人を殺してはいけない、それは個人的な正義感であるが、他人と共有したいという意識が働く。
これは人が社会性動物、群れる習性があるからだろうな。永遠に群れていたいという想いが
永遠に変わらないルールを求めた。コミュニケイションとはルールにあるのかもしれない。
殺人への忌避は、比較的万人が持つ感情だ。だからこそ、悪くて当たり前と言う意識が生じる。
当たり前、普遍的、永遠。それは神へ抱く思いである。殺人を悪とするルールは、一種の神と成り得るだろう。
殺人を禁止する行為は普遍的では無い。では、人を殺してもよいのだろうか?
答えはNO。殺人を許すような普遍性もまた無いからだ。
このスレの議論の起点は永遠を、普遍を求める行為である。それが最初の躓きではないだろうか。