> だから、逆にルーマン論者は死ぬほど『主体』を持っていると
> 言う事を嫌がる。だから、『(責任をとらなければならないから)主体は無い』とか、
> 『(責任を免除される言い訳ができるから)主体は無く、言語だけである』とか
> 言い訳を理論にしたやつ(=ルーマン)を言います。
仮に↑の様に、『主体は無い、言語だけである』というのを真に受けて、
実際にやってみたらどうなるのか?↓
@酒井泰斗『ハァ?買春が悪いと思わないのか?
需要と供給が成り立っているだけだよ!何が悪い?』 ← これが主体
↓
A酒井泰斗『システムに善悪は存在しない、援助交際というシステムは
女性側と男性側双方の需要および供給で成り立つシステムであり、 ← これがルーマン理論
私ルーマンはこれを批判するのではなく、記述するだけなのである』
↓
B警察官 『言い訳は良いから署に行こうね、坊や〜』 ←そしてこれが現実
↑では、『主体』は@、『言語』はAなので、
『主体は無い、言語だけである』というと、@抜きのAだけ、
しかもリバタニアリズムとルーマンは現実を認めないのでBも抜かれる。
すると?そう、彼等にとっては『自業自得の勝手な事をやっても、
反省する要請をされないAだけ(つまり言語だけ)が残る』訳だ。
勝手な事だわな?