■ ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 10 ■
2 :
佃煮マニア :2011/04/09(土) 20:38:59.22 0
2げっつ
5 :
佃煮マニア :2011/04/09(土) 20:58:21.13 0
2げっとしただけで死ねとか凶悪ですね・・・
7 :
佃煮マニア :2011/04/09(土) 21:35:40.88 0
ここにも川上スレの低能がいて荒らしてるんですか・・・ どうりで悲惨なレスしか出来ないと思った
あーあ、テンプレ分断した上に荒らしやがってよお。
マジ死ね
>>2 ,5,7
9 :
佃煮マニア :2011/04/09(土) 22:00:37.50 0
津原なんか妄信したあげく大恥晒してストレスたまってんですね(笑
>>7 低能なのは2げっつとかやってる迷惑者だろ。
11 :
佃煮マニア :2011/04/09(土) 22:03:50.14 0
津原(笑
>佃煮マニア お前だけが荒らしだろ。川上とか津原とか誰だよ知るかアホ。 消えろ。
13 :
佃煮マニア :2011/04/09(土) 22:24:20.01 0
烏賊娘が海猫沢のツイッターに突撃してブロックされたんですってね〜(笑
あと何十年かした後の哲学の教科書で、 20世紀の代表的哲学者はタルスキとかデイヴィドソンあたりになりそうだな。 ドゥルーズやデリダはメンデルスゾーンとかスウェーデンボリみたいな扱い。 「フランス思想」という小さなくくりの中で「この時代にはこういう人たちもいました」みたいな扱いで、 名前が出てくるだけみたいな。
16 :
佃煮マニア :2011/04/09(土) 23:47:47.13 0
私は「アンチ・オイディプス」と「シネマ」と浅田のドゥルーズ論しか読んでないから、 このスレに常駐しているたぶん哲学科の人たちのマニアックな話にはついていけないけど、 それでも面白く読んでますよ。 川上スレの人はくだらない事書いてスレを消費するのやめてくださいよ。
>>16 おまえが津原とか川上とか書いてスレ荒らしてんだろうが! いいから来んなカス。そうすればアンチも来ない。
18 :
佃煮マニア :2011/04/09(土) 23:58:36.41 0
19 :
考える名無しさん :2011/04/10(日) 00:00:48.95 O
まじ佃煮迷惑。うざい、死ね!
21 :
佃煮マニア :2011/04/10(日) 00:04:04.70 0
川上スレばかりも見てられませんし、ドゥルーズの方が面白いし。
22 :
佃煮マニア :2011/04/10(日) 00:07:38.11 0
川上スレの人とドゥルーズスレの人との違いぐらいすぐ見分けつきますよ。
佃煮マニアは川上スレにこのスレのことを書くとかどういう神経してんの? 迷惑って意味わかんないの?
24 :
佃煮マニア :2011/04/10(日) 00:28:47.91 0
ドゥルーズの話ができないなら消えて下さい。
25 :
考える名無しさん :2011/04/10(日) 00:31:40.73 O
26 :
考える名無しさん :2011/04/10(日) 00:35:16.89 O
佃煮、まじ性賤士うぜーよな。 三浅一深の話の続きはここでいいのかい?
27 :
考える名無しさん :2011/04/10(日) 00:39:35.34 O
佃煮がググッた知識を自慢げにしたってべつにいいだろ? 自演だって仕様だろ。
性賤士とか死んだらいいのに
29 :
考える名無しさん :2011/04/10(日) 00:44:35.85 O
>>14 すみません。文学板の川上スレで、佃煮が名無しで晒しあげしてますよ。正直ひどいなって思います。
>>23 ,25,26,27
お前が消えろよ。
元はと言えば、お前の馬鹿な
>>6 のカキコが原因だろうが。
>>24 お前は死ね。
川上スレって統合失調症の高齢ワナビの集まりだよな
32 :
粕漬マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/04/10(日) 00:52:42.80 0
「シネマ」読みたいんだが、事前に見ておいたほうがいい映画のとかないだろうか。
33 :
考える名無しさん :2011/04/10(日) 00:54:30.60 O
ここも佃煮のせいで川上スレ化してきたな
34 :
考える名無しさん :2011/04/10(日) 00:56:50.77 O
35 :
佃煮マニア :2011/04/10(日) 00:57:04.09 0
>>32 >事前に見ておいたほうがいい映画
ありすぎて困ってしまうのです。
マグナさんはずいぶん見ている方だから、ある程度わかるとは思います。
他の本を読むにしても参考図書が多過ぎて、全部は読み切れませんよ。
プルーストはやっと読めて今はサドを読んでいますが・・・
36 :
粕漬マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/04/10(日) 01:02:09.62 0
やはりゴダールとかシャブロルは抑えておいたほうがいいのか。前者はある程度は見た。 マゾッホとサドは読んだ。蓮實が訳しているところが面白いよな。 サドは美徳の不幸とコントをいくらかだけだな。もう少し読みたいが澁澤か佐藤晴夫かという選択肢では駄目だ。サド全集を完結させろ。 マゾッホは魂を漁る女、聖母、毛皮のヴィーナスおよび諸短篇を押さえた。こちらの場合多作家だから、大河の一滴に過ぎないようだが。
37 :
考える名無しさん :2011/04/10(日) 01:05:05.81 O
>>35 何の答えにもなってないな。本当は読んでなくて、検索失敗したんだろw
バレバレなんだよ。
やっぱドゥルーズってポエム文学者にしか読まれてないんだな
39 :
佃煮マニア :2011/04/10(日) 01:13:27.13 0
>>36 「シネマ」は映画の編集方法について詳しく述べている箇所があって、そこに興味をひかれたものです。
編集のためにフィルムをカットしたりつないだりというのは私も経験があるもので。
ドゥルーズがパゾリーニとかゴダールについて述べている箇所もありましたよ。
サドとマゾッホも参考図書です。速読のマグナさんならドゥルーズを読み切れますよ。
私はこれからサドを読む所です。
大して読書量がなくてもドゥルーズは読める 教養の化け物扱いすることが間違いだ 気合いで読みきれ
41 :
粕漬マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/04/10(日) 01:27:08.45 0
イヨネスコとか面白いよな。ソンタグにはブレヒトと引き比べてボロクソに言われていたがw ドゥルーズの評価はやはり低かったのだろうかw
42 :
考える名無しさん :2011/04/10(日) 01:36:57.45 0
マイナー文学のためにとかどうですか? あれでも訳としては「マイナー文学に向けて」のほうが正しくはないのですか
>>40 じゃあ、逆に読書量が多くないと読めない哲学書って何?
レヴィナス?
44 :
考える名無しさん :2011/04/10(日) 02:26:15.54 O
自演コテの佃煮マニアがまた名無しで文学板の川上スレにここの宣伝してたよ(笑)
46 :
考える名無しさん :2011/04/10(日) 11:52:18.88 O
佃煮は虚言癖のあるただのおばちゃん。結婚なんてしてない。いや、できない。じつは高齢処女。2ちゃんだけが生き甲斐。昨日は寄る年波に勝てず、寝落ちしちゃった(笑)ああ、年をとるのは嫌ですね。
コテハンの個人情報探って悦に入るキチガイが酷いな
4月号の「思想」に宇野氏ほかが映画イマージュ論 やっていますが、誰か読みませんか。
読みました。
50 :
考える名無しさん :2011/04/11(月) 03:37:09.83 0
52 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 00:29:13.09 0
「シネマ」としての現実世界
53 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 00:44:29.65 0
前提知識を必要としなければわからない本なんてろくなものじゃないと思うけどね。
54 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 00:48:17.34 0
教養主義=「知」のパターナリズム。 そして「襞」。
55 :
佃煮マニア :2011/04/12(火) 00:51:05.77 0
なにも一語一句確認して念入りに読み込まなくてもさらっと読み流せばいいんじゃないですか。 独自の概念とか造語が多過ぎて、そこでつまづいてると読み切れないし。
57 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 01:07:06.41 0
ドゥルーズのスピノザ的側面。 批判と肯定が共存しうるこの世界。 弁証法の否定。
蠅が一匹混じって来てるな
59 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 01:15:37.68 0
実存は本質に先立つ。 サルトル的アンガジュと「襞」。
60 :
『蠅』byサルトル :2011/04/12(火) 01:17:30.71 0
粘着嫌がらせが趣味のクソ蠅だな
62 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 01:35:47.02 0
まぁまぁそう怒らずに。 ドゥルーズをてこに面白いことを考えたいだけですよ。
なるほど、文学版のこいつらの書き込みがポエムと言われる所以だな。 しかし逆に、ドゥルーズはポエムじゃないということが良く分かるなw
ポエム厨乙
65 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 03:19:00.26 0
私たちに残された選択肢はふたつしかありません。 哲学史をやるのか、それともプラトンを、もはやプラトン的ではないさまざまな問題に接ぎ木するのか、 そのどちらかを選ぶしかないのです。 記号と事件
66 :
佃煮マニアは死ね! :2011/04/12(火) 03:24:51.71 O
ドゥルーズを(翻訳ですが)読んでると、蓮實重彦の文体や論理の進め方に多大な影響を与えてるように思うのですが、いかかでしょうか?
そんなもんぐぐればいいだろ
人に簡単に死ねとかいう人にはここに来て欲しくない
69 :
佃煮マニアは哲学板の恥部! :2011/04/12(火) 03:39:52.46 O
佃煮マニアは人じゃないからなぁ。たんなる自演マシーンです。名無しで自分を擁護します。わかりやすいので誰でもわかります。知識はすべてGoogle経由です。くぐるとひらがなで(名無しの時も!)表記します。あら?
コテ叩きは最悪板でやってください
佃煮マニアって有名なコテなんですか? いろんなスレで見かけますけど。
コテ自体はマイナーな空気コテだけど、 文学板の川上未映子スレに常駐して作家のネガキャンやってる異常者が、 作家を擁護したそのコテをストーカーしてるんだよ
文学や哲学は文字の引用でなんとなく意味がつかめるけど シネマの例証で用いられるルビッチ、ルノワール、ドイツ表現主義の映画等々は やっぱ現物見て、ドゥルーズがそのイメージになにを語らせたかったか、「絵」として即座に惹起できないと読めないんじゃないかなあ と、挫折した俺が言ってみる。スノッブならゴダールやアラン・レネあたりは繰り返し見てるだろうからシネマ1は無理でもシネマ2なら読めるかもしれん
だからポエム板でやれって
と彼は言った
>>53 「前提知識を必要としなければわからない本なんてろくなものじゃない」
>>55 「なにも一語一句確認して念入りに読み込まなくてもさらっと読み流せばいい」
>>74 「文学や哲学は文字の引用でなんとなく意味がつかめる」
確かに文学板ポエム板がふさわしいレベル。
「なんとなく意味がつかめる」(笑) ポエムは楽でいいすなぁ〜
佃煮マニアは夢見る熟女ってこと?
ほー面白いですねえ。「私は哲学板で数々の宿敵を論破し門下が10人以上いる」とか奴は言ってたけど嘘なんですね。ドゥルーズの話はしないんですか?
文学板のコテがぞろぞろ来てるな(笑)
>>80 そんなこと言ってるんですか!?
ありえませんね。
マイナーな空気コテですよw
83 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 13:24:21.31 O
私は哲学板で数々の宿敵を論破し門下が10人以上いる(笑)
時間論のスレでドゥルーズとベルクソンを原語で読んでる院生に絡んでバカ扱いされてたよ。 んで、なんか誹謗中傷みたいなことして嫌がらせしてた。 相手がうんざりしたら勝利宣言。これが「強度だ!」みたいな。 ドゥルーズの哲学ってこういうバカに都合がいいんだろうなぁ。
>>85 情報ありがとうございます。
佃煮マニアは文学板でもそういうことばっかしてるので、驚きました。
>>82 哲学板と比べると文学板は議論の程度が低いからつまらない、とか言ってて、それはその通りなんだろうけど「それをお前が言うか?」と思ってました。
>>88 文学板でもまんまですよね。
鈴木さん、佃煮マニアの哲学板の評判もわかったことだし、撤退しましょう。佃煮マニアのようにこの板みなさんに迷惑をかけてはいけませんものね。
では、みなさま。お目汚し失礼いたしました。今後も佃煮マニアには騙されないようにしてください。って、佃煮マニアがバカすぎて騙されませんよね。
てすと
皆さん失礼しました。今度奴が荒らしたら駆除しに来るので文学板まで言って来て下さい。
tsuto
93 :
佃煮マニア :2011/04/12(火) 14:30:58.50 0
津原泰水とかいう売れない作家が川上未映子にモラハラしてるのを大喜びで支持して、 さんざん誹謗中傷して川上の盗作疑惑なんてものをでっちあげて、出版社やマスコミに電凸するもスルーされ、 盗作疑惑をウィキペディアに載せようとするも拒否され、ツイッターで有名人に突撃するもブロックされ、 万策尽きたので私に嫌がらせしてんですよ、この鈴木雄介と自演の名無したち。情けないですね。
95 :
佃煮マニア :2011/04/12(火) 14:48:50.38 0
最近川上スレの馬鹿が哲板のあちこちで私にいやがらせしてるんで、
ドゥルーズの話の前にちょっとはっきりさせましょうよ。
>>80 >>85 は明らかに捏造ですよね?
証拠があるならレス貼ってもらえますか?
>>95 いや、だからここはあなたのスレじゃないんで。
98 :
佃煮マニア :2011/04/12(火) 14:54:45.00 0
私が荒らしだと思うなら規制依頼して下さいよ。 ここまで陰険な嫌がらせってありえないです。 鈴木雄介は出て来れないんですか?
99 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 14:57:15.56 O
せめて川上とドゥルーズ絡めて語ってからにしてくれよw
鈴木雄介の文学板での評価 778:吾輩は名無しである :sage:2011/04/12(火) 14:52:13.31 震災をネタにした鬼畜外道 それが鈴木 無視するに限る 死ぬまで自演をやらせておけ
鈴木雄介はなんて佃煮マニアのことになるとこんなに必死になるんだ?
104 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 15:11:36.71 0
>>77 >確かに文学板ポエム板がふさわしいレベル。
そういうこといってるから「哲学」はどんどん縮退してくんだよ。
「哲学は力をもたない。力をもつのは宗教や国家、資本主義や科学や法、そして世論やテレビであって、
哲学はけっして力をもたない。」
記号と事件
ポストモダンであれ、分析哲学であれ、「哲学」と呼ばれるものはすべて力を持たないもの=ポエムだよ。
その程度の認識も持ててない時点ですでに終わってる。
甘いのは、むしろ君らだよ。
105 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 15:21:12.22 0
優れた作家は、むしろ言葉に不信感を持っている。 「言葉に力がある」などという幻想には絶対に浸らない。 その覚悟が、現在の哲学徒にあるのか?という問い。
文学板としては佃煮マニア以外、このスレに迷惑をかけないという意見で一致しています。 佃煮マニアは文学板の川上スレでここを話題にして挑発していますので、鈴木さんに関するすでにあるような真実ではない誹謗中傷があった場合、名無しでも佃煮マニアということになります。佃煮マニアの名無しの自演工作は仕様です。 それでは私も書きこみません。たいへん失礼いたしました。
津原にだまされて自滅したバカが私のネガキャンやってんですね。ハイハイ。 低能自演おつかれさま。
ここで川上スレの宣伝しないでくださいよ。誰かに助けをこうているんですか?
>>104 >力を持たないもの=ポエム
ドゥルーズは何処でこんな事を言ってるんだ?
>>104 少し気になるのだが、「記号と事件」で、「哲学史をすることはオカマをほることだ。」
というくだりが、ドゥルーズの失言であり、暴言であると思う。「差異と反復」が、
様々な哲学を経巡りつつ書かれており、十数年間も哲学史の研鑽をしていた
ドゥルーズ自身が語るべきことではないと思う。
こういった無責任な暴言を含め状況論を展開する箇所も当てにならず、、
研究上あまり言及しても仕方のない本だと思うのですが、皆さん
いかが思われますか。
>>112 蓮實はサルトルですか? 柄谷のほうがサルトルっぽくないですか?
今、ドゥルーズの『批評と臨床』を読んでいるのですが、なんか蓮實を読んでるみたいで。蓮實がたびたび言及してるからっていうのもあるんでしょうが。
訳文でも文体が全く違うという事ぐらいわかると思うのだが・・・
1行レスに食いついて無知さらして恥ずかしいな
>>115 そうですか? 河出文庫の守中高明・谷昌親役なのですが、たとえば第7章 マゾッホを再び紹介する の書き出し、「マゾッホは、精神医学だの精神分析学だのの口実ではないし、マゾヒズムに関する特に目立つ重要人物ですらない」とか似てませんか?
久しぶりにドゥルーズを読んだのですが、『批評と臨床』にはこんな感じの文章がたくさんあります。一時期の蓮實のように息の長い文体ではいですが。
何この気持ち悪いテンション
>>118 は一時期の蓮實のように息の長い文体ではないですが。です。すみません。
佃煮マニアさんは名無しで悪態ついたり、勝手に途中までを川上スレに貼らないでいただけますか? よろしくお願いします。
連投きもい
蓮実は『文藝』のサルトル特集のインタビューで、「両大戦間のフランスのおもしろさは、(略)右翼と左翼が微妙に裏返しにされかねない時代であったということ」 と述べて、「ブランショは言うまでもなく、ドゥルーズだってけっこう右翼の少年だったんじゃないか」と。 『シネマ2』の7章では映画のカトリシズムについて論じられているが、 「彼岸ではなく、この世界を信じること」としてのそれが「革命」と結合されているのは、 ジャンヌ・ダルクっていうフランス的な象徴的人物の存在も影響してるんだろうか(シャルル・ペギーの影響?)。 神学には詳しくないが、個々人と神の関係としてのプロテスタンティズムではなくカトリシズムなのは、 スコトゥス的な「存在の一義性」、神は遍く森羅万象に表れているっていう思想に由来しているのだろうか…。 ローマ教皇や教会といった、神の代理-表象を想起させるカトリックとドゥルーズは相容れない印象があったけど、 「コスモス、日輪、大地との結合、人類、国民、家族との生きた有機的な結合」を説く、 D.H.ロレンス『黙示録論』を賞賛していたことを思えば、必ずしも相容れないわけでもないのかね。 ベルクソンも晩年はカトリックに傾いていたらしいが、その詳しい事情が知りたい。
そういや、ドゥルーズにいちばん近いところでカトリシズムというとクロソウスキーだけど、 どうやら『バルタザールどこへ行く』に出演しているらしいね。 ちなみに「バルタザール」というと、東方の三博士の一人の名だな。 『エヴァンゲリオン』の人工知能「マギ」の一つの名称としても引用されていた。
『バルタザールどこへ行く』は観ました。DVDも持ってます。ブレッソンの代表作の1つですね。素晴らしいです。たしかにピエール・クロソウスキー出てます。主演のアンヌ・ヴィアゼムスキーはゴダールの2番目の妻ですよね。では、また来ます。
ドゥルーズスレ住民に必死に媚びる低能がいるな
127 :
粕漬マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/04/12(火) 19:25:44.76 0
マゾッホの実作に触れて居る奴は少ないなぁ。クライスト、マゾッホ、ヴァルザーがあって初めて出てきた作家だと思うのだがカフカは。
SMクラブなら一時ずっぽりはまったのでもういいです
SMを初めて知ったのは家にあった「家畜人ヤプー」をうっかり読んでしまってからです。 体験するのは嫌だけど見るだけならタランティーノの「ホステル」とかで楽しんでいます。
130 :
佃煮マニアbot :2011/04/12(火) 20:13:31.12 O
>>128 >>129 なんで自作自演してんの?
偽装してもバレバレですよ。
ホステルってぜんぜんSMっぽくないし。普通、あの映画をSMには分類しないだろw
それにドゥルーズの話しなさいよ。
暑苦しいんでいちいち絡んで来ないでもらえますか。
>>128 さんに謝って下さい。
132 :
128 :2011/04/12(火) 20:29:49.09 P
いやむしろ俺があやまりたい。というかあやまらせてくださいハァハァ
133 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 21:05:51.08 0
というよりそれは西洋哲学に共通のものだと思うよ。 神を巡る問題としての側面をフィロソフィーは持ってるから。 >両大戦間のフランスのおもしろさは、(略)右翼と左翼が微妙に裏返しにされかねない時代であったということ 日本でも、たとえば北一輝とか大川周明とか、歴史的文脈から言えば左に分類されるはずの人が極右と強調し、 軍国主義への大きな流れに収束していった。 いわば同床異夢としての思想(異夢)が、国家主義という方法(同床)を要請していた点はあるんじゃないかな。
>>114 戦後フランスに関連した仏文学者・哲学者って少なからず
「サルトル」なんだ。世代論的に。前世紀に
「2000年にはサルトルが読まれるであろう。」
と言ったのは、蓮見だ。80年代のGSという雑誌
の結論は「生きるに値する生」の追求という
まことに実存的な結論だった。
文体論的にドゥルーズに似てるということは有ると思う。
ドゥルーズの著書の最初の訳者だし。ただ「擬態」的
な文体(「倒錯者の戦略」)というのはあるかもしれない。
蓮見の息の長い文体については、ドゥルーズには
あまりない。
でもなんで存在と無の文庫があるのに嘔吐の文庫がないんだろうね。
死ねやゴミコテ
>>134 おー、お詳しいですね。勉強になるし、非常にありがたい情報です。
「2000年にサルトルが読まれる」って卓見だなぁ。たしかにサルトルって再評価されてませんかね。
へえ、蓮實はドゥルーズの最初の翻訳者でしたか。
>>135 『嘔吐』は鈴木道彦の新訳が去年ソフトカバー?で出ましたね。
この人一日中スレに粘着してるよ
140 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 21:35:16.50 0
ドイツ的キリスト者
>>137 人のハンドルを勝手に名のるのやめたら?
>>137 1500円くらいでしたっけ?それ買おうかなあ…
143 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 21:38:15.61 0
蓮実ってバルトの焼き直しにしか思えんけど。
144 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 21:41:11.44 0
ドゥルーズを文学の領野から読むならむしろ宇野さんでしょ。
>>140 フランスには数多くの歴史的なカソリック協会が
あるし、熱心なカソリック信者はたくさんいるよ。
巡礼もやってるし。
>>142 2000円ぐらいですね(文庫とは言えないですね)
鈴木道彦はプルーストの翻訳で有名ですよね。実存って訳語を使ってないらしいんです。
だから、有名な「記すことなし。実存した」の文章もたしか変わっていたはず。
旧訳で読んだきりなのですが。
147 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 21:49:28.34 O
>>141 佃煮マニア(ゴミコテ)ってハンドルの人がいるんですか!?
なるほど。ご親切にありがとうございます。
文学板はレベルが低いな
150 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 22:10:52.30 0
>>145 ドイツ的キリスト者はハイデガーとも多少縁のある集団で、
ヒトラーの宗教政策に迎合したカトリックだよ。
フランスでもクロア・ド・フーとかアクシオン・フランセーズとか、
カトリシズムと関係したファシスト・右翼団体はいっぱいあったけどね。
151 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 22:19:49.30 0
コラボ(対独協力者)とレジスタンス。 ドゥルーズは明らかに後者。
ポエム板でやれというのは 別にドゥルーズを否定しているからじゃないよ ドゥルーズ作品は詩としては実に芸術的価値が高いからね
>>152 「もしかして自分はドゥルーズをポエムとしてしか出来ていないのか?」
ということに気づかないひと?
「理解できてない」が抜けてた。
鈴木訳の「失われた時を求めて」の挿絵は綺麗ですね。
156 :
佃煮マニア(地球外生命体) :2011/04/12(火) 23:11:40.77 O
>>155 いや、そこは本文に言及しようよ。さらっとプルーストを読んだと書いていたけど、『失われた時を求めて』を全部読んだの?
俺は読んだよ。
157 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 23:13:08.24 0
哲学は人生で正解を出すのに必要不可欠ですよねー!?♪。
(^^ゞ
読書自慢は松岡正剛にまかせておきなさい。
160 :
佃煮マニア(どっちが偽物?) :2011/04/12(火) 23:35:53.98 O
>>159 みなさま、これがこの人のロジックです。文学板でもどれだけの被害が出ているか((((゜д゜;))))
>>35 自分をよく見せるためにこういうことをさらっと書いちゃうんです。
161 :
佃煮マニア(こっちが偽物) :2011/04/12(火) 23:39:27.95 O
そもそも意味わかんないですよね。誰も読書自慢なんてしてないし、松岡正剛の話もしてない。 でも、これが佃煮マニアなんです。
ドゥルーズよりドゥルーズ=ガタリの方が面白いことは面白い。
そんな事はない。
そんな事はない。
なにか、エコーが聞こえるね。この板。
二重に否定されちゃったw でも、本当にそんな事はないと思います。 ってか、佃煮マニアって何も知らず、自分を良く見せようとして失敗しまっくってる最高にダサい人なんですよ。
そんな事はない。
全ては純一が基地外だからだと思うわけですよぉ。
>>162 ドゥルーズがポエムとして読めるのは
「資本主義と分裂症」ほかガタリ共著だけ。
D・Gの戦略としてポップ哲学というジャンルを
作ったわけ。
カントなんか概念語が多くてポエムとして読めない。
「なんとなくわかる」様な気がするように書いている。
ドイツではC.Wolfがラテン語(古くはギリシャ語)の哲学用語
をドイツ語に翻訳案出したために中世の形而上学用語
が引き継がれ以降のドイツ哲学の地盤固めをした故に
ドイツ観念論の隆盛をみたわけ。
ただデリダなんかは形而上学の語彙そのものがら
解放されたいと思っている。デリダのほうが
よっぽどポエムじゃないか。
ヴィスコンティの「失われた時を求めて」なら見たかった。
>>169 ポストモダンはどれも言葉遊びの文学気取り。
ガタリって精神分析医としてはかなり怪しい事言ってますね。 そもそも精神分析自体が怪しいんですが。
173 :
佃煮マニア(偽物) :2011/04/13(水) 00:08:22.90 O
174 :
考える名無しさん :2011/04/13(水) 00:14:57.37 O
なんで、佃煮マニアはどのスレでもフルボッコにされちゃうんだよ
デリダなんて最後のほうにくると もうパースも付けなくなって、 哲学論文の体裁をなしてないよ。 ポエムだ。
勉強してる連中はスレから消えたね。 まあ、新年度も本格的に始まったしな。
>>174 落ち着け、周りをよく見ろ、お前が必死なだけだ。
ポエムとして終わらせたいひとがいるようだが そういうまとめしか出来ない自分の想像力の欠如を呪うべきだろう そこに可能性を見出すには、読者の才能が欠かせない
佃煮マニアと波平と純一は 完璧な馬鹿です\(^o^)/
ポエムを哲学的に読めば哲学の範疇
AOとMPはとにかく読みづらいから、強度の読書を謳っているけど、いまいちしっくりこない。
>>180 それならブランショ、古くはヴァレリー
でいいんじゃないの。
>>176 俺もうアカポスないしな、
でも修論ドゥルーズだから
どうしても勉強したい。
後期博士行きたいな。
本音。
>>183 まあ、時々ここをのぞいては、下には下がいるのを見て安心するのもいいんじゃないかw
ドゥルーズを読解するには まず茶髪、半ズボンになることから始めないとだめ
誰か、千葉スレ立ててくれない? 住み分けしたほうがいいだろうし。
>>171 ポエムは言葉遊びというには留まらない。
ひとの心を打つものだけがポエムと呼ばれるにふさわしい。
キルケゴールとニーチェは詩人哲学者と呼ばれた。 しかし、そもそもプラトンをそう呼んでもおかしくはない。
>>189 キルケゴールとニーチェ以外は
詩人哲学でないんだろ。
性賎士の自演工作は酷いな
コテハンは降りたか。OK
↑脊髄反射する性賎士w
「性賎士」って何?
197 :
考える名無しさん :2011/04/13(水) 22:01:23.47 O
>>194 ねえ、佃煮マニア(本物)っておまえじゃないの? これは知らない。おまえもう頭おかしくなってるって。俺は今日来てない。
>>193 さんは関係ないはずだよ。レス読めばわかるだろ? 脊髄反射とかおまえじゃないんだから、遅すぎるだろ。ちゃんと謝れよ。
>>195 性賤士って、文学板の川上スレで佃煮マニアが粘着してる相手です。自分が名無しで工作してるものだから、誰でも彼でも性賤士扱いしてる。
「進め一億火の玉だ」「節電で 産めよ 戦地で待つ兵器」 「一億玉砕」「最後には神風が吹いて 日本は必ず勝つ」 本土決戦」「国民精神総動員」 「欲しがりません勝つまでは」「撃ちてしやま む」 「ぜいたくは敵だ」「出せ一億の底力」 「挙国一致」「『足らぬ足らぬは』工夫が足らぬ」 「神州不滅」「理窟言う間に一仕事」 これらの標語が大日本帝国臭くて使えないので、 「ひとつになろう日本」「がんばろう日本」「がんばれ東北」 とかいうようなインパクトがない 言葉しか出てこないのです。 日本は終わったんではなく、敗戦で終わってたんですねwwww 怯むな!大日本帝国は不滅だ突撃! 「進め一億火の玉だ」「節電で 産めよ 戦地で待つ兵器」 「一億玉砕」「最後には神風が吹いて日本は必ず勝つ」 「本土決戦」「国民精神総動員」 「欲しがりません勝つまでは」「撃ちてしやまむ」 「ぜいたくは敵だ」「出せ一億の底力」 「挙国一致」「『足らぬ足らぬは』工夫が足らぬ」 「神州不滅」「理窟言う間に一仕事」 プラス 「ひとつになろう日本」「がんばろう日本」「がんばれ東北」 絶対復活大日本帝国!!!!!!!!!!!!!!!!!!
佃煮マニアさんはもうこのスレの人に迷惑かけないでください。あと、ちゃんと悪いことをしたら、謝りましょうね。よろしくお願いします。
>>198 ・・なるほど。一理あるような。
神州不滅、で逝ってみるか? なかなかいい響きだな。
神州不滅! めざせ、一億玉砕!!
撃ちてしやまむ。。、とか。ほんとに名コピーだったね。
昔はこのスレ良かったんだけどね。
ようやく妥当な評価が与えられるようになったということでしょ
少し荒れているくらいでちょうど良い
荒れるのもありだが、ドゥルーズと関係ある方向で荒れて欲しい
ドゥルーズはポエムだって言う。 だが「哲学とは何か」で「哲学とは概念を用いてする仕事」と 定義していることだけは、共通の前提としてほしい。 芸術は「合成平面」の上に構築される。 ドゥルーズは微妙なことを言う。 それは「哲学にも趣味が必要だ」ということだ。 ドゥルーズにはスタイルの美学に(自分の趣味に) 忠実でありつづけたこだわりがあるのは 確かだが、それが即哲学=芸術になってしまう わけではない、といいたい。 皆さんどうお考えですか。
>>208 このスレで「ポエム」と言っているのは、
ドゥルーズの概念が哲学的なものではなくて、
文学的隠喩だと思っている連中でしょ。
しかし、最近のレスを見ると、ドゥルーズの概念を
文学的隠喩(というか何となく適当なイメージ)として使うレスの言葉をも指すようになった感があるが。
フレーゲですら距離あるものの類比を測るためにアナロジーを重視したのに、 後継者はその意義を理解できなかった。 これは記号論理学が数学及び倫理学から乖離する過程に対応するが、単なる 純粋主義が横行しているだけで、学問上の問題というわけでもない。
哲学=芸術で、どこがいけないのか、わからんね。 なにか、問題でもあるのか? 全然、ないだろ?
単純な話で恐縮ですが、藝術は真偽が問題にならないが哲学は真偽が問題になるでしょう。 藝術は無意味であってもかまわないが哲学が無意味では困るでしょう。
大学で美学とか習いましたけど全部忘れちゃいました。 ガダマーが芸術は遊びだと言った事、 ニーチェが芸術は過ぎ去り行くものの軌跡のきらめきだと言った事だけは覚えています。 思想史とかも習ったけど忘れちゃったなあ。
余談になりますが、 芸術家の履歴というものは、どれほど過酷な経験をしているか、 という事にあるから、障害者のヘレンケラーが表現したものは、 確かに、通常人の感性を大きく揺さぶるでしょう 視覚聴覚の境界線をあれだけすんなり飛び越えて見せる彼女は、 私たちに新鮮な体験を与えてくれます 一方、健常者だって、欠落や欠陥と向き合おうとするなら、 誰でも特殊な固有性は持ってるし。それとどれだけ対峙するかですよ それが、芸術的感性を膨らます一つのきっかけになる。 欠落と向き合わないから偽善という事には、すぐにはならないだろうけど。
ドゥルーズと絡めて語れよ荒らし君。
おまえがな
>>214 そういう「色んな事を見もし聞きもした」式の態度では芸術にはならないって、当のドゥルーズが言ってるよ(『記号と事件』)。
まぁ、開かれたカオスからの創造って意味では、芸術家は何らかの過酷さを強いられる面はあるだろうけど。
>>212 ドゥルーズの場合、それによって世界の全てが明らかになるような「真理」には否定的だと思う。
ゴダールが映像について言ったように、「正しい理念ではなく、単なる理念」と言わねばならないと。
リゾームを称揚するのも、「世界はリゾームだ」ってのを真理として主張してるって言うより、
リゾーム的に思考することで、従来のトゥリー型思考が取り逃していた知覚や情動が得られるってことで、
『プルーストとシーニュ』風に言えば、光学器械としての概念。これを使って見えるものがあれば使えばいいし、じゃなきゃ他を使えという話。
218 :
考える名無しさん :2011/04/14(木) 22:03:10.79 O
佃煮マニアはアルツハイマー。コテつけるのも忘れちゃうφ(._.)メモメモ
佃煮マニアの芸術家の履歴というものは、どれほど過酷な経験をしているか、という事にあるから、の履歴の使い方がおかしいし、それを抜きにしてもあまりに凡庸で、ドゥルーズスレにふさわしい内容ではまったくないですね。馬鹿なんですか? ドゥルーズをぜひ読んでみてくださいね!
佃煮マニアさん風に言うと、Fullボッコですねw
最近いきなり佃煮マニアを煽る奴が出て来たけど何なの?そろいもそろってバカばかり
要するにポストモダンはクソだということですね(^ω^)
223 :
218 :2011/04/14(木) 22:29:42.51 O
>>222 佃煮マニアもそんなこと言ってたね。ドゥルーズスレでw 出ていけ!
>>217 そうですよね。ドゥルーズによれば、思考に暴力を与えるものこそ
重要なのだと。また、そういう暴力を逃さない脳=思考を持つ必要
もある。暴力と脳のあいだに新たなる情動性を見出さねばならない
訳です。宇宙にはじめて存在することになる情動性をね。
>>217 「記号と事件」ってインタビュー集なんですか。何か面白い事言ってそうですね。
「ドゥルーズ キーワード89」でも片手に読んでみようかな。
>>217 「真偽」と「真理」と「理念」、全部違うんだよ。
こういうのを日本語で言葉が類似しているからと言って、
原語と無関係の日本語の連想で語ってしまうのが、いわゆる「ポエム」。
>>214 ツクダニの話ってずれてるけどまあまあなんだが。
ドゥルーズよめてないな。本を読め、本を。
>>217 私は最も生に近いところで世界が比喩でなく
リゾームであることをDGが発見したんだとおもうが。
まずは『差異について』を読むべし。
批評と臨床がいちばん面白いと思うんだけど
>>227 『記号と事件』では「物理学の場合ですら、たとえば座標のような簡単なものでもかまわないから、とにかく
なんらかの象徴体系を前提としないかぎり真理は存在しえないのです。(・・・)
真理なるものを産むにいたる<偽なるものの潜在力>。それが媒介者なのです……」
と述べてるが、「リゾーム」もそういう、論理学的な「真/偽」、「1/0」以前のイデア的なものなんじゃないのかな。
ニーチェ的に言えば、人間が生物学的な条件を伴って存在してること自体が「媒介」として介在せざるを得ないわけで。
>>230 公理主義もそうだ。証明不能の大前提をまず、置く。そしてその、
公理系がうみだす「多産性」こそは、遡って公理系自身の「真」
を担保する。。という仕組みになっているわけだ。
230のことばを借りるなら、公理系なる媒介者、となるね。
ドゥルーズはどこかで(ヒューム論?)挑発的に 「妄想と理性の違いは何処にある。。?」というような事も 述べていた気がするね。
超越論的眩暈
>>230 >論理学的な「真/偽」、「1/0」以前のイデア的なもの
って、何? それがリゾームなの?
>真理なるものを産むにいたる<偽なるものの潜在力>。
っていうときは、まだ、「論理学的な「真/偽」」以後なんだよね?
以後じゃないと、「偽なるもの」と言えないよね。
>>230 あと、
>なんらかの象徴体系を前提としないかぎり真理は存在しえない
>真理なるものを産むにいたる<偽なるものの潜在力>
つまり「偽なるものの潜在力」や「媒介者」は「象徴体系」なわけ?
それとも「前提」と「産む」は何か違う意味があるの?
ドゥルーズを分析哲学向けにアウトプットしよう これからはそうでないと生き残れない
230撃沈か?
238 :
考える名無しさん :2011/04/15(金) 13:54:42.54 0
lethal_notion: 午後は俺一人で、ドゥルーズが50年代に高校でやった授業のノート「基礎付けるとは何か?」を読む授業。 整えられたテキストではないので受講者の方は少々苦労するかもしれないが、俺も全力で臨みます。購読の授業を担当する のは実は初めて。ずっとやってみたかったので、とてもうれしい。
238はパリにいるのか? 博論コース確定だな。 選ばれた人。
ドゥルーズさんがいう「偽なるもの」は「真/偽」の「偽」の方を指しているわけじゃないんだろう。
『記号と事件』に収録されてる、映画についての質問への回答の中でいうには、
「『非現実』とは何かか唐突な非連続の状態で意識にあらわれることであり、
現実態への移行においてとらえられた潜勢態のことである」
「現実と非現実の区別が識別不可能となったとき、偽が生まれるわけです。
ところが偽かあらわれると、真のほうもまた決定可能とはいえなくなってくる。」
偽とは誤謬や混同のことではなく、真を決定不能に追い込む潜在力のことなのです」
んで、結晶イメージにおいては「偽なるものの潜在力」は時間に他ならないと。
物理学なら象徴体系がそれになりもすると。この辺はホワイトヘッドの『象徴作用』と何か関係するのかも知れんが、読んだことないんから分かんないな。
ただ、ドゥルーズが『記号と事件』の中でいってる「抽象によって説明されるものはなく、抽象の方こそ説明されなければならない」は白頭さんの『過程と実在』の言葉。
「偽」というか「偽なるもの」と呼ばれてるものは、
>>232 的な発想が背景にあるわけだろうけど、『差異と反復』でも、何らかの前提に立った思考の「開始」というのは微妙な問題だと書かれてあったな。
それはアスペ・サヤンを妊娠態と混同したようなものかね?
白頭よりルネ・トムでも読んだほうがいいのでわ?
http://jeanzin.fr/ecorevo/philo/pretapen/thom.htm Le phenomene linguistique pur est en effet l’investissement (objectif) d’une forme saillante
par une pregnance [..] marche de la predicativite(l’aspect pregnantiel) vers l’indicativite
(l’aspect saillant). ES p214
>>240 それは映画という芸術の話でしょう?
そもそも
>>212 へのレス(
>>217 )から始まってるんだけど、
結局、芸術についての「真偽」以前とかいう話だけなら、
>>212 の言ったことに対して何も言っていないのと同じでしょ?
哲学についての「真偽」以前、「真理」否定(
>>217 )をしないと、
ああ、結局は芸術の話なのね、
>>212 の短いレスを確認しただけなのね、で終わり。
そろそろ、『記号と事件』一冊からの引用の切り貼りも限界かw
意味作用が真を設定すると、同時に偽も可能にする、という『意味の論理学』では、 思考の中でしか実現せず、芸術作品という結果以外を持たない観念的なゲームをうんぬんする辺りで、 論理の追求がそのまま芸術に突き抜けちゃってる。 「ポエム」と論理が同時進行するキャロルに沿ってるドゥルーズに従えば、まさに「ポエムであって何が悪い」という話になるかと
>>244 逆に「意味の論理学」の中の論理的な体系の
中にキャロルの作品がはまってんだよ。
>>242 CINEMA2
P385
「映画の理論は映画を対象とするのではなく、
映画の諸概念を対象とするのであって、
これらの概念は映画そのものに劣らず、
実践的、実効的、あるいは実在的である。」
>>247 映画の諸概念とは哲学の諸概念である、
とでも言っているところも見つけてから引用してくれ。
>>247 存在的と存在論的の違いみたいなもんかなあ
映画を対象とするもの=映画作り(?)=映画的
映画の諸概念を対象とするもの=映画の理論=映画論的
>>250 ププッッ
見つからなかったのかw
じゃあ
>>247 は
>>242 に対しての反論にはならんな。
ああすまん、勘違いしていたようだ。
反論じゃなくて、補間してくれていたのかw
なんでこういう流れなのに「哲学とは何か」における哲学と科学と芸術の区別の話にならないのか、 そして哲学と概念の関係についての話にならないのか、不思議でしょうがないw
それは確かにそう思うw
論理学と哲学を区別したところも大事ね。
>>248 当方は
>>247 じゃないけど、「ユリイカ」の「シネマ」特集号に載ってるドゥルーズのインタビューでは
「哲学が、絵画であれ映画であれ、何か他のものについての思索であるとは思いません。
哲学は概念を扱うものです。概念を生み、創造するのです。(中略)
問題は映画について思索することではない。現代絵画のイマージュや、映画のイマージュ等々と
響きあうような概念を生み出すのは、哲学者にとって当然のことなのです」
だそうよ。この言葉をどうとらえるかはあなた次第だけど。
なんで哲学の概念が響き合うのが「現代絵画のイマージュや、映画のイマージュ等々」であって、 現代数学のイマージュとかじゃないのかね?ライプニッツについて語ったり、微分積分とか、 論理学とかいう言葉を好んで使うなら、当然すぎる疑問だと思うけどね。 現代数学の中心にある集合論の哲学的基礎について語るべきじゃないのか? パスカルの確率論とかから発展して、集合論から出た無限の概念や測度論と 結び付いて数学として完成した確率過程論が、金融派生商品の取引で 理論的正当化の根拠として使われて、実際に社会で大きな影響力を発揮してきた。 数学者は哲学的議論を忌避するが、「偶然とはなにか?」、「確率とは何か?」 「微分するとはどいういうことか?」みたいな問題の哲学的根拠を欠いたまま、 現実の社会で「応用数学」として日常的に使われている。数学者が「純粋数学」 を語り、哲学者が「映画や絵画のイマージュ」を語り、トレーダーが「金融工学」 を語るだけだから、いつまでも中身が空っぽのままになってるんじゃないのかな?
確率微分方程式のことか?
ノーベル賞受賞「ブラック・ショールズ理論」?
伊藤清とか自分の確率微分方程式が金融派生商品の取引モデルに 使われて、もちあげられても、本人がなんでそうなるか分からんと いったところだったからね。ブラウン運動の解析とか物理学と密接 につながっていたところから、数学的形式として厳密化する方向で 研究を進めたはずなのに、突然、商品取引の解析に応用されてるん だから、真中に入るはずの議論が完全にすっとばされていて、 中空のままなんだよ。
>>253 「映画のイマージュ等々と響きあうような概念」というのは、
結局、「映画」の概念(
>>247 )なんですか、違うんですか?
「哲学は概念を扱うものです。概念を生み、創造するのです。」という、
その概念は、哲学の諸概念ではなく、映画の諸概念でもいいんですね?
あるいは、哲学はおよそ概念一般の創造である、とか言っちゃってもいいんですね?
で、それは、ドゥルーズのどこを読めば分かりますか?
「あなた次第」と言って、理解できないのはこちらが悪いということにしてw、答えませんか?
しかし、ほんと、引用の切り貼りは、「ドゥルーズ哲学のポエム的な使用」の典型例だな。
>>259 CINEMA2を読めよ。
本を読め。割らない。
>>260 やっと
>>257 のアホな言い訳の意味が分かったw
議論に負けないための、とてつもなく苦しい負け犬の遠吠えだが、
このスレではめずらしい(笑)というところだけは褒めてやるので、
しっぽを巻いて、もう二度と出てこなくていいよ。
しかし、これからは、こういう言い訳で逃げる奴も増えるんだろうかねえw
ちなみに、ドゥルーズ本はほぼ網羅している。シネマは原書と英訳も持っている。
原書、俺の版は妙に2の方が分厚いんだよねえ。紙質?
数学については『差異と反復』や『襞』等で語ってはいるけど、 俺は数学の事はよく分からないので、分かる人の評価を聞きたいね。 「引用の切り貼り」云々と批判する側も、ドゥルーズの著書から引用して反論したらどうかと思うが。 原書で読んでいるなら、仏語本来の意味からして、翻訳ではこの辺の解釈が違ってくる、という話は皆も聞きたいだろう。 「切り貼り」すらせず、何か、ここで邦訳を通さず読めているのは自分だけ、というプライドをムキになって振りかざして、 実際に読んできた蓄積を開陳してくれるでもなく、徒に「w」を連発してるだけに見えるのだが…。 現実の分裂病者もこんな感じだから、本だけを読んで妙なロマンを抱かない方がいいよ(笑)。 例によって『記号と事件』からの切り貼りをさせてもらうと、 「映画批評家のなかでもっとも優れた人たちが、映画の美学に取り組んだ瞬間から、哲学者になっていたというのも 否定しがたい事実なのです。哲学の教育を受けたから哲学者で『ある』というのではなく、哲学者に『なる』ということ。 たとえばアンドレ・バザンの冒険がまさにこのとおりでした。」 因みに、映画について語る中でも、ブレッソンを論じながらリーマンの空間を持ち出したり、 レネを論じながら「パイ捏ね変換」の話をしたり、数学や物理学と、映画、哲学の概念が相互に響き合う思考を目指していたのは見て取れる。
結局、ドゥルーズが何を哲学と呼んでいるかというと、概念的に思考する行為という一点に尽きる。 概念の連鎖に終始するという意味では「観念的な遊戯」であるし、 「新しい見方、聴き方」=ペルセプトと「新しい感じ方」=アフェクトを呼び覚ますコンセプト、 という点では詩的な行為でもあるだろう。 「すべての哲学的思惟は、そして殊にもっとも厳格でもっとも散文的な思惟こそ、 それ自身において詩的であり、しかも決して詩芸術ではない。」(ハイデガー『ニーチェ』) 詩、或いは文学との違いは、ドゥルーズも言うように「反復」にあるんだろう。 カントが『純理』で懐疑論者を「定住を厭う遊牧民」と呼んだのは、その場限りの比喩だろうし、 アルトーが「人間に期間なき身体を拵えてやるなら、その全ての自動性から解放し、真の自由を返してやれるだろう」 と言ったときには一つの叫びのようなものだっただろうけど、それを様々な文脈で反復させる(いわば、遊牧させる)ことで、 「おのれのすべての合成要素つまり変化=変奏に、いかなる距離もとらず、無媒介に共-現前」する一個の概念に「なる」わけです。
期間なき身体、じゃなくて器官なき身体。 ただの変換ミスだが、これはこれで意味ありげに見えなくもないな(笑)。
おっさんさあ、前に千葉スレで自己愛文体批判してた人?
ぜんぜん知らないけど千葉スレとか川上スレとか そっちのスレでやってくれないか? 純然とドゥルーズの議論している最中なんだから
へえ?(笑)
千葉スレは覗いた事も殆ど無いですが。川上スレも最近は覗いていないけど(妙な言い争いが生じたりして)。 記載し忘れたが、「おのれのすべての合成要素」云々は『哲学とは何か』からの引用。
>>266 すみませんね、川上スレで哲学の話になったもので哲板のスレを紹介したら変なのがどっとおしよせて。
ご迷惑かけます。どうぞ議論再開してください。見物させてもらいます。
議論ごっこなんて大学かブログでやってればいいのに
大学でこの程度の議論しかしてなかったら学問の終わりだよ(笑)。 ガチャガチャと騒がしい闖入者を迎えての、2ちゃんに相応しい低空飛行のレス返しでしょう。
つーか気楽になんでも書いちゃえばいいじゃん
じゃあ議論とか言わずに素直に駄弁ってるだけって言えば?
ぐだぐだじゃな
俺は分かってんだ、っていう態度で、 人が書いたマジレスにwwwっていうだけのレス 書いてる奴が本当は大嫌いなんだ。 ちゃんとしたマジレスを書いたのは263だけで、 一番変なのは266だ。
>>49 「思想」4月号入手しました。
まー宇野さんはともかくとして、
前田英樹はすごいな。
映画論といえば、平倉圭の『ゴダール的方法』を読んでいるところだけどこれは面白い。 『シネマ』への批判的応答にもなっているから、ドゥルーズ論としても読める。
こんな状況下で言葉遊びに耽ていられる感性は何に由来してるわけ?
不謹慎厨
>>278 そんなこと言うのなら、あんたが
2chなんか見てるほうがおかしいよ。
震災で円高になった時に各国か相場に協調介入してくれた。 日本はまだ見捨てられていない。 世界各国から支援の申し出がある。有難いことだからご縁を大切に頂くべきだ。 管首相がだ。だが民主党はドラスティックに自民党政治の枠を変更することが出来ない。 昨年スタンダード・プアーズの挌ずけで日本は中国と同じランクに格下げになった。 カントリーリスクが上がる。たぶん次の赤字国債の発行で、日本経済凋落 のシナリオはロックオンされる。政府がごまかし続けているが、経済成長率は 数年後中国に取り戻しも着かないほど差をつけられることが予想される。 一般論として原発の安全性を云々するより、地震国の日本で原発を持つことが ほかの国よりリスクが大きいことのほうが問題だ。 危機管理について日本が失態をさらしているのがTVの東電他の報道を見ていて 見ていられない。日本が危機管理能力がないとみなされるとなると 日本のステータスはもっと下がる。 原発の現場ではもはや死人が出ている。東電の上の方や重電4社の内の 日立と東芝はどう責任を取るつもりだろうか。世界が注目するなかでだ。
>>282 なにこの床屋政談w赤字国債より復興資金が足りない方がヤバイっつの。
復興資金は日銀引受復興国債にしないとダメだよ。
増税による景気後退の方がよほど経済にとっては危険。
以上居酒屋談義でした。
だいたい日本のステイタスとか気にする奴ってなんなの? 日本のステイタスが下がったら自分のステイタスも同率で下がるのかよ。
>>276 宇野さんと前田さんて、立教大で映像身体論てのを受け持ってるんだよね。
授業受けたことのある人いたら、感想キボンヌ(←懐かしいことばを使ってみた…)。
ttp://cp.rikkyo.ac.jp/prof/index.html 講師に万田さんや勅使河原三郎がいるのが面白そうだけど、
香山リカは要らないだろ・・・ラカン派らしくジジェクっぽい話をするのかな。
『スラヴォイ・ジジェクによる倒錯的映画ガイド』のDVD高すぎる・・・
日本は見捨てられてない!日本はすごいんだ! 典型的なネット豚
>>286 むしろネットの方が悲観論に傾いてませんか。
立川健二は何やってメシ食ってんだろう???
ゴダールは、AOから何らかのインスピレーションを受けた映画を作るつもりだったらしいね。 1973年。企画が通らなかったから撮られなかったけど。 企画書には以下の文言があったらしい。 「私、私は機械である」 「私たちはジル・ドゥルーズとともに言うだろう──反復(第一部)、差異(第二部)、欲望?社会機械(第三部)」 ゴダールはドゥルーズのことを無視しているという印象があったので、なんか意外。
>>290 平倉圭『ゴダール的方法』175-176頁
素晴らしい情報だぁ。AOが何かわからないけど。
293 :
考える名無しさん :2011/04/18(月) 16:47:21.00 0
ふつーに、アンチ・オイディプスAnti Oedipeでしょ。。
294 :
考える名無しさん :2011/04/18(月) 17:23:37.24 0
結局、思想ってのは一種の伝言ゲームであって、人が「真理」と呼ぶものは その人にとっての真理でしかない。 いわば「生きる(存在の)意味」であって、それは「意味への意志」を表すものでしかない。 それが現象的に多数者に応用できるとはしても、それがいわゆる「真理」であると 証明する方法はどこにもない。 われわれは習慣からそれを「真理」と呼んでいるだけのことで、 全くヒューム的な意味で蓋然的なものだってこと。 それを前提にして話をしなければ、永久に「真理」の幻影に惑わされるだけだ。
295 :
290 :2011/04/18(月) 19:58:06.24 P
千プラにコッホ曲線の絵が描いてあるのみたな。 もしドゥルーズがマンデルブロー集合を見ていたら。。
>>259 端的にいって映画はイマージュのかたちで実在しているのであって、
概念の実在性とは、別です。
CINEMA2 p385(同ページ)
「理論もまた、理論の対象に劣らず生成する何かなのである。」
「映画それ自身イメージと記号の新しい実践であり、哲学は概念的実践として
その理論を作らなければならない。」
したがってCINEMAは映画という対象の生成に即して生成した哲学理論です。
そして「もはや映画とは何かではなく、哲学とは何かと問わなければならないときが、
いつもやってくる。」上述の問いに答える書物がDGの「哲学とは何か」として後に書かれるのであります。
簡略にいうと哲学は概念を用いる仕事であることに加えて、ドゥルーズ固有の意味において
哲学的であるためには、多くの諸条件のうち特に思考のイマージュからなる内在平面の上に
概念が布置するのでなければならないことになります。
マンデルブロー集合って、 スピノザの考える神にも密教の曼荼羅にも見えないか? フラクタル幾何学詳しい人いないかな
単なる自己相似フラクタル。そこには何の神秘もない。
>>294 フランスのポエム系哲学を読んでいるとそうなるかもしれないけど
その「真理」概念は弱すぎるね
もし真理が各人に相対的であるなら
人は「〜である」と「〜と思う」を区別できなくなるよ
>>301 >その「真理」概念は弱すぎる
それも君が、弱いと思っているだけで
本当に弱いことと区別できてないよねー
さすがに、起源がヒュームにあることも知らず フランスとかポエム系とか言っているバカにはつける薬がない
伝言ゲームの中で歪曲されながらも、その歪曲のされ方の内に孕まれている「差異」そのもの、 「特異性」=「強度」に着目することで「真理」のモデルから離脱するってのがドゥルーズだったはずでは。 「"意味"とは、その文に向ける、人の関心に他ならないし、それ以外に意味の定義はない」とドゥルーズも言ってるし。
誰の毒にもならない哲学なんて哲学じゃない、 という感じの文言が出てくるのはどの本でしたっけ?
>>298 中沢新一『チベットのモーツァルト』にその話あった。
論理学や数学の秀才・天才が集まってやってる分析哲学に比べると フランス思想の人達は、 出来の悪い文学者が一生懸命背伸びしてるようにしか見えない。 東大の哲学科も分析哲学者ばかりだしね
>>308 毎日ご苦労様。
今度は信奉対象の学歴自慢ですか。
「出来の悪い文学者」でもやらないような批判の仕方ですね。
ほとんど小学生レベルです。
あなたが「秀才・天才」でも「東大の哲学科」でもないということだけはよく分かりました。
312 :
考える名無しさん :2011/04/19(火) 18:06:07.88 0
>>304 うんうん、そうだね。
言い換えれば哲学史そのものが「差異と反復」なんだよね。
>>308 分析哲学(と論理実証主義)の中心的基盤になってるのはイギリス経験論。
ヒュームはそのイギリス経験論の極北と言ってもいいし、
ドゥルーズはそのヒュームの研究から学者としてのスタートを切ってる。
『経験論と主体性』や『ヒューム』といった書を今一度ご覧あれ。
>>311 一時期自分も読んでましたよ、セイゴーさん。
最近はまぁ、あまり読んでませんが。
ちょっと「編集工学」的視点に偏りすぎですよね、毎回。
語り口はまぁ、好きですが。。
313 :
考える名無しさん :2011/04/19(火) 18:31:20.86 0
やっぱり入門書として一番適切なのは清水書院の『人と思想 ドゥルーズ』(船木亨)だよね。 その次に『ドゥルーズ 流動の哲学』(宇野邦一)。 この順に読んでいけば、結構、ドゥルーズの関心に即した読解ができると思う。 もちろん、自分なりの読解もありだろけどね。
>>311 AOとMPは基本的にガタリの書物
草稿が出版されているくらいだからね♪
ヒュームの原理というフレーゲの着目した一対一対応の原則を 分析哲学派は読み切れてない。 だからドゥルーズがヒュームを再評価した意味も理解できない。 ポエム、非合理なものを攻撃することでしか自らの合理性を主張 できないのはもはや哲学ではなくて政治。
>>294 ずいぶんと陳腐な相対主義に依拠してるんだね
>>318 なら貴方のさぞご立派であろう○○主義とやらを聞かせてくださる?
>>289 ドゥルーズのゴダールへの思慕は一方的だと思ってたから
ゴダールのそんな応答があったことに驚愕
良い情報ありがとうございます
321 :
考える名無しさん :2011/04/20(水) 20:11:20.69 0
>>316 >>319 この人たちは哲学じゃなくて政治に興味があるようだから
無視しちゃっていんじゃない、もう?
単純に、喧嘩を吹っかけたいだけのようだし。
「学問的誠実さ」のかけらも持ち合わせない人たちなんか
相手にしたって時間の無駄。
どこをどう読んだら政治に興味があることになるんだろう
323 :
考える名無しさん :2011/04/20(水) 20:51:54.47 0
>>322 自分で考えなよ。
これは伝言ゲームなんだから。
ドゥルージアンは喧嘩の仕方も独特ですね。
325 :
考える名無しさん :2011/04/20(水) 21:17:13.03 0
いや、ドゥルージアンであろうとなかろうと、反論は具体的にするべきでしょ。 やれ陳腐だのポエムだのって感情論並べたところで何の意味もない。 ドゥルーズ哲学に対置されるものとして厳密な論理実証性を重んじる分析哲学を持ち上げるなら なおさらそうすべきでしょ。 じゃなきゃ単なる流行に乗ってるバカだ。
なるほどねえ。一理ありますねえ。
― 問1 ― ドゥルーズはなぜ自殺なんかしたのか。
晩年は肺病を患い、人工肺で生存していたが、1995年に自宅アパルトマンから投身自殺した。
― 問1 ― ドゥルーズは“なぜ”自殺なんかしたのか。
病気がつらかったんでしょう? 私の恩師も晩年病を患って、あげく鬱になって自殺しましたよ。 「老醜をさらしたくない」と書き残して土砂降りの夜濁流に身を投げました。 ドゥルーズもそんなとこだったんじゃないでしょうか。
331 :
考える名無しさん :2011/04/20(水) 22:36:02.92 0
>>327 ドゥルーズは肺気腫だった。
これは本当に苦しい病で、患者の中には死の衝動に駆られる人も少なくないらしい。
より哲学的に、しかもドゥルーズのそれに即して考えるなら、主体化の一環としての死、
「ゆりかごから墓場まで」という福祉国家に抵抗する手段としての死といったところかな。
「自殺は人間の一能力であり、(中略)例外的な状況において利用すべき能力である。」
(『経験論と主体性』)
>厳密な論理実証性を重んじる分析哲学 ああ、これ違ってますから。 分析哲学=論理実証主義じゃないですから。
>>297 >哲学理論です。
おいおい、どう見ても引用文の「その理論」って、「映画」の理論だろ。
CINEMAは映画理論であって、哲学理論じゃないだろ。
更に言えば、映画の諸概念は、哲学の諸概念と違って、
「思考のイマージュからなる内在平面の上に概念が布置」して無いんじゃないのか?
>「思考のイマージュからなる内在平面の上に概念が布置」 内在平面の定義をおしえてください
335 :
考える名無しさん :2011/04/20(水) 23:18:24.07 0
>>332 >分析哲学=論理実証主義じゃないですから。
うん、だからそうは書いてないよね?
「論理実証性を重んじる」と書いたまでで。
早合点しなさんなって。
336 :
≠297 :2011/04/20(水) 23:24:45.30 0
>CINEMAは映画理論であって、哲学理論じゃないだろ。 あきらかに「映画理論」の何たるかを知らない人の発言だね。 ドゥルーズのシネマを、たとえばエイゼンシュテインのモンタージュ理論とかと 同じものとして読めるかっていうと読めんでしょ、どう見ても。 哲学的要素が濃すぎる、映画理論としては。
ドゥルーズはベルクソニアン 豆な。
339 :
考える名無しさん :2011/04/20(水) 23:35:59.42 0
>>337 ポエムにすらなってないね、そのレスは。
論理性もなければ詩的感受性もないか…どうしようもないね、こういう手合いは(苦笑)
言うことないならロムってなさい。
>>336 ,339
すると
>>247 のドゥルーズは、自分のCINEMAについてではなく、
単に「たとえばエイゼンシュテインのモンタージュ理論とか」のことだけに言及してるってことかw
おーい、
>>247 、それでいいのかwww
ドゥルーズは自殺さえも楽天的に考えてるの とんだ脳天気野郎だな
342 :
考える名無しさん :2011/04/20(水) 23:49:07.31 0
>>340 はいはい、御珍説、御開陳どうもありがとう。
それではお引き取りください、哲学を知らないド素人さん。
343 :
考える名無しさん :2011/04/20(水) 23:51:40.47 0
>>341 ヒュームの『自殺論』もご存知でないようで。
344 :
考える名無しさん :2011/04/20(水) 23:53:32.65 0
やっぱりド素人。
>>342 >哲学的要素が濃すぎる、映画理論としては。
>哲学的要素が濃すぎる
>濃すぎる
>濃すぎる
>濃すぎる
こんな恥ずかしい自説(
>>336 ,336,336www)を守るために、
ドゥルーズ自身が言ってること(
>>247 ,297)を無視www
ドゥルーズはポエマー 豆な。
348 :
考える名無しさん :2011/04/21(木) 00:04:15.19 0
必死だな(苦笑)
>>348 ポエムにすらなってないね、そのレスは。
論理性もなければ詩的感受性もないか…どうしようもないね、こういう手合いは(苦笑)
言うことないならロムってなさい。
351 :
考える名無しさん :2011/04/21(木) 00:11:19.33 0
ついに自分の言葉すら失ってしまったか、嵐君は(苦笑) ま、その程度って事だね。 クワインとかクリプキとか、一人くらいの理論は持ち出してきてほしかったが。
ドゥルーズの『原子と分身』を読むと つくづく「詩人だなにゃ〜」と感じてしまう 彼は根っからのポエマーなんだな…
353 :
考える名無しさん :2011/04/21(木) 00:16:43.39 0
自己顕示欲旺盛なお坊ちゃんなようで(苦笑)
またずいぶん狭い内在平面だな
内在平面(笑)
「内在平面(笑)」(爆笑)
一人だけageてる馬鹿がw
ageてるのは自己顕示欲が強いからではなかろうか
いや、必死すぎて気付いてなかったんじゃね(笑)
だなw
362 :
考える名無しさん :2011/04/21(木) 00:59:40.91 0
違うな、君らのようにちびっちゃいないからさ(笑) もっといえば、次の予定までの単なるつなぎだよ。
ドゥルーズ研究者の顔ぶれみたらだめだこりゃって思うわな
差異と反復でも、ネルヴァル・ノヴァーリス・ヘルダーリン・マラルメ等が リスペクトされてるな。
CINEMA1の冒頭からベルグソンへの注釈から始まっており、 そもそもが映画を運動イメージ・時間イメージと呼んでいることから、 映画を哲学的前提としてベルグソン哲学の「イマージュ」として扱うことから、 この書物は哲学書です。
スクリーンという物理的な媒体を介する、始まりと終わりのあるフィルムを、
ベルクソン的イマージュと同列に論じるのはどうかって意見もあるみたいで、俺もそれは思う。
>>365 「観念的(理念的)な出来事」って概念はノヴァーリスの引用のようだし、
数学への愛着もどこか似ている。
ドゥルーズの主要な主張ってなんですか?
>>369 統合失調症における欲望は創造的なものだと主張したことでしょうかね。
すいません 「欲望が創造的である」ための必要十分条件なんですか?
射精しないこと
ということは ドゥルーズの主要な主張は「統合失調症患者は射精しない」ということなんですね
ドゥルーズ好き〜研究者って見た目に気を使ってる人多いよねwww 哲板のキリエもホストみたいな髪型してるしw
黒縁メガネにカーディガンみたいな草食男子よりホスト系の方がいいよ
まーくんも派手だね
これからのドゥルージアンは茶髪に半ズボンが定番スタイルです
というか身だしなみは整ってる方が好ましい
灰色スーツのドゥルージアン
ファッションも脱属領化しろや
381 :
考える名無しさん :2011/04/22(金) 16:11:57.74 0
masason 孫正義
怒り大大大爆発‼‼ まとめて許せん‼‼ RT @sekenniikaru 「子供も、20mSv問題」原子力安全委員会は、助言しただけ、決めるのは文科省だと逃げた.。 #childF live at
http://ustre.am/xUPv 15時間前
ドゥルーズは44歳の時結核になっている。 フランスで公刊された写真集では66歳の時 タバコをすっているのが写っている。肺水腫 が死病となったという。最悪だ。 俺もタバコをどうしても止められない。 どうすれば止められる?
タバコやめられなきゃタバスコにしなw
私も昔1日で二箱吸うヘビースモーカーだったのですが、 二泊三日の旅行に行った時煙草を家に忘れて行ったのです。 旅館でひといきつこうとして「あ、煙草がない」と気づき、 ついでだから禁煙してみようかな、と思いたち煙草を吸わない事にしてみました。 吸わないでいるとどうしようもない衝動がこみ上げてきて、一ヶ月は大変でした。 一ヶ月すぎると喫煙欲求はなくなってきます。 禁煙はじめてから二年たちますがとくに吸いたくなる事はないです。 禁煙外来に行けばチャンピックスや禁煙パッチなどがもらえますが、 これらには鬱になる副作用がありますので注意が必要です。 やっぱり何も使わないで禁煙するのが一番ですよ。
ドゥルーズは長いこと肺を病んでいたが、 ずっと死のことを考えていたんだろうな。 「アベセデール」は死後に放映されることを条件に 収録されていた。 そのなかでももクレーヌ・パルネも タバコ吸っるところが映ってる。
フランスは禁煙後進国だよな。 喫煙者全員が肺を病むというわけではなく、個人差あり。平気な奴は平気。 ただ呼吸器疾患で死んでいくのは最悪の苦しみ。 俺も喘息持ちだからある程度わかる。 ドゥルーズが気力の残っているうちに自殺したのは正解。
387 :
考える名無しさん :2011/04/23(土) 01:47:58.66 0
たぶん家人(ファニー?)に禁止されてたんだろうが、人にもらって吸い続けてたそうだ。 アベセデールの「左翼(Gauche)のG」の項では、タクシーでの禁煙が決まった経緯の話をしてる。 人権と法解釈をめぐる話の文脈上で。 これはドゥルーズ哲学を考える上で非常に重要な参照項だろな。
禁煙外来行け
>>238 ドゥルーズがリセで教えていたころの
講義録なんだ。ファニーがOKを出せば
そういうのこれからも出てくるな。
中身はたぶんカントなんだろうな。
「基礎づける」っていうけど、
ドゥルーズは現象学はやらなかった
と思う。むしろハイデガーだな。
「根拠の本質」かな。
数学の集合論による基礎づけ
みたいだったら、分哲が笑うな。
バディウの訳がちゃんと出て、 ドゥルーズと一緒に読まれるようになれば、 分哲ソーカル厨なんか一掃されるんだがな。
分析ソーカル厨はバディウの基礎論についていけませんw
392 :
考える名無しさん :2011/04/23(土) 11:09:17.87 0
毎1.5箱/日喫煙しますと13msv〜60msv/年の 放射線被ばく量があるそうです。
数学できたって電波は電波。晩年のゲーデルもほとんどトンデモ。
394 :
考える名無しさん :2011/04/23(土) 13:59:23.59 0
数学も使いようだな バディウはあっちこっち手を出し過ぎ まとまりがない このスレは「詩人愛好会」か?
いいんじゃないか。 後期ハイデガーだって 「存在史的思索」と並んで 「詩作的思索」を存在の開示を受け止める 積極的態度だって言うぞ。
ハイデガーはどん詰まり思想の極北 進化のしようがない フッサールとは似て非なるものだ
>>397 現代フランス思想は、みんなハイデガーとの対決から生まれた。ある意味でみなハイデガーの弟子。
対してフッサール現象学は「現代のスコラ学」(ドゥルーズ)。こっちこそどん詰まり。
>>397 確かにドゥルーズはハイデガーを失敗とみなし、
「俺はもっとうまくやる。」と言った。
柄谷は「詩的な方法に頼るのは最後の手段だ。」
と書いてた。
だがどうせどん詰まりの状況だったら「ポエム」
でもしょうがないだろ。
仏陀だって因果律=十二支縁起といった教義を詩にして覚えやすくした。 そもそも詩的言語自体が音韻的には数学的であり、音韻体系を駆使するのは論理的に正しい。 そうでなければ教義は伝わらないし残らないから。 印刷技術を前提にした哲学は今歴史的に曲がり角に来ている。 そのことに気付いていない人が多いのは残念だ。 新しい哲学者は脚韻を駆使するヒップホップから生まれつつある。 ただドゥルーズは詩人ではない。 詩人(例えばディラン)を手本にした(バフチンの言う意味での)小説家といったところだろう。
>>401 >新しい哲学者は脚韻を駆使するヒップホップから生まれつつある
これって佐々木中のことかw
403 :
401 :2011/04/23(土) 16:34:37.53 P
佐々木中は五七調。 脚韻を駆使できない古い世代。
>>397 ドゥルーズスレとして一番「ポエム」論を
明確にいったのはのは209だけどね。
J・Pサルトルもメルロ・ポンティもある意味
フッサールとは似て非なるものだろ。
>>399 それはないだろ
フッサールはスコラ学の方法論はとっていない
だいたいテクスト読解なんかしないし
歴史をさかのぼったりもしない
まあ分析哲学の流れに合流するわけだ
「極北」という表現にはいつも違和感を憶える。 どうして「極南」または「南極」ではいけないのか? 哲学に北半球中心主義なんていらない。
>>405 ドゥルーズの皮肉がわからない奴は致命的
>>407 皮肉にも何にもなっていない
ガタリがいなかったらこれほど名前が残っていたかどうかは疑わしいw
>>405 前期ハイデガーの「存在と時間」までが現象学的方法をとっていて、
後期ハイデガーの「存在史」論は影響力がない訳ではないが、現象学じゃない。
私見ではあるが、なぜスコラ的なのかとは言ってみれば現象学は「存在判断の停止」
を行っているのでいつまでも現象の「記述」を延々繰り返すだけで、「実在」に
たどり着けない。ドゥルーズが言うのは、「実在的経験」における「存在の一義性」を
対置することだ。
>>409 わかってないなあ
それは現象学が「真理」を設定しないからそうなるわけ
「実在」に辿りついたとしたらそれは全くの嘘なんだよ
だからドゥルーズのようにロマンポエムになってしまう
ドゥルーズをおもしろいから読んでるだけの身にすれば ポエムだろうが哲学だろうがどっちでもいいんだけどw
ですよねえ。個々人で解釈を統一する必要なんてないですよ。
だったらグダグダレスするな。
>>408 ガタリ自身の言葉によると(現代思想ドゥルーズ=ガタリ特集号)、
ガタリは当時、ジルの天才を台無しにしたとさんざん罵られたらしい
ドゥルーズ自身は千プラを個人の仕事を含めていちばん良い仕事だったと
誇ってるけどね
>>410 ドゥルーズが真理を想定しているとしたらどの箇所だ?
>>410 減少額が真理を想定していないとしたらどの箇所だ?
ポエム野郎
>>410 >「実在」に辿りついたとしたらそれは全くの嘘なんだよ。
誰が何処でそういった?
>>411 ,412
君たちのドゥルーズについてのレス(「解釈を統一」とかw)がポエムなんですよ。
あと、ドゥルーズの言葉そのものがポエムだと言っているのは、
ただの馬鹿なので、相手にしないでいいでしょう。
実在とは真でも偽でもない。 命題についてしか真偽はいえない。 どんな場合にも真であるような 命題を「真理」であるとして、 そんな素朴なものを 哲学は語らない。
>>418 だからポエムとして受容するのを拒まない層を抑圧するおまえ等は何?
と言いたい
どんな場合でも真であるような 命題は「一般性」でしがなく、 それは表象=代理現前 でしかない。
>>422 結論、ドゥルーズは来るべき民衆派を装った貴族主義っていう見解でok?
そう見られるのはガタリのせいだ。
>>423 たぶんそれでOKだ。
DGの性格はそう。
実際にポエムなものはポエムなんだから仕方ないではないか。 ポストモダン→ポエムメルヘン(ドゥルーズはここ) 《ポモ》から《ポン》への進化 見事なり汁・ドゥルーズw
ドゥルージアン(笑)にとっては 分析哲学的なるものはソーカルどまりなんですなw
>>427 いやいや、分析哲学なんて名称しかしらないですよ。
おやおやw
フランス現代思想を研究している日本の面々をみてください。 翻訳以外の仕事なんてまともな仕事は一切無いですからね。
ドゥルーズのどこがすごいの?
読むだけで全能感が得られるところがすごいのかもな。 おかげでドゥルーズについて語るだけで何かを創造してる気になれる。
>>431 それをいま世界中のドゥルーズファンが鼻くそほじりながら考えているんです。
ちなみに間違いを訂正させて頂きますね↓。
×ドゥルーズのどこがすごいの?
◯汁男のどこがスンゴイのっぉ?
434 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 00:30:28.49 0
民衆が欠けている
定住してる奴は見捨ててかまわんのですよ
436 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 00:46:48.91 0
ノマドは動かない。
>>420 あなたも含めた「ポエムとして受容するのを拒まない層」(笑)とやらは、ポエム板に逝ってください。
「スレ違い」なんだから、非難されて当然でしょう。ここは哲学板のスレですよ。
ドゥルーズ云々以前の、2chのルールの問題です。
438 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 01:02:14.19 0
常識が不足してますよねー!?♪。
439 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 01:25:16.71 0
そもそもポエム/哲学の峻別はどのようにして成り立つのか? 「常識」という一語を持って他者(の思考)への隷属を当然視するのは 哲学徒としてあるまじき姿勢ではないのか?
440 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 01:29:30.98 0
あともうひとつ、 感性的なものが論理的なものに劣ると言う見方の根拠は何?
政治学だって法学だってポエムだからな それをポエムといわないのに哲学だけポエムという 役にたたないことだってのは哲学者が一番わかってんだよ
442 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 01:36:09.11 0
思弁的なものを「ポエム」と呼ぶのだとすれば、西洋哲学の歴史はポエムの歴史だということになる。 哲学とはひとつの思弁機械だ。だから諸部分と連結することで初めてそれは機能する。 少なくともドゥルーズ読みなら、そう考える。 はずだ。
443 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 01:40:18.24 0
>「常識」という一語を持って他者(の思考)への隷属を当然視するのは >哲学徒としてあるまじき姿勢ではないのか? 付け加えていえば、そういう姿勢にこそファシズムへの萌芽は備給されている。 ドゥルーズがヴィトゲンシュタインを「哲学の暗殺者」と呼ぶ所以はまさにそこにある。
>>1 から読めよ。
ポエムの意味が違うんだよ。
>>439-443 読まないで語る馬鹿こそ「哲学徒としてあるまじき姿勢ではないのか?」
ウィトゲンシュタインが言った「哲学などせいぜいのところ文学だ」という言葉と ドゥルーズの哲学はポエムだ、というのとは意味が全く違う ウィトゲンシュタインは徹底的に自己の思想と闘って自ら言った言葉 ドゥルーズはタバコすぱすぱ吸ってカフェでクロワッサン食いながらヘラヘラしながらペンを滑らせただけの結果 頭の使い方も人生のかけ方も両者は全く対照的 存命中に最初の『論理哲学論考』しか出版しなかったウィトゲンシュタイン バカバカと馬鹿みたいに論文やエッセイなどの詩文を書いて調子こいていたドゥルーズ 歴史は両者に正当な評価下すことだろう いやもうすでにその結果出ているのかもしれない 天才ウィトゲンシュタインとともに本当の闘いをしようではないか
>>445 >ウィトゲンシュタインが言った「哲学などせいぜいのところ文学だ」という言葉
ウィトゲンシュタインがどこで言ってるんだ?
>>446 たぶん『哲学探究』か『断章』だと思う。
俺は栗本慎一郎の『パンツを脱いだサル』と丸山圭三郎の著作に引用されているのを
前に見た。
「せいぜいが文学だ」という言い方をしていたのは知らないが、 「哲学は詩のようにしか行なえない」と言ってるのは読んだ覚えがある。『反哲学的断章』だと思う。 これは言ってみれば、哲学は科学的な論理に沿って行なわれるのではなく、 科学的論理なるものが言語ゲームとして遂行されるその様を、彼自身の直観に基づいて捉える、 という、言語への独特の関わり方について指摘した言葉なのかな、と。 まぁハイデガーとちょっと似てるよね。実際、「言葉の限界に迫ろうとするハイデガーの心境は分かる」と言ってたそうだし。 ドゥルーズは、ウィトゲンシュタインの弟子筋は批判してたが(『襞』第6章冒頭ではそれに続いて、ホワイトヘッドが英米圏の偉大な哲学者とされている)、 『意味の論理学』では一応は評価してたりもするね。
つーか、俺もウィトさんは大好きだし、ニーチェに匹敵するくらい尊敬してるんだが、 「天才ウィトゲンシュタインとともに本当の闘いをしようではないか」←こんな言質をウィトさんが歓迎するとは思えんな。 「哲学者はいかなる観念の共同体にも属さない」とか、私的言語に関するウィトさんの厳しい思索を思うと、 「天才」とか「共に」とか「本当の」とかいう言葉を発する姿勢そのものを、いちいち根底から疑いたくなるわ。
ニーチェってどのくらいすごいの?
ガタリはニーチェが嫌い
ニーチェ主義者=ニーチャン
453 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 11:34:12.55 0
ゲーデルの定理――利用と誤用の不完全ガイド 作者: トルケル・フランセーン,田中一之 出版社/メーカー: みすず書房 発売日: 2011/03/26 メディア: 単行本 購入: 1人 クリック: 11回 この商品を含むブログ (2件) を見る おそろしい。何が恐ろしいって批判対象はポストモダニストではないのだ。もっとシビアである。ペンローズニダイソンにホーキングに果てはチャイティンまで……。
みすずは無駄に高い
そういや、國分功一郎のスピノザの方法もみすず書房からだったな。高くて買えるかks
>>453 だって青土社あたりから出せば2000円台なのに…
ポストモダニストは批判対象以前の存在
457 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 16:53:30.33 0
存在論―なぜ無ではなく世界が存在するのか 相沢 義男 (単行本 - 2011/4) 新品: ¥ 3,150 内容説明 なぜ〈無〉ではなく、世界が〈存在〉するのか!? 大学までの「数学」への想いを脱し、フランス文学へ転向した著者。東大・仏文 では徹底的にモーリス・ブランショの「レシ(物語)」を読んだ。〈無為〉の 作家といわれたブランショから〈存在〉の哲学者ハイデガーへ。そして約30 年、〈存在〉をめぐるノートを書きつづけることになった。在野の哲学者として、 「常識」「一般了解」「予断」をカッコに入れ、考察を継続する。ハイデガーを 軸に、〈存在〉〈時間〉を考えた思想家たち(カント、デカルト、ベルクソン、 サルトル、レヴィナス、ヴィトゲンシュタイン、マクタガード)の論文を徹底 的に読み込み、〈存在〉そのものへ深く鋭利なメスを入れ、切り込んだ瞠目の論攷。 著者について 相沢 義男 (アイザワ ヨシオ) 1953年新潟県村上市八日市生まれ。早稲田大学理工学部数学科中退。東京大学文学部フランス文学科卒業。現在、塾講師。
コクブの原典購読のノート 1ページ目読んだがなかなか の語り口だった。
ドゥルーズの文芸作品は そこそこ面白い 豆な。
>>445 ウィトゲンシュタインを一度でも真剣に読んだことがあるんなら、
「歴史は両者に正当な評価下すことだろう」なんて言葉が吐けるのか?
「歴史」が「正当」さを決定するというのは、ウィトゲンシュタイン的に言って、どういう意味なんだ?
晩年の思索の中で、「歴史」にそれまでとは違う意味づけをしていたのは確かだが、それは言語ゲームにおける働きであって、
言語ゲームを考えるということ(その行為自体、言語的に表現された時点でひとつの言語ゲームでもあるが)とは、
たとえ薄皮一枚といえども、決定的な差異があるはずでは?
こういう迂闊なことを書く奴が、「ドゥルーズはタバコすぱすぱ吸ってカフェでクロワッサン食いながらヘラヘラしながらペンを滑らせただけ」
とか。ヘラヘラしながらてきとうにキーを打ってるのはお前自身だろうが。
ウィトゲンシュタインの思索は、それ自体が言語ゲームとしてしか表現し得ないという意味で、
絶えず言語と対峙しながらその上に安住しない「活動」(「哲学は教説ではなく活動である」『論哲』)なわけで、
ドゥルーズの、運動としての思考と一種、相通じるものもあるが、ドゥルーズは「概念」が物の見方と感じ方を変える面に信を置いていたので、
やはりまるで異なる態度だろうな。だが、ウィトゲンシュタインは、自分と違う仕方で哲学が出来ることを否定してはいなかったはず。
>>460 >ウィトゲンシュタインは、自分と違う仕方で哲学が出来ることを否定してはいなかったはず。
同感。
そういう姿勢が、ヴィトゲンシュタインは他の哲学者と一線を画す凄いところなんでしょうね。
というか、ウィトゲンシュタインの日本の扱いっておかしくないか? 野矢や飯田や永井が集まってやってる「ウィトゲンシュタイン研究」みたいなのって、 分析哲学じゃなくないか?
分析哲学と呼べるのは初期ヴィトゲンシュタインだけ。 分析哲学という枠組み自体がとっくの昔に虚構になっている。 というか、その虚構の枠組みが政治的な理由だけで維持されている。 暴力手段に支えられたリアル・ポリティックスによってね。
分析哲学というのは、 大学の講義で今なにやってんだろう。 ウィトゲンシュタインに至って、 分析哲学は日常言語学派に解消された とはるか前に読んだ。
科学哲学だって心の哲学だって分析哲学だからなあ
言語を分析する分析哲学は言語哲学とどう違うんですか?
言語哲学も分析哲学の一派です つまり分析哲学の領域は広いのよん♪
いまや「分析形而上学」だからな 俺のような素人はナンノコッチャ?と思ってしまうw
その辺はクリプキ以降の可能世界意味論の出現が大きい。 分析哲学は20世紀後半も人材に恵まれていたから、 ウィトゲンシュタインの扱いも総体的に小さくなった。
分哲とは「明晰」さが基準なのか。 無意識とかはどうする?
クオリアの問題になるな
クロソウスキーはウィトゲンシュタインの翻訳者でもあるが、『ニーチェと悪循環』では、 「思うに、意識も無意識も(意志も非意志も)決して存在せず、基体の内に在るのは唯、指示作用を有する波動のシステムに従って交代する、 沈黙は発言の非連続性だけである。」 で、沈黙、発言、思考等が出来たり出来なかったりするのは、基体に定着している外部としての「日常的記号のコード」との相関であると。 この「日常的記号のコード」は、ウィトさんの「言語ゲーム」という概念が背景にあるはず。
沈黙は発言の ↓(訂正) 沈黙と発言の
クオリアってベルグソンに似てないか?
>>474 「基体の内に在るのは唯、指示作用を有する波動のシステムに従って交代する、
沈黙と発言の非連続性だけである。」SFだな。
クロソウスキーはドゥルーズに「シミュラークル」
の概念を献辞しているが、ドゥルーズは後に
この概念を去ることになる。
>>476 で、その概念を拾ったのがボードリヤールだったの?
分析哲学スレでやれ
えっシミュラークルってクロソウスキーが言ってたんですか?
『ニーチェと悪循環』は15年以上前 に読んだのでかなり忘れているが、 確かそのはず。
クオリアってホントは 無意識をカバーできないような。
というか、分析はメタを重視するから、 「無意識がある」とか「主体を複数化する」とか言うと、 自己言及的な論理構造がややこしくなる。 無意識という語は意味を持てないことになる。
483 :
考える名無しさん :2011/04/25(月) 22:22:49.29 0
分析はメタを重視って言うか、メタそのものじゃないんですか。 素人が見たところ。。。 そりゃ、主体の壊乱とか主体の複数化とか、一杯引っかけたんですか なんて言いたくなるようなことは禁句でしょう
主体のの同一性が 論理学的な同自律とかみ合わなくなると 駄目になる体系。 やはりそこにはニーチェはない。 無意識の発見が前世紀の最大の発見の一つだというのは どうにも動かせない事実だ。
た〜まに永井均が可能世界意味論使って、 ニーチェのレトリックがいかに無意味かみたいなことやってるじゃん。 ああなると思うんだよね。
Long Before Israeli Deal, Buffett Made his Mark on Jewish Community
http://www.jewishomaha.org › Jewish Press
哲学をやっててもまずは世界の在り方を知ることは重要
世界は思わぬところでみんなつながっている
な、なんだってー(棒
ニーチェのレトリックは現前性の平滑空間の強度を反復することによってしか理解できないよ
フルーチェのセドリックが源泉徴収で平滑筋の凝固が満腹?
分析哲学(心の哲学)がどういうふうに「無意識」の概念を取り入れていくが 今後の学問としての伸びシロでもあるわな。
無意識は心理学的には興味深くても、哲学的には何ら興味深いテーマを含んでいない と分析哲学は思っているはず
サールなんかは無意識がまだ人間の精神構造として措定するだけの論理に発展していない と見ているようだね 分析哲学がこれからどういう精神構造を確立していくかだ
分析哲学がなぜ無意識を問題にしないのかというよりも、 なぜフランスでは精神分析が哲学だったのかを考えた方がいい気がする。
そうだなあ、どっぷり精神分析が入り込んでいるもんなあ 基本的にはラカンの影響だろう ラカンの考え方にアルチュセールなんかがのっかっちゃったからな まあその前に構造主義においてレヴィ=ストロースなんかがソシュールに注目したから ソシュールとフロイトの考え方をを接続させたラカンが思いの外脚光をあびた それでドゥルーズも当然だけれど他のフランス現代思想家もみんなラカンを著作で取り上げたからね
フロイトラカンってやっぱりすごいの?
ううん、脳科学に無知な人向けのオカルトだよ
ラカンはわからんがフロイトは当時それなりのいい仕事をしたんじゃないか フロイトは間違いも多いだろうが後につながる思想だったことは間違いないし
19世紀の骨相学みたいなものとして歴史に名を残すだろうな
そうなって欲しいよ ちゃんとした精神(心)の解明を期待したい
ラカンはやっぱりスゴイと最近思った。あれはヘーゲル+構造主義でしょ? しかしあれで精神病治そうというのは無茶だわな。 脳というハード面の失調がソフトをいじるだけで治るわけがない。 メルロ=ポンティなんかは現代的な認知心理学でも参考にされてたりするけど、 ラカンというのは完全にトンデモ扱いなのかなぁ。 ドゥルーズというのは、ヘーゲル、ラカン、デリダとかとはあえて違う道を行った人だよね。
503 :
考える名無しさん :2011/04/26(火) 11:20:43.55 0
>>502 >脳というハード面の失調がソフトをいじるだけで治るわけがない。
一言で終わらすなw
ラカンは曖昧なところが多すぎ
ラカンってなんで文庫がないの?
ラカン『エクリ』の新訳はどこかで進められているのだろうか。 Autres ecritsの翻訳も含め、岩波チームがやらないのだろうか。 『知の考古学』の新訳も、いまや「偉大な」と称してよい 駒場翻訳グループの誰かが始めてしまってくれているのだろうか。 Sep23日 webから
>>503 「治るわけがない」は言い過ぎだったかもしれん。
脳と心の場合は、ハードとソフト(及び社会関係を含めた環境)の境界が曖昧なので、
ソフトがハードに影響を与える場合もあるだろう。ミクロとマクロの相互作用もある。
ここら辺はシステム論の領分か。システム論となるとドゥルーズの哲学が寄与できる部分もあるだろうな。
イマドキ心と脳の関係をハードとソフトに喩えてしまうあたり、 なんというか……絶望的だなw
モデルは単純な方が役に立つ
モジュール説、コネクショニズム、量子脳、他になんかあるかな?
>>507 多くの精神疾患は器質的な問題から発生するのではなく、あくまでも機能的な問題から来るんですよ。
糖尿病などのように慢性化しますが寛解状態を続ける事は可能です。
>>511 はあ? お前はジョーク以前の問題だな。
ラカンの文脈で精神病の話だろ。
どうして勝手に「多くの精神疾患」に話がすり替わるんだよ。
ラカンなんて現代の精神医学ではトンデモ扱いじゃないですか。 なぜラカンなんですか?
フランス思想も、その後半はラカンやフロイトは、 レトリックや教養としてたしなもう程度の流れではあった。
ラカンの嫁も娘もかなりの美人だけどな まあ関係ないか…。
ラカンの娘婿がバリバリやってんのね。 ミレーユ。日本の留学生も行ってるしさ。
フロイトの精神分析じたいが父親をめぐる心理的葛藤の物語をベースにしているから ラカンもそういうことになるのかな でもラカンは「父の名」の排除によって精神病になると言っていることからも 単純に家庭の中で一番権威のある父ということではなく その先にはキリスト教の神があったんだと思う 我々日本人にはそういわれてもピンとこないけれどそれほど神は人々の精神を圧迫していたんだろうね さかのぼってニーチェやキルケゴールなんかもあの超人思想は神との闘いを乗り越えて超人として生きろ ということでしょ キリスト教社会って本当に精神的にキツイ社会なんだろうな
いや、そもそも神がいない日本のほうがキツいよ。天皇が神だと信じられていた頃の方が良かったでしょう。
巣に帰れ
僕は根無し草だから
>>511 フロイト主義というのは、神経症は治せても
精神病は治せないです。精神病は分析治療
で感情転移を起こさないので、フロイトは精神病
患者が嫌いだったそうです。
精神病の治療法は私の知るかぎり、薬理学的
方法以外には、行動療法以外の方法はないです。
躁鬱病も薬が必要です。
異常者を薬漬けにして社会の機能から抹殺するのが現代社会
>>524 精神病を治療する薬は実は
1952年以前にはなかったです。
それも効かなかったです。
脳科学的に解明されて、
最近は治り方が少し良くなっただけです。
>>526 脳科学とかの話じゃなくて、脳科学がどういう風に機能してるかの話なんだけど
佃煮コテつけろよ
>>523 フロイトも今ではオカルトと言われる様になりましたよね。
今精神病患者に必要なのは、病前の平常意識を取り戻す事です。
薬物療法と認知行動療法を家族や友人、地域社会のフォローの元で続ける事が大事です。
>>526 治るといっても、薬は患者の行動を抑制してしまうばかりで、
薬のなかった頃患者を隔離して行動を抑制していた頃と大して変わりないのではないか。
という批判もあるんですよね。
座敷牢→隔離病棟→閉鎖病棟→開放病棟 こんなです。 結核が死病であった時代のサナトリウッムが精神科病棟に衣替えした ケースが多いです。日本は先進国の中でもっとも精神科病棟の 病床数が多い国です。なんでも隔離みたくなる。 薬飲んでも隔離されるよりましですよ。
佃煮マニアも病前の平常意識を取り戻してくれ。
平常なんてものに縋り付いてんの? 最近のドゥルージアンはこんなのばっかだね 汚れを知らない、お綺麗な言葉が大好きな人たち
佃煮マニアはスカトロマニアだからそんなこともないと思うが…。
千葉さんはスピノザは徹底的な不幸というものを考えなかったのではと語った ドゥルーズにも同じ事がいえると思う デカルトの神経症的な精神に共感するとも言っていた ドゥルーズで気休めするくらいなら、デカルトを読め
人間の人間的条件が破砕された者の叫び がアルトーの叫びなんだろ。その地点から 器官なき身体がやってくる。
『身体なき器官』ジジェク著
なにそれ怖い
表面が人間を人間にする人間的条件だとすれば、その脆弱な表面が破綻して 底無しの第一次秩序に飲み込まれてしまうのだ
スレ汚してすいませんでした。もう来ません。
>>540 佃煮マニア(重度の精神病患者)のなりすましです。ご迷惑おかけしました。
>>541 は僕の自演です。ほんと低レベルですみません。死んできます。
コテハンにストーカーすることだけが僕の生き甲斐です。
たはは、今日は佃煮さんの症状がちょっと重いようです(^_^;)
佃煮さんのことしか見えません。どうしたらいいんでしょう?死にたい・・・
精神病の知識があるからその人が精神病だと決めつけるのは短絡にすぎる
>>534 デカルトは方法に自覚的だったはず。
日常生活においては「誇張的懐疑」
を行わないと言う格率を保っていたはず。
器官なき身体→アジの開き 身体なき器官→もつ煮込み
そのまんまじゃん。何を言ってるんだか!
ああそういうことですか。なるほど。
頭悪いなあ。
深読みをしてました。なにか裏の意味があるのかと。何のヒネリもなくそのまんまの意味だったんですね。
555 :
考える名無しさん :2011/04/27(水) 18:11:41.55 O
妄想性人格障害(paranoid personality disorder) 症例7 自己の周囲や世間一般の出来事について 「陰謀がある」という考えにとらわれる。
文学板川上スレのニート=性賎士=クズ(paranoid personality disorder)(ICD-10) 特徴 1. 挫折や拒絶に過度に敏感 2. 侮辱を容赦出来ず、恨みを抱き続ける 3. 疑い深く、他人の行動を歪曲して受け取る 4. 個人的権利を執拗に求める 5. 病的に嫉妬する 6. 過度の自信を持ち、常に自分を引き合い に出す 7. 自己の周囲や世間一般の出来事について 「陰謀がある」という考えにとらわれる
妄想が酷いな
おまえのな
統合失調症は病気の自覚がない
佃煮マニアの悪口はあまり言わないでやってくれ。治療の妨げになる。
文学板川上スレのニート=性賎士=クズって言われてこれほど必死になるとは
妄想が酷いな
ところで日本ではドゥルーズの読者って増えているのか?減っているのか?
文学板川上スレのニート=性賎士=クズは真実のようだ
おまえがな
ほんと頭悪いね。
おまえがな
>>539 >その脆弱な表面が破綻して
>底無しの第一次秩序に飲み込まれてしまうのだ。
「第一次秩序」の定義はドゥルーズの本の何処に出ているのだ?
そういうアバウトなアナロジーならポエムだろ。
571 :
考える名無しさん :2011/04/28(木) 00:31:52.99 0
>>529 ただ認知行動療法には継続性の点で問題があるんだよね。
やっぱり行為の具体的な意味、目的を持ってないと人間ってなかなか持続できない。
ロゴセラピーなんかもその意味では有効。
でもどっちにしろ今の日本の医療体制じゃろくな精神療法は行えないよ。
診察時間が短すぎる。
川上未映子って自演ひどいんだって。
川上の話は川上スレでやれよ。いくら2ちゃんとはいえ、うんざりだよ。
>>570 俺は
>>539 じゃないけど、『意味の論理学』でいえば、観念的な出来事の場としての表層の下に潜む、
物質的な因果関係、能動受動の関係性のことでしょう。
ドゥルーズの一番の問題点はベルクソニアンであったということかな?
ベルクソニアン(笑)
>>571 そうですね。今の医療体制は不完全なものだと思います。
対症療法しかできないですからね。
ドゥルーズが訴えた様な、患者の欲望の肯定もだんだん認知はされてきて、
患者主体の医療になりつつはあるんですけどね。
577 :
考える名無しさん :2011/04/28(木) 18:34:02.71 0
>>576 >患者主体の医療になりつつはあるんですけどね。
治療ではなくて、医療なんですね。
治療というと、既存の秩序に押し込めていくという
印象があるけど、患者主体って、どんなことなんですか?
言うは易く行うは難しという印象なんですが
>>577 昔は医者がこうだと方針を示したら患者はそれに従うしかなかったんですけど、
今は患者がどういうプランで治療を行って行くのか自主的に計画できるようになったんです。
医者は専門家の立場からそれをサポートするという形です。
>>573 >底無しの第一次秩序に飲み込まれてしまうのだ
物質的な因果関係、能動受動は
結構だと思いますが、「むき出しの」
ではあっても「底なしの(sans fond)」ではないと思いますが。
580 :
考える名無しさん :2011/04/28(木) 19:53:46.07 0
>>578 >今は患者がどういうプランで治療を行って行くのか自主的に計画できるようになったんです。
昨今の大学教育と少し似ていますね。
>>573 「意味の論理学」p121
「キャロルとアルトーが出会うということにはならない」
というところにこだわってます。
539さん自身の回答が聞きたい。
スピノザ論とヒューム論は読みづらくて仕方がない。
精神病院の閉鎖病棟には 一日中喚くというか叫び続けている患者さんがいます。 薬でとめるんですけどね。 その人たちは悲しみとか苦しみとかを 生きているんです。 もうでもコワレちゃって直んないな、みたいなこと でしょうがないんだけどね。
精神科医療でクリニックなんかで 患者さんになる時、 「幻聴が歩かないか」が分かれ目で、 あると答えた人は、厳しい意目にあう。 薬で完全に止まるんだけどな。
586 :
571 :2011/04/29(金) 14:07:27.88 0
>>578 「治療」モデルそのものはだいぶ改善されてきたね、たしかに。
一方で触法障害者を医療現場でどう扱うかという問題も起こってきてる。
精神科だけじゃなく医療が担う課題は多いよね。
地方の医師不足とか。
>>580 もともと60年代末の大学改革の中から出てきたところが大きいからね、「治療」モデル批判は。
もちろんそれ以前から取り組んでた人もいたけどね。
結局医局制度とかホスピタリズム的なものが症状悪化とか治療の困難さにつながってた面があって、
患者は言ってみれば「二重のストレス」に曝されてたわけ、地域と病院内で。
精神疾患ってのは心的負荷がかかればかかるほど治りにくいし再発もしやすいものだからね。
自演
幻聴や幻覚は薬でかなり抑えられるね 問題はそういう精神状態は薬を飲んでも維持されるということ これには色々な解釈の仕方あって説明は難しいけれども 一般に夢を見ている時の自分自身ってその夢の状況がいかに覚醒時と異なるような 状況であっても夢見てるときは自分自身が全く疑問には思わないでしょ それで夢から覚めると「不思議な夢みたな」って思う 精神病患者はこれとほぼ同じで寝て夢を見ている時の意識状態とどうも似ているらしい これを脳科学的にみれば寝ているときの脳機能状態になっているということになる これは新しい観点だからこの考え方が医学にいかされるようになるのはもう少しかかるだろうね
はいはい単一事例単一事例
>>586 たしかに症状が悪化するに従って被害的になったりして周囲に敵意をもつ患者もいますからね。
そうすると報復のために他者に危害を加える様になります。
それは明らかに障害のせいなんですが、39条で法的には罪を免除されるものの、
マスメディアでは障害者の犯罪に批判的な報道がなされるようになってしまって、
彼らにスティグマがついてまわるのは避けられないようですね。
>>588 そうなんですよね。鋭い意見だと思います。
症状を訴えている患者の意識は、ちょうど白昼夢を見ているのと同じで、
下意識が表層に出てきてしまっているんですよね、夢の中の様に内在的他者の「声」が聞こえたりします。
それが薬で抑えられるかどうかはかなり人によってバラつきがあると思いますよ。
>>589 おい、588は佃煮患者じゃない
俺は全くの別人だ
そこに書いたのは単一事例ではない
様々な事例から導かれた研究結果の一例だ
まあそういう考え方も成立するという意味かなたぶん
>>591 河本英夫なんかだったら「睡眠時の脳システム」という言い方をするんだろうね
>>588 での考え方でいけばぶつぶつ独り言をいいながら歩いている精神病患者さん
なんかの状態もそれなりに理解できるよね
それから幻聴や幻覚は「何となく聞こえる、何となく見える」という曖昧なものじゃ
ないでしょ?
むしろ「はっきり聞こえる」し「はっきり見える」はず
だから患者にとって「実在」なんだよね
もちろん薬の効果はそれぞれ違うけれども効果が薄い人は薬自体がマッチしていない
可能性の方が高い
医者は実際に精神症状なんか経験したことのある人はまずいないから
薬の処方がちゃんとできていない医者は物凄く多いのが現実だ
ところでドゥルーズの理論で 精神病は治るの?
>>594 まあ参考にはなるだろうなあ
そのまま治療に役に立つというものではないだろう
>>592 私は統合失調症の当事者じゃありませんよ。
それにしても
>>588 さんは詳しいなあ。
お医者さんですか?
>>593 歩きながら独り言を言っている人って確かにいますね。うちの近所にもいます。
ずっと独り言を言っているのですが、話しかけると普通に答えたりするんですよ。
彼らは妄想も強くて、幻聴を、例えば神の様な偉大な人物の言葉のように解釈して、
それで受け答えしてるんじゃないですか?
幻聴の声の主の解釈も時代によってさまざま変わってきてはいるようです。昔は妖精の声、今は宇宙人の声とか。
人によって、不明瞭なノイズのように聞こえたり、はっきりとした声のように聞こえたりするらしいです。
不思議なものですね。
>>594 社会の中での患者の地位を向上させてはくれるでしょうね。
>>596 まあ色々なバックグラウンドを持った人がいるだろうからね(笑)
不明瞭なノイズとはいってもそれがそういうふうに「ハッキリ」聞こえるらし
「偉大な人」というのは我々も日常ではそういうことがあっても色々と疑う感覚はあるでしょ?
でも精神病者は「夢を見ている状態」で固定しているから判断じたいも日常ではない
だから理屈からいえばこの「夢見状態」から覚醒させてやればもとに戻ることになる
実際の方法としてはまず脳に局所投薬をする
磁場を用いて脳へ影響を与えて脳活動を変化させる
鍼灸の併用によって脳内物質のコントロールをする…
などなど色々ありますよね
そうでもないな。 知らない人が何人かが話し合っているのを、聞く場合もあるし、 5.1chみたいに臨場感ある声だったりして、夢なんてモンじゃないよ。
>>593 >医者は実際に精神症状なんか経験したことのある人はまずいないから
>薬の処方がちゃんとできていない医者は物凄く多いのが現実だ
あれ、お前も患者じゃないんだろ?
医者以上に語る資格は無いな。
>>600 いや、お前に資格は無い。
お前の主張は、
実際に精神症状を経験したことのある人でないと、
薬の処方がちゃんとできない事が物凄く多い、
そして、処方が出来ないのは、患者の状態を理解していないからだ、
ということ。
だったら、実際に精神症状を経験したことのある人では無い奴に、
さも患者の状態を理解しているかのごとくに語る資格も無いね。
△するにも□がないとっw
患者だったらキチガイって差別するくせに
>>601 そういうのぉ 内容の無い 屁理屈って 言うんじゃ マイカ \(^o^)/バンジャーイ
>一般に夢を見ている時の自分自身ってその夢の状況がいかに覚醒時と異なるような状況であっても夢見てるときは自分自身が全く疑問には思わないでしょ 日本語がおかしいけれども、 これは夢だという自覚をもちつつ夢を見ることは少なからずあるよ。
そういうことじゃねえだろ 夢の中の登場人物で死んだ婆ちゃんが出てきていてしかも自分が小学生だったとしても 夢見てる時は疑問なんか感じねえし
疑問に感じない場合がほとんどだけれども 疑問に感じつつ「シラケつつノる」という夢もあるでしょうということだよ
>疑問に感じない場合がほとんどだけれども ほとんどなら超例外は別に持ち出す必要性すら無いだろ
w いやだから、単に例外もあると指摘しただけだよ なに感情的になってんの?
>>604 そんな理屈持ち出したら誰でも患者認定できるだろ。
お前アホじゃねえの?
なんで哲学板でも文学板でも佃煮マニアをからかうと、もれなく名無しの罵倒がついてくるの? 僕、わかんなーい。
佃煮マニアは超糞スレでは自演することを認めてる。 つまり佃煮マニアにとってはこのスレも超糞スレってことなんだろう。
スレ違い。川上スレへ帰れ。
いいから、おまえは「勘違いしてました。ごめん遊ばせ」って嫌みっぽく言ってこいよ! 得意だろ。そうすりゃ場も治まるはず。
マグナに公平に頼むぜって頼んだの俺なんだよね。そしたら、あいつスレからいなくなっちゃった。マグナはよってたかって佃煮を叩くのには抵抗があるって言ってた。それぐらい守ろうかと思って。
>>612 一時は黙ってみてるって
言ってたんだが。
ドゥルーズの「アベセデール」全編をDVDで観たいよな。 前に書籍化は遺族の方々が承認しないから無理だって聞いたけど、 字幕を付けて出すのも難しいのかも知れない。 ジジェクの「倒錯的映画ガイド」のDVDは早々に発売されたのにね。
川上スレのことは川上スレでやれ 迷惑だ
あとは講義録だな。これも出て欲しい。ドスの「交差的評伝」p.118以降で 描き出されているドゥルーズの講義の様子はとても魅力的だ。 「さてさて、超越論というのは、何なんだろう?それは可能性の条件だと カントは言った。だけど、どうしてそれを超越論と呼ぶのだろう?私には 分からないね、まったく分からない」 こんな調子で始まるわけだから、いい先生だったのだと思う。 個人的には「襞」がよく分からないので、ライプニッツ講義が読みたい。
アベセデールはAMAZONーFRで 買えるよ。DVD版。50ユーロぐらい。
88:灯 ◆fzYrv3Qn2OGl (23) :sage:2011/04/30(土) 11:04:53.66
>>72 >>77 >>81 >>83 >>84 とか見てて思うんだけど、煽りや罵倒をするに
しても、ボキャブラリーが貧困だよな。君らの頭の中には土砂か玉砂利でも
詰まってんのかと真面目に心配になるわ。
川上未映子さんのファンは品性下劣なアホばかりだと思われるから、書き込み
するのを止めたほうがいいよ。
>>81 なんて「糞」とか「ウンコ」しか言えなくて、
とてもデートなんてできるとは思えない。それとも、「糞とウンコに塗れたデート」でも
するの、この爽やかな季節に。羨ましくねー(笑)
171:灯 ◆fzYrv3Qn2OGl (25) ::2011/04/30(土) 16:25:32.78
川上未映子の純粋非性批判 2010.07.22事実関係について、について
http://www.mieko.jp/blog/2010/07/post-9111.html 【1】「津原さんもブログで仰ってるように現ユリイカ編集長(当時は編集長ではありませんでした)に紹介されたのですが、
当然それははじめての詩「先端で、さすわさされるわそらええわ」が掲載された「ユリイカ」2005年11月号が出たあとになるはずで、
はじめてお会いしたのは正確には2006年の4月のことです」
津原泰水氏の証言から推測すると遅くとも2005年の10月よりは前である。
172:灯 ◆fzYrv3Qn2OGl (25) ::2011/04/30(土) 16:26:09.59
【2】「しかし、わたしは尾崎翠についてはこのブログの2005年3月の日記にアップしていますし、
この内容はそこからさかのぼること1年以上前、月刊Songs2003年10月号(Songsサイトのバックナンバーの目次では、
残念ながら2003年は載せていただけていませんが、尾崎翠の「第七官界彷徨」をもじった連載のタイトル「第九感界彷徨」が
2004年からは確認できます。このタイトルによる連載開始は2003年8月号。)に発表したものなんです。
これは津原さんにお会いする以前のことです。そこにも書いているように、そもそもわたしが尾崎翠を知ったのは二十歳前後の
ことなのです」
この「第九感界彷徨 尾崎翠」が、日本海新聞の映画評からの盗作疑惑コラムである。
自分のレスを自分で貼って宣伝するな
>>621 ありがとうございます。正直フランス語は分からない(特にヒアリングは全然
ダメ)ですので、購入して意味があるのか迷いますが(笑)50ユーロなら安いですね。
購入を検討します。
>>625 僕がこのドゥルーズ・スレッドに投稿したものは、
>>618 の「アベセデール」の件と
>>620 の講義録の件、この二つだけです。他は、誰かが勝手にここにコピー&ペーストしたものです。
ここにはっきりと宣言しておきます。
なんか嫌な奴が来てるなあ‥‥
>>620 サルトルが高校教師だったとき、授業中に煙草に火をつけて
「君たちも吸いたければ吸っていいよ」などとフランクな感じで講義を始めた逸話を思い出した。
俺は煙草大嫌いなんだけど、この話は何か好きだ。
ドゥルーズのは、落語の枕みたいで面白いw
フランスってこういう、日常卑近なところに哲学を引き寄せようとする国なのかね?
フランス映画でたまに、不良っぽいガキが「ベルクソンは・・・」なんて喋ってるシーンを見かけたりするんだが。
こういう哲学者をつかまえて「ポエム」だとか言っても、そもそも批判にならない気がするな。
カント哲学を要約する言葉として、ランボーやカフカを引用したり、ハイデガーの先駆者としてジャリを挙げるような人なんだから。
「ポエム」が批判になるのは、フィギュア実況の塩原恒夫アナくらいだろう・・・。
>>621 いまはamazonあるから楽だな
ドゥルーズ関連本もむかしは紀伊国屋や丸善で取り寄せたもんだ
630 :
考える名無しさん :2011/05/01(日) 12:15:03.24 0
>こういう哲学者をつかまえて「ポエム」だとか言っても、そもそも批判にならない気がするな。 それは君の「哲学」の用法が狭いだけだよ
逆だろ。 というか、自分に向けられる言葉だろう。
ベルクソンの形而上学の定義を見ると、譬喩でしか語れないことを語るためにしかたなく詩にならざるをえないんだ
ドゥルーズは詩人としては超一流だよ
超一流 スピノザ論その他読めば分かること
文体の魅力には抗し難いものがあったな 精緻さを追求するような哲学者ではなかったから ドイツ哲学をやっているような連中には受けが悪い
>>637 すごく文章はシンプルだが
概念がないわけじゃない。
もうひとつドゥルーズには秘密があって、 彼にとっては「イデー」と「概念」は同じではない。 イデーを語っているのさ。
基本的にはベルクソニアンだから 文学的にならざるを得ないw
やっぱ分析哲学に比べると「やけくそ哲学」って言われて仕方ないところはあると思うよ
ドゥルーズは芸術にもイデーがあると言っている。
イデー言いたいだけだろ
これはイデーとこ突かれたなぁw
645 :
考える名無しさん :2011/05/02(月) 02:44:11.39 0
646 :
571 :2011/05/02(月) 12:12:00.99 0
>>591 スティグマもたしかに問題だけど、実際的に問題なのは、そうした触法障害者をどう処遇してどう治療するか、ということ。
医療観察法が施行されたとはいえ、現状では他の一般入院患者と同じ病棟で、同じような治療で、
しかも厚労省の現実にそぐわない脱施設化政策(実質的な放置)の影響で再犯に至ってしまう障害者も多い。
精神障害者の犯罪者全体に対する割合は0.05%くらいだけど、その犯行内容の内訳を見れば殺人や傷害、放火など、
いわゆる「凶悪犯罪」に類するものは少なくない。
これは幻聴や幻覚、被害妄想などから犯行にいたるケースが少なくないからで、適切な治療を受けない限り、
再犯に至る可能性は高い。
精神医療の先進国イギリスの場合はこうした触法障害者専用の治療施設を一般障害者のとは別に、
全国に15箇所くらいだったか設けていて、触法精神障害専門のスタッフが常駐して治療に当たってる。
まして日本の精神医療は先進諸外国のそれに比べて30年遅れてるってのはもはや常識になってるから、
早急に対応する必要が本来あるんだよね。
余談だけど、幻聴や妄想を持つのはなにも統合失調症だけじゃないよ。
うつ病の場合も妄想や幻聴が聴こえることはあるし。
>>594 ドゥルーズのってか、ガタリの理論ね、どっちかというと。
映画にもなったラ・ボルド病院の活動は実際それなりの効果をあげてるよ。
日本でも「制度を使った精神療法」として三脇康生とかが啓発してるし。
ただ日本の場合どうしても薬神話があって、精神療法自体が軽視される傾向にある。
諸外国の実際は薬と精神療法の併用が当たり前なんだけど、日本では薬さえありゃ大丈夫って風潮がいまだにある。
オーヴァードーズの問題や再発の問題はこうした社会事情に起因してるとこもあるし、そうした状況を改善してく意味では
D=Gの理論はかなり役立つと思う。
精神分析と脳科学は学問的には、どういうふうに住み分けさせればいいの?
648 :
646 :2011/05/02(月) 13:35:34.82 0
>>647 精神療法の中でも精神分析派はいまや傍流だけどね。
特に古典的フロイト派はほぼ皆無と言ったっていいくらいだし。
いまの主流は認知行動学派やロジャーズ派。
あと、精神分析や分析心理学(ユング派)は基本的に精神病圏の人には適用しないのが原則。
やっても症状悪化するだけだから。
あえて言うとすれば、脳科学や薬理学は薬を使った対症療法に資するもの、
精神療法は再発防止や本人や周囲への心理教育に資するもの。
まぁそんな位置づけかな。
ベルクソンすら理解できないのにドゥルーズに手出せない・・・ ベルクソン読むためにギリシャ哲学とスピノザ、バークレ、ハクスリ、カント読まなきゃいけないのに・・・ ドゥルーズが一番評価してる作家群だけでも教えて
650 :
646 :2011/05/02(月) 13:47:59.67 0
カフカ、プルースト、ベケット、メルヴィル、マゾッホ、ウルフ
哲学者が自分の本で名前を出してるからと言って、 その哲学者をちゃんと理解しているかどうかは怪しい。 あれだけカントの影響が言われるフッサールにしても、 カントについては誤読が目立つ。 広松渉なんて「フッサールは純粋理性批判の前半部しか引用しない(笑)」と言っている。
653 :
考える名無しさん :2011/05/02(月) 15:32:25.35 0
>>648 >あと、精神分析や分析心理学(ユング派)は基本的に精神病圏の人には適用しないのが原則。
>やっても症状悪化するだけだから。
死んだ河合隼夫が精神病の患者の家族に追い回されていたのは
このせいかな。
>>649 学問に王道は無いよ
無駄な足踏みしてないで読みたいもの読めば?
>>652 フッサールはドイツ観念論(古典近代)とは
無縁なところから始めたことでっ有名。
自分で新しい哲学をはじめちゃったんだから、カントを誤読したところで問題ないわな。 誤読の創造性ってのもあるし。
哲学は科学じゃないんだから誤読はあるね
>>648 じゃあフロイトやラカンを読むのは無駄じゃない?
>映画にもなったラ・ボルド病院の活動は実際それなりの効果をあげてるよ。 どういう効果ですか? ソースと併せて教えてください
フロイトだろうが、ラカンだろうが、デリダだろうが 批判的読解をすれば得るものはあるだろ
本当は一から全部自分で感がなきゃ駄目なんだ。
>>646 精神障害者が凶悪犯罪に手を染める事はまれですが、自殺衝動があったり貧窮のために窃盗したりはするみたいです。
日本の入院施設は、自殺未遂や暴力などを行った患者を保護室に入れてベルトで固定し放置するだけですからね。
そして保護室から出て来れば薬の大量投与で大人しくさせ、狭い入院施設の中で活動できないように抑制すると。
こうした現状を見れば、イギリスなどに比べると十分なケアが行われているとは言えないでしょうね。
彼らの話を聞くのは大変です。
妄想でがんじがらめになっていて、絶対自分の歯には盗聴装置が付いていると言って聞かず、
疑心暗鬼の中で絶えず証拠を探そうとし、それを批判する他人に恨みを抱き自傷行為をしようとしたりするから。
精神疾患は糖尿病や癌のように今すぐ命を失う病気ではないから、それほど深刻になる必要はありませんが、
それでもケアする側は十分な知識と忍耐力を要求されます。
>>637 『スピノザと表現の問題』などは鬱陶しくなるくらい精緻に思えるんだが、
専門的に研究している人らからすると違うんだろうかね?
『経験論と主体性』の頃から『襞』辺りに至るまで、ずっと精緻だと思うけどな。
『千プラ』のような文体を得たのはガタリの影響が強いだろうし。
ガタリも精緻なんだが、精緻さが志向している方向が、厳格堅牢な哲学のそれとは異質なんだろう。
>>663 それがドゥルーズに何の関係があるんだ。
>>664 ガタリとドゥルーズ全然違うこと言ってる場合があるよ。
精神医学はスレチじゃないだろう
>>667 日本の精神医療についてはガタリにも最小限の関係しかない。
なんでえんえん精神病の話になってたんだっけ
スレをさあのぼると
>>495 から話が始まっている
>>669 メンヘラが荒らしてるだけって気づけよ。
別に荒れてはいないが
まーあんまり話題を限定してもつまらんというのはあるな。 ポエムかポエムじゃないかの話になりがちだが。
ドゥルーズの話題に限定すればいいだけ。 って、当たり前のルールが無視されている訳だが。
まあいいんじゃない?2ちゃんだしね^^
ciniiにスピノザ論の抄訳がされてるの知ってた? 今スピノザ読んで勉強してるわ
>>674 同意。メンヘラ(佃煮マニア)にも優しくしてやってくれ。
しつこくコテハン叩きしてる人、自分が荒らしだって気がつかない?
この人 697:吾輩は名無しである :sage:2011/05/04(水) 22:25:52.33 佃煮マニアは川上スレがなくなって退屈したらしくて、ここ数日いなかったのにバタイユスレやドゥルーズスレにいたよ。 わかりやすぎるだろw ドゥルーズスレではメンヘラ扱いされてたw
>>679 ふーん。このスレじゃないじゃん。
荒らすなよw
マッチポンプ自演きもすぎる
涙目の性賎士が自演中
蓮實の話ちょこっとしただけでネタ切れしちゃって低能煽りだけになったね
>>687 性賎士ってツクダニの口癖だろ。あんただよコテハン付けろよ。
臭いぞおまえ。
プッ
>>689 佃煮が性賎士なんて言った事は一回もないのだが、
えーん津原が栗原のブログで赤っ恥晒してるよーもうやだ
って言ってみ?
哲板ってキチガイが来て荒れるか寂れてdat落ちするかの二択しかないな
純一は引退したよ
佃煮の話だろ。
川上スレに帰れよ
川上スレって精神病の掃き溜めだな。 普通に考えて川上未映子が自演をしていると考えないと思うが、 わりと本気で川上未映子と戦っている。 そういう病んだ人間がいることは知っていたし、想定の範囲内だったが、 それが集まって結束している。これはちょっと見物だな。
ん?あ?えーん津原が栗原のブログで赤っ恥晒してるよーもうやだって言ってみ?
川上スレでサンプル収集もいいかもな
川上スレの次スレが立たなくて難民が暴れてるんだよ なんかごめんな
なんか性賎士って言われると発狂するらしいぜ
>>701 謝らなくていいから、佃煮マニアと川上スレに帰れよ。どんだけ書きこんでんだw
山田 2011/05/04 20:46
千葉さん、それを貼るよりも、烏賊娘さんの以下の書き込みを提示した方がいいと思われます。
こういう類の書き込みをする人物なんですよ、彼は。
http://unkar.org/r/book/1293299187/322 322:烏賊娘 ◆42euzUlXSM ::2011/01/06(木) 23:33:31
ミエコがAVに出て喜ぶ野郎がいるとは思えないでゲソが……。
気絶するまでホームレスに輪姦させて、気を失ったら公衆便所の
大便器に顔から突っ込ませて放置させるくらいの企画だったら
観るかもしれないでゲソがねェ。バカのひとつ覚えでキモイキモイ
と連発しているようなクソアマは、そんくらいしても懲りないん
じゃなイカって思うでゲソ。マコトは小説を云々する以前に、女を
見る目がまるでないでゲソ。よりにもよって、スコンを選んだ挙句
がこのザマでゲソからね。
栗原さん。既に2chのスレッドは盗作検証を主眼としたものよりも、両サイドの罵倒合戦場とか
しており、日夜罵倒を繰り返しているそこからやってきた固定ハンドルを相手をするべきではな
いと思われます。
やっぱ襞だよな
襞、早く文庫化して欲しいよな。
NHKの、πに関する番組がなかなか面白かったんだが、ライプニッツの話も出てきた。 「3.14」じゃなくて「3」を使うとエライことになる話なんて興味深かったんだが、 一方で、πそのものは、或る計算法では、限りなくπに接近することだけが知られていたり、 πそのものも、小数点以下に無限に小さい数が続いていって完結しない。 これって、『差異と反復』で論じられているような、無理数と強度の関係とか、 『千プラ』で「円」が、丸くしようとする情動として語られていたことを思わせるな。 ベルクソン的な直接与件と数的なものは、ドゥルーズの中では決して排他的ではなかったというか。 あと、もうこの際、佃煮は川上未映子スレを立ててくれ。精神医学の話をしてくれて一向に構わないが、 ドゥルーズやガタリとの関連が多少は感じとれる内容にしてくれないと読む気しないので、そこんとこよろしく。
ソーカル読んでないでしょ君w
浅田彰も好きなようだけど、フランシス・ベーコンってそんなに凄くはないだろう?
凄いよ
グロいだけ
グロいだけじゃないよ
グロでホモでキチガイでアトリエが汚くて顔が以上にデカイだけ
グロでホモでキチガイでアトリエが汚くて顔が以上にデカイだけじゃないよ
>>707 すみませんねえ、話がズレちゃって。
脳科学とか精神医学のスレに常駐してたことがあって、
なんかこのスレでも詳しい人と議論もはずんだんで、調子良く書いてしまいました。
川上さんに関しては以下のスレでよろしく。ここでは絶対にやるなよ。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1304582252/1-100 ベイコンは、写真の登場以降に絵画のなし得る仕事を新たに示したって意味では、好き嫌いに関係なく重要だろう。
対象から受ける感覚を絵具に込めるって点では、セザンヌや印象派の系譜とも言えるが、
肉体の力動的なうねりを描くところに独自性がある。
「私の絵は残酷だと言われるが、現実が残酷なのです」←アルトーの残酷劇の理念を想起させる。
ドゥルーズが生きてたら、杉本博司やリヒターについてどう言ったか聞いてみたかった。
佃煮よ別にいいではないか ドゥルーズと全く無関係ということは無いんだからさ ガタリは精神科医でラカン派の分析家だったわけだし その影響を大きく受けてドゥルーズ=ガタリとして執筆したんだから 関係ないという奴の方が頭オカシイのだw
>>717 そうですかねえ。ありがとうございます。
自演
痔炎
>>716 ベイコンの絵は彼の「精神症状」なんだよね。
だからクリエイティヴというよりも実際にそう見えているからその通りに描いているというのに近い。
リヒターはそれとは全く違う、リヒターは理性と感性を駆使して描いているまれにみる天才
リヒターをベイコンなんかと比べるのは間違いだな。
杉本博司は単にゼラチンシルバープリントの画面そのものが綺麗というだけのはなしw
リヒターといえばソニック・ユース
>>721 別にベイコンとリヒターを比べようってんじゃないけど(リヒター自身もベイコンに対してあんまり評価してないし)、
何でもないスナップ写真の方がセザンヌより美しいっていう発言や(「今はそんなこと言いません」と本人が言っちゃってるけどw)、
写真のポケを利用したリアリズムの一方で抽象画を手掛けるっていう「表層」への志向をドゥルーズならどう評するかな、と。
杉本博司は展示空間そのものを演出する才能が無視し難い。蝋人形のシリーズは、上述した「表層」性の模像として論じられそうだし。
海のシリーズなんて、同じような画の反復によって、微細な差異を抽出するところがドゥルーズ的とも言える。
映画館のシリーズと、「ホワイトウォール」の概念とか、色々と論じられるだろう。
>>723 ふむふむ。
リヒターが偉大なのは手法の多様さだろう。
フォトペインティングもすればアブストラクトシリーズもあるし立体作品もあるね。
手法的というのはよりポストモダン的という意味合いもあるんだよ。
だからドゥルーズなら多様に語ったろうな、意図的行為としてね。
杉本はヒルズの展覧会も見に行ったけれど、個人的には「アーキテクチャーシリーズ」が
一番興味深かった。
でもプリントの少しの傷も許さないあの厳格な姿勢は完全に職人だね。
蒔絵職人なんかに似ている。
自演だろこれ
佃煮のな
このスレのレスの半数は佃煮が書いてるからな
リヒターといえば、ケルン大聖堂のステンドグラスが面白かったな。
たしかにあれはいいね
リヒターは存命している画家では世界で最も取引のある(売れている)画家なんだとよ
美学板でやれよ
お前がなw
財津が言ってた「白仁高志」の本なかなかだぞ。 ランシエールの序文しか読んでないが。
798:作者不詳 :sage:2011/05/05(木) 20:32:33.55 リヒターが偉大なのは手法の多様さだろう。 フォトペインティングもすればアブストラクトシリーズもあるし立体作品もあるね。 手法的というのはよりポストモダン的という意味合いもあるんだよ。 だからドゥルーズなら多様に語ったろうな、意図的行為としてね。 杉本はヒルズの展覧会も見に行ったけれど、個人的には「アーキテクチャーシリーズ」が 一番興味深かった。 でもプリントの少しの傷も許さないあの厳格な姿勢は完全に職人だね。 蒔絵職人なんかに似ている。 799:作者不詳 :sage:2011/05/06(金) 11:14:19.05 今更リヒターかよw 80年代でお前の頭は思考停止してんの?w
>>734 >今更リヒターかよw
>80年代でお前の頭は思考停止してんの?w
馬鹿発見w
リヒターは存命してるし東ドイツの人間だぞww
ベルリンの壁が崩壊してから自由に世界で活動できるようになったのにwww
リヒターって古いよな
70年代フランス思想と同じくらい古びてるよね
ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter, 1932年2月9日 生まれ) ドイツの画家。 現在、世界で最も注目を集める重要な芸術家の1人であり、若者にも人気があり、 ドイツ最高峰の画家とされている。 旧東ドイツのドレスデンに生まれる。 地元の藝術アカデミーで1951年から56年まで絵画を学ぶが、共産主義体制に制約を感じ ベルリンの壁によって東西ドイツの行き来が禁止される寸前の1961年、西側のデュッセ ルドルフに移住。デュッセルドルフ芸術大学に入学。独自の作風を展開していく。 1971年からデュッセルドルフ芸術大学教授を15年以上にわたり務めた。 80年代はむしろあまり知られていなかった ここ10年くらいブームで日本でも2005年に本格的な展覧会が開かれ一般的にも認知される
今更ピカソを語るのが恥ずかしい様に、 今更リヒターを語るのは恥ずかしい
>>738 俺は2002年にMoMAでたまたまリヒター展を見たけど、アメリカでもそれが初めての本格的なリヒター展だったと記憶している。
だから、80年代ってのはないね。
知らない奴が無知さらけ出して必死こいてるだけ リヒター知らない時点でアウトだな (-。-)y-゜゜゜
もっとマイナーな画家を挙げろよ 超メジャーな画家をリスペクトされてもつまらん
超メジャーな画家も知らないのに だれも知らないマイナーな画家あげて話が通じるのか?
祭りになってるなw
ああ、リヒター祭だよw
ドゥルーズに関連づけるなら、リヒターよりポルケの方が相応しいかも知れないけどね。 「ジャガイモはイノベーションだ!」なんていう千プラな発言もしてるしwアリスをモチーフにしたりとか。
ポルケねえ。。。 絵柄がなあ。正直あんま好きじゃない
クラ板でやれ
無い見栄を張り合って馬鹿みたい そんなに必死になって何を守ろうとしてるの?(笑)
750 :
考える名無しさん :2011/05/06(金) 21:48:50.72 0
東京芸大スレで晒されている事にお気づきか 800:作者不詳 :sage:2011/05/06(金) 18:16:17.24 ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter, 1932年2月9日 生まれ) ドイツの画家。 現在、世界で最も注目を集める重要な芸術家の1人であり、若者にも人気があり、 ドイツ最高峰の画家とされている。 旧東ドイツのドレスデンに生まれる。 地元の藝術アカデミーで1951年から56年まで絵画を学ぶが、共産主義体制に制約を感じ ベルリンの壁によって東西ドイツの行き来が禁止される寸前の1961年、西側のデュッセ ルドルフに移住。デュッセルドルフ芸術大学に入学。独自の作風を展開していく。 1971年からデュッセルドルフ芸術大学教授を15年以上にわたり務めた。 80年代はむしろあまり知られていなかった ここ10年くらいブームで日本でも2005年に本格的な展覧会が開かれ一般的にも認知される 801:作者不詳 :sage:2011/05/06(金) 20:17:15.69 w 知られとったわい ポスモダの連中どもに引用されまくりんぐで お前よっぽど僻地にでもいたの? 802:作者不詳 :sage:2011/05/06(金) 20:18:34.08 今頃リヒター取り上げて悦に入ってる田舎者がいると聞いて来ますた
だから今更だと俺は言ったのだ わはは おつかれさん♪
「今頃」と勝ち誇られても、時節をはずれまいと世評をキョロキョロしているみたいで、みっともない。 挙句に工作先が芸大スレってのも、ベタすぎて、アートには興味ないってことがよく分かる。
現在進行形の現代アートを追うのは、東京ぐらしじゃないと難しいよ。
755 :
考える名無しさん :2011/05/07(土) 02:45:19.21 0
>>663 >自殺未遂や暴力などを行った患者を保護室に入れてベルトで固定
申し訳ないけどそれは日本もイギリスも同じ。
というか急性期で暴れてどうしようもない患者にはそうするしかないんだよ、自傷他害の危険を防ぐためにはね。
でもそれも基本的には一昼夜位(最大48時間だったかな)で、あとは大体安定剤とか鎮静剤で落ち着くから、
「薬漬けにして動けないようにする」なんてのは基本的にありえない。
まぁ患者から見ればそう思えるかもしれないけど、それを真に受けるのは危ないよ。
それと繰り返しになるけど、精神障害者の犯罪自体は確かに少ない(全体の0.05%程度)けど、
その内訳では凶悪犯罪の傾向は強い。
これは岩波明なんかが複数の著書で書いてるよ。
都立松沢病院の医師だった人だからかなり信頼性は高い。
>>659 ラ・ボルドをはじめとした地域精神医療に重点を置いた病院の活動は基本的に今のフランスの精神医療制度に
かなり取り入れられてる。セクター制度とか。
『医療環境を考える』とか『精神の管理社会をどう超えるか?』、あと映画『すべての些細な事柄』とか参照して。
もうこのスレも完全にご臨終だな。
757 :
考える名無しさん :2011/05/07(土) 03:23:14.71 0
>>756 そりゃきみがドゥルーズを限定的に捉えてるからでしょw
精神医療とかの領域でD=Gを応用しようとしてる人もいるんだよ。
>>751 ファインアートをやっている連中には周知の存在だったろうな
でも一般人にも世界的に知られるようになったのはやっぱりここ10年くらいのことだ
建築家の安藤忠雄は建築設計やってる連中には80年代にはもう有名人だった
でも一般人に知られるようになったのはここ10数年だろう
専門でやっている連中と一般人とは認知にタイムラグがあるんだよ
当たり前のことだけれどねw
ドゥルーズの幅広い活動を考えれば、色々な話が出てくる方が自然だよね。 問題は知識が殆ど無い、粘着馬鹿レスなんだが。。。
芸大スレでは「リヒターはポストモダンの連中には80年代から引用されまくり」だったと言っているのに このスレのほぼ全員が最近リヒターを知ったというのが驚くべき事なんだよな 全員がドゥルーズニワカじゃないというそぶりをしているのにリヒターは知らなかった 加齢臭の香ばしいレスもちょくちょく見かけるというのに内実はこのザマだ もう謝っちゃった方がいいんじゃないかと思うが?
一般の人が80年代に知っていたか? そりゃ芸大生とか美大生なら80年台だって知っていたろう 一般レベルと専門レベルゴッチャにしているオマエって池沼?
752 名前:考える池沼さん :2011/05/06(金) 23:23:34.24 0 だから今更だと俺は言ったのだ わはは おつかれさん♪ ↑ ものを知らんというのは恐ろしいこっちゃで (^。^)y-.。o○
お前らの必死の粘着煽りがすでに敗北宣言と同じ意味をなしているという事に気づきなさい
池沼君は内容で返せないのかな? 「敗北宣言」ってなに? 池沼君がひとりですったもんだしてるだけじゃないの? 専門と素人の認知レベルくらいは区別しようねw
「素人なんで、何も知らずに語っちゃいました、ごめんなさい☆」 って言ってみw
ついに謝ったか(笑) でも謝るほどの一大事でもなかろうに(笑) いまさら別にどうでもいいよ さてゲルハルト・リヒターの作品について作品論でもやろうか 池沼君から頼むよググればおまえさんでもわかるだろ どうぞ
君は落ち着いて
>>765 をよく読んでみなさい
君に謝る事を促しているのがおわかりと思うがw
照れるなよ♪ ちゃんと謝った素直なおまえが俺は好きだ 二行目になんか書いてあるが「なんちゃって、ハズカシイれすぅ」っていう意味だな まあ謝罪文書いたから取りあえずは許してやるよ さあリヒター論カモーーーン
読解能力のない素人DQNのリヒター解説どーぞ♪
>>757 なるほど、他分野での応用を他分野のスレでは無くこのスレに書くのが正当なんだ。
じゃあ、精神医療だけでなく、佃煮の文学とか、川上とか渡部とか、全部OKだな。
このスレ、完全におわた
ドゥルーズのテキスト自体に関係あんのか? ずっと幼稚な聞きかじりの素人の話ばかりだ。
ドゥルーズのポエムにはなしを戻そう!
相も変わらずポエムって・・・延々とそこに話を戻すことに何の意味があるのか。 「ポエム」の一言を念仏みたいに唱えたら全て語ったことになるかのような自己欺瞞はもういいから、 ソーカルでも何でもいいから、ドゥルーズの数学や科学の用語の使い方に具体的にツッコミ入れるとか何かしてみたらどうか。
まずおまえがやれやw
ポエムポエム言ってる奴がやんなきゃしょうがないだろw
ポエム厨が荒らしてるんだろ
おまえらポエムだから駄目というのはポエムに対する偏見だぞ ハイデガーだってヘルダーリンのポエムにヘロヘロだったんだ ポエムだっていいじゃないか ポエムの哲学があってもいいんだよ ポエムを馬鹿にするものはポエムを知らないものたちだ
俺は396だが。 何度も同じ議論。
780 :
考える名無しさん :2011/05/08(日) 00:11:07.05 0
RT @Akira_Shimada 渋谷反原発デモ‼開始前の集会、福島みずほさん、 宮台真司さんらのスピーチ撮影。宮台さん「こんなデモは、相手にとっ ては痛くも痒くもない。本当に効くのは不買運動。原発関連企業の東芝 ・日立・三菱などの不買運動を」 #miyadai 2時間前
そのハイデガーが、詩作と思索の近さを指摘すると同時に、両者の決定的な違いにも言及していたことを無視すべきではない。 ハイデガーにしても、概念的把握よりパッションを重視するようになってはいったようだが、 ドゥルーズは、経験論にのっとった概念道具説にに近い面もあるような。
超越論的経験論という概念の作り方が どーもあやしい
>概念の作り方 ワロタ
>>783 笑うな。それが何なのか、聞いて見たい。
「超越論的経験論」はなぜ駄目なのか?
>>784 >超越論的経験論
これってただの語義矛盾じゃないの?
経験論が超越論的だったら経験論じゃなくなるっていうw
>>785 アホかいな。
超越論的経験論は、カント的に言えば、経験的観念論(バークリィが典型例)になる
からだろ。
>>783 が揶揄している元々のポイントは、あくまでも推測だが、「概念の作り方」
なるような、まるで How to のようなものがあるかのように語るその語り方に根本的
な勘違いがあるんじゃないの、というものだろ?
>>786 >経験的観念論(バークリィが典型例)
ん、こんなもんが超越論的経験論だなんて誰が言った?
フランス現代思想は哲学概念づくりで構成されています
ポエムは人生です ドゥルーズはポエマーです 素晴らしきポエムの世界を語りましょう
「超越論的経験」て概念はフッサール(『デカルト的省察』とか)に由来すると合田正人氏なんかは解説してるな。 要はドゥルーズの「強度」の概念の扱い方を見れば理解できるんじゃないか。 感覚され現勢化された体験そのものではないが、超越論的領野における「新しいもの」として、経験論的に把握されるものとしての強度。 例えば、中東で今起こっている「革命」や、日本の大震災などは、今後、「物の状態」としてごんな事態が現実化するか分からんが、 その「出来事」が社会情勢にもたらした「差異」そのものは、超越論的なものにとどまるわけで。
で、その「新しいもの」を概念として名指すことでピックアップして示し、明確化し、 考察を重ねることで厳密化し、磨きあげ、それを使用することで創造的な思考を行なうのが、 ドゥルーズ流の哲学の仕事ってことなんじゃないのか。
哲学を概念の創造と定義したのは比較的後期になってからだね。 超越論的経験の理論は「差異と反復」の2章とかでフッサールの言葉を 借用しながら緻密に論じられていると思うんだけど、 その時期はまだ「概念」という言葉は結構否定的に捉えられている ような感じもする。
>>786 超越論的経験論について何も分かってないだろ(笑)
794 :
考える名無しさん :2011/05/08(日) 19:14:30.99 0
>>793 オレはさっぱりわからん
おまえじゃなくていいから誰か
わかるように説明してくれ
いっとくけど 超越的と超越論的って意味が違うからな
>>792 先験的経験の前提は先験的自我である(デカルト的k省察)が、
ドゥルーズはそういうものは前提してない。
799 :
考える名無しさん :2011/05/09(月) 11:56:52.43 0
超越論的な場が意識の形態を守ることはありえない
要するに関東甲信越的な何かだな
ドゥルーズがご存命で 日本ではあなたの哲学はポエムととらえられている とか言ったら、笑って流してくれそうだけどなあ 「そう、私は詩人なのです」とか何とか
>>798 私は非人称的・前主観的経験はありうると考えています。
フーコーは花火師 ドゥルーズは詩人 なんかイイね♪
主観性がそこからの超越として生成する経験の場であり、 出来事の生成の場だとおもいます。私という意識が随伴しなくても 経験は可能です。
結論が出たところで ポエム板でやってください
主観性そのものが生成しない(同一である)とすると 新しいものの経験はけっして起こりえないです。
日本語でお願いします
川上未映子の『ヘヴン』読んだけど中々いいな。 「僕がときどきだけどおそろしいと思うのはね、そこにある欲求だよ」と百瀬は言った。 「つまり生きてることさ。生きてる自分からは誰も自分を守ってくれないからね」
要するに超越論的な場はコギトではないです。
フッサールの哲学は無能にも常識の形態と絶縁できていない。こんな哲学が哲学であろうか。
というか、現象学ってそういう外在的な批評そのものが成り立たない哲学だと思うんだけど
フッサールではなくて ベルクソンだろドゥルーズは? ベルクソンで頼むよ
「だが超越論的場が意識との間に持つ関係は、権利上のものにとどまる。 意識がひとつの事実となるのは、ひとつの主体がその客体と共に産出される時、 両者共に超越論的場の外で『超越するもの』のように現れる時でしかない。 対して、意識があらゆる方へ拡散したひとつの無限速度で超越論的場を横断している限り、 意識をそれとして示すものは何も無い」 (「内在:ひとつの生…」) 「新しいもの」は主体性、主観性として超越しない限り「体験」として現勢化されないが、 「新しいもの」=差異そのものは超越論的領野にとどまるんじゃないの?
>>807 「自分自身に<おいて/対して>異邦人に生成すること、
自身の言語と民族<おいて/対して>異邦人になること、
これこそ哲学者と哲学に固有の事態、その<スタイル>、
ひとが<わけの分からぬ哲学言語>と呼ぶものではないか」
(『哲学とは何か』p.158)
『哲学とは何か』ってDGとしては最低の出来だな 俺は嫌いな本
>>814 「新しいもの」=差異そのものは、直観されます。
反実現します。
文章表現のレトリック部分かな ドゥルーズの単独著書ならきっともっとはっきりしていて読みやすいものになっていたはず まあ例えば『差異について』みたいにね しかし『哲学とは何か』ではガタリのせいで大変読み難い 『AO』『MP』の良さは見られないのが惜しい
>>818 その直観は主観によって現勢化された質的差異であって、差異=強度そのものではないよ。
ドゥルーズが『差異と反復』でベルクソンの質主義と距離をとったのも、そのためだろう。
『哲学とは何か』はドゥルーズが1人で書いたというのが定説
なこたぁ〜ない
>>822 確か誰かの著書にあるんだよね。
当時ガタリがもう精神的にまいってしまっていて、
ドゥルーズ単著のはずなのを、ドゥルーズ自身がガタリとの共著として発表したとか。
>>821 「差異=強度そのもの」を感覚するにあたって
その前提として、主観を要請するというのでは、、
ヒュームではない。
>>821 さらにまた、直観されるものが質的差異であるとは、当然
ドゥルーズも言ってない。
なにYOU TELLかわからへん
>>799 問題は
.「超越論的な場が意識の形態を守ることはない」ということであって、
もし経験が超越論的な場に届かないとしたら、「超越論的な場」自体が
形而上学的な仮構にすぎなくなる。
「純粋な内在とはひとつの生、それ以外のなにものでもない」
「ひとつの生はそこに、内的かつ外的な生における諸々の偶発事から、
つまり到来するものの主体性と客体制から自由になった、純粋な出来事を開示する。」
ことが経験されなければならない。
_「内在_ひとつの生」
「『哲学とは何か』はガタリなしでは書けなかったと思います。「哲学とは何か」というのはたしかにドゥルーズが立てた問い だとは思います。(…)『哲学とは何か』という本に、たとえガタリの執筆箇所がひとつもないとしても、しかしドゥルーズ が最初の読者としてガタリを想定して書いたとすれば、もうそれだけで十分に共同作業だろ思うんです。ガタリは哲学の友人 であり、まさに『哲学とは何か』に出てくる、概念を創造する手助けをする「概念的人物」だと。例えばプラトンでいうと ソクラテスとか、ニーチェだとツァラトゥストラ、デカルトだと「白鯨」とか、その意味で、ドゥルーズにはガタリがいなけ れば哲学が出来なかったんです。」(道の手帖・ドゥルーズ 河出書房新社 松本潤一郎 筆より)
>>814 >だが超越論的場が意識との間に持つ関係は、権利上のものにとどまる
「あらゆる超越が、この平面に固有の内在的意識の流れの中にのみ成立する
事実は動かない。」あいまいなことにこの場合には、「事実問題」になっている。
本来超越論的経験論に事実問題と権利問題というカント主義のやりかたを
直接つなぎ合わせることは出来ない。
>>825 主観性と言う言葉は使わなかっただけだ、
ドゥルーズが講義録で言っているので、ここは
私の独断でした。
超越論に向かわなかった、の勘違いです。
>>826 ベルグソンについて書かれたアンソロジーでは
質的差異が主に述べられていますが、
「差異と反復」においては質的多様対ではなく
実在の存在論的性格は「強度的多様体」と述べられています。
超越論いいたいだけちゃうん
>>834 「差異と反復」はカントをダシにして、ドゥルーズが言いたいことを
述べています。
>>820 安心しろ。共著だと思ってガタリを非難して恥をかいた奴は、お前が初めてじゃないw
だが、もう大分前の話であって、今更っていうのはかなり恥ずかしい。
837 :
考える名無しさん :2011/05/10(火) 00:28:48.54 0
超越論的経験論というとかえって分かりにくくないか。 先験的経験論のほうがしっくりくる。
簡単に言えば、先験的なものは経験的なものの「条件」でなければならない。 言い換えれば、先験的なものは、経験的なものに対して一次元上のものでなければならない。 ところが、カントの場合は、経験的なものの形式化を先験的なものと詐称する循環論法になっている。 これじゃダメじゃん、経験的なものがあらかじめ制限されるから。というのが『差異と反復』のドゥルーズの問題設定。 で、結論から言うと、潜在的な理念こそが、先見的なものであり、真の経験の条件だというのが、 ドゥルーズの解でしょう。潜在的な理念っていうのは、絶対的な予見不能性のことだから、 当然、内在性の哲学になる。絶対的内在には、超越のくびきが一切無いわけだから、ぶっちゃけ何がどうなるか わからない。そういう意味で、アナーキーだし、新しいもの「だけ」が生成する。 って感じでざっくり理解しているけどな。
ほんと無内容だなドゥルーズ哲学って
言われていることはまだあるんだけどさ。
>>837 先験的は先天的に似ているでしょうに。
自己触発(触発)が強調されている
>>838 前半はその通りだと思うが
後半はちと単純化しすぎだ
>>842 838は違わねえか?
いずれにしても「お子様向け」な感じがするが
「潜在的な理念」と言うのが変だが。
潜在性は唯物論として召喚される メシアニズムとしてではなく ニーチェ的に
理念(イデー)は差異化するものから生じるとおもうが。
ドゥルーズの哲学ってどこに接続できるのだろうか?
生じる、というか、差異的=微分的な諸強度の「関係=比」が「理念」と呼ばれているのでは。 『差異と反復』で理念は「構造」や「出来事」と等号で結ばれている。 例えばジョフロワ的生物学の理念は、否定性を含まない即時的な動物としての「器官なき身体」。
>>849 うまくごまかされそうだが、「問題的なもの」の存在はどうすんの。
「問題的なもの」をどうするかがドゥルーズの哲学だろうに。
「差異と反復」自体が問題的なものの解だろうに。
解(笑)
>>853 面倒なことになるが、「問題」「問い」はドラマ的手法によって現実化する。
その展開(expriquer)をたまさかに解と言ってみただけだ。
>>849 >差異的=微分的な諸強度の「関係=比」が「理念」と呼ばれているのでは
理念(イデー)と強度は別なものだ。
>>848 容易くないね。ハイデガーだけど
「正しく問題を立てること」が哲学の仕事だそうで。
ドゥルーズの流儀でそれをやんないとね。
笙野頼子のドゥルーズ&ガタリの使い方にちょっと注目中
>>855 差異的=微分的な諸強度/の「関係=比」
この後半が理念なんだから、元の文でも「別なもの」だと思うが。
わざわざ違うと指摘する理由を教えてくれ。
>>858 強度の関係と比/差異化=微分化する理念の照応。
p365差異と反復 「強度と微分」
>>755 あなたが現在の精神医療に好意的なことはよくわかりました。
しかし精神障害者の犯罪に関しては穿った見方をしてはいませんか?
もともと健常者より精神障害者の方が犯罪率は極端に少ないですよ。
犯罪を起こすにしても、衝動的に自傷して周りを巻き込んだり、家族に当たったら相手が死んでしまったり、というような過失が多いです。
一部の凶悪犯罪者の様に丹念に計画をたて入念に下調べをして道具を用意し犯行に及ぶという動作を彼らはできません。
アメリカの調査とか一部の学者が過激な事を主張しているようですが、実際の日本の現状はこんな感じです。
精神科にかかるようになる人は状況がそうさせたのだと 思う。その上そうなったのは、誰のせいでもないと人は言う。 本当はこうするとこの人は潰れてしまう、という時、それ以上 自分は押したことがない。そういうのを平気でやる奴がいる。 自分の人生を振り返ってみても喧嘩になったら勝つために 潰してしまったほうが良かったということもあるかもしれない。
>>862 ドゥルーズガタリと精神医学が関係ないと思ってる奴って何なの?
読んでないだろ
あんまりヤクザな生き方は自分には やっぱり出来なかったなと思う。 つくづく幼稚な意味で自分は善良なんだな と思う。
>>863 コワレてしまうのはどうにもならない
ということを実はDGは暗黙のうちに認めている。
どるーず☆ぷぽー!!!
どうせ市民社会は食ったり食われたりだ、と 人の言う。精神科にかかるのは事故のようなもの というが食われた結果だ、つって言うのが、 本当のところだ。
ドゥルーズはシュレーバーの症例を 見て爆笑しているが、DGはたぶん シュレーバーを治せないか、治す気もない と思う。
たぶんフロイト主義では精神病は治せない。 ましてやラカンでも無理なんじゃないか。精神分析 を利用した理論作りが主眼であったのであり、 ラカンとフロイトをDGが批判しても、 実際の「正常人」に治すことはやはり 主眼ではなくて、理論的な関心の材料にしていた だけだろうと思う。 DGの理論としての主張であり、医学的な臨床的なものではない。 ガタリのラボルドの実験と言っても例外的な状況の中で しかうまくいかないもののように思える。
>>869 >ラカンとフロイトをDGが批判しても、
前にも誰かが言ってたけど、
ドゥルーズとガタリがラカンを批判した箇所ってどこよ?
>>863 馬鹿か?
ドゥルーズ=ガタリが精神医学と関係無いなんてどこに書いてあるんだアホ。
レス番
>>860 と
>>861 がドゥルーズと関係無いだけ。チラ裏。
精神医学がDGの思考と関係があるってことと、ドゥルーズ・スレで精神医学一般の話をすることとは別問題のような。
ドゥルーズは精神医学とは確かにそれなりに関係あるけど、だからってここで精神医学関係のことなら何でも勝手に書き込んで構わんて話にゃならんはず。
>>861 それをDGと関連づけて語ってくれ。つか、日本語の文としてまとまってなさ過ぎだよ。
DGが統辞法の崩壊を云々するような創造性とも特に関係ない感じだし。
少なくともドゥルーズは、自分なりの世界地図を作成するような妄想の創造性には肯定的でも、
家族にグチグチ文句言ったり、実際には特に何もなし得ないくせに自分は天才だと思い込んだり、
無根拠な暴力を振るうような、ありがちな患者たちには何ら価値を見出してないだろうな。
>ドゥルーズのってか、ガタリの理論 あれ理論といえるもんですかね
>>872 盛り上がってるんだからいいだろ
水を差すなよ
>>870 エディプス・コンプレックスについて批判した。
>>874 全く盛り上がって無い。
>>860 の方が水を差してるんだろ(しかも100レス以上前のレスにレスして笑)
>>875 お前、本のタイトルしか読んでないだろw
具体的にラカンの名を挙げて批判してるところを挙げろや。
ラカンはあかん ゆうて
リヒターを最近知ったくせに偉そうに知ったかしたり、 自分が関心ないからって精神医学をスレチ扱いしたり、 なんて頭悪い池沼なんだよまったく
>>879 ,880
いや、嫌われてるのはお前だからw
>>881 お前は糞レスしかできないのか?
フロイト語ってみろ
>>882 スレ違い。
フロイトの話が聞きたければ、該当スレに逝けよカスw
>>883 フロイトやラカンがスレ違いとかドゥルーズを全然知らない証拠だな
頭悪いにもほどがあるぞお前?もうこのスレ見んなよクズが
>>881 /: : : : : __: :/: : ::/: : ://: : :/l::|: : :i: :l: : :ヽ: : :丶: : 丶ヾ ___
/;,, : : : //::/: : 7l,;:≠-::/: : / .l::|: : :l: :|;,,;!: : :!l: : :i: : : :|: : ::、 / ヽ
/ヽヽ: ://: :!:,X~::|: /;,,;,/: :/ リ!: ::/ノ l`ヽl !: : |: : : :l: :l: リ / そ そ お \
/: : ヽヾ/: : l/::l |/|||llllヾ,、 / |: :/ , -==、 l\:::|: : : :|i: | / う う 前 |
. /: : : //ヾ ; :|!: イ、||ll|||||::|| ノノ イ|||||||ヾ、 |: ::|!: : イ: ::|/ な 思 が
/: : ://: : :ヽソ::ヽl |{ i||ll"ン ´ i| l|||l"l `|: /|: : /'!/l ん う
∠: : : ~: : : : : : : :丶ゝ-―- , ー=z_ソ |/ ハメ;, :: ::|. だ ん
i|::ハ: : : : : : : : : : : 、ヘヘヘヘ 、 ヘヘヘヘヘ /: : : : : \,|. ろ な
|!l |: : : : : : : : :、: ::\ 、-―-, / : : :丶;,,;,:ミヽ う ら
丶: :ハ、lヽ: :ヽ: : ::\__ `~ " /: : ト; lヽ) ゝ
レ `| `、l`、>=ニ´ , _´ : :} ` /
,,、r"^~´"''''"t-`r、 _ -、 ´ヽノ \ノ / お ・
,;'~ _r-- 、__ ~f、_>'、_ | で 前 ・
f~ ,;" ~"t___ ミ、 ^'t | は ん ・
," ,~ ヾ~'-、__ ミ_ξ丶 | な 中 ・
;' ,イ .. ヽ_ ヾ、0ヽ丶 l /
( ;":: |: :: .. .`, ヾ 丶 ! \____/
;;;; :: 入:: :: :: l`ー-、 )l ヾ 丶
"~、ソ:: :い:: : \_ ノ , ヾ 丶
フロイトがスレ違いw
知的コンプレックスが集うスレ
>>884 じゃあ、ドゥルーズの扱う全ての固有名について、ドゥルーズとは無関係に語ってもOKだな。
あっちこっちのスレにここのURL貼り付けてくるかな。
ルクレティウスからフーコーまで、膨大だなw
>>888 そうだな、フロイトはスレ違いだなw
お前の中ではw
>>890 話そらすなよ。
自分でも自分が嫌いなんだろw
ドゥルーズと絡めずにフロイト語るんだろ。 完全なスレ違いだな。
>>891 もう巣に帰れよお前
正体がバレバレだぞw
無知無能乙w
>>891 はアンチオイディプスすら読んでいないということだな
なんか変な人が来て荒らしてますね。 ドゥルーズガタリの「欲望機械」はフロイトの「根源的欲望」の思想から影響を受けた概念であることは周知ですが、 フロイトやラカンがしきりに夢などからあれこれ分析して無意識の発掘に熱心だったのに対し、 ドゥルーズたちはあまり無意識に関心なかったように思われます。 フロイトの興味対象だった無意識は今では否定されつつあります。 だからドゥルーズらの態度は現代の医学からすると正しかったと言えます。
>>891 何かドゥルーズについて言ってみせろクソ蠅
『記号と事件』でガタリが一緒に取材を受けているのを読むとよく分かるけど、 抑圧された欲望を代理表象する劇場について論じたのがフロイトなら、 DGは、その劇場を稼動させる機械の機構に感心があったってことなんだろうな。 だから、フロイトやラカンに比べても更にガタリは抽象的かつ晦渋な文章に・・・。 無意識に関心なかったっていうより、無意識を欲望機械として論じてるから、 無意識についての一般的なイメージから離れているってことでは。 しかも、欲望の諸機械を接続していく社会的実践に重きが置かれ、 「正常」の型に人を鋳直すという「治療」とは違ってるから。
ドゥルーズにとって、ラカンはカントのような立場。
ラカン、あかん。 新潮文庫の100冊
>>877 あんまり真剣に読んでない。だがラカンの「父の名」としての
ファロスって言う論法はエディプス・コンプレックスなしには出てこないだろう。
ラカン、フロイトって騒いでいる香具師は「波平」だろ 毎度のことでっせw
ラカンスレって大昔あったよな
>>902 ラカンは難し過ぎるからけっきょく誰も読んでいなかったんだろ
タマキンの入門書読んで「ラカンはさあ・・・」なんて言っても話しが続かないし
やっぱりラカン自身のセミネールくらいは読んでいないと何も書けないだろ
>>901 そういやラカンスレに波平が居座ってた事あったな
波平は解説書しか読んでないし 一時ラカン、ラカンってうるさかったよね 今は池上彰にかぶれているみたいだけど
ラカン、いよかん、アラカン。 西武百貨店 S E I B U
907 :
考える名無しさん :2011/05/13(金) 06:15:05.70 0
ラカン派精神分析の治療論―理論と実践の交点 赤坂 和哉 (単行本 - 2011/6/16) 新品: ¥ 3,465 内容紹介 本書は、ラカン派精神分析の実践について書かれている。ラカンの精神分析は、 理論的には比較的知られているが、その臨床実践の部分はこれまであまり明ら かにされてこなかった。著者は、現在もパリで続けられているミレールの講義 (セミネール)を基にして、ラカン派の理論から実践の在り方を導き出した。 したがって、本書には、ラカン派の技法が描かれており、加えて、後期を含め たラカンの思想体系の概要が記されている。 単行本: 250ページ 出版社: 誠信書房 (2011/6/16)
そんなクソ本どうでもいいから はよセミネールを翻訳出版せいや!
909 :
考える名無しさん :2011/05/13(金) 13:58:59.21 0
>>908 英訳で読めばいいんじゃない、って
英訳も全部出ているわけじゃないか。。。
英米なんかラカンはどうでもいいだろう アルゼンチンは流行っているらしいが 日本でもどうでもよくなってきたんだろうな 実際どうでもいいしラカンなんぞ…
実際文芸批評の味付け程度にしか使えないんだよねぇ・・・
912 :
考える名無しさん :2011/05/13(金) 14:38:00.33 0
>>911 >実際文芸批評の味付け程度にしか使えないんだよねぇ・・・
それを言ってはおしまいです
だからドゥルーズはラカンなんか一切相手にしていなかったもんな…(;・∀・)ん?
英米では進化論の哲学が流行ってるみたいだな ドゥルーズが進化について語った本ってなんかあったっけ
915 :
考える名無しさん :2011/05/13(金) 14:59:05.04 0
>>914 >ドゥルーズが進化について語った本ってなんかあったっけ
ドゥルーズは生命論の系譜だから
どっかで何か言及していたかもしれないけど
関連は当然あるでしょ
進化心理学とか色々お盛んですね でも子供たちには学校で進化論については教えないというジレンマ
アメリカは進化論に関しては特殊だ 他国が100年以上前に経験したパラダイムにいま乗ってる
そもそもベルクソンは進化論の哲学と言ってもいい
>>917 人間の祖先が猿だったことを最近ようやく認めたんでしょう?
921 :
考える名無しさん :2011/05/13(金) 22:05:07.81 0
>>917 >他国が100年以上前に経験したパラダイムにいま乗ってる
インテリジェントデザインのこと?
922 :
考える名無しさん :2011/05/13(金) 22:06:44.97 0
どうでもいいけど ドゥルーズってキー入力しにくいね
>>923 「ど」で「ドゥルーズ」を辞書登録してしまえばいいのでは?
>>914 「語った本」ていうか、『差異と反復』で言及してはいるよ。
あと、『哲学の教科書』収録の「本能と制度」でダーウィンも引用してる。
927 :
考える名無しさん :2011/05/14(土) 08:19:00.32 0
>>926 でも、デネットやスペルベルのように自然主義者にはならないでしょ
>>924 ズーラクビリじゃなくてソーヴァガンヌの章がいいよ。
間違えたソーバガナルグ
930 :
考える名無しさん :2011/05/15(日) 12:38:09.90 0
道元だったらまだ分かるけど、親鸞のことは殆ど何も知らないからなんとも。 アインシュタインが天皇制を賞賛したとかいう話と同類な噂とも思えるが、 ちょっとググってみたところ、どうやら晩年の日記に記された言葉だとか。
>>931 吉本隆明みたいだし、
M・ウエーバーもキリスト教に一番近い
日本の宗教として論題化したのも
親鸞だしさ。
どうってことないな。
結局「肯定」の問題になるんだろ。
いや別に10年ぐらいの違いなら日本語勉強しろよと
ハイデガーはドイツ神秘思想を学んでるから阿弥陀的救済にそれを見たのかもな 神秘=秘密なんで密教などそのものだな
936 :
考える名無しさん :2011/05/15(日) 22:41:34.66 0
>>930 これガセでしょww
みんな、ネタにマジレスした振りをして
人が悪いな
『言葉についての対話』なんかを読むと、概念的な把握に拠らない日本的な思索に惹かれてるっぽい雰囲気はある。
別に日本にかぎったことじゃない
あ〜生かさず殺さずの精神かぁ
>>934 日本語はそこそこで良いが、フランス語が問題よ。
フランスって、日本みたいな「あとがき」の文化はないんですか? ドゥルーズの本で、ドゥルーズ自身によるあとがきがあるものなんて一つもないよね?
欧米は序文の文化じゃね
943 :
考える名無しさん :2011/05/17(火) 00:22:56.27 0
後出しジャンケン言い訳文化の日本w
「まえがき」に「あとがき」 ないよりあったほうがいいかな
前書きにするか後ろ書きにするかの違いでしかない その代り、日本で言う前書き相当のものが複数ついていたりする 前から責めるか後ろから責めるか
序文が最後に書かれるってのも変な話ですね
947 :
考える名無しさん :2011/05/17(火) 17:14:30.95 0
lethal_notion 國分功一郎 俺は日本的な人間関係も組織もかなり嫌いだし(ちょうど昨日あたりに ツイートしました)、フランスの方がほっとするということもあるが、 いまは日本に住んでいて、住んでいるんだからここをもっとよくしたい 。だから、「国家斉唱」で立たなかったら免職とかいう決まりを作る「 反日」分子は許せない。
國分さんって共産党なんですか?
949 :
考える名無しさん :2011/05/17(火) 19:14:01.26 0
>>947 国分って馬鹿だな
津波で流されたら、国がなんとかしてって
真っ先に言い出しそうだな
このへたれ野郎が(笑)
国歌が嫌いな人間は国を頼ってはいけないと考える奴もこのスレに来るのかw
国家公務員という身分と日教組のことに言及しないのがうさんくさい
地方公務員か
へたれとかはおもわないが、親鸞の一件はなあ……
954 :
考える名無しさん :2011/05/17(火) 20:46:28.95 0
>>953 親鸞の一件はガセだよ
ハイデッガーがそんなこと言うわけないだろ
ソースは?
>>954 だからソースなしのガセにのってしまうK氏に失望という意味だよ。
酔っぱらってたんでしょう?
みんな知ってた?最近の人はテクノも知らないんですよ。 そんなのにドゥルーズが解るわけがない。
958 :
考える名無しさん :2011/05/18(水) 00:23:23.38 0
>>955 >だからソースなしのガセにのってしまうK氏に失望という意味だよ。
それ、単なるアホじゃんw
日本よりフランスが良いって言うなら、フランスに
移住すればいいと思うよ。似たようなこと言って
移住して日本語も忘れてしまった奴に、日本に帰りたい
んだけどって言われて絶句した人を知っているけどね。
なかなか厳しいもんだよ、年を取ると。
959 :
考える名無しさん :2011/05/18(水) 00:23:34.46 0
lethal_notion 國分功一郎 @ ところで私は「国旗国歌を否定」するようなツイートをしましたか?140字で はつらいかもしれませんが、ぜひとも引用した上でご指摘いただけますよう、 お願いいたします。@kokirikoo 2時間前 » lethal_notion 國分功一郎 @ あなたが国歌に忠誠を誓うのはもちろん自由ですので問題ないと思います。 正規の手続きを踏んで国民の総意で選出された議員からなる民主党政権と菅直 人首相のいうことに忠誠をお誓いください。私は日本国家が誤ったことをしそ うになればきちんと批判していきます。 @kokirikoo
今回の國分のtweetを批判するドゥルージアンがいるとは驚きだな。 発言の内容より、國分にたいするアレルギーがあるだけじゃないの?
まあドゥルーズ本人は決して一般的な左翼でも古典的リベラリストでもなかったし 別に不思議でもなかろう
だれかツイッターで国分につっこんだの?
國分の出世の早さには驚くな
>>959 国家権力に対する忠誠と国歌に対するそれとがごっちゃになってて酷いw
俺としては、歌う歌わないは個人の意思に委ねないと、主体的に歌うという行為自体が社会的に成立しないと思うんだが。
ウィトゲンシュタインの言語ゲームの視点を知っていればそう考える筈。
千プラには確か、音楽が情動に訴える力を強調する為に、国旗の象徴性は国歌斉唱と共に掲揚されることで担保されているとか書いてあったな。
その前に一般市民の義務と公務員の義務を区別しないとな
>>957 じゃあ、テクノの絶対おすすめ曲っていうのを10曲くらい
紹介してみなよ。そうすべきだろ?
>>964 >千プラには確か、音楽が情動に訴える力を強調する為に、国旗の象徴性は国歌斉唱と共に掲揚されることで担保されているとか書いてあったな。
それ何ページに出てくんだよ。ミルプラの。
◇1位:プラトーン(Platon) ◇2位:アリストテレース(Aristoteles) ◇3位:フレーゲ(Friedrich Ludwig Gottlob Frege) ◇4位:デカルト(Rene Descartes) ◇5位:ヒューム(David Hume) ◇6位:カント(Immanuel Kant) ◇7位:フッセル(Edmund Gustav Albrecht Husserl) ◇8位:ヴィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein) ◇9位:メルロゥ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty) ◇10位:クワイン(Willard van Orman Quine) ◇11位:ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz) ◇12位:スピノザ(Baruch De Spinoza) ◇13位:デイヴィドサン(Donald Herbert Davidson) ◇14位:アンリ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson) ◇15位:ラッセル(Bertrand Arthur William Russell) ◇16位:ポール・リクール(Paul Ricoeur) ◇17位:ルイス(David Louis) ◇18位:バークリー(George Berkeley) ◇19位:ハイデガー(Martin Heidegger) ◇20位:クリプキ(Saul Aaron Kripke) ◇21位:ダメット(Michael Dummett) ◇22位:サール(John Rogers Searle) ◇23位:ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel) ◇24位:フーコー(Michel Foucault) ◇25位:ドゥルーズ(Gilles Deleuze)
西先生のスレから出てこないで欲しい
どういう趣旨のランキング?
973 :
考える名無しさん :2011/05/18(水) 15:33:36.71 0
久しぶりに覘いたら荒れてるね…
>>860 >あなたが現在の精神医療に好意的なことはよくわかりました。
>しかし精神障害者の犯罪に関しては穿った見方をしてはいませんか?
>もともと健常者より精神障害者の方が犯罪率は極端に少ないですよ。
好意的って言うか、俺は現実的に考えてるだけだよ。
精神障害者の犯罪率自体が低いことは
>>755 にも書いてるし知ってるよ。
でもその内訳として、殺人や傷害、放火のケースが多いのは事実(犯罪白書とか参照)。
妄想ってのはD=G流に言うなら「欲望する機械」が誤作動起こしてる状態なわけだから、
それが他の諸機械と連結することで容易に自傷他害へと発展する。
そのことの危険性は踏まえないと医療として現実的に危ないし、D=G自身、
「反精神医学」を主導したR・D・レインやクーパーの問題点をそこに見てる。
そのことは踏まえないとまずいと思うよ。
単純に反治療とか反医療を称揚してるわけじゃないからね、特にドゥルーズは。
>>973 >久しぶりに覘いたら荒れてるね…
お前が荒らしてんだ。
千プラで直に国歌がどうとか書いてるわけじゃなさそうだけど、理屈の流れでそういう話にもなりそうなことは言ってるな。 「音楽は太鼓やラッパを鳴らしながら人民や軍隊を破滅の淵への旅路に駆りたてる。 これは軍旗や国旗の力能をはるかに超えている。軍旗や国旗は絵であり、分類や結集の手段にすぎないのだ」P.347 「色彩で大衆を動かすことはできない。国旗はトランペットの演奏がなければ無力だし、 レーザー光線も音に合わせて調節されるのだ」P.400 音楽は一定の律で情緒を秩序づける働きもあるし、何より「母国語」で歌われるからな。 情緒の方向づけって機能を考慮すると、忌野清志郎のパンクな君が代のユーモアないしアイロニーは貴重かも。ジミヘンやピストルズが自国歌で既にやってたけど。 君が代はかなり色んな人が歌ってるけど、中島美嘉のがいちばん好きかも。本田美奈子やさだまさしの方がうまいんだけどね。 フランスは「共和国」だし、ラ・マルセイエーズも革命の殺気立った闘争心丸出しの曲調と歌詞だから、君が代とは事情がやや違うかもな。 その点、アメリカはリパブリック(=共和制)讃歌(=賛美歌、聖歌)でハレルヤハレルヤ連呼してるのが面白い。国歌の「星条旗」でも神を讃えてる。
国家公務員は教育現場等では個人の主義主張の表現に制約があって然るべきだというのも理屈だが、 そういう考えから罰則規定を設けたがってる人らは大抵、彼ら自身が国旗国歌を尊重したがる側なんだよな。 その後者の意味からすれば、罰則規定が効果的か疑問。 その規定の存在を子供らが知ったら、起立斉唱してる教師は全員、罰を避けるためにやってる可能性があることになる。 結果的には、法則に従うことで法則の裏をかく(『差異と反復』p.24)、つまり反復が差異(ズレ)を生む事態にならないのかね。
なんか精神医学の事話すと荒れるんですかね。よくわかりませんが・・・
>>973 たしかに妄想というのは脳の誤作動で起こるものです。
妄想に支配された脳というのは思考がきれぎれになっていて、
綿密に大犯罪の計画を練り上げるとか、それを一分のブレもなく遂行するとか、
そういう集中力とか精神力はなくなるんですよ。
だから何か犯罪を犯すとしたら、単独犯で場当たり的な犯行になります。
で、ドゥルーズというのは犯罪に関しては何て言ってるんです?
当時隆盛を極めたフランス現代思想には必ず精神分析と精神医学が絡んでいるんだけれどね これだけ絡んでいると話題にしないほうが難しいよ
>>978 それまらフーコーの「狂気の歴史」のサマリングと
デリダのフロイト主義の扱いについてあんたにぜひとも書いてほしい。
980 :
考える名無しさん :2011/05/20(金) 00:55:06.71 0
>>977 どうも凶悪犯罪というのを計画犯罪と同義と考えてるようだけど、俺が言ってるのは
法学上の用語としての「凶悪犯罪」、つまり計画性の有無だけじゃなしに行為としての凶悪性
そのものを持つ犯罪のことね。
刑法の改正で殺人などの凶悪犯罪の時効が撤廃されたけど、そういう意味での「凶悪犯罪」。
あと妄想を持つ場合でも、彼らは彼らなりの合理性(一種の妄想機械)で動いてるから、
ある意味では「計画性」がないわけではない。
これは特に誇大妄想患者なんかには顕著に見られるよ。
恋愛妄想患者とかにもね。
>>977 ヒューム論で、近親者に抱く同情の念を想像力で市民一般に対する寛容の念に
拡張することで社会のルールが出来ると考えている。法については「本能と制度」
に出てくる。
だが「ノマド」のエチカや戦争機械が法をどうするは暗黙なままだ。
983 :
980付記 :2011/05/20(金) 01:15:30.30 0
被害妄想って、一般に統合失調症の一症状としてイメージされやすいけど、 むしろ妄想のシステム(妄想機械)そのものをもってるとイメージしたほうが実像に近いと思う。 システムが状況に応じて作動することでさまざまにパターン化された妄想が現れて それが症状として認識される。 これはうつ病(大うつ病)の場合も同じで、うつ病では迫害妄想や貧困妄想として現れることが多い。 D=Gが統合失調症をはじめとする精神疾患にある種の創造性と限界性を見出したのも、 結局こういうところがあったからだよ。
984 :
980 :2011/05/20(金) 01:18:26.92 0
>>983 ドゥルーズの言う分裂症とは「妄想機械」よりもっと大きい意味合いにおいて
言ってるんじゃないか。被害妄想だけに限って見ようとするととやっぱり問題を
ごまかしてるよ。
(蓮實)しかし、彼はそれなりにひとりで完結するわけですよ。許せますか、そういう人を(笑)。 ぼくは、浅田さんがドゥルーズを「偉大な哲学者」だと言っちゃいけないと思う。そうおっしゃるのはよくわかりますよ。わかるけれども、やっぱり否定してくださいよ。 (浅田)でも「彼は偉大な哲学者だった」というのは、全否定に限りなく近い全肯定ですよ。否定するというなら「最も偉大な哲学者」として否定すべきだろう、と。 (蓮實)どうしてきっぱりと否定しないの? さっき言ったことだけど、とにかくドゥルーズは確実にある問題体系を避けているわけです。 それを避けることで「哲学者」としてあそこまでいったわけですからね。そうしたらば、それは悪しき形而上学とはいいませんけれども……。 (浅田)「偉大な哲学」である、と。 (蓮實)浅田さんが「偉大な哲学者」とおっしゃることが全否定に近いということを理解したうえでならばいいけれども、 その発言はやはりポスト・モダンな身ぶりであって、いまでははっきり否定しないと一般の読者にはわからないんですよ。 (浅田)いや、一般の読者の反応を想定するというのがポスト・モダンな身ぶりなのであって、ぼくは全否定に限りなく近い全肯定として「ドゥルーズは偉大な哲学者だった」と断言するまでです。 ただ、たとえばこういうことはありますね。さっき言われたように、ドゥルーズとゴダールは、言葉のレヴェルにおいては非常によく対応する。 ただ出来事だけがある(eventumtantum)というのは、たんにイマージュがある(juste une image)ということですよ。 しかし、ドゥルーズは、ゴダールがそのイマージュを生きているようには、出来事を生きていない。ぼくはゴダールは絶対的に肯定しますけれど、ドゥルーズは哲学者として肯定するだけです。 (蓮實)うん、そこを言わせたいのよ(笑)。 (浅田)そんなの自分で言ってくださいよ(笑)。
そういう意味で欺瞞が多いのがDGの胡散臭いところだ。 だがその胡散臭いもので食ってるやつはもっと変だ。
所詮哲学者として偉大なだけでも悪くはないんだ。
思想家って言う言葉の日本的意味において 「思想」屋っていうのは、最も胡散臭いものだ。 事実上いらないものの一つだ。
蓮實ー浅田対談 「お互い分かってますよ」という確認のポーズを読者に見せるだけの 目的なのかね?普通、読者が関心があるのは「どう分かってるのか」 だと思うんだけど。
>>991 文章ヤクザっていうべきものは嫌だし。
アジテーションを含んだ文章はもういい。
アジでない本当のことが聞きたい。
「どう分かってんの」君にはまだ早い。
ドゥルーズはディベートもコミュニケーションも
哲学者の本道ではないと言っている。
>>987 日本でドゥルーズを理解しているのは俺たちだけと言いたいのはわかった
>>992 結局、何も残らなかったわけでしょ、こういう対話ですらない内輪話からは。
AKB48についてのオタク話と同列じゃん。
>>994 これが分からないから教えてくれと言う場合、
何回も教えた。教わったこともあった。
十分良いことがあった。
俺はオタクじゃない。
お前はただのオタクだ。
じゃあ、何が残ったか分からないから教えてくれ
>>987 96年鼎談か。当時はまだ、ドゥルーズと現象学の近接性とか、カント批判の理由とか
おそらく日本の誰もわかってなかったろうな。
随分前の出版社裁判は今はどうなっていいるのですか? イレーヌたちが支援してた裁判です。
>>998 被告にはまだ500万ほどの支払い義務があるって新聞で見ましたよ
2011年12月31日で失効だそうです
>>999 それでは彼は今年いっぱい逃げ切るつもりなのだろうか?
ほとんどの支援者が脱退した今となっては、
失効半年前になれば出版社側がせき立ててくるでしょうに。
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