◇◇ 日常哲学派 ◇◇

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323第三の波平 ◆JXLBbnYqTY
■慣習と慣習が交差するときリベラルが生まれる


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NHK教育で「ハーバード白熱教室」 Lecture1 犠牲になる命を選べるか 
http://d.hatena.ne.jp/happysmiletalk/20100408/p1


あなたは時速100kmのスピードで走っている車を運転しているが、ブレーキが壊れていることに
気付きました。前方には5人の人がいて、このまま直進すれば間違いなく5人とも亡くなります。
横道にそれれば1人の労働者を巻き添えにするだけですむ。あなたならどうしますか?

さらにサンデル教授は別のケースを提示します。「では路面電車の別のケースを考えてみよ
う。こっちのケースでも『5人を助けられるなら1人が死んでも仕方がない』という原理をみんな
が支持し続けるかどうか、見てみよう。

今度はキミは路面電車の運転手ではなく、傍観者だ。電車の線路のかかる橋にいて見下ろし
ていると電車の来るのが見えた。線路の先には5人の労働者がいる。ブレーキは効かない。こ
のままだと電車は猛スピードで5人に突っ込み、5人は死ぬ。今回はキミは運転手ではない。

『なんにもできない』と諦めかけたとき、自分の隣に橋から身を乗り出しているものすごく太った
一人の男がいることに気づく。もしキミがこの太った男を突き落とせば、彼は橋から走ってくる
電車の前に落ちる。彼は死ぬが5人を助けることができる。さて、『彼を橋から突き落とす』という人は?
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324第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/22(火) 21:11:50 0
哲学とは限界状況で考えること


この問題は面白いが結果論ってこと。5人殺すか1人殺すか事後的にしかわからない。誰も殺
さないために1人側に向かう。誰が死ぬかなんかわからないのに見学者を犠牲にするわけな
い。ベタに客観主義の誤謬だね。揚げ足とりの様だがこの手の限界問題はいつもこのトリックを使う。

ようするにこのように限界で考えることが哲学な訳だね、日本人のように別に無理に限界で考
えなくても問題もないわけだけど、近代は流動化でせき立てられて限界状況に追い込まれるの
が増えてるのかね。


日本人のハイウェイ社会

海外では多民族間とかあるが、日本では若者かな。世界は狭いが情報は移り変わる。いじめと
か、引きこもりとか限界状況だな。日本では哲学が社会思想として必要とされず思春期悩みで
消費されるのはこのためだね。限界状況がどこにあらわれるかだ。

日本人はハイコンテクストなハイウェイ社会を生きている。単一の価値を共有しそれに合わせ
て社会環境ができているから、日本ないならハイウェイのように鼻歌混じりに生活できる。海外
では生活圏を抜けるととたんに多様な見知らぬ価値につまずく凸凹道で、限界状況にでくわ
す。日本では若者が凸凹道に躓く。大人の引いたレールを走りたくない!とは古くて、最近は甘
やかされて社会ハイウェイを逆走して事故り引き込めるとかかな。
325第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/22(火) 21:12:39 0
ハイウエイとハイウエイが交差するとき限界状況が生まれる


ワクチンの優先順位で子供が先なのが功利主義なら、老人が一番最後になる。そんなの聞い
たことがない。むしろ弱いものを助ける慣習と考えた方がいい。慣習はそうだからそうなので
あって、限界状況は生まれない。ようするにハイウェイだね。

ワクチンの優先順位で、弱い者から助けることを善とする民族と、強い者から助けることを善と
する民族が混ざった集団で、もめ出す。どうするのか。このハイウエイとハイウエイが交差する
とき、限界状況が生まれる。

ここでサンデル先生が登場する。「キミたちの意見が聞きたい!」