1 :
アインスタイン ◆7mDEcNLxY2 :
私の弟が入学式の時に校長先生(弟の学校はかなり自由な学校です)が、
「自由は最大の束縛である」ということを昔の哲学者が言っていたと言ってたんですがこれって違うと思いませんか?
自由すぎるとそれが束縛になるっていうロジックが違うと思うんです。
私もそう思います。
自由とは縛りを解くこと。
縛りを解くためには、その前に縛る必要がある。
だから、縛ったり解いたりを繰り返すのが、自由な生き方だと思います。
不自由は縛られっぱなしで、縛りを解かないこと。
だから、自由よりも不自由の方が束縛されていると思います。
その校長先生と私の自由観が違うのかもしれませんが。
3 :
考える名無しさん:2010/06/23(水) 03:23:10 O
校長が不自由なのは確か
自由は弱い者には耐えられない
サルトルの言葉に「人間は自由という刑に処せられている」というのがあります。
ちょうど校長先生の時代に流行った言葉です。
校長先生はその言葉に歓喜し、あらゆる社会的偏見を乗り越え、
前々から恋焦がれていた束縛プレイ専門の風俗に行ったんじゃないかな?
プレイ初心者にもかかわらず校長先生は、どうせ縛られるなら
「大きいことはいい事だ」という格言もあることだし、むろん強いほうがいいに決まってると思い立つ。
ハードに縛られて後、校長先生は「自由の刑」について唐突に理解する。以下略・・・
ざっとこんなところでしょう。
5 :
考える名無しさん:2010/06/23(水) 03:53:05 O
分かりやすい説明をありがとうございました。
一種の放置プレイなんですね。
自由部屋に閉じ込められて、自由にしていいよという神の放置プレイ。
神から解放される=自意識の放置プレイにハマるという逆説。
>>6 世の中にはイロイロな趣味の人がいます。
それを笑ったりケナしたりすることは野暮であることを予め注意しておきます。
ここでいう「束縛」とは、身柄を拘束するという意味ではなく
「女王」と呼ばれる怖いお姉さんにロープで身体をきつく縛り上げられ、
ロウソクをたらされたり、ムチ打たれたりする事を誠に遺憾ではありますが指してしまうのです。
(またメニューもありそこには縛り具合を示す文字が書かれているそうです。「ソフトorハード」)
「(校長先生にとって)自由とは最大の束縛である。」←現在形であることを察するにもうすでにライフスタイル化しているものと考えられます。
当時、彼は意識が朦朧とする中で走馬灯を望みながら身にしみてこの人生教訓のようなものを感じ取ったのでしょう。
人生の先輩としての、かわいい生徒達に対する思いやりや優しさの様なものを感じます。
アメリカにも二つの派閥があるらしいね
本当に「勝手にすれば?」ってカンジの自由主義と「人は自由でなくてはならない!
民衆の解放のためには武力も辞さない!」っていうリベラル派と
オスカー・ワイルドの小説に「自由主義だって!?体への暴力は耐えられるが、
精神への暴力は耐えられない!」ってセリフがあって、19世紀ごろから自由というもの
をイデオロギーにしてしまう事の内包する矛盾は指摘されてたらしい
「自由でなくてはならない」という精神的な束縛を嬉々として受け入れているのが
現代人の病巣かもしれない
9 :
考える名無しさん:2010/06/24(木) 20:18:15 0
ちょっと待った。
今の話の中で、「自由主義」「解放主義」「放任主義」「自立主義」が混同されている。
>>1 自由=自らに由る
好き放題=誰かがケツ拭いてる
11 :
考える名無しさん:2010/06/29(火) 12:23:38 0
スレタイ改め【「自己責任は最大の束縛である」について】
とすれば多くの賛同者が得られそうだね。
そもそも自由が何だかわからない。
「〜からの自由」といって初めてわかる。