錯綜している心の哲学について語りましょう。
決定論
脳は物質だから意識は必然に過ぎない
>>2 そのスレの存在は知っていますが、少数の方が独自の自説を開陳する場となっているので、
ここでは、心の哲学全般について語る場にしたいと思います。
サーバー落ちする前も、心の哲学スレは存在したので。
まずは私から、つい最近邦訳が出た「知覚のなかの行為」ざっと座り読みしましたが、
エナクティブ・アプローチというのはなかなかおもしろい見解だなと思いました。
宗教板の仏教スレで
食うのは快楽ですが
『空腹という苦痛』は、現代の先進国でなければ
なかなか回避できず、私たちも
『労働という苦痛』を回避できません。
回避するのは物理的に不可能なんです。
労働しないで一生食って遊ぶのは無理。
で、更にですね。
『様々な肉体的苦痛』も発生してしまうんですね、体があると。
単細胞生物なら、おそらく痛みは薄く、熱さとか寒さも無いでしょう。
が、多細胞生物だから、複雑な苦痛があり、
人間も先進国でも、虫歯や癌や尿道結石や出産など、
様々な苦がある。これは
快楽を上回る、凶悪なデメリットでは?
何年かおきに「唯物論鬱」みたいのがある、主に苦しい体験をしているとき
「自分は逆らうことのできない物理法則に動かされてるだけなのに…」って感じで
高校生のときは陸上部の練習が余りに苦しくて
大学生のときはこれから働かなきゃならないのが嫌で
今はこの1年会社が大変だったのと、髪が薄くなってきたことでwww
今回は何かはっきりしたテーマが沸いてきていて
「『犯罪』をどう考えたらいいのか?」
上司のいい加減っぷりに腹を立てていたのだが、同時に「彼にはそれを回避することはできなかったのだ」
と思う自分がいる
私もよく同じような考えを持ちます。
私は自由意志というものはあるはずと思っていますが
それは完全に自分の行動をコントロールするものではなく
乱流の中でどちらの方角に舵を向けるかを定めるようなもの
と思っています。
犯罪については
・新たな犯罪の抑止力
・被害者感情の改善
という未来志向での罪の指摘は有効と考えますが
最近よくある
・自己責任で起こした罪を償うための罰
という考えには反対です。
自由意志は荒波に揺さぶられるのを抑えるほどの
コントロールはないと考えるからです。
8 :
6:2010/12/25(土) 10:36:14 0
>>7 レスサンクスです
唯物論ってWikiなんかでも分かりやすく説明してあるものだけど
これについて人と話すって「もしその人がまだ知らなかったら」と考えると
ものすごい罪なことに思えて、自問自答するしかなくて、けっこう苦しみます
法律板にそんなスレ立てたら何人かが司法試験投げ出すかもしれないし
妙な名前がつけられてることで敬遠されてるのかも知れませんが、それは救いですよね
自由意思については、あって欲しいけど、たぶんないと思ってます
ただ意識というものが物心ついたときから連続していて、自分の肉体に縛り付けられていることを考えると
物理的な証明は困難でしょうが、魂のような何かはあるんだろうと思ってます
「お前はこの肉塊の生涯を見てきなさい」という感じで
自分で投げといた「犯罪」から話がそれてしまってすみません
>>6-8 刑法学においては、いまだに相対的自由意志論に基づく責任(刑法)モデルが
主流ですよね。
ドイツなどでは自由意志は幻想なのだから、責任刑法を廃すべきだという過激な
主張も出てきているようです。
自由意志など存在しないのではないか?それでも責任刑法を維持できるのか?
という問題に正面から取り組んでいる刑法学者はわが国にもいます。
明治大学の増田豊教授です。
『規範論による責任刑法の再構築』(勁草書房)を読んでみてください。
10 :
6:2010/12/25(土) 16:52:45 0
>>9 そういうのテーマにしてる人がいないはずはないとは思ってましたが
難しい内容だと思いますが読んで、、、と思ったら高いですね、図書館にあるかな?
会社の偉い人たちが「うーん、どうやったら売上伸ばして経費削減して、、、」
とかやってるくらいなら可愛いものなんですが、
例えば裁判の判決の材料として「責任能力」とかが出てきたりすると、
かなーり頭いいはずの人たちがオカルトを容認していることになってしまい
「法律家たちはこの300年くらいいったい何をしてきたんだ、、、」とか思えて
自分が住んでる社会がなんだか凄く幼稚なものに見えてしまい
何か言い表せない虚無感に襲われます(人生に対してもですが)
11 :
6:2010/12/25(土) 16:58:01 0
あと私が抱えるもう一つの問題が、
もう8年くらい会ってない私をいじめ続けた父親のことなんですが、
立場上私は彼を許さなければならないはずだ、というものです
弟の話によると彼は私に会いたがっているそうです
会いたくないから会っていませんが、とりあえず今は
「彼に罪はないかも知れないが、会ったらまた自分が嫌な思いをすることになるかもしれない」
というのをその大義名分としています
増田教授の見解をごくかいつまんでいうと、
刑法理論(刑罰論も)は、隣接諸科学の知見と矛盾しないような形で主張されなければならない。
科学的(&哲学的)には、素朴な心身二元論、絶対的な自由意志論は幻想である。
そこで生物学的自然主義の立場に立ち、言語ゲーム二元論の観点から、存在論的には二元論
は否定されるが、認識論的には二元論は採用可能であるとし、認識論的な自由意志を肯定する。
ただし、絶対的な自由意志ではあり得ないのだから、責任の概念も変容せざるを得ない。
すなわち、行為者処罰の根拠は、われわれのもとにある「一応の責任」であり、「究極の
責任」は問い得ないということになる。
したがって、究極の責任である死刑を科すことは許されない。
責任あれば処罰するという積極的応報は許されない。責任なければ処罰しないという消極的
応報ならば許される。
(以下略)
13 :
6:2010/12/25(土) 17:53:07 0
>>12 やはり私には用語の段階でかなり難しいですね
増田教授にとっての自由意思の位置づけがちょっと分かりませんでした
難癖と思わないで欲しいのですが、最近英文法の本読んだのですが
「英語圏では論文を書くときに受動態は使わない方が好ましいとされている」らしく、
それは「by〜〜」を省略できてしまうことで動作の主体を曖昧にできてしまうからだそうです
日本語の場合主語そのものがなくても文が成立してしまうので、
「私は」肯定するのか、自分の意見とは関係なく一般論を言っているのかが分かりません
「そのとき彼にとってその行動選択は回避不能だった」
「しかし彼にはその与えられた運命におよそ相応する対価を払ってもらおう」
くらいで妥協すれば「一応の責任」として私も少しは納得がいきます
運命という言葉を使ってしまいましたが、
素粒子の世界の物理学からも、私の考えは機械論的ではありますが、決定論的ではありません
あ、3コ目の問題が思い出されてしまいました
「仕方がなかった」と考える癖がつき、私は反省する能力をかなり欠いてしまっています
つうか物理主義とかデイヴィッドソンの非法則的一元論とか何なんだろうな。
物理のレベルでは全ては決定されているとか非科学的、非論理的すぎるのに。
科学でも一秒後にはどうなっているかわからない、次は何が起こるかわからないから、
科学はその中で少しでも良い結果をたまたまもたらしたりできるから偉大なのに。
全ては物理上の法則に還元できるとかの信念は、因果応報でお前は地獄に落ちるとか、
最後の審判で人間は選別されるくらいのヨタ話なのに。
決定論とか必然性とか科学離れた宗教的、形而上の概念以外の何物でもないのに。
罪責論でもカントのいうごとく全ては決定されていて被告にどうしようもないからこそ、責任があるのに。
そこに屈せず変えられるからこそ、責任を問え刑罰も与えられるのに。
そこらへんひどい混乱があるよな。
犯罪者に経験を積ませ学習させることで、悪い事を二度とさせないことで罪を
償う、という矯正の考え方。
ただ、あまりの再犯の多さに、刑務所は機能しているのか、そもそも矯正に
意味はあるのか、そうではなく、前科者に居場所を与えない社会の問題か、
様々な問題が炙り出される。
>>16 そんなことわかりきった上で取りあえず痛めつけるしかないのが現実だろ。
偽善者が何格好つけてんだか、始末が悪い。何でそういう醜い言い訳すんの?
裁判員制度はすぐに廃止した方がいいな
その人間にはどうしようもなくて他にどうしようもないからこそ、
そこを抜け出して自由であって責任があるとはカントやシェリング、
ジジェクにはおなじみだからな。わからない奴はただの馬鹿。
>>19 「抜け出して自由」とはどのような意味だろう…?
それらの哲学書をじっくりとは読んだこと無いが、
ちゃんと定義されているのか?
例えば、
私がこの世界の物理法則から抜け出して自由になる
ことはできないように思う。
21 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 08:12:25 0
唯物論は知的生命にとってあまりに残酷な現実だよな
俺たちは血の滲む努力で持ってここまで到達し、幸せや感動を味わっているようで
その実、全ては物理法則に忠実に従った自然現象の過程でしかなかった
俺たちや俺たちが築いた文明も、ウイルスやロボットと何ら変わらん機械的反応の産物でしかない
自分すら現象
哀しいことだが、否定のし様がないんだよな
22 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 09:11:57 0
哀しいと言うか「この世」という形式が面倒くさい。
決定論とか物理主義みたいなオカルト信じている奴いるんだな。
恥ずかしい。
唯物論であっても全ては物理的に決定されているとか馬鹿馬鹿しい。
決定論とか論理破綻している。
>>20みたいに罪の問題さえ理解できずに意味不明になる。
世界は閉じてなんかいないのに。馬鹿そのもの。
秩序があったって法則があったって、それで全てが決定されているわけじゃない。
決定論とか、実証不能な意味不明なオカルトもいいところなんだけどな。
親の因果が子に報いの迷信と変わらん。百害あって一利なし。
26 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 18:33:18 0
「馬鹿」とか「恥ずかしい」とか言うと、くだらん感情的な罵り合いになりかねないから
とりあえずそういうのはやめよう
自分が自由意思を否定するようになったのは(唯物論とかの言葉はまだ知らなかったが)、
高校の生物で人間の身体も物理法則に従って動いているということが分かってくると、
意志なんてものが神経細胞になんの物理的前兆もなくいきなり電位の変化を起こせるはずがない
と思ったのがきっかけだった
その後なんかの本に「唯物論的生命観」なんて書いてあって、この言葉を知った
「なんでそんなことしたんだ!」には「しょうがねーだろ!」なんだけど
「じゃあ次はそうしないことにするか…」とは一応できるよな
27 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 19:58:07 0
>>26 現代では二元論的な立場でも、「意志」は脳の神経状態などに随伴する
ものと見るのが普通だから、「意志なんてものが神経細胞になんの物理的
前兆もなくいきなり電位の変化を起こせるはずがない」では反論にならない。
デカルトの二元論への反論にはなるけど。
29 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 21:37:46 0
1 オーソドックスな唯物論による決定論
2 クオリア問題の発生
3 唯物論的な決定論とクオリアを両立させる素粒子レベルでの観念論的主体
→汎経験説(人類の精神史における原風景としてのアニミズム的な世界解釈)
4 境界問題・結合問題の発生
5 「離散量的なビットとしての情報素子」という発想から「単一な線もしくは面の振幅」
という発想へのシフト→スピノザ・ヘーゲル・超弦理論etc・・("在るから
私は在る" テトラグラマトン Y・H・W・H)
6 実在論の終焉。無意味の只中への実在論自身の解消。
「在るから 私は 在るのだ」
「何故に?」
「在って在るものだからだ」
30 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 21:49:23 0
>>27 専門じゃないのと
二元論なんてものを最初から否定してるからなのかも知れないが
最初の3行の言ってることが良く分からない
31 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 22:08:26 0
二元論は紛れもないオカルトだと思うが
オカルトそのものは嫌いじゃないんだよね
そう考えてしまえばこの話題でWikiサーフィンするのも面白いかもな
おとぎ話の一種だと思って、あれこれ膨らましてみるのは悪いことじゃない
昔、聖闘士星矢という漫画のムック本で、
宇宙開闢によって「ビッグウィル」というものが解き放たれて、それをたくさん受け取った人間が
ゼウスとかポセイドンとかいった神々になった、みたいに書いてあった
今思うと面白い考え方だな
そのビッグウィルには超自然的な力があって、素粒子の世界の現象をコントロールできるとするとか
32 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 22:10:30 0
現代の二元論は、ある心の状態が生じているときに脳神経のレベルでそれに対応する
状態が生じているということは否定しないんだよ。ただ、前者が後者に還元されると
は考えないだけ。
33 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 22:35:07 0
人並みの思考力と善悪判断能力を持っていながら
それでも平然と罪を犯す人間というのは
「死後の裁き」のようなものは「ない!」に賭けているのだろう
彼らは勝ち逃げを狙っているし、実際勝ち逃げるだろう
同じように
二元論も、もしこっちが真実だった場合には信じた者勝ちなものだから
二元論者になった方が得とも言える
唯物論には「言い訳のネタにできる」くらいしか使い道がない
決定論が破綻しているんだから人間は全て決定されるわけでも何でもない。
人間はどんなに縛られても自由があるのは当たり前。
責任があり罰せられるのも当たり前。
一元論も二元論も間違い。前提の物理レベルでは決定されているがトンデモだから。
本気で決定論みたいなオカルト信じているの?
決定論なんて科学からは否定されるオカルトじゃない。
絶対科学から決定論が証明されることはない。
秩序や法則があるのは当たり前だけどそれで全部決定されているとか非科学的的な妄想。
当たり前でしょ。
科学も知的探求も決定されてないから成り立つんであって。
科学に支持されないオカルトは持ち込まない方がいいよ。
35 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 23:41:28 0
よく分からんが
こういうところに来る人たちは量子論に触れたことくらいはあるだろうから
唯物論者ではあっても決定論者ってことはないと思うよ
君は存在しない敵と戦っている
36 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 23:56:12 0
37 :
考える名無しさん:2010/12/30(木) 23:57:28 0
決定論っていろんなヴァージョンがあって、
ニュートン力学を基礎にしたやつは量子論で一応否定されたわけだけど、
それ以外のもいっぱいあるし・・・。
唯物論者で科学主義者だからこそ、決定論否定しているわけだけど。
科学では決定されているとか出てこないだろ。
そんなの科学の外の非科学的言明に過ぎないわけで。
39 :
考える名無しさん:2010/12/31(金) 00:16:11 0
決定論が正しいか否かと、自由意志・責任の問題は直結しないんだよ?
40 :
考える名無しさん:2010/12/31(金) 00:30:38 0
なにしろ人間の努力やその結果の全てが空虚に思えてしまう
彼の肉体は法則に忠実に従って、必然として東大に合格しました、みたいに
家族が機械的応答を返すロボットに見えてしまう、自分とは錯覚
ダメな大人の唯一のよりどころ
子供の頃悲しい物語を読んでオイオイ泣いていた優しかった自分
「あれも単なる機械的反応だった・・・」
ノーベル物理学賞とかもらった偉い先生たちも、やっぱ嬉しいんだろうか?
それとも「物理法則が自分をここへ連れてきた」くらいに冷めてるんだろうか?
41 :
考える名無しさん:2010/12/31(金) 03:55:23 0
それは錯覚じゃないかな。決定論が正しいとしても努力の意味がなくなる
わけではないし、自分が錯覚になるわけでもないというほうが、哲学では
普通の考えだろうね。
42 :
考える名無しさん:2010/12/31(金) 09:04:11 0
>>40 空虚に思うのも物理法則による機械的反応?
未来は決定されているかもしれないが
予測することはほとんど不可能
というのが物理的現状
したがって未来がやってきた
その時点で決定されるという考えもアリか
そう考えると
決定されているにしても
自分の選択というのは有り得るかも
と思った
44 :
考える名無しさん:2011/01/09(日) 09:42:50 0
これは心理学スレ?
45 :
考える名無しさん:2011/01/09(日) 11:53:47 0
心理学ではなく心の哲学なんでしょ。
副題から見ると、心脳問題が中心テーマのようですね。
46 :
考える名無しさん:2011/01/13(木) 03:19:36 0
それを引き出す打撃として、世界中の巨人の目を覚まさせちゃったんだなぁーーー
物理主義が間違ってることなんかわかりきってるのに。
48 :
考える名無しさん:2011/02/06(日) 12:42:36 0
俺は自分で選択した振りをしているけど本当はどうでもいいと思っている。
物理主義が何を意味するかによるんじゃない?
現在の知見でとどまるのか、将来発見されるかもしれない「新パラダイムの物理学」的
なものを包含するのか。
後者だと物理主義を擁護することはなお可能ではないかなぁ?
50 :
sage:2011/02/14(月) 17:08:18 0
量子論とか出すヤツはたいていオカルト主義者
量子論も知らなきゃ確率の本質もわかってない
哲学を語る上で量子論だの不確定性原理だの不完全定理だのはいっさい不要
科学を信仰するならハナから哲学すんなよ
信仰じゃないっていうんなら科学の真理性を証明してみろよ
物理主義って信仰の対象を置き換えただけのナンセンスだからな。
淫祠邪教の一種。
ここまでチャーマーズの名前が出てないあたりが今の哲板なんだなぁ
本当にレベルが低くなった
チャーマーズw
物理主義が迷信なら精神まで拡張した物理学とかw
オウム真理教と変わらんw
チャーマーズは麻原だなw
哲学書を読んで結論と立ち位置しか読めない人ってまともな教育受けてないんだろうなあ
かわいそうに
>>55 しかし、唯物論でも何かしら独自な意味立ててるわけでもない、
支離滅裂なゴミでしょ。
どう読んでもw
チャーマーズw頭大丈夫?
クオリアはデカルト的な精神ではないのでまずそこから誤読している。
心の哲学においてはチャーマーズのA〜F六分類は基礎知識なので、
2ちゃんで独りよがりなヒステリーを起こす前に地道な勉強をしてほしい。
58 :
考える名無しさん:2011/03/05(土) 22:52:40.71 0
心の哲学の大物ってなに?
サールとチャーマーズとデネットあたり?
サールは心の哲学はもう卒業したって感じ。
社会科学の哲学的分析に興味がうつちゃってる。
>>57 地道な勉強って・・・
クオリアみたいな胡散臭いものに没頭するのは、賭けみたいなもんだぞ。
没頭しろとはどこにも書いてないと思うけど。
この分野で言及される事柄である以上、基本文献くらいちゃんと読んどけって意味だろ。
クオリアの位置付けは、物理学におけるエーテルと一緒で
「読まねばならぬ」というほどのものでは無いと思うが・・・
いやチャーマーズとサールくらい読めよw
評価の定まっているものなら、基礎知識として不可欠だが
評価の不確定なものは、基礎知識にはならんよ。
だから、「賭け」って言ってるの。
サールの本読んでると、歴史を感じるよな。
歴代大統領がもののたとえでちょこちょこ出てくるから。オバマは出てきたっけ?
別に心の哲学やらないならサールもチャーマーズも読まなくていいけど、
心の哲学やるけどサールもチャーマーズも読まないってのは意味不明。
ただのサボりだろw
68 :
考える名無しさん:2011/04/23(土) 12:54:05.89 0
age
心は脳の状態の表われでしかないよ
70 :
忍法帖【Lv=25,xxxPT】 :2011/05/04(水) 12:14:21.40 0
唯物論っていきなり結論みたいなものだから
基礎知識とかどうでもいいことだろ
全ては法則に忠実に従った物質の振舞いである
もうどうしようもない
原発を冷やせるのか封じ込められるのかと必死になっているが
人間の意識によって宇宙の未来に複数の可能性があるということはない
サールとデネットだろ
チャーマーズはあの格好がイケてると思ってんのかね?
同じ物体でも人によって違うふうに見えるだろ
心も似たようなもん
73 :
忍法帖【Lv=25,xxxPT】 :2011/05/04(水) 21:53:45.54 0
宇宙は何を思っているのだろう…
心の哲学って、イマイチこう何かが足りないんだよな。
分析哲学だから、あまり飛躍できないのは承知しているんだが、もう少し大胆な
提案があってもいいと思うんだよ。
意識と無意識の問題もそうだろう。
フロイトの考え方にのる必要なんか無いけれど、心の哲学なりの提案をして欲しい
ものだよな。
その中じゃあサールは本当によくやってきたよ。
あとはパトナムかな。
君の文章も何か物足りないねw
76 :
考える名無しさん:2011/05/06(金) 07:40:17.15 0
具体性がないからかな
一行(笑)
フランス思想が言ってるみたいな「無意識」は意識主義の裏返しで使いものにならないって、
サールから言われてるじゃんw
フロイトの精神分析はフランス思想という新説ですね。
「無意識」は行動主義の「傾性」概念ですべて説明できる
「無意識」は行動主義の「傾性」概念ですべて説明できるという新説ですね。
82 :
考える名無しさん:2011/05/08(日) 22:59:27.88 0
金杉武司「心の哲学入門」わかりやすくて良かったよ。
未読の人は読んでみてください。
金杉さん乙
84 :
考える名無しさん:2011/05/11(水) 20:57:28.20 0
原子や分子がある配列となったときに
突然物理法則を破る力を得るとは考えられず
従って人間に自由はなく
努力も工夫も発見も創作も犯罪も歴史も
全てが物質の振る舞いというのは
すんなりと受け入れられるのだが
意識が連続している理由が
よく分からない
85 :
考える名無しさん:2011/05/11(水) 20:59:49.32 0
自分もだけど
会社で毎日忙しそうにしている人たちも
それが物理法則の結果に過ぎないのだと考えると
とても可哀想になってくる
彼らは自分たちのがんばり次第で
未来は変わると思っているのだろう
「私的言語」を他人に伝えることができないということは、
結局言語を用いては心の問題を語り尽くすことはできない
ということになるのではない?
でも脳状態と心状態の対応は語ることができるでしょう
ということは、私的言語の伝達不可能性は、
脳状態のさらなる解明によって解決するということでしょうか?
その対応はタイプ同一性?トークン同一性?
89 :
考える名無しさん:2011/05/13(金) 18:57:52.01 0
>>85 それが物理法則の結果に過ぎないのだと考えると可哀想
??
じゃあそう考えなきゃいいじゃん。
物理主義も唯物論も現代における一種の信仰だよ。ってサールもいってた。
その見かたがもっとも好きなヤツ、もっとも腑に落ちるやつが信仰すればいい。
おれは理系畑だが、それは気に入らない。
90 :
考える名無しさん:2011/05/13(金) 19:01:05.34 0
>>89 いや、そういう文脈を社会問題にそのまま持ち込んで
それがすべてだというのはカテゴリーエラーというべきか。
ウィトゲンシュタインもそういうだろうよ。
物理世界を語る言語と、心的世界を語る言語は
異なる言語ゲームに属するというわけね。
92 :
考える名無しさん:2011/05/13(金) 20:13:49.62 0
93 :
考える名無しさん:2011/05/13(金) 23:15:51.80 0
「誰々も言ってた」は哲学板の頻出語句だな
94 :
考える名無しさん:2011/05/14(土) 00:42:08.34 0
引用は学問として当然
サールの本おもすれ
96 :
考える名無しさん:2011/05/16(月) 23:51:55.68 0
僕?
君たちと同じだよ
宇宙を漂う
ただ物理法則に従うだけの
粒子の集合体、、、
97 :
考える名無しさん:2011/05/17(火) 01:19:13.28 0
物理法則も幾何学法則も物体も人間の精神の所産
精神による独特の加工処理の産物
そのままにあるのはただ知覚の純粋経験そのもののみ
いやそれさえも・・・
おもしろいと書けてもどうおもしろいのか書けないのが今の哲学板
99 :
考える名無しさん:2011/05/17(火) 13:59:59.31 0
独自に思いついたんだけど
人と人の区別をつけているのは記憶だけなのではないのかとおもった。
人と人は記憶だけ違う同一の心を持った生き物のような気がしてきた。
例えば、人と人の脳をくっ付けたら2つの心を持った生き物が出来るとは思えないから
心は一つしかないと思う。
逆に言うと俺以外の人は並列世界の自分と言うことが出来るんだよな。
しかしそう考えると自分の体を縦半分にすると左半身になるのか右半身になるのかって
問題も左半身も右半身でもありえるということだよな。光が波であり粒でもあるということとにてるな。
そうすると左半身が俺で右半身がお前という風にも考えられるから
結局、お前は俺なんだけど俺はお前でもあるということだから、
つぎつぎと人間の脳同士を全部くっ付ければ永遠の命を得ることが出来るという
人類の夢がかなうわけだな。
101 :
考える名無しさん:2011/05/17(火) 19:27:33.91 0
ひも理論みたいな捉え方だな
実際そんな感じなんだろうね
>>100 人間の場合は「遺伝子」「言語」「経験」「記憶」だろうな。
103 :
考える名無しさん:2011/05/18(水) 18:39:33.96 0
>>102 遺伝子(DNAの塩基配列)はしょせんたんぱく質のアミノ酸配列をコードする情報にすぎない。
遺伝子と特定するのではなく、今のところは生命原理とでもしといたほうがいいんじゃないだろうか。
by神経生物学専攻
言語、論理、経験、記憶ってところは同意。
もっといえば言語、心理(精神機能、記憶や経験も含む)、生命原理の三本柱ではないだろうか。
これらを一元論的にしてしまうことはできないとは思うけど。
104 :
考える名無しさん:2011/05/18(水) 21:56:06.77 0
意識が物理状態の随伴現象だとして
個人の中で連続していることと
他人と明確に区別されていることが
不思議だったのだが
>>100が新しい考察の方向性を与えてくれた
105 :
考える名無しさん:2011/05/18(水) 22:58:49.15 0
>>104 ひとつの理性(意識)の派出所として、各人の意識が独立してある
と考えるようなものに近い そこは西洋の伝統的な哲学とかわらんな
人権擁護もこの観点から強化できそうだ カントっぽいが
106 :
考える名無しさん:2011/05/21(土) 17:13:41.91 0
唯物論って考え方はいつ頃からあるんか?
WIKIだったか17世紀っての見たことあるし
ホーキング博士の本だとタレス(前7世紀くらい?)とか
高校の倫理の教科書だとデモクリトス(前5世紀くらい?)とか
まぁ自然哲学が存在していれば気づいてしまうだろうから
17世紀ってことはないと思うけど
それにしてはプラトンとか未来の自分の姿は努力次第みたいなこと言ってるよね
107 :
考える名無しさん:2011/05/21(土) 21:09:53.84 0
唯物論なんか古代インドにもあったし古代中国にもあったんだよ
どこの地域でも普通に人が思いつくおなじみの発想
>>106の最後の文は唯物論と何の関係があるのか不明
そもそも「心」を定義できてないでしょ
それ、大抵の哲学の考察対象に当てはまりますがな
110 :
考える名無しさん:2011/05/21(土) 22:57:07.10 0
量子論を知る以前の人類は
宇宙は始まりから終わりまで
完全に決められたストーリーを
ただ忠実に遂行していくと考えるしか
なかったはずだよな
量子論を知ったからと言って
人間の意志が宇宙の未来の状態を変更することはできないんだけど
人間の意志が宇宙の未来の状態を変更できるかどうか
結局の所、どこまでが自然法則なのか、という問題になるのかな
現在及び将来全ての科学理論の共通部分が自然法則そのものだ、
と考えるわけにはいかないのは当然として
112 :
考える名無しさん:2011/05/21(土) 23:47:24.04 0
量子論も方程式で書かれる法則である以上、
古典力学とはちがうニュアンスでの決定論ではあるはずだ。
それはいいとして、
>>110の最後の二文が意味不明。
人間の意思が宇宙の未来??
>>111はその通り。昔は混同してたんだよ。19世紀までその混同の名残のような思想が跋扈していた。
ただ、自然の本質が決定論的かどうかはわからない。決定論的な現象をピックアップして記述してきただけかもしれない。
113 :
112:2011/05/21(土) 23:58:43.27 0
>>112 いや、わかんねえ・・。
やっぱ哲学ってのは考えるのは自由だけど、よくないな。
ほんとはわかんねえはずのこと勝手に考えて言っちゃうのが哲学か・・・
114 :
考える名無しさん:2011/05/22(日) 16:59:17.77 0
決定論というのは今でも通用している考え方なのか?
定義の仕方次第なんだろうけど、不確定性原理も含めた上で
人間にはどうすることもできないという意味での「決定」なのか?
今回の震災でも色々考えさせられたな
「逃げ切れず死んだ人たちは、その運命の避け様がなかった」
「即座に逃げることをためらったために死んだ人たちも、その選択は回避できなかった」
「原発が爆発するのか、冷却できるのかは、決まっている」
放射性元素を摂り込んでしまったとして、それが排泄されるまでのあいだに
放射線を出すか出さないかは確率にゆだねられている
古典力学だろうと量子力学だろうと、実験の条件設定で結果が変わることは
誰でも前提として知ってるわけだから、すべてが決定されているという意味
での決定論は完全にナンセンス。
唯物論といっても、そもそも「物」がなぜ存在するかは不明だからな。
>実験の条件設定で結果が変わる
いや、条件を設定するのも含んで決定されている。
118 :
考える名無しさん:2011/05/22(日) 19:19:26.56 0
「物」自体も人間が定義しただけのものだしな
粒子として扱って差し支えないだけで、実際は力やエネルギーなのかも知れないし
不明だからこそ不確定性原理というものがあるからこそ宇宙も存在している訳だし
ところでここは「心の哲学」というスレな訳だが
人間よりも遥かに高度な知能を持った宇宙人がいたとして
彼らの世界ではおそらく自由意思の否定がチビッ子の頃から当然の知識になってしまって
それで種として存続できるのかね?
その突拍子もない仮定と壮大な問題で、何を言ってほしいんだよ
120 :
考える名無しさん:2011/05/22(日) 19:57:01.35 0
心の哲学
心が頭に宿ってる奴は不気味。
じゃあ自分のことが不気味ってか?
123 :
考える名無しさん:2011/05/22(日) 20:49:38.99 0
意識というものにたいして、
空間的な場所を指定すること自体がナンセンスなんだよ、ってとこか
意識が自分の頭蓋を指さしてな
意識はもちろん「脳」にほとんどが拠っているんだろうが
意識がカバーする領域は「脳内」だけではない
身体すべてがそうだろうし
身体の外にもはみ出しているかもしれない
物理板の「意識はどこから来るの」スレみたいになってきた
あそこは長文でタイマンとか頻繁に発生してるから居づらいんだが
意識は、
宇宙全体に漂っていて、物質の配置によって密度みたいのができるんかな?
とりあえず
>>121が言うみたいに個体によって異なるということはないと思う
なんか飽きてきたから
二元論をSF的に語ろうか
おまえが語ればいいだけの話だろ
>>122の頭蓋骨には脳の代わりに妄想が詰まっている。
>身体の外にもはみ出しているかもしれない
まったく得体の知れない「意識」というものを相手にする以上、
あらゆる可能性を考えるのは至当だとは思うけど、
上のことを示唆するような現象は何か知られているんだろうか
131 :
考える名無しさん:2011/05/22(日) 21:46:32.07 0
>>124 ベルクソン曰く。
体はハンガーで、意識は洋服。
無感覚実験というのがあるだろ。身体感覚を剥奪された状況に
放置されると、割合に短時間で脳に消えない障害が残る。
脳というのはスタンドアローンの機構ではない。
「身体から切り離して脳だけ生かして置いたら」式のアメリカ人
の好きそうな思考実験は無意味なわけだな。
134 :
考える名無しさん:2011/05/22(日) 23:30:48.99 0
それは「身体の外にもはみ出しているかもしれない」ではなく、
「脳の外にもはみ出しているかもしれない」なのでは。
>>130へのレスでないなら御免なさい。
135 :
考える名無しさん:2011/05/22(日) 23:41:09.80 0
脳と意識は対応関係にはある。確実にいえることはそこまで。
しかし脳の電気活動=意識ということではない。
もちろん脳を拡張して身体=意識という話でもない。
宇宙全体に意識が充満していて、脳にとくに凝縮してるなどという汎神論の現代版のような話でもない。
いっぺん座禅くんでみ。意識は頭蓋にあるのではない。物理的な宇宙空間に偏在しているのでもない。
指をさして指定できるのは外界の事物にたいしてだ。脳は外界の事物であり意識のなかに登場する一事物にすぎない。
意識はただ「いま、ここ(あれやそれではない)」としかいいようがない代物。
>>132 だが、科学という手法やあらわし方では必ずスタンドアローン
で扱うべき問題なのを無視している。
科学では要素が不特定の現象と結果との関係を知ったり理解することは
不可能なのね。だから必ず要素は閉じた世界、つまりどこかに境界を作り
スタンドアローンの世界の中の仕組みと割り切る。
計算可能な要素数とその複雑度の範囲をできるだけ簡易化して模擬
しているのにすぎない。
フラクタルやカオスのように無限に開いてゆく系は科学技術の範疇ではなく
超科学(非科学)なのです。
前提条件を完全に無視できる法則性など科学にはありません。
それも科学だと思い込む人が時々いるだけです。
心はそれがあるとうまく生活できるツールみたいなもんだよ
でも仮に哲学的ゾンビが実在したとして
そいつも上手く生活していくだろう
139 :
考える名無しさん:2011/05/24(火) 08:19:14.88 0
むかし筑波の物理学科行った友人が
生物やるには化学が必要で
化学やるには物理が必要で
物理やるには数学が必要で
数学やるには哲学が必要らしい
とか言ってて、俺も3つ目までは同意できたんだが
最近4つ目も分かって来たような気がする
理由は帰ったらまた書かせて
140 :
考える名無しさん:2011/05/24(火) 22:16:28.81 0
帰宅
哲学板に足を踏み入れ2か月ちょっと、とても勉強になった、
何と言うか、抽象的に考えるとか、既成概念を疑うとか
「ホーキング、宇宙を人間を語る」を最近読んで
なんか通常の人間の感性じゃ想像しない世界があるんだなと思って
元々唯物論者ではあったんだけど、スレ探してここに辿り着いた
通勤の電車の中で高校の倫理の教科書を読み始めたんだが、
哲学者たちはまさに抽象的に考え既成概念を疑っていたようだ
家じゃ化学の教科書を読んでいるんだけど、
ミクロの世界で起こっている現象を今までとは違う様々なイメージで想像できるようになり
記憶したものを引き出すのが速くなった、いわゆる脳の自動化というやつか
上手く説明できないけどそんな感じ
脳を理科系向きに鍛えるために、哲学は良い訓練になると思った
スピリチュアリズムレジェンドブラストドライブテクニック!?♪。
142 :
考える名無しさん:2011/05/24(火) 22:41:56.52 0
オープニングギャンビットダブルサマーソルトだろ?
143 :
考える名無しさん:2011/06/02(木) 22:44:02.38 0
ところで悟った人いる?
「迷いは去った!」っていう人
俺はまだ無理だ
罪や悪をどう扱ったらいいのか分からん
刑法がある時点で社会制度自体が宇宙の絶対真理である物理の否定を容認しているとしか思えん
「彼はその殺人という選択を回避することができたにもかかわらず、しなかった」
そうではない
回避できなかった彼を、どう理解したらいいのか、、、
>>143 心の哲学と責任刑法という問題に取り組んでいる日本の刑法学者がいるよ。
明治大学の増田豊教授。
『規範論による責任刑法の再構築』(勁草書房)という本を出している。
読んでみるといい。
心の哲学と刑法の関係が分からん
犯罪も刑罰も回避できない点は同じで問題なかろうに
↑の本は読んでない
>>145 近代刑法は、「自由意思で犯罪を実行したこと」を刑事責任の根幹としている。
決定論的立場から刑罰に代えて保安処分の導入を訴える学派(新派)もかつて
は有力であったが、現在はすたれている。
現在の刑法学の通説的見解は、相対的自由意思論の立場に立脚している。
ところが、現代哲学や現代科学においては、周知のとおり、古典的な心身二
元論をとるものはほとんどおらず、何らかの意味での唯物論的な立場をとる
見解が有力である。
そこで、隣接諸科学の知見と矛盾しない形で刑法学(刑罰理論)を構築しな
ければ、説得力がないのではないか?という問題意識のもと、責任刑法を
はたして維持することはできるのか?という内容。
チャーマーズもサールも唯物論否定してるじゃん
「周知の通り」とか馬鹿なのにしったかすんのやめたら?w
148 :
考える名無しさん:2011/06/23(木) 20:34:47.32 0
どう考えても唯物論否定する奴のが馬鹿だろ
それを信じる奴はさらなる馬鹿だが
149 :
考える名無しさん:2011/06/23(木) 21:45:25.41 O
罪とは何か?
正義とは何なのか?
また、人とは何なのか?
そこまで行くと神とは何か、が見えてくるかもね
唯物論を根幹としたくないならそこを探るしかないんでない?
>>146で言おうとしているのは、
古典的な「心→身体」という意味での心身二元論を否定する立場が
大多数だということ。その立場を「何らかの意味で唯物論的な立場」
と仮に呼んだだけ。
クオリアとかを現在の物理学・科学では説明できないとかの問題が
あるのはもちろん理解している。
151 :
考える名無しさん:2011/06/24(金) 01:06:54.86 O
人は誰でも昔は子供だったんだよ。
まあ、そんなことは皆知ってるよね。
なのに大人になると子供の頃の切ない想いや仮面ライダーに会ったときの爆発しそうな想いは覚えてないんだ。
当時見えてた世界には、ショッカー以外に敵はいなかった。全世界が味方で全世界がひとつになって戦ってると思ってた。
でも、そうじゃなかった。
今では敵だらけだよ。
ショッカーは人類の方だったんだ。
あの頃の自分は大人になったら消えてなくなり、今の自分が敵になってるなんて、想像も付かなかった。
だから人類は子供を育てられないでいる。
本来なら誰もが辿ってきた道なんだから、あのままの自分を大人へと導けるはずなんだ。
なのに人類はそれをしない。
なぜなら唯物論に囚われたからだよ。
こんなにも窮屈で苦しくて息が詰まりそうな檻の中が住みやすくなってるんだ。
人類は自らあの頃の自分をショッカーに手渡した。
売ったんだよ。
そして欲望という自由(銃)を手にし、征服し護り生き残ろうともがいてる。
人類は破滅の道を歩んでる。
犯罪や事件は警笛だよ。
子供の頃の自分を似せた別人が言ってるんだ「お前ら間違ってんぞっ」て
でも誰も気づかない。
あの頃の自分を想い出せないから、ただただそいつの自己責任として見ない降りをする。
敵は自分の中に居る。そこに罪がある。
子供はそう叫んでる。
なのに唯物論はこう言うんだ「お前を苦しめたアイツが敵だ、アイツが悪い」と
どちらの声が真実を語ってるのか・・・・人類にはもう分からなくなってるんだよ。
タイプ同一説なら唯物論と矛盾しないでしょ
自然に法則性なんてないし、人間がでっち上げてるだけなんだがな。
154 :
考える名無しさん:2011/06/24(金) 20:22:54.60 0
と自然の法則に従って指がタイプしましたとさ
155 :
考える名無しさん:2011/06/24(金) 20:57:28.94 Q
唯物論を間違ってると決めつけるのはおかしいけど
唯物論こそを全てだと確実に認めてしまっているのもまた何か違うよな
後者の人の方はまだ何か好きにはなれると思うけど
例えば人の寿命がなくなるような未来も、くる可能性なんて充分に考えられるし
唯物論者はこれは否定しないと思うけど
唯物論を真っ向から否定するやつは
たぶん死についても絶対だと思ってて
それがない未来なんて
想像もできないんだろうからな。
誰も死なないような世界
なんて
本当は一番に望んでいいはずなのに。
人間は馬鹿だとバカが言ってたけど
俺は本当にその通りだなと思うよ。
156 :
考える名無しさん:2011/06/24(金) 21:37:15.90 0
不確定性原理が絶対であれば厳密には法則はないよな
ただ現象の発生率に偏りがあるというだけで
ただそれと「唯物ではない」は全く別の話だな
ともあえ間違い無く言えるであろうことは
自分の行動選択によって未来の宇宙の状態が複数有り得るということは、ない!
ということだな
157 :
スレ建て依頼:2011/06/24(金) 21:54:20.88 0
ところがどっこい多世界論は現代哲学において主要とは言わないまでもきわめて重要な立場です
真に実在するものは何か? という問いに対して、
それが物質だとすれば唯物論になるわけだが、
その知そのものは物質ではないので、
知として唯物論を唱えるということが、
一体どういうことなのかメタ的になんとも言えなくなるわけだ。
そこで、真に実在するのは情報なんだ、というのがチャーマーズであり、
実在するものが何かという問い自体を回避するのが、
ルイスとグッドマンを転期とする形而上学派だな。
160 :
考える名無しさん:2011/06/25(土) 06:50:47.53 0
唯物論ってそんなにこねくり回すべきものなのか?
宇宙はただ淡々と(多世界も含めて)たった1つの歴史を刻んでいる
物質とか情報に意味づけを行うのは一種の創作活動でしかないよ
しかしクオリア研究の(日本での)第一人者であるように喧伝してる茂木がインチキ詐欺師だってことがなんとも・・・
>>161 「脳の可塑性と記憶」の中で批判されてたなw
われわれが心を理解したというためには、何をどうすればゴールなんだろうか?
ある科学者が、「私はこの物体Aに人の心(あるいは脳)を再現しました」と言ったとする。
物体Aはただの石ころにしか見えない。しかし彼はこの「石ころ」に人の心的状態Xを再現した
と言う。われわれはこの科学者の言っていることが真実であるかどうやって知ることができるのか?
ある心的状態Xを、客観的表現あるいは数値、データで明確化することはできるのか?
ディスプレイにXを表示すればいい?だが心的状態は「視野」にとどまるものなのか?
われわれの複雑な心的状態を数値でデータ化するためには、どれだけの要素に分解すれば
いいの想像もつかない。
そう考えると、われわれの能力では、心を解明することなど、永遠にできそうにないように思える。
たとえば、今の心的状態を書き表わしてみるとする。
すると、どこまで書けばいいのかよくわからない。
暑い、寒い、痛い、うれしい、というのが含まれるのはわかるけれども、
記憶や過去の経験的なものも含まれるのか?
そうすると、サールのいうバックグラウンド的なものも心的状態に含まれる?
「オバマはアメリカ大統領である」という事実は頭の中にあるような気がするが、
それも心的状態に含まれる?
心的状態を厳密に定義すればこの曖昧さから逃れられるんだろうか?
サールは素朴実在論に肯定的だな。
デカルト、バークリー、ヒューム、カントに批判的なのが不思議だ。
彼らはある種の哲学の完成者であるわけだが。
現象主義に対する批判として、私たちが公的な言語で同じ対象について
語ることができることが説明できないとか……。
物自体を仮定したカントの認識論からすれば何の問題もないと思うのだが。
素朴実在論を否定するのは無意味という単純な立場かも。
167 :
考える名無しさん:2011/06/25(土) 23:21:52.69 0
電子雲のように、素粒子まで分解していくと
物質は存在と非存在の重ね合わせのような状態にある
0か1じゃなくてアナログな感じ
精神も閾値みたいのがあるんじゃなく段階的なものなのでは?
隣り合う脳細胞同士は明らかに精神を共有している
隣り合う人間同士も、極僅かだが精神を共有している
あるいは別の何か(地球とか)がもっとスケールの大きな精神を持っている
自然に法則性なんてないし、人間がでっち上げてるだけなんだがな。
傾向性はあるだろうが、人間の視点、都合で決まってるだけ。
客観的実在と法則性を前提にする唯物論とか自然主義とか、
誤謬推理なんだけどな。
いくら法則性語ろうが次の瞬間、否定されるかもしれない。
そしたら、人間の都合で解釈し直さないといけない。
自然は唯物論はそこから仮構されるフィクションであり、
わかってない馬鹿がとらわれる物象にすぎない。
明日、太陽が昇らないかもしれない。
自然の斉一性がなりたたないかもしれない。
人間が尺度であって自然は尺度に合わせて作り出されるものにすぎない。
語るのも愚かだが。心の哲学とかコントだろ?
かくして科学は、科学哲学が認めようとする限度以上にずっと神話に近い。
それは人類によって発達させられた数多くの思考形式の一つであり、必ずしも最良のものではない。
それは目に立ち、やかましく、また厚かましいが、しかしあるイデオロギーを大切にするようにと既に決心した人々、
あるいはその利点と限界を調べることもなくそれを受け容れた人々に対してだけは、根本的に優れたものとなる。
170 :
考える名無しさん:2011/06/26(日) 08:15:01.54 0
いや、
科学者の大部分が科学を最良(どういう意味ではは別として)と考えているという
常識と言うか通念は別にないだろ
明日太陽が昇らなかったとしたら、それも物理で決まった結果であることに違いないから「唯物」は成立する
発生する率が非常に低い現象が起こっただけに過ぎない
たぶんあなたは「法則」の意味を勘違いしている
>>168の唐突な結びはよく分からんけど、過去の科学がそうであったように
現段階では仮説を積み上げていく他方法がない
171 :
考える名無しさん:2011/06/26(日) 09:53:06.24 O
アキレスと亀だっけ?
アキレスが科学者で亀が法則性みたいなもんかな。
亀を抜くことは決して出来ない。
心を理解するには亀を追い抜くしかないのかもね。
172 :
考える名無しさん:2011/06/26(日) 10:25:17.66 0
「アキレスと亀」自体は数学で証明できるんだと思う
数学科じゃないから具体的にどうやるのかは知らんけど
なんかでもその考え方面白い
例えば人間が作った人工知能が人間の脳を超える精神体となり
人間に心の正体を教えてくれる
>>167 分解して抽出した素粒子やら電子やらと、普通のマクロの物体はもの自体ちがうだろw
その分解して抽出した素粒子やら電子やらをくっつけてもとの物体になるのかもあやしい。
そんなものと精神(分解して抽出などしていない精神)を比較するのはナンセンスだと素人のおれでもおもうのじゃが、君はそうはおもわないのか?
しょせん、唯物論なんてナンセンスな間違いだけどな。
各人の思惑があるだけで。
明日、太陽が昇らないなら、それも唯物論で説明するとか、
ただの宗教だろ。そんなもん承認とかされるわけない。
各人、各様な都合や信念の体験があって、唯物論とかは、
そこから派生するデタラメ、ガラクタの一つにすぎない。
人間の都合が先であって後から派生する冗談にすぎない。
今、わかってる法則性でうまくいってるから、とりあえず支持されてるだけ。
それは人間の都合で変わり、今も変わるし、人により違っている。
>>172 数学は証明したのは既に直感的に知ってる事実だろう。
ゼノンが主張したのはその事実=変化は実在しないということ。
唯物論・二元論・心の哲学スレ
というタイトルからして、人間に自由意思が無いことの
虚しさを語るスレですよね
177 :
考える名無しさん:2011/06/26(日) 17:40:03.69 O
ヘレンケラーは五感のうち視覚と聴覚を病気により失った。それを想像するとまるで闇の中にいるようなイメージを持ってしまう。
でもホントにそうだろうか?ヘレンケラーは闇の中に居たんだろうか?
そうは思わない。触覚 嗅覚 味覚があるということは、その刺激を感知して何かしらのイメージを創造してると思う。
痛い時は心臓の鼓動を感じて心が縛られるような感覚を創造してたと思う。他の感覚器からも同じように創造性を働かしていたと考えられる。つまり本人からすると何かが見えてたと言えるのかもしれない。
感覚器がない物体Aに心があるなら、その心は無に等しいと思う。まるで眠ってるかのように自分が自分である自覚すらないと思う。
もしその物体Aに心を宿したと言う学者が、本人は自覚していて自我を持ってると言うなら、学者に聞くしかない。
或いは裸の王さまのように、「お前たちには心が分からないのか?心が汚い者には見えないからな」と試されてるのかもしれない。
また或いは心ではなく霊が取り憑いてるのかも。
ただひとつ、ホントに心が宿ってるとするなら、それを確かめる方法は物体Aではなく学者が信じるに値する人物なのかによる。なぜなら学者には五感以上の何かが備わってると考えられるから。
つまりシックスセンスを見出さなくては物体Aに心が宿っていることを、五感の人間には把握する術は今のところない。
ヘレンケラーは三感なのに五感世界で人生を送った。それは信じる心を手に入れたからだと思う。
五感しかない人間がシックスセンスを信じれるかどうか、、そこに掛かってる。
そのツールとして宗教がある。つまり知から信に転ずる者がひとつ上の感覚器の世界で生きて行ける。ヘレンケラーがそうしたように。
178 :
考える名無しさん:2011/06/26(日) 18:32:46.85 0
感覚器も神経を通じて電位を脳に伝えるという組織のセットに
人間が名前つけただけ、と言えるけどね、外から観察したら
石ころを叩いても振動が伝わっている訳だから情報の伝達はある
受け取り側の分子構造が単純だから人間が感じているような感覚には
もちろんなっていないだろうが
そう言えば、五感を失うと第七感が増大するらしいよ
さらに八感に目覚めると生きたままあの世に行けるらしい
以前老師からお聞きしたことがある
179 :
考える名無しさん:2011/06/26(日) 20:27:44.96 0
石ころは結晶の集合体だから分子構造じゃないよ。大学理系初級レベルの話で恐縮だけど。
分子ってw
そういえばどこかの長寿スレに脳は分子だから云々ってのがあったなぁ。。。
ミクロ=分子ってとらえている人がこの界隈には居るみたいだね。
ご本人なのか、お弟子さんなのか
ヘレンケラーは触角を通して音楽とか耳聞こえる人よりよく聞いてたよ
182 :
考える名無しさん:2011/06/26(日) 21:15:50.65 0
石ころは結晶の集合体であって分子ではない
チャーマーズは石ころにもクオリアはあると言ってるよね。
すべての感覚を遮断されたら人のアイデンティティは解体すると思うんだがどうでしょ。
覚醒しているのか夢を見ているのかの区別もつかなくなりそうだし、
自己を一切モニタリングできないから、「統一された自己」を維持することも出来なさそう。
感覚与件論の批判はオースティンが詳しい
アメリカではオースティンはサールに完全論破された扱いなので薦めない
オースティンの後継者じゃないのか
唯物論とか虚しくないのか?
自然自体は法則なんかあるわけないだろ?
法則は人間の都合ででっち上げられるもので自然自体は関係ない。
自然には法則があるかないかわかんないじゃなく、無いんだよ。
片腹痛い。
人間離れて法則なんかないし、各人の都合でその法則も違う。
客観的な人間離れた法則なんかない。唯物論とか論理的間違い。
馬鹿じゃないの?
客観謳うのはそのこと通じた他者支配。
そういう都合を物象化して有り難がって縛られて。
馬鹿じゃないの?
190 :
考える名無しさん:2011/06/27(月) 20:03:24.53 0
人間に自由はないと思うが
何故か自己はある
自分が
>>189でなくて良かったとは思っている
不可知論は不可知の知の位置づけがメタ論理的にわからなくなるので、
知識の哲学としては古色蒼然とした感がある。
多世界論的に言うと半径ゼロの宇宙でも物理法則は存在可能(トンネル効果)だから、
宇宙と物理法則の関係は内的ではなく外的だというのは分かるな。
>>190 ぷぷっ!!
自然に法則なんかないのに。馬鹿じゃないの?死ねよ。
人間の都合で法則でっち上げてるだけなのに。人間が根源的なのに。
客観的な法則があってそれで決定されてるとかww
何、この馬鹿w恥ずかしくないw
自然に、強力な傾向性あるにしても、結局人間の選択だし、
その中のより強い意見と言うことでしかないよ。
自然に法則らしきものが実在したとして、人間がそれを並べ順序つけなければ、
法則ではない。
人間の物語、順序づけ、選択離れて法則なんかないし、
同じように語っても一人一人法則に込めてるものは違い、
人間の社会の積み重ねでしか法則はでず、
主導権代われば法則は変わる。
自然自体は無記だよ。
あくまでもその瞬間瞬間の人間の選択、順序づけ、離れて法則はない。
唯物論とか決定論とか悪い冗談でしかない。
という「科学の起源とその運命」みたいな「お伽噺」ができるのは、
我々が科学の知が成立している世界にいるからで逆ではない。
科学成立後の世界から成立前の世界など理解できない。
ヒュームスレや時間論スレでも似たようなレスしててワロタw
引きこもりなのかな
197 :
考える名無しさん:2011/06/28(火) 23:51:14.99 0
とりあえず
定義がしっかりしていなかったり
共通の認識が期待できないような抽象語を使うのは
やめないか?
法則は有るとか無いとかの問題ではないと思う
根本的に、、、
いや心の哲学自体ゴミだろ?
客観的な唯物論なのか、主観的な領域認めるかとかwww
客観的法則無いならただのゴミ溜めだし、事実ウンコでしょ。
肥溜めwww
お前の思う素晴らしい哲学って何?
古い超越論哲学みたいなの勉強したのか知らないけど、
それで現代哲学のトピックに無理やり参加しようとしてもできないし、
できないと分かったら暴れるだなんて幼稚だな。
超越論哲学という言葉の意味も知らないやつが変なこと書いてる。
カントは数学が超越論的に成り立つことをもって自然科学の基礎付けを行ってる。
超越論哲学は自然法則を肯定するものであって、自然法則が無いと言ってるやつは
全然違う立場だ。
>>201 現代哲学のトピックってw
心の哲学その他も近代哲学を基礎にしてるのは一般常識だろうにw
ギリシャ哲学、近代哲学という基本を学んだ上で、
チャーマーズ読んでサールの入門書読んでるのが
このスレの参加条件。
デネットよりチャーマーズなの?
いや、スレの参加条件としては
物理や宇宙論の基礎知識のがふさわしくね?
そもそもギリシャ、近代哲学を知らないやつは哲学板にはいないと思うが。
哲学専攻でなくても一般教養課程でやるはずでは。
>>206 デネットは物理主義だろ。
脳科学でやってくださいという感じ。
どっちにしても、哲学の一番駄目な部分寄せ集めた、
心の哲学じゃどうしようもないだろ。
中途半端に客観、中途半端に主観。
駄目じゃんwww
客観か主観かでしか物を語れない馬鹿はここに来るな
しかし心の哲学はあんまり話題にならないな。
みんな関心はあるけど、トークン同一説とか自然主義的二元論とか、
問題の定式化が完了して、後はどれでも好きなものを信じてくださいという感じですかね。
>>212 だよね。
主要な説が出尽くして心の哲学は今以上に進展しないと思う。
質問なんだけど実体二元論って否定できるのかな?
問題点は把握してるから科学や哲学の問題にならないだろうとは思うが
否定自体は不可能だと思うのだけど
蓋然性はさておき信じることは
>>212>>213の言うように可能なんじゃ?
つまり蓋然性はさておき魂の存在みたいなものを科学で否定しきれないから
実体二元論も選択肢から排除できないんじゃないかということ
神の存在or不在証明が科学や哲学で不可能なのと同レベルだし
科学的に意味があるかというと疑問だけど
必読本
ラッセル『哲学入門』
デネット『解明される意識』
サール『心・脳・科学』
クレイン『心は機械で作れるか』
チャーマーズ『意識する心』
副読本
金杉武司『心の哲学入門』
野矢茂樹『他者の声・実在の声』
>>216 別に
>>214>>215は実体二元論を擁護してるわけじゃないだろう
実際反証はともかく否定証明って可能か?
存在しないことの証明はできない、程度のことでしかないけどさ
そこんところどうなんだろう?
218 :
考える名無しさん:2011/07/01(金) 07:38:44.83 0
どれも読みやすいよ
220 :
考える名無しさん:2011/07/01(金) 20:10:57.76 0
しかし、正統派な哲学においてはチャーマーズという名を出しただけで
吹き出されるくらいの認知なんだよねえ。
心の哲学そのものがアポケーされているというか。
サーモスタットに心がある(情報を処理している?)という意味がわからんし。
サーモスタットのいったいどの部分に心があるのかという。
心というのは、部分ではなく全体に宿っているもの。
>>222 でも人の心は脳に宿るわけでしょう?
手や腕や足に心があるわけではない。
それなら、サーモスタットについても同じことがいえるのでは?
224 :
考える名無しさん:2011/07/01(金) 23:59:30.94 0
手や腕や足にも種類も違えば低次なものだけど、心はあるんじゃない?
脳が共有できていないだけで
人間が物理的必然に主体性を錯覚している訳だから
恒星だって惑星の公転を自分がブン回していると思っているかも知れない
>>223 ダマシオの「デカルトの誤り」にもあるように、脳と手足などを完全に
切り離した状態で全体としての心を語ることはできない。
コウモリの体にヒトの脳をつないだとしたら、人と同じ心が生じるだろうか?
正統派の哲学なんて死体解剖してるだけのオワコンやん
>>224 低次の心ってどんなん?
「心」は中枢神経の独占販売ではないということ?
普通の神経にも心がある?
中枢神経系の進化を遡れば、どこかで「心」の萌芽みたいなものが生まれなきゃならないわけだが。
それは神経細胞以前までさかのぼれるのか?
たとえばアメーバにも「心」が?
自分的には「心」は「構造」に由来する現象で、神経系がある程度以上の複雑さを(脳化)備えるまで心は発生しないような気がする。
そもそも生物が進化するのも、ヒトの脳が一見、生存に必要な以上の機能を備えるに至るのも、そこに「心」の終結点を造ろうとする宇宙の流れのようなものを感じる。
228 :
考える名無しさん:2011/07/02(土) 10:35:34.72 0
>>227 そういうのを語るには「心」というものの定義を初めにちゃんとしておかないと
噛み合わなくなるよね
自分的には人間の五感や喜怒哀楽とは別の(だから当然人間には理解できない)心は有り得ると思ってる
恐らくは脳や神経の働きで生じているであろう心は、要するに情報の行き来で発生していることになる
情報のやり取りが少ないほど低次で、伝達媒体が少ないほど共有し難くなって
だから下等生物や受精卵には人間ほどの心はないし、一卵性の双子だって別人格になる
地球にも太陽系にも銀河にも宇宙にも、心はあるんじゃないかなと思ってる
>>225 心(というか意識)の特徴として「統一性」があげられているよね
(サール『ディスカバーマインド』201頁)。
とすると、
たとえば、臓器移植をした患者は人格の同一性を失うのだろうか?
ちょっと知恵を貸してくれないか?
>どれも読みやすいよ
これを分析して欲しい、
>>216で挙げられている本の難易度についての回答だ
「難しい?」に対する回答として「難しくない」という場合には
「難しくないよ」「易しいよ」「簡単だよ」「分かり易いよ」などが一般的だと思うのだが
「読みやすいよ」とはいったいどういう意味なのか?
俺は言外に「難しいよ」を感じとってしまったのだが、実際どうなのだろうか?
質問者は「自分に理解可能だろうか」という不安を抱えているからこそ「難しい?」という質問をしているのであって
そのことは回答者も分かっていないはずはないと思う
質問者は時間とお金とを消費して本を手にするかも知れない
そして読んだときに「難しいじゃん」って思ってしまうかも知れない
回答者はそれを期待していたのだろうか?
俺の考え過ぎだろうか?
質問者は自信がないからこそ質問をしているという大前提から
俺はこうした結論に達してしまったのだが…
それとも、心の哲学とは非常に簡単な分野なのだろうか?
質問者が理解できなくて「こいつ引っかかったー」となるのが
回答者の狙いだと考えているのだが
他に回答者の心理に対する合理的な説明があったら
どんなのでもいいから、教えて欲しい
読んでみればいいだけのこと
>>232 このようにカキコミ行為について合理的説明を加えるのが心の心理学的な問題。
これを解決すれば心の問題は解決するという立場もある。
これに対して、このカキコミ行為時における心理の質的状態やその発生メカニ
ズムなどを解明しなければならないというのがチャーマーズの立場。彼はこれ
を心の現象学的な側面という。
つまり何が言いたいかというと、まずは薦められた本を
読んでみればいいじゃないということ。
>>232 回答者にとってはどれも「読み易かった」つまり内容を理解するのに手間取ったり考え込んだりする必要はなかった。
だから素直に「読み易い」という感想を述べた。
「難解」「やさしい」「読み難い」「読み易い」・・どんな表現を使おうと、それは読者の理解力に依存するのだから、質問者が回答者と同じ感想を持つことまでは期待していないし、する必要もない。
よく分かんねーけど、じゃあ読んでみるわ
今高校の倫理の教科書でさえ苦戦してる俺には荷が重いかも知れないけど
つーか教科書ははしょり過ぎてて分かんないのかも知れないけど
唐突に「つまり」とか出てきて「はぁ?」ってなる
お金と時間のことを考えるならラッセル本と金杉本から入っていくのがいいと思う。
クレインの本もいいが、ちょっと高い。
238 :
考える名無しさん:2011/07/04(月) 15:06:21.45 0
心哲系の人達ってチャーマーズを現代のソクラテスとかいうけど
これ聞くたびに「それはひょっとしてギャグで言っているのか?!」
というAAみたいな感じになるのは俺だけ?
「チャーマーズ 現代のソクラテス」で検索すると238のレスが一番上に来る
240 :
考える名無しさん:2011/07/05(火) 23:22:05.31 0
一週間の中で一番くだらない会議の最中外を眺めていた
風で葉っぱが揺れていた、物理を感じた、ふとひらめいた
もしかしたら宇宙の全てに主体性があり、そのせめぎ合いが物理的法則なのでは?
そうだ、それならば不確定性原理も説明がつく
物理現象は物理現象以外にいっさいの原因を持たない?
それはニュートン力学の時代の話だろ
物理現象は、原因が無いものから始まっているではないか!
そうだ、俺たちは、自由なのだ!!!
哲学は無意味
なぜかというと哲学とは単なる理屈だから
人間には感情がある以上、それをどんなに理屈で覆ったとしても隠すことはできない
哲学という無理矢理な型に自分を押し込むという事は結果自分を追い込む事になる
あんまり深みにはまると"論理"という名の魔物に食われるぞ
242 :
考える名無しさん:2011/07/06(水) 01:22:54.48 0
>>240 悟りましたなw
哲板を見てたらわかるだろ
それぞれがそれぞれに言い合いながら
それでいてそれぞれに分かれることなくある種の傾向を生む
誰も独りでは法則を生み出せない
「人間には感情がある。だから◯◯だ」って言葉それ自体が
論理的に見せてるだけの屁理屈なんだけどね。
いやだから俺が魔物に食われたからお前ら気をつけとけって言ってる。
何言ってやがりますか
喰い喰われるなんてのは生物の必定
喰われりゃ終わっちまうようなモンはただのゲームだよ
消化される前にどうするかを悩むのがいいんじゃねーか
246 :
考える名無しさん:2011/07/07(木) 07:54:54.58 0
生物でも食物連鎖の頂点にいれば食われるってことは少ない
シャチとかライオンとか
地球上で唯一悩むことができるであろう人間も
滅多に食われることがないということが悩みの種だ
Fahrenheit
肉食獣も食いっぱぐれたら死ぬし
肉体以外なら有形無形問わず食い合うのが人間。
感情と理屈、大人と子供、男と女だって食い合う。
>>241を食った魔物とは、ナントカ主義とかの241以外の論理であって
本当に241自身が築いた哲学なのかと思う
…厨二病ならよくあることだから気にするなw
感情って言葉が出てきたけど。
感情って自由意志で決定するものじゃなくて、機械的な反応じゃね?
251 :
考える名無しさん:2011/07/07(木) 23:26:36.85 0
意識は物理状態の随伴現象なんて言われ方をするけど
その物理状態は絶えず変化しているし、その変化の蓄積はちっぽけなものではないと思うのだが
それでも自分は一貫して自分というように人格が継続するのが
なんでか分からない
A君の脳の物理状態が変化の蓄積の末に、ある時点でのB君の脳の状態と完全に一致したとしても
A君はA君なんだろう
厨二病かw 昔そうだったわw
俺は中学生の時デスノートのLみたいなのが好きで、
無駄に論理的思考を繰り返すようにしてた
なぜ勉強をしなければならない?とか
そうこう考えていくうちに、頭の中が理屈でガッチガチに固定されてしまったというか
理屈が通ってないとダメっていう意識が常に張り付いてくるようになって、
自分がああしたいとかこうしたいとかいう感情論が言えなくなった
感情の機械的反応は感情が沸き起こるのは抑えられないけど、
感情の方向を変換することは可能だと思う
例えば、Aさんが怒っているとして、
その怒りは色んなものに向ける事ができる。
物に当たって暴れるとか。
怒りを自分に向ける事もできる。(なんで俺はこんなにダメなんだっ!とか。自暴自棄)
俺みたいに感情を押さえ込もうとする働きが起きれば、気疲れという反応が起こる。
用は感情の向きの問題。
原因帰属
>>254 こんなのがあったんだ。知らなかった。
論理的思考は自分で自分に個人的要因への原因帰属をしてることにつながる?のかな。
>>251 >それでも自分は一貫して自分というように人格が継続するのが
人格が継続してると見えるのはフィクションでしょ。
「自分は昨日の自分と同じだ」という反省的なタイプの精神現象があるだけ。
私がA君として生まれてきても今のA君になったし
B君として生まれてきても今のB君になったとしたら
「私っていったい何なの!?」
(´,_ゝ`)プッ
259 :
考える名無しさん:2011/07/08(金) 07:54:15.98 0
やっぱ用語や概念の定義をしっかりやって
参加者に共通の認識が得られるようにしてからでないと
議論ってできないんだよな
これやってからでないと自分の発言に無責任な人たちの暴走を
止められなくなる
曖昧な部分を設けておくことで後付けの余地を残しておく
自分がボロを出さないように相手の不完全な主張に対しても寛容になる
無意味な言葉のやりとりのオナニーになる
>>257 現代の心の哲学における「心」の定義は、心の計算理論がモデルになってて
「脳」というハードによって実行されるソフトが「心」というように捉えられている。
つまり生成消滅する個別のプログラムの連なりが「心」と呼ばれるものであって、
自我とか自己とかが実体として存在してるとはみなされない。
そのようなものを想定しなくても心的現象が説明可能なら想定する必要もない。
なおサールには「中国語の部屋」という思考実験があるが、これは計算理論の
モデルを批判するものでなく、クオリアを無視している機能主義を批判するもの。
現代の心の哲学の論点はそのクオリアの存在的な位置づけに集中してる。
汎経験説と創発説、実体二元論、ニューミステリアンなどなど。
「意味論の問いは存在論の問いを汲み尽くす」(フレーゲ)
デイヴィドソンの議論において、心的枠組みの特質を主張するのは、
私たちが「根元的解釈(radicalinterpretation)」を行っているとするからである。
それによれば、私たちが誰かの何らかの発話やふるまいを観察する時、
私たちは必ず、その相手に対して心的状態を帰属させ、
合理的存在とみなさなければならない、というものである。
人の信念や欲求に特有の性質とは、規範的性質と全体論的性質であるという。
まず、信念の規範的性質とは、次のようなものである。
たとえば、「いま雨が降っている」ということと「いま雨が降っていない」ということとは同時には信じる
ことはできないように、
(‘ p ’、‘ q ’ は、命題を表す)ということはできないきない。
「pということとpでないということとをともに信じてはならない」のである。
あるいは、「pかつqであると信じているならば、pということを信じなければならない」というものである。
私たちは、通常このような規範性に基づいていると考えられる。
もし信念がこれらの性質を持たないとしたなら、その信念を持っているとされる当の人を私たちは理解することができなくなってしまう。
人が信念を持っているとされるとき、その信念の規範的な性質に基づいて、
当の人は合理的であるとみなさなければならないのである。
デイヴィドソンにとって、信念や欲求のような心的なものが規範的原則に基づいているということは構成的である。
つまり、規範的原則は、信念という概念そのものの一部をなしており、
信念は必然的にこの原則に従っているとみなされるのである。
中国語の部屋って、
前提がおかしくない?
ネイティブと見分けがつかない程度の並の会話ができるコンピュータなのに
統語論しか修得してないって無理があるだろ。
意味論も理解して初めて、ネイティブ並の会話ができるんじゃないの?
264 :
考える名無しさん:2011/07/08(金) 22:21:34.81 0
唯物論は生命誕生の瞬間の感動を侮辱した
そうか?アメリカの生物学の教科書とか
見てるとワクワクするぞ。こんな俺みたいな人間に
こんな精巧かつ複雑なメカニズムがあるなんて!無駄だぜwとか思って感動するな。
進化はすげぇよ。
中国語の部屋は英国人を閉鎖空間に幽閉している虐待行為です。
アムネスティがアップを始めました。
サールはんはメリケンさんやで。
>>260 サール御大は正直なところ計算理論のモデルに反対っぽいね。
自分には精神や物質だけでない何かがあるとか書いてた。
けれど具体的にどのようなものかは書いてないわけで、
それは信仰の領域(魂や神とか)に入るんだろうなと思う。
>>268 正直なところ、というか、正面から反対してるでしょ。
ペンローズみたいに信仰を守るためにツイスター理論とかでっちあげる方もいるからね。
ノーベル賞受賞者だから相手にされてるけど、でなければ完全なトンデモだからな。
それに比べれば信仰を語らないサールは誠実だ。
上のデイヴィドソンにならいて言えば合理的でない信念などないんだから、
合理化された信仰があるのは当然なのでは。
272 :
考える名無しさん:2011/07/12(火) 16:10:31.37 0
人間は法則を探求しようとするが
それは法則を知ることでそれを応用し将来役立たせることができると
考えているから(単なる好奇心の満足のためという場合もあるが)
しかし応用には法則からの逸脱(自由意思)が前提とされている
法則の探究や見かけ上の応用も必然の結果だと思うと、虚しいものがありますね
なかなかおもしろそうだった。
河野哲也『意識は実在しない―心・知覚・自由』(講談社選書メチエ)
これもおもしろそうだった。
古賀一男『知覚の正体―どこまでが知覚でどこからが創造か』(河出ブックス)
「ホーキング、宇宙と人間を語る(エクスナレッジ)」良かったよ
とりあえずアリストテレスから読もうな
河野哲也って石黒ひでの教え子なんだよな。
現象学派なんだな。
278 :
考える名無しさん:2011/07/16(土) 23:12:14.05 0
量子論はまぁだいたいイメージつくんだが
相対性理論は何度チャレンジしても跳ね返される
279 :
考える名無しさん:2011/07/16(土) 23:12:47.79 0
日本哲学者の純一さんの居るスレはここでしょうか?
俺様は唯物論を超越するよねー!?♪。
死後の世界を肯定するよねー!?♪。
霊界を信じるよねー!?♪。
あの世を証明するよねー!?♪。
281 :
考える名無しさん:2011/07/23(土) 21:38:22.79 0
意識が物理状態の随伴現象だとして
機械である人間が感情表現をするのだろうか?
クオリアの世界からのフィードバックは無ければ
単に「悲しかった」で終わってしまうのではないか?
その悲しみを詩にはしないのではないか?
いや、俺は唯物論者なんだけどね
ちょっと疑問に思ってる
心は幻想です
根拠はリベットの実験
>>281 感情表現するように最初から作られた機械であれば、
痛みなどの刺激に対して詩を書いたり曲を作ったりするのでは?
284 :
281:2011/07/24(日) 11:46:21.10 0
>>283 もちろん俺の理性の部分はそう思ってるよ
苦痛をなんらかの形で表出することが
遠近両未来において自己のストレスを軽減させるであろうという
記憶や本能を司っている部分が機械的にそれを行っている
んだとは思う
唯物論宇宙は余りに空虚なので、ちょっと言ってみたかっただけ
285 :
考える名無しさん:2011/07/24(日) 12:18:28.90 0
クオリアってwおまえクオリア好きだよなw
さてさて、自問自答に割り込んですまないが、君は物理が専門らしいね。
専門というのが合っているのかどうかは分からないが、哲学板を俯瞰してみると
哲学屋が物理的知識を補強することで物理的話題にも対応できるように努力しているという
風にお見受けした。
ところが、物理でこの世の全てを説明しようとするのが無理なのは自明であって、
だから科学には物理以外にたくさんの科目がある。
物理は数ある中の一科目にすぎない。
感情なんて、常識的に考えて、物理じゃなくて化学、バイオでアプローチするべきだろう。
ゆらぎやカオス的な状態なんて物理では応用的なニッチな分野だが、化学ではごく基本的な内容だ。
286 :
考える名無しさん:2011/07/24(日) 17:30:53.41 0
意識は実在しない 心・知覚・自由 (講談社選書メチエ) [単行本(ソフトカバー)]河野 哲也 (著)
ttp://www.amazon.co.jp/意識は実在しない-心・知覚・自由-講談社選書メチエ-河野-哲也/dp/4062585065/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1311494970&sr=1-1
本日読了
仏教の縁起思想と意識の成り立ちの擦り合わせに悶々としていたところに現れた快書
いやこの手の本はいままでもあるにはあったが、これだけ説得力を持って迫るものは初めてだった
さすが論文の達人
もともと懐疑的だったのだが、人工知能、ロボット、クオリア、脳科学、心理学が一挙に色褪せた
そう理解が簡単なものではないが環境問題を自己を含めた宇宙総ぐるみで考える上でも広く読まれ議論されるべき内容だと思う
心の哲学なんて全部解決してるじゃん
随伴現象これで終わり。
>>285 違う人間だけど、おもしろいこと言うね
お勉強や研究の区分けとしての物理はそんな状態に見えるわー
でも理工学全部必須科出身からすると化学も生物も同じに見える
要するに自然科学っていう大枠でアプローチしようとしない。欲求がない。
さらに自然科学系と文系も、時に反目し合って考えを取り入れようとしない。
大昔の人はその辺まるっと共生させて、理を明らかにする学問として
後に哲学と呼ばれる思考をして、心も探求してたんかなと思うんだがどうよ
もひとつ。物理が「無理なのは自明」とすると、化学現象って何ぞや
記述における視点の違いでしかないと思うんだけどさ。
>>286 個人的な経験則だが、環境云々まで言及する奴ってのは、
自分に酔って騙り屋に化けたりすることがあるから、
細心の注意を払いつつ内容を噛み砕くことをお勧めする
290 :
考える名無しさん:2011/07/24(日) 20:12:23.79 0
>>289 >環境云々まで言及...
わざわざここへ来て自分が哲学とは無縁な人間であることの表明か
291 :
考える名無しさん:2011/07/24(日) 20:16:16.23 0
>>287 >随伴現象
それで納得できる君が見えない
解決できてないパラドックスなどあったら
教えてください。
>>290 どこかの哲学科出てないとレスしちゃ駄目なんすか先生
在家の子に生まれ理工バリバリ笑だったがポスドク取れずにフリー、
理学考察傍らに自然哲学。哲学なんて金掛からなくていい。どこでもフィールドだ
>>286 読んだけど買う価値はない
アフォーダンスに逃げる奴はだいたい同じ展開だな
295 :
考える名無しさん:2011/07/25(月) 06:43:43.16 0
>>293 世の中には哲学的人間とそうでない人間がいるだけだ
>>294 >アフォーダンスに逃げる
世の中にはアフォーダンスを体験できる人間とそうでない人間がいるだけだ
296 :
考える名無しさん:2011/07/25(月) 10:34:10.37 0
>>294 その著者の本は、題名は面白そうなんだが、一番面白いのが題名だという場合が多いような・・・w
河野のメルロ=ポンティ論はいい本だぞ
298 :
考える名無しさん:2011/07/25(月) 11:35:53.37 0
騙されたと思って読め
二元論、随伴現象で納得しているおめでたい御仁は特に
ここにチラと難癖書き込んだやつ読んでないか、読めてない。もしくは読めない
わからなさに肉薄する書き方を学ぶ上でも熟読に値する。
オリジナリティなど二の次でいいのだ
299 :
考える名無しさん:2011/07/25(月) 11:38:18.19 0
じゃあ随伴現象の何が間違ってるか教えてくれ
罪はある?ない?
302 :
考える名無しさん:2011/07/25(月) 12:44:27.53 0
>>300 随伴現象説なんてのは物理学者の原理主義がもたらしたものなんだよ
この世の因果関係を独占したいがためにね
物理法則以外の因果を認めちゃ自分たちの城が壊れると思っている
(ちなみにオレは完全理系でグラフック関係のプログラマ)
情報(自然、人工とも)も因果の途切れることの無い流れ、関係性に組み込まれているってことを認めたくないのだ。
303 :
考える名無しさん:2011/07/25(月) 12:50:49.83 0
>>302 あ、つまらない反論をフィルタリングするために先に書いておくね
「自然だろうが、人工だろうが情報もまた物理法則によってもたらされている。」w
>>298 表現テクニックとかヤダなにそれマジ文学じゃんチョーすごくね?
いやまあ、その程度じゃただの趣味教養本じゃないか。
そんな内容は誰もが既に辿り着いていることで、辞書にもならず
同人誌より低いポテンシャルでエネルギー収支が合うような
名本にはとても思えない紹介なんだけど。
てか故人含めた他人に対し、オリジナリティを見出せない哲学って
受験のない受験勉強や知識貯蔵オナニーとどう違うんだろう?
現代で云う学問ではないし、そもそも哲学か?
木田元なんかは哲学者の文体を真似ることが哲学することだつってるよ
>>302 違うよ。
この世のすべての因果関係を物理法則と呼んでいるの。情報はそこに既に含まれている。
物質が定義されていて、それだけで世界成立しているって話ではなくて、
世界を成立させている原因を物質とか物理的要素にしているの。
だから、物理法則以外の因果なんて存在しない。
何らかの因果があるなら、それは必ず物理法則という枠組みに含まれる。
多分、君は物質が如何に不思議なものか、定義不能なものか知らない。
物理法則以外の因果って具体的に何?
308 :
考える名無しさん:2011/07/26(火) 13:44:14.99 0
>>306 >...物質が如何に不思議なものか、定義不能なものか...
相当矛盾してるなw
>>307 #302に書いてある
309 :
考える名無しさん:2011/07/26(火) 14:02:45.73 0
>>304 くんもいたね
批判の方向か完全にずれてるな
「わからなさに肉薄する」ことが哲学の神髄だろ。
そもそも人類にオリジナリティなど無いも同然ってことに気付きなさいね
みんな薄々気づいてるんだよ。意識化、言語化できないだけ。
理解のさせかたがオリジナリティといえばいえるんじゃないかな
あれ君には読めないと思うよ
>>308 別に矛盾してないよ。君が定義できるならしてみるといいし、
2重スリットの問題を納得いくように説明してみてくれ。
312 :
考える名無しさん:2011/07/26(火) 14:42:06.31 0
物理に詳しいのがご自慢のようでw
313 :
考える名無しさん:2011/07/26(火) 16:58:24.89 0
>>310 定義「不能」と決定したものを取り扱っている物理学ってどんな?ってことを言っているわけだが。
物理学が物質を定義不能とするときは自らの敗北、死を意味する。
>>311 知覚だ
>>313 >定義「不能」と決定したものを取り扱っている物理学ってどんな?ってことを言っているわけだが。
定義しないで、知っている範囲のものを扱っている。
言葉なんてなくても狩猟はできるし、定義がなくて曖昧でも、ここの事象について実験はできる。
>物理学が物質を定義不能とするときは自らの敗北、死を意味する。
別に意味しない。君が勝手にそういうことにしたいだけ。
315 :
考える名無しさん:2011/07/26(火) 17:09:43.41 0
>>306 >この世のすべての因果関係を物理法則と呼んでいる
〜因果関係を「便宜上」物理法則と〜 まで言わないと、
斜め読みしかする気がない住人はちゃんと理解してくれないよ。
この世のすべての因果関係を俺様の哲学は網羅していると
思いこんでて他人には頑なな人たちみたいだし。
きっと物理に理解を示している人を、反物質と同類の存在くらいに
理解しがたい概念だと捉えているから。
>>309 言ってることは分かる。そんな性質は理解しているつもりで、
じゃあ298はそんな性質をどこまで踏まえているのか、踏まえた上で
あえてその著作を絶賛したのか、絶賛するほど感銘を受けているのかを
もう少し汲み取ってみようと意図して発言したんだよ。
レスつくか、行間をどう読んでくれてどう書いてくるかも含めてね。
まあスレでネタになり309を頑なにする程度は求心力が高い本のようだ。thx
>308
具体性がないから随伴現象という理解の何が問題なのかわからん。
>物理法則以外に知覚という因果関係がある。
それが物理現象だと言ってるのが随伴現象なわけで。
318 :
考える名無しさん:2011/07/26(火) 22:15:14.70 0
初心者なので的外れかも知れないが
この手の問題って
「生命に超自然的な力は、あるのか?ないのか?」を問うものではないのか?
手を握るには脳から筋肉へ電気が神経を伝って流れてくる必要があるが
手を握ろうと人間が思うことで、何もないところに突然ポッと電位を発生させることが
できるのかどうか?
普通は「そんなの無理だ」って考えるよね?
それができたらみんながなりたい魔法使いだもんね?
320 :
考える名無しさん:2011/07/28(木) 20:08:07.92 0
唯物論的な世界観には
何人に一人が辿り着いているのだろうか?
例えばオバマ大統領は
自分ががんばるかがんばらないかで歴史が分岐する可能性があると
思っているのだろうか?
なんか唯物論信仰が行き過ぎて
決定論スレと変わらなくなってるなぁ
唯物論=真理、従わない者は低脳みたいで宗教臭い
>>287 何十年前の議論だ。
随伴現象の問題は「随伴してるものについて、随伴されてる側が報告できる」点だと何度いえば・・。
俺がこの世界でシャックリをすると、並行宇宙にある火山が爆発する、そういう因果があるとする。
つまり並行世界における火山の爆発は、この世界における俺のシャックリに付随している。
このとき、当然、付随されている俺は、自分の行為に何が付随しているかは分からない。因果が一方向で帰還がないからだ。
クオリアについての随伴現象もこれと同じ。
脳状態にクオリアが付随していたとして、脳はそれを知ることはできない。
言語でクオリアについて報告することは、クオリアが随伴現象であるのならば、ない。
324 :
考える名無しさん:2011/07/29(金) 17:03:57.12 0
想像で勃起する
想像するだけでも後頭葉の視覚皮質の神経細胞群が活動する。
脳で起きた情報が、脊髄を下降して、陰茎を勃起させる。わお
326 :
考える名無しさん:2011/07/29(金) 18:23:39.07 0
随伴現象説なんてのは体験に基づかないガラクタ
自然科学に媚びてどうするね
自然科学なんてのは俺らの見聞き触れする世界を計測し易いように狭苦しい仮の世界に閉じ込めたところで成立している論理だろ。
俺の体験上はどうか?
心身一如
これしかない
ただし心も身も環境を含めてのだけどな。
327 :
考える名無しさん:2011/07/29(金) 18:30:49.57 0
ベンジャミン・リベットの例の実験なんてのもガラクタだと思わないか?
人間の意識のスタートを勝手に固定しやがって。
ガラクタw
科学を無視するなら縄文人にでもその哲学とやらを語っとけばいい
クーラーの効いた部屋で 蛍光灯の明かりの下
コンピューターを立ち上げ、光ファイバーを使って遠隔地と通信しつつ
科学をガラクタ呼ばわりしてみる。これが今のトレンド
331 :
考える名無しさん:2011/07/29(金) 19:21:21.92 0
>>329 は「ベンジャミン・リベット」=「科学のすべて」
とでも思ってるのかねw
332 :
考える名無しさん:2011/07/29(金) 19:24:00.27 0
論理的にものごとを考えられない人間が
科学を云々するのは、どうかと思うね。
心身一如って、いわゆる不二論 non-duality ってやつでしょ?
唯物論系の人が時々仏教を引っ張ってきて語ってる希ガス。
あと身体、環境との一体化は、縁起の思想であると同時にまさに物理学的なのだが、
哲学的に言えば 拡張された心 extended mind てやつだな。
僕は哲学も科学も勉強不足で、ここではなかなか発言する機会がないんですが
何百年も積み重ねられてきて、現代では最も(は言い過ぎか)信頼されている知識としての科学を
一言の下に否定するって、とても気分の良いことなんでしょうね
335 :
考える名無しさん:2011/07/29(金) 20:12:38.46 0
何千年も積み重ねられてきた知識としての宗教を
一言の下に否定する方が、もっと気持ちいいよ。やってみ?
そう書くと、まるで宗教には信頼に値する何かがあって、科学と並び立つものであるかのようだなw
ワロタw
337 :
考える名無しさん:2011/07/29(金) 20:17:53.63 0
早速、試してみたわけだね?
338 :
考える名無しさん:2011/07/29(金) 20:21:26.92 0
>>328-334 (大雑把にくくってごめんな)
君らの読解力がまさにガラクタだw
俺が自然科学そのものがガラクタだって書いてるかな?
随伴現象説がガラクタだって言っているのだよ
自然科学そのものは否定しない。ただそれで記述できるのは実世界の一部に過ぎないだろということだ。
よく理解しろw
宗教と科学を同列に並べて考えられるのは、科学を学んだことがない証拠だ。
どちらも真理を希求してるといっても、方法論がまったく違う。
それが生み出してきたものの差になっている。
>自然科学そのものは否定しない。ただそれで記述できるのは実世界の一部に過ぎないだろということだ。
fmfm。しかして
いわゆる唯物論は「心は脳である」てことで、心と脳は別のものではない、同じものだ
って主張だけど、心身一如ってそれと同じでない?いわゆる唯物論では?
341 :
336:2011/07/29(金) 20:27:45.53 0
>>337 俺に対してのレスかい?
宗教の中に否定できるところ、というか肯定否定の議論にかけられるところなんてないでしょ
認識論的な妥当性よりも理論の生み出す豊かさ(説明能力、予測可能性等)を第一に重んじるとしても
宗教が何かと肩を並べることなんてないわー
物語として鑑賞するなら話は別だけど
342 :
考える名無しさん:2011/07/29(金) 20:27:51.06 0
>>338の続き
それと相変わらずステレオタイプな御仁がいるな
もう宗教かぁ。
あ、俺宗教とか信仰心とかないですから。
物理とか数学が大好きだけどね。
343 :
考える名無しさん:2011/07/29(金) 20:34:04.52 0
>>340 唯物とか唯心とかそういう形而上学的なことではないな。(どっちも興味ない)
「心身一如」って言葉は「体験上」最もピッタリくるから使っているだけ。
ただし上にも書いたけど環境をも含めてのだけど。
禅的と思いたければ思えばいいよ。
344 :
考える名無しさん:2011/07/29(金) 20:40:08.95 0
それとも只の権威主義か
権威主義に哲学は合わんだろw
響きが格好良いから言ってみただけか。
心と体(+環境)という二つ(または複数)あると思えるものが、実は一つである(一如)
この心身一如という名前が、二元論を否定しての一元論、という感じジャマイカ。
346 :
考える名無しさん:2011/07/29(金) 20:46:46.76 0
347 :
考える名無しさん:2011/07/29(金) 21:03:30.40 0
>>345 >二元論を否定しての一元論、
2じゃなきゃ1か?
ネットワークに1も2もない
物理現象が原因じゃないなら今すぐ
脳を破壊してみろ
俺の魂は永遠だ…
魂の存在に脳など不要…!
俺の脳ミソなんぞこうしてくれるわ…!
>>322 なんで平行世界が覘けない設定になってるの
脳の状態は観測できるじゃん
何を言いたいのかよく分からないが、
因果の向きが一方向「だけ」なのが随伴現象の特徴なんだが。
おそらく随伴現象説という考えをよく分かってないかと。
因果関係はこうなる。
俺のいる世界 因果 並行世界
俺のシャックリ → 引き起こす → 火山爆発
この時、俺は火山爆発があるかないか、それさえそもそも知ることができない。
もしかしたら本当に今、俺のシャックリが並行世界で火山を爆発させているかもしれない。
ごめんね、並行世界の人。
それとも「見る」とか「覗く」という行為を、因果的相互作用なしで出来ると思ってるか。
幽霊粒子の思考実験てのがある。
この世界の物理的対象と一切相互作用しない幽霊粒子を考えるものだが、
光が来ても完全にスルーして、一切反射も屈折もしないし、質量も持たず引力も生まない、そんな粒子を考える。
この粒子はこの世界内のどんな物理的対象にも、一切因果的な影響を与えることがない。
こうした幽霊粒子は当然目で見えないし、そしてどんな観測機器を使っても観測できない。原理的に。
つまりこうした幽霊粒子の存在を確認する方法は私たちにはない。
「随伴現象としてのクオリア」てのは、こういう幽霊粒子と同じ位置にある。
どんな観測機器(体や脳を含む)を使っても、そういうものが脳の活動に付随してると私たちが気づくことは、ない。
まあこうやって、単純には解けないからこそ
心身問題として何百年も残るんだな。
サールのいう、一元論か二元論かという問題の建て方がそもそも間違いだ
という批判についてはどう?
サール自身がどういう主張なのかはっきりしないのだけど、批判自体は妥当だと思う。
一つか二つか、というだけでなく、因果や時間、空間、存在、こういう認識における一番基本的な部分の構図が
どこか変更されないと、意識についてすんなり理解するのは難しいんじゃないかと思うなぁ。
ウィリアム・ジェームズも、意識の問題が解決されるならそれは形而上学的な転換をともなう、とか言ってたみたいだけど
俺もそんな気がする。まあ消去なり還元に成功できれば、それはそれでスッキリするだろうけど、今のところは全然無理っぽい。
そう
俺も意識は物理状態によって発生して、だけど物理世界にはなんの影響も与えられないものと思ってる
と言うか、思おうとしてるんだけど、
「意識」なんて言葉を生んでいる時点で、物質である脳が意識というものを認識している証拠のようで
「本当に唯物世界なのだろうか?」と、考えがぐらついてしまう
358 :
考える名無しさん:2011/07/30(土) 08:51:35.49 O
唯物論も、一つの宗教でしかないからね。
359 :
考える名無しさん:2011/07/30(土) 09:14:58.37 0
まぁいわゆる宗教とはあまりに生い立ちが違い過ぎるし
比喩にしても同じ単語で表現してしまうとまた無用な衝突を生むことになるので
あんまそういうことは言わない方がいいとは思う
360 :
考える名無しさん:2011/07/30(土) 12:01:53.12 O
>>359 唯物論の生い立ちは古代ギリシャであり、
まあ、他の宗教と、さほど変わらないね。
検証可能性という点で宗教とは全然違う。
宗教と科学を同一視したがる人は科学とは無縁なので検証可能性の意義を知りません
指摘されても、懐疑論的な悲観からか、検証可能性重視も科学教の教義に過ぎないと言います
白か黒か二分したがるデジタル人間を軽蔑する一方で
このときばかりは、確かさには0か1しかないものとして反論するのです
363 :
考える名無しさん:2011/07/30(土) 14:22:22.20 0
科学は唯物論の上でしか成立しないが、唯物論は科学ではない。
唯物論に検証可能性は無い。
ミソはクソになるが、クソはミソではない。
少なくとも唯物論は科学と両立するよ。
>>352 他人の意識は直接観察できないってどんな立場をとろうがそうだと思うけど。
そういう話じゃないの?
その人の発する言葉や行動から意識があったと想定する以外にない。
もう何も問題ないじゃん。
でも自分の意識は観察できる
自分の過去の意識の記憶と物理現象と照らし合わせ随伴してると見なせる。
それで他人もそうである。と見做せる。
観察できないのは他人の意識だけだ。
>>364 それは科学者の中で信仰なり宗教と科学が両立するのとなんら変わらないわけだが
それで唯物論が科学とするのは苦しいんでない?
唯物論や決定論は科学にとっては検証可能な仮説を導くための前提であって
それ自体が検証可能なわけではない、信仰の類だと聞くがどうなんだろう?
369 :
考える名無しさん:2011/07/30(土) 21:20:20.68 0
>>362 なるほど、要するに科学というのは、
「検証可能性」を重視する宗教なんですね?
370 :
考える名無しさん:2011/07/30(土) 21:26:20.48 0
それを前提にあまりにもたくさんのことが説明できてしまうというだけで
本当に唯物世界なのかどうかは確かめられてはいないという意味では神様と同じだけど
「分かんないんだけどしゃあねえ」って妥協した部分が0.001%と99%ってくらいの差はあると思う
371 :
考える名無しさん:2011/07/31(日) 00:10:29.94 0
宗教の例ってこれとかだろ↓
269 名前:考える名無しさん :2011/07/30(土) 21:44:48.51 0
天王星 ウラン
海王星 ネプツニウム
冥王星 プルトニウム
理系の話はよくわからないけど
原発事故を占星術で見ると冥王星や天王星が特徴的な座相を示している
地球上の元素って120しか発見されてないけど本当はもっとあるんだってさ
宇宙から新しいレアアースが発見されたりしてエネルギーがまた進化するかもしれない
発見されてないものが本当はもっとあるとか、新しいレアアースの発見でエネルギーが進化するかもとか、
何か言ってるようで空想科学小説以外のなにものでもない主張をなぜやってしまうのかね?
それは「占い」。
>>367 唯物論が科学と両立しないことはないので、科学の前提もしくは、科学の立場となります。
科学と両立するように、唯物論は作られていきます。
>>373 科学が唯物論をつくったのではなく、
唯物論が科学をつくったんだな。
唯物論は検証可能な仮説を導くための前提であって
それ自体は証明も反証もできないわけだが
理論構築に便利だからツールとして使われてるのであって
それそのものはある種の信仰
そして信仰同士が喧嘩すると凄まじく不毛というのは知ってのとおり
376 :
考える名無しさん:2011/07/31(日) 02:41:11.10 0
>>375 いってみれば唯物論は、ゲームの始まりに与えられたルール
のようなものであって、ゴールに用意されているのではない。
で、別のルールに従うのが宗教というわけだ。
>>375 世界5分前創造説も、それを否定するのも信仰だよ。
人間の認識は何らかの信仰に立脚している。
ではまず信仰を定義してくれ
379 :
考える名無しさん:2011/07/31(日) 17:28:00.77 0
大辞林 第二版 (三省堂)
しんこう ―かう 【信仰】
(名)スル
〔古くは「しんごう」とも〕
(1)神仏などを信じ崇(あが)めること。経験や知識を超えた存在を信頼し、自己をゆだねる自覚的な態度をいう。
「仏教に厚い―を寄せる」「神を―する」
(2)人を信じうやまうこと。
「三郎の為人(ひととなり)を益々景慕し、弥々(いよいよ)―する心を生じた/薄命のすず子(お室)」
------------
何かって云うと、「宗教」、「信仰」とか「信者」って安易なレッテル貼り多いよね
それで本人は何か気の利いたこと書いたつもりなのかもしれないけど、カワウソ。
サールが志向性について、適合方向とか言ってるけど、
あれ何の実益があるの?
あんなことしても心が解明されるとは思えないけど。
最近「心の哲学」に興味を持ったので
サール『心・脳・科学』
金杉武司『心の哲学入門』
を読んでみました。
(チャーマーズ『意識する心』は今図書館で予約待ちです)
どちらの本も、内容がいい加減なことに驚いてしまいました。
たとえば「二元論」を説明するのに「物理学で定義できるもの、と、できないもの」などと、他の学問に
定義を丸投げするだけの態度、とか。
(もし、物理学ですべてが説明できるようになったらどうするんでしょう?)
「脳状態」という、結構重要なはずの用語を、何の説明も定義もなく使っているところ、とか。
(文章を読んでいて「?」と思ったので注意して読み返しましたが、解説はありませんでした)
理論「A」のごく簡単な説明だけして、その数ページ後に「理論『A』は明らかなので、ここから次の
結論が導かれる」などという乱暴な(というよりはめちゃくちゃな)論理展開、とか。
この2冊の本を読んで私が感じたのは、
心の哲学というのは
「哲学者が『哲学はすべての学問の上に立つ偉い学問だぜ!』とふんぞり返っていたら、いつの間にか
他の学問(特にサイエンス系)が進歩して、哲学の領域にかなり迫ってきたので、あわててそこらへんの
『最先端』の学問のいいとこ取りをしようとしたんだけど、よく理解できないまま中途半端な引用しか
出来ないもので、説明している人って、自分で何を言ってるのか本当にわかってるのかな??
と疑っちゃうような中途半端な学問」
というようなイメージなんですが、これはきつすぎる言い方でしょうか?
理系の人間が呼んで納得できるような本がありましたら、ご紹介いただけるとうれしいです。
>>382 >というようなイメージなんですが、これはきつすぎる言い方でしょうか?
全然違うと思う。もしそういうイメージを抱いたのなら、自分の頭の悪さのほうを
疑ったほうがいいかもしれない。少なくとも、どちらの本も二元論をあなたが言う
ようには説明していないはず。
>理系の人間が呼んで納得できるような本がありましたら、ご紹介いただけるとうれしいです。
科学者が書いた哲学的っぽいテーマの本を読んだほうがまだいいんじゃない?
茂木の「クオリア」とかw
哲学者は物理学者や生物学者や人工知能研究者に専門知識では勝てない。それは当たり前のこと。
その代わり、哲学者は、その論理的思考力で、それら専門家が現在解決することができないでいる問題を思考する。
例えれば、将棋の数十手先を予測するようなもの。
従って、理系の知識が劣っているから心の哲学が不要ということにはならない。
物理主義の定義などについては、
John Searleほか
Thinking about the Real World
を読むといい。
>>384 論理的思考能力があったら、哲学者になっていない。
暴走族の中から、F1レーサー探すのって無意味だろ。
386 :
382:2011/08/05(金) 15:39:44.99 0
>>383 まさに383さんの話の進め方が、私が「??」と思った上記の本の話の進め方と同じで、笑ってしまいました。
私は理系なんですが、もし私が同じように答えるとしたら、
1)どちらの本も二元論をあなたが言うようには説明していない。
2)(ここで具体的にどう説明しているか、という記述)
3)だから、あなたの言い方は間違っている。
という順番になると思うんです。
それに対して383さんの書き方は
1)全然違う(説明なくいきなり否定)
2)そう思うならあんたはバカなんだと思う(これまた説明なく罵倒)
3)少なくとも・・・(一見説明に見えるが、実は説明していない)
となってます。
ここで問題なのは、383さんが、私の疑問に対して、全く回答をしていないということなんです。
さらに言うと、上記の3項目も「思う」「かもしれない」「はず」と、責任逃れのような言い方をされる。
この感じ、私が上記の2冊を読んだ時に感じたのと同じものでしたww
387 :
382:2011/08/05(金) 16:05:14.94 0
>>384 連レスすみません。
384さんの言われていること、同感です。
多分、心の哲学を研究してる方って、そういう「論理的思考力」で、いまどきのサイエンスあたりと
哲学に架け橋を作ろう、と考えてるんだと思うんです。
けど、その「論理的思考」を行なう前提があまりにもアバウトすぎない? というのが私の疑問です。
たとえば382に書いた「脳状態」なんですけど、この言葉が「アバウトに」示しているものを、もっと
きちんと掘り下げていけば、(他のサイエンスなんかの業績を引用したとしても)それは哲学ならでは
のものになるんじゃないかと思うんです。
英語は全然ダメなので、「Thinking about the Real World」の邦訳が出ることを期待します。
>>387 現代哲学の潮流に英米の分析哲学と欧州のポストモダンがある。
ポストモダンについてあなたと同じ問題意識(哲学者の理系に関する知識不足)
を告発したのがソーカルの『知の欺瞞』。
これが分析哲学にもあてはまるかは私の手には負えかねる。
>>388 「知の欺瞞」、とても勉強になりそうな本ですね。
図書館で借りることが出来るようなので、読んでみます。 ご教示ありがとうございます。
390 :
考える名無しさん:2011/08/05(金) 19:35:04.74 0
391 :
383:2011/08/05(金) 21:37:04.35 0
>>386 では、ちょっと丁寧にレスをしよう。
二元論というのは、物質的なものとは別に心的なものが存在するという考え。
どちらか一つしか存在しないという考え方を一元論という。心以外のものは
存在しないという人は、あまりいないから、一元論と言えば、本当に存在するものは、
物質的なものだけで、心的なものは物質から生じるただの現象にすぎないという
唯物論ということになる。
サールの本は読んだのが昔で詳しく覚えていないが、二元論という言葉をだいたい
上のような意味で使っているはず。金杉さんもおそらくそうだろう。
二元論という言葉は、少なくとも哲学では一般的な言葉だし、哲学になじみが薄い人でも
文脈から、だいたい上のようなことは推察がつくだろうと思っていたが、それを、
>たとえば「二元論」を説明するのに「物理学で定義できるもの、と、できないもの」などと、他の学問に
>定義を丸投げするだけの態度、とか。
>(もし、物理学ですべてが説明できるようになったらどうするんでしょう?)
のようなとんちんかんなことを書かれるものだから、「こいつ頭が悪いのではないか」と思ったのを
正直に書いてしまった。もし、それらの本に実際そのようなことが書いてあるのなら、失礼を詫びたい
から、彼らが二元論を説明しているところを引用してくれないか?多少長くなっても構わないから。
392 :
383:2011/08/05(金) 22:03:08.22 0
追加レス。
>「脳状態」という、結構重要なはずの用語を、何の説明も定義もなく使っているところ、とか。
「脳状態」は、脳の物理的な状態という単純な意味だろう。
例えば「パソコンの(物理的)状態」と言う場合の意味と何ら変わらない。
ただ、脳は、ほかの物とは違って、その物理的な状態から心が生まれる不思議な存在
だと考えられるため、心の哲学で問題になるというだけ。
393 :
390:2011/08/05(金) 22:14:27.08 0
394 :
382:2011/08/09(火) 12:49:53.90 0
>>391 レスが遅くなりまして失礼。規制でしばらく書き込めませんでした。
図書館から借りてきて読んだ本なので、もう返してしまってきちんとした引用ができませんが、
「心の哲学入門」の最初のほうで、まさにそのような記述での定義がしてあって、
「まさかこの乱暴な定義のままで話を進めるわけじゃないよな、後で補足説明とかあるよな?」
と思いながら読み進めましたが、結局それ以上の説明がなかったので、驚いてしまった次第です。
哲学を研究している方は、「言葉」と、その言葉を使った「思考」が商売道具のはずなのに、
その「言葉」の扱いについて、非常に「がさつ」な印象を受けます。
395 :
完全無力な吉凶名無しさん:2011/08/09(火) 23:04:20.34 0
知性は現象を丁寧に分析するけどさー。
現象的にみるとなんかもう
ただの現象だから全部は。
だるい。めんどい。どうでもいいの
虚無感の傾向に流れていくていうか。
こっちのほうが問題。
年とってくると「そんなん当たり前じゃね?」と
感じるだけになり、いちいち言語化しようとしなくなる
いちいち熱狂するのがね、しんどいのよ
396 :
完全無力な吉凶名無しさん:2011/08/09(火) 23:15:45.78 0
はー。
「俺」の無数の潜在的代理人である
多数他人が
「俺」の代わりに昨日と同じセリフをはき続ける
やりとりも同じと予想される。
徒労と無為感。
ドラクエでスライムを倒しまくるが
毎回えられる経験値が、0ポイント
そーいう感じかな。
まあ・・生きている状態に未練がゼロになり
自殺出来る。
面倒なったんやろな、なんか
いろいろ、悟り過ぎて
397 :
完全無力な吉凶名無しさん:2011/08/09(火) 23:25:10.45 0
右か左か、選ぶ自由くらいは有るわ
だから決まってないわけだ。
が、現象の枠と内容はだいたい決まっている
決定しているわけだ・・。
五輪の選手も猜疑心くらい持ってる普通は
金メダル獲っても「くだらねーな」思ってる。場合も有る
ただ「どーでもいい」などといったような
この感受性自体は自由意志だな?、と
ある現象論の哲学者はそう思った らしい
398 :
完全無力な吉凶名無しさん:2011/08/09(火) 23:35:54.43 0
どういった感受性で生きるか、は
個人の自由だ。
ありもしないピラミッドの構築と破壊
幻想と、信念、と猜疑心を引きずって。
多数人はふつうに食べていける時代になったけどなあ
でもわきあがる無為感、
これは物理が〜とか、そーいう問題じゃ無いわ。
携帯小説コピペ乙
そのレスに使った何mAだか何Wだかをもう少し効率よく使って
ポテンシャルの高い自由意志やら感受性やらに変換してくれ
物理主義の定義は色々あると思うけど
「存在するものはすべて、時間・空間内で因果連関に絡むものである(物理的なもの)。
またはそれら物理的なものにスーパーヴィーンするものである(物理的なものに付随するもの)。
それ以外のものは実在しない」
分析哲学的にはこんなんか。
一見物理的に思えないもの、価値、道徳、意識、etc も物理的であるか、物理的なものに付随する
ってのが物理主義。
神とかイデアとか霊魂の実在とかに対して放たれる、常識的な否定の態度だね。
英語を読む気合があるなら↓
http://plato.stanford.edu/entries/physicalism/
>>400 その物理(ないし物理学)が、現在の学問水準を前提とした物理(学)なのか、
将来判明するであろうあり得べき物理(学)も含まれるかという問題があり得るよね。
後者だとすると、物理主義といっても、ほとんど無内容になってしまう。
>>402 後者だけど無内容ではない。
宗教と違って書き変わって進化していくものだから。
>>403 だって物理的に心的世界が実証された未来も形而上学的に思考可能じゃない。
なんでもありになっちゃう。
個人的な興味だけど物理的に還元不可能な事象を発見したら物理主義はどうすんの?
神や霊魂にしても物理の適用外だからたぶんないだろうとは言えても
ないとは断言できないように思うが
>>406 それが成立するように物理法則が改められるだけの話。
>>407 なんかそれって「反証可能性がなく実証と離れた理論」みたいな感じですなw
いや、それが悪いと言いたいんじゃなくて、むしろそれはそんなにダメなこと
なんだろうか、というのが個人的に素朴な疑問なので。
ちなみに、現在の物理(学)と将来あり得べき(ideal)物理(学)という分類は、
>>384の本の中でサールの生物学的自然主義に対して、現在の生物学と将来あり得べき生物学を提示していた思考実験を参考にしたものです。
>>408 「還元不可能な事象を発見したら」というのは、反証可能性があるものでしょうに。
>>410 >>408は、
>>406を受けた
>>407について言ったつもりなんだけど…
「もし還元不可能な事象を発見したら」というのは、素朴に考えると物理主義が反証された
ことになる(少なくともなりうる)と思うけど、それに対して、「何があろうと
物理主義に合うように理論を変えるだけだ」と言ってしまうと(
>>407はそんな強い表現を
しているわけではないけど)、まるで反証可能性を認めないように見えるんじゃないかと。
不確定性原理なんて物理法則が改められた例にならんのか?
>>406 物理的に還元不可能というのが、どういうものを指すかによるけど
因果連関に絡まないものなら、それは絶対に発見されない。
カメラを向けても透明で、熱も発せず、音も出さず、完全に検知不可能なものなら
その性質上、どうやっても絶対に発見されない(発見したくてもできない)。
そういうものが「ない」とは永遠に言えないけど、あっても全く無関係である、とは言える。
まあ「世界に介入しない/介入できない神」みたいのが、こういうものにあたるかな。
暗黒物質なんて電磁波に全く関与しないから直接観測できないんだけど
通常の物質の運動からそこに重力源となる何かがあるはずってことから存在しているだろうってことに
されたんじゃなかったっけ?
どうとでもできるよ
>>414 重力源として検知できるって事、それが「因果的相互作用をしてる」ってこと。
力がゲージ粒子の交換により生まれる、っていう描像で言えば、
どんなゲージ粒子も出さず、かつどんなゲージ粒子もスルーする、
そんな「完全非コミュかつスルースキル100%」の存在こそが、因果的相互作用をしないもの(つまり観測できないもの)。
つまり因果連関に絡まないってことは、
そいつがあっても、なくても、周りに何の変化も起きない
どんな計器や観測手法を使っても、何一つ変化が見つけられない、ということ。
>>416 今現在の物理知識だとそのとおりだけど、将来物理学に革命が起きて、
そのようなものも測定することが可能になった世界も思考可能だよね。
すると今の物理学的には二元論の範疇だったけど、将来あり得べき物理学のもとでは、
唯物一元論に変わることになる。
そうなると、物理主義といっても、そこでいう物理が、現在の物理学か将来あり得べき(ideal)物理学なのか定義しないと
無内容になるんじゃないかな?
追加
そして、もし後者だとすると、何でもありだから、結局唯物一元論と二元論が区別できなくなってしまうのではないか?
エーテルも宇宙項も不確定性原理も暗黒物質も
よく分かんないけど物理学がでっち上げたと言うか取り込んだと言うか
してきたじゃん
そこに精神みたいな何かがからんでいる可能性は捨てきれないとも思うんだが
精神に対してだけ「物理領域に対して因果を持たない」と何故かやたらムキになっているようにも
思えなくもない
>>417-418 今の心の哲学の一元論と二元論が、ほとんど区別がつかない、というのは、その通り。
どちらも自然主義で、超自然的なものは受け入れない。その意味ではどちらもあまり換わらない。
>>419 エーテルは消えた。宇宙項・暗黒物質はまだ議論中でしょ。
で、心には因果能力が「ある」。あるからここに文字を書ける。
精神世界云々の話だと、それは超心理学という名前でそれはさんざっぱら研究されてきた。そして消えた。
予知能力もテレパシーも、証拠さえ出せれば、科学者も哲学者もみんな受け入れる。
そう思って膨大な調査が行われてきたけど、何も出なかった。だから消えた。それだけだよ。
自由意志があるかってなると、それはないだろうと思う。
仏教も縁起の思想を解くけど、多くのモノゴトの連鎖の中から、自分の行為や決断も生まれてる。
こういう仏教の考えが、キリスト教圏の哲学者や心理学者にちょくちょく参照されるようになってるのは、
それなりに理由があるってことだね。仏教の意識の分析は遥かに深い。
423 :
考える名無しさん:2011/08/14(日) 12:04:09.50 0
仏教って何?
何かを悟って仏になる教えらしいから、哲学の親戚みたいなもんじゃね
425 :
考える名無しさん:2011/08/14(日) 21:45:41.24 0
金持ちも貧乏人も
食べてうんこして、河原で石積みして
暇つぶして死ぬだけ。
426 :
考える名無しさん:2011/08/15(月) 01:39:12.83 0
認知
あなた の知らない世 界
427 :
考える名無しさん:2011/08/15(月) 01:41:33.73 0
ちんこ と まんぼう
あなた の知らない世 界
>>423 コアは縁起と空だな。
縁起(全部つながってるよ性)は物理学の世界観から理解しやすいから、ここまでは西洋人もやっと辿り着きつつある。
しかしこの空(実体ないよ性)てのを、西洋人にはどうも理解しがたいらしい。まあそのうち気づくだろうけどね。
ちなみに無我も空の一形態。この我がない、てのが西洋人には理解しがたい。
べつに西洋人でなくても意味わからないが。
「実体がない」を前提にして何かを論証するのか、
あるいは別の前提から「実体がない」を演繹するのか、
どの道そんなことを知識を得ることは無理だと思うけど。
>>428 実体がないというのは、そもそも言葉からしておかしい。
空こそが実体だというのならわからんでもないが、
ありもしないものを想定して、それがないということに意味はない。
いや意味はあるんじゃない?
ありもしないものをあると言ったら偽である、
という程度には意味がある。
P→QはPが偽でも真にはなるわけだし、
前提が偽であることによって無意味はならない。
ただ、「実体はない」ということを前提にすると、
言葉は何についても語っていないことになるだろうし、
「実体はない」を結論に持ってこようとしても、
似たような困難さはあるだろうな。
「実体がない」てのは「空」つまり「不変的に永続する確固とした個物がない」てな意味で、
「何もない」という意味じゃない。
で、仏教はこういう思考を存在論のみでなく認識論にも一緒に適用するから
空であるという認識もまた空、と、これを自己言及的に適用して空空などとやる。
まあ個人的にこの認識は正しいだろうと思うが、
学問はそこで止まってしまう考え方だろう。
武器は戦場で生まれるではないが、葛藤があったほうが学問は伸びる。
ドーナツの穴は存在するか、みたいなもんだ
議論の構造としては全然違うな。
うそつきのパラドックスみたいなものだろ。
動物の心ってスレ違いかな?
野矢茂樹の新著『語りえぬものを語る』の中に、
「猫は後悔するか」という章があった。
いわく、猫は言語を持たないから過去の過ちを振り返って後悔することが
できないのだという。
サールもAnimal Mindsという論文で似たようなことを言っていた。
「私の犬は私に散歩に連れて行ってもらいたいと望むことはできるが、彼は
私に1993年度の所得税が還付されるよう望むことはできない。彼は私に外に
出して欲しいと望むことはできるが、彼はアメリカ学童における単核症の識見
に関する博士論文を書きたいと望むことはできない。」
さて、皆さんは動物の心がどういうものだと思いますか?
>>437 彼らの心はいつでも「今」に生きている。
過去を悔んだり、未来を憂えたりすることが無い。
ベランダで昼寝している愛犬のナナはいつも最高にリラックスして見える。
時間の概念がないから、自分がいつか死ぬことで悩んだりしない。
野矢は反事実的な検討は言語ないとできないとするが・・・
「このまま歩いたとしたら棒にあたる」
「このまま止まっていたら、外敵にやられてしまう。」
という反事実的な想定は猫でも犬でもできるんじゃないかとオモタ。
人間でもシューティングゲームの操作なんかは言語を使っていない。
野矢は言語を前提にしすぎるきらいがある。
>>439 サールもあなたと同じようなことを言ってる。
単純な条件的思考は可能だろうと。
「おそらく、彼は「もし彼があの骨を僕にくれればそれを食べたいなぁ」と考えることは
できるが、「もし彼が僕にもっと大きな骨をくれればもっと楽しめるのになぁ」と考える
ことはできないだろう」
と。
単純なconditional thoughtsは可能だ。
だから、条件文を含む思考と訳すべきなのかな?
しろうとなのですみません。
>>437 野矢のあの本は、デイヴィッドソンの概念枠の批判の部分はちと疑問。
要するにニュートンだってアインシュタインの本を読めば相対性理論が理解できるから、
概念枠の違いは解消できる、と言うような議論なんだが、さすがに邪道な感じがする。
>>440 そうでもないと思う。
シューティングゲームをやっていると、「もっと〜なら〜になる」なんていう
思考を言語なしでやる。ほとんどの動きを言語に変換せずにやる。
犬だって「もっと穴を掘れば骨を全部隠せる」という内容の思考を言語なしでやる。
自転車の操縦でも同じことが言える。
「もっと重心を左に寄せれば安定する。」という思考ことを言語なしでやる。
野矢のいう「動物は言語を持つか」(あるいは「動物は事実に反する思いを持つか」)
という問題には、「心」という話は直接には出てこなくて、むしろ心の中に思考の世界が
あるなどと安易にイメージしてしまうことには否定的に書かれていると思うのだけど、
「動物は心を持つか、どのような心か」という話と直接つなげていいの?
>>444 野矢が「猫は言語を持たないので反事実的な思考はしない」というのを、
「言語を必要とする反事実的な思考は言語がない猫にはできない。」と
言い換えたら、意味のないトートロジーになってしまう。
それを避けようとすると、
>>443のような抜け道がどうしてもできてしまう。
野矢本のデイヴィドソン批判の「猫」は行為論を背景に行われているので、
それを外れていると誤解を生むだろう。
問題は動物が言語を持つかどうか、ということではない。
問題は、「行為する理由」と「行為」は別の存在であり、
「理由」が「行為」の現実の原因になっているかどうかということ。
デイヴィドソンは理由は行為の原因になっているとした。
猫の話がでてくるのは、言語がない(したがって理由がない)動物が、
理由があるかのような行為をしていること、そういう事実が成立していることが、
デイヴィドソンを批判する起点の一つになっているからにすぎない。
>>446 とても知識に富んだレスだな、データ概要の参照的な意味で
レス内容とレスした行為を起因・誘発した理由を言ってくれ。
その発言に至った446自身の哲学的思考を。
…もちろんそれをメシにしたいのであれば、446は黙秘すべきだと思うけど。
まあスラング的に一言でいうと、だから何
>>446 言語がなくても「エサが欲しい」という理由でネコが行動することはあるんじゃないか?
とか言い出すと、
それは「理由ではなく原因だ。理由は言語でのみ観念できる。」と反論されそうだね。
対して、
理由というのは行為の説明で、言語を持たないネコの行為を人間が説明しても良い。
とも言えそうだが、水掛け論かな。
野矢のあの本は記述が薄すぎてそこまで読み込めないし、かなりの知識がないと
疑問点を自己解決できないよ。どのレベルを対象に書いているんだかよく分からんね。
猫は夢を見ることはできないの?
夢の中で、何かを考えるのは、言語を持たないと無理なの?
>>448 そこで相対主義的な解釈の視点から概念枠の柔構造を必然とし、
他者理解の動的視点から概念枠への経験的な論理をクワス算で
乗り越えて、認知スキームを新たにプロトタイプを形成し、科学革命を
貫徹するのが「語りえぬもの」なのだ。
451 :
考える名無しさん:2011/08/24(水) 20:22:02.58 0
何言ってるんだかさっぱり分からん
452 :
考える名無しさん:2011/08/24(水) 22:33:54.01 0
語りえぬものを語ったのだから仕方ない
今時二元論か…。人間の「存在」ってのはそもそも、人間の住む世界が
染み付いたものであり、その国、地域の歴史的、文化、生活の文脈の中で
構築されるもの。超絶した、世間とかけ離れた純客観や主観など、
そもそも存在しないってのが、現代では定説のはず。
かつてデカルトは、「主観的世界」を内的領域と外的領域のまっ二つに
プッツリしてしまうという誤謬を犯し、それだけで世の中を観念的に割り切ろうとしたが、
それを信じ込んだフロイトが、自らの幼稚な精神分析理論の失墜を生み、
周りにボロカスに言われた上に、ユングにまで見放される結果になった。
心ってのは、集合的な歴史や個人的な生育歴の、言語ゲーム的・相互主観的
コンテクストの中で何となく形づくられるものであり、それは言語を介して
具体物が象徴化されたもの以外の何物でもない。そしてその形は、その生物・種属によって、
民族によって、そして育った地域・家庭などの育ちの文脈によって、人それぞれ異なるものであり、
無常に変遷してゆくもの。心を定義するのに、身体や内外をまっ二つにしたり、
関係性を顧慮しないのはアナクロな考え方である。
×内的領域と外的領域 ○外的領域から内的領域とに
457 :
考える名無しさん:2011/08/25(木) 01:49:52.38 0
我思う働きが存在することこれ確実
↓
我思う我が存在することこれ確信
↓
我思う我以外の他者が存在するこれ確信
↓
我と他者は関係し関係を構築する何者かであるこれ確信
458 :
考える名無しさん:2011/08/25(木) 02:01:45.26 0
我は他者のうち我に表象された認識と身体を『自分』として
我に組み込むこれ思想
↓
自分は認識であるため他者により改変されるこれ思想
↓
自分は他者により改変されるためこれが自分というものは死ぬまで成立しない
これ思想
459 :
考える名無しさん:2011/08/25(木) 02:10:13.46 0
自分に表象される認識にはある傾向があり
この傾向は高次の認識により身体および他者に起因すると判断できる
これをパーソナリティーとよぶこれ心理学
460 :
考える名無しさん:2011/08/25(木) 02:21:07.69 0
自分は身体の全部または一部を自由に売買譲渡破棄改変できると
考えるから身体は認識としての身体と自分としての
身体の二つに引き裂かれた存在であるこれ思想
461 :
考える名無しさん:2011/08/25(木) 02:34:55.35 0
結論
心とは自分であり自分とは認識と身体である
認識とは他者の表象とそのロジックによる解釈である
よって心は他者の存在により初めて成り立つ
462 :
考える名無しさん:2011/08/25(木) 03:08:33.29 0
これが心と言えるものはなにもない
パーソナリティーは究極的には物理法則に還元され
他者との出会いも決定論で解釈することができたとしても
なお心というものは規定できないのである
463 :
一:2011/08/25(木) 06:31:30.67 0
464 :
考える名無しさん:2011/08/25(木) 07:50:30.16 0
>今時二元論か…
みんな今時に生まれてるんです
クワイン以降、存在というのは量化子の変項のことです。
現代では定説です。電波飛ばさないでください。
466 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/08/25(木) 19:10:13.24 0
>>433 :考える名無しさん:
>仏教はこういう思考を存在論のみでなく認識論にも一緒に適用する・・・
というか、中観思想は認識(苦)を否定するためにその前提となる存在の実体を否定したと言う順序だとじいさんは睨んでいる。
唯ほとんどの人はそこが分かってないようで「色即是空、空即是色」の空即是色を曲解して「実在が捉え直される」などと言っている。
467 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/08/25(木) 19:25:05.97 0
>>3 :考える名無しさん:
エナクティブ・アプローチ???
三昧なんかを持ち出すようでは偽物臭い。
三昧って宗教の修行の方法なのだから、心の解明に使うべきではない。
>>6 :考える名無しさん:
貴方の言ってることは自由意思の問題とは何の関係もありません。
出来ないことをやれると考える尊大さが欝を生むのです。
ほかの人も答えて言っている様に、目の前の問題に対して自分の出来る対応の内、最も有利な方法を粛々と行えば良いのです。
468 :
考える名無しさん:2011/08/26(金) 13:04:44.50 0
>>465 それは「何が存在すると考えるか」の話でしょ。
>>467 >三昧って宗教の修行の方法なのだから、心の解明に使うべきではない。
瞑想や座禅が道具または方法論の一つ、として出されてるのは
ヨーロッパの内観心理学が人ごとにてんでバラバラの報告しか出せなかったのに対し、
仏教や禅の修行者たちが大体同じ修業方法を取って、同じようなことを報告してるから、て所みたい。
報告が一定範囲に収束するなら、研究の方法として、道具のひとつに入れて考えていいんじゃね?みたいな。
>>449 猫は夢を見る。寝ながら足をバタバタさせて、うなったりする
夢の中でネズミでも追っかけてるのだろうw
>>437 >「猫は後悔するか」
同じ失敗を繰り返さないようにする、という学習なら、猫でも普通にできそうだが。
学習と関係なく無駄にクヨクヨするというのは、確かに人間だけだろう。
>>439 「想定するだけ」ということはなく、必ず行動に表すと思う。
猫や犬は、単に棒を見たら避け、外敵を見たら逃げるだけだよ。
反事実的な想定は行動を説明するようにみえるけど、行動の要件じゃないと思う。
>>473 ネコにも感情はあるだろ。
メスネコを口説けずに恨めしく啼くなんてこともあるだろう。春先は特にうるさい。
失敗を思い返して沈んだ感情のようなものが生れることもあろう。
反事実的想定って、要するに「起きていない事実を考える」だから、ネコだって
目の前に穴があって「そのまま進んだら落ちる」という感じで「落ちる」という反事実を
想定して、穴を避けるんじゃあないかな。
ネコでも錯覚で足を踏み外すことがあるけど、見えていれば反事実の想定をして
落下を回避できた。
対して、「反事実的想定」の中身を人間にしかできないようなメタ的な高度な思考に
限定した上で「ネコにはない」と言うのは、前提で結論を決めている感じがする。
知識論では、「知っているデータ」以上の正しさやその根拠まで視野に入れたものを「知識」と
するけど、野矢は「反事実的想定」でこの種の前提を導入している感じがする。
この前提で、「ネコにはない」と主張されても、「そりゃ、ないわな。」となる。
サールは、
彼(動物)は、おそらくいくつかの単純な条件的思考をすることはできるが、
彼は仮定法の反事実的条件文的思考は持ち合わせていない。
と言ってる。
He can probably have some simple conditional thoughts, but he cannot
have subjunctive counterfactual thoughts.
>>475 一定レベルの質を満たした思考であるとの条件で「反事実的条件的思考」を考えて、
その一定の質を言語であるとすと、結論先取りだよね。
その条件を格下げして、「この状況を放置したら将来に起こること」というレベルでの
反事実への対処を含めると、昆虫ですら反事実的条件思考をしていることになってしまう。
そこで昆虫を除外しようとしたら犬や猫まで除外してしまったでござるよ。
「言語」以外で線引きすることを思いつかなかったから。
記号言語を持つロボットが将来の状況に対処したら、反事実的条件思考をしたと言えるであろう。
ところで、犬や猫や昆虫が記号言語に類するものすら持たないという確証はない。
結局のところ言語で区別しているのではなく、「霊長類特有の情緒」の有無で区別しているのでは?
>>476 ちょっと誤解を与える書込みだったかもしれないけど、
野矢さんと違って、サールは言語を持つか否かで
人間と動物をすっぱり分ける立場ではないと思う。
動物も前言語的な「割り当て機能」は持っていると言ってるから。
478 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/08/27(土) 23:42:39.73 0
なるほど、わかりました。
私の言いたいのは結局その内観という方法が科学的なものではないという事なんです。
宗教なら成り立つかもしれない(個人的には三昧は仏教でもイカサマだと思います)が科学的に心を考えるときに「内観」なるものは胡散臭すぎると言う事です。
わたしが信じている言葉(科学ではないが)は「考える事の背後にある考えるものを考えることは出来ない」と言う古代インド人のことばです。
>>477 「割り当て」ってのはロボットでいうところのフレームだよね。
人間ではスキーム、スクリプト。
動物は割り当てに従って反射的に行動するから思考が浅い、なので人間のような
深い思考はない。だから反事実想定はできない。
という考えに対しては、人間だってどこでもない場所から思考を始めるわけじゃなくて、
スキーム、スクリプトの影響が大だし、ヒューリスティックに頼ったりするから、結局は
「割り当て」の大きさの相対的な違いに過ぎない。と反論できる。
なので、「反射だから思考を経由していない。」というニュアンスの議論はどうもウソ臭く見える。
「人間の思考」を神格化するような見方にはちょっと抵抗があるんだな。
同じことをロボットがやったら「思考」で、イヌ・ネコなら「反射」になるという問題が付きまとう。
>>479 念のため・・・
ロボットがやっても「反射」とすると、人間に際限なく近づけたロボットでも「反射」になって、
人間が「反射」でないことの説明ができなくなるよね。
>>474は少し猫に感情移入し過ぎと思えるが、
しかし言語がなくても、簡単な脳内シミュレーション程度ならできて不思議はない。
「反事実的条件思考」かどうか分からないけど。
ザリガニの一歩には「意志」がある 北大研究員解析 2011.8.27 08:05
http://sankei.jp.msn.com/science/news/110827/scn11082708080000-n1.htm ザリガニが自ら歩きだすとき、ある種の「意志」を持って行動していることを示す神経活動が起きる
ことを北海道大の加賀谷勝史学術研究員(行動生理学)が解析した。
動作の原理を明らかにしていくことで「将来は自分の意志で想定外の事態に対応できるロボットへの
応用もできるかもしれない」と期待している。
米誌サイエンスに4月までに発表した論文などによると、ザリガニが“自発的”に歩きだす場合、
1〜2秒前から頭部にある約3ミリ四方の脳から胸部に向かう神経細胞の中で「運動準備電位」
という信号が出ていることが分かった。
加賀谷さんは、ザリガニも人間と同様、神経細胞同士の情報伝達をするシナプスでつながった
ネットワークがあり、自発的な活動を促しているとみている。
「動物の多様な行動メカニズムをさらに解明していきたい」と話している。
>>482 よく知らないけど、その運動準備電位って、リベットの実験というやつでは、
それが体を動かそうとする意識の前にすでに発生しているから自由意志の存在は疑問だ、
と言われているものじゃなかったっけ?
同じ運動準備電位が、人間については自由意志の否定につながり、ザリガニについては
肯定につながるのか、面白いなw
脳を中心とした神経細胞の電位が発生するということは、シナプス相互間で
情報のやり取りをして、その情報の行き来が電位発生につながる。
それは人間の脳による思考システムと同じだから、ザリガニも簡単な思考回路を
有している。
という意味で良いのか?
485 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2011/08/30(火) 17:45:32.72 0
一言で意思と言っても、実験のザリガニ意思と人間の「自由意思」の間には天文学的距離がある。
>>482 :考える名無しさん:
北海道大の加賀谷勝史学術研究員(行動生理学)・・・「将来は自分の意志で想定外の事態に対応できるロボットへの応用もできるかもしれない」
このロボットに話を飛躍させるところがエセ科学。
486 :
考える名無しさん:2011/08/30(火) 23:47:56.81 0
>>468 こうして見るとここ10年くらいの間にずいぶん翻訳が進んだんだな
ドレイファスやチャーマーズの主著も日本語で読める
>>485 人間の自由意志も複雑なだけで決まっているのには変わりありません。
489 :
考える名無しさん:2011/09/10(土) 07:36:26.33 0
ザリガニが意思決定・・・!!!
やはり奴らは地球征服を狙ってバルタン星からやって来たうわ何をするやめろくぁwせdrftgyふじklp
490 :
考える名無しさん:2011/09/10(土) 15:33:13.98 0
Qwasdf Koifalirnx Ertyudiaonbjeilac
God'z' Acsept YOU!!!!!!!!!!!!!
NEXTANT WERAsd QWERTIOPMKL'Z'.
492 :
考える名無しさん:2011/09/26(月) 07:36:21.83 0
性同一性障害も結局は脳の問題なんだよね?
やはり物質と因果を持たない魂のようなものの存在は考えにくいよなぁ…
そういうものがあるとすれば俺は女に生まれても犬猫に生まれても
可愛い女の子に癒されることになる
自分の性を否定するようなライフイベント〜
494 :
考える名無しさん:2011/09/26(月) 21:02:44.83 0
ある日目を覚ましたら
左腕が1mも伸びていた、として
左手が痒かったら、右手はその痒いポイントに正確に到達するだろうか?
なんか、する気がする
感覚によって、脳は空間的な距離を測ることができるのか?
脳に直接電極を刺すことでも感覚を引き起こせるというのに…
>>494 幻肢と違って実際に左腕が伸びているのであれば、
ボディ・マップの拡張が起こるので到達できる。
496 :
考える名無しさん:2011/09/27(火) 18:50:46.53 0
>>495 ボディマップというのか
気がするとしか言えないけど、そんな気がしていたんだよね
よくよく考えてみると、チンコって実際に伸縮するけど
位置間違えないもんね
497 :
レイア:2011/09/27(火) 22:42:23.16 O
>>419 〉エーテルも宇宙項も不確定性原理も暗黒物質も
よく分かんないけど
よくわかんなくても全然良いじゃん
エーテル体は密教で第5元素と教えられる、古代から象徴的に、文字でも絵でも「樹」に当たるよ
498 :
考える名無しさん:2011/09/27(火) 22:47:42.77 0
499 :
レイア:2011/09/27(火) 22:55:05.13 O
>>397>>398 有りもしないピラミッド??
有りもしないんなら「無い、無、虚無」なんだろう
突き詰めれば君の存在さえも、だ
でもそれは、インドの寺院の修行僧の挫折と同義語じゃないか?
ピラミッドは理想的に現物的にあるじゃないかw
人間の精神はどんな哲学や神道を歩もうと、「真理を見る者は必ず無意識だろうと精神的ピラミッドを完璧に完成している」
という明らかな違いがあるらしいよ!
500 :
レイア:2011/09/27(火) 22:57:39.72 O
>>384 物理学などが、哲学を超えたという
実証は??
501 :
考える名無しさん:2011/09/29(木) 07:22:14.60 0
なんだ?
変なのが紛れこんでるぞ
我思うゆえに我あり
と思う事が可能な世界の中に我あり
と思う事で、よーやっと独我の束縛から開放された。
これでやっと安心して独我を楽しめるw
503 :
考える名無しさん:2011/09/30(金) 19:12:09.32 0
意識は脳にあるのか?
脊髄や各神経なんかも合わせて感じているのではないか?
と言うのは
ある日突然腕が伸びたとして、指先で感じる感覚には
やはり距離感も伴っているように思えるのだ
脳だけが感じているのであれば
電気的刺激の到達にだけ意味があることになり、
経路はどうでもよいことになるのだが
そうは思えないのだ
>>503 腕がなくなっても、腕がある感覚はあったりする。
それをどう説明する?
>>504 それはむしろ、脳と腕が一体となって意識を形成していたという証拠。
そうした来歴がなければ、つまり最初から腕がない状態で生まれたなら、
脳だけで幻肢を感じることもない。
506 :
あれ?(´・д・`) ◆AHotoke9zk :2011/10/01(土) 16:42:38.04 0
507 :
考える名無しさん:2011/10/01(土) 21:26:33.74 0
鏡を見る…
コイツが、俺なのか?
俺は、お前なのか?
508 :
あれ?(´・д・`) ◆AHotoke9zk :2011/10/01(土) 21:40:48.07 0
>>507 (27) 趙州録
修行僧 趙州の真を写し(絵師に依頼して肖像画を描かせること)て趙州に呈す。
趙州云く、若(も)し老僧に似ば、即ち我を打殺せよ。若し似ずんば、即ち焼却せよ。
修行僧 対無し(この僧、一言も返答が出来ず、黙って退いた)。
玄覚代って云く、留取して供養せん(「儂がその場に居合わせたら、焼くのは勿体ない。大事に保存して、和尚の帰寂後、これに供養しましょう、と言ったものを」と言った。』
※ 唐代の仏教界とりわけ禅僧社会では、絵師に頼んで師匠の肖像画、いわゆる頂相を描かせて、これを師匠に呈し、これに師匠の自賛の偈や法語を揮毫してもらい、これを嗣法の証拠として珍重する風習が行われていた。
趙州は、日頃、不快の思いを抱いていたものと思われる。』
>老僧に似ば、即ち我を打殺せよ。 似ずんば、即ち焼却せよ
無門関第三十五則 倩女離魂(せいじょりこん)
五祖、修行僧ニ問ウテ云ク、倩女離魂、那箇(なこ)カ是(こ)レ真底。
三五 お倩とぬけガラ
五祖さまが坊ずにきいた。「お倩はたましいが離れたが、どっちがほんものか?
>>503 DNAにインプットされているプログラムを
脳が中心となって解釈し意識を生み出している
くらいでいいんでないかと思ってる。
つまり意識の根源は脳と言うよりはDNAにあると。
INTELのCPUでWindowsもMACも動かせるのと同じ。
510 :
あれ?(´・д・`) ◆AHotoke9zk :2011/10/03(月) 22:09:37.83 0
>>505 いや、そういう問題じゃない。
意識は脳だけにあるという証拠なんだよ。
腕は単なるデバイス。
人工の腕を作って、神経に信号流せば、同じことができる。
腕があっても、結局感じているのは脳。
512 :
考える名無しさん:2011/10/05(水) 07:40:15.66 0
天然だろうが人工だろうが腕を通る神経は、
脳の一部とみなすのか、腕の一部とみなすのか
俺は脳の一部で、単に連絡路というだけでなく意識を部分的に担当していると思うのだが
もし神経が脳ではないとするならば、その境界線が難しくなる
>>512 じゃあ、電気機器のコードや配線も脳の一部とみなすわけ?
>>511 身体感覚を一切除外した心の状態は意識と言えるのかは疑問。
計算などの思考活動だけを意識ととらえるなら別だが、今自分が
「在る」という統合された意識は手足や目、耳などの感覚器官も
主体とならないと成立しない。
>>514 計算に限らず、普通に思考活動できるだろ。
想像したり、夢を見たり。手足は意識活動に不要だよ。
516 :
あれ?(´・д・`) ◆AHotoke9zk :2011/10/05(水) 16:57:30.28 0
>>514 主体にならないと成立しないのであれば、いずれかの器官が
先天的に欠損した場合はどうだろう?
何か一つ、あるいは複数の器官がなかったような場合には成立しないと
考えるというのは無理が出てくると思う。
つまり最低限必要になる器官は何かと考えていく方法だと、
結局その条件に当てはまるのは脳という結論になる気がする。
>>517 逆に、脳以外のすべて、皮膚や呼吸器官、心拍等も含めた全部が
生まれた時点からなかったら、反射や相互作用が皆無の状態から
意識は生成されるのだろうか。
意識の定義範囲にもよるが、脳は必要条件ではあるが充分条件では
ない気がする。
>>518 生命の維持として、全部ないとか無茶だって。
脳以外のどれがなくても、意識は成立するが、
脳がなければ、意識は成立しない。
>>519 だから必要条件ではあるって言ってるじゃん
反射や相互作用が皆無の状態そのものを想定するのは難しいね。
脳を取り巻く環境のうち、生理的レベルの現象が皆無の場合と、
おおよそ物理的要因が完全に変化しないというレベルと。
脳しかないという状態を仮定した場合、前者なら意識は生成ないし変化する。
後者は成立自体難しいが、意識は変化できない。…と思う。
意識という行動を起こすだけの力を秘めているけど外にでない状態。
コップに水があふれる寸前まで入っていて盛り上がっているようなもの。
また、コップの高さが閾値になり、上限まで入っていないとそもそもどうしようもない。
重要なのは変化。外部の要因(神経など)、内部要因(意識、拍動など)、直接変化(圧力、応力など)。
実は
>>518で心拍という指摘は興味深く感じた。
体内の圧力(血圧)変動が皆無の状態というのはほぼ不可能。摩擦がある。
圧力変動から様々なプロセスが生じる可能性はあると思う。
人間という種の、高レベルで統合的な思考形態・思考能力を意識と呼ぶなら、
各種神経細胞とそれを用いる伝達は、ただの補完を越えた域に達していると思う。
しかし、器官の機能的または物理的な面から
現段階で把握されていることを踏まえて(素人的に)推測すると、
脳には単体でも意識を保有できる可能性はあると思う。
…もちろん、脳みそだけで地上を自走する能力をも発露するとは思わないがw
意識は最終的に脳のみに記憶される事で機能するか?
と考えてみてはどうだろう?
そう考えれば、
>>504-505も、腕が存在した記憶は最終的に脳に保存される、
と言えると思う。
心臓移植をした後に、ドナーの記憶も移植されると聞いた事もあるけど、
心臓に記憶されていた内容も、結局脳に移る訳で、
その後再度心臓移植を受ける事になっても、それまで脳に保存されていた
記憶が失われる事は無いはず。
ちなみに心臓移植の件は、健康な心臓に変わった事により、
心身の活動範囲が広がるのだから、それに伴って趣味嗜好が
変わるのは当然という見方もある。
そういう意味で、意識は各臓器の状態に左右されると思う。
それでも、意識の最終決定権は脳のみに存在するか?
が興味のあるところだなぁ。
524 :
考える名無しさん:2011/10/06(木) 07:47:50.09 0
器官・組織を構成している細胞同士は互いにくっついているんだから
どこからが脳と定義するのも難しいのではないか?
脳の指先の感覚を担当しているとされる個所を直接刺激することと
本当に指先を刺激することと、感覚は完全に一致するものではないのでは?と思った
刺激が神経を伝って脳に届くまでの過程にも感覚があるのではないかと
だから「ある日突然腕が伸びたら」という状況を想定してみた
>>520 脳が必要条件であることを否定している人なんて誰もいないよ。
十分条件であると言っているの。
526 :
考える名無しさん:2011/10/06(木) 13:35:14.71 0
脳だけに神経組織があると思っている無知って結構いるよね。
そして大脳も小脳もその他の脳もまとめて脳としか知覚できてないし
考えることすら拒否しているってどういう妄想なの?
527 :
考える名無しさん:2011/10/06(木) 14:03:29.55 0
神はコトを誘うモノであって意志があるように力を振りかざしたり
関係を思い結果を出せる存在ではないよ。
心が生む哲学には神の力を扱うことができる、神を感じることができた
ものだけそれは使うことができる。その力は秘めているわけで人が
利用するとしても誘うことしかできない。呼び込むことしかできない、
それは神が成すコトを結び己のモノにする覚悟のあるものだけに与えられる
願って得られるものではない。誰にでも、どこにでもあるってことだ。
>>526 神経は唯の配線。
PCの配線にも意識があると主張するのでなければ、
意識の成立は、脳だけで必要十分となる。
529 :
あれ?(´・д・`) ◆AHotoke9zk :2011/10/06(木) 18:20:53.93 0
530 :
考える名無しさん:2011/10/06(木) 20:53:14.57 0
531 :
考える名無しさん:2011/10/06(木) 21:16:28.09 0
>>532 ケミカルな対応だけで
配線としての機能はないのか?
逆に神経にケミカルな対応は
ないのか?
>>530 配線と記憶素子や論理回路の違いもわからんのか。
CPUとバスは違うだろうに。
535 :
あれ?(´・д・`) ◆AHotoke9zk :2011/10/10(月) 22:50:10.35 0
神経細胞の寄せ集めだよ野によって働きは変わってくるけど
537 :
atmosphere ◆dR5pbNnBOk :2011/10/12(水) 21:42:29.61 0
「両生類の二重生活」
インターフェースとしての神経及び脳、そしてメディアとしての各々の感覚器官。
(局所的な端末である各々の人物にアフォードされた、各々における認識の可能的な形態)
デフォルメされた共通解釈によって為される「一般的な見解に基づく記号化された同意」
という行為と、自己を対象として取扱いそこから何らかの個人的な事象を導出する
「関心的な行為」とでは、本来ならばその性質上全く正反対な方法論がそれぞれ独自
に発達してゆかねばならない(筈である?)
蝶々やシャボン玉のように移ろいゆく豊かで清澄な生の力。しかし概念の働き
は絶対の悪魔性そのものであり、生を拷問の篩にかけ死んだ剥製にする。
「何故に無垢の生こそ呪われた地下牢を自ら渇望することになるのか?」
538 :
atmosphere ◆dR5pbNnBOk :2011/10/12(水) 22:21:02.41 0
「セメレ」
永遠にたいする憧憬 犯された過ちは果たして本当に罪なのですか?
それとも? また或いは?
全てを絞め殺す悪意の子宮から産声を上げた
私の愛しい・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あぼーん
540 :
あれ?(´・д・`) ◆AHotoke9zk :2011/10/13(木) 18:15:07.68 0
心を「鍛える」ことは出来るのだろうか。
よく「お前は心が弱い」とか「もっと強い心を持て」などと言うが、
個々人の生まれ持った精神の脆弱さや感受性は訓練等で簡単には
変えられない気がする。
もし鍛える事が可能だとしたら、「心を強く」するにはどんな方法が考えられるだろう。
>>541 マインドコントロールで自爆テロだってやれる様になるんだ
543 :
考える名無しさん:2011/10/23(日) 23:14:30.57 0
記憶の正体がシナプスだとして
なぜ時間の経過を感じられるのだろうか?
541小さな子供と大人をみれば、精神は鍛えられていくってのはりかいできるはずだよ
543
記憶があるからにきまってんだろ
宗教or心の哲学かで論争しているんでしょ?
そしたら心の哲学でしょ
字的に定義されているんでしょ!!!
あぼーん
あぼーん
548 :
考える名無しさん:2011/10/27(木) 20:30:00.74 0
はたしてかね・・・か...
>>543 正体がシナプスっていうところで何を意図しているのか分からないが、俺的には記憶=シナプスってのには賛同しない
記憶二アリーイコール図面や物であると主張しよう
図面やものと言っても、比喩的な表現であり、違ういい方をすれば、経験した時に反応している自らの体の状態を保存している、ともいえる。
時間の経過はそういう記憶があるから感じられる
我らはこの説を昔から唱えているのだが、脳科学学者やその信奉者らは我々に学位がないというだけでこういう話には全く耳をかさないのが少し寂しいところである
550 :
考える名無しさん:2011/10/27(木) 22:23:51.35 0
でどや?
551 :
考える名無しさん:2011/10/27(木) 22:30:29.01 0
>>549 1週間前に"pen"という英単語を覚えたとして
これが何らかの形で脳に刻まれると思うんだけど
それは6日前、5日前、4日前・・・と
やはり何らかの形で脳への刻まれ方が変化していて
そしてその変化に法則性があるからこそ
「ついこの前覚えた」「ずっと以前に覚えた」という感覚があるはず
ハードディスクへの記録のされ方と同じではないだろう
我ら的には、保存に関与している部位は脳限定とはとらえていない
保存状態が変化していることは特に否定はしない。それは自然だし、その変化が重要な場面もありだろう。
ただ、保存状態の変化が時間の意識に大きく関与しているという意見には安易に賛同はしない
そういう捉え方ではなく、時間に関しては、記憶の保存群のココの状態と相互関係が意識を形成しているにすぎないとまずは考える
今風にいえば記憶の保存群がクラウドを形成しているというイメージでもいいだろう
だから、ある日時に対して、始めから記憶が保存されてない、または弱く保存されている場合で、かつ前後の記憶の関連付けが弱い場合、そこの時間は空く
そういう空に挟まれた記憶は、時間の意識を喚起しにくい
まれに、最近のある瞬間の記憶があるのにそれがいつの何時の出来事だったか思い出せないのはそういう理由である
デネットくらい読めよ
554 :
考える名無しさん:2011/10/31(月) 21:26:55.72 0
世に言う自分が読んだ本は
他人も読んだと思ってるタイプの人登場か?
ほっとけよ、耳学問だけで生きてるような奴なんか
>>553ではないが、デネットぐらい読んどけ。
自分の無学と理解力の無さをごまかすな。
>>556 デネットなんて読む必要ない。馬鹿になるだけ。
なにか読んで馬鹿になるって
どんだけ脆弱な頭だよw
あぼーん
本を読めば、他者が編み出した思考は知識として身に付く
そのかわり、自分で考えて自分で見出す力は弱まる
名著にはそれだけ人の思考を硬直させる力を秘めている
本だけでなくTVもそうだし、偉大な哲学者や宗教者の言葉も同様
内容に傾倒も反発もせず、ただ知識として受け取る安定した心が必要
それから自分の心で考え、自分の言葉で組み立てなければならない
…と思う。効率無視だし今時流行らないと思うけどなw
ちなみに思考と発想にまで効率を求められるのが大嫌いです。
561 :
考える名無しさん:2011/11/02(水) 19:38:07.71 0
名作って、言わば効率とは対極にある執念が生み出してるって
場合が多いからね
パラドックス的ではあるけど
自分の専門外の分野では効率を意識した方がいいとは思う
寄り道の時間はもったいない
逆に専門分野では思いっ切り時間を贅沢に使うべき
なぜ心の哲学から始めようなのか?
我々男は物心をしらなすぎると
女性陣に云われて追放されがちだからですよ
後物心の人々にも・・・。
女性はものを大切にする
男性は特定しかしない。
大切にされたものから転じて生まれる命もあるわけです。
これを物化員という(ロボットのことではありません正真正銘の蛙だったり草木だったり人間だったりするわけです)
前書きました
男はなすことが寛容で、女性は気持ちが寛容で
その他類は現状維持が寛容で、その以は変遷番線が寛容であると
性的優先順位にあるわけです
男性→女性→その他類→その以とね。
だったら何が中心になるのか?(いわゆる哲(哲学の今スタート))
心でしょうね。
やっているのは(人)という代名詞適用法の人
ならばネ
563 :
考える名無しさん:2011/11/10(木) 21:31:08.55 O
宇宙に対して意識は虚
世界は複素空間
564 :
考える名無しさん:2011/11/11(金) 22:19:45.18 0
唯物論、二元論
と書いているスレタイから
だんだんかけ離れてきているな
あぼーん
566 :
考える名無しさん:2011/11/12(土) 00:26:05.78 0
放射脳だろw
567 :
考える名無しさん:2011/11/16(水) 07:50:11.21 0
「志向性」って何?
>>567 おまいが頭の中で志向性って何だろうと考えている。
そのとき、おまいの思考は志向性「について」のものだ。
この「何かについて」の「向性(directness)」のことを志向性という。
・志向性について考えるというのはどういうことか?
たとえば「りんごについて考える」と較べてみると、りんごは物体だし対象がある。
それに対して、志向性ってそもそも物体じゃないし対象たり得るか?だ。
そのようなもの「について」考えるとはどういうことなんだろう。
的なことを考えるのが志向性
向性は正しくは"directeness"だね。
"directedness"のtypo
571 :
考える名無しさん:2011/11/17(木) 12:33:50.15 O
題目「志向性」に志向すると題目「志向性」は志向性でなくなる
572 :
567:2011/11/17(木) 22:04:01.47 0
>>568 ありがとう、自分が考えていたのと概ね同じであることが分かったよ
今手元にないんだけど、サール?だっけ?このスレでよく見る人の「MIND」という本で
「感覚」だったか「意識」だったかと、扱いを分けていたようだったので、
何を指しているのかとても気になっていた
何故分けて考える必要があるのかは、今もよく分からないんだけど
>>572 サールは全ての心的状態が志向性を持つわけではないとしている。痛みとかね。
これに対しては、全ての心的状態は志向性を持つと考える哲学者もいる。
574 :
考える名無しさん:2011/11/27(日) 20:13:44.05 0
唯物論とか随伴現象は受け入れ易いが
人格の連続だけは悩ましいんだよな・・・
程度や種類の差こそあれ、万物に精神が宿ると仮定して
その精神の正体が情報伝達であるとすると
他人の考えが分からないのは情報のやり取りが乏しいからで、
肉体という情報の行き来が濃密で、かつほぼ絶えることのない物体の中だから
精神の同一性は維持される、のかなぁ・・・
あとは「なぜこの肉体は自分になったのか?」だ・・・
>>574 人格の連続(同一性)というから特殊問題になる。
サルだっておそらく人(物?)格は同一であり連続しているだろう。
となると、物格の連続ということになり、唯物論へと還元される。
576 :
考える名無しさん:2011/11/28(月) 00:50:15.90 0
解離性人格障害があるから人格の同一性も怪しい
577 :
atmosphere ◆dR5pbNnBOk :2011/11/28(月) 22:19:00.27 0
私という連続した人格と他者のそれとの区別は、元々分離しているのではなくて
区別を設けるためのある種の割り込みが後付けで掛けられているということ。
このイメージの転換は後々とても重要になってくる。「これはこの私だ」
という、いわば想起されうる人格を構成している諸々の判断材料は全て
「私秘的な個人的体験」ではない。
さらにさかのぼって、我々のあらゆる感覚器官の一つひとつは単なる正確な
情報質の入出力に関する努力ではなくて情報質そのものの能動的な創造行為と
印象の押し付け合いという闘争の場であるということを自覚するということ
にコツがある。
記憶に関して言えば、おそらく「忘却による消去」というのはあり得ない。
つまりたった一度でも我々が体験した事柄はたとえそれがどれほど複雑で
膨大な情報であっても必ず全てが細大漏らさず記憶されている。しかし
我々の器官のなかで全ての膨大な情報質の完全な想起を妨げるリミッターの
ような機能があまりに強力に働いているので、あたかも記憶されていたものが
消え去ってしまったかのように見えるというだけなのである。
さらに言えば、諸々の記憶とは果たして上書きされたものなのか否かという
疑問がわいてくる。つまり私の体験とあなたの体験或いは見知らぬ第三者の
体験を区別し共有を禁止している状態というものは、自他の分離が元々最初から
そこにあるのではなくて、単に何らかの機能面において後付けで割り込みが
掛けられているだけなのではないかというあの疑問のことである。
一度だけ聞いた音楽や一度も聞いたことがない音楽はすでに、誰かがもしくは
何かがいつかは何度も聞いたことがある。
578 :
atmosphere ◆dR5pbNnBOk :2011/11/28(月) 22:47:26.20 0
幻影かリアルかという区別の問題は「記憶の海」には最初から存在しない。
記憶とは常に実在値1の幻影である。
環境とはあらゆる情報質の可能的な配列のすべてのことである。
環境は幻影であり、幻影は全てにとってのリアルそのものである。
制限された限定つきのリアルのことを我々は普段「現実」と呼んでいる。
579 :
atmosphere ◆dR5pbNnBOk :2011/11/28(月) 23:19:59.06 0
「筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 生いにけらしな 妹見ざる間に」
古井戸はそれが人の手によって作られる以前からどこかに古井戸としてある。
そして古井戸の見た幻影は、恋する二人の結び目が二人が生まれて出会う以前
からいつでもどこにでもあるということを友である旅の僧にそれとなく告げる。
そしてこのことは、私やこれを読んでいるあなたも最初からすでに知っている
筈である。
580 :
考える名無しさん:2011/11/29(火) 07:56:07.38 0
自分と他人の区別は障害物が混入してくることによる
という考え方は、双子なんかでイメージしやすいな
あとのは機械翻訳みたいで何が言いたいのか分からん
581 :
atmosphere ◆dR5pbNnBOk :2011/11/29(火) 21:20:32.07 0
>>580 「あれは彼の感覚、彼の知覚、彼の思考したものであって私のものではない」
と判断するように促す何らかの割り込み因子のはたらきがあるか否かという
ただそれだけのことがこの私の自己と他者の自己とを区別している。
他者への共感というものはつまりこの割り込み因子のようなもののフィルター
越しに制限つきでアフォードされた「彼の体験」のことである・・・・・
*************************************************************************
「静けさや 岩にしみいる 蝉の声」
というとき、「蝉の声」のほうではなくてむしろ蝉の声が染み入ってくる
「岩」のほうに共感のアクセントを置く。
能「井筒」においても同様。というより能「井筒」は、舞台設定の妙というべきか、
最初から観客の意識が常に古井戸中心に展開されるような配置になっている。
世阿弥はたしかにあのことを知っていたとしか思えない。
582 :
考える名無しさん:2011/11/29(火) 21:35:15.10 0
なにしろ彼の感覚である“あれ”なるものを感じることができないからなぁ・・・
583 :
atmosphere ◆dR5pbNnBOk :2011/11/29(火) 22:07:53.50 0
>>582 割り込んで感覚禁止を実行する因子が常に働いているから、
"あれ"なるものを直接的には感じない。
「ブラインドサイト」だったかなんだかよく覚えていないが、網膜が完全に
機能停止している人間が、物理的には全く光の反射を甘受しないつまり全く
映像が見えない状態であるにも関わらず、外界のなんらかの運動体が右から
左へと移動したことを視覚の助けなしで判断することが出来るのとちょうど
同じようなことが「割り込み因子の制限付き共感」のなかで起こっている
ということだ。
584 :
atmosphere ◆dR5pbNnBOk :2011/11/29(火) 22:11:35.03 0
甘受→感受
めんどくせぇ・・
お薬増やしておきますね〜
ふざけやがって
弱点は」くすりだとぉ〜
パワーアップしたいだけじゃないか。//。
これからくんな」
いいわけじゃないか。
心の時代のさっちゅうに・・・。高速虫動きで
暴れてろっての。」
心の時代に
心の哲学の定義もできないのは
最低だと思いませんか?
587 :
考える名無しさん:2011/12/03(土) 17:29:53.46 0
このスレのサブタイトルになってる「唯物論」「二元論」って
死ぬまでの間にどのくらいの人間が考えるのだろうか?
少なくともウチの母親と婆さんは考えたことがないと思う
俺が勤めてるブラック企業の連中も考えたことがないと思う
もし考えた経験がないとしたら可哀想だから家族や友人とそういう話をすることは無いんだけど
たまに意地悪な気持ちが生じてきて、会社のDQNな人たちに解説してみたらどんな反応するのかを
想像してしまう
588 :
考える名無しさん:2011/12/03(土) 17:36:08.24 0
いわゆる思考実験なんて基本くその役にもたたないんだが、たとえばアルカの件はおもしろい。
アルカの件はかなり慎重を要するわけで、現実的に思考実験せざるを得ず、また思考実験が上手に出来るほどスマートなわけ。
これは、リアルでキチガイに対処する場合にも適用できる。慎重を要するがなんとか対処はしないといけないので、キチガイの普段の振る舞いという与えられた情報だけから最大限に思考を繰り返す作業が要請される。
>>587 死んだらどうなるんだろう?とか、死ぬことへの恐怖がまさしく
二元論や唯物論について考えていることになるんじゃないか?
>もし考えた経験がないとしたら可哀想だから家族や友人とそういう話をすることは無いんだけど
>たまに意地悪な気持ちが生じてきて、会社のDQNな人たちに解説してみたらどんな反応するのかを
>想像してしまう
くっそわろたwww
591 :
考える名無しさん:2011/12/03(土) 18:26:04.60 0
嘘良くない
592 :
考える名無しさん:2011/12/04(日) 21:57:54.46 0
最近休日に昼寝すると
眠ってると言うより気絶してるような感じがする
時間が経過してたのかどうかも分からないような
意識が完全に消滅してたような感じ
593 :
考える名無しさん:2011/12/04(日) 22:10:42.80 0
ニューロンの発火が意識の正体と仮定して
どの程度の単位の発火がどの程度の意識を発生させるのか?
1コの電子が1mm移動することで「腹減った」になるのか?
不確定性原理によって電子の位置や存在も確率的なものになるから
色んなエラーが起こっても良いと思う、閃きなんかもその一種かも知れない
マトリックス見てたら「デジャブーは機械の故障」みたいなセリフがあって
ふと考えてしまった
量子コンピュータみたいな、多世界からのフィードバックが既視感の正体なのかも?
ただそのフィードバックも確率依存のランダムなものだと滅茶苦茶なことになりそうだから
とても小さな単位の電気信号が実はけっこう大きな規模の意識を引き起こしてるのかも?とか
まぁだとしたらアタマの中パニックになってしまいそうでもあるが・・・
コナコナロッテルリコナコナロッテルリ
あぼーん
596 :
考える名無しさん:2011/12/07(水) 22:07:18.66 0
そう唯物論を恐れるな
心の哲学の定義
やっぱり攻防防衛制度
598 :
考える名無しさん:2011/12/08(木) 21:50:20.35 0
そのまえに心を定義してみろ
唯物論も二元論も唯心論も間違いでスピリチュアリズムの常識通り死後の世界の存在の実在は有るよねー!?♪。
600 :
考える名無しさん:2011/12/09(金) 15:27:50.30 0
あぼーん
602 :
考える名無しさん:2011/12/10(土) 12:12:05.57 0
〜
人伝
教師
〜
がんばるも〜ん
しっったか
魔議員
・
っっだじょうぶ?
魔法的
優先順位って
歴史通りじゃない?
!!!!!
603 :
考える名無しさん:2011/12/10(土) 13:27:59.93 0
ウィトゲンシュタインは掛け替えのなさではボエティウスやスピノザに匹敵する。
哲学史に位置づけられない孤立した価値。
それこそが哲学的という見方もありうるだろう。
604 :
考える名無しさん:2011/12/14(水) 22:32:09.95 0
二元論って言葉の定義がイマイチ分からん
物理領域の原因とはなり得ないが結果としてだけ確かに存在していることを
認めることなのか(それだけだと唯物論とほどんど同じ)?
それとも、物理領域の原因となることができる精神世界を認めるような
オカルトちっくなものを指すのか?
ここの書き込みとかものの本読むと両方の立場がありそうに思うんだが、
どうもあんま立場を表明した上で語りたがらないみたいなんだよね
>>604 >物理領域の原因とはなり得ないが結果としてだけ確かに存在していることを
>認めることなのか
近いけど、結果としてだけ存在しているっていうと随伴説になっちゃうから違うな。
>それとも、物理領域の原因となることができる精神世界を認めるような
>オカルトちっくなものを指すのか?
これは心身平行説で、二元論とは違う。
二元論はそれ以上のオカルトで、心を物理的なものから完全に独立しているとみなす。
だから二元論では互いに独立した心的なものと物理的なものの関係をうまく説明できないことが最大のネックになる。
完全に否定はされてないけど、実際に心的現象と物理的現象の間に関連性が見て取れる以上考えにくい立場だと思う。
606 :
604:2011/12/15(木) 02:00:21.89 0
ちょっとだけ訂正を。
↑で書いた「二元論」はデカルト的な二元論のことで、
随伴説と平行説は心を独自の領域として認めている点で広い意味での二元論に含まれるな。
スレ汚しスマソ。
607 :
604:2011/12/15(木) 07:48:46.92 0
>>605-606ありがとう
なるほど
デカルトが言う意味での二元論は受け入れにくいね
完全に独立していたら感覚を説明できないし
意思とは全く関連のない結果が生じることになる
その分類だと自分は随伴説になるんだけど(たぶん多くの人もそうだと思うが)
観察できる世界では一般的に物理現象は次の物理現象の原因になっているが
精神的な領域だけは次の物理現象を引き起こすことができないと考えると
この宇宙における唯一の例外現象のようでちょっと面白い
いや、精神も物理現象の原因となっていると捉えるのも1つの考え方かもね
そこに自由は無く機械的な橋渡しをしているというだけで
608 :
考える名無しさん:2011/12/15(木) 13:00:23.84 0
今の日本は誠におかしい国になっている。
世界中の笑いものである。
連日のように、韓国料理が、韓国の旅行に、
K-POP(KARAがー、少女時代がーなどと)韓流を促進している。
その元凶は在日に牛耳られた広告代理店・テレビ局・政党…
韓国は、日本が大嫌いな反日国だ。
日本が震災にあった時、日本人が沢山死んだと歓喜に湧いたという。
その後、タイで大洪水が起こり、トルコが大地震で震災した。
どちらも日本が大好きな、親日国である。
特にトルコに至っては友好を超えて、兄弟とまで言われている。
しかし、日本の無能政府とドジョウ総理「野田」の出した結論は、
タイに10億円支援、トルコに7億円支援、 韓国にスワップ(通貨交換)で5兆円提供。
韓国は震災などではなく、自国の馬鹿な政策の失敗でウォンが暴落していた。
それを立て替えてやったのだ、我が日本に巣くう悪魔共は。
支援の優先順位は当然、自国(日本)>他国(震災国)>他国(経済危機)のはず。
他国ならまだしも、自国すらまともに震災復興できてないのに、
反日国を支援する 売国民主党。 テレビの収入源も現在、
朝鮮・韓国系が多くそのため、韓国の悪口は一切いわず、 韓国万歳になっている。
日本より他国が、好きで好きでたまらないテレビ局は、
いつか日本人から見放されるであろう。
自由意志はあるのか。
610 :
考える名無しさん:2011/12/16(金) 23:42:23.27 0
原因を必要としない結果が起こり得る世界があるとしたら、ある
物理法則に還元できない心的状態が原因で起こる出来事も自由意志に依ると言えるんじゃないか
今のところ心的状態は物理法則に還元できると考えるのが無難
で、それに基づくと、
その心的状態は物理法則の執着点であって次の物理現象の原因とはなり得ない
または、物理現象の原因となっていると位置付けたとしても、
それは心的状態を発生させている物理状態の時点で決定されている、つまり自由はない
物理領域とは完全に切り分けられた心的領域があると仮定しても(例えば死後の世界のような)、
おそらくそこでの精神体はランダムな閃きに支配された思考をせざるを得なくなる
自由という概念そのものが人間の創造物で実在していない
>>612 先人の研究成果をすっとばしすぎじゃね
チャーマーズもサールも、随伴説を代表するキムでさえも心を独自の領域として認めてるんだが
物理的なものに心の根本的な原因があることと、心を物理法則に還元できるということは全く別ものだぞ
615 :
考える名無しさん:2011/12/17(土) 12:38:02.49 i
意識が随伴してようが、そのゲシュタルトと同一のものが
行動、反射をする身体に含まれているからこそ随伴する訳で
意識の働きが身体の行動/反射に反映するという意味で
そこに自由意志の存在する余地はあるんじゃないの?
616 :
考える名無しさん:2011/12/17(土) 12:39:39.93 i
意識が随伴してようが、そのゲシュタルトと同一のものが
行動、反射をする身体に含まれているからこそ随伴する訳で
意識の働きが身体の行動/反射に反映するという意味で
そこに自由意志の存在する余地はあるんじゃないの?
自由の定義が難しいな
仮に自分の行動選択が物理状態を含む「何か」で決定されてしまうものではないとして
そうなるとではどうやって次にとる行動を決めているのかと言ったら
(選択肢を複数持つことが前提となるので)素粒子の振る舞いのような確率に基づくものになってしまい
でもこれはいわゆる自由とは別のものだろ?
>>614 その主張をしてる代表的論者はサールだけど、
心の存在を物理現象に還元してしまうのがむしろ多数派なんじゃないの?
と言うか、
宇宙に存在しているものは全て物理的なものだからな
未解明な領域に「何か」を感じているんだね
スカートめくり、みたいなもんだ
まあこの心は実は物理現象でした。チャンチャン。
じゃあむなしいもんな。
622 :
考える名無しさん:2011/12/17(土) 22:15:50.71 0
心の哲学と唯物論という組み合わせにはよく自由意思への錯覚について語られるが
機械論的決定論的文脈の中で必然として発生している喜怒哀楽の人間の心理の中で
喜哀楽は良いとして、怒りの感情はとても無駄なものに思える
特に防衛反応から妙なことに意地になっている人間には呪いでもかけられているんじゃないかと
予定されていたことなのだから、万人を愛せということなのか?
何をもって無駄というのかという問題はさておき、
怒りの感情は動物でもあるわけで。
たとえば猫の縄張り争いの怒りの感情。
ということは、生存に必要な感情なんじゃないのかな?
624 :
考える名無しさん:2011/12/17(土) 22:24:42.67 0
心の哲学は唯物論と、自由の概念そのものの否定という、
あまりにもあっさりとした結論にけっこう簡単に辿り着いてしまうので
そうとは知らずに何年かを費やしてしまった人間は
その過去を無駄にしたくないから屁理屈を呟き続けていかなければならない
気づくのが遅く、かつパラダイムシフトへの耐性がないと泥沼にはまる
まぁ人類にとって必要なものだとは思うけどね
聖書みたいに内容は刷新せずに
せいぜい30ページくらいのメモが代々引き継がれていけばいいレベル
>>624 学問上の一大論争になっている問題を、イデオロギーの問題としてあっさり片付ける。
これこそスマートな問題処理の仕方だな。
思考停止とも言うけどw
自分の行動選択は物理状態に委ねられてしまうのだから、
その物理状態(大部分は脳ということになるのだろう)をコントロールできればよい
コントロールと言っても物理法則を打ち破ることはできないので、
「自分はこうなりたいのだ」と強く念じる
するとその記憶はモチベーションとしてその後の行動選択に影響を与える
結局はそうしたきっかけに出会えるかどうかで
それはやはり巡り合わせということになる
>>625 真実を知ってしまった人間思考停止を酷く恐れるのだ
停止してしまったら生きていけないのだ
彼らは答えを求めているようで
その実答えに辿り着きたくはないのだ
そういうわけじゃない
>>627 思考停止した人間がたどり着く真実。
すごい、全く興味を感じない。
高いアクセ
心的状態は物理法則だっていう意見もわかるが、なんとなく夢がないし、俺は
思考→ニューロンの発火であって、
ニューロンの発火→思考ではない
と思ってるから、思考というのは因果論に左右されないものだと思う。
そして因果論に左右されないものとして有名なのが世界誕生だろう。
だから、心と世界誕生は同じなんじゃないかなと思っている。
ウィトゲンシュタインの「私は私の世界である」も俺はこうゆう形で解釈してる。(ウィトゲンシュタインがこうゆう意味で言ってるわけではないというのはわかってる)
だから、俺らは思考という行為で世界を生んでるんじゃないかなとも思う。
哲学にわかの長文失礼しました。
発火点は外の法則(刺激)に拠るもんだと思う
因果という言葉は仏教っぽいし
なんか股間が臭いみたいな響きで面白いんだけど、
原因と結果の一方のみについて語っているときには
紛らわしいから使うのを避けて欲しいなとよく思う
自由意思は実現され得ず
精神は物理状態の随伴現象であることは今のところ疑いようがないので
人格の同一性の保存のメカニズムの方に力を入れるべきだな
こっちは一筋縄じゃいかないことをみんな薄々分かってて
心身問題を大義名分に逃げ回っているね
よくあるのが、さも十分に議論されているかのような素振りで
具体的でも現実的でもないトンチンカンなことを言ってバイバイするパターン
これができてしまう人間は哲学に向かない
>>634 >自由意思は実現され得ず
そんな結論全く出てないんだが。
まさにこれこそ「さも十分に議論されているかのようなそぶりで具体的にも現実的でもないトンチンカンなことを言ってバイバイするパターン」じゃね。
そもそも今までの話と「人格の同一性の保存のメカニズム」になんの関係が?
随伴説と還元主義を取り違えてるバカがこんなにいっぱいいるのかw
2chで議論しようとすることがいかに無意味かよくわかるな。
あぼーん
638 :
考える名無しさん:2011/12/18(日) 13:26:40.59 0
往生際が悪いのが
哲学者の真骨頂だからな
オラのせいじゃねーだ
オラはまだまだ生きるだ〜ァ
640 :
考える名無しさん:2011/12/18(日) 16:04:32.01 0
心とは、又深いテーマですね。心とは、自論ですが、個人が持って生まれた魂と、
身体の両方に影響するもの。心が病むと身体が衰弱し、身体が悪くなると、心も辛い。
心と身体は深い関係を持つ。心とは最も大切なもの。心の美しい人になりたい。
無意識レベルでは、多分皆が、心の美しい人が好きなのだと思う。
ソフィストとフィロソファーの違いですね
人間自分に嘘をつくことはできないようになっている
本心に向き合える強い心を持っていないとフィロソファーにはなれない
あぼーん
643 :
考える名無しさん:2011/12/19(月) 23:45:31.69 0
自由の定義はさて置き
未来の宇宙の状態に複数の可能性はあるのか?
要するに生物はその気になればある行動選択を回避し
別の行動をとることが可能なのか?
もしこれが可能なのだとしたら
自由と言うのかは分からんが
少なくともガラガラポンの余地はあるということだ
>>643 別に自分からガソリンかぶって火をつけることもやろうと思えばできるんだから、
ある行動選択を回避することなんていくらでもできるだろ。
人間が行動の選択肢をいくらでも作れるって意味で。
あぼーん
646 :
考える名無しさん:2011/12/23(金) 21:02:52.26 0
自由は可能なのかも知れないが
人間の脳には想像不可能なものだな
あぼーん
>>631 >思考→ニューロンの発火であって、
↑
>>632 >発火点は外の法則(刺激)に拠るもんだと思う
↑
発火点=物理現象
と考えると、結局、思考は3次元世界の物理法則と切り離せないものとなるか。
>人格の同一性の保存のメカニズムの方に力を入れるべきだな
単に、脳の物理的特性によって保たれてる、じゃダメなの?
DNAに掘り込まれたプログラムに従ってるだけとか。
「ニューロンの発火」と「思考」のどっちが先かに拘ってる人いるけど、
どうも作用は一方向にしか進まないという意識なんじゃないか?と思える。
あるいは、よりミクロなものがマクロなものを律するための原理になってるみたいな意識ね。
細胞は意識に、意識は細胞に、お互い影響して律しあうという両面・多面性について、
なぜ議論や把握することを避け、あるいは否定するのか。
どっちも正しい、では何故だめなんだろう。犯罪でもないのに。
自分が正しいと主張したいのか、それとも疑問を探求したいのか、どっちを優先してる?
前者なら、昔の賢人や哲学者の儲になると勝手にバックアップが付くから楽だと思うけど。
後者なら、自分の頭で考えて浮かんだことを言葉にしてみるほうがいいと思うなあ。
あぼーん
652 :
考える名無しさん:2011/12/31(土) 00:12:21.44 0
トーマスだせう コラ”q
653 :
考える名無しさん:2011/12/31(土) 00:25:33.75 0
ボアらw
あぼーん
655 :
考える名無しさん:2011/12/31(土) 00:39:17.44 0
いいかげんにしろバーナビー!1
656 :
考える名無しさん:2012/01/12(木) 21:58:55.60 0
脊髄に意識はあるのだろうか?
>>656 意識の定義によっては全くないとは言えなくなるかもしれないな。
まあ常識に照らして考えればないだろうけど。
エナクティブ・アプローチ的な立場ならあるというのかなぁ?
だとすると、脊髄損傷した人の意識はどこか欠けているのだろうか?
二元論でバランスよく生きた方が幸せになれると思う
百歩譲って二元論を受け入れたとしても
こんどは自由意思の定義の問題にぶち当たるんだよね
意思決定を物理法則に握られていないとすると
じゃあどっから出てきたの?
サイコロゲーム?
それ自由じゃないじゃんwwwって話になる
たぶん脳には好奇心を司る部分があって
自分自身に対しても興味が向くようになってて
それで意識が物理世界にフィードバックしてるかのような感じを持つんだろうな
661 :
考える名無しさん:2012/02/04(土) 10:36:34.67 0
思考や行動のトリガーは一先ず置いておいたとして
細胞内の情報伝達って
大部分が物質の濃度勾配頼りなんだよね
濃度の濃いところから薄いところに浸み出すというのが
超ミクロなレベルで次々に起こって、
その結果偶然出会った分子同士で化学反応が起こって、
そういうのの総体として俺たちの身体は動いている
ナトリウムチャンネルとか知らんか?
どう違うの?
しかしそれらのチャンネルもまた熱力学第二法則に従って発生しているという罠。
答えを求めるとき
その答えを求めている意識が絶対だという前提になってることは無いか
認識、思考するというような概念(あえて概念という)が
絶対だと思わずにはいられないのがあるのではないか
我々が考えるとかそういう風なものを超えた、いや超えたとかいうのも結局は思考からきているから我々がやることは全部無意味だ、という事ぐらいしか言えないが
結局その程度で、何もないのではないだろうか
俺の言ってることが正解で、正解じゃなくて、無駄で、無駄じゃなくて
意味があるようで、実際意味があって、でも実は意味がなくて、それも嘘で意味がなくて、考えて、考えて、言葉遊びで
全部が嘘で、本物で、精神病で、不可知の領域で、不可知の領域という認識をしていて、認識を認識していて、認識が絶対だと思いこんでて、思考は無限大で、無限大というのは言葉で
数学は絶対で、数学は絶対じゃなくて、中二病で、わかっているようで、わかっていて、わかってなくて
逃げたくて、逃げたくなくて、知能ありきの答えで、無視して、他人がゾンビで、他人が自分で、君はいなくて、君はいて、いて、いなくて
精神科行ってくるか、行ったことないけど
しかし仮に哲学的ゾンビだけからなるコミュニティがあったとして
そこで「精神」という言葉は誕生するのだろうか?
スピリチュアリズムを勉強すると全てが自動的に解決するよ。
669 :
考える名無しさん:2012/02/28(火) 22:55:20.75 0
心は幻影
実際に存在するのは脳の化学反応でしかない
670 :
名無し募集中。。。:2012/02/28(火) 23:58:01.46 0
>>631 まず、思考ってのは心的出来事な。(心脳同一説を採らない限りは)
そうすると、思考とニューロンの発火(物理的な出来事)ってのは相関関係なわけだ。
因果関係っていうと、普通は、ある出来事が別の出来事に先行して起こるわけだけど、相関関係ってのは同時的なわけだ。
671 :
名無し募集中。。。:2012/02/29(水) 00:01:11.73 0
>>631 でな、一般に心身因果問題っていうときには、心的出来事→物的出来事っていう現象のことを問題にする。
例えば、エピフェノメナリズムっていう立場があるけれど、これは物的出来事→心的出来事は認めるが、心的出来事→物的出来事は認めない。
672 :
名無し募集中。。。:2012/02/29(水) 00:03:31.70 0
>>631 問題の焦点は心的出来事に因果的な効力を認めるかどうかっていうところにある。
で、心的因果をあくまでも認めたいならば、エピフェノメナリズムを超えて、心的出来事→物的出来事を認めなくてはならない。
心的出来事の前に物的出来事が存在しています
物的出来事が先に起こって、心的出来事が後に起きる、とする。
例えば脳の物的出来事の0.5秒後に心的出来事が起こるとする。
すると、脳の物的出来事の0.1秒後に、脳を爆破しても、さらにその0.4秒後には
心的出来事が起こることになる?
というのは某所からのパクリだけど、ちょっと面白くない?
まぁ、その0.5秒って言う設定が何に起因するかに依るんだと思われ。
物から起因されるのであれば、起こらない。
心から起因されるのであれば、起こる。
(ただし、爆破は物のみを破壊する、と読んだ場合)
676 :
考える名無しさん:2012/03/01(木) 10:38:39.75 0
心の定義が曖昧なんだよ
心を物理的に定義しないと物的出来事への因果的作用を説明できない
そうかな 念力や念写があるだろ
678 :
考える名無しさん:2012/03/04(日) 13:52:54.71 0
物質も入れ替わるし
記憶や経験も変わるのに
自己は保存されると思っているから
将来に備えて勉強したり貯金したりする
「適者生存」はこの「生存」の単位が哲学で話題になる自己のことだよな?
俺たちとは全く違う精神体(八百万の神々みたいのがいたとして)が
物質的な意味での適者生存を語っていたりしてな
例えば「金や希ガスは適者である」みたいな、、、
中二病スレ
680 :
考える名無しさん:2012/03/23(金) 20:49:57.50 0
唯物宇宙に耐えられなかったんですね
心とはニューロンの発火パターンのことだよ
唯物論は不要だよ。
まるで現実のように思えた夢から覚めたときの、あの失望感。
心とはそのとき見た夢のようなものだよ。
684 :
考える名無しさん:2012/04/29(日) 19:38:05.37 0
685 :
考える名無しさん:2012/04/29(日) 20:18:44.60 0
唯物論とは、ヘ−ゲルの論理哲学である、唯心論的弁証法の対極として創出した
理論と考えられる。唯物史観は唯物論的弁証法であり、フォイエルバッハに
より理論的な形が整ってきた。しかし、客観的にみた場合、主観的実存としての
自分(精神)と客観的存在(物質)の両方は実体であり、唯物論と唯心論の両方の関わり
がなければ片手落ちとなり、必ず理論の歪みが生じる。ここに西洋文明の崩壊の原因が、
ある様に思われる。
686 :
考える名無しさん:2012/05/10(木) 04:08:16.29 0
768
他者の複数性によってのみ基礎付けられる心の概念に興味がある
689 :
考える名無しさん:2012/05/10(木) 21:30:01.01 0
自分はエベレット解釈の方の立場なので、
プロペシアに踏み切れず、髪の毛を失った俺もいるんだろうなぁ、、、
とか、たまに考えるよ
こっちに分岐した俺の主観は、比較的幸せだったと思う
>>649 >細胞は意識に、意識は細胞に、お互い影響して律しあうという両面・多面性について、
>なぜ議論や把握することを避け、あるいは否定するのか。
>どっちも正しい、では何故だめなんだろう。犯罪でもないのに。
物質と、物質同士の関係性は、同時に存在するよね。
どっちか無くなれば、恐らく無になる。と思う。
691 :
考える名無しさん:2012/05/14(月) 19:04:52.94 0
>>690
物質と精神とに分けると言う考え方は、ギリシャ時代よりあったが、デカルトが近代哲学
に於いて確立した。デカルトによって二元論(精神と物質は、互いに独立した存在としうる)
が社会の主流となって、今日に至っている。しかし、人間は一つの生命体であり(生命エネルギ−)、
物質と精神は、互いに自立しながら、実体として存続しているのだと思う。吉本隆明氏も同じ様な考えを
述べている。
吉本厨w
我が心ゆるさんどZ
唯物論ってなんか欠点があるな
特に嗜好品と脳内快楽物質との相関性を無視しているような・・・
快楽も脳内物質の作用ですよ
697 :
考える名無しさん:2012/05/24(木) 10:55:54.40 0
>>691
デカルトは二元論で(精神と物質は互いに独立した存在としうる)と定義し、社会の主流
となって今日に至っていると述べている。又、物質と精神は互いに自立しながら実体として、
存続していると述べている。ここで、肝要な事は、物質と精神が、どの様な形態で互いに「自立」
するかであると思う。つまり、物質と精神が一つの生命体(生命エネルギ−)として互いに自立しながら、どの様にして
「調和」するかが重要であると思う。その「調和」する方法を考えるのが、これからの「哲学」の方向であると思う。
議論をしている所に真に申し訳ない、ちょっとお邪魔します。
このスレの住人ではないとは思うんだが、もし心当たりがあったら教えてほしい。
心の哲学を用いて自論展開しながら荒らす奴が、数日前からメンタルヘルス板にいるんだけど、誰かそういう奴の心当たりないかな?
例えば、「メンタルヘルス板の奴らをからかってきます」のような書き込みをする奴とかいなかった?
699 :
あらわれ:2012/05/27(日) 06:41:13.70 0
>>
まず、
心などというものはない。
ここから入門しましょう。
700 :
考える名無しさん:2012/05/27(日) 13:17:16.55 0
西洋哲学の基本概念である「同一律」は意識の問題であると同時に存在(表象としての物質)の
問題と思う。「同一律」を理論的に考察する事が、唯物論の本質を解明する事に繋がると思う。
701 :
考える名無し:2012/05/27(日) 13:27:00.12 0
汎神論=神と宇宙は一体であるとする宗教・哲学観
はじめから、調和をめがけてるわけか。
703 :
あらわれ:2012/05/28(月) 00:34:12.51 0
達磨がインドで悟って、教えを広めようとして中国に渡って来た、誰も寄ってこない、
それで面壁九年、
坐禅していた達磨に教えてくれ、「私の心を安心させてくれ」と二祖が雪の中に立って教えを請いに来た。
こいつはまだまだだなとふんだ達磨は教えなかった、
二祖は自分が熱心じゃないから教えてくれないんだなって、
自分の腕を切り落とした。
それで斬った腕を拾って掲げ、頼むから私の心を安心させてくれと懇願した。
二祖の覚悟を見極めて、
「お前の心を安心させてやるから、お前の心をここに持って来なさい」、
そう言われてもその心が分からないから持っていけないって二祖は答えた。
そうしたら達磨が「お前の心を安心させてやったよ」。
やはりここが分からない
クオリアからの物理領域へのフィードバックはないにも関わらず
生存に有利となる反応には必ず心地良さが伴い、不利な出来事には苦痛が伴う、それを詩にもする
>>704 意識随伴説か、あるいは、意識の働きと同期した物理的機構が身体に備わっているか。
後者は認識の上での完結した自由意志が担保されていると俺は思う
706 :
考える名無しさん:2012/05/28(月) 21:17:40.57 0
意思界から物理界へのフィードバックがない、
要するに一方通行というのは
パプアニューギニアの原始人がシャックリをしたらグリーンランドで雪が降る、
みたいなのとは、どっかが違うはずなんだよなぁ、、、
この例だと原始人には雪という概念を知る由はないけど、
俺たちは実際に意識が捉えた痛み悲しみ快感を言語にしている
707 :
考える名無しさん:2012/05/29(火) 12:53:19.67 0
「言語」、「表情」と言うものを、意思界から物質界への、一種のフィ−ドバックと考えられないだろうか。
言語というのは、意識の働きで物質的機能が連動した状態と思われる。
パプアニューギニアに「原始人」はいないのだが
「原始時代の生活様式をこんにちでも継承し続けている人たち」ならいるのだが
「原始人」と「原始時代の生活様式をこんにちでも継承し続けている人たち」
って何が違うのだろうか?
共にホモ・サピエンスにして生物学上の違いは無いと考えられるのだが…
生まれた時代の違いか?
奇しくも定義することは哲学の1つの使命でもある
リベットの実験で心は脳の産物であることは決着ついてます
3000年後には人間は精神生命体として生きていくと、
宇宙人バシャールは須藤元気との対談で語っていたので、
まあ、心が主体で、肉体はオマケ
俺はバシャールなんか信じねえ。
藤子・F・不二雄の『モジャ公』を読めば分かるが、肉体無き精神だけの存在が支配する地上など、
偽りではないか。
文化相対主義や他文化主義の文脈では
「原始人」って言い方を現代の誰かに向かってするのは偏見になる
「原始」という言葉は「初期の」って意味だと思うんだけど
ホモサピエンス15万年の歴史の14万年目くらいまでの連中までが
「原始人」と言われているという矛盾
須藤元気にはガッカリ
k-1では好きだっのに。
せっかく買った私の勝負パンツどうすればいい!!
716 :
考える名無しさん:2012/06/04(月) 18:46:09.37 0
あの男も
登場したときから怪しさ全開だったよな
考えるのをやめるのが最善の道であるというのが俺の哲学
それを諦めと言う
諦めを負けだと思う人間は不幸になる
後付け乙
>>717 顕在意識で思考する事を止めると、
自動的に潜在意識で整理された答えが出てくるよな。
閃き、神の啓示、悟り、言い方は違えど、全てが潜在意識を活用した結果だ。
ちなみに俺は、脳内googleと思う事にしているw
ぐぐるさんみたいにレスポンスが良ければいいけどな
大抵は輻輳中の携帯みたいなもんで、鯖缶とパケロスばっかりだよw
全宇宙のあらゆる次元の時空間と粒子とエネルギーとが
完璧に物理法則に従い淡々と移りゆくだけ
無論俺たちも含めて
725 :
722:2012/06/10(日) 06:23:25.29 0
>>723 可塑性があるから、繰り返し使う事で、効率良く使えるようになってくるよ。
俺なんか意識の切替し難かったり、忘れ物激しかったりと基本スペックが低レベルなせいか
より実感しやすいw
意識が物に依り、物も意識で変わっていくループの良い例だと思うから、
唯物論の人は実践して証明すると良いと思うw
オカルトスレかよw
>>725 唯物論なんて言葉は神秘主義のやつしか今時つかわん。
だいたい、意味わかってないしな。
728 :
考える名無しさん:2012/06/23(土) 22:25:20.76 0
唯物論から逃げたら負け
>>726 オカルトすら哲学で説明できるというのが
唯物論の立場だと思ってるんだけど
説明だけなら何だってできる。
信じるしかない前提の承認の上での物語ですから。
「唯物論」という単語が紛らわしい、「物理主義」と言えばいい
宇宙は「原因があって結果がある」か「ランダム」のどっちか、あるいは両方
そう考えれば心の哲学の1つのテーマである自由意思の「自由」という概念が
定義できない=実在しないもの、ということがあっさりと分かってしまう
>>731 複数の原因と結果がある場合、どちらか一方を選ぶ自由すら無い?
それらを選択する為の脳神経中の電流があるとして、
それも結局ランダムでしか無いかな?
そういう実験てなんかあるかな?
733 :
732:2012/06/25(月) 00:27:42.46 0
>>731 「この世界の中で生きている限り、
何やるにしても結局この世界の法則に縛られる他の自由は無い」
という意味なら同意。
734 :
考える名無しさん:2012/07/23(月) 20:44:14.69 0
妖怪に「なんか用かい?」と尋ねてみたいですね
735 :
考える名無しさん:2012/07/24(火) 21:10:41.02 O
死んだらどうなりますか?
あなたが死んだら死体となり、灰となり、自然に帰っていきます。
私が死んだらこの世界がどうなるかはわかりません。
この非対称性分かります?
737 :
考える名無しさん:2012/07/25(水) 21:49:56.99 0
アホな社員のために会社がヤバイんだが
あいつらのアホな行動選択も厳格に物理法則に従ったもので
回避策はなかったのだと考えると
なんかこの世界って虚しいな
精神論が空吹かしになる理由
クオリアとかいってるやつはバカ
自由意思はリベットの実験でとっくに否定されています
プログラミング言語でいう機械語の上に高級言語の関係が
物質界と意思界との心の関係だろう。
どちらが先行してるか、どちらが原因かという関係ではない
742 :
考える名無しさん:2012/07/26(木) 09:24:30.99 I
意識的概念は人間意外の動物や虫にも存在しますか?
動物に聞いてみたら?
点描を考えてみたら
点と点の距離や密度を数値化してあらわしたのが物質界であり、
あるフィルターを通して点の分布を解釈したものが意識界=心の世界だろう
というか、志向性の問題だね
746 :
考える名無しさん:2012/07/27(金) 08:57:57.66 O
脳をハードウェアとソフトウェアの概念として、ではソフトウェアが意識なのか?と考えると違うような気がする。
ソフトウェアはプログラムを実行するためのものでそれ自身が知覚をもつと言えない。
そうすると何かホムンクルスのようなものを想定しなければいけなくなると思う。
747 :
考える名無しさん:2012/07/27(金) 15:59:57.58 0
脳を「物質」と「精神」に分けて、ここに主観的領域と客観的領域を
付け加えると分かり易いと思う。 デカルトの「私は考えるゆえに私は存在する」は
自己を基底とした主観的存在(精神)であり、「自己同一性」の世界観を構築している。
それに対して、客観的領域とは自我(主観)から独立した領域と考えられる。
主観的存在(自我)は精神的領域のことであるので、客観的存在とは、物質の世界、つまり
「唯物論」的な世界と思う。
二次内包に一次内包が付随するかどうかでしょ。
付随するなら唯物論。
wikiみたらほとんど解決されてるみたいじゃん。
まだ問題残ってるの?
750 :
考える名無しさん:2012/07/27(金) 19:27:52.52 0
残ってないけど
世間にはあんまり浸透してないし
知ってる人間同士で話すと結論出てることだから発展しない
だからこういうところで色々思いを巡らすのは面白い
付随説を支持します
批判として哲学的ゾンビが用いられれますが
他人の意識体験などどうやっても確認しようがないので同じことです。
752 :
考える名無しさん:2012/07/27(金) 19:51:32.54 O
何がどう解決しているんですか?
753 :
考える名無しさん:2012/07/27(金) 19:53:39.60 O
付随してても「心」があるなら二元論じゃないの?
随伴説支持って書いてけど中立一元論だった。
これで終了でいいのかな。
755 :
考える名無しさん:2012/07/28(土) 08:08:59.75 0
随伴現象を物理現象と定義すると、物質世界と精神世界の間の因果関係が一方通行
暗黒物質の正体の可能性の1つとして考えられている別次元から一方通行でやってくる重力子みたいなもの
何にしても原因があって結果があり、自分が経験している宇宙はたった1つの歴史の可能性を淡々と刻んでいる
756 :
考える名無しさん:2012/07/28(土) 16:32:38.42 O
「死んだら意識が消滅して無になる」で決着済み?
757 :
考える名無しさん:2012/07/28(土) 19:39:42.95 0
医療が発達して人間が1000年も生きるとか一部で言われているけど
脳の記憶の容量も限界があるはずだから
どっかで過去の記憶を消さないと新しい記憶ができなくなって
死ななくてもやがて別人格になってしまい、
意識が消滅して無になるのと同じことにならないかね?
758 :
考える名無しさん:2012/07/28(土) 20:09:39.59 O
今でも小さい頃の記憶なんて忘れてるんだからあまり関係ないと思うよ。
サヴァンな人の話なんか聞くと容量が底無しの印象を受けるな
例えば音楽、数個の音階と数オクターブと数分以内という組み合わせだけでも
何千曲ってあり、しかもこれからもまだまだ増えていく。
人間の脳細胞の数とその組み合わせパターンを考えると
有意な範囲でほぼ無限の記憶容量があると思っていいんじゃないの?
761 :
考える名無しさん:2012/07/29(日) 00:47:21.52 O
でも大抵の人はそんなに記憶力ないし、加齢による記憶力低下もある。
それに忘れることによって救われる事もあるんだから悪いことばかりでないはず。
762 :
760:2012/07/29(日) 01:40:49.96 0
>>761 その話はどっちか言うと、記憶した情報を管理する能力であって、
脳が情報を記憶する能力とは別だと思うよ。
「覚えていない」というのは、脳に記憶した情報は残っているけど、
それをその時点では検索する事ができない、というだけの事が多い。
そうじゃないと、覚えていないと思っていた事を、時間が経ってから何かのきっかけで
思い出す事がある事の説明がつかない。
763 :
760:2012/07/29(日) 02:06:49.45 0
ちなみに、
>>757の「脳の記憶の容量」とは、
PCに例えるとHDD等の外部記憶装置であると解釈し、
自分もそういう意味で答えた。
>>761の「記憶力」とは、
PCに例えるとCPUのキャッシュメモリ、ワーキングメモリであり、
それを管理する能力の話だと思った。
スーパーヴィーニエンスを予定調和説か何かだと思ってるやつがいてワロタw
765 :
考える名無しさん:2012/08/08(水) 03:32:30.68 0
supervenience言いたいだけなのは分かった
中立一元論=性質二元論=自然主義的二元論
かつ機能主義
これでファイナルアンサー
767 :
考える名無しさん:2012/08/08(水) 12:46:45.26 0
ぜんぜん
768 :
考える名無しさん:2012/08/08(水) 13:43:05.98 0
二項対立でしか人間はを考えられない
769 :
考える名無しさん:2012/08/10(金) 20:06:44.83 0
色々変な用語作るなよと言いたい
唯物論の1つで十分
770 :
897:2012/08/10(金) 20:15:31.86 0
こんやもキチガイがさわいどるわい
771 :
考える名無しさん:2012/08/10(金) 21:16:36.27 0
二項対立は偏桃体によるステマである。
大脳新皮質は古き脳による情報捏造工作を常に受けている。
どこの897だろうなーw
773 :
考える名無しさん:2012/09/12(水) 08:03:44.85 0
見聞きして感じたものに対して
細かに感想を述べることができる
物質である脳が発生しているクオリアから何かを受け取っていると思えてならない
でも脳の全ての物理的な振る舞いを計測することができたとしたら
おそらくクオリア抜きで全部説明できてしまうのだろうが・・・
クオリアが脳活動の産物でしか無いとするなら、
受け取ると言うよりは、発生した時点でその情報を記憶し、
その記憶した内容を評価しているだけだと思う。
どう記憶してるかは分からないけど、記憶しているから、
幻聴、幻肢、幻痛というものを覚える人が居るんだと思う。
775 :
774:2012/09/12(水) 12:08:55.23 0
なんかこれだと、結局発生してから脳で受け取ってると読めるか・・・難しいなぁ
要は、脳活動による神経伝達物質とかホルモンとか、そういうものの変化を記憶し、
その記憶を評価した結果がクオリアでいいんじゃないの?て事。
こんな何人がかりで考えても専門の科学者の仕事には及ばないんですね
クオリアも所詮シナプス発火のパターンだよ
778 :
考える名無しさん:2012/09/13(木) 08:20:55.25 0
次の発火の原因となり得る発火同士が何らかの理由で
同じ人物のクオリアとして経験されるんだな
779 :
考える名無しさん:2012/09/30(日) 17:43:51.99 0
自分は若い頃陸上短距離をやっていたので
筋肉をつけるためにたくさん食べていた
子供の頃は少食だったから、
もっと食べていたら身体ももっと大きくなっていただろうなとかよく考えるんだが、
まぁどういう食い方したかもその時その時の物理状態で決定されていたというのはさて置いたとして、
自分を向上させるために自分の身体を構成する物質を今とは別のものにしようというその営みは
自己というものが身体を構成する物質の影響を受けずに維持されていくものだと
当り前のように思っているからなんだよな
不思議なもんだよ
子供の頃は、
「自分の身体を構成する物質を今とは別のものにしよう」
じゃなかった気がするけどな。
牛乳を飲めば背が伸びる、と信じてたとして、
それは牛乳分が自分の中に増えるだけであるとしか思ってなかった。
外から何かを取りこむというのは、自動車にガソリンを入れるのと同じで、
得るのも減るのもガソリンだけで、自分自身が変わるとは思ってもいなかった。
781 :
考える名無しさん:2012/09/30(日) 18:03:51.93 O
陸上短距離はおれも短い期間やっていたがあれはやればわかるが
才能に差を感じすぎてしまう。どんなことをしてもある人間と
差が詰まるわけではなくトレーニングをすればするほど虚しくなる
長距離は努力をすればするほどみんなとどんどん差が詰まる
そういうもので陸上は食べることが非常に重要でおれが思うに
飯は食べ過ぎない食べなさ過ぎない。不味い飯は食わない。
炭水化物脂質は必ず取るが取りすぎない。たんぱく質ビタミンミネラルの
多く含む食品は比率を多くがモットーだ
782 :
考える名無しさん:2012/09/30(日) 21:52:41.54 0
人間の顔とその表情を見ながら話していると
感情と自由な思考力を持った意識体がそこのいるかのように思えるけど
これがもし頭開いてて脳が剥き出しになっていたとしたら
目や口の動きも発せられる声も
「ああ、これらは全てハリボテで、
この巻きグソみたいのから発せられている信号に応じた機械的な反応に過ぎないんだよな」
とか冷静に考えそうだな
シナプスの発火パターンとかのモデルのアイデア性ってなんだ?
要素を配置し関係を与えただけでは単なる科学じゃん
単なる科学でなにか問題でも?
785 :
考える名無しさん:2012/10/06(土) 06:58:45.08 0
経験科学とは一線を画した哲学的見地から人間の本質規定を求めてみる
要は数理モデルとかは使いたくないというわけね
単なる片輪の科学でガキや一般人を楽しませることはできません
アマチュアは解明だけで面白味が皆無
歴史に名を連ねる学者に比べて致命的に発想がショボい
猿でも思いつくありきたりな結論のために一所懸命になる姿には惚れ惚れします
子供は大人以上に科学大好きなのでは?
歳とるにつれてアレルギー発症したりするし
科学では割り切れないものをいっぱい見聞きするからね
皮肉で返してもらったところ悪いけど、
割り切れないから曖昧模糊とした哲学的見解だけに留めておこう
というふうに聞こえるよ
割り切れないものは割り切らない
それが俺たちのジャスティス
理論>>>||無限の猿の壁||>>>経験
793 :
考える名無しさん:2012/10/07(日) 05:17:27.82 0
割り切れないなら割り切れるまで待とうホトトギス
待ち切れないと言うか、色々な損得勘定も計算に入って
いい加減な結論をでっち上げる、宗教とか経済学とか
自然科学の分野には、物理の未解明の部分は若干あやしいところがあるが
デタラメな方向に行かせないような自浄能力がある
哲学は扱う領域がぼんやりしてるだけに、根拠の甘い安易な結論に走らないような
自制心が必要だね
昨日「アレクサンドリア」という映画をレンタルして見ていたんだが、
古代ギリシャからの自然哲学が根付いていたエジプトにローマ帝国からキリスト教が入ってきて
研究が途絶えちゃったみたいな内容
キリスト教がなかったらヨーロッパは5〜6世紀にはニュートン力学には辿り着いていただろうな
文系学問は学者によって理論が違うから懐疑的に見れるな
たまに盲信する人もいるが
キリスト教に存在意義はあまりなかったんかな。
精神科学的にも物質科学的にも。
キリスト教がなかったら今日あり得なかったであろう重要不可欠な
文化・文明があるとすれば、どんなものがあると思いますか?
796 :
考える名無しさん:2012/10/07(日) 13:10:26.64 0
「キリスト教がなかった世界」を想定できるほど宗教とか歴史に詳しくないけど、
キリスト教じゃなくても、科学の発展の障害になるものは色々あったんだろうな
会社の同僚たち観察してても、組織としての利益をチビッと犠牲にして仲間にチビッと迷惑かけて
個人的にチビッと得をしようって、自然にやってる、人間の性なんだね
自然人文社会、色んなテーマを扱った教養番組がTVでやってるけど、
唯物論とか絶対に取り上げられることはないんだろうな
真理でありながら、あんまり表に出てきちゃいけない考え方だってことをみんな理解してて
気づいてないふりしたり、ちゃぶ台ひっくり返して誤魔化し続けてきた
しかし科学が何の障害もなしにすごい速さで進歩していたら、
科学を使う人のあり方についての問いのない世界だったら、
科学は暴走して、とっくに人類を滅ぼしていたかもしれない。
キリスト教はキリスト教なりに人としてのあり方を問うものだ。
「キリスト教は科学の進歩の障害だった」という言い方も
できるかもしれないが、
「キリスト教は科学の盲目的進歩のブレーキだった」という言い方も
できるかもしれない。
もちろん、キリスト教が完全な宗教だと考える人の方が少ないだろうから、
今後は(というか今はとっくに)そこに仏教とか他の宗教や
いろんな思想哲学も加わって、人と科学の関係が問われる時代だ。
人類が滅びる前に答えが出ればいいのだが。
宗教は科学に対する、力による本能的抑制
(科学者本人の)哲学は科学に対する理性的統制
>>797 ローマ帝国やキリスト教がなければ
コペルニクスやケプラーは1000年早く誕生していたと思うけど
かと言ってその100年後にエジソンは生まれなかっただろうな
現代の相対性理論とか量子論なんて、基礎科学が実用性の遥か先を行ってる例だよね
人間自身が科学に追い越されない、自らを滅ぼさないためには、
生物学的な意味でもう一段階進化しないとダメだろうね
残念ながら人間は弱肉強食が遺伝子に叩きこまれた動物の一種
まぁ理想郷を実現するのは人間じゃなくて次の知的生命でもいいとも思うが
唯物論の最大の弱点と言うか、人間の心情と相容れないのは
過去の全ての行動選択が必然の結果であり回避不能だった訳だから
果たして犯罪を裁くことは正義なのだろうかという疑問にぶつかってしまうところなんだよな
さらに物質を中心に考えると、
何年もすると見た目が維持されてるだけで中身が完全に入れ替わってる人間が
過去に犯した犯罪への責任を継承していると考えていいものなのかとなってくる
心情面を根拠に現行の刑法なんかを容認してしまうと
神様とか経典とかを頼りにデタラメなことやってきた宗教と同じになってしまう
ちなみに自分は個人的には、姿を変えながら今は市民権を得たキリスト教も
誕生してからしばらくは立派なカルトだったと思ってる
>>800 えーとさ、
>過去の全ての行動選択が必然の結果であり回避不能だった訳だから
当然、犯罪を起こす事も必然であり、
起こった犯罪を裁く事も必然だよね。
なんか問題あるの?
それを言ってしまうと身も蓋もない
心の哲学自体が、どうせ必然じゃん、答え分かってるじゃん、考えても無駄じゃん
生きてても無駄じゃん、になっちゃう
必然的な動物的心理的行動に対する第三者の裁判行為に必然性はあるのか?
感情的裁判ならば必然的か
裁かないのは必然ではないのか?
どういうわけか裁判や刑罰は犯罪を抑止するんだっていう統計があればいいんじゃね
>>802 いやだからさ、
全ての事象は物理現象からくる必然
だとしても、
人間は、全てを知らないでしょ?
全ての場所と、全ての行く先を完全に把握もできないでしょ?
だとしたら、知らない事を知ろうとし、知った事で判断するしかないでしょ?
そうなら、何かが全ての必然であろうが無かろうが、変わらないんじゃない?
全てを知ってしまい、全ての場所と、全ての行く先を完全に知ってしまってから、
>心の哲学自体が、どうせ必然じゃん、答え分かってるじゃん、考えても無駄じゃん
>生きてても無駄じゃん、になっちゃう
とか言おうよw
806 :
805:2012/10/09(火) 22:55:50.21 0
ちなみに俺は、唯物論とは、
それが確かだから、物質は存在できてるし、思考する事にも意味がある
必然じゃなくてカオスだとするなら物質や思考は存在できない
と思ってるし、そう捉えるだけでいいんでないの?と思う
伏せられたトランプの一番上の札が何であるかは既に決まっているとしても
めくってみるまでは何なのかわかんないしな
決定論者だろうと非決定論者だろうと一緒だよ
でも非決定論者のほうが人生楽しそう
唯物論者は行動を起こす場合、脳内物質の一つ一つに指示を出し、筋繊維の一本一本を選択し操作しなければならない
手足や口を動かす場合に、物質以外の何ものをも意識してはならない
意識って「この意識」と思う前に既に決定してるらしいね
「この意識」は「この意識」と決める事はできない
「この意識である」と評価しフィードバックするために「この意識」は存在する
決定論でも楽しいと思うけどなー
どーせ知らないんだから
勝負とかでも
「どっちが勝つのが必然か、決めようじゃないか」
とか燃えると思うしw
811 :
考える名無しさん:2012/10/10(水) 19:37:39.56 0
機械的決定論者と観念論者の戦いは、
ピュアオーディオマニアと機械オタクの戦いであり、
1m100万円するケーブルとか高い部材を使うと、音の違いが、ほんとうに、本当に確認できるのか、という問いが発端なのだと思うよ。
唯物論で何か問題あるの?
>>807 決定論だと「わからない」だけだから楽しいけど、
非決定論は決まってないとするんだよ。伏せられたトランプの一番上の札が決まってないの。
既に4枚A(エース)を持っていても五枚目が出てくるようなカオスなんだよ。推理も糞もない。
考えてみれば、
非決定論宇宙の姿というものをあんま想像したことがないな
いったいどういう感じなんだ?
空中の物体に重力が効かないから、落ちない
そもそも重力なんてない?
落ちないで静止しているのは慣性とは言わないの?
じゃあランダムに動き始めたとして、その動きにまったく慣性がなければ
いったいどんな運動になる?
二元論って道徳とか罪の概念を正当化するための手段だね
唯物論を否定する人は心を実体的に捉えすぎているんだと思う
そうとも限らないでしょ。、
一次内包に二次内包が必然的に付随しない立場は、べつに存在論的な物理主義というわけでもないし。
バカ者登場
ルーチンワークにおいては意識は結果にすぎない
ネットとかケータイとか作って電流や電波が網の目のように駆け巡ぐらせたり、
様々な化合物を開発して何億人の健康状態をコントロールしたり、
苦労して精密で複雑なこと成し遂げているように見えるけど
これらも全て物理的必然に過ぎないんだよな〜とか考えると
噴火で地下の埋蔵物が地上に出てきたり、海流に乗って物質が地球上を循環したり
そんなのにも「俺がやってる」って思ってる奴がいるんかも知れないよなぁ
雨が降るのは人間からしたら物理的必然だが、
その意味では人間が我慢できなくなって放尿するのと何も変わらん訳だ
物理的可能性も含めて、必然や偶然の意味というか、
様相概念に関する言語的事実もこの現実に含まれてるわけ。
だから運命論とすべては必然であるという考えは一致しないのではないか、
ということをさいきん入不二基義が言っているよ。
2chの後追いだな
永井といい、プロ哲学屋はもう駄目だ
2chのどこにそんな議論があったんだよw
あいつらはアイデアぱくって体裁整えて売文してる下衆
何の話?
>>813 トランプというゲーム自体が「決定論」に支配されている
ルールの無いゲームは成立しえない
ネットの発達で誰でも発信者になれるようになったら
名も無い一般大衆の中にその道の第一人者みたいな人たちと
同じように考えてる人間が幾らでもいる事実を隠しきれなくなった
自然科学はインフラを持たない素人は専門家に太刀打ちできないが
人文社会はむしろ専門を絞り込んだ奴のが袋小路状態になるんだろうな
例はあげられる?
またイジワルな要求をw
イジワルかもしれないなと思ったけど
どういうレベルのものを「同じ考え」と言ってるのかなと思って
哲学書って読者をわけのわからないことに引きずり込むときに
当たり前のことやあるあるネタを取っ掛かりにすること多いけど
そこを当たり前じゃん!とか言ってキレる人いるでしょ
例えば哲学的ゾンビなんかの概念を解説された人が
「こんなん俺も子供の時に考えたことあるわ!」って本閉じるとか
そんなレベルの「同じ考え」を抱いている人がいるってのなら
まあそうだねと
完全一致を求めてたら世界中がオリジナル哲学で溢れてしまうな
832 :
考える名無しさん:2012/10/14(日) 20:29:40.94 0
そう言えば哲学板って2ちゃん奥義の「ソースは?」をあんま見ないよね
ソースとか実例とか気にせずに、勝手気ままに妄想垂れ流したいと思ってる人が多いからな
いやいや
「フッサールの」と言うだけでソースになるんだろ
まぁここは事実上の唯物論スレになってるから
妄想のしようはあんまないんだよな、ソースも別に必要としないし
自分たちの日常や身の回りの出来事を唯物論を通して見てみて
「ほほう〜」っていうのが面白いくらいかな
836 :
考える名無しさん:2012/10/22(月) 20:12:19.05 0
身体を構成する物質が完全に入れ替わるから
時効で罪が帳消しになるのだろうか・・・
838 :
考える名無しさん:2012/10/26(金) 05:20:46.18 0
>836
物質が記憶しているならね
議論が起こらないのはすべて解決されてしまってるから
じゃあこれからはその結論から何を導きどう広めていくかだな
841 :
考える名無しさん:2012/10/29(月) 22:14:16.41 0
なぜ脊髄にはクオリアが生じない、
または知覚できていないか脳とは隔離されている?
脳に主体性があるとは言わんが、我々は自分=脳だと思って行動している
重病を患った金持ちが未来での治療に望みを託して脳を冷凍保存するなんてことしてるけど、
脊髄が「ちょっと待ってくれよ、俺も残せよ」と口を挟んでくることはない
脊髄反射は「考えてから行動したんじゃ間に合わない」から進化の中で身に付いたものと習ったが、
唯物論的には脳を経由したからと言って「遠回り」はしているけど「考えて」いる訳ではない
だとするとこの「遠回りすること」がクオリアのトリガーになっているのか?
何か変だ
「考える」「クオリア」には唯物論で説明できない何かがあるのではないか?
まぁ別の理論で説明可能になって時点でその理論は物理学に組み込まれるんだろうけど
自分の立場はデネットと完全に同じではないものの似てます
つまりクオリアというものがあるにはあるけど
それは科学において特異性や新奇性を持ったものではない、という考えです
チャーマーズの分類だとどれかな
デネットとかチャーマーズとかよく名前見るよね
20年ぶりくらいで唯物論が面白くなってここ見るようになって
自分は生物とか物理とかからだったから哲学者は全然知らなくて、
手始めと言うかサールという人の本読んでくたびれた上に色々無理を感じたので
この人たちのはまだ手つけてないわ
今語学と歴史やりたいからちょっと時間かかりそうな本は躊躇してしまうんだが
そんな私になんかお勧めありますか?
ここは唯物論そのもののスレじゃなくて
スレタイにあるように「心の哲学」のスレでしょ
心の哲学において唯物論と二元論という立場があるってことで
そもそも二元論って概念自体が曖昧なんだよな
仮に二元論なるものの証明に挑戦したとき
そのアプローチは物理学やその延長としての現在の人類が使いうる諸科学を用いたものに
ならざるを得ないんじゃないかな
そうすると二元論が単にまだ証明しきっていない分野の1つ、
物理の世界でよく「預言」とか言ってるものに含まれることになってしまう
二元論って根拠あるの?
だだの願望に見えるけど
物理主義を取った立場から二元論を証明できるか否か、
という問いは無意味でしょ。
例えば砂山のパラドクスが古典論理だと問題になるけれども、
多値論理ならば問題パラドクスにならない。
それと同じ意味で、二元論ならばフランクリン・ジャクソンのメアリーは問題にならない。
二元論はそういう点で有利な立場なわけ。
>>847 >それと同じ意味で、二元論ならばフランクリン・ジャクソンのメアリーは問題にならない。
フランクリン・ジャクソンって何?
ソース教えて。
段落に分けてクオリア問題について考えてみたよ。意見よろしく
0.なぜわれわれは他人にも現象的意識(クオリア)があると考えてしまうのか。その原因を考えてみよう。
1.まずは自分の場合について考えてみる。
私は自分の感じてることを特別な仕方で知ることができる。たとえば、明るいものを見たときにピカピカという感じがするし、足をぶつけたときにヒリヒリという痛みを感じることができる。
2.このようなものを感じたときに、私はそれに対応した反応をすることができる。ピカピカを感じたら目を瞑るし、ヒリヒリを感じたらうぎゃあと叫ぶかもしれない。
3.しかし、このような反応をしないこともできるし、またピカピカやヒリヒリを感じてもないのにそれらに反応する行動を偽って取ることもできる。
4.したがって、次のことが論理的には考えられる。私のうぎゃあという叫び声を聞くことで他人が私に対して「ヒリヒリしてるのだね」と判断しても、私はそれを否定することができる。
5.同じように、私がぎゃあと叫ぶときの脳状態を事細かに調べた結果、「ヒリヒリしているのだね」と判断されても、もし私に本当にヒリヒリの感じが表れてなければ原理的にはそれを否定することができる。
6.ここから私は次のように考える。私の意識(クオリア)は私秘的であり、他人にはどうあがいても知られることはないのだと。
7.このような考えをもった私は他人についても同様に考える。すなわち、他人の降るまいや脳状態からはけっして他人の本当の感覚(クオリア)は知ることができないのだと。
8.したがって、外からは知ることが出来ない、私秘的な感覚(クオリア)は存在すると考える。
9.一度クオリアを何らかの存在物として考えることが出来たのなら、それを持つ他人と持たない他人のケースを想像できるようになる。
10.このようにして我々は機能的には分析できないクオリアという概念を構築するのである。
11. 問題は、自分にはクオリアがあるからといって、他人にもそれがあると仮定して、議論を進めてしまうところにある。
他人にもクオリアがあるか確かめようがないが、あると考えた方が生きていきやすいね、というオチ。
おわり
>>849 統計的な話で言うと、クオリアの話をされて理解できる人と、デネットのように理解できないという人に別れるそう
この話だけで判断するなら、
「ホモ・サピエンスにはクオリアを感じる個体と感じない個体とがある」と言えそう
ところで、これは独特の擬態語を持つ日本語話者だからこそできるツッコミだけど、
「ヒリヒリ」とか「ピカピカ」が、複数の人たちにある程度の共感を持って迎えられて、クオリアに関する擬態語として成り立っていることが、
「自分と同じように他人にもクオリアがある」ことの立証になりうるのではないか、と
>>851 デネットはクオリアのような、第一者によって主観的にしか接近できない概念を、意識の科学的な解明には障害となるものだと批判しているだけだ。
これはクオリアをどう扱うかという問題であって、理解の問題ではない。
理解するしないと感じる感じないを混同するのも問題。
>>850 パラドクスが「反論」のためのものではないことはとりあえずおいておくけど、なぜ?
>>843 僕も物理とか生物のポピュラーサイエンスものばかり読んでいるけど、たまには違う分野の本をと思って読んだ
チャーマーズの『意識する心』は衝撃的な内容だった。 これは一読の価値ありでしょう。
(ここでも揶揄している人は何人かいるが的を射た書き込みはひとつもないように思う)。
デネットはチャーマーズの著書のなかでボロクソ言われてたので、公平を期すために『自由は進化する』を
読んでみたけど論理の明快さにおいてチャーマーズに遠く及ばないという印象だった(あくまで個人の感想)
サールはまだ読んだことがないけど、この手のテーマでは中心的存在のようなので次はぜひチャレンジして
みたいと思う。
それにしても世界の根幹に関わるこうしたテーマを扱った本が大型書店でも本棚の片隅にぽつんと置いてある
かないかという程度の日本出版界のレベル低さにはほんと辟易します。
>>855 印象だけ書かれても判断には使えないね。
具体的にどの主張がどう衝撃的なの、どんな論理が明快に主張されているの。
砂山のパラドックスって、単に人間が砂の集まりを砂山って認識することに閾値があるかって問題でないの。
そんなのあるわけないじゃん。
人間が進化的に獲得した自然のある状態を他の状態と区別できるという能力がファジーにできているのがそんなに不思議か?
このスレの誰も不思議がってないと思うけど
>>856 別にあんたの判断を求めたわけではないので。
質問するならもうちょっと礼儀正しく質問してくれ。
なるほど。
>>852はこういう流れを言ってるのか。
>>856 信者に神存在の根拠を尋ねるのと同じだよ。
無いものを出させようとしても無駄だね。
砂山のパラドクスは意味論のパラドクスなので認識論の問題じゃない。
分析哲学業界は英語で読んで英語で書ける人が偉い世界だから、
あんまり翻訳熱ないんだよね。
デネットやチャーマーズの翻訳も誰もやらなくて、見るに見かねた科学者が翻訳すると、
専門外のやつの翻訳は誤訳だらけだとか言いわれる酷い世界w
>>849 他人の脳のコピーを自分の脳と置き換えても他人のクオリアは知ることはできないのでしょうか。
A=他人、B=自分として、
Aさんのコピー脳をBさんの体に移植したとき、
Bさんの脳がAさんのクオリアを体験することはできないのか、ということ?
むりじゃね。
この場合、
Aさんのコピー脳はBさんの体を通じたクオリアを体験。
Bさんの脳は、
……廃棄処分なら死を体験、
……眠らされて培養槽なら虚無、
……マトリックスに繋がれてるなら仮想現実を体験、
という形でAさんとは交わってないよ。
>>865 クオリアがBさんの体を通る以上はAさんのクオリアと同じにはならないのですね。例え同じ感覚だったとしても。
コピーにコピー元のクオリアはわからないのは環境が違うからではなく、同じという確証が無いからでしょうか。
>>862 意味が認識をベースにしているのだから別にかまわないだろ
認識論の認識というは語られるかぎりの認識なので意味論が先立つ。
クオリアもしょせんニューロンの発火パターンにすぎない
認識論ではなく認識。
言語がなくても認識は機能機能する。
意味は認識能力を基盤に形成される。
>>855 ありがとう
チャーマーズの『意識する心』
明日本屋で探してみる
ところで
クオリアに物理世界へのフィードバックがあるかのように思わせる理由はいくつかあるんだけど、
自分は生物関係の本よく読むから、進化の中で獲得された食物に対する趣向とか性淘汰とか
そんな話に出くわすと、生存や生殖に有利になる趣向によって発生するクオリアは何故『心地良い』ものなのか?
と思う
フィードバックがなければ栄養あるもの食べて可愛い娘抱っこしてるときに別に苦痛が生じててもいいと思うんだよね
実際には心地良いクオリアが発生する行動をとって生きているんだけど、
やっぱり「主体性」というものはどうやっても定義できない
行動選択が可能だとすると1つの物理状態(=次の物理現象の原因)が、複数の結果を持ちうることになってしまう
そのとき最終的にどう決定されているかと言ったら、物理法則のしばりを受けない=ランダム→選択していない、と矛盾してしまう
「主体性」は幻想
>>873 何が言いたいのかまったく分からんのだけど。
もう少し分かりやすく教えてくれ。
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない194◆
↑このスレってどうなの?
以前から存在はしってるんだけど、
覗いたときに超長文で進行が異様に速くて敬遠したんだが
>>871 そう、自分が言いたかったのはそれ
クオリアの謎のひとつに「言語化できない」ってのが挙げられているけど
そもそもすべての認識された情報が言語化できるとはかぎらない
>>873 クオリアに伴う「気持ち良さ」ってのは報酬なのかもしれないね
ただそれを選択するかしないかは経験も関わってくる
>>877 そのスレで決定論に対する反論を書き込んでみたいと思ってるんだけど
とてもそんな雰囲気じゃなくてw
自分は基本的に決定論の立場だけど
逆の立場で語ることも別にできる
なぜなら意識について不思議に思うことは山ほどあるからだ
決定論への反論やってみようかな
苦痛とか快楽とか判断してるのは脳。
そうした判断込みで立ち現れるのがクオリア。
脳的には快楽だけどクオリア的には苦痛であるという事はない。
脳的に快楽ならばそれがクオリアとして立ち現れるだけ。
立ち現れたクオリアの質的な差異を問うにしろ、
<脳の状態→立ち現れたクオリア>
あなたの脳が快楽を感じている→クオリアA
わたしの脳が苦痛を感じている→クオリアB
が、
あなたの脳が快楽を感じている→クオリアB
わたしの脳が苦痛を感じている→クオリアB
となったところで、
またはBではなく他の全く異質なものになったところで、
あなたが快楽を感じていることに変わりはない。
あなたの元では快楽のクオリアとしてクオリアBが立ち現れているに過ぎず、
快楽を感じながらクオリア的には苦痛であるとは感じない。
脳的に快楽、ただそれだけで行動選択の理由になる。
報酬系の活性化から立ち現れるクオリアを報酬とするまでもなく、
報酬系の活性化が報酬になる。
「脳的に快楽」の意味が分からん
脳で起こっていることは単なるニューロンの発火なのではないのか?
例えば「赤」が嫌いで「緑」が好きな人がいるとして
赤と緑は視細胞の中で反応するアミノ酸の種類が違うことで最初の区別が始まるが
脳へは電位の変化として伝わっている訳だから、恐らく脳側の電位変化をキャッチする個所にも
発火のパターンに何かしらの違いがあって、それで赤と緑の区別がついているんだろう
脳を直接刺激することで視覚経験を起こすことはできそうなので、眼球に光が入った時点では区別してないと思う
報酬系っていうのは今はよく分かっていない意識のブラックボックス部分を便宜的にそう呼んでるだけだろう
単にニューロン発火のパターンに何か物理的な違いがあって、その違いがクオリアの違いを生んでいるんじゃないかと思う
で、その人は赤のクオリアを苦痛と感じ緑のクオリアを快楽と感じているんだけど
その後脳で決まる行動パターンは赤を避け緑を選ぶだろうが
脳は物理界の存在物でありクオリアの影響下にないはずなのに反応が見事にクオリアの種類と一致する
>>861 盲目的な信者やら原理主義者がそもそも徹底的な論理による分析を目指したチャーマーズの本に感銘を受けるわけないだろ。
同じシンパであっても理論に妥当性を見出して賛同するのと理屈抜きに盲信するのとはまったく違う。
哲学畑の人間(?)なのにそんな単純なこともわからんのか
>チャーマーズの『意識する心』
三省堂で見てみた
値段も高いが、辞書みたいでとても読む気になれんかった
あの分量で専門家の数も少ない分野で著者が意図してる内容が伝わる和訳になるんだろうかとも思った
研究職ってやっぱ一途じゃないとできないね
自分なんてああいう量を読んでダメな本だった場合の失う時間をすぐに計算しちゃうな
資本論とかも自分は一生読むことはないから骨董品的価値なのか本当に優れた内容なのかどうかは分からず仕舞いになるw
少年ジャンプみたいに週刊で小出しにしてくれるとかすれば一応全部目を通して
ツマランのは切り捨てるとかできるんだけどねw
>>684は以前自分が挙げたんだけど
今はネット上に要点だけ簡潔に纏まってるのがあったりして便利
体裁整えなくても中途半端な状態でも情報を提供できれば
全然知らない誰かが後を引き継いでくれたりするし
また探してみるかな
和訳はそんなに問題ないと思うけど(あれだけの大著を訳すからにはいい加減なことはできない)
要は根本的なところで自分の興味と一致するかどうかだね。
ただ根本的なところで一致していてなおかつ一般的な評価も高い本はまず「ダメな本」という可能性は低いから
多少の時間を浪費しても無駄になることはないと思う。
あと難しそうに見えて読んでみたらそうでもなかったという本もけっこうあるし(個人的には「意識する心」
とかカントの「純粋理性批判」なんかがそうだった)。
>>684の「意識のハードプロブレム」と「哲学的ゾンビ」はチャーマーズが提唱した論理ですね。
885 :
考える名無しさん:2012/11/06(火) 23:52:10.52 0
「なぜ私は私なのか」という問題が「意識のハードプロブレム」をも上回る超難問(Harder Problem )
というのは頷ける。
私であるというのは一体どういうことなのか?
物理学的な観点に基づけば、私自身とまったく同じ粒子配列を持つ存在は私とまったく同じ意識と記憶を
持っておりよって私自身に他ならないらしい。
そこで質問。
現時点での私とまったく同じ粒子配列を持ちまったく同じ意識や記憶をもつ私のコピーが作られたとする
(技術的には困難でも理論的には可能)
そして偶然にも彼(=コピー)作られると同時に本物の私は交通事故で死んでしまったとする。
しかし事故の直前までの私の意識や記憶をそっくり保持した人物はそのまま生き続けているわけだから、
「私」はまだ生きているということになる。
それとも私と同じ意識や記憶を持っていても、コピーはコピーなので私はやはり死んだことになるのだろうか?
もし後者が正解なら私とまったく同じ粒子配列を持つ存在も私自身ではないということになり、「私自身」を
規定するものがわからなくなる。
長年悩んでいる疑問なのですが専門家の著作からも見解が得られないので、誰か良い意見を持っている
人がいたら教えてください。
>>885 多重人格を考えれば分かりやすいんじゃないかな?
Aの人格にとっても、Bの人格にとっても、
Aも「私」と思うし、Bも「俺」と思う。
その後、Aが消える場合、Bはそれを知らないかもしれないし、
Bが消える場合、Aはそれを知らないかもしれないし、
AとBが合わさって、「AとBであった私」と自覚するCの私ができるかもしれない。
>>885 「私」という概念が脳が作り出した幻なのでは?
あと、認知症の人も、ころころ「私」が入れ替わるよね。
子供の私、青年の私、今現在の私。
脳内シナプス等の物理的な配線や信号の流れ方次第で
どうにでも変わってくるんだと思うよ。
クローンの場合は、
「Aの私」から「AからBに分かれた私」と「AからCに分かれた私」
に分かれた後は、ただ単に物理的制約によって、分かれたまんまなだけ。
そう考えると分かりやすいんじゃないかと思う。
>>886 回答ありがとうございます。
Aが消えることをBが知っているにせよ知らないにせよ、何かしら対象物のAに関して思考しているとすれば
自覚しているとすればBはAとは別人物ということになりますね。
>>886 回答ありがとうございます。
Aが消えることをBが知っているにせよ知らないにせよ、何かしら対象物のAに関して思考しているとすれば
自覚しているとすればBはAとは別人物ということになりますね。
ミス連投失礼w
>>888 回答ありがとう
でも精神疾患を持っている人の多重人格に関してははいろいろ研究が進んでいるけど、「私であるという
ことはどういうことなのか」という哲学的なテーマとはまた別物だと思う。
>>891 自分は似たようなもんな気がしてるけどね。
ついでに超拡大解釈かつ、超極論してしまうと、
「テンションが高杉な私」
の時は
「落ち着いている私」
は、感覚として実感できず、ただの情報にしか過ぎないと自覚してるな。
逆もまた同じ。
ちょっとテンション高過ぎるなと自覚したら、落ち着く方がいいなとは思うけど、
そこから直接落ち着いた感覚に移る事は難しい。
「落ち着いた感覚は良い感覚だったな」とかいう情報があるだけ。
あと深呼吸をしたり、ストレッチしたりとかすると落ち着いた感覚に移行しやすいという情報を知っていて、
それを実行して、初めて「落ち着いた感覚」に移行できる。
で、その後は、テンション高過ぎな感覚は無く、
「テンション高過ぎたな、あのまんまだと失敗したかも」という情報が残ってるだけ。
こう考えると「テンションが高杉な私」と「落ち着いている私」は赤の他人になってしまう気がするけど、
多分、潜在意識で、「テンション高過ぎな私」も「落ち着いた私」も
「同じ私が体験したという感覚」で結びついている為に、両方共「私」として認識できてるんだと思う。
クローンの場合は、AからBとCに分かれる事で、
「同じ私が体験したという感覚」がBとCの間で無くなってしまうから、その瞬間から他人になると思う。
893 :
892:2012/11/07(水) 02:13:43.48 0
以上をまとめると、
同じ脳内である限り、複数の「私」は統合して、結果的に一人の「私」で居られる。
てだけでいいんでないの?て思う。
テンションがあがっているときは「落ち着いている私」を情報としてすら「自覚」していることはないでしょう。
後で振り返ってみて客観的にああ、あのときのあの感覚は心をゆさぶるものだったのかとか単なる情報に
過ぎなかったのかとかはじめて言えるのだと思う。
>クローンの場合は、AからBとCに分かれる事で、
「同じ私が体験したという感覚」がBとCの間で無くなってしまうから
いや、クローン(コピー)は本体と粒子配列を同じくすることによりニューロンも全く同じ状態に
コピーされるので「同じ私が体験したという感覚」も継続されることになると思う。
要するに同じ原子、素粒子の組み合せであれば人間の思考を含めすべての自然現象は同一であり
物理的に説明がつくはずであるにもかかわらず、「私が私であるというのはどういうことか」という
疑問に対し答えが出ていないというのが現実だろう。
粒子配列をコピーすることにより亡くなった愛する人をコピーし、それが永遠に継続するなら
どんなに幸せかと思うけど。
>>893 指向性としてはそれでいいんじゃないかと思う。
でも、究極の論理を追及したいw
>>894 >要するに同じ原子、素粒子の組み合せであれば人間の思考を含めすべての自然現象は同一であり
本人であるAと、クローンであるBだけではなく、
AとBの周辺の物理的法則も、全く同じである必要があると
考えたらどうだろう?
要は、Bができた瞬間から、BにはAとは違う物理法則がかかるようになる訳で。
という事は、そこから先のAとBの行動も若干変わってくるよね?
まぁ、
>>894の趣旨であれば、
恋人であるCが、クローンであるBと、
その事実を全く知らずにそのまま付き合うとするなら、
CにとってはBもAと同じに見えるかもしれないだろうけどさ。
でもAの事実を知った途端に、Bに嫌悪を覚えるかもね。
連投ごめん。
もし
>>894さんがCだとするなら、
BがAと全く同じである事を望むなら、
絶対に「Bがクローンである」という事実を知ってはいけないと思う。
そう知る事で、Cはそれを知らなかったCではなくなるし、
という事は、その後の思考や言動も、それまでのCとは
微妙にでも変わっていくだろうから。
そのCの様子をBがおかしいと思ったら、
その瞬間からBも、Aとはかけ離れていくと思う。
こんな感じで、AとBだけでなく、その周辺の影響も忘れちゃいけないと思う。
>>897 私のつまらない質問に親切に答えてくださってありがとう。
仮に僕(A)がCの恋人だとして、実はAは死んでいて今あなたの前にいる僕(B)はAではなく
Aのコピーだと聞かされたとする。
そして僕(B)は外見もAそのものだし 初めてあなたと出会ったときのあのときめきも、普段しょっちゅう会ってる僕もすべて同じ粒子で構成された僕自身の姿に他ならないと聞かされたとする。
このときCはどう答えるだろうか。
もちろんCがBに嫌悪を覚えたとすれば、それを察知した同じ意識をもつCの愛するAと同様のダメージ
をBがAのように受けることは間違いないということをCは知っている。。
それでもCはBをAとは別人として嫌悪の対象に据えるだろうか?
>>898 顕在意識で嫌悪しなくても、また仮に潜在意識でも嫌悪していないとしても、
クローンであるBが誕生したとCが知った時に、
その影響が全くCに生じないと言えるだろうか?
嫌悪ではなくても、何かしら別の影響が生じると思うけどね。
クローンであるという知を得てしまったがゆえの、
クローンではないAに対してとは別種の気遣い等が全く生じないと言えるだろうか?
Cが「Bがクローンであると知る」という事は、Cの脳内で、
それを知る前とは別の物理的現象が生じるという事だからね。
Cの中にその変化が生じた時に、Bがそれをどう察するか?
まぁ、Bが全く鈍感なら、丸く収まると思うけどね。
なるほど、以上の議論は全員が状況を知っている場合の話だね。
でもBがAのコピーであることをAもCも、B自身でさえ知らないという状況を想定することもできる。
たとえばAが交通事故で死ぬことを知っている宇宙人がやってきて、Aの死の直前その時点でのAとまったく
同じ粒子構成を持つコピーBを作りその事実を誰にも知られないように隠蔽したらどうなるだろう?
Aは死んだことはA、B、Cも含め周囲の環境からなんら判定するすべはなく、Aと同じ意識と記憶を持つ
Bだけが存在することになる。
それでもAは死んだことになるのだろうか
>>900 ここまで来ると妄想しか書けないけど、
クローンBが、Aと寸分違わず全く同じ時空間に生じたのなら
A=Bと言えると思うけどね。
Aと少しでも外れた時空間にクローンBが生じたなら、
クローンBが何かしら違和感を覚えるのではないかと思う。
だって、今まで居た時空間から、突然別の場所とかにワープしてる訳だからね。
まぁそれは、寝てる時とかに生まれればとか、どうにでもなるか。
>>901 私もその辺のところだと思う。
クローンが自分自身であるためには時空連続体であることが条件ではないかと思う。
死んだ後ににシリコンでつくった自分と同じ記憶を持つ脳みそを移植しても時間的にタイムラグがあるから
自分自身ではありえない。
一方自分の脳みそと同じ機能をもつシリコン脳をつくっておいて、脳が死ぬと同時にシリコンのスイッチを
入れても空間的に離れてるから同じものではあり得ない。
そこでニューロン細胞をひとつづつシリコンに置き換えていき、最終的に自分自身と同じ機械脳を作あげれば
時空連続体となりアイデンティティ継続(不老不死)の問題は解決するようにみえる。
でもそっくり入れ替える前者と徐々に入れ替える後者とどこに違いがあるのか問われれば返答に窮して
しまう。
とりあえずここまでが私の結論ですが、またいろんな意見があったら聞かせてください。
903 :
886他:2012/11/07(水) 14:25:49.97 0
>>902 自分もそれで妥当だと思う。
炭素生物から珪素生物に徐々にハードが変わっていっても、
脳内電流の流れさえ維持されているなら、
「炭素生物の私も、珪素生物の私も、同じ私」という事になると思う。
904 :
考える名無しさん:2012/11/07(水) 15:01:21.86 0
>>873 >やっぱり「主体性」というものは、どうやっても定義できない。
>主体性(主体的意識)とは、脳(物理的)と精神作用の両面から捉えないと
結果が、出てこないと思う。 つまち、超ハ−ドプロブレムと哲学(心の哲学=形而上学的領野)
との両面から捉えていくことが、必要と思う。
905 :
考える名無しさん:2012/11/07(水) 15:04:15.79 0
906 :
考える名無しさん:2012/11/07(水) 16:46:07.27 0
>>885 >私であるというのは、一体どういうことなのか?
物理学的な観点に基づけば、私自身とまったく同じ粒子配列を持つ存在は、私と
まったく同じ意識と記憶をもっており、よって私自身に他ならない。 と、述べている。
>ここで問題となるのは、同じ粒子配列を持つ存在(物質)が、同じ意識を持つかと言うことである。
意識(主体的意識)と、記憶とは別物であり、記憶は脳の物質的粒子の影響を受ける。しかし、「主体的意識」と
言うのは、粒子配列とは別次元の問題であり、科学的な解明は不可能と思う。 何故かと言うと、デカルトの
「実体二元論」に於いて、精神(主体的な意識)は、「形而上学的領野」として位置付けられているからです。
この「実体二元論}は、デカルトが創出し、現代に至っても科学的分野(ハ−ドプロブレムとして)又、
哲学界(認識論と存在論)として継続されている理論です。
>>906 しかし科学的な立場においては人間の意識もまた他のすべと同様に粒子とかひもとかの組み合わせによって
規定される「客観的な事物」であるという以外に説明のしようがないし、現に大半の物理学者もそれ以上
の舞台裏に踏み込むことを放棄してしまっている。
同じく思弁によっては説明がつかない量子力学のハードプロブレムはそれでよしとせずに究極の理論を求めて
いるのに、それ以上に不可解かつ世界の中心的命題である主観的意識の問題は放置してもいいという態度には
疑問を感じる。
デカルトの心身二元論は現在では揶揄の対象の代名詞みたいになっているけど、これは物質と精神は自然科学
的な立場において別物という考えに対してのみ有効な批判であり、意識は自然科学の範疇であるが、物理的な
ものに還元出来ないという特性二元論的な立場に対しては何の有効性も持たないだろう。
宇宙の始まりや物質の起源を客観的に解明しても、意識体験にもとづく主観的な宇宙の問題を解決しない限り
デカルト劇場からは一歩も外へ出られないと思う。
908 :
考える名無しさん:2012/11/07(水) 19:14:10.40 0
デカルトは、この世のすべての事象を突き詰めて行き、その根源として「私の存在」に
到達している。この「私の存在」から「主観的な宇宙」を体系化している。そして、「私の存在」という
哲学的観点から「主観(精神)と客観(物質)の分離」という存在論・認識論の科学的又、哲学的な
問題が生じている。
>>885 >「なぜ私は私なのか」
アリストテレス
【同一律】 law of identity 思考の原理の一。 いかなる事物も自己自身と同一であり、我々の思考過程においても
これを否定するような思考をしてはならないという要求をいう。同一原理。同一法。自同律。
>>906 物質が違っても脳の計算と同じ計算をするなら同じ意識ではないでしょうか。
911 :
sage:2012/11/07(水) 20:28:59.73 0
>>885 この問題は、永井均さんが長年いろいろな角度から論じていますよ。
(永井氏はここからさらにとんでもない地点まで行ってしまっているようですが。)
ただ、個人的には、この問題はいわゆる心の哲学とは全く関係がない
「個物の同一性」に帰着するもので、そこに何か深淵な問題が隠されている
というのは錯覚だと思いますが。
>>885の例でいえば、オリジナルの私は交通事故で死んでしまっているのですから、
その時点で生きているコピーの私と同一では有り得ないと思います。
一般に、「個物の同一性」はその性質とは無関係です。
全く同じ粒子配列の二つのコップは、「二つ」である以上は別個の個物ですし、
どんな物も(とりわけ生物は)時間が立てばその性質は大いに変化しますが、
それでも同一の個物とみなされます。(というか、同一の個物でないと
「変化している」とは言えません。)
これは、純粋な物体であっても同じことであって、意識や自我に特有の
問題ではないと思います。特有なように思えるのは、「私」の場合は
複数の時点の同一性を直接明晰に認識できるかのような錯覚に陥りやすい
からだと思っております。
すいませんまた下げ間違いました(汗)
913 :
考える名無しさん:2012/11/07(水) 21:51:37.25 0
>>911 「なぜ私は私なのか」の問題に対して、「心の哲学」とは全く関係がない。「個物の同一性」に
帰着するもので、そこに何か深淵な問題が隠されていると言うのは、錯覚だと思います。と、述べている。
「なぜ私は私なのか」…この命題には、同一性の要素も含まれるが、突き詰め行くと、デカルトの「私」という
根源的な「主観的存在」としての「私」に到達する。 だから、「なぜ私は私なのか」という命題は、心の哲学として
科学的分野と併行して、認識論として論究する必要があると思う。
>>911 ご意見ありがとうございます。
二つのコップが別個の個物なのは、コップが二つになった瞬間に別々の歴史を歩んでおり
粒子配列も(たとえほんのわずかにせよ)異なってしまうからでしょう。
しかし
>>902に書いたようにオリジナルの脳が死ぬと同時にコピーの脳にスイッチを入れるような方法をとれば
少なくても時間的には個の同一性は保存されるはず。
これに加えて空間的な同一性も保存したければやはり
>>902に書いたようにニューロン細胞を少しずつ
同じ機能をもつ別の細胞かシリコンチップに置き換えていけばよいでしょう。
しかしこれは普段体細胞でも起こっていることなので
>>911さんのいう「変化する同一の個物」に他ならない。
(脳細胞は入れ替わらないけどそれを構成する原子は入れ替わっている)。
つまり個の同一性を維持するためには、同じ機能構成を保ちつつ時空において連続的に変化しなければならない
ようにみえる。
機能構成=個の性質は経時的な変化だけでは失われないので個の同一性とは無関係ではなく、必要条件だと思う。
むしろ変化が時空連続的であることが条件になる理由の方がわからない。
>>914 二つのコップが別個の個物なのは、端的に二つだからであって、それ以外の
理由は全くありません。粒子配列が完全に同じコップは二つでも百個でも
想定可能ですが、いくつあってもそれぞれ全く別個の個物です。
(二つの粒子でも、二人の人間でも、同じです。)
個物の「経時的同一性」についていえば、その条件は時空連続的であることだけで
あって、その性質(機能構成?)は、ほぼ無関係です。マンガによくあるように
Aさんの体がどろどろに溶けて犬の形になったら、それは定義上「Aさんが犬に
変わってしまった」ので、その犬がまたどろどろに溶けてAさんの形になったら、
「ああよかったまたAさんに戻った」ということになるでしょう。
一方、
>>885にあるようにAさんが死んでしまったら、通常の解釈ではそこで
経時的同一性は断ち切られてしまうのであって(というか、むしろそれが「死」の
定義なので)、Aさんと粒子配列が全く同じ個体が作られても、それはあくまで
コピーであって死ぬ前のAさんと同一性はない、と解釈されるでしょう。
このことは、コピーが作られるのがAさんの死の直後であっても、百年後であっても、
同時であっても、あるいは前であっても(百年後に死ぬ人のコピーを今作るということですが)、
全く関係はありません。また、オリジナルのAさんが死んでいるか引き続き
生きているかとも、本当は関係ありません。
それらと全く関係なく、「コピーAさん」の主観的意識にとっては、自分は
あくまでもAさんであって、作られたのがAさんの死から百年後であれば、「俺はAで、
なぜだか未来にワープしてしまった」と感じるでしょう。
ここには難しい問題は別に何もありません。
(つづき)
ここで、「じゃあ死ぬ前のAさんの主観的意識にとってはどうなのだ?」という
疑問が生じる(ように思える)のですが、これが錯覚の元です。
なぜならAさんが死んだ後の時点においては、「死ぬ前」はすでに過去であって、
過去は現在においては存在できないからです。存在しない意識「にとって」という
問題は、意味をなさないのです。これはAさんが死なずに生きていても、同じことです。
「昨日のAさんにとって、今日のAさんは私なのか」という疑問は、端的に無意味です。
この問題を考えるには「意識であれ何であれ、存在できるのは現在のみである」
ということを常に銘記した上で、「私」という言葉が出てくるたびに
「それは、いつの時点のどの私のことなのか」を明確にしないと、混乱する
ばかりだと思います。
>>915>>916 時空連続的であることが個物の定義であることは哲学的な論理としては筋が通っているようにみえますが、
一方で粒子配列のみが個物の定義であることも、物理学的観点からはまったく筋が通っています。
そもそも主観的意識は物理的な説明では還元できないので物質の同一性と(個物としての)意識の同一性
は同じものとして扱えないかもしれませんが、物質を扱う専門分野である物理学によれば物質の同一性が
粒子配列(=性質)のみによって決まることに疑いの余地はありません。
それぞれ異なる観点にもとづいて矛盾なく両立する二つの議論も、同じ自然界の事象(物質にせよ意識にせよ)
を統一するうえでパラドックスを生じる以上、真実を追求するうえで深淵な問題は何もないと言い切ってしまう
のは乱暴すぎるでしょう。
死の百年後に目を覚ましたAのコピーが自分はAだと思っている以上、「個物としてのAは死んだ」という
定義と矛盾することは多くの人が直感するのではないでしょうか。
死ぬことは人間(意識をもつ存在)にとって個の終焉かもしれませんが、物質としての人間(この場合Aさん
という形をした物体)にとってはそうではありません。
その後火葬されて灰になったり腐って溶けたりすれば(化学反応をおこして違う物質に変われば)化学物質
としては終わりですが、原子にとってはそうではありません。
この議論はAさんを基礎単位にしなくてもAさんを取り巻く任意の環境全体でも当てはまるので、時空連続性
を同一性の定義とすれば、宇宙全体が同一の個物であるという論議の泥沼に落ち込んでしまいます。
まあ
>>915の基準にしたがえばそれも正しいのかもしれませんが。
Aさんがドロドロに溶けて犬の姿にならないのは物理法則がそれを許さないからでしょう。
もしそんなことが起こればAさんは間違いなく消滅したことになると思います。
それに対してAさんが死んでもガラスが砕け散ってもそれぞれ「Aさん」「ガラス」というアイデンテティは
失われません。これは法則にもとづいた規則正しい(というか決定論的な)粒子配列の変化が個の同一性を
規定しているからともいえるでしょう。
>>917 >Aさんがドロドロに溶けて犬の姿にならないのは物理法則がそれを許さないからでしょう。
宇宙を引き合いに出すなら、ビッグバンが正しいとするなら、
それと似たような事になってるよね?
物質=原子や素粒子等は、インフレーションのエネルギーの中から
生まれた事になってるよね?。
ひとつ補足しておくと、過去は現在において存在できないというのは正しいとしても
過去の意識が現在において存在できないということにはなりません。
ある時点での粒子配列が別の時点で実現すれば結局、「過去の私は現在の私」という
循環論法に陥いることになります。
「過去の私」は「現在の私」の一部
メガネは顔の一部です
>>917 >物質を扱う専門分野である物理学によれば物質の同一性が
粒子配列(=性質)のみによって決まることに疑いの余地はありません。
これは何かの誤解ではないですか。粒子配列(=性質)が同じであっても
二つのコップも、二つの粒子も、二人の人間も、個物としては全く別の存在で
あって、それは物理学であろうと常識であろうと変わりありません。
物理学というのは「個物として別であっても、物理的な性質が同じなら、
同じふるまいをするはずだ」という考えに立っているわけで、だからこそ
「同じ性質の別個の個物」を使って何回も検証実験したりするわけです。
>死の百年後に目を覚ましたAのコピーが自分はAだと思っている以上、
「個物としてのAは死んだ」という 定義と矛盾することは多くの人が直感するのではないでしょうか。
そんなことはないと思いますよ。例えば今科学者が坂本竜馬のコピーを
作ったとして、そのコピー氏は当然「自分は坂本龍馬だ」と主張する
わけですが、世間の人が「坂本龍馬が寺田屋で死んだというのは嘘で、
実は生きていたのだ!」とか「一旦死んだ坂本龍馬が生き返った、これは奇跡だ!」
とか、反応するとは思えません。「人間のコピーまでできるなんて、なんて
物凄い技術なんだ!」というのが一般的な反応でしょう。
ただ、この「個物の経時的同一性」というのは、ある程度以上は思考の慣習
と解釈に左右されることで、本当は大した問題ではありません。
コピー坂本氏が、幕末の経験から現代の日本を憂えて立候補して、その人間的魅力
を発揮して政治家になって大改革をやったりすれば、「いやあれはやっぱり本物の坂本龍馬だ!」
ということになる可能性もありますが、それならそれでも別に構わないわけです。
肝心なのは、これは物質(たとえば焼ける前の金閣寺とか)であっても人間であっても
意識であっても、全く同じことであって、別に意識や心や「私」に特有の問題などでは
ない、ということです。
コピーでなく「分裂」の場合なら、過去の一つの個物と経時的同一性のある個物が
現在は複数あることになりますが、これまた物でも人間でも同じことです。
(続き)
たとえば野田首相の体が突然アメーバのように二つに分裂して、双方が復活して
完全に同じ人物が二人できた場合は(実は完全に同じである必要もないのですが)、
どちらも「本物」であって、「野田A」も「野田B」も、二人とも分裂前の
野田首相と経時的同一性のある人物だ、と考えるしかありません。
むろん「野田A」と「野田B」は全くの他人、別個の個物ですから(たぶんお互いに
「あいつは偽者だ」と言って喧嘩するでしょう)、
どちらを首相にするかは何かの手段で社会的に決めるしかありません。
ここで「いや分裂前の野田首相にとってはどうなのだ?」という疑問は、
意味がありません。昨日書いた通り、分裂前は過去であって、分裂後には
もはや存在しないからです。現在存在しているのは「野田A」と「野田B」だけで、
二人とも「自分こそが分裂前からずっと野田首相なのだ」と主張するでしょうし、
社会的には「どちらの主張も正しい」と解釈されます。
そこだけが「コピー」の場合との違いです。分裂するのが人間でなくて、たとえば
「スカイツリー」でも「モナリザ」でも、何でも同じことです。
永井均氏などは「私が分裂した場合、私は現にAであるかBであるかどちらかしか
ない。そして、どちらになるかはそのときにならないとわからないし、そこにどんな理由も
原因もない。これは説明のつかない神秘・奇跡だ」というようなことを言いますが、
これがまさに錯覚で、分裂した後は、分裂前の私はすでに過去ですので、その「過去の私」を
主語にして「現に」AであるとかBであるとかは、言えません。「現に」存在するのは
あくまでも「私A」と「私B」だけであって、当然ながらAにとってはAが私でBは他人、
BにとってはBが私でAは他人であり、どちらも「私は分裂前から私だった」という
同じ記憶を持っています。ここには神秘も奇跡も矛盾も、何もありません。
ただ、私の場合、どうしても「記憶」を通じて過去と直接確実につながっている、という
錯覚が強いので(これはあくまでも錯覚であって、自分がたった今作られたコピーまたは
創作物である、という可能性は、いつまでたっても常に排除できません)、誤解や混乱が
生じるのだと思います。
>>918 ビッグバン理論はビッグバンによって物理法則がつくられたと言っているだけでビッグバン自体は
物理法則によって説明していません(そもそも密度が無限大になる状況ではすべての物理法則は破綻する)。
これを埋め合わせるために提唱されたインフレーション理論は、過冷却ヒッグス場のエネルギーが指数関数的
な宇宙の膨張の後に解放され現在の物質や放射になったとされるもので、これは既存の物理法則から導かれた
結論です。
>>922>>923 「同じ性質の別個の個物」は同時には存在し得ないので物理学者が実験に使うことは出来ません。
同時に別の個物として存在し始めた以上、環境からの影響も変わり粒子配列にも差異が生じるのでその時点で
同じ性質ではなくなるからです(ただ質量、電荷、スピンなど単純な要素のみによって決まる素粒子同士などに
限っては例外ですが、それはここでの議論と直接関係ないでしょう)。
仮に個物としての同一性がまったく同じ粒子配列(=性質)によって決まるのではないとすれば、何によって
きまるのでしょうか。
時空連続性(以下連続性)のみによって決まるとすれば必ず前述したようなパラドックスが生じることになります。
たとえば老朽化した船の部品をひとつずつ海に捨てていき、代わりに新しい部品でそっくり入れ替えた船は
元の船と同じ個物ということになるのか?
もし機能やそれを決定する粒子配列は無関係で連続性だけが個を規定するなら答えはNOで、海に捨てられた
木材の破片かき集めたものが元の船と同一の個物ということになるでしょう(これは
>>914で書いた
脳細胞置き換えの例にもあてはまる。実験室のゴミ箱にすてられた古い脳細胞の残骸が私ということになる
でしょう)。
坂本竜馬のコピーが坂本竜馬本人と認識されないのは、あくまでコピーとオリジナルは別物という一般的かつ
単純な解釈から生じる感想であって、では仮に「この人は坂本竜馬と同じ粒子配列で出来ており、考え方も
記憶(もちろん寺田屋事件の記憶も含む)も坂本竜馬そのもので、しかも考え方や記憶は粒子配列によって
決定されるというのが間違いのない物理学的理論によって裏付けられている」と聞かされてその論理を
のみ込んだうえでも「その人は坂本竜馬竜馬とは別個の個物である」と結論するでしょうか?
分裂した野田首相が二人とも「自分はまったく同じ野田首相だ」と信じているとすればそれは野田首相の
コピーがつくられたことに他なりません。
人間はアメーバのように分裂しないのでこういう例えは誤解を招きやすいですが、もしアメーバに自意識
があったなら分裂後はそれぞれ「相手は俺とは違うアメーバだ」と認識するでしょう。
これは同じひとつの受精卵から分裂して成長した一卵性双生児が、それぞれ別の個人としての自意識を
もっているのと同じことです。
この場合分裂するアメーバも分裂する一卵性双生児も時空連続的な変化ですから、性質を無視した連続性のみが
個の同一性を規定しているという考えが誤りであることを示唆しています。
アメーバの分裂も、生から死への移行も、死から生への移行(誕生)も、物質の化学変化も、原子核の崩壊も
すべて粒子配列によって規定される性質の変化であり、その性質が変化することが個の同一性の変化という
理念は十分に常識にも物理法則にも適っています。
一方であなたのおっしゃるように連続性が個の同一性を規定するという考え方も筋が通っており、そういう
確固とした見解があるということを知ったの大きな収穫でした。
しかし連続性だけが同一性の根拠とするならば、前述した船のアナロジーや
>>917の例のように必ず自己矛盾
を生じることになるので、個人的には決定論的な粒子配列と時空連続性の両方が個の同一性を規定するという
解釈がやはり妥当だと思います。
927 :
考える名無しさん:2012/11/11(日) 06:54:50.99 0
ニーチェは風邪を引いて寝込んで鬱になった自分が、それまでの自分とは同一とは思えなくて
「違う自分になった」と本気で思ったそうだよ
メキシコに行けば「別人になれる薬あるわよ、とってもハイになるの」とか、声をかけられそうだ
もう一つ、どこでもドアの話だけど
どこでもドアに片腕だけ突っ込んでみるとしよう
片腕は消去され、どこでもドアの向こうでは同じ配列のものが物理的につくられる
では、こちらで片腕を動かそうとする
その電気的刺激は神経を伝わって腕に伝わる
どこでもドアの向こうの片腕は動くのだろうか?それとも動かないのだろうか?
もし、その片腕が動かないなら、心の命令はどこでもドアの向こうの片腕には伝わらなかったということになる
その片腕が動くなら、心の命令はどこでもドアの向こうに伝わったとなる
心の連続性がどこでもドアごしでも通用している
ブログでやれ
>>926 >しかし連続性だけが同一性の根拠とするならば、前述した船のアナロジーや
>>917の例のように必ず自己矛盾
>を生じることになるので、個人的には決定論的な粒子配列と時空連続性の両方が個の同一性を規定するという
>解釈がやはり妥当だと思います。
「私」が存在する為には
脳内の電流や神経伝達物質等の継続的な流れと
その流れを可能とする脳神経細胞等の物質
両者が必要であるという点で賛同します。
但し、脳内の「私」の流れを維持する為の機能を寸分たがわず同じにできるならば、
炭素生物から徐々にケイ素生物に変わったとしても、
その間で「私」は継続して存在していると思う。
同じ理由で、炭素生物とケイ素生物の脳を接続し、
その間で「私」が流れるループを作り、炭素生物の脳内で「私」が流れる領域を徐々に狭め、
同じだけケイ素生物の脳内で「私」が流れる領域を徐々に広げていく事ができるのであれば、
「私」は炭素生物からケイ素生物に移動でき、なおかつ炭素生物を保管維持でき、
その気になればケイ素生物から炭素生物に戻る事もできると思う。
>>929でも似たような事が言えると思う。
>>925 >「同じ性質の別個の個物」は同時には存在し得ないので
どうも誤解があると思いますが、これは事実の話ではなくて論理的な想定
(想像)可能性の話です。事実の話なら、個人的には素粒子でも一つ一つすべて
微妙に違っていて全く同じものは一つもないとしても何ら不思議はないと思うのですが、
ともかく、「全く同じ性質を持つ素粒子が無数にあって、あらゆる物はその組み合わせで
できている」という前提に立てば、あとはそれを全く同じパターンで組み合わせれば、
「同じ性質の別個の個物」は同時にいくつでも存在し得ることになります。そこで初めて
>>885の
「現時点での私とまったく同じ粒子配列を持ちまったく同じ意識や記憶をもつ私のコピー」
という発想が出てくるわけで、もしそれが想像不可能なのであれば、
>>885の思考実験は
論理的に不可能で無意味、ということになるしかないでしょう。
>仮に個物としての同一性がまったく同じ粒子配列(=性質)によって決まるのではないと
すれば、何によってきまるのでしょうか。
この「同一性」が共時的な意味であれば、個物の「その物性」は別に何によって決まるものでもなく、
ただ端的に「そこにある」という以外ありません。「ある個物が、ある性質を持っている」
とは言えても、「ある性質を持っているからその個物である」とは言えないのです。
どんなに性質を列挙してみても、論理的には同じ物が古今東西にいくつでも存在し得るのですから
厳密に「それ」を特定することにはなりません。
(続き)
個物を特定するには
1.端的に「それ」と指し示す。
2.他の個物との関係性を記述する。
3.場所と時間を記述する。
しかありません。試しに固有名詞(坂本龍馬でも何でも)を辞書や辞典で引いてみると、
必ず2か3をやっています。「地球の日本のどこそこにある山」とか「いつの時代の
フランスの大統領」とか何とか。
もっとも、1は「自分や他人という個物との関係性を示す」ことですし、
3は「この世界という個物のどの部分であるかを示す」ことなので、結局どれも同じことです。
ただ、現実の世界では、おそらく全く同一性質の個物は二つとはないので、性質の記述に
よって個物を特定することも可能でしょうが、またそれをやる場合もよくあるでしょうが
(身長2m23cmと聞くだけで、古いプロレスファンならアンドレザジャイアントのことだと
わかるとか、そういう話ですが・笑)それはあまり本質的問題ではないと思います。
お話が「経時的同一性」のことでしたら、少なくとも個物の同一性が同じ粒子配列(=性質)
で決まるということはないでしょう。前にも書いた通り、それでは「変化」とか「運動」
という概念に意味を持たせることができません。特に生物の個体は時々刻々と性質も
粒子配列も変化しているのですから(というか、そうでないと生物とは言えないと思います)。
また、「われ思う故にわれあり」というデカルトの有名な言葉がありますが、「思う」以上は
思った前と後で変化しているはずなので、変化したら同一個体でないのであれば、
「われ思うゆえにわれなし」ということになってしまいます。
(なお、この話は突き詰めると本当はギリシャのパルメニデスとかゼノンの「運動否定論」
につながるのではないかという気もするのですが、私の手には余ります。)
(続き)
仮に小学生時代の私の完全なコピーが今作られたとして(彼は突然未来にワープしたと
感じるでしょうが)、私にとって彼は単なる「変なガキ」であり、彼にとって私は単なる
「妙なおっさん」にすぎません。「これは自分だ」などと考えるはずがありませんし、
言われなければ昔の自分のコピーだなどと気づきすらしないでしょう。
「(時空的)連続性」を経時的同一性の基準にしたのは、そうでないと変化や運動を
説明できないからで、大した意味はありません。「経時的同一性」というのは所詮は最後は
解釈の問題です。何といっても「現に存在するのは現在だけ」だからです。
いわゆる「テセウスの船」なども、要は「どうとでも言える」というだけのことで、
特にパラドックスというほどの問題ではないと思います。
確かに青虫が蛹になって蝶になっても同一性は失われないという解釈が
一般的でしょうが(DNAがどうとかいうのは、後付けの理屈です)、ある程度以上に
性質が変化してしまったら(たとえば人間が犬になるとか)もはや同一性は失われる、
という解釈もあるでしょう。深刻な例では、老人の認知症がひどくなると「もうこれが自分の母親
だとはどうしても思えない」というような話も聞きます。ただ、時空的に連続して生きている
限りは同じ人間である、というのが社会的な合意であって、法律などもそれに基づいている、
と、それだけの話です。
いずれにしろ、この話は別に人間や意識に特有の問題ではないのであって、いわゆる
「意識の超難問」とは、特に関係ないと思うのですが。
>>927 ご意見ありがとうございます。
>体が別れた時点から経験は別になるので、別の人間になると思います。
でもコピーがつくられると同時に本体が死んでしまえば経験はひとつのままなので
「私」は生きていることになるのではないでしょうか?
どこでもドアでテレポートするためには一度物体をバラバラの原子に分解し、情報をもとに同じ物体を
別の場所に組み立てるわけですね。
しかし情報は光よりも速く伝わらないのでこれは正確には「瞬間移動」ではありません。
>>911さんがいうように個の同一性が性質とは無関係で時間的な連続性だけで決まるなら
どこでもドアから出てきたのび太はもとののび太と別個の個物であり、腕だけ突っ込んだ場合
のび太の腕とは別の腕ということになるでしょう。
>>928 鬱は部分的な同一性の喪失だと思います。重度のアルツハイマーはそれより大きな同一性の喪失であり
死は完全な同一性の喪失でしょう。
>>929 個の同一性を意識の問題に限定するなら、構成要素がケイ素でも炭素でもシミュレーションする10億の
中国人でも機能さえ同じなら同一性は維持されるという考え方は妥当だと思います。
同じ機能をもつ炭素脳とケイ素脳を接続して役割分担をおこなえば(例えば右半分を炭素脳が左半分を
ケイ素脳が担当しもいいし、三分の二と三分の一振り分けてもいいし、全部を炭素脳が担当してもいいし
その逆でもいい)機能構成(=性質)を失うことなく時間・空間的にも連続しているので「私」の同一性
は絶対に失われることはないでしょう。
結論を言えば、個の同一性の必要条件は性質と時空連続性の両方だと思います。
部品をひとつずつ入れ替えた舟も脳細胞をひとつずつ入れ替えた人間も、「同じ舟」「同じ私」でいられるのは、
同じ機能・性質を維持したまま、同じ空間を占め時間的にも連続しているからでしょう。
捨てられた木材や脳みそ集まりは時空的に連続でももはや舟や私としての性質は失われているので
同一の個物とはいえません。
一方、私自身のコピーは私の性質を維持しているけど別の空間を占めているのでやはり私ではないでしょう。
この論に立てば仮にコピーつくられると同時に本体が死んでしまい私の経験がひとつになっても
本体とコピーの間に空間的な連続性はないので同一性は失われることになります。
また私が死んだ後に冷凍保存して100年後に何らかの方法で生き返らせた場合、性質は維持しても時間的な
連続性はないので同一性は失われるでしょう。
しかし前者(性質の維持)が決定的であるのに比べ後者(時空連続性の維持)は明確な論拠に欠けるような
気がします。
時や場所が違っても私だと思い込んでいる存在が私でないというのはどういうことなのでしょうか?
どこでもドアから出てきたのび太がのび太でないというのが間違っているというドラえもんの説明には
それなりの説得力があります。
ちなみにテレポーテーションは素粒子レベルの実験では成功しておりSFの世界の話ではありません。
続きはまた後日
>>937 のび太が右腕を失って義手をつけたところで、
「これは他の誰のものでもない。僕の腕だ」と言うことはできる
でも、それでは物と心の問題は解決していない
義手はのび太というたった一人の個人のものだけど、
のび太は義手との神経が通ってない以上、腕から先にあるものを心の通ってない物だと感じるはずです
どこでもドアの問題は、義手どころか人間まるごと一人をつくったらどうなのか?ってことで
のび太の不安はそのような義人間と自分との間に心の連続性があるかどうか?にあるはずです
例え、どんなに精巧な義手をつくって、他の人から見たら義手とは思えないものをつくったとします
それでも、つけてる本人に違和感があれば、そこには「心の通ってない物だ」と言う感覚は残ります
(下半身付随の人などは、腰から下のタンパク質に物としての感覚しか残らないでしょう)
そのような心の連続性が保持できるかどうかが、この空想実験のポイントではないでしょうか?
パーキンソン病などは、自分の身体を自分の思う通りに動かすことに困難が生じる病気です
では、空想の技術でコンピュータで制御して、身体がそれらしく振る舞うようにしたとします
周りの人は「彼の病気は治ったんだ」と言うかもしれませんが
本人は「勝手に動いてて、自分の思う通りには動いてない。なんら解決してない」と言うでしょう
ここで、彼の発言もまた物理的に筋肉を使うわけですから、それもまたコンピュータで制御してしまうとします
するともはや違和感を訴える人はいなくなってしまいます
パーキンソン病が治っているかどうかは判別不可能になってしまいます
ここで、コンピュータのかわりに物質コピーの技術を使えばどうなるのしょう?
物質コピーの技術でもコンピュータと同じように違和感が残るのか
それとも、物質コピーならば、自分の意識もまた複製できるのか
古くなった脳を物質コピーの技術でつくった新しい脳と取り替えても、パーキンソン病は治るのでしょうか?
>>934>>935>>936 >「同じ性質の別個の個物」は同時にいくつでも存在し得る
これはそういうものをただ比較対象として想定出来るというだけで、現実に存在しえない以上「現実に
存在するものとして想定する」ことは出来ないでしょう。
概念上の比較なら粒子状態が同じで性質も同じなら物理的には同じものという論理には整合性がある
わけですから、誤解と言われるのならこの論理どこに誤謬があるのか明確に指摘しなければなりません。
仮に
>>235の「1・2・3のみが同一性の条件」というのが論理的に正しいとしても、それがすべてで難しい
問題は何もないと言い切ってしまうのであれば、一般相対性理論は完全に正しいので量子力学との矛盾は深刻な
問題ではない(あるいはその逆)と片付けて、両方とも整合性のある理論が矛盾するという謎の裏にある真実を
追求しないのと同じことです。
「同じ性質の別個の個物は同時には存在し得ない」というのはおっしゃるようにただ事実として述べただけで
議論の核心に関連づけようという意図はありません(なら書くなと言われそうですがw)
ただ
>>925でも触れたように素粒子の性質は質量や電荷などわずかな要素によってのみ決まりますが、そもそも
「これ以上分割できない最小単位」という概念は思弁の領域を外れているうえに量子ゆらぎ等微妙な問題も
あるのでここでは議論の対象から外した方がいいような気がします。
訂正
>>235の→
>>935の
一方、舟や人間のような複雑な物体の性質は無数の粒子とその粒子状態の組み合わせによって決まるので、
一般的には(というより確率上)同時にまったく同じ性質のものは存在し得ません。
ここで誤解しないでほしいのは「粒子配列(性質)が同じものが同一体である」と「粒子配列(性質)が
同一性を決める」は同義ではないということです。
性質が変わっても昨日の私は今日の私と違って「私」ではないと考える人はほとんどいないので、自己の
アイデンティティは失われずに維持されているといえるでしょう。
小学生の私のコピーがつくられるかタイムマシンでやって来て現在の私と出会っても自分だと思えない
のは互いに異なる時空連続体だからであり(自分は性質と連続性の両方が同一性の必要条件だと思っている
ので)、小学生時代の私を思い出して「あれは私ではなかった」と思う正常な人はいないでしょう。
では性質が変化しても同一性が失われないならどうすれば失われるのか?
これは端的にはあなたがおっしゃる「ある程度以上に 性質が変化してしまったらもはや同一性は失われる」
というのが正解だと思います。
小学生がおじさんになっても精神病などを患わないかぎり普通は同一性を失うことはありませんが、死んだり
重度の認知症にかかれば失われてしまうでしょう。
では前者の性質の変化と後者の性質の変化を区別するものは何か?
死の生物学的な定義としては心臓の停止とか細胞の代謝の停止とかがあげられるでしょうが、それを決める
ものが何かということに還元していけば最終的には粒子配列(正確には粒子の種類と粒子状態の組み合わせ)
ということになります。
例えそれが複雑すぎて内訳はわからないとしても、生と死を区別する粒子の明確な組み合わせパターンが
存在し個の同一性を維持するか失うかを決定している。
「粒子配列(性質)が個の同一性を決める」とはそういうことではないでしょうか。
余談ですが「現に存在するのは現在だけ」というのは厳密には正しくありません。
また物理の話をして恐縮ですが、現在は一瞬後には過去になってしまうので「時間が流れている以上」
今という瞬間は存在しません。
現在が存在するためには時間は流れずにひとつの塊としてただそこに存在し、すべての瞬間は
その中に凍りついる必要があります。
そして信じられないかもしれませんが、特殊相対性理論によれば空間と同じように時間もそのような
性質をもつものとして定義されています。
もしこれが真実なら、漫画本の主人公が常にページのなかに存在していて好きな巻を開けば
いつでもどの年齢の主人公にも会えるように、「私」も時間のなかに常に存在し、
同一性は時系列とは無関係に保障されることになるでしょう。
長いうえに無内容なのがつらい
突然すみません
芳村思風の感性哲学を皆さんはどう捉えておりますか?
哲学として芳村の哲学をどう思われますか?
>>941 仮にのび太の腕と機能的に寸分たがわぬ精巧な義手がつくられたとしても、
>>935さんがいうところの
「個物」の定義が1.2.3の条件にしたがうなら(そして性質等それ以外の条件ではないとするなら)、
義手はもとののび太の腕とは別物ということになるでしょう。
私がいうところの同一性は性質と時空連続性できまるという条件でも同じことになります。
ただこの場合義手は完璧な機能をもっていて脳の命令で自在に動かせるようにすることは理論上可能なので
(素材が細胞でも機械でもそれは可能)、義手をもつ前ののび太ともった後ののび太に意識を持つ人間としての
同一性の変化は何も起こったことにはならないでしょう。
自分をまるごとつくりかえた場合ののび太の不安は
>>885の私の疑問とまったく同じですw
未来の末期がん患者に「あなたの記憶をハードディスクに保存して永遠に生き永らえさせるようにするから
心配ないよ」と言い聞かせてたら死への恐怖は緩和されるのでしょうか?
>>942 脳をコンピュータであれ何であれ制御して正常な機能を取り戻したのだとすれば、それは医学的な治療によって
パーキンソン病を直したと同じことなので(現代の医療では難しいでしょうが)、完全な自分を取り戻したことに
なるのではないでしょうか。
パーキンソン病患者の脳細胞をひとつずつ正常な細胞のコピーに置き換えても同じことが言えると思います。
ただこれが認知症のように意識の重要な部分に変化をもたらす病気の場合、
反対に治療すれば病気の時の脳の機能・性質は大きく変わるわけですから、意識をもつ自己としての同一性は
失われることになるでしょう!
>>943-945 どうもわかりませんが、
>>885はあなたの書き込みなのですか。
>現時点での私とまったく同じ粒子配列を持ちまったく同じ意識や記憶をもつ私のコピーが作られたとする
>(技術的には困難でも理論的には可能)
>偶然にも彼(=コピー)作られると同時に本物の私は交通事故で死んでしまったとする。
と、ご自分で書いてあるではないですか。まさに「物理的に全く同じ性質の二つの人体が
存在して、両者は別個の個物である」ことが理論的には可能であることを前提にした
思考実験です。別個の個物でないのなら、片方が「コピー」で、片方が「本物」で、
片方が交通事故で死ぬのに片方は生きている、とか、意味不明です。
本物の方が死なずに生きている場合を考えれば、彼にとってはコピーの方は(互いにですが)
ただじぶんとそっくりなだけの気味の悪い他人に過ぎないのは明白で、別に
何ら問題はないと思うのですが。
それと、
>>935の1.2.3.は「個物の定義」でも「個物の同一性の定義」でも
何でもありません。「個物を定義(特定)するやり方」の話です。
その個物の持っている性質をいくら詳細に列挙しても、まさに「まったく同じ粒子配列を
もち全く同じ性質を持つコピー」が、世界にはいくつでも存在することが
「理論的には可能」なので、厳密にはその個物の定義にはなりません。
個物を特定したかったら、理屈抜きで「ほらこれだよこれ」と指し示すか、
または他の個物との関係性を記述するしかない、
「ある個物が、(ある時点で)ある性質を持っている」 とは言えても、「ある性質を
持っているからその個物である」とは言えない、と、そういう話です。
(続き)
>「現に存在するのは現在だけ」というのは厳密には正しくありません。
興味深いですが、私の議論とはあまり関係ありません。
およそ「個物の経時的同一性」というのは、現在の時点からする過去や未来についての
解釈に過ぎないのであって、私(自分自身)についても例外ではなく、過去(や未来)
との同一性を直接認識・体験することはできない、というのが趣旨です。
上のほうで、瞬間移動装置(どこでもドア)の話が出ていますが、
それが「人体の粒子の組成を読み取って、それと同じ組成物を他の空間に瞬時に構成する」
ものでしたら、実質的には「物質コピー機」であって、瞬間移動装置とは言えないでしょう。
ドラえもんはよく知らないのですが、そんな道具も出てこないでしょうか。
のび太が自分のコピーを作ってもらって、嫌なこと(宿題とかジャイアンにいじめられる
とか)はそれにやらせる、とか、ありそうな話ですが。ここではのび太とコピー氏は
赤の他人(別個の個物)であるというのが前提になっています。
これに対し、どこでもドアというのは(よく知らないですが・笑)、「のび太本人が
遠隔地に瞬時に移動する装置」だと思うので、定義からして個物の同一性は(理屈抜きに)
維持されていると思われます。だからのび太も喜んで使うのでしょう。
もし、物質コピー機があって、地球上の装置に入ると入った体は死ぬが、
月面上の装置にはそっくりのコピーが出来上がる、という場合、この装置に喜んで
入って月面旅行をしようという人はまずいないでしょう。(
>>885はこれに相当します。)
これに対し、「地球上の装置に入ると、肉体が粒子レベルまで分解され、その粒子群が
月面上に瞬間移動して、再び元通りの組成に組み上がる」という装置なら、心理的には
大変微妙です。「それなら使ってみたい」という人もいるでしょうし、「いや、分解された
時点で私は死んでいるので、月面上に出来上がるのは他人に過ぎないのだから、いやだ」
という人もいるでしょう。「それは実質的には殺人装置だから禁止しろ」という
意見も出るかもしれません。月面に人間が現れるのが「瞬時」の場合と「1時間後」の
場合と「1年後」の場合では、また心理的にも解釈が違うでしょう。
(続き)
これについては、「どれが正解でどれが間違いだ」とは一概に言えません。
哲学や物理学の知見を駆使すれば正解が一義的に決まる、という話ではないのです。
最後は社会的な合意によって決めるか、各自の自己責任に任せるしかないと思われます。
(脳の移植とか、臓器を人工物に置き換えるとか、重度の認知症とかの例も、基本的には同じことです。)
肝心なのは、実際にこの装置を使った人に聞いてみても、あるいは自分で
使ってみても、やはり答えは不確実なままである、ということです。
「いや、使う前は不安だったけど、案ずるより生むが安し、実際やってみたら間違いなく
月に来れたよ。間違いなく元の俺のままだよ、ほら。」と言われても、
コピーであっても全く同じことを言うわけですから、判断基準にはなりません。
自分自身で目をつぶって装置に入って、ブーンと音がしたと思ったら、次の瞬間には
月面にいて、体も記憶も異常はない、ああよかった成功だ、と思ったとしても、実は
装置に入る前の本人は死んでいて、今そう考えている自分はコピーに過ぎない、という
可能性も否定できないのです。
これが「存在するのは現在だけ、確実に認識できるのも現在だけ」ということの意味です。
瞬間移動などしなくても、実は全く同じことです。私は昨日
>>934-936を確かに書いたと
いう記憶がありますが、実は昨日書き込みをした人間は死んでいて、私はその記憶を持った
コピーに過ぎない可能性は、原理的に排除できません。この書き込みの一文字前ですら、
それを確かに自分が書いたという証明は不可能です。ビデオなどがあったとしても、実は
自分は生まれてからずっといわゆる「哲学的ゾンビ」であって、体は動いていたが意識は
全くなく、今この瞬間に数十年分の記憶と共に意識が作られた、という可能性もあります。
検証する方法は原理的にありません。まさに「神のみぞ知る」というしかないでしょう。
そして、この事情は、「いつまでたってもどの時点でも」常に同じです。今は単なる
「哲学的懐疑(屁理屈・笑)」に過ぎませんが、物質コピー機がもし本当に実用化されたら、人間は
この種の不安に本気で脅かされることになるのではないでしょうか。
長いうえに無内容・・・
>>951 「同じ粒子配列をもつコピーがつくられることが可能」と「コピーが複数存在することが可能」は
同じ意味ではありません。
この場合コピーがつくられた一瞬後には両者の粒子配列はちがっているわけですから、両者は
「粒子配列は変化しても同じ意識や記憶をもつ存在」というということになります。
すみません、たしかに
>>885には不適切な文がありました。
>>885訂正
「私とまったく同じ粒子配列を持つ存在も私自身ではないということになり」
→「粒子配列(およびその変化)によって規定される性質が私とまったく同じ存在も私自身ではないという
ことになり」
もちろん前者は後者に包含されるわけですから、後者が偽であれば前者も偽であることはいうまでもありません。
そして何度も書いているように「同じ粒子配列」という理論上の想定が「同じ物質」という概念を生じる
という考えが偽だというのなら、どこに間違いがあるのか指摘できなければならないということです。
そもそも
>>885は「私であるとはどういうことか」というハードプロブレムなのですが、いつのまにか
「個物であるとはどういうことか」というという問題に変わってしまったような気がします。
「『それ』であるとはどういうことか」の答えが「今この場にあるもの」ならまさに今指さして「それ」
と言っているものであり、これでは「それであるのはそれであること」と言っているだけでなんの説明も
与えたことになりません。
おそらくこれがあなたの言う「難しい問題はなにもない」ということだと思いますが、言い換えれば
これは説明する必要のないことであり質問すること自体間違っているということになります。
たしかにこれが東京スカイツリーやコップや舟のような客観的な事物についてならそれでもいいかもしれません
が主観的な意識をもつ「私」はそうではありません。
なぜならスカイツリーやコップや舟はすべて「私」からみて客観的に対等な世界の構成要素ですが、
意識をもつ主観的な私は常に世界の中心に位置しているからです。
だからこそ「哲学や物理学の知見を駆使しても正解が一義的に決まらない」ようなハードプロブレムが
生じるのでしょう。
今まで見て来た(主観的な意識をもつ)すべての例、私のコピーも、シリコンチップで出来た私の脳も
坂本竜馬のコピーも、目の前に現れた小学生の私のコピーも、瞬間移動する人間も(前にも書いたように
これは光速の壁があるから現実には不可能)、一度バラバラにされてから月面で再構築される人間も、
>>934-936を書いたあなたも、それらと比較対象になっているオリジナル(たとえばシリコンではなく本物の私)とともに
「主観的な意識からみた客観的存在」だからです。
だから死んだ直後につくられた自分のコピーのことを客観的に考えたとき(考えるというのはそもそも客観的
な判断ですから)「それらは別個の個物」という結論がでてくるのでしょう。
このことは自分のコピーを見ている坂本竜馬にも、コピーと本物の竜馬の両方を見ている第三者にも、
過去の自分のことを考えて今の自分と同じ存在かどうか考えているあなたについても同様にあてはまります。
あなたは現在の自分と過去の自分の両方を物質と同じ客観的な世界の構築物としてとらえているので、
別々に存在しているのだから別個の個物であり、そこには難しい問題はなにもないと考えるのでしょう。
しかし主観的意識のほうを主体として据えた場合これとはまったく違う結論に導かれます。
死の直後に私のコピーがつくられればそのコピーは、何の疑いもなくこれまでの私がそうだったように私
だと思っているでしょうし(ただし余計な予備知見がなければの話ですが。
>>953の「自分はコピーに過ぎない」
という可能性はそうした予備知見とか、いまやっている哲学的思考のような特殊な状況からのみ生まれてくる
もので普通はそんなことは考えないでしょう)、したがって自己の同一性は維持されるでしょう。
「コピーがつくられた直後に私が死んだ場合、私は死んだことになるのだろうか?」
この質問に対する答えは、意識をもつ私の存在を宇宙の中心に位置付ける(普段無意識に我々がやっているように)、
か、意識をもつ私の存在を他の意識をもつ存在や持たない存在と同じように広大な宇宙のちっぽけな構成物の
ひとつに位置付ける(熟考したときに我々がやるように)かによって自ずと違ってくるのではないでしょうか。
こうしてみると結局のところ自己の超ハードプロムレム(私であるとはどういうことか)は
意識のハードプロムレム(自然法則で説明できない主観的意識が存在するのはなぜか)から必然的に
派生してくる問題であり、世界でもっとも中心的かつもっとも解決が困難な問題のひとつといえるでしょう。
もっともそんな問題は初めから存在しないと言っている学者もたくさんいるようですが、
少なくてもこの世に意識をもつ自己として奇跡的に生まれて来た以上、自分自身が存在する意味について
より深く知りたいと思うのは自然なことではないでしょうか。
>>955 >そもそも
>>885は「私であるとはどういうことか」というハードプロブレムなのですが、いつのまにか
>「個物であるとはどういうことか」というという問題に変わってしまったような気がします。
>>885はいわゆる「意識の超難問(ハーダープロブレムかスーパーハードプロブレムか)では
ないかと思いますが、私の言いたいのはまさに、「それは個物の問題に還元されるのではないか、
だから別に心の哲学固有の問題ではないのではないか」ということです。
(ある意味スレ違いに違いないので、不快に思われた方はどうも申し訳ありません。)
>この場合コピーがつくられた一瞬後には両者の粒子配列はちがっているわけですから
それは、両者が別個の個物だからそういうことになるのであって、逆ではありません。
オリジナルとコピーは別個の個物で、周囲の環境(他の個物との関係性)が違うし
当然パースペクティブも重力の影響その他も違いますから同じ性質であり続けることはないで
しょうが、経験的な物理法則を無視してずっと同じ性質だとしても、別個の個物であることに
変わりありません。私であれ何であれ、個物は物理的性質にも心理的性質にも還元できない、
と、そういうことです。
>>956 >意識をもつ主観的な私は常に世界の中心に位置しているからです。
これは自我を持つ人間なら誰でも同じことであって、むしろそれが「自我を持つ」ということの
意味です。そうでない自我を考えることの方が難しいでしょう。
世界に無数にある自我のうちの他ならぬこれ一つだけがなぜ「この私」(永井均的に表記すれば<私>)
なのか、それがいわゆる「超難問」であって、それは単なる思考の混乱というか勘違いではなかろうか、
というのが私の趣旨なのです。
(続き)
>>957の前半は当たり前のことで、コピー氏も自我を持つ以上はもちろん世界の中心に位置して
います。そして、コピーであろうとなかろうと、あるいは嘘でも本当でも、一定の過去の記憶を
持つ自我である限りは、主観的には「自己の同一性は維持」されます。これも、そうでない
自我を想定することの方が難しいでしょう。
ただ、コピー氏の場合は、その「自己同一性の維持」は客観的には間違いだということになります。
客観的証拠(睡眠中のオリジナルをコピーして自分が作られている場面が録画されているとか)を
示されれば、主観的にも「ああおれはたった今作られたのか!」と納得せざるを得ないでしょう。
つまり、「自我の経時的同一性」が、単なる物質的個物としての「肉体の経時的同一性」に従属するわけです。
この点だけでも、自我(<私>)を存在論的に特別な何かだと考える理由はないと思うのですが。
一応お断りしますが、「哲学や物理学の知見を駆使しても正解が一義的に決まらない」のは、
別にハードプロブレムともハーダープロブレムとも関係なくて、個物の経時的同一性一般について
の話です。別にそれが難解深淵な問題だからではなく、単に「解釈次第でどうとでも言える」
ということに過ぎません。これは(一般的な心理に反して)私自身についても、同じことです。
思うに、なぜ<私>が存在論的に他の個物とは一線を画した特別のものだと考えられやすいかと
いうと、<私>は超越的・超時間的に意味づけられる存在で、現在過去未来のどの時点だろうと
「<私>である」というのは絶対的かつ端的に同じ意味である、という理解があるからではないでしょうか。
しかし、私に言わせればそれは心理的錯覚です。「私は…」と思考を始めることができるのは
どこかに存在する特定の人物(何か自我のある個物)だけであって、しかもそれが存在できるのは
今(特定の時点)だけです。「いつの時点の誰でもない<私>」なるものは、単なる意味不明の
空語に過ぎません。
そして、現在の「私」と過去や未来の何かとの同一性は(いつまでたっても)直接認識できないし、
最終的には「現在から見た解釈」の問題だ、という点でも、自我と他の個物を分ける理由は
別にないと思われます。
(続き)
蛇足ですが一応付け加えますと、いわゆるハードプロブレムとしての心身問題については、
私は何もわかりません。上で繰り返し述べた「コピーの思考実験」なども、一応唯物論的な
前提に立って書いただけで、二元論的な考えが正しいなら、そもそも粒子レベルの人体の
完全コピーを作っても、意識も自我も発生しない可能性もあります。ただの「肉でできた木偶人形」
になる可能性もあるし、形を維持できずにバラバラになってしまうかもしれません。
もしも「自我があるから肉体が肉体として存在し、動くのであって、その逆ではない」のだと
すれば、そのようなことになるでしょう。いわゆる「生気論」のような考えに立って、
「自我」を「命」と入れ替えても、同じことです。
三浦俊彦という人が、「ハードプロブレム(心身問題)こそが本当の問題であって、
「超難問」は、単なる間違った問いに過ぎない」という趣旨のことを書いていましたが、
(理由付けは違うと思いますが)私もそうではなかろうか、と思うわけです。
蛇足ついでに、私だろうと人体だろうとコップだろうとスカイツリーだろうと、
「なぜこの世界が存在するのか」が答えようのない驚異だということに、異論はありません。
ちょっと、考えがまとまってから書いてくださらぬか。思考途中の生煮えの考えを
大勢の人間が使う掲示板で垂れ流すのはどうなのかと。
962 :
ハゲ:2012/11/17(土) 19:42:11.89 0
10日ぶりくらいに覗いたらスレが凄く伸びていたけど
いい内容だったので1時間弱かけて読破したよ
2人でやりとりしてるんだと思うけど、
語調がよく似ているので、どっちがどっちかパッと見で分かるようにコテでも付けてほしい
どちらもこれだけの分量を書いていても、無駄に難しい言葉を使ったり抽象語で逃げたりせず
素晴らしい議論だと思う
963 :
ハゲ:2012/11/17(土) 19:54:00.87 0
自分も似たようなこと考えてきたけど
2人とも例えが上手なので読んでる人間によく伝わる文章になってると思う
自分は去年脱毛が酷かったので「プロペシア」というまだ世に出て10年未満の薬を飲み始めたんだけど、
正直最初は怖かった、性ホルモンに関係する薬でどんな副作用が出るのか分からないからね
で、薬はとてもよく効いたんだけど、そのときこんなことを考えた
「多世界解釈が本当だったとして、プロペシアの飲んでいない俺はハゲてしまっているのだろうか?」
「奴は、今頃どうしているんだろうか、、、」
今2ちゃんしてる俺も、どこかのハゲた俺も、1年前は同一人物だったが、
2ちゃん俺はハゲ俺と別の主観を持っている(ハゲ俺はもう精神が参ってキチガイ病院にいるかも知れない)
俺はあなたたちほどには熱心には考えていないけど、精神の同一性の問題って興味をそそるよね
俺もいい流れだと思うな。
哲学板で議論すると大抵は喧嘩になるのに。
965 :
ハゲ:2012/11/17(土) 20:03:02.68 0
「コピー機に身を投じる勇気を持てるか?」の問いかけは面白かった
自分も昔「情報化社会」なんて言われ始めた頃、やたらに「こんなこともできる未来」が想像されていたので
「でもいわゆるマルチメディアで視聴覚的な体験は再現できても、匂いとか感触は無理だよな」とか、よく考えてた
要するに「マルチメディアの究極は部屋にアイドルのコピーを造ること」で「さすがにそれはできまい」と思っていたわけ
でももしかしたらそのうちできるんかもしれないよね
心の哲学は結局人類文明が滅ぶまでメジャーになり得ず解明もされず終わるんだろうなとか思ってたけど
(オリジナルは消失する)コピー機が実現されれば、みんな考えずにはいられなくなるよな
私のまわりくどく分かりにくい文を真剣に読んでくれている人がいて嬉しいです。
>>960さんはこの分野の専門的な知見が豊富な方のようですが、私この分野に関しては基本的に素人なので
的外れなことばかり書いて過疎ってしまったのではないかと心配していたところです(笑
>>958 >経験的な物理法則を無視してずっと同じ性質だとしても、別個の個物であることに 変わりありません。
>>955で示唆したように、指さし呼称した「それ」であることが個物(それ)を特定する条件
(あるいは「やり方」でもいいですが)というのは自明のこと(つまり何もしなくても成り立つアプリオリな事実)であり、
それは説明ではありません。
ですから無条件で別個の個物という表現を用いることは、個物(意識をもつものであれ単なる物質であれ)
の意味について考える必要はないと言っているのと同じことになります。
そうではなく「それが何か」ということを説明したいのであれば、性質なり属性なりを分析して
他の「それ」との関係を記述しなければなりません。
>無数にある自我のうちなぜこのひとつだけが「私」なのか
この場合「自我」というものを唯物論的に解釈すれば、以前に書いた解釈にもとづき
「内訳はわからないけど『私である』という自意識を生み出すような粒子配列」ということになるでしょう
これは「私である」という自意識をもっているすべての存在について当てはまることなので、
世界には複数の「私」が存在しており「私」はそのなかの一人に過ぎず、この理屈には何の矛盾点もありません。
これが無数の自我が存在しているということです。
しかしその中のひとつの私(例えばあなたでも私でもハゲさんでも)を世界の中心に据えれば、
それ以外の「私」は中心に据えた私の知識の中にある自我にすぎないので、当然私の本物の自我とは
異なる客観的な事物でしかあり得ないということになります。
これを「自意識をもつ」という性質の代わりに「コップ」という性質に置き換えれば当然このような分離は
起こりません。
当たり前のことですがこれが「私」を客観的に宇宙の一員としてとらえるか、宇宙に存在する物質を
私の知識の一部としてとらえるかの違いであり、ハードプロムレムであれハーダープロブレムであれ、
結局のところ自意識をもつ「私」の存在を前提にする以上そこから派生するということでしょう。
(ちなみにデヴィット・チャーマーズは意識と量子力学の問題のふたつが最大のミステリーと言っていますが、
後者はとうてい証明不可能とはいえ整合性のある理論がいくつかあるだけ前者よりいくらかマシだと
個人的には思います。たとえば
>>963さんのいう多世界解釈がそのひとつですね。)
>>959 >私は超越的・超時間的に意味づけられる存在で、現在過去未来のどの時点だろうと 「<私>である」
というのは絶対的かつ端的に同じ意味である、という理解
超時間的に意味づけられるというのが「経時的同一性」を表しているとすれば、それはまさに主観的な自我
がもつ性質といえるのではないでしょうか。
しかし前にもちょっと触れたように物理法則によれば経験に反して時間は「流れる」ものではなく、
空間とともに時空として最初からそこにある「塊」と解釈されているので、個々の瞬間にあるものは
個々の空間にあるものと同じく、あなたの言うところの別個の個物ということになります。
にも関わらず同一性がもつというのが主観的自我の特性といえるのではないでしょうか。
>コピー氏の場合は、その「自己同一性の維持」は客観的には間違いだということになります。
これは
>>956の解釈とほぼ同じではないでしょうか。
コピー氏の「自己同一性の維持」が間違いなのは、本物の私や第三者の立場からみてまさに客観的な存在だから
です。しかしコピー氏本人の主観ではまさに「私」に他ならない、としか言いようがないでしょう。
ここで注意しなければいけないのは、コピー氏だけではなくその比較物としての本物の私もまた
私の思考のなかでは客観的な事物にすぎないということです。
カントがデカルトを批判したように「我思う」までは正しくても「ゆえに我あり」ということは出来ないのは
我ありとした時点で我を客観的な事物とみなすことになり、主観的な「思う我」から離脱してしまうからでしょう。
こんなことは昔からやってるお座なりな哲学論議でいまさら素人の私が言うことではないかもしれませんが、
結局
>>885の問題も永井さんがいう「無数の自我のうちこれひとつだけがなぜ私なのか」問題も
(著書を読んでないのでくわしいことはわかりませんが)最終的にはそこに行き着くのだと思います。
結論をいえば
>>885の「コピーがつくられると同時に本物の私が死んだ場合私は死んだことになるのかどうか」
という問題は「なぜ客観的な事物とは別に主観的な自意識なるものが存在するのかを説明出来ない限りわからない」
というのが解答ではないでしょうか。
意識をなぜ粒子配列にまで還元する必要があるのだろう
ニューロンとシナプスで構成された素子群上の電気的信号の束による現象として説明可能ではないのか
「私」にしろ「死」にしろヒトの認識能力が作り出す概念にすぎず、明確な実体などないというだけのことではないのか
じゃあ説明してみなよ
スレたててみます
>>970 意識は脳の情報処理機能の一部である
これは損傷脳の研究と最近では脳機能イメージングにより基本的に正しいと考えられている
脳は神経細胞と神経細胞を維持するための細胞から構成され、
情報処理機能は主に神経細胞とその結合状態というハードウェアにより構成されている
情報自体は神経細胞間でやりとりされる電気的な信号が実体である
細胞間の信号伝達には神経伝達物質が関与するのでこれも含める必要があるだろう
以上よりヒトの意識は脳のニューロンとシナプスで構成された素子群上の電気的信号の束
(および化学物質による情報伝達)による現象である
「私」はヒトが社会的な環境で個体としての自己と他者を識別するための概念だが、
多細胞生物としての自己がどこまでを含むかは厳密に定義することができない。
細胞的に死んでいる爪の先や髪の毛は自己の一部なのかそうではなのか、
精子や卵子はどうなのか、移植された心臓は自己の一部なのか、消化された
食物はいつから自己の一部なのか、飲んだ水の分子は自己の一部なのか、
はき出した二酸化炭素の炭素原子はいつから自己の一部ではなくなったのか
物質的な部分だけでも区切りは曖昧だ
むしろ境目はないというべきだろう
そのような実体があると考えることが間違っている
それは実体ではなくヒトが識別できるある状態なのだ
「死」も同様
とりあえず以上
明確な実体としての「私」なんて誰も話してないぞ
実体を損なっても「私」っぽいものがいるとか
実体があるのに「私」がいないっぽいとかって話ばっかりだったろ
識別できるある状態なのだ!っていうところから話始まってるんだぞ
では「なぜ『私』を識別できるのか、という問いにすればいいのか
それは進化により獲得した個体を識別するという精神的機能が
獲得する環境で必要だったダイナミックレンジを持っているということだろ
そこから外れる状況を正しく認識できないだけではないのか
そういう機能があるのか
どこまで働くのか
どういう働き方をしているのか
働き方は他人と同じなのか
それを認識の中から探っていくために
上の人たちは思考実験して
その結果やその実験の妥当性を話し合ってるんだよ
こういう
はっきり「これ」と指差して確認しあうことのできない物事について
2chのような場所でこれだけ長く熱意を持って議論されるってのは珍しい
それは今日では哲学的なアプローチで解析するテーマではなく
心理学や脳科学により分析する領域ではないのか
あるいは対象が明確でないからだらだら続いているように見える
客観的な対象なのか、主観的な対象なのかをまず明確にするべきだろう
明確に、主観的な領域の話だよ
意識のハードプロブレムでググってみてくれ
君の話してるのはイージープロブレムの方
そもそもハードプロブレムなんか存在しないという立場もあるが
ここでは基本的にはあるものとして話をしている
979 :
ハゲ:2012/11/18(日) 21:54:49.90 0
逆に連続しない主観ってのも、どういうもんなのかなぁと想像すると難しいんだよな
「そんなもん有り得るのか?」ってなって、結局連続している主観がよく分からんのと変わらん気がする
「宇宙ってけっこう(何者かにとって都合のいいように)テキトーにできてるんじゃね?」とか、たまに考える
まぁこうした二択しか想像できないのが人間の限界と考えることもできるけど
物理学は表面的にしか知らないけど、
互いに矛盾するものがそれぞれ絶対的であるかのように君臨していたりするっぽいし
心の哲学の分野でも、意識は随伴現象とか言われながらもどうしても一方通行とは思えなかったり
でも自由があるのかと言ったら、結果に対する原因って法則があるかランダムかしか思いつかないから
やっぱ主体性なんて概念自体が架空のものでしかないじゃんってなる
長期連載した漫画で色々後付け設定がでてきたみたいな、なんかこうテキトーな感じがするんだよね
980 :
ハゲ:2012/11/18(日) 22:11:23.82 0
>>978 ここは存在しない問題を難問とするスレッドです。
この板はIDがないので、誰が喋ってるのか分からない。簡単な数字でも名前につけてくれ。
984 :
ハゲ:2012/11/19(月) 19:44:05.30 0
物質と精神にはお互いに相容れない性質があるようなんだけど
ある物理現象が慣性系ごとに(例えば地球上にいるのと地球外にいるのとで)
実は意味合いが違ったのだという相対性理論のときみたいな、そんな感じの解決になるんでないかね?
985 :
960:2012/11/19(月) 20:36:49.97 0
まず、私は「専門的な知見が豊富」でも何でもありません(笑)。生煮えの考えをそのまま
書いているのは、率直に書いて批判してもらうのは自分の考えを深めるのに有益だと思うからで、
「正しい考えを啓蒙する」ためでは毛頭ありません。たまたま966さんが
>>885で私の興味のある
問題に触れられたので書き込んでいるだけなので、不快な方はどうぞ飛ばしてください。
>>966 >そうではなく「それが何か」ということを説明したいのであれば、性質なり属性なりを分析して
個物に関しては「それ」をまず(理屈抜きに)特定して、そのあとでその性質なり属性なりを
分析することはできます(ただし、時々刻々変化してしまいますが)。しかし、いくら性質や
属性を列挙しても、それでその個物を特定することはできないのではないか、それはコップでも
心がある人間でも同じことなので、そのことといわゆる「心の哲学」はあんまり関係ないのでは
ないか、とそういうことです。
>>967 >しかしその中のひとつの私(例えばあなたでも私でもハゲさんでも)を世界の中心に据えれば、
据えれば、でなく、少なくとも人間レベルの自意識や自我は、すべて主観的には否応なく
「世界の中心に据えられている」「主観的な我」なので、そうでない自我などないのでは、ということです。
自意識を持つ「私」の存在からハードプロブレムは派生すると思いますが(ハードプロブレムも
別に問題ではないという論者もいますが)、ハーダープロブレムはどうも擬似問題ではないか、と思います。
986 :
960:2012/11/19(月) 20:38:17.77 0
>>968 >ここで注意しなければいけないのは、コピー氏だけではなくその比較物としての本物の私もまた
>私の思考のなかでは客観的な事物にすぎないということです。
>カントがデカルトを批判したように「我思う」までは正しくても「ゆえに我あり」ということは出来ないのは
>我ありとした時点で我を客観的な事物とみなすことになり、主観的な「思う我」から離脱してしまうからでしょう。
これはちょっと理解できませんが、本当に
>>959にある通り「考えるというのはそもそも客観的
な判断」であり、考えの対象とした瞬間にそれは客観的な事物になるとしたら、そもそも「我」については
文字通り何一つ考えることも論じることも不可能となります。「我思う」とすら言えないはずです。
(思っているのは私である、と、どうやって判断するのでしょうか。)
言えるとしたらひたすら「思う、思う、思う、思う…」だけでしょう。
すると、我については「ある」とすら言えないのですから、「主観である」とも「人間である」
とも言えないし、当然自他の区別(共時的同一性)とかコピーがどうとか同一性とかその条件とか、
すべて「論外」というほかないのではないでしょうか。
(永井均さんなどはどうもそのような意味のことを言っているようにも思えます。)
>結論をいえば
>>885の「コピーがつくられると同時に本物の私が死んだ場合私は死んだことになるのかどうか」
>という問題は「なぜ客観的な事物とは別に主観的な自意識なるものが存在するのかを説明出来ない限りわからない」
>というのが解答ではないでしょうか。
私なりの結論を言いますと、その問題は、「なぜ客観的な事物とは別に主観的な自意識なるものが存在
するのか(≒ハードプロブレム)」が説明できても(たとえば
>>973氏のような考えが正しいと立証されても)、
わからないまま(というより、解釈の問題のまま)ではなかろうか、と思います。というか、
引用文の「本物の私」がいわゆる「客観的事物としての私」であり、その次の「私」が主観的な「思う我」に
当たるのではないかと思いますが、
>>968的に考えるなら、後者はそもそも「死ぬ」ことは有り得ない、というか、
死ぬとか生きるとか論じることに意味がない、ということではないのでしょうか。
推論能力と死の概念とそれを恐れる感情を持った自己複製機能を持つ物体が
存続しやすかった結果と見ることもできる