仏教全般 3

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101考える名無しさん
>>100
「がのう」の人(>>43)の登場希望w
102考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:11:16 0
ただ哲板でそれをやるとコピペだの、盗用だの
うざがれるんだな。まあ宗教系だったら許されるかもしれないが。
103考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:12:27 0
機械の宗教破壊工作乙
104考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:13:25 0
>>99
そうそう、訳や内容を観て欲しいもんだ。
テキストはキッチリ示してあるぞ。
漢訳は大正、梵本、蔵訳もそれぞれ典拠が示してある。

なんで自演なんだ。立論の根拠を原典、諸訳と共に自分の読みを
示すというのは非常に良心的だと思うんだが。
今まで別の処でやってきたから、そこを典拠にしただけだが。

いっとくが、オイラはあの wiki を他人のものとして出したわけではない。
自分の読み、主張の根拠として纏まった形で、梵蔵漢と自分の読みを示しているから出しただけだぞ。
人の訳とか出すよりマシだと思うんだが、

>>100
オイラは根拠を出せと言われたから出しただけだよ。


まあ、以降、内容に関するちゃんと根拠のあるレス以外はスル〜するよん。
105考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:14:34 0
>>102
ほれ、何も分かってないヤツばっかだ。
106考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:14:35 0
こっちが出てきたか・・・w
107考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:17:03 0
>>104
信用度0がのこのこ出てきて何ほざいてんだ?
巣に帰れ。耐え性の無い人間だなw
108考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:19:09 0
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  /(ヽヾ i、ζ竺=ァ‐、 u. ,ハ
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109考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:19:12 0
「心と宗教」板の人たちは、こういう自演常習者がいることに気づいてるのかな?
もしかして、すでに有名人?w

110考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:19:43 0
あれ?恥さらした人がまた登場ですか。
ていうかもう君が絡むようなスレにはならないだろう。
仲良しさんとタッグ組んで宗教スレで自己満足してなさい。
111考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:20:42 0
>>109
占いスレもすごいぞ。
112考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:21:34 0
机龍之介の一派か?
113考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:22:36 0
>>104
そういうのを「傲慢」という。
人間の分際で偉そうにw
114kcc-202-43-26-161.kamakuranet.ne.jp:2010/03/29(月) 13:23:13 0
>>102
行数制限とカキコ時間制限は一緒だが、連投に関しては緩い(哲板:8回/宗板:3回)から、
その意味では、ここは議論向きではあるんだけどね・・。

>>104
リンクは滅多なことでは踏まない、ってスタンスの人もいるってことさw
「ほら、これだよ」と手元に持ってくるか、
「図書館のA列3段目にある○○という本の×頁だよ」と言うだけか、
の違いみたいなw

また、(手間を惜しんでるという指摘も通るがw)、
スレに書き込まれることは、スキルのある者なら即座に検討できるということでもある。
99が言ってるのはそういうことだと思うよ。
115考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:27:16 0
>>114
語句を選択、右クリックで検索ツールというのは
山ほどあるわけで。検索言語も選べるわけだし。
言うとおり下手にリンクはは踏まないな。
同時にそれなりの知識者その通り一発で理解できるわけだし。
116kcc-202-43-26-161.kamakuranet.ne.jp:2010/03/29(月) 13:28:53 0
>>110
だったら、(ま、君が建てたわけではないとしてもw)、
「哲板に仏教スレ建てるな」ってことだ。
117考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:29:07 0
あいかわらず「そうそう」「なるほど」スタイル。
反論する自演に挑戦してみたら?w

118考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:30:35 0
>>117
ん?私は正々堂々と議論してるんだけどねw
キミの方こそ自演じゃないのかね?w
119考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:31:16 0
今日は縁起スレに移動しないの?
120考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:32:30 0
過疎ってるじゃんw
121考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:33:36 0
そのスレはっきり言って談合スレだ。
122考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:40:27 0
>>114
>リンクは滅多なことでは踏まない、ってスタンスの人もいるってことさw

ああ、なるほど。
しかし、そうゆう人は少数なようだ。
123考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:41:51 0
つまんないよ。もっと面白いのやってw
124考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:43:16 0
>>114
つか、ども、梵蔵漢の意味すら分かってるヤツが一人もいないんじゃないか?
漢文を読みたいって人だけがいたようで、
125考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:45:53 0
前スレざっと読んでみたが自演厨の人とんでもないなw
wikiの例を持ってくるなといいつつ自作wikiを推奨するなんてさあ
126考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:50:18 0
>>123
田原かよw
127考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:50:38 0
杜玖椀先生
128考える名無しさん:2010/03/29(月) 14:43:36 0
>>93
TVで坊さんが解釈してたが、忘れたw
129kcc-202-43-26-161.kamakuranet.ne.jp:2010/03/29(月) 14:56:26 0
>>93>>128

インドサイの角は一本だから。
また、イメージとして「悠然と独歩する」ってのも使用された理由かも。


[インドサイ 生態]での検索トップw
ttp://www.tomorrow-is-lived.net/herbivore/i-rino.htm
・単独で行動し、それぞれなわばりを持っていますが、侵入するものがいてもあまり怒りません。
・インドサイの天敵は唯一トラだけです。それは子供のときだけで、大人のインドサイになると天敵はいなくなります。
体のサイズ、皮膚の頑丈さ、角の武器があるので、単独行動のトラには普通では勝ち目はないでしょう。
130考える名無しさん:2010/03/29(月) 15:45:15 0
やっぱ唯識だろ・・・、仏教の究極は!!!
131考える名無しさん:2010/03/29(月) 15:46:59 0
>>130
君は唯識運命くんか?
132考える名無しさん:2010/03/29(月) 16:10:37 0
トゥックワン=タイ語で「毎日」という意味
133考える名無しさん:2010/03/29(月) 19:00:21 0
唯識だけはないわw
134考える名無しさん:2010/03/29(月) 19:11:12 0
アホ、唯識だけしかないんだよ・・・、仏教の究極は!!!
135考える名無しさん:2010/03/29(月) 20:59:33 0
>>129 ありがトン
しかしインドサイのその生態から譬えたんであれば、単に「サイのように」でもいいような気がするなあ
あえて角に拘った訳があるのかも知れんね
136kcc-202-43-26-161.kamakuranet.ne.jp:2010/03/29(月) 21:46:38 0
>>135
単に「サイ」に譬えるだけより、
その『象徴(目印・特徴)とも言える』「一本」の「角」を強調した方が、
「何ものにも動ぜず・害されず(誘われず・惑わされず)、堂々と屹立して、清廉としてある」こと、
「独りである」ことが強調できているようにも感じられる・・かなw 個人的には・・w
実際、確かめようもないしw 推測(妄想?)の域を出ないよ。
137考える名無しさん:2010/03/29(月) 22:17:14 0
>>136 でもそういう妄想は楽しいやね
138kcc-202-43-26-161.kamakuranet.ne.jp:2010/03/29(月) 22:33:43 0
>>137
いや、チェックしてないけど
スッタニパータの註釈(パラマッタジョーティカー)には、何かしら触れられてると思うよ。
(参:岩波文庫青「ブッダのことば」P253-264)

ただ、それらでさえ、後代の解釈でしかないという意味での「推測(妄想)」ね。
原初の意図は知りえないってこと。(仏教以前からある譬喩の借用であるかもしれないし。)

ま、楽しいのはその通りだがw
139考える名無しさん:2010/03/29(月) 22:42:20 0
「814」 「副島隆彦という生き方」というタイトルのインタヴュー記事を、載せます。 
最近の私の考えが分かりやすく表明されています。副島隆彦 2006.12.15
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#1501

スッタニパータと、法句経(ダンマパダ)という一番古いお経がある。どうやら仏陀本人の本当の
言葉はこの二つだけのようですね。その他のいろんな膨大なお経は、全部仏陀が亡くなった後に、
弟子たちが勝手に作ったものだ。僧侶が葬式をやったり、お盆にお経をとなえたり死者を祀ったりは、
仏陀は一言も言ってない。ブッダは死に関わるな、と言っている。勝手に後の人たちが作った制度だ。
仏陀自身の言葉は、「愛欲と煩悩を捨てて、この世とあの世のすべてを捨てて、ただ一人歩め。ヘビの
皮が新しく抜け変わるように。サイの角がひとつ進むように。」と書いてあります。
奈良の興福寺、東大寺は法相宗(ほっそうしゅう)という仏教で、中国までやって来た仏教のうちでは
一番古い仏教を伝えている。それは輪廻転生(りんねてんせい)を認めないんです。
来世はない。あの世もない。「この世とあの世をともに超える」とスッタニパータ(「ブッダのことば」 
岩波文庫 中村元訳、1984年初版) で仏陀は言っています。だから輪廻転生(りんねてんしょう)
もないのです。そこで私はブッダに従うならば、ゼロ、全くないと思います。「今」という現実は有るの
だけれど、それは仮のすがたであって、すべてなくなるんだ、と。輪廻転生は、仏陀が若い頃、厳しい修行
をしたヒンドゥ教の思想なのです。ヒンドゥ教 ( Hindu 、ヒンズー教、インド教)には輪廻転生が強烈
になる。六道輪廻ですね。生命は生まれ変わる。ですから、不思議な話ですが、本当の仏教(ブッダの教え)
は、徹底的に、無神論(むしんろん、atheismエイシイズム)なんです。
140考える名無しさん:2010/03/29(月) 22:45:23 0
まだいるのかこいつ。信じがたい。
開き直ってるな。
141考える名無しさん:2010/03/29(月) 23:49:19 0
>>131
いいえ、私が昨日の唯識です。
誤解があるようですが中観(空)と唯識
この二つ揃って大乗仏教の哲学と言えるので
唯識のみ正しいなどということは決してありませんので
ご承知を。
142考える名無しさん:2010/03/30(火) 02:54:43 0
自演している人。
そうやって自演している貴方の中にある自己顕示欲は、
仏教の考え方とは最も相容れないものだと私は思う。

「欲」というのは仏教における大きなテーマだと思う。
しかし、人は無欲にはなれない。だからこそ、そこに矛盾・葛藤が生じる。
そういう矛盾・葛藤をあっさりと解消してしまうのではなく(どっちみち解消するのは無理だから)、
矛盾・葛藤を背負ったままで精神を深めていくような方向へ進まなければならないのだと思う。
偉大な仏教者はみな、そういう矛盾・葛藤を内に秘めていると思う。

それを哲学的に表現したのが、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」。

「この矛盾が一生の悲劇である。個人の関係、国際の関係、人間と自然との関係、
どの点から見ても、この矛盾から発生して来ないものはないのである。
元来人間はこの悩みを受けなければならんようにできていると言ってよいのである。」
(鈴木大拙『無心ということ』)

貴方の書き込みには、自らの中にある矛盾・葛藤を受け止めようとする姿勢が感じられない。
そのへんに、根本的な見当違いがあると思う。
143考える名無しさん:2010/03/30(火) 02:57:48 0


265 :考える名無しさん:2010/03/26(金) 20:56:42 0
              _____  
    r⌒ヽ、   .  / ー  ー\      
   / \  \. /.-=・=- i、-=・=-.  
  _/ / ヽ   /     (__人__) \   憤激レスが多くなってワロスwwwwwwwプププ
        ヽ .n   ` `二´' .丿.ノ
        ./.n| |nnー---‐´´゚ヽ/
       /〔1__/。 ァィコ 。.゚|.|
       | /   |\゚.。。。。。。。゚/ .|
       \___/   ̄ ̄ ̄  ノ
        |    ヽi___/./  ̄\
        /    /    \i/   |
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        \__|   彡 (_/
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144考える名無しさん:2010/03/30(火) 04:55:37 0
>>142
それは仏教のテーマのあまりの深遠性と
人間としての限界の葛藤に負けた人の哲学。
菩提心はそれを超える。その菩提心をそぐ哲学思想は
釈迦如来の成道たる、触地印、降魔成道印で示される。
145考える名無しさん:2010/03/30(火) 07:03:22 0
>>144
>それは仏教のテーマのあまりの深遠性と
>人間としての限界の葛藤に負けた人の哲学。

「絶対矛盾的自己同一」というのは、「我は、我ならずして、我なり」ということ。
これは仏教において、繰り返し、繰り返し出てくる。
例えば道元の
「仏道をならふといふは、自己をならふ也。 自己をならふといふは、自己をわするるなり。」
これも同じことを言っている。
道元は「人間としての限界の葛藤に負けた人」なのか?
146考える名無しさん:2010/03/30(火) 09:40:16 0
>>145
「自己をわするるといふは、万法に証さるるなり」
肝心の結論をぬかしてどうするw
入我我入の一瞬の煌めきかなぁ
147考える名無しさん:2010/03/30(火) 10:28:29 O
なんか知らんが阿弥陀様に救いとられるしかないようだ。じゃあ
148考える名無しさん:2010/03/30(火) 10:48:46 0
そりゃお前、人間のちからでは一歩も上にはあがれぬわいなぁ・・・www
神さましか人間をあげてくれるものは無いわいなぁwww

だが神さまを次元上昇エスカレータに例えると、そのエスカレータに乗るのは
人間の修行努力なんだが・・・。
149考える名無しさん:2010/03/30(火) 11:28:06 0
>>146
結論・・・?
結論は全部ですよ。
その部分を入れても入れなくても、それが「我は、我ならずして、我なり」
つまり「絶対矛盾的自己同一」を表していることに、何ら変わりはない。
それについて、反論はあるの? ないの?
150考える名無しさん:2010/03/30(火) 11:34:14 0
絶対矛盾の自己同一は、そんな事ではないんだけどなぁ〜。
151考える名無しさん:2010/03/30(火) 11:36:24 0
>>150
では、ご説明お願いします。

152考える名無しさん:2010/03/30(火) 12:02:05 0
相互いに矛盾反発するものが弁証法的発展進化的に存在しているこの現実と言うものの
実相を行為的直観的に把握したものなんだが・・・!!!

この現実の論理なんだが、だからそれは唯識の哲理でもあるわけなんだがね。

ここで言う相互いに矛盾反発するものとは西田哲学で言う個物なわけ・・・。




153考える名無しさん:2010/03/30(火) 12:08:39 0
>>146
起承転結、肝心要の言を抜かして正当化するクセがあるね
この人は>>145
154考える名無しさん:2010/03/30(火) 12:09:35 0
>>152-153
それで、それは私への反論なの?
反論だとすれば、どこがどう反論になっているのか、
ご説明ください。


155考える名無しさん:2010/03/30(火) 12:23:35 0
>>154
考えとか理論とかの表層的な部分に拘りすぎ、という感じですね。
葛藤の哲学を仏教思想に准えているだけでは?
または>>144で書いた通り、ある意味葛藤に負け、道を放棄してしまった
或いは「放棄するための自己納得への思考の道しるべ」なのでしょう。
これは解決云々の問題ではありませんね。
156考える名無しさん:2010/03/30(火) 12:34:05 0
>>155
>表層的な部分に拘りすぎ

これでは、どこがどう反論になっているのか、さっぱり分かりませんね。
もっと良く考えて、もう一度反論を書いておいて。あとで見るから。

>葛藤の哲学を仏教思想に准えているだけでは?

逆ですね。
157考える名無しさん:2010/03/30(火) 12:34:56 0
>>147
   ___
   ,;f     ヽ
  i:         i
  |         |
  |        |  ///;ト, やはり御念仏じゃな
  |    ^  ^ ) ////゙l゙l;   阿弥陀様の方が気楽じゃぁ〜〜
  (.  >ノ(、_, )ヽ、} l   .i .! |   南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
  ,,∧ヽ !-=ニ=- | │   | .|
/\..\\`ニニ´ !, {   .ノ.ノ
/  \ \ ̄ ̄ ̄../   / .|
158考える名無しさん:2010/03/30(火) 12:37:38 0
>>156
それならば
或いは、仏教思想の実践に於いて、現実とのギャップ、葛藤を
ありのまま矛盾と感じた、そのままの言葉であれば
それは人である以上、否、仏教徒に限らず聖道を実践する者は
誰でも感じることでしょう。
これを「運命」と言えばまたお叱りを受けそうですね。
ならば必然?でしょうか。
159考える名無しさん:2010/03/30(火) 12:59:46 0
>>149
>その部分を入れても入れなくても、それが「我は、我ならずして、我なり」
>つまり「絶対矛盾的自己同一」を表していることに、何ら変わりはない。
最後の「我なり」がぼやけるような印象がありはしないかい?
まあ、「何ら変わりはない」というのだろうけど
160考える名無しさん:2010/03/30(火) 15:44:58 P
 自分があるんだという見解はブッダの見解ではない。

161考える名無しさん:2010/03/30(火) 15:58:38 0
そりゃ悟った人はそうさ。
162考える名無しさん:2010/03/30(火) 16:40:02 0
公式と解き方は示してくれた
実践しない OR 実践できない
163考える名無しさん:2010/03/30(火) 22:26:42 0
瞑想したまえ
164考える名無しさん:2010/03/30(火) 22:56:42 0
迷走したまえ
165名僧師珠江:2010/03/30(火) 23:05:14 P
閻魔に代わっておしおきよ☆
渇ーー!

テヘッ☆
166考える名無しさん:2010/03/31(水) 05:04:59 O
なんか知らんが、阿弥陀様に救いとられるしかないようだ。
167カルト教団@@@ ◆j.Ypl7DW.o :2010/03/31(水) 09:20:37 0
レッツ★ザ★ゴー★スタート哲学版で仏教思想を学ぼう。
168考える名無しさん:2010/03/31(水) 10:02:07 0
阿弥陀様と契約しようw
念仏するものは無条件で救ってくださるのだから
169考える名無しさん:2010/03/31(水) 16:22:08 0
阿弥陀様との契約にはどれほどの修行精進が必要か・・・、分かってんのかねwww

親鸞もその絶対他力の境地に達する為には、比叡山時代からの凄まじい修行を積んだんだけど・・・。
170考える名無しさん:2010/03/31(水) 16:22:53 0
安易すぎるよなぁ〜www
171考える名無しさん:2010/03/31(水) 17:15:36 0
浄土真宗って南無阿弥陀仏と念仏すればいいから簡単におもわれるが、
当の親鸞本人が70歳過ぎても、寝ず食わずで一日中念仏唱える修行してたんだぞ。
まあそれも他力で阿弥陀如来が唱えさせてるのかもしれんがね。
時宗の一遍だって、踊りながら念仏が念仏を唱えるみたいなこと言ってるし。
そこまで行くには大変で命がけではないだろうか。
172カルト教団@@@ ◆j.Ypl7DW.o :2010/03/31(水) 21:05:37 0
哲学者は考え過ぎて辛いよスレッド。
173考える名無しさん:2010/03/31(水) 22:59:28 0
一遍はある意味、親鸞以上の聖者だろ。
親鸞は宗教家というよりも体質的に哲学者だね・・・。
師匠の法然は、宇宙の大生命としてのアミタバ佛との合一体験をもった宗教的天才だったが。
174考える名無しさん:2010/04/01(木) 06:21:22 O
?会社で南無阿弥陀なんて唱えてたら、おかしいと思われるだろ?簡単なようで難しい。どこででも南無阿弥陀を唱えれる社会の実現が目標なんだけどな。ま、いいか
175考える名無しさん:2010/04/01(木) 10:34:00 0
小僧らが 見てきたように 物を言い
176考える名無しさん:2010/04/01(木) 11:25:59 P
 仏教の性格分類ではよく考え事する人は尋行らしいね。
なんか、哲学板の人達に多そう
177カルト教団@@@ ◆j.Ypl7DW.o :2010/04/01(木) 11:49:37 0
哲学=実証不可能な架空仮説で実在出現出来ませんよねー。
178考える名無しさん:2010/04/01(木) 23:11:27 0
だからヨーガ行唯識学派が仏教の究極だって・・・!!!
仏教ヨーガの実践しかないぞ!!!
179考える名無しさん:2010/04/02(金) 23:14:05 O
方便の姿の如来像からの弁証法は、真理を求める上で重要なものだが、教化の過程における、誤解や誤りは、正すことは困難である。広がりと集約はまったくの神秘であり、それを理解している者は皆無ということは、広がりにおいて、証明されていることであり。
180考える名無しさん:2010/04/03(土) 01:10:53 0
うるせーばーか
                  /::. ソ .::;;ヽ
                  /::.     ..:::;;;ヽ
                  /::.      ..::;;;;ヽ
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181考える名無しさん:2010/04/03(土) 01:40:15 P
たとえ男根が膨張しても邪淫にふけることはない
182考える名無しさん:2010/04/03(土) 06:32:49 O
煩悩はぬぐいさることはできない。かといって認めているわけでもない。しょうがない悪の行いを行いながら、我々の生活は成り立ち、感謝により生き、弥陀により救いを求める。行への批判もその時代の方便にすぎず、
183考える名無しさん:2010/04/04(日) 01:23:11 O
今の若者の何割かは「考えることはない。すべてのことに決まりはない。如何様にも物事は進む」と答えている。実際に考えることのない人間が子をもうけ本来の苦と楽を享受し進んでいるからだ
184考える名無しさん:2010/04/05(月) 22:26:13 O
そうか
185考える名無しさん:2010/04/05(月) 22:35:08 O
教行信証において、行体に批判をおかれるが、やはり時代とともに変わるべきであり、
186考える名無しさん:2010/04/05(月) 23:01:41 0
仏教の本質は輪廻からの解脱だろ・・・。
そのための修行法としての八正道などの修道論だろ。
187考える名無しさん:2010/04/06(火) 00:38:02 0
うか
188考える名無しさん:2010/04/06(火) 04:04:55 O
民衆救済には無量寿の概念が必要で、それを説くことのできる人材が必要。輪廻を断つのが仏教の主たる目的であり。苦行からの解放が釈迦の思いだと思われるからだ。
189考える名無しさん:2010/04/06(火) 04:11:56 O
無量寿の概念は一刻より始まり、その時々は永遠である。その一瞬一瞬が悟りであり、その永続が仏陀なのである。捕らえることはいかに修行しても不可能であろう。
190考える名無しさん:2010/04/06(火) 21:20:29 P
唯識って西洋哲学でいう感覚所与のことだろ
191考える名無しさん:2010/04/06(火) 21:31:43 0
違う・・・、世界の全ては阿頼耶識から成り立つ唯心論だ。
192考える名無しさん:2010/04/06(火) 21:37:05 P
独我論を更に限定して感覚所与のみが確実だという考えじゃないの
193考える名無しさん:2010/04/06(火) 21:46:16 0
阿頼耶識は個人の意識を超越した宇宙意識だから独我論なぞ超越している。
194考える名無しさん:2010/04/06(火) 21:54:03 P
宇宙なんて存在を仮定してる時点で認識論じゃなくてただのフィクション=宗教だったのか
195考える名無しさん:2010/04/06(火) 21:55:52 0
仮定にあらず、ヨーガ行による体験的事実なり・・・。
196考える名無しさん:2010/04/06(火) 22:08:45 P
体験的事実ってなんだろう
その体験的事実を持ち出さないと説明できない現象ってあるの?
197考える名無しさん:2010/04/06(火) 22:10:33 0
>>190
大体あってるけど、成立年代は、唯識>>>越えられない壁>>>西洋哲学 だぜ?w
198考える名無しさん:2010/04/06(火) 22:11:44 0
あるでしょう。
体験的事実を持ち出しても説明できないこともあるし。
199考える名無しさん:2010/04/06(火) 22:23:02 O
まあ、不思議体験はあるでしょうね。それが悟りかどうかは疑問だが。事後経過が全てだと思うよ
200考える名無しさん:2010/04/06(火) 22:29:51 O
>>197
そうか? 唯識は大乗仏教の教えの一つだろ。
釈迦の生年は約前463年。仏教の成立は当然それより遅い。

西洋哲学の源流(哲学史の教科書に出てくるもの)は、
ソクラテス以前の哲学者(自然哲学者)にまでさかのぼり、
その代表のミレトス派のタレスの生年は前624年だよw