アンリ・ベルクソン Part 3

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1 ◆IH9QhoIQXk
「Part 3」が即死したので立て直します。
文学板よりこっちでしょ。

□前スレ
◇◇ ベルクソン part2 ◇◇
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/philo/1140954271/

□過去スレ
∇ベルグソン∇
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1014465762/
2考える名無しさん:2011/02/04(金) 13:33:13 O
あげ。
3考える名無しさん:2011/02/05(土) 03:11:50 O
新訳が素晴らしい。
4考える名無しさん:2011/02/05(土) 06:48:19 0
>>3
ちくま学芸文庫の『物質と記憶』?
5考える名無しさん:2011/02/06(日) 12:26:09 0
保守
6考える名無しさん:2011/02/08(火) 14:42:07 0
age
7考える名無しさん:2011/02/10(木) 22:22:33 0
>>4
白水社から出た新訳の「意識に直接与えられているものについての試論」のことだろ。
ちくまの訳もいい。
8考える名無しさん:2011/02/11(金) 09:32:48 0
岩波文庫の『時間と自由』はどうですか?
9考える名無しさん:2011/02/13(日) 17:54:54 0
これもいい!
10考える名無しさん:2011/02/13(日) 19:00:35 i
解説とあとがき含めると筑摩の合田さん達のが一番充実してるんじゃないかな。
ドゥルーズの「ベルクソンの哲学」の邦訳は結構ひどいから要注意。

11考える名無しさん:2011/02/14(月) 09:02:34 0
age
12考える名無しさん:2011/02/14(月) 14:27:15 O

13考える名無しさん:2011/02/14(月) 14:34:56 O
ベルグソンの著作中の生物学談義はプロの生物学者に読ませたら
どう言われるかな。
14考える名無しさん:2011/02/17(木) 10:58:08 0
ベルクソンの著書の内もっとも平易なものは何ですか?
15考える名無しさん:2011/02/17(木) 23:57:48 0
笑い
16考える名無しさん:2011/02/18(金) 16:11:01 O
ベルクソン的に人種主義って否定?肯定?
17考える名無しさん:2011/02/19(土) 14:49:39 0
 
18考える名無しさん:2011/02/21(月) 07:45:56.23 0
 
19考える名無しさん:2011/02/22(火) 07:31:09.08 0
 
20考える名無しさん:2011/02/22(火) 07:35:57.78 0
 
21考える名無しさん:2011/02/22(火) 07:36:05.04 0
 
22考える名無しさん:2011/02/22(火) 07:36:12.58 0
 
23考える名無しさん:2011/02/22(火) 11:37:52.42 0
直観以外に何があるの?この人
24考える名無しさん:2011/02/22(火) 13:06:16.43 O
人種主義とベルグソン、これは重要な研究テーマだ。
なぜ人々はナチズムに無抵抗であったのか。
25考える名無しさん:2011/02/22(火) 20:52:38.44 0
ドゴールは死ぬほど抵抗したじゃないか
26考える名無しさん:2011/02/22(火) 21:12:14.76 O
ド・ゴールはロンドン亡命政府にいた。

ヨーロッパはナチスに飲み込まれてしまった。
27考える名無しさん:2011/02/23(水) 21:24:28.05 0
ド・ゴールの父アンリと親しかった哲学者ベルグソンは「ド・ゴールは、フランスを救い得る唯一の人物である」
と言ったという。
28考える名無しさん:2011/02/23(水) 21:29:28.66 O
ベルグソンはナチス占領下のパリに戻ってひっそりと死んだ。

ナチスの考えではベルグソンがそうであるユダヤ人は
劣等種族だった。
29考える名無しさん:2011/02/25(金) 19:58:03.83 0
ベルグソンは年でリューマチだったから後事はドゴールに託したんだろう。
パパがポーランド系ユダヤ人でママがイギリス人の親英ユダヤ人ベルグソンが精神的にナチを受け入れる訳がない。

ママの母国イギリスで亡命政府つくったドゴールの放送聞いて「ドゴールGJ!」
って感じだったんじゃないか?
30考える名無しさん:2011/02/26(土) 03:37:44.93 O
よくまあ、生物学的に解決されなかったな。
「良いユダヤ人」だったか?
31考える名無しさん:2011/02/26(土) 14:05:46.76 0
単に放っておいてもすぐに死にそうだっただけじゃ・・・
32考える名無しさん:2011/02/26(土) 14:08:36.16 0
ユダヤ系フランス人であるとは言え、かれはヨーロッパ全土に名を知られるほどの文化人であった。
したがって特権的な扱いを受けることは誰の目にも自明であったのだ。しかし、ベルクソンはそうした特権を拒絶する。
むしろ「ユダヤ人」と書かれたカードを首に吊るし、ユダヤ人たちにあてがわれた粗末な食事の配給の列に同じように並び、
それを食することを選び取り、清貧のうちに逝った人である。
33考える名無しさん:2011/02/26(土) 15:58:56.31 0
自分の理論に葬られたつう。
34考える名無しさん:2011/03/01(火) 21:00:45.15 0
俺がベルクソンと分析哲学を接続させてやる
35考える名無しさん:2011/03/03(木) 19:24:55.23 0
 
36考える名無しさん:2011/03/05(土) 13:01:18.16 0
 
37考える名無しさん:2011/03/05(土) 13:14:47.90 0
>>34
そんなこと考える奴は珍しくもねえ。
疑似科学的な戯言並べて時間の
浪費してる奴ばかりだ。
38考える名無しさん:2011/03/05(土) 16:36:49.64 O
「エラン・ヴィタール」とか一所懸命に説明しようとしてる
の読んでも、うーん、て感じで。
39考える名無しさん:2011/03/05(土) 16:44:06.26 O
カミュが『シジフォスの神話』で断固として思想の飛躍を
拒否してるんだが、確かにピョンピョン跳ね回るような
思想はどうかと。
40考える名無しさん:2011/03/10(木) 23:52:40.58 0
ベルクソンは第一次世界大戦でアメリカを参戦させた功労者。ナチスはアメリカ
参戦を恐れてベルクソンを始末しなかったのだろうか。
41考える名無しさん:2011/03/11(金) 00:13:17.45 O
人間として立派でも思想を過つことは、ままある。

何というか、自分が本心から善良なつもりにやっていても、
結果が間違いを引き起こすことはあるのだ。
42佃煮マニア:2011/03/28(月) 20:49:04.94 0
マーチダ・コー先生がエランヴィタールの説明してたのを見てベルクソンに目覚めました。
43考える名無しさん:2011/03/31(木) 16:08:18.95 P
瞑想的観照性というか
44考える名無しさん:2011/04/07(木) 11:33:01.16 0
>>43
卒論の人か

でも直観て少なくとも現在=行動の次元にあるんだから
その捉えかたおかしいくね
45考える名無しさん:2011/04/11(月) 12:15:38.20 0
 
46考える名無しさん:2011/04/23(土) 13:11:47.66 0
創造的進化の新訳はいい。
47考える名無しさん:2011/04/23(土) 18:27:52.65 0
放射線浴びて異形進化するんだろ。
やってろよw
48考える名無しさん:2011/04/24(日) 11:36:05.41 0
ゲーデルの定理――利用と誤用の不完全ガイド

作者: トルケル・フランセーン,田中一之
出版社/メーカー: みすず書房
発売日: 2011/03/26
メディア: 単行本
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 おそろしい。何が恐ろしいって批判対象はポストモダニストではないのだ。もっとシビアである。ペンローズニダイソンにホーキングに果てはチャイティンまで……。

49考える名無しさん:2011/04/24(日) 14:52:45.81 0
2ちゃんも糞情報しかなくて退屈だな
50考える名無しさん:2011/04/24(日) 18:05:12.73 O
『創造的進化』や『宗教と道徳の二源泉』で、真の信仰は
成立するだろうか。
51考える名無しさん:2011/04/24(日) 22:54:15.15 0
層化系の出版社からも本が出てるね、何で?
52考える名無しさん:2011/04/26(火) 18:17:39.57 0
物質と記憶は新訳微妙。
53考える名無しさん:2011/04/26(火) 19:37:20.95 0
田島節夫訳がいいのでは?
54考える名無しさん:2011/04/30(土) 16:21:00.83 0
ベルクソンが科学と哲学を分けるとき、分析と直観ということを言いますが、科学的方法では直観にいたることはないというのはなんとなく分かりました
要素に分けてから全体に戻そうとしても無理なんですね?
55考える名無しさん:2011/04/30(土) 18:19:17.89 0
うん
56考える名無しさん:2011/04/30(土) 18:37:19.42 0
>>54
右脳左脳というように脳機能が別れているかぎり
実際には分析していても直感が働いているというのが脳神経学の常識
ベルクソンはそういうことを完全に否定しているのではないのはわかるが
読者はそこら辺を勘違いしている
要するに「地と図」のゲシュタルト
思考とは全体的なイメージ(直感)から入らざるを得ない構造が大脳の性質上ある
57考える名無しさん:2011/05/01(日) 00:05:16.94 0
54さんはそういうこといいたいんと違うんじゃないかな?
58考える名無しさん:2011/05/01(日) 18:37:21.58 0
新訳って竹内のやつ?
あれもとから眉唾だと思ってるんだが
59考える名無しさん:2011/05/04(水) 14:46:32.60 0
みなさんはベルクソンの記憶理論についてはどう思いますか?一般的には過去は脳内にインプットされ
ると考えられていますが。映画のDVDが脳(コンピューター)に蓄積されていくようなイメージでしょ
うか。それに対してべルクソンはそうではない、記憶は消えずにそのままあるというか生命が必要なと
きに呼び出されるという。このことはプルーストの紅茶にひたしたマドレーヌのことをイメージすれば
わかりやすいかもしれない。最初にあげたDVDのイメージだとどうしても空間的に枠があって切り取ら
れた映像と音が想定されざるをえず(たとえ3Dであっても)、そもそも記憶あるいは過去とは空間的
に切り取られた断面であるというより連続して(つらなって)いることがらであって線をひっぱろうと
してもその向こうがあるし時間的にも奥行きがあって、そのほかにも雰囲気や香りがあってこれを押し
込むには無理があるんじゃないかといわれるとそうかもしれないと思わざるをえない。が同時にこんな
こといってたら、あなた神秘主義者?といわれかねない(笑)。
60佃煮マニア:2011/05/04(水) 14:57:52.52 0
人が記憶した事を忘れたとき、記憶は消失しているのではなくて、
脳の中にちゃんと収められているものの、ホルモンが足りないため容易に呼び出せない状況になっているだけだ、
ということが最近の研究で明らかになっていますね。
61考える名無しさん:2011/05/04(水) 15:47:59.72 0
たとえば私がロックフェスティバルに行ってそこはオールスタンディングだったとします。隣の女性が
あげたりさげたりしている腕や手があたるので、うざいなあと思って顔をにらみつけるとどこかで見た
ことがあるような気がしてくる。じょじょにそのおぼろげな顔だちやそのひと独特の雰囲気から中学校
の同級生であることに気づいてきて思わずあーっと声をあげる。その一連の動きのなかで過去全体(整
理できないほどのいろいろなことがまじりあった思い出)がはじめからすでに私に作動していてーその
ことがもし整理されているとしたらそれは過去あるいは記憶そのものではなくあとから知性によって整
理されたにせものの(疑似)記憶といってもよくーもっと正確にいえばその過去そのもが彼女を認識し
たともいえるのではないか。
62考える名無しさん:2011/05/10(火) 01:26:01.46 0
というより、過去そのものが呼び返されたんでしょ。
63考える名無しさん:2011/05/30(月) 16:25:12.24 0
というかロック(笑)って。
64考える名無しさん:2011/06/04(土) 01:20:15.95 0
ベルクソン人気ないのかな
あげ
65考える名無しさん:2011/06/25(土) 19:14:42.41 0
ベルクソン(笑)
66考える名無しさん:2011/06/25(土) 20:42:48.20 0
ベルクソン的に考えるなら日本の原発はデボン紀末の甲冑魚のようなもので、応用が利かなすぎる鈍重過ぎる存在になってしまった。
今こそ日本は原発という重すぎる甲羅を捨てて、かつての脊椎動物のような創造的進化を遂げなければならない。
67文責・名無しさん:2011/07/20(水) 11:38:43.72 0
>>54
遺伝子配列がわかっても生命を論じることはできないということか。
68糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/06(土) 15:54:09.96 0
ベルクソンという哲学者は、20世紀の初めごろにカルト的信者を集めたのだ。
ところが、終戦を迎えて彼の名声は地に堕ちた。
しかし、メルロ・ポンティやサルトルが彼に注目し、また、ドゥルーズが1966年に
ベルクソンに関する論文を書いたことから「復活」を果たしたのだ。
彼の哲学は「人々の多様性」が、世代間で引き継がれるものや永続性という概念と
衝突しながらも、それと調和させる議論であり、まさに、理論としては革命的だったのだ。
これが「ベルクソン」の哲学なのだ。
69糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/06(土) 16:05:35.50 0
お前ら、アホな翻訳読んでないで、世界ランキング第四位のスタンフォードの
論文の翻訳を共同作業でやれよ。東京大学は国家統治の大学だ。
人材はほとんどが統治作用に流れる。人材が豊富な大学の研究を参考にしたほうがいい。
「アンリ・ベルクソン」スタンフォード哲学百科事典。
http://plato.stanford.edu/entries/bergson/

俺は時間がねえんだ。誰か代わりにやってくれ。学士レベルじゃ済まねえぞ。
70考える名無しさん:2011/08/06(土) 18:02:23.07 0
>>69
google翻訳で充分だよw
71考える名無しさん:2011/08/08(月) 12:30:53.76 O
誰かベルグソンの「エラン・アモーレ(愛の跳躍)」について
解説してくらはい。
72糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2011/08/08(月) 16:19:01.98 0
>>71

>>68をプリントアウトして18ページ目を読め。
愛の跳躍とは「生産的な感情」であるとされ、喜びや共感を引き起こすような生産的な活動を
行った人は尊敬や権威を得られるとする。それが社会の安定性と調和をとりながら
現実社会に組み込まれていき、社会は発展するのだ。
その「喜びや共感」を愛の跳躍というようだ。
宗教やモラルの方面での議論らしい。
73考える名無しさん:2011/08/08(月) 17:16:12.12 O
ベルグソン的にはオナヌーは罪悪なのれすね?
74考える名無しさん:2011/08/08(月) 19:26:43.96 0
綾波レイや長門有希の卑猥な姿を見て自慰行為をしたいという感情が、
神レベルの魔改造フィギュアやエロ同人誌を生産させ、
それが全国全世界のキモヲタの喜びや共感を引き起こさせ、尊敬や権威を得られるとする。
それが青少年保護条例や有害図書指定の基準と調和をとりながら、
全国の書店や模型店の売り場に組み込まれていき、アキバは発展するのだ。
その「喜びや共感」を「萌え」というようだ。
75考える名無しさん:2011/08/08(月) 19:51:32.26 O
>>72
ダーウィニズムの方面かもょ
76考える名無しさん:2011/08/08(月) 19:53:04.08 O
はー、ベルグソンは若い頃にスペンサーの悪影響を受けたのだな…
77考える名無しさん:2011/08/08(月) 20:05:37.07 O
ドルイドが「ベルグソン主義」を発表したのは1966年、ポスモダ黎明期かな。
78考える名無しさん:2011/08/09(火) 00:43:22.63 0
>>71
こういうの、どう考えても季節柄、レポート課題だろうから、
クソ学生に楽させることになるよ
79考える名無しさん:2011/08/09(火) 16:59:33.52 O
何でもピョンピョン跳ねたら解決すんだろ。
80考える名無しさん:2011/08/09(火) 19:17:18.28 O
ポストモダン哲学者はピョンピョン跳ね回る。
81考える名無しさん:2011/08/09(火) 20:12:24.59 O
ピョンピョンだ!
ピョンピョンがいるぞ!
82考える名無しさん:2011/08/10(水) 09:19:06.03 O
ピョンピョンたちが新自由主義と仲良しである思想背景は
明瞭だな。
83考える名無しさん:2011/08/10(水) 09:51:03.86 O
難問に直面するとピョンと跳ねて飛び越える。

哲学者としては敗北だね。
84考える名無しさん:2011/08/10(水) 10:54:30.33 O
ピョンと跳ねて見事に着地、「さあ、進化したぞ!」

振り返ると飛び越した死体の山。ちょっとモジモジする。
85考える名無しさん:2011/08/10(水) 11:37:42.21 O
実在と表象の中間期位置付けをされる真実在としての「イマージュ」とか。
何でも哲学者かよ。
86考える名無しさん:2011/08/10(水) 11:59:35.30 0
ベルクソンは工業水準です、食用水準ではありません
87考える名無しさん:2011/08/10(水) 13:59:00.23 I
それにしてもドゥルーズのような単なる口八丁をこの国は哲学と言い張るのね。真理のかけらもないインチキなのに。サルトルの方が百倍マシだよ。
88考える名無しさん:2011/08/10(水) 14:45:04.61 0
舶来品を崇めるのがこの国の哲学のあり方ですから
89考える名無しさん:2011/08/10(水) 17:33:35.78 0
ベルクソンは、哲学者の分際で相対性理論に反論したってホントですか?
90考える名無しさん:2011/08/10(水) 19:48:37.99 O
独仏ユダヤ人対決は物理学ではフランスには勝ち目はなかったつう
91考える名無しさん:2011/08/10(水) 21:43:26.84 O
あ、中間的位置付けね。オッカムのカミソリでそり落としたくなるけど。

「イマージュ」が現象世界の基盤だなんて言ってりゃ、イメージ先行な
世界にしかならんだろう。
92考える名無しさん:2011/08/10(水) 21:48:25.61 O
機械論的宇宙観が駄目なら有機体的宇宙観にしましょうってくらい
安易な発想じゃないか?
93考える名無しさん:2011/08/10(水) 22:22:58.69 O
ま、こんな下らない世界を支えてるのはこの程度の思想だな。
今更、驚くほどの話ではない。
94考える名無しさん:2011/08/10(水) 22:54:20.85 O
随分前にフランス思想界におけるベルグソンの影響ってのは
未だに残ってるんではないかとか言ったけどな。

ベルグソンを足場にしたポストモダンがそのままアメリカに
持ち込まれた。

ドルイドがベルグソンを引っ張り出したのはワトソンとクリックが
ノーベル賞を受賞してから数年後か。そういう時代背景もあるだろ。

生命の究極の謎がタンパク質の何かだったって世の中が騒いでる頃。
95考える名無しさん:2011/08/27(土) 23:00:08.21 0
ベルクソンは「イマージュ」が現象世界の基盤だ」などとはいっていない。唯物論と唯名論の論理を
厳密におしつめていくと或る点でどちらも矛盾が起こることを説明するためにとりあえず「イマージ
ュ」という言葉をつかった。そのやり方はきわめて数学的なものである。
96糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2011/10/02(日) 10:09:59.53 0
これからが本題なのですが、ブログにまとめておきました。
「アンリ・ベルクソン」
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2011/10/post-13ec.html
97あまな ◆I/bnTKgLlU :2011/10/03(月) 20:12:41.06 0
ベルクソンの言った言葉で思い出せるのは
エランヴィタール。持続。生命哲学。イマージュ。
他なんかあったっけ。
98バッカス:2011/11/11(金) 21:15:11.27 0
『道徳と宗教の二源泉』のなかの「閉じた社会」と「閉じた道徳」、そして「開かれた道徳」。
いまの世界で「開かれた道徳」は現実的でないとしても、ユーロ発の世界恐慌が起きた後は、
世界全体を一単位として考える「開かれた道徳」は、大きなポテンシャルを持つのではないだろうか。

先進国を覆う資本主義経済の、競争と闘争によりもたらされる精神的窒息状況と強く重い閉塞感。
エゴイズム経済社会でのギリシア・イタリア国民の混乱と、明日はわが身の日本人の悲惨さ。
これらは冥界のベルグソンから見れば、社会の自己愛から来る「閉じた社会」と「閉じた道徳」の当然の帰結だろう。
99考える名無しさん:2011/11/13(日) 17:48:14.60 0
age
100あまな ◆I/bnTKgLlU :2011/11/13(日) 18:25:26.18 0
ベルクソンスレに書き込みが!
と思ったら保守揚げか。
101考える名無しさん:2011/11/13(日) 18:37:18.43 0
義眼と混乱する眼前LAWぜす
102考える名無しさん:2011/11/14(月) 19:49:19.06 0
サルトルは左翼であり、理論の論拠にしているのは所詮ヘーゲル的弁証法とダーウィン的な固定的進化論、存在目的論である。
ベルクソンは欧州白人の二大短所であるヘーゲル的弁証法とダーウィン的進化論の二つを華麗に超越している。

この10年、世界を停滞させていたのはヘーゲル的弁証法とダーウィン的進化論の亜流であり派生である新保守主義・新自由主義、
インチキ金融工学、インチキ投資格付けだった。

米英が自分を守るために発達させてきた新自由主義と金融工学は今や甲冑魚の甲羅のように世界の経済・流通を阻害している。
今こそ世界は米英が作り出した甲冑を脱ぎ捨てて脊椎動物のような思考の自由を獲得しないといけない。
103考える名無しさん:2011/12/04(日) 17:21:12.67 I
上でいわれたことは当たり前だといわざるをえない。問題なのは、いかにして「甲冑を脱ぎ捨ててセキスイ動物のような思考の自由を獲得」するか、である。
その意味でベルクソンは「道徳と宗教の二つの源泉」において宗教に進路を見だしているようであるが、今の私には賛同できない。
104あぼーん:あぼーん
あぼーん
105考える名無しさん:2012/01/16(月) 11:02:48.79 0
アンリ・マンユ?
106考える名無しさん:2012/02/23(木) 23:20:00.51 0
ノイマン型はユーザー提供の仕組みを提供する原理ある。
自立型の仕組みが状況により動的に切り替わる仕組み(計れない)
タイプは概念としてはあるが、現実に利用した例はほぼない。
道具として機能を提供するには、ユーザー提供の仕組みという概念を
破ることはできない。CPUが自立して思い考える計算を始めたら、
それは道具ではない。単細胞生命に類似するものになってしまう。
107考える名無しさん:2012/02/24(金) 19:22:08.80 0
Nous allons voir, en effet,
qu'elle se réduit ici à une certaine qualité ou nuance dont se colore une masse
plus ou moins considérable d'états psychiques, ou, si l'on aime mieux, au plus
ou moins grand nombre d'états simples qui pénètrent l'émotion fondamentale.
108考える名無しさん:2012/02/24(金) 19:59:34.07 0
岩波訳p19
実際には、これから見ていくように、強さはここではかなりな数の心的
諸事実を大小に色分けする或る質ないしニュアンスに、あるいは、こう
言ってもよいが、基本的情動に浸透している相当な数の単純な心的状態
の大小に、還元されてしまっているのである。

「言い換え」
強さは以下の2種に還元される。
一 かなりな数の心的諸事実を大小に色分けする或る質ないしニュアンス
二 基本的情動に浸透している相当な数の単純な心的状態の大小

意味わからない。
109考える名無しさん:2012/02/24(金) 20:02:11.66 0
大小に色分けする質ってなんだろ、

心的状態の大小ってなんだろ、

しかも一と二は、同じ事態の言い換えになってるのかな。わからない
難しすぎる
110洋楽:2012/02/24(金) 20:43:51.41 0

 帯に短し 襷に長し ・・・・ 

         なんか 無駄に損してる気にさせる魔法 (笑)
111考える名無しさん:2012/02/27(月) 20:14:29.25 0
>>108
筑摩訳同箇所p19
実際、やがて分かるだろうが、純粋な強度はここでは、心理的諸状態の大なり
小なりの集塊を色づけているある質やニュアンスに、というか、こう言ってよ
ければ、根本的な情動に浸透している単純な諸状態の数の大小に還元されてい
るのだから。
112考える名無しさん:2012/02/29(水) 23:43:26.42 0
平凡社の精神のエネルギーの訳者あとがきで、ベルクソンは日本語の翻訳に
めぐまれてないと言ってた。「試論」と「物質と記憶」か。
113考える名無しさん:2012/03/01(木) 00:04:20.96 0
『時間と自由』服部紀  岩波文庫
『時間と自由』中村文郎 岩波文庫
『時間と自由意志 -附・物質と記憶』 北レイ吉 新潮社 社会哲学新学説大系03 1925(大正14)
『時間と自由』平井啓之 白水社 1975
『時間と自由』竹内芳郎 旧河出文庫1955
『時間と自由』中村雄二郎/他 河出書房新社/世界の大思想/第2期11 1967
『意識に直接与えられたものについての試論』合田正人/平井靖史ちくま学芸文庫) 2002/6
『意識に直接与えられているものについての試論』竹内信夫 白水社2010/12
114考える名無しさん:2012/03/01(木) 01:44:22.07 0
une plus grande longueur de fil enroulé

ちくま訳p15 より長い糸の巻かれた糸巻き
岩波訳p14  より大きな巻き糸
115考える名無しさん:2012/03/01(木) 01:49:18.20 0
un espace comprimé

ちくま訳p15 圧縮された空間
岩波訳p15  空間だと白状することを口封じされている空間
116考える名無しさん:2012/03/01(木) 03:20:55.91 0
L'effort s'accompagne d'une sensation musculaire, et
les sensations elles-mêmes sont liées à certaines conditions physiques qui
entrent vraisemblablement pour quelque chose dans l'appréciation de leur
intensité ;
の「leur intensité」の所

ちくま訳p18 努力
岩波訳p19  その感覚の強さ




117考える名無しさん:2012/03/01(木) 13:54:20.21 0
des changements qualitatifs

ちくま訳p22 質的な諸変化
岩波訳p23  量的変化
118考える名無しさん:2012/03/01(木) 14:13:50.60 0
ちくまがいいってこと?
列挙続けるのはウザい
結論を
119考える名無しさん:2012/03/01(木) 14:18:54.11 0
どっちもいい訳。自分で判断すればいい。
気になるところ役に立つ人もいるだろうと思ったから書いただけ。ウザいならいいや
120考える名無しさん:2012/03/01(木) 14:20:08.92 0
生物進化論の哲学とか一種流行になってるけど、
ベルクソンはまるで相手にされてないな。
121考える名無しさん:2012/03/01(木) 14:28:02.08 0
英語圏で親しまれていないから
それだけのこと
122考える名無しさん:2012/03/01(木) 14:33:25.25 0
見るところがないもんね
123考える名無しさん:2012/03/01(木) 15:04:51.67 0
W・ジェイムズの仲間みたいな扱いなんだよね
だから英語圏のやつはジェイムズだけでいいじゃんとなる
124考える名無しさん:2012/03/16(金) 21:05:08.68 0
age
125考える名無しさん:2012/03/16(金) 21:38:23.35 0
ベルクソンによるプラグマティズム批判は
個体に外在する精神や個人に根源を持つ観念を想定していることだったが
これらの欠陥(とベルクソンに思われるもの)を
ベルクソン自身がじゅぶんには克服出来ていない。
126考える名無しさん:2012/04/01(日) 21:35:47.63 0
筑摩書房 「物質と記憶」

p283 10行目

われわれの諸欲求はいずれも、感性的諸性質の連続に向けられることで、
その連続性のうちに諸身体・物体を描く光の束なのである。


「光の束」ってどういうこと?単なるレトリック?
すごく面白いこと言ってそうな気がするけどよく分からない
127考える名無しさん:2012/04/02(月) 23:11:52.30 0
「神々を作り出す機械としての、この宇宙の機能」だと。

すごく面白そうだけど、スパゲティーモンスター級のファンタジー。
128考える名無しさん:2012/04/04(水) 03:00:35.24 0
純粋持続ってマジなん?
知覚された物体には実体としての不可分な運動が付随してるの?
129あらわれ:2012/04/05(木) 01:03:28.74 0
>>108-109
「」意味わからない。

こんなのはどうですか。質と量の取り違えの話ですので。
「意味わからない」を引き取って。
どれだけ、どの程度の強さで、「意味わからない」というその強度は ?という問題にして、
沢山わからないのか、少しわからないのか、というようにしてみれば
どうでしょうか。

疑問点が沢山多ければ、深く強度に「意味わからない」といえるのか
「意味わからない」という強さの増大が、疑問の数や自分に近い関心事に
すり変わっていないか、とか、、、、
130考える名無しさん:2012/04/12(木) 12:18:04.70 0
ベルクソンとフロイトの意識についての概念を少し考えてみたんだけど、
前者は受動的、内的で後者は能動的、外的な感じを受けるんだよね。
ベルクソンは針で刺された時の知覚の凝集がそうであるように、
フロイトは現れたものを症状としての言語化で切り離すように。
フロイトは無意識―意識の二分法と言い、少し硬く構造化しすぎてる印象を受ける所はあるけれど、
両者とも議論がすごく明快で、ある種の説得力を持ってることには変わりないと思うんだよな。
その生涯においてお互いに何らかの形で関わったことは有るんだろうか?
131考える名無しさん:2012/04/12(木) 12:35:58.57 0
フロイトは失語症についての論文でベルクソン引用してる
132考える名無しさん:2012/04/12(木) 13:12:00.26 0
>>131
そうなのか。
でも、フロイトが失語症を語っていたのは、物質と記憶が出る以前と言うイメージが有るんだけど、
その後でも失語症についての論文を書いているのかな?
それとも、ひょっとして引用されたのは試論なんだろうか。
しかしフロイトと言えば後期ばかりに目が行ってる自分の浅学さが恥ずかしい・・・。
133考える名無しさん:2012/04/12(木) 23:56:52.86 0
逆じゃないのか?
物質と記憶の2章でフロイトが引用されてるのは確かだが

フロイトとの関係で面白いのは「無意識」観の違いだな
フロイトの無意識は時間的な縦の無意識だが、
ベルクソンはさらに空間的な横の無意識について論じてる
まあだからドゥルーズなんかはフロイト乗り越えのためにベルクソンの無意識に注目するわけだけども
134考える名無しさん:2012/04/13(金) 02:38:37.58 O
>>133
そういえば確かにフロイトの文字を見かけたような気がします。
しかし、ベルクソンの無意識における内的な時間性と外的な空間性を、
それが意識化される時の程度の違いと見做す考え方は確かに示唆に富むものですね。
ただ、フロイト・ラカンのように、世界を最初から構造的に言語化された物と見なすのであれば、
そもそもこうした思考自体、大きな意味を持たないのかもしれませんが。
それでも、個人的には、想起において混とんとしていた世界が流れ込み、その中で強度を凝集させてゆき、
遂には一つの形を作り出す。というような考え方には美しさを感じずにはいられませんが…
135考える名無しさん:2012/04/19(木) 20:40:57.20 0
>>128
数学の「連続体仮説」を連想するんだ。バートランド・ラッセルも
世界は連続か不連続かだなんて、全くの抽象的な問題でアタマを
悩ませている。19世紀形而上学の病を患っているとそういう症状が
出るのかも知れない。
136考える名無しさん:2012/04/19(木) 20:53:50.42 0
ベルグソンは何か一つ気に入ったキーワードを仕入れると、
著作の中で飽きが来るまで繰り返すようなところはあるね。
137考える名無しさん:2012/04/19(木) 21:39:16.14 0
連続体仮説は「連続体濃度は最小の非可算濃度である」という主張であって、
世界は連続か不連続かという問題とは無関係だけどね
連続体仮説はそもそも連続体ありきの問題提起だから
138考える名無しさん:2012/04/19(木) 22:16:35.94 0
点を無限に繋げると線になるのが権威ある数学でないの?
139考える名無しさん:2012/04/20(金) 20:51:33.58 0
その点を電子顕微鏡で拡大して見ると、細かな数字が
いっぱい書いてあるのだ。

人間の脳味噌ってのは結構、いい加減なもん。
140考える名無しさん:2012/04/24(火) 19:41:04.75 O
形而上学やりたがる奴らってのは自分の主観的感覚を素朴に
信用し過ぎるんだろうかね?
141考える名無しさん:2012/04/24(火) 20:13:58.23 O
原罪意識がない。パウロ的な意味の罪責論的原罪論ではなく、
人がいつから、なぜ自然から分かたれてしまったのかという
哲学的な問題意識が。
142考える名無しさん:2012/04/25(水) 22:16:07.79 0
ま、この国は湿っぽい哲学がお好きな方が多いようで。
ベルクソンのポジティヴィズムなんて一生かかっても理解できないだろうね
143考える名無しさん:2012/04/27(金) 18:37:18.51 0
解剖台のカエルつつき回すようなポジティビズムだろ・・・
144考える名無しさん:2012/05/03(木) 18:17:14.29 0
ベルグソンはオカルト
145考える名無しさん:2012/05/04(金) 18:14:33.81 0
ベルクソンは、分析(科学的方法)に対して、「直観」とは、「観点にも記号にも
依存せず、無媒介的に事物の内に入り得る認識」と述べている。この直観の解釈を
自分なりに述べると「禅での、自己の既成概念を全て取り除いた瞑想状態」では
ないかと思う。又、ベルクソンは、「すべての事象を、ありのままの事象の持続した
相の下に見る事が直観である。」とのべている。これは、単に形而上学そして形而下学
の枠を超えて「生命の躍動」という「生命の哲学」に及んでいる。生命の哲学の概念は
ダ−ウインの進化論をも超えていると思う。
146考える名無しさん:2012/05/04(金) 21:29:19.19 0
「観点にも記号にも依存せず、無媒介的に事物の内に入り得る認識」

これが空想的錯覚に過ぎないわけではない保証は?

ま、直観についての話に保証は無理だろうが。
147考える名無しさん:2012/05/04(金) 21:33:59.93 0
「生の躍動」=「第一次世界大戦」後は、ほとんど著作は
残さずに平和活動に奔走した。
148考える名無しさん:2012/05/04(金) 21:45:15.42 i
『物質の記憶』の中で語られるゼノンの矢に対する純粋持続からのアプローチは
実存かどうかはともかく、論理的には妥当なの?
149考える名無しさん:2012/05/04(金) 23:36:28.17 i
『物質の記憶』の中で語られるゼノンの矢に対する純粋持続からのアプローチは
実存かどうかはともかく、論理的には妥当なの?
150考える名無しさん:2012/05/04(金) 23:57:02.27 O
「持続」というイマージュ(笑)は観念的時計時間を連続するんで
あんまり好きでないな。
151考える名無しさん:2012/05/05(土) 00:37:41.07 O
「日寺」という漢字は時間概念の成り立ちを考える上では
分かりやすいヒントにならないか?
152考える名無しさん:2012/05/05(土) 01:22:19.90 0
>>150
論外
持続はイマージュではない
153考える名無しさん:2012/05/05(土) 11:37:59.33 O
点が無限に繋がった線みたいなイマージュ(笑)だろ。
154考える名無しさん:2012/05/05(土) 11:43:44.62 O
過去から未来に向かって直線的に伸びる間断なき持続的進歩の時間軸。

これは根源的であるより、むしろ形而上学的なイマージュ(笑)では?
155考える名無しさん:2012/05/05(土) 11:47:48.07 O
巷に言う「構成主義」的態度というのはバベルの塔みたいな
人工物を構築するのが目的だろ。個人の趣味をとやかく言って
も仕方ないわけだが。
156考える名無しさん:2012/05/07(月) 13:44:00.70 0
>>146
ベルクソンは、事象の純粋持続が「生命の躍動」へ繋がると、述べている。「観点(事象の定義化)にも
記号にも依存せず無媒介的に事物の内に入り得る純粋持続の認識」が直観と述べているので、生命の躍動と、直観
とを、生命(エネルギ−)として、捉えている様に思える。生命エネルギ−は目には見えないが、現実に実体として
存在している。
157考える名無しさん:2012/05/15(火) 02:47:21.48 0
最近ベルクソン読み始めたんだが、
バラの比喩は、不変的なバラの香りによって記憶が想起されるのではなくそのバラの香りにそれぞれが異なった意味を見出す
ってことでいいの?
158考える名無しさん:2012/05/15(火) 02:51:04.75 0
もしくはそもそも不変的な匂いなんてもの自体はじめから存在しないということか
159考える名無しさん:2012/05/16(水) 22:14:53.76 0
ぜんぜん駄目
まずお前が使ってる語彙が駄目
160考える名無しさん:2012/12/01(土) 23:51:06.93 0
Amazonで予約するタイトル創造的進化
サブタイトル
著者 [著者区分]■アンリ・ベルクソン [著・文・その他]
■竹内 信夫 [翻訳]
出版社白水社レーベル
本体価格
(予定)4000円シリーズ新訳ベルクソン全集
ページ数 500pCコード1310
発売予定日2013-01-28ジャンル教養/全書・双書/哲学
ISBN9784560093047判型46
内容紹介
動物と植物の分岐に先立つとされるエラン・ヴィタル(いのちの躍動)とは何か? 本能と知性の根源をさぐる哲学的生命論。
161名無しさん:2013/01/14(月) 23:37:17.34 0
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
 僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf
162考える名無しさん:2013/01/19(土) 18:25:18.44 0
二源泉でキリスト教を開かれた社会としてたけど
キリスト教めっちゃ人殺してるやん
163考える名無しさん:2013/01/19(土) 21:12:04.45 O
>>156
バイタリズム(生命主義)てな「生命=エネルギー」かね?

ファイト一発!
164考える名無しさん:2013/01/19(土) 21:31:17.12 O
東洋ではエネルギーという概念は存在しなかった。

近代科学を輸入するまでは、あんまり必要ともされなかったな。
165考える名無しさん:2013/01/19(土) 22:54:33.59 O
アリストテレスのエネルゲイアの概念は、もともとは中国の
気功みたいなもんだとは思うが、妙にメカニカルなイメージ
なのは西洋人がアリストテレスの形而上学を自然の光(理性)
の権威として取り込んだせいか知らん。
166考える名無しさん:2013/01/19(土) 23:01:51.93 O
自然学(フィジクス)があって、そのアプリオリな領域として
形而上学(メタ・フィジクス)があるんだから、形而上学は
もともと自然の光(理性)の取り扱い得る範囲外にある。
167考える名無しさん:2013/01/19(土) 23:17:57.69 O
西洋人てか、西欧カトリック教徒が十字軍でイスラム世界からね。

ローマカトリック体制に対する、今で言うカウンターカルチャー
として受け入れた。歴史の中では良くある話。
168考える名無しさん:2013/01/19(土) 23:28:02.28 O
歴史の地質学だな。
169考える名無しさん:2013/01/20(日) 14:32:43.86 0
>>163
生命を科学的に究明していくと、生命細胞の分子から原子、そして、量子力学に行き着く。
量子力学の世界では、素粒子を構成しているのは究極に於いて、粒子エネルギ−(一種の力)に
到達する。この粒子エネルギ−(力)と「生命」とがどの様な連関にあるのかは、種々の解釈があるが、
この粒子エネルギ−(力)が人間の「意識」にどう関与しているのかは、哲学的分野と科学的分野で意見の
分かれるところである。
170御子柴.A 宗光 ◆WalkyrieuQ :2013/03/03(日) 04:44:08.60 O
生命現象として哲学を展開するさまはヘーゲルを思わせるものがあるよな
171考える名無しさん:2013/03/03(日) 13:30:18.62 O
>>169
純粋科学では力という概念は無用なものではないか?
172考える名無しさん:2013/05/23(木) 08:36:47.42 0
「精神のエネルギー」(原章二訳・平凡社)を読んだよ。最後の第7章「脳と思考」以外は、
哲学書にしては読みやすい方だった。精神とは記憶だ、とズバリいう処は、成程と思った。
生来チャネラーの自分にしては、心霊とか方向にもう少し踏み外してほしかった(^^;が、
それだとノーベル賞はなかっただろうね。
173考える名無しさん:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN 0
ベルクソンは生に神を見たの?
174考える名無しさん:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN 0
前田英樹『ベルクソン哲学の遺言』
175考える名無しさん:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN 0
ツト
176考える名無しさん:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN 0
小林秀雄の哲学 (朝日新書) [新書]
高橋昌一郎 (著)
価格: ¥ 819
内容紹介
なぜ小林秀雄の言葉は人の心を魅了してやまないのか?
生誕111年・没後30年にあたる今年、
『理性の限界』等で知られる気鋭の論理学者が、
近代日本最高″の批評の数々を徹底的に考察する。
受験生泣かせ″ともいわれる難解な論理の正体とは。

登録情報
新書
出版社: 朝日新聞出版 (2013/9/13)
177考える名無しさん:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN 0
>>145 >>146 >「直観」とは、「観点にも記号にも依存せず、無媒介的に事物の内に入り得る認識」

知(=認識)の起点の「直観」を考えると分かりよい。
→暗闇で、「あの光って動いているモノは何んだ・・・あ、蛍か」というとき、
 (何かが)光って動いている(…直観=直覚) モノは何んだ・・・あ、蛍か(…分析=分る)
認識は、普通は、この順番です。
→(我)思う(=思えてくる…直覚) (故に)我あり(…分る)

一つ言えば、「観点にも…依存せず、…事物の内に入り得る」という表現は論理矛盾です。
「内に入った観点」でしょ?と突っ込みたくなる。ベルクソンよ、もう一歩だ、と言いたい。(笑)
178考える名無しさん:2013/10/04(金) 08:04:33.22 0
〈資料〉ベルクソン『試論』再読
  ――ことば・数式・因果律―― 渡仲幸利 (169)
179考える名無しさん:2013/10/17(木) 04:07:01.24 0
YSD8810 ‏@nariyuki_hanyu 11時間
ベルクソン『物質と記憶』は駿河台出版の岡部訳が名訳だって喧伝されたから学
部2年の頃に買ったけど、あの句読点の多さには馴染めなかった。ベルクソンへ
の敬意が高じて今は彼の母校たるパリのエコール・ノルマルにいる、恐ろしく頭
の切れる先輩(ただし典型的オタク)は全集版の田島訳を勧めていた。
YSD8810 ‏@nariyuki_hanyu 11時間
河野与一訳の『思想と動くもの』はやや古くさいもののもちろん名訳な訳だし
、同じ岩波文庫だと、木田元は留保つき、田中小実昌は手放しでそれぞれ褒め
た『創造的進化』の真方敬道訳は僕も愛読した。でも『二源泉』はパッとしな
いなぁ。『試論』も岩波で新旧二つの訳があるけど僕は平井啓之訳で読んだ。
YSD8810 ‏@nariyuki_hanyu 10時間
ちなみに岩波だと『物質と記憶』は復刻版の高橋里美訳(序文は西田幾多郎!)
をたまに見かける。ちくま学芸の合田訳はどこ行ってもいい評判を聞かないね
え。竹内個人訳全集は未見。前出のベルクソニアンの先輩は平凡社ライブラリ
ーの原章二訳『精神のエネルギー』『思考と運動』を強く推していた。
180考える名無しさん:2013/10/17(木) 04:21:56.73 0
思考と動き
アンリ・ベルクソン著 原章二訳
平凡社ライブラリー 2013年4月 本体1,600円 HL判並製436頁 ISBN978-4-582-76784-1
★発売済。昨年2月に刊行された『精神のエネルギー』に続く、原章二さんによる新訳
ベルクソン第二弾です。従来『思想と動くもの』と訳されることの多かった本書を『思
考と動き』としたわけは「訳者あとがき」に記されています。同書の既訳は四種あります。
吉岡修一郎訳(第一書房、1938年)、河野与一訳(岩波文庫、三分冊版、1952-1955年;
合本版、1998年)、矢内原伊作訳(白水社版『ベルグソン全集』第7巻、1965年)、宇波
彰訳(『思考と運動』上下巻、レグルス文庫/第三文明社、2000年)。「訳者あとがき」
に書かれている「今回の翻訳に際して、難渋するたびにそのうちの三つを参考にして大
いに助けられた。伏して先輩諸氏にお礼を言いたい」というくだりにある既訳三点とい
うのは恐らく河野・矢内原・宇波の三氏の訳書かと思われます。ただし、既訳に対する
原さんの眼は厳しく、『精神のエネルギー』の「訳者あとがき」では「ベルクソンは翻
訳に恵まれていない」(319頁)とお書きになっておられましたし、今回は「改版し文庫
になっているものも含めて、おびただしい誤訳には驚かされた」(421頁)と告白してお
られます。これは悪口というよりは翻訳の難しさを指摘されたものかと思います。後段
で「翻訳の完成度には果てがない。モデルを見て彫刻しているようなものであり、気が
ついたら彫りすぎて何もなくなっている」(同)と。なお、原さんは初心者のためにこ
うアドバイスも書かれています。「ベルクソン哲学に不慣れな読者、ベルクソンをはじ
めて読む人は、「ウィリアム・ジェームズのプラグマティズムについて」と「変化の知
覚」から読むのがよいかもしれない」(423頁)。
181考える名無しさん:2013/11/13(水) 00:07:19.24 0
プラトンが中期に幾何学的・数学的論理すなわち真偽の論理 (絶対論理) を導入してから哲学の長い迷走が始まった。
哲学の真面目は、「いずれがより良いか」という比較検討を限られた情報内で客観的に行う方法論 (相対論理) の吟味
にこそある (前提となる情報が変われば結果もそれに応じて変わるのだから、普遍たり得るのは方法のみ)。
それに気づいた最初にしておそらくは唯一の哲人がベルクソン。
182考える名無しさん:2013/11/26(火) 03:47:27.90 0
メチエ
書  名 著者名 定価
(税込) 発売日
二十世紀日本の戦争と宗教(仮) 小川原正道 未定 01/11
ベルクソン=時間と空間の哲学 中村昇 未定 01/11
183考える名無しさん:2013/12/24(火) 23:34:37.91 0
笑い とかいう本、退屈すぎて、笑えない


哲学者が笑いなんか語れないわけよ
184考える名無しさん:2013/12/29(日) 14:05:57.40 0
ベルクソンの最大の功績は、思考と言語を混同するなということを示したことだね。
これだけは、評価する。
185考える名無しさん:2013/12/29(日) 18:53:15.98 0
>>184
思考は、“言語”を基底として構築されるものではないでしょうか。
だから、混同というよりも思考と言語は、“同一”のものと考えられる。
186考える名無しさん:2013/12/29(日) 19:18:34.90 0
それはベルクソンの考えとは、ある意味正反対だな。
187考える名無しさん:2013/12/29(日) 21:35:20.43 0
言語の持つ二重性(=両義性)という観点から捉えれば、ベルクソンの
思考と言語を切り離す捉え方も可能なのであろう。
188考える名無しさん:2013/12/29(日) 21:54:42.79 0
前世期、精神や思考を言語と同一視する一種の言語主義が、主に欧米の人文主義者たちの間で風靡したが、これは捨て去られねばならない。
この種の誤りは、旧くはプラトンが的確に警告していたことだ。
189考える名無しさん:2013/12/30(月) 18:46:26.26 0
「欧米の人文主義者たち」って何も限定してないな
190考える名無しさん:2014/01/08(水) 22:11:19.18 0
ハイデッガーとか、ウィトゲンシュタインみたいな連中のことだろ。
191考える名無しさん:2014/01/10(金) 19:41:26.71 0
 概していえばベルクソンの「純粋持続」とは仏教でいう「空」であると言っていいと思う。
 ・・・事物のソース(混沌)。例えれば、神が光あれと言う前の状態。

 「存在の本質は直観によってのみとらえられる」とは、世界(=実状況)と意識が混然一体
となった状態で感じ取れるという意味であって、その時、自分と世界(=実状況)の間に境界
が無いということ。

 「禅」は「空」を実感する方法だが、上のことが理解できていないと禅における「無我」
の意味と必要性が分からない。
192考える名無しさん:2014/01/10(金) 22:41:46.08 0
純粋持続は対象特定的な方法論だから、空 (観) とは違うと思うよ。交響曲を「体験的に」理解する在り方がモデルに
なってるようだけど、禅的にはむしろ魔境の方が近いと思う。ベルクソン自身は神秘主義的には、十字架のヨハネを
最重視していて、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%AD%97%E6%9E%B6%E3%81%AE%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D
その魔境的炎に焼き尽くされることによる、神の意図の体現者としての魂の再生を目指していたらしい。
193考える名無しさん:2014/01/11(土) 13:52:53.53 0
>>192
レスありがと。
なるほど。》対象特定的 なら「魔境」(…不十分、未熟な禅的心境)ともいえますね。仏教では「特定→限定」を嫌いますから。

》交響曲を「体験的に」理解
これの具体的なことは分かりませんが、実は自分も、かなり前、「体験的に」曲が聞こえてきたことがあります。
その朝も、行きつけの小さい喫茶店に座って、外の風景に目をやっていた時。
店の軽音楽のBGMが、眼下の川の流れ、自分自身の息や鼓動など、その時の状況(世界)と絡み合ったように一体になって(聞こえて)いて、こんな事があるのかと驚いたことがあります。(時間は1分間もなかったかも。)
その時は、珍しく複合的なシンクロニシティ(共時性)だなと思いました。
自分は音楽の造詣もないし、上の経験は受動的だし、ベルクソンのいう体験とは違うのだろうと思いますが、、、
194考える名無しさん:2014/01/11(土) 17:36:15.64 I
>>184>>185
メルロポンティが、そのことをうまくまとめてるよ。
確か「思考」と「行為」の文脈で。
195考える名無しさん:2014/01/11(土) 17:50:12.40 0
それぐらいは自分で探り当てろ
196考える名無しさん:2014/01/12(日) 16:03:45.73 0
>>191
>ベルクソンの「純粋持続」とは、仏教でいう「空」であると思っていいと思う。

>ベルクソンは「空間化されない純粋持続という内面的根底的な自我の“時間”」と、
 純粋持続を定義している。
 仏教の「空」の概念は、「有(=自我)」と「無(=客観)」の“融合化”した次元を現しており、
 一種の「純粋経験(=主客未分化領野)」の次元と解釈している。

 この「主客未分化領野(純粋経験)」を「空」と定義すると、“時間概念”を超越した世界が「空」と、
 解釈される。

 従って、ベルクソンに於いては、「純粋持続」が、“内面的(質的)な時間”と定義されており、仏教に於ける
「空」の概念は、“存在”に対する究極的な認識(=体験)であり、「空」の領野は“時間概念”の無い“次元”と
 解釈できる。 
197考える名無しさん:2014/01/13(月) 04:57:58.85 P
    是故空中、無色、無受・想・行・識、        
    無眼・耳・鼻・舌・身・意、             
    無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。 
    (般若心経より)

               /\
               ||
               \/

      ______________________
     /                      \
   A(                        )B 記憶の全体、過去
     \______________________/
      \                    /
       \ ________________ /   従来の心理学、哲学で無視されがちな、 
      A' (                )  B' 精神生活の無数の反復及び、
         \______________/      無数の切断面
          \            /
記憶全体       \ ________ /
          A'' (________)B'' 無数の切断面
             \自我の運動  /     
       _______\ ↑↓ /________P 現実的表象を現す運動平面         
      /        \↑↓身体のイマージュ /             
     /          \/        /   
    /           S 現在の知覚  /    
   /____________________/
  ベルクソン『物質と記憶』における知覚と記憶、円錐モデル
198考える名無しさん:2014/01/13(月) 15:25:40.75 0
現代におけるベルクソン哲学の後継者的な人っていますか?
ドゥルーズは読んでいますので、それ以外で近い立場にいる人は
199考える名無しさん:2014/01/13(月) 17:12:56.21 0
ほう 包茎者ですか
まあ波平がそうかと思いますが
ただ短小包茎ですがね
ペロンペロン♪
200考える名無しさん:2014/01/14(火) 01:05:21.60 0
メイヤスー
201考える名無しさん:2014/01/14(火) 13:43:07.58 P
邦訳 Q.メイヤスー『減算と縮約』の周辺 - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/432776?page=2
202考える名無しさん:2014/01/14(火) 21:43:52.81 0
>>200-201
198ですがメイヤスー興味深いですね。
「現代思想」ちょっと探してきます。ありがとうございました。
203考える名無しさん:2014/01/16(木) 14:02:30.44 0
>>196
191です。
ベルクソンの「純粋持続」はやはり”…時間”であり、「空」は”存在…(の認識)”ということですね。
元々世界を捉えようとする立地点が違うわけですね。

ベルクソンは「意識に直接与えられたもの」(≒直観)と言いながら、その考察を、全面的に、分析知の
道具である「言語」に拠っていて、これが彼の思想を分かりにくくしているのではないかと思い、近い
と思われる「空」を持ち出したわけです。「空」というのも余計に分かりにくいかも、ですが。(笑)

「神秘主義」や「ヨガ〜禅」以外に、「直覚知」とでもいうべきものに対する方法論はないものでしょうかね・・
204考える名無しさん:2014/01/21(火) 17:53:04.66 i
現象学。
205考える名無しさん:2014/01/21(火) 21:22:55.71 0
方法論としてはヨーガと瞑想が手っ取り早い
ベルクソンとどれほど近似しているかは分からんが
206考える名無しさん:2014/01/21(火) 22:18:03.62 0
ベルクソンが分かりづらいという場合、十中八九「空間的」に理解しようとしてるんじゃないかな。
空間的=幾何学的=論理的把握がギリシア的なら、時間的把握は旧約聖書的なようだから、旧約
を読んでその「時間的把握」を会得するのはどうだろう (西洋哲学者にとって聖書は「誰もが知っ
ていて当たり前」のものだから、聖書の読破はほかの西洋哲学者の理解にも役に立つと思う)。
207考える名無しさん:2014/01/22(水) 22:32:11.39 0
ベルクソンと仏教ってつなげたくなるよネ。
精神のエネルギーと臨在録の内容に相当似ている部分があってびっくりしたよ。

やっぱ精神はいたるところに溢れて縦横無尽なんだな。
頭が変でも心が良ければきっと生きてけるぜ。
208さあみなさんご詠唱しましょう:2014/01/22(水) 22:36:25.27 0
ファーーーーーーーーーーーラック
209考える名無しさん:2014/01/22(水) 23:10:10.32 0
おおよそヘーゲルの頃にはもう、欧米人でも哲学教授クラスの人ほどになると、
インドや中国の思想にも、その本質を把握できるほどには精通していたみたいだよ。
だから、仏教などの東洋思想に擦り合わせて解釈しようとすることは、彼らが既に
克服し放棄した「キャンプ跡」に固執するようなもので、誤読の元にしかならないと思う。
210考える名無しさん:2014/01/22(水) 23:19:27.54 0
京都学派の伝統があるから仕方ないんじゃね
211207:2014/01/23(木) 09:31:41.94 0
>>209
それは知らなかった。どうも。
(東インド会社興隆からサンスクリット研究が盛んになった的起源だろうか)。

ただ臨在録におすがりする俺には、ベルクソンも同じこと言ってると安心するよ。
(学術的には類似性を確認を安易な安住とするのは御法度だろうけどネ☆)
212考える名無しさん:2014/01/23(木) 10:48:28.93 0
有名人が同じことを言ってると安心するって、みんなと同じ
流行のファッションを着てると安心するのと同じだな
213考える名無しさん:2014/01/23(木) 19:11:47.81 0
>>209
「インドや中国の思想にも、その本質を把握できるほどには精通していたみたいだよ。」

それはないと思う。
214考える名無しさん:2014/01/24(金) 01:31:01.75 0
>>213
ヘーゲルはインド思想と中国思想を吟味した上で、それは奴隷が自身の境遇に甘んじるための受動的・
消極的なものに過ぎない、と断定して意図的に自身の哲学史構想から除外した、と言われてるよ。
大乗仏教の特に華厳思想・浄土思想とそれらを受け継ぐ中国禅は、ギリシア思想 (特に新プラトン主義)
の強い影響下にあるから、そちら側からその本質的部分までたどれる、という理由もあったろうけどね。
215考える名無しさん:2014/01/24(金) 01:51:00.26 0
ベルクソン流って何だ
216考える名無しさん:2014/01/24(金) 05:10:25.57 0
方法としての「直観」っていうのが、いろんな解説読んだけどもう一つピンと来ない。
解説書の言ってることは理解できるけど、自分の中ではどれもしっくりと来ない感じ。
217考える名無しさん:2014/01/24(金) 09:41:46.74 0
>>216
微力ながら説明させてもらおう。

【方法としての直感】は、まず「方法」という言葉から取りかかろう。

ここで使われる「方法」は、ある程度公式化できるが、実は万人まちまちのファジーな意味を持つ(はず)。
なぜなら、心の働きを、他人のそれと厳密に一致させる(という証明を得る)ことは難しいからだ。

したがって、決定的な公式はないが、一方で、他人と部分的に共通する心の働きがあることも否めない。
※ここまでが一つの区切り。

さて、上述の「心の働き」の中には「直観」がある。
この「直観」というのは難しいようで簡単だ(と思うがやっぱり難しい)。

私見によるが、「直観」とは「心に聞くこと」を指す。
「自分の胸に手を当てて考える」と言い換えても良い。
ベルクソンは「心」が体から溢れていると述べている(『精神のエネルギー』どう読んでもそう読める)。、
心は様々なことを知ってるから「頭で考えず心で観よう」という主張である(はず)。

そして「心で観る方法」こそ、「方法としての直観」である。

また結論として、なぜ、この言葉がキータームになるかといえば、
まちまちで自己流の「直観」が、他人と共有できる驚きを強調し、
また、他人と心を繋ぐ常識が失われた現実に対する処方箋になるからであろう。

長文で失礼。
218考える名無しさん:2014/01/24(金) 11:51:14.42 0
記憶による自動的な補完作用に留意しながら認識する、ってことでいいんじゃない?
非常な意志的努力と、あと「気づき」に至るまでけっこう時間がかかる、と言ってるから、
その部分にも気をつけながらあとは実践あるのみ、って感じ?
219考える名無しさん:2014/01/25(土) 13:45:32.70 0
直観と瞑想はどう違う?
220考える名無しさん:2014/01/25(土) 14:24:49.26 0
「どう認識するか」が (ベルクソンの言う) 直観、「何を認識するか」が瞑想。
221考える名無しさん:2014/01/25(土) 14:38:56.22 0
>>220
なるほど。dです
222考える名無しさん:2014/01/25(土) 23:39:46.54 0
>>219 >>220
なにその「瞑想」って。
『精神のエネルギー』には出てこないし、『時間と自由』にもなかったと思うんだが。
(あと物質と記憶の索引(ちくま学)にも出てこない・・・)
223考える名無しさん:2014/01/26(日) 15:22:46.68 0
>>216
私見として述べると、“直観”とは「心に聞くこと」を指す、 つまり、「自分の心を空しゅうして心の
“声”を聞くこと」です。
しかし、「心の声を聞くこと」と言われても、具体的にどのようなことなのか、なかなか理解出来ないのが、
多くの人達の気持ちであると思う。
この「心の声を聞く」の概念を“思考法”に当てはめて分析してみると、「形式論理学」と「現象学」に分かれる。

「形式論理学」は、前提を必要とする思考法であり、「現象学」は前提を必要としない思考法である。
「直観」とは、前提を必要としない思考法であり、“形式論理思考”とは明確に異なっている。
だから、ベルクソンの直観概念も一種の現象学と解釈出来る。

では、具体的に「前提」のない“思考法”とはどのようなものか、「現象学的還元」は西洋哲学で一般化している
思考法だが、更に具体化した思考法として川喜田二郎の「KJ法的思考法」がある。この「KJ法的思考法」は、
「おのれを空しゅうしてデ−タ(カ−ド)をして語らしめる」思考法であり、カ−ドを媒介とした“前提のない思考法”を
可能としている。

「KJ法的思考法」は、“直観思考”を視覚的に容易に実践が出来るという点において非常に優れている。
現在は、ブレ−ン・スト−ミングにて活用されているが、この「KJ法」と「形式論理思考」の組み合わせが、
一般的な方法として活用されている。
224考える名無しさん:2014/01/26(日) 16:49:57.04 0
>>223
いろいろ目からウロコ。
まず、形式論理学と現象学が対になりうる概念だとは知らなかった。
(形式論理学=カント ⇔ 現象学=ベルクソン・フッサールという理解(を勝手にします))
次に川喜田二郎のKJ法的思考法は名前をうっすら覚えていたくらい…、
だったが、非常に「こころ」を現実に反映させやすい方法論じゃないか…。
かなり、勉強になってしまった…。
ありがとう。
225考える人:2014/01/30(木) 13:33:52.82 0
人工のiPS幹細胞についで、自然のSTAP幹細胞まで発見されたね。(また日本で!) 
今後、生殖などのよる素朴な物質的生命観が完全に覆(くつがえ)っていくだろう。
心や精神(〜霊魂)の科学的な解明が必要な時が来ている。
「科学」そのものも、分析だけでは片手落ちだろう。
あんたら、がんばれよwww
226考える名無しさん:2014/02/04(火) 12:04:07.95 0
慰安婦流
227考える名無しさん:2014/02/15(土) 00:45:14.45 0
心が脳より広いという考えがもっと市民権を得ないものか。
228考える名無しさん:2014/02/15(土) 12:56:03.86 0
漢字が悪いんだと思う
どうしても心臓を想起してしまうから
229考える名無しさん:2014/02/16(日) 15:22:35.95 0
うーん、心臓は命そのものだしいいんじゃない。
命あってこその精神だし。
心は心臓を象った漢字だし。
なんとか科学イデオローグにベルクソンを理解してもらうことはできないものか。
230考える名無しさん:2014/02/19(水) 22:30:38.94 0
>>214
大乗経典の初期経典群は紀元前後に成立してる。
ネオプラトニズムよりかなり前。
231214:2014/02/19(水) 23:22:55.47 0
>>230
後にギリシアでは新プラトン主義として統合されることになるようなギリシア思想の潮流、という解釈は苦しいかな?
浄土思想は、もっと直接的にゾロアスター教に近い系譜かもしれないけど。
アレクサンドロスの遠征以降しばらく現在のアフガニスタンからインド北西部がギリシア王朝下にあって、仏像が作
られるようになるのもその影響だというから、その流れで、後に新プラトン主義へと結実するような諸思想の萌芽的
なものの影響も多分に仏教へ取り込まれてるんじゃないかと思う。
232考える名無しさん:2014/02/20(木) 01:40:54.58 0
大根で良いでしょうか。
233考える名無しさん:2014/03/02(日) 16:41:33.13 P
http://ameblo.jp/notebook-notebook949/entry-11656729596.html
★ベルクソンの「生命」は「植物」「動物」。
 ベルクソンの生命の捉え方を「差異化の概略的シェーマ」(『創造的進化』第二章)としてジル・ドゥルーズ(1995)が示している(『ベルクソンの哲学』邦訳p114)。ドゥルーズは、「生命」とは、「動物」と「植物」であり、「物質」を除いているのである。

          差異化の概略的シェーマ(『創造的進化』第二章)

      物質 __|さまざまな世界。そしてそれぞれの世界に物質のもろもろのタイプがあり、
     (弛緩)  |それは、生命が回避すべき外的・内的な障害として出現する。
     /
記憶−持続    植物:葉緑素の作用(連続的にエネルギー|/炭素同化作用
     \  /   を蓄積し、爆薬を貯蔵する。)  |\窒素同化作用
      生命
     (収縮)                 非中心化した神経系:本能
        \動物:神経系(非連続的にエネ| /        物質の外在化と支配
            ルギーを消費し、爆薬を| \中心化した神経/
            爆発させる。)    |         \生命の転換と包括(直観)
                       |  系:知性
234考える名無しさん:2014/03/04(火) 00:10:35.10 0
 ベルクソンのいう「(時間=)持続」とは、「ずっと進行中」のことを言っているのだろうか?
 万事に結果はない、あったとしても仮の結果でしかない、ということには同意する。が、去った時間は一体何処に行った?

 「持続」というのは、流れる「持続」と捉えるより、「積み重ねられていく持続」と捉えるべきなのだろう。
 生物は、その成長過程で自分が辿ってきた進化の経過を、実体験するように、繰り返すという。
 これは、時間がその(個体の)成長情報として、『どこか』に折り重ねられていて、命として働いていることを意味しているのだろう。
 この『どこか』とは、何処なのか? そして、なぜ「重ねられた持続」を繰り返す必要があるのだろうか?
235考える名無しさん:2014/03/04(火) 06:02:39.33 P
http://deleuze.web.fc2.com/bergson.html#book10
ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』
「記憶が持続と共存していることは確かである。」が「どのようなメカニズムによって持続が
事実としての記憶になるか,理論上存在するものが、どうして実在化されるかということ」が
記憶の特有の問題となる。「われわれは即自存在、過去の存在の中へと実際に飛躍するのだ。」

「過去のあらゆるレヴェル,緊張のあらゆるレベルが潜在的に共存しているという考え方は
宇宙全体に拡げられている。すべてはあたかも宇宙が恐るべきひとつの記憶であるかのよう
に進行する。」

『差異について』
「持続とは差異を生ずるものあるいは本性を変えるものであり、質であり、異質性であり、自己に
対して差異を生ずるもの」であり(p180)、「持続、傾向とは自己に対して自己の持つ差異である。
そして自己に対して差異を持つものとは直接的に実体と主体の一致である。」(p43)
236考える名無しさん:2014/03/05(水) 01:02:48.37 0
237考える名無しさん:2014/03/06(木) 18:08:22.26 0
ありがとう。参考になります。(234です)

無意識も含めて広く意識を、法則性の活用力と定義(※1)するとしたら、生物とは宇宙意識の一部を仮に(※2)
取り込んで囲い込んでいる存在と言えそうです。
  ※1;「精神のエネルギー」のT.意識と生命 U.心と体 などの内容から、こう定義してみました。
  ※2;「仮に」とは、「局部的に&一時的に」。

となると、心脳問題(「意識は脳の働きか?」とか) も決着がつきそう・・興味津々(^^
238考える名無しさん:2014/03/08(土) 22:04:07.26 0
>>236
なんでそんな画像データ持ってるんだよ…。
本物の証拠があるなら是非見せてくれ。
239236:2014/03/13(木) 18:29:07.75 0
http://journal.seijo.ac.jp/gslit/student/japanese/pdf/bun-020-11.pdf
教育研究所にて保管している 「小林秀雄文庫」 について - 成城大学(Adobe PDF)

参考:
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/5059/laugh1.html

小林秀雄がドゥルーズに関して褒めていたと前田英樹なども書いているが(『小林秀雄』195頁)、
郡司勝義『小林秀雄の思い出』に孫引きされているだけで、出典として指摘される肝心の『文学界』
1979年11月号の河上徹太郎との対談(「歴史について」)にはない。
郡司が編集者のような立場だったみたいなのでゲラから引用したのだろう(「考える人」
2013年4月号のCDにはその内容は収められていなかったので推測の域を出ない)。

<小林秀雄は言う。
「ドゥルーズという若い人がいてね、この人の『ベルクソニスム』という本は
なかなかいい。ベルクソンの影響された当のものは、プラトンしかない、
と言っているんだな。つまり『持続』なんだよ、要するに、こう流れる、
これは『歴史』なんだよ」>(郡司勝義『小林秀雄の思ひ出』262頁)

<…それで、ジル・ドゥルーズの『べルグソン』の訳本(宇波彰訳、一九七四年)が出たときに――あれは『本
居宣長』が終ったころだと思いますけれど――彼の心残りは『感想』だろう、次は『感想』をやるだろうと思っ
て、ちょうど間違えて二冊買っちゃったから、彼に一冊贈ったんですよ。アインシュタインとの論争では、ベル
グソンがだめだということばかり言われるけれども、その経過においてベルグソンはとてもいいことを言ってる
んだということが、書かれているんです。
 大江 ドゥルーズが書いているわけですか。
 大岡 ええ、「註」の中に書いてあるんです。そのほか、ベルグソンについて、差違から入った、新しい見方
もある。その時はとっても喜んでたそうですよ。だいたい礼を言わない男でね。ぼくは彼が礼を言ったの聞いた
ことがないですよ。(笑)>
(大岡昇平「追悼小林秀雄 伝えられたもの 対談大江健三郎」大岡昇平全集別巻1996.8、669頁より。初出『文学界』1983.5)
240考える名無しさん:2014/03/15(土) 08:18:59.43 0
>>239
サンキュー!!!!!。

小林秀雄の講演CDにベルクソン現象を批判する発言が出るから(『現代思想について』だったっけか)、
たぶんドゥルーズは読んでるんだろうなと思ってたけど、
ベルクソニスムを読み込んでるとは思ってなかった。
ハイカラなもんはだいたい駄目だって言ってたし。

ドゥルーズには近づきたくないんだけど、
『ベルクソンの哲学は』買うかなぁ…。
241考える名無しさん:2014/03/16(日) 14:42:15.53 0
『現代思想について』は1960年の講演だぞ。
242考える名無しさん:2014/03/16(日) 21:16:34.20 0
>>241
あれ…、まじかw
ベルクソニスムという言葉を講演CDで批判してて、
それで、あ…ドゥルーズ読んでるなって思ったんだよ。

こっちの情報がテキトー過ぎてすまん。ちょっと探してみるわw
243考える名無しさん:2014/03/22(土) 11:06:48.76 0
人文書院 ‏@jimbunshoin 2月25日
日本哲学会、第1回林基金若手研究助成の成果論文が掲載。居永正宏(大阪府立大学大学院人間社会学研究科)「ベルクソン『物質と記憶』の現代的検討に関する一考察 チャーマーズの「自然主義的二元論」との接続」 http://philosophy-japan.org/ja/821/
244考える名無しさん:2014/03/23(日) 08:40:51.74 0
>>243
ありがとう。読んだ。かなり刺激的だった。

「このように、心身問題を巡るベルクソンの科学哲学的研究においては、
 一方にベルクソン哲学は現代の科学的知見と矛盾しないどころか先見的であったという評価があり、
 他方でベルクソンの脳理解は現代的には誤りではないかという指摘があり、
 その対立とは別に、『物質』を現代の英米系の心身問題と接続して論じる可能性が示唆されているが、
 その可能性が実際に展開されているわけではない、という状況である。」

 この一文で、ベルクソンを読むのが相当ラクになったわ。

 あと、(論文に従えば)チャーマーズさんが二元論を固持してるみたいで、応援したくなる。
245考える名無しさん:2014/04/03(木) 11:21:10.10 0
makino(Tokyo) ‏@mkss 2 時間
岩波書店「図書」4月号、赤木昭夫「ベルクソンとの交響ーー漱石の哲学遍歴 最終回」が面白い。
246考える名無しさん:2014/05/06(火) 17:25:23.50 0
ベルクソンの方法って、プルードンのとほぼ同じ?
http://jairo.nii.ac.jp/0033/00000837/en
247考える名無しさん:2014/05/09(金) 00:20:13.46 0
クリばかり攻める。
248考える名無しさん:2014/07/28(月) 19:35:47.48 0
さっき精神疾患の教科書を探してたら、
「脳を頂点とする神経系は、本質的に反射装置である」
という文章を見つけて、

あれ、馴染みがある解説だと思ったら、『物質と記憶』が参考文献になってた。
即買いしたわ。
249考える名無しさん:2014/07/28(月) 20:48:01.71 0
うむ。
250考える名無しさん:2014/10/09(木) 09:09:38.17 0
『差異について』買った。
最初の方だけだが、ドゥルーズって性急に言い切るのな。
ベルクソンも言い切るタイプだけど、
アホでもわかるように懇切丁寧に道筋を示してから跳躍するタイプだよな。
この本読んでるとベルクソンの文章が恋しくなってくる。
ま、そのベルクソンの本も読み終わったこと無いんだがな。
251考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:03:12.53 0
小林秀雄ファンでベルクソンファンの俺が、
精神のエネルギー(平凡ライブ)の読書感想をちまちま書き始めたら、
相手してくれる人いない?
252考える名無しさん:2014/12/04(木) 00:10:07.31 0
『精神のエネルギー』は一度読んだ気がするので、
時間があるときであれば、コメントぐらいできますよ。
どうぞ書き込んでください。
253考える名無しさん:2014/12/04(木) 23:20:30.98 0
rosed @smileinsanely · 5時間 5時間前
ベルクソンの河野訳が批判されてないのは、原文と逸脱してまで意味の通ら
ない訳語を使い倒すから文体だけは成立しているせいだろう、たぶん。もち
ろん、こっちのが始末が悪いんだが
rosed @smileinsanely · 5時間 5時間前
クーンのコペルニクス革命、とりあえずまえがきは翻訳も参考にして読んで
る。で、まえがきの時点では、常石さん、原文の読解に問題はないようなん
だが、とにかく、日本語が下手くそ。訳がどうっていうよりも、日本語がひどい。
rosed @smileinsanely · 24時間 24時間前
クーンの訳についてはどちらも悪名高いのに、ベルクソンの河野訳がしばし
ば褒められているのはなぜだろう。英語とフランス語の違いか、とも思った
が、河野訳は訳文しか見なくても十分に怪しい表現多いんだよなぁ
254考える名無しさん:2014/12/04(木) 23:23:39.51 0
平凡社ライブラリー 2013年4月 本体1,600円 HL判並製436頁 ISBN978-4-582-76784-1
同書の既訳は四種あります。
吉岡修一郎訳(第一書房、1938年)、河野与一訳(岩波文庫、三分冊版、1952-1955年;
合本版、1998年)、矢内原伊作訳(白水社版『ベルグソン全集』第7巻、1965年)、宇波
彰訳(『思考と運動』上下巻、レグルス文庫/第三文明社、2000年)。
「訳者あとがき」に書かれている
「今回の翻訳に際して、難渋するたびにそのうちの三つを参考にして大
いに助けられた。伏して先輩諸氏にお礼を言いたい」というくだりにある既訳三点とい
うのは恐らく河野・矢内原・宇波の三氏の訳書かと思われます。ただし、既訳に対する
原さんの眼は厳しく、『精神のエネルギー』の「訳者あとがき」では「ベルクソンは翻
訳に恵まれていない」(319頁)とお書きになっておられましたし、今回は「改版し文庫
になっているものも含めて、おびただしい誤訳には驚かされた」(421頁)と告白してお
られます。これは悪口というよりは翻訳の難しさを指摘されたものかと思います。後段
で「翻訳の完成度には果てがない。モデルを見て彫刻しているようなものであり、気が
ついたら彫りすぎて何もなくなっている」(同)と。なお、原さんは初心者のためにこ
うアドバイスも書かれています。「ベルクソン哲学に不慣れな読者、ベルクソンをはじ
めて読む人は、「ウィリアム・ジェームズのプラグマティズムについて」と「変化の知
覚」から読むのがよいかもしれない」(423頁)。
255251:2014/12/23(火) 15:30:00.63 0
>>252 thx
返答遅れてすみまそん。ちまちま書き始めます。
256考える名無しさん:2015/01/09(金) 09:20:31.11 0
熊野純彦
カント『判断力批判』新訳(作品社)
ベルクソン『物質と記憶』新訳(岩波文庫)
257考える名無しさん:2015/01/16(金) 06:19:00.39 0
ベルクソン『思想と動くもの』(河野与一訳、岩波文庫)
 その人物の描写に使われるすべての特徴は、私がすでに知っている人や物との比較によってしか私にそれを知らせることはできないから、多かれ少なかれ記号的に表わすための符号(シーニュ)にすぎない。

1903年 ベルクソン「哲学入門」
1906〜1911年 ソシュール「一般言語学講義」
258考える名無しさん:2015/01/16(金) 08:22:09.15 0
その人物の描写に使われるすべての特徴は、私がすでに知っている人や物との比較によってしか私にそれを知らせることはできないから、多かれ少なかれ記号的に表わすための符号(シーニュ)にすぎない。


Tous les traits qui me la décrivent, et qui ne peuvent me la faire connaître que
par autant de comparaisons avec des personnes ou des choses que je connais
déjà, sont des signes par lesquels on l'exprime plus ou moins symboliquement.
259考える名無しさん:2015/01/21(水) 21:15:58.15 0
メルロ=ポンティ『心身の合一 マールブランシュとビランとベルクソンにおける』
 直観とその本性に関して、ベルクソンの著作は、変化というよりも、むし
ろ思考の動揺を表わしている。「形而上学入門」(一九〇三)は『物質と記
憶』(一八九六)の直観の説とは違った説を繰り拡げている。だが、『創造
的進化』(一九〇七)は、直観―合致というテーゼを取り戻している。その
うえ、『思想と動くもの』(一九二二、出版されたのは一九二三)の序文は、
再びその反対の考えを表明している。しかも、ベルクソンは、この同じ著作
に収録されている「形而上学入門」には長い注(一七七―八頁、河野与一訳
『哲学入門』、岩波文庫、九九―一〇〇頁)を付して、もとの合致主義
(concordism)に立ち返るのだ。いろいろのテキストをたどってみると、直
観とは対象との合致であるか(第一の考え方)、あるいは逆に、再構成のた
めには精神がイマージュと概念を仕上げる必要があるのだから、直観は一つ
の極限の場合にすぎないことになるか(第二の考え方)、そのいずれかであ
る。実は、問題は、ベルクソンが絶えず出くわす一つの難問にあるのである。
260255
すまんす。いろいろ手間が取られて、精神のエネルギーの感想書けません。

上の第二の考え方って理解が難しいですね。
知覚の宇宙的大拡張が直観ですよね。
ただ直観が長続きしないことは「思考と動き」の序論第二部(p49平凡ライブ)で言ってて、
第一の考え方がベストだけと、第二の考え方も充分理想的って感じはどうでしょうか。
メルロ・ポンティの思想的背景が全然分からないので、まず駄目ですかね。