いま、ぼくは、ウィトゲンシュタインの「哲学探究」を読んでいます。(黒崎宏先生の『哲学的探求』読解)
そのなかで、ウィトゲンシュタインは、心的過程、というものをとことん退けています。(クリプキはそれを「心」にたいする憎悪みたいな表現をしていますが)
なぜ、ウィトゲンシュタインは、心を、退けるのでしょうか?
現象学から、哲学の世界に入ってきた、ぼくには、新鮮さと驚きと、疑念の入り交じった、印象をウィトゲンシュタインに感じています
2 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 16:44:35 0
>>1 戦争に無理矢理駆り立てられた経験から
死の恐怖と人間の心の弱さを痛いほど実感したからじゃないでしょうか。
3 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 18:00:30 0
ケツ叩きのウィト
4 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 18:01:02 0
>>1 生徒のケツを布団のようにバンバン叩くからです
5 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 18:02:00 0
>>1 彼はいわゆる文系をやる人間とは違うんです
理系脳なんですよ
7 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 18:31:50 0
ウィトは理工系の僕には、なじめるタイプの哲学。
さらに、近年のアメリカの分析哲学とはまた一味ちがう深み。
内面の宗教観、形而上学観。
8 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 18:33:12 0
日本人の理系って感情未熟なマザコンばっかりじゃないの
感情の対立から逃げるようにして論理に没頭する。
9 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 18:33:21 0
かたりえぬものにはちんもくせねばならないといいつつ、
そういう領域への崇敬の念。
哲学的、論理的言及との境界づけ。
10 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 18:34:17 0
>>1 僕はいま「野矢さんの「論考」を読む」を読んでます。
11 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/11/19(金) 18:48:49 O
心を退けるとは具体的にどのことだい?
私的言語の不可知性のところかな?
13 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 19:51:29 0
ウルキオラ「… … 心 … か … …」
14 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/11/19(金) 19:59:40 O
私的言語と心に関係あったっけ?
15 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 20:20:46 0
14 : 虎々ちゃん(静岡県):2010/11/19(金) 14:58:14.75 ID:9vuY4zgN0
知らなかったら知る努力をしよう
16 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 23:12:40 0
>なぜ、ウィトゲンシュタインは、心を、退けるのでしょうか?
なぜなら、心は、実在しないからです。
17 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 23:27:14 0
>>16 なぜなら、心は、実在しないからです
ことばが不十分。誤解を受ける。
「世界には」「論理空間には」ってこと?
実在とはなにか
19 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 23:49:15 0
ケツの叩きすぎ
ふ〜ん?
21 :
●:2010/11/20(土) 06:02:41 0
この人は哲学のような曖昧なものを数学的に答えのあるものにしたかったんじゃないのかい?
心的過程って、なにかな? 1は、くわしく説明をすべき。
最低でも、引用先とか述べるべき。
23 :
考える名無しさん:2010/11/20(土) 12:58:18 0
お前迷惑だよ<とーへんぼく
24 :
考える名無しさん:2010/11/20(土) 14:31:58 0
25 :
考える名無しさん:2010/11/20(土) 14:32:16 0
?
26 :
考える名無しさん:2010/11/20(土) 18:39:33 0
>>21 論理的言説の適用範囲を確定しようと格闘。
なにかいわゆる一般的にイメージする「哲学」の答えをだそうとしてはいない。
近現代にそぐわないのに残りつづけている「哲学」に決定的なとどめをさそうとした。
しかし、伝統的な哲学が求め続けていた言語を絶する領域にたいする崇敬の念はあった。
こういうものを論理言語ごときで語ってくれるな、ということか。
ちがうかな?
27 :
考える名無しさん:2010/11/20(土) 18:43:43 0
>>26 考えれば考えるほど、訳が分からなくなるね
28 :
考える名無しさん:2010/11/20(土) 19:59:32 0
離婚の主な原因って結婚らしいぞ。
29 :
考える名無しさん:2010/11/20(土) 21:16:49 O
形而上学が嫌いだったからでわ?
30 :
考える名無しさん:2010/11/20(土) 22:33:35 0
>>29 きらいではなかったとおもう。ごりごりの記号論理学者や今の分析哲学者は
そうかもしれないけど。
彼は、あくまで学問的・論理的記述のありかたとしてものをいってると思う。
その背後のこと、行間にみえるもの、まで否定してるわけではなく、
それを言えるか言えないか。
31 :
考える名無しさん:2010/11/20(土) 23:09:32 O
形而上学と心は語り得ぬものじゃん?
て?
32 :
考える名無しさん:2010/11/20(土) 23:59:05 O
我々は対象‘について’語ることは出来る。
しかし対象を‘語り出す’ことは出来ない。
対象は主語に出来ない。
33 :
考える名無しさん:2010/11/21(日) 00:02:54 O
おっと「オブジェクトはサブジェクトにならない」だと
トートロジーだな。あああ、暇だ。どうでも良いわ。
34 :
考える名無しさん:2010/11/21(日) 00:23:45 O
ケンブリッジの博士号だかの面談で師匠のラッセルたちの
肩を叩いて「諸君には(私の話は)分からない」だろうって
慰めたのな。そういう世界もある。
「性のアウトサイダー」と「ウィトゲンシュタインと同性愛」から先に読んだからか、
そういう枠でしか彼のものを読まない。
ケツ
37 :
考える名無しさん:2010/11/21(日) 06:02:51 O
ああ、完全な人生の浪費だね。
38 :
考える名無しさん:2010/11/21(日) 06:05:33 O
>>35 君が「私はバカである」と言う時、この「私」は本当に主語で
あるのか疑問に思わないだろ。
39 :
考える名無しさん:2010/11/21(日) 07:37:08 O
>>35 全く、君が救いがたいバカであるからと言って気落ちする
必要はないのだ。
何故なら君は私ではないのだから。
そこで私が誰かに「私にはこのスレが糞スレであることがわかる。AAで荒らされているから。」
と言ったとする。
その人は私に聞くかもしれない、
「AAで荒されているスレを見るとき、君にどうしてこのスレが糞スレであることがわかるのか。」
と。
・・・・ヽ(*`Д´)ノグォラァ
41 :
考える名無しさん:2010/11/21(日) 22:51:05 0
>>40 AA荒らし屋も、ちゃんとスレを選んで荒らしてる。良スレは荒らさないだけの良識はもってる人たちさ。
言い換えれば、荒らされたということはクソスレ認定されたってことさ。
42 :
41:2010/11/21(日) 22:55:32 0
ここはスレ主が比較的まじめに聞いてきてるから、
>>40につられてAA貼るのはくれぐれもよしてくれよ。
43 :
35:2010/11/22(月) 03:09:57 0
やっぱ、ウィトゲンシュタインとその信者は、ハエ取り壷にはまってしまったハエだなw
44 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/11/23(火) 14:49:51 P
独我論全般に対する論破:
心は物(物質)の構成する人体に生ずる物である。
物の写像が、心の中に構成される。(心の内の、精神の働きによって)そして、心の中に、世界像が形成される。
ある心は、他の心の一部の写像を、物(目、表情)から、構成する。
また、他の心のつかんだ命題のかたちの世界像(物質と、他の心(の一部)たちを含む)である、言語表現から
影響を受けて新たな世界像を構成する。従ってこの新たな世界像(我の心の一部)には、他の心の一部が含まれる。
以上の考察により、我の心は、他の心の全体をつかむことはできないにしても、一部は確実につかんでいる。
独我論とは、この一部の心を、理解しているからと言って、起源が他者に有ったことを無視し、自由に、捨て去る
等の加工をすることができることをもって、自分の心でしかないと言い張る、要するにすべての吸収にのみ視点を
おいた、起源に対する無視するところに成立する、論である。従って、悪い独我論者は、起源を無視した自己中心性
に陥ることが多いと、予測される。
>>44 独我論は恐らく論破できないと思うんですよ。
自分の襟首を持ち上げて宙に浮かぼうとするようなもので、どんなに腕力(論理)を鍛えても不可能に思えます
あるいは、自らの目で自らを観察する事と同じくらい不可能でしょう。鏡が無いと無理みたいな
ヴィトゲンシュタインは全然読んだ事が無いんであれなんですが、
心が物質だから何? と思います。そこは全く論点では無い。しかしながら、
ヴィトゲンシュタインはそれを指摘した時点で、もう論破していると言わんばかりです。その考え方が理解できないです
46 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/11/23(火) 15:08:28 P
>>45 つまり、物は心を写像できない。心は物を写像できる。この、不対性、一方向の流れ
を悪用して言い張るのが独我論であり、独我論に対する論破としては、あなたの心の(あるいは、あなたの世界の)
起源は、どこにありますか、と質問すれば、論破できるのではないか、と考えたんだけど。
結構使えると思うんだ。
>以上の考察により、我の心は、他の心の全体をつかむことはできないにしても、一部は確実につかんでいる。
より正確に言うのなら、「我の心は、他の心の一部を掴んでいると信じている」でしょうね
我々は、我々の観察や認識をいくらでも疑えます。そして、その懐疑はついに晴れる事はありません。
懐疑論に対し、「それでは君は会話もできないねw」と言う人がいますが、それは懐疑論に対する
不完全な理解と言わざるを得ません。我々の懐疑は晴れる事はありません、しかしながら、
自分の認識を正しいと信じる事はできます。
信じるとは、非常に弱い力です。「お前にとってはそうだな」という言葉一つで揺らぐものです。
対して、真理や理論は強い力です。「誰にとってもそうであり、信じない者が間違っている」と言えます。
懐疑論が言わんとすることは、真理や理論など、初めから無い、という事です。
つまり、「誰にとってもそうであり、信じない者が間違っている」という考え方は、無いと言っているのです。
より正確に言えば、普遍的な正しさは疑い得るから、普遍的に正しいと言えない、という事でしょうか。
問題は、認識に対する信頼度でしょう。
懐疑論に反する人は、己の認識は100%正しいのだとしたいのだと思います。
対して懐疑論者は、己の認識が100%正しいわけでは無い、と思っているだけであり、
100%信用していないという事ではありません。答えが出せない、と肝に命じているだけとも言えると思います
>>46 悪質と言うのなら、心の起源を問う質問は悪質であると思います
分かるわけが無い、と言うのが率直な意見です
もしかしたら24時間前に出来たのかもしれません。それを否定する術もありませんし
49 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/11/23(火) 15:40:30 P
>>47 あなたの、論述を読んでいて、疑問に思ったのが、
>対して懐疑論者は、己の認識が100%正しいわけでは無い、と思っているだけであり、
と言うところに対して。
懐疑論者は、己の認識が100%正しいわけでは無い、と言うことについて疑うことができない、と言うことを無視している。
己の認識が100%正しいわけでは無い、と言うことについて疑うとは、己の疑いについて、疑いを持つことだ。
要するに、すべての人間は、有る瞬間には、有る一定の懐疑という意見を含んだ、世界像を持っている。
その瞬間から、別の瞬間に移るときに、世界像を変化させることによって、懐疑という行為が成り立つだろう。
世界像の変化を伴わない懐疑などあり得ない。従って、懐疑とは時間に依る。有る一定の時間の内での
行動によって、有ることに対して疑っているか、そうでないかがきまる。瞬間瞬間の世界は疑いえないことは、
明白だ。
懐疑論は、(村上春樹の小説から引用すれば)重い時計を下げた山羊に似ているように思う。
時間を進めるために、今は何時かいつも気にしている。確かめなくても時間は進むのに。
懐疑しなくても、ひとは疑うべき時には疑うはずだ。
何か、以上の文から意義のあることを取り出すとすれば、懐疑論、と聞くと、疑問と言う概念をひとくくりに
考えがちだが、疑うという行為の創造性は、多様であろう、と言うことかもしれない。
50 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/11/23(火) 15:51:19 P
>>48 悪質と言えば、分かるわけが無いという答えほど悪質な物はない。
そういってしまえば、自分の心は自分だけの物、従って、他人の心は
他人だけの物、と、自己の所有のみを主張するのか。勘のみによって、
人を責めたり、人に感謝したり、自分の心はこうだと言ったり。
24時間前に心が出来ましたと言ったり。
自らの自由の拡大は、記憶喪失の理由によって、主張されるのか。
悪いこともばれなければよい(と言い聞かせる)、都合の悪いことは忘れる、
まあ、いずれにせよ人は自分に嘘はつけない物だと思うが。
本当に起源に無関心ですか?他人の心の現状の起源を気にしなくても生活
出来ますか?
ウィトゲンシュタインは「哲学を語ることの無意味さ」を論理的に完結した。そこが偉大。
考えたこともない対象は、疑ってもいないということだ。
しかし、疑っていないことが、イコール信じていることにはならない。
一度も疑ったことがないことを、信じているとは言わないのである。
信じているとは、それが疑いの対象(思考の対象)になった後に、
意識的にその疑いを否定することが、信じているということである。
信じるとは、疑いを疑うことである。ゆえに、信じるとは疑うことなのだ。
信じるとは疑うことである、という事を、みんな分かっていないから笑える。
ある科学者が、炊飯器を持ち出してこういった。
「私が開発したこの炊飯器はわれわれと同じ心を持っています。もちろん
お米も炊けます。この炊飯器は恋もするし逡巡もします。そしてごはんを
つくることができるのです。」
さて、われわれはこの炊飯器が心を持っているか否かどうやって
確かめればいいんだろう?
われわれと同じ心というのは無理がある。
心を固有の反応だとすれば、炊飯器も人間とは違う心を持っている可能性はあるだろう。
違う心だから、どういう心かは理解できない。
55 :
考える名無しさん:2010/12/02(木) 18:01:39 O
プラスチックのオモチャ犬に癒されるって奴はいるらしいが、
共感したいとは思わんね。
見わけがつかないほど良く出来たものなら、そう言えないだろ。
57 :
考える名無しさん:2010/12/02(木) 23:49:15 O
アシモフのロボット三部作とかな。
生き物には電源スイッチはないが。
58 :
考える名無しさん:2010/12/11(土) 20:30:04 0
59 :
考える名無しさん:2010/12/13(月) 22:45:53 0
今考えてることも、感情も、心も、全ては電気信号でしかない。
>>49 >その瞬間から、別の瞬間に移るときに、世界像を変化させることによって、懐疑という行為が成り立つだろう。
瞬間もまた懐疑されます。つまり、私が過去だと思っている事柄は、私の思い違いでは無いだろうかと。
瞬間という発想は、主観による観察を「疑わない」時だけ成り立ちます。
しかし懐疑論では、そのような「疑わない」事をせず、主観による観察は曖昧であるとします
61 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/12/14(火) 22:32:22 0
>>60 >瞬間もまた懐疑されます。つまり、私が過去だと思っている事柄は、私の思い違いでは無いだろうかと。
瞬間(過去だと思っている事柄を含んでいる瞬間)に対して、「私の思い違いではないだろうか」と思う時間(瞬間)
同士を比べることによって疑いが成り立つ。
懐疑という行為が、瞬間瞬間の移り変わりを基礎として成り立つということが言いたかったのであり、瞬間が疑いうる
というのは、別の瞬間の存在を認めれば、当然のことですね。世界観の変化と言うことを言いたかったのですよ。
「懐疑」という行為について、常に見張るような行為であると言うような認識を持っておられるように感じられたのですが、
それは言葉(懐)の綾のようなものであって、疑う主体と疑われる主体の世界観を分けることは出来ず、主体というのは
世界観を持つ(認識)ことのみを行い、
と言うようなことが
>>49の時点では考えていたことですが、私よりあなたの方が包括的理解に立っていることに気づいた。
瞬間を思い出すことが出来るのが「主体」であり、過去については「主体」の持っている物(記憶)であり、「懐」疑という
主体性のある行為も可能である。私の
>>49の考えは、懐疑論を可能にする主体の思考の産物である「瞬間」
を現象学的還元しようとしていたことに気づいていなかった。
62 :
考える名無しさん:2010/12/15(水) 01:20:36 O
63 :
考える名無しさん:2010/12/18(土) 20:28:48 0
>>59 外界を観察すると脳の物理現象があらわれる。
自己の内界を観察すると情感・質感(クオリア)があらわれる。
双方に対応関係はあるが、どっちかに還元してしまうことは、ほんとは独断にすぎない。
それに、ウィトの文脈からズレている。
>>63 還元て言葉は無意味だな。正確には原因と結果の関係と言うべきだろう。
また、どっちかに還元するのが問題というななら、双方に原因を求める考え方をすればよい。
65 :
62:2010/12/19(日) 02:06:01 O
>>63 貴様の頭蓋骨に脳みそが詰まってるかどうかは、貴様の頭蓋骨を
割って見なけりゃ分からん。これが確実性の問題だ。
66 :
62:2010/12/19(日) 02:09:18 O
科学的な知識は常にドクサであり得るからな。
67 :
63:2010/12/19(日) 02:54:26 0
>>64はおっしゃるとおりだ。
問題だというのは原因と結果の関係とするところだな。
あるいは主客二元論の前提⇒そこから観念論あるいは唯物論に一元化(還元)ってのも問題かな。
ちがう?
>>65 >>66 そういうことじゃないな。科学の帰納法の限界の問題以前。
主客の断絶の問題だよ。
最近の哲学で還元という言葉がどのように使用されているかはよく知らないが、
一部の要素で全体を説明することや、下部構造で上部構造を説明することを還元主義と批判する事から来ている言葉なのだろう。
まあ、それは問題だと言っちゃあ問題だが、どんな理論でも一部しか説明できないのだから、
還元?することは避けられないのである。
また、主客二元論についてだが、主体も客体も、どちらも人間の感覚器と接し感覚を通過して生まれるものであるのだから、
感覚に一元化してよいと考える。
69 :
考える名無しさん:2010/12/27(月) 17:06:17 O
感覚とは認識の形式に過ぎないのでは?
71 :
考える名無しさん:2010/12/27(月) 17:21:31 O
「感じる」ということに既に感じる側と感じられる側が
前提になっていないか?
それ抜きには感覚の定義が不可能に思うが。
人間的存在という現象を人間存在そのものから解釈する、だっけ?
つか懐疑論についての一般形式ってのが、山田圭一のウィトゲンシュタインの解説本にあるよ。
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例えば他人の心の議論だと
S:「他の人が心を持っているなんて証明できない」
C:「いや出来るだろ。彼は心を持っている@。だって映画を見て笑っているじゃないかA」
S:「いや、君が言えるのは、正確には「彼は映画を見て顔の筋肉を動かしているAa」
ということだけだ。
もし、彼が精巧なアンドロイドで映画を観るとき笑顔をつくるように作られているとしようB。
それでも、世界になんら矛盾は生じない。
よって彼が心を持っているとはいえないC。
他の人にもこれを繰り返すと、すべての人が心を持ってない可能性があるD。といえる」
ってのが懐疑論の論法
整理すると
@:日常的命題「彼には心がある」
A:日常的証拠「彼は映画を見て笑っている」
→Aa :書き換えられた証拠:「彼は映画を見て顔の筋肉を動かしている」
B:懐疑論的仮設:「彼は精巧なアンドロイドかもしれない」
(暗黙の世界観Ba :「人間には心がある)
C:不可決定性:「彼は心を持っているとは断定できない」
D:懐疑論的結論:「人間は心を持っていない」
って構造をしている。
懐疑論者はまず「Aならば@」っていう一般的な論証のAをA:aに書き換える。
その後BとA:aが同時に成立することを言う。
かつBと@が矛盾することを示す。(本当にBが攻撃しているのはBa)
そこでAaの証拠能力が無くなってAaならば@が妥当な推論ではなくなる
でここからCが導かれて、それを他の@のクラスの命題に当てはめればDが成り立つ
>>45 以下、ウィトゲンシュタインの「論考」の独我論の部分。
http://tractatus-online.appspot.com/Tractatus/jp/index.html 5.6 私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する。
5.61論理が世界を満たす。世界の限界は論理の限界でもある。
それゆえに、論理の内側で「世界にはこれらは存在するが、あれは存在しない」と語
ることはできない。
そう語ることは、明らかにある種の可能性の排除を前提としているが、しかし、それ
は事実ではありえない。なぜなら、事実であるとすれば、論理は世界の限界を超えなけれ
ばならない。すなわち、世界の限界を超えることによってのみ、論理は世界の限界を外側
からも見ることができるのだから。
思考できないことを思考することはできない。思考できないことを語ることもできな
い。
5.62 以上の見解が、独我論はどの程度まで正しいかという問いの鍵となる。
すなわち、独我論の言わんとするところはまったく正しい。ただ、それは語ることが
できず、自らを示すだけである。
世界が私の世界であることは、この言語(私が理解する唯一のこの言語)の限界が私
の世界の限界を意味することに示されている。
5.621 世界と生はひとつである。
5.63 私は私の世界である。(ミクロコスモス。)
5.631 思考し表象する主体は存在しない。
「私が見出した世界」という書物を私が書くとすれば、その書物の中で私の身体につ
いても報告がなされ、また、どの部分が私の意思に従い、どの部分が従わないか等も語ら
れなければならないだろう。これはすなわち主体を孤立させる方法、というよりもむしろ
ある重要な意味において主体が存在しないことを示す方法なのである。すなわち、この書
物の中で論じることのできない唯一のもの、それが主体なのである。
5.632 主体は世界に属さない。主体は世界の限界である。
5.633 世界の中のどこに形而上学的主体が認められるのか。
あなたは、これは眼と視野の関係と同じ事情だと言う。しかし、現実には、あなたは
眼を見ることはない。
そして、視野におけるいかなるものも、それが眼によって見られていると推論できる
ものはない。
5.6331 すなわち、視野は決してこのような形をしているのではない。
5.634 このことは、われわれの経験のいかなる部分もア・プリオリではないということ
と結びついている。
われわれが見るすべては、また別のようでもありえた。
われわれが記述できるすべては、また別のようでもありえた。
ものにはア・プリオリな秩序は存在しないのである。
5.64 ここにおいて、独我論を徹底すると純粋な実在論に一致することが見てとれる。独
我論の自我は広がりを欠いた点に収縮し、自我に対応していた実在だけが残される。
5.641 それゆえ、哲学において非心理学的自我を論じうることには確かに意義がある。
自我が哲学に現れるのは「世界は私の世界である」という事実によっている。
哲学的自我とは人間ではなく、人間の身体でも、心理学が扱う人間の心でもなく、形
而上学的主体であり、世界の部分ではなく、世界の限界である。
76 :
考える名無しさん:2011/02/04(金) 16:06:56 0
>>73 第三者の心で議論してるのがつまらんね。
「君の心」、「僕の心」で差し向かいに議論
しないと。
77 :
考える名無しさん:2011/02/06(日) 19:20:14 0
駄目だよなぁ、こんなことで哲学している
つもりになっちゃ・・・
78 :
考える名無しさん:2011/02/06(日) 19:22:52 0
自分に心があることをどうやって自分に
証明するかが問題だというのに。
79 :
考える名無しさん:2011/02/06(日) 19:41:02 0
証明不可能なのであれば、そんなものは
存在しないのかも知れない。
スフィンクスは自ら謎を解かねばならないと
言ったのはキルケゴールだったと思うが。
朝は四つ足、昼は二本足、夕暮れには三本足に
なるこの生き物とは一体、何であるのか?
人の一生を象徴した謎かけですね
老人が皆、杖をつくわけではないけれどね
さて、うどんを煮て食〜べ
携帯絵文字使ってもPCだとわかんねえよ。
物心ついてから死ぬまでずっと三本足な
生き物もいるけど、ああいうのは迷惑だね。
82 :
考える名無しさん:2011/02/06(日) 20:43:07 0
スフィンクスがオイディプスに投じた謎かけの
生き物は、
>>81の生き物とは全く別のものの
ようだ。
「人」で一緒くたにくくっても回答にはならん。
83 :
考える名無しさん:2011/02/07(月) 13:15:39 0
自分に心があることを他人に証明する
必要はない。ただ、自分自身に対して
それが証明可能であるかどうかを独り
で考えるんだ。
85 :
考える名無しさん:2011/02/08(火) 00:50:03 0
>語の意味とはその用法である
>脳というのは心的な語彙を用いる文脈としては単純に間違っているのである。
>したがって、脳の心的状態を探し求めるのはカテゴリーミステイク(範疇の錯誤)、
>つまり一種の推論の誤謬なのである。
向こうずねを蹴り上げられると「脳が痛みを感じる」、
つまり「頭痛が生じる」というのは間違いということだな。
86 :
おじさん:2011/02/08(火) 15:23:03 0
おじさま(ケロロ軍曹)の本棚にも、ありますよ。
ウィトゲンシュタイン
88 :
考える名無しさん:2011/02/08(火) 16:59:31 0
向こうずね蹴り上げられると頭痛のする奴が正常なんだろw
89 :
考える名無しさん:2011/02/08(火) 18:52:25 0
フーコー的にアスペを語るスレ
90 :
考える名無しさん:2011/02/08(火) 20:07:20 0
衒学趣味のお喋りですか?
91 :
考える名無しさん:2011/02/08(火) 20:37:39 0
そうでもあります。
社会によって「病」と判断されていく個性について語ります。
92 :
考える名無しさん:2011/02/08(火) 22:21:20 O
個性に心はありますか?
大昔から、「天才はほとんど狂人だ」って言われ続けてきたからな。
逆に、狂人の要素が無い者は、天才じゃないってことだ。
おやおや、またアスペ厨が暴れているな。w
凡才の故に、ウィトゲンシュタイン程の才人をみると
どうしても基地外の烙印を押して、隔離したくなるんだろ?
凡才は庭で盆栽でもいじっていればいいのに。w
それは逆で、狂気を肯定的に評価しているのだが。
96 :
考える名無しさん:2011/02/09(水) 17:48:39 0
狂気には狂気なりの合理性がある。
天才は境界例だろうけど、本当の
狂気とは違う。
97 :
考える名無しさん:2011/02/09(水) 17:58:03 0
境界例は普通の人の世界が分かるから、
世の中に評価される。
98 :
考える名無しさん:2011/02/09(水) 21:54:13 O
フーフーはハイデッガーの影響があるらしいじゃないか。
84年にエイズで死去。流行の最先端だな。
99 :
考える名無しさん:2011/02/09(水) 21:56:57 O
洗濯屋の車に跳ねられたり窓から飛び降りたり、ポスモダって
のは妙な奴が多いよ。
100 :
考える名無しさん:2011/02/09(水) 22:00:47 O
洗濯屋の車に跳ねられて死んだのはロラン・バルトだっけ?
実にクールだ。惚れ惚れするほどに無意味だ。
天才=頭の働きが凡人とは異なる=狂人
で、天才の定義そのものが狂人にも適用できちゃうわな。
102 :
考える名無しさん:2011/02/10(木) 12:36:07 0
霊感抜きに天才にはなれんけど、狂人はその限りではない。
103 :
考える名無しさん:2011/02/10(木) 13:10:32 O
霊感を持つ狂人ってのは単なる魔物だね。観念するより他はない。
天才は歴史の中で輝く。歴史のない世界では発明王くらいにしかならん。
天才はキチガイだけでは成立たない、
キチガイの裏か中か同時に正常以上の優秀さも隠している。
間抜け君にはその優秀なキチガイと、愚劣なキチガイが区別できない
ほど落ちぶれている。
つまらん。
合理主義の世界には天才の居場所はないな。
108 :
考える名無しさん:2011/02/10(木) 22:11:53 O
規制かかりまくりだけど、体制としては絶対に言われたくない
ことはあるわけだな。
109 :
考える名無しさん:2011/02/11(金) 00:23:36 O
体制ってか、たかが2ちゃんねるだからな。
110 :
考える名無しさん:2011/02/11(金) 01:23:37 O
バブル期なんてな日の丸君が代なんて皆、気にもしなかったな。
そういう意味じゃ幸せな世界だったかなwww
111 :
考える名無しさん:2011/02/11(金) 01:24:40 O
おっと誤爆だこりゃwww
112 :
考える名無しさん:2011/02/11(金) 01:47:48 O
国旗国家なんてもんは666の焼き印くらいな意味しかないんだ。
113 :
考える名無しさん:2011/02/11(金) 01:51:26 O
国旗国家法制定が、1999年8月9日だ。もう4日遅らせたら
13日の金曜日だったというのに。
おまいらオーメン
115 :
考える名無しさん:2011/02/11(金) 02:17:44 O
あれでないか、俺を完全規制したいんだけど締め出しも
恐くて出来ないとか。
116 :
考える名無しさん:2011/02/18(金) 03:07:04 O
論考における計算式のテンポラリテートはどぅ?
それは思う
青色本やっと一回しした。
原著とにらめっこしながらだったから時間かかったなぁw
しかし、やっぱむずいな。
119 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 14:33:01.47 O
おまいらにゃ難しいんだろうな。
120 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 14:37:03.50 O
>>1 「知行一致」って言葉がヤンキー語にはないんだろう。
121 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 16:37:29.22 O
合理主義の盆栽脳が増えてウィトゲンシュタインが読解出来る
奴がもう殆どいないんじゃないか?
恐ろしい。
122 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 16:48:29.71 O
宗教心に欠ける奴がウィトゲンシュタイン読んでも分からん
だろう。
それが進歩だと勘違いしとる。哀れだのぅ
読んでも分からん
というより、
目新しさが見つからん
124 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 18:16:56.66 O
目新しさというのは新しいものでなければ優れていないと
いう進歩主義的偏見だな。
ウィトゲンシュタインでなければ読めない着想なら幾らでも
あるぞ。
125 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 19:30:48.76 O
ガリレオの重力加速度普遍法則の発見を当たり前のことだと
言うのに似てる。
126 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 19:35:26.21 O
我々はガリレオやニュートンを「当たり前のことを言った奴」で
済ませられるし、ノーベル賞なんか無意味に出来るぞ。
何を発見しても「当たり前のことを言った奴」で済ませられる。
127 :
123:2011/03/10(木) 19:48:41.90 0
128 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 20:18:18.95 0
パクったもの勝ちな世界だな。特許も著作権も廃止。
129 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 20:26:51.36 0
先に数理論理学やってた自分が論考読んだ感想は、
「ロジックをわざわざ日常語で解りにくく解説した本?」
だったんだが、実際、歴史的な順序はどうなってるんだろうか
130 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 20:34:30.52 O
記号は意味を持たないが何かの意味を指示する、というのは
数理論理学では自明のことですね?
131 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 22:30:45.06 0
>>130 そう定義しただけ、論理という体系を保つ原理にすぎない。
数学が万能だという妄想を捉えているなら現実もみたほうがいい。
数学は秩序的法則性を最高の美とし信仰するからこそ、記号を美化
する理論を表現してしまう。ここは哲学板だ、数学板ではないのは自明である。
132 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 23:05:00.14 O
記号自体と、記号の指示(代理)する意味を混同するのは、
初学者にありがちな間違いなのですね。
133 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 23:19:32.17 0
134 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 23:25:38.32 O
素人は、こういう単純なことを見落としてしまいますからね。
こういう当たり前の教えてくれる本というのは、なかなか
出会えないものです。
まだ見えてなくて、そろそろ見えて来た、非常に重要な問題が
あるんだが、それは追々、片付けよう。
>>133 ここは哲学板だが何を勘違いしているの?
137 :
135:2011/03/18(金) 03:35:32.45 O
なかなか手こずる。
138 :
考える名無しさん:2011/03/21(月) 01:10:56.89 O BE:5471485799-2BP(0)
ヴィトゲンシュタインが語り得ないものに沈黙してる画像下さい!
ワールドメイトでは心と精神は実在何打よねー!?♪。
人が考える能力を持っているということは、分かってないから考えるわけで、
考える能力を持つ限り、人は、永遠に全てのことが分からない。
記号体系は訓練の体系に過ぎず、訓練の体系は、信じる体系に過ぎない。
分かっていると思い込んでいることは、実は訓練して信じていることであり、分かることではない。
人は永遠に分からない。
141 :
考える名無しさん:2011/03/22(火) 13:07:48.97 O
可能と必然を取り違える馬鹿↑
心(内的過程)については『探求』では、あるともないともいえないとかひたすら曖昧にしてただけではなかったかね。
ましてウィトの興味は心そのものではなく、心の語り方ではなかったか。
この人が信じられるのは財産放棄したことや、
教員やってたころに生徒を怒ったこと。
やっぱ先生は生徒を怒らなきゃダメだよ。
あとどこかで掃除だか何かのバイトしてたでしょ。
共感できる。
>>143 アホかいな。
生徒を叱ったとはいっても、熱い師弟愛や熱血先生だったからじゃないよ。
えこひいきは、しまくりの、相当な変人教師。
それどころか、生徒の親から訴えられて、法廷でウソをつき、あろうことか、そこか
ら逃走し、これで教師生活とオサラバしたくらいだ。
詳細な伝記を読んだ方がいい。ちゃんと書いてあることだ。
現実はマンガやドラマじゃないぜ。
145 :
考える名無しさん:2011/04/15(金) 19:48:11.55 0
ウィトゲンシュタイン関係の文でintrasubjectionとintersubjection
という違いが主張されてるんだが、どういう違いなのかわからん。
辞書引いてもどっちも間主観性になる。
>>144 アホはお前だ。
だからこそ信じられるんじゃないか。
そんなことも分からんのか、このバカもの!
>>144 詳細な伝記を読んだ上で言ってんだ、ばーか。
>>145 ちょっと、根本的に勘違いしてないか?
intrasubjection であれ intersubjection であれ、それが何で間主観性という訳語
になるんだ?
ちゃんと辞書を引いてみ?
そもそも何を(英語論文?)読んでいるのか、気になるが。
>>149 言ってることを信じるんじゃない。
人間を信じられるということさ。親近感さ。
ちょうど祖父さんや祖母さんを信じる気持ちと一緒だ。
それより
>>144の浅さを反省しろ。
紛らわしいのをわかってて「信じる」なんて言葉つかっておいて
その言い草…
>>144は不必要に攻撃的ではあるが、浅いのかね
清濁併せ呑んで人を信じられる自分は「浅くない」と、遠まわしに言いたいのか?ん?
どうでもいいから、せめて、伝記的な事実くらいは踏まえた上で語れや。
信じるも信じないも、一体、何の話をしてるんだ?
154 :
考える名無しさん:2011/04/16(土) 10:34:06.90 0
>>148 スペクトラムの反転という話。シュメーカーという人の論文
そうなの?intersubjectiveで間主観性と出てきたからそうだと
おもったんだけど、、。intraは間、あるいは手法、模範とでる。
だから規則ということなのかなと思ったんだが違うのか
おお、シューメイカー!
スペクトラム反転の話は、今時のクオリアについての議論の元祖みたいなものだから、
丁寧に読んでおくといいと思うよ。
で、問題は、普通は subjective と subjection は違うという話。
でも、確かに語源は一つだよね、哲学史的にみても。
その論文の関連した文章を転記できる?
>>151 遠まわしには言ってない。そのものズバリだ。
>>153 あのさ、お前ね親からの遺産相続放棄してみろよ。
どの部分もクソもねえだろ。
お前にはできないだろ。
ニートが考えているのは贈与もしくは相続のことだろ。
もしくは今持ってる財産を手放せるか?
俺も含めてできねえからウィトはすげえってことだ。
それだけで十分すごいだろ。
>>156 うーん、おまえいくつだ?
おまえが言っているのは、財産譲渡する人はエライ、だから俺はそいつを信じる、と
いうこと「だけ」だ。
そりゃあ、確かにエライかもしれんが、それで、おまえはどうするんだ?
人類発祥以来、財産譲渡する人はヴィトゲンシュタインだけではないだろうし。
頭は大丈夫か?
シューメイカーの話だ。
原論文(問題の英文)が何なのかわからないので、以下は推測。
率直に言って、シューメイカーが subjective と subjection(「be subject to」を想
起せよ) を交換可能な仕方で使うとは思えないが、語源的に見れば両者は親類だとも
言えるので、仮に「ほぼ同義」として使っていたとする。
そうすると、問題は inter と intra の二つの接頭辞の意味となる。
おそらく、そこで対比されているのは、間主観性(あるいは相互主観性)としての
inter-subjection と主観内在性(とりあえずの私訳)としての intra-subjection
になるかと思う。
両者の相違点は、非常にラフに言えば、inter-subjection は「公共的に(第三者的
に)観察可能」という視点であり、intra-subjection は「私秘的であり公共的に観
察不可能」という視点として整理できるだろう。
前者の典型例は「行動」であり、後者の典型例は「感覚」ということになる。
以上、原論文がわからないので、全然自信はないが。
>>157 お前完全にゆとりだな。
ずっとニートだろ。将来親の財産相続することしか考えてないだろ。
お前いくつだと?お前には年齢の幅はせいぜい10年単位でしか念頭にないだろ。
お前の親はいくつだ?お前みたいなクズを生んだ親の顔が見たい。
虚をつかれて慌てて言い訳すんな。
アホなんて言葉は関東では使わない。
関西のゆとり乙だな。
>>159 よっぽど悔しかったのか?図星だもんなw
そのままコテ外せよw
161 :
考える名無しさん:2011/04/16(土) 20:19:42.51 0
せめて相手の言い分には答えろよ
>人類発祥以来、財産譲渡する人はヴィトゲンシュタインだけではないだろうし
論点そらして嘲弄するだけが能か
162 :
考える名無しさん:2011/04/16(土) 20:22:23.12 0
信奉するヴィトゲンシュタインと、
信奉する理由の高尚さに酔っていた自分を否定されたのが
余程悔しかったのか
自分が不利な状況にあるとき、
その状況に追い込んだ相手がその状況にあるかのように見せかけて
強い口調で反論する人を2ちゃんではよく目にするんだけど、
必死さが現れていて傍から見てると面白いね
>>虚をつかれて慌てて言い訳すんな。
わざわざ敗者の惨めな心境を語るなんて、恥を知ってる人ならしないでしょ
>>156 俺も含めてできねえからウィトはすげえってことだ。
それを素直に認められる俺もすげえってことだ。
否定は許さん。否定する奴は浅薄な人間で、ニートに違いない。
そもそもウィトゲンシュタインの哲学と本人の人格に何の関係があるんだ。
スレタイの趣旨を履き違えたのか?
訂正
そもそもウィトゲンシュタインの哲学と、本人の人格を信じることに、何の関係があるんだ。
>>163 何でこっちが不利なんだ?不利なのはお前のほうだろ。
お前こそコテ外した本人だろ。
言い訳する前に浅墓なアホ呼ばわりしたことを
素直に謝れ!
それと一度でいいから社会に出ろ!
話はそれからだ。
>>164 だから?
自分が不利な状況にあるとき、
その状況に追い込んだ相手がその状況にあるかのように見せかけて
強い口調で反論する人を2ちゃんではよく目にするんだけど、
必死さが現れていて傍から見てると面白いね
>>それと一度でいいから社会に出ろ!
わざわざ敗者の惨めな心境を語るなんて、恥を知ってる人ならしないでしょ
>>166 それでウィトゲンシュタインを理解したと思い込んで喜んでるのかもしれない
粛々と哲学や数学の勉強するしかないでしょ
…こう書くと、そうやって人間の中身を見ようとしないからお前はニートなんだ!
なんて反論しようとするのかな
>>164 ちょっと君、質問に答えてくれないか?
相続放棄できるかね?
>>170 お前も質問に答えろ、相続放棄できるか?
それが論点ずらしだと言われてるんだよ
彼が高潔な一面を持っていることが、彼の哲学と何の関係があるの?
>>164はともかく、
>>170(俺)がその質問に答えなければならない理由はなんだよw
そんなに「素直に認められる自分」を知らしめたいのかw
>>173 いや、初めからそういう論点じゃないよ。
お前こそ強引に持っていこうとするな。
哲学云々は言ってない。
まず人間として信じられるってことだ。
どんなに立派なこと言ってても相続放棄できなきゃ
大したもんじゃない。
いいか?人間を信じるということは言ってることを全部信じることとは違う。
初めから哲学の話はしてない。
ただゆとりの関西弁が変な茶々入れてきたんで
腹立ってんだが、ゆとりが認めようとしない。
まさにゆとり、論点そらしってことだ。
>>174 だったらすっ込んでろ!
>>175 レスを遡ってみると、確かに私の早とちりだったようです。
大変失礼をいたしました。伏してお詫び申しあげます。
>>157 >うーん、お前いくつだ?
↑
なんなんだ、お前は。
これが、ひとに年齢を訊く態度か?いったいどういう教育を受けて育った?
無意味な上から目線で自分の不利な状況を変えようという意図か。
ところがすぐ下の文章は財産譲渡とニュアンスを変えてる。
論点のすりかえだ。譲渡は俺だってできる。
そもそもお前は先祖からの財産を放棄できるか?
ということを訊いている。できなきゃできないでいい。
わざと意味を取り違えて誤魔化していることも他の奴にバレてる。
>>176に免じてこれで終わりにする。
>>177 何が論点のすりかえだ、このタコ。
本当に頭は大丈夫か?
原点に戻ろうじゃないか。
おまえは
>>143 で次のように書いた。
> この人が信じられるのは財産放棄したことや、
> 教員やってたころに生徒を怒ったこと。
> やっぱ先生は生徒を怒らなきゃダメだよ。
> あとどこかで掃除だか何かのバイトしてたでしょ。
> 共感できる。
これに対して、俺が「もう少しは伝記的な事実を踏まえた方がいい」という指摘をし
たことから始まったな?
言うまでもないが、無知であること自体は罪ではない。それを悔い改めないのも、お
まえの自由だ。
しかし、上記の文章に加えて、その後の「エライから俺は信じる」というおまえの主
張が、どれくらいお粗末なものか、考えたことがあるか?
ましてや、それがヴィトゲンシュタインと一体何の関係がある?
おまえが何を信じようが、それはおまえの勝手だが、ある程度の伝記的な事実も踏ま
えないままに、それをここで開陳する意味は一体何だ?
いいか、論点をすりかえるなよ。
↓話をそらしてばかりの143の浅薄な知識w
143 :考える名無しさん:2011/04/15(金) 17:50:14.72 0
この人が信じられるのは財産放棄したことや、
教員やってたころに生徒を怒ったこと。
やっぱ先生は生徒を怒らなきゃダメだよ。
あとどこかで掃除だか何かのバイトしてたでしょ。
共感できる。
財産放棄は、アッシジのフランチェスコ症候群。といってもカトリックじゃなかったけど。
生徒殴打の件は、父兄から告訴沙汰になりかかって、小学校教員を辞めた一因。
1938年頃、ドイツのオーストリア併合時期に友人宅を巡って懺悔告白シンドロームに
陥ったときの主な「秘密」のひとつ。バイトというか、第二次大戦中に病院でボランティア
をしてたことがあるね。ドイツ軍のロンドン空爆とかでショック状態になった戦傷患者らの
メンタル・ケアとかしていたらしい。弟子のドゥルーリーはアイルランドで精神科医になって
いたが、戦後、ケンブリッジを去ってアイルランドに渡ったころ、精神科医はもしかしていいかも。
と考えてたこともあったらしい。
>>178 何なんだ、お前は?粘着か?
信じるの意味わかってないだろ。
ウィトの言うこと丸ごと信じるなんて書いてないぞ。
人間の基本的なところで信じられるということさ。
お前は祖父母と一緒に暮らしたことないのか。
親には不満がある、反抗もする。
だが祖父母には甘えられるし祖父母も財産のことなど
警戒しないんだよ。
お前は人間の家族関係というものを経験していないんだろう。
だから分からないんだ。
お前が子どももしくは孫を持ってみればわかるかもしれない。
孫の言うことを端から訂正したりしないだろ。
危ないことは注意する、だが言ってることをいちいち否定したりはしない。
そういうことさ。
親しい人が間違いを言ってもスルーする。
お前にはそういう経験がない。
相続放棄を財産譲渡とすりかえたのはお前のほうだ、いいかげんにしろ!
>相続放棄を財産譲渡とすりかえた
俺は馬鹿だからわからないんだが、この違いは重要なのか?
それこそ、論点がすげ変わってしまうほどに
>>181 なんで後半、人格批判みたいになってんだ
相手の主張を正させたいのではなかったのか?
論点すりかえて鬱憤晴らすのは卑怯だと思わないか?
それともアレか
論敵の悪印象を聴衆(いるのか?)に植えつけて世論を味方につけようと?
だとしたら呆れるほど低俗だ
そうでないことを願うよ
いろいろ失礼なことを言ってスマンな
>>184 君が全然前を読んでないことがわかる。
的外れで何と言っていいかわからない。
>>185 それは文学の良心やお前がやってることなんじゃないのか?
俺は一貫しているが、
コテの奴が自分の間違いを無かったことにしようとして
必死なだけだよ。
それを読み解けないのは仕方が無い。
無関心なくせに茶々を入れたいだけだからな、お前らって。
文学の良心とやら、お前がよくよくバカで卑怯な人間だと分かった。
お前みたいなクズが世の中を悪くしていくんだな。
>>182 もう最初の段階でお前は失敗しているんだから、それをいくら誤魔化しても
ダメだよ。書き込んでない奴はそれを分かっている。
書き込んでる奴は分からずもしくは無関心だが何となく絡みたいだけか、
自演だな。
ほとほと呆れ返った。
もういいかげんにしてくれないか、つまらないプライドのために
自分の間違いを指摘した人間を叩いて誤魔化すのはさ。
>>189 面倒なので最後にするが、
>>143に対して
>>144は早とちりをした。
哲学の「て」の字も書いていないにもかかわらず、
>>144は早とちりしてごっちゃに考えてしまった。
それに気づくのが遅かったようでもあるが、
気づいてからももみ消しでいろいろすり替えて叩いてきたのさ。
つまり財産の話と哲学に何の関係があるんだ?とばかりに。
始めから財産の話だけで哲学の話はしていない、財産の話と哲学に関係などない。
にもかかわらず「文学の良心」は無理やりくっつけた議論にすり替えようとしたんだよ。
>>183 相続放棄と財産譲渡の違いが分からなければまず議論に入る前に自分で調べろ。
>>190 早とちりしてごっちゃにしたと読み取れる最初のレスは
>>165なんだが…
なぜ「文学の良心」に非があることになってるんだ?
それと、相続放棄と財産譲渡の違いは重要か?いい加減はぐらかさずに答えろよ
192 :
考える名無しさん:2011/04/23(土) 17:08:14.30 O
我々の生に終わりはない。我々に起きるはこの世界における
生の中断だ。
生の終わりとしての死は存在しない。
死は我々を厳粛にさせる。死なない人間に尊厳なとありはしない。
193 :
考える名無しさん:2011/05/17(火) 21:31:35.16 O
世界は事実の総体であって、事物の総体ではない。論考1.1
これはアインシュタイン的態度だ。
ヴィトゲンシュタインは消去主義だよ。
消去主義だからといって心の存在を否定する訳でもないし心の重要性や市民力はもちろん認めているけどね。
195 :
考える名無しさん:2011/05/17(火) 23:49:48.32 O
アメリカ哲学の符丁だろ。アテにならん。
196 :
考える名無しさん:2011/05/17(火) 23:52:13.26 0
「語る」という点に特化した話をしてるだけだからさ 彼は
現代アメリカの分析哲学や心の哲学とは似ても似つかない
クワインがかなりウィトゲンシュタインの論を発展させはしたな。
198 :
考える名無しさん:2011/05/17(火) 23:56:05.71 O
「心の哲学」というのも安易な発想だな。
ウィトゲンシュタインは論考で哲学が心理学に堕落する
危険を戒めてる。
199 :
考える名無しさん:2011/05/18(水) 00:04:28.83 O
死が存在しないことに気づく瞬間というのはあるんだ。
それに見合う言葉をえぐり出すのに二十年かかった。
池田がいてくれたら良かった。
最晩年には『心理学の哲学』を書き残しているから
心理現象に興味があったんだろうな
201 :
考える名無しさん:2011/05/18(水) 00:14:43.09 O
後期になってウィトゲンシュタインは「心理学の哲学」を
やるわけだよな。心理学は科学だ。その基礎論としての哲学
だ。
202 :
201:2011/05/18(水) 00:18:15.18 O
203 :
考える名無しさん:2011/05/18(水) 17:51:10.06 O
近代科学としての心理学は行動主義に行き詰まるだろう。
行動主義には心の概念はそもそも必要ないからな。
204 :
考える名無しさん:2011/05/18(水) 17:59:29.31 O
そもそも心とは、空間的などこかに存在するようなものだろうか?
205 :
考える名無しさん:2011/05/18(水) 22:31:42.45 0
>>204 なわけねぇだろw
全てシナプスの発火に起因する幻想
206 :
考える名無しさん:2011/05/18(水) 23:45:52.16 O
幻想は空間のどこにある?
207 :
考える名無しさん:2011/05/18(水) 23:52:38.52 0
シナプスの発火は実在するのか
209 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 00:03:56.00 0
「○○は存在するのか」「○○は確かなのか」
この問いを発するのが議論の上で適切かどうか構わず、話を逸らそうとする人が後を絶ちません。
このスレに明確なテーマは存在するのか
>>205 個別のシナプスの発火は、特定の心的現象に「対応している」ということだけが
実証されているにすぎない。
だからウィトゲンシュタインは決して三人称化できない心の私秘性をカブトムシの箱で喩えた。
心を「幻想」なんていうのは哲学的センスが全く無い素朴唯物論で生きてるDQNと同レベルが言うこと。
【だけが実証されているにすぎない】
にも拘わらず
【決して】三人称化【できない】
んん?どうやって断定したの?
可能性を含む、ではなく、断定したからには
確かに「幻想」なんて表現するのは受け入れられないのだろうけど、
もしも根拠なく断定したのなら、それこそDQNではないか?
訂正:
× 可能性を含む、ではなく、断定したからには
○ 否定と肯定の両方の可能性を含む、ではなく、否定であると断定したからには
哲学的センスwww
それは何かの役に立つのかね?www
215 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 02:11:47.71 0
>脊髄反射で
あー、俺も自分の得意分野で他人が間違ったこと言ってたら嬉々として叩くわww
217 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 20:01:27.95 O
>>207 何でポエムだよ。貴様の妄想は三次元座標のどこかに存在するか?
脳神経で生じる電気化学作用じゃなしにだぞ。
218 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 20:08:22.65 O
人間として存在するってことは、貴様たちが考えているよりも、
ずっと不可解なことかも知らんぞ?
全部「かもしれない」じゃあなあ…
220 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 20:24:40.43 O
人生の謎は自分で解くもんだろう。
じゃあ他人に指図すんなよw
222 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 20:29:28.43 O
いつ、俺がああしろこうしろと言った?
そうだな、「かもしれない」なら各人好きに考えればいいし
224 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 20:37:35.04 O
繋がってるとか繋がってないとか、へその緒引きずったままな
奴らが多いからな。
はははwww
なぜに人生の謎
227 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 20:40:44.51 O
好き嫌いで考えたり信じたりしても、意味がないだろう。
「好きに考える」の「好き」は、「好き嫌い」のソレとは意味が違うだろ…
230 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 20:44:54.02 O
「好きなものを信じれば良い」とかよく言われるだろ。
嫌いになるかも知れない。
降伏の化学の犬川流法狂疎創再に任せるよねー!?♪。
232 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 21:18:29.39 0
携帯、俺だけだし。
>>226 何でも分かったような偉そうな顔して、まるっきり
頭の中空っぽな世の中だろう。
233 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 21:27:12.61 0
快楽原理があれば人生に意味など必要ない?
>>232 お前にとって心の謎が人生において重大な意味を持つことはわかるが、
そう思わない者は偉そうな態度で頭空っぽだと決め付けるのは傲慢だ
235 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 21:54:45.73 0
そういう神様みたいな顔した奴らが世の中を
支配して腐らせているだろ。
236 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 21:57:50.74 0
自分というものの正体のなさを他人に対する
優越感で誤魔化すのに必死な奴らだ。
237 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 22:04:59.81 0
真面目(しんめんもく)に欠けてるのさ。
238 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 22:21:44.30 O
心の謎に興味がないことと、人の心を蔑ろにすることは、お前にとっては同じことなのか?
だったらもう何も言わんよ
239 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 22:36:20.19 O
個人の主義なら誰も文句は言うまい。共感するつもりは、
もちろんない。
240 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 22:39:53.15 O
心の謎なんてない。神経作用だなんて心無いことしか言わない
奴が他人の心を尊重するのは物理的にどうか?
241 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 22:47:11.67 0
心なんて幻想だ、嫌だボクは悩んだり苦しんだり
畏れたりしたくないアメリカ人みたいに恰好良い
のが良いんだボク勝ち組へへへというのは哲学
的には、どう考えるべきだろう?
規制かけんなコラ
<法政大学出版局>
『ウィトゲンシュタイン読本(新装版)』 飯田 隆 編
税込価格 : \3675 (本体 : \3500)2011年5月刊
「新しいウィトゲンシュタイン像を求めて」「ウィトゲンシュタイン解釈の現状」
「ウィトゲンシュタインの遺産」を主題に、最近の研究動向を紹介する。
付録「ウィトゲンシュタインの遺稿」も収録。
243 :
考える名無しさん:2011/05/19(木) 22:58:25.34 O
「かっこいい哲学」でスレを立てちまいやがりなさい。
244 :
考える名無しさん:2011/05/20(金) 00:48:05.41 0
心なんて形にも見えないしメカニズムもわかってないから
議論しても水掛け論てか不毛な議論になるのは必然だよな。
まあ不毛な議論が無意味とはいわんが。
特にウィトゲンシュタインはアスペだから人の心が分からない。
知能は高いが社会的には馬鹿。愚か者。
こういうアスペが小中学校の教師だと最悪。
247 :
考える名無しさん:2011/05/21(土) 19:52:32.92 O
>>244 昔の日本人なら、それを「悟りを得る」とでも言ったろう。
迷いのなくなることだ。
不毛な議論から悟りを得るまでには、随分と隔たりがありそうだけどな
悟りが得られるかも、なんて期待しながら2ちゃんやってたの?
249 :
考える名無しさん:2011/05/21(土) 22:55:42.34 0
禅籍読んでバカ笑い出来るようにならない内はROMしてろ。
250 :
考える名無しさん:2011/05/22(日) 18:56:39.23 O
>>245 他人の心が分かることと、無闇にそれに迎合するのは別のことだ。
これは独善主義の言い訳ではなしにだ。
心の神秘を否定するな!否定する奴は人非人だ!
と喚くだけのスレになってますね
252 :
考える名無しさん:2011/05/22(日) 19:45:20.64 O
付け焼き刃なマイ哲学が好きか。
「思想の場所は頭だと言いたい気がこうも強い主な理由は
恐らく次のことである」。
『青色本』
また、つまらないものを斬ってしまった…
何も2ちゃんで切腹しなくてもいいのにw
255 :
考える名無しさん:2011/05/22(日) 22:30:32.42 O
つまらん煽りだな。何故、哲学に興味がある?
256 :
考える名無しさん:2011/05/22(日) 22:37:29.62 O
板を間違えてるだろう。相手にされてると思ったら駄目だぞ。
257 :
考える名無しさん:2011/05/22(日) 23:24:34.65 O
人生の不可解なんてことは余計な話で、薄っぺらくて分かり
やすけりゃ良い。
「謎は存在しない」、考えることをしないからなw
心は物理で捉えられるという主張は、そのような努力をするという宣誓を含んでいるように思うんだけど、
謎はあるんだと主張する人は単なるオカルト好きな人にしか見えない。
少なくともこのスレを見ているとね。
本当に考えることをしているんですか?
心の謎を(物理的でないアプローチで)真剣に考えている人もどこかにいますよ
このスレにはいないようですが
260 :
考える名無しさん:2011/05/23(月) 00:16:29.23 O
そこで19世紀に楼蘭でヘディンに発掘された菩提達磨無心論の出番ですよ!
261 :
考える名無しさん:2011/05/23(月) 00:34:39.35 0
悪の根源だから心は。
人類が滅びるとしたらこれだろ。
ウィトゲンシュタインは心を直視できなかった。
おかまであること。父親の恐怖の記憶。恋愛のトラウマ。強い自責の念。アスペであること。
心は呪われたわざわいの箱で、怖くてとても見つめるわけにはいかなかった。
263 :
考える名無しさん:2011/05/23(月) 08:19:20.46 O
心が股関にぶら下がってますよ?
他人から観察されたからって
だからどうって感じだよなw
265 :
考える名無しさん:2011/05/23(月) 19:36:36.63 O
「ウィトゲンシュタインと罪」について語るなら、ラッセルの
思い出話が味わい深いね。
深夜にラッセルの部屋に傲然と押し掛けたなり、
黙り込むウィトゲンシュタインに
ラッセル「君は論理学のことを考えているのかね?
それとも君の罪のことを?」
ウィト「その両方をです。」
KOKOROは言語ゲームのなかで生きているぞ!
267 :
考える名無しさん:2011/05/27(金) 19:22:28.61 0
ラッセル ラッセル ラッセラッセラッセル
>>257 人生に存在する謎について、「それは謎だ」と口にする以上のことを
何か考えてらっしゃるんですか?
>>258 謎はないと言えるのは神様だけです。
心は物理で捉えられるという主張は、信仰の告白です。
物理主義者でさえ大半はブラックボックス機能主義で「心」そのものを
研究の対象外にしています。
カルト宗教にのめり込んでる人は自分で考えられないんですね。
物質そのものが謎なんだけど。
271 :
考える名無しさん:2011/05/29(日) 10:26:20.29 O
>>268 自分のことが、まるで一つの疑問符であるように感じたことはある。
謎めいた存在なんて言い回しは余りに陳腐だが。
272 :
考える名無しさん:2011/05/29(日) 10:30:34.62 O
解こうとするから謎なのだろう。人間の自然的な知性の光は、
神秘の前では無力だ。
273 :
考える名無しさん:2011/05/29(日) 10:36:38.11 O
安っぽく全能感覚に酔いたがる頭の軽い輩どもにゃ分かるまい。
全能感覚ってどういう感覚なのだろう?
そんな凄そうな感覚にぜひ酔ってみたいものだ。
275 :
考える名無しさん:2011/05/29(日) 17:39:14.75 0
官能感覚の間違いだろ
276 :
考える名無しさん:2011/06/06(月) 22:37:27.64 0
ウィトゲンシュタインは哲学者というより理論科学者
ヴィトゲンシュタインを心身論の文脈で読むことほどつまんないことはない。
と、言っても、それがウィトゲンシュタイン本人とその研究者の主要な関心だしな。
まぁ「心身」論と言ってもウィトゲンシュタインは「身」の方はあんまり語らないから、
そっちの方で言ってるのかもしれないが。
279 :
考える名無しさん:2011/06/16(木) 15:37:26.81 0
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i| /レ/l l l v'´ ̄ , ´ ̄`イ !| ll,ハ └─‐┐ナ┐┌┘ _ ヘ____
ハ| ll∧ハヽ ト、 '''' r==┐ '''' /l jハ| ll ll /./┌┘└┬┘└┼────┘ロコ┌i
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ウィトゲンシュタインて大したこと言ってないな。この人の思想はひとつの通過点に過ぎないね。
281 :
考える名無しさん:2011/06/16(木) 22:03:24.84 0
思想ですらない
この人に思想はない
やったことは分析
ようは今時のコメンテーターレベル
282 :
考える名無しさん:2011/06/16(木) 23:45:45.38 O
いや、論考は切り取れば最も重要な科学論ではある。
ウィトゲンシュタインに思想体系なんぞあるはずがない
その場その場で考えている人だからハイデガーなんかとは全く違う
>>283 ろくでもない入門書ばかり読んでるからそんな感想しか持てない。可哀想な奴だな。
読み込めば、初期から終期まで思想の根幹は首尾一貫していてブレていないことが理解できるはず。
某のような前言訂正を繰り返すために駄本を乱発する類の思想屋ではないから、一読理解は無理。
百読玩味しないとな。なぜなら、その根幹は語られていないから。語られた部分を鋳抜いて
シルエットとして残る残像が見えるようになって、はじめて思想の根幹・体系が見えてくる。
そういう構成主義な思想家だから。玄人向け。本人も「鍵は吊してあるがだれも取らない」とかね。w
本場のアメリカでもウィトゲンシュタインは前期と後期で全然違うことを言っているというのが定説です。
一貫した「体系」を見いだせるあなたは凄いですね。
『科学哲学』などに寄稿されてはいかがでしょうかw
286 :
考える名無しさん:2011/06/17(金) 09:59:21.50 0
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カントは哲学によって数学と物理学を基礎付けようとした。
しかし、カント自身はといえば
「活力測定考」で、デカルト派とライプニッツ派を調停しようとして
大失態をしでかした前歴があるドキュソ。
ニュートン力学を信奉しながら、ちゃんと理解できていなかった。
ヘーゲルなんかも、微積分を理解していないにもかかわらず
批判しようとしたのは有名。
数学がまともに出来る有名な哲学者といえば
ラッセルやヴィトゲンシュタインくらいかな。
違うことを言っているというか、後期の思想は、論考に見られるような体系的思想を踏み台にして、
それを取り崩すことに意味を見出すという感じだから、そう意味では、体系的な静的一貫性はなくても、
思考の過程としての動的一貫性はあると言える。
↑
バカ発見w
…と、お金のない貧乏人が煽っております。
金のない奴は失うものがないし、いつ刃物を振り回すか分かりません。
気を付けましょう。
↑
大バカ発見w
…と、ブサイク童貞が喚いております
>>289 『反哲学的断章』 1930年
ある特定の人が部屋に入ってくるのを、君が欲しないのなら、
その人たちが鍵を持っていないような鍵を、つるせばよい。
しかし、そのことについてかれらに一席ぶつのは、愚かなことである。
もっとも、部屋を外側からほめそやしてもらいたいという魂胆があれば、
また別だけれども。
哲学する者にだって 「品格」はあったほうが良い。ということを少しは考えたほうが、と思うぞ。
295 :
293:2011/06/18(土) 11:30:36.80 0
品格のあるような奴は
ほとんど哲学などやらないだろうな
297 :
考える名無しさん:2011/06/18(土) 14:53:01.37 0
…などと意味不明な供述を繰り返しており
私の脳内で「女性=美しい」と言う女性の残像が女装趣味のお花畑なのである。
さっき己の姿を鏡を見たんだが、この世に私ほど美しい存在などありえないというほどに美しかった。
窓から差し込む淡い月明かりに照らされた私の面貌は、それはもう奇跡のような造型美だった。
完璧な肉体と、完璧な表情…
その全てが、神がこの世に遣わした美の化身そのもの、と言っても過言ではないよ。
美しすぎるっていうのも、一つの罪なんだな。
,-――-、
/ \
/ ...-ー、,-─ . l
| .-=・=- i、-=・=-.|
| / ー-' ヽ /
\ ヽニソ ,/
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/ └-(____/ /<_/____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
299 :
考える名無しさん:2011/06/18(土) 18:58:02.37 0
よくを断つということ
…と、ブサイク童貞が喚いております
県警は余罪を厳しく追及する方針
302 :
考える名無しさん:2011/06/18(土) 21:18:40.18 O
>>285 本場あ? 一昔前のドイツ哲学に親しかった日本人の方が良く分かってたろ。
…などと意味不明な供述を繰り返しており
ウィトゲンシュタインは英米哲学の系列に進んだからな
英米の研究の方が進んでいる
日本は英米研究者の受け売りだよ
黒田亘ですらそうなんだから
ウィトゲンシュタインじゃなきゃダメなんですか?
306 :
考える名無しさん:2011/06/18(土) 21:34:09.79 0
やっぱポエジャな?
米青 ネ申 禾斗 ( こ 彳〒 ιナ
いや? そもそも日本の場合、つい最近になるまで、
「分析哲学」自体がろくに知られていなかった。
大森荘蔵や黒田亘の影響が強い中、論理実証主義をすっ飛ばして、
「分析哲学というのは、どうやらウィトゲンシュタインに注釈をつけることらしい」と思われていた、
と言っても過言ではないw
だから幸か不幸かある意味日本は世界一ウィトゲンシュタインを研究している国でもある。
/\___/\
/ / ヽ ::: \
| (●), 、(●)、 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, | < まーたはじまった
| ,;‐=‐ヽ .:::::| \______
\ `ニニ´ .:::/
/`ー‐--‐‐―´´\
>>308 無茶苦茶でんがな ┐(´д`)┌ヤレヤレ
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/ / _,.-‐'~/⌒ ⌒\
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/ ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| |
/ iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
313 :
考える名無しさん:2011/06/19(日) 05:08:23.30 O
314 :
考える名無しさん:2011/06/19(日) 10:39:35.99 0
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させていただきます。
315 :
考える名無しさん:2011/06/19(日) 12:39:01.08 O
第二次大戦後にユダヤ系でありながら、こともあろうにドイツ兵
捕虜収容所に慰問で楽器を贈呈して、叩きに遭って「私は渡り
鳥だ」と悲憤にくれた人物だぞ。
アメリカ人に理解出来るはずはなかろう。
316 :
考える名無しさん:2011/06/19(日) 12:50:24.07 0
【日本人が欧米人に勝てない理由】
・論理的な思考ができない(感情剥き出し)
・ノブレスオブリージュという概念が無い
・お互い様という寛容の精神が無い
・失敗するとなかなか這い上がれない
・過去の出来事にいつまでも囚われていて進歩性が無い
・レッテル貼りが得意で偏見の塊
・傲慢で粗野
・反省ができない
・常にレールから外れる(外される)ことを恐れる
・枝葉ばかり見て本質を見ようとしない
・責任転嫁が得意で責任感が無い
・遊びが幼稚(例:カラオケ)
・理解してもらおうというプロセスを軽視する
・国に一体感が無い(例:東京と大阪、北京と上海)
・芸術を金儲けとしか考えられない
・卑屈な人間が多く個人の魅力に乏しい
318 :
考える名無しさん:2011/06/19(日) 19:20:01.35 0
【団塊の世代】
終戦直後の1946年〜49年に生まれた口先だけの無責任で反日売国世代。
「失われた20年」の元凶。加速度的に日本を衰退させた連中。
無学無能な上に事なかれ隠蔽主義が特徴。
日本国の中の朝鮮人といえる特異な精神性でとにかく異常な世代。
「呪われた世代」。現在は61歳〜65歳。
坂口弘…1946年生まれ 連合赤軍元党員
菅直人…1946年生まれ 民主党党員(現在内閣総理大臣)
仙谷由人…1946年生まれ 民主党党員(中国共産党公認スパイ)副長官
岡本公三…1947年生まれ 日本赤軍党員
鳩山由紀夫…1947年生まれ 民主党党員(前首相。朝鮮カルト。脱税王)
赤木志郎…1947年生まれ よど号グループ党員
若林盛亮…1947年生まれ よど号グループ党員
坂東國男…1947年生まれ 連合赤軍党員
大道寺将司・大道寺あや子…1948年生まれ 東アジア反日武装戦線党員
佐々木規夫…1948年生まれ 東アジア反日武装戦線党員
千葉景子…1948年生まれ 民主党党員(死刑廃止・夫婦別姓利権)
赤松広隆…1948年生まれ 民主党党員(口蹄疫事件の張本人)
小宮山洋子…1948年生まれ 民主党党員(在日参政権・子供手当て利権)
丸岡修…1949年生まれ 日本赤軍党員
海江田万里…1949年生まれ 民主党党員 (パチンコ利権)
奥平純三…1949年生まれ 日本赤軍党員
320 :
考える名無しさん:2011/06/19(日) 21:55:28.16 0
>>319 ‖//////ハミミミ、
{‖////////∧/⌒ヾ}》
{‖‖‖‖/ハ リ
ヾ‖‖‖/ | ノ_ />、
〉‐-、シ/___ ,,, -─、 〈:::::::::ノ
l (-、=={:::::::::::::::ノ ゝ-イ
\_, `ー─''、_。--' リ
V 丶 、__,, -‐イ コロスゾ
/ \ 丶,, `ー´ノ
/⌒\ ヽ ''ーr‐'''´
/ \ /
/ -─- \ 〈
/ / ヽ \{
l // l :'、 :: |
|// |i : :: : |
レ/ /´ ̄ ̄ ̄ヽ、
// l ⌒ ⌒ ⌒ ⌒ヽー───、
// /| l l l ( ⌒ )___ ノ
/ ト、_./ | | l | `─´
弋/ / ヽ | | |/´:|
/ / ヽ | |:: ::|
/ / ハ-人__ノ:: ::|
/ / / レ:::|
l/ / :::: 〉
/ / :: l
AAに頼るのは低能の証
どうせ捕まるなら下着ドロ!
323 :
考える名無しさん:2011/06/20(月) 03:01:13.11 O
m9(^Д^) プギャー
325 :
考える名無しさん:2011/07/16(土) 08:55:38.21 0
カラ兄50回
5.101
pならばq qならばp p⊃q .q⊃p TTTT 同語反復命題
pそして同時にq、ということはない 〜((p.q)) FTTT
qならばp q⊃p TFTT
pならばq p⊃q TTTF
pまたはq p∨q TTTF
qではない 〜q FFTT
pではない 〜p TTFF
pまたはq ただし両方ではない p.〜q:∨:q.〜p FTTF
327 :
考える名無しさん:2011/07/22(金) 12:28:17.94 0
pならばq、そしてqならばp p≡q TFFT
p p TFTF
q q TTFF
pでもqでもない 〜p.〜q FFTF
pそしてqではない p.〜q FTFF
qそしてpではない q.〜p FFTF
pそしてq p.q TFFF
pそしてqではない qそしてpではない (p.〜q).(q.〜p) FFFF 矛盾命題
真偽値の訂正
pならばq p⊃q TTFT ○
pではない 〜p FTFT ○
pでもqでもない 〜p.〜q FFFT ○
pそしてqではない p.〜q FFTF ○
qそしてpではない p.〜q FTFF ○
329 :
考える名無しさん:2011/07/23(土) 23:32:10.55 0
>「分析哲学というのは、どうやらウィトゲンシュタインに注釈をつけることらしい」
誰かのテキストに注釈をつけるというのがあまり流行らなそうな分析哲学の世界で、
たしかにヴィトゲンシュタインの注釈だけは盛んのような気がする、日本に限らず。
330 :
考える名無しさん:2011/07/27(水) 11:55:48.91 0
>>>
私的言語に対する批判とし、全く的外れなものだと言わなければならない。
そもそも私的言語とは本質的に私秘的な言語であり、本質的に客観性(たとえば、他人による検証)を欠く言語である。私的言語が可能であるという主張の本質は、言語は客観的である必要はない、客観性を欠いた言語が存在しうる、ということに他ならない。
331 :
考える名無しさん:2011/07/28(木) 09:15:01.39 0
ヴィトゲンシュタインが論破されちゃった
332 :
考える名無しさん:2011/08/19(金) 22:42:34.71 0
論考って事実を物の結合と考えるみたいだけど物が単独であるってのはなんでだめなの?
パソコンがあるってことをただパソコンとするのはだめ?
というか究極的には世界は原子の集まりなんだから物の集合じゃないの?
時間を考慮に入れると、物ではなく事実こそが世界の直接的な構成要素であると考えざるをえなくなる
>>332 中性子君ならたいていのモノは素通りできちゃう。
世界は成立した事実の集合という考え方はラッセルのもので、
ウィトゲンシュタインの『論考』は大部分ラッセルの考え方の引き写しであり批判なので、
ラッセルの世界観が分からないとその辺は誤解を生むだろうな。
ラッセルだと「パソコン」のような一般名詞は、
アルファベット大文字で表現される普遍概念になる。
例えば「P」だとすると、
あるパソコンを直接面識しているときの「<これ>はパソコンだ」は「Pa」。
小文字は個物をあらわす。「固有の存在aはパソコンである」になる。
で、重要なのは、固有の存在「a,b,c,...」を考えるとき、
まったく何ものでもない裸の「x」なんてものはないわけだ。
そこで、ラッセルは個物のみならず普遍も実在するとした。
「Pa」の存在は単に信念ではなく、事実なんだ、と。
>>335-336 ウィトがラッセルの影響を受けていたのは事実だが、
始発点も終着点もラッセルのそれとは違う。
そこが分からないと、後期なんてラッセル同様に理解できないだろ? w
338 :
考える名無しさん:2011/08/26(金) 10:45:56.97 0
ウィトゲンシュタインは論考だけの一発屋
339 :
考える名無しさん:2011/08/28(日) 06:50:39.99 0
>>336 >で、重要なのは、固有の存在「a,b,c,...」を考えるとき、
まったく何ものでもない裸の「x」なんてものはないわけだ。
kwsk
340 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2011/09/24(土) 17:20:05.95 0
ウィトゲンシュタインの思考を演繹すると、人間が自分を超え、悟りに達するには、すべての可能な思考を行うこと、
すなわち、自分の快感原則とは反対のことを行うことを主にすること、自分が正しいと思ったこと、したいと思ったことの
反対を行うこと、論理における逆を思考することなどが必要だ。したがって、この文章は僕は正しいと思うので、
それ故に否定されたい。
341 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2011/09/24(土) 17:22:52.44 0
従って、理解することは絶対善なので、それを自分で壊す必要がある。悪が正しくない故に正しい。
それがエントロピーの減少に繋がる。
いつも思うが、論考の序文で釘の頭を正確に捉えられていないと嘆く
ウィトゲンシュタインは、オイゲン・ヘリゲルの『禅と弓術』の
阿波禅師を連想するね。
ヘリゲルが『禅と弓術』を本国で著したのは論考よりずっと後だけど。
ライカンの「言語哲学」で分析哲学をかじってるところだけど、微妙にカテゴリーが違うみたいだな。
ラッセルもウィトゲンシュタインもクワインも部分的にしか紹介されてない。
失敗したかも。
344 :
考える名無しさん:2011/10/05(水) 00:17:52.07 0
345 :
考える名無しさん:2011/10/05(水) 03:06:20.87 0
http://news.nicovideo.jp/watch/nw123456 脳の中、のぞけるようになる? 脳内映像の再現に成功
人間の脳内の映像を再現して、ほかの人も見られるようにすることが
可能になるかもしれない。米カリフォルニア大学バークリー校の科学者
が、fMRI(機能的磁気共鳴画像)と計算モデルを使って、人間が見た光
景を再構築することに成功した。
現時点では、人間が実際に見た映像しか再現できず、人の心を読めると
いう段階には程遠いが、夢や記憶などほかの人間には見えない脳内の映
像を再現する道が開けると、同校の西本伸志氏らは語っている。
同氏の研究では、研究チームのメンバー3人が被験者となり、映像を見
ながら視覚野の活動をfMRIで測定し、映像の形や動きと脳の活動パター
ンを関連づけるモデルを作成した。このモデルを使って、脳の活動から、
被験者が実際に見た映像と似た映像を再現することができたという。不
鮮明ではあるが、人の姿らしきものや、象が歩く場面に似た黒い影が動
く映像が再現され、YouTubeで公開されている。
346 :
考える名無しさん:2011/10/07(金) 22:45:20.13 0
言語哲学への新視角―ウィトゲンシュタインはソシュールを読んだ! [単行本]
川崎 誠 (著)
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価格: ¥ 3,150
単行本: 301ページ
出版社: 理想社 (2011/10)
348 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2011/10/09(日) 18:09:03.60 P
少なくともマシな哲学がウィトゲンシュタイン
僕等のアイドル、ウィっちゃん。
351 :
考える名無しさん:2011/12/16(金) 22:12:56.86 0
嘔吐
ピアノの鍵盤の上で
光茫 踊り狂う
もはや、廃墟となった歌声を
駆逐する 制御する 模倣する 転写する
破壊する
現在地不明の乱舞する目線
月と太陽の緩やかな
射角が
間断なく続く 螺旋回廊
私がリセットされる
極小の分離世界
バラバラニナッテモ ナオイトシイ
私は、
砕け散った意識を 妄想
の中に 廃墟
録音 限界される ミミトリ
計画的な 無意識の
雨の作る 水玉模様
朝露の零れ堕ちる 真鍮の瞳
砕け散った景色を修復する 純粋培養の意識
352 :
考える名無しさん:2011/12/17(土) 15:56:19.01 0
>フクシマからきましたフマです
あぶねーやつだな
「\ .「\
〉 .> 〉 〉
/ / / /
/ | / |
/ / / /
( 〈 . / /.
\ `\ |ヽ |
\ \ / |
ヽ `´ ノ
/ ノ
/ l`、 ノ ノ
,...-‐''" _.l::::`ー,=-'(
/ ´ ,.!_;;;:r''.. ` 、
,...-‐' _,....-‐'" `'-、:: ` 、
/.. ,....―'" `ー、__ `l
/_;::::-'" /::::::::::::::::ノ
,.../._r'" ヽ`''「 ̄ ̄
(__ノ' \_\
354 :
考える名無しさん:2012/01/03(火) 06:16:14.70 0
「今や余は鉄鎚でありたい」
この標語こそニーチェにホーエンシュタウフェン家の皇帝を
「自分に最も似た人物の一人」として讃仰させた言葉だった。
ニーチェはもう一度皇帝と同じ空気を呼吸しながら、
この驚くべき声に取り憑かれ、これに応答した最初のドイツ人だった。
ある言語ゲームの中でそのゲームの規則が変わることは本当にないの?
言語が機能するために、言葉には一定の意味がなければならないとウィトゲンシュタインは主張している。
哲学探求より
354.(…)感覚印象が私たちに雨が降っているように見せかけるという事実は、
ある定義に基づいているという点である。
355. 重要なのは、感覚印象が私たちを欺きうるということではなく、
私たちが感覚印象の言語を理解しているということである。
(そしてこの言語は、他の全ての言語と同様、合意に基づいている。)
そしてこれがウィトゲンシュタインの理論の欠陥でもあるのだ。
>言葉には一定の意味がなければならないとウィトゲンシュタインは主張している。
華々しくも酷い誤解だなw
なんでもそうだけど、いったん読み間違えると長く尾を引くんだよね。
哲学は(ちゃんとした)導きの者がいないと正しく読めないよ。w
360 :
考える名無しさん:2012/01/20(金) 17:06:23.12 0
一応それ丹治信春っていう哲学者の言語理解と認識の展開という論文に書いてあったものをほぼそのまま抜き出してきたもの。
cattさんは分析哲学に存在論がないとか言っちゃうかわいそうな人だから相手しちゃだめよ
362 :
考える名無しさん:2012/01/20(金) 17:27:36.29 0
「(…)他の全ての言語と同様、合意に基づいている」
このことから、すべての言語は合意(規約)に基づいている。合意とは定義のことであり、定義があるなら意味がある。
だからウィトゲンシュタインは言語には意味があるという理論的前提を置いている、
ということかなと思ったんだけど。これは誤解なのか。
とりあえず、シンタクスとセマンティクスについてググッてみてはどうか。
>>361 分析哲学の存在論ってどれのこと指してるの?w
365 :
考える名無しさん:2012/01/20(金) 18:30:03.95 0
>>363 ここでいう合意とはセマンティクスではなくシンタクスについてのものだということ?
その区別をその哲学者はできていたかどうかは知らないが、セマンティクス的な意味で受け取ったから、誤解だと。
>>364 クワインとかパトナムとかいくらでもあると思うのだが
cattはこの程度で物知り院生キャラやろうとしてるんだから痛い
>>366 え、素朴実在論に毛が生えたのも存在論なのか。w
片腹痛いわ。 ぺっ
片腹痛いわ。 ぺっ
大事な事なので2回書きました。w
無知を指摘されたら居直りでごまかすって終わってるなw
w
てゆーか「読み間違えた代表」の二人を引用するって馬鹿だろw
cattさん
「自分だけは読み違えない」
とか思ってませんか
>>376さん
「自分だけは読み違えない」
とか思ってませんか
378 :
376:2012/01/21(土) 00:46:23.07 0
>>377 いや、それは読み終わるまでは分からないし、自分はまだ読み終わってない。
ウィトゲンシュタインを「読み終えた」人はまだそんなにいないとも思う。
ただ、彼は論考から探求まで、同じ事を言おうとしていたと思ってる。
とりあえず述語論理さえろくに知らなさそうなcattがウィトゲンシュタインを読みこむのはいかにも無理そう
381 :
376:2012/01/21(土) 00:55:21.14 0
>>379 何が「分からない」のか分からないのですが
誤読しないかどうかが分からない、ということですか?
そうだとして
読み終わってもやはりそれは分からないのではないですか?
その例で言えば、cattさんの器に入るウィトゲンシュタインが
分かったつもりになれる、ということでしょ
語りえぬものについては、沈黙せねばならない。
これすげーよな。ホント。すげーわ。
>>362 定義と合意は違うと思うが。
合意って、言語ゲームの基盤じゃないの?
>>381 分かったつもりになれる、という言葉は「分かる」に到達してるのでウィトゲンシュタイン的ではないな。w
>>383 それ(基盤)は規則であって合意(規約)ではないのでは。
386 :
考える名無しさん:2012/01/21(土) 12:10:04.77 0
>>383 それと…
384と385を読むと、定義と合意が同じような意味で使われている、ということだと思うけど。
387 :
考える名無しさん:2012/01/21(土) 12:10:53.75 0
ごめん哲学探求の354と355ね。
388 :
考える名無しさん:2012/01/21(土) 12:59:18.23 0
引用しなおす。
哲学(日本哲学会) 1987 『言語理解と認識の展開ークワインとウィトゲンシュタインー』丹治信春
(…)「純粋に記述的」であることを哲学の本質と考えるウィトゲンシュタインが、
なんらかの「理論的前提をもって哲学を語った、というような言い方は、
ウィトゲンシュタインを神聖視する人々には許し難いことかもしれない。
しかしウィトゲンシュタインが次のように言うとき、そもそも「言語を理解する」ことが可能であるならば、
「意味」(及びそれを決めるものとしての「基準」)があるに違いない、
という「理論的前提」を置いていることは明らかだと思われる。
基準を徴候の間の文法上の揺れ動きによって、およそ存在するのは徴候だけだ、という外観が生ずる。
われわれは例えば次のように言う。「経験は、気圧が下がったときには雨が降っている、
と言うことを教えてくれるが、われわれが濡れた感じ冷たさの感じをもったり、しかじかの視覚印象を
持ったりするときには雨が降っている、と教えてくれるのも経験である」と。
そしてその論拠として人は、この種の印象もわれわれを欺くことがある、ということを挙げる。
しかしその際人は、それらの印象がわれわれに信じ込ませるのは雨が降っているというまさに
そのことであり、この事実は定義に基づくのだ、ということを考慮にいれていない。(哲学探求第一部354)
ここでの問題は、感覚印象はときにわれわれを欺く、ということではなく、われわれがその言語を理解している、ということなのである。
(そして他のどの言語とも同様に、この言語も規約に基づいている)。(同上355)
>>385 規則だけあっても、それが共有されないと(=合意)ゲームとして成立しないと思うが…
「探求」って、規則主義の「論考」を批判したんじゃないの?
>>356を勝手に要約
354.(…)感覚印象=ある定義に基づく
355. 私たちが感覚印象の言語を理解している(感覚印象が私たちを欺きうるということではない)
(言語=合意に基づいている(他の全ての言語と同様))
「感覚印象の言語」が、「ある定義に基づく」と「合意に基づく」で
2重に修飾されていると読むこともできるが…
一方、「いや、2重ではなくて同じものなのだ」と読むこともできる…
と、ここで自分に突っ込むと
「感覚印象」と「感覚印象の言語」と区別されているから
感覚印象=ある定義に基づく
感覚印象の言語=合意に基づく
で間違いないのではないかと…
392 :
考える名無しさん:2012/01/22(日) 20:34:25.64 0
>>389 ウィトゲンシュタインにおいてはダメットのような規約主義的思考は廃棄されているそうだ。
否定したのは要素命題と実在が一致するといった素朴な実在論じゃなかったっけ?よくは知らんが。
「ということは、何が正しく何が間違っているかを決めるのは人間の一致だというのか」
ーー正しい、間違っている、というのは人間の話すことであり、人間は言葉において一致している。
この一致は意見の一致ではなく、生活形式の一致である。(哲学探求§241)
>>392 「意見」だと、言語成立後の話になるからか。
哲学探求って、言語成立以前について腐心してる印象だ。
394 :
考える名無しさん:2012/01/22(日) 23:49:41.26 0
>>393 「反応が言語ゲームの起源であり、原始的形態である。より複雑な形態はそこからのみ成長する。
言語とは洗練である、と私は言いたいのだ。「はじめに行為ありき」」(手稿MS119)
395 :
考える名無しさん:2012/01/23(月) 00:16:21.95 0
>>394 言語の起源は、戻り過ぎな気がする。
現代の言語学では、禁じられていると聞いているが。
396 :
考える名無しさん:2012/01/23(月) 00:32:22.52 0
ところで
>>391についてだけど、探求354の趣旨から考えると、
ある定義に基づくのは、感覚印象そのものではなくて、
「感覚印象によってわれわれが雨が降っている(という徴候しか存在しない)
と信じ込まされること」じゃない?
そしてこのカッコ内の事実が感覚印象の言語であり、
そしてこれは合意(規約)に基づく、とも解釈できる。
つまりここで定義と合意という言葉は同じ表現について述語づけられているのであって、
それら二つの概念はとりわけ区別して用いられているとはいえる表現はないのではないかと。
だから定義=合意解釈する余地は残されていると思う。
397 :
考える名無しさん:2012/01/23(月) 00:47:10.77 0
>>395 そこで述べられているのは言語ゲームの起源だから、言語の起源については述べられていないはず。
後半でいう言語とは、そういった言語ゲームを必要条件とする洗練された一つの制度
というだけで、必ずしも言語の起源が反応のみにあると言ってる訳ではないと思う。
ごめんよく知らないw
>>396-397 確かに、355→354と遡及して読むと
「雨が降っている」という文が理解できることにより「感覚印象が欺く」
と読めるな。
まあ、ややこしいこと…
つか、哲学探究の329に
わたしが言語で考えてるとき、言語表現と並んでさらに<意味>が念頭に浮かんでいるのではない。
言語そのものが思考の乗り物なのである
と書いてあるのに、なんで
>>356では
「言語が機能するために、言葉には一定の意味がなければならないとウィトゲンシュタインは主張している。」
ってことになってるんだろw
・『論考』の有名な欠点は「Aは黄色である。ゆえにAは青色でない」という推論の論理的意味論を表現できないこと。
・また量化理論後の論理学において、真理値決定の無限的手続きが現代では否定されているた。
・ウィトゲンシュタインは根源的規約主義である、という見立てが主流。
・論理的真理は形式による、というのはウィトゲンシュタインの独創ではない。
・形式によって意味が決まるという考えをウィトゲンシュタインは最後まで貫徹している。
・私的言語批判とは、私的言語がないということではなく、私的であることは公的脈絡によるということ。
根元的規約主義者「我々は言語を使うたびごとに、
我々の言語の個々の適用が言語規則に従った正しい適用であると取り決めている」
>この一致は意見の一致ではなく、生活形式の一致である。(哲学探求§241)
これと根元的規約主義ってどう折り合いをつけるの?
折り合いというよりも、それって根源的規約主義そのものだよ。
生活形式の一致こそが根元的規約ってことか。
前者の意見の一致というのが、限定的規約主義ってところかな。
しかしどうも規約と呼ぶのに違和感が残る。
あと私的言語について。
俺が読んだ資料によれば、後期思想においては他人には理解できない言語としての
私的言語(探求243でいう定義)の可能性は否定されている。
変わりに不可能なものとしての私的言語が、言語ゲームの中で
不可能ではないかのように発言されることの機能について解説されていた。
最後の箇条書きはそう言った意味?それとも私的言語は可能であるという意味?
いや、大略そういう意味。
>>403 規約だと、意見をすり合わせるといった事になるが
そういう事とは、ちょっとというか根本的に違うような気がするよな。
誰とすりあわせるか、だよね。
つか、「意識的にすり合わせている」んじゃなくて
「一致してしまっている」という表現の方が、より適当のように思えるから
「規約」という表現に違和感を覚えるのよ。
ウィトゲンシュタインの立場は、まじりけのない純粋な規約主義である。
かれにとっては、どのような論理的必然性も、常に、言語規約の直接的表現である。
ある言明が必然的であるのは、常に、われわれが当の言明を不可侵のものとして扱うように明示的に定めた、
ということである。言明が必然的であるのは、
その言明を必然的なものとして扱うべきことがその内に含まれていると判明するような、
何か他の規約を採用したから、ということではありえない。
(ダメット)
>われわれが当の言明を不可侵のものとして扱うように明示的に定めた
やっぱおかしいな。
とはいえすべての言語が規約(合意)に基づいているともウィトゲンシュタインは発言しているし…(探求355)
前の話はその規約とはここでは定義であり定義があるなら意味があるといった話とはだったっけ。
でも329では言語で思考する時意味が必ずしも念頭に浮かんでいるわけではないという話があった。
それがわれわれの言語とわたしの言語の違いだとしても、言語には必ずしも意味があるわけではないという主張とも取れる。
分からん。
ああそうかセマンティクスとシンタクスか。
探求355は言語について述べたもので、言語ゲームについて述べたものではなかったな。失礼。
規約主義とは何でそこにどんな問題点があるのか、
みたいなことを知りたいなら、
飯田隆の『クリプキ』を読むことを薦めてみる。
クリプケンシュタイン
「規約主義」という「言葉の意味」について紛糾しているこの事態が
哲学探求で言おうとしていることの一つなのかもしれぬ…
特別扱いされたいコテハン(波平など)は、障害者マークを常時表示することにより、
他にその存在を知らしめ、その者を保護する必要性を暗に切望している。
哲学は誰と喋る為にあるのだろうか、例えば同じ文化や体験を共有している間同士なら
言葉の定義を厳密に定めなくても伝わるし、100%伝わっているかはわからないが問題が生じない範囲の齟齬に留まるだろう
前提が、価値観が、言葉のニュアンスが、たった一つでも相違があっただけで真意が伝わらなくなってしまう相手と
哲学者は喋っているのではないだろうか、そういう前提を持っているのではないだろうか
それはつまり、他人のことを信じていないのか、或は現在いる人間とこれから先に生まれる人間全てに等しく正しく伝えようとしているのか
或はもはや人間以外の何かにまで伝えようとしているのか、僕にはわかりません
実際の人間社会では問題が無ければそれで良しとするし、問題があれば互いの認識をすり合わせることで解決するが
哲学の世界では全ての状況を想定した上で最初から全く誤り無く伝わることに価値が置かれているように感じる
そういう純粋さは尊敬に値するが同時に狂気すら感じさせるし、自分の80年程度の人生においては必要が無さそうな分野であるように思う
だからこそ哲学に挑む者は人類や生命全体の歴史を背負って、その最前線で戦っている超越者なのだと思うのだ
私的言語の不可能性って、私的言語(私的シニフィアン)は無意味だという話だろう。
シニフィアンは、原理的に他者に捧げられるものだという。
しかし覚え書きというガジェットを想起するとどうか。
ウィトゲンシュタインの水準で言うとソシュールって無意味な形而上学だと思うよ
確かにウィトゲンシュタインはシニフィエがそれ自体であるってことは認めないだろうけど、
音韻論自体と後期ウィトゲンシュタインの主張は別に矛盾しないだろう。
数学基礎論争で、考えが近そうなヒルベルト軍に付かなかったのが謎だ
他者のいない世界では、シニフィエを操作するだけでいいはず。
424 :
考える名無しさん:2012/03/25(日) 00:01:04.05 O
新聞広告に「人の心を透視する方法」ってドイツ人らしい著者の
本の宣伝がデカデカとあったぞ。
マスコミの食いつきは相変わらず汚らしいw
425 :
考える名無しさん:2012/03/25(日) 01:05:00.03 O
「人の心が読めるんだ」って得意気になってる浅はかな人間の
心は読めないらしいwww
426 :
考える名無しさん:2012/03/25(日) 01:41:08.15 0
邪心を捨てて世界をありのままに正視するんだよ。
自分の醜さも他人の醜さも包み隠さずに。
まあ、普通の人間は、言葉と態度である程度「心の内」が「わかる」んだけどな。
哲学徒という劣等種は、言語で「理解」しようとして必然的に挫折して
「心なんて無いんだ!」と、おためごかしな結論で自分を慰めるわけだ。
言わば、これこそルサンチマンという言葉が、使われるべき場面ということ。
その場その場の感情が何となく伝わるだけで
心なんて曖昧なものは分かるわけないじゃん。何いってんの。
心は存在しないんだよ。ただ感情の変化があるだけ。
429 :
考える名無しさん:2012/03/25(日) 11:15:53.49 0
人生は誤解の上に成り立ってるもんだろ。
他人のことが分かったつもりになりながら。
それでいつも裏切られては勝手に腹を立てる。
かつて外敵から逃げる為に、内面を発見し逃走した。それが心の誕生である。
そこには広大な土地があり、逆襲がはじまった。
道徳というルサンチマンの誕生である。
431 :
考える名無しさん:2012/03/25(日) 17:06:15.28 0
道徳なき社会は崩壊する。サルだって生きていけない。
ああ、「心の誕生」はヴェーユが上手に説明してたな。
知恵の実を囓ったから。
欲望と手段の分離が労働によって生じる。
433 :
考える名無しさん:2012/03/25(日) 17:15:48.40 0
生きるために働くものを、働くことを生きる
目的にしてしまうから、原初的な生の在処を
文明空間の中で見失ってしまう。
434 :
考える名無しさん:2012/03/25(日) 17:23:36.35 0
人間は自分たちの生存環境の複雑化させる過程で、
その道を進み続けるために野生の動物には不要だが
人間にはどうしても必要な方法を編みだして来た。
435 :
考える名無しさん:2012/03/25(日) 17:45:22.71 0
動物的な衝動の寄せ集めで文明は成り立たない。
なのに、それをしたがるのは合理主義だ。
この滑稽な景色はなぜ起きる?
細々と規制かけんなコラ
436 :
考える名無しさん:2012/03/25(日) 17:48:35.64 0
論理学なんてやっても、サルの論理が流行るだけだ。
437 :
考える名無しさん:2012/03/25(日) 17:56:28.93 0
ロジカルでもラショナルでもモンキーはモンキーだ。
あかる〜いラショナ〜ル あかる〜いラショナ〜ル
みんな〜くにじゅう な〜んでも ラショ〜ナ〜ル〜
439 :
考える名無しさん:2012/03/26(月) 13:39:01.62 0
あ、かるい。
440 :
考える名無しさん:2012/03/26(月) 13:42:44.71 0
>>434 これは人間も生命体であるが故の不可避の道というべきだな。
441 :
考える名無しさん:2012/03/28(水) 00:14:26.50 0
AKB聴きながら論考は読めない。
ウィトゲンシュタインにとって信仰とは何なのだろうか?
信仰心ではないんだよな?
厚さだよ
いや普通、信仰と言ったら、信仰心のことではないのかと・・・
「キルケゴールは私には深すぎる」だっけ。
謙遜みたいなところはあるか知らんけど。
「信仰が深い」とは、どういうことだ?
「信仰心が深い」ってのは、よく使われるけど。
448 :
考える名無しさん:2012/04/01(日) 23:23:11.29 0
>>442 「祈りとは世界の意義についての思想である」とか、
塹壕戦の最中に書き付けてあるがね。
斎藤――いや、やはり冷めているとしか言いようのない部分があると思いますね。言葉は悪いですけれども、妙に小賢しくなっているところがあるんです。
偏差値が高いから、逆に冷めてしまうというか、熱狂しつつある自分を意識しているところがあって、例えばこう言うと語弊があるかもしれませんが、
福田和也さんが骨董の話をしたり、いろいろと趣味的な話をしますけれども、そこにも努力してモノマニー的なものになろうという自意識を感じてしまうんですね。
石原――福田和也は骨董の話をするの。
斎藤――骨董、大好きでしょう、あの人は。
石原――僕の前では話したことないな(笑)。まあ、彼は博学だけどね。
斎藤――ええ、ですから大変な努力家で、その点はほんとうに尊敬に値するんですが、どうしても後づけという感じがありまして、どこか必然性を感じないところが。
石原――すごいことを言うねえ(笑)。
斎藤――まあ、私は文壇関係者ではないので、恐いものなしでいろいろ言いますけれども(笑)。
石原――柄谷行人なんかも似ているところがあるんだろうか。彼には全くセンシャルなものを感じなかったけれど。
斎藤――ないでしょう(笑)、それは徹底してないと思います。ただ、突き抜けていく資質を頭のなかに持ってはいると思うんですね。
よく「思考マシーン」と言われますけれども、考えに考えているうちに、自分を超えたものまで考えてしまうところがある。
当初、予想もしなかったところに連れていかれてしまうようなことが起こりやすいタイプです。
はじめの分類で言えば分裂気質なんですけれども、思想家のタイプとしてはヴィトゲンシュタインもそう言われていますね。
これは感覚に引きずられないからこそ、ものすごい抽象の地平を切り開ける資質があるわけです。
石原さとみって難しい話するんだな。
もうウィトゲンシュタインは古い。時代は様相論理学の時代に来ている
論考をちょっとでも読解出来るようになってから出直しで来な。
形而上学(反証不可能性)の領域にはみ出ようとする
論理学の妥当性はどう検証するのか?
>>453 貴方の言う「論理学」とは、例えば何という分野の何という理論 or 定理なのか
だからー、読解してもいみがないんだってばーかーじゃーないのーwwwwwww
フィジクス(物理学)はメタフィジクス(形而上学)ではない。
これは「古典論理学」という奴だな。命題の真偽は自明性
によって保証される。
神学は形而上学と言える。反証不可能で許されるのは
信仰が基盤となっているからだ。二重真理説の類はその
限りではない。
>フィジクス(物理学)はメタフィジクス(形而上学)ではない。
>これは「古典論理学」という奴だな。命題の真偽は自明性
>によって保証される。
どれも初耳だ。俺もまだまだ勉強不足ということか…
スパゲティモンスター論理学というのがあってだな・・・
検証不可能な命題の真偽を確定するのは不可能である。
ここまでは誰も異論はないようだな。ありがとう。
論考の梯子は下る梯子か知らん。最後に梯子を捨てろと
本人は言うが、出発点こそが最も重要だ。
>>456 あなたの想像上の論理学ではなく、現実に論理学と呼ばれているものについて批判してください。
「時間の無駄」というのは批判になるのか?
どうせ量子論を背景にしてるんだろ。一皮剥けば
古典物理の世界。
>>461 そうだな、形而上学的命題が端的に言って「無意義」であることを
理解していりゃ何も言うことはない。
>>456 命題の真偽はその範囲とする理論にとってのみ意味を持つ。メタフィジクスの理論は、フィジクスの理論とは
範囲が違う。したがって、メタフィジクスの理論が論理を展開する点において、論理についての究明に
利する。
量子論の確率解釈を論理学に安易に持ち込む前に論考での
確率というものについてのウィトゲンシュタインの解釈を
読むべき。
>>465 対応する「事実」のない命題に意味があるのか?
確率論も半分居眠りしながら講義を聴いた限りでは、
自然対数とか正規分布とか、厳密な数学的手順と
いうものはあるわけで。
物理学というものは基本的に“ding”(もの)ではなく“sache”
(こと)を追求するものであるとしたら、カントが言ったように、
“ding an sich”(物自体)について我々が知るのは不可能である
というのは正しいことになる。
>>467 「事実」という理論は、狭すぎる。例えば事実であるか事実でないかという弁別ができる命題なら、
それは事実性という理論に照らし合わせられるという点で、事実でも事実でなくても意味を持つ。
例えば、シミュレーションは事実であるか事実でないかだ。
シミュレーションにとって重要なのは、その予想された結果が
どのくらい「事実」と合致するかだ。
事実でないことを理論に組み込むことで精度が上がるということ。事実でないことが事実を規定する。
何が事実で何が事実でないかは簡単には判らないのだから、事実にしか適用できないのでは困る。
事実かどうかにかかわらず適用できることが是非とも必要だ。
事実は理論ではない。
理論は理論、事実は事実であって、置き換えは不可能だ。
事実とは目の前にある観察可能な世界のことであって、
アタマの中の抽象モデルの組み合わせのことではない。
現実性というものの取り違えを起こしているな?
分からんでもない。俺も昔は現代人に多い思考の
混乱状態にあったからな。
俺は人がそこで生まれ、生き、そしていつか死ぬ、
「現実」の世界で言っているのだ。どこぞの大学の
研究室で考えているのではない。
で、何の「事実」「理論」の話をしているの?
>>474 は
消去法に頼りすぎている気配がする。
理論にとって重要なのは、平らなところになにを積み上げられるか、
ではないか。
事実の事実性を究明することも大事なことだとは思うが。
>>478 妄想を積み上げても仕方がない。物理学であれば、
物理現象の明確なメカニズムを解明可能な限りは
追求するだろう。
論考は全く読まれてないのは確からしい。
マイ形而上学とかスパゲティモンスター教の教義が
確立したいのは、それは蓼食う虫も好き好きという
話だが、他人に強要出来るようなものではない。
証明が本質的に不可能な仮説、連続体仮説のような
抽象モデルを積み重ねて、何かを構築したい。
どこまでもこれは仮説だ。しかも「証明の不可能な仮説」
というほとんど定義矛盾と言って良い考え方に目をつぶ
るだけの鈍感さがあればだ。
「仮説」だなんて格好を付けずに「連続体信条」とか、
「連続体宗教」とかにした方が正直だぞ。
んなこと言ったら選択公理だって仮説だし、無限集合の存在だって仮説ですが
「仮説」って言葉に踊らされてるね
>>484 無限の定義もアテにならんぞ。数学の世界に時間項はない。
ほら頑張れ、アメリカ妄想帝国主義が崩壊しちまう。
量子論は空中伽藍みたいな体系に熱中してて、
粒子加速器実験やると外ればかりじゃねえの?
宇宙はタンパク質みたいな折りたたみとか、思い
つきで言われても困るし。
「神の粒子」とか、昔から「唐人の寝言」という言葉があるが。
哲学で君の目指すところは?
ハエにハエ取り器からの抜け口を教えること
>>487 「頑張れ」って…
君自身は、どういう立場の人に語りかけているつもりなの?
>>491 逆立ちしてアタマで歩いてる奴らのこと。
まぁ、予測が外れても検証可能なだけ
マシか。
時間の流れから切り離された、完全に静止した物体というのは、
物理学ではあり得ない。これは論考でも言われている。
我々は時間と空間の外で対象を捉えることは出来ない、と。
純粋理性批判の序文かなんかでも書かれてるね。
人間の感性の形式が空間と時間だから、
それ以外の対象は、人間に認識できないってさ。
ハイデッガーの存在論も時間性を存在理解の鍵であると
して話を進めてるし?
ウィトゲンシュタインの全く読まれてないのは分かる。
プラグマティズムの国では科学者は哲学を軽蔑する。
代わりにSF小説を読んで飛び出すCG映画を見る。
写像理論において命題に対応するのは「こと」であって「もの」ではない。
これは重要な点で、写像理論を風景と風景画のアナロジーで理解しようと
すると躓く。
そんあ勘違いする人いるんかいな
日本語を正しく読めないレベルやがな
ふっ
>>501 ここはウィトゲンシュタインのスレであって、世間の理解と一致する
とは限らないのは、日本語を書くのが下手でも理解出来るか?
アメリカ人の「かも知れない」の論理学者なら顔を真っ赤にして
反論して来るかも知れないんだぞ?
>>503 素朴な言葉遣いに引きずられやすい人なら、なおさら「命題」を「モノ」と捉えたりなどしないだろ?
文系丸出しの形而上学者がよw
>>506 なんのことかわからん
別に信じなくていいけど、自分は数学専攻でした
ピタゴラス派形而上学でないの? 俺は在来数学体系はあんまり
信用してないんだ。
ポイント絞るごとにアタマの悪そうな奴らがかき回しに湧いて
来るからなw
>>505 理論とは命題の集合である。これは大丈夫か?
>>509 ああなるほど
「理論」という全体を考えるとき、命題はelementになるから、命題をobjectと勘違いするってことか
それでも普通は、素朴な立場としては、命題は某かの言明と捉えるんじゃないかと俺は思うよ
結局、普通の基準の問題になってしまったから、これ以上は平行線だね
ここはあくまでウィトゲンシュタインのスレであって、論理学を
考えるなら論考を基本線に置く。曰く、
神秘であるのは世界が“いかに”存在するかではなく、
世界が存在する“ということ”それ自体である。
云々。「命題とは」という問い自体を単独で考えて「もの」と答える
奴は確かにいないだろ。
ところが理論全体を考えると、それを構成する全ての命題が「もの」に
ついて取り扱うことをしないとなると「神の粒子」派としては困った
ことになる(笑
最近、ラエリアンの話聞かなくなったな。どこ逝ったんだか。
連中に相応しい時代だというのに。
514 :
考える名無しさん:2012/04/14(土) 13:38:16.73 O
>>510 論考では“elemental satz”(要素命題)とか言ったかな。
ウィトゲンシュタインの師匠格のラッセルがこれを曲解して、
論考を「原子論的論理学」とか解説して英米圏に広められた。
一番最初の翻訳はこの曲解に基づいた組織的誤訳の産物で、
今、オンラインでフリーで閲覧可能な英訳もこれ。
おっとageちまった…
進歩主義と全体主義は形而上学の婚約指輪を嵌めて、手を携えて
やって来る。ウィーン学団は論考に刺激を受けてナチズムの形而
上学的イデオロギーに抵抗しようとしたが、所詮は学者の振り回す
カマキリの斧に過ぎなかった。
所謂、「要素還元論」、或いは「還元主義批判」というのも、
こういう説明が可能だ、ということかな。
しかし「AはBである」という命題が「こと」について述べている
ということは、それほど自明の問題か?
3.22
命題のなかで、名は、対象を代理する。
3.221
対象は、ただ “名ざす” ことができるだけである。記号がそれを代理する。
対象について語ることはできるが、対象を語り出すことはできない。命題は、
事物が “どのようであるか”(wie) だけは語ることができるが、事物が “何で
あるか”(was) を語ることはできない。
「神の粒子」派(笑)の知りたいのは、いわば究極の
「何であるか」の回答だと言える。
ソクラテスのような無知の知を得るというのは実に
困難な道であると。
古代ギリシャですら、人々は何でも分かってるような
顔をしたがった。
善き友よ、君の心は君の体の中にあって、これを思うがままに左右することを、
よく理解したまえ。そしてまた万有の中に住する理性も、森羅万象を己れの好む
がままに処理すると思わなくてはならない。また君の眼が幾数町の先に届くこと
が出来るのに、神の眼が万有を一時に眺めることが不可能であると、思っては
ならぬ。君の魂がわが国のことも、エジプトのことも、シチリアのことも考えること
ができるのに、神の叡智が万有を一時に思念する能力無しと、思ってはならない。
実に君が人のためにつくして見て、ことごとくされた深切を返さんとする者がわかり、
恩義をほどこして見て、恩義にむくいようとする者を知り、知恵を借りようとして、
はじめて知恵の人を悟るように、神々にも仕えて見てはじめて、はたして神々が
人智には知れぬ事柄について君に教えてくれようとなさるかどうかをためせるの
であり、そして一時に一切を眺め、一切を開き、一切所に在って、一時に一切を
留意したまう偉大と円満自在とを、君は悟るであろう。
クセノフォーン『ソークラテースの思い出』 佐々木理訳、岩文、昭和二八年初版
ある無神論者との議論での、ソクラテスの言葉。
ウィトゲンシュタインはプラトンやソクラテスに哲学的な意義をほとんど見ていなかった。
というか、誤謬の源泉だとみなしていた。アリストテレスに至っては、読んだことがないと豪語していた。
なぜ? w
多分、若かったからさ。きっかけがあって、読んだなら
面白がったかも知れない。
しかも前期の頃の話だろう?
若さ故の倨傲ってのはあるだろう。しかし、傲慢なくらいで
ないと出来ない仕事もあるかも知らん。
後期の「言語ゲーム」とやらは、一種の問答法だろ。
ストア派の創始者ゼノンもクセノフォンの「思い出」に感銘を
受けて哲学を始めたらしい。俺と話が合いそうだな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%8E%E3%83%B3_(%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A2%E6%B4%BE)
文庫クセジュ『ストア哲学』より。
(創設者)ゼーノーンは彼の生活がそうであったように、簡素のうちに死
んだ。学園を出たときころんでゆびを折り、ここにある種の予告をみて
とって地面を手でたたきながら、
今行くところだ。なんでわしを呼ぶのか?
というと自分の首をしめて死んだ。
「アキレスと亀」はエレア派のゼノンだな。
この問題を「もの/こと」の論理で考えると?
529 :
考える名無しさん:2012/05/04(金) 20:15:04.88 0
何が見えていようと、見ているのは必ず私だよね?
目を閉じたら消滅するなら違うかも知れない。
531 :
考える名無しさん:2012/05/05(土) 09:17:00.03 0
目を閉じたら消滅するならそうなのでは?
分析哲学では、哲学的問題と言うのは歴史や実存の問題ではなく、
言語の機能を錯覚したがゆえに生まれる疑似問題で、
言語への正しい理解とともに問題は消去されると考えられる。
ウィトゲンシュタインはそういう方法が確立された時代の人だから、
言語ゲームというのも言語への正しい理解をうながすものにすぎないよ。
浅はかな反論は議論が深まらないからつまらん。
何を触っていようと触れているのは自分、これでも良い。
トンデモオナニーの邪魔しちゃってごめんね。
つまり主観主義的態度は視覚への依存度が高いということだ。
視覚にばかり特権的な地位を与えなければならない理由は?
538 :
考える名無しさん:2012/05/05(土) 13:27:30.67 O
539 :
考える名無しさん:2012/05/05(土) 13:33:54.03 0
ほらほら、貴様たちの偉大なる西洋哲学の権威がピンチだぞ?
ウィトゲンシュタインはアスペルガーだから
言語能力に問題があって、だからそれに格闘してきた
ってアスペの本に書いてあった。
そのあがき方に魅せられるって大森先生の本に書いてあった。
541 :
考える名無しさん:2012/05/05(土) 16:23:23.49 0
凡庸さという名前の夢遊病患者が自信たっぷりに
診断を下すのなw
542 :
考える名無しさん:2012/05/05(土) 16:45:44.58 0
西洋哲学なんてもんは九割九分、頭を悪くするために
やるもんだと、自分で勉強するのは無駄ではないぞ?
543 :
考える名無しさん:2012/05/05(土) 17:48:32.30 0
西洋中心の世界観で惰眠を貪らせるつもりは
毛頭ないぞ、この唐なす頭どもめwww
はいはい。で?
545 :
考える名無しさん:2012/05/05(土) 18:47:40.69 0
日本人としてのこれは復讐だ。
546 :
考える名無しさん:2012/05/05(土) 18:51:08.22 0
誰が西洋人の仲間入りなんかするか、ブチ殺すぞこコラ
547 :
考える名無しさん:2012/05/05(土) 18:59:08.09 0
俺の能力をどう使おうが俺の自由だ。
命令は受けん。
548 :
考える名無しさん:2012/05/05(土) 19:00:02.93 0
>何を触っていようと触れているのは自分、これでも良い
これは駄目。
視覚でないからではなく、「触っている」に能動性が入っているから。
「何が触られていようと」ならよい。
549 :
考える名無しさん:2012/05/05(土) 21:49:56.98 O
他人に肯定して貰わなきゃ安心出来ないのは「私」じゃなく
「我々」だからだろ。
550 :
考える名無しさん:2012/05/05(土) 21:51:00.57 O
誰にも必要とされない人生は無意味か?
551 :
考える名無しさん:2012/05/05(土) 21:53:26.79 O
誰からも愛されず誰一人関心を向けられない「私」は、
存在しないのと同じか?
552 :
考える名無しさん:2012/05/05(土) 21:55:53.40 O
そんな「私」は掃いて捨てる程いるだろう?
553 :
考える名無しさん:2012/05/05(土) 21:58:16.71 O
有名になりたいだろ? 関心の的になりたいだろ?
554 :
考える名無しさん:2012/05/05(土) 22:04:25.04 O
愛されたい!
顔いっぱいに書いてあるぞ?
555 :
考える名無しさん:2012/05/05(土) 23:45:49.34 O
西洋豚と和解なんて永遠にあり得んな。
量化できないということは存在しないということと同義なんだけど、
それとそういう思春期のつぶやきとは何の関係もないなw
557 :
考える名無しさん:2012/05/21(月) 20:58:17.73 0
つか思ったんだけどさ、言語をなんで名指す「記号」になりえるわけ?
記号として使えるってことは言語を日用品同等に使ってるってことだろ?
でもその言語という記号に修正を加えなくてはいけないような俺たちが、
言語を何かを名指す手段として本当に使えているのか?
むしろそこに「名指せる」ことの目的が出てくると思われるが。
あくまでも記号は不完全でもいいと?
558 :
考える名無しさん:2012/05/21(月) 22:00:33.43 0
例えば「左」の手を上げてと演壇で先生が子供に対して指示する場合、
子供から見て左手に見えなければいけないから「右手」をあげるよな?
でも先生のあげた手は「右手」なのだから子供はその通りに右手を
あげてしまわなくないか?
559 :
考える名無しさん:2012/05/21(月) 22:09:06.71 0
なのになんで先生は子供の目線に合わせるにもかかわらず
「右手」なんかあげるのだろうか。
そんなことをしてしまったら先生の上げてる手をあげなくては
いけなくなるのだから、子供は右手を上げなくてはいけなくなるだろう。
これはいったい何を意味するのだろうか。
日常言語は本当にちゃんと機能しているのだろうか。
>>559 チェスや将棋などの駒&盤ゲームでは、駒の初期配置が重要。
これは「定義」されるというより、文化や生活の形式、外観。
片方をチェス駒、片方が将棋駒でゲームを開始できるだろうか。
さらに中国将棋の駒を追加して三極対戦でさえ可能だろう。
そんなゲームでは盤の目数や駒の動かし方、取り駒の再利用、
勝敗の決し方等々の新たなルールを決める必要があるだろう。
言語と盤駒ゲームにはとても似通った類似性がある。
もし、そんなゲーム対戦があったら、それはとても異様なゲームに見えるに違いない。
その異様さは「普通だとおもい込んでいる日常的という生活様式」との対比対照に基づく
「常識的・保守的」な感想にすぎないのだろうね。
561 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 16:07:46.68 0
言語ゲーム的にアスペってどうなんすかね?
562 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 16:08:55.42 0
俺「そっちに醤油ある?」
アスペ「あるよ」 (何もしない)
俺「いや取れよ」
アスペ「???」
こんなやつ
563 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 18:14:22.29 0
あるかどうか聞かれたからあると答えるのは正しい。
しょうゆとってくれないか?と聞かないでも済むと考える日本の
文化が特異で奇妙だと考えるべき。
暗黙の文化からそれる人間を病気扱いして排除する構造についてはウィトではなくフーコーだな。
564 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 18:15:24.95 0
外人からみれば日本人は総じて病気ということになるな。
そして外国に行けば日本人は病気だ。
565 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 18:42:12.73 0
得意で奇異だとしても伝わる不思議
音声化されていないことでも、相手の状況から
(たとえば冷奴を食べようとしている)
心理(習慣?)を察しているから醤油を渡すことができる?
日本人の先入観は逆手にとって恥晒しに使える。
産まれてからこの方まともに脳みそ使って学習してこなかったツケがまわる時期が来たという感じ。
567 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 18:50:56.31 0
どんな先入観?
豆腐を前に箸を動かしていないのだから、醤油を待っているのが当然であろう、という先入観。
569 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 19:07:20.44 0
まあ言語情報だけではなく習慣、動作、表情その他の状況から
「気を使って」だいたいは察することができるわけだが、
そこで「しょうゆをとってください」という正しい質問形式を使わずに
人間関係をまわして行こうとするのは日本だけでしか通用しない。そこが不思議ではあるが文化研究の領域であり言語哲学からは離れるかもな。
570 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 19:15:27.64 0
なぜ「しょうゆをとってください」を言わないのだろうか?
そういうことは日本文化には多々ある。冠婚葬祭などの儀式における
儀礼的慣習もまた不思議だ。会社(役所)社会の儀礼も同様。言語論、論理学上の理屈などない。
一方、移民の集合体であり多文化との交流の多いアメリカでは明晰に表現しなければ意思疎通は無理で商売すらもできない。
自然、論理が共通語となる。言わなくてもわかる、は通用しない。
一方、極東の島のムラ社会における「言わなくてもわかる」、をマスターしなければ臨床所見として病人扱いされるらしい。
571 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 19:18:55.56 0
アスペというのは病気と言うよりも日本社会の特有文化に対する単なる「勉強不足」だと言える。
とはいえ、ウィトゲンシュタインの言語哲学の動機の背景に
他者とのコミュニケーションの可能性に対する絶望というのはあっただろうから無関係とも言えない。
同居生活の長い男女間に会話はなく、無言で共同生活が営まれる。
倦怠期とも順応とも言えるかも知れないが、この相手を飽きる程知り尽くしている感じが
言わなくてもわかるのが常識の文化圏なんだろう。いがみ合っているけど共依存関係にあるという集合体。
573 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 19:29:02.31 0
わかっているというのは幻想かもしれんぞ。
そもそも男と女では物の見え方が全く違う。
むしろ顔洗ったり歯を磨いたりする感覚で慣れ切って無関心になってきているだけではないか?
倦怠感とは、好奇心が先入観により回答し尽くされた状態かもしれない。
これ以上知り得ないという幻想で停滞していることが、能動的な語りかけを抑制しているのだろう。
575 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 23:09:19.65 0
>>568さん!!!
「豆腐を前に箸を動かしていない」ってどこからどんな風に読み取ったの?
記述されていない情報から「日本人の先入観」にまで拡大?されるその脈絡に
ものすごく興味がある!
576 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 23:15:40.86 0
>>571 アスペルガーは日本に似た言語圏(文化圏)であれば同様に発生する?
でも発話に無い意味が理解されている(あるいはされていない)のは
言語ゲーム的じゃないの?
>>575 >音声化されていないことでも、相手の状況から
>(たとえば冷奴を食べようとしている)
>心理(習慣?)を察しているから醤油を渡すことができる?
ここだよ。
さらにいうと、先入観の話なのだから、その先入観という凝り固まった観点は、その場で創作してもそれが先入観の具体例なわけでしょ。
先入観の例を作成するために、読み取られるべき何かがある必要はない。
578 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 23:18:53.46 0
>>576 「文化が違う」でまとめんなよ クズ野郎
理解に要される要件の差異に言及しろよ カス野郎が
579 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 23:22:42.08 0
レンゲで豆腐を食おうとしていたに違いない
580 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 23:25:39.01 0
>>571
単に「勉強不足」を補う勉強によって克服できるのかいな
語学は時期を逸すると限界に突き当たるね
確かにどこにも「箸」ってかいてねぇw
この飛躍を勝手に想像するのを「産まれてからこの方まともに脳みそ使って学習してこなかったツケ」というのかw
大変勉強になったぜ 脳みそはほとんど使っていないが
一応擁護しておくと、
そうして細かい設定を補ってやらないとアスペかどうかなんて判断できないでしょ
元々の設定
>>562だけでは条件が全然足りない
そして、問題の焦点は、
>>562そのものについて誰がアスペであるかを決めることではないはず
584 :
考える名無しさん:2012/09/10(月) 00:00:11.48 0
そういう類のコミュニケーションの不成立は言語ゲーム的にはどうなんだろね
>>577で先入観の例を作成するために、読み取られるべき何かがある必要はない。
と言ったけど、これは一般化しすぎていて、豆腐の例に適用した例作成方法の在り方自体を直接指していたね。
具体的に箸が飛び出てきた例を作成した方法においては、
日本の文化的な習慣というものを読み込んで、それに沿って箸を持ちだしたよ。
箸という具体性については、読み取られるべき事はあったということになる。
このレベルの先入観は常識と捉えられる部分になるのだろうね。
>>577のままの作成法の在り方のままでは、日本の先入観にすら限定する必要がないから、
>>579のようなレンゲで食べるという突発的な先入観も示しているね。
このレベルの先入観は個人的な趣向とか個性とかデタラメと捉えられるのだろうね。
面白いな。読んでたら、なんか、麻婆豆腐が食べたくなったぞ。レンゲで。
>>562だけでは二人が食事中かどうかも大いに疑わしい
ニュース板でその醤油話を見たときには、
話の中の「俺」さんがスペースコロニーの中のどこかの座席、
「アスペ」さんが地球上の寿司屋のカウンターという設定で読んだから
「俺」さんの頭がおかしいのかなと思った。
宇宙空間超えて醤油を宅配するのはさすがに無理と思ったから。
589 :
考える名無しさん:2012/09/10(月) 20:39:55.45 0
おそらく豆腐と醤油の内的関係性を「こむじい」するあたりが
永井均的に箸とレンゲを拮抗させてしまい
ルールがプレイに先行するという誤謬を戦略的に生成するんだな
今夜は湯豆腐食うかな
ポン酢ある?
(中国人のモノマネしてきたぞ???)
「私が進んできた道は次のようなものである。観念論は人間をユニークなものとして世界から分離する、
唯我論は私だけを分離する。そして最後に、私が見てとるには、私もまた残余の世界に属するのである。
従って一方には何も残存しなく、他方には世界がユニークなものとして残存する。このようにして観念論は
厳格に考え抜かれると実在論に至るのである。[((論考)5.64を参照]」
1916年10月15日
「草稿」邦訳『ウィトゲンシュタイン全集第一巻』277頁
592 :
591:2012/09/11(火) 00:18:11.11 P
D・A・ワイナーによれば上記の記述もショーペンハウアー『意志と表象〜』に応酬したもの
だと言う(三和書籍141頁)。
「…表象としての世界に徹頭徹尾立ち止まるなら、私が客観を私の頭の中の表象と説こうが、
時間と空間の中に現われる表象と説こうが、どちらでもよい(略)そこでこの意味でなら、
観念的なものと実在的なものとの同一性ということが、ともかく主張されうるかも知れな
い。」
(『意志と表象』続編第18章第二巻の補足。白水社版では第6巻13頁)
誰かウィトゲンシュタインの思想を簡単にまとめてくれ
594 :
592:2012/09/12(水) 14:36:43.31 P
ハッカーは、『洞察と幻想』のなかで、ウィトゲンシュタインの前期から後期への過程
を独我論からその論駁にいたる過程としてとらえた。
595 :
考える名無しさん:2012/09/15(土) 17:46:58.08 0
>>593 ウィトゲンシュタインの思想を簡単にまとめると、これは持論になるが、まず、
前期と後期にわかれる。後期の哲学は、「言語」と「示す(映像=イメ−ジ)」の関係で、
「言語」は記号を用いた論理思考として、「示す」は「イメ−ジ(倫理=直観認識)」として捉えていく。
イメ−ジを(倫理=直観思考)とは、現象学に於ける「超越論的認識」ではないかと考えられる。
ここで、「論理思考」と「超越論的認識」を概念として明確に分けるところを「言語ゲ−ム」として
理論を合体してところに、ウィトゲンシュタインの「言語理論」の不完全性があると思う。
>>591 それは観念論=実在論というのではなく、
観念論はその解体の過程で実在論に至ると
言うこと?
言語的思考は対象を一般概念を介して把握するだろ。
不立文字で直下に見よってな。
ショーペンハウアーも印哲だしな。
ああ、ウィトは十代の頃にショーペンハウアー読み耽ってたんだな。
「全てを認識するが、なにびとからも認識されないもの、
これが主観(原文強調符)である」
『意志と表象』は冒頭付近のこの一文だけでお腹いっぱいになって
しまったからな。
603 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 16:17:26.80 0
>>560 「駒」の規範は、
挙手の規範とは噛み合わない。
もし仮にこの二つが噛み合うのなら、
先生は「チョキ」を子供に対して「パー」と指示するぐらいの規範の
ズレがあることになる。しかしそれほどまでのズレがあるわけではない。
先生も子供も、あくまでも同じ「挙手」を行っているにすぎない。
604 :
考える名無しさん:2012/09/17(月) 10:22:35.30 0
ウィトゲンシュタインの思想は、最終的にどの様な方向を目指していたのか、
後期の哲学理論に於いて、「倫理思想」を導入している。これは、「言語」の
論理思考に対して、「語れないもの」としての現象学的な「超越論的認識」との
連関による「差異」と「反復」を目指していたのであろうか。
>>603 青色本の冒頭は「言葉の意味とは何か?」で始まる。
いわゆる後期ウィトゲンシュタインの哲学は、言葉の意味、
特に対話者間の意味了解の有り様がテーマの一つ。
その時、二者・三者の間で「おなじ」+「語」の「意味了解」が成立するのか?
という視点から記述されることが頻繁である様に俺には読める。
だから、「おなじ」という語の使用についてスレ的にナーバスであっても良いだろう。
また「おなじ」と「似ている」「家族的類似」「同様」「同じであると推認される」
のような類似表現との分別にも留意しても良いかも。とか思うね。
今的に、「尖閣諸島」海域という「おなじプレイグラウンド」で日本と中国の巡視船が相互に
警告を出し合うという言語ゲームでは、プレイヤーの所作に相互的な類似性はあるが、了解内容は
ずいぶんと違っている。とか、
ABC予想」のように500頁の英文で厳格記述された数学的証明は誰もが
読めるように公開されていても、完全理解できる人はほとんど居ない。とか、
大昔の猪木v.s.モハメド・アリの異種格闘戦。とか、
チェスVS将棋VS中国将棋の三つ巴戦とか、
サッカーVSバレーボール戦とか。
そうしたある種、異様な(言語)ゲームを例示した意図は、プレイグラウンドが同じであっても、
プレイヤーの、学術的素養とか、ゲームのルール理解、あるいは民族的な歴史・基本権の理解など
様々な要因からゲームのプレイがそもそも成立しない、あるいはかろうじてプレイに達しているが
勝負がつかない。相互了解に達しない、あるいは意思疎通ができない。という場合は多々ある。
という例を示すことにあった。
挙手の例では、教師と生徒では挙手の動機は異なるであろうし、生徒相互間でも動機は異なる
かもしれない。窓ガラスが割れた学級崩壊しているようなクラスではそもそも「挙手のゲーム」
は成り立たないかも。だから『あくまでも同じ「挙手」を行っているにすぎない』とは
「推認」できるとしても、確定事実的に言い切ることはできないのではないだろうか。
二者三者の間でキャッチボールされ発信・了解される言葉の意味が「おなじ」であれば、
コミュニケーション・ブレークダウンすることはない。同一文言であっても異なって理解される
あるいは全く理解されない場合があるからこそ、「おなじ意味」「おなじ理解」が可能かが
議論のネタになり得る。後期のウィトゲンシュタインはその辺、ちょっとくどすぎだとは思うけどね
>その時、二者・三者の間で「おなじ」+「語」の「意味了解」が成立するのか?
そうだよね
だから私的言語批判は的外れだよね。
他者に伝えるための言語じゃないんだから
608 :
考える名無しさん:2012/09/30(日) 19:46:02.97 0
>>606 「左手を挙げなさい」という文言は、「左手を格好よくあげなさい」
等の、何が格好いいかを自分で考えさせられるような文言とは異なる。
だから個々の動機の違いが生じているのならば、反対の手を挙げたり、
全く手を挙げなかったりといったことが、ただ「先生の挙げてる手を挙げなさい」
といった指示からは、起こりえない。
ただ先生は「右手を挙げなさい」といったにすぎず、そこから
先生の満足のいくような挙げ方を考える局面は与えられてはいない。
609 :
考える名無しさん:2012/09/30(日) 19:48:36.02 0
>>605 尖閣諸島の問題は、ウィトゲンシュタインのいうような規範のズレから
生じているわけではない。
「歴史」は国によって内容が違うため、自国の教科書だけを根拠に
領土の所有を裏付けることには無理がある。
だから、国際法や国際裁判所などといった、
誰もが認める判断の基準となる場所や法律がある。
610 :
考える名無しさん:2012/09/30(日) 19:50:01.44 0
それ故、歴史は単体では説得力はないが、その単体の歴史が
総合的なものならば説得力はある。
従って歴史は単にその国内限定の内容記述ではない。
ここでは国の文化のズレは問題にはならない。
問題があると言えば、中国や韓国が国際裁判所に出席しないことぐらいである。
いや、中国が尖閣で訴えて来たら豚政権は竹島の裏返しのギャグだろ…
612 :
考える名無しさん:2012/10/01(月) 18:59:19.55 0
中国が国際裁判所に出席できない理由は
国際法が中国を認めないということを、中国側の政府自身がわかっている
からだろう。
中国はただ「日本のしたことをこれからも一生忘れないでほしい」
と主張してきているに過ぎない。
不逞東夷倭国人など裁判に訴える価値もないと思われてるだけかも。
台湾海峡も複雑だからアメリカは巻き込まれたくない。
言語ゲームって帰納法に対する疑義からくる不可知論なだけじゃないの
「言葉は意味を持つが、意味は語り得ない」というのが、
前期的な態度だと理解しているんだが。
どちらかというとそれは中期の文法論で、中期の文法論に残された規約主義の難題を、
その徹底化によって消去しようとしたのが唯一の言語としての言語ゲーム。
中期というと探求の頃か。前期はラング(記述言語)の哲学だが、
本質は変わらないと思うよ。
言葉を持たない野生動物だって集団生活くらいは出来る。
言語が意思疎通の手段として完全ではないからと言って、絶望する
ことはない。バベルの塔でも打ち立てたいのでなけりゃ。
質問です。
「机の上にリンゴある」ではない
という文は、「机の上にリンゴがある」という命題(事態)を否定した、命題(事態)なんでしょうか。
それとも、この文は命題(事態)ではないのでしょうか。
関連した質問なのですが、「ある」は対象の中でも性質語ですか?
そうだとすると、「ない」というのは性質語ではなく、
「ある」という性質語を、論理語で否定したものですか?
用語は野矢さんの著書に依っています。
もいっかい清書のチャンスをやろう
前期が論考、中期は青色本、後期が探求というのが定着してる呼称。
むしろ動物が意志疎通ができているとすればそれは言語によらざるをえない、
というのが言語の唯一性。
例えばウィトゲンシュタインは古代ギリシア以来哲学が進歩しないのは、
古代ギリシア人と同じ言語を我々が使っているからだと考えている。
この辺は後のチョムスキーの生成文法やデイヴィドソンの寛容の原理を先取りしてる考え方だね。
それはつまり「意思」というものを言語化可能なものと
いう定義の元に言ってるんだろ。
ウィトゲンシュタイン自身がそういう極端な主張をして
いるとは思えないけど。
西洋哲学がギリシャ古典に拘束されていて、それが「進歩」の
妨げになっているというのはその通りだな。
形而上学的数学に対する直観主義からウィトゲンシュタインが
中、後期の哲学のヒントを得たのもそこだろう。
動物の意思が何であるかはともかく、
語りえないものはそもそも我々の言語ゲームに参加してこないわけだから、
その限りで語りえるものでしかないでしょ。
ウィトゲンシュタイン的には日本語もギリシャ語も動物語も同じ言語なわけ。
それぞれ違うルールで区別された別のゲームだというのは、
むしろ規約主義の考え方だなあ。
もいっかい精子卵子からやりなおすチャンスをやろう
犬猫語の文法ってのも難しいだろうな…
西洋人はデカルト主義に染まってて、犬猫には魂がないとか
未だに言い張る奴もいるからな…
犬猫の精巧なロボットを見ると、魂が入っているかのように感じてしまう。
少なくとも私たち日本人は。
これって面白いと思います。
デカルトを読み換えると、とても現代的な思想になるのではないかと思ったりします。
>>629 >少なくとも私たち日本人は。
「少なくともわたしは」くらいにしといたほうがよい
まぁウィトゲンシュタインと対比される形のデカルト主義というと
基本どちらかというと現象主義的な言語観とか意味の懐疑論の不成立とかだろうけど
デカルト哲学のネガを見ると、アニミズムや心身一如といった東洋的な思想に
なるのかなと…。
また、一種のスチームパンク哲学としても読めるのではないかと思いました。
>>629 飽きたらスイッチ切ったら良いわけだ。他者は消滅する。
結局、ロボットと動物の差異はどこにあるのかをはっきりとさせねば。
それを「魂」と呼んで済ませていいのだろうか。
お前のスイッチを切っても俺の良心は痛まないから、
お前は多分、ロボット。
人のスイッチを勝手に切っておいて良心が痛まない
人というのは、たぶん人ではないんでしょうね。
天才あらわる
スイッチというのは、もちろん、比喩ですよ。
人は必ず死ぬのに、この世には死んだことのある奴はいない。
不思議じゃないか?
>>637 多少なりと形而上学的な問題を論じてるのは前期だけで、
ようするに論考での哲学的独我論だが、ショーペンハウアー
を下敷きに考えるなら「アートマンは
ブラフマンである」って話には確かに似てる。
ラッセルが小学校教師時代のウィトゲンシュタインと面会したら、
「最高に熱心な神秘家だった」と思い出してる。もともとそういう
人物。
スピノザの入れ物に印哲を収めると論考になるって感じか?
岩文で出てるシャンカラの『ウパデーシャ・サーハスリー』は、
まぁまぁ参考になった。
この時代は『ギーター』の好きなヨーロッパ知識人多かったな。
>>399 「Aは黄色である」と言ったら、重ねて「Aは青色でない」と言う
必要がどこにあるのだ?
>ウィトゲンシュタインは根源的規約主義である、という見立てが主流。
ああ、そうかいって話だな。英米系ってのはくだらねえ・・・
必要ないのにその必要を生む哲学だから間違いなんだけどね。
屋上屋を架すのが形而上学だと明らかに言いたまえ。
人間はスイッチの付いたロボットだからIPS細胞は正義なんだってのが、
世間の議論の水準だからな…
海外の生命倫理学者は、
近年の技術にかかわる日本的な命の話には基本的に興味が薄いみたいに森岡正博が言ってたけど。
論理空間が間違ってたと言うことは、
『論考』は何を無意味な形而上学とするかの線引きについて間違ってたということなんだけどね。
ノーベル賞で日本のロボット修理技術が世界に認められたことでも
祝ったら良いのか?
>>650 利己的な遺伝子が口をパクパクさせてるだけなんだと思うが。
それだと発話者が自らの心について語れなくなってしまうんだよね。
他者の心について語るときと自らの心について語るときの存在論が違うんじゃないか、
みたいな話をサールはしてるけどねぇ。
糞ライダー ウザw
サールって行動主義だろ。「心」なんて盲腸くらいなもん。
IMF東京開催に合わせて、経済合理主義の金融資本が企んだな。
ウィトゲンシュタインは「私は行動主義者になってしまうのだろうか」って
自問自答してたんだろ。禅で云う「無心」はまるで意味が違う。
いきなり禅の話なんてされてもなあ
日本人の論考読みにもそれなりの歴史はある。
合理主義で凝り固まったニワカの英米哲学かぶれよりは禅僧くらいな
方が論考を分かるかも知らん。戦後はそれは普通だった。
戸坂潤の戦前の著作にもCKO訳でラッセルの序文を参考にして
ウィトゲンシュタイン読んだような形跡はある。
禅で言う無心とは、我々は身体を指差すことは出来ても心を
指差すことは出来ないってことだ。
『菩提達磨無心論』によればだが。
で、禅宗てのは大乗的思弁の始まる一歩手前で踏みとどまってて、
割と原始仏教に近い。インド思想(?)だわな。
『無心論』は禅籍の中ではほとんど唯一論理的で、要を得て簡潔だ。
長期間、散逸されて最近再発見されたのでなかったら禅の基本文献になってたろう。
ウィトゲンシュタインの哲学は西洋合理主義の粗雑な論理性に対する
虫下しだな。東洋思想は表象体系が違うから翻訳の手間がいる。
粗雑な話だな
ウィトゲンシュタインは日常言語が論理的に完全な言語であるがゆえに、
日常言語が正しく用いられるなら哲学的問題は解消されると考えてるわけ。
それは例えば日常言語より優れた人工言語を作ろうというような立場よりも、
より極端な立場だと思うんだけど、こういうのってきみの言う「合理主義」じゃないわけ?
解釈はご自由に。ナンでも自己都合だからな。
粗雑さに呪縛されてる奴になに行っても無駄だろうよ?
>>669 御託は良いから心を指差して見ろよ低脳。
う〜む、直指人心、見性成仏…
ウィトゲンシュタインの形而上学的曲解が盛んになったのは70年代
くらいからか?
…ジェダイ・マスターみたいでカッコいいな、俺は♪
内在的概念抜きに言語は成り立たない。普段、我々が一口に何かが「ある」と
言明する時、その「ある」は事実性の地平において具体的に何を意味するか?
これは「オントロギー(事実性の解釈学)」
論考の書き出しも「世界とは事実の総体であって事物の総体ではない」から
始まる。
「世界は事物の総体である」は古典物理学世界像でもある。
ウィトゲンシュタインやハイデッガーはアインシュタインと
同時期に登場した。
アリストテレス主義と新プラトン主義の対立ってのは普遍的な
テーマか知らんね。
495 名前: 処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 [age] 投稿日: 2006/03/19(日) 19:53:11
「菩提達磨無心論」でも読むべきだろうな。言語行動をシステム論的に
客体的に把握しようとするなら、「心」という主観的な概念を安易に
持ち出すべきではないということ、かな?
人間の成長過程において「私の言語の境界が私の世界の境界を規定する」
というのはある意味において、正しいと思う。
496 名前: 処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 [age] 投稿日: 2006/03/19(日) 20:01:35
そういや、戸坂の『イデオロギー論』、論考の受け売りも
あったが、発達心理学への言及もあったっけな。
発達心理学とか脳神経学とか、ガイジンどもは形而上学やり始めると
きれいに忘れちまうからな。
一般論として、世俗的人間はアリストテレス主義、宗教的人間は
新プラトン主義を好む。アリストテレスはやり手だが俗臭の強い
人物だ。プロティノスはインド思想に関心を持っていた。
物理学にもそういう対立がある。つまり主知主義と直観主義のせめぎ合いが。
直観主義的なアインシュタインを埋葬したがる形而上学者の自己撞着は
見て興味深いものがある(笑
ふっ
原子論が大好きさ。数学的モデルに置き換えただけ。
「Aは青い」と言われて「Aは黄色ではない」という結論にたどり着くのに
五分くらいかかるのは、あんまり頭が良くないぞ?
ウィトゲンシュタインを何とか曲解して取り込もうとするか、愚にもつかない
屁理屈で価値なしとして葬り去っても、しばらくすると寂しくなって、
モジモジしながら再びウィトゲンシュタインの元に帰って来る。
哀れなる合理主義者らはウィトゲンシュタインの宝に手を付ける資格に
欠けている。
諸君、愛と憎しみは紙一重だ。
手加減せんぞ?
骨まで愛して
フレンドリーなら何でもオッケーってのはミッキーマウスの国だけ。
頭でっかちにはインスピレーションもないぞ。
こういう解釈とも呼べないような妄言を2chでしこしこ書きこみ続けるのって何か楽しいのか?
692 :
考える名無しさん:2012/10/11(木) 10:03:37.30 O
具体的反論がないなら抗議は却下されるであろう!
IMF会議中なせいか盛り上がるな。
693 :
考える名無しさん:2012/10/11(木) 10:07:32.54 O
マルクスが歴史を何でも経済動因で説明したのは、この世界は
人間の欲によって動くものだからという単純な理由による。
思想にも同じことが言える。
私を遣わされた方が、最後の審判で豚どもを地獄に逆落としする
前祝いに、歓迎式をやってやれとのご意向をお持ちのようです。
(-人-)
反キリストどもめ、ムキになって来やがった。開催中に東京に一発来ないかな…
ロラン・バルトの天ぷら哲学は言葉の内在を排除しようとしたろ。
ウィトゲンシュタイン的にどうよ?
自分を指差して「これは私の身体です」って言って問題ないな?
シャンカラの哲学ってこんな感じでなかったか?
言葉の内在を排除したら精神的に退行する。おしゃべりなら
言葉に意味がなくとも成立する。口だけ動いてりゃ済むんだ
からな。バブル期ってそうだったろ。
心とは意味を認識する器官だ。
そいつをどっかに置き忘れて、自分探しの旅に出ちゃったりしてさ。
じゃウィトゲンシュタイン哲学はアリストテレス性知的便秘症に
対する下剤と言うことで確定だな。
経済的自由主義に経済的合理主義、哲学もクソもねえし。
パースのプラグマティズムの定義がスゴい。どんなに内容のない
話題でも、込み入った言い方をすればまるで何か意味のある思想
のように見える。
>>701 パースの主張自体がそうだと言ってるのか、
パースの枠組みの中ではそういうことになると言ってるのか、
どっちかわからない
ジェイムズも噛んでたっけ? ジェイムズはそれ程バカじゃないし、
嫌いじゃないんだけど、鬱病気味だったんじゃなかったかな。
シャンカラの言説は「私はAである」という命題を「私=A」と理解
することを徹底批判するのな。論理学の基本的な問題を教えて
くれる。
パースによるプラグマティズムの定義、論考読みには耐え難いものがある(笑
「わたしたちの概念の対象が、けだし行動への影響を有するどのような効果を
持つことができるとわたしたちが考えているのかについて、よくよく考えて
みよ。そうすれば、これらの効果についてのわたしたちの概念こそは、その
対象物についての私たちの概念そのもの全てである。」
シャンカラは宗教者であるから神秘主義であることに躊躇しない。
真我をあっさりと「発光体」とか言ってしまうんで、合理主義的な
近代人種には抵抗感はあるかも知らん。
俺は発光体になったことがあるから大した気にしないけど。
インド哲学では「ブッディ」と呼んだりする。
そもそも「人間」とは何だ? 近代人種には聞くだけ無駄か。
言葉の内在の問題だな。
ここまで来ると「独我論は厳格に推し進めると純粋なリアリズムに
到達する」という論考の一節の意味が自ずと明らかになる。
梵我一如の世界だ。
方法論が違うのだから別筋なんですよ
おまえらが読んでも理解出来ない論考を書くための方法論が
良く分かるな?
そりゃお互い様
アナロジーの理解出来ない奴は哲学にはあんまり向いてないかも…
>>703 東洋的な立場からすると、階型理論なんかいらないってことだな。
アナロジーな
それを優れて運用するには相当な感性が要るぞ
おまえにゃ実演は無理だろ…
アリストテレス主義はアタマが堅くて回りも悪くなるぞ…
梵我一如なんてのは精神的境地(えてしてオカルトに傾きやすい
独我論→実在論は、論理世界を徹底構成することによる、独我の意味的な消失
まあ、それが同じと思ったのならそれでもよかろう
アタマデッカチにはウィトゲンシュタインの梯子は登れんもんだのぅ…
登ったつもりなら登ってないってことじゃないの
左様、その精神的境地が大事じゃ
フォッフォッフォ…
論考は全体で一枚の風景画じゃ。それを頼りにウィトゲンシュタインが
キャンバスを架けた場所を探すこと、それが論考を読み通すことじゃ…
論考はもともとヘーゲル的な意味での体系哲学ではないな。
論考以降も言語ゲームみたいに、むしろ形而上学的な体系性とは
真逆な方向に向かって進み続けてる。
考えるのが面倒くさいからシステムが好きなんだろう?
寄る辺なき近代人諸君、君たちは自由という罰を受けているのだ。
・・・図星突かれたからって規制かけんなコラ
完全なるシステムは、全ての人間の思考を同じ型にはめ、理想的な
全体主義社会を構築する!
嗚呼、この偏執狂的な喜び!
キチガイの話ばかりしてるとこっちのアタマまで変になるからな。
キチガイ相手に話し合いをしようとしないからって責められてもな…
732 :
考える名無しさん:2012/10/28(日) 22:19:30.36 0
>>704行動にかぎらず、その「概念」を導入することによる「効果」で
その概念の是非を判断する、ということじゃないかな。質量、エネルギー、天皇、神、国家、なんでもいいが。
別に論考と真っ向から対立するものでもなんでもないと思うが。
>>701 そうか?プラグマティズムではそれが意味があるかないかは各人それぞれになっちゃうだろうということじゃないのか?
733 :
考える名無しさん:2012/10/28(日) 22:26:00.39 0
論考はカントの純粋理性批判と対比しうる。
思考の限界、表現の限界。
どちらも力学の形式をイメージして考えられている。
734 :
考える名無しさん:2012/10/28(日) 22:41:46.41 0
第1回指名チンポ チンポ太郎 チンポ国際高校 反りチンポ。 8チンポ指名あ...
pajmtdmjさん
第1回指名チンポ
チンポ太郎
チンポ国際高校
反りチンポ。
8チンポ指名ありました。
かっこいいですか?
チンポドラフト1位です!
ベストアンサーに選ばれた回答
sekainonakakaraさん
かっこいいです。
年俸もチン棒も大きくてϵ( 'Θ' )϶
735 :
考える名無しさん:2012/10/28(日) 22:48:30.77 0
心の哲学はここですかppp
どっちのユーミルかだとかビルビルダーが低能すぎるとかいってる間はカントでもやっとけやこらwww
他人の心はわからない(存在しない)という独我論はさ、人間の共有能力の欠陥を視野に入れて考えたん?
サイレンていうゲームで、相手の視界をジャックして相手目線の世界を見れるシステムがあるんだけど
同じように心(感覚)をジャック出来る生物が現実にいる可能性があるよね?
そう考えると、相手に心があるかわからないというのは人間の能力の未熟さに他ならない気がする
ウィトゲンシュタインは他人の心は存在しないなんて言ってないな。
「他人の心が存在する・しない」は無意味な命題だと言ってるんだよ。
まぁそんなのウィトゲンシュタインに言われなくても知ってたわ
739 :
考える名無しさん:2012/10/30(火) 19:29:11.92 0
いや、そんなことは言っていない。
>>850 パラドクスが「反論」のためのものではないことはとりあえずおいておくけど、なぜ?
なんというオナニー
742 :
考える名無しさん:2012/11/06(火) 00:13:08.74 O
論考では心理主義に警戒してたんだっけ?
心理主義への警戒はフレーゲがはじめなんだけど、
どうもラッセルが中途半端で、ウィトゲンシュタインがより強力にした感じ。
大陸哲学屋の俺としては反実在論と心理主義の区別がつかない
晩年に「心理学の哲学」やったよな。
心理学とは何か、泡盛が入ってない時に考えるわ。
746 :
考える名無しさん:2012/11/07(水) 23:14:48.51 O
心理学と哲学はどこが違う?
哲学、乃至論理学とは思考の形式についての学だと論考で
言ってなかったかな。
では心理学は?
747 :
考える名無しさん:2012/11/08(木) 04:12:28.17 O
端的に言えば機能、行動主義的な見方だよね
ああ、こうだ。
4.1121
心理学は、哲学に対して、他の自然科学以上に親密なものではない。
いわゆる認識論とは、心理学の哲学のことである。
記号言語についての私の研究は、哲学者たちが論理学の哲学にとっ
てあれほど本質的なものであると考えている思考過程の研究に該当す
る、といえないであろうか。ただし哲学者たちは、多くの場合、非本質的
な心理学的研究に迷いこんでいった。そして、私の方法にもまた同じよう
な危険がある。
4.1122
ダーウィンの理論は、自然科学のほかの仮説以上に哲学との交渉が
あるとはいえない。
749 :
考える名無しさん:2012/11/08(木) 18:05:22.57 0
>これは、特定の思想というよりもむしろ、功利主義、唯物論、科学主義などの
>ように形而上学的思弁的議論を好まない思想に広く見られる方法論のひとつ
>である。
・・・これは心理主義についてのウィキの解説。
ダーウィン後は、人間のすることは何でもかんでも生存本能を基本にした
[動機]-[行動]モデルに還元したがる傾向は強いからだな。
ダーウィン出て来るとおまいら無口になるからな…
751 :
考える名無しさん:2012/11/08(木) 20:51:27.79 O
ニニが四には勝てないな。ウィトゲンシュタインはカラマーゾフ40回
読んだんだったなw
752 :
考える名無しさん:2012/11/08(木) 21:17:42.14 O
認識論が心理学の哲学だってのは、心理学を主題にした認識論を
やったブレンターノが「指向性」の概念を提唱して、それを継承
したフッサールが現象学に発展させたようなもんか?
直観主義者の考える心理学というのはあるか知らん。
753 :
考える名無しさん:2012/11/08(木) 22:54:04.50 O
フロイトはさて置き、非ダーウィニズム的な心理学というのは
探せばいろいろある。
やはりドストエフスキーに影響を受けてるフランクルは実存主義的な
心理学を標榜してなかったかな。
ハイデッガー/メダルト・ボスの実存分析や、アメリカ人にすら
キルケゴールで心理学やりたがる連中が稀にいる。
754 :
考える名無しさん:2012/11/09(金) 07:39:35.24 O
19世紀半ばまでは心理学は哲学と不可分だったと、一般的には
言われるようだな。つまり、ダーウィニズムを境に心理学は
科学になった。精神物理学みたいな態度と関係して来るか知らん。
755 :
考える名無しさん:2012/11/09(金) 07:44:35.21 O
精神物理学ってのは主観的感覚の定量的測定可能性を探ろうと
したわけだが、今では誰も真面目に相手にはしない骨相学みた
いな分野だ。
756 :
考える名無しさん:2012/11/09(金) 08:24:59.59 O
現代人種てな、自分のことを何でも「生存本能」で解釈することに
馴らされ過ぎてる。「本音」と言ったら下半身のことだと信じ
切ってる。
どんどんエテ公に似てくる。
R.D.レインなんてまだ本棚に残ってた。第一章、「人間の科学のための
実存的-現象学的基盤」。
こういうの読むと俺は引きずられて脳の調子が狂う。
目の前の景色と自分との間に見えない断層が生じて、目の前の
景色が死んだような冷たいものになって、自分が世界からどこ
かの虚無の底にずり落ちて行く感覚。あれは怖かった。
最初の頃に脳だけで強制的に人格改造しようとして失敗したんだよな。
結局、波止場労働で鍛え直す羽目になった。
760 :
考える名無しさん:2012/11/10(土) 12:22:58.73 O
>>743 数学的真理への愛まで下半身が動機にされちゃかなわんてことだな(アッハッハ
761 :
考える名無しさん:2012/11/10(土) 13:30:35.92 O
ダーウィニズムを基調に考える限りは、生物がどんなに進化しようが、
神に近づくどころか生存本能に基づいた機械論から逃げられない。
大雑把な理解だが。
762 :
考える名無しさん:2012/11/10(土) 14:10:07.36 O
最近の人類社会が下等動物臭さ丸出しなのもやむを得ざるところか。
763 :
考える名無しさん:2012/11/24(土) 15:34:48.77 O
プラグマティズムと心理主義の蜜月関係について、チラシの裏
一枚分に簡潔にまとめなさい。
〜アメリカ人終了のお知らせ〜
765 :
考える名無しさん:2012/12/30(日) 23:05:45.48 0
私的言語は成立するんだから言語ゲームって全く意味がないような
トランスパーソナル心理学
767 :
考える名無しさん:2013/01/05(土) 03:46:22.24 0
>>765 私的言語は論考。スタイルで誤魔化したって自分で反省文に書いてた。
スタイルのない奴は教祖にゃなれんが。
768 :
考える名無しさん:2013/01/06(日) 02:41:13.57 O
トラッテンバッハで小学校教師をクビになって凹んでる時期で
なかったかな? 全否定はしてない。真正な価値のある箇所
もあるが、スタイルでごまかした箇所もある、と。
論考は論理的であると同時に非常に文学的雰囲気であるのが
尽きせぬ魅力だ。
ウィトゲンシュタインは芸術家肌なところがあるからな。
世の中に敗北して仕方なしに大学教授になる人間もこの世にはいる。
771 :
考える名無しさん:2013/01/21(月) 13:50:35.65 0
『論考』は人間精神に訴える。頭でっかちな理性に対してではなく。
人間精神(ドヤッ
773 :
考える名無しさん:2013/01/21(月) 17:41:40.90 0
神経反射ですね?
774 :
考える名無しさん:2013/02/22(金) 15:54:38.25 0
精神は文体を持つ。
科学で脳味噌が占領され尽くして、精神が慢性的に
衰弱し切っていると、文学なんてあやふやなものは
相手にする価値がないってことになるからな。
ヴィトゲンシュタインの著作に見られる一面で、今後ますます注目を集めることが確実なのは、そ
の言語である。かれがいつの日か古典的なドイツ散文家の一人に数えられないとしたら、それは驚く
べきことであろう。『論考』の文学的な味わいは余人に気づかれずには済まなかった。『哲学探求』
の言語も同じように見事である。その文体は簡潔明快、構文は確実流麗で、そのリズムにはよどみが
ない。その形式は、あるときには問いと答えから成る対話体であり、あるときには『論考』の場合
のように、アフォリズムに擬縮する。あらゆる文学的装飾、技術的な専門語ないし術語が驚くほど欠
除している。慎重な抑制がもっとも豊かな想像と結合し、自然な持続と心を驚かすような変化とが
同時に印象づけられて、人はウィーンの生んだ他の天才の偉大な作品を思い浮かべることであろう。
(シューベルトはヴィトゲンシュタインの好きな作曲家であった。)
ゲオルク・ヘンリク・フォン・ウリクト「ヴィトゲンシュタイン小伝」
ウリクトが亡くなったのは同時テロの頃か?
結局、ウィトゲンシュタインの論理学を理解してる奴は誰も
いなさそうだな。
理解という語の語法を理解してからおいで。
お前らと俺は言語ゲームが違いすぎる
>>779 スマホの中味を理解しなくともツイッターに利用することは
可能だ。つまり利用することは理解することとは違う。
やっぱり理解できてない
理解する=理系すると思ってんじゃねえの?
それじゃ駄目だわ。
ウィトゲンシュタインのタゴール関係の話ってなにかありませんか?
ウィーン学団でギタンジャリを読んだってソースは全集で見ましたが、
他にも暗室の王が好きだったという話も聞きましたが、ソースが不明です。
同時代の芸術家とか音楽家には否定的だったのは知ってるので、
これだけのソースだと本当は嫌いなんじゃないかと不安になってしまいます。
茶の本とかも読んでて感想書いてくれてたらおもしろいんですけどw
785 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(1+0:8) :2013/06/04(火) 08:55:02.47 0 BE:3079593195-2BP(333)
469 名前:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(1+0:5) :2013/06/04(火) 07:24:21.20 2BP(333)
ウィトの「論理哲学論考」わけわかんねえ。
像、世界、現実、命題が何を意図していってるのかがわからねえ。
今、58ページ。
470 名前:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(2+0:5) :2013/06/04(火) 08:23:59.80 2BP(333)
ちょっと整理しよう。
ウィトの像、命題というのは、主観の認識において存在するものだと思われる。
すなわち、ウィトが呼ぶ世界とは、なんらかの主観たちの共通認識のことであり、
それが命題によって分類体系化されるのは、あくまでも大脳生理学によって規定される内容の内である。
786 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(2+0:8) :2013/06/04(火) 08:58:33.33 0 BE:958096627-2BP(333)
474 名前:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(3+0:5) :2013/06/04(火) 08:49:57.34 2BP(333)
本文を読み終わった。
まず、高橋昌一郎がいってた「ウィトゲンシュタインによれば、哲学の諸問題は
用語が正しく使われていないため誤謬を生むのであり、ことばが正確に使われた場合、
哲学的疑問は自然と消える」というような内容は書いてなかった。何かの誤解だろうか?
ウィトゲンシュタインが扱うのは、論理学であり、論理学とは主観に属するものである。
だから、論理は、いかなる命題とその証明であろうと、主観によって真にも偽にもなりうるし、
それをそうだと示したところで、哲学的問題が解決することはないだろう。
語りえぬものへの言及も、さして重要だとは思わない。未知が存在する以上、常に語りえぬものは存在しえるからである。
人が全知となることはありえないのであり、人の知識は常に未知と語りえぬものをもつ。
ゆえに、ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」において得られる有益な哲学は存在しないと思う。
787 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(3+0:8) :2013/06/04(火) 09:00:03.07 0 BE:2737416858-2BP(333)
ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」はすべて脳の内側における事象について解説したものである。
788 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(4+0:8) :2013/06/04(火) 09:33:32.99 0 BE:3695511896-2BP(333)
480 名前:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(3+0:5) :2013/06/04(火) 09:32:44.11 2BP(333)
高橋昌一郎がいってた「ウィトゲンシュタインによれば、哲学の諸問題は
用語が正しく使われていないため誤謬を生むのであり、ことばが正確に使われた場合、
哲学的疑問は自然と消える」というような内容は、ちゃんと書いてあった。
見つけた。
「答えが言い表しえないならば、問いを言い表わすこともできない。謎は存在しない。
問いが立てられるのであれば、答えもまた与えられうる。」
でも、これって、ABC予想とかの実際の数学的問題に対して、当てはまらないよね。
つまり、このウィトの哲学はまちがっている。
ABC予想は未だ真偽不明なので例として不適切
790 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(5+0:8) :2013/06/04(火) 10:44:56.80 0 BE:273742122-2BP(333)
>>789 問いが表われてるのに、答えが表れてないだろう。
言ってる意味わかってるのかな?
なんだそりゃ
いかなる種類の問いであれ、問いがなされると同時に答えが出力されるってどんな状況だ
決定不能問題を例に挙げるならともかく
訂正:
決定不能問題→独立命題
793 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(1+0:8) :2013/06/04(火) 15:26:19.92 0 BE:1642450638-2BP(333)
>>791 ウィトが「論理哲学論考」でいったことはそういうことだとおれは読んだんだが、
ちがったかな?
答えがあることと答えを認識することは違うわけよ。
基本、意味(sense)は客観的でそれを認識するという構図なので、
認識様相を分ける基準は語りえない。
たとえばゴールドバッハ予想の答えは真か偽かというのが真理様相で、どちらにせよ必然的なわけだ。
だが、その証明が与えられうるかというのは認識様相で、偶然的なわけね。
この辺はカルナップやクリプキが継承したところだな。
>>786 「哲学の諸問題は用語が正しく使われていないため」
正しいか正しくないか、どの審級で区別されるんだろう。
言語が審級だとすると、全くのトートロジーだよね。
ウィトゲンシュタインはそんなこと言っていないのだが
解釈は自由だが、解釈の伝聞は原像をゆがめるだけ
言葉の正用と誤用はどこで分かれるんだろうか。
誰が決めるんだろうか。
799 :
考える名無しさん:2013/06/18(火) 18:31:56.78 0
この人の業績って、いまひとつわからない w
>>799 俺も分からんが
考えても仕方のないことが何であるかは、よく考えると分かるので
無駄に考えずに利口に考えろ、みたいなことを言ったら
それまで考えても仕方ないことを熱く考えていた哲学野郎どもが赤面しちゃった
ってことじゃないの
一種のセラピストのようなものだろうが、考えて意味のあることとないことって、そう簡単には分からないような気がする。
彼が哲学に走ったのは、自身の内面の危機(自殺への恐怖とか)への対処のためだろう。
非常に求道的と言っていいな。読書歴などみると明らかだな。
彼にとって哲学は救済的な行為だったんだろうがねえ。
802 :
考える名無しさん:2013/06/18(火) 19:05:08.33 0
まあ、簡単には分からないから
哲学板にはポエマーが多いわけだが
だいたい、ウィトゲンシュタインでもデカルトでもいいけど、奴らの思考を
その生い立ちやら境遇やら時代背景によって、外側から常識的に解体しようってのは
やりかたがちんけで姑息でこそばゆい
トルストイとかショーペンハウエルとか、旧制高校生のような読書傾向だね。
人生の意味が最大の関心事だったんだろうね。
にいちゃんが一人どころか
自分以外一人しか自殺しなかったんだからそれは無理もない気がするけど
語り得ぬものについては沈黙しなければならない、だっけ?
おしゃべりな西洋人らしい発想だよね
807 :
考える名無しさん:2013/06/20(木) 00:20:04.80 0
沈黙の価値(意味)を知っていた数少ない西洋人。
>>795 世の中は往々にして、よく使っている言葉の意味を理解してなかったりするぞ。
西洋神秘主義の伝統では沈黙の重視なんてのは珍しくないが。
ラッセルが言うに小学校教師時代のウィトゲンシュタインは
最高に熱心な神秘家だったと。
ニーチェも神秘家にだけは一目置いてなかったか?
主観は文字通り主観的にしか存在しない。哲学的独我論とは
そういう意味だろう。
通俗的な主観了解では、主観は何か対象化して把握可能な
客観的な何かのように語られる。
主観主義は単なる妄想だ。通俗的主観了解に留まったまま、
客観的領域まで主観に含めてしまう。
精神世界だのスピリチュアルだのにかぶれる奴は多くても、
本物の神秘主義に関心を向ける奴は少ない。
813 :
考える名無しさん:2013/06/21(金) 22:55:29.01 0
ウィトゲンシュタインって、軽口を叩く人間を非常に嫌ってたらしい。
西洋人は会話で、あまり意味はないけど、ちょっと気のきいたセリフいうのが評価されるだろ。
一種の教養のあらわれみたいな感じでね。
彼は、そういうのを極端に嫌ってた。
だから、彼の会話はいつも真剣勝負。
ムーアと目の前に木が存在するかどうかで延々話し合ってたらしいな。アホらしくも美しい。
真剣だから、他人には結構不寛容だったらしい。
子どもに手を上げるのは行き過ぎだが w
暴力教師 ウィト
過大評価もはなはだしい
こいつ ぱくりだらけ
しかもヘーゲルなみに文章が下手。
ルソーをみならえよ
低能って感じ
アインシュタイン的独我のほうが賢いね
あれは自分視点も他者視点も含んでる汎神論のような汎心論
819 :
考える名無しさん:2013/06/23(日) 00:07:42.13 0
オツムのレベルが違うだろ。
アインシュタインは宇宙人レベル。
>>817 過大評価は同意する。
ただし、時折振りかってみる価値はある哲学者。
ルソーって、そんなに文章上手いのか。
フランス語わからないんで。
機能主義
一人一人は社会を成す役割…社会は絶対空間(一人一人を支配する絶対主義ほどではない)
相対論
一人一人はそれぞれの主観的場に対して生きる→その一人一人によって社会が現象する
822 :
考える名無しさん:2013/06/23(日) 14:29:34.83 0
機能主義の空間…第三者視点にとっての絶対空間
相対論的空間…あらゆる視点にとっての相対空間
823 :
考える名無しさん:2013/06/24(月) 07:53:10.28 O
視野の左にAがあり視野の右にBがあるとき視野の場所はどこにあるのか?
>>818 ウィトゲンシュタイン 言語の限界が思考の限界だ!
アインシュタイン それは、お前の限界
825 :
考える名無しさん:2013/06/26(水) 21:51:29.62 0
相対性理論の一般向け解説としては、ラッセル大先生の「ABC of Relativity」があります。
翻訳も「相対性理論の哲学―ラッセル、相対性理論を語る」であります。
いきなりリーマン幾何学とか敷居が高いので、この辺りから始めると面白いと思います。
絶対的な中立視点でする相対論
同時に他者視点と自分視点に立ってする相対論
アインは後者だからこそ空間認識がずば抜けてる(音楽も空間認識で捉えてる
独我論的実在って、相対性理論でいう、特異点のことな。
アイン 真の天才
ウィト 偽の天才
だからな。
天才かどうかを凡人が判断するとか正に思考の外側すぎる
その理屈だと、828のことも分からんぞ。
もしかしたら天才かもしれん。
天才宇宙論者は、相手を宇宙モデルの中に容れる…相手の視点で観る宇宙を説明
凡才宇宙論者は、相手に宇宙モデルを見せる…絶対空間(物理と無関係な中立的)視点で観る宇宙を説明
>>830 目を閉じている間に両手は消失していないくらいの確実性で凡才だろう
ウィトはトートロジーの天才 w
60年もかけて、この男は何をやったんだろうか
ウィトにとって学問は自然科学と論理学と刑而上学というゴミの三分類なので
ゴミを作らなかったことは批判にはならない
ワロス。そうだよな
過大評価かはともかく論考をまともに理解して論じてる奴は
ネットでは見たことないが。
哲学は自然科学ではないからダーウィンとか知らんと論考で
言ってるし。
>>824 >言語の限界が思考の限界
思考と妄想の区別くらいはしろ。
そもそも思考というのはどこか指をさせるような空間的な座標に
存在しているのか?
心を指差すことは出来ない。主観は主観的にしか存在しないから。
以上のような問題を昔から禅寺では「マクモーゾー!」(妄想する
なかれ!)と一喝したわけだな。
生涯童貞 という感じの哲学だな。
まあ、こういう人がいてもいいと思う。
物凄い低次元な感想をありがとう御座いました。
<(_ _)>
およそ存在するとは空間的に存在するのである。
主観と他主観で相対
この場合、思考者は両者の系になっている最柔軟な空間的存在である
(音楽鑑賞・団体スポーツなどで空間認識能力が活性化している状態と等しい
主体と他主体を客観
この場合、思考者は絶対的第三者である
>>829 どっちも凡人からしたら天才だけど、天才にもレベルがある。
無限に大小があるように。
そりゃアインシュタインに比べればウィトゲンシュタインなんて小物。
そもそもアインシュタインに相当する哲学者ってプラトンくらいしかいないし
どの視点にたっても私でしかないっていう独我論…主観Aに立っていることを前提として相対的主観Bに立つ
主観しか存在しないっていう独我論…主観Aか主観Bか
849 :
考える名無しさん:2013/07/06(土) 08:41:10.45 0
アインシュタインといえば、最近出た「量子革命」という本、べらぼうに面白かった。
お前たち、何がシュタインや。
主体の謎を解き明かシュタインじゃ。
機械の各部品の視点になるのが天才
機械の各部品を俯瞰するのが一般的
853 :
考える名無しさん:2013/07/07(日) 19:36:31.41 0
854 :
考える名無しさん:2013/07/07(日) 20:36:01.27 0
この人って、頭抱えて一所懸命に当たり前のこと言ってるだけじゃないかな。
読む人によっては、それが新鮮に映るんだろうけど。
当たり前ってそれがわかってる人って少ないじゃん
言語化していないとやっぱり意識的に使えないし思考の組み立て方が疎かになる
856 :
考える名無しさん:2013/07/08(月) 13:31:26.35 0
哲学ってみなそうだよ
何故当たり前を当たり前に感じるのかは当たり前じゃない。
当たり前とは何か、何故当たり前は当たり前なのかとか。
おそらく答えられない訳だ。という事はつまり「当たり前」は当たり前ではない。
当たり前でない「当たり前」について考える事にはそれはそれでまあ悪くない。
>>858 誰もが異議を唱えないような主張。
って、確実性についての暫定結語。だよな?
多分。という事は「当たり前」というのは科学的な発想に裏付けられているものか。
仕事するわ。
不毛だな。
最初は俺もウィトの哲学に新鮮さを感じたりしたけど、結局、行きどまりの哲学なんだな。
言語の中だけで考えると、必ずそうなる。
ネズミが回転車をいつまでも回し続けているようなもの。
本来、ウィトが他の哲学者に投げつけた批判だけど(「蠅取り壺から蠅を導き出す」)、彼にもそのまま当てはまるろいうのが皮肉。
かなあ?
懐疑論者じゃないから、不毛はないと思うけどね。
864 :
考える名無しさん:2013/07/09(火) 23:03:07.77 0
>>859 それは、当り前じゃない、との比較で考えないと、いつまでも袋小路だと思うよ。
それ以外に可能性が考えられないtのが、当り前だろ。
エンジンかかってきた
とにかく今のうちに沢山種をまいておかないと駄目だ
ウィトゲンシュタインは一神教的だったのか多神教的だったのかそれとも無神論者だったのか
何で科学者は神学に嵌る事無く世界について記述する事、あるいはしようとする事が出来るのか
理論と現実が一致してしまう事の奇妙さについてどう考えてるのか
数式と世界はまったく別の次元に属するものなのに、何故あたかも同次元に属するもののように受け取る事が出来るのか
分からないのは当たり前を支えているものについて
つまり何故当たり前は当たり前か、という事になるんだけども
五月はとっくに過ぎたのに、蝿がブンブンとうるさい。
873 :
考える名無しさん:2013/07/10(水) 22:56:03.19 0
>>871 何故、当り前じゃないは当り前じゃないか、についてはどう思う?
何故、当り前じゃないは当り前じゃない、についてはどう思う?
言語哲学の本を何冊か読んでからまた来ます
今何となく思うのは、「当たり前」と「当たり前じゃない」は同時に与えられなければならないという事
この「当たり前」「当たり前じゃない」の分割は何故発生するのか
あ、今問題になってるのは「当たりまえじゃない」ではなくて「当たり前じゃない、は何故当たり前じゃないのか」か
・・・これ意味論の領域っぽい とくわからない
タウマゼインがあるかないかじゃないのかな
878 :
考える名無しさん:2013/07/11(木) 23:10:12.04 0
アインシュタインが哲学板で評価されてることに驚くなー
あんなのガウスやリーマンのアイデアを物理に演繹しただけだろ
それはすごいけどガウスの発想に比べればクソだし
論考の美しさの比じゃねーよ
879 :
考える名無しさん:2013/07/11(木) 23:12:01.98 0
>>862 こういうのも頭悪すぎっていうか
そもそも行き止まりかどうかなんて問うてないし
「言語の中だけで考えると、必ずそうなる」って
じゃあ「言語の外で考える」ってことを定義してみろよ
またトートロジーが始まった w
アインはユーモア・遊びに通じる音楽的・空間認識的な思考が評価される
数学は手段であり目的でないとか、機械的でない思考だとかが大きな違い
アインシュタインの自筆論文より信者が書いた解説書の類で神話化
ウィトゲンシュタインの自筆論文は訳出点数も多くバカ解説なしでおk
だから、読み物的にアインシュタインが面白いのは当然w
ミクロな物質を対象化するのが絶対主義
ミクロな物質の視点になるのが相対主義
ウィトゲンシュタインはストイックで自分に厳しい人だったから、まさか自分がアインシュタインに比べられるなんて思ってもみないだろ。
どっちかというと、ウィトの方がミーハー信者多いんじゃないか。
アインの場合、論文理解できる人間自限られてるし。
885 :
考える名無しさん:2013/07/12(金) 23:46:21.15 0
数学者や物理学者、音楽家や画家。
こういう天才を持ってる人は、仕事の一番重要な部分では言葉なんかで考えていないと思う。
886 :
考える名無しさん:2013/07/13(土) 11:03:11.29 0
>>881 音楽的・空間認識的な思考って、興味あるな。
イメージ的にある世界像を作っていく(視てゆく)という感じかな。
音楽の場合、継時的に構造を追ってゆくものを、空間的に把握するのか(射影する)。
そうして掴んだイメージを数式におとす。
それをさらに一般的な言語へ翻訳するという感じかね。
意味論的に、空間は言語の配置、時間は因果論理
認知(観測)的に、空間は物の配置、時間は変化
意味論にも、言語学と数理論理学で違いがあるけど、まさか最先端の物理学を言語(哲)学なんかで理解できるはずはないよね。
三角形について考えるとき、どこから三角形を見るか
スレ違い
三角形を見ているなら三角錐じゃないか。三角形を考えるなら線分を見ていなければならない
ウィトゲンシュタインって、大真面目なバカというタイプ。
ある意味、愛すべきキャラではある。
894 :
考える名無しさん:2013/07/27(土) 11:52:18.71 0
弟子というか、彼が評価してた若い連中には数学者が多いけど(クライゼルやコクセター)、若い連中の方はウィトの数学的能力に関しては???と考えてたフシがあるね。
ウィトって、数学のことはあまり分かってなかったみたい。
こいつ、あんまり頭良くないだろ。
ラッセルが最初に買いかぶりすぎたのが、誤りの元。
ラッセルは貴族出身で人がいいから。
896 :
考える名無しさん:2013/07/31(水) 18:39:12.93 0
ミケランジェロのアダムの創造の事になんか言おうとしてる奴があるけどさ、
途中で話がズレてハッキリ言ってないからすげぇもどかしいんだよね。
どんな哲学が隠されてると思ってたのか、右のおっさんの事をどう解釈してたのか、
なんかハッキリ言ってるソースはないの?
批判はいいんだけどもう少し中身のあるやつを頼む
同意。
ウィトゲンシュタインは謂わば、頭の中を透かして見せる透視映写機だからな。
批判するも肯定するも、発言者の頭の中身がまんま露出投影されてしまう。
ことばは透視投影のメカニズムそのもの。ナノニネ。
899 :
考える名無しさん:2013/07/31(水) 23:17:22.99 0
>>897 ウィトゲンシュタインの哲学自体「中身」なんかないだろ。
言語はその使用(規則)であるって、言ってることは結局それだけ w
という程度の理解をお持ちだということですねw
ほら、ことば遊びが始まったぞ w
言葉遊びにしちゃいたいわけですね?
言葉遊びにしちゃいたくないわけですね?
いえいえ、ゲームは楽しまないとね。
僕は正しいから僕の勝ち。なんて言わないから安心してねw
楽しいか?
他のことやった方がいいんじゃないか。
言葉遊びは終了?
研ぎ澄む、あなたの規約感性が見たいのに
907 :
考える名無しさん:2013/08/01(木) 07:47:16.41 0
908 :
考える名無しさん:2013/08/01(木) 09:13:19.84 0
ggrks.ky
>>894 自分にない能力を見出してたんだろうね。
>>881 アインシュタインは人間のもつあらゆる認知能力を使って思考してる。
トポロジー的な発想もそう。ポアンカレが最も早く相対論を理解したのは偶然じゃない。
言葉だけで思考するのとはが次元が違う感じ。
そもそもアインシュタインとウィトゲンシュタインを比較するのがおかしいんだよ
やってることが違うんだから
共通点はシュタイン
アイシュタ的な人が創意工夫して遊びまくる人とすると、ヴィトシュタ的な人はそれを分析する人
「政治家が政治評論家を軽蔑し、画家が美術評論家を軽蔑するように、創造する人間は説明する人間に対して深い軽蔑感を抱いている。解説、批評、観賞などは二流の人間の仕事だ」
もっとも、カラビ-ヤウ空間などは、3次元レベルの自然言語では、幼稚園児のお粗末な素描程度にしか表現できないけど。
11次元空間って何がその構造を成してるんだよ?と
どんな概念もそれが5つ程度を超えたら、創造的とはいえなくなる
概念上は問題ない(数学的に整合性がとれている)。
問題は、実験・観測で検証ができないところ。
純粋理論の世界。
まあ、夢は膨らむけど。
917 :
考える名無しさん:2013/08/12(月) 21:52:20.49 0
>言語はその使用(規則)であるって、言ってることは結局それだけ w
しかし、「それだけ」とは? どれだけ?
「使用(規則)」って、括弧の意味がわからないので、何が言いたいのか分からない。
哲学ってどっちかったら、利発なタイプには向かない学問だよな
目から鼻に抜けるような連中から見たら、馬鹿みたいなことやってるように見えるけど
見かけとは違うことをやっているということを、利発な連中は利発であるが故にわからんのよな
内容のない感想 w
夏草刈るほどじゃないよ。
ウィトが教職辞職した理由の一つとして
自分の講義に集まる学生の大半が
アタマを良くする、良いと見せて思わせたい
小賢しいお利口様ばかりでウンザリした。
というニュアンスのコメントをしていたことがある。
アタマの良し悪しは哲学とは無関係だと。
自然科学系の天才秀才の哲学的な言説って
びっくりするほど凡庸なことがあるからな
また、誰が何と言ったかというような「話」ばかり w
現象の数理構造を眺めてるだけでは、それの認識や思考の無意識的な大前提・習慣性を掘り起こすことはできない
理論とは異なる観測事実を、小手先の理論修正で対処するか、思い込みを探ってみるか
スレ違い w
論考の一節を忠実に実行してるのがまるわかりで笑える
草を植える作業しないと荒地になるぞ
アヒルの絵なんか眺めてないで、位相幾何学やった方が面白いぞ。
w
930 :
考える名無しさん:2013/08/18(日) 15:02:25.05 0
馬鹿じゃねーのw
位相幾何学もアヒルの絵と一緒で
才能が無い一般人がやるのと、数学の才あるものがやるのとでは
様相が全く異なるんだよ
ほんと何もわかってねーなw
ウィゲンシュタインは前者。
しかし頭は悪くないんだろうけど
哲学脳は弱い奴だな
どうかなぁ
哲学は知識を必要としないから誰でもできる
哲学できない奴は相当のバカ
私たちが考える営みが哲学なんですね(棒)
哲学は知識を必要としないから無知なド素人でも専門家と対等に張り合える
そこんとこを了解しない専門家こそが愚かなんですよね
典型的な厨二ドグマw
幼児〜老人まで
底辺〜成功人まで
競争率高すぎ
講談社学術文庫の近刊案内より。
ウィトゲンシュタインの講義 ケンブリッジ1932-1935年
アリス・アンブローズ:編/野矢茂樹:訳
やった!
あとは「確実性について」あたりが文庫か四六判で出ればなぁ。
>>940 これ、勁草から出ていたやつだよね。これを機会に、勁草の哲学書が他にも
文庫化されていったら嬉しいんだがな。
こうしてみると、哲学が好きってより
哲学書を読む事が好きな奴がほとんどだよな
リースのRecollections of Wittgensteinって邦訳ないの?
かなりおもしろうなんだが
>>937 仕舞いには2chの日曜哲学者さんまで同じことを主張しだす
「大学の研究者どもはわかっとらん」
自演乙
言語ゲーム一元論
自閉症でしょ、この人。
マスターベーションのしすぎが原因とも。
ニーチェと一緒だな。
過剰なオナニーが独創的な哲学思想を産み出すのか。
952 :
考える名無しさん:2013/08/30(金) 15:41:45.45 0
新訳の「哲学探求」ってどうなの?
読んでる人いたらぜひ感想を
清々しいクレクレ君
ウィトはアスペだから
ピントがずれたこと書いてんだろ?
だいたい俺が小学生のころ気づいたレベルのことしか書いてない
仮にそうだとしても、それを哲学の分野で文章にするということは大事なんだよ
ウィトゲンシュタインにかぶれる奴っているよな。
大概バカだけど。
962 :
ニヒリン:2013/09/03(火) 01:31:03.46 0
じゃ俺バカだ。。
>中学生の発想だな。
では、オマエの脱厨房な発想を見せてもらおうではないか。3行で。
964 :
考える名無しさん:2013/09/03(火) 12:17:00.81 0
人間は何かを意識する時、又、何かを考える時に、その基本となるのは、「言語」である。
意識的にしろ、無意識的にしろ、「言語」を介して認識し、思考をしている。
だから、「言語」は知覚的(五感)に表面に現れる面と、知覚に現れない面がある。
それは、ウィトゲンシュタインの「語りえるもの」と「語りえぬもの」との連関としてある。
「語りえぬもの」とは、言語の「無意識的階層」にある知覚的に捉えられない形而上学的事象
であり、「論理的」には語りえないが、我々は、生活世界(日常の生活)に於いて無意識のうちに
体験しているのである。
秋近し、見てきたような、うそを言い。
966 :
考える名無しさん:2013/09/04(水) 11:44:16.96 0
ウィトゲンシュタインの基本的な考え方は、イギリス経験論の影響を強く受けているいる為に、
感覚(五感)にて経験されるものを基底として論理的な展開をしている。
「言語」の持つ「二重性(意識的なものと無意識的なもの)」に対して、後期の哲学的展開は、
「語りえぬもの(無意識層)」に対して、経験論(=感覚的五感)を基底として論究を進めている。
言語で機能主義的に考えるのか
言語は仮置きであって、意味で考えてる
>>967 大昔に米国だったかのquotationサイトで読んだウィトゲンシュタインの引用に
「言葉が意味を”持つ”というなら、意味だけ残して他の一切を捨ててみれば?」
といった内容の文章があった。出典が何であるか記載がないので再確認できないけど。
仮置きとしての言語を捨て去って、意味だけ残るモノだろうか?
"人生"には意味をもつのか?
言語表記を取り去るだけでなく、意味を知覚化すればモヤモヤしたアメーバ状のイメージが残る
>意味を知覚化
変換加工せずに、意味だけ示してみせろよ
言葉の意味なんて一義的に決まるものでもないしな。
無意味wな議論だと思う。
「ことばはいつもちぐはぐだ。いつも過剰、いつも過少。ことばはそうしたずれを孕んだままやりとりされる。」
サヴァンや一部のアスぺにとって、意味=ある種の図像のようなもの
>>972 社会的な言葉の話は、意味論とは何の関係もない
ある言葉がどんな意味で使われていようと、意味は意味だ
ある意味がどんな意味で使われているか なんて問いはありえない
音楽や造詣の芸術作品に意味を感じることはあるだろうね。
本当の意味は本当の意味って表現できるんだよ
979 :
考える名無しさん:2013/09/14(土) 13:35:43.81 0
ほう
言語では表せない言葉は言語では表せない言葉って表現できるわけか
表現できてるじゃん。 クレタ人さんw
>>980 クレタ人のパラドックスが理解できないで、表現できたと誤解してるのは978の方だよ。
だから無意味。
983 :
考える名無しさん:2013/09/14(土) 15:17:25.62 0
984 :
考える名無しさん:2013/09/14(土) 15:21:32.34 0
無意味って誰が決めたんだよ
985 :
薬味:2013/09/14(土) 15:23:12.93 i
俺
986 :
考える名無しさん:2013/09/14(土) 15:45:57.05 0
それは無意味だろ
スカトロジーは娯楽です。
ウィトゲンシュタインの哲学自体、トートロジーっぽいよな。
オナニー中毒者独特のにおいがする。
989 :
考える名無しさん:2013/09/14(土) 20:05:12.17 0
まあお前らに言えるのはそれぐらいだしな
990 :
考える名無しさん:2013/09/14(土) 22:57:52.18 I
トートロジーが無意味とかそれこそ無意味
トートロジーという言葉遣いが現実の場面ではまず無いことだから、実験的に
意味を持たされる場合にトートロジーが現れる。
文脈によって意味が変われば、(どんなに汚くても)金は金。というような使い方も
されるので、積極的にトートロジーを使おうという意志がなければ、トートロジーは
発言されない。
レトリックの問題と一言で言えよ。
男は男。女は女。ひとはひと。
ヴィヴィヴィのヴィトゲンシュタイン
>>988 >ウィトゲンシュタインの哲学自体、トートロジーっぽいよな。
いいとこ突いてるね。
6.1 論理の命題はすべて同語反復命題(トートロジー)である。
だというはなしだからね。論理命題は定義不要の恒真命題。
論理哲学論考の正しさは、そこで表現される命題が同語反復である限り論理的に恒真。
>オナニー中毒者独特のにおいがする。
これも性的とかじゃない意味では正しい。かな。
論理哲学論考は「世界=私」の独我論的オナニー世界。
スレタイ的に「こころ=一人称のわたし」。かね?
この一人称的世界観を二人称・三人称拡張しようとした目論見が後期。
「一人称的世界の私」が複数あつまって言語ゲームしているスタジアムが
いわゆる外的世界みたいな。そんなイメージで詰めていったのかもね。
ただし、その「言語ゲームのスタジアム」もまた、一人称世界の中の風景でしかない。という視点は厄介の種だね。
結果論だな
999 :
考える名無しさん:2013/09/15(日) 09:41:47.53 0
>>997 どこまで行っても、「一人称世界の中の風景」というのは、ウィトゲンシュタイン哲学の特質をついた、とても上手い表現だな。
後期の言語ゲーム論で人間世界のdynamicを語るときも、いつもstaticな手口、というかね。
身も蓋もない言い方をすると、根本的に新しいことは何もいってない。すべてを説明してるように見えるが、実はなにも説明はしていなくて、描写してるだけ(彼なりの仕方で)、というかね。
ウィトゲンシュタインについて、「結局、当り前のことを言ってるだけ」という意見が時々出てくるけど、多分その直観は正しい。
風景描写なんだよ。
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