ミスチル(桜井和寿)の歌詞は哲学的である

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563考える名無しさん
客:ミスチルと一緒に歩いてる、という感覚を持てたのは『シフクノオト』までなんだな。あの頃
小林武史とAp BankやBank Festivalを始めて、ああいうことにどうも多大に意味を見つけ
たがっていることに落胆させられた、というのが正直なところだ。ミスチルの立ち位置ってこと
でいうと、前レスが引用していた「マシンガンをぶっぱなせ」がある。世界の混沌、聖者も殺人者も
いる、この世界、それらの何処にも加担する気はない、と宣言していると思った。そんなミスチル
の立ち位置が身近に思えた。それはアルバム『深海』の頃だけどね。自分たちの空虚を肯定していた
と思った。歌うことに多大な意味を求めない。それはそれで理解しやすいものだった。それが外れ
ていたことに気付いたのがAp bankからで、「世界はひとつ」みたいなことを、実際に言ってるか
は知らないが、訴えてるようなものでしょう。イベントに数万人来た、大勢のアーティストが
協力してくれた、そういうことの表面しか見てない宗教活動家や市民運動家の目線だよ。夢みる
のは勝手だけど、あの手のお祭りを真に受けて「僕らはひとつですね!」などと幸せになれる
ほど脳天気じゃない奴らだっていることを忘れない方がいい。
主:音を出せることだけで幸せ、とか他のメンバーは言ってるんだけど、どういう宗教だよ。そこ
までミスチルを存続させることを絶対化するとは。桜井の思い込みにどこまで付き合うつもり
なのかね。田原が『シフクノオト』DVDでアンコール「ラ・ラ・ラ」で懸命にビブラフォンを一人で
叩いてるのを桜井がゲラゲラ笑ってるシーンがあるんだけど、あそこまでミスチルと信者のサー
クルの輪に同化し、お人好しを演じることないって思うけどね。そんな大した価値を見い出す
必要ないぜ。今のミスチルに。