>でも
>>18みたいな「教わりもせずにそう言う」っていう意識は
>自我を増大(平たく言えば増長だわな)させることになりかねない
>その増長はたとえば全能妄想とか他人の価値観・倫理観への過干渉とか問題が出てくる
昔の、素朴に神仏を崇拝していた村落共同体の時代の人の方が
他人の価値観・倫理観への過干渉は多かったと思うよ。
特定の宗教を信仰するがゆえの選民意識のような全能妄想が生じる場合もあるし。
>たとえば全能妄想とか他人の価値観・倫理観への過干渉とか
の解決に、神を信じるから、あるいは信じないからなんて関係ない。
社会生活や人間関係の中で、どれだけもまれて自我を再構築し続けるか
っていう実際的なことに尽きるでしょう。
24 :
考える名無しさん:2010/01/18(月) 00:25:26 0
>>23 確かに封建時代の人間を見ればそうも考えられる。
でも
>>23が村落共同体と呼んでいる封建的集団がその構成員の価値観を
常識推論的に規定してしまうようなタイプの過干渉の本質は
神仏に対する信仰心というよりむしろ、単にその共同体の封建的性格
すなわち慣習を守るべき絶対的善としてそれから逸脱する構成員に干渉しているという構造
なのではないだろうか。
それから選民思想ってのが全能妄想につながる例は少ないな
バラモン教なんかはそもそも人種・血統差別が本質だからそうではないし
むしろ宗教云々よりも優越を希求する心は人間の性質であると言わざるを得ない
ナチスドイツみたいな例もあるし。
それから、「自我を再構築」っていうのはよくわからん。
自覚的であれってこと?
25 :
考える名無しさん:2010/01/20(水) 23:32:40 0
神というのはつまるところ、単なるエネルギーだから、意思は無い。
それとあくまで神々が住んでるのはあの世であってこの世には居ない。
あの世からこの世に出てくるエネルギー、つまり時間の矢はあの世→この世なわけだ。
26 :
考える名無しさん:2010/01/21(木) 07:19:25 0
>>25 その「エネルギー」ってのは比喩?
ちょっと余りに独特な言い回しが多いからもう少し平易にタノム
>>13 >ギリシャ神話みたいな至極利己的で恣意的なアミニズムを例外ととれば、
>神って言うのは、人間のあらゆる営み・集団を超越した外部存在であるし、
えっ?
日本の神も全部除外?
そんな、それこそ「恣意的」な議論して何か意味があるの?
それともユダヤ・キリスト教の話だけしたいの?
28 :
考える名無しさん:2010/01/21(木) 07:50:09 0
>>27 ギリシャ神話を除外したのは
ギリシャ神話の起こりが
ギリシャ人達が自分の家系の正当性を主張するためのものであり、
個人の恣意によって大いに改変されうる可塑的なものだからって事。
神道は少なくとも現代は恣意的に改変される事の許されないものだから
その神は「外部存在」であるといってもいいんじゃない?
それにそもそも恣意的なアミニズムと世界宗教的な一神教は、到底同じものとはいえないよ
>>28 だから神の定義なんて宗教によって違うでしょ?
このスレのタイトルの「神様」ってどの神の話?ってことになるわけ
その神道観も神道のごく一部しか見ていない視点だし
そんなに、それこそ「恣意的」な議論をして何か意味あるの?
大体キリスト教の内部でも、神のとらえかたなんて結構分かれてる
>>24 >すなわち慣習を守るべき絶対的善としてそれから逸脱する構成員に干渉しているという構造
>なのではないだろうか。
>バラモン教なんかはそもそも人種・血統差別が本質だからそうではないし
そういう本質を正当化するために神仏が利用された、信仰がそれを補強したんじゃないかな。
神の本質みたいなもんは、どんな宗教や教派も同じなんだろうけど
それを運用する側は神ならぬ身だから
環境に合わせて、つまり自分たちに合わせて利用するために
どうしても都合よく解釈・変化させてしまう。
そしてその解釈・変化した部分こそが絶対だと信じてしまい、固定化しようとする。
自我の再構築って、変化し続けるみたいな意味で。
31 :
考える名無しさん:2010/01/21(木) 18:45:11 0
>>29 そら表現方法が全然違うから、異なる神の概念の間に有意な共通点がお前に見えてないだけだろ。
えーと、たとえるなら、「女は○○だからダメだ」って言ってる人に
「女をひと括りにするな」って言ってるようなものかな
確かにそういう言説は可能だけど、ある程度人間が枠組みを与えなくては物事を考える事は不可能
世の中におおよそ神と呼ばれうるような全ての概念を余すことなく知り理解しておかなくては
神に関する議論は不可能、なんてのは虚無だ。
>>30 手段の目的化といおうか、神格化といおうか・・・
最初は純粋に手段としてあったのかもしれない。
少なくともモーセは倫理的慣習を守る方便として神託という形式をとったとも大いに考えられる。
でも、中世以降のヨーロッパの封建的秩序を守るための倫理的慣習の根拠が
明らかに教会権力が強力に宣伝する「神様」という概念であるのに対し
日本の”村落共同体”の持つ絶対的な慣習の根拠は神仏ではなくて慣習そのものでしょう。
>環境に合わせて、つまり自分たちに合わせて利用するために
>どうしても都合よく解釈・変化させてしまう。
>そしてその解釈・変化した部分こそが絶対だと信じてしまい、固定化しようとする
確かにその通りで、憲法のように人間を支配するために(おそらく)人間に作られた
っていう性格が有るけど、宗教に関しては作ったのが(一応設定上は)人間の作為の及ばない主体
ってことにしてるから、そうそう改変できない。だからとりあえずは絶対的な倫理の根拠になりうる
32 :
考える名無しさん:2010/01/21(木) 23:17:41 0
ジョン・レノンじゃないが、国境も神様もいないと想像してみよう。
そうすることで、始めて見えること(地平)もある。
33 :
考える名無しさん:2010/01/22(金) 17:07:42 0
国境も神様も存在していい
>日本の”村落共同体”の持つ絶対的な慣習の根拠は神仏ではなくて
>慣習そのものでしょう。
一神教による絶対的倫理ではなく、多神教による関係性重視の表れかなあ。
日本の神仏は、上から規範を与えるものじゃなくて、身の回りの物に宿るもの。
だからすべてを大切にしましょうみたいな。で大切にする方法が慣習とか。
>だからとりあえずは絶対的な倫理の根拠になりうる
ただしそれは、自分らの欲望の鏡みたいなものなんだよね。
自分らの気候風土生活に合わせて変えたものなんだから。
つまり自分らの望むものを、神の名において権威付けしているだけにすぎないとも言える。
37 :
考える名無しさん:2010/02/02(火) 19:08:17 0
>>36 確かにそういう事はある。
でも中世から近世日本の”村落共同体”で、
自己の(というより神というものを自分達の中に構築した祖先たちの)便宜・欲望のための慣習の
いわば「神化」があるであろうことは容易に想定できるけど、
セム人の宗教圏の人間みたいに、生活規範に関わる話の中でしょっちゅう口の端に神様の名前が上るのは
考えにくい気がする・・・。
38 :
考える名無しさん:2010/02/19(金) 13:42:25 0
>>32 国境も神様もいないと想像して思考実験をすると・・・
勝ち組は、さらに勝ちやすくなり、金持ちはさらに金持ちになり
負け組みは、這い上がれず、貧乏人はさらに貧乏になり
辺境では、紛争が絶え間なく起きて人々が撃ち殺され
都市部でも犯罪が増え、飢え死ぬ人が増え、自殺が増え・・・
神様の救いや神様を信じる人の施しも無い世界で生きる事になる・・・・
>>1 「いると思えばいますし、いないと思えばいません」
(映画「降霊」での神主役の哀川翔のセリフより)
>>1 スレタイのセンスが無いな。
「神様とは何か、何であるべきか」
41 :
私:2010/02/25(木) 00:38:49 0
神様はいてもいいと思う。
ただ創造主や唯一絶対神はいないと思う。見たことも感じたことも無いし。
でも、そんな人でも困った時「神様助けて」と思ってしまう事はあるだろう。
多分、その神様は「自分だけの神様」なのだと思う。
要するに、実は「一人に一つの神様」なのではないだろうか。
こう考えると、自分から見たら唯一の絶対神でもあるし、第三者的に見たら「多神教」でもある。
両方が並立できている。加えて、古今東西よくある「人が神になるプロセス」も簡単に説明できる。
自分と神しかいなかったら、その垣根はちょっとした勘違いですぐ跨げるだろうから。
また、多くの人が創造主や普遍的な唯一絶対神がいると勘違いする理由も比較的容易に説明できる。
個人が自分で感じるその存在は「実は皆同じ」だと吹き込まれて、しかも罪悪感も全部引き受けてくれると宣伝されたら、
まあころりといくのは仕方ないでしょう。身に覚えのある人は特に。
大義名分にもなるしね。共同体の支柱として、「最低限共通のものさし(価値観)」は必要だし。人間面倒臭がりだから。
「神様」はとても便利で精神衛生上かなり有効なツールではある。
ただ、あくまで個人にとっては、個人の範疇しか適用されない存在だと思う。
しかし、その存在は他者には絶対に否定できない存在でもある。
ここら辺が「信仰の自由」なんだと思うけどなぁ。
「一神教」でもあり、「多神教」でもあるから、結局宗教の根源は「超多神教」なのではないだろうか。
そうじゃなかったら、何かの道具の部分があるんだろうなぁ・・・。
42 :
尺八小僧:2010/02/25(木) 03:55:19 0
神様は人の心の中に居ると僕は思います!
なので信じている人には居るし信じてない人には居ない
という事だと思います!
僕は信じてるのでよく夢に出てきます^^
参考にしてくれると嬉しいです〜
43 :
考える名無しさん:2010/02/26(金) 17:11:32 0
そういや、汎神論っていまどうなの?
44 :
考える名無しさん:2010/02/26(金) 21:49:54 0
神は不可侵、絶対、真理と言い換えられる。
後はその存在を信じるかどうかだ。
45 :
考える名無しさん:2010/02/27(土) 08:52:45 0
神とは自然法則のことだよ
46 :
考える名無しさん:2010/02/27(土) 09:30:53 0
自然法則とは神のことだよw
47 :
考える名無しさん:2010/02/27(土) 11:02:36 0
てことは、神の怒りとか神の意志とか言いだす奴は
もうそれだけで信用しなくていいな。
1に1を足すと2になるよ、1を引くと0になるよ
どっちがいい?ってだけ聞いて、どっちでもいいのが神なんだから。
48 :
考える名無しさん:2010/02/28(日) 01:48:45 0
信仰心が神にあると思うね
自分はどの神を信じるか
何も信じれなくなると神以外を選ぶ他ないね
神は死の恐怖から生まれます
終了
50 :
考える名無しさん:2010/03/01(月) 08:01:47 0
私の個人的な意見ですので、参考にしてください。
私の理解
神 → 絶対の存在 → 物理法則 → 自然
私はこれで納得したので、「神様がいる」というよりは「神はある」という立場です。
命題1 「神様はいるのか?」
私は見たことがないので、判断を保留します。立場としては、懐疑派でしょうか?
あとは、サッカーの神=ペレ(だったかな?)とか考えるのも悪くない、と思います。
命題2 「神様はいるべきか?」
これは完全に個人の判断だと思いますので、
あなたが「いるべきだ」と思えば「必要」でしょうし、
あなたが「いなくてよい」と思えば「不必要」となるでしょう。
私の現在
私はオリジナルの神を考えました。別に布教しようとは思ってないのですが、
シンボルとして、邪神モッコスをあてはめています。
だって、その方が楽しいと思いませんか?
51 :
考える名無しさん:2010/03/03(水) 16:06:28 0
なんか
>>43のあとからすごい勢いで汎神論者が湧いてきててワロタww
52 :
考える名無しさん:2010/03/03(水) 17:20:30 0
その存在が、自分を神だとは思っていないとは思うが、
我々から見たいわゆる神っていうのは存在すると思う。
じゃないとだれが宇宙作ったの?ってことになる。
53 :
考える名無しさん:2010/03/03(水) 19:17:58 0
>>43>>45 ショーペンハウアーの言を借りれば
「神とは世界であるといったところで面倒な類義語を増やしただけだ」
つまり神の存在を把握したことにはならんしこのスレの主題である神の有用性という面からは
まったく意味のない発言。
あとのレスは文章の体をなしていないのでスルーで。
神は死んだとニーチェが断言してから百年以上経ったのに、
まだ神頼みのチキン野郎ばかりがうろうろしているw
55 :
考える名無しさん:2010/03/03(水) 19:51:55 0
>>54 だからニーチェの精神は崩壊したのだよ。
人間には、神にすがらないと心の平衡を保てない時が来るのだよ。
56 :
考える名無しさん:2010/03/03(水) 19:58:18 0
>>55 心の平衡至上主義ですか?
それを究極的に真理とか真実とか事実かを追求する(筈の)哲学板で、
堂々と主張されるのはどうか?と思いますけどね。
57 :
考える名無しさん:2010/03/03(水) 20:03:20 0
>>56 それも一つの真理だろう・・・しかし・・・・
すべては、バランスの上に成り立っているのだよ。
神は、死んでもいるし、生きてもいるのだよ。
なぜならば、誰もそれを確かめたものがいないのだから。
58 :
57:2010/03/03(水) 20:13:47 0
俺がニーチェを超えた訳では無い・・・・
時代がニーチェを超えたのだ・・・・
これは、量子論時代の必然なのだよ・・・
59 :
考える名無しさん:2010/03/04(木) 14:25:47 0
>>54 神は死んだってそういう意味じゃないだろwwwにわか乙wwww
60 :
考える名無しさん:2010/03/04(木) 23:38:02 0
別に神様を信じてもいいと思う。
しかしそれによって救われるとかそうじゃいとかは別だと思う(この場合救われるというものの定義は定かじゃないけど)。
クリスチャンの言葉に「神は乗り越えられる試練しか課さない」というけど、あれは絶対嘘だね
。
だって、絶対的な絶望はあるわけだし。
それで死ぬ人もいるんだし。
61 :
考える名無しさん:2010/03/05(金) 09:29:28 0
人生哲学厨のすくつになっちまった!
キリスト教徒の俺が宗教に懐疑的になったのは
牧師が「イエスの復活を信じられないものはキリスト教徒ではない」
といったような説教をしたときからだ。
この時、宗教が持つ詭弁に気がつき、目が覚めた気がした。
また、その前に遠藤周作の本を読んだことが大きかったとも思う。
今振り返って思うに、宗教とは、
弱い人間が生き方を乞い、
また、悪いことが起きた時にそれを
責任転嫁するために作られたものである。
つまり神とは、人間が作り出した幻想に過ぎない。
63 :
考える名無しさん:2010/03/05(金) 12:13:28 O
あるキリスト教徒は、
「蟻が象を理解できないように、人間も神を認識できない」
と言っていた。
>>63 でもそんな理解できない相手の言いつけは守るんだよね
相手が何考えてるかわかんないのに
ご苦労なこった
65 :
考える名無しさん:2010/03/05(金) 16:06:24 0
神様がいると言う事と・・・
宗教組織による、民衆の支配あるいは、欲望の抑圧、煩悩の軽減、生活習慣への介入などは、別の問題。
だって、宗教組織は、人間が運営しているんだもん♪
大昔の人が神とあがめたのは
宇宙人だったてことで、もうそろそろ決着付けたくないか?
キリスト誕生の時に現れた赤い星だって
どう考えたってUFOだろ。
どう考えたって彗星だろ。
ゆーっくり動いてたら
誕生の間くらいは馬小屋の上にいるだろ
>>70 そんなスピードでどうやって3人の博士を馬小屋まで導いたんだよ。
72 :
考える名無しさん: