ジョルジュ・バタイユ Georges Bataille

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144佃煮マニア
常識家じゃないと、哲学ってできないと思いますよ。現にバタイユは図書館長の紳士でしょう?
基本的人格というものがそなわっていて、初めてそこから飛躍したアイデアを羽ばたかせる事ができるんでしょう。
また、バタイユは供犠を狂気としてとらえましたが、狂気と分類する側の人間は正気じゃないといけないですよ。
それに、バタイユを安易に世間のアナーキストや神秘家たちと結びつけるのは安易じゃないかとも思います。
彼の中のアナーキズムや神秘性とはもっぱら創造の中において発揮されたものであって、体験そのものではなかったんです。
バタイユは、暴力をたしかに肯定してはいるものの、それは瞑想によって昇華され、時間をかけて達成されなければいけないと言っています。
地下鉄サリン事件が、はたしてバタイユの言うように、瞑想によって高められた喜ばしい死であったかというと、疑問です。

発言を撤回すべきとは思いません。個人の意見としてもっておけばいいことですが、それに同意することはできません。