【一者】新プラトン主義 【流出説】 〜 第二者

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76地方労働者:2010/05/20(木) 23:59:52 0
『饗宴』で語られる、戦役でのソクラテスの剛毅ぶりも良いんだが。
77考える名無しさん:2010/05/21(金) 01:20:15 0
セム的一神教であるイスラムにアリストテレスが受容されたのは一度新プラトン主義に
よって解釈・潤色されたものだからっていう面が強そうだが、これはキリスト教においても
同様に考えていいのかな
78考える名無しさん:2010/05/21(金) 09:04:02 0
>>69
直接的に言及されてなくても、プラトンがひいたレールの上をいまだにすたこら走ってんだよ。
西洋哲学史はプラトンの注釈史であるとは有名な見解だ。
79考える名無しさん:2010/05/21(金) 19:48:43 0
注釈というより、どちらかというと牽強付会の歴史だと思うねぇ
良くも悪くも西洋ではそれだけプラトンがビッグネームだということではあるけど
80地方労働者:2010/05/21(金) 22:26:56 0
あ、俺の出番を取られちゃった・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A2%E8%AB%96
しかし、プラトンとプロティノスって500年も時代が離れてんだな。
81考える名無しさん:2010/05/22(土) 20:37:07 0
プラトンがひいたレールというか、アカデメイアはピュタゴラス教団を参考にして
作られたいう説もあるから、元々はピュタゴラスがひいたレールかもしれないけど。
82地方労働者:2010/05/23(日) 10:08:18 0
話が逸れるが、中国にネストリウス派キリスト教が入って
来た時の、中国の皇帝の布教許可の勅諭で老子を引用
してたのは興味深かった。
83考える名無しさん:2010/05/23(日) 14:59:19 0
>>82
そこを引用していただけますでしょうか?
84地方労働者:2010/05/23(日) 17:22:17 0
景教の伝来を調べてヤフってたら、どこかにあった。
「景教 親鸞」でも、いろいろヒットするが。
85地方労働者:2010/05/23(日) 17:38:08 0
大秦景ヘ流行中國碑頌

 道に常名無く、聖に常體無し。方に隨ひてヘを設け、密として群生を濟はん。
大秦國の大コ・阿羅本は、遠く經像を將(も)ちて、來獻して京に上る。其の
ヘ旨を詳かにすれば、玄妙無爲たり。其の元宗を觀れば、生成して要を立つ。
詞に繋説無く、理に忘筌に有り。物を濟ひて人に利すれば、宜しく天下に行ふ
べし。

◆ 通  釈 ◆
 道は(変幻自在なものゆえ)固定の呼び名を持たず、聖人は(臨機応変するもの
ゆえ)固定の態度に留まらないという。それぞれのやり方によって教化の道を開き、
きめ細かく人民を救済すべきであろう。ローマ帝国の高僧・アブラハムは、教典と
聖像とを携えて遠き道程を越え、これらを献納するために長安に上京した。その
教義を詳しく尋ねたところ、深玄霊妙であって無為無欲。その宗旨を観察してみると、
聖人生成の道に努め、要諦がはっきりしていることが解る。その教説にはよけいな
粉飾が見られず、その教理には方便のための寓言が多く集められている。人民を
救済して万民に利のあるものであるので、天下に布教することを許可する。
86考える名無しさん:2010/05/23(日) 22:51:57 0
中国人というのは、中華思想といわれるほど、自己に責任を感じているんですね。
よいものは取り入れるということに自主的なんです。日本のように、前例を踏襲するという
ような考えは無いのです。
 それと、昔から、老荘という真理の教えがあったことも、よい影響をしていると思われます。
87考える名無しさん:2010/05/24(月) 00:02:59 0
まぁ武宗の時代に道教以外認めないとか言って弾圧しまくったけどな
88地方労働者:2010/05/24(月) 00:09:42 0
ふむ。
89考える名無しさん:2010/05/24(月) 18:33:29 0
>>88
深く考えることないよ。hhh
90地方労働者:2010/05/24(月) 18:52:46 0
かくの如き高邁な信条によって布教を許可されたものが、
教勢が急拡大して、その信条を踏み越えてしまって弾圧
されてしまうというのはあり得るだろ。
91考える名無しさん:2010/05/24(月) 21:36:54 0
絶対的に正確は保証しないが、この当時、出家するものは税金とかの公課は課せられない法律だった。
そこで、出家した人が納税しなくなって、国の税収が足りなくなったのだ。
それを解消するために、道家以外を認めない政策を採った、と言う。
92地方労働者:2010/05/24(月) 23:23:00 0
>>85
空海や最澄が唐に渡ったのが、この頃らしいね。
93考える名無しさん:2010/05/25(火) 00:01:18 0
>>91
仏教を禁止する理由にはそれは当てはまるかもしれんが在地の外国人が
信仰主体であったマニ教、景教、ゾロアスター教を禁止する理由にはならんわな
94考える名無しさん:2010/05/25(火) 06:34:31 0
景教マニ教だって在家と出家と言う区別はあったといってるよ。
95考える名無しさん:2010/05/25(火) 06:52:00 0
>>92
空海は中国語を話せなかったに違いないだろう?
書くことはできただろうが。
日本人が中国人とどのように会話をしたのかと言う点について、
一切聞いたことがないんだが。例えばこんなトラブルがあったとか、
何かそれに関する記事があって良いと思うんだが。
 まして空海だか最澄だかは、色目人とも交際があったという事実がある。
それから、中国人の仏教者が、本場インドに出かけて、そこでまたコミュニケーションなくしては
できない仕事をしてるんだよね。ま、インドの言語を翻訳する仕事をしてるのだから、
インド語を習得してることは間違いないが。彼らは旅行記を表しているのだから、そこに書いているのだろうか?言語習得の苦労を。
しかしそんな苦労など物ともしないで、大事な内容の経典を翻訳したと言うのは、並々ならぬ意欲があったというべきだろうな?
しかも命に関わる危険を冒さないでは、天竺にたどり着けないのだった。
帰る時も相である。しかし、中国には、天竺の思想と同じ思想がすでに有ったのだがな。
老荘という真理真実の思想が。
96考える名無しさん:2010/05/25(火) 12:00:36 0
>>95
最澄は通訳無しでは話せなかったが、空海はペラペラだったらしい。若年より
漢学者の叔父に指導を受けていたことが大きいらしい。梵語については入唐後、
般若三蔵に習っているが在唐期間2年程度で恵果に両部(金剛頂経+大日経)の伝法
灌頂を受けているところをみると、中国語も梵語も日本にいた時点でかなり高いレベル
にあったんじゃないか。ちなみに「三教指帰」(空海作の戯曲)のなかで空海は
儒、道教(老荘)を仏教と比較してレベルの落ちるものと評価している。
97考える名無しさん:2010/05/25(火) 13:21:35 0
>>96
空海が道教に接したのは、800年ごろで、道教ができてからほぼ300年経過している。
その道教も、元々、老荘の教えを奉じる団体として発生したものではないようである。
中国では、老荘の教団と、道教とは別と見做されていると言う(wikiより」。
空海が比較の対象にした道教とは、このような道教であり、老荘ではなかった。
仮に老荘であったとしても、仏教よりも下に置く根拠は何だと言うのだろう。有り得ないのだ。
老荘を仏教より下においているのなら、空海が仏教も老荘も理解していなかったのだ、と言われるべきである。
98考える名無しさん:2010/05/25(火) 14:29:59 0
三教指帰は普通に読めるんで読んでみれば。あり得ないのだ、とか言わずに。
それからそろそろ、老荘じゃなくて新プラトン主義に帰りたいのだが。
99考える名無しさん:2010/05/25(火) 15:26:41 0
ま、護摩をたいたり、呪文を唱えたりしてる人ですからね。
100地方労働者:2010/05/25(火) 19:14:08 0
空海の日誌だかに、大秦景ヘ流行中國碑頌を書いた人と
会ったって記述があるんだと。碑頌は、老子の思想を読み
解くには、実に分かりやすい例だ。

道教ってのは、もともと中国の民衆の土着信仰だろ。
101地方労働者:2010/05/25(火) 19:21:28 0
高野山に景教碑のレプリカがあんだと。日本も分からん国だよな・・・。
102考える名無しさん:2010/05/25(火) 19:41:35 0
佐伯好郎氏の研究によれば当時のネストリウス派は宣教のために、意識的に大日経を
参考にして教義を中国語化し、自ら「光輝く太陽(大日)の教え」、すなわち「景教」と称した
とか。空海の梵語の師匠般若三蔵が経典の翻訳を開始したときの協力者がネストリウス派
の宣教師でペルシア語に長けおそらくはシリアの血をひく景浄(アダム)。空海は景教も
貪欲に取り込んだかもしれない。

ところでこのネストリウス派のシリア人ってのがイスラムに新プラトン主義的アリストテレス
を翻訳・紹介する際の主役なのだが、彼らが新プラトン主義をも当時の長安に持ち込んだ
可能性はないだろうか?景教の影に添うようにして。
華厳とプロティノスの類似はよく言われるが、空海が顕教のなかで最も高く評価していたのが
華厳だった。さて。
103考える名無しさん:2010/05/25(火) 19:41:56 0
104考える名無しさん:2010/05/25(火) 20:05:55 0
真言密教は、梵我一如の仏教版みたいな感じだから、
他の仏教に比べるとバラモン教に似てると思うねぇ
ただ、無我ということなので、その辺がバラモン教と異なるということなんだが
仏教からバラモン教に戻ってるという感じが無くはない
105地方労働者:2010/05/25(火) 20:55:16 0
もし「三身即一身」の背後に三位一体があるなら、間接的には
プロティノスの影響があるってことかもね。
106考える名無しさん:2010/05/26(水) 00:01:43 0
今や両氏とも故人だが、井筒俊彦が司馬遼太郎との会談で語ってる。
空海の真言密教とプラトニズムとのあいだには思想構造上のメトニミィ関係が成立する
だけじゃなくて、実際に歴史的にギリシア思想の影響もあるのではないか?
例えば、真言密教の金剛界マンダラの成身会の「不生無礙常瑜伽」的存在地平の
構造なんか、プラトンのイデア哲学やピタゴラスの世界像などを持ってくることによって
初めてその独自の構造的整合性の成立が哲学的に可能になる、とか。
107考える名無しさん:2010/05/26(水) 00:54:58 0
ヘレニズムだねえ
108考える名無しさん:2010/05/26(水) 01:36:37 0
>>106
論旨がやや不明だし、
プラトンはどうしても牽強付会されやすいので、
明らかにしてもらいたいんだが、
そこで言われてるプラトンのイデア哲学と言うのは
具体的にどのようなものなのかね
例えば、これこれの対話篇のどのような内容とか示してもらうとありがたいが
109考える名無しさん:2010/05/26(水) 01:54:08 0
>>108
詳しいことは知らない。井筒氏晩年の仕事で大乗起信論から始めて空海の
真言密教まで読み解く予定だったらしいが一冊目を出して逝去されたんで。
だから氏がどこに共通点を見出したのかは不明。

自分は景教にしても新プラトン主義にしてもあの時代の中央アジアを行きかう人々によって
広く伝播し、思想の化学反応を起こしてたんじゃないか、と夢想してる。
110考える名無しさん:2010/05/26(水) 01:58:06 0
ちなみに対談自体は司馬遼太郎「十六の話」(中公文庫)ね。
111地方労働者:2010/05/27(木) 20:31:11 0
大乗起信論は読むのに根気がいるよな。途中で投げちまった。

佐伯好郎氏ってのは、日ユ同祖論者な。そっちの方はさて置いて。
日本にあるという景教経典はやはり遣唐使の持ち帰ったものだろうか。
112考える名無しさん:2010/05/27(木) 20:47:05 0
新プラトンの特に、一者やそれとの合一ならば、
既にバラモン教の中にあるので、
容易にその影響関係は推定できると思うが、
プラトンその人の考えの影響を推定するのは難しいと思うね

密教については、新プラトンの影響があってもなくても、
新プラトンが梵我一如に似ているわけだから、
結局のところ、バラモン教への先祖帰りだと思うねぇ

プラトンは後期の作品である「ティマイオス」で、
自然について語るときには、ありそうな物語でよしとしなければならず、
何らかの始原を持ち出すのは余り意味が無いといっている
そして、ありそうな物語を語ろうとするならば、
自然の無限の多様さを観察しなければならないと言ってる
だから、このプラトンの態度と護摩たいてる密教との繋がりをイマイチ想像できない
113地方労働者:2010/05/27(木) 20:53:18 0
プロティノスもインド哲学に興味あったんだしな。
三世紀頃なら、いい加減、インド哲学もギリシャに
浸透してるだろうし。
114考える名無しさん:2010/05/27(木) 23:59:05 0
高野山に景教碑のレプリカ寄贈したゴルドン女史も日ユ同祖論者にして仏基同一論者。
思うに20世紀初頭ってのは急速に世界が小さくなって思想や宗教の類似例がそこかしこで見つかってた
時期なんだろうね。
115考える名無しさん:2010/06/05(土) 17:20:08 0
>仏基同一論者。

仏教とキリスト教が根本的に、一を真実としているから、と言う意味で言っているのかと思ったけど、
相でもないんだよね。むしろ外面的な相を見ていっているのだ。
 大日如来と言う名称は、便宜的なものである。ヤハウエの神とかエホバの神と言うのも便宜的である。
116考える名無しさん:2010/06/11(金) 17:23:13 0
>>105
遅レスだが
プロティノスの体系における三つの本体(一者、ヌース、霊魂)は大乗仏教の教理における
仏の三身に相応したものであり、前者を解明することは、仏教教義のいくつかの困難な点を
解明するであろうと考えられている、とか
「フランス仏教学の50年」山口益より
この見方自体はJ.Przyluskiっていうフランス人学者の1930年代の研究(3世紀前後における
西欧思想に対するインドの影響)から
117考える名無しさん:2010/06/13(日) 23:12:51 0
>>3
小林秀雄の『考えるヒント』の「プラトンの国家」の章でも読め。
読めるなら、読んでいるだけで思考が棍棒みたいに太くなって
来るぞ。
118考える名無しさん:2010/06/13(日) 23:21:19 0
「ソクラテスは、或考えを比喩的に語っているのではない。
物事を具体的に考えようとして、おのずから比喩の中に
立つのである。」

シビレちゃう・・・。
119考える名無しさん:2010/06/13(日) 23:29:39 0
この世界は、半開きの牢獄だ。格子の向こうからは、悲鳴や嬌声、
殺し合いの景色、硝煙と血の匂い。振り返ると、壁がなくて野山が
開けてる。
120考える名無しさん:2010/06/13(日) 23:32:36 0
ドアの向こうから、牢獄の管理人たちが、「仲間になりましょう。
特別な地位に就きましょう」と手招きしてる。
121考える名無しさん:2010/06/13(日) 23:35:02 0
122考える名無しさん:2010/06/14(月) 19:51:40 0
したらばで、哲学板の避難所作れよ。変な飾りなしで。

『考えるヒント』は前半は、60年安保前の文章で、
文藝春秋に掲載されたもののようだが、後半は、
安保後の60年代以後bの文章で、これがほとんど
朝日新聞に掲載された奴だな。

最後がソ連旅行の話題で終わってる。

小林の政治スタンスってこんなだ。
123考える名無しさん:2010/06/18(金) 23:34:54 0
プロティノスと仏教との類似性をいくら指摘しても、
エクスタシスとアナートマンは相容れないと思うね
124考える名無しさん:2010/06/20(日) 10:58:35 0
エクスタシスと入我我入は相容れないのかい?
125考える名無しさん
それらは親和性は高いと思うね
しかし、仏教草創からのキー概念であるアナートマンとは相容れないと思うね