ジョルジュ・バタイユ Georges Bataille

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153佃煮マニア
バタイユはこう言ってます。
「残酷もエロティシズムも、禁止の限界の彼方へ向かおうとする決意に支配された精神の中で生ずるものである。
この決意は普遍的ではないが、つねに一つの領域から他の領域に横滑りしていく可能性がある。つまり、これらの
領域は、いずれも禁止の力から決然としれ逃れでようという、陶酔的な感情の上に基礎を置いた、隣り合った領域
なのである。」
つまりエロティシズムと残酷が紙一重だと。そして、上の表現をした後、アフリカの戦争捕虜のむごたらしい拷問
について、具体的に描写し、捕虜達に性的な拷問もすることがあったと述べています。
テロはよく戦争の引き金になったりして、両者は切り離せないものとなっています。
バタイユ的に見て、そのテロリズムにエロティシズムが宿るかというと、否定はできないかもしれません。
しかし私は、>>146さんの地下鉄サリン事件への言及には、正直吐き気を覚えました。
もっとオブラートにくるんだ表現だったら、まだ拒否反応は起こらなかったでしょう。
生きている限り我々は、死を拒否しつづけます。そのみずみずしい反発力は生命の現象そのものなのです。
地下鉄サリン事件のような大量殺戮というものを、やすやすと受け入れる訳にはいかないのです。