永遠回帰なのだらから、自由も不自由もない。
それはかつてそうだったし、これからもそうである。
しかし、我々はそれを知らないし、忘却している。
だから選ぶのだ。それが永遠に回帰すると知りながら
さあ永遠に回帰せよと。
これが運命愛。
自分が出来もしない、自分が成れもしない超人なんかを持ち出して、
お前ら超人みたいじゃないから駄目だ
と言ってる奴もルサンチマンにとらわれている。
不自由があるから自由がある。緊張と弛緩、抑圧と開放の繰り返し。
運動やスポーツや筋トレ後の、心地良い身体のあの感じ。
>>952 おまえ・・・永劫回帰は導きだされる結論であって
それを前提・・・もういいや。めんどくせえ。
フィヒテとこいつのせいでどれだけの人間がうつで死んだんだろう
>>951 自分の意志を、自分の好きなように出来ると何時から思っていたんだろうか。
人が意志を従えようとするように、意志は人を操ろうとする。
何かを選択する時、あるいは選択した後、我々は常に試されている。誰に?
>>957 いや、完全に自由な思考はあり得ますよ。
私はそれを信仰以外では達成出来ないと思いますがニーチェは超人の可能性を指摘してますね。
三行目は多分阿頼耶識じゃないですかね。
>>958 思考は自由である、というのが、大きな勘違いである気がする
>>959 勘違いという点については認められないけどご指摘の通りだよ。
思考は不自由だ。ただし信仰に依らない限り。
ビックリだよね。信仰って不自由の極地である筈なのに
その中にしか完全に自由な思考って無いんだよ(笑)
選択できるという事が真の自由ではない。選択した結果が
不確定である事まで含めて初めて真の自由と言えるのである。
でなければ不自由ではないか?
職業選択の自由とは、退職の自由のことである。
この自由が無いことを世界では奴隷と呼ぶ。
ツァラでは「何から自由になるかではなく、何を目指しての自由か」が問題であると言ってるな。
964 :
シャイア・ラブーフ:2011/08/24(水) 03:55:20.71 0
神に押しかける
神とカルチャー
神と最後どうなっちゃうか判らない
神と和解せよ
神と暮らして行って大丈夫
神と子育て
神とご近所付き合い
自由からの逃走
!ninja
967 :
考える名無しさん:2011/08/24(水) 08:48:32.56 0
ドンフライ
968 :
考える名無しさん:2011/08/24(水) 16:19:33.04 0
永劫回帰は輪廻と同じじゃない?仏教も哲学だけど、
六道という輪廻(次)は考えるな、解脱しようっていう思想だよね。
でも解脱とは一定の輪から抜け出すのに過ぎないとすると
ルサンチマンは輪から抜け出るドアの鍵かもしれないね。
物理的にも輪のようなものがあったりして・・。
>>968 これは、揚げ足取りみたいになるけど、仏教は、哲学ではないよ。(まあ近いといえば近いけどね)
また、永劫回帰は輪廻と同じじゃないよ、輪廻は、動物にも生まれ変わると言っている。
どこの国かは忘れてしまったけど、仏教国で、日本人が屋台で夕食を食べている時、蠅が飛んできて
それを、現地の人は箸で摘んで逃したそうだ。「なぜ殺さないんですか?」と聞くと「お前の曾爺さんかもしれないだろ」
とのことだ。さすがに、ニーチェは、人間が、蠅に生まれ変わるとは言ってないだろ。
ニーチェは日本に移住したがってたとか
そんなに魅力的に見えたのか
>>969 仏教哲学はあるよ?(笑)
ナーガールジュナぐらい読んでるんだろうな?
>>971 仏教哲学はある。しかし、哲学は、仏教哲学のことではない。
これは、西洋哲学と東洋哲学の話で、アキレスと亀みたいに説明するのは、難しいが
結論からいうと、哲学とは、西洋哲学のことであり、仏教哲学ではないんだよ。
すっごいくだらない奴だな
龍樹知らないんだろ?
何を守ってんだよお前
哲学ってそもそも言葉の由来からして
古代ギリシア発祥の西洋の思想なんだよ。
仏教哲学みたいな言い方自体が
後付けのもので、変なんだということにまず
気づいた方がいい。
975 :
考える名無しさん:2011/08/24(水) 17:31:18.54 0
完全に同じものってあり得ないけど、
例えば仏教で「中道」ってあるよね。
それはこの世の相対性・・善と悪、光と闇、男と女、生と死・・・等の
偏りを越えるような感じのことだと思うんだけど、
ニーチェのルサンチマンを認めることは、人生を中道として見てるというのと
よく似ている気がするんだ。ちょっとスレチかな。
ヘーゲルがアップを始めました
仏教の戒律を守らなければ、真に仏教を理解しているとは言えない
978 :
考える名無しさん:2011/08/24(水) 18:49:54.37 0
宗教ってただのアイデンティティ(ひとつの相対性)にしか過ぎないと思うんだよね。
「日本人である」・・みたいな。でも日本人である前に人間なんだよね。
それぞれが持つアイデンティティの捉え方によって、物事の捉え方は変わるんじゃないかな。
自分が何者か、自分は何色かは、他の色が無いと分からないから。
あの人はこうだ・・例えば976の様に「ヘーゲルだ」と定義することによって、
自分が何者か分かる。それがこの世の相対性ってことだと思うんだよ。
だから闇は光と同じ位、大切って事になるんじゃないかな。
ストロースがアップを始めました
980 :
考える名無しさん:2011/08/24(水) 20:30:56.78 0
>>978補足
>>979が「この人はストロースみたい」ということによって
979自身が、自分が何者かを認識していることになる。ということです。
結局、個々人間の意識や言動を決定するものが理性や科学や論理やよりも「生理」の影響が一番大きいと言うことが分かった。
物事の捉え方は、一定では無い。ただ、我々自身が一定にしたいと願っている。
それが価値への意志であり、無自覚な権力への意志であり、神を願う幼稚さである。
生理的な、あまりに生理的な。
人生の不幸とか苦労とか困難とか災害とか失敗とか悪人を積極的に受け入れて超人に為るよねー!?♪。
規制のとばっちり受けてレス出来なかったんだけど、
戦国武将の中で誰が超人的かって話、
俺は織田信長だと思いますw
歴史上、強者が勝者になることは論理的にあり得ないのは、
弱者が常に圧倒的多数を占めるからである。俗に言う歴史は
勝者の歴史であり、よってそれは弱者の歴史である。
あえて挙げるとすればチェーザレ・ボルジアと言われる。
987 :
考える名無しさん:2011/08/25(木) 13:37:14.26 0
諸国民解放戦争とか、圧倒的強者の一個人ナポレオンに対して過半数の弱者が団結して対抗する形式。
選挙も民主主義の多数決やから仕方ないな。でも少数派の意見をどれだけ尊重していくかが重要やね。
数で完全に優る弱者も、その動機なり価値観なりは、自律的な一個人としてというより「畜群」的なもの。
だからニーチェは「民主主義的ヨーロッパ」を巧く利用する強者、
民衆に彼ら相応の道徳や幸福を与えてやる強者の出現を求めていたわけだ。
次スレどうする
もうあるよ
ホントだ 立てるの早すぎだろ
三ヶ月以上まえじゃん
強者が、大多数の弱者を支配するのだ。
その力を持って、取るに足りない弱者を騙し、支配し、制御する。
弱者を支配する事は、価値が無い。何故なら、弱者には何の価値も無いからだ
弱者は、素材だ。素材には素材としての意味しか無く、人間ですらない。
その素材が自らの毒により強者を殺したとしても、それは勝利では無い。素材に勝利は存在しない。
こんなに話題になって、ニーチェ様もさぞかし喜んでいる
だろう。彼は、彼が描いている「超人」にさぞかしなり
たかったろう。しかしそれは無理であった、夢想する
しかなかった。彼の異性に対する態度も偏屈で、考えも
まったく彼には失礼だが、笑わずにはいられなかった。
憐れニーチェ、されど彼の思想は一考する価値は十分にある。
ニーチェは超人だろ
完璧な引きこもりだからな
医者は、病気を知っているが病気は知らない。
患者は、両方を知っている。
デーモンは神の欠損として生まれたのでない。
逆である。医者が非完全であるように。
両端に行き来できるもの、
人間は動物と超人の橋である。
素材の味だけで生きておるのだな
!ninja
1000ならヒゲを生やす
1001 :
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。