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考える名無しさん:
吉本さんの親鸞の特徴を挙げるなら、導入口として、現代仏教の中で親鸞の悪人正機説がど
う説かれているか、と比較するのがいいと思う。そこで分かるのが、“仏の慈悲はどんな悪人さえ、
見棄てずに救い上げ、浄土に入れてくれる”という言い方で、つまり現世の国家社会で流通する善
悪、その価値形式を、そのまま延長して親鸞に被せ、“本当なら救われない極悪人でも救って下さる
。何と広い仏の慈悲だろう”というふうに、現代の慈善家を称えるのと五十歩百歩の考えしか出来
ない。そこではあくまで、人間的倫理が延長され、阿弥陀もまたその善悪を持っている、阿弥陀に
とってもやはり善は尊く、悪は赦すべきでない、という観念で描かれている。そこでは親鸞におけ
る“無常の世俗世界では、すべてのことは嘘偽りであって、真にして実なるものはない”という現
世への否定性、“何が善悪か、私は一つも知らない”“人間の行為や意志は意識の起源や襲ってくる
事象によって拘束される”という脱‐主体性は顧みられない。吉本さんの親鸞は、それまで現世の
原理に結び付けられ、矮小化されていた親鸞から、鉄鎖を外してみせたところに功績がある。そこ
で親鸞の大きさが初めて我々の目に入った。