>>666 > 結局、ちゃんと疑えば、「分かるかもしれないけど、分からないかもしれない」
> という結論に至るような気がするんですがw
いや、もう一声、「分かるかもしれないけど、分からないかもしれない」ということも
分かるかもしれないけど分からないかもしれないことになって、もはや何のことか全然わからんわけですなw
>>667 >>665の話は、疑う主体とか何とかとは、直接の関係はないと思うのだがね
「全ては不確かだ」などの文章とかその意味とかをいじってみた、という話なので
671 :
考える名無しさん:2010/07/03(土) 21:05:52 0
コビト馬鹿さんたちのコビトな作業はなにか
コビトなりの地平に至るのでしょうか
見守りたいと思いますがコビト馬鹿さん達が哀れなほどコビト馬鹿すぎて
飽きてしまうのも事実です。
見守ってるわけじゃなくて
指くわえて見てるしかないのでしょ。
>>671 このような馬鹿はどうして存在するのかなあ
どうしても存在していると言わなければならないのかなあ
本当は存在しない、と言えたら楽しいのだけどなあ
でも残念、このような馬鹿でも、このような馬鹿だというだけで存在しないとは言えなさそうだなあ
674 :
考える名無しさん:2010/07/03(土) 21:33:35 0
>>672 >>673 コビト馬鹿さんたちが何か反応してるようですが
コビトのやってることなので小さすぎ私にはよく見えません。
コビト馬鹿くらいの小ささになると量子的な観測の限界などで
存在に懐疑的になるのかも知れません。
そんなことはずいぶん昔から議論されているのですが
コビト馬鹿さんたちは馬鹿なのでそんな事も学べないし
馬鹿なので自分たちなり辿り直さないと納得できないのでしょう。
辿り直すのに何十年かかるのかも分かりません。
なにしろコビトでおまけに馬鹿なのですから。
まあ懐疑論というのはこうしたコビト馬鹿さんたちの
遊戯場なのでしょうね。
675 :
考える名無しさん:2010/07/03(土) 21:42:20 0
ワタシこんな場でしか上目線で話せないよ?
>馬鹿なので自分たちなり辿り直さないと納得できないのでしょう。
辿り直す前に考えるでしょ。問題に気付くでしょ。
感覚の鈍い奴は哲学(の勉強)なんかやめて、
哲学者の写真入りのお札を神棚に飾って、一生拝んでれば満足でしょ。
677 :
考える名無しさん:2010/07/03(土) 22:12:38 0
物理学とかどうでもいいから
>>674 2chの普通のレスが小さすぎてわからない?
量子的な観測の何とやら?
馬鹿の書くことは全く理解できないなあ
679 :
考える名無しさん:2010/07/04(日) 08:16:00 0
まぁまぁ、そんなお互い裁き合おうとしなくたっていいじゃないですか。
別に裁き合ってもいいんですが、
「人間が皆同じ罪人だとしたら、罪人が罪人を裁くのってどうなの?」
ってのが、キリストの教えだと思うんですよ。
自分に全く罪が無いと思うんなら、
上の文章の「罪人」を「人間」「生物」に変えて考えてもらってもいいです。
僕も人の事言えないんで恐縮なんですがw
>ところで、否定できないからといって肯定していいのでしょうか?
これは、もちろん肯定してはいけませんよね。二元論では無いですから。
>665の論法から分かる事は、確かな物が無いという事です。
>>680 >>665の論法をそのまま単純に当てはめるとすれば、そこから分かるのは、
確かなものは無いということ(だけ)ではありません
確かなものは無いということも確かなものではなく、
確かなものは無いということも確かなものではないということも確かなものではなく、
確かなものは無いということも確かなものではないということも確かなものではないということも確かなものではなく…
ということです
(もちろん、それもまた確かなものではなく…)
確かなものは無いというはっきりした結論が出たりはしないと思われます
ここにうだうだ駄文を書いている奴らはニセ懐疑論者
真性懐疑論者は自らも疑うため沈黙せざるをえなくなる
>>682 あー、出たよ。
懐疑論者は世界を『疑わなければならない』という勘違いした馬鹿が。
彼らの頭の中では、「疑えると考える」と「疑う」が同一の意味を持つものとして
解釈されるみたいだな……。
684 :
考える名無しさん:2010/07/04(日) 14:17:19 0
誰もが疑い得ないこと=客観 として
「すべて人間の思い込みにすぎない」=人間が思い込む存在であることは、誰もが疑い得ないこと。
「主観が分けているだけ」=確かなことか不確かなことかは主観が決める。これも誰もが疑い得ないこと。
684
「確かなこと」を「客観」と定義した以上
確かなことと不確かなことを主観が決めれるはずがない
「主観とか客観とかは主観が決める」と発言しているに等しい
客観を「確かなもの」
主観を「不確かなもの」と定義するならば
あらゆる主観は「不確かなもの」となるはずだ
確かなものを主観が勝手に決めていいのは、最初の定義から外れている
686 :
考える名無しさん:2010/07/04(日) 15:14:05 0
「もうどーでもいいわ!」と真理を追究する事をやめる、
という選択肢もありますよ?みなさんw
「疑う、考える」というのもいいけど、
「何も考えない」というのもアリだと思います
>>681 いやはっきりしていると思いますが…
ああ、ちょっとニュアンスが違いますか。
確かな物にどうやっても辿り着けないですから、あるとは言えない。
つまり、客観は成り立っていると言えない。
したがって、客観を前提とする物全てに対して、
それらは成り立っているとは言いがたい、不確定な状態だと言えます。
688 :
考える名無しさん:2010/07/04(日) 15:38:29 0
「確かな物にどうにか辿り着ける可能性」は想像できますよ?
つまり、「客観が成り立つ可能性」自体はあり得る可能性はあるかもしれません
なんか訳わかんなくなってきたw
>>688 想像できる、というよりも、想像する以外に方法が無いと言うことでしょう。
つまりどうあっても確定する事ができないのです。永遠に。
永遠に、不確定な状態なのです。この世界が続く限り。
>>687 だから、例えば「確かなものにどうやっても辿り着けない」ことは、確かなことだと言えるのですか?
それも確かなことではないことにならないのですか?
691 :
考える名無しさん:2010/07/04(日) 16:12:07 0
さぁ〜「この世に存在するあらゆる方法という方法」を自分が知ってるとは思えないので、
分かりませんw
案外、地球上のどっかにひょっこり「真理」が座ってるかもしれませんよ?誰にも発見されずにw
例えば、「真理」というものが「想像」や「言葉」ではなく、
「芸術」、例えば音楽や絵画、映像で表現される可能性もあります。
692 :
考える名無しさん:2010/07/04(日) 16:12:48 0
思考停止は、既定路線w
>>691 ああ、確かなものにどうやっても辿り着けないということは確かなことだ、というのではなく、
あなたが今知っている範囲では辿り着けなさそうだ、くらいのことですか
それはまことに穏当な考え方ですね
694 :
考える名無しさん:2010/07/04(日) 17:56:13 0
「確かな物」というのは観念だから、自らのそれにしかない。
で、いいか?
>>690 そろそろ分かって欲しいのですが、
>だから、例えば「確かなものにどうやっても辿り着けない」ことは、確かなことだと言えるのですか?
これを考える事は重要では無いんですよ。何が問われているかを思い出して下さい。
問われているのは「確かな物」があるかどうかであって、上記の問いは全く無関係の問いと言えます。
>だから、例えば「確かなものにどうやっても辿り着けない」ことは、確かなことだと言えるのですか?
>それも確かなことではないことにならないのですか?
確かな物が無いという考えもまた不確実で、普遍性が無く、主観です。
しかし、だからと言ってそれが「確かな物」があるという回答にはなりません。
ですから、何故そこに執着するのか分からない、と言うのが感想です。
696 :
考える名無しさん:2010/07/04(日) 18:22:19 0
「確かな物」って
誰もが知り、誰もが信頼し、
誰もが絶対的な価値を認めるもの?
>>695 あなたは、「確かな物」という時に、(ちょうど「物」という表現になっていますが)
物体の存在などが確かかどうかだけを問題にしているということですか?
>>690のような文章の内容とか、あるいは(大袈裟になりますが)数学、論理学とかは
全然問題にしていないということですか?
そうであれば、
>>690のようなことが問われていないとか重要ではないと言われるのは了解できます
ただ、問題を物体に限定しているのだということは、混乱を避けるため明示してほしいですが
698 :
考える名無しさん:2010/07/04(日) 23:32:54 O
小さすぎてよく分かりませんが
コビト馬鹿さんたちが本当にこの話題が好きで
楽しげな雰囲気なのは何となく感じます。
懐疑論を否定しろというコビト馬鹿さんたちのお誘いに
今夜もコビト馬鹿さんたちが集まっておのおの馬鹿なりの
論理みたいな筋道を辿ってドンジャラホイと踊ります
>>698 小さすぎて分からないって、ひょっとして視力が極端に弱いのか?
あるいは、自分がブラウザの設定か何かを間違えているのに気付かないような馬鹿なのか?
しかしそれにしては、それなりの長さの馬鹿な文章をスムーズに書き込んでるのは不思議だ
(もちろん不可能とはいえないが)
この馬鹿はなかなかに理解困難な馬鹿だな
700 :
考える名無しさん:2010/07/05(月) 01:54:34 0
いやいや
>見守りたいと思いますが・・・飽きてしまうのも事実です。
と言いながら
のこのこ何度もやってくるボケたエロガッパです
701 :
考える名無しさん:2010/07/05(月) 06:16:28 0
ある人が言いました
「好奇心にも色々な種類がある。ひとつは欲の好奇心で、
これは我々を駆り立てて自分の得になりそうなことを知りたがらせる。
別の、傲慢の好奇心は、他の人の知らない事を知りたいという欲望からくる」
個人的には、それ以外にも、「確かなものを手に入れて安心したい」というのも
人々の知識欲の動機なんじゃないだろうかと思います。
そして、ある人にとっての求める「確かなもの」とは「確かなものは無い!」
という結論かもしれません。
皆さんはどうでしょうか?
知識欲の動機ねぇ
それは単に楽しいからだと思うよ
棋士が将棋をするのも、将棋が好きだからでしょう
「食うために将棋を指す」というのは違う気がする
イチローも、金のためにバットを振ってるわけではなかろう
イチローは虚しくならないのか
10割ヒットを打てるわけじゃないのに毎日、バットを振って、、
羽生は虚しくならないのか
必勝法なんてないのに、毎日将棋のことを考えて
羽生もイチローもそんなことを考えないんだろうなぁ
将棋は完全情報ゲームで有限の状態しか持たないから必勝法あるよ。
703
「実数は無限に到達しないのに無限に続く」に等しい
将棋のパターンを全部洗い出してから言えば?w
「いやいや、原理的にはある」と強弁するかな?w
もしかしたらあるかもしれないし、ないかもしれないね
俺は必勝法には興味がないから必勝法を探そうとはしないし
羽生もまたそうだろう
羽生の偉いところは、昔から悪手と言われていた手を実際に自分で指しながら
どれぐらい損かを自分で確認したところだと思うが
そんな羽生でも、悪手の中に必勝法が隠れている可能性を否定しないだろうね
また、だからこそ、必勝法は手に入らないわけです
悪手の先を検討することを人間はやらないわけだから
知識とは確定されたものが蓄積されていくのだろうか
そのような知識が蓄積されていく進歩的知識観は、とてもヘーゲル的に見える
しかし、人間が獲得してきた知識を見れば
原子論もデモクリトスが提唱しているし
地球が球だという考えも、アナクシマンドロスに提唱さてれいる
現在、正しいとされている知識も、太古に提唱されており、間違いだとされたこともある
現在の知識が太古の知識と比較して、「より正しい」とか「より確からしい」とか言うことができるだろうか
すべては永劫回帰かもしれない
人間の歴史において、確定された正しい知識などあるのだろうかね
さて、将棋の話題もするか
マルバツゲームには必勝法がある
これはマルバツゲームにおいて、可能な選択肢がすべて判明しており
負ける選択肢を選ばない以上は敗けを必ず回避できるからである
しかし、マルバツゲームで勝敗が決することはまったくないであろうか?
マルバツゲームをやったものならば分かるだろうが
1、2回は負けることもある
マルバツゲームはそのパターンが2、3パターンしかないため
一度負けたパターンを把握して二度と同じ負ける選択肢を選ばなければ、必ず敗けを回避できる
これをして「必勝法はある」と言う
ここで、わたしが強調したいのは、マルバツゲームの必勝法には「人間の知識」が不可分に結び付いている点だ
「人間が負けるパターンを把握する」ということが、マルバツゲームの必勝法には不可欠である
同様に、将棋の必勝法を獲得するには、将棋のあらゆる選択肢を把握することが不可欠である
それは人間には獲得できないかもしれない
その選択肢は人間が把握するには膨大な数だが、無限ではなく有限である以上
一つ一つ数え続ければ必ず終わりがくる
その意味で将棋には必勝法はあるのだろう
純然たる数学世界において将棋の必勝法は眠っている
数学世界の住人ならば、いつか将棋の必勝法を獲得できるかもしれない
そのことをわたしは否定する気はないw
懐疑論の否定のしかた
「こら!懐疑論! 肘ついて食べるのやめなさい!」
>>704-706 つまり1行でまとめると
将棋は完全情報ゲームで有限の状態しか持たないから必勝法あるよ。
ってことだな。
708
宇宙は有限でしょうか?無限でしょうか?
名作「ハチワンダイバー」は「この81マスの中に宇宙がある」ってセリフがありました
宇宙だって、全知全能な知性によって把握されたら、
そこには有限な情報しかなく未知はまったくないでしょう
これは懐疑論の話題とも深く関わります
僕は将棋の81マスの中に未知の存在を認めます
人間の知性には限界があり、それゆえ人間が抱える未知は無限であるという立場をとります
一つ一つの手順をつぶしていくだけでは到底到達できない未知
これが人間が抱える知識の根本的性質であり
将棋もまた、同様の性質を抱えると考えています
つまり、僕は「将棋には必勝法はない」と考えているわけです
必勝法とは「すべての把握」によってもたらされるものに過ぎません
原理的に、将棋の手順は有限なる数におさまるがゆえ、原理的にはすべてを把握することができるかもしれません
しかし、その数は無量大数を越えるような莫大な数であり、
人間には把握しきれない数であり、
例え有限であっても、人間には把握しきれないという意味で、無限に近い
僕は、将棋のすべての手順を把握することは人間には不可能であるため
将棋には必勝法はないと考えます
710 :
考える名無しさん:2010/07/06(火) 02:04:51 0
つまりひとことでまとめると
「私は馬鹿です」
ってことだな。
実は、もとの考えは決定論にも通じる
数学者ラプラスは全知全能な存在は宇宙のすべて(未来において起こること)も把握できると考えました
全知全能な存在は初期条件さえ与えれば、未来に起きるいかなることも算出できる
物理学は全知全能に暫近していく学問であるため
いずれ、すべてを把握できたら、未来に起きる出来事は計算によって算出できる
これが17世紀(だったはず)の数学者ラプラスが唱えた世界観であり
今でも形而上学的決定論として、一部の学者の信念に固く入り込んでいるものでもある
このような形而上学的決定論としての信念を確保しないと
学問における知識はその正当性を失ってしまうというわけだ
これは、人間の知識の正当化に全知全能なる理念を不可欠としている考え方だ
このような考え方もあるだろう
だが、わたしは、人間の知識には、まったく別の側面があるようにも思える
710
素晴らしい、その通りだ
わたしはバカだ
そしてそのことに胸を張っている
わたしは、間違いを犯せない賢人たちに憐れみの目を向けながら
バカとして知的関心のよるところに終始する
それはわたしのアイデンティティーに近いかもしれない
まあ実際の世界はラプラスの魔を邪魔するものがいろいろありそうだが、
哲学というの暗黙的に我々の住んでいるスケールの世界で通じる論理を元に
語られているものなので、私はその辺の「実際の極小の世界はどうなってるか〜」ってのは
哲学で論理を組み立てる際には無視してもいいと考えてる。
バタフライ効果は考慮すべきだけどね。
714 :
NAS6 ◆YbjyWDyXSc :2010/07/09(金) 08:39:04 0
結論
「神様ぁ、助けて〜」
懐疑しません 勝つまでは
716 :
唯意味論:2010/07/12(月) 09:35:16 0
参院選の敗北の責任は、むろん野党くずれの軽薄・菅首相にある。
が、戦術を捻りだしているのは仙石氏。策士、策に溺れた格好。
>>709 升目が決まっていて、規則が明確。したがって、その手順は有限。
ただ、あまりにも手数が莫大なので「人間には数え切れまい」と
いうのが君の見解らしいが、私は案外、手順は文字どおり「無限」
ではないか、とも思っている。
将棋にかぎらず、(スポーツを含めて)あらゆる競技は限定された
時空間のなかでルールに基づきなされている。が、必勝法のない
ものがほとんどである。そこでは無限の事態が生じうるからだ。
同じサッカーは起こりえない。同じ将棋も。
規則は無限を招来する…ほんとかね。ww
懐疑論を懐疑 → 実在論を擁護