【現前化】時間はなぜ進むのか?【把持】part2

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17佃煮マニア
(つづき)
その議論はどうでもいいですが、「主観と客観は対義語で、その中間に相互主観性がある」ということは常識です。
それから、「二人以上の学者が研究の結果認め、一定数以上の人が信じる事柄は客観的事実」なのです。
「時計時間は客観的時間。出来事時間は主観的時間。」主観的時間と客観的時間の対比はこれで終わりです。

そこを踏み超えて、キリエさんはベルクソンを引いて、主客未分化の「持続」が時間だと言いました。
私は、ドゥルーズやバタイユなど生の哲学者は、時間について同じ様なことを述べていると補足しました。
しかし、機械さんの好きな予定説だと、今ここにある崇高なきらめく一瞬を直観、体感するより、
未来永劫自由意志もなくこつこつ贖罪をして、予め決められた通り来世の救済を待つのが真理なんでしょう?
そういう議論はないんですか?頼みますよ。