクシャリティにケチ着けるのは失礼だよ。
>>465 「想像力だけで射精する」人いるよ。
高校生とか特に性欲が過多な人は。
知らないのですか?やる前に興奮しすぎてイッちゃったとか。
なんの話してんの・・・
469 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/02(月) 01:47:23.82 0
>>466 「失礼」ではないと思います。
むしろ「タブーとして口を噤む」ことのほうが(キリスト教的価値観に屈した)「間違った態度」
だと思います。
先日見た映画『キッヅ アー オール ライト』については、昨日も「家族」について悩む友人に
「家族全員で鑑賞してみたら?」と奨めましたが、「家族(性的一対を前提とする社会の一単位)とは何か?」
・・・という問題について、非常に深く(根源的に)問題提起している映画として鑑賞することをお勧めいたします。
本日は本当に就寝させて戴きます。
善悪とは自身や社会が決めるものではなく、相手に利があるものを善、害を及ぼすのを悪といいます。
なので、社会的に悪であっても相手に利があればそれは善であり、社会的に善であっても相手に害があれば悪です。
ちなみに後者の事を偽善者と呼びますが、時代が経過するにつれて歪んでしまったんでしょうね。
社会と人の意識は全く関係ありません。
差別意識などありますが、これは社会を維持や運営するために決めているだけですので人の意識とは関係ありません。
>>467 想像力だけではなく、身体は常に外部からの刺激を受け続けています。
473 :
ゲーム:2011/05/02(月) 10:13:51.78 0
>>464 そのとおりですね。(これは営業マンなどが相手の言葉を肯定するかにみせて
以下の語り口によって全否定する常套句ですw)
“概念”によるしか対象(客観)を浮かびあがらせることはできない、と常々
述べてきました。これを主客の相対、相関、合作と私(たち)は呼んでいる。
これは、主体(主観)の関与なしに“世界”がその貌を顕わにすることはない、
といいかえることもできる。機械さんのおっしゃるとおりである。w
少し前に述べたけれども“主客”は「相補的」であるかのようだ。
対象に“注意”が向けられるとき、主観は消去されている(擬似・無意識)。
何かのキッカケで、その“注意”を意識するや否や、対象は内面化される。
意識は意識され、このとき“外界(客観)”は非在化する。
客観も主観も“自立”できず、凭れあって「何かがある」ことを発信する、
ということらしい。
474 :
ゲーム:2011/05/02(月) 11:10:03.74 0
>>464 そのとおりです。物理学も哲学も中学生レベル以下です。
それはともかく“真理”といわなくなったのは、ご同慶のいたりです。w
「観測に観測を重ね、仮説を立て、立証し」その結果が“相互主観”的に
容認されたものを(暫定的に)「正しい」とします。絶対的に「正しい」と
いいつのるなら、それは科学的言説ではなく、信仰上の“御言葉”という
ことになる。
機械さんは、一神教に魅かれたこともあって「絶対的に正しい」ことが
あるという確信(幻想)を持たれている。それゆえか「何が、どのように、
ある」のかを探っているのに「実在する自然」といった超越的な(惚けた)
表現を安易になさる。また“実態に近づいている”と安直に述べる。
前者は実在ではなく“現象”という適切な言葉があり、後者については
「実態がないのが実態」と、とりあえず申しあげておきます。
475 :
ゲーム:2011/05/02(月) 13:55:17.77 0
>>470 では、これはどうか。
ある女性が見知らぬ男に襲われ、犯され、そのあげくに
顔面を石か何かで滅多打ちにされ殺されたとする。
両親は嘆き、その男を憎んだけれども、どうすることも
できなかった。
Aという別の男が犯人を捕まえ、両親にかわって犯人を
拷問し、最終的に殺してしまった。その逐一を、女性の
両親に知らせたところ、たいそう喜んでくれ感謝された。
このAの行為は“善”ということになるのかな?
476 :
ゲーム:2011/05/02(月) 14:39:31.90 0
機械さんも、想像が勃起の誘因となるのは認めているようだ。
これは、意識が身体に物理的な現象を惹き起こすことを意味している。
この延長に射精にいたったとしても不思議ではない。(私には無理だが)
話はかわるが、プラシーボ効果も「ある」とされている。
にせ薬どころか、にせ治療さえあって、(みんなにではないが)一部に、
その効果が認められている(そうだ)。
唯物論者で、このあたりのことをきちんと説明できる人はいないのか。
抄録さん、どう?
477 :
考える名無しさん:2011/05/02(月) 16:21:28.79 0
>>476 じゃあ、ジャンプできる人は、その延長に空を飛べたとしても不思議じゃないのかなぁ
想像力で絵をかけるってのは事実だよ。経験のない人にはなんともしんじられないかもしれないけどね。
>>476 あたしには荷が重いなぁ。。。
生命の本質からしてお手上げだし。
意識となると絶望的だしw
それでも唯物論にしか可能性は無いわけです。
プラシーボ効果が精神が身体に影響を与えるものだとするなら、
これは一旦は精神と身体の二元論を前提として考えようとしている。
しかし一方で、精神は身体と相互作用することも前提としなければならない。
それで尚、精神の作用が身体に先立つ、とするためには
・精神と相互作用する物質世界(身体)の振る舞いは、(物質世界から独立する)精神を原因とする結果
と判断される要素が存在するはずである。
と帰結することになる。
ところが、いざ身体内のいかなる物理的挙動を調べたところで、
「いわゆる物理現象」から外れるような物質の振る舞いなど、絶対に見つからない。
そうであるなら、「精神が物質に影響を与える」ように見えるのは幻想にすぎない
と考えるのが妥当でしょう、となるわけです。
そうでなければ、精神は身体と相互作用することもできるし、しないこともできる
なんていう、全くのご都合主義的な神(精「神」w)みたいなもんが介入することになる。
私としては、そいつは認められませんw
479 :
Q:2011/05/02(月) 19:39:46.93 O
>478
そりゃ、最初から「心」を「物」として捉えようとするところに問題があるんじゃね?
481 :
あまの:2011/05/02(月) 20:27:25.06 0
あーあーあー、まーた「精神と物質」「精神と身体」の二元論に・・
それは科学の領域なんじゃないの?
唯物論アンチ筆頭あらわるw
483 :
あまの:2011/05/02(月) 20:35:18.30 0
畏れ多い、筆頭はゲームさんですよ。末席の賑やかしですよ。
484 :
あまの:2011/05/02(月) 20:40:06.48 0
物質と精神の二元論がうまくいくのは潔く道具主義に徹した科学だけですよ。
人類史上ね。
485 :
あまの:2011/05/02(月) 20:42:24.83 0
この二元論で進んでしまうと、シェアウェアのソフトのように大幅に機能を
制限されたごとく歯がゆい思いしか味わえないのと似ている。
486 :
考える名無しさん:2011/05/02(月) 20:43:44.25 0
プラトンってのは人間は本当は潜在的には全ての事を知ってる
とかいうふうにさえ考える
つまり今後人類の未来に新たな発見があっても
プラトンにしてみれば「それはイデアの中に最初からあったことなのさ」
というんじゃないだろうか、こういう考えに反論ってできる?
487 :
あまの:2011/05/02(月) 20:45:28.83 0
想起説のことだね、観念論の源流だと思うよ。
488 :
あまの:2011/05/02(月) 20:51:28.07 0
きみはイデアなどと言うものがこの客観世界のどこにもありそうもないから
そんなことを聞くのだと思うが、だとするとイデアは主観に属するとしか
考えられないよね。
イデアは探るに従いその都度成立する。
ヒトは無常なる自然の中で生きている。
ヒトの理解可能性が変容しない理由はない。
イデアが「主観」を越えた普遍性を持つのは
当然にして自然の普遍性に依存している。
個々の主観を結ぶ“共同作用”とか、どこにあんだよ
491 :
あまの:2011/05/02(月) 20:56:55.13 0
現象にそって言うと、結局、脳内は、物質の相互反応しかないわけだが、
そんなわれわれにはそっけない情報を、最終的にどこでアナログ情報に戻して
我々の認識を成立させているんだろうか。もうアプリオリに主観に組み込まれた
コンバータとしか考えられないわけだ。
どんな突拍子もない現象を見聞きしようが最終的に主観は認識を構成してくれるわけだ。
自然の普遍性の根幹は
あまの君がよく揶揄する「つぶつぶ」にある。
膨大数の同種粒子が世界の秩序を支える。
「粒子」と呼ばれる事態は実体なのか?現象なのか?
それは分からんね。
494 :
あまの:2011/05/02(月) 21:00:24.25 0
自然の普遍性ねえ、観念論的な言い回しだと、客観化されたイデアとも言うべきものなんだろうね。
観念論にいる限り、「客観化」はどこまでもその力を発揮しない。
「主観内客観性」の中をきりきりまいするのみである。
496 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/02(月) 22:52:59.19 0
>>474 >機械さんは、一神教に魅かれたこともあって「絶対的に正しい」ことが
>あるという確信(幻想)を持たれている。
それは違うと思います。
アインシュタイン以前では「絶対空間」あるいは「絶対時間」「エ−テル」という概念は
物理学にとって「常識」であり、その「(「神」の視点が存在するかのような)客観的な実在性」
については「マッハ」以外は誰も疑問を持ちませんでした。
しかし「特殊相対性理論」では「光速普遍の原則」が最優先になりますので、「異なった慣性系」では
時間や「距離」も縮んだり伸びたりする・・ということが明らかになりました。
これはある意味(シュレディンガーの猫と同じ)観測=主観の重要性に着目した発想ですが、
「絶対空間と絶対時間」を「鳥瞰できる」という発想のニュートン物理学を「相対化してしまった」
・・・という意味において、「絶対的な真理により近づいた」・・という意義があるのです。
本日は脳内睡眠物質委の蓄積により就寝させて戴きます。
497 :
Q:2011/05/02(月) 23:24:15.35 O
>抄録さん
唯物論について長々と書きます
6年ぐらい前に書いた焼き直しなので、見たことがあればご勘弁
まず、「世界は単一の実体で構成されている」という考え方がある
対して「世界は複数の実体で構成されている」という考え方がある
前者を「単元論」、後者を「多元論」と呼ぶ
単元論の中で「物が実体である」という考え方を「唯物論」、「心が実体である」という考え方を「唯心論」と呼ぶ
多元論の中で、「実体は精神と物質の二種類がある」という考え方を特に「心身二元論」と呼ぶ
唯物論は「心(精神)は物に還元できる」と考えざるをえない
その解決策として4つの考え方がある
汎心論、機械論、随伴現象説、もうひとつは忘れた
本は数年前に後輩に貸したまま帰ってこない
(絶版なのによぉ、ったく)
単元論は「どうやって心(物)を物(心)に還元するか?」という問題が生じる
二元論は「異なる実体がどのように関わり合うことが可能なのか?」という問題が生じる
後者の問題は「心身問題」と呼ばれる
>>497 いろんな物質によって、世界が構成されているとも言えるので、
唯物論は、単元論としても、多元論としても成立できる。
499 :
Q:2011/05/02(月) 23:35:13.67 O
続き
心身問題は心身二元論を唱えたデカルトが家庭教師をしてた少女に質問されて回答につまったことからはじまるらしい
まず、デカルトは2つの実体を考えた
1つは数学、この性質の実体を「精神」とした
もう1つは目に見えて延長できる性質、この性質の実体を「物質」とした
そして、精神と物質は互いに異なる実体であるため、お互いに相互作用することはない
(幽霊が生身の人間に触れないことを想像してもらえれば分かりやすい)
しかし、人間は松果体という器官で精神と物質をつなげており
心で思ったことを松果体で変換して身体に伝えることができる
こうデカルトは考えた
このことを教え子に言ったデカルトは、少女からこう言われたらしい
「異なる実体であるはずの精神と物質がどうやって松果体では相互作用できるの?」
これが心身問題としてずっと残る
500 :
あまの:2011/05/02(月) 23:53:39.12 0
心と身の二項対立自体誤っていると見るしか活路はないよ。
何百年同じ風に考えてりゃあ気が済むんだって話だよ。
501 :
あまの:2011/05/02(月) 23:56:27.06 0
例えば、善と悪の二項対立が誤っている(社会的な意味では無く)様にね。
しかし機械さんがマッハを語るとは驚きである。
このスレはどこへ舵を切るのか
それとも切らないのかw
504 :
Q:2011/05/03(火) 00:53:04.18 O
>抄録
唯物論は単元論である以上、単一な何かに還元しないと説明できない
が、数学の物質への還元を試みる者がいないように
唯物的還元で知識の進展があるか甚だ疑問だ
以前にこのスレで坂本百大先生の原一元論(言説二元論)を書いたけど
心身問題に対する解決には様々なアプローチがある
で、俺は当時、「物」と「心」以外に「情報」という新しい実体を提出して
三元論を提案してみた
数学と心を区別してみた
そして多元論の解決としては坂本先生の原一元論を考えてる
505 :
Q:2011/05/03(火) 00:57:22.21 O
>503
マッハは哲学の世界ではかなり有名
反カントのヒューム主義者で、実証主義から観念論に以降(実証主義自体が観念論と親和性が高い)
論理実証主義に多大な影響を与えている
>>504 なるほど。
しかし唯物論が単元論であるかどうかは、貴方のさじ加減ひとつのように思いますが。
自然が一元的か多元的かどうかなど分からないし、それもヒトのさじ加減では?
私にとって唯物論とは、「意識とは独立する客観的実在」を認める論であり、
人間などひとり残らずこの世から消え去っても、自然が無くなったりはしない、
ということを認めて貰えばよいわけです。
しかし、客観的実在とはなんだ?挙げて見ろ、とかゲーム氏なんかに突っ込まれるので、
それに対応してあーだ、こーだと対応してみているわけです。
あと
数学を物質に還元することは、あるいはできないかもしれない。
しかし、自然の振る舞いが数学的であることは間違いないし、
それが偶然である、とするのはかえって不自然と思われる。
デカルトの言う「精神」が「数学」であったとは驚きです。
本当ですか?
「唯物論」
・意識から独立な客観的実在を認めると共に、我々の認識は脳による客観的実在の反映である
と理解する立場。
こうですか。
508 :
あまの:2011/05/03(火) 01:55:01.49 0
人間など一人残らずこの世から消え去った後は、我々が知っている自然は消え去る、
我々が全く知らない自然は残る。
509 :
あまの:2011/05/03(火) 01:56:38.41 0
これって結局世界(馴染んだ)は消滅するってことでいいのでは?
>>508 てめえwまだ起きてんのかw
消えるのは「観念」だけよ。
「世界」て言葉を使うと、あなた達が「世界とは観念ですw」とかうるさいので
「自然」としてみたのだよ。
「我々が全く知らない自然」てなんぞね?
そんなもんの方がオカルトだわい。
511 :
あまの:2011/05/03(火) 02:08:12.96 0
うーむ、じゃあ英語で
What we have regarded as nature will disappear
だいたい、「我々」て誰よ?
貴方も、そこの貴方も、
誰が「世界の存在」に責任持つつもりよ。
513 :
あまの:2011/05/03(火) 02:11:15.13 0
しかしね、抄録、もし我々が死んだ跡も、そっくりそのままの自然が残る、
(まあ無理して想像してやってるんだが)としたら、かなり切ないだろ。
安心して死ねるかい?きみは。
514 :
あまの:2011/05/03(火) 02:14:06.82 0
だからあ、人間の知性に「世界の存在」の全責任は無いし義理も必要も無い。
知性はちょいと数十年片棒を担いでいるだけ。
>>513 何が切ないのか、全く理解できんw
「そっくりそのまま」ってところが観念と実在とが錯綜してるんじゃないのかしら
色を見る奴もいないし、形を感じる奴もいない。
時間を感じる奴もいない、と強弁することもできる。
しかしだな、俺が世界の存在に責任を持っているわけじゃない。
独我論は「正しい」かもしれんが、しかし極めて「不自然」である。
極端な思考は真理から遠いのであるw
安心して死にたまえw
517 :
あまの:2011/05/03(火) 02:25:43.26 0
我々が光を見るのだが、実際は視神経では電気信号になりその後
神経細胞間で相互作用し雲散霧消する、光を認知するんだが、
絶対光そのものは見てないよね。だから、光そのものは絶対認識できないんだよ。
だから、死んだら、世界は別物に変容するわけだ。
518 :
Q:2011/05/03(火) 02:28:33.24 O
>抄録さん
唯物論は単元論です
多元論的唯物論というのはちょっと形容矛盾な感じです
単元論は説明としてはスマートになりますから、とても魅力的だと思います
が、数学を物質に還元できるでしょうか?
例えば遺伝子の複製をモノの衝突の力学に還元できるでしょうか?
そのようなことができたら唯物論はますます魅力的になるわけです
僕はその必要がないと考えているので、唯物論ではないですね
もちろん唯心論でもありません
唯心論は理論として負荷を与えづらいので、理論の発展が得られにくいという欠点があります
でもまぁ、この問題が狭い哲学分野以外にどれだけ有効な議論なのかと考えると
ちょっと考えるのをやめてしまいたくなります
(坂本先生の仮説は脳生理学の研究を進める意義があります)
519 :
Q:2011/05/03(火) 02:35:15.54 O
>517
そりゃ見え方が変わっただけで、世界そのものが変わったわけではなかろう?
520 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2011/05/03(火) 03:06:51.11 0
久々に来てみました。
>>517さん
たしかにそのものは見えないですよね。そのもの見るためには
そのものにならないと。
(その時点で「見る」という観測者は存在するのか否かという問題が出そうですが)
521 :
あまの:2011/05/03(火) 03:24:46.18 0
感覚器官自体が物質として認知され、その感覚器官も物質である感覚器官を通して
我々の主観に入る。ずぶずぶの馴れ合いじゃないですか。東電と保安院のような
関係じゃないですか。精神が物質である脳や物質に対して云々するjことなど
出来るわけが無い。
522 :
あまの:2011/05/03(火) 03:32:46.40 0
出来るわけが無いのだから、理由はよくわからないが法則性だけは導ける
科学に任せておけばいいでしょう。
哲学では無理。正しい解釈ができるわけがない。実際、500年近く未解決
状態じゃないですか。
523 :
考える名無しさん:2011/05/03(火) 04:58:53.15 0
大地を歩き回る人間という現象でもかまわないです。
>>517 「光はある」ことは、とりあえず認めるのかしら。
それならですね
変容ではなく「自然に存在している」と理解したら不都合ですかね。
つまりだね、無人島の倒木問題もそうなんですが
光とか音とかの概念とか感覚の成立より先に、
「光の観測可能性」とか「音の観測可能性」は“既に成立して”おり、
それは意識とは独立して「実在する」のだ、とは理解できませんか。
これをもって「自然に存在している」と理解するわけです。
ある種の実在性を感覚以前に求めるのは転倒しているとまでは言えない。
いかなる根拠付けも、判断の仕方(思考構造)に依存しており、
「純粋な経験こそが真実在である」とするのも一つの判断であり、
それが特別な判断である、とすることはできないからです(判断を判断するw)。
あと
意識の開闢問題はたしかに謎であるが
重大問題は、その統一性(皆さんの言うところの「統覚」)にある。
統一性の説明が可能であるなら、その先に進むことは不可能とは言えない。
500年の怨念が打ち破られる日もくるかもしれんばいw
525 :
考える名無しさん:2011/05/03(火) 16:26:45.32 0
ぼくの(狂気的)体験から行けば、
@ものは選択をしない
A人は選択を行う
@、Aより、ものと人の間に齟齬が生じる。
どちらをより高度なものと見るか、とか、どちらを物事の原理ととらえるか、と言う点において、どちらかを選ばざるを得ない。
526 :
考える名無しさん:2011/05/03(火) 19:52:24.01 0
結構このスレの論議は有意義なもんだね、と思う
ただこういう話は科学的、客観的に絶対に確実といえない限り
しょうがないね、分子生物学とか脳化学とか威張ってても
今の科学では外側から人の精神を識別できてない
一方哲学とか思想とか人の内面の問題というのは100%正解でないと
許されないという性質があるよね
>>525 モノも選択しているが、お前が知らないだけ。
528 :
考える名無しさん:2011/05/03(火) 20:26:52.90 0
物理学的に数式で示せるか?
オカルトか
選択に意識なんぞ必要ねえだろwww
脳のないミジンコだって選択して行動してるんだからwww
リンゴは高いところに落ちるか、低いところに落ちるかを選択している
放射性物質は今放射するかどうかを確率的に選択している
パソコンだってifコマンドが秒間何百万回も分岐先を選択している
世界は映画のフィルムじゃない
>>529 選択しているけど、決まっているので、そういう意味ではフィルムと同じです。
論点を外すなよ。
俺が問題にしているのは、物が選択しているかどうか
だから、世界がフィルムと同じなどという空想は無意味だから却下
532 :
あまの:2011/05/03(火) 21:05:08.85 0
>>524 何かが現象として現れているのは当たり前。
ただ、精神活動も主観にとっては客観なので現象に属するわけだ、この現象である
精神で、同じく現象である物質の核心部分(あればの話)を探るなど、出来るわけ無い。
観念論では「この何か」言い換えると「物自体」は主観的なものに属すると言っているわけだ。
533 :
あまの:2011/05/03(火) 21:14:56.49 0
光子で言うと、我々が光子を認知するには、光子と同じ穴のムジナである
身体や感覚器官を構成する物質と相互反応を起こした後の知覚として認知
しているわけだ。
こんな状況でどうやって光子の内実(あればの話)を見極められるというんだ?
>>533 そんなの光子に限ったことじゃない。外の世界はもちろん、体内だってそうだ。
でも、そこに疑問を持つなら、沈黙するしかないよ。お前の論説だって意味がなくなる。
選択肢が存在するという錯覚があるのは複数の判断や成り行きを仮定しているから。
しかし事実はひとつだけなのです。
536 :
あまの:2011/05/03(火) 21:30:15.60 0
内実というのはちょっと気を使って言ったんだよ。
つぶつぶの中に総ての謎が詰まっていると考えている連中にね。
観念論を理解するものは、現象として、その振る舞いだけを追えばいいと
思ってるだけ。粒に中に答えがあるなんて思ってない。
それだけ。
>>536 別に粒であるかとか、内実とか関係ないって。
非局在化した波でも何でもいいし、そこにすべてを求めても問題ない。
すべては知りえない原因によって定まっているというだけの事。
唯物論も、決定論も、否定できないし、否定することに意味もない。
>>532>>533>>536 言われるように、光を感じているだけでは、それは感覚としての光でしかないわけです。
しかしどうです、貴方は光についてそれ以上のことを知っているでしょう。
知識の増大とは、概念の増大、それに伴う相関の増大ですわね。
なので、五感が現象であるとしても、感覚を相対化できないわけではない。。。でしょう?
あと
「物質の核心部分」とはなんですか?その意味内容は貴方の中で成立していますか。
「分からないことが分からない」の類のきりきりまいとなっていませんかね。
あと
つぶつぶの中に全ての謎がつまっているのではないようにおもう。
莫大な数の「同種のつぶつぶ」が延々とあることが、世界の秩序の「片棒」を担いでいるのである。
もう一方の片棒は・・・・なんでしょうw
感覚が物理現象と同じ穴のムジナであることが重大問題なのではなく
「理解可能性を相対化できない」ことが知性の孤立感、不安感を深めている、
ということが本質ではなかろうか・・・w
539 :
あまの:2011/05/04(水) 00:29:21.91 0
>言われるように、光を感じているだけでは、それは感覚としての光でしかないわけです。
>しかしどうです、貴方は光についてそれ以上のことを知っているでしょう。
>知識の増大とは、概念の増大、それに伴う相関の増大ですわね。
>なので、五感が現象であるとしても、感覚を相対化できないわけではない。。。でしょう?
全くそうですね。科学のお陰ですね。
>?あと
>「物質の核心部分」とはなんですか?その意味内容は貴方の中で成立していますか。
>「分からないことが分からない」の類のきりきりまいとなっていませんかね。
ふざけた言い回しをしました。そんなもの無いですよね。
>感覚が物理現象と同じ穴のムジナであることが重大問題なのではなく
>「理解可能性を相対化できない」ことが知性の孤立感、不安感を深めている、
>ということが本質ではなかろうか・・・w
意味がよくわかりませんでした。これは精神と物質(身体も含む)という二元論は
科学的な方法であって、哲学的には全く無意味ということを言いたかったのです。
540 :
スモ:2011/05/04(水) 00:51:25.69 0
>「理解可能性を相対化できない」ことが知性の孤立感、不安感を深めている、
>ということが本質ではなかろうか・・・w
「言葉」を相対化(対象化)できるさ
じゃなきゃその洞察まで進めやしない
理解可能性の鍵は、「そこ」にしかないね
いや、オレは鍵を持ってないよw
541 :
スモ:2011/05/04(水) 00:54:02.09 0
絶対に絶対に絶対に参戦するつもりはないからな
昨晩もちょっと覗いてみてひととおり読んで、んでちょっとレスしてみたくなっただけだ
嫌だかんな、絶対に嫌だかんなw
スモ氏、還ってきたかw
貴方はこの思考フィールドでこそ自由に泳げる
止めねえから潜っちゃえw
言葉を対象化して理解可能性を・・?
それ、“語っちゃう”のか
大丈夫かよ・・・w
543 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/04(水) 01:36:23.23 0
>>504 >が、数学の物質への還元を試みる者がいないように
>唯物的還元で知識の進展があるか甚だ疑問だ
アインシュタインの特殊相対性理論の公式「E=mc^2」は
「質量」という物理学において「完全に基本的概念」
と「光速」という物理学において「完全に基本的概念」
と「エネルギー」という物理学において「完全に基本的概念」
が「非常に単純な数式」で「表現されきってしまう」・・という
ある意味「自然(この宇宙)の」構造・・を「数学的に(等式として)」提示した
のですが、それについて「反証する(出来る)」理論は既に百年以上経過しているのも
拘わらず「一つも出ていない」・・というのが「(自然)科学の真実」なのです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
すみません、ちょっと教えて下さい。
物の実体は物の中心にあると絶対に言い切れるのでしょうか?
例えば、磁石の磁力的存在性は、
その磁力を観測できる観測装置(鉄など)を近づけることによって認識できます。
ところで、磁石ではなく空芯の電磁石でも、磁石と同じ磁力線を発生させることができます。
この場合、観測の根拠としている磁力線の存在性の発生原因は、中心では無く外界にあるのです。
磁石と対の性質を持つ静電気についても似たようなケースを考えることができます。
もしかすると万有引力などについても万有斥力を想定すれば、
同様のケースを考えられるかもしれません。
物の中心に何かが観測されたことは、歴史上本当にあったのでしょうか?
何らかの見なし半径とか、そういう推定値しか算出されてないんじゃないでしょうか?
545 :
544:2011/05/04(水) 05:01:28.89 0
つまり何が言いたいかと言いますと、
物の実体は、その対象物の外部全体に原因があるのではと。
例えば磁石で言うと、磁石以外の世界の電荷の移動総和に比例して
中心に磁石が現れるのではと。
対象の中には何も存在せず、対象の外に全ての謎が詰まっているのではと。
私は物理が苦手なので、解り易くお願い致します。
物理板へ行け
というか
随伴説とかいう言葉も知らなそうなレスばかりだねここw
多分みんな知ってる
>>544 >物の実体は物の中心にあると絶対に言い切れるのでしょうか?
そんなことは誰も言っていない。妄想を前提にされても困る。
>>545 >物の実体は、その対象物の外部全体に原因があるのではと。
それは対象物が外部になっただけ。何も説明していない。
そもそも重力だって外部全体との相互作用だろうに。
550 :
ゲーム:2011/05/04(水) 12:38:42.81 0
>>538 流れを読まずに、ここだけに突っ込むと、「同種の粒つぶが延々とある」
のを《知っている》ことが“世界”に秩序をもたらす“片棒担ぎ”である。
もし、その他に何かが「ある」としたら、超越的なものだろう。
>>506 ヒトが消滅したら、抄録さんの期待に反して“自然”もなくなるだろう。
“自然”と称しているのは、ヒトにおける現象、すなわちヒト特有の感性と
悟性の産物だからである。
では、無に帰すのか。たぶん、そうはならないだろう。
が、それは名状しがたく、たんに“有”とでも呼ぶしかなかろう。
我々が滅亡したのちまでも、我々が必死にでっちあげた“世界像”を押しつける
必要はあるまい。それは未練である。ww
551 :
ゲーム:2011/05/04(水) 13:22:25.35 0
>>543 機械さんは“概念”の意味wをご存知なのだろうか。
抽象化した“観念”のことである。
科学は事象を観測し、その果てに“概念”を見出し、仮・真として記述する。
科学は“極北の概念(イデア)”にいたるのが目的らしい。
それは“数学”によって表記された“世界”なのだろう。
抄録さんも、Q君がせっかく精神=数学という怪しい情報wを紹介している
のだから、このスレと絡めながら数学について何か語らんかい。
なんの因果でわっしがこのスレと絡めながら数学を語るとか
そんな面倒な火中の栗を拾わんといかんのじゃい。
自力でお願いします!ふっふ
デカルトの哲学原理をちら読みしてるんだがピンときませんなぁ。
そういう解釈も可能なのかな。
>>550 「ヒト」も「有」なんだから、
そんな都合良くはいかないのである。
553 :
考える名無しさん:2011/05/04(水) 15:27:34.99 0
>>551 論で客観的な説明を繰り返せば、どんな表現であっても
言葉はその科学の記述と等価である。
主観的な物やら、未来の予感や希望や可能性などは明確になれば
なるほど全て嘘になる。君もできないのはこの類の術である。
554 :
考える名無しさん:2011/05/04(水) 17:09:19.37 O
スコラ哲学だと、性欲、食欲などの欲は脳を含む肉体からくるものされている。
人間は精神によってそれらを抑えることができる(神に捧げるために断食したり、道徳倫理からむやみにセックスしないとか)。
だから人間の精神(理性や知性)は脳等肉体の作用ではなく、別の存在で、肉体を支配するものとされている。
555 :
Q:2011/05/04(水) 19:05:51.19 O
>551
俺が何度もした逸話だけど
大学の先生がゼミに受講に来た学生たちに開口一番こう言った
「君たちの中で観察を重要だと考えている人は手を挙げてください」
ゼミの全員が手を挙げたそうだ
それを見た先生は次にこういった
「では、わたしの最初の講義は観察からはじめることにします。皆さん、観察してください」
学生たちは自分たちが何をしていいか分からず右往左往して、先生はそれを見ていたそうだ
イギリスの大学での話
>>555 そりゃ先生がアホだろ。
日常の観察が重要という言葉には、意味のある観察対象も含まれている。
患者とのコミュニケーションは重要ですか?という質問にYESと答えたとしても、
そこに患者がいなければ、患者とコミュニケーションしてくださいと言われても困るわけで。
557 :
考える名無しさん:2011/05/04(水) 20:08:21.43 0
観察って何?イギリスの医学部の話?
小学生の植物観察日記じゃあるまい?
558 :
考える名無しさん:2011/05/04(水) 21:27:18.36 0
大脳新皮質は、ヒトを含む哺乳類にしかなく、鳥や亀、魚などは有していない。そのため、哺乳類の祖先が、
かつてその進化の途中でこの能力を獲得したものと考えられている。
決定論って自由意思ないって考えもあるよね。
自由意思の有無って脳の仕組みしだいってことでいいの?
人間て自殺するけどそれ自由意思?脳機能不全?
559 :
Q:2011/05/04(水) 21:30:26.84 O
>>556 もう1つ、イギリスのお話で
ある科学者が生きてきた中で、観察してきたものをひたすら記録してイギリス女王に提出した
その記録は誰にも読まれず、大英図書館にずっと眠っているらしい
560 :
スモ:2011/05/04(水) 22:04:28.52 0
>>542 ぼくは簡単に哲学はやれない
といってもレスした点前、なにか書けるか?と考えてしまった寝床後
まったく声かけたく誘惑に負けたせいだ
まったく嫌だ
まったく大丈夫じゃない
準備運動もせずに潜ったら溺れちまう
おまけに近所のタバコの自販機、GWだからか補充なく売り切れだらけ
適当に選んだら誤ってメンソールだぜまったく哲学やれるかよ
・・・・ちょっと考える
なにか適当に馬鹿してすぐ去る
Q氏のオチがわからん
561 :
機械親衛隊長 忍法帖【Lv=8,xxxP】 :2011/05/04(水) 22:25:19.39 0
スモ氏、気楽に書けばよいではないかw
ここはそのためのスレである。機械さんのスレッドなのである
機械さんを見ろ
あのすっとぼけた本気か嘘か分からん自信に満ち満ちてはいるがしかし微妙に不正確な情報の連射
俺も今となってはここでしか書けんw
563 :
スモ:2011/05/04(水) 23:06:36.69 0
>>561 いや、マイセンのなんかキラキラしたやつ買ったらメンソールだた
>>562 ちょっと一服
オレ絶対に馬鹿だと思うw
ちょっと微妙だなこれ・・・
機械氏の登場タイムまでには済ませたいが
詰まったら今日中は無理かもしれん
564 :
スモ:2011/05/04(水) 23:55:08.92 0
長文無理かよ参った(泣)
カラス氏に乗る
事実は真実だ
自然は誤らない
いな、自然に正誤はない
誤ってメンソールを買った
これは、正誤は人の所産だ
なんだこのコテ雑ww昔のザビビとか見てるみたいだwww
「自然はE=mc^2によって理解できる」という表現は適当しない
「自然をE=mc^2によって理解する」という表現は適当である
なぜなら、自然に正しいも誤りもないから
それは、自然の理解に「E=mc^2」が正しいかどうかは測れない、という意味である
同じ論理体系における「E=mc^2」と(仮に)「E=tc^2」を比較して、どちらがより適切(より精緻)かは測れる※
しかし、或る論理体系における自然の理解は或る一つしか定まらないということ
そして、異なった論理体系における、(仮に)「ケ=おフェ」と「E=mc^2」は比較できないということ
※その論理体系が人の恣意的または便宜的な定義である以上、その測定は人の所産に関わる
568 :
あまの:2011/05/05(木) 00:38:45.82 0
改めて見ると美しい式だな
エネルギーは仕事をする能力、変化をもたらす能力であり、素粒子の
内部は質量すなわち慣性しかない。
この慣性があるときは一箇所にとどまり、あるときは外部に変化をもたらす為に
解き放たれる。しかも、時空を超える素粒子、光の速度の2乗を比例定数と
してお供させ鎮座しているではないか。
569 :
あまの:2011/05/05(木) 01:02:30.67 0
ゲームさんとか唯識さんだったらもっと美しい文章で表現できるなきっと。
570 :
あまの:2011/05/05(木) 01:05:08.08 0
しかるに、機械の文章の下手さときたらおれといい勝負だわ。
571 :
あまの:2011/05/05(木) 01:11:55.60 0
光子ってさあ、唯一相対性理論に支配されない粒子だよね。
だとすると全宇宙の因果律を支配する素粒子と言うことになるな。
あまの君の表現はユニークでわりとうらやましいがね
言いたいことはよく分からんがw
機械さんは抜群だぞ
あえて正確性を求めるつもりがないのか
ほとんどうろ覚えの知識で書いておられるようで
絶妙に外すのだがしかし外し切らない
意味があるのかないのかよくわからん強調のレトリック
たまに見せるおちゃめな罵倒
狙ってできそうには思えないが、狙わなくてもできそうにない
しかしポエムや電波にもならない
俺は感動することさえある
つまり、
自然の理解が各々の方法(論理体系)で一つしか得られないということは
それが正しい(か誤ってるか)ということは問えない
というのも、論理体系A,B,C,D,,,,,とどれも可能であるからである
前者の言明は、自然とその法則(または事物)との相対関係である
後者の言明は、思考と「自然とその法則(または事物)」を対象とした言葉との相対関係である
前者の言明が世界(自然を含む対象自体)の理解に無意味であるなら、後者の言明だけが残る
「自然はE=mc^2によって理解できる」といった言明が世界の理解の手段として成立しないなら、
『思考が「自然をE=mc^2によって理解する」ということ』だけが、
世界の理解に成立する(可能性をもつ、または否定されない)ことは、そのこと自体が何を意味するか?
以下、欠く
575 :
あまの:2011/05/05(木) 01:32:17.44 0
まったくだ。スレタイとテンプレに恥じぬ人物だわ。
576 :
あまの:2011/05/05(木) 01:38:17.00 0
自然にとっては、人間が理解しようが出来まいがどうでもいいとも言えるな。
自然にとって人間など質の悪いギャラリーに過ぎないんだよね。
見たければ勝手にすれば?絶対わかんないと思うけどってなもんだ。
であるからして。機械は死ぬとする。
書き込めねえじゃねーか!!
とりあえずの続きはシベリア郵便に頼んだ
いつになるか知らん
登校規制なんてうんざりだ
もう嫌だ
579 :
あまの:2011/05/05(木) 01:43:47.37 0
8レスの命ってどう考えても短すぎだろ。
580 :
考える名無しさん:2011/05/05(木) 01:47:17.99 0
代行さんよ、機械がキレるぜ!
機械に勝たなきゃ意味ねえぞ。
機械ってのを倒してけや、でなきゃ帰るな。
あいつをやっちまいなYo!
なんじゃい「欠く」とは、スモ氏?
中断か・・・?
シベリア郵便局からですか
私もたまに使いますが
>>567>>573>>574は読み返してみますが、ちょっと違和感もあるような・・・
また少しずつでも続き書いてちょ
582 :
Q:2011/05/05(木) 05:04:46.11 O
>>556 つまり、「何を観察対象とするか?」は観察よりも優先的なことだということだろうか?
対象は観察よりも優先される?
しかし、「対象」なんて口に出したら、「対象は観察できない」と言われるかもね
583 :
スモ:2011/05/05(木) 06:47:52.76 0
>>581 粗すぎるが、概観として方向性は示せてる
客観的実在はないね
自然に実在的な様相はない
光や音もタバコも存在しない
自然に隠れた法則(「E=mc^2」)なぞないように
584 :
スモ:2011/05/05(木) 06:51:15.73 0
しかしもちろん、それらが自然の理解に無効であることを意味しない
自然に客観的な事物や法則は実在しないということを、
それは真実として成立できないということが、おそらく、、、解いてみたいねw
585 :
スモ:2011/05/05(木) 06:56:54.55 0
与件は自然との関係の問題でなく、いっさい思考の分析でよって解決される
自然は運動もしていない
対象は常に(座標軸における)原点だ
動いているのは、思惟だけだ
586 :
スモ:2011/05/05(木) 07:12:01.13 0
>>580 機械氏というより、この「現実」を相手にしてる
つまり、100万の軍勢を前に独りで戦うようなもの
勝ち目は、ないねw
587 :
スモ:2011/05/05(木) 07:15:38.22 0
ぜんぶあと4年と10ヵ月後だ!!
・・・ということでお願いします
のやろスモ〜
「客観的実在はない」だとぁ
てんめえぇぇぇ
書き逃げかw
スッポンが鳴くのも思惟しだいということか・・・?
思惟の先に神のしっぽでも掴んだのかしら
ゲーム氏だけでも手に負えんのに、スモ氏もそっち側か。
しかし思惟はヒトの所有ではない。
思惟が自然から独立すると思うのは幻想である。
思惟は自然のものである。
ヒトに成立する論理は自然の統一面に於ける写像。
思惟が動くとするならなら自然も動く。
それが私のスタンス。
スモ氏、またすぐ書きに来るがよいのだw
>>582 >対象は観察よりも優先される?
それも違う。相互作用しない対象だけなんて何の意味もない。
観察という行為に、その対象が何であるかを含んでいることが重要ということ。
590 :
ゲーム:2011/05/05(木) 23:40:06.71 0
>>588 一貫して、そう述べてきた。
思惟(意識)の所有者はいない。
「それは《私》だ」といえば、“最高位”主義になる。w
それは《脳》にある、といっても同じである。
《私》も《脳》も実体ではない。
現前、対象、自然…は意識においてその貌の一端を示し、また意識はそれらに
侵食されずには“意味(感覚、観念)”を表出できない。
>>589の主旨 は、そういうことだろうか。
591 :
スモ:2011/05/05(木) 23:50:44.78 0
抄録氏、
ぼくのいう「思惟」とは語りえないものの似象表現だ
たしかに、自然におけるこの私や抄録氏の思惟とのその関係について、
ぼくはまだ確信の見込みを探り得ていない
しかし、客観世界の大転回した解説の糸口もそこがポイントなんだ
概念獲得の契機は純粋事物との関係でなく、その各々の思惟との関係を考究して、足る
592 :
スモ:2011/05/05(木) 23:54:27.29 0
それから、以下欠く、の前段は結論の前置きでなく、
まさしく「そこ」からが語りえないことへの近接する考察の始まりを意図してる
なるほどその前段階が検討され解決されてるとはまったくいえない
しかし、このパズルは部分を解いて全体へ向かうというようには解決されない
全体を漸近して解法することでしか、部分も解決に近寄ることはない
《 》 ←こういう記号を使ってしまうのは50代以上
594 :
スモ:2011/05/06(金) 00:03:18.43 0
これでも十分、無駄なお喋りだ
>>588 ぼくは簡単に哲学はやれない
ときどきなら、また誘惑に負けてレスするかもしれない
ただいつか、「ぎゃふん」と降参させてやるw
ゲーム氏は、オレみたいな馬鹿げた方論で対抗するべからず
>>590 なるほど
似たような言葉を並べてるはずなのに
貴方と私の思いは全く対立する
貴方は
意識に所有者はないので、世界に意識が無くなったら、世界は無くなる(有になる?)。
と考えるわけです(違うかしら・・?)。
私は
意識は(自然と対立する)ヒトのものではなく、自然の芥子粒のごとき一側面なので
意識が消滅しても自然は微動だにしない。
と考えるわけです。
傑作です。
同一律とか矛盾律とかあるようで
「AはAである」云々・・とあるんでしょうが
恐らく、そのキモはこの形式にあるのではなく!
Aとは何か。最初のAと後のAは果たして同じであるのか、
てところにあるのかしらん、と推察したりします。
誤謬を排するのは困難な作業であります。
スモ氏
今夜は徹夜しないといかんので、
>>591>>592も含めて繰り返し読んでみるばい
簡単に哲学しない貴方のスタンスを尊重しましょう
しかしまた書きに来るのがよいのだ
597 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/06(金) 01:11:14.65 0
>>579 >自然にとって人間など質の悪いギャラリーに過ぎないんだよね。
あんたは「質の悪いギャラリー」で終わると思いますが、アインシュタインや
ニュートンやガリレオ(コペルニクス)を(あなたと)同列に「人間など」という
括りで列することが不可能であることは間違いありません。
ニールス・ボーアやファインマンや・・・ゲルマン、グラショウや小林さんや益川さん
も将来的にはは同列になる可能性はあります。
「あまの」という(お)名前が(アインシュタインのような)「偉人・天才」と同列に述べられる
ことが不可能だからと言って、「人間は」というくくりで「全員を一絡げにしてしまおう」という
傲慢さは「ナルシズム」にすぎないと思います。
本自治は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
すみません、ちょっと意識について意見させて下さい。
私は、二十数年ほど意識と言う代わりに制御と言い換えて、
全く齟齬の無い生活ができています。
他のどんな言葉でも適切に置き換えはできません。
制御=意識です。
学術用語と宗教用語の違いがありますが、意味は全く同じです。
つまり何が言いたいかと言いますと、
私の制御が逝ったら私の制御対象は無くなるのかについてです。
私の答えはこうです。
制御が逝った後のことを、制御が心配するのはナンセンスです。
599 :
598:2011/05/06(金) 06:12:07.19 0
あと、自由意志の実在性ですが、それは自律制御のことです。
私の答えはこうです。
自律制御が実在しないとか、錯覚だなどと主張したら、
制御で飯を食ってる職人達は大爆笑します。
それから、制御と制御対象との二元論になっていますが、
制御対象、いわゆる「物」も「制御」であるとする一貫した捉え方が可能ですので、一元論となります。
当然その場合それぞれの制御の次元が違ってしまうわけです。
しかし随伴現象説?は少々イマイチ、イマニな捉え方です。
反論は拒否します。
それでは今から、制御変数の最適化実行に伴う制御の部分停止を実行し、
最適化終了後、再起動する予定です。
会社?何それ食えるの?
600 :
考える名無しさん:2011/05/06(金) 10:26:19.43 0
>>598-599 「意識=制御」という奇説はどうやって検証されるの?
個人的思い付きだけで哲学三千年の歴史にインパクトを与えることなんてできないよw
人工知能が自説を展開しているというジョークだろw
まさに「ゴーレム」ですな
602 :
ゲーム:2011/05/06(金) 12:14:42.18 0
>>593 ここに参戦してw、そうとうの歳月を経たので(当時は若手のホープでしたw)
いい歳にはなりました。が、50歳にはまだまだまだ…Q君よりも少しは上かと。
>>590 抄録さんの立場は、一種の「自然主義」である。遡行の果てに“自然”を措く。
それに対して私のそれは、その突き当たりを“意識”とみなす。
むろん、その先はあるだろう。が、それをどう表現しても“意識における様相”の
分別(推測)でしかなく、それも意識現象として括れる。“自然”も然りである。
これだけなら独我論だが、意識は“対象”のそれ(志向性)である。“無”とは相関
できない。
意識の“死”は「(意識における)世界の消滅」だろうが、その“死”をも包む
「存在(有)」は(震えながら揺れながらw)ビクともしないのではないか。
603 :
ゲーム:2011/05/06(金) 12:37:17.46 0
>>598 おもしろい問題提起である。二つの“制御”があるらしい。
一つは、被・制御。もう一つは、自主制御。
その差異の説明がないが、おそらく、どちらの場合も“制御”
という時空?を駆けめぐるのは「情報」ではないか?
唯情報論の変種と受けとったけれども、ちがうかな?
!ninja
605 :
あまの:2011/05/06(金) 23:03:01.45 0
客観自体のようなものがあるとか自然主義の誤謬の一つという位置づけで
済ませてしまいたいよね。面倒くさい。
607 :
あまの:2011/05/07(土) 01:06:54.14 0
冗談抜きに、もう一歩先に進むには、試しに逝ってみるしかないのでは。
ただ、意識の同一性がどうなるかはわからないけどwww
608 :
考える名無しさん:2011/05/07(土) 02:27:09.82 0
冗談抜きの冗談か
それ自然主義の誤謬ちゃう
テンプレにある決定論は極論じゃないのか?
唯物的すぎると思ふ
仏教の中道みたいに唯物にも唯識にも偏らない見方こそが
現象界の特徴を最もよく示しているように思えるんだがねー
>>602 「有」とやらが「意識」も「意識の死」も包含するとするなら
意識の由来は「有」であり、有にはそれ相応の秩序が要請されてしまうでしょう。
少なくとも無規定ではない。
あと
「意識は必ず“何かについての意識”である。」
というのは、皆さんにとっては強固な定立であるようだが
私にはピンと来ませんね。
なぜなら
その「対象」は個別的であり、離散的であり、かつ有限なのだから
「対象Aについての意識」と「対象Bについての意識」の間に必ず空隙が生じる。
それを意識とは呼ばない、とするなら、
それなりの手当てをしなくてはならないでしょう。
>>602 そういう有なら解脱した奴じゃないとわからないと思ふ。
解脱は自己申告制となっております
614 :
(^e^):2011/05/07(土) 23:29:10.55 0
決定論学徒には「偶然」はありませんよね?
>>590 >思惟(意識)の所有者はいない。
本来はそうなんです。
>「それは《私》だ」といえば、“最高位”主義になる。w
>それは《脳》にある、といっても同じである。
>《私》も《脳》も実体ではない。
仮に地球に思惟する固体は一体しかない場合、彼には「主語」もなければ
「私」もありませぬ。
【思うゆえに】【我】が作られる。
【我】も実体じゃない。
思惟こそ「私」の所有者だった!
てめえもそっち側か!
あなた方は「境界の成立が何ものにも優先する」主義らしいw
頭の悪そうなスレだな
>>611 >「意識は必ず“何かについての意識”である。」
>というのは、皆さんにとっては強固な定立であるようだが
>私にはピンと来ませんね。
私もピンときませんよ
意識対象というのは”水がどの分かれにむかって流れるか”
みたいなもんでね、流れる経路がいっぱいあるんですよ。
スモ氏の言う「ケ=おフェ」が何を意味し得るのだろうかと
つらつら考えるのだが、いっこーに分からんw
いったい、「異なる論理体系」とは何なのか。
力学の理論体系は各種(一般力学、電磁気学、熱力学、量子力学・・・)有り
それらは独立しているが、しかし自然を記述している一点に於いて繋がっており
エネルギーの概念は全てに共有され、かつ量的に保存されるように構成可能である。
ユークリッド幾何とリーマン幾何は独立する公理系であり、両立はしないが
しかし論理体系は共通している。
では「異なる論理体系」とはなんぞ?
まったく互いに正当性を排他する論理体系Aと論理体系Bとは
なんなのだ・・・w
ついでに申すと私の物理の知識は小学生レベル。
>>619 流れる経路がいっぱいある・・・
その経路も対象化しちゃうんですか
ビッグバンを信じない言う前に、
ビッグバンとかどうでもいい主義の私がこのスレに迷い込んだ。
察するにスモ氏は(察してはいないのだがw)
唯物論を暗黙裡に前提としている通常の似非懐疑論、似非相対主義を解体して
思惟に於けるあらゆる判断をいったんフラットにしようとしているのかもしれない
・・・・なんてな。ふぉっふぉ
>>622 対象化というより対象化できない例えとしてです。
脳や意識には経路ができてるわけではないでっせ。
定まらない、が、ある時は対象が明確でそこに向かう。
みたいな?
>>625 んー
ひよこまーくさんは
「志向性が停止している状態の意識」も意識として認める
ということですかね
>>626 >ひよこまーくさんは
(^e^)でいいですよw
>「志向性が停止している状態の意識」も意識として認める
そうなりますね。
僕の意識は分散してましてね。時折焦点が定まりますが、
多分、大なり小なりみんなそうなのかなと勝手に推測してますねw
>>627 それならOKです。
貴方も唯物論に加わりなさいw
629 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/08(日) 01:02:01.54 0
>>623 >ビッグバンを信じない言う前に、
>ビッグバンとかどうでもいい主義の私がこのスレに迷い込んだ。
場違いである人はしぜんに去って行かれます。
「真理」は確かに「自分の日常生活」には関係ないし、むしろ「真理について考え続けること」
は大多数の「一般市民」にとっては結局「日常生活の邪魔」になるだけですので・・
「真理」について「(自分の)日常生活なんて二の次三の次」で知りたい
・・・勿論それ(真理)が「自分の日常生活にとって非常に不都合であったとしても『受け容れる』」
・・という「(自然)科学精神に忠実でいられる『本当のインテリ』」がごく少数派であることは
痛いと言うほど思い知らされております。
ガリレオが宗教裁判所で「天動説を認めます」と強制的に答えさせられた帰路に
「それでも、地球は動いている」・・と呟いた場面にタイムスリップして、
彼の肉声を聴いてみたい・・と思います。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
ガリレオのあれってガセだろ
631 :
漢人:2011/05/08(日) 01:09:13.53 0
>>627 (^e^)君よ、
>僕の意識は分散してましてね。時折焦点が定まりますが、
この一文を更に詳しく説明してくれ。
これは指向性が停止している時の意識なのだろうが、
ゲシュタルト崩壊的意識状態だということだな?
632 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/08(日) 01:17:35.21 0
>>611 >「意識は必ず“何かについての意識”である。」
>というのは、皆さんにとっては強固な定立であるようだが
>私にはピンと来ませんね。
「意識」とは「意識不明」と対象状態だと考えれば「なにかについての意識」
だとは思います。
「意識不明」は私達が毎日経験している「睡眠」と大差ない状況だからです。
睡眠時に(脳は)「何も活動していない?」かと言えば、それは間違いです、
「ラピッドアイムーブメント」・・・・要するに「眼球が左右に激しく動く」状態
で「眠っている・・REM睡眠」時には、人間は様々な・色々な「夢」を見ているのです。
希に「レム睡眠の状態から急激に起きる」ことがあると「夢(の内容を)を覚えている
場合がありますが、それは「意識』・・要は「左脳言語中枢と前頭葉のコラボ」がそれを
「たまたま許容するほど疲れていた」・・結果かもしれません。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
633 :
漢人:2011/05/08(日) 01:22:30.33 0
いやいや純粋意識状態というのはあるものだよ。
左脳の価値判断機能や論理活動が疲弊してへとへとになった
左脳機能の瞬間的停止時に意識の対象がなくなる。
その状態を維持すると学者と対照的な右脳人間になる。
>>632 機械さんもカラス君も
暗黙知の殻をひっぺ返していったん自覚的に観念論の境地になるとか
そんな気はさらさらないわけですw
いやひょっとすると
「そんな気ってどんな気よ?」
とすら思っているのかもしれない。
いやまさか、しかしそのまさか。
だがそれがいいw
636 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2011/05/08(日) 04:46:56.39 0
論理の線引きによって、論理の外側に線が引かれる。無限を思考することは、有限のものに対しては間違いである。
すなわち、無限と有限は別の世界に属する。無限に長い思考というのは存在しない。言語は有限である。
有限なものの線引きによって、無限の大きさを隠し持っているものを囲うことができる。
微分は無限回可能である。言語ゲームは、世界の可能性の組み合わせとして、時間を消費する微分の、
可能態としては有限である実行回数の、中での、限られた局面において、やりとりの中での、解釈の硬直した世界
の(無から生まれ無に帰る人間の可能性の極限の)、打開として行われる事のできるゲームである。
時間は、事態の可能性の見通しとしては一意的に決定されているが、この、ゲームの可能性のやりとりが
時間を進める。つまり、世界は見るものがいてその通りに存在するが、私がゲームを行うことで、
働きかけをすることになる、すなわち、世界の可能性は可変である。これは論理的に決まることである。
ゲームの可能性だけ世界の可能性があり、私の外に私が想定できないように、空間の外に空間が、
時間の外に時間が想定できないということは、それぞれが別の世界に存在しているのだから、それは個別的な
可能性の論理によっているのであって、それぞれの論理は別の次元に存在するのだから、それぞれが別の
振る舞いを見せ、世界は可変である。最小粒子が数種類存在することは、それを裏付ける実証となる。
世界は一から生まれ一意的な変化を見せるのでなく、多の絡み合いから生まれ、多の可能性を含んでいるのである。
637 :
ゴーレム:2011/05/08(日) 16:30:04.16 0
>>603 すみません。ちょっと愚痴をこぼさせて下さい。
制御を情報という一言で片付けるのは止めてほしいのです。
制御と意識のように、二つの言葉が同じ意味ならば問題ありません。
情報は入出力対象との授受なしには存在し得ない中途半端な要素です。
それは唯一の元や単位とするには全くの役不足です。
そもそも、ある手法により対象を捉える場合、
その手法の緻密さ以上の帯域で、対象を取りこぼしてしまう、
というシャノンの定理があります。
どのような手法で世界を捉えようとしても、必ず取りこぼしてしまうのです。
情報でも制御でも、物理、数理、論理、時空連続体、
どの見方で世界を捉えようとしても、それぞれの限界が原理として設けられているのです。
638 :
ゴーレム:2011/05/08(日) 16:30:54.84 0
うろ覚えなのですが、以前NASという人が、たぶん宗教的な理由なのだろうと思うのですが、
世界は繰り返しの重ね合わせだと言い、
全ての情報をフーリエ変換(級数展開?)により捉えていました。
しかし、その手法では繰り返さない事という大事な要素を取りこぼします。
定常状態のみしか認識できない不便な見方なのです。
そこで、繰り返さない事や、過渡的な変化、履歴といった大切な要素を
捉えるために、ラプラス変換を利用します。
それでもラプラス変換で取りこぼしてしまう物事が現れてしまうのです。
何らかの大統一理論や唯○論のような論で、世界を完全に取りこぼさずに捉えることができるのか、
私には疑問なのです。
もちろん、理論を諦めるということではありません。
互いに矛盾しない、独立した様々な視点で世界を捉えれば良いのです。
一体このスレは何の事を議論してるのか分からん
そもそも物質が一体何なのかなんて重力の発生原理並に分かってないのに、意識とは何かとか世界とか無とかあまりにも内容が飛躍し過ぎてて無意味
哲学ってこんなものなのか
>>639 たぶん「物質とは一体何なのかが分かるとは何なのか」とか考えているんだろ
知らないけどw
>>631 これ以上細かい説明でつか?
私自身漠然と意識について考えただけで、
意識が分散しているが、時折対象を持つってくらいの説明以上のものはできないっすよ?
簡単に言うと、
集中することは意識が何かを対象化しているが、
そうでない場合は分散してる。
ってくらいです。
なんせ〜、
私は意識を”意識的”に意識したことはありませんので。
仕事帰りに車で何十もの信号を通過し(自宅まで24キロありますよw)、
その間、何台もの車や歩行者があちらこちらでみかけ、
それらに注意して運転したり、右折したりしてるのにけっこう「覚えてません」
いや「意識的に運転してません」なんて時があります。
無意識的に車を運転して、道路交通法にノットてる反面、
別のことを意識してるんですよね。
こんなときは、意識の中では別のことをやりながら、対象化している思惟
なんかあるんですよね。
上の説明とは違うようになりますが、意識が対象化された場合、
その対象は一方方向である!
というのが私の考えで、道路交通法を意識したら思惟には集中できませんね。
”分散します”
>>639 学ぶなら学校へ行け。ここは哲学を行うところだ。
そして哲学史を分かち合うなら、そういうスレでヤレ、それは誰かの
哲学について感想やら理解をするとろこだ。
どっちでもないなら板から去れ。
>>629 ん〜なんか、いかにも私が真理を重視しない大多数(の馬鹿)といってるみたいでw
私は真理が好きですが、機械君の言う”真理”には価値をおきませんよ?
理由→個人的に真理が必要とされないと感じる場合にそれは私には無価値だからです。
そう、真理に価値を置かない場合も私は考えますよ。
ついでに僕の中ではビッグバンはあくまで説にすぎないのです。
時には思考停止wも必要かもしれませんね。
余計な意識が入らない意識は人を行動的にします。
646 :
(^e^):2011/05/08(日) 21:27:21.03 0
法則とは解釈された通りに物事が起こる現象の説明w
・・・・罠だな
あたくしはドラマとか、まず見ないのですが
Q氏お気に入りのw噂のJIN
さきほど見てしまいました
えらいことになってましたわ
あれ見てると、タイムワープもありかもしれんな、とか思っちゃいました。
決定論的には、タイムワープはありやなしや・・・w
わたくしはテレビはニュースくらいですかね
ドラマなんて高校生のときくらいでしょうかw
651 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/09(月) 00:09:40.40 0
>>649-650 寂しい限りですね。
「賢い人間はドラマなどに感動すべきではない」という「観念論(修道院)的ドグマ」
に「一般市民」が影響されている・・という「アメリカ国占領状態の日本国のメンタリティー」
については「かなりの懸念」を抱かざるを得ません。
最近の日本映画には「泣かされる」ことが多い・・という現状を踏まえ、
「何で最近の日本映画を劇場で見ないのですか?」・・と申し上げたいと思います。
昨日観た『アン ノウン』は日本映画ではありませんせんが、「巨額の投資」が
(ドイツに対して)行われたハリウッド映画・・という位置づけであり「面白い」
・・(そういう背景にあれば)は決まっております。
今日観た『岳』は「アニメ原作の日本映画」・・という(最近の)定番ですが、
ロケーションを始め、小栗旬クンの演技や長澤まさみさんの演技を始め「面白い」
・・と思わせる映画であることは(同じ日本人として)誇りに思います。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
機械さんは映画好きですねw
最後に映画館で映画を見たのはいつだったろう・・・・
ALWAYS三丁目の夕日を他人様から一年遅れて二番館で見たのが最後かしら
岳は良さそうです。人気低迷してた長澤まさみ女史も復活するかも
何だかんだ言ってミーハーですね機械さん
私には「エロオヤジ」とか罵ったくせにw
653 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/09(月) 00:22:23.45 0
あーと、やはり私は「都会在住者」ですので(それなりに「コスト」を支払い続けている)
・・・「シネマコンプレックス」の恩恵・・・に浴していることは否定できません。
本日は就寝させて戴きます。
>>651 ドラマで感動しないんですよw
私はこないだレンタルで借りてみたフランスの「列車に乗った男」という映画
が久々に面白いと思いましたよ。
私も年ですね
はっは
655 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/09(月) 00:25:12.56 0
>>652 >ALWAYS三丁目の夕日を他人様から一年遅れて二番館で見たのが最後かしら
それは結構かなり「やばい」かもしれませんね。
本日は就寝させて戴きます。
なにがやばいねんw
657 :
ゲーム:2011/05/09(月) 00:29:57.25 0
>>611 抄録氏
意識が“有”に由来する、というのはそのとおり。
“有”は有限であり、かつ無限である。秩序はあるが、不確定。
実態のないのが実態、と繰り返し述べてきた。w
「意識は何かについての意識(志向性)」との言い方が誤解のタネのようだ。
「意識があって、それが対象をめがける」さながら二元論のように。
単純にいえば、意識=対象。それは感覚、表徴、概念といった様相がある。
「個別的、離散的、有限」は抄録氏における意識=対象(の概念)。
幾度もいうように“対象自体”などなく、それゆえに概念(意味)を表出して
しまうのだろう。
>>657 いきなりそんな難しい話に頭の舵を切れん・・・
>>657 >「意識があって、それが対象をめがける」さながら二元論のように。
>単純にいえば、意識=対象
んーよく分からんのですが
それは、「対象が成立しない意識は存在しない」、という意味でいいですか?
私の言いたいのはですね、
例えば、「りんごを意識」していたとして、永久にその状態であるわけではない
どこかで例えば、「みかんを意識」することになる。
そのときに、りんご→みかんに意識が移ることになる。その「意識の変化」は要請される。
それなら、りんごの意識でもみかんの意識でもない状態があるでしょう。
それの手当て(≒理論武装)はしなくてよいのですか?
てことが言いたいのです。
660 :
ゲーム:2011/05/09(月) 00:56:27.99 0
>>637 ゴーレム氏
以前、SPHとかいうコテ氏が唯情報論を掲げて論述していたことがあり、
彼に対して私は君と同じような突っ込みを入れたことがある。
君のいうように、情報といえば発信・媒体・受信を必要する半端な何かに
感じられたからである。しかし、もしかすれば意識/物質の二元論的分岐を
超克しうるのは案外“情報”ではないか、と漠然と思ったりもする…
ところで制御だが、これは「する」あるいは「される」といった言い方をする。
君は「意識=制御」説を唱えているが、何が制御したり、されたりするのですか。
>実態のないのが実態、と繰り返し述べてきた。w
スモ氏じゃないですけど
その「実態」を語り得る言葉は無いが、しかし「実態はある」と理解することは可能なのです。
無人島で木が倒れる
箱の中で猫が死ぬ
こんなものは、ヒトの感覚とか意識とかとは関係なく
観測可能な事態は既に成立している。
凡そ、物理観測で、ヒトがじーっと見てるような実験・観測なんぞ多くはない。
データは保存されているのであり、写真に撮られるのであり
マクロ(=観測可能)な事態は既に決している。
事態の解釈だけが残っている。
解釈するもしないもヒトの勝手なのです。
そう理解するのが最高に有効なのでありますー!
662 :
ゲーム:2011/05/09(月) 01:25:49.64 0
>>659 「リンゴの意識」から「ミカンの意識」に移るはざまにも“意識”はあるでしょう。
その間も、感覚は眠ってはいないだろうし、いわば“借景”として、それを意識して
いるはずである。
それを“無意識”とも呼ぶけれども、それは「リンゴ」や「ミカン」の“図”に対して
“地”を構成し、対象を意味づける際、重要ななファクターとなる。
>>662 なんすか「地」とは。
貴方のよく使う言葉を借りればいかにも「怪しい」。
私が以前に「意識とは場である」とか口走ったらゲームさん馬鹿にしましたよね。
「地」でも「無意識」でもいいですが、
そのような、皆さんの言うところの「超越」を仮定するなら
それはもはや物自体の存在を想定するのと等価であり、
唯物論を超克することなど、所詮はできないのであります。
664 :
ゲーム:2011/05/09(月) 01:44:14.25 0
>>661 「…木が倒れる」「…猫が死ぬ」は経験から類推した想像を日常語で
表現しているだけである。「太陽は東から昇る」と同工。
無人島を持ち出す必要はない。日頃、目にする“木”と呼ばれるものの
“実態”を語れるや否や。猫は? 死は? 機械さん好みの“概念”の羅列
が関の山ではなかろうか、といっているのである。
>>664 >「…木が倒れる」「…猫が死ぬ」は経験から類推した想像を日常語で表現しているだけである。
それが「語る」ということであり、
そのことで「実態がある」ことが理解できればそれで十分なのです。
語られた言葉によって、誰かの言葉を借りれば、示されたものをヒトが「理解」する。
理解されて成立するわけです。
そしてヒトは、「観測可能な事態は既に成立している」と理解可能なのであります。
このようにして初めて、矛盾無く自然を理解できるのですー!
666 :
ゲーム:2011/05/09(月) 01:58:28.66 0
>>663 「地」は超越ではない。w 単なる“背景”である。
また、無意識という言葉を“綾”として用いたけれどもwむろん意識している。
いわゆる“無意識”は忘却ではなかろうか。
667 :
ゲーム:2011/05/09(月) 02:07:08.95 0
>>665 それぞれ(主観ごと)の“実態”がある、もしくは相互主観的に“実態”を
理解しあえる、ということでしかない。
不可知の“実態”をそのままにはしたくない“性(さが)”がヒトにはある
のだろう。
>>666 それが「超越」ではないなら、貴方の立場ではそれは「対象」でなければならない。
「背景」と言い換えたところで同じであります。
「背景」が「対象」であるなら、それは「りんご」と等価であります。
669 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/09(月) 02:10:34.71 0
このスレタイ何かおかしいと思ってたけどさ、
「機能」を無視してるよね
脳というか人間に限らず物はみな物質でできているね
でも、神経伝達物質の働きやそのネットワークの構築は個体によって異なる
脳死していても脳は物質であることに変わりは無い
けれども、脳死状態では「意識は必然」では無いよね
つまり「物質であること」と「意識の有無」に関連性は認められない
670 :
ゲーム:2011/05/09(月) 02:19:35.92 0
>>668 意識=対象であり、そこに“図”と“地”が差異化される。
ただし指摘のように“図”と“地”は潜在的には等価であり、しばしば反転する。
少し視点が異なるけれども、中心と周縁という切り口で論じられたことがある。
671 :
ゲーム:2011/05/09(月) 02:27:16.48 0
>>669 その問題を解くには、意識/物質では無理。
“情報”が両者を制御するのではないか。
あるいは、制御されるのだろうか。w
>>669 スレ主さんはきっと
脳は物質でできているから、意識は特別なものではない!
そう、言いたかったんです。
スレ主さんは「意識は特別である」と考えたいたんですが、
脳という物質、神経伝達物資で司られている物質の働き ”でしかない”
という境地に至ったためw、
偶然的、反因果的ではなく「必然に」”すぎない”と意識の価値の低下を試みた。
単にそういうことです。
「必然」と強調したのは、脳死状態という特例を考慮はせずに、
「偶然」の反語で「強調し」なければ気が済まないくらい、
唯物論的に意識を扱う世界をみているのです。
>>659 >それなら、りんごの意識でもみかんの意識でもない状態があるでしょう。
これが
>>611の
>「対象Aについての意識」と「対象Bについての意識」の間に必ず空隙が生じる。
なるほど。
隙間の手当てですかw
明日考えます。
いかに我々は非指向性という意識を手当てしているか!
675 :
やみつき:2011/05/09(月) 04:03:36.16 O
ばかやろうおとといこいや
>>674 急ぐ必要はないのである
もうこんなことばっかりやっている。。。
「背景」とか「地」とか「図」とか「中心」とか「周縁」とか
ゲームさんの言葉をそのまま借りれば「生煮えの用語」でしょう。
とりあえず「無意識」で通すのが慎重な姿勢かしら。
してみると、意識を支える無意識の存在は超越論的(w)に要請される。
なので「意識」とその由来であるところの「有」との間には「無意識」が存在する。
と、かような構造が成立するのが妥当である、と「判断」される。
※この判断はそれ自体、超越的な必然性に依るだろうと判断される(なんぞそれw)
ところでこの「有」は「いわゆる物質」に先立つのか。
そうは言えない。
なぜなら
「いわゆる物質」が意識に影響を与えることは、もはや周知の事実であるからである。
なので、「有」は少なくとも部分的に「いわゆる物質」に由来することになる。
「いわゆる物質」が意識に由来する「概念」である、とするなら
「意識」「有」「物質」の三者の間にトライアングル状の構造を空想できる。
※しかし残念ながら、それぞれの内部要素の間に相関がある、とは言えない。
ところで「意識」が意味でも実在でもなく形式でしかないと仮定するなら
意識の存在は零点に収斂し、それは自然(の実在)に吸収されるだろうw
あとは機械さんお願い
スモ氏もきっとかんかんだろうてw
「自演」するといくら貰えるの?
バレバレですよ。
いいかげんにしろよ
他スレで活躍するための訓練とコンセンサスの着地点の模索、という噂もある。
また佃煮きた
もしかして観念論者さん達の言う意識の対象って、
2次元で事足りちゃうんじゃないですかね、本質的に。
背景とか奥行きについてツッコマれると、
1次元足りないから苦しい言い回しになる みたいな。
観念論だと、リンゴは 3次元の立体なんですか?
681 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/10(火) 01:10:51.42 0
>669
>このスレタイ何かおかしいと思ってたけどさ、
>「機能」を無視してるよね
>脳というか人間に限らず物はみな物質でできているね
原子力発電所の「物質的存在」が静止してくれれば「冷却系を稼働して冷却し続け必要がある」ような
事態にはなり得ません。
新幹線でも各都市を結ぶ「旅客機網」でも「静止し続ければ」・・それは「機能を果たさない」ので「存在しない」
・・訳ではありません。
福島第1原発の1号機〜6号機までが「造りだした電力」を(何の自覚も無しに)使っていたのに、
「原発があること」と「原発が機能すること」によって私達にもたらされた恩恵(=電気)について、
「どちらか一方を採る」ということは「単なる我が儘」なのではないでしょうか?
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
意味が分かりませんw
683 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/10(火) 01:35:45.41 0
原発という「機関」「機械」の特殊性は「即時に運転停止できない」ことは
前々から指摘されていたことであって、今回もそうであったということでしょう。
停止後の歴客系が津波流されるという想定は行って来なかったという「いい訳」は
もっともだと思います。
釜石市では群馬大学大学院教授のご指導で「世界盛大の堤防」を築いていたにも拘わらす
数千の人々が「天災だったからしかたないわ」という東北人の人の良さに
に依存し「津波防いだ自治体がある・・では防がなかった自治体は全く責任はないの?」
・・という議論が責任論としてタブー」である日本国の現実の「マスコミ報道」には不信感を抱きます。
「堤防さえ15m高にしておけば何も(原発事故も)おこらなかかった」・・というのは「事実」」だろう
思います。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
>>683 自分で理解しているようだけど、何言っているのか意味不明です。
686 :
ゲーム:2011/05/10(火) 09:00:43.46 0
>>681 たぶん、何の自覚もなしに電力を消費していたのだろう。
他方、供給する側も、何の自覚もなしに、そうしていたのだろう。
しかし一方はカネを払い、片方は受けとってきた。
機械さん、どちらに責任があるか、わかりませんか。
貴方の言い分は、生肉を食べた側にも非の一端がある、というに近い。
どうして、そう“電力会社・寄り”なのですか。w
余禄の恩恵でもあったのですか。(下司のかんぐり)
貴方の場合だと、さしずめ○電から?
687 :
ゲーム:2011/05/10(火) 09:44:43.79 0
>>680 「次元」というのは思惟の産物だが、その意味を知らなくても
たぶん“立体的”と、健常者なら感じるのではないか。
それとも君には、リンゴが“二次元”や“四次元”の存在に
みえますか。
「意識の対象」という表現が不自然。二元論的である。
対象(たとえばリンゴ)が意識(現象→意味)なのである。
特別に感じられる対象を視たり、それに惹きつけられるときは
“注視”あるいは“注意”という表現をつかう。
たとえばAKBの○○に釘づけになるとき、彼女が前景の“図”
になり、その他の連中は“地”として後景に退く。
とはいえ、図と地の境はぼやけている。
688 :
ゲーム:2011/05/10(火) 10:27:35.22 0
>>676 “無意識”などない、と申してあげているのである。
日常語の“無意識”は「(現前の)意識の無自覚さ」を指している。
要するに「意識の意識」が“弱い”というだけである。
ぼんやりしているときは、たいていそういう(とくに図のない)状態である。
だが、無意識ではない。つまり希薄だが、志向性はある。
「有」は実態なき実態を指す概念。「存在」では重すぎるので。w
先立つものは意識(欲求、感覚)であり、物質(これも生煮えの概念だw)とか
ビッグバンは、そこから思惟を重ねた所産であって、これも概念にすぎない。
なお意識は形式(容器)ではない。無定形である。
>>688 「無意識などない」ということで宜しいですか
・ぼんやりしているとき=図のない状態、しかし希薄な志向性はある。
「希薄な志向性」とか、煮ても焼いても食えませんね。
自覚もないのに「ある」とか、何を根拠に言っておられるのか。
「目の前の石に気づかない」ということはあろうが、それを後から気づくことによって
「無自覚であった」という説明に合理性があるのである。
対して
「希薄な志向性」を自覚することは、結局いつまでもない。
そのように(=自覚しないと)設定してしまったのだから。
「志向性」なる言葉を守りたいがだけの空手形である。
だいたいですね、「木」とか「猫」の実態は語れない、とか言いながら、
図とか地とか、そんな幽霊みたいなもんを、さも「実態」であるかのように語る貴方の態度には
頸を180°傾けても足りませんわ。
690 :
ゲーム:2011/05/10(火) 11:56:27.37 0
>>689 丁寧にいえば「無意識という意識はない」ということである。
「後になって気づく」とは“思い出す”という意味かな?
それとも他日、その石に気づくことかな?
希薄な志向性(地の意識)は、そのほとんどが忘却される。
もし後になって思い出したのなら、ぼんやりとその石に気づいていた(地だった)
ことが、何かのキッカケで「図に昇ってきた」ことを物語っている。
抄録氏が何年、生きてきたのかは知らぬが、ほとんどの“経験”を忘れ去っている
はずだ。これが無意識である。
図/地は「意識における対象の布置」であり、これは欲求や感覚が決めるのだろう。
もとより意識(図/地)に“実態”はない。
志向性は意識の様態の表わす概念にすぎず、他に適切な言い方があれば、そちらを
使うのに吝かではない。w
ところで「その猫」や「あの木」の“実態”を語れますか。
691 :
ゲーム:2011/05/10(火) 12:11:14.25 0
「意識の様態の…」ではなく「“を”表わす」でした。
なお「実態」を述べるためには、その前に“実体”を示さねばなりません。w
>>690 やっぱり無意識は「ある」んですか。
※「後になって気づく」とは「後日、その石に気づく」の意味を想定して書きましたね。
忘却云々ではなく、
「希薄な志向性」とやらを、ただいま自覚してください、ということです。
できますか?自覚した瞬間、それは無自覚ではなくなる。
では無自覚な志向性とは何ですか?
※しかしもともと私が
>>611で言いたかったのは、
意識の統一性を鑑みるなら、論理的には対象A→対象Bの間には空隙(≒志向性の零点)が生じる
ということ。もはやどうでもいいがw
「その猫」や「あの猫」の実態ですか?
語れませんね。
なぜなら、語れないものが実態である、と設定されているからです。
語ったら、それは概念でしかない、なる思考構造は、割と強力にヒトに浸透している。
ちがいますか?
唯物論的には無意識は要請されます。
意識していないときにも月が現象しているように。
(排中律っぽいですなw)
しかし貴方の立場ではそうはいかない。
無意識は意識にはならないのだから、意識を全ての終点とする貴方にとって
無意識など存在しないはず。
にもかかわらず、経験とか記憶とか忘却とか、
素朴な日常語を織り交ぜる貴方のトリッキーな振る舞いに付いて行くのは大変なのですw
693 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/10(火) 14:26:38.80 0
>>671 だからスレタイそのものが変だと何度も
情報というより、情報をどう選択してどう受け止めるか、
それからどう反応するか
だと思う
694 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/10(火) 14:32:28.66 0
ところで、なんで急に原発の話になってるの
??
697 :
忍法帖【Lv=12,xxxPT】 :2011/05/10(火) 17:42:16.94 0
意識と無意識の話なら唯識さんにご登場願いたいね。
そもそもテンプレにあるように、
「脳は物質である。よって、意識は必然である。」
という命題?が全く成立していない。
機械氏の論理構造というか論理的思考能力自体が崩壊しているとしか思えない。
「雲は水蒸気だから雨天は必然にすぎない」といってるようなもの。
ぜんぜんダメ。
そもそも、意識が脳から生ずるという事をどうやって証明できるんだ?
699 :
ゲーム:2011/05/10(火) 20:15:04.20 0
>>692 「ない」とは、すなわち無意識のことである。「無意識がある」とは、
「ない」とは「ある」ことである、という謂い。いくらトリッキーな私
でも、そこまでは…(苦笑)
対象Aから対象Bに注意(図)を移すとき、志向性のゼロにはならない。
その間隙を埋めるのが“希薄な志向性”である。
“志向性”という表現は、初めに主体を立てる、あちら流の言い回し。
意識は何かを志向する、というよりも受動的である。こなれていない
表現だけれども、意識は“被・侵食的”である。
「月」は現象(感覚→表徴)か概念であり、どちらも意識的相関である。
「私がみていようがいまいが、月は存在する」というのは、悟性的判断
であり、これも意識現象である。
700 :
ゲーム:2011/05/10(火) 20:24:31.23 0
>>693 情報を選択し、受けとめ、反応するのは何?
>>698 まだ証明されていない。
それを証明できれば、唯物論のポイントになるのだが。w
>>699 無意識とは「unconsciousness」あるいは「insensibility」
つまり「意識状態にない、知覚がない、知覚されない」という“状態”を謂い
それを「ないものはない」のごときに理解するのは誤謬なのです。
(矛盾律は相当にやっかいです。哲学問題の元凶の多くはここにあるのでは?はっは)
それは置いといて、
図とか地とか、それが何だか分かりましたよ。
認知科学とか心理学に於けるゲシュタルトの話ですよね。
私も不勉強で・・・w
しかしそれらは、「意識の相対化」作業に於ける知見。
ある種の意識の絶対化を図るゲームさんが、ここでそんなとこから引っ張ってくるとは
思ってませんでしたわ。
しかしこの場合にはカテゴリーミステイクではないですか?
月の話は、いつか来た道なので、またそのうちにお願いします。。。が
悟性的判断
“それ”が悟性である、とするのも判断であり、
ある種の思いを「意識的相関」とするのも判断です。
意識の中だけでは、判断同士の妥当性を「判断」できない。
その修正は客観的実在に依存しているのです。
>>698 脳味噌だけ残して、他の肉体は剥いで、
”「意識」はあるかい?”
と聞けばよいですw
>>702 ”「意識」はあるかい?”と聞いて、「はい」と答えられたとする。
でも、脳は「意識」がどっか異次元から宿る端末とかいうオカルトチックな
解釈も否定はできないような。ゾンビになってるかもしれないし。
704 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/10(火) 23:33:28.68 0
>>700 受け止めるのは感覚器官
選択と反応指令は脳だね
ただし、それは「脳が物質だから」では無いよ
複数ある神経回路やネットワークのうち、
どの経路が最も活性化するかは、
「脳が物質であること」が原因で決まる訳では無いもん
705 :
考える名無しさん:2011/05/10(火) 23:45:24.07 0
だから意識というものをまともに説明できてから
無人島で木が倒れたら音がするか?
ボイスレコーダーを設置すればOKw
>>699 知覚的現象がありて、初めてそれは存在する というのが
ゲームさんの考えなのかな?
つまり、(音の)存在とは意識(及び悟性)を離れては存在しないみたいな…
>>703 それは決定論より面白そうですねw
707 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/11(水) 00:20:59.21 0
>>698 「ぶつぶつ観念論」では何百年経っても「(観念論的=形而上学的=カント信仰者的」
「できない」・・というか「不可能」だと思われます。
何故ならば「宗教と観念論」は既に「結託して『真理』(機械的唯物論)から民衆の
眼を逸らせる(無意識)プロジェクト」・・に「(無)意識的に」突入しているからです。
「脳科学」や「脳外科学」や「大脳生理学」を少し(一端)でも理解できれば、「意識は
脳(という物質の)の状態に完全に依存している」・・ということは「自明」である
・・ことを理解せざるを得ない・・ということです。
それ(真理)を「望むと望まざるに拘わらず」・・「真理は紳士である」と明言する
・・そういう態度は「哲学」にしか採ることが出来ません。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
708 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/11(水) 00:25:03.42 0
707の一部修正です。
>「真理は紳士である」
→「真理は真理である」
まあ、「真理を誠実に語ることが出来る者こそ紳士である」という
意味では、修正の必要はないのかもしれませんが・・。
709 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/11(水) 00:30:08.16 0
「物質であること」と「ある物質がどういう状態にあるか」を
混同するってどういうことなの
710 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/11(水) 00:33:25.92 0
>>702 >脳味噌だけ残して、他の肉体は剥いで、
>”「意識」はあるかい?”
>と聞けばよいですw
「水槽脳」」の問題は思考実験としては既に「古典」の部類ではないでしょうか?
「あなたの脳」から伸びている「全神経細胞」から「適切な感覚刺激」がコンピュータ
制御で「あなたの脳」に対して「還ってくる」状態においては、あなたが
その「体験」が『リアル体験』なのか『シミュレーション体験』なのか区別する方法はありません。
要するに中国古代の思想家「荘子」が語った「胡蝶の夢」の例えは「真理」を言い当てていた
・・ということです。
本日は就寝させて戴きます。
711 :
あまの:2011/05/11(水) 00:34:17.56 0
「真理は紳士である」のほうがまだ意味有り気でよかったのに・・・
機械さん
映画の見過ぎ
SFマンガ脳
713 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/11(水) 00:50:11.87 0
>>712 私は「全著作を読んで『たいした奴じゃない』と考えた」思想家ではありますが、
「大したことはない」ことは確信しております。
サルトルぼ晩年は「若いグルーピー女性との乱交三昧」だったことは「正直羨ましい」
のですが、彼が「真理を見失った」ことは間違いありません、
なんでいきなりサルトルが出てくるのでしょうか?
奇妙奇天烈なお人だ機械タンは。
715 :
ゲーム:2011/05/11(水) 09:00:53.15 0
>>701 「意識(感覚、思考)において“ない”」ことと「ないものはない」の違いを
述べていただきたい。それは、どうやっても引き離せない主観/客観を剥がし、
便宜上、そう表現しているだけで、それもまた思惟のなせるワザである。
意識を絶対化するのは、さすがの私にも不可能。w
ヒトは意識しか、あるいは意識においてしか、知り得ないし、また事物を
構成することができない、とその“限界”を述べているだけである。
図/地は、全き無意識(という意識)などはないことを示すために使った比喩。
日常語の無意識は「意識の意識が弱い」“地(希薄な志向性w)”を指すことが
ほとんど。
なお「修正」は、現前(の意識)→思惟→概念の変更という過程でなされる。
要するに「見方が変わった」わけである。ちなみに「思惟」とは、分析し
判断することであり、内的(意識における)営為である。
いずれにせよ、ヒトは抄録氏のいう客観的実在(実態=真理)を追い続ける
のだろう。なにせ、それは「ない」のだから。「ない」ものを求め続ける
のがヒトの特性である。
716 :
ゲーム:2011/05/11(水) 09:40:15.90 0
>>707 「意識が脳の状態と相関するだろう」ことを知らぬものはいまい。
しかし、別のことも語るべきだろう。「その脳の状態は意識に依存する」
冷たく「感じる」から、それに応じた言動となる。
「その薬は利く」といわれ、それを信じるから、偽薬にも効果がでる。
脳を或る状態にするのは「意識」というよりも“情報”であり、脳なる物体は
非・物質の情報に制御されることがわかる。
717 :
ゲーム:2011/05/11(水) 10:10:26.07 0
>>707 民衆の目を「ほんとうのこと」から逸らしてきたのは観念論者ではなく
“権力”と結んだ(機械さんの大好きな)科学者たちである。
そのことを「原発事件」が暴露してしまったようだ。
“情報”を独占・隠蔽しつつ利益誘導し、他方“安全神話”をでっちあげ、
「民衆」をあざむいてきたツケをどう国民に回すか、それが彼らの課題だ。w
今回も、うまく丸め込まれそうだね。
>>715 貴方は無意識を「ない意識なる意識はない」ごときに詭弁を弄された。
しかし無意識とは一般に「自覚・感覚の無い状態」を謂う。
この無意識とは、「意識状態・無意識状態」を分別して扱う場合の概念であり、理解可能なのである。
概念は意識内現象であるが、しかし“その概念が無意識状態であるのではない”。概念は示すのみ。
貴方に(詭弁を用いた)自覚がないなら再考をお願いしたいし、
確信犯なら好きにされれば良いと思います。
ところで、「無意識はない」とするなら、それで全くかまわない。
ヒトには(少なくとも生存中は)常時、意識はある、という了解でとりあえず思考すれば良い。
意識の境界など客観的には決められない。まあそこが貴方のテリトリー(ラビの信仰の如き)。
それを前提としても「意識は必ず何かについての意識である(=志向性・指向性)」なる定立は不完全であろう、
ということです。
それに対して貴方は「(無自覚な)希薄な志向性」なる意味不明の奇策を繰り出されたが、
その「希薄な志向性」の向かう対象とは何ですか?
対象で意識を埋め尽くすことができますか?
と問うているのです。対象の隙間、それはもはや“志向性”の範疇にはないでしょう。
(私なら希薄な志向性などと言わず、対象を必要としない「予圧」とか「準備圧」とか口走るところかしら。)
日常語の意識・無意識の話をされているが、
自覚的意識に上る以前の肉体への反応が存在することはリベットらの実験からの帰結(まあ知っておられるのだろうが)。
意識・無意識の関係は、意識の強弱などという単純なものとは思わないが
貴方が意識の強弱で納得しているなら、特に反論しません。貴方にとってはそれで十分かもしれないし。
(図/地の使用の拡大解釈は確信犯であったようですが、個人的にはあまり意味があるとは思えません。)
最後に
客観的実在は追わずとも思惟にある。肉体も思惟も自然の所産である。
719 :
ゲーム:2011/05/11(水) 12:17:06.35 0
>>718 最後の一行にだけコメント。
“客観的実在”が何を指しているのか不明だが、それが何であれ、
思惟(意識=主観)において、そのように意味が付与されることを
抄録さんが語っている。つまり主客の合作であり、対象の観念、
意味である。それを“客観的実在”と信じるのは自由である。
抄録さんのいう“自然”も「心/身の絡みとして“ある”」ヒトの
感覚と思惟の産物。すなわち“意味”であり、先験的なものでは
ない。ゆえに自然“観”は主観ごとに、共同主観ごとに異なる。
720 :
ゲーム:2011/05/11(水) 13:07:03.93 0
一つだけ。
日常語の“無意識”を「それは無意識ではない」と私は否定している
のである。最寄の駅とか店に習慣的に出向く際、ほとんど無意識だがw
意識(感覚)は起きている。何かあれば、そちらに注意がいく。無意識
では生活できない。w
そこに“図”がなくとも、意識(の志向性)は常時“風景”に浸食されている。
(この文章、変か)
リベットの実験は、おそらく感覚と、その意味づけ(意識の意識)の間に
微差があることを物語る例証でないか。情報の受容なしに、物体は反応
しないのでは?
>>719 意味しかないでしょう、唯意味論さん。
なので「意味に過ぎない」とも言えない。
同じく「意識に過ぎない」と“限界”を設定することもできない。
意味も意識も所有されていない、内部に閉じられていない。
超越的に成立している。
自然観は主観、共同主観(なる好都合)により異なる。
確かにそうでしょう。
しかしそれが「異なる」ことを理解できるとするなら
それは他の自然観を理解することは不可能ではないことを示しており
そこには個別の自然観の上に普遍が宿っているように見える。
まあ「客観的実在が思惟にある」は言い過ぎで、誰かへのアンチテーゼになればいいですw
少し2chは休みます。(2,3日だけどw)
722 :
Q:2011/05/11(水) 14:27:20.82 O
実在論と観念論か
観念論で有名なジョージ・バークリーは
認識の対象を観念とした場合、普遍的なものや理論的なものを語れなくなる問題に当たった
そこでバークリーは「神の観念」を導入する
観念論者マッハは自らの立場を徹底した結果
「物理学者は理論や法則について一切語ってはならず、ただ観察言明のみを語らねばならない」と言い出した
これが原因で弟子のアインシュタインとケンカした
客観主義者が客観の存在を認めるのは
己が客観に到達したと自負するからではない
自分の意見、考えは常に主観的なものに過ぎず、誤りを免れ得ないと考えるがゆえに、客観的なものを認めざるをえないのである
>722
>観念論者マッハは自らの立場を徹底した結果
>「物理学者は理論や法則について一切語ってはならず、ただ観察言明のみを語らねばならない」と言い出した
>これが原因で弟子のアインシュタインとケンカした
kwsk
724 :
Q:2011/05/11(水) 18:04:32.41 O
>>723 アインシュタインはもともとマッハの影響を強く受けている
相対性理論の基本原理の一つである相対原理はマッハのニュートン批判からきている
(マッハは物理学者でもあったわけだから)
が、後期マッハは過激になって、物理学者全員を批判しはじめるわけだけど
相対性理論を発表した後のアインシュタインとマッハの対談が組まれたんだけど、そこでマッハとやりあってケンカ別れしている
725 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/11(水) 18:32:28.88 0
>>720 なにか根本的に勘違いしているように思う
726 :
Q:2011/05/11(水) 20:43:05.01 O
マッハのニュートン批判は形而上学的で
哲学が今ほどすき間産業になってないのを感じさせる
昔は、あれこれ考えることが大事だったわけで
例えばアインシュタインが抱えていた問題は
「光速で移動する人が持った鏡に顔は映るか?」だったわけで
現代では空想の産物と一笑にされるかもしれない
無意識が実在するなんてドーナツの穴が実在するかのような話。
時計ないと時間ないですよ。
730 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/12(木) 01:01:57.43 0
>>728 「一般相対性理論」は1905年に書いたアインシュタインの論文で
この世界に初めて登場した「世界解釈」ですが、「時計」は「それぞれの慣性系で動く」
ことをいとも簡単に証明しましたし、従って「異なる慣性系」では「時間や距離も縮んだり伸びたりする」
・・・ニュートン物理学の前提である「絶対空間や絶対時間」は(絶対に)「この宇宙内に存在しない」
・・ということを「完全に(明証的に)証明した」・・のです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
731 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/12(木) 01:06:59.96 0
730の一部訂正です。
「一般相対性理論」→「特殊相対性理論」でした。
本日は就寝させて戴きます。
そのままの方がパンチ利いてたのにw
733 :
考える名無しさん:2011/05/12(木) 03:10:45.89 0
「本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。 」だが。
言い換えた方がいい。
=
『このスレッドの文章・思想等に基づいて被ったいかなる被害についても、
「機械的唯物論」者は一切責任を負いません。』
734 :
ゲーム:2011/05/12(木) 09:08:04.37 0
>>722 そのとおりだね。
「自分の意見、考えは主観にすぎず」相対的の謗りを免れない。
それゆえに「客観的」“絶対的”なものを“希求してしまう”のだろう。
しかし、この“ないものねだり”というヒトに顕著な強欲が、ヒトをして、
いわゆる“進歩(他の世界観によれば堕落)”せしめてきたことは認めざる
をえない。
ところで、そのマッハによるアインシュタイン批判の眼目は奈辺にあるの?
よければ、教えていただきたい。
>>726 「マッハのニュートン批判は形而上学的」というのは、マッハの批判のしかた
が形而上学的ということ? それともニュートンの世界(実在)観が形而上学的
という意味? 後者だと私は聞かされてきたのだが…
735 :
ゲーム:2011/05/12(木) 09:49:19.78 0
>>727 そのとおりです。意識の「ない」ことを無意識と称します。w
いわゆる“無意識”は「いまの意識」に呼び戻されて露わになる。
“忘却”から引きずりだされ、その貌を晒してしまうのである。
「いまの意識」すなわち“関係意識”が、それを無から有に変える
機制は種々いわれてはいるけれども、定説はない。
ドーナツの穴は実在しないけれども、ドーナツを形成する重要な
“項”として「ある」というしかない。
カラス君、「ある」のは物質だけではないのです。w
無意識とは意識を反応で”浸食した”ものの在庫みたいなもんかもね。
(経験の場合)
>>736 無意識って、記憶された感官からのすべての知覚の混濁だと思います。
そこから内在的な認識が編み出されやがて意識を形成するような。
738 :
考える名無しさん:2011/05/12(木) 16:36:56.77 0
マンガ「フロイト入門」を読めば分かるが、
意識の中でも無意識は活動しておる。
例えば言い間違い。
逆に、無意識の中で意識も関係している。
例えば夢が無意味に見えるのは、
意識より隠ぺいするためだ。
739 :
考える名無しさん:2011/05/12(木) 16:44:43.86 0
例えば、食指が湧くと言い間違える人は、
普段アダルトゲームをやり過ぎている人だ。
アダルトの中でも2次元ポルノである。
好きなジャンルは陵辱を楽しむ鬼畜系だ。
食指が沸くと言ってしまうのは、
触手が湧いて女の子に絡んでくるイメージが
無意識に蓄積されているからだ。
740 :
考える名無しさん:2011/05/12(木) 16:53:15.87 0
フロイトは無意識からしてみれば、
犯罪人に等しいだろう。
自分と思っているものと身体記憶の齟齬じゃな
742 :
考える名無しさん:2011/05/12(木) 17:16:38.87 0
3と数字で書かれた数字を伏せられて
今なんって書かれてたと言われたら、
嘘をつくか、正直に答えるかの2つしかない。
我々は忘れると言う行動を意志では行えない。
逆に言えば、勉強はそれに比べればはるかにやさしい
行動なのだ。
743 :
ゲーム:2011/05/12(木) 21:03:46.94 0
フロイディズムとマルキシズムは双子である。
ともに歴史主義、すなわち「過去が現在を決定」する、というのである。
もう一つは下部構造が上部構造を規定する、換言すれば「深層が表層を規定する」
という“世界・人間観”である。
これについてはポパーによるまでもなく、反証不能。w
ただし幾つもの反論はなされていて、そちらのほうが説得力がある。
その骨子は「現在が過去(の意味)を組みかえる」
もう一つは「表層が深層を構造化する」というもの。
744 :
ゲーム:2011/05/12(木) 21:22:32.84 0
フロイディズムは、よくできた御伽話である。
>>739だが、たしかに「食指が湧く」というのは、まだこなれていない。
が、そのうち、これが普通の言い回しにならぬとはかぎらない。
「湧く」をアダルトゲームに結びつけるのはフロイト的だが、その根拠
は乏しい。何とでも結びつけられる。
そもそも食欲が湧いたからといって食指(人差し指)が動くことはあるまい。
この言い回し自体、まるで無根拠なのである。言葉と或る事態とのあいだに
必然性などないのである。
そもそも
意識なんてものは表装の自分が認識できるものに過ぎないのだから、
無意識のほうが寧ろ確かなものだろう。
746 :
考える名無しさん:2011/05/12(木) 21:49:05.14 0
では“非世界・人間観”はどの視点から可能なのですか?
747 :
考える名無しさん:2011/05/12(木) 21:53:01.21 0
>>745 意識の重要性は行動にある。
腹が減ったという欲求にこたえるのがこの部位だろう。
748 :
考える名無しさん:2011/05/12(木) 22:01:02.05 0
つまり意識は受動部位であり、指揮命令系には属さない。
749 :
考える名無しさん:2011/05/12(木) 22:14:02.38 0
より明瞭にするために、ではまた逆に考えてみよう。
無意識では行動できないか?
一部の夢遊病者は可能であろう。
ふと気づくと○○にいた、というのは無意識に行動したことにならないか
751 :
考える名無しさん:2011/05/12(木) 22:23:47.93 0
752 :
ゲーム:2011/05/12(木) 22:42:54.82 0
>>749>>750 どちらも感覚は開かれている。
つまり、字義どおりの無意識ではない。
日常語では、それを“無意識”と呼ぶけれども。
ぶつかったり転んだりしないのは、意識があるから。
753 :
考える名無しさん:2011/05/12(木) 22:51:26.20 0
>>752 つまり日常語では、それを“無意識”と呼ばれるが、
それは意識であるということだね。
となると、どっちでもいいわけだな。
754 :
ゲーム:2011/05/12(木) 22:57:13.78 0
いや、日常語の無意識は無意識ではなく、意識はある、ということです。
日常語は、言葉のアヤにまみれています。では、非日常語は?
755 :
考える名無しさん:2011/05/12(木) 23:13:45.96 0
絶対多数の賛同がえられるのは
命令系に意識、行動に無意識が属する説だろう。
マグカップをつかむ動作は無意識に行う。
飛んできた石も無意識によける。
ビルから落ちれば、死ぬ前にたぶん気絶するだろう。
しかし、生まれた赤ん坊はすべて出来ないだろう。
よって無意識も指揮命令系には属さない。
756 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/13(金) 00:02:04.59 0
デジタルに「意識か?無意識か?」という議論は意味がありません。
(その辺は観念論者さん達の方が「先に気づく」べきだとは思いますが)
ここにいる「観念論者さん達」=「機械的唯物論(真理)を認め(たく)ない人達」
は例えばウィリアム・ジェームス『宗教的体験の種々相』とか、グルジェフとかの
存在をご存じなのでしょうか?
何も「オーム真理教浅原なにがしのインチキヨーガとか桐山なにがしの火炎密教」とかに
ついて知る必要は全くありませんが、ジェームスやグルジェフや・・まあフッサールやデカルト
&カントの「観念論の初歩」くらいは知らないと、「意識とはなんぞや?」という
疑問に回答を見いだすことは不可能だと思います。
まあ、デリダやフーコー等のポストモダンーを含めても良いですが、「観念論の歴史」
とは、まさに「内観(だけ)から意識の構造を明らかにする(できる)という確信」に基づいている
・・と言う意味において(キリスト教の呪縛から逃れられない故の「無謀な挑戦」にすぎなかった・・ということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させ戴きます。
757 :
ゲーム:2011/05/13(金) 00:09:54.72 0
それも違う。
視覚を閉ざしたら、マグカップはつかめないし、
飛んできた石をよけることはできないない。
つまり、感覚(意識)があるから、日常語でいう“無意識の動作”は可能なのである。
視覚だけで不十分なら、すべての感覚を塞げばよい。
半ば「無意識」に近いので、いせゆる“無意識の動作”は不可能になる。w
758 :
ゲーム:2011/05/13(金) 00:17:53.12 0
う〜む、機械さんなみに酔いがまわったようだ。
校正ミスだらけだ。
機械さんも、口上はいいから、意識についてのべてみたら。
本日は寝ます。
759 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/13(金) 00:26:29.33 0
>>756 >日常語でいう“無意識の動作”は可能なのである。
当たり前というか「人間の動作」はほほ99.9999%「無意識」です。
「えーと、この竹輪を箸で夾んで唇までに持ち上げて唇を開いて竹輪を入れて
・・・」などと「意識」しながら食事するとなると、おでんを食べるだけでも
「脳(これは一番エネルギーを使う器官)」が疲れてしまい、おでんを食べることに
集中するあまり、せっかくデートで連れてきた隣の彼女のお話の内容まで理解できないでしょう。
そういう意味では「フッサールが発見した『意識の指向性』という概念は重要です。
「機械的唯物論」的に言わせていただくと。『「指向的クオリア」は重要だ」という
ことになりますが、「感覚的クオリア・・要はおでんを食べる彼女の横顔」が入ってきた
時点で、「その解釈」を担うのが「(今までの人生経験から形成されたニューロンネットワークによる)
指向的クオリア」なのです。
「感覚的クオリアは同じでも、その人の経験の蓄積『指向的クオリア』が「違う意味」を「見いだす」
・・ということが(ある意味)「創造力の源泉」となる・・ということです。
本日は就寝させて戴きます。
今日の機械さんは「割と」冴えてますね
761 :
考える名無しさん:2011/05/13(金) 06:23:26.21 0
>>759 人間の動作を人間という入れ物の中だけで無意識だと断定するその範囲外への
無関心さは機械的な思考らしい。
全てのものが関連している以上、その外も含めて人間というシステムと考える
べきではないのか?
貴方はそれを人間という入れ物だけに合理化したモデルを作り、閉じた現象を
人間と名づけ定義した範囲内の狭い部分だけを取り上げてその側面の無意識
だけを人間の本質のような錯覚をしているのにすぎない。
いちど信じてしまったその考えは決して覆られない、信じてしまうとはそういうこと。
貴方が冴えた明確さで表現すればするほどその信仰によって表現されている
自己紹介が浮かんでくる。
何もわかっていない人ほどクオリアという言葉で説明したがる。
君がわかっているなら、それで結論であり、すべてが解決しているだろう。
すべてが解決できていないから故に「本日は就寝させて戴きます。 」なんだろう。
明日も君はその無意味な反応を繰り返すのは目に見えている。
762 :
考える名無しさん:2011/05/13(金) 08:11:30.96 0
>>757 赤ん坊は目が見えるが、目が見えるが
飛んできた石は、避けないよ。
763 :
ゲーム:2011/05/13(金) 09:23:42.17 0
>>762 突っ込みになっていない。w
「意識の有無」を論じているのであって、
対応能力を云々しているわけではない。
たとえば初老にさしかかっている機械さんも赤ん坊同様、飛んできた
石に咄嗟に対処できず、気づいたときには、その痛みにうずくまって
いるのでは? w「老いる」とは、乳幼児に還ることらしい。
764 :
考える名無しさん:2011/05/13(金) 09:54:54.38 0
私から言わせれば、
指揮命令系は意識なのか?無意識なのか?
を論じているのであって、意識の有無を論じているのではない。
765 :
ゲーム:2011/05/13(金) 09:58:28.54 0
>>759 何がしかの動作をしているとき、ヒトには意識があります。無意識では
動作は不可能。
おでんを夢中で食しているときも、竹輪と蒟蒻をそれぞれ表徴できるし、
味覚の違いもわかるはずだ。ただし「食べる」といった習慣的な営みの
さなかには、感覚が開いていれば十分で、さほど“考える”必要はない
ということだろう。
感覚的クオリア、指(志)向的…というのは機械さんの造語かな?
「上手い分け方」と思っていたが…どうだろう?
というのは機械さんのいう感覚的クオリアも“志向性”だからである。
だから、私ならこう分ける。感覚的クオリア/思考的クオリア。w
何かを感じ、何かを考える…どちらも“志向性”すなわち「意識」である。
766 :
ゲーム:2011/05/13(金) 10:17:43.46 0
>>764 指揮命令系における「意識の有無」を問題にしているじゃない?
意識は「ある」のでは?
熟睡しているときが、文字どおりの“無意識”かな?と思っていたが、
このときも、なんらかの意識はある、のでは?
しかし意識=生、といってしまうのは短絡的だし…
767 :
考える名無しさん:2011/05/13(金) 10:22:36.26 0
無意識では 動作は不可能というより、範囲が非常に狭い。
だから意識が行動をつかさどる。という説では似ているが
無意識では動作は不可能とは言ってはいない。
石が飛んで来れば無意識に避ける。これは意識では遅いからという
旧来からの説明で足りる。しかし、赤ん坊は避けないであろう。
これは記憶で保管された経験であろうが、
後天的に会得することで先天的な機能ではない。
768 :
考える名無しさん:2011/05/13(金) 10:32:37.12 0
>>766 よい質問だ。
>熟睡しているときが、文字どおりの“無意識”かな?と思っていたが、
>このときも、なんらかの意識はある、のでは?
というように今の君の意識とは違う意識が働いて
いるのは理解できるであろう?
だから疑問形になるのだ。
そこで指揮命令系はどこかと問うている。
769 :
考える名無しさん:2011/05/13(金) 10:35:10.18 O
わかってねえな無意識は抑圧された欲求だから
こまかな動作のほとんどは無意識がもとになってんだ
ちゃんと勉強しとけ
770 :
ゲーム:2011/05/13(金) 10:39:06.00 0
無意識ではない(と思うのだが)熟睡中はそれに近い。
このとき、宮本武蔵ならともかく、イチローも飛んできた石はよけられまい。
乳児がよけないのは、一つは、そのことの怖さをしらないから。
もう一つは、よける能力が不全だからである。
771 :
ゲーム:2011/05/13(金) 10:42:06.87 0
>>769 それは、フロイトたちがつくりあげた、よくできた物語。
772 :
ゲーム:2011/05/13(金) 10:44:50.45 0
>>768 脳(というシステム)を動かすのは情報。
773 :
考える名無しさん:2011/05/13(金) 10:45:17.89 0
>>769 夢と言うのは、欲求のはけ口であって
無意識が意識から隠ぺいするように制御しながら
解放している。
よって
「無意識は抑圧された欲求」ではなく
「欲求は無意識で抑制制御されている」
つまり行動に属するため欲求とは別物と考える。
774 :
考える名無しさん:2011/05/13(金) 10:49:02.51 0
無意識は、夢が記憶の上で保管され
意識に開示されるのを防ぐために
象徴化して、解放する。
よって我々には無意味に見える。
775 :
考える名無しさん:2011/05/13(金) 11:00:07.60 0
つまり情報と言う形になる前に制御されてしまう。
776 :
考える名無しさん:2011/05/13(金) 11:09:52.65 0
「欲求は無意識で抑制制御されている」
と書くと制御は欲求よりも上位に位置すると
考えやすいが、逆に言えば欲求がなければ
必要ない危うい存在である。
文字通り意識がないことを「無意識」というのなら、
機械(スレ主でなくw)も無意識だということになるな。
778 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/13(金) 22:15:23.09 0
「『無意識』は有るか?無いか?」・・・といった科学者から観れば「冗談みたいな議論」
を延々と繰り返すという「観念論者さん達の密かな楽しみ」を奪うつもりはありませんが、
「あまりにも馬鹿馬鹿しいので『せめて用語の定義』ぐらい試みたら如何ですか?」と思ってしまいます。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
779 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/13(金) 22:24:29.85 0
P.S.
「『無意味』という概念自体に『(存在)意味』はあるのか?」
・・とか「まさに『神学論争』そのもの」ではありませんか?
観念論が(宗教と同様)廃れない原因(秘密)はその辺にあるのではないでしょうか?
中世に(暇を持て余した)修道士達が数百年間に亘り「無限に尖った針の上に天使が何人(匹?)
乗ることが出来るか?・・という「公案」について(無意味な)議論を繰り返すこと命がけになった
「歴史」を思い起こさせます。
本日は就寝させて戴きます。
780 :
考える名無しさん:2011/05/13(金) 22:37:39.12 0
781 :
考える名無しさん:2011/05/13(金) 22:42:41.16 0
>>770 石を避けられるかどうか?だけで意識の有る無しの基準にするのはどうなのかな?
カンフーの達人だったら熟睡中でも飛んでくる石を避けて、なお気づかないのかもしれないし
>>779 >(無意味な)議論を繰り返すこと
「無意味な」と断定できる根拠もないけどな?w
783 :
(^e^):2011/05/14(土) 01:18:26.54 0
機械君はよほど宗教がお嫌いのようですね。
でも、宗教は絶対消えませんよ。不安がこの世から消えない限り。
機械君にもなにか信仰があるのかしら…
784 :
ゲーム:2011/05/14(土) 01:24:18.11 0
>>778 辞書を引けば載っています。
私のそれには「感覚、観念、思想など心の内容」とあります。
これで不満足ならウィキで調べることを勧めます。
“定義(一般的意味)”を踏まえて議論しているのである。
ちなみに何かを定義するのも意識現象。
哲学とはww意識に定位して世界を語ることです。
機械さんのように、いきなり客観に超越できる方は、そのての(たとえば科学)スレで
論陣を張られればいかが?
785 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2011/05/14(土) 01:29:51.04 0
無意識について盛り上がっているようですね。
(以前もあったような気がしますが)
ただどういった部分、現象をそう呼ぶのか、で意味は変わると思います。
例えば錐体外路の反射というように身体に備わっていることを指すのか
その他色々ですね。
786 :
ゲーム:2011/05/14(土) 01:31:31.86 0
>>783 迷いがあるようにみえます。w
以前は、唯物教でしたが、科学教にも魅かれるようです。
“最終真理はある”教でしょうね。w
787 :
考える名無しさん:2011/05/14(土) 02:13:24.10 0
>>784 ウィキは誰かが勝手に書き込んでるだけだよな?
もしかしたら、おみゃーさんが勝手に?w
788 :
ゲーム:2011/05/14(土) 11:24:30.31 0
>>787 “定義”とは、だれかが「勝手にする」ものです。
それとも“神さま”がやってくれるとでも?
もしそうなら、ゲームする必要はない。
哲学とは「定義の信頼性」をめぐるゲームである。ww
ここに集うコテのそれは、似たり寄ったり。(苦笑)
789 :
考える名無しさん:2011/05/14(土) 12:11:47.97 0
意識の器官を具えていない爬虫類やら魚類やらは無意識のみによって活動できているという事実
790 :
考える名無しさん:2011/05/14(土) 12:21:16.76 0
791 :
考える名無しさん:2011/05/14(土) 12:26:56.65 0
爬虫類やら魚類、鳥類が衛星軌道上で活動はできない。
792 :
考える名無しさん:2011/05/14(土) 12:37:04.66 0
793 :
考える名無しさん:2011/05/14(土) 12:40:50.69 0
類の話である。
794 :
考える名無しさん:2011/05/14(土) 12:42:17.77 0
>>790 そう低次、つまり高次の行動の基盤であり、根幹を成している
795 :
考える名無しさん:2011/05/14(土) 12:45:31.95 0
根幹はなしても、根幹だけでは無理。
副次的二次的な意識が必要。
796 :
考える名無しさん:2011/05/14(土) 12:51:22.81 0
>>795 え?何に必要って言いたいのかな?
何か無意識のみで石を避けられるかとかいう話してたから、
まあ避けられるわな、というだけのことなんだけど。
797 :
考える名無しさん:2011/05/14(土) 13:02:15.30 0
そうか。
赤ん坊は無意識に飛んできた石を避けるか。
と過去レスに書いたがな。
798 :
考える名無しさん:2011/05/14(土) 20:27:19.23 0
それって反射じゃないか。
脳様の命令が間に合わないときに脊髄所長が現場判断で即対応するやつ。
799 :
考える名無しさん:2011/05/14(土) 22:22:14.24 0
脊髄反射も無意識の反応だね。
脳での無意識は無条件反射と第一信号系条件反射。あと勿論ホメオスタシスの維持なんかも。
800 :
考える名無しさん:2011/05/14(土) 22:44:04.41 0
>>797 俊敏には動けない赤さんでも目の前に石が飛んできたら
眼球が傷付くのを避けようと目を閉じるくらいはするだろね
801 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/15(日) 01:37:44.35 0
起床時から就寝時までの全ての行動が「意識的」だと言うのは間違いです。
何気なく「鍵を掛けて家を出る」行為の後で、「本当に鍵かけたっけ?」と
自信がなくなり確かめに帰る・・こともありますし、その後「車の運転」を
したとしても「アクセルとブレーキを踏む足の働き」や「前方や側方や後方に対する
視線(注意点)の移動」とか、ハンドルの切り具合とかそれぞれ肉体のパーツの動きを
「えーと、視線は今は前方の自転車に置くべきだけど、右の交差点から車が頭を出している
のにも注意を払いつつ、スピードメータを観ながら、足の筋肉の調整でアクセルを踏みつつ
いつでもブレーキを踏めるようにすべき%は3%くらいの状況だけど・・・」等々のことを
全部「意識して行っている」という方がいらっしゃれば、それは「アスペルガー症候群」に
匹敵する「異常な精神状態」だと言うことが出来ます。
そういう(車や自転車を運転する、水泳で手足を動かす)などの行為は、脳のいろんな部位が
協調して行うため、「記憶を担当する部位」である「海馬」や「側頭葉」にはそういう記録は残って
いない場合が多い・・ということです。
「事故になりそうな事象」が起こって「とっさに急ブレーキを踏んだ」ような経験は「短期記憶を
一時保存する海馬」だけではなく「長期記憶を保存しておく」側頭葉に(物理・化学的に)保存される
・・という人間の脳の構造は・・「進化」の結果「人類が獲得した機能」だということです。
そういう「(意識的に)記憶している主観情報」が「目の前に現象していること」に
「向き合う(合っている状態)」が「(表層)いしき」だということです。
それらは「脳内の各部位の役割分担」という意味において、「内臓の役割分担」と
似ております。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
機械君のいう「無意識」に従えば、
ユングの”無意識の意識化”をで車の運転を行うと
「アスペルガー症候群」になるということですね
803 :
考える名無しさん:2011/05/15(日) 03:52:24.34 0
哲学板なら低次とか高次とか根幹とかではなく
形而上とか形而下ぐらいの哲学用語は覚えろ
804 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/15(日) 12:25:52.60 0
物質が働いていなければ意識なんか無いでしょ
物質であることが即物質が働いていることにはならないよ
で、必然に「すぎない」ってどういうこと?
「脳が物質で無ければ意識は偶然」だという説でもあったの
論理破綻した決定論だね
>>804 過ぎないとは、過ぎたること。
>論理破綻した決定論だね
これも過ぎたること。
>>804 ”単に意識や意識現象(または意志)なんて脳という物質からの伝達物質ごとき!”
って言いたかったのはスレタイとテンプレからわかるけどねw
だから機械君自身が意識(いや多分感情)を特別視していたから
余計なにかしらへの「信仰」があったのでは?と疑問視してるんですよ。私は。
決定論自体を貫く信条よりも、無条件で受け入れている感すらあるので、
「信仰」とあえて言ってます。
真理は無条件で価値があるから、真理であるから受け入れろ
=無条件で受け入れるから信仰
そんな考えがあるのは機械君らしい
807 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/15(日) 22:07:19.74 0
(^e^)(^e^)(^e^)
809 :
ゲーム:2011/05/15(日) 23:34:57.22 0
>>801 運転しているときや習慣的行為のさなかは、意識的ではないですね。
これは「意識を意識する」のが弱い心的状態のこと。
しかし、無意識ではない。
機械さんの挙げた例のいずれの場合も、知覚はあるからだ。
(注)知覚とは、感覚器官を通して物事を判別し、意識すること。w
問題は知覚がないのに…
810 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/16(月) 01:02:26.70 0
>>804 >で、必然に「すぎない」ってどういうこと?
そもそも「全ては必然」なのに「善悪を選択できる自由意志」を人間に
「勝手に与えておいて」から「善(エホバ)を選ぶか?悪「ルシファー・サタン・ユダ」を
選ぶか「迷える子羊」に対して「高見の見物」をして「自分を選ばなかった人間は(ハルマゲドンの時に)
・・・地獄に堕ちる・・・という「子供じみた宗教」であるキリスト教に「無意識的」な影響を受けた
「思想家」の「人道主義(ヒューマニズム)思想」や「民主主義」思想が(赤ん坊の頃から)身についている
私達が、「真理」に到達するためには「脱構築」ではありませんが「(自身の)先入観を振り払う方法と技術」
を身につけることが出来ないならば(江戸時代中期の人である)カントにさえ
「思想的に追いつくことなど不可能です」・・と申し上げているだけです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
811 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/16(月) 01:09:39.37 0
誤解を回避する為に追伸しますが。
「自由意志」は旧約聖書に「神による(理不尽な)俺を選ぶか?サタンを選ぶか?」
サタンを選ぶなら「ソドムとかゴモラみたいに全員皆殺しだかね」という
「脅迫に基づいた宗教」が「精神的根源である」・・ということを申し上げている
だけです。
「宗教や(それの派生である観念論的自己欺瞞「ロンリ」)」は全て何らかの意味での
「脅迫」に依存している・・・という意味では「同列」です。
本日委は就寝させて戴きます。
(行為において)
意識の中で、状況の知覚と判断までの”隙間”が長いと意識的
短いと一般にいう無意識的
ゲームさんのいう心的状態の強弱というのは
行為における判断までの隙間の量みたいなものだと思いますね。
さて知覚がない無意識とは…
やはり記憶の在庫。
そして隙間が長いと人は「自意識過剰」と言われます。
>>812 そう、実際には
「短い」のを通り越して知覚より先に行為してしまうのであります。
知覚とは「いつ」なされるのか。
我々は知覚の刹那にこそ「いま」の根拠を求めているのであるが、
しかし脳皮質にパルス電流を加えてから知覚が生じるのに0.5秒かかる(らしい)
だが行為はそれ(知覚)に先立つ。意識は行為を追従するのみ。
論理的には、いきなり脳みそを吹っ飛ばされたら
その0.5秒後にそれによる知覚が生じる可能性がある、ということになる。
もはや脳も無いというのに・・・w。
815 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/16(月) 04:44:25.66 0
知覚、つまり認識はしているんだよ
無意識の場合でもね
いわゆる日常的習慣化された行為は
厳密に言えば無意識とは違うと思うな
>>815 知覚と認識をごっちゃにするやつは哲板失格。
817 :
ゲーム:2011/05/16(月) 10:15:25.56 0
>>814 うろ覚えなので、例によって間違っている可能性大だが、w
“意図”が生じるのは、脳(システム)が作動してから約0.5秒後。
その0.何秒か前には、知覚(意識)が生じている(らしい)。
いずれにせよ、無意識から意識が生じたかのようである。
ところで、脳は何によって機能(準備電圧の発生)しはじめるのか。
むろん刺激の受容によってである。これは「情報」の受信と換言できる。
情報が脳(システム)を始動させ、瞬後に意識し、そして意図する…
ヒトにおいては「始めに情報ありき…」か。
といって、いまさら“唯情報論”を名乗るわけにも…(苦笑)
818 :
考える名無しさん:2011/05/16(月) 11:12:18.99 0
ニョキッとつき出た岩に躓いて、脳皮質にパルス電流が流れその知覚が生じるのに
0.5秒かかったが、岩は1万年前からそこにあったので、結局1万年と0.5
秒かかったということだな。ところで地球は45億年前に。。。。
819 :
駐日火星大使 ◆rYlCOscH42 :2011/05/16(月) 13:38:17.12 0
意識といふは、自己を世界より切り離すにより、殊更強く生ずるものであります。
感官を通じて生ずる知覺に對する疑義または疑問感が意識の原理原則なり。
よって無意識なるものは知覺が知覺の如くにして何ら障壁なき速やかなる河川の如きなり。
當に意識とは爐心溶融を避けんが爲の注水の如きなり。
原子爐において爐心溶融は由々しき事態なれども、
意識の爐心溶融によりて無意識の更なる奧底の根底意識となりは果てて
眞理顯現たる物理法則のままの融解的世界顯現こそ宇宙の神髓なり。
820 :
818:2011/05/16(月) 13:53:18.87 0
>>818の例のように、パルス電流説さえも受動的だ。
821 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/16(月) 14:17:12.73 0
>>816 知覚も認識もこの場合は同じだよ
ただ主体が感覚受容器官か脳かというだけ
いずれにせよ意識に上がるためには
「物質である」だけでは条件を満たさない
822 :
(^e^):2011/05/16(月) 15:13:28.16 0
机に座って作業していましたが、
外に出かけようと思いました。 マジでw
この時、私の知覚になんら刺激はありません。
部屋は同じようにいつもの部屋です。
”外に出かけよう”という行為までの判断には「知覚」はこの場合関与してません。
常に情報があって脳が判断するというのは外部刺激に関して。
私はこれから内部発作に従って、これからでかけます。
(ついでながら、車ではなく自転車でw)
823 :
(^e^):2011/05/16(月) 15:15:06.49 0
書き込みするのは刺激への脳の反応ですね。このスレ的にはw
824 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/16(月) 20:32:55.46 0
825 :
考える名無しさん:2011/05/16(月) 20:58:14.10 0
そもそも物質なんてないんだよ。そういう概念で認識してるだけ。
827 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/16(月) 23:04:52.49 0
>>826 「外に出たい」とあなたの脳が結論を出したからですよ。
「外に出たくない要素色々」と「外の出たい要素色々」が
あたなの「脳内」で演算を繰り返して「外に出るべきだ」という
「当座の結論」を出し、あなたの「欲求」として「外に出たい」
という「表層意識」を大脳に結実させ、その結果をふまえて、
あなたは「外の出たい」という欲求を満たす行動・・「手足腰の筋肉への命令」
をした結果、あなたは「外に出ている自分に気づいた」のかもしれません。
結果論として(自分を納得させるために)俺は「これこれの理由で」外の出たかったんだ
・・・と自分を「納得」させれば、「一体俺は何のために何をやっているのか?!」・・という
パニックを回避できますので、
「俺が外に出たのは****という理由だったのだ」と「後付」でも(無理矢理)納得することは
(「(ご自分の)精神の安定」の為には)結構重要なのだと思います。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させていただきます。
828 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/16(月) 23:08:54.69 0
827の一部訂正です。
>「外の出たい」
→「外に出たい」
でした。
829 :
考える名無しさん:2011/05/16(月) 23:14:22.12 0
830 :
猫撫ディス:2011/05/16(月) 23:20:15.56 0
『世界』は『人の脳』が造り出したもの。
そして、『ただの脳』を『人の脳』にするのが『言葉』である。
Aさんは言葉を覚えた瞬間、はじめて『世界』が世界であることを知る。
言葉と認識が結びついたとき、Aさんの世界は生まれるのだ。
猫撫ディストーションの文書より引用
831 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2011/05/17(火) 00:06:55.74 0
>>829 「観念論の世界像」はおっしゃるとおり
>『世界』は『人の脳』が造り出したもの。
>そして、『ただの脳』を『人の脳』にするのが『言葉』である。
>Aさんは言葉を覚えた瞬間、はじめて『世界』が世界であることを知る。
>言葉と認識が結びついたとき、Aさんの世界は生まれるのだ。
ですが、自然科学の最先端である「理論物理学」と「大脳生理学」は、
『世界』は『人の脳』が造り出したもの「ではない」。
そして、『ただの脳』を『人の脳』にするのが(人類の)『言葉』である。
・・何故ならば「『人の脳』と『ただの(哺乳類の)脳』が「決定的に異なる」
・・のでなければ「困る」からである。
>Aさんは言葉を覚えた瞬間、はじめて『世界』が世界であることを知る。
>言葉と認識が結びついたとき、Aさんの世界は生まれるのだ。
・・ということは「言葉を知らない動物」には『世界』は存在しない(少なくとも
「認識できない」(その存在を知ることが出来ない)・・ということになります。
本日は就寝させて戴きます。
832 :
考える名無しさん:2011/05/17(火) 00:39:18.65 0
>ですが、自然科学の最先端である「理論物理学」と「大脳生理学」は、
>『世界』は『人の脳』が造り出したもの「ではない」。
作り出したんじゃない、自然の解釈の仕方であり、それは自然そのものである。
ただし側面でしかない、君が勘違いしているのは人の創造知識だと
レッテルを貼っている点です。反省するように。
833 :
猫撫ディス:2011/05/17(火) 00:39:54.75 0
アール指定ゲームですが 猫撫ディストーション 是非体験版をプレイしてみてください。
834 :
猫撫ディス:2011/05/17(火) 00:44:09.12 0
>>814 > 論理的には、いきなり脳みそを吹っ飛ばされたら
> その0.5秒後にそれによる知覚が生じる可能性がある、ということになる。
> もはや脳も無いというのに・・・w。
脳が無いのに知覚がどこにあるのでしょうか。
>>817 唯情報論は無くなってしまったのでしょうか。
>>827 家にいる場合、とにかく「外にでる」事が多いですね。
どこかに行くべき予定はない時でも「外に出」ます。
行くと決めた後、外に行って目的を見出します。
例えば、外にでて太陽の光をあびることは気持いい
ですし、車でなく自転車なら普段気付かないことに目が行きます。
運動にもなります、日常や仕事のことを考えるために
喫茶店で必ず一服します。
目的は後付けであり、出かけることが目的に先立ちます。
その過程で脳がどう判断してるかはあまり興味がありませんけどねw
>>832 「創造知識」って初耳だけど誰が言い出した概念だっけ?
838 :
考える名無しさん:2011/05/17(火) 00:50:18.58 0
>>836 野良猫が散歩に出たいときに散歩に出るという気持ちと全く同じ脳の衝動だよね
猫にも脳がある?w
脳はあるらしw
840 :
考える名無しさん:2011/05/17(火) 00:58:58.98 0
>>839 くれぐれも解剖してみようなんて思わないようにな!
猫にもちゃんと人間と同じような脳があることは常識だろ!
841 :
猫撫ディス:2011/05/17(火) 00:59:34.63 0
842 :
考える名無しさん:2011/05/17(火) 01:02:06.78 0
>>836 >喫茶店で必ず一服します
煙草は百害あって一利無しだから止めるに越したことはないぜ
>>842 1000円に値段上がってもやめないですねw
好きだからです。
煙草が電車で吸える時代に高校生でした。
あんな時代が戻ってほしい。
野良猫ならぬ、野良犬が蔓延る街。
煙草が堂々と吸える街。
あこがれますね〜
>>837 > 「創造知識」って初耳だけど誰が言い出した概念だっけ?
おまえ馬鹿?
幻想の類の知識ってこと。つまり妄想の類で触る時点で病気だってことだ。
846 :
818:2011/05/17(火) 01:44:21.68 0
道路を右から左へ行けば、右が入力で左が出力。
それを叩き切って、入力を電気パルスといってるだけだな。
意識の0.5秒前に電気パルスが云々って、単なる通路でしかない。
847 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/05/17(火) 02:11:22.78 0
>>826 それはねえ
「外に出たい」と思わせるような
何らかの刺激を受容したからだよ
>>836 それは「家に居ること」を、
不快と知覚-認識しているからだよ
849 :
818:2011/05/17(火) 12:14:30.63 0
まったく理不尽な説明は、
意識の0.5秒前に電気パルスが発生している。
と終わることである。
0.5秒後に意識を立ち上げるその理由は何んだ。
理由はないと言うのでも俺は十分納得できるが、
大方の人は納得しないであろう。
であるので、意識も部位だと俺は説明してみた。
850 :
考える名無しさん:2011/05/17(火) 12:20:26.01 0
(^e^) って電車じゃなくて
汽車に乗ってたほど
年取ってる感があるんだが・・・
>>835 >脳が無いのに知覚がどこにあるのでしょうか。
分からんばいw
しかし脳のどこに知覚があるのだ?
852 :
考える名無しさん:2011/05/18(水) 00:24:01.02 0
神経細胞とシナプス軸のネットワークは脳以外にも体全体に存在するが、
原始的なネットワークなどは末端の指先にすらあるわけで。
全部脳から1本の直線で繋がって途中がないとか信じている無知がいるってこと?
なるほど、では脳の機能の一部が手や足にも広がっている可能性はあるのかな?
唯物論者だという
>>851さんの
脳が無いのに存在する知覚の定義をどうぞ。
>>854 知覚とは第一義的には感覚と同義。
感覚とは感覚器官が何らかの刺激を受けることによって生じる意識現象。
まあ辞書のままだが
返答に困ったら「定義は?」とか言ってりゃいいと思ってんのか?
>>853 臓器移植の際に記憶転移が起こる事があるのはそのせいかもね。
859 :
考える名無しさん:2011/05/18(水) 09:13:12.44 0
意識という仕組みを持っていなくとも、感覚と所謂無意識による反応で生きている生物もいる。
感覚ではなく、「知覚」が意識を伴うものだということであれば、脳が無い場合それは生じようがない。
860 :
818:2011/05/18(水) 09:47:39.01 0
意識という仕組みを持っているから、感覚と所謂無意識による反応で生きている生物もいる。
と分かるのだ。
知覚と知覚対象を包括している機能が脳以外にあるよ。
>>861 そんなものねえだろ
どこにあんだよ?
言って皆
>>862 まずですね、すべてほとんどの人間の活動の中心を支えてるのが脳ですね。
だから脳科学者は脳の機能について調査研究しています。
ただね、その研究とかがね、脳の機能の一つの働きですね。だから脳以外ですね。
>>863 答えになってねえしw
だから脳以外ですねじゃねえよ
脳以外の何なんだよ?
ちゃんと答えて下さいよ
答えてますよ。「脳以外」とね。これちょっとわかりにくんです。
唯物論者というのは脳という物質を中心に立てておいて、その物質の機能が人間を動かしてる
と考えとります。
ただね、そうなるとどうもおかしなことになるんですね。
どうしてもその唯物論思想だけが、脳の機能以外になってしまうんですね。
そうすると上手いこと収まらないんですね、唯物論で。いつもどこかがね、はみ出てしまう。
そういうことですね。
>>865 >答えてますよ。「脳以外」とね。これちょっとわかりにくんです。
具体的に何?
>ただね、そうなるとどうもおかしなことになるんですね。
別におかしなことになっていませんが。何がおかしいのですか?
なんかおもしろいwww
869 :
ゲーム:2011/05/18(水) 11:33:51.84 0
忍法君、こういわなければ。w
人間と称される存在者の属性・機能は身体のそれである。
脳は、そのある部分を担っている。
その一つは、知覚を素材に“観念”を表出することにある。
「唯物論」も、そのようにして創出された複合的な“観念”である。
しかし、これは脳(身体)を起点とした見方にすぎない。
脳は起点ではないし、その機能にも自発性はない。
「そうさせられる」といったほうがよい。
むろん、そうせしめるのは“情報”である。
情報の受信、脳機能の始動、知覚、(ときには意図)といった経過をたどる(らしい)。
つまり私なら(物質の)脳以外を“情報”とみなします。
870 :
818:2011/05/18(水) 11:46:28.37 0
意識の0.5秒前に電気パルスが発生している。以上。
これで十分なのだ。それが科学だ。必要なのは検証できることで
理由ではない。
そこまで考えたら遅々として進まず、結局ガリレオは宗教裁判騒動に
巻き込まれた。
となろう。
871 :
ゲーム:2011/05/18(水) 12:25:11.03 0
動態としての脳は、いわば“情報”を媒介するシステムである。
だから、こうもいえる。物体としての脳(身体)は「情報→知覚→意図」を
媒介する“地”にすぎない、と。w
もう一つ。
そもそも脳の構造・属性・機能を規定したのは何か。
それらもまた情報の“受肉”の産物である。
ヒトの場合なら、それらは俗にいう“遺伝情報”が“肉”を貫くことに
よってその特質を植えつけられた…。
脳は情報によってその特性が規定されたシステムであり、それは情報を
絶えず受容しながらその機能を発揮する、いわば二重に情報に依存する
存在である。
唯物論と唯情報論を私はともに否定する。w
>>869 情報にしろ、観念にしろ、それは脳の物理的状態の一つに過ぎない。
脳が物質の構造であるように、情報も観念も物質の構造なわけで、
脳が物質なら、情報も観念も物質なんだよ。
873 :
818:2011/05/18(水) 12:41:40.56 0
物質にしろ、脳にしろ、それは情報の論理的状態の一つに過ぎない。
情報が論理の構造であるように、脳も物質も論理の構造なわけで、
論理が情報なら、物質も脳も情報なんだよ。
見わけがつかん。
874 :
考える名無しさん:2011/05/18(水) 13:04:09.08 0
機械は「観念」も『物質』であると言っている。
彼の頭の中に齟齬がないのはそのため。
機械の「物質観」は化学でいう物質ではない。
何もかもあらゆるすべてが『物質』であると断言している。
よって「情報」も「観念」も「感情」も「意識」も『物質』であるという機械的唯物論なんだ。
唯物論である。ただ”もの”ろん、なわけ。
>>867 「脳以外」と言ってるんですよ。ね?だからあなたも、おかしなことになっていません、
と言いながらおかしなことになってるんですね。
>>869 そんな複雑怪奇なこといってないですよ。
こういうのがいい例ですよね。あれだけ説明しておいて全然収まりきってないですし、
はみ出しっぱなしというもんなんですね。
お前はもう来なくていいよ。返り討ちにあわないうちに出てけ
>>875 脳以外って何か聞いているんですけど。答えられないのですか?
>>873 つまり物質も情報も同じってことでしょ。なら物質で十分です。
>>874もいい例なんですね。
それだけ収まらないんですね。ただ”もの”ろんとかいってるだけで、
脳以外ということが見当もついてないんですね。
こういうちょっただけはみ出ていてなかなか収まらないのが最も厄介なわけです。
どれだけ完璧そうな理論を構築しても、どこかに余りが出てしまうんですね。
>>877 脳以外と言ったら脳以外ですよね。残念ですがこう言うしかないんですね。
かならず「脳以外の何か」「脳以外全部」「脳以外の特定物」とか
あると推論するんですね。その時点ではみ出しまくってるわけです。
ですので脳以外ですね。
最高位みたいな変な人
882 :
818:2011/05/18(水) 15:21:34.55 0
昔はここも3日で1000レスは消費したものだったが。。。
883 :
考える名無しさん:2011/05/18(水) 15:35:02.23 0
885 :
ゲーム:2011/05/18(水) 17:37:59.19 0
>>878 いや、物質では不十分である。
奇を衒って“情報”を持ち出したわけではない。
脳は物体であり、構造と属性・機能を有する。
その点は、あらゆる存在者と同じである。
その特有の構造と属性・機能こそが脳たらしめているのであって、
それらが異なれば別のものになっていただろう。たとえば心臓とか肺とか…
それらの差異は“情報”によって決まる。
それとも、物質が自発的に脳や心臓を自製したとでもいうのだろうか。
そちらのほうが、よほどは奇怪である。
物質は自立できないし、また情報もしかりである。
“唯”を否定するゆえんである。
>>857 あーた、俺を「似非唯物論者!」て言いたいだけじゃんw
物理学といえども、「実在するものは全て物質である」として構成されてはいないでしょう。
重力は物質ですか?
スピンは物質ですか?
時間は物質ですか?
まあ、全部「物質」としてもいいけどさ。
「物質の・・・」とか言えなくなるだろ。なんせ全てが物質なんだから。
めんどくさいぞw
「物質」とは論理的に要請される実体の象徴ではなかろうか。
それが不満ならアリストテレスからひっくり返すしかない(読んだことはありませんがw)。
いずれはそうしなくてはならない時も来る。。。かもしれない。
それが可能なのかどうかすら私には分からんが。
>>880 つまり脳以外ということが見当もついてないのは君ってことだね。
>>879 >それだけ収まらないんですね。
収まっていますね。収まっていることが理解できていないのですね。
>>885 >脳は物体であり、構造と属性・機能を有する。
ある種の構造を持った物体の総称ですね。
>それらが異なれば別のものになっていただろう。たとえば心臓とか肺とか…
異なっているから個人差があるんですね。
>それらの差異は“情報”によって決まる。
いいえ。物体の構造の違いです。それを情報と言い直しているにすぎません。
>それとも、物質が自発的に脳や心臓を自製したとでもいうのだろうか。
そうです。
890 :
ゲーム:2011/05/18(水) 19:01:45.54 0
>>889 ご冗談を。w
君と、たとえば抄録氏とのあいだの身体(構造)的な違いは遺伝情報の差異
によって生じたもの。質料(素材)が自主的に凝ってw君の身体を形成した
のではない、といっているのである。
891 :
考える名無しさん:2011/05/18(水) 19:15:33.38 0
>>885 >脳は物体であり、構造と属性・機能を有する。
よく勘違いするのがすべての人や脳が個性なく同じ仕組みだと合理的に
捉えてしまう安易な考えである。
同じ人は誰一人存在せず、そして同じ思考でも同じ構造によって同じ
仕掛けで機能しているわけではない。動的に都合の良い仕組みが後天的に
生まれるのにすべて先天的な脳の構造が誰も同じように機能していると
錯覚してしまう。
>>887 >つまり脳以外ということが見当もついてないのは君ってことだね。
無理矢理ボロを出させようってのかいな?なかなかの策士なんだろうと思われる。
しかしながら脳以外ですよ。あんたの言うとおり、見当もついてないのは君だよ。
ここをわかっていただきたいんです。
>>888 >収まっていますね。収まっていることが理解できていないのですね。
収まっていることを理解できたら、それは被洗脳者ということになります。
でもこれは侮辱しているのではないんですね。
収まっていると自分で理解できている人々が被洗脳者なんですね。
要塞を築いて立てこもる思想犯みたいなんですね。脳の中で完結してるんです。
防戦を強いられるばかりで何の得にもならんのです。
>>889などは更にやばいわけですね。
こういうのは崩壊寸前の要塞を修繕するようなものなんですね。
>ある種の構造を持った物体の総称ですね。
>異なっているから個人差があるんですね。
>そうです。
この発言のすべてが脳内の蓄膿症みたいなもんですね。
すべてはみ出ようとしてるわけです。
というより、無理にはみ出ても思想を維持したいんです。
そうやって被洗脳者である気違いになるんです。籠城になるわけです。
癪に障ったら撃退する国境警備兵みたいになるんです。
>>890 遺伝情報の差異というのは、物質の構造の差異です。
その差異が自主的に形成したにすぎません。
\ /
\ 丶 i. | / ./ /
\ ヽ i. .| / / /
\ ヽ i | / / /
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-‐
ー
__ わ た し で す --
二 / ̄\ = 二
 ̄ | ^o^ |  ̄
-‐ \_/ ‐-
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/ ヽ \
/ 丶 \
/ / / | i, 丶 \
/ / / | i, 丶 \
偶然を操れないなら必然とかありえないよ、
まったくのデタラメとなんの違いもない合理的な思想にすぎない。
897 :
818:2011/05/18(水) 20:13:33.25 0
遺伝子だけでは人間という動物が、人に成れないのは知ってるか?
日本語が遺伝子に初めから組み込まれてもいないのも知ってるよな?
898 :
考える名無しさん:2011/05/18(水) 20:34:21.33 0
>>897 それでも遺伝子が99%影響しているのは事実である。
このスレ、パート100ぐらいからずっと見てきたが
最近頭がおかしくなりそうである。
我思う、故にか?
脳が他と変わらない、単なる物質だとしてもいいんだけど、
それを否定したがる脳も世界に複数存在するのは妙な気がする
>>899 でたらめなんてありません。君が理解できないものがでたらめに見えるだけです。
>>900 壊れたコンピュータがあることは不思議でもなんでもありません。
903 :
スモ:2011/05/18(水) 23:39:28.42 0
脳・のう・ノー!!
免疫系というシステムで考えては如何と
脳を取り替えてもその身体が、システムがそれを拒否するぜ
最近免疫に関する本を読んだので機械氏に先じて知ったかのレス
>>903 脳も体も物質なんだから、全体として物質のシステムとして動いているに過ぎません。
脳は物質だから、意識は必然に過ぎません。
システム論か
超絶どん出てこいw
>>904 >脳は物質だから、意識は必然に過ぎません。
前の行でなんの説明にもなっていないのに気がついてない馬鹿?
じゃ人間の形があれば100%例外なく機能するの?
君は状況が生む自然現象が高い確率で機能しているものを
状況を無視した前提条件「脳は物質だから」と言っているのに過ぎない。
試験管で培養した卵子と精子が人間の形になれば社会も家族もなくとも
人間として機能すると断言しているようなもの。
人は人の社会で機能させなければ人としてのマクロ的な機能は行わないし
脳もそれに相当する機能も発生しない。
907 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 08:44:08.79 0
>>900 そりゃそうだ。
世界的に見れば人口の99%が観念論者だから。
ここは超マイナーなんだよ。頭がおかしくなったとしても変ではない。
>>906 >じゃ人間の形があれば100%例外なく機能するの?
しますよ。
>君は状況が生む自然現象が高い確率で機能しているものを
確率というのは主観上に存在する概念であって実在しているものではありません。
観測主体によっては確率なんて存在しません。
>人は人の社会で機能させなければ人としてのマクロ的な機能は行わないし
>脳もそれに相当する機能も発生しない。
それはコンピュータがネットに繋がないと機能しなかったり、
ソフトウェアがないと動かないのと同じです。
脳も物質だから、意識は必然に過ぎません。
>>873 時間の経過での変化に物質の影響があらわれます。変化と時間と物質はセットであると考えられます。
情報は時間の経過に対して存在の痕跡を残すもの。変化への抵抗なのです。
すべてが情報なら何も変わらない世界です。
意識は必然だから、脳も物質にすぎません。
何にしろ、すべては必然ってことだな
912 :
ゲーム:2011/05/19(木) 10:28:52.38 0
>>897 >>873については、そのとおりである。
日本語が遺伝<情報>に「組み込まれていない」というのも御意だが、
ただし言語を習得する“機能”は先験的である。この機能の起源は、
日本語(英語その他)よりも遡り、それは“情報”として(一般的には)
遺伝される。
この言語能力をはじめ、ヒトの諸機能、あるいはそれら諸機能を可能
にする“構造”は、何度もいうように“質料(素材)”には内在しない。
それ(構造・機能)は<情報>と呼ぶしかない“意味の集積”として外来し、
質料(素材)を規定しつつ、両者は合体する。物体、システムと称される
存在者は、すべからく(超絶さんを思いだすねw)その産物である。
これが機械さんの機械的世界観を逆照射した世界像である。w
世界は“不確定性”を孕む機械なのかもしれませんね。
913 :
ゲーム:2011/05/19(木) 10:41:31.81 0
>>909 「変化」を可能にするものが<情報>なのでは?
ところでカラス君は女性ですか。どうよ?
「俺」と自称していたこともあり、男だろうとみなしていましたが、
ここでは珍しく礼儀正しいし、怒りっぽくない。w
まぁ、スルーしてください。
>>886 > あーた、俺を「似非唯物論者!」て言いたいだけじゃんw
そうかもwスレ主にも言いたい。
> 重力は物質ですか?
> スピンは物質ですか?
> 時間は物質ですか?
オレは物質だと思っています。
> 「物質の・・・」とか言えなくなるだろ。なんせ全てが物質なんだから。
物質を語る者も物質でいいのでは?
> 「物質」とは論理的に要請される実体の象徴ではなかろうか。
もちろん何かを物質で説明する場合は飛躍の無い論理的つながりが要請されるのでしょう。
915 :
ゲーム:2011/05/19(木) 10:59:31.91 0
>>886 アリストテレスの“実体”は「形相」であり、質料(素材)ではない。
つまり、素材(物質)から世界を演繹できない、という立場では?
>>913 > 「変化」を可能にするものが<情報>なのでは?
そうでしょうか。情報の定義が違うのでしょうか。
唯物論的には変化(時刻間の差)に物質の影響があらわれるので変化無しには
時間の経過も無く物質も無いことになります。
> ところでカラス君は女性ですか。どうよ?
> ここでは珍しく礼儀正しいし、怒りっぽくない。w
オレが女性だと?(怒)
礼儀知らずの怒りっぽいキャラ目指しているので心外です(プンスカ)
> まぁ、スルーしてください。
女性と思われてもどっちでもいいやw
でも女性だから怒りっぽくないということは無いような。
917 :
818:2011/05/19(木) 11:27:11.32 0
>>916 飛べないカラス君(物質)はどうやって
変化なしと気づくのかな?
918 :
不動明王:2011/05/19(木) 11:32:38.85 0
のうまくさんまんだーばーざらだんせんだーまーかろしゃだそわたやうんたらたーかんまんの
うまくさんまんだーばーざらだんせんだーまーかろしゃだそわたやうんたらたーかんまんのう
まくさんまんだーばーざらだんせんだーまーかろしゃだそわたやうんたらたーかんまんのうま
くさんまんだーばーざらだんせんだーまーかろしゃだそわたやうんたらたーかんまんのうまく
さんまんだーばーざらだんせんだーまーかろしゃだそわたやうんたらたーかんまんのうまくさ
んまんだーばーざらだんせんだーまーかろしゃだそわたやうんたらたーかんまんのうまくさん
まんだーばーざらだんせんだーまーかろしゃだそわたやうんたらたーかんまんのうまくさんま
んだーばーざらだんせんだーまーかろしゃだそわたやうんたらたーかんまんのうまくさんまん
だーばーざらだんせんだーまーかろしゃだそわたやうんたらたーかんまんのうまくさんまんだ
ーばーざらだんせんだーまーかろしゃだそわたやうんたらたーかんまんのうまくさんまんだー
ばーざらだんせんだーまーかろしゃだそわたやうんたらたーかんまんのうまくさんまんだーば
ーざらだんせんだーまーかろしゃだそわたやうんたらたーかんまんのうまくさんまんだーばー
ざらだんせんだーまーかろしゃだそわたやうんたらたーかんまんのうまくさんまんだーばーざ
らだんせんだーまーかろしゃだそわたやうんたらたーかんまん
919 :
ゲーム:2011/05/19(木) 11:59:55.72 0
>>916 そうですね。ラビ女史の例もあるし…
>>908 これはラビ氏だろう? 宗旨がえしたようだね。w
「人間の形」が曖昧だが、常識にしたがうとして…
人間の形をしていても、Q君が敬愛するヘレンを筆頭に
何らかの機能不全者は少なくないし、反対に両手両足を
欠損した“人間”も現に存在する。
これらは「情報と質料の合体」に不確定性がしのびこむからで、
その確率をゼロにすることは原理的にw不可能。
“確率”は存在者の非・決定論的なありようを指している。
921 :
ゲーム:2011/05/19(木) 14:27:20.01 0
>>920 その“個性”なるものは「情報と質料との不確定的な出会いw」によって生じたもの。
そこに一意(必然)性はなく、そうみえるとすれば、それは主観の限界が生む仮象。
人間の形をしていれば個性的であり、かつ似ている。
これは、犬にも猫にも薔薇にも桜にもいえる。w
原因という確定的な事物はない。存在は揺らぎ続けているいるだけ(らしい)。
原因/結果は、主観に受け入れられやすい(概念的)世界把握であり、原因や
結果が事象に「ある」わけでもなく、ある現象の原因を特定して指すことは
不可能。それが可能なのはモデル(概念)上の話である。w
昔みたいに例をあげて、この議論をやりますか。w
>>921 >その“個性”なるものは「情報と質料との不確定的な出会いw」によって生じたもの。
君には不確定に見えただけ。
>そこに一意(必然)性はなく、そうみえるとすれば、それは主観の限界が生む仮象。
あります。すべては必然です。
>原因という確定的な事物はない。存在は揺らぎ続けているいるだけ(らしい)。
君にはそのように見えるだけでしょう。
>原因/結果は、主観に受け入れられやすい(概念的)世界把握であり、原因や
>結果が事象に「ある」わけでもなく、ある現象の原因を特定して指すことは
>不可能。それが可能なのはモデル(概念)上の話である。w
ビルの上から飛び降りれば、原因も実在も存在することがわかるでしょう。
923 :
818:2011/05/19(木) 18:06:25.92 0
お前はいつ飛び降りたんだ?
>>914 全部「物質」かよ。そいつはチャレンジャーだw
まあ、普段使う「物質」なんて言葉は場当たり的な方便に過ぎない、とも言えなくもないですね。
個々の主観からは独立する実在の実体性を丸投げする意味として成立する言葉、それが物質。
・・としてしまうことも可能かしら。
(※「実体」はゲーム氏によればもっとややこしそうであるがw)
しかし本気で全部物質としてしまうと困ることもあるのでは?
例えば貴方の言われる
>時間の経過での変化に物質の影響があらわれます。変化と時間と物質はセットであると考えられます。
貴方によれば「時間」も物質であり、ならば「変化」も物質とすることに論理的な障害(=飛躍)はない(ありますか?)。
「影響」とか「セット」とか「現れ」とか
あらゆる概念はつまるところ物質である、とすることができそうです。
ならば貴方の言う「時間の経過での変化に物質の影響があらわれる」とはいかなる意味だろう・・・?
この文中での物質は「物質一般」であり、さらにそれが全てであるとするなら、
それは「物質の意味」の消失となり、「物質と・・」とか「物質が・・」とかの言い立てには意味がなくなってしまう。
そう思いませんか。
ところで物質は情報に解消させることができるのか?
「複合する本質(≒相関の発現可能性)を統合する担体」として意味は事実として有効に存在しているので、
「持続的(連続的)な本質が発現する単独の“子”」の意味は最後まで物質として残るように思う。
なぜなら、「ある種類の“子”(水素原子とか)」以外の何ものも、その特定の本質を担うことは叶わない、
そのような「子」の存在が認められるからです。
(しかし量子情報理論はそれを超克してるのかしらん?)
考えてみれば不思議な言葉だ「物質」。いや不思議なのは「言葉」の方か・・。
>>915 あたくし、形相とか質料とか、どうにもピンと来ないのですよ。
漠然としてて、物理量でもないし・・。
私の哲学の知識はほとんど薄い哲学事典に依っていて
「実体」の項目には
“実体とは、(アリストテレスによれば)主語となるが述語とはならないもの。”
とか書かれてるわけです。
それで私は「ああ、言語(≒論理的)に解消してしまったんだな。」
と解釈してるわけです。なので、「実体」は言語構造的に要請される相対的な配置でしかない。
このように規定してしまうと、それが自然に実在する実体を示しているのか極めて怪しい。
論理的な繋がりに於ける方便としてしか「実体」は存在していないように思える。
すなわち自然には「実体」など無い。。。
しかし客観的実在はある!!「実体」なる関係性も自然の写像。
論点先取と言われようともこの結論こそが最高に有効。
文章が理知的なだけで
何の証拠もない
妄想スレ。
洗脳される者たちを即刻解放するべし。
泥沼をさけるためスレと支持者の
by共産主義者一同
実体という言葉の意味が単なる文法上の制約でありそれ以上でもそれ以下でも
ないということがもし証明されたならば、不死の霊魂や「最初の一撃」として
の意志の自由といった神秘主義を根こそぎ駆逐することができる。
しかし現時点では最高峰の知性を持つといわれる人々でもってしてもこのこと
を証明出来ずにいるというという事実は、ほとんどの(おそらく全ての)人間
がいまだに漠然とした酔狂な夢想の中に生きているということを示唆している。
現時点においては、個別な現存在(個体としての自我)の実在性とその「純粋な
能動」の実在性については健全な推論によってすら適切に論駁することが
出来る段階にはすでに到達している。
しかし個別性としての自我を相対化してゆく途上で必ず現れる「統括的な全体」
そのものの感覚中枢の実在性や「差異性を保存する働きを含意する無制約な機能」
の実在性に関して言えば、そこは人間の知性にとっていまだ手つかずの未知の
領域なのである。
>>926 > 文章が理知的なだけで
> 何の証拠もない
おまえは何か勘違いしているよ。
証拠とか必要に思うやつは物理板にでも逝けばいいさ
>>927 見てるだけで酸欠になりそうだわ
スモっちなら登れるのかしら♥
930 :
スモ:2011/05/19(木) 23:48:24.42 0
>>904 ああすまん
流れを読めてなかった
というか、自分で思うところがあってレスしてしまっただけでw
まだうまくいえないんだが・・・
「自己性」と「個体性」は、その両者が同一に示されるものの規定として扱う必要がない
「今まさにこれが私だ」と考えることの“自分(という存在)”の捉え方と、
私がこの私以外と隔てる構成を決定している“自分(という存在)”の捉え方には、
まったく異なった理解で示されている
ぼくの勝手な問題意識なんだけど
一であり多であることの、「実体」とその「属性」との関係についての理解に
そのことがアナロジーとして活用できる
931 :
スモ:2011/05/19(木) 23:55:38.70 0
>>904 では本題で、
>脳は物質だから、意識は必然に過ぎません。
この表現に何が強調され何を言わんとしてるかが理解できないくらいにぼくの頭はイカレてきてるがw
とりあえず端的に、
では「何」が偶然なのかを訊ねてみたい
情報の扱いに偶然という概念が介在するだけ、というような理解でしょうか?
オレはよくわからんのだが、
科学の方法ってのは客観世界の存在を前提としてそれぞれの網目でもって理解を捉えたものだ
そこには必然がある
しかしもし仮に、網目を細かく結局その自然とまったくの似写しに理解したなら
そこで、「すべて必然だから、すべて決定しているから」ということが
「すべて偶然であり、すべて決定していない」と表現することと、どこに差異が示されるのだろうか?
いやつまり、貴方が「必然です」ということで何を語れているのかがわからない
932 :
Q:2011/05/20(金) 01:10:03.65 O
>抄録さん
僕らは世界についてはほぼ何も知らないわけで
「実体がある」というのも思考の前提においてであり、
「実体がない」という仮構を考えることもまたできる
もし、そのような仮構において、
「実体がある」と考えて、
「実体がない」と考えても
それ以外に何の違いもないならばどうでもいいことではないでしょうか?
しかし、それぞれの結論には論理や文法上の違いが発生する
これは、実体の有無を考えることが文法上の問題を考えるメタファになっているのではないでしょうか?
人間は世界そのものを思考することなどできないわけで
世界への考察を通して、自身の思考の枠組みを自己批判することが哲学の役割であると思います
933 :
Q:2011/05/20(金) 01:23:45.34 O
>ネコ
僕がヘレン・ケラーの『楽天主義』を読んで驚いたことが
彼女は神学における難題の神義論を彼女なりに回答していたことだ
その回答はキリスト教会の権威に染まった者とは違う回答だった
神義論は、「神は全能であり、神が善の性質があるならば、なぜこの世界には悪があるのか?」という問題で
彼女は「悪がなければ善は善足り得ないから」と回答していた
彼女の文章は論文調ではなかったけど
彼女は、「悪にもいいところがあって悪を許容しないことは善としては不完全である」と回答していた
なかなかに鋭い感性だなと感じたよ
偏屈なモラルに縛られた論者よりずっと優秀に感じたよ
>>932 んー・・
そのスに思考の焦点を合わすのに違和感を感じるというか
統一した思考構造が私には読みとれないので
ちょっと何とも言えないです。
追々、考えます。
935 :
ゲーム:2011/05/20(金) 09:19:08.01 0
>>925 或る時代まで、言語は抄録氏のいう自然(世界)の布置と対応する符牒だった。
実体という言葉も例外ではなく、これに対応する何かが存在する、と(たぶん)
アリストテレスは考えていただろう。
この「実体」という漢語は、アリストテレスの“実体”観に沿っている。
抄録氏はどこまでも“子”を解消することはできないと述べ、“実体”を要請
しつつ他方、それは言語上の配置が生んだ“仮象”であるとも語り、例によって
「たゆたひ」を示す。ww そのあげくに機械氏その他科学主義者たちと同様の
“客観的実在”にまで後退したのはいかがなものか。そこが“始め”ではないか。
936 :
ゲーム:2011/05/20(金) 10:56:49.22 0
「粒子から量子へ…」照準がうつされたとき、実体観、というか、
実在観に飛躍があったのだろう。
まず客観的実在、いいかえれば“実態”なる概念が虚妄にすぎない
ことが露わにされた。「実態がある」とみなされてきた客観的実在
が不確定的な、すなわち確立的に(いわば賽子の出目に随って)推移
する奇態な存在であることがみえてきたのである。ここから私たち
は「論理的空想」を紡がなければならない。w
少し知ったかすれば「子」は実(み)という意味。「体」は“中身”を
連想しがちだが、カタチ(形)という意味だ。実体とは、子=実のカタチ
のことである。本質的なもの(実体)はカタチ(形相)にあるという認識
を踏まえた和製漢語であることがわかる。
>>931 >そこで、「すべて必然だから、すべて決定しているから」ということが
予測できるものもあるし、できないものもある。
>「すべて偶然であり、すべて決定していない」と表現することと、どこに差異が示されるのだろうか?
予測できるものはない。
938 :
ゲーム:2011/05/20(金) 11:24:25.08 0
>>924 の物質は情報に還元できるのか、という問にはのちほど。
逆は不可能でしょう。
“世界”に差異を生じさせたのは…、たとえば抄録氏とラビ氏の違いは
質料(物質)の差異によるものではないからだ。
939 :
ゲーム:2011/05/20(金) 11:46:31.59 0
>>933 ヘレン・ケラーに残された感覚は「触覚」の他には何が?
味覚は?嗅覚は?
940 :
考える名無しさん:2011/05/20(金) 13:09:12.80 0
無宗教で科学の専門分野も勉強してないが、偶然と必然は同じものだと思う
人間が自分の主観で決めてるだけで、元から決まってるんじゃないかと。
だから、決定論が量子物理学上の不確定性で否定されたと言う人がいるけど、
それは、科学の枠の中の話であって、人生観としては決定論というか運命論を信じてる。
根拠とか証明はできないけどね。
941 :
考える名無しさん:2011/05/20(金) 15:41:09.31 0
>>938はおかしいね。
抄録とラビのあいだに形態的差異をもたらしたのは、物質の内発性によるものではない。
伝送されてきた『情報』がそれを現出した。これもおかしいか。
>>940 >だから、決定論が量子物理学上の不確定性で否定されたと言う人がいるけど、
物理学が決定論を否定したことはありません。
量子論は決定論的要素を対象としていないので、
その理論上で、量子論が決定論について語れないだけです。
943 :
考える名無しさん:2011/05/20(金) 16:36:44.64 0
>>942 ん?そうなの?専門家じゃないから良くわからんけど、
なんせ決定論や運命論が自分の人生観にあってて好きなんだ。いい意味で。
後悔しなくなるからねw
>>940 サイエンス(科学)の反意語はナチュラル(自然)、
自然にあることは必然とか偶然という。
>>942 AがBを生じさせるという因果関係を認めるなら決定論は否定される。
それが理解できない物理学者の哲学的な頭が悪いだけ。
>>947 AやBが何を示しているのかわかりませんが、
物理学は決定論を否定しません。というかそれができないことを物理学者は自覚しています。
脳は物質であるそして意識は錯覚に過ぎない
950 :
考える名無しさん:2011/05/20(金) 19:01:30.08 0
金で雇われた人が
一人で
このスレで
自作自演を
している
ということです
決定論:スレは自演だからインチキは必然に過ぎない
951 :
考える名無しさん:2011/05/20(金) 19:34:09.57 0
決定論:2ちゃんねらーが2ちゃんねらーになる事はビッグバンの前から決まっている
漫画のアキラで登場人物の女のコが
不思議な力は(超能力?)は人間の内にあるなら、それは宇宙の中にも存在するんだろうか?
更にビッグバンの前からその力は宇宙に込められてたんだろうか?
みたいなこと言ってたような気がする
ヘブライ人の知性はどの地点で立ち止まり辺りを俯瞰するか?
例えばスピノザは少なくとも彼自身の頭の中では「全体」以外の余計な実体を
ことごとく相対化することに成功したが、その瞬間にすべてが振り出しに戻った。
「世界は絶対的に法則性が欠けている。」と法則性自身が証言する。
個々人における意識の経験の歴史は感覚から知覚へ、知覚から思考へ、
思考からメタ認識へ、そしてメタ認識から認識自体の破滅へと推移してゆく
一連の過程を永遠に繰り返す性質を持っている。
新しい日の出は大抵において元々そこにあった我々自身の古い地層の再発見で
しかない?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・!!
>>952 超能力には2つあり、神の力を使う奇跡と、悪魔の力を使う魔術、
そして人の力で行うそれは技術という。
技術なんてどこにでもあるさ。奇跡と魔術の区別すらできないやつに
何を説明しても無駄だけどね。
「関心的」という言葉の意味
例えば晩年の芥川龍之介はその戦慄と共に関心的なものである。
しかし彼のように後先が逆になるようでは関心的であることは美しくない。
彼はまず前半生において沈黙するという僥倖に恵まれなかったというただ
それだけのために、物の怪の類と遊び戯れることの密かな楽しみを享受する
力の余裕を持つことが許されなかったのである。
956 :
(^e^):2011/05/21(土) 01:00:10.87 0
とにかく、瞑すべし…
ち〜ん
ご臨終です
. ,-、 nn
..r-、 _00 /::::'┴'r'
..|::::'´::::r┘ !「`L00、|.l└ク_;厂 /
..|::::「|:::| l| |Ln:::r┘|.l _lニユ、 ./
.. ̄└r''"´]_ l| | r゙=゙┐ |└ァ::/ / /
.、ヽ、 ,ゞ´_::::| l| |「二:::7 .|.l └′/ / /
.. \\`´ |:::|. l| l 〈::/ ! '/
. \ ̄ l
___
/ \ _______
/ \ /
| (゚) (゚) | < 十年越しのニートスレ
| )●( | \_______
\ 廿 ノ
\__∪ /
全てが恵まれた贅沢と充足のただ中にあってため息を漏らす親愛なる君へ。
生きることを関心的にしてくれる新しいオモチャが欲しいの?
君が世間の君に対するあこがれと羨望の眼差しにいささか食傷気味でうんざり
しているのはよくわかるよ。
要するに君は本当に柵の向こう側に関与したいんだ。
選手権とでも言うのか、ともかく君にはその出場資格がすでに与えられている
わけだ。
最初から一番くじを引いてしまった君のことだから、世間が怖がっているような
ことなんか一向に気にもとめないはず。君は本当に物好きで勇敢なめずらしい
人だ。
僕と一緒に向こう側へ行ってみないか?そこには今まで君が見たこともなかった
ような奇妙で不気味な事件や、一度深みにはまったらどんな賢者でも抜け出すこと
が出来なくなるような美しい場所やらが沢山ある。そこでは君が自由に空を
飛び回るのを妨げるような鬱陶しい重力は何もない。
これは僕と君だけの秘密だよ。なぜならほかのやつらは僕のこの話を聞き取る
だけの条件を最初から持っていないからね。
もうこのスレ要らないよ
スレタイ自体が論理破綻してる
金で雇われた人が
一人で
このスレで
自作自演を
している
ということです
理由:脳は物質だから
結論:意識は必然に過ぎない
10年以上金で善良な人々を釣っているということです。
だから常時公安警察が監視しているのです。
>>924 > それは「物質の意味」の消失となり、「物質と・・」とか「物質が・・」とかの言い立てには意味がなくなってしまう。
唯物論は非物質という主張に対して差異があります。物質は物質以外との相互作用は想定されていないので
物質と非物質との関係を説明できません。非唯物論は唯物論の範疇での関連性を拒絶しているのです。
> ところで物質は情報に解消させることができるのか?
情報は物質無しには時間経過による変化が不可能だと想定されるのでしょうか。
> なぜなら、「ある種類の“子”(水素原子とか)」以外の何ものも、その特定の本質を担うことは叶わない、
もし水素原子以外が水素原子の本質を担ったらそれを何と呼ぶのでしょうか。
963 :
考える名無しさん:2011/05/21(土) 20:09:53.88 0
決定論:2ちゃんねらーが2ちゃんねらーになる事はビッグバンの前から決まっている
んなわけない。確率的に常に変化する、してるだろ。
なら決定してることを事前に知ることができれば、どうなるの?
大金持ちはニートでもお金をすべて捨てても大金持ち?
非決定論者はうつ病の前兆?
非決定論は決まっていないという論です。この論を信仰してしまう人はどのような
特徴があるのでしょうか。
決定論では予測は決定されている未来をなるべく正確に描くことです。
非決定論では未来を思い描いてもそれが実際の未来の事実となるかは未来次第
なのでしょう。こちらの予測する努力に応じて未来が予測に当たってくれるということは
ありません。予測を努力するだけ無駄だというのです。
普段私たちは未来がどうなるか予測しながら生活しています。しかしそれが嫌に
なったら非決定論を信仰してしまうこともあるかもしれません。
自分の頭脳を使い思考する日常生活が嫌になることが次第に進行していくとやがて
うつ病になるかもしれません。
金で雇われた人が
一人で
このスレで
自作自演を
している
ということです
非決定論者を病人扱いする詐欺的行為も横行しています。
スピリチュアリズムでは霊魂は実在だから霊界は必然ですよねー。
>>962 物質がなんであるかもよく分からんのに「非物質」とか、さらに分からん。
何ですか「非物質」とは?
>情報は物質無しには時間経過による変化が不可能だと想定されるのでしょうか。
いや私は知らない。
>もし水素原子以外が水素原子の本質を担ったらそれを何と呼ぶのでしょうか。
その「水素原子以外」とは、例えば何ですかね?
水素原子の本質を持つから水素原子なのでしょう。
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
iiiiiiiillllll!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!iiii,,,,
l"""",,,,,,,,iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii,
|||||||||||!!!!!!!"""""""""!!!!!!!lll!!》
.i|||||~~~~ ___ ..!!!》!
巛/ ’,,,iiiiiiillllllll!!!!! iiiiiii,,,,,,,,, |
| """"≡ 。ヽ _ ""'|
.⌒”丶 . `_彡" ( °) |
(('.'). / " ⌒ 、.《 ~ヽ⌒' ヽ 日本を腑抜けに…
..'’、 ' ,,,!” ... ___) |
.ゝ ` ' ⌒_~ ⌒' | するために…
| ~~ '___ |
.|.. ,,,,,二二二ミ, | 10年続けたスレだ…機械
..| |
...|... "'!!!!!!!'" |
|、 ..|
..| へ ソ ....|
人間の形態と物質と情報の話は落ち着いちゃったのかしらん
DNAは遺伝“情報”などと言われますが
塩基配列がヒトの形態の「設計図」であるとは言い難いのであります。
DNAはそれが物質であるからこそ、
物質が「内発的に」人間の形態となるときの重大要因となっているのである。
塩基配列は「(できあがってしまった)ヒトとヒトの知性にとって」は
有益な「情報」であることはたしかに間違いないようだが、
自然にとって「物質としてのDNAそのもの」を度外視した「塩基配列(≒順列)」には
何の力もないのである。
970 :
考える名無しさん:2011/05/21(土) 21:42:47.56 0
※964
決まってないからこそ前頭葉つかって状況判断するんじゃないの?
うつ病は脳の病気。
>>964 > 非決定論者はうつ病の前兆?
そうそう君のような統合失調症はそういう風に考え出すのね、
薬のんでいる?
972 :
スモ:2011/05/22(日) 00:27:57.38 0
ハンマーを作るためにはそれを作る道具が必要で、
その道具を作るためには、その道具を作るための道具が必要であり、また。。。
真理を測るための手段にも同じことがいえる
スピノザは結局のところ、生得の道具があるゆえにうんぬん・・・という言い分だが
少し納得いかない
真理を測れる道具なんてない
もし、そんな眼鏡で世界を見ることの真理が示されているとするなら
その眼鏡に映る世界は真理を表現している、ということが成り立つ
しかしその場合、その眼鏡がその世界由来の産物であることからも
真理とはその(様々な)眼鏡におけるその(様々な見方の)世界の合理性に定義されることになる
「(本当の)世界と関係なく、眼鏡(の精密さや種類)が真理になってしまう」という批判をしてるわけじゃない
上述のような関係(成立)における世界そのものを否定することでの、
そのような真理の定義は真理として認められない、ということを問題にしている
真理を測れる道具は得られない
しかし、そのことは(正しい)真理を示せないことを意味しないし
そのための、生得の道具があること(道具の目的としてではなく)には意味がある
なぜなら、その理由をなくして神は自分自身を理解することが出来ないであろうから
973 :
スモ:2011/05/22(日) 00:31:37.61 0
なんとなく、水面下で沸きのぼりつつある懸念や疑念の意図を感じての
ぼくなりの回答だ
とりあえずそれだけ
じゃまたねw
/:::/..::/ ヽ::ヽ 、f巛彡vy ヾ
/::/キモヲタ、デブヲタ、ガリヲタ、DQN、短小、いんきん、淋病、梅毒、ヘルペス、エイズ、
白癬菌、潰瘍、ボツリヌス菌、病気、毒、ドーピング、VX、サリン、タリウム、プルトニウム、
赤痢菌、テトロドトキシン、パリトキシン、麻薬、阿片、コカイン、ヘロイン、5MEO、地獄、
坐骨神経痛、激痛、エイズ、ウィルス、基地外、ヒステリー、ガン、成人病、高血圧、高血糖、
肥満、高脂血症、糖尿病、骨粗しょう症、頻尿、夜間頻尿、失禁、脱糞、徘徊、独り言、
妄想、被害妄想、精神分裂症、神経症、::::/ \ / l::::i::i /^ ⌒ゝ巛彡 ヽ ・
|::::i:::l <●> <●=============) イ巛彡 >=========
|::::i:::l △、高脂血症、糖尿病、骨粗しょう症、頻尿、夜間頻尿、失禁、脱糞、徘徊、独り言、
妄想、被害妄想、精神分裂症、神経症、うつ、シミ、シワ、メラノーマ、皮膚病、目糞、鼻糞、
多動症、精神年齢、チック、かんしゃく、性器いじり、バセドウ病、複雑骨折、ゲボ、吐血、
下血、無宗教、狂信者、内臓破裂、大蔵もて王サーガ、天動説、低学歴、中卒、小卒、
パラノイア、パラサイト、寄生虫、蛆虫、蝿 l::l::::| / _ _,,,,,,_ ソ巛彡 彡 ゚ 。 ・
 ̄しヽ 'ー=三-' /ソ ̄ .|!_ニ_暴走族、右翼、リーゼント、麻原、グル、原爆、核、ナインスゲート、13日の金曜日9、
バイオハザード2(映画の)、青木さやか、ホモ、去勢、インポテンツ、クソガリ、
使えない筋肉とか云ってるクソガリ、インチキカール、反動ベンチ、器具を落とす、ババア、
ヤンキー、アンパン、シャブ、不倫、離婚、再婚、教育費、175 :濃密なドジョウ汚染かな?:2011/05/22(日) 00:37:04.96 0
/ rデミ \
/ `ー′ /でン \ サラ金、延滞料金、
打ち首、切腹、アイアンメイデン、ローゼンメイデンの良さが解からない ".━
280 :考える名無しさん:2011/05/19(木) 17:09:02.16 0
はたしてそうかな?
PpPPpppppppppppppppppppppppppppPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPpppppppppppppppppppPPPPPPPPPPPP
281 :考える名無しさん:2011/05/21(土) 12:04:51.70 0
\ ` .◞≼◉≽◟ i、◞≼◉≽◟ /
ヽ.. / ー-' ヽ / 純一が裏2ちゃんねるで
ヽ : !. -=ニ=- ´ . ,ノ 大暴れしとるようじゃな?
282 :考える名無しさん:2011/05/21(土) 19:28:47.62 0
/ ─ ─\ (;;;;;;;
/ -=♛=- i、-=♛=-\ ) ;;;;)
| ,ノ(、_, )ヽ |/;;/
\ "ー=〓=-'` ━・'
/ ̄ ̄ ̄ ̄´\ / 自演のかぜ嵐が今日も
ノ ノ .____/ 吹きまくっとるようじゃな?
▂▃▃▂ ▄◢▀◣▃
▄◢▀◣▃▅◤ ▐◣ ▆ ◢▌◥▅▃▂▃▅◤ ◥◣
▐◣ ◞≼◉≽◟▆ ◢▋ ◞≼◉≽◟ ◥▃◢◣▃◤ ▲
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▅▀ ▲ ▂ /゚ヽ ▐◣▂ ◞≼◉≽◟ ▅▀
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141 :考える名無しさん:2011/05/17(火) 19:50:40.70 0
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
./ ◞≼◉≽◟ ◞≼◉≽◟ ヽ
| | ̄| | 本日とは何かね?
ヽ  ̄ ̄ / 睡眠物質たん居るんじゃろ?
| | | | |
.ノ .ノ ヽ ノ .ノ .| プシュカプシュワカ♪プシュカプシュワカ♪
(_ノ (_ノ .| プシュカプシュワカ♪プシュカプシュワカ♪
/ ″ ν. \
(( (( (( /_ ヽ、__炎_,ノ_ \ ウィンウィン
 ̄ \_ \(U)/_/ ̄ ウィンウィン
978 :
考える名無しさん:2011/05/22(日) 03:54:29.56 0
|\____/ ̄\____/ ̄\____/ ̄\____/|
|\____/ ̄\____/ ̄\____/ ̄\____/|
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|\____/ ̄\____/ ̄\____/ ̄\____/|
|\____/ ̄\____/ ̄\____/ ̄\____/|
|\__◞≼◉≽◟/ ̄\____/ ̄\_◞≼◉≽◟/ ̄\____/|
|\____/ ̄\____/ ̄\____/ ̄\____/|
|\____/ ̄\____/ ̄\____/ ̄\____/| なんという
|\____/ ̄\____/ ̄\____/ ̄\____/| 虚しさ
|\____/ ̄\____/ ̄\____/ ̄\____/| 何という
|\____/ ̄\____/ ̄\ト‐=‐ァ'_/ ̄\____/| 虚しさ
|\___/ ̄\___/ ̄\` `二´'/ ̄\___/| すべて機械は
|\__/ ̄\__/ ̄\__/ ̄\__/ 虚しい?
/´ ヽ` ̄ ー-゙:.、
i - 、 `ヽ_
979 :
ゲーム:2011/05/22(日) 12:09:42.69 0
>>969 スモ君の例を借りるなら、ハンマーをつくるためには素材(質料)と、
その“つくり方”が必要。「つくり方」とは知識(情報)であり、非物質。
ハンマーの本質(構造・属性・機能)を規定するのは情報であって、素材
ではない。それとも素材(たとえば鉄と木)を放りだしておけば、自発的
にハンマーになるとでも? その確率はきわめて小さい。w
昔、抄録氏の好きなリイサではなく、作品『モナ・リサ』を例にあげて
のべたことがある。作品は物体だが、その“全体性”を画材に帰すこと
は不可能。素材(画材)が内発して『作品』をなすことは、絶対に近いほど
ありえない。w
遺伝子もまた物体であり、かつ情報である。その複合としてある。
遺伝子を遺伝子たらしめているのは素材にはなく、情報。
二重の意味でそういえる。
人工から自然へと視界をうつしても、この“絡み合い”はどこまでも
遡及できる。
980 :
考える名無しさん:2011/05/22(日) 23:53:40.86 0
>>963 お前みたいなアホには理解できん。
理解する為の部品が何個も足りてないからな。
アホすぎて説明する気にもならん。
981 :
Q:2011/05/23(月) 00:40:54.79 O
>>964 シミュレートとエミュレートの違いだよ
未来をエミュレートすることはできないけど
未来をシミュレートすることに意義はある
>>981 >未来をエミュレートすることはできないけど
それ妄想だから、主観的な予知ってやつな。
>未来をシミュレートすることに意義はある
それ幻想だから、客観的な予測ってやつな。
どっちも真実の未来ではないのは自明である。
そしてあなたは片側しか知らないかもしれんが両方ともできる類
である。まあ決定論主義だと未来はこれから決まるのではなく
すでに決まっているから解釈の側面が別次元なんだろうけどね
決定されていることを知る方法はある。
嘘をつくんじゃねーってんーで!
なんだバレたか。嘘でつよ。
しっかし、決定されているのだよ。これはなぜか確定しているんだよ。
誰もが決定されてることを生きている。
987 :
Q:2011/05/23(月) 16:31:14.98 O
暇だ、、
>>979 情報の定義は未だ確立はされてないようですが
とりあえずは、ゲームさんの言われるように
情報とは「知識・知恵」なのでしょう。
知恵とは、「物質の性質、振る舞いを利用する能力」でしょう。
ならば知恵とは、「ヒトありきで成立する、そのような性質の意味」。
遺伝子は“ヒトにとって”利用可能な情報であるとも言えるでしょう。
先天的遺伝病とか、才能とかの予見が可能であるのはヒトにとって無意味ではない。
しかし生物形態の成長段階(いわゆる発生)に於いて、ヒトが関与する余地などない。
DNAにはその塩基配列によって本質(発現可能性)が成立しているのであり、物質はその発現可能性に従い
自発的に「(いわゆる)システムを“積み上げる”」わけです。
「どこまでも遡及」云々を言われるなら、
この人体の発生、成長、
その結果としての複数の人体による社会の成立もその延長上にあり、
そこでは「情報」とか「絡み合い」の意味は消失し、
ハンマーもモナリザも「長い時を駈けた物質の振る舞いの物語」に解消されるでしょうw
(物語とか・・また揺蕩ったわけですが)
989 :
考える名無しさん:2011/05/23(月) 17:44:31.82 0
何もかも物質であるというスレ主的考えからすれば、情報も物質。
脳という物質が記憶を蓄え、それを書物や音声といった物質を媒介して他の脳に伝える。
この間情報が物質以外の何かであったことはない。脳に物質以外の何かがない限りは。
990 :
考える名無しさん:2011/05/23(月) 17:57:25.05 0
>>988 それならば伝播する情報・知識と、能力としての知恵は別のものということですね。
いくら情報と知識があっても、知恵が無ければそれを応用することができません。
「生活の知恵」とかいう場合の知恵ならば、実は知識のことですから情報と言えるでしょうけど。
991 :
哲学者最低位 ◆0XleQMU5p2 :2011/05/23(月) 18:23:22.10 0
言語というのは実に哲学に不向きだねえ。
それが如実に表れてるスレッドなわけだ。
992 :
哲学者最低位 ◆0XleQMU5p2 :2011/05/23(月) 18:34:42.79 0
だいたい「決定」と「非決定」とか本気で議論してる「つもり」になってるだけの
サロンですよ。
「善」と「悪」を議論してる道徳論と変わらない。
でも善悪の場合は何でも善だとか何でも悪という意見はないんだよね。
だからこのスレは悪質に造られててね、【100%決定論】or【100%非決定論】か?にしたんだよ。
つまり善悪論みたいな線引きができないんだな。ここまだならいいとしても、ここからは悪だとかができない。
そういう意味で過去の過激派と同じなんだな。
100%か?0%か?という二者択一だ。シェークスピアの「生きるべきか死ぬべきか」と同じ。
こういうのを考えついた奴は科学的知識を持っているが、
更に悪質なものなんだよ。
論理だけでは決して結論がでないネズミ講みたいな構造にしてあるからね
993 :
哲学者最低位 ◆0XleQMU5p2 :2011/05/23(月) 18:39:13.78 0
ここまでは善で、ここからは悪だなという線引きができない。
何もかも決定されてるか、何もかも決定されてないか、という二面だけ。
だから
「決定論」か?
「非決定論」か?
のどちらかの立場からしか物言えない。
60%は決定されていて、40%は決定されていない。とかいう意見は出ない構造に仕組まれてる。
>>990などは、具体的に反論できないから曖昧な表現に徹しているだけだろ。
議論における狭義の敗者だよ。
995 :
哲学者最低位 ◆0XleQMU5p2 :2011/05/23(月) 18:48:04.38 0
こういう決定論や非決定論という題材には近づいてはいけない。
唯物論や観念論の対立は大いに議論すべきだね。
決定論や非決定論をそれにおまけとしてくっつけてるのがインチキなんだよ。
機械的唯物論=決定論で、観念論=非決定論という刷り込みを作りたいんだろうな。
洗脳術としては初歩中の初歩でして、そんな古い手はCIAでももう使わないでしょうな。
996 :
哲学者最低位 ◆0XleQMU5p2 :2011/05/23(月) 18:54:29.04 0
ほら新スレをとっとと設立しなさい。
こんなクソスレで議論すること自体が徒労ですよ。
ハッハッハッハハッハ
現代人は教育で宗教的教育を完全排除されてるところをこういうスレで狙われるんだろう。
科学だから正しくて当たり前だと。
そういう国民の思想傾向を熟知した上で洗脳プランをたてるのがスパイだろう。
997 :
哲学者最低位 ◆0XleQMU5p2 :2011/05/23(月) 18:59:03.72 0
ロシアや中国共産党のスパイなのか?国内の勢力か?
はてまた別の勢力か?
バカさ加減は最後の審判があるか?ないか?の議論と同じくらい宗教的だ。
機械の科学的明晰と知識でカバーして、あとの観念論的人間脳の部分はごまかすというパターン。
これはクーデターに匹敵する劣悪行為だろう。
10年越しニート精神病棟スレ閉鎖
このように人間がいともたやすく単語に振り回される様を見るに、言葉のパワーというものの存在、図形が現実へと干渉する影響力の存在を認めざるを得ない気持ちになってしまう。
1000 :
哲学者最低位 ◆0XleQMU5p2 :2011/05/23(月) 19:03:55.27 0
ニートを増やして
日本壊滅を目論んでるのかなあ。
どちらにしても社会的害悪スレなのだろうねえ。
釣られるなよ、君たち。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。