【俺】による【俺】のための【俺】の哲学

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64リッキー○ ◆PZHuhNBLO6
>さて前段だが、・・・

つまり邪馬台国論争の様なのが頭にあって私に対し
「どちらの歴史認識が正しいなんて言えるんだ!」とやっていたわけなんだね?

>事実は無数に存在する。
>誰であっても総ての事実を考慮するのは無理な話だ。

だから論争するんだろうが。情報を出し合い、それに基づく思考をお互いチェックする。
これはどちらも歴史的事実に基づき考察し、得られた認識だから
「正しい認識」どうしのぶつかり合いで論争しているわけだね。
なにぶん古い時代の事だから情報が少なく難しい事だが、論争が続けていれば、決定的なものが出てきて
どちらかが改める事になるかもしれない。

>よって取捨選択しなければならない。しかし重要度には客観的な基準がない。

いや、邪馬台国時代の石碑がどちらかの場所で見つかったら
その重要度を皆が理解するだろう。
事実の重要度についても議論が出来るんだよ。

とにかく具体例挙げて話を進めてみてくれないか?
邪馬台国論争が頭にあって話していたならそれを出して話を進めろよ。