ジョルジュ・バタイユ Georges Bataille

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127佃煮マニア
湯浅さんとう人を注意して読んだことがありませんでした。これから図書館で探してみます。
ドゥルーズの強度とは、ロゴス的なものが表象されうる時に、それが知覚できない状態のことじゃなかったかな?
そういった抑圧状態では感情があふれたりもしますよね。それが尊いということなのかな。

そういえばバタイユは低俗なものに聖性を見いだし、唯物論的に解釈したりしてますね。
そしてサドの牢獄の中での狂気のさまざまを哲学的に分析したりもしています。

ロゴス(論理)とパトス(熱情)という対比がありますが、バタイユはパトスを冷静に見つめ続けた人であるように思います。
私はこの間、「臨床医は胡散臭い事を言い、小説家がよく狂気を表現する」と書きましたが、
あふれるパトスをすべてロゴスに還元してしまう臨床医は、自らのパトスを傷つけずに吐露することができないのです。
こういう場合、シュールやダダなど、非論理な語り口を持っている小説家の方が雄弁です。

ニーチェも「余りに人間的な」の中で、非論理の必要性を語っています。
「非論理なものが人間に必要であり、また非論理的なものから多くの善きものが出て来るという認識は、
一人の思想家を絶望させるに足るもののひとつである。」