人生最大の発見★24

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299考える名無しさん
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kouri2.html
↑ここを入れ替えて説明してみる

原則は公理かについて>>288
「ちなみに「原則」の存在も公理と言えますね。」
よって原則は公理である

 原則的思考法とは、『この世界は「原則」によって支配されている』という公理をもとにして構成された世界観である。
 したがって、原則について反論することは無意味なことである。
理由は>>287http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kouri.html
「適当に、好き勝手に、公理を決めてしまっても、
 無矛盾な理論体系をいくらでも作り出せる」から

 結局のところ、
 議論の焦点は『この世界は「原則」によって支配されている』という根本的な公理を認めるかどうかであり、
 そもそも公理の本質が『証明不可能な暗黙の了解』であるのだから、
 その公理を受け容れるかどうかの個人的な問題となり、
 一般的理論的な議論は無為である」

「『この世界は「原則」によって支配されている』という公理を信じること と 『幾何学を信じること』は、
 証明不可能な公理を受け容れているという点で、本質的に同じことである」
3001 ◆GENZKUBdGA :2010/02/28(日) 02:51:19 P
>299
それで良いですね。

再び付け加えると、「原則」はツールとして使えるものであったということです。

原則的思考法を発見したということになります。
3011 ◆GENZKUBdGA :2010/02/28(日) 03:00:39 P

一応指摘を入れておくと、

>適当に、好き勝手に、公理を決めてしまっても、
> 無矛盾な理論体系をいくらでも作り出せる

好き勝手な考え方をしていると、現実社会にうまく適応できないということです。

成果が上がらないこともありますし、
考え方がうまくないために、人生につまづいてしまうこともあるわけです。

まあ、そんなときに人は初めて変わろうとするのですね(これまでの考え方の過ちに気がつく)。

満足しているときに自分を変えようとはせず、
うまく行かなくなって初めて「これではいけないんだ!」と気がつくわけです。

そうやって原則的な考え方に近づいていく(成長していく)のですね。
302考える名無しさん:2010/02/28(日) 03:03:14 0
>>300により
世界には「原則的思考法が通用しないものがあること」の証明が完成し、
『この世界は「原則」によって支配されている』という公理を信じること と『宗教を信じること』は、
 証明不可能な公理を受け容れているという点で、本質的に同じことである」ことが証明された
3031 ◆GENZKUBdGA :2010/02/28(日) 03:04:43 P
>302
貴方は相変わらず原則不理解者のようですね。(^^;
304考える名無しさん:2010/02/28(日) 03:13:47 0
「適当に、好き勝手に、公理を決めてしまっても、
 無矛盾な理論体系をいくらでも作り出せる」
だから
「我々が、どんなに公理を選択して、無矛盾にみえる理論体系を構築しようとも、
 その理論体系の無矛盾を 自分の理論体系の中で証明することは不可能であるため、
 選んだ公理が本当に正しいのか証明することは、絶対にできません」
というゲーデルの不完全性定理を理解しているだけだよ
3051 ◆GENZKUBdGA :2010/02/28(日) 03:15:43 P
>302(付け加え)
「原則」は信じるという類のものではありません。

「原則」が確かなのかを知るためには、それを追求していくしか道はないのです。

「原則」の否定する材料を探していけば、それがないことを知ることになるのです。


「原則」は信じるものではなく、理解・発見していくものなのですね。

そのためには、「原則」が確かなものなのかを自分で追っていかなければならないということです。


追うこともなく否定するだけの人は、単なる原則不理解者にすぎないのです。


>304
それで良いですよ。
306考える名無しさん:2010/02/28(日) 03:27:52 0
なぜ数百年の人類の歴史の中で思考が統一されていないのか?と考えたとき
仮に1のいう原則が完璧で人類全体が1と同じ考えになった場合を考える。
それは気持ち悪いとしかいえない。神はそもそもそんなものは望んでいない。
1は生まれつきそのような考えの持ち主だからみんなにも適合できると考えているが、そうではないんだよ。


307考える名無しさん:2010/02/28(日) 03:30:10 0
>>305
>信じるという類のものではない
>確かなのかを知るためには、それを追求していくしか道はない
>否定する材料を探していけば、それがないことを知ることになる
>信じるものではなく、理解・発見していくもの
>そのためには、「原則」が確かなものなのかを自分で追っていかなければならない
>追うこともなく否定するだけの人は、単なる原則不理解者にすぎない

ま、そういうことで君の世界観は成り立っている、それだけの話だね
君はそう考えて色々がんばっている
いいんじゃないかな

ただ過去の数学者たちが数式で証明してきたように君の世界観は万能じゃない
君も自分の世界観が万能であることを数式で証明できるほど優秀だったらよかったのにと思うよ
3081 ◆GENZKUBdGA :2010/02/28(日) 03:35:46 P
>306
>なぜ数百年の人類の歴史の中で思考が統一されていないのか?と考えたとき
>仮に1のいう原則が完璧で人類全体が1と同じ考えになった場合を考える。
>それは気持ち悪いとしかいえない。神はそもそもそんなものは望んでいない。
>1は生まれつきそのような考えの持ち主だからみんなにも適合できると考えているが、そうではないんだよ。

そうではないんですよ。(^^;

「原則」は文化や人種や時までもを超えて普遍のものです。

それは考え方の元になるものであって、考え方が同じであるというわけではありません。

そのような心配は不要です。


>307
>ただ過去の数学者たちが数式で証明してきたように君の世界観は万能じゃない
>君も自分の世界観が万能であることを数式で証明できるほど優秀だったらよかったのにと思うよ

「原則」は数学ではないので、数式で証明するようなものではないのですね。

思考の中で応用するものなのです。
3091 ◆GENZKUBdGA :2010/02/28(日) 04:10:53 P
一応書いておくと

>ただ過去の数学者たちが数式で証明してきたように君の世界観は万能じゃない

原則的世界観というのは、あるがままの世界観ということになりますね。


「君の世界観」と呼んでいるのは、まだ「原則」を理解されていないからであると思われます。
310考える名無しさん:2010/02/28(日) 04:23:03 0
>>308
数学においては、ある命題が正しいことを主張するための一連の文章を証明と呼ぶ。
証明の各段階においては、認められた事実(公理、証明済みの命題)と仮定から適切な推論によって新たな命題を導くという形態をとる。
ここで、ある証明の中で導入された仮定は、その証明の中で否定されるか(背理法)、証明の別の部分で証明されなければならない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%BC%E6%98%8E

原則は公理かについて>>288
「ちなみに「原則」の存在も公理と言えますね。」
よって原則は公理である

ということはある程度の知能があれば数式によっても証明できるよ

それに大事なことはそこじゃなくて
>>299が何と入れ替えられて作られた文なのかってことだよ
君はそれに「それで良いですね。 」と肯定をした
つまり原則は宗教と構造が同じであることを君が自分で証明したんだ

>原則的世界観というのは、あるがままの世界観ということになりますね。
原則的世界観とは公理に基づく世界観、つまり「ある一定の公理)をもとに、論理的思考の蓄積で作られた構造物」

http://d.hatena.ne.jp/skycommu/20090517/1242560059
「あるがままの世界」は@のことで君の話は一番下のC
君の公理は公理であるが故に「あるがままの世界」ではないんだな

ところで今日は途中から「P」をつけたんだね