1 :
考える名無しさん :
2010/10/20(水) 06:00:11 0 科学哲学スレ無いね
ログ移転されなかったからなあ
/\___/\ / / ヽ ::: \ | -=・‐. ‐=・=-、 | | ,,ノ(、_, )ヽ、,, | | ,;‐=‐ヽ .:::::| \ `ニニ´ .:::/ NO THANK YOU /` ´´\ .n:n nn nf||| | | |^!n f|.| | ∩ ∩|..| |.| |: :: ! } {! ::: :| ヽ ,イ ヽ :イ ! ,_ _ ', ,;-‐'′ `Y´ i / i ,!、 / _,,,ノ、 ; ヽ、 ,/ ,;-‐''′`ヽ、 ゙;、 i' /_,,;-‐''′ ゙:、 ゙i i `i ゙:、 ;゙ヽ、 |\/ ノ' ヾ \/| ヽ_`⌒,,ノ(、_, )ヽ⌒_/ /⌒.\. ヽ: il´トェェェイli. / /⌒\ / ノつ\.ヽ:!l |,r-r-|! //⊂ \ o0○ノ / 3 \ (::::⌒ヽ / とノ\ ヽ○0o ( /、_ノ\ Y `(_、_) / \´ )゚ \_) `ヽ : : : * : : : | (_ノ 人___ノ、___ノ
4 :
考える名無しさん :2010/10/21(木) 05:46:50 0
ヒルベルトだのヒュームだの
5 :
考える名無しさん :2010/10/22(金) 21:27:41 0
スナインコッコスマナラコッサーラ長老やその直系の子孫たるラルフ&フローリアンを聞いてみるといい。 テクノの特徴はもちろん、ハス、ツノガライクリ、ビン、エロの要素が既に確立され、 後のシーンを賑わすアーチストたちは、単にこの作品のコピーか焼き直しに過ぎないと言うことがわかるはずだ。
完全に終わったなこの板
なんせ勘違い東信者が跋扈しているからねぇ 勘違い東信者は教祖様のお言葉を素直に受け止めるべきだよ ↓ つまり東浩紀は最初は真摯な研究をやってたけど、その後ヤクザ評論家になったなんて事はない。 寧ろあの郵便本は、大してフランス語もできないオタクが立派なデリダ論をかけるという事実が アカデミアに対する嫌みだと読むべきなんだよ。 「東さんは上世代と孤独な戦いをしてきたから下世代に寛容で、それがこの現状を招いた。今、彼らを切り捨てるのは…」 では僕から離れてください。 「先生は学者なのですから(略 数は人気のバロメーターかも知れませんがより多くの盲目的信者を(略」 僕は学者ではないし、多くのフォロワーも欲してない。文脈読んで下さい
イチゴ姫げんきかなあ・・・w
9 :
迷いネコ :2010/11/06(土) 14:56:38 0
《科学者は、「正しい」と断言する自信は無いが、非科学者は、『間違っているっ!』と断言できる》 (by アイザック・アシモフ)
10 :
考える名無しさん :2010/11/08(月) 05:35:13 0
必要条件はわかるけど 十分条件はわからないってことかい?
12 :
迷いネコ :2010/11/08(月) 17:52:18 0
>>9-10 ハハっ、実は、私もその背景をよく知らないのです m(_ _)m 。
《科学者は、「正しい」と断言する自信は無いが、非科学者は、『間違っているっ!』と断言できる》
このアイザック・アシモフ氏の言は、「有形無形を問わず、科学における『すべて』」ではないでしょうかね?
これは、科学における、哲学でいうソクラテスの「無知の知」ではないか? と思うのですが・・・。
なので、「科学哲学」の基本ということでっ!(笑
確かに、それに近いことも言ってるけど その文章は、単に I believe that only scientists can understand the universe. It is not so much that I have confidence in scientists being right, but that I have so much in nonscientists being wrong. の誤訳臭い
14 :
迷いネコ :2010/11/09(火) 17:26:46 0
>>13 >の誤訳臭い
確かに、その可能性は十分考えられますね。
ただ、「科学哲学」は、有形無形を問わず、科学『すべて』において、
《科学者は、「正しい」と断言する自信は無いが、非科学者は、『間違っているっ!』と断言できる》
という基本で論じて行けば良いのではないでしょうか?
例えば、「TVゲーム類の子供の『脳』に及ぼす悪影響」なども・・・。
このスレにも、関心あるな。。。
16 :
迷いネコ :2010/11/09(火) 23:53:03 0
>>15 >このスレにも、関心あるな。。。
よろしければ、ですが・・・。
■「子供の『読解力の低下・理解力の低下』」
■「ここ数年新記録を更新し続けている『子供の自殺・校内暴力・学級崩壊』」
■「新記録を更新し続けている『親の子供に対する虐待』」
■「新記録を更新し続けている『父親の家族へのDV』」
これらは、「文部科学省・厚生労働省」等より統計調査から判明し、報告されたものです。
これらの、我が日本で深刻な「社会問題」は『社会的・人的ストレス』により、
人の『脳』が、ダメージを負ってしまうことが、根本的な原因であろうと考えられます。
また、これらの問題と「TVゲーム類の子供の『脳』に及ぼす悪影響」との関係も十分考えられます。
そこで、皆様とご一緒に上記の問題を「科学哲学」していきませんか?
17 :
考える名無しさん :2010/11/10(水) 21:10:35 O
科学哲学って何よ?
18 :
迷いネコ :2010/11/11(木) 12:51:02 0
>>17 >科学哲学って何よ?
なんでしょうねぇ・・・。
私は、前提として、
すべての学問というものが「人の暮らしを豊かにするため」に存在するのであれば、「科学」及び「哲学」もしかりで、
ようするに、「科学的見地から、『人類の平和』を哲学(探求)する」『学問』ということではないでしょうかね。
19 :
ンドール :2010/11/11(木) 13:38:49 O
科学哲学とは 科学とその周辺領域に発生する哲学問題を扱う学問 科学哲学に限らず 法哲学とか社会学哲学とかある
20 :
犬のお巡りさん :2010/11/11(木) 15:15:53 O
まだ迷ってるのか子猫ちゃん
21 :
ンドール :2010/11/11(木) 15:36:59 O
>>20 たまにはひきこもったっていいだろ
疲れたんだよ
もう嫌な世界は見たくないんだよ
22 :
迷いネコ :2010/11/11(木) 18:02:34 0
>>19 >>21 ンドールさん
どなたかと思えば、なんか、お久しぶりですねぇ・・・。(笑
>科学哲学とは
>科学とその周辺領域に発生する哲学問題を扱う学問
もちろん、その「哲学問題」の中に『人類の平和』も入りますよね?
>科学哲学に限らず
>法哲学とか社会学哲学とかある
そして、ありとあらゆる「学問」の「哲学問題」に『人類の平和』が入ると思いますが、いかがでしょう?
>疲れたんだよ
>もう嫌な世界は見たくないんだよ
いや、そうじゃなくて、前にも申し上げましたが、
その「嫌な世界」も『未来哲学』で、
皆様の意識が変われば「平和な世界」に変えられることをお伝えしようという、「人類貢献」なのです。
23 :
迷いネコ :2010/11/11(木) 18:03:39 0
>>20 犬のお巡りさんサン
っと、いうことなんです。(笑
あっ、そうそう、この前メッセージを頂きましてありがとうございます。
なにせ、スレ尻だったもので、お返事ができなくて申し訳ございませんでした m(_ _)m 。
24 :
ンドール :2010/11/11(木) 22:05:47 O
>>22 平和について考えたいなら「政治哲学」だろ
人の意識が変われば現実は変わりうる
平和への一歩を踏み出すためにも、平和を説くことは大切ではあるな
「平和」は決して空虚な概念ではない
平和のために何ができるかと考えて、具体的な内容について考えることはとても有意義だ
25 :
考える名無しさん :2010/11/11(木) 23:43:18 O
別に科学的な視点から語ってもいいだろ
26 :
ン :2010/11/12(金) 06:28:57 O
昔、オフ会で対話をした時に 様々な格差問題や差別問題について具体的に話した 相手は「科学では解決できない」と言い 僕は「科学の発展で解決しうる」と言った そして、いくつかの事例が科学技術の発展で解決しうることを示した 価値観の対立は解消できない しかし、われわれはお互いに異なる価値観を抱えながら、共に生きていて、 同じ空間で生活するからこそ現実に困難が生じる それは、事実と価値が入り交じった中を生きているということでもある 価値の対立を科学で解決することはできないが 対立した価値観から生じる、解決困難な事実は、事実問題であるのだから 科学技術の発展で解決しうる。それがわたしの考えだ 価値と事実が入り交じった中を整理しながら、困難や問題のポイントを的確にし、いかなる解決方法が事態を緩和し 価値の対立→現実の対立のリンクを切り離すかについて明確にしていくか、が、 現実をよりよくするにあたり、哲学がなせることであると思う
27 :
迷いネコ :2010/11/12(金) 19:52:07 0
>>24 ンドールさん
>「平和」は決して空虚な概念ではない
>平和のために何ができるかと考えて、具体的な内容について考えることはとても有意義だ
ですよね。
>>26 >そして、いくつかの事例が科学技術の発展で解決しうることを示した
それは、「科学」に「道徳・倫理・道義『哲学』」が寄り添うことで、より大きな効果が得られます。
■「子供の『読解力の低下・理解力の低下』」
■「ここ数年新記録を更新し続けている『子供の自殺・校内暴力・学級崩壊』」
■「新記録を更新し続けている『親の子供に対する虐待』」
■「新記録を更新し続けている『父親の家族へのDV』」
どうです、これらを皆様とご一緒に「科学哲学」していきませんか?
28 :
考える名無しさん :2010/11/12(金) 21:01:06 O
じゃあまずは平和を定義せねば
29 :
迷いネコ :2010/11/12(金) 21:15:51 0
>>28 >じゃあまずは平和を定義せねば
う〜ん、そうですねぇ・・・。
「平和」とは、「すべての人類が心身ともに強いストレスも無く、穏やかに暮らせる状態」
まっ、こんなもんでどうでしょうかね?
30 :
考える名無しさん :2010/11/12(金) 21:25:10 O
そうすると、科学哲学ですべきことは科学によって現代人のストレスを解消させることの可能性の追求とその是非ってとこか 健康科学みたいだな
31 :
ンドール :2010/11/12(金) 21:28:49 O
>>27 哲学の役割は、価値と事実が結び付いた困難な現状を分析し
いかなる事実の改善が事態の改善につながるかを分析することにあると考える
それ以降は科学者に任せるべきだ
平和の定義
「永遠に争いが起きない状態」
平和とは一時的に戦争がない状態ではない
未来永劫争いがないことを平和と言う
現代においても、将来において戦争という手段がとられうることを考えると
現在は一時的な停戦状態に過ぎず、平和とはとても言えないだろう
32 :
考える名無しさん :2010/11/12(金) 21:43:49 O
じゃあ結論はわからないで終わりだろ
33 :
迷いネコ :2010/11/12(金) 22:12:01 0
>>30 >そうすると、科学哲学ですべきことは科学によって現代人のストレスを解消させることの可能性の追求とその是非ってとこか
まぁ、そんなようなところですかね・・・。
そもそも、「諍い・戦争・虐殺」等々は、そこに存在する人々に「強いストレス」がかかっていなければ起こり得ません。
■「子供の『読解力の低下・理解力の低下』」
■「ここ数年新記録を更新し続けている『子供の自殺・校内暴力・学級崩壊』」
■「新記録を更新し続けている『親の子供に対する虐待』」
■「新記録を更新し続けている『父親の家族へのDV』」
そして、これらの問題も、当事者に「強いストレス」がかかっていることが、大きな原因のひとつです。
>健康科学みたいだな
もうちょっと、根本的なところ、「予測と回避・予防医学」的な観方でしょうかね。
34 :
考える名無しさん :2010/11/12(金) 22:20:06 O
んじゃまずは何故現代においてストレスが蔓延しているのか、あるいは以前に比べてストレスが増加したのかを解明せねば 科学の進歩と関係があんのかな
35 :
迷いネコ :2010/11/12(金) 22:25:43 0
>>31 ンドールさん
>哲学の役割は、価値と事実が結び付いた困難な現状を分析し
>いかなる事実の改善が事態の改善につながるかを分析することにあると考える
では、とりあえず、そのように以下の問題を分析してみて頂けませんでしょうか?
■「子供の『読解力の低下・理解力の低下』」
■「ここ数年新記録を更新し続けている『子供の自殺・校内暴力・学級崩壊』」
■「新記録を更新し続けている『親の子供に対する虐待』」
■「新記録を更新し続けている『父親の家族へのDV』」
>それ以降は科学者に任せるべきだ
でも、せっかく「科学哲学」のスレッドなのですから、「科学的」な問題解決法も議論すれば良いと思いますよ。
>平和の定義
>「永遠に争いが起きない状態」
はい、解りました、では、
「平和」とは、「すべての人類が心身ともに強いストレスも無く、永久に穏やかに暮らせる状態」
これで良いでしょうかね?
36 :
迷いネコ :2010/11/12(金) 22:37:35 0
>>34 >んじゃまずは何故現代においてストレスが蔓延しているのか、
>あるいは以前に比べてストレスが増加したのかを解明せねば
それでは、お尋ねいたします。
べつにその時代に生きて体験をしていなくても構いませんが、
あなたは、半世紀前、四半世紀前と比較して、今の「社会的ストレス」が『強い』と思われますか?
>科学の進歩と関係があんのかな
そうですね、これは「科学」も含め、物質的・技術的豊かさがもたらした「負の遺産」という感じでしょうかね?
妄想と空想と幻想を蓄えて非常な現実を受け入れて科学も哲学も一切が全部が明らかに偽りであるからスピリチュアリズムだけが本当の真実の正体何ですよねー!?♪。
38 :
考える名無しさん :2010/11/12(金) 23:04:28 O
>>36 持論になるが、強くなってると思う
戦後の日本を見れば、経済成長しているうちは皆が経済的にも精神的にも豊かになれた
ところがバブルが崩壊し、1997年以降生産年齢人口が減少し、急速な少子化、高齢化の中でかつてのような経済成長はほぼ不可能になった
世の中には十分に物があふれ、社会保障システムを維持する以外に経済成長させる理由もなくなり、人々の働く意欲、生きる意欲が減退し、自殺者が急増した
以上を勘案すると現代日本におけるストレスは以前よりも強くなっていると推察される
39 :
ンドール :2010/11/13(土) 06:57:20 O
40 :
迷いネコ :2010/11/13(土) 17:35:55 0
どうも、遅くなりました m(_ _)m 。(23時が限界なもので・・・。)
>>38 >戦後の日本を見れば、経済成長しているうちは皆が経済的にも精神的にも豊かになれた
>ところがバブルが崩壊し、1997年以降生産年齢人口が減少し、急速な少子化、高齢化の中でかつてのような経済成長はほぼ不可能になった
>世の中には十分に物があふれ、社会保障システムを維持する以外に経済成長させる理由もなくなり、人々の働く意欲、生きる意欲が減退し、自殺者が急増した
それは、仰る通りだと存じます。
>持論になるが、強くなってると思う
>以上を勘案すると現代日本におけるストレスは以前よりも強くなっていると推察される
ストレスの質が違うというのもありますが、
しかし、それは、半世紀前(戦後の混乱期)、四半世紀前(経済成長のピーク時)と比較して、
@『人の社会的ストレス自体が強くなった』
A『社会的ストレス自体は、強くなっていないが、人がストレスに敏感になり強く感じるようになった』
どちらだと思われますか?
41 :
迷いネコ :2010/11/13(土) 17:42:32 0
>>39 ンドールさん
>
>>35 >全部、ただの事実だよ
その「事実」は、「どこ」のことでしょうか?
42 :
考える名無しさん :2010/11/13(土) 18:21:04 O
>>40 両方あると思うよ
マクロ的に見れば、経済成長しているうちは、頑張って良い大学に入って良い会社に就職すれば、年功序列・終身雇用で一生安泰が保証された
ところが経済成長が止まると就職難・リストラで頑張っても報われないという風潮が蔓延し、社会的なストレスが増大した
ミクロ的に見れば核家族化、都市化の流れの中で個々人の人間関係が希薄化し、人付き合いが下手になり、対人関係でよりストレスを感じるようになった
43 :
迷いネコ :2010/11/13(土) 20:29:52 0
>>42 今回も仰る通りなのですけども・・・。
>マクロ的に見れば、経済成長しているうちは、頑張って良い大学に入って良い会社に就職すれば、年功序列・終身雇用で一生安泰が保証された
>ところが経済成長が止まると就職難・リストラで頑張っても報われないという風潮が蔓延し、社会的なストレスが増大した
こちらは、本人に「予測ができなかった」+「対応能力がない」という「想定外」故に『強いストレス』になる。
>ミクロ的に見れば核家族化、都市化の流れの中で個々人の人間関係が希薄化し、人付き合いが下手になり、対人関係でよりストレスを感じるようになった
そうですねぇ、上記のことと、この「人に不慣れ」なことが重なると、「大変『強いストレス』」になりますね。
いやいや、「科学哲学」ですので、ここで終わっちゃいけないんすよねぇ・・・。
では、
「本人に『予測ができなかった』+『対応能力がない』という『想定外』故の『強いストレス』」
だけであれば、3万人超の自殺者や、
■「ここ数年新記録を更新し続けている『子供の自殺・校内暴力・学級崩壊』」
■「新記録を更新し続けている『親の子供に対する虐待』」
■「新記録を更新し続けている『父親の家族へのDV』」
このようなことにあまり繋がらないように思うのですが、いかがでしょう?
私は、その「人に不慣れ」がブースターの役目をして、
「本人に『予測ができなかった』+『対応能力がない』という『想定外』故の『強いストレス』」
これを「大変『強いストレス』」に変貌させていると思うのですが、いかがでしょうか?
科哲投稿論文の剽窃の疑義って、なんかあったの?
2010年11月15日 会員各位 「研究倫理規程」および「会則」について 日本科学哲学会 会長 丹治信春 本学会では、機関誌『科学哲学』への論文や提言等の応募を受け付けておりますが、ある応募論文 について、担当のレフェリーから剽窃の疑義の指摘がなされました。そこで、編集委員会および理事 会において協議をし、調査委員会を設けて慎重な調査を行いました。そして、先日の理事会(9月8日 )において調査結果の報告がなされ、剽窃の事実が確認されました。そこで当該会員に対しては、『 科学哲学』への投稿、大会での発表申し込み、および石本基金関連事業への応募を2年間禁止する、 という処分を下すことを、理事会において決定し、本人に通知いたしました。 本学会ではこれまで、「研究倫理規程」はありませんでしたが、残念ながら今回、応募論文に明ら かな不正があったこと、そして昨今、研究倫理への要請が高まっていること等を考慮して、本学会に おいても「研究倫理規程」を策定すべく、理事会で検討してまいりました。 またそれとは別に、やはり理事会で、評議員、役員の選挙規程の明確化、会長と監事の多選制限など 、「会則」の改正も検討してきました。 「研究倫理規程案」および「会則改正案」は、本年11月の年次大会総会で、会員の皆様に審議して いただく予定ですが、総会は時間が限られているため、今回PDFファイルにて添付する「研究倫理規 程案」および「会則改正案」にあらかじめお目通しくださいますよう、お願い申し上げます。 なお、添付した「研究倫理規程案」および「会則改正案」は、ウェブサイトへの掲載をいたしませ ん。ウェブサイトでの公開は、総会で皆様のご承認をいただいた後に行ないますので、ご承知おきく ださい。
だから、なんかあったの?
47 :
考える名無しさん :2010/12/03(金) 04:57:06 0
48 :
考える名無しさん :2010/12/28(火) 19:25:10 0
アイデアのパクリをすべて剽窃として排除したら、日本の哲学の学会誌が成り立たないんじゃないかと・・・。
>>48 えっ?哲学の学会誌って、投稿者は他人の未発表のアイデアを盗んで本人に連絡もなしに自分の作品として投稿してんだ?
それが普通だと?
ひどい世界ですね。
50 :
考える名無しさん :2010/12/29(水) 00:12:29 0
うん、それは哲学だけでなく、いろんな学問で常識だよ。 非公式な場所でライバル研究者に未発表のアイデアを漏らす奴がいたら、 そいつがただのバカ。
51 :
考える名無しさん :2010/12/29(水) 00:14:05 0
ただ、
>>48 が冗談交じりで行ってるのは、文献表にある論文にすでに書かれている以外の
内容がまったくない論文が大半ってことだろうけれど。
伊勢田先生の「疑似科学と科学の哲学」に、デュエム・クワインのテーゼからくる 過小決定の問題はベイズ主義を取ることで解決できる、みたいなことが書いてあります。 でもベイズ主義を取ったって、仮説Aと補助仮説B、C、D、E……から或る予測をして あまり起こりそうにない結果が得られたときに、仮説Aの確からしさが下がったのか、 実はAではなくてBが支持されなくなったのか、という問題は残るわけで、 全然解決になってないですよね。もともと主観確率が低くありそうになかった仮説の 確率をさらに下げれば良いという問題でもない。 (多くの場合)常識的にどの仮説がおかしいのかは判断できる、というのを ベイズ主義と言ってしまうのは問題じゃないかと思われます。
うんこ
54 :
考える名無しさん :2011/01/14(金) 06:33:48 0
最強は 杜玖椀堵愚慧螺(台湾) 身長:874cm 体重:13428kg どんな攻撃もまるで効かないだろうねw 相手が疲れたところで1踏み ヒクソンなぞ足の裏についたご飯粒と見分けがつかなくなるかもw
論理、数学、物理、心理などの哲学を広く学びたいんですが、何大がお勧めですか
56 :
考える名無しさん :2011/03/01(火) 12:44:43.94 O
信仰なしには不可知論は理解出来ないのだろう。
57 :
考える名無しさん :2011/03/01(火) 13:18:01.47 O
不可知論に留まり、不可知論のまま知性を厳格に行使する。 これはなかなか難しいことだ。
58 :
考える名無しさん :2011/03/01(火) 13:21:49.24 O
人間の限界を認め、 これを神格化せず、 自暴自棄に陥らず。
59 :
考える名無しさん :2011/03/10(木) 05:48:46.28 0
>>55 それらの哲学は習うものではない、個別の学問を習え!
哲学の歴史や個人哲学者の思想を学ぶことはできても、
歴史やら他人の考え方で学問ではない。
故にどの大学でも好きな科目を選べ、学習する哲学は趣味の話でしかない
61 :
ソフィー・フィリス :2011/03/10(木) 07:13:47.10 0
ショウペンハウエルの「読書について」とかいう本みたいな何かに。
62 :
考える名無しさん :2011/03/10(木) 23:31:41.77 0
■「子供の『読解力の低下・理解力の低下』」=>1 ■「ここ数年新記録を更新し続けている『子供の自殺・校内暴力・学級崩壊』」=>2 ■「新記録を更新し続けている『親の子供に対する虐待』」=>3 ■「新記録を更新し続けている『父親の家族へのDV』」=>4 1.社会の変化に教育方法が追いついてない。 本を読まなくなった。マンガは理解を助けるがそこから先は無い。 2.少子化による子供への過度な期待=>プレッシャー 人間関係が希薄になり叱る人がいなくなったため 道徳教育の減少・崩壊。学校で教えても社会ではそれらが実践されていないため 子供たちは理解できない。 3.4.上記の状態で大人になった人たちの行動 畳の上で死ねそうにない。 その前に、家には畳が無いが・・・
63 :
考える名無しさん :2011/03/11(金) 08:30:52.03 0
科学哲学をやるより、科学者になって実際に研究した方が面白いと思う。
64 :
考える名無しさん :2011/03/12(土) 00:37:50.40 0
>>63 科学をしているうちに、科学哲学を考えざるを得なくなるのではないだろうか。
65 :
考える名無しさん :2011/03/12(土) 00:50:23.20 0
>>64 そうです。科学は専門分化がひどくてつまんない研究多いです。
その狭い小さいことに膨大な実験・数理的処理を要します。
もっと根本的観点や総括的観点に迫りたい欲求にかられます。
でも、それじゃ職は少ないww自然科学系や文献学系だって少ないのに
科 学 者−プレーヤー 科学哲学者−解説者 みたいな関係なんだよな。 どうしても、プレーヤー希望者の方が多くなるし、プレーヤーの方が尊敬される。
その例えで言うなら、解説者は現役引退者ってことになるな。
個別のジャンルがつまらないのではない どんなテーマも面白くできる センスのある人は面白いテーマを見つけられる つまらないジャンルがあるとすれば、それは科学性に乏しい領域 結論が与えられていて意外な発見が許されないイデオロギー化した分野だろう 根本だの概括だの言い出すやつはありきたりの事しか言えない退屈な人間
>>67 「現役引退者」なんぞに哲学は無理。
たいして拡張できないアナロジーだったな。
科学哲学は面白いけど科学は瑣末で詰まらないと言うのは個人的な感想だよね。 大陸哲学の人が、科学哲学は専門分化が酷くて 些事ばかり議論しているとか言うようなのに近い。 まあどっちも全く間違っているとも言えないかもしれないけど。 昔の大半の人は電磁気学の研究など研究者の自己満足であり無用の長物だと思っていた。 ファラデーは「そんなどうでも良い研究が何の役に立つんですか?」と聞かれて 「生まれたばかりの赤子が何の役に立つのですか?」と答えている。 アインシュタインのノーベル賞受賞業績は光量子仮説とかブラウン運動の研究なんだけど、 なんだ、相対性理論じゃなくてそんなどうでも良い研究で貰ってるんだな、 と一般人は考えるかもしれないのに対して、 アインシュタインはどうでも良い問題だとは決して思っていない。
71 :
考える名無しさん :2011/03/15(火) 00:21:27.83 0
理系院だけど、なんか現場の感覚とちがうなあ・・・ もちろん科学は今ある方法論のなかではベストだとは思ってるけど、現場ではジレンマがある・・ ニュートン、アインシュタイン、マクスウェル、ダーウィン、ワトソン‐クリック、 ハイゼンベルグ、ボーア、シュレーディンガー、ディラック、 並みの、教科書にのって人類の根本思想に影響を与えるような仕事をいわゆる一流大学の研究室でやってるか? そこまでいかなくても、この知見がなければこの分野はどうしようもないといえるような根本的仕事。 それさえnature、science誌レベルのなかのごくごく一部あるかないかだよ。パラダイムの枠内で。 もはや物理学も生物学も実験的にも理論的にもいきつくところまでいっちゃった観がある。 過去の理論や知識を勉強するのはいいが(当たり前か)、理系はそういう古典文献学みたいなことしててもあかんのです。 そこから先の本質的な創造を行うのは今は天才でも困難。 本業の傍らで科学哲学や分析哲学をやりながら満たされない知的欲求を少しでも補完したいところです・・・
>>65 殊勝な感性だと思った。
貴殿の文脈で言ったら、現代経済学なんて恥ずかしい限り…。
74 :
迷いネコ :2011/03/17(木) 20:01:51.95 0
>>62 考える名無しさん
どうもです、そうっ、
>2.少子化による子供への過度な期待=>プレッシャー
> 人間関係が希薄になり叱る人がいなくなったため
> 道徳教育の減少・崩壊。学校で教えても社会ではそれらが実践されていないため
> 子供たちは理解できない。
まっ、そういうことですね。
そして、そこに大きく影響を与えているのが「テレビ」及び『TVゲーム類(ネットゲーム含む)』ですね。
75 :
考える名無しさん :2011/03/18(金) 00:41:34.15 0
>>つまらないジャンルがあるとすれば、それは科学性に乏しい領域 いいえ、徹底的に科学的・実証的です。どんな瑣末な内容のものでも科学性・実証性がないと論文通るどころか学位もとれません。 ただ、それがどうした?という結論が多いです、主要な科学雑誌みてても自分たちみてても。 その狭い専門以外の一般の知識人(ただし基礎的・初歩的素養があって意味がわかる人)を驚かせられなくては本物ではないと思ってます・・・ >>結論が与えられていて意外な発見が許されないイデオロギー化した分野だろう いいえ、実証できさえすれば許されます。最近でも意外な発見もまだあるにはあります(狭い専門領域の人間の常識にとっての小さい意外かもしれませんが。) ただ、根本的なパラダイムを組みかえるどころの話ではない研究が今はほとんどといえます。 >>根本だの概括だの言い出すやつはありきたりの事しか言えない退屈な人間 そうでしょうか?マクスウェルの業績はそれまでの電磁気学のあらゆる知見をたった四つの根本的な式に概括しちゃいましたが これが退屈でしょうか?ワトソンらにつらなる分子遺伝学の原理の発見はそれまでの生物学上の多くの現象の根本・概括になってますが退屈どころではないです。 ただ、もう何十年もそれ以上の科学上の根本・概括は出てないと思います。ノーベル賞もかつての受賞内容のインパクトはもうないです。 もちろんたんなる人文学的な評論・批評をやってるだけなら退屈かもしれんでしょうけど。 もしかすると分析哲学や科学哲学もこの後者の退屈な部類に入るのかもしれませんが・・・・
例えば低線量被曝の長期影響とか地震の予測とか 誰かを驚かせるような結果は出て来ないだろうけど でも必要だよね
1年後、東電のgdgdがSTSで分析されるのかw
>>75 科学哲学は実証主義の限界や正当化、批判を論じるから実証的にはなりえない
まぁ、退屈ではないかもね
79 :
迷いネコ :2011/03/18(金) 10:29:41.98 0
>>75 考える名無しさん
今現在、我々人類の「知り得た『全知識』」など、たかが「知れている」と存じますよ。
まぁ、そうですねぇ「お釈迦様の手の平の上の孫悟空」みたいなものでしょうね。
80 :
考える名無しさん :2011/03/18(金) 23:03:18.46 0
>>76 そりゃ応用ですね。応用はともかく、基礎科学(現代の自然哲学)はどうか?なんですよね・・・
>>79 そうでしょうね。
しらない領域は無限にあるでしょう。一方で、人類の能力的に知りうる範疇の限界というところでしょうか。
まだできることはあるとはおもいたいですが・・・
(この場合の「知りうる」とは哲学的な意味ではないです。)
81 :
考える名無しさん :2011/03/18(金) 23:27:20.36 O
この世界の全ては波で表現されてしまえば万事安心なのれす。
82 :
考える名無しさん :2011/03/18(金) 23:32:45.40 O
津波に押し流される科学哲学者の量子論的記述可能性だけが 重要なのれす。
83 :
考える名無しさん :2011/03/18(金) 23:43:39.72 O
東京の食料不足状態も量子論的記述は完璧に可能であります。
84 :
考える名無しさん :2011/03/19(土) 09:51:23.85 0
hayano ryugo hayano 迅速安心希望.@SugitaKei: St?cker, Eickhoff 両氏に連絡したところ、早 速返事が来て、来週にも所内で、どんなことが可能か検討するミーティング をとりあえず加速器側で僕がオーガナイズすることになりました。物理の方 も巻き込んで行きたいと思います。 ↑ 給料を払う価値のある理系の大学教授。 hazuma hiroki azuma 伊藤くん、ありがとう。ただ今回ぼくは疎開しても騒動を起こしている し、おまけに仕事もできてないよ……アホでした…… ↑ (ここに言葉を入れよう)文系
85 :
迷いネコ :2011/03/19(土) 17:17:29.44 0
>>80 考える名無しさん
>一方で、人類の能力的に知りうる範疇の限界というところでしょうか。
そうですね、でも、まだ「限界ではない」と存じますよ。
それは、我々は、人でありながら人を「『ほとんど』理解できていない(心身とも)」という現実がございますのでね。
>まだできることはあるとはおもいたいですが・・・
ですから、
■「年間3万人超の自殺者」
■「子供の『読解力の低下・理解力の低下』」
■「ここ数年新記録を更新し続けている『子供の自殺・校内暴力・学級崩壊』」
■「新記録を更新し続けている『親の子供に対する虐待』」
■「新記録を更新し続けている『父親の家族へのDV』」
これらのことも、真剣に「観よう」と意識すれば、まだ「解決法」が『観えてくる』可能性は十分考えられると存じます。
そして、そこが観えてくれば「人類の平和な未来」も『観えてくる』可能性もございますね。
86 :
迷いネコ :2011/03/21(月) 19:22:13.55 0
う〜ん、なんか、お話しが膨らみませんねぇ・・・。
87 :
酔っ払い :2011/03/21(月) 20:43:46.54 0
年間3万人超の自殺者は交通事故死者の約3倍。 交通事故で死ぬよりも自殺に追い込まれる確率が高い。 人生の目標が人より豊かな暮らしがしたい(物質的に)になったからかな? 人が生きる意味を考え直す時期に来たのかもしれない。(日本では)
昔も交通事故(馬に蹴られて死ぬとか船が難破するとか?)は多くなかったんじゃないか?
科学哲学は宇宙空間の惑星地球の現実世界で必要不可欠何ですよねー!?♪。
90 :
迷いネコ :2011/03/22(火) 18:15:00.33 0
>>87 酔っ払いさん
>人生の目標が人より豊かな暮らしがしたい(物質的に)になったからかな?
今現在、我が日本では「『物質的豊かさ』は、達成できている」思いますので、
おそらく「人の『幸福感』は『物質的豊かさ』では達成できない」ということだと存じます。
>人が生きる意味を考え直す時期に来たのかもしれない。(日本では)
なので、その「『物質的豊かさ』を追い求める」ことではない『生き方』を考える時がきているのでしょう。
91 :
酔っ払い :2011/03/22(火) 21:00:48.28 0
>>90 迷いネコさん
まず、日本とひとくくりに言っても路上生活者からセレブな生活をしている者まで様々です。
私が思うに、多くの人がもっと豊かな暮らしがしたいと思っているのではないか?と思い
>人生の目標が人より豊かな暮らしがしたい(物質的に)になったからかな?
と言いました。しかしながら、よくよく考えたらそれは自殺の理由にはならない。
全く関係ないかというと、そうでもないのだが、物質的に豊かでなくても元気に生きている人はいます。
自殺者の心理は私にはわかりません。心中もしかり。
想像するに、「こんなはずじゃなかった。」ということではないかと思います。
つまり、自尊心が強いのではないかと・・・
(悪い意味ではなくそのような心理になる教育を受けたことと本人の気質が原因と考えます。)
将来への希望が持てず。自分の理想とする生き方(それも最低限の)ができないと思った時
それを受け入れることができない人が自殺や心中をするのではないのか?
人生の敗者(当人の思い込み)となったときの周りの目を思い、どうしていいか分からなくなり
自殺の道を選んでいるのではないのか?
そう考えると、人生の目標をどこに置くかで幸せにも不幸にもなれるのではないのか?
幸せになれる人生の目標は何か?
そもそも目標が必要なのか?という話も出てきそうだが・・・
今日はここまで
カールポパーとかがいい感じだと思う 反証可能性をもったものが科学だとかある程度で思い込むしかないとか 大体当たってると思う
93 :
Q :2011/03/22(火) 22:19:40.62 O
ポパー? どうなんだろうねw
というかポパーぐらいしかしらない^^ それ以降の科学哲学やってない^^
95 :
考える名無しさん :2011/03/23(水) 01:08:26.50 0
>>91 人によって「当然」「当たり前」におもっている期待がちがう。
その「当たり前」?の期待がおおきく崩壊し、
社会的にも疎外され、親族一同にさえも蔑まれ、恥辱にまみれ、
経済的困難にあえぎ、自己実現どころでもなく、
自己の誇り(これも人によってちがいますが、以前はそこそこ以上の位置にいた人がとくに)
も崩壊し、自己のアイデンティティを失う。
食べればそれで幸せとはいきません。
私には中川前財務相がお亡くなりになった気持ちは少しはわかります。
いわんや多くの若年層・中高年層の自殺者をや。もっときつい人はおおいはず。
先進国や中・上流層の挫折より、途上国や最初から底辺層の人のほうが自殺少ないのでは。統計は知らんけど。
96 :
考える名無しさん :2011/03/23(水) 08:11:30.47 0
「理系出身者は文系出身者よりも給料が高く、正社員や会社の役職者になる割合も高い」――。
そんな内容のレポートが話題を呼んでいる。
2011年3月1日に経済産業研究所(RIETI)が発表した「理系出身者と文系出身者の年収比較」。
http://www.rieti.go.jp/jp/publications/summary/11030010.html 全国の成人男女を対象とした調査結果を分析したものだ。
分析対象とした1632人(平均46歳)の平均年収は、文系学部出身者が559万円、
理系学部出身者が601万円で、理系が42万円上回った。
学部出身者で比較すると、国立大卒の理系男子の年収は、30歳では文系男子とほぼ同じだが、
40歳では100万円、50歳では150万円近く上回る。
国立大以外の理系男子は、30歳では文系男子より100万円ほど低いが、
50歳以降は50万円を超える差をつけて逆転している。
正規社員の割合は文系60.1%に比べて理系82.4%、正規社員における役職者比率は文系20.3%に比べて
理系35.0%と、いずれも上回っている。
この結果について、レポートは
「理系出身者の方が、文系出身者よりも生産している付加価値額が高いことを示唆している」
と評価し、今後は教育課程の中で理系的能力の養成を重点化して進めていく必要があると結論付けている。
http://www.j-cast.com/kaisha/2011/03/21090925.html
電波利権と広告業界の凋落ぶり
98 :
考える名無しさん :2011/03/23(水) 15:38:45.04 0
>>96 マーチ文系や阪大文系・地底文系と、マーチ工学部や阪大工学部・地底工学部あたりで比較すれば
平均的にはそのとおりかもしれない。
東京大学の法学部出身と工学部出身の比較をすればまた結果は違うだろう。文>理
慶応文系あたりも官界は微妙だが財界では強いので結果はちがいそうだ。文>理
ようするに、経済的には理系は中のちょい上くらいが平均値。上はほとんどいない。下もあまりいない(理系職としては通用しないから)。
一方、文系の上は東大法の中上位層やら経営陣などのごく一部、あとは文系は中が多い、下も相当多い、平均すると理系より劣る。
99 :
迷いネコ :2011/03/23(水) 18:32:43.20 0
>>91 酔っ払いさん
確か、ここは「哲学板」でしたよね・・・。
>そう考えると、人生の目標をどこに置くかで幸せにも不幸にもなれるのではないのか?
>幸せになれる人生の目標は何か?
>そもそも目標が必要なのか?という話も出てきそうだが・・・
そうですねぇ、目標というか、子供の頃から「己が『幸福感』を抱ける『生き方』を考えさせる」ことが必要でしょうね。
>>95 考える名無しさん
>先進国や中・上流層の挫折より、途上国や最初から底辺層の人のほうが自殺少ないのでは。統計は知らんけど。
おそらく、仰る通りでしょう、福祉先進国のスウェーデンでさえ「自殺者」は、少なくないそうなので・・・。
確かに、人は「豊かさ・自由」など、何かを追い求めて走り続けている時の方が安定しており、自殺者は、少ないでしょうね。
まぁ、これが酔っ払いさんの仰るところの「『昔の』目標」だったのでしょう。
ようするに、スウェーデンでも日本でも、この「『昔の』目標」に変わる『新しい目標』が必要なのでしょうね。
100 :
考える名無しさん :2011/03/23(水) 19:07:13.55 0
迷い猫さん、ここは新しいスレたてましょうよ 参加しますよ
101 :
考える名無しさん :2011/03/23(水) 20:14:22.04 0
102 :
考える名無しさん :2011/03/23(水) 20:59:37.57 0
>>101 そりゃデータのとりかたが無意味だよな
理系に医者をいれちゃ
103 :
迷いネコ :2011/03/23(水) 21:04:42.50 0
>>100 考える名無しさん
エっ !? まぁ、そうですねぇ・・・。
というか、この前違う所でスレ立てしようとおもったら「Lvが足りません!」エラーが出ました。
なので、今のところ、これを積極的に解消してスレ立てしようという気も無いのですが・・・。
それよりも、あなたが、スレ立てなさってはいかがでしょう?
私も参加させて頂きますし、きっと、酔っ払いさんもご参加下さるでしょう。
そこで、人、人間、人類について「未来哲学」を語りましょうよ。(べつにここでも構いませんが)
104 :
考える名無しさん :2011/03/23(水) 21:23:38.16 0
タイトルは? 「人、人間、人類について「未来哲学」を語る」では広すぎるので もうちょいだけしぼりましょうや ここは科学哲学なんでね
105 :
酔っ払い :2011/03/23(水) 22:14:16.55 0
>>99 迷いネコさん
>確か、ここは「哲学板」でしたよね・・・。
申し訳ない。無学なもので哲学というものも漠然としか分かりません。
哲学的表現、あるいは哲学的考え方でないのでしたら「酔っ払い」の戯言ということで
こ容赦ください。
>子供の頃から「己が『幸福感』を抱ける『生き方』を考えさせる」ことが必要でしょうね。
賛成です。
ですが、『幸福感』が曲者ですね。
106 :
酔っ払い :2011/03/23(水) 22:20:50.25 0
>>103 迷いネコさん
>>104 考える名無しさん
不定期になるかもしれませんが、
興味のある話題なので参加するかも
107 :
迷いネコ :2011/03/24(木) 12:30:34.54 0
>>104 考える名無しさん
>もうちょいだけしぼりましょうや
>ここは科学哲学なんでね
そうですねぇ・・・。
まぁ、そういう意味で、根源的なことを考えれば、
やはり「人間の『脳』から『謎解き』をする」のが正攻法ではないのでしょうか?
例えば、先に申し上げた人にとってとても重要な『幸福感』なども、
一般的に言われております『脳の報酬システム』に関わっております。
そして、もしかすると自殺をしてしまわれる人は、
現実社会における既存概念・価値観・システムの中では、その『脳の報酬システム』が機能しないのかもしれませんね。
では、どのような「概念・価値観・システム」に彼らの『脳の報酬システム』が機能するのか?(ここが大変難しいでしょうね)
であったり、あるいは、先に申し上げた、
■「年間3万人超の自殺者」
■「子供の『読解力の低下・理解力の低下』」
■「ここ数年新記録を更新し続けている『子供の自殺・校内暴力・学級崩壊』」
■「新記録を更新し続けている『親の子供に対する虐待』」
■「新記録を更新し続けている『父親の家族へのDV』」
これらの社会問題の大きな原因のひとつは、おそらく「社会的ストレス」であろうと考えられます。
では、その「社会的ストレス」をどのように低減させていくか?
そんなような感じでしょうか、また夜にでも m(_ _)m 。・・・。
108 :
迷いネコ :2011/03/24(木) 13:02:23.43 0
>>105 酔っ払いさん
>>確か、ここは「哲学板」でしたよね・・・。
>申し訳ない。無学なもので哲学というものも漠然としか分かりません。
>哲学的表現、あるいは哲学的考え方でないのでしたら「酔っ払い」の戯言ということで
>こ容赦ください。
誤解を招いていまったようで、ゴメンなさい m(_ _)m ・・・。
そう言う意味では無く、私、あちこち、いろんなところで、お話しさせて頂いているもので、気を取り直すためと、
単に、他のみなさまに対する「掴み」で、申し上げさせて頂きました、失礼いたしました。
>哲学的表現、あるいは哲学的考え方でないのでしたら
べつに、そんなことはない、と存じますよ。
って、私が申し上げるもヘン?なのですが・・・。
私は、哲学書をまったく読んだことは無いですし、
多くはTVで、ただ「哲学」という言葉が出てきた時に、その前後の話しの流れで『哲学的思考』というものを学びました。
なので、特別な「哲学用語」なども、まったく知りませんのです。
まっ、知っているのは『無知の知』と、マイケル・サンデルさんの番組を観て、ロールズの「お言葉」である、
『私たちは、自分たちのさしあたりの判断も、一度その原理が明るみに出れば、変えたくなるかも知れない』
というのを聞いて「なるほど・・・。」と、感動にも似た感覚を覚えましたので、よく覚えております。
という訳で、あまり堅く考えず、普通に「理屈・論理・道理」で考えていけば良いと存じますよ。
>賛成です。
>ですが、『幸福感』が曲者ですね。
そうですね、
>>104 考える名無しさん にも申し上げましたが、お話しは、その辺りからでしょうかね・・・。
それでは、また夜にでも m(_ _)m・・・ 。
109 :
酔っ払い :2011/03/24(木) 21:53:28.36 0
>>108 迷いネコさん
『幸福感』は、人様々だと思います。(みなさん、同じ意見だと思いますが)
この様々な人々の『幸福感』を全て満たすことは不可能ではないか?と今は考えています。
人間の思考は時々刻々変化するものであり。
今日「こうだ!」と思ったことが次の日には「いや、違う」となるからです。
もちろん、これが絶対だとは考えていません。
私の勉強不足かもしれませんが、何かを求めるのには理由があると思うのです。
その理由は千差万別で今のところ私は全てを知ることはできません。
たぶん、世界中を探してもそんなことを知ることができる人はいないと思いますが・・・
それとは別に、私はマズローの欲求段階説(自己実現理論)を会社の指導者講習会で知り
個々人の欲求は、その人の歩いてきた道程や環境により異なるものだと思っています。
これが正しいとするなら、その各段階での欲求を満たせるような社会構造を構築できれば
うまくいくのですが、このような画一的なシステムに不満を持つ人は必ずいます。
人間の思考は複雑でありまた、面白い。チャレンジのし甲斐があります。
また、人間は生き物であり、遺伝子によって背が高かったり太っていたり肌が白かったり黒かったりするように
脳の構造も様々だと思います。頑固だったり、優柔不断だったり、理解力があったり無かったりとか
極端な言い方をすると白痴であったり天才であったりとか
人類は進化の途中であり、鳥が翼を得てから自由自在に飛べるようになるまで時間がかかったように
人類が考える力を得てからその力を発揮できるまでは、まだまだかかると思います。
私は、そのための手助けができればいいな、と思っています。
産業革命が起こったように思想革命を起こしてみたい。
110 :
考える名無しさん :2011/03/25(金) 00:44:39.50 0
まあはっきりいえば 欲求段階の高いやつほど自殺にちかいんだよ 生理的物質的欲求だけにとどまるやつより、実存的欲求に達しているやつのほうが苦しい なにも仕事や労働や報酬、社会的地位だけに「実存」を見出すこともないが、 日本では・・・・・・ もうかつての物質的貧困な日本のころの低次な欲求をのりこえているものの 高次の欲求をささやかながらにもみたせず自己を喪失してしまう状況が多い しかもかつての低次な欲求・期待に 安定的にこたえられなくさえなっている 日本は不景気以前に衰退している 変わるパフォーマンスみせてるだけで、ほんとは変わる気がない 年配はもちろん、わりくってる若い奴らでさえも
科学哲学は面白くて楽しくて嬉しいですよねー!?♪。
112 :
迷いネコ :2011/03/25(金) 22:04:06.78 0
>>109 酔っ払いさん <1/2>
>産業革命が起こったように思想革命を起こしてみたい。
あらっ !? 世の中には、同じようなことを考えている方がいらっしゃるものなのですねぇ、私のは「思考革命」ですけど。(笑
>人間の思考は複雑でありまた、面白い。チャレンジのし甲斐があります。
>脳の構造も様々だと思います。
>極端な言い方をすると白痴であったり天才であったりとか
>人類は進化の途中であり、鳥が翼を得てから自由自在に飛べるようになるまで時間がかかったように
>人類が考える力を得てからその力を発揮できるまでは、まだまだかかると思います。
>私は、そのための手助けができればいいな、と思っています。
同感です、私も社会貢献ができればと考えております。
113 :
迷いネコ :2011/03/25(金) 22:06:52.97 0
>>109 酔っ払いさん <2/2>
さて、早々難問にブチ当たることになるのですが・・・。
>何かを求めるのには理由があると思うのです。
>その理由は千差万別で今のところ私は全てを知ることはできません。
>たぶん、世界中を探してもそんなことを知ることができる人はいないと思いますが・・・
そうですね、私もずいぶん考えたのですが、
先にも申し上げましたように、やはり「根源は『脳』」ですので、その「本能に謎を解く『カギ』」が存在すると思うのです。
それで、その「何かを求める理由は千差万別ではある」にしても、
それは、その「根源的な欲求は、己を満足させようとする『自己満足』にある」と言えませんか?
>個々人の欲求は、その人の歩いてきた道程や環境により異なるものだと思っています。
なので、その成長過程で「己の言動・行動の根源が『自己満足』にある」という自覚を持たせることも重要ではないかと思うのですが?
>個々人の欲求は、その人の歩いてきた道程や環境により異なるものだと思っています。
>これが正しいとするなら、その各段階での欲求を満たせるような社会構造を構築できれば
>うまくいくのですが、このような画一的なシステムに不満を持つ人は必ずいます。
そして、子供の「しつけ・教育」過程を実社会を模した『模擬社会』にできれば、
その中で実社会に出た時に「『自己満足』できる」ものを探せますので、
そのような「ドロップアウト」してしまう人間も少なくなるのではと存じますがね。
少しまとまりが無くて申し訳ないです、とりあえず m(_ _)m・・・。
114 :
迷いネコ :2011/03/25(金) 22:16:18.93 0
>>110 考える名無しさん
>欲求段階の高いやつほど自殺にちかいんだよ
>生理的物質的欲求だけにとどまるやつより、実存的欲求に達しているやつのほうが苦しい
確かに、そうとも言えますが、
しかし、それは「成長過程で『条件付け・刷り込み』された『価値観』」が大きく影響しております。
つまり、「しつけ・教育」を見直す必要があると存じます。
>なにも仕事や労働や報酬、社会的地位だけに「実存」を見出すこともないが、
私もそう考えております。
なので、例えば、子供の「しつけ・教育」の過程を実社会を模した『模擬社会』にできれば、
その中で実社会に出た時に「『自己満足』できるもの」を探せますし、
それに「社会的ストレス」にも耐性が付き、うつ病や自殺者も減少させられると存じます。
>変わるパフォーマンスみせてるだけで、ほんとは変わる気がない 年配はもちろん、わりくってる若い奴らでさえも
それは、やはり「そういう育ち」をしていないからだと思いますよ。
115 :
酔っ払い :2011/03/26(土) 00:52:40.75 0
貴重なご意見ありがとうございます。 今日は職場の飲み会で、本物の酔っ払いになっています。 こんな日に書き込むと碌な事がないので今日はパスさせて貰います。 ここから先は酔っ払いの戯言です。 自分が知っている世界は自分が生きてきた世界でしかない。 私が思うに大概の人は自分を基準に考えている。 生物学的に見て一言で人間といってもいろいろある。 今日はこれ以上表現の仕方がわからないので失礼します。
116 :
石井 慧 :2011/03/26(土) 01:04:14.12 0
だから、お前は勉強的なレギュラーの座を取れないんだ ! 足をかけて馬鹿にされないようにしてる 浮ついた人にしかなれない
117 :
考える名無しさん :2011/03/26(土) 07:48:16.26 0
模範的な社会とは、監獄である。 だから私は、模範的社会なる概念を否定する。 誰かに倣う社会など、誰かの善意で塗り固められた世間など、それは監獄である。
118 :
迷いネコ :2011/03/26(土) 10:04:04.52 0
>>115 酔っ払いさん
そうですね・・・。
>生物学的に見て一言で人間といってもいろいろある。
仰る通りです。
なので、人間を「生物・動物学的視点から分析する必要もある」と存じますよ。
>>116 石井 慧 さん
まぁまぁ、そう仰らず・・・。
119 :
迷いネコ :2011/03/26(土) 10:14:15.02 0
>>117 考える名無しさん
>模範的な社会とは、監獄である。
それは、その「模範的な社会」の概念が『どのようなものか』という内容によりませんか?
>だから私は、模範的社会なる概念を否定する。
>誰かに倣う社会など、誰かの善意で塗り固められた世間など、それは監獄である。
そうですね、「模範的社会なる概念」が「誰かに倣う社会」であるならば、 確かにちょっとヘンでしょうか・・・。
では、「模範的社会なる概念」が「『自分で思考し、判断する』社会」ならば、いかがでしょうか?
120 :
石井 慧 :2011/03/26(土) 10:48:00.93 0
私の学問の格を見ないで欲しいから〜 あなたは偏差値で私を見てるから〜 降りてるから〜、偏差値を抜いたら、格付けをできなくないから〜 勝負無くしたら、学問界に組み入れられないから〜 実際の知能より良く見せたいから〜 私、知の粉飾決済だから〜
121 :
考える名無しさん :2011/03/26(土) 11:04:05.96 0
>>119 模範的な社会とは、一言で言えばルールが守られる社会だ。
ルールを守るとは、誰かの決めた規範を倣う事だ。
自分で思考し、判断する事は反社会性である。
何故なら、それは既存のルールに対して抗う事になるからである。
誰かの決めた規範を倣う(守る)事と、その規範の是非を考える事は相反する事柄である。
自分で思考する社会とは、反社会性を内在する社会であろう。
それは矛盾を内包しているから、模範的になる事は無い。
122 :
迷いネコ :2011/03/26(土) 13:58:30.30 0
>>120 石井 慧 さん
うむ・・・。
>私、知の粉飾決済だから〜
そうですか・・・。
思想哲学は必要不可欠何ですよねー!?♪。
124 :
迷いネコ :2011/03/26(土) 14:11:44.76 0
>>121 考える名無しさん
>模範的な社会とは、一言で言えばルールが守られる社会だ。
>ルールを守るとは、誰かの決めた規範を倣う事だ。
しかし、
「模範的な社会とは、一言で言えば『各々が自分で思考し判断する』社会だ。」
「『各々が自分で思考し判断する』社会とは、常に社会全体を俯瞰しながら、より良い規範を模索していく事だ。」
でも良いのではないでしょうか?
>自分で思考する社会とは、反社会性を内在する社会であろう。
もちろん、「『各々が自分で思考し判断する』社会」というのは「民主主義社会のルールの中で」ですよ。
125 :
酔っ払い :2011/03/27(日) 11:49:23.84 0
ちょっと乱暴ですが、教育勅語復活はどうでしょう。 個々人の思考の根幹に据えることができれば世の中平和になるような気がします。 個人的には国という概念は不要と思っているので12番目は無くしたほうがいいと考えます。 私は、人が生まれ、成長していく段階での環境と獲得した知識によって 人格が形成されていくのではないかと考えています。 また、安定した社会があって個々人が(社会を不安を起こさない程度の) 自由な生活や思考ができるものだと思います。 教育勅語・12の徳目 1.親に孝養をつくしましょう(孝行) 2.兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛) 3.夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和) 4.友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信) 5.自分の言動をつつしみましょう(謙遜) 6.広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛) 7.勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学) 8.知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発) 9.人格の向上につとめましょう(徳器成就) 10.広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務) 11.法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法) 12.正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)
126 :
考える名無しさん :2011/03/27(日) 14:15:06.91 0
>>124 >「模範的な社会とは、一言で言えば『各々が自分で思考し判断する』社会だ。」
これは一見普通に思える考えだが、矛盾を内包している概念だ。
各々が考える事=反社会性だとするなら、「模範的な社会とは、反社会的な社会」となるからだ。
民主主義のルールの中でという条件は、成り立たない。
自分で思考した結果「民主主義は不要である」という考えを持つ人がいるからだ。
その考えを否定するなら…そもそも各々が自分で思考する事が間違っているという事になる。
民主主義のルールの中で思考する事に何の意味があるのか。
それは自由な思考では無い。つまり監獄そのものだ。各々が自分で考えろと言いながら、
考えて善い事といけない事を勝手に決めている。それは監獄だ。
「俺、カッコイイこと言ったなー」
>各々が考える事=反社会性だとするなら この時点でほとんどの読み手は首をかしげるんだが、どうして気付かんのかな 或る制度「A」と、それに反する制度「反A」と両方を採用できる社会なんかありえないだろ かといってAに皆賛成かというとそんなことはまずない だから必ず反A派の人がAという制度のもとで行動を強いられることになる それを根拠に民主主義は監獄だと言うのなら、 民主主義の特質に何も触れていないから社会制度そのものを否定することになる じゃあ世界中の今の政府を打倒して無政府状態を目指せばいいのかと言うと それも一つの主義主張に過ぎないから今の国家制度を支持する反対者も当然多い
似たような(?)話として 個人の思想や行動の自由をできるだけ確保すべきだとするリベラル自身が、 個人の自由を制限するような保守的な考え方や制度に対しては 徹底的に抑圧すべきだと主張することが多いから、 普通のリベラル以外に保守派に対してもリベラルであるような 絶対的なリベラルみたいな立場がありうるんではないかってことはたまに言われるよね
130 :
迷いネコ :2011/03/27(日) 19:34:13.60 0
>>125 酔っ払いさん
うむ・・・。
>ちょっと乱暴ですが、
確かに・・・。
>私は、人が生まれ、成長していく段階での環境と獲得した知識によって
>人格が形成されていくのではないかと考えています。
>また、安定した社会があって個々人が(社会を不安を起こさない程度の)
>自由な生活や思考ができるものだと思います。
それは、仰る通りですが、
しかし、そういたしますと、先に「安定した社会」を創る必要があると存じますが、いかがでしょう?
>教育勅語・12の徳目
つまり、その理想も、現実において「見本・スタンダード」が必要ではないでしょうか?
131 :
迷いネコ :2011/03/27(日) 19:46:46.43 0
>>126 考える名無しさん
>これは一見普通に思える考えだが、矛盾を内包している概念だ。
ちょっと待って下さいまし、あのですね、人間の創り出した「概念に『矛盾の無いもには無い』」ですよ。
>各々が考える事=反社会性だとするなら、「模範的な社会とは、反社会的な社会」となるからだ。
それは、単に「『定義・前提』の問題」ですよ。
>自分で思考した結果「民主主義は不要である」という考えを持つ人がいるからだ。
>その考えを否定するなら…そもそも各々が自分で思考する事が間違っているという事になる。
あの、「民主主義社会」においては、
「個人が『思う・考える』は『自由』である」はずですので「その考えを否定する」ということは無いです。
>民主主義のルールの中で思考する事に何の意味があるのか。
意味は「ある」と思いますよ、だって、我々は「民主主義社会」に生きているのですから。
>それは自由な思考では無い。つまり監獄そのものだ。各々が自分で考えろと言いながら、
>考えて善い事といけない事を勝手に決めている。それは監獄だ
いいえ、「民主主義社会」においては、「個人が『思う・考える』は『自由』である」のです。
132 :
考える名無しさん :2011/03/27(日) 21:17:05.58 0
>>128 民主主義が監獄だというわけでは無いですよ。
模範的な社会、それを目指す事は、監獄を目指す事と同じだという事です。
>>131 >ちょっと待って下さいまし、あのですね、人間の創り出した「概念に『矛盾の無いもには無い』」ですよ。
そうです。ですから、模範的な社会は空想の産物でしょう。我々は永遠に理想の社会へは到達出来ないわけです。
「民主主義の範囲の中でだけで自由に考えて良い」、これは自由ではありません。
ですから、民主主義社会は「各々が考える」社会では無いんですね。
それを目指しながら、否定もしている。この矛盾は解消される事はありません。
133 :
酔っ払い :2011/03/27(日) 22:05:38.68 0
>>130 迷いネコさん
>しかし、そういたしますと、先に「安定した社会」を創る必要があると存じますが、いかがでしょう?
現実問題として日本は比較的安定している方だと思っています。
自殺者3万人ですが・・・中東や社会主義国より平和ではないかと。
もちろん、迷いネコさんが自殺者や子供の学力低下、DV等心配している事は知っています。
その上で、教育勅語を出してみました。
>つまり、その理想も、現実において「見本・スタンダード」が必要ではないでしょうか?
もちろん、現段階では見本・スタンダードは、ほんの少ししかありません。
ですが、今のうちから種をまき続ければ次の世代やその次の世代へ繋げて行くことは
できると考えています。
産業革命も数年でできたわけではないので、気長に考えてはどうでしょうか?
134 :
迷いネコ :2011/03/28(月) 22:51:40.87 0
>>133 酔っ払いさん
>現実問題として日本は比較的安定している方だと思っています。
>自殺者3万人ですが・・・中東や社会主義国より平和ではないかと。
いやっ、確かに、仰る通りなのですが・・・。
>その上で、教育勅語を出してみました。
ただ、もう、あなたも、十分お感じになっておられると思いますが、
ネットの中で解りますように、この日本では「言葉がほとんど『意味を成さない』」状態です。
>もちろん、現段階では見本・スタンダードは、ほんの少ししかありません。
なので、それが「本当にすばらしいものである」ことを魅せられなければ、誰も行動しませんよね。
>ですが、今のうちから種をまき続ければ次の世代やその次の世代へ繋げて行くことは
>できると考えています。
私も、そう思って3年ほど、ネットの住人のみなさまとお話しさせて頂いて参りましたが、最近疲れ気味で・・・。(笑
>産業革命も数年でできたわけではないので、気長に考えてはどうでしょうか?
そうですね、起こるところでは、日単位で動き出しますからねぇ、もう少し頑張ってみましょうかね。
135 :
迷いネコ :2011/03/28(月) 23:02:31.48 0
>>132 考える名無しさん
>模範的な社会、それを目指す事は、監獄を目指す事と同じだという事です。
いやっ、そんなことはないですよ。
>>131 >>ちょっと待って下さいまし、あのですね、人間の創り出した「概念に『矛盾の無いもには無い』」ですよ。
>そうです。ですから、模範的な社会は空想の産物でしょう。我々は永遠に理想の社会へは到達出来ないわけです。
いやいや、ですから、
その「理想的な模範的社会」は「人間の『矛盾を減少させる』努力をする社会」なのです。
>「民主主義の範囲の中でだけで自由に考えて良い」、これは自由ではありません。
そうじゃなくて、べつに「『思う・考える』は、民主主義の範囲でなくて良い」のですよ。
>それを目指しながら、否定もしている。この矛盾は解消される事はありません。
ですから、それは「人間の『矛盾を減少させる』努力をする社会」であれば、良いのではないでしょうか?
136 :
酔っ払い :2011/03/29(火) 22:17:12.92 0
>>134 迷いネコさん
>私も、そう思って3年ほど、ネットの住人のみなさまとお話しさせて頂いて参りましたが、最近疲れ気味で・・・。(笑
ご苦労様です。私はつい最近2ちゃんねるを始めたのでその辺は知りませんでした。
確かに、ここに来てる人には言葉で伝えることは難しそうですね。
冷やかしであったり、無責任な言葉であったり、中には「理屈」の上に「へ」が付いてそうな発言まで・・・
ただ、考えさせられる視点での発言もあり、その点では有意義かと。
それはそうと、教育勅語はちょっと急すぎました。
ただ、個人的には(うまく言えませんが)「思いやりのある世界」を実現出来たらと思っています。
そのためには、もう少し考えてみることが必要そうです。
>>132 考える名無しさん
>模範的な社会は空想の産物でしょう。我々は永遠に理想の社会へは到達出来ないわけです。
模範的な社会の定義に「迷いネコさん」とは、違いがありそうですね。
私自身の理想の世界はお互いが思いやり助け合っていく世界です。
ですが、理想の世界の定義は個々人で違うため、全ての人が理想の世界だと感じることのできる世界は永遠に到達できないと考えています。
もしかしたら限りなく近づくことは出来るかもしれませんが。
出来れば、あなたの理想とする世界をお聞かせください。
137 :
考える名無しさん :2011/03/29(火) 22:50:38.56 0
>>135 矛盾を少なくするというのは、さてどうやって「目指したら」いいんでしょうか。
目指すからには、目標が必要となります。しかしその目標が…矛盾を抱えているのです。
>>136 理想とする世界なら、それは天使の住むような世界ですよ。誰もが慈愛に満ち、助け合うような。
しかしながら、我々はそのように生まれてきていません。
「慈愛に満たず」、「助け合わない」人々を排除しなければ、そのような世界は成立しません。
ですがそうやって人々を排除する事は、慈愛に満ちた行為とは言えません。
ですから、私が理想とするのは、人々が理想の不在に気付いた上で、それに耐えるだけの強さを持った世界です。
慈愛に満ちた世界を目指すというのなら、それは私にとっては子供じみた理想なのです。
腐 魔
139 :
酔っ払い :2011/03/29(火) 23:13:04.25 0
>>137 >理想とする世界なら、それは天使の住むような世界ですよ。誰もが慈愛に満ち、助け合うような。
>しかしながら、我々はそのように生まれてきていません。
そのように生まれてきていないというのは、具体的にどういうことでしょうか?
人間、誰しも欲というものがありますが、一人で生きているわけではないと思います。
本能や欲望と社会性・協調性とを両立できるようにはできないのでしょうか?
>私が理想とするのは、人々が理想の不在に気付いた上で、それに耐えるだけの強さを持った世界です。
>慈愛に満ちた世界を目指すというのなら、それは私にとっては子供じみた理想なのです。
「慈愛に満ち、助け合うような世界。」素晴らしいと思います。
人々に理想の不在を気付かせ、世界を理想に近づける事は出来ないでしょうか?
子供じみた理想かもしれませんが、やりがいはあると思います。
140 :
ムーンライト ダニエル・カール :2011/03/29(火) 23:59:51.64 0
おーれ、科学哲学会を目指して輝こうって思ってたんだよ。 個性だからこれ以上どうしようもなくてさあ、背広が着れねえの。 音楽家のカルチャーを大事にしてるので日常会話が使えないの。 トップに立ちたがるのだけど、何者か試してやるってかかって来られて、 僕からしたら差別されてるって思って降りちゃうんだよね。 くわえ煙草して緊張を表現するように人生的な工夫も欠かさないんだけど。 つまり、ど〜もねえ、恥ずかしいんだって。 おっかしいなあ、恥ずかしいことなんてねえのになあ。大丈〜夫だって。 世の中の恥ずかしい奴はみんな俺の子分みたいなもんだからさあ。 お〜れ、何でこうなのかな〜。こんなカッコで街中をうろついて恥ずかしくねえのかなって。 俺じゃあ、まだ、物を知らねえから、負けるしさあ、学歴もないんだよ。トップに立つのは恥ずかしい から止めようかなって。 俺のことに気付いたら、恥ずかしいことに気を付けて止めよ〜ぜ〜?
141 :
迷いネコ :2011/03/31(木) 19:38:40.19 0
>>137 考える名無しさん
>しかしその目標が…矛盾を抱えているのです。
でも、「そも目標が『矛盾を抱えている』のが解る・観える」のですよねぇ?
でしたら、まず「その目標の『矛盾を小さくする』ための『議論』をすれば良い」のではないでしょうか?
それが「民主主義社会」だと存じます。
142 :
迷いネコ :2011/03/31(木) 19:56:11.22 0
>>136 酔っ払いさん
>ただ、考えさせられる視点での発言もあり、その点では有意義かと。
仰る通りです、言わば「人間の『本質』」を観ることができると存じます。
>ただ、個人的には(うまく言えませんが)「思いやりのある世界」を実現出来たらと思っています。
>そのためには、もう少し考えてみることが必要そうです。
これまた、気が合いますねぇ・・・。
まぁ、私もずっと「思いやりのある世界」みたいなことを考えていたら、ある時「ふと」気が付いたことがございます。
ここで、ちょっとお考え頂きたいのですが、
人類に関わらず、そもそも、動物には 「遺伝子にプログラムされた『本能』に思いやりみたいなものがある」と思いませんか?
そうでない限り、今現在のように繁栄していないと思うのですよね。
そうであるならば、その「『思いやりのある世界』の実現」もそれほど難しいことではないのかも、と考えたりも・・・。
143 :
迷いネコ :2011/03/31(木) 20:06:55.78 0
>>139 酔っ払いさん
>人間、誰しも欲というものがありますが、一人で生きているわけではないと思います。
こちらも、仰る通りですね。
まぁ「人間の『本質』は『欲』である」と言っても過言ではないでしょうから。
>本能や欲望と社会性・協調性とを両立できるようにはできないのでしょうか?
それは、可能だと存じますよ。
>人々に理想の不在を気付かせ、世界を理想に近づける事は出来ないでしょうか?
まず『無知の知』からかも知れませんね。
144 :
酔っ払い :2011/03/31(木) 22:14:52.68 0
>>142 迷いネコさん
>人類に関わらず、そもそも、動物には 「遺伝子にプログラムされた『本能』に思いやりみたいなものがある」と思いませんか?
種の種類によりますが、動物には(人類を含め)子孫(子供)を生きていく力を得るまで育てようとする『本能』があると思います。
しかしながら、人類は、この『本能』の部分が薄らいできている気がします。
この『本能』の部分が自分の子以外へ向けられた時、思いやりという表現になるのではないでしょうか?
自然界での動物は常に死と隣り合わせであり、『本能』が薄らぐことは無いでしょう。
では、何故、人類の『本能』の部分が薄らいできているかということを考えると
死というものを意識しなくなったのではないかと考えます。
生きることへの執念みたいなものは、自殺者3万人という結果からいって、かなり低くなっています。
考える力を得た人類は、種の存続より個の快楽を追い求めるようになったのでしょうか?
人々に『無知の知』を知らせる前に、現在の人類についてもう少し考える必要があるかもしれません。
145 :
考える名無しさん :2011/03/31(木) 23:24:56.00 0
生物学的特質と、社会的特質と、心理的特質を総合的に考えること。
146 :
迷いネコ :2011/04/01(金) 19:59:55.02 0
>>144 酔っ払いさん
>動物には(人類を含め)子孫(子供)を生きていく力を得るまで育てようとする『本能』があると思います。
うむ、そうですね、そのような遺伝子レベルでのプログラムが存在しない限り『種』は、滅びておりますのでね。
>この『本能』の部分が自分の子以外へ向けられた時、思いやりという表現になるのではないでしょうか?
まぁ、そんなところなのでしょうね。
>自然界での動物は常に死と隣り合わせであり、『本能』が薄らぐことは無いでしょう。
>では、何故、人類の『本能』の部分が薄らいできているかということを考えると
>死というものを意識しなくなったのではないかと考えます。
>生きることへの執念みたいなものは、自殺者3万人という結果からいって、かなり低くなっています。
仰る通りですね、おそらく「生活の中で『生きる』ことと、まったく関係の無いものに『熱中』できるから」でしょう。
>考える力を得た人類は、種の存続より個の快楽を追い求めるようになったのでしょうか?
そして、
その「『生きる』ことと、まったく関係の無いものに『熱中』していると社会や人間関係というものから乖離してしまう」のでしょう。
とくに「TVゲーム類」が問題だと存じます。
>人々に『無知の知』を知らせる前に、現在の人類についてもう少し考える必要があるかもしれません。
そうですね、個人的には「人類を『脳(本能)』から考える」のが一番解りやすいと思うのです。
そうすれば、あまり「国・人種・宗教・思想」等関係なく、普遍的なものに近づけると思いますが、いかがでしょう?
147 :
迷いネコ :2011/04/01(金) 20:05:45.18 0
>>145 考える名無しさん
>生物学的特質と、社会的特質と、心理的特質を総合的に考えること。
仰る通りですね、人間に関わる学問すべてを駆使し「総合学問」的な観点で考える必要があるでしょうね。
まぁ、言うなれば『人類の統一理論・未来哲学』みたいな感じでしょうかね。
148 :
考える名無しさん :2011/04/01(金) 22:55:54.62 0
逆に言えば、生物学的特質だけ(脳のしくみ)を根本としてしまうことも、 心理的特質だけを根本としてしまうことも 社会的特質だけを根本としてしまうことも 不足ではあります。 さまざまな視点がありえます。
149 :
考える名無しさん :2011/04/02(土) 01:13:08.79 0
科学でできるのは物事がどういうしくみで起きたかのか、の説明だけ。 結局その出来事がなぜ起きたのか、まではわからない。
「宇宙は安定を好む」 この言説は、仕組みの説明なのか、それとも出来事の起こる理由なのか
152 :
考える名無しさん :2011/04/02(土) 02:34:55.90 0
>>150 熱力学・統計力学の法則です。つまり仕組みの説明。逆にこのしくみ・原則から現象を予測することもできる。
いずれ平衡点に達します。経済もそうでしょうか。良いにつけ悪しきにつけ
>>149 そりゃそう、Howつまりメカニズムの解明・記述が科学。ただし、この精密な基本的howを原因として、
より複雑なものを説明したり予測できたりするのが科学。つまり根本原理にはwhyは問えないが、その先のことには原理をwhyの答えにできる。
数学や論理学における公理と定理の関係のようなもん。公理や規則にwhyは問えないが、定理にwhyは問える(公理、定義、規則に行きつく)。
だからといって、哲学・宗教がwhyに(個人の単なる独断によらずに)答えられるわけではないが。答えられないものを無理やり答えようとすればひとそれぞれの勝手な形而上学になっちまう。
153 :
酔っ払い :2011/04/02(土) 21:54:42.21 0
>>146 迷いネコさん
>「人類を『脳(本能)』から考える」のが一番解りやすいと思うのです。
>そうすれば、あまり「国・人種・宗教・思想」等関係なく、普遍的なものに近づけると思いますが、いかがでしょう?
これまた、個人的な見解で申し訳ないのですが、人が生きていく基本となる考え方は
幼児期から思春期に決定されるのではないか?と、思っています。
特に幼児期は、偏見がなく見たこと聞いたことが記憶となり「こんな風に生きて行くんだ」と、思うのではないかと
思春期には、それまでの人生経験(わずか十数年ですが)に照らし合わせ、(本能的な)好き嫌いと相まって
世の中を見ているのではないかと思います。(一部、個人的人生経験も含まれますが・・・)
そう考えると、幼稚園や保育園での教育は社会性という面から重要な役割を果たしていると言えます。
待機児童がちょっとかわいそうに思えてきます。
>>145 >生物学的特質と、社会的特質と、心理的特質を総合的に考えること。
大変参考になります。
なんとなく、雰囲気は解るのですが・・・
生物学的特質は、脳の働きが個々人で違うことを加味しなければならないこと。
心理的特質は、心の働き方。でよろしいでしょうか?
また、社会的特性は、集団の中における個人の考え方でよろしいでしょうか?
勉強不足で申し訳ない。もう少し具体的に教えてもらえないでしょうか?
154 :
145=152 :2011/04/02(土) 23:38:37.73 0
>>153 1.生物学的特性とは脳の機能的側面、つまり物理化学的な物質的側面のことです。
神経回路網の機能からみた、人類に普遍的な性質、また脳のタイプの分類(個性)がありえます。
2.心理的特質は脳の機能的側面と相関しています。そのため、脳の物質的側面と心理機能の対応関係が
わかれば応用できます。プロザックをのめば鬱が改善される、のような。
・ただし、難点はまず、神経回路網の構造も機能も全然未解明で、それと心理機能の関係性についてはほとんど
何もいえないのが現状ということです。科学的にはっきりしたことはわからないはずなのに、無理やり脳から心理を語るのはまずいし説得力無いです。
・また、精神現象(心など)と物理現象(脳の電気活動)のあいだには溝があります。精神と物質(脳)の対応関係はありますが、言えるのはそこまでです。
すべて脳(唯物論)あるいはすべて精神の所産(観念論)と考えるのはすでにひとそれぞれの思想であるというほかなく(科学にはなりえない問い)、決着もないです。
唯物論も観念論もみんなを納得させることはできない・・どちらでもいいですが
3.社会的特質とは、社会科学の問題ですね。経済構造、政治構造、私的共同体(企業、学校、地域、家族など)などの問題ですね。
これはすでに社会心理学などの研究がなされてきていますね。経営学や経済学にも集団心理の性質は応用されていますね。
これと、精神とは別の社会システム(客観的な集団のしくみ)の知見を組み合わせて考えるということですね。
そのなかでの個人、ということで、1と2ともからんできますね。
内面(心理)・個人、内面・集団、外面(脳)・個人、外面(社会システム)・集団、をきちんと把握することですかね。
156 :
酔っ払い :2011/04/03(日) 15:05:42.21 0
>>154 分かりやすい解説、ありがとうございます。
生物学的特質・社会的特質・心理的特質、それらに時間軸を加味して
人間という生き物を解明していかなければならない。
大変な作業になりそうです。
専門家の言わせれば、山の存在を知っただけで山の入り口にも立っていない。と、笑われそうですが
まずは、一歩前進です。
157 :
迷いネコ :2011/04/03(日) 21:00:16.11 0
>>156 酔っ払いさん
>これまた、個人的な見解で申し訳ないのですが、人が生きていく基本となる考え方は
>幼児期から思春期に決定されるのではないか?と、思っています。
仰る通りですね、それが『条件付け・刷り込み』と呼ばれているものです。
>そう考えると、幼稚園や保育園での教育は社会性という面から重要な役割を果たしていると言えます。
そうですね、
それは、昔の人間の中で観察力のある人間が導き出した「三つ子の魂百まで」という『お言葉』が物語っております。
>>156 >人間という生き物を解明していかなければならない。
>大変な作業になりそうです。
そうでもないでしょう?
>専門家の言わせれば、山の存在を知っただけで山の入り口にも立っていない。と、笑われそうですが
>まずは、一歩前進です。
先ほど申し上げたように、その事象現象の根源である「『脳』をひも解く」には、既に昔の人間が導き出した、
「三つ子の魂百まで」や「鉄は熱いうちに打て」「人は易きに流れる」などの性質を理解するところから始めれば良いのではないでしょうか?
158 :
考える名無しさん :2011/04/04(月) 00:07:58.06 0
>>157 そういうのを生物学主義っていうのでは?
「三つ子の魂百まで」は神経科学的にもうらづけがありますよね。神経系の可塑性ってやつでしょうか。
有益だと思います。
ただ、どこまでそれ中心で説明できるかは疑問があります。やはり総合が必要だと思います。
無理なら、やはり専門分化した諸成果を随時利用するまでです。
159 :
酔っ払い :2011/04/04(月) 23:04:54.40 0
なんだか話が見えなくなってきた。 ここは、何処を目指しているのか?世界平和?人類の総幸福? 人類は常に進化し続けています。 ですが進化のスピードは今を生きている私達には感じることができません。 なぜなら個人個人が遺伝子の伝達者であり進化の一瞬でしかないからです。 ですが、世界遺産に代表される古代の建造物や化石などから人類や生物の進化の歴史を見ることができます。 その進化の歴史から或る者は人類の未来を予想する。そして現代の在りようを鑑み予想する未来は・・・
160 :
考える名無しさん :2011/04/05(火) 15:41:56.23 0
酔っ払いさんは、歴史的視点に関心がおありのようですね。 一方、猫さんは脳・教育・発達心理と社会問題に興味がある。 ここは「科学哲学」という広い裾野のなかなので、話はまとまらないはずです。もうちょいしぼらないと。 個人的には、歴史や進化の問題は生命、非生命、社会・文化とでそれぞれ別の原理で動いていると思います。もちろん部分的に重なる部分もあるかと思いますが。 生物の進化論、物質の熱・統計力学、そして社会科学・・・とくに人間社会は生命原理や物質原理だけでは不可解です・・。
161 :
酔っ払い :2011/04/05(火) 23:36:45.97 0
>>160 >ここは「科学哲学」という広い裾野のなかなので、話はまとまらないはずです。もうちょいしぼらないと。
そうでした、確か『思いやりのある世界』の実現でした。(多分)
その点から言うと、まず「感謝の心」の育成にあると思います。
しかしながら現在でも、幼稚園や保育園で「ありがとう」とか「ごめんなさい」とか
教えているのに、大人になったらすっかり忘れてしまう人がいます。
これは社会の流れが個人主義に傾倒しているのではないかと考えます。
また、情報が氾濫し将来に対するビジョンが絞り込めないこともその一因かと
うまく言えませんが、昔の思いやりのある時代や恥を知る時代とは
社会の在り方が変わってきています。昔に戻れとは言いませんが
現代でこれらのことができるようになるにはどうすればいいのでしょうか
今回の震災で協力し合うことの大切さや素晴らしさを再認識した人は沢山いると思います。
このような人が「感謝の気持ち」を持ち続けるには・・・
162 :
酔っ払い :2011/04/09(土) 23:28:44.24 0
沈黙は金か? 否。ここでの沈黙は放棄ではないかと思う。 人類は進化の途中であり。 私の一言は人類の進化の一つの変化点になるのであるなら、それは有効な一言である。 しかしながら沈黙は、ここでは何も生まない。 居ないも同然になってしまう。
163 :
迷いネコ :2011/04/10(日) 09:38:25.61 0
>>160-162 お二人さん
>否。ここでの沈黙は放棄ではないかと思う。
ははっ、ちょっと、考え込んでいたのですが・・・。
>そうでした、確か『思いやりのある世界』の実現でした。(多分)
>このような人が「感謝の気持ち」を持ち続けるには・・・
答えとしては、大人が子供にお手本を観せ、そして「しつけ・教育」と言う名の『条件付け・刷り込み』を施すしかないでしょうね。
164 :
酔っ払い :2011/04/10(日) 20:34:44.37 0
>>163 迷いネコさん
>答えとしては、大人が子供にお手本を観せ、そして「しつけ・教育」と言う名の『条件付け・刷り込み』を施すしかないでしょうね。
確かにそうだと思いますが、現代の大人達にそのお手本を見せることができる人がどれだけいるでしょうか?
手本を見せる大人に期待するとともに、子供たちへの刷り込み方を考えた方がいいと思うのですが・・・
ところで、何を考え込んでいたんですか?
165 :
迷いネコ :2011/04/10(日) 21:12:18.16 0
>>164 酔っ払いさん
>ところで、何を考え込んでいたんですか?
いや、その、
>>答えとしては、大人が子供にお手本を観せ、そして「しつけ・教育」と言う名の『条件付け・刷り込み』を施すしかないでしょうね。
これは、我々がお話しを始めた「振り出し」に戻っただけで、
そこから、また「『脳』ミソを云々・・・」なんてお話しをしなければならないのかなぁ? ってねぇ・・・。(困
>現代の大人達にそのお手本を見せることができる人がどれだけいるでしょうか?
そうなんですよね、まぁ、ここ「インターネット・匿名社会」でも、我々大人が「お手本」を見せることも大切でしょう。
もしかしたら、
この「インターネット・匿名社会」でこそ「『大人の振る舞い』を見せること」が「子供達への『お手本』になる」かも? 知れませんね。
166 :
考える名無しさん :2011/04/11(月) 22:20:33.42 0
君らふたり以外が沈黙してるのは、 上からの高圧的な道徳の押し付けがはらんでいる根本的な問題ってのがあるからだと思うよ。 キリスト教教会にしろ、共産党にしろ、戦前日本の封建的道徳教育にしろ、自分たちの道徳の正しさは疑ってなかったし、 結果を知らなければ傍目には正しそうにみえるよ。でも、それを強要した歴史的結果は・・どうしてもゆがむんだよ。 それをどう回避するのかが哲学的問題。道徳と自由の両立。 カントは各自の理性による「自律的な道徳律」を提言してたよね。 どうしてもこういう権力的な押し付けがどうしても発生してしまう(人間にもいろいろおり、組織の論理もあり、政治もあり・・)のを回避したかったんでしょう。
167 :
考える名無しさん :2011/04/11(月) 22:33:44.07 0
企業の労働道徳利益道徳と家庭の道徳の乖離もある。 まあ思いやり、感謝の気持ち、ってくらいなら、 何の問題もないし、今の日本人に欠けてるとも思わないけど。哲学的問題にもならん。
168 :
考える名無しさん :2011/04/11(月) 22:46:19.33 0
というかある種の損得に「道徳」という名前をつけて 分離してしまったことに根本的な問題があるんじゃね? 本質的には、考慮に入れる範囲が狭いか広いかだけの違いのはずなのに、 質的な違いがあるように錯覚されてる。
169 :
考える名無しさん :2011/04/11(月) 23:08:27.71 0
ん? 道徳と切り離してたんなる損得の問題と割り切れればいいが、 日本では労働そのもの帰属そのものに独特の道徳が付加されているということだよ。 それと、それぞれの道徳には範囲のちがいだけでなく質的なちがいももちろんあるだろ。
170 :
考える名無しさん :2011/04/11(月) 23:24:03.38 0
労働は純粋に損得の問題だろう。 他にどんなの要素があるっての? にもかかわらず「さも何か別の要素があるかのように考えること」が 間違いの元じゃないの、って話だよ。
171 :
考える名無しさん :2011/04/11(月) 23:50:07.53 0
>>170 損得は本来道徳的なではない(道徳としても、それは仮言命法にすぎない)、
日本の労働道徳も、かつてのプロテスタンティズム(カルヴァニズム)の職業道徳も虚構、
ということならお互いの話は通じている。
>>168 が抽象的で具体的に何を指して言ってるのかはっきりわからなかったが、
>>170 ならわかる。
172 :
考える名無しさん :2011/04/11(月) 23:58:15.70 0
つまり損得にすぎないものを「道徳」として虚構してしまっているものが、 他の本来の意味での道徳との矛盾を生み出している。無理があるのを無理やり通してきた。 日本の労働道徳もプロテスタンティズム(カルヴァニズム)の職業道徳も苦肉の策。
173 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 00:01:11.24 0
>>171 その、仮言命法云々の理屈が勘違いに思えてならない。
道徳が仮言命法でないなんてのは、どう聞いても屁理屈にしか聞こえない。
まっとうに考えるなら、仮言命法でないもの、と言ったら、個人的な恣意や衝動以外に
何もないはずだ。
だって、個人の恣意や衝動に反することでやらなければならないことというのは、
なんらかの外部的要因に強制されることであって、
その段階で既に仮言なわけだから。
道徳は明らかに、「なんらかの集団に属したいなら」といった仮言命法にすぎないものを、
そういった前提を根拠無く絶対化することによって、定言命法である、
と強弁してるだけっしょ。
それが間違いの元。
174 :
考える名無しさん :2011/04/12(火) 20:31:33.38 0
>>173 仮言命法でないもの、と言ったら、個人的な恣意や衝動以外に 何もないはずだ。
個人のたんなる衝動に条件づけられている時点でそれも仮言命法的でしょ。
いや、仮言命法的でない道徳など存在しない、という見解ならそれもありだと思うけど。
〜のためにはという条件によらず、純粋理性の要請にもとづく各人の自律的な道徳律が定言命法じゃなかった?
すくなくとも「なんらかの集団に属したいなら」という条件のない場面(刑法や社会疎外の発生しない場合)でも、
各人の自律的な道徳の存在の余地はあると思うが。
ただ、それが人間の可能性、という意味にもなりうるし、無目的で無意味で不要な抑圧にもなりうるし、ということではないか?
175 :
酔っ払い :2011/04/12(火) 22:37:55.54 0
個々人の言論・思想に制限はないが、他人に迷惑のかかる行為は許されない。と、私は考えます。 世界中の人に他人に迷惑のかかる行為をやめさせるには、どうすればいいのかが知りたい。 それが道徳であれ宗教であれ名称は問わない。 人が成長する上で刷り込まれなければばならないルールとは何でしょう。
176 :
考える名無しさん :2011/04/13(水) 07:22:30.05 0
>>174 いや、あなたの仮言、定言の定義がさっぱりわからん。
仮言命法「的」ってどういう意味?
なんで、「仮言命法だ」って言えないの?
言えないものがなんで反論の根拠になるの?
「違うけどそれっぽいから、それってことでいいじゃん?」と言ってるようにしかみえん。
あなたの言っているのは、そんなアバウトな議論なんか?
>〜のためにはという条件によらず、純粋理性の要請にもとづく各人の自律的な道徳律が定言命法じゃなかった?
だから、その「純粋理性の要請」とやらに、合理的根拠がまったく無いって話をしてるの。
>すくなくとも「なんらかの集団に属したいなら」という条件のない場面(刑法や社会疎外の発生しない場合)でも、
>各人の自律的な道徳の存在の余地はあると思うが。
だから、それはつきつめれば単に個人の衝動(あるいはそれ(ら)を止揚したもの)でしかないでしょ。
177 :
迷いネコ :2011/04/13(水) 12:07:42.81 0
>>176 考える名無しさん
>だから、それはつきつめれば単に個人の衝動(あるいはそれ(ら)を止揚したもの)でしかないでしょ。
いや、人間が創り上げてきた「道徳・倫理・道義」などというような概念は、
突き詰めれば、人間が動物として生まれ持つ『本能』に起因するものではないでしょうかねぇ?
178 :
考える名無しさん :2011/04/13(水) 13:23:52.68 0
>>177 >いや、人間が創り上げてきた「道徳・倫理・道義」などというような概念は、
>突き詰めれば、人間が動物として生まれ持つ『本能』に起因するものではないでしょうかねぇ?
いや、人間が動物として生まれ持つ『本能』のようものは、
突き詰めれば、この世界が備える、『性質』に起因するものではないでしょうかねぇ?
179 :
迷いネコ :2011/04/13(水) 13:31:54.36 0
>>178 考える名無しさん
>いや、人間が動物として生まれ持つ『本能』のようものは、
>突き詰めれば、この世界が備える、『性質』に起因するものではないでしょうかねぇ?
しかし、「『この世界』を創り上げているのが人間である」以上は、
その『性質』も「人間が動物として生まれ持つ『本能』に起因している」と存じますが、いかがでしょう?
180 :
考える名無しさん :2011/04/13(水) 13:39:53.93 0
>>179 >しかし、「『この世界』を創り上げているのが人間である」以上は、
>その『性質』も「人間が動物として生まれ持つ『本能』に起因している」と存じますが、いかがでしょう?
しかし、「人間が動物として生まれ持つ『本能』」を創り上げているのがこの世界である以上は、
その『本能』も、「この世界が備える、『性質』に起因している」と存じますが、いかがでしょう?
181 :
迷いネコ :2011/04/13(水) 14:39:17.10 0
>>180 考える名無しさん
>しかし、「人間が動物として生まれ持つ『本能』」を創り上げているのがこの世界である以上は、
もし、その「この世界」が『自然・自然摂理』であるのならば、理解できますが、
>その『本能』も、「この世界が備える、『性質』に起因している」と存じますが、いかがでしょう?
しかし、このお話しの筋からいたしますと「この世界」は、我々が認識できる『人間社会』みたいなところでしょう?
であるならば、その「この世界が備える『性質』」も、
所詮は「人間が動物として生まれ持つ『本能』により創り上げられたもの」と、言えるのではないでしょうか?
182 :
考える名無しさん :2011/04/13(水) 14:45:45.59 0
>>176 仮言命法「的」ってどういう意味? なんで、「仮言命法だ」って言えないの?
いや、「命法仮言」ってはっきりいいきってもいいよ。「的」って言ったのに意味はないから^^。婉曲ではなく修飾語としての「的」です。
あなたの場合は個人⇔集団の問題とこれらの術後がごっちゃになってないですか?
>>仮言、定言の定義がさっぱりわからん
きちんとした解説書でもいいから勉強されるといいですよ^^私も専門家というわけではないのですが
「もし〜したければ(〜でありたければ)(仮言)〜せよ(命法)」と、
無条件に自己の自律的な理性の要請による「〜せよ(定言命法)」でとりあえずは十分でしょ。
183 :
考える名無しさん :2011/04/13(水) 14:46:18.78 0
>>176 その「純粋理性の要請」とやらに、合理的根拠がまったく無い
もちろん数学の公理・定義と同様に、もっと原理的な命題から合理的に演繹されたものではなく、これをもっとも原理的な公理(ここでは命法のかたちですが)として
立ててるわけですから。それ以上に合理的根拠を探っても無意味です。納得できないならそれまでです。ただ、仮言的としてはとらえきれないものもある現行の宗教道徳、刑法や刑事訴訟、社会慣習的道徳、
が依然として成立するには各人の理性による原理的な命法の存在が前提として不可欠、ということだと思います。
定言命法には形而上学のバックグランドがあり、これを批判するというのならわかりますが。
私もすんなり納得できるものだとは思ってません。
ただ、具体的な事例を挙げられると、考えさせられるものがあります・・・やっぱり措定せざるをえないのか?と。
経済活動においては功利主義、仮言命法、だけで十分かもしれませんが。
184 :
考える名無しさん :2011/04/13(水) 14:50:14.03 0
>>179 理性ではなく、「本能」を原理にすえて道徳をとらえるのもありだと思います。
生物学主義ってやつにあたると思います。私は「本能」は人間のほんの部分であり、それでは人間はとらえきれないと思います。
>>180 「世界」が備える性質
この場合、「世界」とはなにを指しているんでしょうか?物理的自然(宇宙空間と物質)のことでしょうか?
その意味では生命は物理法則にしたがっている、人間は生命原理にしたがっている、のは当然です。人間も物理法則に則って生きて死ぬ。
ただし、物理法則∍生命原理∍人間 にすぎない。要素として含むのは確かですが、それ以上の(ただし矛盾はしない)独特の原理をもっている、この人間特有の原理はなんだろうか?ってことでしょうか。
猫さんはそれを「本能」として考えてるわけですね。それも重要だと思います。単純な事例についてだけいえば原理になると思います。それだけでは汲みつくせない部分についてがよく文学的テーマになってるんじゃないでしょうか?
185 :
考える名無しさん :2011/04/13(水) 14:53:10.08 0
何を対象とするかで、物理法則∊生命原理∊人間 とすることもできそうです。 では。いつかまた。
186 :
考える名無しさん :2011/04/13(水) 14:59:20.98 0
>>181 >しかし、このお話しの筋からいたしますと「この世界」は、我々が認識できる『人間社会』みたいなところでしょう?
でも「人間が動物として生まれ持つ『本能』」は、その「我々が認識できる『人間社会』」の外にあるんじゃないですか?
仮に、このお話がそういった筋のものであるのであれば、
>>177 において、あなたは、あなた自身が推測した議論の範囲の外にまで遡及して
起因する元を追求なさっていることになると思いますが?
187 :
考える名無しさん :2011/04/13(水) 15:16:03.55 0
>>182 >いや、「命法仮言」ってはっきりいいきってもいいよ。「的」って言ったのに意味はないから^^。婉曲ではなく修飾語としての「的」です。
ほう、では、純粋な個人的衝動を仮言命法の形式で表現してみてください?
>あなたの場合は個人⇔集団の問題とこれらの術後がごっちゃになってないですか?
それはむしろ私があなたに対して言いたいですね。
あなたは、単なる形式に関してそれ以上の意味を持たせようとしている。
>「もし〜したければ(〜でありたければ)(仮言)〜せよ(命法)」と、
>無条件に自己の自律的な理性の要請による「〜せよ(定言命法)」でとりあえずは十分でしょ。
ああ、なるほど、定言命法という言葉の定義自体が、「理性」なんてものを内包してるわけですね。
その、「無条件に自己の自律的な理性の要請」って、
「自己の衝動を合理的に止揚したもの」とはどう違うのですか?
188 :
考える名無しさん :2011/04/13(水) 15:40:32.58 0
>>187 誤解のないようにいえば、私はカント派というわけではないです。
>>純粋な個人的衝動を仮言命法の形式で
「もし腹が減って飯が食いたいなら、働いて稼がねばならない」でもいいんじゃないですか?
>>定言命法という言葉の定義自体が、「理性」なんてものを内包してるわけですね
その通りです。理性が中心になってます。道徳などつきつめれば本来理性的なものではない、そもそも理性ってなんだよ?
なんでもかんでも理性で説明するのは問題じゃないか?という問いならわかります。
>>「無条件に自己の自律的な理性の要請」って、 「自己の衝動を合理的に止揚したもの」とはどう違うのですか?
これはむずかしいですね。無条件と定義してる時点で、自己の衝動とは切り離されてると思います。
「理性」などという代物のまえに、たんなる嫌悪感(ある種の反射的な衝動)などが元になってるんではないか?という疑問はありえると思います。
それを理性によって合理的に止揚させたものが、実は定言命法なるものの正体にすぎないんではないか?という指摘でしょうか?
道徳が問題となる事例のストックを一つ一つ検証してみないとわかりませんね。
189 :
迷いネコ :2011/04/13(水) 20:02:28.48 0
>>184 考える名無しさん
>理性ではなく、「本能」を原理にすえて道徳をとらえるのもありだと思います。
その理性も『本能』が基礎になっていると存じますよ。
>生物学主義ってやつにあたると思います。
ここでは「科学哲学」的に捉えたいと存じます。
>私は「本能」は人間のほんの部分であり、それでは人間はとらえきれないと思います。
いや、人間が人間たる所以である「意識・情動・概念・理屈・論理・道理」等々を創り上げているのは、
ほとんどが「その『本能』を基礎に」ではないのでしょうか?
190 :
迷いネコ :2011/04/13(水) 20:04:23.37 0
>>186 考える名無しさん
>>しかし、このお話しの筋からいたしますと「この世界」は、我々が認識できる『人間社会』みたいなところでしょう?
>でも「人間が動物として生まれ持つ『本能』」は、その「我々が認識できる『人間社会』」の外にあるんじゃないですか?
そうですねぇ、確かに「オリジナル」は、そうかも知れませんが、
しかし、それを基礎に『人間社会』が創られていると考えるのは妥当だと存じますが?
>あなたは、あなた自身が推測した議論の範囲の外にまで遡及して
>起因する元を追求なさっていることになると思いますが?
そんなことはないと存じますよ。
我々人間の「意識・情動・概念・理屈・論理・道理」等々を創り上げているのは「その『本能』を基礎に」だと存じますが?
191 :
考える名無しさん :2011/04/13(水) 21:07:41.16 0
>意識・情動・概念・理屈・論理・道理 情動はともかく、概念・理屈・論理・道理が本能とはどういう意味でか? 純粋数学や論理学はなんの本能?
192 :
酔っ払い :2011/04/13(水) 21:15:40.07 0
人が考える能力を得てから今まで沢山の人々が人間の在り方について考えてきました。 しかしながら、その答えは今も出ていません。それはなぜか? それは人間が日々変化し社会も変化しているからです。
193 :
考える名無しさん :2011/04/13(水) 23:02:34.49 0
>>人間が日々変化し社会も変化しているから そう、そして人間観は常に刷新していかなければならない・・ しかし人間の変わらない普遍的な部分についても答えは出てない・・ 「すべて本能」で話を済ますのは浅はか
194 :
迷いネコ :2011/04/14(木) 08:53:07.87 0
>>191 考える名無しさん
>概念・理屈・論理・道理が本能とはどういう意味でか?
いや、『本能』ではなく、「『本能』を基礎に」です。
>純粋数学や論理学はなんの本能?
まず、「自己満足『本能』」と「闘争・競争『本能』」、
そして、我々人間の発達した『前頭葉』が持つ「成し遂げようとする『本能』」です。
>>191 酔っ払いさん
>人が考える能力を得てから今まで沢山の人々が人間の在り方について考えてきました。
>しかしながら、その答えは今も出ていません。それはなぜか?
それは、おそらく「人間の『脳』が、そういうことを考えるようには『できていない』から」だと存じます。
195 :
迷いネコ :2011/04/14(木) 09:43:30.88 0
>>193 考える名無しさん
>「すべて本能」で話を済ますのは浅はか
まず、その『本能』を知らずして「人・人間・人間社会(人間界)」を語ることは「木を見て森を見ず」というようなところでしょう。
あと、「すべて本能」ではなく、「すべては『本能』を基礎に」です。
>そう、そして人間観は常に刷新していかなければならない・・
その「刷新」も「『本能』に立ち返り熟慮する」ことが重要なのですが、今現在まで、ほとんど行なってきておりませんね。
>しかし人間の変わらない普遍的な部分についても答えは出てない・・
いや、人間としての『本能(脳)』こそが「国、人種、宗教」等々を超越し『普遍的真理』に近づくことが可能なはずです。
>「すべて本能」で話を済ますのは浅はか
簡単に切り捨てる前に、少し「人の『脳』が持つ『本能・性質』」をお勉強してみて頂ければと存じます。
196 :
考える名無しさん :2011/04/14(木) 14:31:42.40 0
>そう、そして人間観は常に刷新していかなければならない・・ その「刷新」も「『本能』に立ち返り熟慮する」ことが重要なのですが、今現在まで、ほとんど行なってきておりませんね。 昔からある社会観・人間観のひとつですよ。それは。19世紀以降〜20世紀初頭くらいにはやったのでは? ダーウィニズムや遺伝学、脳科学を援用するのは重要だけど、科学的根拠という面からして根拠薄弱であらっぽいあてはめやカテゴリーエラー、比喩、 が多い。 慎重にじっくりいきましょう。どういう領域にはこういう議論が適用できるか、あるいはできないか。しっかりした根拠はあるのか。 >純粋数学や論理学はなんの本能? まず、「自己満足『本能』」と「闘争・競争『本能』」、 そして、我々人間の発達した『前頭葉』が持つ「成し遂げようとする『本能』」です それらの本能は他のほとんどの活動にも当てはまることでしょう。 そうではなくいろいろな活動の中でなぜ純粋数学や論理学、哲学、文学あるいは音楽などをわざわざ苦労しながらやってきたのか?生産性があるわけでもないのに。 これら人間特有の活動を支える本能とはなにか? 人間とは他の動物以上のなにかであり、それを本能という観点からとらえようとするなら、ここが問題ではないか?と。 他の動物にも当てはまる単純な本能は問題にならないと思います。それはわかりきっている。だからまだ動物に近い乳幼児には理屈ではなく「体」でしつけるようになっている。 そしてそういう動物的本能を制御することを覚えてヒトとなっていく。このレベルで問題おこしちゃうのは育ちが悪かったりせっぱつまったりで動物的本能が先にきちゃう場合でしょう。 では動物的本能を止揚させた先にあるヒトとは?伝統的には本能ではなく理性で特徴づけられてきたようですが、理性が本能によるとしたら、どんな本能か?難しすぎます。
197 :
考える名無しさん :2011/04/14(木) 14:42:17.50 0
>「すべて本能」で話を済ますのは浅はか 簡単に切り捨てる前に、少し「人の『脳』が持つ『本能・性質』」をお勉強してみて頂ければと存じます。 何年も生物学やってきた感想なんで、簡単に切り捨ててるわけではないです。 ただ、「人間」となると生物学や科学の手には負えない難しさが出てくるという実感です。 人間の動物的側面なら生物学でいう本能で十分でしょうが。 人文学や伝統的な哲学や芸術が死なない理由はここにあると思います。 教育問題にしても、人間にはこういう本能がある、だからこういう風にしつける、ということ? 「しつける」ってどういうこと?こどもの「本能」を制御するという意味なら、その本能制御の先にどんな人間や社会を見ているのか? 本能制御の先にあるものは本能で説明できるのか?また本能を発達させるという意味のしつけ?
198 :
迷いネコ :2011/04/14(木) 21:18:20.44 0
>>196 考える名無しさん <1/2>
>それらの本能は他のほとんどの活動にも当てはまることでしょう。
ということは、「すべては『本能』を基礎に」ということでよろしいでですね。
>そうではなくいろいろな活動の中でなぜ純粋数学や論理学、哲学、文学あるいは音楽などをわざわざ苦労しながらやってきたのか?
それが、我々人間の発達した『前頭葉』が持つ「成し遂げようとする『本能』故」でしょう。
>生産性があるわけでもないのに。
そうですね、もちろん、ご存知だとぞんじますが、我々の「成し遂げようとする『本能』」には、
そもそも、生産性はおろか、とくに「善悪・正誤」などというものは存在しておりませんのでね。
ただ『成し遂げようとする』だけですね。
>これら人間特有の活動を支える本能とはなにか?
ただ『成し遂げ、自己満足』する『本能』です。
199 :
迷いネコ :2011/04/14(木) 21:19:26.90 0
>>196 考える名無しさん <2/2>
>だからまだ動物に近い乳幼児には理屈ではなく「体」でしつけるようになっている。
ここが『条件付け・刷り込み』の重要ポイントですね。
>このレベルで問題おこしちゃうのは育ちが悪かったりせっぱつまったりで動物的本能が先にきちゃう場合でしょう。
ただ、どのように育ったとしても「社会にそぐわない」人間は存在いたします、それが『生物の多様性』でしょうかね。
>理性が本能によるとしたら、どんな本能か?難しすぎます。
そうでしょうか?
例えば、何かを『成し遂げ、自己満足』しようとするときに、
それが沈着冷静に思考しなければ「成し得ない」場合に『理性』生じるのではないでしょうか?
つまり、人間の『理性』は『成し遂げ、自己満足』しようとする『本能』の産物と言えるのではないでしょうか?
200 :
迷いネコ :2011/04/14(木) 21:22:37.44 0
>>197 考える名無しさん <1/2>
>何年も生物学やってきた感想なんで、簡単に切り捨ててるわけではないです。
>ただ、「人間」となると生物学や科学の手には負えない難しさが出てくるという実感です。
そうですか、では、少し「切り口」を変えてご覧になって頂ければと存じます。
>人文学や伝統的な哲学や芸術が死なない理由はここにあると思います。
そうですね、まだ『執着・こだわり』という大きなものが残っておりましたね。
>教育問題にしても、人間にはこういう本能がある、だからこういう風にしつける、ということ?
というよりも『自覚』だと考えております。
ようするに、己の『脳』は『成し遂げ、自己満足』するためのもので、そもそも「善悪・正誤」などというものは存在しないという『自覚』ですね。
したがって、何か行動を起すときは、沈着冷静に思考し、前後のことをよくシミュレーションしてから行動に移す。
というようなところでしょうかね。
201 :
迷いネコ :2011/04/14(木) 21:24:01.30 0
>>197 考える名無しさん <2/2>
>「しつける」ってどういうこと?こどもの「本能」を制御するという意味なら、その本能制御の先にどんな人間や社会を見ているのか?
>本能制御の先にあるものは本能で説明できるのか?また本能を発達させるという意味のしつけ?
私は、
「しつけ:己の情動(感情・衝動・欲求)をコントロールし、冷静に思考させ『社会性・協調性』を身に付けさせること」
というように考えております。
まぁ、「しつけ」イコール「『理性』を身に付けさせること」とも言えますね。
そうですねぇ、
「しつけ」は、己の『脳』は『成し遂げ、自己満足』するためのもので、そもそも「善悪・正誤」などというものは存在しない故、
そのことを『自覚』させ、何か行動を起すときは、沈着冷静に思考し、前後のことをよくシミュレーションしてから行動に移すように育てること。
というようにお考えになってみてはいかがでしょうか?
202 :
迷いネコ :2011/04/14(木) 21:25:47.33 0
>>196 考える名無しさん
ちょこっと、誤字、抜け字がございました、申し訳ございません・・・。
203 :
迷いネコ :2011/04/15(金) 18:21:09.69 0
>>175 酔っ払いさん
>世界中の人に他人に迷惑のかかる行為をやめさせるには、どうすればいいのかが知りたい。
>人が成長する上で刷り込まれなければばならないルールとは何でしょう。
「しつけ」すなわち『条件付け・刷り込み』を施す中で、基本的に、人間の『脳』は『成し遂げ、自己満足』するためのもので、
そもそも「善悪・正誤」などというものは存在しない故、そのことを『自覚』させ、何か行動を起すときは、沈着冷静に思考し、
前後のことをよくシミュレーションしてから行動に移す、ということが身に付くように育てる。 ということではないでしょうか?
>>192 >それは人間が日々変化し社会も変化しているからです。
その「基礎」が創れていれば「社会の変化」にも影響を受けることが少ないでしょう。
204 :
考える名無しさん :2011/04/15(金) 19:38:05.31 0
>>188 >「もし腹が減って飯が食いたいなら、働いて稼がねばならない」でもいいんじゃないですか?
その例で言うなら「衝動」は、「腹が減って飯が食いたい」(空腹を満たしたい)だと思いますが。
「働いて稼がねばならない」という部分まで「衝動」と呼ぶのはおかしくないですか?
>その通りです。理性が中心になってます。道徳などつきつめれば本来理性的なものではない、そもそも理性ってなんだよ?
>なんでもかんでも理性で説明するのは問題じゃないか?という問いならわかります。
というか、「仮言」の対概念として設定するには「定言」の定義に余計な要素を入れすぎじゃないのか?
「仮言」の定義は非常にシンプルでわかりやすいのに、なぜ、
「定言」の定義はそのシンプルな定義を単に逆転させたものではいけないのか?
という疑問があります。
>これはむずかしいですね。無条件と定義してる時点で、自己の衝動とは切り離されてると思います。
すいません、ぜんぜん意味が理解できないです。
「無条件と定義してる」ということが、どういう論理でその結論に結びつくのですか?
>「理性」などという代物のまえに、たんなる嫌悪感(ある種の反射的な衝動)などが元になってるんではないか?という疑問はありえると思います。
>それを理性によって合理的に止揚させたものが、実は定言命法なるものの正体にすぎないんではないか?という指摘でしょうか?
そもそもの前提として、「原因」と「根拠」は別物だ、ということを了解していただきたいと思います。
「元になっているものがなんなのか?」というのは「原因」です、それを探り始めると宇宙の原理にまで遡及しなければならないでしょう。
私はそういった原因のあてっこがしたいわけではありません。
どうもそのあたりで最初(
>>168 以降)から根本的に議論が噛み合ってないのかもしれません。
>>168 で私が言いたかったのは、人間の行動を決める基準として、損得以外の要素を持ち込むことの
「方法としての非妥当性」を問題にしているのであって、
道徳や命法に関する何かの「原因」が「損得」だといった話をしているわけではありません。
205 :
迷いネコ :2011/04/15(金) 22:05:39.11 0
>>204 考える名無しさん
>「働いて稼がねばならない」という部分まで「衝動」と呼ぶのはおかしくないですか?
それは、『条件付け・刷り込み』と呼ぶものです。
>「元になっているものがなんなのか?」というのは「原因」です、それを探り始めると宇宙の原理にまで遡及しなければならないでしょう。
おそらく「宇宙の原理にまで」遡及しなくとも、
>>188 >「理性」などという代物のまえに、たんなる嫌悪感(ある種の反射的な衝動)などが元になってるんではないか?という疑問はありえると思います。
生物学的に考え、その『本能』から、こちらの「嫌悪感(ある種の反射的な衝動)」の謎は解けると存じます。
つまり、我々人間には、他の群れ成す「ほ乳類」と同様に『むやみに同種を傷付けたり、殺したりしない』という遺伝子上のプラグラムが有り、
そのプログラムに反するような「光景・情景」を目の当たりにすると、人は「嫌悪感(ある種の反射的な衝動)」的な感情を抱くと考えられます。
ですので、
>人間の行動を決める基準として、損得以外の要素を持ち込むことの
>「方法としての非妥当性」を問題にしているのであって、
その「人間の行動を決める基準」には『本能』という「損得以外の要素」が、大きく関わっていると言えるでしょう。
206 :
酔っ払い :2011/04/15(金) 22:42:58.35 0
>そもそも「善悪・正誤」などというものは存在しない故、そのことを『自覚』させ、何か行動を起すときは、沈着冷静に思考し、 >前後のことをよくシミュレーションしてから行動に移す、ということが身に付くように育てる。 ということではないでしょうか? >その「基礎」が創れていれば「社会の変化」にも影響を受けることが少ないでしょう。 この「基礎」の部分が大事で一歩間違えたら独裁者を生みそうです。 「嘘をつかない」、「人の物を盗らない」など行動を規制するよりも 「こうしたら、こうなる。」ということを教えなければならないということになると思うのですが
207 :
考える名無しさん :2011/04/15(金) 23:02:10.88 0
>>205 >それは、『条件付け・刷り込み』と呼ぶものです。
意味がさっぱりわかりません。
仮にそうだとして、どうなるんですか?
>生物学的に考え、その『本能』から、こちらの「嫌悪感(ある種の反射的な衝動)」の謎は解けると存じます。
生物にその本能がなぜ備わっている原因は不明なままですね?
>その「人間の行動を決める基準」には『本能』という「損得以外の要素」が、大きく関わっていると言えるでしょう。
人間の実際の行動の「原因」に関してはそうでしょうね。
でも、
>>204 で申し上げたとおり、
私はその点に関して何か論じるつもりは最初からありません。
208 :
考える名無しさん :2011/04/15(金) 23:16:32.24 0
幸福救済の科学哲学の物理学心理学天文学解脱実現党発表開始!?♪。
209 :
考える名無しさん :2011/04/16(土) 00:30:43.82 0
>>204 「もし腹が減って飯が食いたいなら、働いて稼がねばならない」でもいいんじゃないですか?
その例で言うなら「衝動」は、「腹が減って飯が食いたい」(空腹を満たしたい)だと思いますが。
「働いて稼がねばならない」という部分まで「衝動」と呼ぶのはおかしくないですか?
いや、「命法〜しなければならない」の部分はたんに命令・義務の表現であって衝動ではないし、そうも言ってないですよ。その条件・目的である「仮言〜ならば」の部分が衝動からくるものでもありうるわけです。
>>損得以外の要素を持ち込むことの 「方法としての非妥当性」を問題にしているのであって
ですから、「そういう損得があるために〜しなければならない」というタイプの道徳は仮言的で功利主義的であり、
こういったタイプの道徳にはそれ以上の(たとえば定言的命法のような)余計な道徳観念は不要かもしれません、そういうものを持ち出す弊害もある、とは述べました。その点ではあなたと同じです。
あなたとの対話はそこまでで十分成立したと思います。それ以上の話は無視していただいても結構です。
210 :
考える名無しさん :2011/04/16(土) 00:32:17.25 0
>>「仮言」の対概念として設定するには「定言」の定義に余計な要素を入れすぎじゃないのか そうですね。まず道徳には条件・目的を満たすための義務(純粋な意味での道徳ではなく条件によって相対的な道徳)というタイプの仮言命法があり、一方でその対概念として無条件で純粋なタイプの道徳(定言命法)がある、という構図は まあなっとくできるんじゃないでしょうか。いや、全部つまるところ仮言命法だろ、もいいと思います。 ここで、カントがこの定言命法に対概念という以上のいろんな意味を付加してる点は疑問がある、というのはそうですね。 「理性」というものへの信頼でしょうか。このへん時代性、西欧性が感じられます。 世界認識に関しては理性には限界があるとしながら、道徳にかんしては理性を信頼している(理性に純粋な定言命法的道徳の成立根拠を仮託してる)、おかしい、腑に落ちない、 それはわかります。 定言命法というとカントの定義が付加されちゃうんで、仮言命法でない純粋な道徳、ということにすると、 「仮言命法でない純粋な道徳」はたしかにある(あるいはなければならない)、とすれば、その根拠はなんなのか?を問い直すというところでしょうか。
211 :
考える名無しさん :2011/04/16(土) 00:34:51.81 0
>>204 >>「元になっているものがなんなのか?」というのは「原因」です、それを探り始めると宇宙の原理にまで遡及しなければならないでしょう。
>>「原因」と「根拠」は別物だ、ということを了解していただきたい
定言のほうはその定義から、それ以上さかのぼれる原因はない(理性うんぬんはのぞいて、たんに仮言の対概念としての無条件的道徳ということ)。つまりそれ自体がほかの道徳や義務の原因または根拠になりうる根本原理ということです。
この場合理性は純粋な道徳成立の「根拠」とされてますね、ここが疑問にもなるわけですね。根拠と原因の使い分けをすればこうなる。
さて、>>無条件と定義してる時点で、自己の衝動とは切り離されてる
が意味不明ということですが、衝動は「仮言でないほうの純粋道徳」の原因ではまずないですね。原因なしが定義ですから。
一方で衝動が「仮言でないほうの純粋道徳」の根拠でありうるかどうか、それはここで理性概念を除いておりますのでありえるんじゃないでしょうか。
定言命法の定義自体には理性が入っておりそちらが根拠とされておりますので、その定義からして「衝動」からは切り離された道徳だということです。
その点は、理性に加えて(理性も純粋道徳の根拠としてまた捨てがたいです)、「嫌悪感(ある種の反射的な衝動)」などが「仮言でないほうの純粋道徳」の根拠でありうるかもしれないと先に申しました。
倫理学に詳しい方のつっこみ、批判、補足がいただければ勉強になりますので歓迎です。
212 :
考える名無しさん :2011/04/16(土) 01:04:45.74 0
>>211 >>「嫌悪感(ある種の反射的な衝動)」などが「仮言でないほうの純粋道徳」の根拠でありうるかもしれない
仮言命法では、本質は〜ならばの条件のほうにあり、そのための義務であるといえる。
一方「そうでない純粋道徳」はその義務内容自体が自立的な本質である。
そういう意味での道徳の分類。
では衝動による個人の道徳はどうかというと、これも仮言命法にあてはまる。なぜなら衝動が個人の自律的な道徳の原因ととることが可能となるから。そして集団を離れた個人的な道徳を
衝動によって基礎づけると仮言命法の対概念としての定言命法(理性はおいといても、その義務そのもの以上の原因にはさかのぼれないものなので)は意味がなくなるだろう。
213 :
考える名無しさん :2011/04/16(土) 01:20:56.85 0
>>209 >いや、「命法〜しなければならない」の部分はたんに命令・義務の表現であって衝動ではないし、
>そうも言ってないですよ。その条件・目的である「仮言〜ならば」の部分が衝動からくるものでもありうるわけです。
単に、「命令・義務の表現」であるからこそ、衝動をそう呼んでもかまわないと思うのですが。
つまり、「衝動ではない」と規定するような要件は含まれていないのではないですか?
「飯が食いたい」という衝動は、つまり、「飯を食え」という命令ですよね?
これをその形式から定言と呼んでいけない理由がありますか?
>ですから、「そういう損得があるために〜しなければならない」というタイプの道徳は仮言的で功利主義的であり、
>こういったタイプの道徳にはそれ以上の(たとえば定言的命法のような)余計な道徳観念は不要かもしれません、
>そういうものを持ち出す弊害もある、とは述べました。その点ではあなたと同じです。
>あなたとの対話はそこまでで十分成立したと思います。それ以上の話は無視していただいても結構です。
どうもその「弊害「も」ある」、といったあたりがよくわからない。
損得を超えたところに評価基準を持ち出すのであれば、「弊害もある」という話は出てこないはずなんですね。
つまり、損得と無関係に、なおかつ無条件に「〜しろ」とする「定言的な命令」というものの存在を許容するのであれば、
それは、それに従うこと、それ自体が目的であり、意義であり意味であって、
それに従っている限りは、いかなる批判もしようが無いと思うのですが?
>>210 >「仮言命法でない純粋な道徳」はたしかにある(あるいはなければならない)、とすれば、その根拠はなんなのか?を問い直すというところでしょうか。
仮言命法に関しては、だいたい齟齬がないようなので、ほぼ、それで、おそらくいいと思います。
ただ、「道徳」という言葉に関しては、まだ私の知らない前提が含有されているような気がします。
>>211 >定言のほうはその定義から、それ以上さかのぼれる
>原因はない(理性うんぬんはのぞいて、たんに仮言の対概念としての無条件的道徳ということ)。
>つまりそれ自体がほかの道徳や義務の原因または根拠になりうる根本原理ということです。
あれ、「原因」という言葉の意味もすれ違ってますかね?
私の理解では、「原因」は「(命令に従うべき)根拠」にはなりません。
具体的な例でいうと、誰かが私に「千円払え」と命令したとしますよね?
で、もちろん、その人には、そういう命令を出した事情があると思います。
私に千円分の商品を渡したのかもしれませんし、
カツアゲしようとしてるのかもしれません。
「原因」としては、どちらもありえます。
しかし、これらの原因によって、そういった命令が発せられるということが
(人間と言う装置のメカニズムとして)妥当であるということと、
私が、その命令に従うことの妥当性は別の問題です。
仮に、定言が、原因に「過ぎない」のであれば、それを「原因」として発せられた
命令(道徳、義務)に、従うべき「根拠」にはなりません。
単に、そういった命令が発せられることの蓋然性を説明しているだけです。
215 :
迷いネコ :2011/04/16(土) 12:57:14.86 0
>>206 酔っ払いさん
>>その「基礎」が創れていれば「社会の変化」にも影響を受けることが少ないでしょう。
>この「基礎」の部分が大事で一歩間違えたら独裁者を生みそうです。
大丈夫ですよ、みなが同じ「基礎」を持つ訳ですから、そういう「流れ」にも、なりにくくなるはずです。
>「嘘をつかない」、「人の物を盗らない」など行動を規制するよりも
>「こうしたら、こうなる。」ということを教えなければならないということになると思うのですが
そうですね、頭ごなしに「善悪」を教えるのではなく、シミュレートさせて、
「『嘘をつく・人のものを盗る』ということを『本能』に照らし合わせて(ここが「善悪・正誤」になるのですが)判断できるようにする」
ということが重要でしょう。
あと、
「世の中には、嘘をつく・人のものを盗る・人を傷付ける(故意に)・人に暴力を振るう・人を殺す、という『人間が存在する』」
ということも教える必要があるでしょうね。
216 :
迷いネコ :2011/04/16(土) 13:11:01.31 0
>>207 考える名無しさん
>>それは、『条件付け・刷り込み』と呼ぶものです。
>意味がさっぱりわかりません。
>仮にそうだとして、どうなるんですか?
そうですね、これが理解できれば「人、人間、人間社会、人類」というものも理解できるようになってまいります。
>生物にその本能がなぜ備わっている原因は不明なままですね?
いや、その原因は『必然性』でしょう。
>>その「人間の行動を決める基準」には『本能』という「損得以外の要素」が、大きく関わっていると言えるでしょう。
>人間の実際の行動の「原因」に関してはそうでしょうね。
>でも、
>
>>204 で申し上げたとおり、
>私はその点に関して何か論じるつもりは最初からありません。
>>>人間の行動を決める基準として、損得以外の要素を持ち込むことの
>>>「方法としての非妥当性」を問題にしているのであって、
こちらでしょうか?
そうですね、人間社会において「損得」で行動する人間が、確かに多く存在しますね。
しかし、その「損得」は、人間の総概念からすると一部でしかなく、それも単なる『条件付け・刷り込み』に過ぎませんよ。
それに、その「損得」の概念を創り上げているのは『本能』です。
ここで前にも申し上げておりますが、「我々人間が抱く『概念的なもの』は、すべて『本能』に起因している」のです。
したがって、人間の行動を決める基準として『本能』という要素を考えるのは、しごく妥当なことだと存じます。
お前ら話が難し過ぎるだろww ちくしょうワカラねえw 独裁について、独裁は別に悪い事じゃ無いと思いますね。従う方が悪い。 例えば武力独裁したとしても、抗うだけの力が無いのが悪い。 死にたくないから逆らわないというのなら、それは逆らわない自分が悪いのですよ。 ソクラテスは、より善く生きるために、あえて処刑を選びました。 覚悟さえあれば、人はどんな者にも従わずに…つまり、誰かの独裁を受けれず、 己自身を導いていけるのです。その覚悟を持てない事を、他人のせいにするのは滑稽でしょう。
>>216 >そうですね、これが理解できれば「人、人間、人間社会、人類」というものも理解できるようになってまいります。
仮にそのとおりだとして、そのことが私の発言と何か関係があるのでしょうか?
>いや、その原因は『必然性』でしょう。
すいません、日本語として意味がわからないのですが?
>しかし、その「損得」は、人間の総概念からすると一部でしかなく、それも単なる『条件付け・刷り込み』に過ぎませんよ。
〜
>したがって、人間の行動を決める基準として『本能』という要素を考えるのは、しごく妥当なことだと存じます。
人間が「何故そう行動するのか」を考えるならそうなのかもしれません。
でも私はそのことには関心がありません。
219 :
迷いネコ :2011/04/16(土) 18:34:30.01 0
>>218 考える名無しさん
>仮にそのとおりだとして、そのことが私の発言と何か関係があるのでしょうか?
つまり、「『人、人間、人間社会、人類』というものも理解できるようになる」というのは、
あなたの仰る「損得」などという概念は、人間の総概念からすると一部でしかなく、
それも単なる『条件付け・刷り込み』に過ぎない、ということが解り、
そして、その「損得」の概念を創り上げている原因は『本能』であり、
「我々人間が抱く『概念的なもの』は、すべて『本能』に起因している」ということが理解できるようになる、ということです。
ようするに、人間の行動を決める基準として『本能』という要素を抜きに語ることができない、ということが理解できるのです。
>>いや、その原因は『必然性』でしょう。
>すいません、日本語として意味がわからないのですが?
>>>生物にその本能がなぜ備わっている原因は不明なままですね?
ようするに、今現在、種として存続できている訳ですから、
種を存続するために必要な要素を『本能』に備えていたものが生き残っている、ということです。
>人間が「何故そう行動するのか」を考えるならそうなのかもしれません。
>でも私はそのことには関心がありません。
そうですか・・・。
>>219 >ようするに、人間の行動を決める基準として『本能』という要素を抜きに語ることができない、ということが理解できるのです。
仮に、「我々人間が抱く『概念的なもの』は、すべて『本能』に起因している」としても、
人間の行動を決める基準として『本能』という要素を抜きに語ることができないとは思えません。
人間の行動を決める基準として『本能』という要素を抜きに語ると、具体的にどういった不都合があるのですか?
>ようするに、今現在、種として存続できている訳ですから、
>種を存続するために必要な要素を『本能』に備えていたものが生き残っている、ということです。
そのことが何か私の発言と関係あるのでしょうか?
221 :
迷いネコ :2011/04/16(土) 19:41:24.41 0
>>220 考える名無しさん
>人間の行動を決める基準として『本能』という要素を抜きに語ると、具体的にどういった不都合があるのですか?
そうですねぇ、
動物である人間の行動を語るときに『本能』を外した場合「不都合」というよりも、そのお話しに、はたして本質的な意味があるのでしょうか?
と、思うのですが・・・。
>そのことが何か私の発言と関係あるのでしょうか?
エ !?
>>>生物にその本能がなぜ備わっている原因は不明なままですね?
と、仰ったので、
>>ようするに、今現在、種として存続できている訳ですから、
>>種を存続するために必要な要素を『本能』に備えていたものが生き残っている、ということです。
このように、お答えしたのですが・・・。
>>221 >動物である人間の行動を語るときに『本能』を外した場合「不都合」というよりも、そのお話しに、はたして本質的な意味があるのでしょうか?
>と、思うのですが・・・。
「人間の行動全般」について語ろうとしているのであるならば、そうかもしれませんね。
しかし、私の発言にはそういう意図はありません。
>>221 >と、仰ったので、
>このように、お答えしたのですが・・・。
ああ、そういうお話ですか。では改めてレスすると、
それでは、本能が「現存している」理由は説明できても、「発生した」理由は説明できませんね。
例えば、絶滅した生物にも本能はあったはずですよね?
224 :
考える名無しさん :2011/04/16(土) 21:40:45.25 0
>>213 すこしずつレスしたいと思います。
>>つまり、「衝動ではない」と規定するような要件は含まれていないのではないですか?
「飯が食いたい」という衝動は、つまり、「飯を食え」という命令ですよね?
これをその形式から定言と呼んでいけない理由がありますか?
仮言命法として出してた例えが適切ではなかったですね。すいません。
しかし飯を食え、は道徳ではないからこれもあんまり良い例ではない・・。
でも言いたいことはわかりました。仮言的な条件のない道徳的な言説で、衝動的な(非理性的な)「妥当性」ってもんがものもありうるだろう、
即定言的ではない、とは言えないのでは?ということですね。純粋道徳の妥当性を理性だけにゆだねることはない、衝動を避けろうとするのはおかしいということでしょうか?
そうであればおっしゃるとおり。
「道徳とは何か?」は仮言命法的に言える道徳についてはいいとして(条件部分についての政治的経済的利害の対立問題などをのぞいて)、定言命法はほんとに議論が尽きないし、問題点が多い。道徳問題の肝はここにありそうだと思います。
私も素人ですし至らないところ多いですが、こういう議論の方向にもちこめてよかったと思ってます。一緒に考えていきましょうや。
225 :
考える名無しさん :2011/04/16(土) 21:49:00.26 0
>>損得を超えたところに評価基準を持ち出すのであれば、「弊害もある」という話は出てこないはずなんですね >>それに従っている限りは、いかなる批判もしようが無いと思うのですが? まさに本質を突いておられると思います。正直言ってカントが定言命法とやらをもちだしたのも当時のキリスト教教会の教義への配慮もあるのではないか? そういう教義の妥当性の余地をのこしつつ、哲学(理性)によってそういうタイプの道徳をも需要しようとしたのでは。 しかし定言的命法や功利主義的基準も道徳として確固としてあるわけですから、それと矛盾対立する定言命法とやらがあると その「定言命法」だけみれば問題はなく批判もなくとも、社会全体や個人の権利としてはどうなんでしょうか。 また、古い定言命法的道徳と公権力や集団道徳の横暴との結びつきもある。 絶対なので批判もできない。 これが条件なしの絶対的な道徳まかりとおりつづけるのはまずいということだったのでは。個人の自由・権利の余地も残しておく意味もあって、 定言命法に個人の「自律的な」道徳という意味も付加されてきたんでしょう。 そういう意味あいをはずして現代的にもう一度定言命法的道徳を考え直しましょうか。
226 :
考える名無しさん :2011/04/16(土) 22:35:59.77 0
とにかく道徳的命法の例を挙げていって、 それが定言的か、仮言的か、検討してみる。 そして、定言的としか言いようがないものについて(〜〜のためにという条件なしにというくらいの意味)、その妥当性の由来を検討する。 まずはそこからやりませんか?めんどうなら別にいいですが。
227 :
考える名無しさん :2011/04/16(土) 23:44:56.66 0
>>214 別に言うほどの齟齬もないと思いますが。根拠と原因については。
>>定言が、原因に「過ぎない」のであれば、それを「原因」として発せられた
命令(道徳、義務)に、従うべき「根拠」にはなりません
そうです。だれか他者のつくった定言命法(しかも法律になってたとする)は、
あなたの行為の原因にはなりえますが、妥当性のある根拠になりえる保証はありません。
ですから、各人にとって行為の妥当な根拠としての定言命法であるには、
その定言命法は各人の自律的理性にかなうものでなければならないのではないか?というひとつの提言だと思います。
228 :
考える名無しさん :2011/04/17(日) 00:10:13.99 0
>>227 なお、単に「定言」(無条件、これ以上さかのぼれない言説)という意味しか考慮しないならば
それが原因となってほかの言説や行為が起こり得ますが、その命法に妥当な根拠は保障されませんよね。原因でしかないわけで。
ですから、単に仮言の対概念としてだけでなくもう少しよくこの定言命法のありかたについて考える必要があるのでは。
個人の「衝動」からの定言命法は(原因とはなっても)行為の妥当な根拠となりうるでしょうか。
それから、単に命令文と行為ではなく、道徳的命令と道徳的行為の文脈で例を出した方が適切に思えます。
229 :
考える名無しさん :2011/04/17(日) 04:50:25.10 0
あんまり科学哲学の話してないなw
230 :
迷いネコ :2011/04/17(日) 08:13:02.64 0
>>223 考える名無しさん
>例えば、絶滅した生物にも本能はあったはずですよね?
それらの生物には「環境の変化に対応し、適応していくために必要な『本能』が足りなかった」ということでしょう。
それが絶滅の『必然性』ですよね。
231 :
考える名無しさん :2011/04/17(日) 12:00:48.96 0
「本能」を原理として語るのも全然オッケーだと思います。
ともかくどこまでのことを、どのくらいの範囲まで、どのくらいの精度で
語れるかというところでしょう。
ここに難点があれば説得力は薄くなるし、これらの説明に威力を発揮していればみんなある程度は
納得するわけです。いまのとこはまだ。
>>224 でも言いたいことはわかりました。仮言的な条件のない道徳的な言説で、衝動的な(非理性的な)「妥当性」ってもんがものもありうるだろう、
むしろ、おっしゃりたかったのは定言は衝動的でもありうるとして、そういう衝動的な命法には妥当性がない、ということだったんでしょうか?
それでしたら、
>>227 と
>>228 のレスのほうが適切だったかもしれません。
本能が足りないから絶滅、というのは少し違うと思いますね。 種は、存続しようとするから残ります。そこに意味も価値もありません。 存続しようとしないなら消えますし、環境の変化で存続できない事もあります。 そして、本能とは、先天的に与えられるものです。 それは同一性は無く、ただ近似性だけがあります。 ただ似ているだけの物を原理とするなら、その原理ははなはだ不確かな物と言えるでしょう。
233 :
考える名無しさん :2011/04/17(日) 19:35:48.74 0
>>232 まあ普通はそう考えますわな。猫氏の企ては部分的にはいいですし有意義ですが、
本能=人間原理とするのはかなり粗い。
ただ近似性だけ、というより、近似性のあるもの、ほとんど共通のもの、本能を包括・止揚した本能以上の特質、
ということでしょうか。動物の本能からの近似で人間をあいまいに語るのではなく、人間だけの本能を知ってそこから語るにしても、
人間は語りつくせないでしょう。自然的側面についてもこうなのですから。
本能⇒行動、思考のような自然の因果とは別次元の問題もあります。世界=自然界のみ(人間も含む)とするならこういう問題もないでしょうが、こと人間に関しては
それだけではとらえられない観点・側面が多分にあるでしょう。
>>224 ひとおり読みました。
丁寧にレスいただいたところ恐縮ですが、おっしゃることには同意できるところもできないところもあります。
そもそも、あなたが、どういった論点で議論をなさろうとしているのかが私にはわからなくなってきました。
ので、とりあえず、他の部分の是非は棚上げしておいて、
主要と思われる質問にだけお答えしようと思います。
私の主張があなたの中で明確になれば、おのずと、
あなたの議論の中での私の主張の位置づけも明確になってくると思われますので。
>>224 >仮言的な条件のない道徳的な言説で、衝動的な(非理性的な)「妥当性」ってもんがものもありうるだろう、
>むしろ、おっしゃりたかったのは定言は衝動的でもありうるとして、そういう衝動的な命法には妥当性がない、ということだったんでしょうか?
いえ、衝動しか定言足り得ないということです。
ここでいう「定言」というのは、あなたの定義とは異なる、私の勝手な定義かもしれません。
つまり、道徳や理性といった要素を全て除外した、
「それ以上さかのぼれる根拠の無い、他の命令の根拠足りうる命令」
というだけの定義です。
ですから、あなたの定義においては、同じ意味のことを厳密に表現しようとすると、
言い方を変える必要があるのかもしれません。
>>230 いえ、そういうことが言いたかったわけではないのですが・・・
どうも例えがよくなかったようです。
いずれにしても、絶滅した生物にしろ、現存する生物にしろ、
その本能が「発生した」原因の説明にはなってませんね?
あなたは「現存している理由」「現存していない理由」を説明しているだけです。
237 :
考える名無しさん :2011/04/17(日) 20:58:27.20 0
>>235 レスありがとうございます。私も自分で勉強というか、考えを整理していきたいな、と思っております。
あなたのご指摘も勉強や再考のきっかけとなり、感謝しております。
それから、定言と仮言だけで道徳の議論をしようとしたこともちょっと失敗でした・・
これらは「道徳」というおおきな問題を分析する上での一つの切り口にすぎなかったはずなのにもかかわらず。
また仮言や定言にこだわるあまり本筋の「道徳問題」から遊離することもあり・・
私の知識の浅さ・議論の仕方やコミュニケーションのとりかたの未熟さゆえです。
残りの気になる点は指摘してくださって結構ですし、スルーしちゃってもかまいません。
238 :
酔っ払い :2011/04/17(日) 21:11:52.75 0
今、人類が絶滅したら次に知恵を得て地球を支配するのはネズミでしょうか? 私は人類が特別な存在とは思いません。 たまたま考える能力を得て他の種よりも優位に居るだけだと・・・ その、考える能力もまだまだ発展の途中であり進歩の途中だと考えます。 もう少し本能と理性を上手く使い分けるようになれると・・・ 私も人類なので此の種がこれからも安泰であることを望みます。 そのためには、現在のような人が人を殺すような社会は望ましくないと考えます。 もう少し社会性を理性的に理解させるような教育が必要だと思います。 近い将来、人類が宇宙へ進出し他の星の生物と交流を持つようになったとき 恥ずかしくない社会であって欲しいともいます。 難しい話は良く分からないので、皆さまよろしくお願いします。
239 :
考える名無しさん :2011/04/17(日) 23:31:42.90 0
240 :
考える名無しさん :2011/04/18(月) 00:05:57.36 0
科学哲学の内容を勉強するよねー!?♪。
241 :
考える名無しさん :2011/04/18(月) 00:33:46.94 0
>>235 功利主義者だと考えれば腑に落ちるんだがなあ。
衝動、欲求、快楽、苦痛の追及や回避が人間の道徳や行動の目的であり、
知性・理性はその実現のための道具以外の意味は持たない。
また、人間にも道徳にも行動にも衝動、欲求、快楽、苦痛の追及や回避以外の意味はない。
かみ合わんはずだ・・人間も道徳も理性もそれらに加えて、それ以上の存在でもあるという前提で話してたから。
そりゃ仮に定言命法(これは功利主義ではなくカントの用法だけど)があるとするなら、それは衝動、欲求、快楽、苦痛などを表現したものでしかない。理性はない。
仮言命法は、そういう衝動、欲求、快楽、苦痛回避を実現するために何をしなければならないか、という義務の表現ととれる。
ここでは知性・理性は目的のための手段を探る道具以上の意味はない。
>>241 一応、パースの「我々の観念を明確にする方法」に大きな影響を受けていますが、
「功利主義者か?」と聞かれて、Yesと答えるには躊躇するところがあります。
私は、その後のジェイムズなどの著作は読んでいませんせんし、
パースとジェイムズ、そして、プラグマティズムの
訳語としてあてられた功利主義という言葉についての一般的な理解、
この三者の間に、それぞれ少なからぬ食い違いがあるらしいということも
知っているからです。
>>241 >かみ合わんはずだ・・人間も道徳も理性もそれらに加えて、それ以上の存在でもあるという前提で話してたから。
一応、私の最初の発言、
>>168 >>170 は、正に、そういったことを直接批判しているつもりだったのですが。
244 :
迷いネコ :2011/04/18(月) 17:56:08.62 0
>>231 考える名無しさん
>ともかくどこまでのことを、どのくらいの範囲まで、どのくらいの精度で
>語れるかというところでしょう。
そうですね、基本的には、多くの人間が『本能・脳』を理解できるようになれば、
生活環境の変化が激しい現代社会においても、その環境に合わせて『本能』を起動してゆけば『人類の平和な未来』が訪れる、
と、考えておりますが、なかなか説明が難しいですねぇ・・・。
>>232 考える名無しさん
う〜ん、確かに「哲学的」には、そんなところなのですけれど・・・。
>ただ似ているだけの物を原理とするなら、その原理ははなはだ不確かな物と言えるでしょう。
しかし、『成し遂げ、自己満足しようとする』のは「似ている」以上のものだと存じますよ。
245 :
迷いネコ :2011/04/18(月) 17:57:14.83 0
>>233 考える名無しさん
>まあ普通はそう考えますわな。猫氏の企ては部分的にはいいですし有意義ですが、
ありがとうございます、「企て」そんな大層なものでもないのですがね・・・。
>本能=人間原理とするのはかなり粗い。
そうでしょうか、『成し遂げ、自己満足しようとする』のは、人間の行動原理だと思いますよ。
>>236 考える名無しさん
>その本能が「発生した」原因の説明にはなってませんね?
確かにねぇ・・・。
しかし、それを探求したとてあまり意味もなさそうですし、「在るものは在る」で良いのではないですか?
246 :
考える名無しさん :2011/04/18(月) 18:25:19.44 0
>>243 まあしかたないです。お互いの前提としている観念や前提がみえないものですから。
功利主義といいきるには躊躇する、ということからちょっと立場がみえないので、
議論の方向性がみえませんからこのへんにしときましょう。
わたしは、自己や他者の人間の尊厳、基本的人権、その他無条件的で基本的な道徳法則というものを衝動、欲求、快楽、苦痛回避
だけでないところから基礎づける可能性、という意味で道徳の話をしたい、というところでしたが。
これら人間の心理的「傾向性」だけで基礎づけようとするのも多くの場合はできますが、グロテスクで受け入れがたい例もでてくるんじゃないかというだけです。
現実社会についてもです。「それがどうした?そのグロテスクさが人間の本質だろうが。それ以外の人生や人間の意義はねえ」というよりも、人
間にはもっと可能性はあるのではないかというだけ。考えてもしょうがないでしょうかね。
>>プラグマティズムの
訳語としてあてられた功利主義という言葉
私もジェームズは読んでないんですが、功利主義はプラグマティズムの中に要素として含まれるということではないでしょうか。
プラグマティズムは倫理面の関しては功利主義を採っているでまちがいはないですが、
プラグマティズム=功利主義ではないですから、そんな訳語があるとしたらおかしいですよね。
それから、あなたの問題意識とは関係ないかもしれませんが、道徳問題は自然主義的な心理観でとらえられる領域(感性界、自然界)とそうでない領域があるということでは。
脳研究、認知科学、実験心理学などが扱うべき領域と、カテゴリーのちがうそれらが踏み込めない領域がある。後者などないとするか、あるかないかしらないが
これらの学問の術語の範囲外なので学問的には無視するというところでしょうか。自然現象(またはその延長としての心理という立場)とちがって、倫理の問題は扱いにくい・・
247 :
考える名無しさん :2011/04/18(月) 19:20:53.70 0
>>246 >>グロテスクで受け入れがたい
これは不適切な言い方だったかもしれません^^
むしろ、自己や他者の人間の尊厳、基本的人権といったものを基礎づけるには、
衝動、欲求、快楽、苦痛回避の追及をすべての行為の基本的原理・命法として説明する
功利主義的な観点からは不安定で恣意的な基礎づけとなる、これが受け入れ難いとおもってる、でいいかもしれない。
>>245 >しかし、それを探求したとてあまり意味もなさそうですし、「在るものは在る」で良いのではないですか?
では、「人間が創り上げてきた「道徳・倫理・道義」などというような概念」も、
「在るものは在る」で良いのではないですか?
>>246 >わたしは、自己や他者の人間の尊厳、基本的人権、その他無条件的で基本的な道徳法則というものを衝動、欲求、快楽、苦痛回避
>だけでないところから基礎づける可能性、という意味で道徳の話をしたい、というところでしたが。
そういった話に参加することを私に納得させたいなら、
そういったことをする必然性、というものを示す必要がありますね。
すなわち、「衝動、欲求、快楽、苦痛回避といったことが全て解決している状態でも、
それでもなおかつ必要とされるものがある(自分が現に必要としている)」
ということを示す(私に納得させる)必要があります。
>>246 >>166 >>167 あたりの話は、なんらかの「衝動、欲求、快楽、苦痛回避」が満たされない、阻害される・・・・
ということを問題にしているように見えますが?
だからこそ、
>>168 というような批判をしたわけです。
>>246 >これら人間の心理的「傾向性」だけで基礎づけようとするのも多くの場合はできますが、グロテスクで受け入れがたい例もでてくるんじゃないかというだけです
そのような場合にそういった「受け入れがたい」という「衝動」を無視するのが、
「あなたの中の功利主義者」の考え方でなわけですね。
しかし、私は、その方とは別の考えを持っています。
私が自分を功利主義者と言い切ることに躊躇する理由はそういうことです。
私は「あなたの中の功利主義者」さんの考えをよく知りませんし、その方の意見に必ずしも同意であるとは限らないので、
その方の主張に対するあなたの批判を引き受けることはできないのです。
>>244 「似ている」以上だと言うのは、あなたの直感に由来するのでしょうが、
その時点であなたの希望、願望が含まれているような気がするのですよ。
あなたの望む結論を導く為に、あえて曖昧な所を誤魔化してしまったような。
253 :
考える名無しさん :2011/04/18(月) 22:06:52.52 0
>>251 カント倫理学の説明にたいするミルの批判を想起させます^^結局考えることはみんないっしょなんですかね
その意味でも先人の議論をもうちょい勉強してみます。
もちろん私も帰結における功利的観点も考慮してます。どの倫理的観点もそうでしょう。ただ背景にあるのがそれだけかそれだけではないかというだけです。
また、功利主義をまったく排除する人はいないのではないでしょうか。私も先人もそんなこと言ってないのでは。 ただ普遍的に妥当な論法とはできないと思っているだけです。
そうではなく、道徳律のたてかたや、普遍的道徳の本質とは?、あるいは動機、のほうも問題に入ってるわけです。
その点で、
>>247 の補足を入れたのもありますが。
帰結のほうにしか興味がない、というのでしたら、
>>249 でおっしゃるとおりで、議論に参加させる(する)必然性はないです。必要を感じないでしょうし。その点ではお互いに「説得」などという発想はおかしい。ひとそれぞれでいいはず。
お互いある程度前提や観念を共有してる段階でないと議論はしてもしょうがない。
もちろん、人権や尊厳の保障ということも結果としての功利という観点からだけみるのであれば、あなたのいうとおりです。
254 :
考える名無しさん :2011/04/18(月) 22:14:15.36 0
>>249 >>「衝動、欲求、快楽、苦痛回避といったことが全て解決している状態でも、
それでもなおかつ必要とされるものがある(自分が現に必要としている)」
は功利面の帰結主義をとっていて、それを暗黙の条件としているならば「ない」でしょう。
帰結だけをとらないならば、やはりそれでもなお考えるものが依然としてありうるわけでは。
しかし、帰結主義を前提として採っている人に合わせて説得・説明するには帰結への影響から語るしかなく、
そうして帰結面から語ることにすると、やっぱり帰結の功利じゃないか、となるわけです。
功利主義で普遍的に十分だろう、人権や尊厳などといったものは便宜としての概念にすぎず、本質は功利。
一方ではそうではなく、功利的帰結として重要なのはもちろんのこと、そこから離れて考えても概念や道徳律として普遍的道徳律(とくにその具体例としての人権や尊厳)、は外せない。
これは互いに説得や歩み寄り不能(不要)ではないでしょうか。現代にもどっちの観点も生き残ってるわけですから。
>>253 とりあえず、
>>251 に関して言えば、私は功利主義自体については何も言っていません。
ただ、主張してもいないことの批判は受けられない、ということを言っているだけです。
>その点ではお互いに「説得」などという発想はおかしい。
私が
>>249 で言った納得というのは、「議論に参加することを納得」という意味ですが?
逆に、「ひとそれぞれでいいはず」なら最初から議論する必要はないですよね?
256 :
考える名無しさん :2011/04/18(月) 22:32:15.47 0
まあそもそもは「定言命法」うんぬんでしたから。 もともとの用法(カント論理学)として、衝動や欲求自体は自己の意思が自ら選んだものではない、 そういう自己の行為は衝動や欲求の奴隷となっていてその命令も行為もそれらに条件づけられているから、 という点で定言的とはみなされてこなかった、 定言命法が「無条件」であるには、普遍的に通用し、自己にも他者にも矛盾なく適用でき、 自己の自由意思によって自律的に立法された道徳法則でなければならない、ということが(私に)想起されてきたことから話が流れたわけです。 話がそっちにひきよせられてしまいますので、定言の概念はいったん捨てましょうかね。別にわたしはカント派ではないですし、その擁護を引き受けてるわけでもないですから。
>>253 >もちろん、人権や尊厳の保障ということも結果としての功利という観点からだけみるのであれば、
残念ながら、あなたの言う意味での「功利という観点からだけみる」ということが、
どういうことなのか、私にはわかりません。
>>251 で、ご指摘した点などから考えると、おそらく、私の考えとは異なっていると思います。
従って、
>あなたのいうとおりです。
とおっしゃる「あなたのいう」事(つまり私の言ったこととしてあなたが想定している内容)は
私の考えと対立するものである可能性が大きいです。
258 :
考える名無しさん :2011/04/18(月) 23:01:44.96 0
>>255 まあ、功利主義者といいきるには躊躇がある、とおっしゃってましたね。あなたの見解ははっきりわからないが、
観点に伝統的な功利主義とかなり類似がある、そういう観点からの言説ととらえると私の中でもすっきり腑に落ちた、
というだけ。
う〜ん、それは自分の見解を誤解している、いいたいのはそういうことじゃない、というのでしたら勝手な
解釈すみませんでした・・。無視して、ご自分の見解を出していただければ。
>>「議論に参加することを納得」
議論には問題意識や前提のある程度の共有(あるいは相互理解か妥協)が必要ですが、
そもそも問題意識や前提がちがうのならどうしようもないし、
「ひとそれぞれでいいはず」で最初から議論する必要はなかったのです・・・
それから、私の考えている伝統的な意味での功利主義というものと、あなたの考えているもの(プラグマティスト?)はちがうとして、
どうして倫理面における功利主義者といいきるのに躊躇があるんですか?
伝統的な意味や論法とはちがう面があるから、誤解されないためなんでしょうか?
そのちがう面はどこなんでしょうか。(ここは重要)
それとも他の理由があるのでしょうか?(これはこれで議論がかみ合う可能性がある)
そこがわからないと私のレスは永遠にあなたにとって的外れな、伝統的功利主義に対するものになってしまいます・・・。
259 :
考える名無しさん :2011/04/18(月) 23:14:01.88 0
まああなたの考えとは違うことを、私が誤解して想定しちゃってるんですね。 どうちがうのか説明していただければ。(わからん、そこまでかんがえてない、でもかまいません。誤解がなくなればいいんで) 衝動が根本(定言)、はいいんですよね。帰結主義もいいんですよね。 そこから導かれる先のことがちがってるわけで。
260 :
考える名無しさん :2011/04/19(火) 00:42:38.25 0
私の独り言。 「万人の基本的人権は保障されねばならない」 「万人の人格の尊厳は認められねばならない」 (現行法がどうだから、という話は置いてゼロベースで考える) これらは単に衝動からくる命法だとするならば、そういう衝動にかられないときや そもそもそういう衝動をもたない人がいる場合(しかも権力者だったり)もあり、 そういうときには成立しない。容易になおざりにされうる。 つまりこの命法は普遍的に、いつも、だれにとっても妥当な命法ではないということになる。 もちろん定言命法ではない。 また、この命法を実現させると自他によい思いをすることにつながる、あるいは利が出る、 やぶられると自他に悪い思いをすることになる、あるいは利を損なう、 だから、この命法がある。それだけが理由とする。 この場合、ほかのおおきな功利促進のための施策や行為しだいでこの冒頭の命法は実施されないこともありうる。 (基本的人権や尊厳はあとまわしがどこまでのレベルで進むかということもあるが。)。もちろんそれでもいい。 総体としての大いなる功利や衝動のほうが実現されるのだから何か問題でも?ということにもなる。 なおかつモヤモヤするものが残る場合に、話が始まると思う。 もちろんあくまで功利主義的に基本的人権や尊厳を擁護することもできると思う。これは「究極の功利」とか。 しかし基本的人権や尊厳の擁護からの帰結がすべてに優先するほどの究極の社会功利をもたらすとは万人が感じることではないと思う。 功利の見方は各人によって異なる。普遍性や原理性のある命法にはならない。
261 :
迷いネコ :2011/04/19(火) 09:35:36.00 0
>>252 考える名無しさん
そんなこともないですよ。
>あなたの望む結論を導く為に、あえて曖昧な所を誤魔化してしまったような。
現実であろうが、このネット掲示板であろうが、
ご覧の通り『成し遂げ、自己満足しようとする』のは、「似ている」以上の『みな同じ』だと存じます。
>>261 >ご覧の通り『成し遂げ、自己満足しようとする』のは、「似ている」以上の『みな同じ』だと存じます。
私は同じだとは思いません。何故なら、私は他の人の考えを知りえないからです。
表面的な観察は出来ますが、その観察が妥当であるかどうかは、永遠に分らないままだと思います。
263 :
考える名無しさん :2011/04/19(火) 22:03:38.36 0
>>262 >>260 についてはどう読んだ?別にあなたへのレスではないんですが。
それはおいといて、迷い猫氏の前提「すべての根本は脳、すべての根本は本能」を共有しないかぎり、
議論は不可能ですよ。
何を言っても、それは脳、それは本能、と来ますから。
根っこからの宗教者がすべての根本は神、というのと一緒です。
迷い猫氏の前提、あるいは宗教者の前提が間違ってるのでも正しいのでもない。あえていえば共有している人たちにとって正しいだけです。
それは科学や数学、法律にもいえる。公理系の共有、方法の共有、問題意識の共有。これがあるうちは議論が成立する。
前提を問題にする哲学問題についても、ある前提によって別の前提を否定したところでそれは議論にはなっていない。
>>263 命法という考え方自体がナンセンスではあると思います。
議論の成立と言いますが、そんな事はどうでも良いのでは無いかと思います。
各々が信じた物をぶつけ合い、その思いを試すのが議論でしょう。
変わらない事に固執する事、それは自分の望んだ結論への固執であり、卑小であると思います。
265 :
考える名無しさん :2011/04/19(火) 23:18:24.62 0
>>264 まあでも道徳って具体的に言葉にすると義務の形をとるし、義務って命法(命令)のかたちをとるよね。
そこはナンセンスではないでしょ。共有してもらわねば話は無理です。
「定言命法」の概念はナンセンス(あるいはどうしても共有できない)、持ち出さないで進めようっていうのならわかりますが。
>>262 は何を言いたいかというと、私も普段から道徳や義務の結果からくる功利面から考えています、功利とは結局のところ「感覚・情念」です、
それでいいんですが、結局つきつめるとそれだけ(「感覚・情念」)だろwwといいきるのには躊躇がある、この躊躇とは何か?道徳の本質が隠されてないか?
それだけを根本とするではどうにも腑に落ちない道徳的事例もあるからでは?ということです。まあ
>>262 で腑に落ちないことも何もないし躊躇もないよ?という場合は問題はないわけです。
266 :
考える名無しさん :2011/04/19(火) 23:37:05.52 0
>>265 しかし「結果」と切り離して考えられる道徳・義務というのも
手放しに歓迎はできない。
なぜか?あなたの指摘のとおり、結果の功利面の懸念もある。
またそこから離れて考えても、各人が自身の道徳観に反する他人(上位者)の道徳におしつぶされうる、
道徳とはそういうものでよいのか?できるだけそうならない立て方はないのか?
また、人格の尊厳や基本的人権は功利云々、感覚・情念うんぬん以前に無条件に妥当な道徳と考えられるのか?
267 :
考える名無しさん :2011/04/20(水) 10:14:58.76 0
>道徳とはそういうものでよいのか?できるだけそうならない立て方はないのか? 本能=種の保存のための反応 理性=社会に属し続けるための反応 衝動=理性によるストレスのはけ口 理性は各個人がそれまで生きてきた経験や知識から身につけたものであるが それだけでは社会が不安定になる(個人の経験や学ぶ姿勢により左右される)ため道徳という 人間社会の歴史・経験から導き出されるであろう「社会を安定させるための道具」を 幼少期より教育する必要がある。 また、教育する以上、その正当性は精査しなければならない。 この精査する基準となるものを皆さんで考えていただきたい。
268 :
考える名無しさん :2011/04/20(水) 13:30:02.86 0
なるほど。そういう観点で道徳をとらえるという意味で プラグマティズムというわけか。(効果や使用上の観点から道具としての「それ」を見る、でいいかな) また理性は経験からというところからみても、経験論をとってるわけね。 これはこれで道理のある文脈。理解はできる。英米系に影響をうけてるのかな。 >>道徳とはそういうものでよいのか?できるだけそうならない立て方はないのか? これはもちろん、道徳や義務の結果としての「社会の安定」という観点でも、「道具」として上手に 立てなければならない、という意味もある。「またそこから離れて考えても」の意味も例などから伝わっているとありがたい。 まあ私はどれかひとつの見解をとるわけにはいかんのです。どれも生き残っている以上、どれも部分的に正しく、部分的に不足している。
269 :
168 :2011/04/20(水) 13:48:46.78 0
どうもややこしくなってきたのでステハンつけました。
>>254 参考のために言っておきますと、パースは宗教さえ否定していませんよ?
まあ、私の主張自体が、影響を受けているというだけで、
パースの考えに全面的に従っているわけではないのですが、
私自身も、そういった「普遍的道徳律」を「求める衝動」を、
頭から否定するつもりはありません。
まあ、「功利主義者」と言うのに躊躇するのはそういった理由です。
そういう否定は私の主張には含まれて居ないのに、
一旦、「功利主義者」であるということにすると、そういう主張をしているということになってしまう。
あなたは、私の主張していないことへの反論にそうやってレスを書き、
私は私が主張していないということを説明するためにこうやってレスを書く、
これは、双方の人生の時間と2chのサーバ資源の無駄遣い以外に何の意味もありません。
270 :
168 :2011/04/20(水) 14:04:54.94 0
>>258 >どうして倫理面における功利主義者といいきるのに躊躇があるんですか?
まあ、一つには、
>伝統的な意味や論法とはちがう面があるから、誤解されないためなんでしょうか?
ということもありますし、そもそも、
>そのちがう面はどこなんでしょうか。(ここは重要)
を説明できるほど、プラグマティズムや功利主義(と、その他の立場との議論の歴史)
について、知識が無いということが大きいでしょうね。
>>269 のように、違う点がでてきた時点でその都度「違う」と言うことしかできません。
漠然とした印象で言うのであれば、
その他の立場の、特に細部の主張に対してあなたが思い描いておられるほど、
濃密で圧迫的な否定の論陣を張っているわけでは無い、といった感じです。
271 :
168 :2011/04/20(水) 16:48:23.48 0
>>258 「違い」という点では、むしろ、あなたと私が議論を続けていく上で、考えるべきは、
「あなたの考える功利主義」と「私の考え」の違いではなく、
「あなたの考え」と「私の考え」の違いではないでしょうかね?
しかし、それよりなお考えるべきは、議論の前提となる、
共有されている問題意識ですね。
私自身が、今までのお話から得た印象としては、以下の二点については、
それ(問題意識の共有)がある、と推測するのですが、いかがでしょうか?
1.議題は 「人間は自己の行動をどのように決定するのが妥当か?」である。
2.行動の妥当性は、一般にその根拠によって裏付けられるが、
根拠の根拠を求めることで無限遡及に至るため行動不能に陥る。
これを回避するためには、根拠を必要としない、
無条件に妥当な命令(行動の是非を述べた命題)が必要となる。
2.は、つまるところ、思考の地平線の設定に関する問題だと思います。
私の考え(推測)では、あなたと私の考え方の違いのもっとも重要な点は、
この思考の地平線を、どのように設定し、どのように扱うか、
という点にあるように思います。
272 :
考える名無しさん :2011/04/20(水) 18:14:20.25 0
まあアメリカン・プラグマティズムもかなり深いもののようですね。 しっかり勉強してみようと思います。 それと形而上学や宗教との関係も。 それからミルの功利主義も深い。宗教との関係や議論も見直しておく。 お互いもっと勉強しなおして、自身の見解を固めてからにしませんか? 議論はそれからということで。 なんだかカント主義者でないのに形而上学の擁護・批判を受けたり、 功利主義者とはいってないのに、あるいはいろいろな立場のありうるプラグマティズムにたいして、 あなたの見解そのものからはずれたレスをしたり。
273 :
168 :2011/04/20(水) 18:23:06.76 0
>>272 まあ、「あなたの考え」と「わたしの考え」についての議論ではなく、
そういった学者の方々の考えについて議論するのが
目的なら、そういったことになるでしょう。
つまり、ここ(このスレ)に居る者の考えについて議論するか、
居ない者の考えについて議論するか、
その根本的なところで既に議論の目的が違っていたわけですね。
274 :
考える名無しさん :2011/04/20(水) 18:26:00.64 0
それから、 >>以下の二点については、 それ(問題意識の共有)がある、と推測するのですが 1.もありますが、 道徳に関しては「行動」だけに着目しているわけではないんですよ。 そこがちがうんじゃないでしょうか。 2.に関してはおっしゃるとおりです。 >>私自身も、そういった「普遍的道徳律」を「求める衝動」を、 頭から否定するつもりはありません プラグマティズムの観点からも宗教も人格の尊厳も人権も強力に基礎づけうるでしょう。 その方面ももっと探ってみます。 要は宗教や人権、人格の尊厳などの道徳の「意味」「位置づけ」の採り方をどうするかのちがいだと思います。 表面的にはアメリカという国家やアメリカ人になじみやすいと思いますが、たぶん思想家たちはもっと 深く入念な次元でプラグマティズムを展開しているのでしょう。私の勉強不足です。
275 :
考える名無しさん :2011/04/20(水) 18:41:41.45 0
パースがプラグマティズムから形而上学をどのようにあつかっていたか、彼の形而上学をうちたてていったか、 これは勉強の必要があると思いました^^ 議論はそれからということで。 問題は深い。
このスレの人たちはラウダンは読んでないのかな
誰だよ
え・・・ラウダンも知らないで書いてるの?
○リー・ローダンは知ってるけど、最新刊が出るのが2079年とか言ってるじゃん。 生きてる内には読みきれないよ。
それはだれかと勘違いしていると思うよ
281 :
酔っ払い :2011/04/21(木) 20:39:27.66 0
皆さん考え中見たいですね。 良き回答をお待ちします。
282 :
考える名無しさん :2011/04/22(金) 15:28:54.64 0
音楽室の壁には音楽家の肖像が飾ってあるのに、 理科室の壁に科学者の肖像が飾ってないのはなぜですか?
科鉄
284 :
迷いネコ :2011/04/23(土) 17:33:41.23 0
>>281 酔っ払いさん
> 皆さん考え中見たいですね。
そうですねぇ、みなさまには、どうやら「人間社会の事象現象の根源が『脳(本能)』である」ということが、ご理解頂けないようなのです。
285 :
考える名無しさん :2011/04/23(土) 18:41:16.18 0
わからんやつだなあ・・君は
286 :
酔っ払い :2011/04/23(土) 20:28:10.11 0
申し訳ない
>>267 を投稿したら
皆さん考え込んでしまった。勉強するそうだ。
私は
>>267 の発言がプラグマティズムに当たるとは知らなかった。
過去の偉人がどんな思想でどんな発言をしたか知らないが(勉強しないといけないが)
「貴方の発言は誰かれの何かに論だ」などと言われても参考にはなるが
それで私の発言や思考を括られても困ってしまう。
私の思考は現在進行形であり日々変化しているからだ。
というわけで、迷いネコさんの「人間社会の事象現象の根源が『脳(本能)』である」
とも若干捉え方が異なることも理解しておいてもらいたい。
最終的には野生動物が子供に餌の取り方を教えるように
幼児教育課程で社会生活に必要なルール(道徳)を教える必要があると思うのである。
そして、この教えるべきルールの具体案とその正当性を知りたいと思っています。
287 :
考える名無しさん :2011/04/23(土) 20:47:42.51 0
>>「貴方の発言は誰かれの何かに論だ」などと言われても参考にはなるが それで私の発言や思考を括られても困ってしまう。 どうみてもプラグマティズムだろ。 デューイも教育問題についてはプラグマティズムからもっともっとふか〜〜く考えてきたみたいだから。 あなたの独創ではないですよ。 その意味ではたいていのことは先人が考え尽くしてきてるので、まずはじっくり勉強、です。
288 :
酔っ払い :2011/04/23(土) 20:57:27.84 0
>>287 私の独創だとは考えていません。貴方の言うとおり先人が考えたことに
似通っているのは致し方ないと思いますが・・・
私の考えがプラグマティズムと言い切られることに抵抗を感じます。
なぜなら、私はプラグマティズムをつい先日まで知らなかったのですから
(ここで言っても説得力はありませんが・・・)
それから、せっかくなのでプラグマティズムについてはちょっと勉強してみます。
(何時になることやら)
289 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 14:38:28.77 0
まあでも、生半可な知識で考えたことをとりあえずぶつけ合うことができる、 というのも 2ch のメリットだと思うけどね。 議論が本に書かれていないようなことに及んだら、誰かが書くまで待つのかね。
>>286 デュルケームの『道徳教育論』を読むと良いと思いますよ
講談社学術文庫から出ていますから
291 :
酔っ払い :2011/04/24(日) 16:48:02.48 0
>>289 >まあでも、生半可な知識で考えたことをとりあえずぶつけ合うことができる、
>というのも 2ch のメリットだと思うけどね。
私もそう思います。
>議論が本に書かれていないようなことに及んだら、誰かが書くまで待つのかね。
とんでもない、今まで通り思いつきで言わせてもらいます。飽きるまで
>>286 >デュルケームの『道徳教育論』を読むと良いと思いますよ
>講談社学術文庫から出ていますから
ありがとうございます。
図書館で探してみます。
292 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 18:28:33.06 0
>>議論が本に書かれていないようなことに及んだら、誰かが書くまで待つのかね。 そうだったら発表すべきだろ。レベルもそれなり以上なら。 こんなとこにさらすのはもったいない。 まあそんなのにおめにかかったことはないが。
293 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 18:33:20.05 0
まあ肩の力を抜いて、 思いついたことを議論するのもいいね。 別に仕事でもないし、大学でもないから。 楽しみましょう。勉強になることもあるかもしれないしね。
トンデモ科学哲学
>>267 で述べられた意見は昔からありますよ
フランスの社会学者であるデュルケームの教育社会学がまさにこれで
伝統社会の規範崩壊によって生じたアノミーを
公教育による道徳教育によって克服しようとしたんですね
で、こういった公権力による監視装置の内在化に対しての批判が
アルチュセールやフーコーの仕事だったわけで
しかし、科学哲学のスレで何故このような議論が…
297 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 19:00:45.47 0
科学も哲学も倫理も科学哲学もまったく素人な自分がいいますけど、 純論理的な理由付けというものを、特異点というか、 ある特定の事柄について妥協することで、 実生活で即利用可能な法則とか原理を引き出すことができる(ようにした)物、 と言う点で倫理と科学には共通性があると思うんですが。 つまり、妥当(あくまでも科学や倫理の枠内での)な命題が湧き出す魔法の壷というか。 そういうものは科学と倫理以外にもいっぱいありそうな気がしますけど。
298 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 19:19:54.74 0
うん? まあ倫理の方はまだ議論の余地があるんでその見解はすえおきだが、 科学については勘違いしてないか? 私は自然科学(基礎科学)の一分野が専門だけど、 >>「ある特定の事柄について妥協することで、 実生活で即利用可能な」みたいな技術的動機が常にあるわけではないよ。 無い場合のほうが多い。工学や医学のような応用分野はまたべつだからね。 基礎のほうはむかしでいう自然哲学。
299 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 19:31:25.37 0
アインシュタインの相対性理論も、宇宙論も、 ダーウィンの進化論も、 実生活に使えるわけねえし、学者がそんな実用的意識もってるわけねえからなあ。 ものごとの価値判断や活動の基準はそこだけじゃねえし。
擬似科学哲学スレ
宇宙法則から道徳律にアプローチしたのは カントやスペンサーでしょう 中国の朱子学もその当時としては 宇宙論を基礎に置いた主知主義だったわけで
302 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 19:39:29.71 0
>>298 実生活というのは言葉の選択があんまりよくないかもしれないです。
つまり、なんらかの即応性というか、「その場で使える回答」みたいなものというか。
>>297 で言いたかったことは、動機のほうはあんまり重要ではなくて、
極限すれば、「回答を繰り延べしない」というか、そういった意味です。
「自然に再現性があることをどうやって証明するか」みたいなところでぐるぐる回るみたいな
状態を回避するという程度の意味です。
303 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 20:12:44.35 0
そりゃなんでもそうだろ。 「とりあえず」の共通見解をつくっとかないと 法律も科学も技術も動けない。そういう便宜もある。 しかし共通見解を再検討する哲学も必要だろ。 哲学とはいわんまでも、科学のパラダイム変換、社会のパラダイム変換による大きな進展には、 受け入れられている既存の理論・説には「回答の繰り延べ」が多く残ってることを自覚しておかねばならん。 すえおきにされてる「そこ」を探っていきたい(いくべき)というのか、もう探らなくていい探るのは実用上害悪(無意味ではないが)というのか。 両方大事でいいんじゃないか?ケースバイケース。保守と改革のちがいか。
304 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 21:51:15.96 0
可能性という言葉を使った時点で、科学ではない。
305 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 21:58:36.77 0
科学哲学はブラックホール!?♪。
306 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 22:18:08.85 0
いまだ確立された科学ではない、だろ。そんな当たり前のこといってどうする。
307 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 22:32:53.36 0
うーん。 というか、実用性とか、真理とかってのは、全てに共通する目的ではないと思うんですよ。 むしろ、目的が違うからこそ、哲学とか科学とか倫理とかいう違う名前がつけられるわけでしょう。
308 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 22:52:00.17 0
そうそう。
309 :
考える名無しさん :2011/04/24(日) 23:39:07.33 0
で、問題なのは、その目的と手段の整合性だと思うんですよ。 自然科学の場合は、比較的良く整合がとれていると思うんですが、 倫理というものについては、手段が目的化したり、 そもそも、目的についての認識が、同じ倫理を共有しよう(させよう)としている 人たちの間でさえまちまちであったりすることが多いような気がします。
310 :
考える名無しさん :2011/04/25(月) 00:05:47.70 0
う〜ん 人生の意味・目的って何だと思いますか? 科学の目的って何だと思いますか? それはいいとして、 「手段が目的化」ってのも、あなたにとっては手段にすぎないことも 他者にとってはそれが目的自体であることもあると思うんですよ。
ラウダン以後の科学論者てめぼしい人いるの?
312 :
考える名無しさん :2011/04/25(月) 00:37:59.96 0
>>310 人によって目的が違うのは当然だと思いますよ。
ただ、目的と手段の整合というのは、
どのような目的の場合でも(それぞれ)問題になることですし、
それは目的の手段化についても同様ですよね?
313 :
考える名無しさん :2011/04/25(月) 01:00:04.41 0
>>312 それはそうだ。それぞれの目的をもっともよく達せられる手段を考えるべき、ということまでなら
どんなものでもおんなじだよ。
最後の一行はあなたの観点・問題が入り込んできていますが、
(もちろんある方面においては理解・共感はできます。日本の組織・労働慣習などはね。
一般化できる思考の方向かどうかというとこでしょうか)
その試みもまた、目的と手段の整合、の問題になりますね。
ということで同意です。
レベルの低い話題だな
315 :
考える名無しさん :2011/04/25(月) 11:57:02.14 0
人間はプラトン主義者とアリストテレス主義者に分かれるらしい で、もし、人間の構成が最小の原子からなるのであればプラトン 人間の構成が何かの形質からなるのであればアリストテレスが正しいと予想 というのは構成が原子であればエントロピー増大の法則が適用される 人間は自然でしかないという事になる、更に原子のエントロピー的慣性によって 突然変異は起こり得ない、よって進化論は否定される、全てはイデアとなる、人間は精密な機械になる 一方人間の最小構成が形質であればその形質の性質によって様々な事が起きえるだろう 慣性の逆流もありうる、突然変異的な要素を持ち得る、世界は様々であり それらを独断するものだということになる、人間はある性質をもった機械になる
316 :
考える名無しさん :2011/04/25(月) 15:05:34.28 0
>>314 まあな。いいかげん科学の話題にもどそうぜ。
>>315 理系だが、おれには正直理解不能な文学だな、このままでは。
だが、人間は思想傾向からいってプラトン主義者とアリストテレス主義者にわかれるっていう話自体は
他でも聞いたことがある。
比喩、箔付けのため「だけ」に科学用語を使うの、どうかと思うよ
プラトンもアリストテレスもどうでもいいわ そいつらを信じるやつらにとっては、どっちかしか無いんだろ
319 :
考える名無しさん :2011/04/25(月) 21:59:40.10 0
おおざっぱな思考傾向の話だから プラトンかアリストテレスかってことではない だれかもっと良い分類ないかい? アウグスティヌスvsトマス ウェーバーvs ヒュームvs大陸合理論 分析哲学vs解釈学 ちがうかな
プラトンとかアリストテレスの思考傾向なんざ、大差無いように思える。 どっちも権威主義者であり、哲学に権威を求める輩。 大雑把な傾向で言えば、まずは不可知論者かそうでないかじゃないの。
不可知論への有意な反論ってあったの?
不可知論ってそもそも有意なの?
323 :
考える名無しさん :2011/04/26(火) 01:22:58.49 0
>>320 いや、そういうことじゃないんだよ。
たとえば政治ともアカデミズムとも関係ない市民がいるとして、
唯物論的思想傾向にながれるか、観念論的思想傾向にながれるか
左派にながれるか、保守にながれるか
みたいな体質的な思考傾向ってのがあるんじゃないか?てはなし。
権威主義とは無関係なところで。
プラトンの係累であるカント学派も アリストテレスの係累であるマルクス・ヘーゲル主義者も 同じように科学主義を標榜していた訳ですが 世界の等質性を前提とし、観察・実験・統計によって客観的知識を獲得し得るとした 近代科学にとってはアリストテレス的発想の方が親和性が高そうなものですが 実際はそうでもなかく、単なる実証主義イデオロギーに過ぎなかった というのが20世紀中頃からの批判だったと思いますが まあ、アリストテレスの実在論は単なる現実の政治権力との妥協の産物ですからね この図式はトマス・アクィナスやヘーゲルでも同様に踏襲される
>>322 そもそもそもそも何が有意かって問題があると思うが・・・。
・・つまり、相対主義と絶対主義って話になって、
だからラリー・ローダンがでてくるのか・・・・。
326 :
酔っ払い :2011/04/26(火) 21:13:38.66 0
人の数だけ考え方があり、それを、分類するのは難しい。 過去の偉人達が考えたことも、彼らが存在した世界での話。 もちろん、現代でも的を得てる思考もある。 今考えている事も、将来的には吹き出したくなるような考えかもしれない。 でも、考えることは面白い。何故なら、なんでも有りだから。 プラグマティズムの本を図書館から借りてきました。 難しくて読む気になりません。 というか、言葉の解釈ばっかりで本題は何処だ?って感じです。 因みに借りてきた本は、「世界思想全集14 プラグマティズム」 河出書房新社 昭和38年12月10日発行 もうちょっとトライしてみますが・・・
327 :
考える名無しさん :2011/04/27(水) 16:23:35.76 0
もうちょっと入りやすい解説書からはじめるのも手かもしれませんよ。 水準は落とさずに書いたもの
ジェイムズの「プラグマティズム」の冒頭かなんかで、 こういう話をすると相手はたいて怒り出すみたいな話があったけど、 やはり誤解されやすい面があるんだろうね。 ただ、ムダに挑発してる人もけっこう居るという気がしないでもないけど。
欧米は信仰心の篤い人が多いから、無神論とか懐疑論の匂いを嗅ぎつける と自分をコントロールできないぐらい激怒しだす傾向はよく見られる。 分析哲学やってる人は特に何らかの宗教的信仰心のあるのが普通。てか、 信仰に差し障りがないと信じてるから分析哲学をやっている。
330 :
考える名無しさん :2011/04/27(水) 17:01:44.66 0
だからこそ主張するならみっちり論陣を張らないといけないんだよ さまざまな問題に関わってくるからね
そうなるともう議論で説得できる問題じゃないのよ。 幼少時から厳しくしつけられたマナーの価値を全面否定されたのと同じだから。 それを認めてしまうと自分の人格の支えが崩壊してしまうわけ。
332 :
考える名無しさん :2011/04/27(水) 17:58:42.26 0
そうだな。日本でもそうじゃないか? だから分析哲学もプラグマティズムも、そういう価値もきちんと 擁護できる(あるいはそれらに関わらない)ように組み上げられているはずだよ。 それぐらいの力量はある。
333 :
考える名無しさん :2011/04/27(水) 18:06:44.81 0
どうみても害悪・不合理なのは別にしてね
「それって何の役に立つの?」って質問には、 煽りのニュアンスもあると解釈されることが多いもんなあ。 ただ、パースのそれは、結構純粋に方法論としてだけ言ってるのに対して、 それ以降では批判的な文脈で使う人が増えてきたからやっかいなんだが。
そうは簡単にいかないのが世の中。権力は素朴な信仰心をもった人間 を徹底的に利用するからね。ハマーシュタインだったっけ、上に立つ 人間として最悪で危険なのは「馬鹿で勤勉な者」と言ったのは。権力 というのはそういう人間を選んで高い地位につけるわけ。それに、 信仰を隠れ蓑に使って権力に追従するシニカルな人間も沢山いるからね。
そのごんりきさんというのはよく出てくるけど、どういう人ですか?
337 :
考える名無しさん :2011/04/27(水) 18:39:47.92 0
かくれた権力みっけ=悪とはかぎらんからまたやっかい。
そうだね。現実的には結局はバランスどこに自分の身の置き所を 見つけるかだと思う。権力の巧みなところは、「馬鹿で勤勉な者」 に華麗な経歴と高い地位を与えることで、その周囲の人間の競争心 を煽ることだ。能力があって上昇志向なら、そのうちすぐに隠れた 仕組みに気付いてシニカルな順応主義者に変貌する。
339 :
考える名無しさん :2011/04/27(水) 20:18:01.58 0
身近なところで、 馬鹿で勤勉なだけだと思ってたやつに華麗な経歴と高い地位を与えられたわけね。 でもそいつも、「わかってて」馬鹿で勤勉なふりしてるだけじゃね? そんなに芯からバカなやつっているかね。
まあ、地位に応じて求められる賢さのレベルが変わってくるからね。
341 :
考える名無しさん :2011/04/27(水) 20:41:51.06 0
どういう職場・地位にいるのかはしらんけど。 ひとはひと。どうでもいいさ。 上手に泳げばいいだけの話。 まあ上昇志向から離れられないって時点で権力にうまくのみこまれてるけどな。 しくみに気づいていながらどうしようもなくね。
342 :
考える名無しさん :2011/04/27(水) 20:46:15.70 0
資本主義うんたらはよそでやってくれ。そういうスレあるだろ。 うだうだいうなら起業するか投資家になるかすきにすればよろしい。 できねえなら、労働者として上手に順応するだけだ。
一般論だよ。自分の能力に自信のある人間は扱いにくい。 身近なところでいえば性善説に立っての判断。すべての人間が それほど利己的で偽善的だとは思っていない。馬鹿であること を利用されるのは本人の責任じゃないからな。
その一般論をなんで唐突にこんなとこで打ち始めるんだ?
素朴で信仰心の篤い人間が宗教と科学の関係で権力にうまく利用されている という話でしょ。自覚のない「宗教裁判」に熱心な人間が必ずしもシニカルな 偽善者とは限らない。
だから、そのごんりきってのは誰なんだよ。
347 :
考える名無しさん :2011/04/27(水) 22:33:03.26 0
>>自分の能力に自信のある人間は扱いにくい。 だから嫉妬されたり嫌味にとられたり扱いにくいと思われないように たまにバカをやったり笑いとったりしてバランスとってるんでしょ^^ ちょっとイケメン・美人だったりまわりよりかなり高学歴だったり能力・業績がめだってたりすると 今までの経験から本能的にそうするんだよ。同性の敵意を避けるため。とくにまだまだ若手のうちはね。 それでいいんじゃないのかね。 まわりはそれほど評価してないのに「おれには突出した能力がある」と勝手に思う場合はべつだけど。 その場合はただ軽蔑されるだけね^^つんつんして何勘違いしてんの?って感じ。 >>自覚のない「宗教裁判」 まあ現代の組織にもそういうことはあるな。バカが「信仰」を真に受けて、他者を断罪ってか。 断罪されん程度にうまくやるんだな。 企業に民主主義も政教分離もない。こういうところを議論したいのか?すでにもう一般論じゃねえぞ?
スレタイ嫁
あのひとは大学の研究者/学者として何もしていないのに評価されていると 思うのは著しい事実誤認。「何もしていないのに」評価されているのではなく、 「何もしていない(決められた儀式だけを忠実に守っている)から」評価 されているの。
350 :
迷いネコ :2011/04/28(木) 11:28:59.60 0
まぁ、人間社会における「道徳・倫理・道義」などという概念は、 「人類を含むほ乳類は、同種をむやみに傷付けたり殺したりしない」 というDNAレベルでの『種の保存プログラム』を基に創り出されたと考えるのが妥当でしょうね。
351 :
考える名無しさん :2011/04/28(木) 12:06:30.24 0
科哲ってのは、もうすこしメタな議論じゃないの?
例えば、
>>350 みたいな命題の「是非を論じること」と「論じることの必然性を論じること」と、
どっちがこのスレのテーマなんだろうね。
352 :
考える名無しさん :2011/04/28(木) 13:24:47.30 0
なんだか全体的に話のレベルが激低だな・・
353 :
考える名無しさん :2011/04/28(木) 13:29:23.22 0
>>350 物質レベル(生命レベル)の傾向に引き寄せられる部分も当然あるだろうけど、
それはもはや常識。
道徳・倫理はそれだけでは済まない話だから、そこから先のメタな議論をしてるんですよ。みんな。
354 :
考える名無しさん :2011/04/28(木) 13:36:10.58 0
命題の「是非を論じること」 ⇒科学の客観的研究データがそろうのを待ってからモノを言え。まだはやい。 哲学の出番なし。 「論じることの必然性を論じること」 ⇒言語、論理、情感、心理、社会構造、歴史、その他もろもろの問題 がからむ倫理・道徳問題を唯物論的にDNA、脳機能だけに還元して語る必然性? そもそも精神と物質の問題(一元論、二元論いろいろあるが)うんぬんはどう扱う立場なのかはっきりさせろ。
ポパー、クーンすら読んだことなさそうなレスが目立つねw
356 :
考える名無しさん :2011/04/28(木) 15:49:38.99 0
>>349 文学部の院の研究室なんて選ぶのが悪い。
客観的評価がきわめてしにくいぶんそういう不透明なことがよくあるんだろ。
教養としてならわかるが、いまどき大の男が人文学なんかマジでやるもんじゃねえし。
ほかにやる分野あるだろうに。
まあもう軌道修正できねえとこまで来てるから、
その程度の評価基準が幅を利かせるなんていうアホな研究室や研究分野でも固執するしかねえってか。
理系(理学など)もそうかというと、そうではないぜ。
もっとわかりやすい。そのぶんいいわけは効きにくいがな。
357 :
考える名無しさん :2011/04/28(木) 16:02:58.76 0
>>355 ていうか、科学哲学の話題すらまったくのぼってきてないじゃん。
スレ違いのレスばっか。
みんな実際の興味はちがうとこにあるんじゃないかな。
理系といえば阪大の医学博士の川崎和男教授だな 家庭用原子力発電機、トポロジーを応用したクラインの壷の 人工心臓、人工小脳などなど驚くべきデザインの数々で どんな学者も黙らせるだけの成果をあげてきた
>クラインの壷の人工心臓 トンデモと見紛うな
ポパーの著書とか以前に科学哲学の本自体読んだこと無さそう ただ科学哲学ってポパーとかファイアーアーベントとかの頃ほど ラディカルな議論はもう出て来そうにないよね 分野としての大きな進歩はもう今後無さそうな気がする
361 :
考える名無しさん :2011/04/28(木) 20:06:00.27 0
そういうのならボルツマンの著書なら読んだことある(19世紀の科学の本に入ってた) 進化論を心理学に適応するとか なぜ俺はそういう考えを良いと思わないのかは 感情や感覚というものが解明されてないのに、証拠がないのに感情や感覚について 語るからだ、それが正しいという保証はないし、推理でき得るとは思えない パブロフの犬みたいに外見的行動から内面が完全に解明し得るというのはありえまい 科学的方法論として間違ってると思うし、現時点で何ら解明されていない以上 そのことを語るというのはかなりおかしいと思う、例えば生きてる人が死後の世界を語るようなものだ
362 :
考える名無しさん :2011/04/28(木) 20:20:32.84 0
完全に同意だな。
363 :
考える名無しさん :2011/04/28(木) 20:25:03.16 0
うーん、解明ってのはどうしても必要なの? まあ確かに、自分はホパーとか読んでないけど、 そのあたりを経た今の科学哲学ってのは、 当然ヒュームとかは踏まえたうえで理論構築されてるんだよね? だとすれば、解明という事をそれほど重要視する理由がよくわからない。
364 :
酔っ払い :2011/04/28(木) 20:33:32.84 0
>>327 参考になる書籍があれば紹介してください。
よろしくお願いします。
科学哲学の本なんて読んだ事無いな。 ただ、理論負荷性とか過小決定とか、哲学として面白いと思う
さっき考えた問題。 一辺がnの正方形がある。 この正方形は1cmごとに縦横それぞれ線が引かれていて格子になっている。 今、この格子にはさまれた領域全てをm色で色分けする。 全ての色において線対称であるような軸が存在する色分けは何種類あるか。 また点対称については何種類か。
最低限、ポパー、クーン、ラカトシュ、ファイヤアーベント、ラウダンの邦訳くらいは読んどけよ
いやー、ただ、そのあたり読んでる人はここで話すことないみたいじゃん?
というか哲学板全般で専門的な話ができる人がほとんどいなくなってるね
まあ、それもあるんだけど、専門的な知識のある人が、 そうで無い人と付き合う根気が無くなってきてるという感じがする。 昔は半可通な知識で議論に加わっても、態度が真面目だったり、 論点に面白い点があれば、付き合ってくれる人が結構いたんだけど、 今は、相手が知らないとわかるとすぐ話をやめちゃうみたいな人が多い。 2ch で無礼な奴にいっぱい遭遇してるうちにそうなってしまったんだろうか。
付き合おうと思えるレベルじゃないんだもんw
でもまあ、そうすると、何のために 2ch に来てるんだって話になるよな。 定期的に「レベル低いな」ってレスするためだけに来るという 行為自体のレベルってどうよ。
科哲スレでポパーやクーンを知らないのはあんまりだよ 下手すりゃカントだって知らなそうだし 分かっている人が呆れかえるのも分かるよ というか、これは科哲スレに限ったことじゃないんだけどね
呆れるのはわかるけど、それだけの理由で話をやめちゃうなら、 なんで 2ch に来てるんだと。
375 :
酔っ払い :2011/04/29(金) 22:10:51.95 0
人生の意味とかこれからの人類とか考えるのは好きだけど 過去の哲学者の思想とか勉強するのはめんどくさいんだよね だから、大目に見て欲しいと思うのだが
古人の思索を参考にせず 自分で一から始める事の方がより面倒だと思いますが?
いや、全くそのとおりだけど、その古人の思索を知っている人は、 その内容を話すのは嫌だ、とおっしゃるから。
さあ、教えろ、一から教えろ、でなければ何故ここに来るのか? と言われて懇切丁寧に教える人はいません だいたい、その人に何のメリットがあるの? 他人から一方的サービスを受けて、さも当然だとでもいう態度が間違いでしょう それに上で科哲代表的思想家の名前を上げた人は これらの著作について基本的な事を自分で調べなさいよ という意味で出したのであって、この親切心を無視して だったら教えろよ、という態度をだしたらその人も呆れるよ これは、知識の欠如に対してじゃあないんだよ で、最近はそんなのばかりだもの
メリットとかサービスとかいうこと考えてるなら、 2ch になんて来ないで、塾か学校の講師にでもなりなさいよ。 >教えろ、一から教えろ、 >だったら教えろよ、 別にそんなこと言うとりゃしませんがな。 ある事柄について、知ってる人が何も言わないなら、 その事柄については誰も語りませんよ? という至極当然の理屈を言っているだけですよ。 「知ってる人」が、その状況が「嫌なら」で、その人が語るしかないでしょ? 語りたくないなら、その状況に甘んじるしかないでしょ?
380 :
あうあうあ :2011/04/30(土) 03:50:21.71 O
「先人の思想・行動を知っているか、否か」はあまり重要でない。 (知識をひけらかしたいなら別) 「○○はこう言った」と言われても、 それが真理とは限らないからね。 偉人の言葉を全部真理化するな。
381 :
あうあうあ :2011/04/30(土) 04:00:04.33 O
注記しておく。 別に「自分で思想を作れ」と言ってないよ。 ただ先人の思想とか知っていても、それらに縛られるだけだからね。 「参考にして思想を作る」とか言いそうだけど、 自分で思い付いた方が、斬新で自由なのが多いと思う。 まぁ人間、何かを参考にして生きているんだけどね。 無からは何も生じない。
科哲スレでさえ糞スレ化するのが今の哲板
385 :
考える名無しさん :2011/04/30(土) 12:54:24.87 0
>>366 解けた
線としての軸に対称する色付けとは全てのマスの半分に考えられる全ての可能性の色付けである
なぜならば対称的であるならば必ず軸の反対側が同じでなければならず
逆に軸の半分がどのような形であれ、もう半分を同じ形にすれば対称になるからだ
ということは全てのマスの半分のマス数とそこに考えられる最大の色付けの種類を
求めればよいわけだ
全てのマス数=nの二乗、これを半分にする、n二乗÷2
しかしnが奇数の場合には軸で一マスを分け合うので全マスの半分はn×(n+1)÷2となる
さてマス数における色付け可能な種類はm(色の種類)のマス数乗になる
これで軸で対称となる色分けが求められたわけだが縦軸と横軸があるので
この値を2倍する、しかしこの中にダブる色分けがある、その種類は全マスの4分の一
に可能な色分けとなる(ダブる為には4分の一を共有してないといけないから)
この値はn÷2の二乗となるが、奇数の場合はn+1÷2の二乗となる、これを先の値から引く
まとめると
mの{n×(n奇数の場合+1)÷2}乗×2−mの{n(奇数の場合+1)÷2の2乗}乗
対称の軸が点の場合は上記に斜線の軸が2個加わる
上記+mの{n×(n+1偶数でも)÷2}乗−
mの{(n奇数の場合+1)÷「2×(n奇数の場合1)+1」÷2}乗
これを×2して
mの{n(奇数の場合+1)÷2×n(奇数の場合+1)÷2−(奇数の場合n+1)×2
これを引くと答え
386 :
考える名無しさん :2011/04/30(土) 17:22:16.22 0
>科哲スレでさえ の意味がわからん
387 :
考える名無しさん :2011/04/30(土) 19:23:47.08 0
科鉄は退屈 科学研究そのものか分析哲学か現象学が主流
最近は科学史研究によって歴史学的に科学というものの実態を
解き明かすみたいなのが多いと思うけどね
>>375 人生の意味について哲学板で話すなとは言わないし
有名な哲学者の学説を知っとけとも言わないけど、
ここは科学哲学のスレだから、最低限でも科学か科学哲学に
関連のある話をしないといけないと思うんだが。
389 :
あうあうあ :2011/04/30(土) 22:41:19.91 O
>>388 科学哲学だけでなく、大学・高校での「倫理」「哲学」は、
歴史授業と大差ないと思う。
今さら新学説出しても、そこまで目を向けられない。
寧ろある学説を発展させた方が、名は売れるだろうね。
もうそういう時期なんだな…
390 :
考える名無しさん :2011/05/01(日) 10:44:30.23 0
ある学説を発展させた方が安「評価されやすい」とはいえる。 でも、そんなことで名なんか売れない。
いまの学生は科学哲学どころか哲学の本も読まないんだろうな いまのこの板を見ていてそう思う
不景気で就職難だからな 就活で忙しいんだよ
393 :
酔っ払い :2011/05/01(日) 20:22:12.27 0
人の数だけ考え方があり、それを、分類するのは難しい。 過去の偉人達が考えたことも、彼らが存在した世界での話。 もちろん、現代でも的を得てる思考もある。 今考えている事も、将来的には吹き出したくなるような考えかもしれない。 でも、考えることは面白い。何故なら、なんでも有りだから。 もっと建設的な議論を希望する それができない人は・・・
394 :
迷いネコ :2011/05/01(日) 21:23:49.79 0
>>393 酔っ払いさん
まっ、これは「人類の宿命」でしょうね。
何度も申し上げておりますが、その「本質」とも言える人間の行動原理が『自己満足』にあることと、
我々の発達した前頭葉、すなわち「成し遂げる『脳』」には「善悪・正誤」などという機能は持ち合わせていないので、
現在のような「情報過多」になってしまうと、個々、各々が好きなものをチョイスし、好きに盛り上がってしまうのです。
そうですねぇ、サンデルさんの「白熱教室」みたいに、子供の頃からそういう環境があれば、こうはならないでしょうけどね。
395 :
酔っ払い :2011/05/02(月) 21:29:36.06 0
>>394 迷いネコさん
お久しぶりです。皆さんにいろいろ情報を頂いて勉強中です。
自分が何をしたいのかも良く分からなくなってきました。
社会への貢献を『自己満足』にできるように刷り込みするのがいいのでしょうか?
396 :
考える名無しさん :2011/05/03(火) 00:30:18.70 0
>>395 それで君が納得できるのならいいんじゃない?
納得できそうにないのなら、一度落ちる所まで落ちてみるのがいい。
財も友も家族も捨てるんだよ。まあ本当に捨てなくてもいいけど、捨てたと思えるくらいの状況にする。
それで満足していければ、その中にすでに君の満足のヨウ素はあるんだから、社会貢献は別にしてもしなくてもいいんじゃないの?
逆に、満足できなければ、満足するための条件を探すことになる。
もしそこで昔の状況、財やトモや家族や社会へのつながりへの回帰、が生じてしまったなら、その辺に君の満足のヨウ素があるということになってくる。
おれの予想では、社会貢献を自己満足にできるように刷り込みなんて社会貢献をバカにして退けてるけど、
多分自己満足のために結局社会貢献の一旦を担う道に入ることになるんじゃないの?きみは。きっとね。
いいからスレタイよめよ
398 :
迷いネコ :2011/05/03(火) 18:33:09.68 0
>>395 酔っ払いさん
>自分が何をしたいのかも良く分からなくなってきました。
大丈夫ですよ、日本人の多くが「その領域」に入っておりますのでね。
私は、ただ「『人類の平和な未来』にするには、どうすれば良いか」ということをブレずに考えていきたいと思っております。
>社会への貢献を『自己満足』にできるように刷り込みするのがいいのでしょうか?
べつに、そこまでしなくとも「義務教育を『模擬社会化』」すれば、
多くの人間が、大人になる頃には、社会全体が観えるようになり、まっとうな「労働」は『社会貢献』であることが理解できているはずです。
そして、その中から「『純粋に』社会貢献したい」と考える人間も多く生まれ、優れた「政治家・官僚・学者」なども生まれるでしょう。
399 :
酔っ払い :2011/05/04(水) 20:13:14.99 0
例えば「義務教育を『模擬社会化』」したとして そこで落ちこぼれた子供はどうなるのでしょうか?
400 :
考える名無しさん :2011/05/04(水) 20:57:37.92 0
>>393 おおむね同意。なんでもありでいいんですよ。
ただし、より建設的にいこうと思うならやはり勉強も必要です。
時代の制約の部分(歴史的視点)と、人間や科学の普遍的な部分、の両方ありますしね。重要。
しょせん過去のものだから自分には関係ない⇒勉強など不要、というわけではない(当たり前ですが学問や勉強はそういうものではないですよね)。
勉強したくない、できない、のいいわけにしてはいけません。
まあ、詳しい人、より深く考えてきてる人が補足・批判・他のさまざまな視点の可能性などを示してくれれば
それでいいと思うんですがどうでしょう^^
迷い猫さんがサンデルさんの「白熱教室」の話を出してますが、
あれもそうですよね。
簡単にでもいいから、先人のアイデアについての勉強・批判の上に議論
を積み重ねて、そして現代的な問題にたいして新たな切り口を探り合うというほうが
議論が深まるのでは。
401 :
考える名無しさん :2011/05/04(水) 21:20:53.34 0
402 :
考える名無しさん :2011/05/04(水) 23:07:28.98 0
>>396 1.一般的な市場原理によるもの、2.役所仕事や政治などの公的部門、3.ボランティア・私生活面
で分けて考えてみたら。
その中にはやっかいで複雑な問題がからんでるのに、そこを自覚できてねえで、
単純なことだよ?先人(といっても多くは20世紀以降中心)の議論なんかあんまり関係ないし興味ないとかいうんなら
議論は終了、得るところもないってことになると思うやつが大半の考えだと思うが。
だからスレタイ嫁
404 :
酔っ払い :2011/05/05(木) 16:10:22.78 0
>>400 ご指摘ありがとうございます。
もちろん、勉強したくない、できない、のいいわけにするつもりはありません。
今後とも精進していくつもりです。
405 :
酔っ払い :2011/05/07(土) 20:20:50.14 0
年を重ねる毎に世界観が変わっていく 死期が迫ってくると一匹の人間であることを意識するようになる 残された時間の中で将来の人類のために私は何ができるだろう。
人類のために酒を呑む
いつになったら科哲になるのやら ある意味ゴドーだな
変なのが棲み着いちゃったからな。 本人は楽しいのかもしれんが スレにとっては悲劇だ。
409 :
迷いネコ :2011/05/08(日) 14:04:58.43 0
>>399 酔っ払いさん
遅くなりました、申し訳ない・・・。
>そこで落ちこぼれた子供はどうなるのでしょうか?
どうやっても、ある程度画一化された社会においては「落ちこぼれ」は存在します。
どうなるもこうなるもないのですが、 まぁ「落ちこぼれ」を少なくすることは可能でしょう。
また、そのようなことも含め「義務教育を『模擬社会化』」して行けば、
次の課題も観えてくるので、その時点で対応を考えて行けば良いと存じますよ。
まっ、何にせよ、「鉄は熱いうちに打て・三つ子の魂百まで」でございますよ。
410 :
酔っ払い :2011/05/10(火) 22:05:40.15 0
「義務教育を『模擬社会化』」が良く分からないので 一度読み返してみます。
ぜんぜん読んでない通りすがりだけど、義務教育なんてもともと模擬社会じゃん、と思った。
412 :
考える名無しさん :2011/05/10(火) 22:32:48.70 0
哲学入門書を2冊読んだので、科学に注目して哲学書を読み進めていこうと思うのだけど、 どのへんからがおすすめでしょか 中世の暗黒時代を切り開いたのは誰なんしょ アリストテレス? -> (暗黒時代) -> ガリレオ?
ベーコン、ヒューム、カントのライン。
414 :
考える名無しさん :2011/05/10(火) 23:13:46.12 0
大陸合理論 「神の哲学」あるいは独断的形而上学を脱してはいない特異なもの イギリス 人間の学的認識論 心理主義であれ論理主義であれ つまり現代的にはまずヒュームへいけと 合理論に分類されるがデカルトもよし ヒュームで終わるわけにはいかんので、それをのりこえる一つのやりかたとしてカントもよし ただ、やはりカントも古い大陸合理論の形而上学だな カントを基本にしてはいかんと思う 現代的には言語と心理の性質+諸科学の成果 で思想をくむべきだろう
415 :
412 :2011/05/10(火) 23:19:13.85 0
>>413 さん、サンキュー
ベーコンが科学への流れの起点ですかねぇ。
コペルニクスとベーコンは、あまり関連ないのかなぁ。
コペルニクス『天球の回転について』(1543)
ベーコン『新オルガヌム』(1620)
ベーコンを少し調べて、カントの「純粋理性批判」を読むかしら
416 :
考える名無しさん :2011/05/10(火) 23:28:41.89 0
>>415 古代ギリシャにしろ中世イスラムにしろ科学は脈々とあったのでは・・?
科学とその他との分離がはっきりなされたのはどのあたりかってこと?
・デカルトにもその萌芽はよめるし、
・ヒュームなんかは極地じゃないか?科学自体が経験主義的なもんだし
ありゃニュートンの大成功を受けた思想でしょ いきすぎて自然科学すら懐疑になってるだけど
・カントの純理はたしかに科学(経験界)と形而上学(英知界)の領域をはっきりわけてるね
科哲スレでニュートンどまりw
418 :
考える名無しさん :2011/05/10(火) 23:36:55.36 0
ベーコンは読んでみると結構面白かったな 人生の師匠って感じで、まあ人生訓として読むならパスカルの方がメジャーだと思うけど まあ科学の帰納法(つまりはアリストテレス打破)ってのは哲学的にはベーコンが元祖でしょ まあベーコンは天動説支持っぽかったし血液の性質が病気の原因とか間違いも信じてたけど それとデカルトの登場で基本的な科学の姿勢は決定付けられただろうね ニュートンがデカルトの本を線引いて研究していたらしい 基本的な姿勢は変わってないだろうね、世界を実証的に知ることで人生を良くするという 精神分析やマルクス主義、科学哲学なんかは科学と哲学をごっちゃにしてて 実用的という意味においては科学ではない気がする あとカントは科学万能(哲学的には理性万能)の風潮に いち早く水を差した人なのでまあ反科学(万能)の元祖のようなものだと思うけど 宇宙の星雲説を発表したり大学では地学とか教えてたりしたけどね
419 :
考える名無しさん :2011/05/10(火) 23:37:52.85 0
ガリレオ止まりww
421 :
412 :2011/05/11(水) 00:18:11.73 0
>>416 >科学とその他との分離がはっきりなされたのはどのあたりかってこと?
そうですね、まずはそのあたりですかな。あと、科学が輝くためには科学哲学への理解も必要かなぁと
(ニュートンさん忘れてました。(^_^;)
科学的なものは、脈々と受け継がれていたと思います。
ただ、多くの人々に明確に意識されたのはどのへんかな、と興味持ちまして。
活版印刷の発明も大きく影響あったかな(科学に限らないけど)
>>414 さん、なるほど
>>418 さん、ベーコンも読んでみたくなりました。ニュートン -> デカルトの流れもあるんですね。
科学者の名前が挙がると、文脈関係なしに ○○止まりww と書き込むことで、自分が賢くなった気がします。
423 :
迷いネコ :2011/05/11(水) 11:43:47.65 0
>>411 考える名無しさん
>義務教育なんてもともと模擬社会じゃん、と思った。
ぜんぜん違いますよ、よく考えてみて下さいまし、
現実社会において「一緒にお手てつないでゴール」や「四択の中から答えを当ててお給金を頂ける」なんてのはあり得ないでしょっ?
>>422 考える名無しさん
まぁ、人間とは「己が『賢いっ!』」と思い込みたがる動物ですからねぇ・・・。
>>410 酔っ払いさん
ただ、現実社会と同様の構造やシステムを子供社会に当てはめて考えて頂ければ良いだけですよ。
>>399 大丈夫、勉強ができない子にはしっかりとした理由があるから
そこを直せばいい。
425 :
考える名無しさん :2011/05/11(水) 12:59:41.52 0
迷い猫のように勉強や学問があんまり得意でなかったような子でも 立派に働いて稼げてるんならそれでいいってことだな 学校教育は「一律に」学業に傾きすぎてて、実社会や個々の人間の本質からはなれてるてことか?
>>425 ちょっと違う。勉強が得意な子は小さい頃、いたずらした時に
説得して育ったの。そうなると学校に行ったとき、話し合いの
重要性を知っているから、先生の話を聞くの。
一方、勉強ができない子は、悪戯したら、叱られたり叩かれたりするの。
すると学校に行ったとき、先生が話してても、どうせ最後は
叫んだり、叩いたりすれば、解決すると思っているから、
話に集中できないの。
>>426 また修正、ごめん
いたずらした時に説得されて育った
そういえば、科学哲学って何?
430 :
迷いネコ :2011/05/11(水) 13:18:56.95 0
>>425 考える名無しさん
>迷い猫のように勉強や学問があんまり得意でなかったような子でも
ウっ !? 鋭い・・・。
>学校教育は「一律に」学業に傾きすぎてて、実社会や個々の人間の本質からはなれてるてことか?
う〜ん、平たく言えば、そういうことでしょうかね・・・。
そうですねぇ、
例えば『模擬社会化』ということで「子供手当」を親に渡さずに、
子供に直接「お給金」の形にして渡すのも、人間社会というものを「実感」してもらうためには、ひとつの良い方法だと思いますよ。
431 :
考える名無しさん :2011/05/11(水) 13:46:51.56 0
>>426 そうか?
倫理・道徳教育と学業や知性の問題をごっちゃにしてないか?
倫理・道徳については、〜だからだめ!と説明可能な事柄と、
とにかくだめ!としか言いようのない事柄があると思う。
小さい子供には前者も後者も理屈よりカラダで覚えこませるのでも十分。
理屈はそのうちわかるようになるし、理屈がわからない(ない)場合でもとりあえず従わなくてはならんから。
勉強が得意になるかどうかだが、半分は先天的に知能は決まっている。
筋のいい子は最初から結構できる。最初のうちはさほど苦労しなくてもさくさくできるんで気を良くしてさらに先に進む。物事に対する関心や好奇心ももともと高い。
筋の悪い子はものわかりや物覚えが悪いので余分な勤勉性や時間を要しイヤになる。しかもあんまりできてない。基本的にはテレビやゲーム、芸能ゴシップ、スポーツ、近所話にしか関心をもたない。
のこり半分は勤勉性や集中力、家庭や学校の文化性。
しかしまあある程度学歴社会が残っている(しかし成長時代の安定期もとうに過ぎそれも廃れてきている)というだけの
理屈で勉強に対する勤勉性や集中力を引き出すのは困難。尻をたたくか、脅すか(〜に入れなかったら人生終わりとか。まあそんなことはないんだが(笑))。
学ぶのに理屈はいらない。理屈が立とうが立つまいがやるやつはやるしできる奴はできる。
どっちにしろ学校や家庭が子供に押し付けてる価値観(学校・家庭特有の勉強、道徳)は実社会ではまったく通用しないがね。そこが問題か?
>>431 そんな事無いよ。名前を読んで返事できるくらいなった、年齢の子は
言葉が分かるの。でもまだしゃべれないの。言葉は分かるけど、喋れない。
赤ちゃんはその矛盾を抱えてるの。だから親は子供のしぐさを見て、
何を伝えようとしているか、感じ取らないといけないの
ポパーの「近真度」概念ってどういう扱い受けてるの?
後新書等以外で読んだのは「PCRの誕生」「科学革命の構造」です。
>>434 普通の科学哲学も含みますが、領域はそれより広い「分析哲学」の雑誌です。
>>435 「原著論文」に相当すると考えてもらってかまいません。
ただ実験をしない文系論文の場合、内容が「総説」的要素を含むことも少なくありません。
438 :
酔っ払い :2011/05/13(金) 21:05:38.42 0
政治思想板に『●●理想の社会とは』を立てました。
よかった・・・ そちらでのご活躍を期待しています さようならまたいつか
クーンの科学革命の構造とポパーの科学的発見の論理は読んどけ
441 :
酔っ払い :2011/05/13(金) 22:23:51.10 0
>>439 何を期待しているのか知れませんが
板を立てただけでここを離れるとは言ってませんよ
444 :
考える名無しさん :2011/05/14(土) 01:01:03.75 0
>>436 分子生物学専攻か?
PCRは便利だが、原理自体はそんなたいそうなもんでもないよな。
物理や物理数学くらいはかじっとこうぜ。適度な本なら出てるし。
アホにならないようにな。
こっちも理系だが、
やっぱり科学哲学と分析哲学と論理学は教養として本業のかたわらにでもやったほうがいいと思ってる。
445 :
考える名無しさん :2011/05/18(水) 13:43:03.84 0
>>432 赤ちゃん学の本読むと
1,2歳時くらいでもほとんどの会話は理解しているし,
1+1=2くらいはわかるみたいだな。
446 :
酔っ払い :2011/05/20(金) 22:07:10.87 0
>>445 >1,2歳時くらいでもほとんどの会話は理解しているし,
話をしている事は理解しているとは思うが
その話の内容までは理解していないと思うのだが
いかに
本のタイトル等教えてください。
447 :
考える名無しさん :2011/05/20(金) 22:09:08.67 0
とある魔術の科学哲学!?♪。
>>435 科学哲学者の書く科学哲学の議論は仲間内での受け狙いでセンセーショナルで極端な暴論が多くて
現実に科学をやっている人間から見て参考になるものは非常に少ない。
ポパーの反証可能性という概念や科学理論としての基準もポパー自身が提出した時点では自然科学者から見て比較的妥当なものだったが、
その反証可能性すら彼以降の「科学哲学のための科学哲学」屋にかかると、非常に極端な話になってしまい
実験に基づく自然科学の理論の基準とは使えなくなってしまっている。
結局、科学哲学は科学とは何かを的確に解明しようという本来の目的を忘れて、極論を吐くことで人を驚かし
科学とは無関係に科学哲学という学問をアピールすることが目的となってしまった。つまり自己目的化だな。
喩えて言うならば、官僚が公僕としての役目を忘れて自分達が食うために制度やルールをどんどん生産するようになったのと同じようなもの。
だからソーカル事件などがおきても金森みたいに相手の方を弁護する馬鹿が科学哲学者にはぞろぞろいるんだよ。
科学者として科学哲学を勉強しておこうと思うんだったら、まだ科学哲学が初志を忘れていなかったころ、つまりは古典的なのを読むんだね。
今の科学哲学は単なる言葉遊びのゴミばっかり。まあ時間つぶしには良いかも知れないが科学を志す人間にとっては何の役にも立たないのは保証できる。
三中なんとかの分類思考の新書は面白かったな
自分の名前を分析してみたら、赤子を意味する名前だと知って ちょっと感激した。。
>>448 こういう、質問に全く答える気もなく
場違いな自分の意見を一方的に垂れ流す人って
何かの病気なの? あるいは受けた教育の問題?
そうかな? 現場の自然科学屋に意外に素朴なポペリアンが多くて 科学哲学屋に相対主義者が多いという話はある程度当たってるような気がするが
質問者のバックグラウンドを考慮しての回答だから、 もしもこれが場違いだというのなら、それはむしろ質問をした側になるのかな
どっちかというとポパーの議論が ちょっと単純化し過ぎの極論だと思うんだけど。 少なくともアリストテレスの自然学のようなものを反証不可能だから非科学、 と切って捨てるのはポパーの本意でさえないと思うよ というか この雑誌は普通の科学哲学の論文雑誌か? 例えばこれは原著論文なのか総説なのか不明 →科学哲学者の議論は仲間内での受け狙いでセンセーショナルで極端な暴論が多い ポパーの反証可能性がどうのこうの、ソーカル事件がああだこうだ じゃ答えになってないだろ。 最初の問いへの答えはyes/no、次が原著論文/総説だ、という答えじゃないとおかしい
455 :
考える名無しさん :2011/05/22(日) 20:20:43.84 0
>>454 >>448 は自分の思考が整理できない文系バカの典型だから
突っ込むだけ無駄。相手と対話する気が最初からないし。
458 :
考える名無しさん :2011/05/25(水) 10:31:47.12 0
現在の科学哲学の研究者の間では、カントが『自然科学の形而上学的原理』などでやろうとしていたことはどういう評価なんだろう。 この著書のペーター・プラースによる解釈とかも含めてどうなんだろうか。
金森とか日本で科学哲学者って自称してる連中って海外でちゃんと発表して国際的に評価されてるの? それとも国内の仲間内の雑誌と現代思想みたいなトンデモ雑誌に発表したり日本語で本書いてるだけ? Handbook of Philosophy of Scienceのシリーズのいくつかの巻の論文の参考文献を見ても 日本の科学哲学者の仕事をリファーしてるのって見たことないんだけど。 まあ全部をチェックしたわけじゃないけどさ。
それは科学哲学、哲学に限らない話だな
461 :
考える名無しさん :2011/05/31(火) 22:38:34.56 I
もっと科学哲学を
>>460 > それは科学哲学、哲学に限らない話だな
自然科学系の分野だと海外で発表して国際的に一定の評価を得ている研究者なんて何人もいる
数学、物理、化学、生物学、医学、工学、どれも国際級やそこまでは行かなくとも海外の研究者から論文が引用される研究者など掃いて捨てるほどいる
海外の同業者からは相手にされず日本国内でヨイショし合ってお手盛りするしか能がないのは文系の特徴だろ
日本国内でしか通用しない科学哲学者がやってる日本の科学哲学は日本以外でのphilosophy of scienceと同じ学問だとは限らんってことだな
>>462 だから日本の文系なんて似たようなもんだといってるのよ
465 :
考える名無しさん :2011/06/01(水) 17:21:02.13 0
人文系は自国の言葉での蓄積が重要なのだ。 たとえばIwao Hiroseみたいな海外でだけ有名な哲学者は、ぜひ主著を日本語で書いてもらいたいものだ。
466 :
考える名無しさん :2011/06/01(水) 22:12:36.46 0
戦前の京都学派みたいなかたちで国内で充足するのはいい。 だが、おフランスやドイツ、英米を仰ぎみて向こうの思想を追いかけてはいるが 向こうからは相手にされてないってのはどうなんだ。 日本人で学問がしたい、国際的に勝負したいやつは理系を選ぶべきだ。 国際的に良い線いってる分野も多い。(というか雑誌も論文も基本的に国際基準でやってますから) 数学、物理、化学、生物学、医学、工学、このあたり。 文系ならせめて国内法学。
国際的に勝負したいからこの学問を選ぶ、なんて奴ほとんどいないだろ 自分が興味持ったジャンルじゃないと行けないよそんなの
>国際的に勝負したい 立派な志だし、腐すつもりは全然ないけど ちょっと途上国っぽい、てか韓国人とかみたい。 もちろんいいけどね。ただ理系でもそう露骨な人は あんまいないよ。
学問は勝負じゃないよ
>>465 > 人文系は自国の言葉での蓄積が重要なのだ。
科学哲学が研究対象とする(自然)科学はインターナショナルで普遍的な学問であり営みなんだが
母国語での蓄積をするのもいいが、いつ世界に向けてアウトプットを出すのかね?
アウトプットがなければ何もやらずに単に死ぬまで寝続けたて墓に入ったのと外部観測的には同値だな
お前の上の一文は、単に日本の科学哲学者は仕事をせずに言葉遊びで人生とお前たちの給料を負担させられている納税者を
誤魔化してる言い訳にしか聞こえない
471 :
考える名無しさん :2011/06/03(金) 00:02:11.41 0
>>468 理学だけど、
みんなそういう国際的意識でやってるよ。
もはや途上国的意識とかいうことでもない。
科学は
>>470 がいうように、グローバルスタンダードの同じ土俵でアメリカ人もイタリア人も日本人もたたかってるんだよ。
アメリカ、日本、シンガポール、韓国、ドイツ、イギリス、などの同じ分野の
有力研究者たちの動向を互いに意識しあっているのが現状。
工学・医学などはもともとそうだから言う必要ないけど。
>>467 たしかに。
ただ、西欧人文学は閉鎖的で、問題領域も特殊なものが多いと思うんだ。
日本人が思索して国際的に発表して許容されるには本来向いてない気がする。
国内の狭い仲間内だけで西欧人文学を閉じるのってどうなんだろうか?
>>469 教養・趣味としてなら勝負ではないが、
プロとしてそれを選び、発表して議論に耐え、許容されることをめざすならそれは勝負以外の何物でもないと思う。
くだらね
三流のクズがドヤ顔で学問論をぶつスレになってんな
日本には世界基準だと三流かそれ以下の科学哲学者しかいないからな
475 :
考える名無しさん :2011/06/03(金) 14:18:23.23 0
きちんと反論してからクズだと腐したまえ。
「めいめい研究してみてくれたまえ! じゃ、また来週!」
477 :
考える名無しさん :2011/06/04(土) 21:48:13.49 0
478 :
考える名無しさん :2011/06/04(土) 23:50:46.85 0
>>477 そのとおり。
先に発表しなければ、何にもしてないのと同じ。
しかも、だいたい人間のやること、考えることってのはそう大差ない。
結局競争。
ビジネスや開発、特許と同じだ。
なすか死ぬか、それができなければ初めから手を出すな。
そういう厳しい環境にいるのが理科系の大学研究者。
>>473 > 三流のクズがドヤ顔で学問論をぶつスレになってんな
世界に通用しない三流の屑学者ばかりが自然科学についての学問論をぶっている日本の科学哲学の現状そのものの縮図が
正にこのスレってことか
結論:社会に受け入れられないクズニートが世界に通用しないクズ学者を叩くスレ
481 :
考える名無しさん :2011/06/05(日) 09:51:19.02 0
ていうか、 科学哲学の話になってないでしょ、このスレは。 議論ではなく、 理系と文系の煽りあいってだけ。
482 :
考える名無しさん :2011/06/05(日) 10:17:16.47 0
理系の院生が憂さ晴らしに文系を煽って遊んでるんだよ
能力があれば世界に通用する分野にいるけどその能力がない奴が、 能力があっても世界に通用しない分野の人間を叩くスレかw
484 :
考える名無しさん :2011/06/05(日) 10:29:53.93 0
文理問わず全員猛省
485 :
考える名無しさん :2011/06/05(日) 17:01:44.87 0
他人を批判することで自己の存在価値を得ようとする人間よ あんたは、幸せになる事は無いだろう
486 :
考える名無しさん :2011/06/05(日) 17:18:01.03 0
人文系のひとたちって互いに批判してばっかりだよね
批判は歓迎すべきもの。それがしっかりと根拠のあるものならね。 ところが、大学の学内や学会でも2ちゃんねるの煽りや嘲笑のような 発言ばかりが蔓延していて、それを地位と権威のある人間がやって いるから性質が悪い。ただ、実はこれは国際政治の現実を表している。
488 :
考える名無しさん :2011/06/05(日) 20:51:29.13 0
人文系ってのはネチネチして陰険で幼稚なオトナが多そうだな。 にちゃん並の悪口・無駄話に理屈つけてる奴が多い。
雑魚
490 :
考える名無しさん :2011/06/05(日) 21:27:25.31 0
理系や法経と違って、 いまどき人文系に 優秀な人材の層が集まりにくいのはしょうがないだろ。 文献オタクの最後のはきだめみたいになってる。 分野の現状をかんがみれば、もったいないし。 女ならまだしも、男で文学部とかないわ。
科学哲学は文明を強化出来るよねー!?♪。
492 :
考える名無しさん :2011/06/05(日) 23:09:30.09 0
科学が発達してなかった2000年前ならともかく今の時代になんで哲学してんの?
人間だから
494 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 09:04:43.00 0
科学は現象がどうなってるかは分かるが、現象に対してどうすべきかは何も明かさない。 過去の西洋哲学はほとんど妄想に近い。科学哲学の中であるていどどうすべきかに答えているものがあると思う。 パーフィットがそうだと思うが、それより仏教の方が明晰である。これはパーフィット自身も認めている。
495 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 10:23:38.76 0
哲学=妄想=価値無し=真理 答えが出たな、しかも哲学としては出してはいけない答えがw
496 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 10:38:51.60 0
>>科学は現象がどうなってるかは分かるが、現象に対してどうすべきかは何も明かさない 知識を得るまでが科学、 それにもとづいてどうすべきか考えるのが技術であろう >>哲学としては出してはいけない答えが ウィトゲンシュシュタインか?
497 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 10:59:29.66 0
古代は哲学=科学であっただろうが 現在の哲学とは妄想学である以上何を言っても言い訳に過ぎず無意味 可哀想だけど価値無いのよ、その時間を科学技術の発展にでも使いなさい
498 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 11:05:57.21 0
そりゃ、技術って普通いわんな。応用科学とか技術のこと言ってるなら、どう使うか、どう用いるかってことでしょ。 そんなことを「どうすべきか?」と言った訳ではない。どう生きるべきかという意味ね。技術についてはハイデガー読んでね。 科学万能の時代は19世紀に終わってるでしょ。欲望を制御しなければ、科学という盲目のブルトーザーはあらゆるものを壊しつづけるでしょう。
499 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 11:16:52.03 0
あー言えばこう言う、科学を否定しネットでその事を言うとはどんな皮肉だよ
500 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 11:17:51.64 0
ハイデガーの技術批判を要約してみろよ 人間が人間の生みだした技術・システムに縛られる・規定されるってか? ハイデガーやフランクフルト学派の難癖じゃねえか? 科学万能だなどとは理系の人間でも信じてねえが、 いまある方法論のなかではこれがベストであるというだけだ。 技術を乗り越えるのもまた技術であり、その前提となる具体的な科学知だよ。 組織運営・労務管理などの問題はあるだろうが、 それは生みだした科学や技術そのものの問題ではないだろう。
501 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 11:25:35.83 0
>>498 現象に対して「どうすべきか」といっとったじゃないか。
現象の性質にもとづいた、現象のコントロール・対処=技術と読まれても仕方なし。
どう生きるかの前提となる方法論をたてて、対処していくというのも生活の技術だろうが。
なにがハイデガーについて読んでね、だ。ハイデガーについてはひとことも
いってなかったじゃないか。
502 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 11:27:27.41 0
さ あ 、 も り あ が っ て ま い り ま し た
503 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 12:31:07.54 0
そう技術の自縛。現代社会を冷静に観れば明かでしょ。必要ないシステムのために右往左往する我等。 例えば、原発なんか80年代の生活にすればいらなかったシステムだし。このネットも、ほとんど要らないものでしょ。 そういったほとんどの技術がない方が、心安らかに暮らせる。単純な話、先進国の子供より後進国の子供の方が楽しいそうだぞ。
504 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 12:37:17.63 0
>>501 すまんな。三行しか書けないんで長文で説明できないんだよ。だから、誤読だって。
君が技術という言葉を出すから、なら、技術に対する警告はハイデガーが最も適切だと思ったわけね。
そういう技術じゃなく、どう生きるべきかという信念体系なしにニヒリズムに投げ出されるのはとても辛いわけだ。
505 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 13:19:25.12 0
>>503 >>例えば、原発なんか80年代の生活にすればいらなかったシステムだし。このネットも、ほとんど要らないものでしょ。
ならなんでパソコンも携帯も捨てて、工業生産・工業技術の恩恵を捨てて、
南洋とかアフリカの田舎とかで
暮さないんだ?それがおまえにとってより幸福だと思うんだろ。
原発だって、古いのを使いまわしたり、災害の可能性を甘く見たりせずに
きちんと管理・運営すれば良い問題じゃないか。
いや、それでも原発に問題があるといったって、それにかわるクリーンエネルギー技術を
生み出すのに力を注げばいいことだ。
>>どう生きるべきかという信念
君は信念のゆらいでいる元キリスト者かなんかか?
公的には社会的責務を果たし、私的には公共の福祉に反しない範囲で
したいようにすればいいだけでは。
人生にも死にも余計な意味づけは必要ない。
506 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 14:11:05.23 0
山でひっそり暮らしたいんだが、なかなか周りが許してくれないんですね〜 原発が管理できると思ってるから、こうなっちゃったんでしょ。欲望を抑制しなければ無理、経済にしても政治にしても同じこと。 科学にしても政治・経済にしても、それを統御する信念体系が必要でしょ。現代の信念体系の基礎となっているキリスト教などのセム思想こそが、諸悪の根源でしょ。
507 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 17:23:53.12 0
つまり科学や技術そのものが問題なのではなく、 それを使いこなす側の人間や組織というものが未熟であると。 そういうことかい。 なら、技術批判・科学批判ではなく、組織の倫理批判だな。 >>現代の信念体系の基礎 日本の場合は組織・共同体にたいする盲目的・封建的な忠誠でしょ。 これが社会全体や個々人の幸福とくいちがううえに、正しかろうがおかしかろうがこれらよりも優先されるというとこか。
508 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 17:28:44.94 0
欲望は悪いものではなく、いいものである。 それをとことん満たすのもよい。 宗教や哲学、科学の真髄に向かいたくなるのも世界把握・生の把握への欲望である。 ただし、節度と調和が保たれており、自己と他者を傷つけることがなければ、だ。 欲望の追及・充足と公益の両立をはかるしくみがあればよいが、 現在の市場原理や行政原理では不十分すぎる点はみとめる。
509 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 20:32:28.14 0
ちがうな〜 じゃあ、喩えよう。刃物や火は便利である。だけど、使う人が正常でなければ破壊的である。 刃物や火が、どのようなものであるか記述・説明するのが科学であり、それに基づいて作ったり用いたりするのが技術。 それをどのように用いるか決定するのが信念体系なわけ。例えば、なぜ刃物で人を刺してはならないとかの根拠を与えるものね、そういったものがどうしても必要なわけだ。
510 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 20:47:48.81 0
511 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 20:54:56.96 0
倫理学の整備と普及ってか プラグマティズムでいいんじゃね
512 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 20:56:10.90 0
ちがうな〜、西洋の科学・技術の発見、躍進、征服以来、信仰体系のニヒリズムが蔓延してるでしょ。 これをニーチェは神の死と表現した。日本も敗戦以降、同様、もしくはより深刻なニヒリズムに陥っていると思う。 だから、財の獲得、快感の追求、観念の探求のいずれかを追求し、それが達成できなければ自殺する社会になっていると思う。
513 :
考える名無しさん :2011/06/06(月) 22:20:18.27 0
私にはニヒリズムなどない。 なぜなら、わたしのこころのなかには天皇がいるから。
科学哲学はラカトシュで一応の結論をみているような気がする ラウダンってラカトシュの「研究プログラム」を「問題」と言い換えてるだけでしょ
515 :
考える名無しさん :2011/06/08(水) 05:04:23.73 0
516 :
考える名無しさん :2011/06/08(水) 16:52:45.35 0
>>財の獲得、快感の追求、観念の探求のいずれかを追求し、それが達成できなければ自殺する社会になっていると思う。 そりゃ人類の大多数は物質的貧困、病気、圧政に苦しみ、 それらに対する対処も努力もする余地がなかったから宗教にすがるしかなかったんだろ。 科学や技術、医学、経済活動、行政などできることがあるうちは(というか現代にはまだまだできることやるべきことはある) ニヒリズムに陥ることもなければ自殺しようとも思わないだろう。 いよいよすべてを失ったとき、あらゆる努力が無効になったときの問題だろ。 あるいは人文屋や形而上学屋自身の学問上の行き詰まりからくるニヒリズムを社会全体・世間一般に勝手に投影しちゃってるだけ。
>>516 >いよいよすべてを失ったとき、あらゆる努力が無効になったときの問題だろ。
>あるいは人文屋や形而上学屋自身の学問上の行き詰まりからくるニヒリズムを社会全体・世間一般に勝手に投影しちゃってるだけ。
形而上には行き詰まりとかない、
そもそも行き詰まりこそが形而上を扱う人には始まりであって
努力ほど無駄なものはない。
>ニヒリズムに陥ることもなければ自殺しようとも思わないだろう。 これは後付でニヒリズムに陥る者=自殺と定義している。 516の希望か単なる勘違いにすぎない。もし自殺があったとしても それは情動によるものではなく、本人すら気が付かない自然死である。 理屈によるものでもない。
519 :
考える名無しさん :2011/06/09(木) 11:00:05.69 0
>>もし自殺があったとしても
それは情動によるものではなく、本人すら気が付かない自然死である
こういう根拠のないこといっちゃうからだめなんだよ。
本人すら気が付かない自然死とはどういう意味で言っているのか?
生物学的原理か?
おれは生物学専攻だが意味がわからねえ。
それともなにか?精神分析の文脈での深層心理による死ってか?
それなら情動によるものではないという意味がわからんな。自殺にはつよい衝動と意思が必要だろうが。
>>512 のやつのいう文脈のとおり、
強烈なニヒリズムに陥る者のうち、自殺に追い込まれるものもいるのは自明だろうが。
このスレのなかのだれもニヒリズム=自殺だなどと言ってねえ。
>>517 は、もう一回自分で読みなおしてみろ。自分が何を主張しているのかわかっているか?
ファイヤアーベントってどういう評価されてるの?
トンデモ
>>520 少なくとも世界中の自然科学者からはゴミ扱い
日本の科学哲学屋には崇めてるバカもいるみたいだけどな
戸田山さんてば実在論。いいんじゃないかなー、それで。
>>524 絶対に正しい場所からの基礎付けを否定したら、その時点でその後の議論の
意味がなくなるような気もするんだが・・・
信念=ただ単にそう思っていること
知識=たぶん正しい信念
というレベルの違いしかないなら、「たぶん正しい」に至るための議論に何の意味があるのかと。
そこに至るための正しい思考方法の探究というなら、外在主義なんて何の意味があるのだろうか。
という議論の必要性そのものがよく分からないんだよなあ・・・
528 :
考える名無しさん :2011/06/15(水) 15:01:31.98 0
>>524 「認識論が科学の基礎づけをしますよ」
ってそんな人現実にいるのですか?
カントの時代はともかく,
現在の認識論的な議論って
「生活世界」とか用語は違うけど、
自然科学とは別の精神科学の世界内の
議論じゃないですか。
その手の人たちがやってるのはずっと昔から藁人形を立てた自作自演だけだから、 何も目新しくないし、まともに相手にする価値もない。
科学哲学に近い学問領域としては何があるか 分析哲学、言語哲学、プラグマティズムといったところだと思うが、他には何があるか? ちなみに、科学基礎論や科学社会学は広義の科学哲学に含まれる
531 :
考える名無しさん :2011/07/01(金) 10:03:16.63 0
>>524 認識論の社会化とか
現象学の間主観性と基本的に同じものじゃないの。
戸田山さんの議論って藁人形を立てた自作自演の感が強い。
別に現象学みたいに個人の主観を超越してどうのこうのということに 強く興味をもってるわけじゃないから、ちょっと違うんじゃないの 他者との了解がいかに可能になるのか、みたいな大陸哲学っぽい話じゃなくて、 もっと英米哲学的な平易で素朴な話だと思う
533 :
考える名無しさん :2011/07/04(月) 09:38:39.03 0
>>532 サールとか英米の人は
その辺は余り詳しくないけどぼくは違う問題の分け方をする
とか正直かつ上品に書いてくれるのでわかりやすいのですが、
伊勢田先生とか内井先生には感じない違和感を
戸田山先生には感じる。
>>531 藁人形って、基礎付け主義や内在主義なんてもういないのに、居るかのように
批判しているということ?
実際はあっちの方がいまだに通説ではないかと・・・
クワインの議論を借用して、認識論の自然化を書いている部分は、たしかにクワインが
批判の対象としていた状況が誤りなので、あれは藁人形論法っぽい。
535 :
考える名無しさん :2011/07/06(水) 15:46:48.44 0
>>534 →デカルトの議論がこういう特徴を持つからといって
「伝統的な知識の哲学が内在主義的で基礎づけ主義的
になってしまったのは・・・根本的に方針を間違えたからだ」
などと言えるだろうか?
内在主義や基礎づけ主義が出てきた理由は、
信念の正当化を求めたいという動機からも十分説明できる。
ttp://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~tiseda/works/epistemology.html 現象学って学問的知識と信念の正当性の二つのレベルの話しを
していて学問的知識の同一性・不動性って当然の前提で、
わりあい結論的には限定的な話しなのです。
上を読むと伊勢田先生はそれを理解しているように読めるが、
戸田山さんはそれを混同しているような・・・
このスレは紳士的な方が多いですね。
>>535 たしかにデカルトのような絶対的基盤を求めていない穏健な基礎づけ主義と
内在主義の立場にデカルト批判を延長させて及ぼすことには違和感がある。
戸田山には「絶対に正しいことが保証されない方法論」が気に入らないという感覚と、
「客観的に正しいものこそが正しい」という感覚を感じる。
それで人という認知主体を中心とした知識論にそりが合わない。
だったら、「図書館とネットで調べつくす」という方法論でいいのかと言うと、それでは
哲学をする意味がないので、人でない場所からの客観化を人が判断するという
堂々巡りのような方向に向かっているような感じがする。
内在主義+基礎づけ主義のチザムの『知識の理論』では、人が認知主体として
より正当化された知識に至る方法として知識論を位置づけている。
この出発点に立てば内在主義+基礎づけ主義にしか至らない。
なんか両者の間で議論がかみ合っていない感じがする。
537 :
考える名無しさん :2011/07/07(木) 22:53:53.14 0
科学哲学ってなんだよ。自然哲学じゃないのかよ。 理学出だけど、「空間とは何か」とかやってくれよ。 文型ちゃんはつまんねえ。
科学の「方法」は、広い意味での思想だかんな。 まー文系なんよ。
539 :
考える名無しさん :2011/07/08(金) 09:42:49.83 0
そういう意味では科学の基礎知識が一部怪しい 人もいますよね。 戸田山・内井・伊勢田・高橋・中山あたり の入門書かいている人の学会内での評判とか どうなんでしょうね。 どうせ全部は理解できないからそこは目を つぶっているという人もいますが。
540 :
考える名無しさん :2011/07/08(金) 10:33:30.52 0
犬(畜生)の性格は嫉妬深く粘着質で、迷惑な大音量ノイズで空気を汚染する。 犬は群れて自分より弱い生き物を襲う。 犬は猫を殺し、食べる。 犬は狂犬病という恐ろしい病を噛みついた相手に与える。 犬は手を上手く使えず、代りに吠える。 犬は調教されないと使い物にならない。 犬は調教されて商品化される。 犬は調教されさえすれば、操り人形のように使役できる。 犬はとても臭い。 犬の糞は必ず害となり、人の世話を要する。 犬は地価を下げる。 犬はあなたの友達の数を減らす。 犬は家族を崩壊させる。 犬はあなたを犬に依存させる。
541 :
考える名無しさん :2011/07/08(金) 20:31:04.32 0
>>538 「文系」かどうかは別として、
それじゃあ 哲学にとって「真実」とは何?
民主主義のように多数派が「真実」になるの?
言葉は「真理」っていうのがいいのかわからないけど。
物理屋って、放射線関係のブルーバックスを 二、三冊読んだだけで放射線のニワカ専門家みたいに振舞いだすから嫌だ 本を幾ら読んだって自分の手で実験したりしなきゃ絶対分からないことは多いのに
543 :
考える名無しさん :2011/07/09(土) 11:28:56.55 0
物理学にとって実験で証明されねければならないことはあたり前のことです。 放射線計測の実験はやりますよ?選択だったりする場合があると思いますけど。 答えに困ったようですから、文型の人と話をするのをやめますね。 悪いけど、文系の客観により理系の客観を評価することはできない ようですし、ごく一部の自然哲学のみが自然科学には有用ということ のようです。
>>542 そりゃ物理屋じゃなくて物理をネタにした騙り屋だ
少なくともサイエンスのプロフェッショナルではない
でも物理法則と言われる仕組みに関しちゃ素養は高いはずだから
それに詳しくない人よりも的確な類推ができる可能性は高い
>物理法則と言われる仕組みに関しちゃ素養は高いはずだから >それに詳しくない人よりも的確な類推ができる可能性は高い ねーよw 物理板の惨状を見りゃ分かる 図に乗るんじゃねぇ
546 :
考える名無しさん :2011/07/09(土) 14:26:24.71 0
まあいいです。ブルーバックスは中学生の時たくさん読みましたよ。 わからないことばかりだったですが。 じゃあせっかくだから、質問しますね。 慣性は「なぜ」あるのか。その正体は。いわゆる 等速直線運動をする物体は等速直線運動 をし続けるのはなぜか。質量の大きい物体の方が小さい物体より加速しにくいか。
物理も哲学もやめたほうがいいと思う
物理屋って物理で飯食ってる連中のことかと思ってたが… まさか物理板のことだったとは予想外だw ここの哲学や物理ってのは2ちゃん内で完結する程度のもんかい?
549 :
考える名無しさん :2011/07/09(土) 22:39:30.94 0
それじゃ答えてみろ。 ここは2chだからプロじゃなきゃいけないってことはないだろ?
550 :
考える名無しさん :2011/07/09(土) 23:03:13.98 0
>>252 ぶちりで飯食ってる連中でもいいが、物理を長年専門に研究や仕事にしていた連中のことにも使う。
いずれにしても、物理をネットで知った気になってる奴らとかブルーバックスよんだだけの高卒とかは物理屋とはいわない
物理ごっこ厨の好きなブルーバックスやサイエンスやニィートン誌上のいろんな間違いを指摘できるようになって始めて物理屋を名乗れるだろう
2chやネットで物理屋きどってる連中は科学誌を神聖視してて間違い指摘どころか妄信してるからすぐ見分けがつく
中二が一人釣れた
552 :
考える名無しさん :2011/07/11(月) 13:27:33.05 0
中学生当時は読んでもわかりませんでしたが。 学士までは出ております
まだ釣れるw
やっぱ馬鹿な理系がこの手のスレに来ると レベルが格段に下がるな・・・
けっこういい流れになっていたのですが、 所詮2ちゃんということですね。
556 :
考える名無しさん :2011/07/13(水) 06:18:52.66 0
>>555 どの辺が、いい流れだったのでしょうか?
ただの負け惜しみにマジで突っ込んでやるなw
そもそもここ過疎ってるだろ
板自体が過疎板。 まともな奴は愛想つかして とうに去っていった。
人が去った分、分裂して人数を増やしている人がいるから、見た目には過疎ってないらしいよ。そんな風には思わないけど。
561 :
考える名無しさん :2011/07/17(日) 22:57:28.43 0
560 まあ分裂は昔からしてたみたいだけど、最近のはむしろ希釈して増やしてるって感じだな 洗剤とかジュースを水で薄めて強引に増やした感じ
濃縮果汁還元かと思ったが三増酒だったでござる
川添勇人とかいう慶応の文学部を卒業したアホでバカで精神障害者がいるんだが(慶応の文学部を悪く言ってるわけではない) 境界性人格障害という重篤な精神障害だが リスクが高過ぎる 自分のことを最高に明るい人間で 哲学のことなんて考えてるやつはみんなネクラだなどと幼稚園児レベルの脳ミソかもし出してたが 俺がこのバカでアホに関して許せないのは、哲学のことを全否定するような発言を連発して発狂したことだ いかなることにも二面性というものがあるということにも気付かず エキセントリックな状態でずっといたしいる お前自体が精神障害なのは知ったことではないが 精神障害者だからといって人様に迷惑かけていいことにはならない お前は哲学を少しでもやってる人のことをゴミ扱いしやがったが 一番ゴミなのはお前の方だということに気付け、アホ その明るく振舞おうと懸命な感じキモいんだよ アルコール依存症が重症化して死んじまえ お前のような無礼でリスクの高い社会のゴミは早く死ぬべきだ
川添勇人のような哲学を“全否定”するようなアホでバカは早く死ぬべきだ 第一 自分に都合が悪いことがあるとすぐにそれを顔に表して顔を歪ませるという精神障害者ぶりだ 哲学を全否定するようなアホに言わせてもらう、死ね、死んじまえ!
“全否定”するようなお前のようなバカでアホは早く死ぬべきだ
文系のハーバード・ビジネススクールでも教えてるから。 日本の教育がこの分野の重要性を無視しすぎなんですよ。
科哲、基礎論あたりに論文出してみようと思うんですが、査読どのくらいで返ってきます?
568 :
考える名無しさん :2011/10/02(日) 14:20:03.48 0
先輩方苦労してるみたいなんですが、研究職に就くためには、日本で博士号取るだけじゃだめなんでしょうか?
569 :
考える名無しさん :2011/10/03(月) 03:06:34.01 0
570 :
考える名無しさん :2011/10/06(木) 00:52:02.34 0
571 :
考える名無しさん :2011/10/21(金) 00:29:04.52 0
東大駒場の科学哲学ってどう?
572 :
考える名無しさん :2011/10/21(金) 13:50:23.49 0
科哲とか分哲の人間もそうだけど、一部の自称キリスト教信者は キリスト教を隠れ蓑にしているだけで、実際にはキリストの教えなんて まるで関係ないと思っている。でも、そうじゃない人たちは 自らが日々加担しているキリストの教えに反する非道悪行と 自らの信仰心の折り合いをどうつけているんだろうね? 自己欺瞞で対処しているようにも見えるけど、自己欺瞞を暴力的に 貫くのもキリストの教えに反するよね。 私は無信仰だからその心理構造がよく分からなくて不思議に思う。
573 :
考える名無しさん :2011/10/21(金) 16:26:20.67 0
科哲とか分哲の人間もそうだけど、一部の自称無神論者は 無信仰を隠れ蓑にしているだけで、実際には無神論なんて まるで関係ないと思っている。でも、そうじゃない人たちは 自らが日々加担している共同体の道徳律に反する非道悪行と 自らの常識的信念の折り合いをどうつけているんだろうね? 自己欺瞞で対処しているようにも見えるけど、自己欺瞞を暴力的に 貫くのも人間性に反するよね。 私は信を容認する者だからその無信仰をあげつらう人の心理構造が よく分からなくて不思議に思う。
無理に改変したせいで意味通ってないぞ
>無理に改変したせいで意味通ってないぞ ネタレスに自己欺瞞な暴力的レス 乙w
出来の悪いネタなら書きこまなきゃいいのに なりふりかまわずとも反論したかったんでしょ
貶すのに必死過ぎw そんなに怖がらなくてもいいのに。
論文投稿先に迷っているのですが、科哲と基礎論と、どうちがいますか?
579 :
考える名無しさん :2011/10/23(日) 21:03:54.25 0
580 :
考える名無しさん :2011/10/24(月) 15:06:15.37 0
581 :
考える名無しさん :2011/10/24(月) 21:56:19.71 0
筑駒文T
582 :
考える名無しさん :2011/10/25(火) 11:42:33.85 0
科哲も基礎論もほぼ同じ メンバーもかぶっているし 採択率もほぼ同じ ただ、科哲は査読者に誰が著者がわからないが 基礎論はわかる ところで科哲に剽窃論文を出した 羽地亮って神戸大を辞職したの?
583 :
考える名無しさん :2011/10/28(金) 03:17:50.81 0
哲学=気持ちよい自慰を探究する謂わば自慰學
「科学に時制はない」と言った哲学者は誰ですか? また、これは本当ですか?
586 :
考える名無しさん :2011/11/03(木) 23:40:10.36 0
むしり哲学的疑問を持たずに歩む人生が信じられない 突然生まれた自分が突然死んでしまう しかもまったく信じられない事ばかり起きる。哲学的疑問にとり憑かれて当然じゃないか。自然科学的アプローチも含めて。 「哲学は不要」とか言ってるやつは、酒に酔い潰れているおっさんに過ぎん(まぁ気持ちはわかるけど)。現実逃避に我を忘れているだけだ。 なんでこうなるんだ、みんな…。哲学的疑問の解決に全人生を掛けるべきではないのか。全人類は誤っている…。
587 :
考える名無しさん :2011/11/04(金) 02:06:29.89 0
がブがブルじゃらなの!? ルじゃががブルじゃらなの!?
588 :
考える名無しさん :2011/11/04(金) 04:26:34.77 0
信用してはならないリスト ・自称経済学者 ・哲学学者 ・御用学者 ・東電 ・政府 ・キュレーター ・ギリシャ ・パパンドレウ ・筑駒文T ・三島賞 ・情報環境論者 ・ロジック ・プラットフォーム ・ユビキタス ・2.0 ・アーキテクチャ ・エンパワーメント ・オープンガバメント ・ドットコム ・学術博士 ・マリエはしっかり拭いている
科哲や基礎論の論文の採用倍率を教えてください。
必ずしも1にはならないことは確定的に明らか
592 :
考える名無しさん :2011/12/19(月) 11:53:04.94 0
____ _,,..,,,,_/、.,、,、_∵∴\_ _ /i ./ ,' 3|. ≼◎≽.:', : .≼◎≽`゙:.:゙:,'.´i l ⊃:. :.、.:',.: .:: _;.;;..; :..‐'゙ ̄  ̄ `'ー--‐''゙ ∴∵∴∵∴| |::::/ ◎\: .| |:: | ト‐=‐ァ' |:| やっとるようじゃな? .\ | ` `二´' / ヾ r‐ ' _ノ ) ( (⊂ニニ⊃) `二⊃ノ (( r'ニニヽ. . ;; r':ニニ:_`ー三`:く._ [l、 /: : : : : : :`,ニ、: :_:_;> /,ィつ . /: : : : : : : : / : : : ヽ\ ,∠∠Z'_つ | : :.:.:.:.:.: . :/: : : : : : l : ヽ. / .r─-'-っ . |:.:.:.:.:.:.:.:.:.,' ''" ̄: : :l: : : :l / ):::厂 ´ |:.:.:.:.::.:.:.:l -─-: : /:_:_:_:_l / ̄`Y´ . |:.:.::.:.::.::l.__: : : :/::: : : : :l/⌒ヽ: :〉 |::.:::.::.::l: : : : : : /:::: : : : : |: : : : ゙/
たばこ1箱700円に値上? でも個人輸入すれば大丈夫。日本語の輸入代行も多数。 「たばこ 通販」とかで検索するとあるある、、、 送料込みで1箱90円とかの激安サイトもある。"
594 :
考える名無しさん :2011/12/20(火) 16:00:56.85 0
再販すると違法かな? そこら辺が割れてくると、新しい流通網が出来上がるね。 マフィアの領分だけど。
595 :
考える名無しさん :2011/12/30(金) 01:20:29.80 0
596 :
考える名無しさん :2011/12/30(金) 01:51:17.52 0
>>595 最後は津田が壊れちゃったんだね。
かわいそ。
>>595 馬鹿同士の罵り合いですね。
科学哲学なんて馬鹿じゃなきゃやらない。
何しろ科学哲学者ってのは科学のド素人のくせに平気で科学や科学者について語れると思ってるんだから
そんな事が可能だと思ってる科学哲学者というのは竹内薫の本を読んで知ったつもりになってるのと同じレベルの
傲慢な馬鹿ということだ。
だから科学哲学者が述べる科学哲学は科学者には相手にされないし価値も認められない。
ド素人はド素人らしく謙虚にブルーバックスでも読んでろよ。
598 :
考える名無しさん :2012/01/01(日) 05:33:00.45 0
論争終了かと思ったら、津田はまだ続けるつもりらしいなw
599 :
考える名無しさん :2012/01/01(日) 06:59:10.98 0
でも、テンソルを行列でしか理解できないんだろ?
とある思想の科学哲学じゃん。
601 :
考える名無しさん :2012/01/01(日) 18:55:32.68 0
>津田さんのことはけっこう尊敬していたのですが、相手の言っていることが理解できないときに、こうやって悪口を書かれるという態度には大変がっかりしました。 w
あの本を読んだ時点で相手の哲学知識のレベルが分かっているはずなのに、 何で相手をするのかなあ・・・ あの本は哲学の部分以外はそれなりに読み流せるからスルーすればよいのに 大人気ないなあ・・・
最近伊勢田さんはいろいろアレだよね ここは間違いです、ここは論外です、とストレートに言えば良いのに
良き哲学者は悪しき隣人です。 哲学者という「ならず者」は社会にでてはいけません!
605 :
考える名無しさん :2012/01/02(月) 19:59:25.98 0
津田って自分の間違いを認めないやつだな
『もうダマされないための「科学」講義』 (光文社新書)の共著者の部分に 同じレベルの査読をして駄目出ししたら面白そうだね。 それができないなら、相手を選んでいるへタレだな。
607 :
考える名無しさん :2012/01/03(火) 21:06:05.34 0
津田は本の売上げを気にしてるところがかっこ悪すぎる。
130頁の読み飛ばし本に「厳密じゃない」とかいうのはやっちゃいけない難癖だろw 自分の文庫本で同じことやられたらいい気はしないだろうに。 批判するなら自分の専門分野のクワインとヒュームに絞って、できるだけ穏当な言い方でやるべき。 自分も啓蒙書を書いている客商売の「芸人」という意識は無いのかね。 客が喜べばそれは「良い啓蒙書」なんだから、変な嫉妬と思われるようなことはすべきではない。 あの本はさんざん「自分はヒュームを分かっているが、わかっている研究者は少ない」という 大風呂敷を広げて、トンデモ・ヒューム説を開陳しているが、Amzonの書評で「ひっかかる」とだけ 書いて別の本(入門書)を紹介して高評価をつけた人のような穏健さは見習うべき。
609 :
考える名無しさん :2012/01/04(水) 04:45:30.98 0
岩波は津田のクソ本をさっさと回収しろ 人様に売れたもんじゃないだろ
610 :
考える名無しさん :2012/01/05(木) 03:46:41.79 0
伊勢田さんの反撃が始まった
疫学者のぶつヒューム論なんか大したこと書いてないのは明らかだろうと思うけどね
612 :
考える名無しさん :2012/01/05(木) 18:11:34.71 0
読んでみると、どちらかといえば伊勢田さんの方がつまらぬ難癖をつけているように思えた。 そもそも、ああいう本ではヒューム理解が「正しい」必要なんてないし。 学術専門書でも教科書でもないのだから、 面白くてそれなりの筋が通っていて読者をインスパイアできればよい。 こういう先生には学問を教わりたくない。
613 :
考える名無しさん :2012/01/05(木) 20:20:40.64 0
伊勢田さんから見れば、それなりの筋さえ通ってないんでしょう。読んでないけど。
614 :
考える名無しさん :2012/01/05(木) 22:21:26.63 0
ついったでトンデモ本と言いがかりをつけ、衆人環視の状況で晒し上げ。 伊勢田はこれがやりたかったんじゃないかな。憂さ晴らしで。
哲学者はどこぞの馬鹿理系と同じようなことしなくていいのでは…
616 :
考える名無しさん :2012/01/06(金) 12:40:43.73 0
知ったかぶりをして適当なことを書く津田のような輩は、こういう目にあって当然
飛んで来る火の粉どころじゃなく、自分からあれをやる感性が理解できん。 相手をサンドバック状態にして、「ありがとうございます」と感謝されると思っていたのかな? 相手だって反論するだろうし、自分も全部が完全に正しいわけじゃないから泥仕合にしかならんだろうに・・・ 問題の本が書きなぐりOKという種類の本だけにマンガにいちゃもんつけてる中学生と似たようなところがある。 あのやり方じゃあ津田さんも迷惑だろうに。私信で簡単な指摘だけで済まそうとかいう発想もなかったのかな? 「学問的には自分が正しい」がどこでも通用するというのは中学までだろうに・・・
618 :
考える名無しさん :2012/01/10(火) 03:24:11.86 0
哲治もついに切れキャラデビューしおったか
619 :
考える名無しさん :2012/01/11(水) 10:21:15.14 0
>>617 「問題の本が書きなぐりOK」というのはよくわからない
仮にも岩波という信用のある出版社から出ているのだから
(そうじゃなくてもだが)いい加減なことを書いたら叩かれるのは当然
この論争に関して(このスレで)津田が批判されるのはわかるが
なぜ伊勢田が批判されているのかわからん
たとえば科学者がトンデモ本に対して
科学的におかしなことを書いていることを指摘したとして,
それにたいして「この科学者は中学生みたいだ」とか言うか?
620 :
考える名無しさん :2012/01/11(水) 12:06:05.44 0
>>619 本人乙
私信で穏当な表現で連絡していたら、改訂のときに「伊勢田教授から貴重なご指摘を
賜りましたことの謝辞を述べます。」とのありふれた謝辞が書かれるような流れになった
んだろうけど、あのやり方は酷すぎるわw
社会性を学んでいない中学生そのものだろ。
621 :
考える名無しさん :2012/01/11(水) 19:03:03.65 0
>>620 なるほど
お前は間違いを指摘すれば改訂版が出されるだろうとか思っているのか
そんなわけないだろ
版を変えるのにどれだけ新たに費用がかかる思ってるんだ?
よほどの緊急性のあるものでない限り
増刷りの時に頁数が変わらない程度の修正しか行われない
しかしあれだけ間違いが多ければその程度では済まない
それゆえ間違いを広く通知するためにもあのような形で指摘するのは
有意義なことだと思うけどね
逆に私信で間違いを指摘すればそんな流れになると思っている
お前のほうが能天気な中学生のみの脳みそだろ
(津田のあの反応の仕方からしてそう素直に修正するとも思えん)
ちょっと擁護しただけで本人認定する浅はかさも含めて
三浦は同業者に対しても結構厳しいよね。 永井や野矢や伊藤邦武をばっさり切る形での批判とか。
624 :
考える名無しさん :2012/01/12(木) 10:43:41.32 0
津田さんの負けか
625 :
考える名無しさん :2012/01/12(木) 10:59:44.82 0
>>622 が
>>617 および
>>620 と同じだとすると
伊勢田さんに対する批判の根拠が微妙に変わってきているんだが
「書き殴りOKの本にいちゃもんをつけている」とか
「私信でなく公に批判した」ということがいけなかったのが
「本人を呼び出して公開処刑にした」のがいけないということになったのか?
まあ岩波のシリーズ本を書き殴りOKというのは無理があるし
>>622 自身が挙げた三浦の例のように
公にトンデモ本の批判をするなんてことはふつうにあるしな
「甘言を弄してでも本人を引きずり出して」って意味わからんのだが
このブログのコメント欄に関する限り
伊勢田さんが津田を呼び出したなんてことはないように見えるが
それに相手に反論の機会を与えるほうがむしろ礼儀にかなっているだろ
ちなみに津田は津田で素直に間違いを認めれば
こういうややこしいことにはならなかっただろう
それで「次からは伊勢田さんのようなカテツの専門家に
査読してもらいます」とかなんとか言っとけばよかったじゃん
はたから見る限り津田のほうがオトナゲない厨房だと思うけどね
>>625 批判の根拠が多数あるだけだろ。
あれは120頁の書きなぐり本だろ。どうみても。漫画に粘着する厨房だよ、あれは。
トンデモ本の著者をやっつけてやろうという意図はたしかに強いね。
やっつける方法として公開処刑でその場に相手を呼び出すというやり方もどうかと思うよ。
私信で穏当にやるなんて発想が最初からないのもいただけない。
もともと無関係の人間が不意打ちで散々ボコボコにして「お礼の言葉もないのか、ボケ」
という感覚なのもそのとおりだろう。
けど、それって中学生レベルってことじゃないのか?
627 :
考える名無しさん :2012/01/12(木) 14:53:23.69 0
個人宛メールでやるなんて方法ではトンデモは駆逐できないっ! という意図がビシバシ伝わってきますね。
628 :
考える名無しさん :2012/01/12(木) 15:15:21.85 0
大規模な数の批判が基礎がみろ。 其れ、壱弐零項 其れは、離れて衝突し、書物でござる。 然し乍ら、其れは、拝見するやもしれませぬ。 喜劇に付着するでござるがは、「cookroom」でござる。 -- 其れ。 いかさま、扇情的な書物が著者をば破る意図は、天下無双。 拙者は、破る手立てであるとして開おりき実行にそれゆえそが 刹那が同胞に伝令するでござる手立て、如何様に重々や存じまする。 其れは、そこに其れをば得しめるこであると、できませぬ、 思考殿式でないでござる、行うこであると、 始め、どちらやよりが内輪がふみにやいて適切。 壱番眼より、無仲柄な衆生は、 予期致さぬ攻撃にそれゆえ其れをば恐ろしき滅多切りにするでござるでござろう。 幾度か、其れは、彼をば招待するでござるでござろう、 其れは、重々感覚でござる、が木瓜なることに関してや何卒、 謝意が任意が云語にて、そこに。 [ちょうど左様に] 其れは、なれどしからばありませぬや、 幾度かぬ、壱つが其れにかかわる高等小学生水準もが? 思案する無名。 其れは、、内輪にあどれしんぐ・電子手紙にそれゆえさふするでござるであるとして 手立てにそれゆえ其れ、とん・一揆んすとれーしょんをば追ゐ出すこであると、 にてきるであるときでござる。 意図は、厳しく送信させて申すこであるとでござろうか。
629 :
考える名無しさん :2012/01/12(木) 19:28:59.41 0
いやいや、世の中には、正しいことをする嫌な奴なんて、腐るほどいる。 ただそれだけのこと。
630 :
考える名無しさん :2012/01/12(木) 19:53:35.73 0
似非科学は決めつけでやっつければいいというのが、あの人の考えだったのか?
分析哲学者の思考パターンなんて 理系の思想警察連中と変わらんよ。
理系の思想警察って何のこと?
分析哲学者みたいな連中のこと。
素人向けの本を書いて素人に哲学を勧めながら、素人の間違いには容赦がないんだな。
635 :
考える名無しさん :2012/01/12(木) 21:20:27.17 0
>>626 >あれは120頁の書きなぐり本だろ。
だからそれはお前の勝手な思い込みじゃん
一般の読者が岩波から出ているしっかりした肩書きの先生が書いている本をそう思うか?
漫画のような明確なフィクションと一緒というのは明らかな暴論だろ?
だったらあんないかにも胡散臭げな『ブッダの論理学』なんて批判している三浦も厨房なわけか?
>やっつける方法として公開処刑でその場に相手を呼び出すというやり方もどうかと思うよ。
だからその場に呼び出してなんていないだろ?
>私信で穏当にやるなんて発想が最初からないのもいただけない。
だから三浦も厨房なんだな?
それに「最初からない」のかどうかお前に何でわかるんだ?
>もともと無関係の人間が不意打ちで散々ボコボコにして
無関係ってなんだ?伊勢田さんはカテツの専門家だが?
不意打ちというのも意味がワカラン
それにそんなことを言い出すと繰り返すが三浦も一緒じゃん
>「お礼の言葉もないのか、ボケ」という感覚なのもそのとおりだろう。
伊勢田さんが一言でもそんなこと言った?
なんか勝手な思い込みによる決めつけばかりだなあ
伊勢田さんに私怨でもあんのか?
636 :
考える名無しさん :2012/01/12(木) 21:25:22.48 0
>>634 >素人向けの本を書いて素人に哲学を勧めながら、素人の間違いには容赦がないんだな。
別に本として公に出版したものでなければそれほど厳しく追及しないんじゃない?
素人のブログのコメント欄にわざわざ「あなたの記事は間違っています」といって
と延々と間違いを細かく指摘するなら「いやな奴」呼ばわりもわかるけど
なんでそんな風に伊勢田さんが批判されるのかが理解できんなあ
津田だってカテツの専門家ではないかもしれんが立派な学者なわけだよ?
637 :
考える名無しさん :2012/01/12(木) 21:52:46.74 0
必死な人って本人?
伝家の宝刀「本人乙」が出ました
639 :
考える名無しさん :2012/01/12(木) 22:08:25.17 0
>>635 三浦との比較で言えば、三浦の批判対象はまがりなりにも論理学を主とする著書である。
三浦は「相手の全人格を否定して強く恨まれることを覚悟の上であのやり方でやった。」といえる。
自分からあれをしかけるのは厨房だが。
対して、伊勢田は疫学のなかで少し触れた程度の哲学に過剰反応して、やり方も公開の場での
サンドバッグ状態で、穏当さのかけらもない。
しかも相手から徹底的に恨まれるほどの全人格否定をしたという認識さえもない。
最後の方で自分のしたことに気付いて逃げ腰になっているが、やる前に気づけないのが厨房たるゆえん。
他人の批判はたとえ些細なことであっても、細心の注意を払うのが大人のやり方で、伊勢田の
やり方は作法がなっていないところが、すごく気に入らない。
641 :
考える名無しさん :2012/01/12(木) 22:12:52.94 0
>>635 伊勢田さんの本は何冊か持っているよ。
これからも読むつもりだけど、今回のはさすがに酷すぎ。
相手から生涯恨まれる覚悟も自覚もなくあのやり方でやるというバックボーンに驚いている。
642 :
考える名無しさん :2012/01/12(木) 22:55:24.54 0
師匠の内井があれだから弟子の伊勢田もこうなるわけだ
科学者経由してないやつが科学哲学なんて,本当を言えば,チャンチャラおかしんんだけどんw
644 :
考える名無しさん :2012/01/13(金) 00:26:37.77 0
学者が社会常識を知らないことは珍しくもない。
>>643 同感
自然科学の研究の実践がどういうものか知らずに頭だけで考えた架空のモデルを批判し議論してるのが科学哲学
だから自然科学の研究をする上で何ら役に立つ考え方や見方を提示できないし
その結果、自然科学者からはゴミ扱い・キチガイ扱い・ジャマ扱いされて相手にされない
それでますます自然科学の連中に恨みを抱いてるのが科学哲学の連中
だから科学哲学の連中は今回の伊勢田に限らず常識の欠落したキチガイが多い
647 :
考える名無しさん :2012/01/13(金) 00:43:59.55 0
>>642 内井は『科学哲学入門』122頁で自分の誤りを認めて、丹治への感謝を述べている。
自分が「強引な解釈」をしていて「不備」だった、「明らかにギャップのある解釈」と
まで書いている。
内心はともかく、人としての作法は守っている。
648 :
考える名無しさん :2012/01/13(金) 01:08:16.60 0
>>647 その理屈を今回の流れに当てはめると
人としての作法を守ってないのは津田
ということになるな。
650 :
考える名無しさん :2012/01/13(金) 10:09:19.85 0
>>649 伊勢田はそんな感覚もあるよな。
「なんで俺に感謝しないっ」という気持ちなんだろうなw
651 :
考える名無しさん :2012/01/13(金) 18:45:24.49 0
>>639 それってかなり偶然に依存した相違だと思うけど
石飛の本が基本的には仏陀の思想を解説する本で
その中の一部で仏陀の論理学が現代論理学を超えたという議論を
現代論理学に対する明らかな誤解のもとで書いていただけだとしても
やはり同じように三浦さんはツッコミまっくたと思うよ
それとも三浦ならそうしないというなにか確証でもあるの?
公開処刑にしたって何度も言うけど
別に伊勢田さんが呼び出したわけじゃないだろ?
勝手に津田が出てきただけで
これもたとえばどこかのブログで三浦の批判が紹介されて
それを見たおっせかいなやつが三浦と石飛の両方に教えて
石飛が反論を書けば同じような流れになっただろうに
三浦には恨まれる覚悟があって伊勢田にはないというのも
いったいどこから出してきた結論かまったくわからんのだが
652 :
考える名無しさん :2012/01/13(金) 18:48:23.21 0
あと三浦も別に私信で石飛に指摘したわけでないと思うけどその点はどうなの? それに津田の本がかきなぐりOKの本で石飛の本はちがうの? やっぱり批判の根拠が変わってきているように見えるんだが
653 :
考える名無しさん :2012/01/13(金) 19:27:31.80 0
>>651 偶然?意味不明だな。
比較の視点が分かっていないね。
石飛の本は、論理学の考えを応用して書かれていて著書名にも論理学の言葉がある。
津田の本には哲学や論理学の言葉もない。その部分を飛ばしても読める。
公開処刑の意味が理解できていないね。
あそこまでの徹底的な批判をオープンの場でしたら公開処刑だろ。
伊勢田は自分の指摘が全部正しく、反論の余地がないという上から目線で徹底的にこき下ろしたんだが、
あそこまでやることの意味を理解できていないし、覚悟もない。
それが厨房たるゆえんだろう。
あそこでの議論のきっかけは伊勢田の側にあり、伊勢田が誘ったというのも現実の正しい見方だろう。
伊勢田は自分の発言への注意力がなさ過ぎる。
三浦に覚悟があり、伊勢田には覚悟がないというのが分からないのも不思議だな。
相手への徹底批判という全人格否定に等しい攻撃をするやり方としてどうすべきかということ。
654 :
考える名無しさん :2012/01/13(金) 19:35:51.81 0
>>652 これも全然理解できていないね
石飛の本もスルーするのが穏健なやり方ともいえるだろう。
どうせ学会で取り上げられるレベルではないわけだし。津田の本はなおさら。
私信でやるべきというのは、「相手が自分の意見を聞いて著書の訂正をしてくれるはずだ。」
という伊勢田の表面的スタンスに整合させるなら、私信でやるべきということ。
しかし、そのスタンスと公開の場での全面否定という中身に乖離がありすぎるし、伊勢田は
そのことの意味が分かっていない。
何度も書くけど伊勢田のやったことは相手の全人格否定そのものだよ。
それをやるなら相手の主著に対してやるべきで、あんな本に対してやるべきじゃあないし、
それなりの作法もあるだろう。
津田を擁護する者がいない件について
656 :
考える名無しさん :2012/01/13(金) 21:04:34.39 0
>>653 >伊勢田が誘ったというのも現実の正しい見方だろう。
↑これは間違い。正しくは、
1.伊勢田がつぶやく
https://twitter.com/#!/tiseda/status/115454417284775937 2.TAKESANがそのつぶやきを川端へ知らせる
3.川端がそのつぶやきを津田へ知らせる
4.津田が川端のブログのコメント欄で調子こいて科学哲学者を挑発
「科学哲学の方から酷評が来ることを相当覚悟しておりました。
…どんどんお寄せいただいた方が勉強になるし、下世話な話ですが、もしかしがら本の売り上げにも寄与するとお思っておりますので、ありがたい話です。
『科学哲学の学生、院生の反面教材として最適』と書き添えていただければもっとありがたいですが。…どこそそこのどこが間違いか、ひどいか、もっと詳しくどんどんご批判していただけるのをお待ちしております」
5.伊勢田が仕方なくそれに応じる
657 :
考える名無しさん :2012/01/13(金) 21:10:58.04 0
>>656 なるほど、伊勢田は「相手が誘ったからフルボッコの公開処刑でもOK」と言う考えかもしれんね。
最初に自分が行った言葉を忘れた厨房といわざるを得ないが。
658 :
考える名無しさん :2012/01/13(金) 23:25:00.32 0
>>653 >比較の視点が分かっていないね。
いやこっちの論点をわかっていないのはそちらなんだが
そういう風になっているのは偶然で
三浦だって石飛の本が論理学中心でなくともフルボッコにしただろう
と言っているわけ
伊勢田が誘ったわけではないというのは
>>656 の指摘の通り
伊勢田のやったことが相手の全人格の否定だというのは意味不明
まず主著でないものだからこそ別に徹底的に批判されても
痛くもかゆくもないだろう
だって専門でもないしお前の主張だと「書き殴り本」なんだろう?
それを批判されてなんで人格否定なんだよ?
また
>>656 でも書かれているように(少なくとも表面的には)
津田も伊勢田が津田の本を否定するということ自体は否定していない
私信というのに関してもすでに述べたとおりだが
これだけ多くの間違いがあるのだから
読者のためにも公にやるのは十分に意義のあること
659 :
考える名無しさん :2012/01/13(金) 23:26:33.34 0
否定するということ自体は否定していない× 批判するということ自体には否定的ではない○
660 :
考える名無しさん :2012/01/13(金) 23:30:35.55 0
連投スマソ >三浦に覚悟があり、伊勢田には覚悟がないというのが分からないのも不思議だな。 >相手への徹底批判という全人格否定に等しい攻撃をするやり方としてどうすべきかということ やっぱり意味がまったく分からない 三浦も相手を徹底批判してるじゃん 何が違うのかまったく分からん
>>658 仮定を持ち出して、「もし〜なら偶然だった」とか言うわけ?ネタだよね?
初歩レベルから説明するのも疲れたよう・・・
だからさあ、相手のレベルを確認してその上で全面否定したらヤバイだろう。
だから私信か一方通行でやれと。
三浦みたく一方通行で全否定なら津田の本当のレベルは良く分からないままだったが、
色々質問しながら相手のレベルをさらけ出させて、その上で全否定だから悪質さ倍増なんだよ。
そこまで言わせる?
もうこれは公開処刑としか言いようがないだろ。
それをやった悪趣味さと無自覚と覚悟のなさには驚くしかない。
662 :
考える名無しさん :2012/01/14(土) 00:06:46.11 0
>>661 「フルボッコの公開処刑」の何が悪いの?
伊勢田を批判してる661さんの気持ちが 微妙すぎていまいちよく分からんw
664 :
考える名無しさん :2012/01/14(土) 00:28:13.41 0
「相手の言ってることを批判する=相手の人格を否定する」 そんなことないよね
>>664 そこまで言わせる?
を何度言わせるつもりだw
事の発端は、 本を書くということに対する驚くべき無自覚と覚悟のなさ。 まあ「哲学」ということで軽く考えてたんだろうけど。 伊勢田のやり方が云々なんてそのあとのオマケの話。
667 :
考える名無しさん :2012/01/14(土) 10:24:36.26 0
>>661 このような事態(公開処刑)になったのは別に伊勢田さんが望んでそうしたわけでなくて
川端さんがブログで津田の本を紹介してそこで科学哲学について書かれているけど
科学哲学者はどう考えるのだろうかということを書いて
それを見た読者が伊勢田さんのことを紹介して川端さんが津田さんを呼んできた
そういう流れでしょ?
そういう特殊な背景を無視するから「もし」という仮定を三浦さんの場合にも適応しているんじゃん
三浦さんだったらそうしないという確証でもあるわけ?
伊勢田さんだろうが三浦さんだろうが他の誰だろうが
同じような状況になって津田みたいなのを相手にしたら同じようなことをするよ
どう考えても自分が専門でない分野について専門家の意見を素直に聞こうとしない
津田がおかしいし厨房ジャン
ついでに言うと
>色々質問しながら相手のレベルをさらけ出させて、その上で全否定
のなにが悪質なのかもわからんけどね
>>662 と
>>664 の言うとおりだよ
そして
>>663 にも同意w なんでそんなに伊勢田さんを批判しようとするの?
さらに
>>666 にも全面同意
「津田が軽薄だった」でこの話は終わりでいいんじゃないの?
668 :
考える名無しさん :2012/01/14(土) 17:39:26.97 0
>>667 うーん・・・これ以上やさしく説明するのは困難ですね。
仮定の話は相変わらず何が言いたいのか不明。
ことのは発端伊勢田が、トンデモ本というつぶやきをしたことが始まり。
津田が伊勢田に意見を求めたという事実はない。
他人にいきなり言いがかりをつけたという自覚が伊勢田にないのも不思議だが、
その程度の人間と言うことが、その後に明らかになって驚いている。
君の言うとおり、伊勢田はまさに「論理では自分は正しい。やり方など知ったことか!」
なんだが、その作法が間違っているよ、大人になりなさい、中学を卒業しなさい、
と言うことが言いたい。
自分は学者だから社会常識など知ったことか、というなら今後は素人向けの啓蒙書など
一切書くべきではない。
669 :
考える名無しさん :2012/01/14(土) 18:22:14.27 0
>>668 こちらもこれ以上やさしく説明するのが困難なんだが
仮定の話は君が三浦はよくて伊勢田はダメだというから
三浦だって伊勢田と同じ状況になったら同じように相手を公開処刑するでしょという話
なんでわかんないかなあ
君が紹介してくれた書評で三浦もかなりきつい言葉を使っている
(ちなみに伊勢田さんは「トンデモ本」とは言っていない 事実を曲げないように)
それが発端となって同じようなことが起きてもおかしくなかったはずでしょ?
それを三浦はよくて伊勢田は非常識というのがまったくわからないと言っているわけ
それから「君の言うとおり」の「君」は私を指していると思うのだけど
「伊勢田さんが「論理では自分は正しい。やり方など知ったことか」と考えている」
なんてことは言ったことも示唆したこともないが
繰り返すが
>>664 も言っているように「相手を批判する=人格の否定」ではないし
伊勢田さんは少なくとも直接的に人格を否定するような発言はしていない
むしろ相手を小ばかにするような発言をして優位に立とうとしている厨房は
津田のほうに見えるのだけど?
670 :
考える名無しさん :2012/01/14(土) 18:58:46.47 0
>>668 >ことのは発端伊勢田が、トンデモ本というつぶやきをしたことが始まり。
トンデモ本を書いたことが発端に決まってるだろw
最初のステップをなぜ無視する
671 :
考える名無しさん :2012/01/14(土) 19:18:48.30 0
突然ですが、「哲学的な彼女」をよろしく。
672 :
考える名無しさん :2012/01/14(土) 19:45:09.93 0
>>669 だ・か・ら その仮定がなぜ成り立つの?
しかも、仮に三浦が伊勢田と同じ行動をしたら同じ批判をするだけだから、意味ないだろw
俺は三浦のやり方を支持しているわけではないが、「どうしてもあれは放置できん」
というときに三浦のやり方と伊勢田のやり方では三浦の方が格段にマシということ。
人格否定は上で分からないなら何を言っても無駄だろうね。
伊勢田は、自分が何をしたのかが、ようやく分かってきた感じだが、すでに時遅しというか
やる前にそれが分からないレベルでこれまで学者を名乗ってきたのも不思議だ。
673 :
考える名無しさん :2012/01/14(土) 20:10:34.14 0
>>672 だ・か・ら その仮定がなぜ成り立たないと言えるの?
批判しているのはそちらだから立証責任はそちらにあるんだけど
>三浦のやり方と伊勢田のやり方では三浦の方が格段にマシということ。
だから三浦のやり方と伊勢田のやり方の違いがワカランと言っている
どこに根本的な違いがあるの?
ここに仮定をしていることの意味があるのだけど
こういう事態になったのはいろいろな偶然が重なっているだけだろ?
伊勢田さんのツイッタ―でのつぶやきも
三浦さんの書評もその時点では特に変わりはないはず
違いがあるというのならそれを説明してほしい
そこから違いがあらわれたのはすでにさんざん議論したように
伊勢田さんが自発的にそうなるように仕向けたわけではないのだから
伊勢田さんのせいとは言えない
674 :
考える名無しさん :2012/01/14(土) 20:12:24.80 0
つづき これがもし非アカデミズムの素人の書いたブログのコメント欄に 突撃してねちねちと攻撃したというなら (批判対象の記事が非倫理的なものでない限り) 俺も伊勢田さんの味方をしないよ? でも カテツの専門家ではないとはいえ津田はれっきとした学者先生なわけよ それもブログの記事とかではなくちゃんとした出版物なわけよ これは(津田自身も「覚悟していた」と書いている通り)間違いがあれば 批判されて当然というのがそれこそ学者社会での「常識」なわけ あたりまえじゃん 別にわざわざ私信で流す必要もない 君は世の中の学者は他の学者の論文や著書を批判するときに わざわざあらかじめメールなどを送っているとでも思っているのか? もちろんそれでも伊勢田さんがこの本の中心的な論点ではないカテツの記述の誤りをもってして 「この本は読むに値しない」とか言えばおかしいよ でもちゃんと「全体的には多くの読者に読んでほしい」という趣旨のことを書いているわけよ また直接的な「こんなことを書いて馬鹿なやつだ」とかそれこそ 「このレベルでこれまで学者を名乗ってきたのが不思議だ」なんて人格攻撃を書いていたら 俺も伊勢田さんの味方をしませんって いくら正しくてもそういう人格攻撃は俺も嫌いだよ >人格否定は上で分からないなら何を言っても無駄だろうね だから三浦さんとの違いはどこにある? 三浦さんなんてはっきりと「全面否定」と書いてあるんだぞ? まあもちろん三浦さんのこれも人格否定だとは俺は思わんけどね
>でも カテツの専門家ではないとはいえ津田はれっきとした学者先生なわけよ >それもブログの記事とかではなくちゃんとした出版物なわけよ > >これは(津田自身も「覚悟していた」と書いている通り)間違いがあれば >批判されて当然というのがそれこそ学者社会での「常識」なわけ これが分からん奴がいるのが驚きだ。 ・・・というかそこはあえて作為的に目をつぶってるのかな? だとしたら醜いな。
>>673 仮定を前提に三浦も同じことをしたとか、意味ないだろ。
三浦が同じことをしたら同じ批判をするだけだし。
>>674 学者が書いた著者として扱った上で批判するなら、伊勢田の擁護はより無理だろ。
安易な方法で批判すること自体が論外ということになる。
君と議論していると伊勢田の気持ちが理解できる面があるのが、不本意だw
しかし、あのやり方は良くない。
こっちでも津田が完敗してて笑ったw
678 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 02:02:14.87 0
>>677 こっちの津田は伊勢田を支持しているところが笑えるね。
いくら理屈で説明しても説明を拒否する人っているよね。 ここでそれをやる分にはネタとして笑えても、学者のそういう面を公の場で引きずり出すのは・・・だな。
680 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 09:52:41.36 0
>>676 >仮定を前提に三浦も同じことをしたとか、意味ないだろ。
その意味を説明したんだがあれでわからんのならこれ以上説明しても無駄だ
三浦も同じことをしたら批判するだけだとかそういう話ではない
ああいう事態になったのは伊勢田のせいではないという話だ
>安易な方法で批判すること自体が論外ということになる。
そもそも「安易な方法」というのが何を指すのかがわからんが
それを言うなら三浦も同じだろと何度言えば
681 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 10:13:40.71 0
いい加減な事を書いて指摘されて逆切れした、という話をそこまで弁護する意欲が湧くのが不思議。
682 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 11:20:33.91 0
たしかに内井さんに似ているな 要するに品格がないということだろう こういうことがあると 大衆というものは、真偽・正邪よりも、そこに品格を見てしまうんだよね 政治家なんかと同じで、正論を語ればいいってもんじゃないんだ ってところが世の中の難しいところなのね
683 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 11:32:36.96 0
>>682 どうとでもとれるような事を書かれると論評のしようがない
すごく不自然に津田の肩を持ってる人がいるねw 約1名
685 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 13:16:05.78 0
むしろ不自然に伊勢田を嫌っているというかw
686 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 13:33:54.95 0
687 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 13:45:35.95 0
こっちの津田さんは最後は自演で自滅ww
688 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 13:50:37.91 0
>>680 伊勢田が「自分のせいではない」と考えているとしたら、学者失格だな。
689 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 13:57:15.93 0
691 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 14:27:53.35 0
もう諦めろよw津田 スレを盛り上げてくれたことには 礼を言うからさ
このスレの津田さんも最後には壊れちゃったね・・・
693 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 15:03:43.80 0
伊勢田が学者失格ということは今回の事件でよく分かった。
伊勢田は哲学に焦点を絞って簡単に指摘するだけにしておけば良かったんだよ。 それだけでは心許ないと心配して、「ここが不正確、ここも不適切」と色々やって相乗効果を 狙って、さらに津田に質問して津田の無知をさらけ出させようとした。 そこまでやったのは伊勢田の度量のなさなんだろう。 最初に軽々しくつぶやいて、この状況に至った軽率さもそうだが、思慮がなさ過ぎる。 学者の書いた本を批判するならもっと穏当なやり方もあっただろうが、伊勢田はトンデモ本を とっちめるという感覚で軽く考えすぎていた。 今頃になって逃げ腰では自身の思慮のなさをさらけ出したに過ぎない。
695 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 15:58:27.13 0
何人かの人にマジで質問なんだけど… 伊勢田の方に矛先を向けようとしているのはどうして? 動機は何?普通に考えてなんかおかしくね?
696 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 16:02:17.12 0
哲学というのはトンデモ本をトンデモ本と指摘した方が やり方がどうのこうの作法がどうのこうのとネチネチ批判される分野なのか? やっぱ最悪だなどんだけ未開なんだ
>>656 伊勢田のついったの文章
「津田敏秀さんの『医学と仮説』を出版社から送っていただいたので
読み始めたのだが、まだ半分も読んでいないのに科学哲学関係の
記述がひどすぎる。実験やメカニズムの解明をしなくても科学は
できるという津田さんの基本的主張には賛成なのだが、主張のしかた
をもっと慎重にしてほしい。」
698 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 16:48:09.86 0
699 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 18:44:18.04 0
伊勢田がアンチ伊勢田になりすまして書き込んでいるとみた
内井がアンチ伊勢田の側で書き込んでるとした方が面白い
701 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 19:38:12.21 0
>>680 を含め伊勢田さん擁護の一連のレスをしていたものだが
俺は
>>690 >>695 ,
>>696 じゃないからね
まあどうでもいいけど
ていうか
>>677 の「こっちの津田」ってあきらかに
一連のアンチ伊勢田レスをしていたやつのことじゃないのか?
どう見ても彼の主張は「詰み」だろ
>>694 もかれのレスだと思うが(俺を「こっちの津田」にしようとしているやつもそうだと思うが)
これに同意する奴はどんなけいるんだ?
科学哲学者なんてマジキチばっかりだろ。 人格マトモなのいたら例を挙げてみろ。
703 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 20:39:53.65 0
>>701 そう思いたいなら自分のなかでそう思えば良いんじゃない?
このスレの津田さんww
704 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 20:48:04.54 0
>>701 お前のレスは伊勢田のためになっていないぞ,ホメ頃氏というヤツだぞ・・・
普通に考えて,学者が学者の書いた本をツイッタで>>697みたく批判したらダメだろ・・・
学者として疑問符が付く軽率な行動であることは間違いない。
その後にブログで議論するとか,そのやり方とか,「こいつはダメだな・・・」となる。
そもそも人物をさして無限定に批判だの擁護だの言ってる時点で 西成や山野にいるアブレのおっさんと同じレベル その人の「何」に対してのものか思想なのか哲学なのか人格なのか はっきりさせてから議論しろ 各トピックごとにスレを立てろ スレ毎に結論を出せ それができないアホは死ね
>>702 人格なんて端からみたらどうでもいいんだけどね。
科学を借り物理論と思想でもって表現するから口で主張しつづけないと科学の壁にはりついていれないんだろう
理系からみれば科学哲学なんてまともなものは一つもない。
あったら具体例を一つでも見せて欲しいくらいだ。ほ〜う、ってうならせてもらいたいね。
>>706 では、何を「まとも」と思うのか
その定義から行きましょうか
言いだしっぺの法則
完結に記述頼むよ
科学哲学の側からするとマトモなの?w
一生懸命逃げる理系くん
>>709 いや逃げじゃなくてさ、科学の担い手に相手にされない科学哲学なわけだけど、哲学側ではまともだと思われてんの?
って訊いてるのよ
回答を避け続ける理系くん
このまま理系君が沈黙してると
>>707 は完全にピエロだな
>>706 鳥に鳥類学を理解させるなんて無理だろ
何ピンボケなこと言ってんだ?
714 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 21:55:43.48 0
, ;;‐;;―;;‐;; 、 /;゛ ゛" ";i |; ●i i● ;| ほ〜う、ほ〜う 人':,, V ,,:'ノ /;::キ ゛゛ " ゛ イ /;リ:r;:i |::| ir;::rリ;;:| |::| 〈r;リ;::リ;| |ノ |り;;::r::i ,, ,リ ,リ::りノ、 ノ゛i ノ 理系君がうなっても哲学者から見れば 正直こんくらいの価値しかない。
716 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 23:19:22.42 0
>>704 すっかり話題が変わっているなか恐縮なんだが
別に俺は伊勢田さんを擁護はしているけどほめていないよ
まあそれはどうでもいいことで言いたいのは
俺が伊勢田さんを擁護しているのは別に伊勢田さんだけのためではない
別に哲学者でなくとも科学者でもある本の中で
自分の専門分野(これをAとする)の専門家でない奴が
Aについて間違ってた記述をしていて
「この本のAについての記述はひどい」みたいなことを
ツイッタ―やブログで書くなんてことは普通にあり得ることだし
何がいけないのかがワカランということ
じっさい武田邦彦や茂木健一郎の著書に対してなんて
そんな批判ツイッターやブログなんていくらでもあると思うけど
(むしろ伊勢田さんの件のツイッターなんて穏当なほうだと思うが)
そういうのも全部批判者が学者として疑問符が付く軽率な行動なのか?
別に相手の人格攻撃だとかもしていないし
単に事実を述べただけのものじゃないか
717 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 23:25:02.96 0
ここで紹介されていた三浦さんの石飛の本批判なんて まさしく同じような例じゃないか むしろあちらのほうが言葉とかきついくらいだし
718 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 23:57:35.06 0
>>716 たぶん伊勢田も君と似たような感覚なんだろうな・・・
しかし、津田のような人間にしてみれば、
>>697 のようにツイッタで安易に批判されると
「一体どこのチンピラだ!」という感じだろう。
俺も基本的におなじなんだよ。
学者が安易にツイッタで他の学者の著書を批判するなんて、「どこのチンピラだ!」となる。
その後の伊勢田の対応を見るにつけ、「やっぱりコイツはチンピラだ!」となる。
津田はそのチンピラにやり込められたのが認められないんだろう・・・
対して三浦はきっちり全文を作成して、相手の知識も確認せず潔く自分の考えを開示した。
最初にトンデモ本扱いしながら、相手に質問しないと安心して批判もできない伊勢田とは
人間としての度量が違うし、作法も心得ているという見方になる。
719 :
考える名無しさん :2012/01/16(月) 00:25:24.59 0
>>718 三浦は全文を書いて伊勢田はツイッターだったという違いが大事なの?
やっぱり初めのころ(
>>617 )と批判の根拠が変わってきてるね
まあそれはもういいよ
>津田のような人間にしてみれば、
>>697 のようにツイッタで安易に批判されると
「一体どこのチンピラだ!」という感じだろう。
>俺も基本的におなじなんだよ。
>学者が安易にツイッタで他の学者の著書を批判するなんて、「どこのチンピラだ!」となる。
そうなん?まったく君の感性がわからんわ
根拠を丁寧に示したうえで批判するのと
そうでなくただ批判するのとでは前者のほうがいいというのは同意するが
だからといって社会常識がないとかチンピラだとかそこまで言われるようなことか?
それにそこで終わったわけではないわけでしょ?
あとでちゃんと根拠を丁寧に示しているじゃない
それにはじめのツイッターについては謝罪しているじゃない?
それでも君には許せないわけか?
そもそもが何度も言うが 思わずツイッターでつぶやきたくなるほど
ひどいそんな本を書いた津田が悪いんだろう
>相手の知識も確認せず
それはむしろダメだろ・・・
ちゃんと相手の知識程度を確認しながら
議論したほうがいいに決まっているじゃないか・・・
相手の力量を探りながらの議論は とりあえず勝つことが目的の姑息さを感じるな 2ch的というかな そこは718さんの気持ちも少し分かる気がする
こそくさを感じるからといって相手がそうだとは限らない。 たまに、リアルで、あの人は知っているのにそれをいわずこっちにいろいろ話させといて最後に知っていた風なことを言った、厭なやつだ、という会話を耳にする。 だが、単に知ってるけど興味ないからこっちからは話をもちださずに、でも相手がべらべら話を展開してくるから最後にこっちも話にのった、ってケースもあるだろう。 そういう勘違いが巷でも往々にしてある。
今回のは明らかにバトルなんで 世間話とはちがうよね 「あ、こいつここんとこの知識が弱いから突いちゃえ」 って感じが津田にも伊勢田にも感じられる なんとか自分の土俵に持ち込みたいというか 当人同士が満足なら別にいいわけなんだけど しかし両人ともに、品性の悪さというか、人間の小ささ公にしてしまった感じはする
723 :
考える名無しさん :2012/01/16(月) 01:03:07.49 0
、_人_从_人__/ _) ,..r;;: ( 人) ) ,;`ー、 | ヽ丶 _) 消 汚 ヾゞ、 ゞ'´ '`´ `ヾ、 ─|─ _) 毒 物 -‐':、ゞ'`` ,l / | ヽ _) だ は ヾ、 ゞ;;. ,r-、 `ヾ、 ヽ、 _) l , rヾ ,r!/r'ヽ '` \ _|_ _) っ _,,,.,ノ、_ ヽ, `ゞ;; ;:、 /| `) ! ,r‐'''" ,.r ,イ彡ミミヾ、 `` ´;;i V^V⌒W^Y⌒ __,.;;,ィ'´ ,:;;;;彳彡ミ;j`、 `i;:、 オ ;; ヾ、彡;;;ノリ;jjjjj;;;jr' i . ノ;;:'' `゙`、 ``ー、 ,ィ 彡冫;;il;;;ミ;;;;;y;レ ,t'´ ,.、ー、 ゝ ォ i|l; ;'イ;;;'ヾ``ヽ、ィ;;i ,ri'´ ヽ ヾノ ,ry' il'Y゙r ヽ、 ,j|l;; j'´ '´ '´/ゞ';;::`´ヽ ``´ー ゙i ;;: ,r' ) ,r、 ,rヾlir'ミ, / ,;:' '´/ ー≡;i{、 /ヾr'´ ,. '`;;:、 〉ゝ r-ー-、_ ,{i=i= }i、 ーr-、j ,! ,;',;'ィ;;:イ''``ゞ、_,、-‐'´ヽ:;/ 、 ``ヽ ;:、 `' (´ `ゞ、;;;;'',,fi、,≡:;イ==、 ,,:' ``ゞ、,;;ゞ、 "´イ ,... `'彡 ,/´ `ヾ、ヾ ' ー、 ii;j `i;;!'´ニil';;;;ゞr、_,r'ミ ' ー‐─ ,rー'゙ー─-、_j;:r'´ ヾ,ゞ 、 ゞ,ミ;:l;;l ,! ,!,i;;'´¨/ ;. r-‐;;'"} ``ヾ、 ノ ,;;;: (i,;)))、,,:;!、__,:};!_,.、l .... _,,,ィ、 i 'ヾ人 、}( / ノ ,r'i r'"ヾ-‐i‐-:;イ, / ヾ
>>719 最初から「作法が良くない」と書き続けているが?
それでも分からないようだから仕方なく「どこのチンピラだ!」という分かりやすい表現に
したのに、それで苦情を言われる理屈はないよ。
謝ったから無しになるとか、どこの中学生だ?
その感覚自体がおかしい。
それと「酷い本を書いたほうがダメだ。」という考えがまさに気に入らないと繰り返し書いたはずだが。
「汚物は消毒だ!」では、まさにチンピラの理屈だぞ。
まあ伊勢田を擁護してる人も 作法が良いとも思えないがな
作法の話にして論点ずらし 理系くんみたいな奴だな
727 :
考える名無しさん :2012/01/16(月) 09:55:39.50 0
>>726 最初から「やり方が」よくないと作法の話しかしていないだろ。
それに論破されたら今頃になって論点ずらしかよ。
てかこれまだ続けんの?
「作法が気に入らない」とか自分の感想を言うだけで論破したことになっちゃうんだ
731 :
考える名無しさん :2012/01/16(月) 11:14:11.47 0
作法が気になるなら学問よりお茶でもやっていればよろしい。 >「酷い本を書いたほうがダメだ。」 これがすべて。気に入らなくてもこれを認めないと学問は始まらない。
732 :
考える名無しさん :2012/01/16(月) 13:23:46.64 0
>>724 だからその作法が具体的に何を指すのかが変わってきている
という話に決まっているだろう?なにいってんの?
はじめは「書き殴り本に対して」とか「その本のテーマでないものに対して」とか
「公開処刑がなんチャラ」とかそういう話で
三浦は全文公開で伊勢田はそうじゃないなんて話少なくとも初めのほうではなかったじゃん
まあでもそれはもういいよ
>謝ったから無しになるとか、どこの中学生だ?
はあ?
たとえばいま一方通行の歩道があったとしよう
そしてそれを逆方向にぼっとしながら歩いていているやつがいる
こちらも(こちらはちゃんとルール通りに歩いていたのだが)
すこしぼっとしていてそいつとぶつかったとしよう
その場合でも一応こちらは謝るよね?
それこそ大人の対応というやつで「お前が悪いんだから謝らん」
なんていわないわけ
それなのにそれにたいして「謝ったらなしになるとか中学生か?」
ってそれこそどこのチンピラだよという話
今回のもそういう話
たしかに伊勢田さんが気を付ければ良かったのかもしれんが
いくら逆向きに歩いているやつがいてもこちらが気を付ければよけれていた
というレベルのいちゃもん
厨房だの学者として失格だの言われるレベルでは明らかにない
津田は一方通行を逆向きに歩いているレベル
その違いも分からないようじゃ話にならない
様相論理について三浦俊彦が土屋俊に公開処刑みたいなやりかたでボロクソに批判されたとき、 三浦に対して一番擁護的なのは、三浦が批判してた永井均だろ。 永井均もボロクソに批判した大庭健と共著で本を出してたりして、 ああいう学者間の乾いた付きあいみたいなのが常態化してると、 バッサリ批判するのが悪いことって認識もないんじゃないか。
そう。ああいうのを知らない人が 当事者でもないのに足をガクガク震わせて 「作法が〜」「チンピラが〜」とか 言い出しちゃうんだろうね。
735 :
考える名無しさん :2012/01/16(月) 15:02:19.01 0
>>732 君の理解力の足らなさに問題があると考えないのか?
最初から「作法が気に入らない」と書き続けてきて、その意味が理解できないから
「どこのチンピラだ!」と同じ意味の言葉を分かりやすく書いただけだろ。
公開処刑はまさに作法が良くないという例だろ。
書きなぐり本の類に厳密でないとかいうのもチンピラの言いがかりだろ。
三浦みたいに一方通行でやる勇気もないのか、というのも作法の話だろ。
自分の理解力がないのをこっちのせいにしないで欲しいね。
736 :
考える名無しさん :2012/01/16(月) 15:03:59.61 0
>>732 ,,、,、、,,,';i;'i,}、,、
ヾ、'i,';||i !} 'i, ゙〃
゙、';|i,! 'i i"i, 、__人_从_人__/し、_人_入
`、||i |i i l|, 、_)
',||i }i | ;,〃,, _) 汚物は消毒だ〜っ!!
.}.|||| | ! l-'~、ミ `)
,<.}||| il/,‐'liヾ;;ミ '´⌒V^'^Y⌒V^V⌒W^Y⌒
.{/゙'、}|||// .i| };;;ミ
Y,;- ー、 .i|,];;彡
iil|||||liill||||||||li!=H;;;ミミ
{ く;ァソ '';;,;'' ゙};;彡ミ
゙i [`'''~ヾ. ''~ ||^!,彡ミ _,,__
゙i }~~ } ';;:;li, ゙iミミミ=三=-;;;;;;;;;''
,,,,-‐‐''''''} ̄~フハ,“二゙´ ,;/;;'_,;,7''~~,-''::;;;;;;;;;;;;;'',,=''
;;;;;;;;''''/_ / | | `ー-‐'´_,,,-',,r'~`ヽ';;:;;;;;;;, '';;;-'''
''''' ,r'~ `V ヽニニニ二、-'{ 十 )__;;;;/
が言いたいんだろ、チンピラ君!
737 :
考える名無しさん :2012/01/16(月) 15:12:36.67 0
>>733 大庭と永井はトムとジェリーのような関係だろ。仲良くけんかしているようにしか見えんぞ。
あの2人であの分野を盛り上げようとプロセス並みの興行をしている感もある。
土屋の三浦批判は土屋の無知の部分が大きいからなんとも言い難い。
三浦は色々な人に批判を向けている一方でその後に共著論文を書いていたりというのはあるが、
それは「批判に取り上げてくれてありがとう。」という構ってチャンの面もある。
逆に著書や論文を無視されまくりでは悲しいだろうね。
上で書いた内井の謝辞もそうだが、作法にのっとった批判ならばその後に関係が悪化することはない。
チンピラが絡むようなやり方ではそうはいかないというのが、内井の例を出した意味でもある。
え、土屋と三浦の論争で土屋が間違っていたとか思う奴いるの?
739 :
考える名無しさん :2012/01/16(月) 15:35:24.19 0
>>735 もう一度
>>719 と
>>732 をよく読めよ
どちらも俺がいっているのは「三浦は全文公開で伊勢田はツイッターだからダメ
なんてはじめは言ってなかったじゃないか」ということ
作法の話をしているのくらいはわかっているよ
それもはっきり
>>732 に書いてあるだろ?
理解力がないのはどちらか冷静に良く考えてみれば?
それにそれに関しては別にもういいと言ってあげてるんだからこだわるなよ
740 :
考える名無しさん :2012/01/16(月) 16:53:25.76 0
>>739 文章の一部だけ切り取って駄々をこねるのはみっともないよ。
だから理解力がないと言われるんだよ。
返事をされたくないから、もういいなんだよね。
自分が間違っていたことが分かっているんだよね。
741 :
考える名無しさん :2012/01/16(月) 17:49:19.69 0
>>740 本質的でないところにこだわると話が進まないから「もういい」
と言っていることくらいわからんのか
君がどうしても続けたいというのなら続けてもいいよ
恥の上塗りになるだけだと思うけど
俺のどこかがどう間違っているのか理解力のない俺にも
わかるように懇切丁寧に教えてくれ
「文章の一部だけ切り取って」というのも意味が分からないです
>>740 もうこの辺にしといたる!(泣)が分からんとは大阪人ではないな。
743 :
考える名無しさん :2012/01/16(月) 18:55:31.73 0
えらいスレが進んでるなと思ったら哲学関係ないレスばっかりだな おまいら有名人について語りたいだけじゃねーか 伊勢田津田三浦をNGにするとゴソッとレスが減るw
745 :
考える名無しさん :2012/01/17(火) 04:55:32.65 0
なんだ自演だったのか
746 :
考える名無しさん :2012/01/17(火) 12:17:25.38 O
アリストテレスとソクラテスとプラトン、誰が一番えらいの?
一番w
748 :
考える名無しさん :2012/01/17(火) 14:54:40.30 0
お前はパソコンの落とし子だ パソコンで何でも出来るお前は パソコンに裏切られて終わる
749 :
考える名無しさん :2012/01/18(水) 08:15:40.55 0
ポグダノヴ事件についてどう思いますか。
750 :
考える名無しさん :2012/01/18(水) 17:55:07.90 0
ヒュームの問題の件はどうなったの?
751 :
考える名無しさん :2012/01/19(木) 20:43:59.27 0
752 :
考える名無しさん :2012/01/19(木) 23:46:34.30 0
>>731 私はそれは違うと思う。
学問においても(何においても)作法や品位はやはり大切だと思うので。
かりに(この点を論点とするために)「酷い本を書いたほうがダメだ。」というのを全面的に認めて、
しかも、津田の本がまったく酷い本だと前面的に認めたとしても、
なお言い方の問題というのはあって、それが人間の品格を表現する。
学問においても(何においても)そういう側面はやはり大切だと思います。
753 :
考える名無しさん :2012/01/20(金) 00:03:28.96 0
まあたしかに あくまでも有罪なのだから罰せられるべきだという主張と 量刑が不当ではないかという主張とは 区別して論じないとな
754 :
考える名無しさん :2012/01/20(金) 01:24:33.71 0
ぶしゃさyしゃyさyさys
哲学の学会は議論や論争があって良いね。 若手、中堅が臆せずに長老の説を批判できる空気がある。 一部の度量ある人の間だけかもしれないけど。 歴史や考古の学会ではそんな雰囲気はまったくない。大本営が全てを決める。 三角縁神獣鏡は日本でのみ600面以上出土していても、大半が中国製という通説を 表立って批判できない。対立説が学会で取り上げられることさえない。 両論を併記してそれぞれを検討するという風土も無い。 文系の学会の多くには「学問の自由」なんて存在しないのに、哲学にはそれがある。 うらやましい限りである。
757 :
考える名無しさん :2012/01/20(金) 05:27:36.99 0
津田の逆転勝ちか
758 :
考える名無しさん :2012/01/20(金) 07:18:17.59 0
>>752 作法と品位の恐ろしさに無自覚であると思う。
規範としての形成過程も不明確なのに妙に拘束力があり、違反者には人格的非難すらなされる。
759 :
考える名無しさん :2012/01/20(金) 10:38:23.73 0
>>756 > あああ伊勢田終わったな…
自分で科学研究をやった事がない人間が表面的な事だけで議論するから終わって当然というか
科学者から見れば始まってすらいないレベルだろ。
>物理学の世界だと、統計に頼らないといけないほど結果がばらつく実験は悪い実験だ、
>というような発言は何度かきいたことがある(もちろん物理の中でも分野によるだろう)。
伊勢田は本当にバカ丸出しだな。
物理の色んな分野の中でも生物学から一番遠いという意味で最も物理らしい物理の
素粒子実験つまり高エネルギー物理は統計に頼りまくりなんだが。
CERNでヒグス粒子探してる連中に「統計に頼らないといけないほど結果がばらつくお前らの実験は
悪い実験だ」と言って来いよ、伊勢田。
物理学と統計学の関係の深さを
>たとえば「物理学」「統計学」という2つのキーワードのアンド検索で書籍検索をしてみると、
>ほとんど書籍がひっかかりません(ひっかかるものも統計物理の本です)。
こんな下らん表面的な事で判断できると思ってるのは、伊勢田が「自分は物理学について何も知りません」って
白状してるも同然。
だから科学哲学なんてゴミだって自然科学者から言われるんだよ。
自然科学を自分で研究する能力のない伊勢田みたいなバカが「自然科学の研究は云々だ」なんて平気で口出しするんだから。
教訓:バカは黙ってろ!
761 :
考える名無しさん :2012/01/21(土) 09:59:53.90 0
香山リカ批判と精神科医批判がまぜこぜになっている言説をよく見るが、 上のレスもその類い。
伊勢田まさかの逆転負けwww
763 :
考える名無しさん :2012/01/23(月) 02:55:49.84 0
まあどの検索エンジンを使ったのかは知らんが 書籍検索でヒットしない=関連がない っつー理論はおかしい罠。
764 :
考える名無しさん :2012/01/23(月) 17:06:57.40 O
>>763 伊勢田のことだ、どうせ密林ジャパンの書名検索だろ
京大図書館の検索エンジンって書いてあるわけだが。
せめて英語圏でも同様の事をやってから言えよ。 日本語図書だけじゃ信憑性は薄い。
>>分野間での統計学の重要度の違いや温度差というは、なかなかはっきりしたデータという形にならないのは確かで、 簡単に典拠を示せるわけではありません。そんなわけで、以下、ちょっと傍証的なものをもう少し積み重ねていきます。 検索云々はあくまで一例としてあげてるだけで、なおかつ違う場合があれば教えて欲しいと言ってるところに そこまで突っ込まなくていいんじゃないかと。 それでもなお物理学と生物学の間での統計の重要性についてはAkiさんの出現で伊勢田さんの方が旗色が悪そうだが。 で、私は科学哲学も生物学も全然専門じゃないしコメントすら全部は精読してないけど、 伊勢田さんの批判の一番大きなとこってヒュームの解釈?なのかな。 それはどっちが正しいの?教えてエロい人。
「この世に完璧なものはない」という考え方すら完璧でないと考えると 気が狂いそうになるな
>>767 とりあえず
>>科学や哲学は、誰にでも語る資格があると思います。
「実践的な科学者はヒュームの問題について考えているひまがあったらもっと生産的な作業をした方がいいとは思う」(つっこみその6の14番目)と、
素人は科学や哲学に関して黙っておれと言わんばかりの伊勢田先生ほど心は狭くありません。
みたいなヒュームについて学部生レベルの知識もなさそうな発言してる時点で少なともヒュームに関しては
伊勢田の方が正しいだろ。
まぁ伊勢田は専門なんだから当たり前っちゃ当たり前だが。
>>767 そこは7000対6ぐらいのスコアで伊勢田の勝ち
>>769 その引用部分は、ヒュームについて語ってるわけではないだろ。
伊勢田どんのご執心の、「科学哲学と科学の線引き問題」(科学哲学村の縄張りをいかにして守るか)について語ってるんじゃね?
>>771 その引用部分てヒュームの懐疑主義を真に受けるなんて非生産的なことは
実践的な科学者はやる必要ないってことでは?
実際帰納的推論への懐疑なんて科学哲学者以外がやる意味あまりあるとは思えないし、
むしろ害悪であるとすら思うんだが。
真に受ける × 語る ○
語るのは、別に誰がやったっていいだろ。
伊勢田が言ってるのは「考え」るだろ?
実践的な科学者も四六時中実践的な科学をやってるわけじゃないんだから、 たまにはヒュームについて考えたり語ったりして暇つぶししてもいいんじゃね?
んーそう言われると確かにそんな気もするw
>>772 で害悪って言ったのはなんでもかんでも疑うなんて作業を実践的科学者がやるのは
誰も幸福にしないだろうなってこと。
やりたいならそりゃあやればいいけど、そんな悪く言えばどうでもいい作業は暇人に任せて
何かエネルギー問題だのを解決してくれるような実践的な研究をしてほしいとは思う。
斉一性原理が証明できないから帰納的推論は使えないな〜なんてことを
実践的な科学者がやる意味ってあるんだろうか?
いずれにしろ伊勢田は別に素人は黙ってろなんて意図で引用部分を書いてるとは思えないんだが。
779 :
考える名無しさん :2012/01/24(火) 04:36:54.85 0
戸田山が書き込んでるような気がするのは気のせいか
気のせいというより誇大妄想や関係妄想の類だろう
781 :
考える名無しさん :2012/01/24(火) 16:20:41.94 0
妄想厨乙
783 :
考える名無しさん :2012/01/29(日) 15:41:38.48 0
論争は終了?
>>783 > 論争は終了?
Akiさんの指摘に反論できずに伊勢田がトンズラしちゃったから終わりみたいだね。
伊勢田乙w
○○乙厨乙
哲学と科学て本どうよ
津田って暇なの?
792 :
考える名無しさん :2012/02/05(日) 16:43:31.68 0
793 :
467 :2012/02/05(日) 16:56:02.71 O
学習指導要領は 体系的な思考を身につけるには適しているのか。 また体系的な思考の枠組みを学問を通して学ぶなら 初学者に優先されるべき学問とは何か。 使わなければ忘れてしまう種類の知識に 強制的に覚えさせる意味はあるのか
最適ではないが不適でもない 他者と自己を結びつけるコミュニケーション 知識の存在を知っているのと、知る機会がなかったのとでは雲泥の差。法律みたいなもん なんつーかありがちな受験生のお悩み相談だなw
796 :
考える名無しさん :2012/02/06(月) 04:17:38.07 0
2対1になって調子付いてきた津田敏秀なのであった
797 :
考える名無しさん :2012/02/06(月) 09:19:50.02 0
そりゃ小物すぎるwww
統計学は物理学にとっては生物学にとってほど重要じゃないって主張するなんてのは 伊勢田が物理の論文1つ読んだことすらなくて物理を論じてたってのが良く分かる迷言だな。 しかも図書館の蔵書検索で「物理学」&「統計学」のキーワードで出て来る図書数が「生物学」&「統計学」より少ないのが 証拠の一つだなんてのは実に笑えた。 伊勢田が自然科学について論じてるのは須らくそういうレベルの論証だったってことだな。 科学を論じるのに科学者としての経験がないどころか数編の論文すらちゃんと読まずに論じたりしてたら そりゃ科学について無意味な言明しか出てこないわな。文系オンリーの馬鹿が理系を論じられると思うのが傲慢。 伊勢田逝って良し。
で、馬鹿理系は群れないと論陣張れないのか?
801 :
考える名無しさん :2012/02/06(月) 19:29:13.64 0
>>801 落ちこぼれFラン理系にそんなこと言っても無駄
>>801 え゛
ひょっとして、おまえさんも物理では統計(≠統計物理)は重要でないと思ってるクチ?
「偉い偉ーい文系の俺様に意見する奴は、落ちこぼれFラン理系に認定しますよー」
>>801 >
>>798 > 統計学と統計物理学を混同してないか?
伊勢田自身のコメを読んで来い。
大学図書館の蔵書検索で、タイトル名に「物理学」と「統計学」の両方ある本の数は「生物学」と「統計学」の両方あるのよりずっと少ないから
物理学にとっては生物学にとってほどは統計学は重要じゃないってのが伊勢田のコメ。
現実には物理学で測定データを発表する際に誤差評価をちゃんとしてなければ相手にもしてもらえない。
CERNやスーパーカミオカンデなんかでやってる最先端の高エネルギー実験物理なんかは統計データとの戦い。
膨大なノイズの中から求めるデータを拾いだして有意な結論を得るためにな。
自分で物理を研究した事はなくとも、物理の学術論文を多少は読んで物理という学問の実態を少しでも知っていれば
伊勢田のコメみたいな馬鹿な事は絶対に言わない。
自分で研究してないどころか、物理の実態を見ようともせずに伊勢田の脳内にしかない「伊勢田の物理」を勝手にデッチ上げて語るから
大恥をかいて「文系ド素人はROMってろ!」て言われる羽目になるんだよ。
とりあえず文法云々のそもそもの発端は伊勢田のこの↓つっこみな。 p.34 「統計学は科学の文法と呼ばれる」 このあたりもこの本の趣旨と関わってくるのだが、この本の趣旨が医学や疫学に話を限定して「科学」について語るのであれば、 統計学が「文法」と言っていいような重要な位置を占めることは認めていいだろう。 しかし、物理学や化学なども含めた、文字通りの「科学」の話をしようとしているのだとすると統計学の役割にはだいぶ限定が必要。 物理学の世界だと、統計に頼らないといけないほど結果がばらつく実験は悪い実験だ、 というような発言は何度かきいたことがある(もちろん物理の中でも分野によるだろう)。 そういう限定も含めた上で言い直すなら、「統計学は、ばらつきの大きい対象を扱う科学の諸分野においては「科学の文法」と言ってもよい 重要な位置をしめる」くらいの慎重な表現がほしい。 このコメント自体ちょっと(いや大分?)伝聞を基に言い過ぎてるって気がするけど、そこまで検討違いかっていうとそうでもないような…。 結局言わんとしてるのはもうちょっと慎重な表現の方がいいだろってことだけなんだから。 まぁその後の川端さんのブログでやってるやり取りはどうかと思うけど。
あーあ、科学哲学教の信者だけを相手にしていればよかったものを…。
>>806 > とりあえず文法云々のそもそもの発端は伊勢田のこの↓つっこみな。
>
> p.34 「統計学は科学の文法と呼ばれる」
> このあたりもこの本の趣旨と関わってくるのだが、この本の趣旨が医学や疫学に話を限定して「科学」について語るのであれば、
> 統計学が「文法」と言っていいような重要な位置を占めることは認めていいだろう。
> しかし、物理学や化学なども含めた、文字通りの「科学」の話をしようとしているのだとすると統計学の役割にはだいぶ限定が必要。
> 物理学の世界だと、統計に頼らないといけないほど結果がばらつく実験は悪い実験だ、
> というような発言は何度かきいたことがある(もちろん物理の中でも分野によるだろう)。
これが完全に的外れ。
物理の実験で統計に頼らずに済むようなレベルのものは単なるルーチンワーク。もはやその実験そのものでは論文にはならない。
例えば核磁気共鳴(NMR)。液体の核磁気共鳴スペクトルはメーカーが専用の測定装置を作って販売しているからほとんど素人(つまり、化学や
生物や薬学などの学部学生)でも測定できるし、スペクトルの共鳴ピーク(化学シフト)の位置についてエラーバーを考慮したりはしない。
しかし、測定対象が新しい化学物質であったり、本来は存在しないはずと考えられていた物質を検出したりした場合でない限り
そんな誰でもできる測定そのものは研究でも何でもなくて単なるルーチンワーク。
疫学などで統計処理が必要になるのは、その疫学調査そのものが新しい仮説を証明するようなオリジナルな研究なのであって
物理でそれに相当する「測定がオリジナルな研究」と認められるのは、統計処理が必要とならないルーチンワークではなくて
CERNやカミオカンデあるいはNMRでも物性屋がやるような固体NMR(装置も手作り)のレベル。
そういうケースでは物理だって莫大なノイズに埋もれた信号を拾い出すための統計処理や非常に幅の広いピークからズレの有意性を証明するための
誤差の評価としてのエラーバーは不可欠。
物理でも何でも実験や測定そのものが研究となるレベルでは実験データのバラツキが大きく統計処理は必須。それを分からずに論ずる伊勢田はド素人。
810 :
考える名無しさん :2012/02/07(火) 13:31:04.55 0
法哲学は立派な学問の一分野として認定されてるのに科学哲学は何でこんななの?
811 :
洋楽 :2012/02/07(火) 13:41:19.53 0
実験道具屋さん の 商売がメインだからね に くらべれば 卓上物理なんて あたまいっこで どーにでもなっちゃうぅう って 仕掛け花火(笑) タマヤー---♪
812 :
洋楽 :2012/02/07(火) 13:57:22.05 0
電波モルモット 使った 実験ビジネスと いっしょじゃん だから わざと 事故おこすでしょ 法哲学 も いっしょ(笑)
813 :
考える名無しさん :2012/02/07(火) 15:47:24.91 O
>>810 やってるのが伊勢田みたいな科学知らずのくせに知ったかする馬鹿ばかりだから。
科学を知っていたって高々学部学生としての経験じゃ科学の研究とはどういうものかについては何ら知らないも同然。
ちゃんとした科学の研究経験のある者(最低でも自然科学のいずれかの分野…それも出来れば実験系…で博士号を取得した者)が科学哲学をやるようになれば科学哲学もまともになる。
事実、偉大な科学者が晩年に科学や科学研究について語ったり著したものには科学哲学に関する著述として読んでも大いに意義のあるものが少なくない。
つまり科学哲学は文系オンリーの経験しかない者には無理なんだよ。
単なる知ったかが吐く妄言なんて誰も相手にしない。
科学研究とはどんなものかを十分に知った上で、その科学研究をメタな視点から分析し再構築して理論として提示せねば、科学者にとって意味のある本物の科学哲学にはならない。
外から上っ面だけを眺めてたって意味のある内容なんて出ない。
伊勢田の場合は、彼のコメントで図らずもあからさまになった物理と統計との関係への無理解から分かる通り、その上っ面を眺める事すらしてなかくて伊勢田の脳内の妄想科学を哲学してただけとバレた訳だが。
>>810 科学者が合理性に欠けるから。現場なんかグダグダだもん。
そもそも科学について考えたりもしないし。
815 :
考える名無しさん :2012/02/07(火) 16:52:47.74 0
科学者にとって意味のある = 本物の とかw 馬鹿じゃねーの?
816 :
考える名無しさん :2012/02/07(火) 17:02:22.69 O
>>815 と思ってるお前が馬鹿。
だから科学哲学は仲間内の空理空論で傷を舐め合って終わり外部に対して何ら影響を与えられないでいるのさ。
法哲学がちゃんとしているのはやってる連中が法や社会の実態を良く知っているから。
科学哲学が駄目なのはやってる連中が科学の実態を知らないから。
実態を知らないでやってる科学哲学は伊勢田みたいな脳内妄想科学相手の哲学ゴッコ。
817 :
考える名無しさん :2012/02/07(火) 17:07:02.93 0
ポアンカレの名前が出てきてない時点でこのスレの価値もあれだな
賛成だな。科学哲学は必要ない。 科学者なんぞの相手は社会学者で十分。 科学社会学でいい。
819 :
考える名無しさん :2012/02/07(火) 18:18:06.41 0
おい伊勢田の「疑似科学と科学の哲学」買ったのにこのスレ見たら読む気なくしちまったじゃねえか 3000円もしたんだぞ
なんだかんだ言ってもそれはいい本だから気にせず読めばいいかと。
>>819 このスレの書き込みを見るかぎり愚者がどちら側かは明らかなはずだが?
どちらの立場の発言ともとれますね そんないい加減なことでいいんですかね
いいんじゃねーの? どうせ糞スレだし。
日本の科学哲学というのは、科学や哲学に漠然とした憧れを抱いている若者を集めて南蛮渡来の教えを説いて、 その対価として喜捨をもらう芸能なんよ。 そういう芸人がリアルな科学に触れたらあかん。 えらいやけどするで。
技術屋だけど、日本の科学哲学者には、 @なぜ日本で科学が生まれなかったか A芽は出てたのか B芽が潰されたのか、成長速度が今ひとつだったのか などなど、日本に拘った研究をしてほしい。 科学の特徴の一つとして、数学という言葉を使って自然現象を表現する、 ということがあると思う。江戸時代、和算は微積分まで到達していたし、暦学では、 天文現象を数学で記述できてたわけだし、もう一歩だった気がするんだ。
それは科学哲学ってより科学史じゃないかな? 科学哲学って科学史も含むの?
827 :
考える名無しさん :2012/02/08(水) 02:50:42.23 0
東大が「科学史・科学哲学」だからまあ含むんだろ あそこはむしろ「史」の方が強いイメージだな
828 :
考える名無しさん :2012/02/08(水) 03:43:00.37 0
>>825 板倉聖宣の著作を読んでみては?
科学史寄りだけど科学哲学としても優れていると思う。
呉智英いわく「化石のような啓蒙主義者」だけど。
津田×伊勢田論争終結フラグ?
830 :
考える名無しさん :2012/02/08(水) 20:11:10.82 0
まあ一時息してなかった津田が最後に少し盛り返して終われたのは 良かったと思う。ストーリー的に。
というかAkiとか言う人の指摘に伊勢田が反論できずに逃亡して終わったんだろ。
事実を受け入れずにすり替えようとする
>>830 は伊勢田本人か伊勢田の学生かな?w
ああいう議論に自主規制を要求するのは不健全だね。
833 :
考える名無しさん :2012/02/08(水) 23:05:07.39 0
>>831 でもそれで津田が呼吸できるようになったのは事実だろw本人妄想厨さんよ。
一時期ほんとに死んでたからな。
というかさ、どっちが勝ったでもどっちが正しいでもいいけど ここまでくだらない論争は滅多にないよなw 津田×伊勢田論争ってより津田伊勢田の喧嘩って感じ。 論点ぶれまくりで議論になってないし。
835 :
考える名無しさん :2012/02/08(水) 23:10:31.75 0
>>834 完全に同意。それに輪をかけて論点ぶれまくりなのがこのスレだけどなw
科学哲学は楽しい面白い嬉しい内容ですの。
>>834 > というかさ、どっちが勝ったでもどっちが正しいでもいいけど
> ここまでくだらない論争は滅多にないよなw
> 津田×伊勢田論争ってより津田伊勢田の喧嘩って感じ。
> 論点ぶれまくりで議論になってないし。
本来なら科学哲学のプロを自認する伊勢田がリードして実りある議論にしなきゃいけなかったんだけどな。
津田も最初は科学哲学のプロの批判ってことで聞く気はあったみたいだし。
ところがプロのはずの伊勢田が学問的な議論じゃなくてガキの喧嘩レベルの津田の人格攻撃つうか全否定を始めたから収拾つかなくなった。
結局、津田はくたびれもうけ、伊勢田は物理や統計に関してまったくの無知で語ってたというのを曝け出して両者痛み分けで終了。
しかし伊勢田もAkiさんつう人の指摘に反論も言い訳もせずに消えるとは逃亡したと言われても仕方ないね。
838 :
考える名無しさん :2012/02/09(木) 14:40:35.79 0
へんてこなまとめ方だと思うが
なぜ伊勢田さんはAkiとかいう分子生物学屋さんの批判に反論しないんだろう? それとも長文厨が言う通り反論できないの?
助っ人呼んでくる津田のしょうもなさにあきれてんだろ
>>837 そうは言うけど伊勢田も必死にヒュームの解釈説明してたろ?
専門家である伊勢田がヒュームの正しい解釈はこうですと言ってるのになぜか自分の解釈に固執する
津田もよくわからんが。
842 :
考える名無しさん :2012/02/10(金) 04:22:54.02 0
誤りを認めたら本が売れなくなるしな
>>833 津田は息吹き返してないよ。
序盤にとどめを刺されて死んだまま。
問題は最後に伊勢田も倒れたのかどうかだ。
本当に「痛み分け」かどうか。
哲学も生物学も物理学も知らないし 科学者が科学哲学の内容を誤解して本に書いて専門家にやりこめられて それが世間に広まったり,本が改定されたりして誤りが正されるなら それはいいことだと思うけど 現代の実験物理学がどんな風になっているかを 科学哲学の専門家が全然把握していないってのもアレだと思った
845 :
考える名無しさん :2012/02/10(金) 21:13:21.43 O
伊勢田は自著のタイトルを『疑似科学と科学の疑似哲学』に改めるべきだな。
…え?
喧嘩はまじで終了?
>>847 津田は伊勢田により死亡
伊勢田はAkiにより死亡
両当事者が死亡したので終了
850 :
考える名無しさん :2012/02/13(月) 03:49:16.22 0
ぼくたち地球人だもんな
世界人類が平和でありますように
川端さんえぐいなぁ 焼け野原になるまで続けろっていうのかw
>>849 > 戦争で誰も得をしない
この教訓は偽
誰も得をしないはずの戦争がいつまでも無くならないのは何故なんだ?
思考停止せずに少しは理由や原因を考えてみろ
結論から言えば戦争で誰も得をしないというのは嘘、
戦争で得をするのが一杯いるってことだ
戦争当事者に武器を売ってる奴らは儲かる
その武器代金を戦争してる国に金を貸してる奴らは儲かる
戦争をすれば当事者以外は結構得をするんだよ
朝鮮戦争を考えてみろ
半島猿共が身内で戦争をおっ始めてくれたお蔭で生み出された特需が日本を急激に蘇らせた
戦争するのは馬鹿、馬鹿を利用して儲けるのは利口
もっと利口な奴らは馬鹿を焚きつけて戦争を始めさせて儲ける
この戦争させて儲けるってのがユダヤ資本を今の巨大な規模に成長させた原動力
これが世界の歴史
ぼくたち地球人なんてのは単なるファンタジー
>世界人類が平和でありますように
こんな言霊の呪術は日本人にしか通用しないよ
中学生がなんか本気になっているでござる
消防が反論できずに相手を厨房呼ばわりしてるでござる
856 :
考える名無しさん :2012/02/14(火) 09:33:50.27 0
2chの言い争いがアフィブログのネタにされるようなものか
857 :
考える名無しさん :2012/02/14(火) 09:58:13.42 0
だから中学生はいつでも本気なのだよ
859 :
考える名無しさん :2012/02/14(火) 16:13:41.97 0
カワバタさんの言うように伊勢田の言葉遣いが「過度にとげとげしく感じられる」のは、師匠の内井がああだからだろ
860 :
考える名無しさん :2012/02/14(火) 16:50:41.40 O
>>852 つまり川端は
伊勢田の「物理学での統計学の役割は生物学でのそれの役割より小さい」と云う主張に対するAkiからの批判に対して
伊勢田はちゃんと反論して自らの主張を防衛するか或いは潔く自説の誤りを認めて撤回するか、
その何れかの形で自分が始めた「統計学は科学の文法」批判論争にけじめを着けろ
と、伊勢田に促してる訳ね。
厳しいなあ。
まあ学問上の議論だから言いっぱなしで逃げるのは確かにNGなんだが。
そもそも「役割」の「大小」なんて曖昧な概念を持ち出すのが哲学者らしくないのでは…
とげとげしいのは別に伊勢田だけじゃないと思うが。
863 :
考える名無しさん :2012/02/14(火) 19:05:58.86 0
>>859 てかその「過度にとげとげしく感じられる」って
伊勢田のこと言ってんの?
今更読んだけど「科学哲学」に関する限りでの伊勢田のツッコミは そんなに間違ってないと思ったが 統計学に関しては伊勢田は全然分かってないみたいね 実験をやる以上、その実験から一般的法則を導く事の正当性が問題になるのだけれど それを背景で支えているのが統計学なのであって あまり表に出てこない状況でも、実験科学にとっては非常に重要なのよね
あんなやり取りしてて議論は噛み合ってる、不愉快なコメントはどれだって 言ってる津田はなんなんだ
>>866 噛み合ってると言っているのではなくて、噛み合わせようとしてコメントしてるってことじゃない?
でもマクスウェルの時代に統計学って無かった訳だし
>>868 > でもマクスウェルの時代に統計学って無かった訳だし
それは完全な認識不足というか間違い。
マクスウェルが生まれる前にガウスの最小二乗法や誤差論は既に作られていた。
そもそもガウスの最小二乗法は彼が自分の天文観測のデータを処理するためだから
統計学の最も基礎の部分であるガウス分布とそれに基づく誤差論は
天文学という広義の物理学での必要性から生まれたと言える。
870 :
考える名無しさん :2012/02/16(木) 04:31:36.97 0
>>869 君なら伊勢田をフルボッコできる
がんばれ
871 :
869 :2012/02/16(木) 11:47:42.61 0
>>870 ああいう人間性の相手するのは御免蒙ります。
統計学っていつ始まったのかという話題に答えにくい学問だよね 個人的にはフィッシャーとかの検定理論あたりから 確率論との分化が進んだと思ってるんだけどね
>>872 寧ろ逆でしょう。
近年に始まった、つまり素朴な(例えば高校数学Vレベルの)確率・統計の延長から飛躍的な脱皮を行ったのは、統計学ではなく確率論の方です。
確率論が統計的な問題意識を切り離して独立した学問領域となったのがかなり最近だと言うべきでしょう。
つまり、選択公理や連続体仮説からの様々な論理的帰結を調べる中で浮かび上がって来た実数体Rの摩訶不思議な性質、
そしてルベークによる新たな積分概念や可測性概念の導入、更にはコルモゴロフによる確率論の公理化といったのを経て
確率論は昔ながらの「確率・統計」という素朴な姿を一変させて抽象数学の一分野となったんですよ。
統計学において、もちろんフィッシャーの検定理論の成立はもちろん大きな意義があるのは否定しませんが、
ガウスによる正規分布の概念の発見や、それに基づく誤差論、そして統計的なデータ処理方法としての最小二乗法の発明を以て
現代につながる統計学の礎石が置かれたと言えると思います。
少なくとも、それらガウスの業績は確率論にとっての意義よりも統計学にとっての意義の方が遥かに大きい。
確率・統計から脱皮して面目を一新した現代の実解析の一部としての抽象的な確率論から見れば、それらガウスの業績にはさほどの重要性はありません。
最小二乗法はデータ処理方式なので純粋数学としての確率論にとっての意義は皆無ですし、正規分布にしても現代確率論の視点から見れば
確率分布の具体例の一つに過ぎませんから。もちろん、確率論を応用で使う(例えば金融工学とかで確率微分方程式を用いる)上では正規分布は重要ですが。
874 :
考える名無しさん :2012/02/18(土) 06:40:57.74 0
統計学は母集団の構造の解明の手段で、確率論は(簡単にいうと)確率の計算手法だ。目的が全然違う。
875 :
考える名無しさん :2012/02/18(土) 06:46:21.93 0
>>873 実数集合の不可思議な性質と、コルモゴロフの測度論による確率論の公理化は、直接的な関係はないぞ。
知ってることを詰め込めば良いってもんじゃない。
直接的な関係があるなんて誰も言ってなくね?
>>875 >
>>873 > 実数集合の不可思議な性質と、コルモゴロフの測度論による確率論の公理化は、直接的な関係はないぞ。
そこが直接関係あるなんて書いてないだろうが。ちゃんと読め。
実数の不可思議な性質やRに非可測な部分集合が存在するといった発見や、確率論の公理化といった諸々のプロセスを経て
現代確率論が成立したって書いてあるだろうが。素朴な確率・統計からその現代の確率論を生み出すプロセスでのイベント間に
因果関係なんて何も主張していないぞ。単に時系列的に並べてあるだけだ。
お前が時系列に並べたイベントの間に勝手に因果関係を入れて読んだだけ。
もうちょっと書かれた事柄だけをミニマムに読む訓練をしろ。
だから数学のちゃんとした訓練を受けていない文系は数学を理解できないんだ。
数学は学部程度の勉強しかしてなくて、特に数学史や哲学・科学哲学を学んだわけじゃないけど
微分積分の発明
フーリエ級数の発明と収束の問題
ワイエルシュトラスやデデキントの実数論
カントールによる点集合論
アスコリらによる関数空間の位相っぽい概念の研究
フレーゲペアノラッセル(古くはライプニッツやパースも?)による数学の基礎付けのアプローチ
ルベーグの測度論と積分論
ツェルメロによる集合論の公理系の提案
この辺の位相と集合論の流れがあったから
モスクワやポーランドで位相や初期の記述集合論の研究があって
それがコルモゴロフの確率論の公理化につながってる、みたいなイメージがあるよ
だから
>>873 読んでも違和感は感じなかった
「実数体Rの摩訶不思議な性質」ってのがどういうことを言っているか 具体的に良く分からんのだけど、 ポーランドでの射影的集合とかBorel集合とかの研究とかと コルモゴロフの確率論の公理化は、歴史的な繋がりもそう強くないと思うけどな もっと大きく19C〜20Cにかけて数学の公理化の 流れがあったからってことだけで良いんじゃないかな コルモゴロフの確率論の公理化が 概念に纏わる哲学的な問題点を棚上げにして数学ではそういうことに関与しません、 という宣言みたいなものなのはその通りだと思う。
ついでに言うとユークリッド原論で点は部分を持たない、という公準とかが 数学的意味が無い、として後世の観点から批判されたりしてるけど、 あれもゼノンのパラドックスとかの哲学的批判は数学的にあまり意味が無いから 我々は相手にしませんよ、という意味の立場表明・宣言なんで結構重要なんだよね
伊勢田統計学論争ってどこでよめるの?
ぐぐれ
wiki編集したの誰だよw
不完全性定理について何か読んでみようと思うんだけど 伊勢田の『疑似科学と科学の哲学』が科学哲学に関するほぼ全ての知識を 依拠してる文系脳の人間にお薦めってある? とりあえず高橋の『理性の限界』って本取り寄せ中
ひどい日本語だw
高橋の『理性の限界』 は計算機科学者で数学史家のHさんにコキおろされてたような… 啓蒙書だからこそ、きちんと専門家が書いた本を選ぶべきと思う
確かさを求めて―数学の基礎についての哲学論考 M. ジャキント ゲーデルの定理――利用と誤用の不完全ガイド トルケル・フランセーン ゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫) 専門家が書いた信頼できる入門書・啓蒙書はこんな感じかな 岩波文庫の原論文はかなり難しいので 不完全性定理の証明自体を知りたい場合は(アウトラインの説明はジャキントにある) きちんとした現代的な教科書を読んだ方が早いです
あ、岩波文庫は原論文じゃなくて 歴史的経緯とかヒルベルト・プログラムとかの 解説の部分に価値がある本ですので念のため
891 :
考える名無しさん :2012/02/19(日) 21:45:13.47 0
本当だ 伊勢田のwikiに誰かが書き込んでるw
>>887-889 どうもありがとう
ジャキントとフランセーンのはいきなりだと辛そうなので
とりあえず高橋のをパラパラ読んでから挑戦してみます
岩波のは読むとしてもそれからかなw
893 :
考える名無しさん :2012/02/20(月) 01:26:46.95 O
>>885 もっとなにか書いてくれ
初期2ちゃんで、よく見た独自の文体の人たちを思い出した
久々に川端さんとこにコメントが来たと思ったらなんだありゃ
統計については、伊勢田の質問が頓珍漢すぎるからなぁ。 それに返答しろと要求するのも頓珍漢すぎると思うぞ。 信者というのは、ああいうものなのか。
896 :
sage :2012/02/23(木) 16:56:33.90 0
897 :
sage :2012/02/23(木) 16:57:12.15 0
suma
すまん 下げそこなったうえに無駄レスを
気にすんな。おまえウンコだからw
高橋の『理性の限界』読みました 不完全性定理はなんとなくイメージできた気がするけど 気がするだけって気もするしそもそもあの本の説明をそのまんま受け入れるのは 危ない気がしてきた で、なんやかんやあって岩波の本読み始めたんですけど これはおもしろいですね 証明そのものは理解できるわけないからその周辺のことを 詳しく解説してくれるのはありがたい
901 :
考える名無しさん :2012/02/25(土) 03:32:29.64 0
tetsuさま
ご意見ありがとうございます。では私がtetsuさんに質問させてください。伊勢田先生が『医学と仮説』の中のヒュームの問題のどこに問題があると言っておられるのか私に解説してください。
あるいはなぜ相当程度誤りがあると言っておられるのか解説してください。私が様々なラッセルや現代因果関係論のテキストをはじめ例を引っ張り出して説明しているのに、
伊勢田先生は否定だけして理由を言われないわけですから。また、伊勢田先生が一方的に打ち切ると宣言されたことに関して、なぜ私が回答をする必要があるのでしょうか?
私が、このブログの表題のこのテーマに沿って気が向いた時にコメントを投稿し、それを川端さんが承認することに関して、なぜ回答する必要があるのでしょうか?単に私のコメントの投稿になるだけだと思いますが。
ご教示賜れば幸いです。投稿 zusammen | 2012.02.21 16:27
http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/2011/09/post_f2a8.html#comment-35372668
>私が様々なラッセルや現代因果関係論のテキストをはじめ例を引っ張り出して説明しているのに、 反応がトンデモの典型だな。誰?こいつ。
903 :
考える名無しさん :2012/02/25(土) 11:58:09.89 0
津田敏秀
tetsuさんの指摘は完全に無視されてるよな
疫学者が科学哲学者に対してヒュームは本当はこういうことを言っているんだと 主張するのは確かに釈迦に説法なんだが、 哲学者が疫学者に対して統計学とは本来こういうものなんだ、と主張するのも 結構それに近いよね
906 :
902 :2012/02/25(土) 20:36:12.03 0
>>903 すまん、ちゃんと見たら
そのとおりご本人だった。
失礼したw
伊勢田は完全に消えちゃったね Akiの指摘がよほど堪えたのか
908 :
考える名無しさん :2012/02/27(月) 04:46:16.19 0
津田は自分に都合の悪いことを全部スルーするからなぁ
伊勢田も津田も自分に都合の悪いことは完全にスルーしてるな。 ただし科学でなく科学哲学としての論争を始めた以上、その論争をちゃんと進める事への責任としては、 科学哲学のプロの伊勢田の方が、科学のプロではあるが科学哲学には素人の津田よりも重い。 プロの伊勢田がその責任を負うのが嫌ならば、津田の意見など「所詮は素人の戯言」と最初から切り捨てて 論争を始めなければ良いだけの事だからな。 伊勢田は逃亡したりせず、科学での統計学の役割に関する伊勢田の意見に真っ向から批判を浴びせたAkiの指摘や 津田からの質問に対してちゃんと答えるべきだ。今の黙り込んだままではプロの伊勢田が逃げたと言われても仕方あるまい。
スルーしてんのってどれ?
911 :
考える名無しさん :2012/03/01(木) 04:49:13.84 0
津田がスルーしてるのはこのあたりかな >わたしが見ているのではなく、クワインのこの論文を引用することで事実上そのように見たことになってしまっているのは津田さんの方です。そのこともわからずに引用されていたのですか? >「データ(現象・観察)がばらつくこと(義務教育で学んでいるはず)をきちんとと理解しておられない人がまさかいらっしゃるとは」というのは誰のことですか? >「相矛盾することが平気で書かれている」というのにもお答えしたのに何も釈明をいただいていませんね。 >「思えません」とおっしゃいますが、古典的な実在論論争に関わる話でないとしたら、そもそも「現象主義」とか「物理主義」というのはこの文脈でどういう意味だと思ってらっしゃるんですか? >津田さんはLosseほかほんの数冊の本の情報だけで、科学哲学を一応専門としている人間よりも科学哲学の歴史や用語をよく知っていると主張されるおつもりなのですか? >「ねじまげ」だとネガティブな反応をされる前に「あれ、わかりにくかったかなあ」という反省モードにならないのはなぜなのでしょうか。 >これについては、わたしの知識は津田さんと比ぶべくもありませんので、わたしの思い違いでしたらご教示いただければ幸いです。 >津田さんの方から、物理学や化学で、これ以外にどんな形で統計学が使われているか(統計物理という分野はありますがあれは統計学ではないですよね)、少し例をあげてご教示いただければと思います。
>911を見る限り伊勢田の非は下から3つ目くらいかな? 説明のやり方については一読者として言うのは自由だけど科学哲学者としてまるで 上から目線で反省を促すのはちょっと違う気がする 統計学の話も別に伊勢田は違うなら違うと指摘してくれって言ってるんじゃん なにを津田は突っかかってんだ?
913 :
考える名無しさん :2012/03/01(木) 21:27:59.89 0
津田がお話にならないのを今更確認する必要はないだろ
途中だけ見て言うけどベーコンは無いだろ、ベーコンは・・・ 英米哲学なんて哲学の中じゃ下位の部類だろ
915 :
考える名無しさん :2012/03/02(金) 18:54:35.63 0
>>914 そこつっこむのは流石に意味がわからない
918 :
考える名無しさん :2012/03/03(土) 15:08:41.42 0
919 :
考える名無しさん :2012/03/03(土) 21:07:31.96 0
もしもナノマシンのみで構成され、自我が存在することができたらそれは生き物なのか? またそれに生命としての尊厳が生まれるのか? マジレスしてみる
マジレス言うからマジレスしてみる 功利主義的には自我が存在して苦痛を感じるなら功利計算の範囲内になる 人間並みの高度な知性を持ってるって言うなら殺しちゃダメってことになるはず。シンガー的に考えて。 義務論的にはカントが言うところの人格に値するなら生命の尊厳は生まれる気がするけどよくわからない サンデルだったらそいつが所属する共同体の価値観次第ってことになるけど そんな物体を尊ぶような価値観を持った共同体は存在しないので単純に考えれば尊厳の対象にならない 大体こんな感じじょのいこのー?
>>919 「自我が存在することができたら」なんて仮定を入れたら
だいたいの人はそれイエスと答えちゃうだろw
922 :
洋楽 :2012/03/03(土) 22:07:54.65 0
尊厳? ・・・・ どーでもいい ふつーに どーも はじめまして 洋楽です
>>919 現生の生物は、すべてナノマシンから構成されているんだが。
924 :
考える名無しさん :2012/03/04(日) 03:51:17.07 0
>>923 補足すると有機物じゃなくて無機物ね
つまり機械の分類で人に近い
人間と同じように病気や怪我もするし「死ぬ」ことも可能
材料が違うだけでそれ以外は限りなく人間に近いという意味
それはケストラーかポランニーが言っていたような気が。 カント的立場に立つのなら全ての理性的存在者に対して法は適用される。 しかし、法の純粋性は各理性的存在者の存在様式から発生する要求、 つまり権利保護にあるのではなく、そのような要求を排して法の要請を遂行すること すなわち義務の遂行において確保される。 であるならば、理性に即して法の命じる事を正しく認識し遂行するかぎりにおいて、 義務と一体化した権利が当該理性的存在者に対して認められることになる。 しかし、カントが想定する法や理性なるものの実在性や達成可能性は 人間にとって不可知の領域に属するものであり、結果として人間存在を超えた理性的存在者について 認定を下せることまで言及してはいない。 簡単に言えば、よく分からんが、法を守っているのならその分においては構わないのではないかということですね。 しかし、人間並みの権利までは約束できない、と(それは人間じゃないから)。
926 :
考える名無しさん :2012/03/06(火) 04:02:10.75 0
【ここまでのあらすじ(3行)】 伊勢田圧勝かに思われたが 土壇場で思わぬ援軍が現れ 津田まさかの逆転勝利?
>>926 申し訳ないが、仮にわたしの教養向けの科学哲学の授業で
「ここまでのあらすじを記せ」という設問に
>>926 ように答えた学生がいたら、
「逃げるが勝ち」などのキーワードが出てこないという意味で、
限りなく0点に近い点数をつけることになると思う。
科学哲学の授業でそういう問題出すんだw
929 :
考える名無しさん :2012/03/07(水) 05:51:08.81 0
>>927 このスレを読もうという人で、たいしたレスがないこと(義務教育で学んでいるはず)をきちんと理解しておられない人がまさかいらっしゃるとは思わなかったのですが
>>927 > 「ここまでのあらすじを記せ」という設問に
>>926 ように答えた学生がいたら、
> 「逃げるが勝ち」などのキーワードが出てこないという意味で、
> 限りなく0点に近い点数をつけることになると思う。
津田だけが相手ならば「逃げるが勝ち」でも良いかも知れないが
Akiが指摘した伊勢田の統計学と物理学との関係の理解に対する極めて真っ当な批判に対して
ちゃんと反論なり訂正なりをしないまま伊勢田が消えているのは
「反論できないし訂正したくないから逃亡した」と言われても当然の行状。
>>926 の
> 【ここまでのあらすじ(3行)】
に関して言えば、
津田は哲学をマトモに理解してない事を晒した。
伊勢田は自然科学の実態を全く知らずに科学哲学をやってる事を晒した。
って2行で終わるだろ。
ただ、津田は科学者だから哲学を知らなくても致命的じゃないが
伊勢田は科学を対象として哲学研究してた(過去形w)はずなんだから
科学の実態(科学での帰納法的なアプローチの手段としての統計学の重要性)に無知で
伊勢田が自分勝手に考えてた脳内エセ科学を対象として(エセ)科学哲学をやってたって事実を曝け出したんだから
伊勢田の書く科学哲学の論文や本に対する信用や価値は地に堕ちたんじゃないの。
今後は、伊勢田が「科学において帰納法とは・・・」とか「科学において確率が果たす役割とは・・・」とか書いてても
眉に唾をつけてから読まねばならなくなったのは確か。
932 :
考える名無しさん :2012/03/07(水) 15:07:40.13 0
>>931 まだ半分も読んでいないのに伊勢田関係の記述がひどすぎる。
933 :
考える名無しさん :2012/03/07(水) 20:35:29.32 0
パロディスレになっとるがなw
>>932 だって「物理学にとって統計学は生物学にとってほどは重要じゃない」なんて書いたら
物理学って何をやってるのか、そもそも科学におけるデータとは何か、どうやって求めているのかって
科学の根本的な部分について全くの無知って宣言してるも同じだろ。
そんな無知蒙昧の輩が科学に関する哲学をやって著述を出してるとなれば、そいつの著述は眉に唾をつけて読まねばならないのは当然だろ。
津田は哲学について無知なんだから、哲学のことなんかに口を挟まずに科学だけやってれば良いんだよ。
伊勢田は科学について無知なんだから、ヘーゲルでも何でもいいけど、科学なんか話題にせずに文系オンリーの哲学だけやってれば良いんだよ。
935 :
考える名無しさん :2012/03/07(水) 23:19:10.39 0
>>931 >津田は科学者だから哲学を知らなくても致命的じゃないが
知ったかぶりをしたことが致命的なの
ポイントが見えてないな
936 :
考える名無しさん :2012/03/07(水) 23:57:27.64 0
934 哲学は科学ではない。(だからいまだに文学部あつかいなんだろ) 科学哲学の本なんて、科学をなりわいにしてる人がよめば全部眉唾。失笑もののおんぱれーどだよ。 科学読み物であるブルーバックスと同列にさえならない。 (ところがたまに大手書店で理系のコーナーに科学哲学の本がおいてあって、手に取ったものの失調をかっている)
ブルーバックス舐めるなよ
938 :
考える名無しさん :2012/03/08(木) 00:09:01.12 0
なめてないけど?科学書籍で比較すれば比較的読み物や情報書の部類に入るからその例としてだしただけ。 科学哲学の本は内容的にはそれと同列にさえならない、というはなし。
何の内容だよ
940 :
考える名無しさん :2012/03/08(木) 00:21:34.28 0
なに?知りたいの?反論? 内容というワードにひっかかることがあるの? なら、内容的に安定している著作例を逆にここにあげてみたら?実際にその原書をお互いが読んだ後にいいあうのが確実だし互いのいわんとすることのあいまいさもより減らせるだろし。
>>935 >
>>931 > >津田は科学者だから哲学を知らなくても致命的じゃないが
>
> 知ったかぶりをしたことが致命的なの
> ポイントが見えてないな
伊勢田なんてもっと知ったかぶりじゃないか。
自然科学でのデータ処理の基本中の基本も知らず、
自然科学での統計学の役割だの帰納法の意義も知らずに
自然科学とは何か、どういうものかについてさももっともそうに
語ってるんだからさ。
伊勢田に限らず科学の何も知らずに科学を語っている科学哲学の連中の知ったかぶりにはウンザリしてるんだよ。
943 :
考える名無しさん :2012/03/08(木) 00:36:42.50 0
だれも>科学哲学vsブルーバックスなんていってない。 それより、科学哲学に科学者もよめる良書が1冊でもあるというのなら、それをひとつあげてみてよ。 おれもしりたいし。最近の事情はしらないからもしかしたら良書がようやくでてきてるのかもしれないし。
>>936 >(ところが〜科学哲学の本がおいてあって、手に取ったものの失調をかっている)
手に取っただけで調子を失うなんて、科学哲学の本は危険だな
945 :
考える名無しさん :2012/03/08(木) 08:35:54.25 0
>>941 >>935 は伊勢田擁護でないし
そもそも伊勢田の話すらしてないのに
なんでそっちに話を逸らすの?
頭が悪いの?
946 :
考える名無しさん :2012/03/08(木) 23:11:57.81 0
「○○なんてもっと××じゃないか!」 馬鹿な中学生がしそうな言い返しではあるw
傍観者から見たら、伊勢田も津田も知ったかぶりをしていたのなら、どちらも似たようなものなんだがな。
948 :
考える名無しさん :2012/03/09(金) 07:19:06.33 0
>>931 はそこが分かってないってことだよ
津田のがマシだみたいなことを無理に言おうとしてる
みにくい党派性だ
津田は、自分の専門でないことについて、よく知らないのに知ったかぶりをしていた。 伊勢田は、自分の専門に関わることについて、よく知らないのに知ったかぶりをしていた。 と言ったら、みにくい党派性なのか? 傍観者から見たら、別に間違いでもないし、党派的でもないと思うがな。
伊勢田が知ったかぶりをしていると言っている時点でおかしいよな 本心でどう思っているかはともかく 「わたしの知識は津田さんと比ぶべくもありませんので、 わたしの思い違いでしたらご教示いただければ幸いです」 といっているわけだし 一方で津田は科学哲学に関してもあくまで自分のほうが正しいとゆずらない まあできればここで「統計学に関する主張についてはわたしの 間違いでした」とひと言だけでも述べてこの論争を締めてくれれば 伊勢田の株もだいぶ上がると思うんだが もう津田なんかと関わりたくないのはわかるが 間違っていた以上そのことについて一言はコメントがほしいわな この一点については間違っていても他では圧勝なんだし
>>951 >伊勢田が知ったかぶりをしていると言っている時点でおかしいよな
>>949 は、「知ったかぶりをしていた」と、過去形で言っているようだが。
それもおかしいのか?
それなら津田については現在進行形で「知ったかぶりをしている」と
書かなければいけない。何とか対称形に持っていきたい
>>949 の趣旨が破綻する。
詰んだな。
>>951 > 伊勢田が知ったかぶりをしていると言っている時点でおかしいよな
> 本心でどう思っているかはともかく
> 「わたしの知識は津田さんと比ぶべくもありませんので、
> わたしの思い違いでしたらご教示いただければ幸いです」
> といっているわけだし
と言いつつ、自然科学における統計学の役割についてトンデモな主張を展開したわけだが。
「ご教示下さい」なんて枕詞が謙虚であっても、実際には「統計学は科学の文法」という主張に対して
物理における統計学の重要性をまったく理解していない反論を展開している点で伊勢田は論外だな。
ついでに言えば、伊勢田がAkiの指摘を受けてもそのトンデモな主張を撤回していない現状では、
「伊勢田は現在も知ったかぶりをしている(撤回していない)」という現在形で表現する以外にないね。
科学のプロが自分の専門領域ではない哲学で知ったかぶりをするのと
科学哲学のプロが自分の専門領域に属する「統計学の科学での役割」というテーマに関して知ったかぶりをするのと
どちらが恥ずかしい事かな?
科学哲学の専門家の筈である科学哲学者とされている人間が物理学でのデータの扱われ方や統計処理という事を
全く知らずに科学と統計学について発言していたのはどう考えるのな?
津田の知ったかぶりは擁護できる事ではないが、伊勢田の知ったかぶりは自身の専門に直結する部分での知ったかぶりだから更に罪が重い。
ここで津田の知ったかぶりを批判しているにも拘らず、上の1行に相当する内容で伊勢田の批判をすると党派性だの何だのと話をすり替えて
伊勢田を擁護している奴らの党派性こそ見苦しい。
それともまさか伊勢田本人や伊勢田の弟子が2ちゃんねるにまで出張って擁護しているのか?
ついでに言っておくと
>>931 や
>>945 は俺だが
>>949 は俺じゃない。
956 :
考える名無しさん :2012/03/11(日) 22:06:10.21 0
最初の2行しか読んでないけど 詰んだのに投了しないのは みっともないぞ
どうでもいいが、
>>954 は伊勢田に何か個人的恨みでもあんのか?
妙に執拗に伊勢田を攻撃するな。
それほど騒ぎ立てることでもあるまい。
一連のコメントを読む限り、伊勢田だって物理実験のデータ処理で
統計学を使うことくらいさすがに知っているっぽいし、
伊勢田の返事がない以上なんとも言えんが、
伊勢田の言いたいことがそもそもここでも、
川端ブログの米欄でも誤解されている気がする。
伊勢田の言説は、反証不可能ってか。
959 :
954 :2012/03/12(月) 00:27:44.92 0
>>956 詰んでるのに投了しないのは伊勢田擁護派だろ。ついでに言えば
>>949 は私ではない。
自分の不明や自説の誤りを認めずに逃亡したままでは、今も伊勢田は現在進行形で「知ったかぶり」を続けてるんだからな。
>>957 > どうでもいいが、
>>954 は伊勢田に何か個人的恨みでもあんのか?
個人的恨みという言葉を出してそれに帰着するような印象操作を図ろうとするとは。
残念ながら恨みどころか個人的に伊勢田など会った事すらない。
> 妙に執拗に伊勢田を攻撃するな。
> それほど騒ぎ立てることでもあるまい。
伊勢田のように科学を知らないくせに偉そうに能書きを垂れる科学哲学者が嫌いなのだ。
知ったか全般に嫌いだが、特に科学哲学者の多くのようにプロのくせに素人同然の知識で知ったかをするのは
見ていて非常に不愉快なのだ。
>>954 >それともまさか伊勢田本人や伊勢田の弟子が2ちゃんねるにまで出張って擁護しているのか?
それよりまずこの幼稚な党派的思考から卒業しないと。
科学や哲学について語るのはそれからだ。
なぜ
>>957 のように言われたかを一度真面目に考えてみるといいよ。
「個人的な恨みがあるのか?」というのが印象操作なら
「伊勢田本人や伊勢田の弟子が2ちゃんねるにまで出張って擁護しているのか?」
も印象操作じゃないの?
それに、伊勢田が「まったく」科学を知らないとか言ってみたり。
>>959 で「偉そうな」なんて形容詞をわざわざつけたり、やたらと感情的だし。
おまえのやっていることがまさに「印象操作」じゃん。
ていうか、むしろお前のやっていることが印象操作だと思ったから
個人的な恨みでもあるのかと思ったんだけどね。
少なくとも俺は(ちなみに俺は物理で理学博士を取って
論文も何本も書いているが)伊勢田の著書や今回の論争を読んでも
べつに「科学を"全く"知らない」なんて思わなかったよ。 「えらそうに」とも思わないし。
そりゃあ、人間なんだから多少は誤解しているところもあるだろうさ
(ちなみに「誤解」と「知ったかぶり」はちがうからね)。
ついでに「統計は科学の文法」論争に関して言うと、 完全にとは言わないが、伊勢田の言うことももっともだと思うけど。 伊勢田は「科学の」と一般化しているところに疑問を感じているわけだろ? たとえば理論物理となると、使わない分野も多い。 それなのに十把一絡げで「統計は科学の文法」とまで言ってしまうことに 疑問を呈しているわけで、それはその通りだと思うけどね。 だけどそれを理解しようとせずに、 細かい点で突っ込んでくるから嫌気がさしたんだろ。
何と言うか、科学をやってる人の一部には 科学哲学者は科学を知らないくせに偉そうに能書きを垂れる、 という確固とした信念を持ってて、それを元に 細かい粗探しして批判する人が結構居る気がする 俺の知人にもそういう奴居る ニュートン力学の誕生の科学史的な話なのに 現代物理学ではそういう理解は間違い、と言い出したり パットナムの思考実験のどうでも良い細部にケチ付けたり
>ニュートン力学の誕生の科学史的な話なのに >現代物理学ではそういう理解は間違い、と言い出したり >パットナムの思考実験のどうでも良い細部にケチ付けたり それは科学やってるとか関係なく ただのコミュ障ではww
津田落ち着けw
ほんとだ...まだ続けるつもりなんだ ちょっと人格が崩壊しかけてる? 津田さんもそろそろ気持ちを切り替えた方が 精神衛生上いいのに
967 :
考える名無しさん :2012/03/23(金) 08:35:39.13 0
伊勢田に「まだ半分も読んでいないのに科学哲学関係の記述がひどすぎる」って言われたのがよっぽどくやしかったのだろうな
この一ヶ月間もずっとこのことを考えていたのか…
970 :
考える名無しさん :2012/03/24(土) 21:55:40.21 0
要するに伊勢田の人格に難があるってことだろ
ずっと見てなかったから亀レスなんだが
>>962 > ついでに「統計は科学の文法」論争に関して言うと、
> 完全にとは言わないが、伊勢田の言うことももっともだと思うけど。
> 伊勢田は「科学の」と一般化しているところに疑問を感じているわけだろ?
> たとえば理論物理となると、使わない分野も多い。
伊勢田は「統計は科学の文法」論争に関して、物理での統計の役割が大きくないという主張の際に理論物理なんて持ち出してないよ。
伊勢田も津田もあくまでも実験科学の意味で科学という言葉を使っている。
そもそも統計はあくまでも実データから真のデータを推算する上での技術なのだから、理論が統計を使わないのは自明。
故に、理論は統計を使わないなんてのを伊勢田−津田論争の評価に持ち出すのは無意味。
それと物理でも他の自然科学でもそうだが、極端に言えば実験の裏付けがない理論なる代物は単なる与太話と何も変わらない。
いつまで経っても実験で検証可能な予測を出せない超弦理論を今や理論物理屋の中からも与太扱いする人間が現れているのはその典型例。
さて伊勢田と津田の論争に戻れば、伊勢田はあくまでも実験物理で統計の重要性は低いと主張したんだよ。
だって、再現性のない実験は物理では悪い実験と呼ばれるなんて伊勢田は書いてるんだから、そこで伊勢田が使ってる「物理」は
あくまでも「実験物理」のつもりだったのは明らか。理論物理なんて伊勢田の念頭になかったはず。(その点は伊勢田は君と違って正しい)
> それなのに十把一絡げで「統計は科学の文法」とまで言ってしまうことに
> 疑問を呈しているわけで、それはその通りだと思うけどね。
理論物理と統計とは無関係だから伊勢田の意見はその通りだって?
伊勢田を弁護するにしても、強弁にも程がある。
君、本当に物理で学位取ったの?君の意見読んでると物理や科学について何も分かってないとしか思えん。
> だけどそれを理解しようとせずに、
> 細かい点で突っ込んでくるから嫌気がさしたんだろ。
違う。少なくともAkiの意見は細かい点なんかじゃない。伊勢田の「(実験)物理では統計は重要じゃない」に対する本質的な反論。
また息しはじめた
>>971 君の言いたいことは、二人は科学を実験科学の意味で使っているから
理論物理を出すなってことだろ?
そして「理論が統計を使わないのは自明」なんだよな?
だったら私の物理に関する知識はまちがっていないわけなんだから
>君、本当に物理で学位取ったの?君の意見読んでると物理や科学について何も分かってないとしか思えん。
というのはおかしい。
そういう風に論争相手を不当に貶めて相手の議論の内容まで信用のできないものに
しようとすることを印象操作という。それから
>理論物理と統計とは無関係だから伊勢田の意見はその通りだって?
伊勢田を弁護するにしても、強弁にも程がある。
でもわざわざ「強弁」という言葉を使い印象操作をしようとしている。
まず君自身が認めているように「理論物理と統計とは無関係」
というのは正しいのだから「統計が科学の文法」という意見が
言葉の文字通りの意味ではまちがっているのは事実。
それに、私は
>>962 でわざわざ慎重に「完全にとは言わないが」
という但し書きをつけているのに、あたかも私が
一から十まで伊勢田の意見に賛成しているかのような書き方をするのも
よろしくないね。
伊勢田が実験物理でも統計が重要でないと誤解していることについては
私もおかしいと思うよ。
しかしだからといってなぜ伊勢田が理論物理を念頭に置いていない
ことになるのか?
たんに議論の文脈上、まずは実験物理の話を出してきただけで
伊勢田が言いたいのは津田が疫学の話だけからいきなり「統計は科学の文法」
と一足飛びに一般化するのがおかしいということなだろう?
ちなみに津田自身が
>「実験は科学に必要不可欠なわけではない」と言っているだけです。
と書いている(2011年10.29 22:57)。
つまり津田自身も科学を実験科学に限定していないのは明らか。
科学を勝手に実験科学に限定して
相手を強弁呼ばわりする方が強弁だと思うけどね。
結論:伊勢田の論には、反証可能性無し。
>>974 が正しいとすると
理論科学でも統計が重要だったとしたら反証可能なんじゃね?
訂正 重要だったとしたら反証になるんじゃね?
978 :
考える名無しさん :2012/03/26(月) 14:57:55.73 0
生物系トンデモで名高い池田は科哲的にはどうなの?
>>976 >>974 が書いているのは
>>974 の議論であって、伊勢田の議論ではないよ。
伊勢田の議論は、次のとおり。
>この本の趣旨が医学や疫学に話を限定して「科学」について語るのであれば、
>統計学が「文法」と言っていいような重要な位置を占めることは認めていいだろう。
>しかし、物理学や化学なども含めた、文字通りの「科学」の話をしようとして
>いるのだとすると統計学の役割にはだいぶ限定が必要。物理学の世界だと、統計に
>頼らないといけないほど結果がばらつく実験は悪い実験だ、というような発言は
>何度かきいたことがある(もちろん物理の中でも分野によるだろう)。
これが間違っているのは、既に川端のところの議論で明らか。
伊勢田はトンズラこいたが、科学哲学教の教団としてはこのままではマズいので、
今は、
>>974 みたいなのが現れて信者向けの対応をしているところ。
また「トンズラ」「科学哲学教の教団」「信者」などという言葉を使って・・・ だいたい、私はすでに明言したように、伊勢田の発言すべてを擁護しようという気はない。 ましてや科学哲学全体を擁護しようという気もない。 もちろん君のように一部の誤りをあげつらって 伊勢田を「みにくい」だの「科学を「全く」しらない」だのなんだの とその人格まで含めて否定する気もなければ 伊勢田一人のことを科学哲学全体にまで一般化して それを否定する気もまったくないが。 いったい君のその負のエネルギーがどこから来るのかに興味がわく。 伊勢田と個人的な接触もないんでしょ? 科学哲学に対してはいったいどんな恨みがあるんだろうか? たんにその分野が気に食わないというだけで どうしてその分野を専攻している人間の人格まで否定するような 発言ができるのだろうか? しかも、それを擁護しようとする人間をあたかもうそつきであるかのように 扱ったりまでして(君、本当に物理で学位取ったの?)
さて
1.私も含めてこのスレのだれも伊勢田の「実験物理で統計は重要でない」
という意見を擁護をしている者はいない。
だからそれを持ち出して云々しても無意味。
2.今の焦点は二人が科学を実験科学だけに限定しているかどうか。
3.津田についてはすでに述べたとおり。
4.では伊勢田はどうか。
>>979 の引用にあるとおり、
(限定をしないで)「文字通りの「科学」の話をしようとすると」
と言っている。
わざわざこういっている伊勢田が科学を実験科学に限定している
と解釈するほうがどう考えても不自然。
それとも、伊勢田が科学と言えば実験科学と考えている
何か積極的な証拠でもあるのか?
普通に「科学」といえば理論も実験も含むのだし、
論争相手の津田も明らかにそう考えているのだから
立証責任は不自然な主張をするそちらにある。
5.二人とも科学を実験科学に限定していないのだから、
津田の「統計は科学の文法」発言はおかしい
という伊勢田の意見はもっとも(私は伊勢田の証明が
もっともとは言っていない)。
982 :
考える名無しさん :2012/03/27(火) 09:56:07.92 0
>伊勢田はトンズラこいたが、科学哲学教の教団としてはこのままではマズいので、
>今は、
>>974 みたいなのが現れて信者向けの対応をしているところ。
たしかにこういうのは下品だし生産性がないな
そんなところで感情的になってもしょうがないよ
なんていうか伊勢田が物理学では生物学ほど統計が重要でないっていってるのは 実験結果を処理するのに統計処理するかって次元じゃなくて >対比されているのは、統計的な検定が仮説を確かめるための主要な方法論になるような分野(生物学から社会科学にかけてのほとんどの分野がこちらに含まれる)です。 >そういう分野では、実験の精度を上げることでばらつきを減らせたりはしません(同じ系統のマウスを使うなど >ばらつきの少ない集団を対象に実験することはできますが、そうすると今度は本来知りたかったこととの距離がでてしまいます)。 >そういう分野にとっては、統計学は研究そのものを可能にしてくれる大事なツールです。 >でも、同じイメージを物理学の人たちも一般的に持っているとは思わない方がいい、 >ということでこういうコメントを書いたわけです。 (11/23) >実験の精度を上げることでだんだん減らすことができ、 >またそのことが実験の目的と反しないような場合、そのばらつきはわたしが言う意味で >マイナーなばらつきです。 (12/6) っていうことでしょ? 要するに生物学では統計学があって初めて仮説を検証することができる一方、 物理学では実験の段階である程度ばらつかないような処置をとれる(というかそういう方法を採られるべき) という違いがあって、だから重要性が違う、と。
ただこれは伊勢田が文法という言葉に >わたしの語感は、文法というからには、「それによって骨組みが作られる」というくらいの、 >かなり重要なものだというものです。 (12/6) という言語的直観をもってるからこそ感じる違いであって、それは正直言って個人差の問題だと思う だから文法という言葉に対する直観が伊勢田とは異なっているTAKESENさんは >測定や実験や誤差や推定や予測などは、自然科学分野に欠かせない観点や方法だと思いますが、 >それは統計学的な論理無しには語れないものなのではないでしょうか。 (2/15) と言ってるわけで、結局のところ統計学が物理学でも不可欠っていう点では 伊勢田もTAKESENさんも変わらないのだと思う。ただ文法という語にどこまでの意味を読み込んでるかの違いであって。 だからこの件についてはTAKESENさんの >やはり「文法」という表現について、それは限定した方が良い、 >という結構強い指摘をするのは妥当なのだろうか、と感じざるを得ないのです。 (2/15) っていう指摘に収束されるんじゃないかな?
だから>981で 2.今の焦点は二人が科学を実験科学だけに限定しているかどうか。 っていう論点設定は適切ではないと思う あくまで実験科学の文脈で統計処理の位置づけに差があるか、 あるとしたらそれは言語的直観の個人差以上のものなのか という設定の方が妥当だろうとおもう。
頭悪いくせに連投
自然科学のお茶くみくらいなもんだな。
別に津田と伊勢田のあいだの一連の議論の中の局所的な部分で
実験科学が話題になっていることは否定しない
(それはすでに
>>974 で書いた通り)。
>>981 の2はいま私と
>>979 の間の議論での焦点が
津田と伊勢田が科学=実験科学とこの論争の中で
考えているのかどうかということ。
そして、ふたりとも(津田と伊勢田)科学を実験科学と限定していないのなら
理論科学では統計をつかなわない分野もいっぱいあるのだから、
統計は科学の文法説はおかしいというのはもっともだという話。
もし
>>985 が一連の実験科学に関する伊勢田の議論も
有効だというのならそれはそれで
>>979 と議論してください。
私はもう知らん。
>>983 > 要するに生物学では統計学があって初めて仮説を検証することができる一方、
> 物理学では実験の段階である程度ばらつかないような処置をとれる(というかそういう方法を採られるべき)
> という違いがあって、だから重要性が違う、と。
そういう認識しかできないのならば自然科学を語ったりするな。
量子力学的な過程が絡む領域、典型的なのは素粒子物理学は本質的に確率的だ。
また計測がごく少数の光子(つまり極めて微弱な光)のような場合も測定装置での検出の段階でで量子的効果が無視できなくなる。
(そういう測定の典型例は非常に遠い銀河の観察など)
従って、どれほど実験装置を精密にして測定条件を一定に整えようとも測定データには必ずにばらつきが生ずるんだよ。
まったく同一の時刻に生成され同一の運動をしている複数の中性子が崩壊する時刻はバラバラなのだ。
我々に言えることは約10分でほぼ半分の中性子は陽子や電子などに崩壊するという事だけだ。
これは実験環境の不備や測定器の問題じゃない。ある中性子がいつ崩壊するかは誰にも予測不可能なのだ。
従って中性子の崩壊を含む実験のデータは必ずばらつきを持つんだよ。
物理学の理論の中でも最も重要な量子力学の初歩の初歩の初歩すら知らずに、偉そうに物理学の実験とはどういうものかなんて語るな。
科学哲学者はブルーバックス程度の本1冊の内容さえ知らずに物理学を語ってるのが丸バレだな。
だから科学哲学の連中は単なる知ったかぶりのバカと呼ばれるのだ。
990 :
考える名無しさん :
2012/03/28(水) 08:07:34.67 0 結論:伊勢田はバカ。津田はなにも悪くない