1 :
考える名無しさん:
日常から哲学をまったりと考える
例 なぜ人は上から2冊目の本を買うのか。
なぜ夕日は美しいのか。
なぜマクドナルドへいくとほっとするのか。
なぜ人はネットで懸命にコミュニケーションするのか。
etc
無気力スレ
マクド食うとどす黒いウンコが出る。ほっとしないけどはっとする。
つーか、ぴかーのスレだろこれ。
4 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/12(土) 14:58:58 0
■安心のインフレーション
日本人ほど安心に敏感な国民はいないだろうね。規律はきびしく、規制は厳しく、心配性。
安心はコストだから一番高いものを買っているともいえる。地球環境会議をみて思うだう。日
本の国家予算が膨らむのも安心過剰のためですね。安心はすぐにインフレーションするの
でいくら金があっても足りない。
ようするに人の値段はいくらか、ということ。そんなものは値段をつけられないが、しかし実
際に運営においては安心のコストを試算しないといけない。それで足りるなんか言えない。
福祉もインフレーションすると国家予算は無限大に膨らむ。
民主党は安心インフレを利用して政権をとったからいくら金があっても足りない。仕分けがパ
フォーマンティブなのもそのため。さらに安心インレはこ金持ちの贅沢病だからほんとに困っ
てる人のためになるか怪しい。さらに安心インレはこ金持ちの贅沢病だから。仕訳見て安心
してだからなに?(笑)ほんとに困ってる人のためになるか怪しい。
5 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/12(土) 14:59:53 0
希望を捨てる理由なんかなくてまさに安心インフレこ金持ち病でしょ。安心インフレこ金持ち
病。たとえばカバンに一千万円現金入れて街を歩くような感じでしょ。不安で寄り道できなく
てキョドる。
安心インフレーションは安心にきりがないということ。その底なしのネガティブで恵まれてい
るのに希望がもてなくなる。たとえば日本の高齢者の貯蓄は将来への不安から蓄えられる
わけですが、いくらあれば安心というのはなくて、1千万円あればそれはそれで、1億円それ
はそれで・・・ときりがない。いかに安心であってもそこに新たな不安が生まれて安心を求め
てしまう。それが安心のインフレーション。安心のインフレーションは安心すぎる贅沢病ですね。
あとは、安心のインフレーションでお金儲けをするのがマスメディアですね。いくら安心に
なってもたえず新たな不安を見つけ出しクローズアップし不安を煽りつづけることで儲け続
ける。たとえば潔癖性も安心のインフレーションを起こしています。潔癖性というのはある程
度清潔な生活におこり、さらに清潔の安心を求めつづける。もともと貧しく不衛生な生活を
送っている人は潔癖性にはならない。だから安心のインフレーションは贅沢病なのです。
6 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/12(土) 15:08:30 0
■ネオリベラリズムとウェブの共生関係
いまは親切もむずかしい時代である。知らない人に安易に親切にされるのは面倒で、警戒
する。しかしネットではそれが許されている。親切天国である。
社会のベースは信用なので信用を確保しなければならないが、その形態もかわってきてい
るか。たとえばネット上で相談すれば誰かがアドバイスをもらえる、あるいはホームページに
必要な情報がある。信用は匿名の不特定多数がネットワーク状にゆるく補完し合う。これも
新たな信頼の形態かもしれない。
ネオリベラリズムへのシフトとウェブの登場の時期が重なるのは偶然だろうか。そこには共
生関係があるのではないだろうか。ネット上の繋がり重視があって実社会の経済重視が許
され、まだ逆もあるという共生関係。それがゼロ年代だったのではないか。すなわちネオリ
ベラリズムの他者回避傾向と、ウェブの他者選別の共犯関係。
ネット上のフリーとは・・・一つ情報コストほぼゼロ環境、二つハッカー文化継承としてのフ
リー思想、三つ贈与としての繋がりの社会性、四つ儲けるためのためのフリー商品。最初に
コストゼロのデジタル環境があり。ハッカーはフリー思想を打ち立て、住人は繋がりの社会
をつくり、Googleはあたらな集金方法を考えた・・・そしてウェブ環境はさらに成長する。
7 :
考える名無しさん:2009/12/12(土) 15:10:50 0
そうですね
8 :
あめのみやつこ:2009/12/12(土) 16:51:01 0
おにというのは片鬼ということはない。必ず両鬼でひとつになる。
何故なら鬼がひとりなら人類が住むところすべてが砂漠であってもおかしく
ないのだ。鬼の特性はわからない。わたしは鬼ではないが鬼の家に四次元に
暮らしているからだ。付き合いもない。しかし岩八尾の情景から河合の子孫まで
わたしは鬼と暮らしている。OK。
書店というものはジャンクを売りそれ自体ジャンクである。ジャンクと赤トマトとは
社会構造上となり合っている。不思議ではあるが青菜の色とトマトの蔕はアフリカのスコール
のように水を欲しがっている(インデアンみたいな言い方w)
9 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/12(土) 17:30:55 0
■情報革命とネオリベラリズムとネットコミュニティ
ネットの環境変化二つあって、
経済面・・・フリー。情報伝達、処理コストがただのように安くなった
社会面・・・贈与交換。関心(手間)を交換し合うことで繋がることを重視するようになった
経済面は資本主義社会を変化させる。たとえば新聞、TVなどの旧来のマスメディアを解体
させつつあるなど、情報コストのゼロ=フリーは大きなインパクトを与えている。ネット上の
社会面もこのようなフリーの恩恵を受けているだろう。ブロードバンドの発達で長時間、ネッ
トで過ごし社会活動を可能にした
そしてフリーはネット上での社会活動での貨幣活動を制限し、一つの文化としての贈与交換
社会を形成した。貨幣交換は困難であるだけではなく、嫌悪される。一つの思想であるとも
いえる。その源流を探ればハッカー文化、カリフォルニアイデオロギーの宣言まで坂ののぼ
ることができるだろう。
面白いのはネオリベラリズムの信仰者は多くにおいて、このようなネットのフリー思想の支
持者であるということだ。すなわち情報技術革命がフリー経済を発展させて、自由経済を再
生産し、ネット上に新たな贈与交換コミュニティを生み出しているということだ。
なあ、ぴかぁ〜って障害者手当てで暮らしてんだろ?
昨日、やっと気が付いたよ。
思えば、キキキも障害者手当てで暮らしてるし、
ひかるも障害者手当てで暮らしてる。
ぴかぁ〜もそんな甘いチートを使わない筈が無い。
だから、ぴかぁ〜は三十路で無職という
普通なら焦るべきところを障害者手当てと
親からの小遣いで何不自由なく暮らせる訳だな。
やっとぴかぁ〜のその余裕の謎が解けたよ。
普通にバイトとかして働いて稼いでる俺らがアホみたいだもんな〜
まあ、しかし、そうなると
ぴかぁ〜の自民支持の言動も
結局はぴかぁ〜が知的障害手当てをもらいながらと仮定すると、
結局はぴかぁ〜のハッタリも良いところだったんだな〜と思うよ。
純一いいかげんにしないと名誉毀損で訴えられるぞ
最近逮捕者増えてるだろう
結局、ぴかぁ〜は知的障害手当てをもらながら、
福祉重視の方針を打ち出すであろう民主批判という矛盾した
行為をやってしまうという事だな。
これはまた池沼な。
まあ、しかし、良い生き方の抜け道を見つけたな。
そうか、知的障害手当てか、なるほど、
確かに既にキキキやひかるもやっているとなると、
ぴかぁ〜でも申請は通るだろう。
なるほどね、これで永久ニート決定って訳か。
負けたよ、まさかそこまでぴかぁ〜が引き篭もりに賭けるとは
思わなんだ。
国にたかる、という方法か、ぴかぁ〜もなかなかうまいな。
俺はぴかぁ〜が生活保護を申請しても却下されるだろうと
思っていたが、知的障害手当ての申請なら通るだろうな。
なるほどね、ぴかぁ〜なかなかうまいな。
ひとり惨めにおぼれていく純一さん
?
20 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/12(土) 19:36:35 0
百均商品はどこかかけている。最後の一手間が省略されている。そこでコストダウンしてい
るのだ。それはマックでもいえる。セルフサービスである。たとえばネット上のフリーにおいて
もただコピーするだけではなく、多くにおいてセルフサービス面がある。自分で学び作るのだ。
ただコピペする人は嫌われる。自らも努力する姿勢が求められる。これ自給自足である。コ
ストダウン、フリーが自給自足を呼び戻す。国民総創造活動。消費と労働の解体。
21 :
ただコピペする人:2009/12/12(土) 20:31:59 0
30 :第三の波平 ◆JXLBLRMhnY :2009/12/11(金) 04:01:42
ピカーピカーってうるせえな。
おまえらもツギハギでいいから自分の思想をしっかり持つ努力せい。
障害年金って国民年金払ってないと貰えないって知ってた?
たぶん、ぴかぁ〜の親が払ってんじゃないか?
ほしの位置というのは変わることはない。
ほしの位置がかわらないということはエントロピーの増大もない
たださきへさきへ広がるだけだ。
戦国の武田軍や元王朝は敵の領地に攻め込むとき星の位置を気にして
行動していただろうし軍隊の配置もそれにあわせて見ていたと考えられる。
星の位置が変わらないならば地球の自転や公転で位置との対極が決まるのである。
また男女というものも星で決まる。位置というものがある。対極というものがあるのは確かだ。
対極というものはもちろん快不快の原則により人間が都度位置をずらすので
一致は奇跡のように短い時間に起こる従ってよくはみえないがその一致のなかで
奇跡とよばれる必然が起こるものである。
25 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/13(日) 00:30:35 0
>>
「自由論」 新しい権力地図が生まれるとき 酒井隆史 (ISBN:9784791758982)
知的労働あるいは非物質的労働は、労働時間と非労働時間とを明確に区分しない。たとえば
商品の企画、アイディアをひねり出す作業。それは、職場から帰ったあとも、飲みに行こうが風
呂にはいろうが、寝つくまえのベッドだろうが私たちの生活にとりつくだろう。この労働は、それ
が支出する場所も時間も特定することはないのだ。・・・その平面は、一方では、新しい権力テク
ノロジーをむすびつき社会総体を利潤生産の場として形成することで「資本による実質的包摂」
の完成をしるしづけている・・・この平面を利潤形成へと向けて収斂させて解釈するのか、つまり
生活への資本の全般的支配として解釈するのか、それともそこから全面的に逃れるための高
度の可能性として解釈するのか、それが問われている。
知の社会化を表現する言葉が、「大衆知性」である。・・・大衆知性とは、「水平的に社会を横断
して拡がる集団的インテリジェンス、蓄積された知的力」であり、特定の集団にのみ限定される
ものではない。・・・それは多かれ少なかれ現代社会の人間総体を規定している。こういう概念
によって示されているのは、ポストフォーディズムの資本主義における開放的ポテンシャルを明
確に指示するためである。・・・資本は現在こうした実践を自らの価値形成の源泉としてそのまま
組み込んでいる。資本は労働者の協働にとって外部からコマンドを下し、そしてその生産物をわ
がものとする、その意味で、資本はますます「寄生的」性格を剥き出しにしているのだ。P45-48
<<
26 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/13(日) 01:14:34 0
■情報革命は資本の全面支配か、新たな可能性か
1)ネットによる変化の経済面と社会面
ネットの環境変化二つあって、
経済面・・・フリー。情報伝達、処理コストがただのように安くなった
社会面・・・贈与交換。関心(手間)を交換し合うことで繋がることを重視するようになった
経済面は資本主義社会を変化させる。たとえば新聞、TVなどの旧来のマスメディアを解体
させつつあるなど、情報コストのゼロ=フリーは大きなインパクトを与えている。ネット上の社会
面もこのようなフリーの恩恵を受けているだろう。ブロードバンドの発達で長時間、ネットで過ご
し社会活動を可能にした。
そしてフリーはネット上での社会活動での貨幣活動を制限し、一つの文化としての贈与交換
社会を形成した。貨幣交換は困難であるだけではなく、嫌悪される。一つの思想であるとも
いえる。その源流を探ればハッカー文化、カリフォルニアイデオロギーの宣言まで坂ののぼ
ることができるだろう。
27 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/13(日) 01:15:20 0
2)ネオリベラルとウェブの関係
面白いのはネオリベラリズムの信仰者は多くにおいて、このようなネットのフリー思想の支
持者であるということだ。ネオリベラリズムへのシフトとウェブの登場の時期が重なるのは偶然
だろうか。そこには共生関係があるのではないだろうか。ネット上の繋がり重視があって実社会
の経済重視が許され、まだ逆もあるという共生関係。それがゼロ年代だったのではないか。す
なわちネオリベラリズムの他者回避傾向と、ウェブの他者選別の共犯関係。
すなわち情報技術革命がフリー経済を発展させて、自由経済を再生産し、ネット上に新たな贈
与交換コミュニティを生み出しているということだ。
28 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/13(日) 01:16:18 0
3)デジタル・ムラ社会
資本主義以前のムラ社会では、二つの生産様式が経済を支えていた。一つは自給自足であ
る。自ら田畑を持ち農作物を生産する、そして住居から農耕機具まで自作である。しかし当然、
一人では十分ではなくムラ社会を形成し、助け合いの贈与交換が発達した。実際には階級社
会であって、生産物は徴収されて、また公共企業などで再配分される経済もあった。
ネットはムラ社会と言われるときには、同様な特性があるだろう。多くにおいて人々はDIY(自給
自足)で生産している。そして贈与交換で助け合っている。あるいは関心を交換しあっている。
再配分もあるがサービスはほぼただであることで、またサービスを提供者は広告収入という「フ
リー」の原理で再配分を行っている。ここで重要であるのは回収しているのはユーザーのアク
セス(関心)であり、それがフリーによって資金になるのだ。
百均商品はどこかかけている。最後の一手間が省略されている。そこでコストダウンしてい
るのだ。それはマックでもいえる。セルフサービスである。たとえばネット上のフリーにおいて
もただコピーするだけではなく、多くにおいてセルフサービス面がある。自分で学び作るのだ。
ただコピペする人は嫌われる。自らも努力する姿勢が求められる。これ自給自足である。コ
ストダウン、フリーが自給自足を呼び戻す。国民総創造活動。消費と労働の解体。
29 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/13(日) 01:17:09 0
4)社会基盤としての信用の変化 グローバルビレッジ
社会のベースは信用なので信用を確保しなければならない。ムラ社会では信用は近隣の贈与
交換によって支えられていた。貨幣社会では資本をもつことが信用であった。自ら資本をもつ、
あるいは資本をもつ会社に帰属することで社会的な信用をえることができた。ネット社会では関
心を集めること(アクセス数やブクマ数、フォロー数など)が信用を支えている。信用を操作する
Googleは巨大な権力をもち、貨幣社会において資本へ転換している。
しかしネットの関心は貨幣社会だけではなく、通信手段コストが下がったことで、たとえばネット
上で相談すれば誰かがアドバイスをもらえる、あるいはホームページに必要な情報がある。信
用は匿名の不特定多数がネットワーク状にゆるく補完し合うというように、地球規模のムラ社会
(グローバルビレッジ)を可能にしている。これも新たな信頼の形態といえるだろう。
30 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/13(日) 01:18:08 0
5)資本の全面支配か、新たな可能性か
このような変化をどのように捉えるべきだろうか。「生活への資本の全般的支配として解釈する
のか、それともそこから全面的に逃れるための高度の可能性として解釈するのか」
>>
「自由論」 新しい権力地図が生まれるとき 酒井隆史 (ISBN:9784791758982)
知的労働あるいは非物質的労働は、労働時間と非労働時間とを明確に区分しない。たとえば
商品の企画、アイディアをひねり出す作業。それは、職場から帰ったあとも、飲みに行こうが風
呂にはいろうが、寝つくまえのベッドだろうが私たちの生活にとりつくだろう。この労働は、それ
が支出する場所も時間も特定することはないのだ。・・・その平面は、一方では、新しい権力テ
クノロジーをむすびつき社会総体を利潤生産の場として形成することで「資本による実質的包
摂」の完成をしるしづけている・・・この平面を利潤形成へと向けて収斂させて解釈するのか、
つまり生活への資本の全般的支配として解釈するのか、それともそこから全面的に逃れるた
めの高度の可能性として解釈するのか、それが問われている。
知の社会化を表現する言葉が、「大衆知性」である。・・・大衆知性とは、「水平的に社会を横断
して拡がる集団的インテリジェンス、蓄積された知的力」であり、特定の集団にのみ限定される
ものではない。・・・それは多かれ少なかれ現代社会の人間総体を規定している。こういう概念
によって示されているのは、ポストフォーディズムの資本主義における開放的ポテンシャルを明
確に指示するためである。・・・資本は現在こうした実践を自らの価値形成の源泉としてそのまま
組み込んでいる。資本は労働者の協働にとって外部からコマンドを下し、そしてその生産物を
わがものとする、その意味で、資本はますます「寄生的」性格を剥き出しにしているのだ。
P45-48
<<
まあ、この様に、精神障害手当てを申請して、
月にタダで金を貰える様になったぴかぁ〜の様な人間は
もはや、ニュースを見て世界を1個上からの視点で見れる、
というドクサに囲まれ、もはや社会復帰できない程に池沼化していく訳である、と。
32 :
考える名無しさん:2009/12/13(日) 23:18:31 O
平均的日常性における世界の通俗的了解について延々と
語り合うスレです。
提供 ル・サンチマン™
しかし、ぴかぁ〜はチートが得意だが、
精神障害手当てで食っていくとは誰が予想しただろうか!
つーか、事業仕分けで本当に必要な人の為になるのだろうかってな〜
ぴかぁ〜が受給している障害者手当てがそもそも無駄な様に思うがね。
37 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/14(月) 00:07:57 0
>>36 必読でしょう。
ボクはこれは読んでいませんが、元本の『物質文明・経済・資本主義』を
読みました。
おいおい、バレバレな自演は痛いぞ
39 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/14(月) 08:54:33 O
資本の力をもとにして分業体制、さらに機械化により効率化することで商品価格はさがる。
すなわち短い労働で多くの富をえることが可能になった。
さらに労働の三次産業へのシフト。機械化できないサービス業はマニュアル化、労働の流動化により、労働は場所、時間から解放される。
さらに情報化である。情報技術の飛躍的発達でコストがただ近くなった。
機械という資本自体が意味を持たなくなった。フリーが登場する。
しかし、それを実際に行為として、
つまり、ぴかぁ〜の理論が正しければ
ぴかぁ〜は稼ぐ事が可能だが、
現実のぴかぁ〜は障害者手当てというチートで
甘い汁をちょろちょろ吸って福祉という乞食行為に
頼って細々と生きているに過ぎない存在なのに、
まるで上から見たような、つまり認知系から語る訳だ。
そして、その認知系の思考回路はものごとを上から見れる
という誤解を与えるニュースをぴかぁ〜が一日中見ているから
洗脳され、そういう認知系の思考回路にぴかぁ〜自身が作られる訳だ。
しかも、このぴかぁ〜が受けている
障害者手当ては一種の贈与であって、
金をドブに捨てている様なものというよりも、
働けるぴかぁ〜を乞食にとどめておく事しかできないので
本当にドブに捨てている訳だが、
それでもやってくれてる訳だ。
ありがたいじゃないか。
42 :
考える名無しさん:2009/12/14(月) 10:28:13 0
VS
43 :
考える名無しさん:2009/12/14(月) 11:08:40 O
先生方と陛下たちの座談会
全員紳士淑女でパネラーです
おっしゃって下されば私もおっしゃいます
新事実!ぴかぁ〜は痛風だっだ!!
まあ、それはともかく、
最近考えているのは、知的障害者としてのぴかぁ〜だ。
ぴかぁ〜が『田舎者は東京にくれば有名人に会えると思っているが、
一週間もすれば東京も田舎と変わりない事に気付く』というのに
違和感を持ったんですが、
まあ、確かに大体合ってるんですが、
ぴかぁ〜はまるでこう、田舎ってのをファンタジーの世界の様に
考えているんだなぁという感じがしましたね、逆に。
まあ、確かに東京はニュースの影響で
芸能人がいるという感じを与えられていますが、
逆にぴかぁ〜は都会から出ないので、
田舎が田んぼだらけであるとかのファンタジーを
そのまま抱いている、という感じがしますね。
俺純一がぴかぁ〜の住んでる東京を見た感じでは、
まあ、屋内ってのが第一印象ですね。
まあ、地域によって違うんでしょうが、
一応都会という定義上、そういう感じでしょう。
そして、面白いのは都会に行く程、
知的障害者(ぴかぁ〜みたいなの)が増えるって事ですね。
で、我が街でもですね、
東京と何ら変わらない地方都市というのがあるんですな。
そこに行くと、途端にぴかぁ〜みたいなウザい感じの
池沼が増えるんですよね、ラッパーで言ったら環royみたいな池沼が増えます。
で、面白いのは、ぴかぁ〜みたいな
知的障害者は知的障害者であるという自分を自覚していない。
むしろ、知的な都会人という自己イメージを
第三者から見たイメージとは全く違うのに持っています。
ここがまず面白い。
ぴかぁ〜、藤田直哉、環roy辺りは、皆、
醜い容姿をしています。
弛んだ腹、他者経験の乏しい挙動不審な表情、
他人の親切を仇で返すもそれを自分が頭から良いからと
思い込む器の小ささ、等は共通ですね。
田舎ではホームレスは見ないが、
新宿駅の下では、都庁がある一方、
ホームレスは溢れている。
が、一方、俺純一が住んでいる様な
地方となると、ホームレスは殆ど見かけない。
これは面白い逆説を生み出す。
つまり、自然が多い筈の地方では逆に自然に近いと思われがちな
ホームレスは逆に生きられない、という事実だ。
これは逆に都会の方が知的障害者が多い、という事実と符合する。
都会は基本的に家の中、という空間を
拡大したのと同じ環境としてある。
だから、その中にいると、
基本的に学校やら駅やらデパートやらモールやらの
公共施設の中で暮らしていると変わりないと言える。
ぴかぁ〜、藤田直哉、環roy等を観察してみると、
こういう人種がいかにその環境に適応して
どんな変態をしていくのかが分かります。
例えば、ゴキブリは
逆に自然の中では生きられない。
人の住環境(=都会)に依存しているので、
都会(人間の家)を離れて自然(地方)の中では生きられない。
自然(地方)の中で生きるゴキブリはまだ
捕食能力があると考えられるが、
ぴかぁ〜や藤田や環royレベルの
もはや人間の食べかすを漁る能力しかなくなった
ゴキブリというのは進化としては面白い方向であると言えます。
例えば、都会人としてのぴかぁ〜ってのは、
人間の食べかす以外は口に出来ず、
自然の虫を捕らえる等の行為を嫌うゴキブリみたいなものです。
虫なんて低俗なものは口にできない、
わしは人間と同じ高等なものだけ食うんや!
と叫ぶゴキブリがぴかぁ〜みたいなものです。
さて、問題は
このぴかぁ〜の様に、
『夜中にコソコソ人間の食べカスを漁るゴキブリが
自分自身を高等な人間と同列だと謳う事の醜悪さ』
であります。
都会への適応ってのは、人間の住環境への
適応と同じで、例えばの話、
足が痙攣した状態の捕食能力が衰えたゴキブリでも
それほど食べかすという捕食対象を得るには
困らない、という事を意味する。
まあ、つまり、生体としては弱った
生物に成り下がっているんですな。
それがぴかぁ〜、藤田、環roy辺りでは
弛んだ腹、という生体の弱りというか退化として現れる。
60 :
考える名無しさん:2009/12/14(月) 16:37:18 0
ぴかぁ〜はツイッターに心酔してますよ
ぴかゴキブリ『虫なんて低俗なものは口にできない、
わしは人間と同じ高等なものだけ食うんや!』
というゴキブリは、足を痙攣させながら、
捕食能力が生きている自然(田舎)のゴキブリを野蛮や!と笑う訳ですが、
これは何かおかしい図である、というのが分かります。
つまり、笑われるのは↑の図ではなく、
むしろ、足を痙攣させつつ、己の捕食能力の衰えをそのまま
弱点として捉える事が出来ず、それを人間と同じ食べ物を
食っている、というルサンチマンで埋めるという醜い生き方をしている
ぴかぁ〜という自称都会人の行き方の醜さを笑われる、というのが
現実でしょう。ぴかぁ〜はこれを頭の中で逆転させる。
語彙が…
また、ぴかぁ〜の場合、
ネットの掲示板に書き込む事によって、
ぴかぁ〜が知的障害者である特徴の
しぐさとか急に奇声を発したりする行動が
文字だけを書くネットでは見えなくなってしまう。
要するに、フィルタリングされるんだろうね。
しかし、ぴかぁ〜の知的障害者っぽさは
打ち間違いの多さや思考の池沼っぽさから推測は出来る訳だ。
まあ、ネットでは文字だけだから、
ぴかぁ〜を現実で見た時の挙動不審さとか
ぴかぁ〜の異様に高い声とか異様な早口とか
たまに上げる高音の奇声などは全部フィルタリングされて
見えなくなる訳だ。
これによって、ぴかぁ〜は現実では池沼扱いなのに、
ネットでは、まるでまともに喋っているかの様に見えてしまう。
ここが問題だ。
66 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/16(水) 00:16:49 0
■セルフサービス社会
労働は第一次、第二次、第三次産業と遷移してきた。農業人口が減ったからといって生産量
が減ったわけではない。品種改良、肥料、機械などにより効率が向上したのだ。第二次産業も
同様である。だから現代の問題はサービス業の効率化である。しかしサービス業は勝手が違
う。なぜなら対象が人だからだ。
自動販売機など機械化が進むが、サービスという人相手には限界がある。それよりも進む
のがサービスのマニュアル化である。マニュアル化によって効率化を図り、また誰でもできる仕
事にすることでバイト、パートなど安い労働力を使う。さらに進んだのがセルフサービスである。
農作物も工業製品も家畜も機械化に対応する。人は機械化を嫌うがまた自らサービスを生産
する能力をもつ。価格を下げるかわりに自分でできることは任せることで、サービス業の効率を
上げる。セルフサービスというとマックなどを想像するが、第三次産業が発達して現代では深く
広く広がっている。
たとえばオタクなどの二次創作物は広義のセルフサービスといえるだろう。すなわち広義のセ
ルフサービスとは生産と消費の境界を解体する。プロが生産した作品で完結せず、二次創作と
して自ら補完する、さらには拡張していく。さらに情報化社会はセルフサービス社会と言えるだろう。
ネットでは生産と消費という境界がなくなっている。そして対価なく生産され、ただで消費する。
かといってネットにおいてもただ乗りは歓迎されない。もしかするとお金を払えば容易に手には
いるかもしれないが、自分でググり、情報をえて、それによってセルフサービスすることが求め
られる。
ネットは単に助け合うだけの社会ではなく、それぞれが自律的に生産に参加することを求めら
れる。だから生産した人は神として敬意がもたれるのだ。そしてまさに第三次産業の効率化と
はこのような自給自足的な非貨幣経済へ向かうといえる。
67 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/16(水) 00:48:58 0
セフルサービスの労力はGDPには現れない。間接的には生産性を上げているだろうが、そのも
のは対価を生まないからだ。このような非貨幣経済は一般に産業を計る尺度からは抜けてい
く。しかし非貨幣経済は人々の暮らしを確実に豊かにしているのだ。
職業は?ブロガーです。お金は稼いでいないけど人々の生産性に間接的に関与していま
す・・・というのは正しいだろうか。
たとえばあなたが陶芸が趣味で自分がつくったものを人々に贈ろうと思う。自らの労働は良い
としても、材料費、場所使用量、梱包、運送費などかかってしまうので、贈るだけで赤字であ
る。しかしネットから道具を落としてソフトを作り贈る場合には経費はほぼゼロである・・・ということ。
いまやエコノミーのトレンドは非貨幣経済である。楽観派は「富の未来」トフラー、「フリー」アン
ダーソンなど新たな経済であり、悲観派はネグリなど資本主義の完成系とみる。
セルフサービス社会には二面性がある。楽観的には生産手段、消費の解放・民主化、悲観的
にはサービス産業の効率化に組み込まれている・・・どっちが正しいのか。どっちも正しいのか。
まあ、今までのレベルから考えると
多分にマシな方だろう。
ただ、ぴかぁ〜はアホなので、
次の点が見えていない。
ネットというのは、仕事としてやってる人もいれば(it業)、
趣味でネットを余暇に使っている人もいる。
趣味でやってる事は、金が入らなくてもやる訳だ。
ぴかぁ〜はこれをセルフサービスとか非貨幣労働と
勘違いするが、普通、趣味は非貨幣労働というか、
金の為にやるのではない。
趣味でやるものは当然対価を求めないので、
オタクの二次創価等は当然、非貨幣経済ではなく、
趣味だから対価を求めない。
当たり前だろうがね。
車が趣味の人は別に売る為にでなくても、
車を改造し、いじるが別にこれは非貨幣経済ではなく、
趣味であるのだからそうなるに過ぎず、
ぴかぁ〜は知的障害者なので、
趣味をセルフサービスと勘違いして、
勝手に自分のオタク趣味を新時代の概念として提出するので
タチが悪いと言えよう。
72 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/16(水) 20:16:53 0
■DIY(Do it youself)とはなにか
第三次産業のセフルサービス
労働は第一次、第二次、第三次産業と遷移してきた。農業人口が減ったからといって生産量
が減ったわけではない。品種改良、肥料、機械などにより効率が向上したのだ。第二次産業も
同様である。だから現代の問題はサービス業の効率化である。しかしサービス業は勝手が違
う。なぜなら対象が人だからだ。
自動販売機など機械化が進むが、サービスという人相手には限界がある。それよりも進む
のがサービスのマニュアル化である。マニュアル化によって効率化を図り、また誰でもできる仕
事にすることでバイト、パートなど安い労働力を使う。さらに進んだのがセルフサービスである。
農作物も工業製品も家畜も機械化に対応する。人は機械化を嫌うがまた自らサービスを生産
する能力をもつ。価格を下げるかわりに自分でできることは任せることで、サービス業の効率を
上げる。セルフサービスというとマックなどを想像するが、第三次産業が発達して現代では深く
広く広がっている。
73 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/16(水) 20:17:43 0
ネットのDIY(Do it youself)
たとえばオタクなどの二次創作物は広義のセルフサービスといえるだろう。すなわち広義のセ
ルフサービスとは生産と消費の境界を解体する。プロが生産した作品で完結せず、二次創作と
して自ら補完する、さらには拡張していく。さらに情報化社会はセルフサービス社会と言えるだろう。
ネットでは生産と消費という境界がなくなっている。そして対価なく生産され、ただで消費する。
かといってネットにおいてもただ乗りは歓迎されない。もしかするとお金を払えば容易に手には
いるかもしれないが、自分でググり、情報をえて、それによってセルフサービスすることが求め
られる。
ネットは単に助け合うだけの社会ではなく、それぞれが自律的に生産に参加することを求めら
れる。だから生産した人は神として敬意がもたれるのだ。そしてまさに第三次産業の効率化と
はこのような自給自足的な非貨幣経済へ向かうといえる。
74 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/16(水) 20:18:33 0
貨幣経済とDIY(Do it youself)
たとえばあなたが陶芸が趣味で自分がつくったものを人々に贈ろうと思う。自らの労働は良い
としても、材料費、場所使用量、梱包、運送費などかかってしまうので、贈るだけで赤字であ
る。しかしネットから道具を落としてソフトを作り贈る場合には経費はほぼゼロである・・・ということ。
職業は?ブロガーです。お金は稼いでいないけど人々の生産性に間接的に関与していま
す・・・というのは正しいだろうか。 セフルサービスの労力はGDPには現れない。間接的には生
産性を上げているだろうが、そのものは対価を生まないからだ。このような非貨幣経済は一般
に産業を計る尺度からは抜けていく。しかし非貨幣経済は人々の暮らしを確実に豊かにしているのだ。
第一次、第二次産業の機械化による効率化の先の第三次産業の効率化は機械化ではなく、
セルフサービスからDIYへと迎う。非貨幣経済が重要になる。
75 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/16(水) 20:19:55 0
自給自足とDIY(Do it youself)
農耕は自給自足を基礎としていたが、工業化により分業となり自給自足は貨幣交換へ移る。そ
れでも家事など多くのことは自らの労力で行ってきた。労働が第三次、サービス業により深く貨
幣交換へシフトした。
主婦が食事を作る自給自足から食堂、レストランでの貨幣交換へ。さらに機械化とサービス業
の発達でファーストフード、ファミレス、コンビニなどにより安価で多様な食事の提供で貨幣依
存を深める。そこでDIYが回帰する。自給自足が減少しつつ、DIYが回帰するパラドクス。
この違いはなにかといえばかつての自給自足は家族、地域の助け合いの中にあった。最近の
DIYは貨幣と個人に関係する。金があればサービスを受けられるがやすくあげるためにセルフ
サービスする。
最近のDIYは貨幣を越えて好きだからやることに向いている。それにしても自分の趣向が重視
される。同じように自給自足でも貨幣により整流されることで大きくかわっているのだ。ではネッ
ト上のDIYはどうか?
76 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/16(水) 20:20:42 0
DIY(Do it youself)という思想
情報機器は不親切である。家電製品がワンタッチ操作に比べるとパソコンの操作はなんと難し
いか。多機能、インテリジェンスからいえば当然ともいえるが、それだけではなく、パソコンには
セルフサービスが暗黙の了解としてある。
情報機器はセルフサービスである以上に、セルフサービスを楽しむことが目的であり、またそ
れは使いこなすをこえて自ら使い方を拡張、創造することを含む。属に言うDIY(ドウイットユアセルフ)
が前提とされている。
だからネットは不完全で不便である。大量の情報から必要ないものを捜し出す。他者から聞き
出すなどには技術と慣れと必要である。多くの人はむしろこの不便利さが楽しいのだろうが、そ
うでなければ不完全なサービスである。
ケータイと比べてiPhoneの魅力はまさにセルフサービスですね。iPhoneのセルフサービスの魅
力はそれがDIYにつながり、創造へつながることにある。しかしケータイの便利さから言えば難
しい、不便、趣味の世界である。
iPhoneの魅力はDIYにあるが、さらにはそれは趣味である以上に思想である。ハッカー文化か
らカリフォルニアイデオロギーというサイバーリベラルというべき知の解放思想がある。ケータイ
は道具であるがiPhoneは武器なのである。
趣味だっての、
ボケが
ん?
純一さんのスレ?
79 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/18(金) 00:26:43 0
サービス − セルフサービス − DIY(ドゥイットユアセルフ)
セルフサービス…自らのサービスの一部を行うことで商品価格を下げる。受け身だけでなく、他
者回避の快適、速度アップなどからより自主的に求められている面あり。ファーストフード、コン
ビニなど。あるいは手間そのものを楽しむ。
DIY(ドゥイットユアセルフ)…サービスをこえてより積極的に生産部分に関わる。生活の補助以上にプ
チクリと言える。たとえばバソコン、ネットは商品に前提とされている。さらに生活を犠牲にして
まで行われる。
セルフサービスとDIYを連続性で繋ぐのは、DIYが自給自足の生活の糧でもまた単なる趣味で
はなく、非貨幣経済でありつつ貨幣経済と密接に結びついた生産活動の一部を担っているた
めである。たとえばそれはポストフォーディズムと呼ばれたりする。
「美しすぎる〜」流行りであるが、訳さないと「〜にといういままでのイメージからすると美しすぎ
るだろう」ということだろう。そういうひとは昔からいただろう。なにが受けているのか?すなわち
商品でない美人探しのセルフサービス、DIY。「ネット界隈学園のボクたちのマドンナ」ってことでは?
80 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/18(金) 00:27:56 0
社会とはなにか。国民、市民社会、想像の共同体などと呼ばれる。一面では国家権力のカウン
ターでありつつ、また国家そのものでもある不思議な二面性。それが単に共同体ではなく法的
(主権)にまた経済的に管理されることで現れる対象ぶつであることは確かである。ではネット
上の社会とはなにか?
本屋にいくとネット関連本がどこにおいてあるか。1つは理系の情報技術のコーナー、二つ目
は文系の社会学の横、そして三つ目は経済のマーケティングのコーナー。ネットは自由のイ
メージだかマーケティングような管理技術としてすぐれている。
趣味だっての、
ボケが
趣味だっての、
ボケが
趣味だっての、
ボケが
84 :
考える名無しさん:2009/12/18(金) 01:20:10 O
そういや今日、タバコ屋で美人すぎる女性客見たな。
しかもキモって目で見られたよorz
文句あるなら親にいえっての!
85 :
考える名無しさん:2009/12/18(金) 01:22:07 O
どっちが場違いなんだか。
信じらんねえな。死ねよ。
86 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/18(金) 09:09:55 0
ネット上で起こっていることを、ポストフォーディズムの文脈や、市民社会の文脈では語りきれ
ないのはなぜか。なにかはみ出していくか。それは本質的な問題か。抹消の問題か?
ポストフォーディズムの文脈とは、生産物が知的価値になり、労働と生産の境界が解体する。
企業は正社員のような労働者の時間的な拘束を緩め、結果を求める。労働者は生活をかけて
自主学習する。雇用は流動かする。
この先にDIYがある。固定された労働条件から解放された労働者は自由に労働を選べる。それ
は趣味のようなものでもよい。それは将来の労働学習でないとはいえない。
この先にDIYがある。固定された労働条件から解放された労働者は自由に労働を選べる。それ
は趣味のようなものでもよい。それは将来の労働学習でないとはいえない。ここには労働の解
放と、企業の都合のよい労働形態の獲得がある。たとえばフリーターは自由か利用されているのか
ネットの特徴はポストフォーディズム的に解放されDIYの世界以上に生産手段そのものが解放
される。情報処理速度の画期的な向上により、生産流通販売がほぼゼロになり徹底的に生産
と消費が解体される。従来の企業のアドバンテージはなくなる、あるいはマイナスになる。現に
新たにベンチャーに溢れる。
しかしこれらはポストフォーディズムの文脈と離れていない。貨幣価値求めた営利目的である。
グーグルも広告業者である。
セルフサービスじゃなくて、趣味な
馬鹿だからわかんないと思うけど
88 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/18(金) 21:16:04 0
■ポストフォーディズムとネット
1)セルフサービスとDIY(Doityouself)
第三次産業のセフルサービス
労働は第一次、第二次、第三次産業と遷移してきた。農業人口が減ったからといって生産量
が減ったわけではない。品種改良、肥料、機械などにより効率が向上したのだ。第二次産業も
同様である。だから現代の問題はサービス業の効率化である。しかしサービス業は勝手が違
う。なぜなら対象が人だからだ。
自動販売機など機械化が進むが、サービスという人相手には限界がある。それよりも進む
のがサービスのマニュアル化である。マニュアル化によって効率化を図り、また誰でもできる仕
事にすることでバイト、パートなど安い労働力を使う。さらに進んだのがセルフサービスである。
農作物も工業製品も家畜も機械化に対応する。人は機械化を嫌うがまた自らサービスを生産
する能力をもつ。価格を下げるかわりに自分でできることは任せることで、サービス業の効率を
上げる。セルフサービスというとマックなどを想像するが、第三次産業が発達して現代では深く
広く広がっている。
O
o と
。 ,. -ー冖'⌒'ー-、 思
,ノ \ う
/ ,r‐へへく⌒'¬、 ヽ キ
{ノ へ.._、 ,,/~` 〉 } ,r=-、 モ
/プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く /,ミ=/ オ
ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐' リ,イ} 〃 / タ
/ _勺 イ;;∵r;==、、∴'∵; シ 〃 / で
,/ └' ノ \ こ¨` ノ{ー--、〃__/ あ
人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\ っ
. / |/ |::::::|、 〃 /:::::/ ヽ た
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90 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/18(金) 21:16:52 0
ネットのDIY(Doityouself)
たとえばオタクなどの二次創作物は広義のセルフサービスといえるだろう。すなわち広義のセ
ルフサービスとは生産と消費の境界を解体する。プロが生産した作品で完結せず、二次創作と
して自ら補完する、さらには拡張していく。さらに情報化社会はセルフサービス社会と言えるだろう。
ネットでは生産と消費という境界がなくなっている。そして対価なく生産され、ただで消費する。
かといってネットにおいてもただ乗りは歓迎されない。もしかするとお金を払えば容易に手には
いるかもしれないが、自分でググり、情報をえて、それによってセルフサービスすることが求め
られる。
ネットは単に助け合うだけの社会ではなく、それぞれが自律的に生産に参加することを求めら
れる。だから生産した人は神として敬意がもたれるのだ。そしてまさに第三次産業の効率化と
はこのような自給自足的な非貨幣経済へ向かうといえる。
91 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/18(金) 21:17:39 0
貨幣経済とDIY(Doityouself)
たとえばあなたが陶芸が趣味で自分がつくったものを人々に贈ろうと思う。自らの労働は良い
としても、材料費、場所使用量、梱包、運送費などかかってしまうので、贈るだけで赤字であ
る。しかしネットから道具を落としてソフトを作り贈る場合には経費はほぼゼロである・・・ということ。
職業は?ブロガーです。お金は稼いでいないけど人々の生産性に間接的に関与していま
す・・・というのは正しいだろうか。セフルサービスの労力はGDPには現れない。間接的には生
産性を上げているだろうが、そのものは対価を生まないからだ。このような非貨幣経済は一般
に産業を計る尺度からは抜けていく。しかし非貨幣経済は人々の暮らしを確実に豊かにしているのだ。
第一次、第二次産業の機械化による効率化の先の第三次産業の効率化は機械化ではなく、
セルフサービスからDIYへと迎う。非貨幣経済が重要になる。
92 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/18(金) 21:18:26 0
2)自給自足とDIY(Doityouself)
自給自足とDIY(Doityouself)
農耕は自給自足を基礎としていたが、工業化により分業となり自給自足は貨幣交換へ移る。そ
れでも家事など多くのことは自らの労力で行ってきた。労働が第三次、サービス業により深く貨
幣交換へシフトした。
主婦が食事を作る自給自足から食堂、レストランでの貨幣交換へ。さらに機械化とサービス業
の発達でファーストフード、ファミレス、コンビニなどにより安価で多様な食事の提供で貨幣依
存を深める。そこでDIYが回帰する。自給自足が減少しつつ、DIYが回帰するパラドクス。
この違いはなにかといえばかつての自給自足は家族、地域の助け合いの中にあった。最近の
DIYは貨幣と個人に関係する。金があればサービスを受けられるがやすくあげるためにセルフ
サービスする。
最近のDIYは貨幣を越えて好きだからやることに向いている。それにしても自分の趣向が重視
される。同じように自給自足でも貨幣により整流されることで大きくかわっているのだ。ではネッ
ト上のDIYはどうか?
93 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/18(金) 21:19:12 0
DIY(Doityouself)という思想
情報機器は不親切である。家電製品がワンタッチ操作に比べるとパソコンの操作はなんと難し
いか。多機能、インテリジェンスからいえば当然ともいえるが、それだけではなく、パソコンには
セルフサービスが暗黙の了解としてある。
情報機器はセルフサービスである以上に、セルフサービスを楽しむことが目的であり、またそ
れは使いこなすをこえて自ら使い方を拡張、創造することを含む。属に言うDIY(ドウイットユアセルフ)
が前提とされている。
だからネットは不完全で不便である。大量の情報から必要ないものを捜し出す。他者から聞き
出すなどには技術と慣れと必要である。多くの人はむしろこの不便利さが楽しいのだろうが、そ
うでなければ不完全なサービスである。
ケータイと比べてiPhoneの魅力はまさにセルフサービスですね。iPhoneのセルフサービスの魅
力はそれがDIYにつながり、創造へつながることにある。しかしケータイの便利さから言えば難
しい、不便、趣味の世界である。
iPhoneの魅力はDIYにあるが、さらにはそれは趣味である以上に思想である。ハッカー文化か
らカリフォルニアイデオロギーというサイバーリベラルというべき知の解放思想がある。ケータイ
は道具であるがiPhoneは武器なのである。
94 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/18(金) 21:19:58 0
3)ポストフォーディズムとしてのネット
セルフサービスとDIY(ドゥイットユアセルフ)の連続性
セルフサービス…自らのサービスの一部を行うことで商品価格を下げる。受け身だけでなく、他
者回避の快適、速度アップなどからより自主的に求められている面あり。ファーストフード、コン
ビニなど。あるいは手間そのものを楽しむ。
DIY(ドゥイットユアセルフ)…サービスをこえてより積極的に生産部分に関わる。生活の補助以上にプ
チクリと言える。たとえばバソコン、ネットは商品に前提とされている。さらに生活を犠牲にして
まで行われる。
セルフサービスとDIYを連続性で繋ぐのは、DIYが自給自足の生活の糧でもまた単なる趣味で
はなく、非貨幣経済でありつつ貨幣経済と密接に結びついた生産活動の一部を担っているた
めである。たとえばそれはポストフォーディズムと呼ばれたりする。
「美しすぎる〜」流行りであるが、訳さないと「〜にといういままでのイメージからすると美しすぎ
るだろう」ということだろう。そういうひとは昔からいただろう。なにが受けているのか?すなわち
商品でない美人探しのセルフサービス、DIY。「ネット界隈学園のボクたちのマドンナ」ってことでは?
95 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/18(金) 21:21:03 0
ポストフォーディズムの文脈
ネット上で起こっていることを、ポストフォーディズムの文脈や、市民社会の文脈では語りきれ
ないのはなぜか。なにかはみ出していくか。それは本質的な問題か。抹消の問題か?
ポストフォーディズムの文脈とは、生産物が知的価値になり、労働と生産の境界が解体する。
企業は正社員のような労働者の時間的な拘束を緩め、結果を求める。労働者は生活をかけて
自主学習する。雇用は流動かする。この先にDIYがある。固定された労働条件から解放された
労働者は自由に労働を選べる。それは趣味のようなものでもよい。それは将来の労働学習で
ないとはいえない。
この先にDIYがある。固定された労働条件から解放された労働者は自由に労働を選べる。それ
は趣味のようなものでもよい。それは将来の労働学習でないとはいえない。ここには労働の解
放と、企業の都合のよい労働形態の獲得がある。たとえばフリーターは自由か利用されているのか。
O
o と
。 ,. -ー冖'⌒'ー-、 思
,ノ \ う
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{ノ へ.._、 ,,/~` 〉 } ,r=-、 か
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97 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/18(金) 21:21:51 0
ネットとポストフォーディズム
ネットの特徴はポストフォーディズム的に解放されDIYの世界以上に生産手段そのものが解放
される。情報処理速度の画期的な向上により、生産流通販売がほぼゼロになり徹底的に生産
と消費が解体される。従来の企業のアドバンテージはなくなる、あるいはマイナスになる。現に
新たにベンチャーに溢れる。
しかしこれらはポストフォーディズムの文脈と離れていない。貨幣価値求めた営利目的である。
グーグルも広告業者である。その意味ではニコニコは当然、そして2ちゃんねるでさえ営利を抜
きに運営されているわけではない。またオープンソースもポストフォーディズムの文脈では非営
利とはいえない。ネット上ではフリーはりっぱなマーケティング戦略である。より徹底しているの
はWikipediaなどのように寄付による運営することで非営利な活動による公平性が存在意義に
根ざす限られた場合だけかもしれない。
ハッカーたちは決して金儲けのために働いているわけではないが、金儲けを否定しているわけ
ではない。現に多くの金銭的成功者が生まれ、讃えられている。彼らが求めるのは営利活動に
しても広い(消極的な)自由、リバタリアニズムである。
ネットを楽しむ個人でさえポストフォーディズムの文脈では貨幣経済と切り離せない。オタクの
二次創作はオタク関連経済を活性化している。単に消費者ではなく生産消費者(プロシュー
マー)として。彼らは単に繋がりたいからだけで集うと言うのではなく、生産活動に従事したいのだ。
その意味でセルフサービスの快楽とはなにかに戻る。Web2.0でさえその延長線上にあるだろう。
O
o と
。 ,. -ー冖'⌒'ー-、 思
,ノ \ う
/ ,r‐へへく⌒'¬、 ヽ 馬
{ノ へ.._、 ,,/~` 〉 } ,r=-、 鹿
/プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く /,ミ=/ ぴ
ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐' リ,イ} 〃 / か
/ _勺 イ;;∵r;==、、∴'∵; シ 〃 / ぁ
,/ └' ノ \ こ¨` ノ{ー--、〃__/ で
人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\ あ
. / |/ |::::::|、 〃 /:::::/ ヽ る
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99 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/19(土) 00:00:47 0
■ポストフォーディズムとしてのネット
@第三次産業の効率化 セフルサービス
労働は第一次、第二次、第三次産業と遷移してきた。農業人口が減ったからといって生産量
が減ったわけではない。品種改良、肥料、機械などにより効率が向上したのだ。第二次産業も
同様である。だから現代の問題はサービス業の効率化である。しかしサービス業は勝手が違
う。なぜなら対象が人だからだ。
自動販売機など機械化が進むが、サービスという人相手には限界がある。それよりも進む
のがサービスのマニュアル化である。マニュアル化によって効率化を図り、また誰でもできる仕
事にすることでバイト、パートなど安い労働力を使う。さらに進んだのがセルフサービスである。
農作物も工業製品も家畜も機械化に対応する。人は機械化を嫌うがまた自らサービスを生産
する能力をもつ。価格を下げるかわりに自分でできることは任せることで、サービス業の効率を
上げる。セルフサービスというとマックなどを想像するが、第三次産業が発達して現代では深く
広く広がっている。
100 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/19(土) 00:01:33 0
A自給自足とDIY(Doityouself)
農耕は自給自足を基礎としていたが、工業化により分業となり自給自足は貨幣交換へ移る。そ
れでも家事など多くのことは自らの労力で行ってきた。労働が第三次、サービス業により深く貨
幣交換へシフトした。
主婦が食事を作る自給自足から食堂、レストランでの貨幣交換へ。さらに機械化とサービス業
の発達でファーストフード、ファミレス、コンビニなどにより安価で多様な食事の提供で貨幣依
存を深める。そこでDIYが回帰する。自給自足が減少しつつ、DIYが回帰するパラドクス。
この違いはなにかといえばかつての自給自足は家族、地域の助け合いの中にあった。最近の
DIYは貨幣と個人に関係する。金があればサービスを受けられるがやすくあげるためにセルフ
サービスする。
最近のDIYは貨幣を越えて好きだからやることに向いている。それにしても自分の趣向が重視
される。同じように自給自足でも貨幣により整流されることで大きくかわっているのだ。ではネッ
ト上のDIYはどうか?
101 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/19(土) 00:02:19 0
BネットのDIY(Doityouself)
たとえばオタクなどの二次創作物は広義のセルフサービスといえるだろう。すなわち広義のセ
ルフサービスとは生産と消費の境界を解体する。プロが生産した作品で完結せず、二次創作と
して自ら補完する、さらには拡張していく。さらに情報化社会はセルフサービス社会と言えるだろう。
ネットでは生産と消費という境界がなくなっている。そして対価なく生産され、ただで消費する。
かといってネットにおいてもただ乗りは歓迎されない。もしかするとお金を払えば容易に手には
いるかもしれないが、自分でググり、情報をえて、それによってセルフサービスすることが求め
られる。
ネットは単に助け合うだけの社会ではなく、それぞれが自律的に生産に参加することを求めら
れる。だから生産した人は神として敬意がもたれるのだ。そしてまさに第三次産業の効率化と
はこのような自給自足的な非貨幣経済へ向かうといえる。
102 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/19(土) 00:03:25 0
C思想としてのDIY(Doityouself)
情報機器は不親切である。家電製品がワンタッチ操作に比べるとパソコンの操作はなんと難し
いか。多機能、インテリジェンスからいえば当然ともいえるが、それだけではなく、パソコンには
セルフサービスが暗黙の了解としてある。
情報機器はセルフサービスである以上に、セルフサービスを楽しむことが目的であり、またそ
れは使いこなすをこえて自ら使い方を拡張、創造することを含む。属に言うDIY(ドウイットユアセルフ)
が前提とされている。
だからネットは不完全で不便である。大量の情報から必要ないものを捜し出す。他者から聞き
出すなどには技術と慣れと必要である。多くの人はむしろこの不便利さが楽しいのだろうが、そ
うでなければ不完全なサービスである。
ケータイと比べてiPhoneの魅力はまさにセルフサービスですね。iPhoneのセルフサービスの魅
力はそれがDIYにつながり、創造へつながることにある。しかしケータイの便利さから言えば難
しい、不便、趣味の世界である。
iPhoneの魅力はDIYにあるが、さらにはそれは趣味である以上に思想である。ハッカー文化か
らカリフォルニアイデオロギーというサイバーリベラルというべき知の解放思想がある。ケータイ
は道具であるがiPhoneは武器なのである。
103 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/19(土) 00:04:15 0
DセルフサービスとDIY(ドゥイットユアセルフ)の連続性
セルフサービス…自らのサービスの一部を行うことで商品価格を下げる。受け身だけでなく、他
者回避の快適、速度アップなどからより自主的に求められている面あり。ファーストフード、コン
ビニなど。あるいは手間そのものを楽しむ。
DIY(ドゥイットユアセルフ)…サービスをこえてより積極的に生産部分に関わる。生活の補助以上にプ
チクリと言える。たとえばバソコン、ネットは商品に前提とされている。さらに生活を犠牲にして
まで行われる。
セルフサービスとDIYを連続性で繋ぐのは、DIYが自給自足の生活の糧でもまた単なる趣味で
はなく、非貨幣経済でありつつ貨幣経済と密接に結びついた生産活動の一部を担っているた
めである。たとえばそれはポストフォーディズムと呼ばれたりする。
「美しすぎる〜」流行りであるが、訳さないと「〜にといういままでのイメージからすると美しすぎ
るだろう」ということだろう。そういうひとは昔からいただろう。なにが受けているのか?すなわち
商品でない美人探しのセルフサービス、DIY。「ネット界隈学園のボクたちのマドンナ」
104 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/19(土) 00:05:10 0
Eポストフォーディズムの文脈
ネット上で起こっていることを、ポストフォーディズムの文脈や、市民社会の文脈では語りきれ
ないのはなぜか。なにかはみ出していくか。それは本質的な問題か。抹消の問題か?
ポストフォーディズムの文脈とは、生産物が知的価値になり、労働と生産の境界が解体する。
企業は正社員のような労働者の時間的な拘束を緩め、結果を求める。労働者は生活をかけて
自主学習する。雇用は流動かする。この先にDIYがある。固定された労働条件から解放された
労働者は自由に労働を選べる。それは趣味のようなものでもよい。それは将来の労働学習で
ないとはいえない。
この先にDIYがある。固定された労働条件から解放された労働者は自由に労働を選べる。それ
は趣味のようなものでもよい。それは将来の労働学習でないとはいえない。ここには労働の解
放と、企業の都合のよい労働形態の獲得がある。たとえばフリーターは自由か利用されているのか。
105 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/19(土) 00:05:58 0
Fネットとポストフォーディズム
ネットの特徴はポストフォーディズム的に解放されDIYの世界以上に生産手段そのものが解放
される。情報処理速度の画期的な向上により、生産流通販売がほぼゼロになり徹底的に生産
と消費が解体される。従来の企業のアドバンテージはなくなる、あるいはマイナスになる。現に
新たにベンチャーに溢れる。
しかしこれらはポストフォーディズムの文脈と離れていない。貨幣価値求めた営利目的である。
グーグルも広告業者である。その意味ではニコニコは当然、そして2ちゃんねるでさえ営利を抜
きに運営されているわけではない。またオープンソースもポストフォーディズムの文脈では非営
利とはいえない。ネット上ではフリーはりっぱなマーケティング戦略である。より徹底しているの
はWikipediaなどのように寄付による運営することで非営利な活動による公平性が存在意義に
根ざす限られた場合だけかもしれない。
ハッカーたちは決して金儲けのために働いているわけではないが、金儲けを否定しているわけ
ではない。現に多くの金銭的成功者が生まれ、讃えられている。彼らが求めるのは営利活動に
しても広い(消極的な)自由、リバタリアニズムである。
ネットを楽しむ個人でさえポストフォーディズムの文脈では貨幣経済と切り離せない。オタクの
二次創作はオタク関連経済を活性化している。単に消費者ではなく生産消費者(プロシュー
マー)として。彼らは単に繋がりたいからだけで集うと言うのではなく、生産活動に従事したいのだ。
どうしてネタだって言えないの?
O
o と
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{ノ へ.._、 ,,/~` 〉 } ,r=-、 鹿
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ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐' リ,イ} 〃 / か
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人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\ あ
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108 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/19(土) 13:47:37 0
■ネットコミュニティは感情労働のセルフサービス化
>>
「帝国」 ネグリ=ハート P378
つまるところ私たちは、情報経済の頂点にあるサーヴィス部門を動かしている非物質的な労働
の三つのタイプを区別することができる。第一のタイプは、工業生産に含まれたものである。工
業生産は、その生産過程そのものを変容させるような仕方で情報化されており、コミュニケー
ション・テクノロジーを組み込むようになっている。製造はサーヴィスとみなされ、耐久消費財を
生産する物質的労働も非物質的労働へと向かい、それを混合されている。第二のタイプは、分
析的でシンボルを扱う作業という非物質的労働であり、それ自体が一方では創造的で知的な
操作に、他方ではシンボルを扱ってはいるがルーティンの作業に分裂していくものである。最後
に、非物質労働の第三のタイプは情動の生産と操作を含むもので、(仮想的または現実的な)
人間的接触、身体的様式における労働を要求するものである。これらがグローバル経済のポ
ストモダンかを推し進めている、三つのタイプの労働である。
情動にかかわる労働が生み出すものは社会的ネットワークであり、コミュニティの諸形態であ
り、生権力なのである。ここでもまた経済的生産における道具的な行為が、人間関係における
コミュニケーション的行為と結合されてきていることがわかるだろう。
<<
ネグリによる情報化における労働の3変容。1.すべての商品をサービス・情報商品へかえ
る。2.創造的労働とルーティン的労働に分裂する。3.感情労働化する。これらはセルフサー
ビスへ向かう。二次創作、総創造社会、ネットコミュニティ・・・
ネットコミュニティは、反資本主義経済で語られることが多いが、情報型資本主義の形態、ポス
トフォーディズムの延長線上そのものにある。ネットコミュニケーションとは、「情動にかかわる
労働」のセルフサービス化である。
> たとえばオタクなどの二次創作物は広義のセルフサービスといえるだろう。すなわち広義のセ
> ルフサービスとは生産と消費の境界を解体する。プロが生産した作品で完結せず、二次創作と
> して自ら補完する、さらには拡張していく。さらに情報化社会はセルフサービス社会と言えるだろう。
>
> ネットでは生産と消費という境界がなくなっている。そして対価なく生産され、ただで消費する。
> かといってネットにおいてもただ乗りは歓迎されない。もしかするとお金を払えば容易に手には
> いるかもしれないが、自分でググり、情報をえて、それによってセルフサービスすることが求め
> られる。
>
> ネットは単に助け合うだけの社会ではなく、それぞれが自律的に生産に参加することを求めら
> れる。だから生産した人は神として敬意がもたれるのだ。そしてまさに第三次産業の効率化と
> はこのような自給自足的な非貨幣経済へ向かうといえる。
これ↑のセルフサービスと書かれているところを趣味へと変換してみよう↓
たとえばオタクなどの二次創作物は広義の趣味といえるだろう。すなわち広義の
趣味とは生産と消費の境界を解体する。プロが生産した作品で完結せず、二次創作と
して自ら補完する、さらには拡張していく。さらに情報化社会は趣味社会と言えるだろう。
ネットでは生産と消費という境界がなくなっている。そして対価なく生産され、ただで消費する。
かといってネットにおいてもただ乗りは歓迎されない。もしかするとお金を払えば容易に手には
いるかもしれないが、自分でググり、情報をえて、それによって趣味することが求め
られる。
ネットは単に助け合うだけの社会ではなく、それぞれが自律的に生産に参加することを求めら
れる。だから生産した人は神として敬意がもたれるのだ。そしてまさに第三次産業の効率化と
はこのような自給自足的な非貨幣経済へ向かうといえる。
それを読み安く削ってみると↓
オタクなどの二次創作物は趣味といえるだろう。
趣味とは生産と消費の境界を解体する。
プロが生産した作品で完結せず、二次創作として自ら補完する。
情報化社会は趣味社会と言えるだろう。
ネットでは生産と消費という境界がなくなっている。
そして対価なく生産され、ただで消費する。
自分でググり、情報をえて、それによって趣味することが求められる。
ネットは単に助け合うだけの社会ではなく、それぞれが自律的に生産に参加することを求められる。
だから生産した人は神として敬意がもたれるのだ。
そしてまさに第三次産業の効率化とはこのような自給自足的な非貨幣経済へ向かうといえる。
> オタクなどの二次創作物は趣味といえるだろう。
> 趣味とは生産と消費の境界を解体する。
> プロが生産した作品で完結せず、二次創作として自ら補完する。
↑当たり前だろボケ、という以外に何かコメントが必要か?
> 情報化社会は趣味社会と言えるだろう。
↑これは情報化社会でなく、現代が趣味社会なんだろ?
> ネットでは生産と消費という境界がなくなっている。
> そして対価なく生産され、ただで消費する。
> 自分でググり、情報をえて、それによって趣味することが求められる。
↑回線使用料は?プロバイダ料は?
ぴかぁ〜は親に払ってもらってるから気が付かないんだろ?
仮にネットカフェを使ったとしても料金は必要になる。
ぴかぁ〜はたぶんこれ↓で受給して生活してるぞ、気をつけろよ〜
<障害年金>「攻略本」ネット販売、うつ病患者「2級」狙い
うつ病患者を対象に障害年金2級を受給することを目指したマニュアルが複数のウェブサイトで販売されている。
2級に認定されやすくなるような診断書を主治医に書いてもらうための方法が書かれているが、
不正請求を誘発する恐れもあり、関係者からは「攻略本のようで好ましくない」と問題視する声が上がっている。
障害年金は、厚生年金が1〜3級、国民年金が1、2級に分かれている。
厚生年金の場合、平均標準報酬月額と加入月数によるが、平均支給額は月額で1級約16万円▽2級約12万円▽3級約7万円。
国民年金の場合、年額で1級約99万円▽2級約79万円で、さらに子どもがいれば人数に応じて加算される。
申請には医師の診断書が必要だ。
ウェブサイト上で販売されているマニュアルは少なくとも6種類ある。
数十〜100ページで販売価格はほとんどが1万円前後だ。
あるマニュアルでは、1級は寝たきり状態でなければ認定されにくいとして、
2級を目指すことを提案。認定されやすい診断書を書いてもらうポイントを紹介している。
ウェブサイト上で販売されているマニュアルは少なくとも6種類ある。
数十〜100ページで販売価格はほとんどが1万円前後だ。
あるマニュアルでは、1級は寝たきり状態でなければ認定されにくいとして、
2級を目指すことを提案。認定されやすい診断書を書いてもらうポイントを紹介している。
例えば、診断書には食事を自分で取れるかや、お金を管理できるかなど日常生活能力を尋ねる六つの設問があり、
「自発的(適切)にできる」「自発的に(おおむね)できるが援助が必要」「自発的にはできないが援助があればできる」
「できない」という内容の四つの選択肢がある。マニュアルは、6問のうち3〜4問で「自発的にはできないが援助があればできる」
との選択肢にマルをつけてもらうことが望ましいとしている。
さらに、こうした診断書を書いてもらうため、医師に過去の受診歴や症状などを書いた書類を提出することが重要と指摘。
作成の際には「もちろんウソは書けません」と断りながら、2級の基準を満たすような表現になるよう「多少オーバーに」
「医師を誘導する感じに」書けばよいとしている。
別のマニュアルを作製・販売している40代の男性は「年金の受給経験があったので、うつ病患者のため、
他のマニュアルを参考にしながら作った。悪用は想定していない」と説明している。
元東京都精神保健福祉課長で「まいんずたわーメンタルクリニック」(渋谷区)の仮屋暢聡(のぶとし)院長は
「マニュアルは違和感を感じる。年金制度を詳しく知らない医師もおり、不正を招きかねない」と指摘する。
社会保険庁年金保険課は「マニュアルによる不正請求の例は聞いたことがないが、攻略本のようで好ましくない」
と話している。
116 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/19(土) 18:17:40 0
■生産と消費とコミュニケーションの臨界としてのセフルサービス
「サービス(service)は、経済用語において、売り買いした後にモノが残らず、効用や満足などを提
供する、形のない財のことである。第三次産業が取り扱う商品である。(wiki)」
サービスはその始めから消費者にそして社会コミュニティと深く関係するだろう。その意味でサービ
スは商品として閉じることは不可能である。だからセルフサービスという言葉は矛盾である。サービ
スとはセルフを残さずにはおれない。すなわちセルフサービスは生産と消費とコミュニケーションの
臨界である
たとえばマクドナルドのセフルサービスは、料理を受けとり運び食後かたづける、だけではない。あ
の独特はマクドナルド空間。近接しても儀礼的無関心を保つ居心地の良い場所はある種の公共圏
であり、客がお互いにセルフで作り出しているのだ。
パソコンはそもそもにおいてセルフサービスが前提に作られている不完全な、そして開かれた商品
である。パソコン関連商品のサービス対応の悪さはそのためだろう。自ら(セルフ)で使いこなすこ
とを前提としている。そしてそこに情報交換のコミュニティが生まれる。さらにはセルフなソフトが交換される。
このようなアメリカで発展したパソコンのセフルサービス(公開)性は情報処理のコストダウンによっ
て成長し、思想(武器)へと昇華されている。パソコンからネットへと脈々と続き、いまでは国家戦略
スマートグリッドまで支えている。
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118 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/21(月) 21:31:24 O
マルチチュードの文法―現代的な生活形式を分析するために パオロ ヴィルノ ISBN:4901477099
ポストフォーディズムの資本主義―社会科学と「ヒューマン・ネイチャー」 パオロ ヴィルノ ISBN:4409030752
<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性 アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート ISBN:4753102246
自由論―現在性の系譜学 酒井 隆史 ISBN:4791758986
魂の労働―ネオリベラリズムの権力論 渋谷 望 ISBN:4791760689
プレカリアートの詩---記号資本主義の精神病理学 フランコ・ベラルディ(ビフォ) ISBN:4309245013
119 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/21(月) 21:33:49 O
第三の波 アルビン・トフラー ISBN:4122009537
富の未来 A. トフラー ISBN:4062134527
ウェブは資本主義を超える 池田信夫 ISBN:4822245969
過剰と破壊の経済学 「ムーアの法則」で何が変わるのか? 池田 信夫 ISBN:4756150772
ロングテール―「売れない商品」を宝の山に変える新戦略 クリス アンダーソン ISBN:4153200042
フリー〈無料〉からお金を生みだす新戦略 クリス・アンダーソン ISBN:4140814047
120 :
考える名無しさん:2009/12/21(月) 21:45:59 0
ピカーってハッカーじゃないよね?
121 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/22(火) 14:16:09 0
■ウェブをグーグルから奪い返せ!
人々はウェブと実社会の二重の労働を強いられている
ウェブの根本的な欠点は、いくらウェブで労働しても収入が得られず生活を支えられないこと
だ。ネットで成功した人々は多数いるがほんの一握りであり、実社会のように成功せずとも労
働が対価に結びつく賃金がない。だからウェブの労働と別に実社会労働の二重生活を生き
る必要がある。
ウェブはフリー(ただ)といわれながら実は労働が必須だ。ウェブはセフルサービスの世界で、
単に傍観だけでなく労働が求められる。ウェブのエコノミーは「関心」を交換しあうこと
で回っているのだから、対価としての「関心」を集めるように労働することが求められ
る。</b>たとえばTwitterならある程度のコメントをしなければフォローされずに参加することが
難しく、また歓迎されない。
グーグルはアフェリエイトなどで<b>「関心」</b>を貨幣価値にかえる画期的なシステムを開発
したが、交換レートがあまりに低くて、儲けるにはあまりに効率が悪い。数時間バイトした方が
ずっと効率的だ。だから人々は実世界の労働とウェブの労働の二重の労働を求められる。
ニコニコ動画などをみているとあの創造労働のすばらしさに対価を与えないことはもったいない
と思う。ウェブはもっと課金システムを広めて、ウェブでの対価で生活できる人々を増やすこと
ができないだろうか。
122 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/22(火) 14:16:58 0
ウェブ上の課金を妨げるハッカー文化
ウェブではみんな仲良く贈与しあいたいわけではない。課金が困難だから仕方なく無償労働し
ているのだ。実社会の労働が単に金儲けのために行われているわけではなく、助け合いの要
素を多分に含んでいることとかわらない。
仮にブログを課金制にするとどうなるか。まずアクセスがないだろう。似たような情報はウェブ
にフリー(ただ)であふれている。あるいは誰かが買ったデータがコピーされて回って来ると考える。
しかしケータイではウェブ上でうまく課金を引き出している。ケータイは契約時に身分証明とクレ
ジットカードを提示し、毎月通信料などを払っている。そしてケータイメーカーを通して課金され
る。これによってもう一つの問題、セキュリティをクリアーされている。さらにはユーザーはクリッ
クするだけで購入できるというセキュリティに関係する手間隙もクリアーされている。
しかしこのような課金環境は、ケータイだけでなく、PCからでもプロバイダーによって整備され
ている。そこには同じウェブでもケータイからのアクセスと、PCからのアクセスでの文化・習慣
の違いあるのかもしれない。もともとのネットにはハッカーからつづくフリー(ただ)、嫌貨幣の文
化がある。しかしこのようなハッカー文化の継承者達がウェブビジネスで成功し、巨大な報酬を
得ている。
123 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/22(火) 14:17:48 0
ウェブは公共財でありウェブ税を導入する。
カールポアランニーは、経済方式として、貨幣交換、贈与交換と、再配分を上げた。再配分とは
現代ならば税金である。全体から徴収し、公共事業、福祉などによって再配分する。ウェブにも
再分配を用いる方法はあるだろう。
そもそもグーグルは人々が無償の労働で積み上げた財をもとに広告収入を得ている。ウェブを
公共財と考えれば、ウェブ税を導入し、ウェブを活用してえた利益に課税する。そして得られた
税金はベーシックインカムなどによって人々に還元する。あるいはウィキペディアが非営利で運
用されてるならグーグルもできるはずで、利益そのものを世界公共財産として、活用することも
考えられるだろう。
おお!珍しくまともな意見だ。
125 :
考える名無しさん:2009/12/24(木) 00:19:19 0
319 :名無しさん@恐縮です:2009/12/24(木) 00:06:48 ID:sVy0SKLk0
WBC(笑)内野ゴロの数
イチロー 21
青木 11
稲葉 9
岩村 9
城島 7
内川 7
小笠原 6
片岡 6
中島 4
村田 4
阿部 2
川崎 1
栗原 1
亀井 0
石原 0
320 :名無しさん@恐縮です:2009/12/24(木) 00:09:58 ID:2b+wlS2dO
イチローいなけりゃぶっちぎりの優勝だった
126 :
社会びたみん落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/12/24(木) 00:42:05 0
独りぼっちのクリスマスを哲学する。
127 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/24(木) 20:55:08 0
社会を作る貨幣の11の特徴
A流動性
1)貨幣の精算性・・・貨幣交換は負債を一瞬で清算する。
2)貨幣の還元性・・・量的価値として1元的に還元する。
3)貨幣の合理性・・・貨幣は効率化、合理性を求める。
4)貨幣の流動性・・・精算性と平等性によって交換を容易にして流動性を向上させる。
5)貨幣の伝達性・・・数字データによって高速で情報が伝わる。
B物神性
1)貨幣の平等性・・・貨幣の前では誰もが平等である。
2)貨幣の物神性・・・貨幣は商品の王様であり人々をひきつける。
3)資本の賭博性・・・資本は交換を延滞することで儲けるチャンスとリスクを広げる。
C偏在性
1)貨幣の脆弱性・・・貨幣交換は略奪、贈与交換に容易に破壊されために保護を求める。
2)資本の贈与性・・・賭博性の危険は助けあいを求める。
3)資本の偏在性・・・資本はあるところに寄り集まる。
128 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/25(金) 01:16:50 0
■ガラパゴスとデフレ
輸入CDなど外国商品を買ったことがある人にはわかるが包装が粗末である。日本の場合なら
簡単には手ではがれるような作りがされているが、開けるのに道具がいるなど。最近、百均コ
ンビニに良く行くが外国品とまでは言わなくてもあからさまに包装が粗末だ。これがデフレ?い
ままでの日本が過剰なのか?
ようするに、いまのデフレって案外、日本の過剰性の浄化作用なんじゃないかと思ったりする。
日本のガラパゴス化っておうおうにこのような日本特有な過剰性がある。日本企業の言い訳は
いつも一つでしょう。日本製品は機能、品質が良い。中国製は悪い。でも安さから勝てない。す
べてに多機能が求められているわけではない。これがガラパゴスなんですよ。
日本では家電製品などのほぼ使わない多機能。それによって買い換え需要を掘り起こすのだ
ろうが、海外ではほぼ必要とされない。CDセールスが一週間の売り上げできまる日本のマーケ
ティングに支えられたガラパゴス製品が世界に通用するでしょうか。
需要が足りない→欲しい物がない→ガラパゴス的な使わない多機能日本製品。ガラパゴスこそ
がうわべの差別化のマンネリ日本製品。
130 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/25(金) 22:40:33 0
■貨幣が上陸して真のネット社会が到来する。
1)課金装置としてのネット形態端末
iphonなんかPC世代の自己満足だなと、思っていたが、違う面があることを知った。PCで困難で
あったこと、ネット携帯端末は課金装置になるという特徴だ。グーグルが携帯に進出するの理
由の一つもそれか?
不思議なんだけど、同じネットでも携帯電話がそうであるように、ネット携帯端末は課金装置に
なるのである。このビジネスモデルはハード、プロバイダーとして契約し、毎月金を払うという関
係の上に課金業を委託することで安心で、簡単な課金を実現するのだろう。
特にiphoneはケータイよりも性能が優れることで、複雑なソフト、すなわち高価を提供できる。さ
らには解放されていることで、ソフト開発が誰にできてることで、いままでただで配布せざる終え
なかった個人ソフトから課金できる可能性が生まれる。
ウェブでは課金はうまくいかないという考えがあるが、ケータイでは普通に行われている。なぜ
いままでこれほど、いまでもウェブは嫌銭であったのは不思議な感じがする。
なぜ課金が普及しないのかは、セキュリティ、それにともなう手間隙。デジタルデータの価値。
買うよりも探して拾う。さらには探して拾うことの楽しみさえある。P2Pでは落とすことがコミュニ
ケーションの楽しみでさえある。そこには買わない者たちの共犯関係、かっこよささえあった。
131 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/25(金) 22:41:51 0
2)他者コミュニケーションゲームから貨幣コミュニケーションゲームへ
ではネットで課金が普及すると何がかわるのだろうか。課金が一般に普及するとネットはまさに
リアリティを獲得するだろう。ネットが無法地帯でありえたのは、国家が介入できないからでは
なく著作権、誹謗中象などに留まっていたからだ。
なぜこれほど人々がネットコミュニケーションにはまるのか。ネットコミュニケーションでは言うだ
ろうことはだいたい予測できるが裏切ってくる。そのギャンブル性(怖さと刺激)にはまって人々
はツイッターする。貨幣もまた同様である。交換とはコミュニケーションであり、裏切ってくるギャ
ンブル性。ただ生活に関わる分貨幣の方が刺激的でリアリティがある。
すなわち他者コミュニケーションゲームから貨幣コミュニケーションゲームへシフトする可能性。
これはリアリティの問題である。いまウェブのリアリティは他者(とのコミュニケーション)によって
支えられているが、貨幣が上陸すると、他者にとってかわるでしょう。 他者へのフェティシズム
から貨幣へのフェティシズムへ 。貨幣コミュニケーションゲームとは、ベタにいえばギャンブル
である。ネット賭博が広く普及すると、ウエブ環境は一変するだろう。
132 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/25(金) 22:44:51 0
3)ウェブの近代化
近代において貨幣交換がキャズムを越えたとき世界はオセロが裏返るごとく一転した。なに
がってすべてがである。すでにアダムスミスでさえ、貨幣社会が当たり前すぎでその特異性を
疑い忘れている。
貨幣にはいくつかの特性がある。精算性、流動性、合理性、繊細性、偏在性などなど、それが
根こそぎやってしまうのだ。荒野を高層ビルにかえる。そして人はまったく違うものに変えてしま
うのだ。ただいまの共同体幻想のような楽観的、牧歌的なコミュニティは根こそぎやられるだろう。
ネットへ貨幣上陸した場合の予測・・・
1)他者コミュニケーションゲームから貨幣コミュニケーションゲーム(賭博・相場)
2)貨幣交換不正の反乱、ネットマフィア
3)治安のため国家介入
貨幣トラブル、詐欺が加わると放置というわけにはいかなくなり、より強力な警察介入が行われ
る。これらは現に近代が通ってきたパターンでもある。
133 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/25(金) 22:46:30 0
4)ネットの全相場社会
ネット賭博といってもネット上にカジノが氾濫するということではない。さまざまなものが賭けの
対象とされ、さらに相場化する。現にウェブでは商品購入はオークション方式の独自のネット相
場で行われつつある。あるいは貨幣のゲーム化はすでに株式市場など投機の方が進んでいる。
ネットへの貨幣上陸により、いまの他者コミュニケーションを楽しむことを基本とした牧歌的な雰
囲気は解体され、生活(生存)そのものに密着した生々しいリアルな世界へと生まれ変わるだろ
う。みなネット上の貨幣駆け引きに生活を委ねる。
多くの人がネットと生活を密着させていく。現に多くの人がネットで稼いで生活する。それは自ら
生産し売るのではなく、相場によるものだ。たとえば前資本主義から貧しいものたちでさえ、相
場に投資したようなことであり、またネットでは今日の食料でさえ相場化する。いわば全相場社
会になる。
134 :
考える名無しさん:2009/12/25(金) 22:57:50 0
新たなインフラを創造し、手中にし、資本主義を揺るがしているやつらが嫌いなの?
135 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/26(土) 09:47:27 0
>>134 資本主義を揺るがす?そんなことできないでしょ。
136 :
考える名無しさん:2009/12/26(土) 09:53:24 0
エビデンスは?
137 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/26(土) 19:57:26 0
■ウェブで大企業が苦戦する理由
ネット上の貨幣等価交換
すでにAmazon、楽天などなどネットショッピングは普及している。確かにセキュリティなど大手
である。これらの製品は販売方式をネットにすることでセルフサービス化し価格を下げている。
ネットショッピングは、ショッピングの補完であり、究極のセルフサービスである。ウェブに貨幣
が流通するのは、実社会で生産され、販売がウェブで行われるわけではなく、そこに生産、消
費活動が行われると言うことです。すなわち多くの人がウェブで生活するということです。
一つは企業対消費者間取引(Business to Consumer)の活性化。生活に密着したより多くの商
品交換が行われること。そこに相場が生まれる。たとえば夕食の野菜はどこが安いのか。ヨウ
カドかイズミヤか近辺農家か
そして消費者間取引(Consumer to Consumer)、まさにロングテールの領域、人々が生産し消
費する領域。ただこの領域はいまだ無償の労働の領域であって、趣味の範囲と言われ、貨幣
交換が行われていない。それとともにデジタル商品そのものが無償の製品になりやすい。
138 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/26(土) 19:59:11 0
なぜネットでは資本の力が働かないのか
資本とは信用の領域である。だから大企業との取り引きは個人よりも優遇される。資本をもつ
大企業同士の優遇し合いが資本主義の本質である。そもそも自由競争は原理的にも儲かるは
ずがない。
資本主義では多くのお金を持つことが信用であって、信用をもつ大金が資本です。だから資本
をもつもの(大企業)が優位になる。ユーザーは貨幣交換をするが、大企業は資本信用交換を
行っている。
しかし実社会で働く資本に支えられた大きな信用(権力)がウェブ上では働かない。マスメディ
ア、有名人、大企業などの権力はウェブでは解体される。大きな信用は解体、民主化されて、
貨幣交換の領域となる。
139 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/26(土) 20:00:42 0
Googleは信用を否定し信用を機械的に処理することで信用を得ている。
ネットではロングテールのように個人を容易に一まとめに管理することができ貨幣交換で利益
を上げることができるウェブでは各人からの利益はわずかで儲けているようにみせずに、多数
の人から徴収することでうけることが基本的なビジネスモデルである。すなわち貨幣は機能し
ても、資本はほぼ機能させない。
Googleは大きな取り引きで大きな利益を得るようなことはしない。小さな取り引きを多数集め
ることで巨大な収益をえる。ようするにこそに大手企業だから、個人だからという信頼の偏差が
ない。一つのルールですべてを処理することで、実社会の大企業と異なり、民主的なビジネス
と考えられている。Googleの信用(権力)は異なるメカニズムで作動する。Googleの代名詞「人
の手を介さず」。大きな信用を否定し小さな信用を機械的に処理することで信用を得ている。
ウェブに貨幣が流通するとは貨幣等価交換、自由競争の領域ではなく、資本として機能するこ
と、信用が貨幣で支えられることだ。
140 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/26(土) 20:26:56 0
資本主義・・・鉄・動力の低価格化→分業体制(フォーディズム)→資本=信用社会→信用格差
消費社会・ポストフォーディズム・・・商品の巨大な集積→貨幣(等価交換)依存→他者回避→
セフルサービス→生産・消費の解体(ポストフォーディズム)→DIY
情報化社会・・・ムーアの法則→ロングテール→贈与交換社会(見せ合いっこ)→?
情報企業Google、amazon・・・ロングテール・ナビゲート→集金の民主化、機械化
ネット上の資本主義の凋落・・・資本=信用社会→信用格差の解体
141 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/26(土) 21:33:59 0
■なぜ実社会で資本信用に依存しつつウェブでは嫌悪するのか。
たとえばある情報があるとき、その確からしさをいかに確認するか。まずソースの確かさ(大手
マスメディア、社会的権威への信頼)が大きいだろう。昔ならば活字であることで信頼された。
活字にするコストが高く、そこに資本をもつ企業という信頼があったのだ。素人の言葉はそうそ
う活字化されない。
しかしいまではお笑いぐさである。誰もPC、プリンターをもち、低コストに活字化することができ
る。そしてネットは無数の活字にあふれている。それでもソースが資本をもつ企業であることは
信頼であることにはかわりがない。しかしそれだけではなく、ネットで人々の多面的は発言を見
て、確認するだろう
特にそれが商品などの営利にからめば、資本による信用は鵜呑みにならないものになる。ウェ
ブ上の体験談が参考になる。たしかにウェブは雑音も多いが、しだいにウェブ情報の使い方に
慣れるものである。
そしてGoogleなどのネットサービスは、明確に資本による信用に距離をおく。そこはネットサー
ビス業の信用の生命線であるといえる。ただ情報探索を補佐すること、Web2.0を促進すること
機能として、ウェブ上の信用を勝ち得ている。
実社会では大きな資本への信頼は絶大である。大企業であることで商品品質は信頼できる。
そして貨幣社会では商品への信頼が生存への信頼へ繋がる。自由競争ではあるが大企業が
安定しているを人々は望み、政府も支援し、社会秩序が保たれているといっても良いだろう。そ
れが資本(信用)主義社会である。
ウェブでは資本信用は懐疑される。だけではなく嫌悪される。生活においては実社会で資本信
用に依存しつつも、ウェブ上の言説ではまるで二重人格のように嫌悪される。なぜだろうか。
142 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/27(日) 14:24:04 0
■ウェブでの課金を望んでいるのは、IT企業だけである。
1)資本(信用)主義社会
たとえばある情報があるとき、その確からしさをいかに確認するか。まずソースの確かさ(大手
マスメディア、社会的権威への信頼)が大きいだろう。昔ならば活字であることで信頼された。
活字にするコストが高く、そこに資本をもつ企業という信頼があったのだ。素人の言葉はそうそ
う活字化されない。
資本主義では多くのお金を持つことが信用であって、信用をもつ大金が資本です。だから資本
をもつもの(大企業)が優位になる。ユーザーは貨幣交換をするが、大企業は資本信用交換を
行っている。
資本とは信用の領域である。だから大企業との取り引きは個人よりも優遇される。資本をもつ
大企業同士の優遇し合いが資本主義の本質である。そもそも自由競争は原理的にも儲かるは
ずがない。
実社会では大きな資本への信頼は絶大である。大企業であることで商品品質は信頼できる。
そして貨幣社会では商品への信頼が生存への信頼へ繋がる。自由競争ではあるが大企業が
安定しているを人々は望み、政府も支援し、社会秩序が保たれているといっても良いだろう。そ
れが資本(信用)主義社会である。
143 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/27(日) 14:25:04 0
2)実社会で資本信用に依存しウェブ上では嫌悪する二重人格
活字への信用は、いまではお笑いぐさである。誰もPC、プリンターをもち、低コストに活字化す
ることができる。そしてネットは無数の活字にあふれている。それでもソースが資本をもつ企業
であることは信頼であることにはかわりがない。しかしそれだけではなく、ネットで人々の多面
的は発言を見て、確認するだろう
特にそれが商品などの営利にからめば、資本による信用は鵜呑みにならないものになる。ウェ
ブ上の体験談が参考になる。たしかにウェブは雑音も多いが、しだいにウェブ情報の使い方に
慣れるものである。
実社会で働く資本に支えられた大きな信用(権力)がウェブ上では働かない。マスメディア、有
名人、大企業などの権力はウェブでは解体される。大きな信用は解体、民主化されて、貨幣交
換の領域となる。
ウェブでは資本信用は懐疑される。だけではなく嫌悪される。生活においては実社会で資本信
用に依存しつつも、ウェブ上の言説ではまるで二重人格のように嫌悪される。なぜだろうか。
144 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/27(日) 14:25:57 0
3)Googleは資本信用を否定し信用を機械的に処理することでウェブの信用を得ている。
ウェブには資本信用とは異なる信用圏が形成されている。生産の低コスト化を背景にウェブの
アーキテクチャを非営利的なプログラマー達が形成したという歴史、文化がある。さらにロング
テールという「互いに見せ合う」という信頼関係が有用である。
Googleでさえウェブの信頼関係に敬意を払いサービスを展開する。明確に資本による信用に
距離をおくことがネットサービス業の信用の生命線であるといえる。ただ情報探索を補佐するこ
と、Web2.0を促進すること機能として、ウェブ上の信用を勝ち得ている。ウェブ上の価値観、す
なわち「ウェブ社会」に適用することが生命線になっている。
Googleの信用(権力)は異なるメカニズムで作動する。Googleの代名詞「人の手を介さず」。大
きな信用を否定し小さな信用を機械的に処理することで信用を得ている。
145 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/27(日) 14:27:00 0
4)ウェブでは貨幣は機能しても、資本は機能しない
Googleは大きな取り引きで大きな利益を得るようなことはしない。小さな取り引きを多数集め
ることで巨大な収益をえる。ようするにこそに大手企業だから、個人だからという信頼の偏差が
ない。一つのルールですべてを処理することで、実社会の大企業と異なり、民主的なビジネス
と考えられている。
ネットではロングテールのように個人を容易に一まとめに管理することができ貨幣交換で利益
を上げることができる。ウェブでは各人からの利益はわずかで儲けているようにみせずに、多
数の人から徴収することでうけることが基本的なビジネスモデルである。すなわち貨幣は機能
しても、資本はほぼ機能させない。
ネット上のフリーは決して、ただではなく、一つの課金手法である。ウェブの課金においては、
信頼関係を考慮した課金方法を考慮しなければ「心の財布」は開かないということだろ
う。
http://bit.ly/6joa4Tそれでも、ケータイの課金の成功にあるように「心変わり」はありえる。
146 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/27(日) 14:28:03 0
5)ウェブでの課金を望んでいるのは、IT企業だけである。
資本企業がウェブに進出することにあまりメリットがないかもしれない。ウェブは自由競争過ぎ
る。セルフサービスによるコストダウンは可能であるが、逆に資本信用を利用して利益率を高
める得意の方法が使えない。すなわち大企業だから高いという信用・サービスの付加価値である。
その意味では、大企業がどこまで異なる信用圏であり、自由競争を強いられるウェブでの課金
に魅力を感じるか疑問である。いわば広告の場以上ではないのかもしれない。Googleに任せ
ればよいというわけだ。
ウェブ上の課金が普及しないのかは、情報は容易にコピーされること。さらにセキュリティ、そ
れにともなうめんどくさい手続きなどの、ユーザー側の問題と考えられがちであるが、企業側も
必ずしも望んでいない。課金を望んでいるのは、IT、サービス関連の企業だけである。
そもそもウェブが資本主義社会を代替するようなものではない。Googleでさえ実社会では株式
に上場する資本大企業であることにはかわりがない。ウェブに資本を普及するのは困難かもし
れないが、資本信用社会はネオリベラリズムという形態によって、ネットを活用しつつ、発展し
ている。そして資本がより強力さを増している。
朕は国家なり
148 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/28(月) 17:01:23 0
■ウェブ労働による対価はどこへいったのか
ツイッターなどウェブユーザーはつぶやくことでどのような対価を得ているのだろう。有用な情
報、楽しく過ごせた経験・時間・・・一つ一つはただの呟きであるが全体として社会へ多大な影
響を与えていることは確実であるが、それは個人にいかなる影響を与えているのか。
ようするにボクが言いたいのはウェブ労働の対価をどのように考えるかということ。金払うという
ことを含めて、社会全体にとってなにがいいのか。好きでウェブ労働をしてフリーターで食いつ
なげというのか・・・社会全体が豊かになってないと意味がないと。
ウェブ労働の対価について考え中の案としては、@ウェブの発展そのものによってすでにユー
ザーは対価を得ている。サービスが低価格になっているなど。Aウェブユーザーのために早急
に課金制度を考える必要がある。Bウェブ税の導入し、ユーザーに還元する。
@の場合になると、失業者と言われる人も労働しているわけです。そして生活コストが安くなっ
ている。すると社会保障の考え方もかわって来るんじゃないかと、いまの借金まみれの国家予
算は必要なのかと。
たとえばいままで経済学の定説、デフレは悪いはほんとうかとのか。現にウェブの発展は人件
費(労働者)を減らしセルフサービスを促進し商品コストを下げる。すなわちデフレを促進する可
能性がある。
たとえば自給自足で農業をしている場合、年収が少なくても食料には困らずにある程度の生活
ができる可能性がある。だから単に年収が少ないことを貧困につなげられない。ウェブで人々
はDIYを行い、IT企業が提供するフリーサービスを受けているなら同様に年収の低さが貧困に
繋がらないとなりえるか。
149 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/28(月) 17:06:02 0
■ロングテールの二面性 DIYの混沌社会と、それを管理するIT技術マーケティング
ロングテールの量と質
アンダーソンのロングテール論では、生産者、消費者とともに集積者が重視される。混沌とした
ロングテール領域をいかに整理、ナビゲートするか。これはまさにGoogleなどのIT企業の仕事
場である。
ロングテールには二面性がある。一つはロングテール・マーケティング。主にグーグル集積者
を中心にかかれている。特にウェブサービスとしていかにロングテールを量的に管理し収益を
上げるかということ、もう一点はロングテールの住人について。ここではロングテールはヘッド
側とは質的に異なることが強調される。
ヘッド側はいままでのヒット作作成で大量生産者と消費者が分かれた領域であるのに、ロング
テールはニッチでありそれだけでは生産は維持できず、生産消費者として人々が共存して支え
合っている領域であり、質的にことなる。だからロングテールは儲かるわけではないことが強調される。
150 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/28(月) 17:06:56 0
ロングテール・マーケティングという管理技術
たとえばかつてはポップスはレコード会社がヒット商品をつくるもの(ヘッド側)であったが、ビー
トルズらの登場で音楽好きの若者、自ら演奏も行う文化を広まり、文化祭までに裾野が広がっ
た。しかしかといってこれをロングテールとして二元図に描けるか。
ロングテールとして描けるところにウェブサービスの集積者の視点がある。ウェブではアマチュ
アたちの音楽を展示し、紹介するサービスのもとに一元的に管理することができる。これによっ
てロングテール・マーケティングとして集金が可能なる、ということだ。
だから質的に異なり、また単に金のためではない、金のためならニッチなどやらないだろう、う
るさい人々の機嫌をとり、儲けるか。彼らは独自の信用圏によって動いている。それを管理する
ことができる、ということだ。ロングテールとは、質的に異なるウェブ民が実は管理されやすいも
とにあり、活用できることを集積者に説明する。
それでも人々がロングテールを管理し巨大な権力と化したGoogleなどのIT企業にいまだに好意
的なのは、旧来の大企業を敵対視、生産・流通を民主化することを補佐してくれる味方であると
考えるからだ。
151 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/28(月) 17:07:46 0
■技術革命と民主化
Googleは金融恐慌を食い止められなかったのかね。横町の写真とったり、古い本写したりして
痴話ゲンカしてる暇があれば、本丸の金融をもっと解体・解放しないと。まさに得意のデジタル
分野だろう。ほんと弱い者イジメばっかりで役に立たない会社だな。
ITと金融はどのような関係にあるか。ITは生産・流通の民主化を進めと言われる。また金融に
もITの民主化は進む。株式のオンライン取引など。しかし実情は証券会社などに独占されたま
まだ。なぜか?
ITによる生産・流通の民主化は資本主義の合理化を進める還元主義である。だから民主化さ
れる領域と、民主化困難な領域に分離される。この分離が格差につながる。医者、弁護士、コ
ンサル、そしてトレーダー。しかし知的労働者も技術が古くなれば切られる。
IT技術がもつ民主化は新しいものではない。資本主義の特性そのもの、蒸気動力、電気も民
主化であった。技術革命のあとには民主化により群雄割拠するが、最後には限られた強者が
残る。IT革命に違いかあるか。
すなわち資本主義を補完する技術としてのIT技術。いままでの技術革命との違いがあるとすれ
ば、新たに信用圏を作ったことだろう。IT技術はコミュニケーション技術であり、ウェブ上に新た
な社会をつくった。
しかし技術の民主化が新たに社会を作るのはITがはじめてか。近代に生まれた市民社会は産
業化と切り離せないだろう。分業により還元化された市民という単位が印刷など情報技術によ
り連動する。そこでは新聞などマスメディアが民主化の武器である。
152 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/28(月) 17:09:36 0
■「情報資本主義論」 北村洋甚 (2003) P340 (ISBN:4272140450)
資本主義経済を構成する主体である個別資本とりわけ独占資本が、剰余価値を追求する組織
から固有価値を追求する組織へ漸次的であれ全体として転換してゆくというのは、やはり楽観
的な展望だと言わざるをえない。むしろ固有価値を意識的に追求する生産者、消費者、そして
コーディネーターによる「人間ネットワーク」の組織がさまざまな形態をとりながら各地において
形成され、発展してゆくこと、そしてそれらの組織が網の目のようにネットワークかされてゆくこ
との方が、現実的に考えられる道である。
・・・その場合の「人間ネットワーク」といっても、資本主義経済に一定の影響を与えさらにその
変質を迫るほどの存在となるためには、多くの人々による協同的な組織形態を取る必要があ
るが、情報資本主義論 北村洋甚(2003)P340「疎外されないで共通の価値観をもって協同的に
労働して固有価値を実現する企業が支配的な存在として定着し発展していくためには何が必
要なのか、また企業が企業として存続していくためには「利潤」が安定期に確保されなければな
らないが、情報資本主義論 北村洋甚(2003)P340「そうした企業の利潤の源泉はそこに求めら
れるのか。
153 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/28(月) 18:17:37 0
>>
「ピア・プロダクション」によってイーベイ、ウィキペディア、クレイグスリスト、マイスペースが育
ち、ネットフリックスに何十万もの映画のレビューがあらわれた。そしてセルフサービスのおか
げで、グーグルは一クリックにつきわずかな額で広告を売っている。・・・「皆注(クラウドソーイン
グ)」には経済面で利点があるだけではない。顧客も能力を発揮できる。ユーザが投稿したレ
ビューは明快で情報に通じた内容であることが多く、何よりも他のユーザーからの信頼度が高
い。顧客が集合すると、全体では事実上、無限の時間とエネルギーを持つ。
購入パターンに関する情報は、レコメンデーションという形で紹介されるなら強力なマーケティ
ングの手段になりうる。顧客に購買を思いどとまらせるような疑問は、レビューや仕様書など商
品の詳細情報によって解決できる。ある商品をすすめるのは過去に類似商品を購入したことが
あるからだ、というようにレコメンデーションの理由を表示すれば、顧客はシステムに対して信
頼感を持つようになるし、もっとうまく利用できるようにもなる。透明性を高めれば信頼を確立できる。
たとえば集合知を利用したフィルタは、市場の情報をもとにして商品の販売促進をおこなう方法
だ。人気ランキングは市場の声であり、口コミのいい循環によって増幅される。商品の評価づ
けは全体の意見であり、商品比較や分類がしやすいように数値化される。これらはすべて、消
費者にわかりやすいよう選択肢を整理するツールだ。小売業者はあれこれ先を読む必要はな
い。予測しないで測定し、その結果に応ずすことだ。P366-374
「ロングテール」 クリス・アンダーソン (ISBN:4153200042)
<<
154 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/29(火) 03:18:12 0
■eコマースが経済と、社会と、政治を一変する
1)死語 「サイバー空間」
いまでもインターネットは国家から自由だと思っている人はいるのだろうか。ほんの少し前まで
はインターネットにはそのような空気が満ちていた。それは日本のネットにアメリカの文化を残
していた時代。とくにケータイという日本独自の文化が流れ込んだとき、ネットに日本色が強ま
り、自国色が強まった。
かつてネチズンなる言葉があった。ネットの市民権。いまではネットはGoogleなどの企業サービ
スが先行し市場優先。あるいはケータイによって日本色が強まり国民文化優先である。いまだ
にネチズン感をもっているのはiPhoneヲタのおじさんぐらいか。
それにともない「サイバー空間」という言葉も死後になりつつある。市民権から市場、国民文化
へ優先度が移動することで、ネットコミュニティと実社会との主権対立が薄れて、いまでは実社
会との延長線上にネットがある。これは健全なことだと思う。それでもまだ垣根はある。貨幣、
すなわち生活(生存)である。
155 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/29(火) 03:19:39 0
2)ウェブには小銭程度の信頼もない
秩序(信用)を支えるものとして、慣習、金、法を考えればよい。ウェブコミュニティはサービス側
の経済状況(金)と、ユーザー達の慣習、それらを考慮したアーキテクチャで支えられている。こ
の弱さはウェブ上には物的資本(ユーザーの金)がないということだ。
つぶやきの蓄積が社会資本である、というのはおかしいだろうか。一つにはそれは記念写真の
ように二度とないその時の想い出あるということ。さらには単なるつぶやきではなく他者との出
会いであるからなおさら貴重な想い出となる。そしてそれがこれからである人への信用になる。
ツイッター育成ゲーム論。
仮にウェブユーザーがウェブ上に1千万円の価値がある物的資本をもっていて、ウェブ上でな
ければ価値がないとすればどうだろう。他のユーザーとのいさこざや、サービスが停止されたり
して簡単に物的資本を諦められるだろうか。逆に言えば、1千万円の物的資本を預けられるほ
どに、ウェブサービスには信頼性がないということだ。いまは、ケータイでケータイ会社が課金
システムを保証することで、やっと着メロの小銭程度の信頼は勝ち得たところだ。
156 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/29(火) 03:23:04 0
3)課金端末としてのスマートフォンがウェブの未来を開く
悲しいことにいまだにウェブでは貨幣の流通が不十分である。実生活のように商品に対して対
価を払う習慣が根付いていない。だから労力にたして対価がえられず、労働として成立せず、
あくまで趣味の世界にとどまっている。いくら社会的な貢献をしてもだ。
ただケータイは世界で唯一、1兆円規模の課金を成立させた。そしてやっと課金として日本の
ケータイに追いついて来たのがiPhoneである。ただ世界では米の影響から独立主権の慣習が
根強く、日本型のお人好し課金は難しい。iphoneはケータイのB-C型からC-C型へ開かれた課
金システを目指している。今後のトレンドは課金端末としてのスマートフォンだ。
物的資本の問題はこれからの問題とはいえない。たとえば著作権やプライバシーなどは1千万
円にも相当する資本でありえる。それがウェブ上では放置されている。これはまだ一部だから
だ。仮に大多数の人、あなたもしかりこれらの問題巻きこまれたらどうだろうか。あなたの大切
な情報が勝手に扱われた場合・・・。
逆説であるがそれほどウェブが物的資本を獲得し実生活をと密着になったときに、ウェブは真
にリアリティを獲得し、主権を主張するだろう。
157 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/29(火) 03:23:51 0
4)「ネクスト・ソサエティ」ドラッカー(2002) P77-79 ISBN:4478190453
「1940年代半ばにコンピュータの出現とともに始まったIT革命は、今日までのところ、IT革命前
から存在していたもののプロセスを変えたにすぎない。情報自体にはいささかの変化ももたらし
ていない。IT革命が行ったことは、昔からあった諸々のプロセスをルーティン化しただけだった。
・・・IT革命におけるeコマースの位置は、産業革命における鉄道と同じである。まったく新しい、
まったく予測外の展開である。そしていま、170年前の鉄道を同じように、eコマースが新しい種
類のブームを呼びつつある。経済と、社会と、政治を一変しつつある。」
158 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/29(火) 04:14:54 0
・ロングテールの二面性 DIYの混沌社会と、それを管理するIT技術マーケティング
ヘッド→資本信用→資本信用は自由競争を嫌う
混沌社会としてのロングテール・・・関心信用→関心信用は貨幣交換を嫌う
ロングテール・マーケティング・・・機械的信用→機械的信用は貨幣交換を望む
→ウェブでの課金を望んでいるのは、IT企業だけである。
・技術革命と民主化 →Googleはいつもの搾取か
→ウェブ労働による対価は?社会を変えるか。
・課金端末としてのスマートフォンは広がるか
・eコマース社会革命・・・他者コミュニケーションゲームから貨幣コミュニケーションゲームへシフトする可能性
→相場社会
159 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/29(火) 16:16:08 0
■なぜウェブは経済政策をいくのか
@行政資本、A経済的資本、B社会資本
あなたが病気になったときに必要なのは、@行政資本 医療制度・保険で安価で診療してもら
う。A経済的資本 それでもお金は必要である。あるいは金持ちならブラックジャックに見てもら
えるかもしれない。 B社会資本 自分で調べて治療し運動して健康を保つ。基本的にこの3つ
の資本で生活は成り立っている。
マスコミや政治家が騒いでいる所得の現象はA経済資本が減少していることである。だから@
行政資本として社会保障の充実が求められている。しかしB社会資本の視点がない。ウェブを
見れば社会資本が蓄積されている。多くの情報、コミュニケーションなど。
B社会資本とは簡単にはセフルサービスであり、さらには自主的に楽しむDIYである。ウェブ上
の社会資本が充実すれば、A経済資本の必要性は減る。金を買うより自分達でDIYすることが
楽しいのだから。だから経済に大きな影響を与えているだろうが、社会資本は非貨幣経済なの
で見えないのである。
160 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/29(火) 16:16:57 0
貨幣経済政策の限界
所得の減少や正規社員問題を、A経済的資本だけで語るのはもはや限界なのではないだろう
か。B社会資本が増えればデフレが起こるし、また歓迎される可能性が高い。確かにA経済的
資本がなく困っている人もいるだろうが、社会全体をAだけでみると見誤るぞ。
GoogleなどのIT企業がやっているのは、A経済資本をB社会資本へ変換することだ。本を買
わずに豊かな情報をえて、お金をかけずに楽しく生産する。IT企業ががんばれば、A経済資本
が減ることになる。
理想的な社会形態は、製造業が使用価値を生産し、人々がウェブ上のB社会資本によりセフ
ルサービス、DIYで知的価値へと再生し生活する。IT企業は製造業から広告料をもらいながら、
ウェブ民の助けをする。そしてウェブ民は製造業とIT企業に必要な時間だけ働きA経済的資本
をえる。マルクス〜♪
悲劇シナリオは製造業が使用価値のみ生産し経済が縮小・疲弊する。人々はウェブ上のB社
会資本により知的価値を再生する。IT企業は製造業から広告料をもらいボロ儲け。ウェブ民は
雇用がなく失業か、単純労働を強いられて、ウェブ上の趣味を頼りにわずかなA経済的資本で
貧困を生きる。ケインズ〜♪
161 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/31(木) 01:24:46 0
■ウェブはウェブ上のシームレスから日常とのシームレスへ
これからのウェブの方向性はパーソナル化
GoogleはChrome、Andoroidでブラウザ中心のプラットフォームを考えているけど、それももはや
古いのでは?多くのユーザーはもはやコミュニケーション端末としてのSNSなどのクライアント
ソフトをベースにしている。
クライアンソフトは重要で、2ちゃんねるも専用ソフトの登場でサービスそのものがかわってし
まった。以前、ブラウザで見ていたときは、掲示板の分類、板があったけど、専用ソフトでスレ単
位で登録してみるようになると板のみはなく2ちゃんねるも意味を持たず、スレは単独掲示板に
もどっている。
これからのウェブの方向性はパーソナル化。いままでのPC系からのウェブ社会の特異性から、
ケータイ系のウェブと日常生活のシームレスな繋がり。知財権、プライベートが実社会の規制
に近づく。その意味では、Googleも時代遅れになり、SNS、Twitterがプラットフォームになる。
162 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/12/31(木) 01:25:55 0
閉じるウェブ
特に最大の難関である課金を考えると、いままでのオープンより入口はもっと閉じた方が好ま
れるのではないだろうか。閉じたとは独自のクライアントソフトと日本のケータイのようにケータ
イメーカーによる一括の課金契約。PCならプロバイダかSNSそのものとの契約。
ウェブも何でも自由というのは古くなりつつあって、ある種初期の幻想でもあった。ウェブはもっ
と地域性が重視されるものになるのではないだろうか。国家毎に異なる法があることも当然だ
し、現に中国などがそう。ようすには自由には自由の不自由がある。大きなものがセキュリティ
(安全)である。
多くの人がもはやウェブに自由を求めていない。無法地帯をおもしろがるのもすぎた。誰もが誹
謗中傷や安全性で一度は痛い目にあっている。無秩序少しずつ警察など規制が進んでいる
が、以前のように自由を求めて闘うことがなくなっている。必要性を認識しつつある。
すなわちウェブは世界共和国の幻想から、現実的な日常の便利で楽しいツールへと変容しつ
つある。ウェブ上のシームレスではなく、日常とのシームレスへ向かっている。
163 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/04(月) 02:30:08 0
■アーキテクチャ論の経済的な限界
サイバースペース(空間)という言葉が有名であるが、サイバータイム(時間)と言わないのは、
時間を実社会の物理法則に拘束されるからだろう。ネットでアーキテクチャが下部構造として語
られるのは、ネットのもつ左派幻想からくるのではないだろうか。それはあたかもそれに経済法
則がないように語られる。実社会でアーキテクチャ(建造物)に経済則が働くようにネットでも働
いている。
ネットにおいてアーキテクチャは低コストで構築されといわれるが、そうだろうか。多くの集約を
呼ぶ場合に問題にあるのがサーバーの負荷だあり、クライアント側の重さである。特にネットの
多くがフリーであるほど、負荷を軽減する制約がそこには大きな経済則が働く。アンダーソンの
「フリー」はウェブ上の経済則の大変さ明らかにする。フリーの裏側でいかに徴収するかという
経済則からの制約を明らかにする。
164 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/04(月) 02:39:01 0
■マニアックな同期性が高速化する共感の方向性である。
共感の高速化
共感の速度が増していますね。第一世代のお笑いブームはいままで以上に速いしゃべりが特
徴でしたが、さらにブームの速度が速くなって、ギャクや簡潔な笑いに向かって、どんどんじっく
りした面白さより、すぐに楽しめるものが求められる。ツイッターもネット上の共感の速度を関係
するでしょう。
ようするに情報過多の中で、一日限られた時間をいかに効率的に配分するか。ゲーム離れも
ゲームってほんとに時間がかかります。楽しいゲームならいいのですが、作業ゲーのようなも
のに捕まると大変です。あと二つの作業というものあります。ツイッターならテレビを見ながら、
本を読みながらもできます。
しかしこのような共感の速度の向上はネットによって急速早まりましたが、これからどうなるの
でしょうか。そろそろ限界のような気がします。お笑いにもどれば、レッドカーペットより短くてお
笑いが成立しますか。これより共感が速い世界の想像ができない・・・
165 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/04(月) 02:39:51 0
共感を高速化するための強い文脈としてのオタク
速すぎると共感のインフレーションが起こります。たとえば文脈なく女性の裸をたくさん見せられ
てもどれも一緒で興奮しなくなる。その意味では文脈がないツイッターがなぜ面白いのかは、
示唆的ですね。ボクの場合は次々流れるTLを眺めながら文脈が読めるコメントにコメントをつ
けてみる。
ここでは広く共有された文脈よりも、強い文脈=自分に興味があるマニアックな文脈こそが、共
感の高速化に対応する。すなわちオタクというのは情報過多の社会を生きるために必然な、関
心を分配するための下地としての強い文脈である。そして共感が拘束するほどに、よりマニアッ
クでニッチでオタクな文脈が求められる。共感のコミュニティは小さく、分断されていく。メディア
でいえば、テレビまでの大きなメディアは共感を支えることが難しくなる。
166 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/04(月) 02:40:45 0
1年でもっともTwitterが盛り上がる時
大晦日はTwitterが、いやウェブがもっとも盛り上がる日だろう。12月31日11時59分59.999・・・秒
ににむけて日本中の同期していく。いつもは好き勝手な時間を生きる人々がこの臨界に対して
は同期せずにはおれない。そして共鳴はフェスティバルの興奮を生み出していく。
Twitterはこのような時間の同期による興奮を生み出すことがサービスの基本として組み込ま
れているといえる。実社会のような空間的同期が困難であるのは、ウェブでは時間にこそ同期
が担わされる。共感の高速化はリアルタイムを求める。今このときという同期。たとえばニコニ
コ動画の成功は疑似同期性にあるといわれたのはこのためだろう。マニアックで疑似同期性。
これが高速化する共感の方向性である。
167 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/05(火) 02:06:31 0
■もうGoogleのなんでも「フリー」思想は古い?
なんだかんだいってIT技術は米国から輸入されて成り立っている。多くのアメリカンドリームを
生んでいるインセンティブが高い米国では無償で生産的な労働が行われ、ウェブを支えてい
る。日本では比重はサービスを楽しむことの方が比重が高い。
伝統的にもソフト開発ぢからが全然違う。日本人はコミュニケーション(楽しみ)重視。だから日
本人はケータイで満足。安定したソフト、会話を楽しむ。アメリカ人はiphone、Androidなどソフト
開発もやりたい。確実にウェブは日本型へ向かっている?
「フリー」という本が売れていますが、米国型を支えるのは開発力、ITマニア以上に、コストで
しょ。Googleのようにすべてタダで提供することで世界標準になる。コストはセキュリティ(品質)
とのトレードオフになっている。
問題はGoogleは広告収入なのでそれだけで成立していくのか。さらにGooglenoフリーモデルは
衝突する。アースしかり、本読み込みしかり、これは単に既得権益との衝突を越えて、公共性、
倫理との衝突なので、ブレーキがかかる可能性が高い。
もはや楽観的にGoogleを自由な正義と考えることはできない。ローカルとの様々な衝突の時代
に入る。クラウドも国策でGoogle排除の動きがあるし。SNS重視ならGoogleだけの儲けさせない
とか。いままでは楽観主義すぎて、このような対立こそ健全だと思う。
今後のウェブは「安全、安定なコミュニケーション」がトレンドでしょ。そのために多少の金も払
う。フラット化したネットをいかにローカルに安全を確保するか。それによって、より実生活と密
接に、便利につかうことが重視される。もうGoogleのなんでもフリー思想は古い?
168 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/05(火) 02:08:21 0
■ネットと産業との相互関係はどこへいくの
現代の労働の一番の変化は、企業が労働者の生活維持への義務を放棄していることにあるだ
ろう。企業は単に必要な労働時間を買うのであって、最低でも生活するための必要な賃金を保
証することは企業の責任ではなく、労働者そのものの責任である。これはまた企業から解放さ
れた労働の自由と呼ばれる。
かつては農耕において生産手段をもち自ら生活を支えた。つぎに工業化において企業に生活
を売ることで生活を支えた。現代はより賃労働は流動化し労働時間を売ることで生活を支え
る。生活を支えるほど労働が売れるか。とくに不況になれば労働機会は減って生活を支えるこ
とが困難になる。
このような不安定な労働環境を可能にするのは、安定した消費社会である。基本的な生活商
品が多様化、低コスト化する、またウェブの発展で楽しみが多様化、低コスト化したからだ。労
働の自由でも、ひとりの生活を支えて分には問題ない。結婚、住居、車などはコスト的、自由と
しても困難であっても。ネットは高度な消費社会に支えられている。またネットは高度な消費社
会を支えている。
たとえば掲示板には大きく二つの役割がある。一つは必要な情報を交換しあうデータベース的
な機能とおしゃべりを楽しむコミュニケーション機能である。Twitterで言えることは決して必要な
情報を手に入れるためのツールではないということ、コミュニケーション機能に特化したゲーム
性の高いツールである。これはウェブの低コスト化によってより娯楽としてのニーズが増している。
169 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/05(火) 05:50:53 0
■DOCOMOというガラパゴスがウェブ進化の先端をゆく
DOCOMOがガラパゴスである一つの理由は、ビジネスモデルがいままでのウェブ標準の「フ
リー」ではなく、課金を基本としたこと。そしてそのためには抱え込みのローカライズが必要だっ
た。これはDocomoにしてみるとたんにエコノミーの違いだが、思想の違いとして捉えられたこと
でしょ。
しかしIT企業はフリー=広告収入に限界を感じて、新たな課金方法を模索し、元にiphoneは一
部成功している。しかしコンテンツ収入はドコモモデルには遙かに及ばないが。多くがドコモモ
デルの成功を横目で見て新たなエコノミーを模索している。確かにドコモモデルは金持ち日本
以外では難しい
Googleのようにオープンにしすぎると絶対に課金はできない。ipoheだってアプリが飽和して課
金が難しくなっているでしょう。どうしてもフリーに向かってしまう。広告収入そのものは今後さら
にパイの取り合いの厳しい競争になる。
フリーモデルはグローバルな巨大なパイがものをいうから米国企業の独壇場でしょ。2ちゃんね
るを運営するぐらいなら十分だろうけど。ならばdocomoがローカルな課金を目指すのは必然。
そして今後、米国企業以外はドコモモデルを参考にするんじゃないだろうか。中国では一部は
じまっているとも・・
iphoneは、ナップスターのただの音楽配信の違法に基礎づけられている。Googleは中国政府に
妥協したんで終わっているんです。単なる資本企業であることが暴露されたんです。その現実
をみないITマニア達が延命させているだけなんです。結局、もっとも健全なのはDOCOMOなん
です。最初から堂々と営利企業であり、サービスとしてウェブを提供することを明確にしている
わけだから。実はまさにこのガラパゴスがウェブ進化の先端なんです。ガラパゴスとは加速され
た実験場でしょ。
170 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/07(木) 01:39:28 0
実社会では多様な商品文化が形成されて物的資本が基本になっている。そのためほぼお金で
済み社会資本は必要なくなる。しかしウェブで物的資本が成立しない。容易に複写され、セキュ
リティが弱く盗まれるなど、物的資本が持てない。その代わり社会資本となる。情報の交換が繋
がりを生み居場所となる。
この違いは対立関係を生む。実社会の物的資本をウェブ社会が盗む。ウェブの社会資本を実社
会が商品化する。また相補的な関係をうむ。実社会の物的資本で生活し、ウェブ社会の社会資
本で和む。この対立の立つのがIT企業だ。ウェブで社会資本へのサービスを無償提供し、実社
会の物的資本から徴収する
171 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/09(土) 22:58:38 0
■ウェブは人々を幸福にしているだろうか。
1) ウェブは「潜在的(ヴァーチャル)な」遊技場
通勤の満員電車。密集した人々が押し黙り駅につけば出入りがあるだけだ。これがウェブだっ
たら。ウェブとはそこに居ることがコミュニケーションの意思である。電車内はつぶやきや会話
であふれ、笑い声、小競り合い、感動などなにが起こるかわからない。
ウェブ上の存在とは、生存とは関係なく、他者と関係したいという意思によって現れる。ウェブ
上のアーキテクチャはまさにウェブ上の存在を存在させるために設計される。「ウェブはバカと
暇人のもの」という本があったが、ウェブとはなにかと考えるときまず基本がここがコミュニケー
ションゲームをする遊技場であるということだ。
ロングテールのヘッド側が実社会で、テール側がウェブ社会であるが、これらは質的に異なる。
質的な違いとはテール部分は遊技場であり創造場である。ウェブは「潜在的(ヴァーチャル)な」
(創造)な世界であるからテールが長くなる。ウェブが「潜在的な」な世界であるのは、偶然の他
者の出会いが無数に生まれる予測不可能な環境からだろう。
172 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/09(土) 22:59:24 0
2) ウェブは生産消費の場
満員の空間の中で望んでコミュニケーションし続ける話題とはなんだろ。たとえば2ちゃんねる
は多くのカテゴリーに分かれているがどこが盛り上がり、過疎っているか。ゴシップ、体制叩き、
非モテ、ITフェチ、オタク、エロ。屑な話題もあれば、創造的な話題もある。
そしてただコミュニケーションするだけでは、遊技しつづけることはできない。より積極的に創造
に関わる。ウェブ上にITフェチやオタクが多いは「潜在的(ヴァーチャル)な」(創造)分野である
からだ。そこに創造物としての資本が生まれる。しかしそれは多くにおいて経済資本ではなく、
社会関係資本である。
173 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/09(土) 23:00:31 0
3) ウェブの富は膨大な社会関係資本の集積としてあらわれる
このような遊技場からは単に混沌であるだけではなく、「社会」が立ち上がってくる。テクストが
蓄積され、経験が積まれ、固定した他者との関係性が生まれ、場への愛着が生まれ、文化が
生まれる。
ウェブではこのような「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)」が商品価値(貨幣交換価値)を
もつ「経済資本」とすることが困難である。実社会では、高度な商品蓄積によって生活が行わ
れて、ほとんどのものが貨幣で購入される。一人で処理できないような問題はサービスとして
商品化され、貨幣で処理される。このために地域的・家族的な助け合いの関係は敬遠される。
むしろ生活まわりをできる限り貨幣で速やかに処理することで、流動性に対処しやすくなってい
る。このために従来、社会関係資本であったものが経済資本へと還元されるようになっている。
ウェブ上で経済資本が成立しにくいのは、基本的にウェブ上の資本がデジタル情報であるため
に公開してしまうと容易に複写、参照される。またセキュリティの心配から商品価値のあるもの
はウェブ上には公開されないなどの理由がある。このためにウェブ上の情報は有用であっても
貨幣価値を持ちにくく、どれだけ関心を持たれたか、社会関係を生み出したかという社会関係
資本として価値をもつ。このようにウェブはそれぞれが関心を持ち合うことで価値をみとめ、交
換し合う社会関係資本を基本とした「社会」が形成される。
すなわち遊技場としての旺盛なフローと社会関係資本の集積としてのストックによってウェブは
成立している。
174 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/09(土) 23:01:28 0
4)ウェブサービスを維持するために経済資本が必要である。
このような状況は環境(アーキテクチャ)の設計によって支えられる。実社会では環境(アーキ
テクチャー)の建築には多額の投資が必要であるが、ウェブ上では安価に建築されるために、
ウェブ上には様々なサービス(アーキテクチャ)が乱立し、絶えず変化している。ホームページ、
2ちゃんねる、ブログ、mixi、ニコニコ動画、Twitter・・・
ユーザーにとって、ウェブは遊技場としての旺盛なフローと社会関係資本の集積としてのストッ
クによって成立しているとしても、アーキテクチャを制作する運営側には経済的な問題が生ま
れる。巨大な人気アーキテクチャをいかに発展させて、維持するか。雄志のボランティアによっ
て運営するとしても、人件費やサーバーなど固定費などの実社会の経済的な問題からの逃れ
られない。
ウェブサービスによる集金方法が色々あるが、ユーザーから課金することは困難である。「フ
リー」モデルが駆使される。特に有望であるのが広告によるものだ。人々が集まるということは
有望な市場である。商品の販売を行ったり、広告を行うことを望む。
175 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/09(土) 23:02:19 0
5)ウェブサービスの擬似的なソーシャル・ビジネス
ウェブサービス企業は、「フリー」モデルをもとに積極的な活動に出ている。その雄がGoogleだ
ろう。広告収入による膨大な経済資本をもとにして、ユーザーへより多くのサービスをフリーで
供給し、集客を狙っている。地図、本、開発環境、OS、ブラウザー、とうとうウェブ上のサービス
を超えて、通信環境やスマートフォン本体まで提供することを計画である。
ウェブユーザーへこれらのサービスをフリーで提供されることで社会貢献するという擬似的な
ソーシャル・ビジネスの形態をもつ。ウェブサービスが社会関係資本の蓄積を活性化し、IT企業
はこの蓄積を使って経済資本を集金し、そして経済資本によってさらにウェブサービスを充実させる。
176 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/13(水) 21:01:25 0
■商品存在論
言語論では言語化されないものは存在しない。さらに人間はことばであると言われるが、ボク
が言いたいのは現代において存在することは商品であることから逃れられないということです。
現代において社会に働く力学は貨幣エコノミーでしょ。これはすべて貨幣価値に還元できるとい
うことではなく、たとえば分業体制による豊かな生活、個人主義、反省的主体などが貨幣力学
の中で作られてきたということです。これは第三次産業により完成に近づきました。すべての商
品はサービスであるとき、人々の行為はセルフサービスにして差異化されました。これがポスト
フォーディズム体制です。
なぜサービスの生産はユーザーに開かれるのか。生産投資がやすく参入しやすい。短期で商
品が変わりチャンス多い。アイデア重視。パソコンは知能の拡張。自由度高く楽しい。
なぜ現代のDIY、セルフサービスは、資本主義前の自給自足ではないのか。すべて商品が
サービスと切り離せないとき、自給自足はサービスとのトレードオフになる。すなわちセルフ
サービスと呼ばれる。たとえば食事はどこまで買いどこまで作るか。
IT技術が大きく促進しました。IT技術でおもしろいのがパソコンにしろ、ユーザーが生産したが
るということです。というかユーザーが開発したと言えるでしょう。ネットにおいてしかり、サービ
スはユーザーのセルフサービス、全商品化を想起するのです。
177 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/14(木) 23:09:25 0
■自由主義経済の社会関係資本をめぐる戦い
市場至上主義は経済資本をめぐると思われがちだが重要なのは社会関係資本である。
はじめ自給自足による生活に素材として潜入した商品はやがて自給自足(社会関係資本)を侵
食しながらサービスへと変態し生活を包囲しはじめる。サービスとなった商品は自給自足を解
体し全商品社会を生み出す。もはや自給自足はなく、どこまでサービスとして買い、どこまでセ
ルフサービスするか、でしかない。社会関係資本とはセルフサービス力である。
そして情報化によってサービスは低コスト化で、セルフサービスが進む。さらにはより創造的な
DIYへと発展する。情報化によって社会資本はサービス商品からセフルサービス、DIYへと取り
もどしが起こる。
マスメディアの経営が厳しいのはネット上で情報がコピペされ配信されたり無償で記事が書か
れるなどのセフルサービス、DIY(社会関連資本)活動が行われるからだ。
178 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/15(金) 22:28:46 0
■「金こそ力なり!」
お金の神様「金の力とはなにか教えてあげよう。まず瞬発力だ。金かあれはなんの苦労もなく
その場で他者の価値を手に入れることができる。買う快楽とはそういうことだ。二つ目は平等性
だ。貨幣価値を持てば見事に等しく配分できる。そして合理性。計算により合理的により正しさ
を導きだせる。
まだまだあるぞよ。伝達性だ。意味がどうこういわずに、知らない人だろうが地球の裏側だろう
が、すみやかに的確につたえることができる。あと精算性だな。金の切断力を使えば一瞬で人
間関係を清算できる。あーすっきり。
ここら当たりからドクマ力にはいるかの。物神性。貨幣は商品の王さまだ。金を持てば商品が
交換してほしいとひれ伏してくるぞ。そしてなんといっても最大の力は大金、資本力だ。資本を
持つこととで貸し借りができる。もう貸しの権利を握れば人をひれ伏す。世界はわがものだ。ハ
ハハハ。金こそ力なり! 」
貨幣の持つ平等性、合理性、資本力は現代の最大の快感といえるだろう。でもそれだけには
まってはいけない。ネオリベ、BI、仕分け。割り切れないことに向き合い続けることをわすれないで!
179 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/16(土) 17:08:50 0
人の財産とはなにか
市場 @経済的資本・・・お金、商品
規範 A社会的資本・・・友達の助け
訓練 B人的資本・・・身につけた技術
環境 C環境資本・・・近くにコンビニがある、使い慣れたボールペン
公共 D公的資本・・・大学卒業
180 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/17(日) 05:45:30 0
交換様式
商品交換→経済的資本
贈与交換→社会的資本
再配分→公的資本
自給自足→人的資本
181 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/21(木) 00:30:51 0
■アテンションを保つための課金サービス
アテンション(注意)が貴重
1)DVD映画を借りていき見る寂しさというものはないだろうか。テレビなら同じ時間にみんな見
ている。店に並んだ流行のDVDならみんなが望んでいるものを見ている。しかし流行を過ぎた
DVDでは同期しているのは自分だけである・・・という寂しさ、感じたことないだろうか。
2)一時期P2Pによるソフト交換にはまっていたことがある。今考えると驚いたことにP2Pもコミュ
ニケーションだったということだ。そのソフトがほしいのではなく、交換することそのものが楽しい
のだ。だから交換してもほとんどのソフトは使わない、見なかった。
3)それとP2Pで手に入れたソフトは「軽い」のだ。ほんとにそのソフトを楽しみたいならレンタル
するなら、買うなりすればいいのだ。その方が金を払った分、「重い」。すなわちせっかく買った
のだからと、アテンション(注意)が働く。情報過多の時代ではまさにこのアテンションが貴重な
のである。
182 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/21(木) 00:31:43 0
アテンションのインフレーションを回避する方法
4)レンタルDVDにしてもP2Pで落としたソフトにしても、情報過多の時代にはあまり価値を持た
ない。重要であるのは、その情報へインセンティブする労力である。ボクたちのアテンションは
時間的にも、集中力的にも限りがある。そして情報過多ではアテンションがインフレーションして
しまうのだ。
5)あれもみたい、あれも楽しみたいとアテンションを向けると、インフレーションしてもはや集中
して楽しめなくなってしまう。そして情報社会ではあれもみろこれもみろとささやき続ける。いか
に情報を縮減し、限られた時間で集中力を保ち楽しむかが重要なのだ。
6)再度言えば集中力を保つための基本は、他者とお金である。他者と同期すること。ツイッ
ターのように時間同期もあれば、流行物のように興味同期でもよい。さらにはお金をかけるこ
と。消費社会において広く用いられている重要な方法である。お金がかかっているとサービス
の安定が確保されること、お金をかけたのだという稀少性によって、集中力が増す。
7)オタクは興味をニッチに絞り込み多くの他者のまなざしを集めてアテンションを高めている。
ブランド品は高いことで持つ人のアテンションを高めている。それらは情報過多、価値多様時代
に効率的に楽しむための方法だと言える。
183 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/21(木) 00:34:12 0
ウェブはフリーから課金へ
8)これからウェブ上で課金が成功するだろう理由もアテンションにあるだろう。もはやウェブ上
で情報はタダであればいいのではない。グーグルのようになんでもフリーで提供する方法は限
界にきている。人々が求めるのはより情報過多の中でアテンションを高める方法である。
9)音楽、本、映画などの安いもので小銭をけちるよりも、課金はアテンションを高める可能性
がある。たとえばiPodである。iPodで音楽を買うのはiTunesからiPodという一連のサービスが一
つの生活スタイルにまで高められユーザーのアテンションを高めているからだ。
10)iPodユーザーは便利で安全なサービスであるとともに、iPod、iPhoneフェチと言えるほどに
はまり、ユーザーであることを自慢しアテンションを高めている。実はいまのGoogleもただだか
ら望まれているわけではない。Googleというブランドへの興味がアテンションを高めている。
11)グーグルのアンドロイドなど話題だが、実際にフリーされ誰で持てるようになってしまうとア
テンションは保つことは難しくなるだろう。さらにグーグルがアテンションを保つ抱え込んだサー
ビスを提供し続けるとは思えない。こつこつとものを売るような会社ではないだろう。
12)今度、ウェブを楽しむためのアテンションを上げる方法は、専用端末による専用的なサー
ビスと、適度な課金だろう。フリーが氾濫するからこそ金を払う。貴重なのはアテンションなので
あるから。
184 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/26(火) 00:24:36 0
■グーグリズム(情報主義)とネオリベラリズム(市場主義)
・ケータイサービスはウェブの選民性を解体するか
いまネットサービスは民主的といわれますが、実はとても選民性が高い。ハード、ソフトともに高
度な知識を要求する。難しいのではなく自分で学べという個人主義思想が根底にある。
デジタルデバイドの問題は貧しくてネットができないだけでなく、ネットの選民性にあります。こ
れはネットのもつリバタリアニズムから、わからないことは自ら学べという自己責任。だから家
電のように誰もが簡単に使える商品サービスが必要です。世界的にネットサービスが普及して
いますが、ほとんどが携帯電話からです。
・ウェブの選民性がアメリカの人的資本であり、世界戦略の源泉である。
パソコンをもつこと、使いこなすのは、世界的に選ばれた人々だけなんです。 日本でさえパソコ
ン使えない人多いでしょ。アメリカのみが高く、この人的資本いまの一番の世界戦略なわけです。
グーグルの中国問題も、構造的にアメリカの自由主義経済戦略とまったく同じです。中国側の
問題がありますが、各国に民主化を迫ることで、実質的にはアメリカスタンダード化しアメリカの
情報戦略力を乗り込ませる。
グーグリズム(情報原理主義)はネオリベラル(市場原理主義)がアメリカの生まれ、時期の90
年だから、「帝国」の重要な要素であるという奇妙な一致。それでもこの二つにはグーグルリズ
ムは反ネオリベラリズムであるという。
市場原理主義は批判の対象とされているのに、グーグリズム情報原理主義はまるまま受け入
れられている不思議。恐いぐらい批判のする言説がない。
185 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/26(火) 00:25:23 0
・デジタル化は貨幣以上に自由化を進める
貨幣とデジタル情報が似ているところ。貨幣もデジタルデータなわけですが。量への還元性、
誰に対しても平等であること。すなわち質的なつながりを解体する。これが自由至上主義の源
泉でしょ。
自由化の暴力ですね。そして強迫的に競争に巻き込まれる。さらにもっとも問題なのがほんと
に平等に解体されているのか、ということ。格差問題です。
さらに貨幣とデジタル情報の違いはデジタル情報はコピーできることです。情報がコピーされる
ことはデジタル還元以上の暴力でしょ。価値が下がるわけです。
・情報格差 弱者は情報を公開し強者は重要な情報を隠す
ボクが気になるのは、ウェブも民主化が金融にはほとんど起こっていないように感じることで
す。オンライン証券などあるのですが、結局、カモにされているだけで、重要な情報はヘッジ
ファンドなど専門化に握られている。すなわち弱者は公開し強者が重要な情報を隠せば格差
が生まれる。民主化はいつも弱者に働く。
情報においても、貨幣同様に持つ者と持たざる者の格差があり、自由化、民主化を推進するの
は持つ者だということですね。競争になれば勝てますから。そこにはやはり弱者保護が必要でしょう。
186 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/27(水) 20:03:14 0
情報化社会で起こっていることはデジタル化である。貨幣も一種のデジタル化である。貨幣は
すべてを貨幣価値化し、間接的に世界を作り替えた。デジタル化は一部情報だけで端的に限
界がある。実世界はアナログであり続ける。しかしデジタル化された世界を操作可能になる。
貨幣は世界を貨幣価値という一元化し、その平面での力学的である利害関心により、実社会
は再配置された。デジタルはアナログ世界の転写世界を造る。そして転写世界を無限に作り替
えることを可能にしたが、空想世界からいかに実社会へ影響を与えるかという問題がある。
ウェブの初期の独立宣言は逆にいえば、実社会への影響のむずかしさともいえる。そしてデジ
タルとアナログの有望なコネクションが貨幣価値なのである。
デジタルデータは記録媒体と、入出力装置を必要とする。そして人とのコミュニケーションにも
変換装置を必要とする。デジタルはあくまでも情報であり実態をもたない。そのために複写を含
めて自在に変態が可能である。ではいかに実社会に影響を与えるのか。
187 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/28(木) 22:17:04 0
■ウェブ・アメリカーナ
近代的主体像って世界を俯瞰することで反省するということだか、情報社会では世界は創造す
るものになる。特にウェブでの話題はそのことばかりで彼らは楽観的で反省しないように見える。
ウェブ上の主体がアメリカ人的であるのはなぜだろう。楽観的、自由至上、反省しない、テクノ
ロジーフェチ、反権威など、サイバーリバタリアンなととも言われる。
発祥がアメリカだから?フロンティアだから、多民族だから。確かにウェブ空間はアメリカ的だ。
アーキテクチャからも中国もウェブアメリカ圏でありだからこそ政府のグーグル排除が働く。真
に中国政府が怖れているのは小さな漏洩ではなく人民そのものアメリカ化教育でしょ
このウェブ・アメリカに異民族地を作りえたのは日本のケータイだけではないだろうか。ドコモが
奇跡的に作りえたこのガラパゴスでは主体は全く異なる風俗を生きている。保守的、反省的、
世界を作ることなど考えない。つながり好き。
188 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/01/28(木) 23:01:07 0
■ウェブ・アメリカーナ
近代的主体って、世界を俯瞰することで、自らを反省するということだが、情報社会では世界は
俯瞰するものではなく創造するものになる。そこでの主体はいかなるものになるか。いまのとこ
ろ、ウェブ上の主体はアメリカ的である。楽観的、自由至上主義、反権威、反省しない、テクノロ
ジーフェチ・・・サイバーリバタリアンなととも言われる。
発祥がアメリカだから?ウェブがフロンティアだから?多民族だから?中国政府がグーグルを
排除するのは、小さな漏洩ではなくウェブにおいて人民がアメリカ化教育されるからだろう。
いまのところ、このウェブ・アメリカーナで異文化圏を作りえたのは日本のケータイだけではない
だろうか。ドコモが奇跡的に起こしたこのガラパゴスでは主体は全く異なる風俗を生きている。
当然、世界を作る気などない。保守的、反省的、つながりを求める。むしろ近代的な主体に近
い。今後、情報化社会の主体はいかなるものになるのだろうろうか。
190 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/02/02(火) 11:55:19 0
■なぜiPadに魅力がないのか ITフェティシズム世代の終焉
たぶんAppleのiPadに魅力がないのは汎用性が高すぎるからだろう。そんなのパソコンで十分
でネットブックでさえネットに特化してしiPhoneも基本は音楽。部品の低価格でハードもソフトに
なり、もはや魅力的な環境を提供されないと受けない。
いままではハードが高くてパソコンのような一台でなんでもできる高い汎用性が求められた。だ
からパソコンの使い方やウェブサービスはセルフサービスが基本だった。それはまたユーザー
の高い自由度を与えた。そしてこの自由度は単に使い勝手などではなく、サイバーリバタリアン
という情報原理主義思想にまで高められている。といってもその内実はITフェティシズムとでも
いうべき楽観的な熱狂であるが。
でもいまはハードが安くなりサービス毎に多台持ちできる。iPod、ケータイ、DS・・・サイバーリバ
タリアン世代のおじさんたちはいまだにiPhoneがケータイに比べてパソコンのように自由度が高
いと誇るがまったく時代錯誤で、iPhoneの魅力はiTunesのような特化したサービスだ。
もはやユーザーが求めているのはハードではなく、サービスであってハードはソフトやサービス
に特化してた使いやすい補助的な存在であることが求められつつある。特にケータイ世代はIT
フェティシズムを持たずに提供されるサービス、掲示板やゲームなどが楽しめることが重要である。
GoogleのAndoroidの魅力のなさもそこにある。スマートフォン用のOSだけでは、なんの魅力も
ない。そもそもGoogleの弱点はサービスは便利であっても魅力のサービスがなにもない。
でも、ぴかぁ〜はそれでも買っちゃうんだろ?
192 :
考える名無しさん:2010/02/04(木) 00:22:54 0
193 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/02/09(火) 09:51:22 0
■習慣は快感の回りに配置される
習慣と快感
昔、携帯を落としてヒンジにガタがでた。握ってひねるとカチカチと小気味よく音がなる。それか
ら気づくと携帯を握ってカチカチやる癖がついた。数か月で買い替え数年すぎたがきづくといま
でも携帯を握って捻っている。
習慣とは時間と比例するように言われる。そうではなくて快感と密接に結びついている。快感の
回りに配置することで短期間で習慣化される。このような習慣の特性を明らかにしたのはフロイ
トだろう。精神分析では幼児は性感帯をめぐる性的発達段階によって社会的な習慣を身につ
けていくと考えた。
口愛期(0歳〜1歳半頃)
肛門期(1歳半〜3歳頃)
男根期(エディプス期,4歳〜6歳頃)
潜伏期(6歳〜12歳頃)
性器期(12歳以上の性器統裁の段階)
この習慣理解は画期的である。なぜなら経験論において習慣は時間をかけて人々の中で積み
重ねられることで社会的な確かな基盤となると考える。これが揺らげば人々はいかなる方法で
コミュニケーションを行い、秩序を保つことができるのか。
習慣が快感によって短期で変更されるなら、いかなる方法で社会秩序の基盤が維持されるの
か。ボクの携帯ヒンジ故障の話は、社会秩序を解体する。しかし人は慣習を捨てられない。人
格崩壊、身体維持にまで根ざしている。人は退屈に耐えられない。貧家による刺激がなければ
生きていけない。
TBSは番組曜日移動がひどかった。その番組をみたいというより曜日と番組は生活習慣で繋
がる。それを安易に崩すのは暴力だ。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20100205-593003.html
194 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/02/09(火) 09:52:33 0
ツイッター 新たな快感の習慣
アテンションはそれほど希少だろうか。マーケティングでは溢れる情報から見てもらうことが重
要であるが、個人にとってはどうだろう。個人のアテンションを最もよく説明するのがラカンの精
神分析である。アテンションは自らが存在するための欲望である。なぜにこれほどアテンション
をもとめるのか
一つの説明は情報過多の中で解体される自分を保つために過剰に承認を求めるということが
ある。逆パノプティコン。
あるいはもっと生理的な面では、他者とのコミュニケーションは一つの快感である。その意味で
はネットは快感の世界である。快感によって習慣をもとめて人々が徘徊する。実は承認欲望な
どではなく、アディクション(はまる)しているだけである。
ツイッターにはまるのは快感の中毒であるというのはわかることである。承認というのはあまり
に限定されている。返答すること、もらえることそのものが快感であり、快感の回りに配置され
た習慣である。ウェブは新たな快楽世界を開いた。人類史においてこれほど多くの人が出会い
会話することはあり得なかっただろう。
195 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/02/16(火) 13:27:47 0
■ガラパゴス化するウェブ
ボクが言いたいのはドコモがグーグルを凌駕して世界帝国を築くというようなことではなくて、
ウェブサービスは垂直統合型に進むだろう。そして垂直統合型を始めに成功させ、いまもっとも
成功しているのはアッポォでなくドコモです。
こういうとすぐにITフェチはドコモはガラパゴス化してグーグルのなれなかったといいます。垂直
統合型の意味が分かってない。たとえばこれがテレビだとどうでしょ。日本でのシェア一位。た
だし海外では海外メーカーが強い。普通の成功です。グーグル的成功とはITという特殊な分野
の特殊な季節の現象です。ITも普通になるのです。フェチのみなさんそろそろ現実を受け入れ
てください。
たとえばいままではウェブ端末といえばパソコンでした。パソコンは万能箱故に使い方が難し
く、普及が限定的でした。そこにケータイが登場した。ケータイは誰でも簡単にウェブサービスを
使えることで短期間に普及しました。
いまやウェブ端末は用途別に多様化しています。音楽、ゲーム、書籍…これからさらに多様化
するでしょう。新聞用、ツイッター用、競馬用、地図用。ポメラは通信機能はないですが、要する
にハードが安くなるとあのようなものが可能になる。
そしてこのような便利な端末では、ウェブの泥にまみれてただコンテンツを探して這いずり回る
など、機能的にできないし、ダサすぎます。安全、簡単にコンテンツが手に入ること、そこには
一回飲み会パスしても小銭ぐらい払います。だからなおかつ安全を求める。
このような垂直統合型とは、世界シェア10%なんか取れれば大成功!なかなか取れない。機
能別、国別、メーカー別に、端末込みのウェブサービスが乱立する。ようするにガラパゴスが乱
立する、ふつー消費世界です。そのときはウィンドウズやグーグルの世界征服は伝説になって
いるでしょう。
196 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/02/21(日) 15:42:26 0
■ネットの快楽
道具は力の拡張であり、快感を生む。車は足の拡張であり身体を超えた速度は魅了し興奮す
る。だからネットはアクセスするだけで興奮である。車を運転するとアクセルを踏み込み衝動に
駆られる。どこまでも速く、このうすのろの身体を引き離す。ネットにも同様の衝動がつきまと
う。このウスノロノ日常を引き離したい。ネットという道具は、より多くの人に影響を与えたいとい
う衝動にかられ、アクセルを踏み込む。たとえばウィニーはソフトがほしいのではなく、落とすこ
とそのものが快楽なのである。たとえば遠隔の不特定多数と発言すること、影響力の拡張であ
る。個人がマスコミになれる力である。
ネットのおもしろいのは、車がスピード狂のために開発されたわけではないのに対して、ネット
はまさにスピード狂たちにより開発されてきたのだ。だからネットはいまだに交通ルールがなく
スピード狂たちの無法地帯である。低い社会性のなか快感のままに走り回っている。そして多く
の廃人をうみだしている、が語られない。
日本テレビの定例会見が22日に開かれ、今春の番組改編で、情報バラエティー番組「おもいッきりDON!」から「おもいッきり」の文字が外されることなどが発表された。
87年の「午後は○○おもいッきりテレビ」以来22年半に及ぶ「おもいッきり」の歴史に終止符が打たれる。
春の改編の目玉番組は、「エンタの神様」の後番組で、人気アイドルグループ「嵐」のトークバラエティー「嵐にしやがれ」(毎週土曜日午後10時)。
嵐の5人が、ゲストや内容を知らされずに“即興”で番組に臨む。毎回異なるゲストに合わせたセットを組み、ゲストから“プロの領域”を学ぶコーナーなどが用意されているという。
また、週末の深夜に放送されていたスポーツ番組「SUPERうるぐす」が終了し、新たにお笑いコンビ「くりぃむしちゅー」の上田晋也さん司会の「ゴーイング スポーツ&ニュース」をスタートさせる。
日曜日には、野球好きとして知られる「KAT−TUN」の亀梨和也さんをスペシャルサポーターに迎える。なお、「うるぐす」で司会を務めた江川卓さんは引き続き新番組に出演する。
また、夕方のニュース番組「ニュースリアルタイム」も終了。後番組の「ニュースエブリィ」は、「情報ライブ ミヤネ屋」などのニュースコーナーを担当していた丸岡いずみキャスターをはじめ、藤井貴彦アナウンサー、小熊美香アナウンサーが担当する。
舛方勝宏専務は、「午後7時台はNHKのニュースが強くて崩せないため、ちょっと軽いものをと考えていたが、フジテレビさんが『ネプリーグ』『カスペ!』など重量打線で、1000%負けている状態になってしまった。
TBSさんも『関口宏の東京フレンドパーク2』を戻してくるし、4月からの午後7時台は戦国時代になる」と分析。午後7時台には、密室からの脱出を目指すバラエティー番組で、これまで数回放送され人気を集めた「脱出ゲームDERO!」などを放送することを明かした。
198 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/02/23(火) 21:16:59 0
ネットはそのはじめからフェティシュである。すなわち利便性を超えた過剰な欲望に
より作られてきたのだ。ネットの基本はコミニケーションである。なにをそれほどコミ
ュニケーションすることがあるのか。
ネットのこの過剰性は人の秘められていた欲望が解放されたのだろうか。そうでは
なく技術とは能力の拡張である高揚感を産むものだ。そして人の欲望は肥大する。
技術は多くの怪物を生んできた。技術屋にはそろは止められない。あらたな倫理が
必要である。
ネットという技術の不幸は身体よりもメンタルを拡張する特性にある。だから豊かさ
の上でしか成り立たない。資本主義社会の寄生物として成立するが、拡張された
精神はユートピアの夢を見る。
199 :
パラレルワールド:2010/02/23(火) 21:53:18 0
「真夜中だ。 〜真夜中ではなかった。雨は降ってはいなかった。」:サミュエル・ベケット『モロイ』より引用
200 :
パラレルワールド:2010/02/23(火) 21:57:14 0
「その時、私はよこたわったまま、何も考えてはいなかった。」:べケットによるヘーゲル注釈
201 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/02/25(木) 14:22:46 0
■なぜメディア論は誤謬におちいるのか
メディア論の誤謬
情報とはなにか、に答えるのはむずかしい。なぜなら認知されるものすべてが情報だからだ。
しかし情報ということばは、遠隔から媒介されてくる情報という文脈で使われる。すなわち情報
はメディア(媒介)による情報である。
メディアを介した情報だからなんらかの変換が行われたバーチャルである。ここからメディア論
でよくある間違いが、メディア情報が直接主体に届くと考える点である。そうではなくてメディア
情報は現前までで、認知が介在する。だからマクルーハンからつづく、メディアの変化が人間を
かえる新人類論は滑稽である。
アバターは3Dだからリアルだというのは典型的なメディア論の誤謬である。メディアからの3D情
報をいかに認知するかが欠けている。人の認知は文脈依存が高い。アバターを楽しめるのは、
それが映画であることがわかっているから、それがいままでの映画技術とは違っているとわ
かっているからだ。
アバターの付加価値はメディアとして、テレビとは違うことに価値を持つ。映画館にこなければ
体験できないという希少性が集客を呼んだ。映画は異なるメディアは体験場となる。それはリア
ルであるとかとはまた異なる。
202 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/02/25(木) 14:23:41 0
認知というメディア(媒介)の生成性
メディア論は技術主義であり、右肩上がりのロードマップを愛する。ケータイの次はスマートフォ
ンというITフェチの思考も典型的な技術主義の誤謬である。〜2 0ということばが流行っている
が、この誤謬を振り切るほど強烈なのがムーアの法則である。ITの技術主義はこれだけに支え
られてきたいってもいいすぎではないだろう。
正しくはメディア論は環境論と考えるべきだろう。環境へ影響を与えるのはメディアだけではな
いが、メディアもまた情報環境を変えていく。そこに住む主体はいかなる影響を被るか。3Dなん
かよりも面白いのはマンガである。なぜ線画にリアルを感じられるのか。アバターなんかよりも
オタクはずっと先を言っている。人はアニメだろうが、引き込まれて感動することができる。すな
わち一、二、三次元の右肩上がりと人の認知は異なる法則性をもつ。
このようなイノベーションのジレンマに陥る一つの要因が、コンテクスト管理の難しさである。コ
ンテクストには右肩上がりの法則性はない。未来予測が困難である。しかしリアルとはまさにこ
のようなものである。なにがリアルであるかは絶えず生成変化し、予測不可能である。それが
人というメディア(媒介)の認知である。
203 :
考える名無しさん:2010/02/25(木) 15:14:33 0
コテを外し忘れたままキモAA荒らしを装う波平の雄姿wwwwwww
797 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/14(火) 21:55:45 0
...-ー、,-─
.-=・=- i、-=・=-
((i))
.. -=ニ=- つのがらいクリかね?
.`ニニ´
γ´⌒\___/⌒ヽ
/⌒ ィ `i´ ); `ヽ
/ ノ^ 、___¥__人 |
! ,,,ノ爻\_ _人 ノr;^ > )
( <_ \ヘ、,, __,+、__rノ/ /
ヽ_ \ )ゝ、__,+、_ア〃 /
798 :考える名無しさん :2009/07/14(火) 21:57:03 0
>>797 もしも〜し、コテ外し忘れてますよ〜(ppp
205 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/02/25(木) 21:02:35 0
■ネットの社会貢献とは資本主義の強化
結局、ネットで最も社会の影響を与えたのはメールなんでしょうね。いまや多くのサラリーマン
が1日メールの処理に終われている。十年ほど前、メールが普及していないとき彼らはなにをし
てたかという話でしょ。それほと社会の生産性に欠かせず社会の血流になっている。
しかしこれはITフェチが騒ぐような、新たに社会や思想ではなく、今ある経済社会の効率化、流
動化のための便利なツールなわけです。このような効率化の効果は計り知れない。広告や
グーグルの効果なんて微々たるものではないだろうか。
すなわちネットはITフェチが嫌権力、嫌銭、BI、新世界、新人類の空想にツイッターの中身なし
140字世界に耽っている間に、こつこつと下部で、自由主義を強化している。ITフェチの憧れ
グーグルでさえ例外ではない。
ITフェチは「フリー」を現経済を解体するエコノミーと考えているが、あの本が示したのはウェブ
がただに見えてきちんとフリーという資本主義法則で作動し、金が儲かることを説明したわけだ。
うんこ
209 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/03/04(木) 23:52:54 0
いまだがラカンが最強であるのはそれに変わる人間の分析がないからだろう。
科学的に人間を分析するとはまず身体である。
身体は訓練によって学習する。
ある行為をくり返えすことで体がそのより性格に覚えていく。
これは科学の帰納法である。
科学は反復の中の法則性を見出すことであるので、
反復するものでなければ分析できない。
身体は反復を基本にするために分析が容易なのである。
あるいは、多数を反復として見出し、人間という法則を
見出していく。
しかし実際に、人は反復で生きていない。
人の趣向であったり、考え方、発想など、
反復を超えた飛躍によってなりたっている。
むしろ反復に還元できないものこそが人間である。
これは帰納法に対してアブダクション(仮説的推論)と呼ばれる。
科学において、反復的に検討をしてきても、
あるときひらめく。どこから来たのかわからないが。
あるいはなにかを突然好きになるが、それもいままでの反復に
還元できない。
このような発想は科学では説明できない。
なぜなら1回限りの現象には法則性を見いだせないからだ。
このような人間を説明するのは、いまだにラカンしかないのだ。
210 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/03/12(金) 00:26:22 0
■怠業と勤勉
公務員の非生産性
>>
NHKスペシャル「権力の懐に飛び込んだ男 100日の記録」
http://www.nhk.or.jp/special/onair/100228.html 1年前、”年越し派遣村”の村長を務めた湯浅誠氏。NPOとして在野で活動を続けてきた彼が政
府に招かれ、昨年秋から内閣府の参与となり、緊急雇用対策本部「貧困・困窮者支援チーム」
事務局長として活動を始めた。待ったなしの貧困対策。カメラは、従来の枠組みを超え、官僚
や政治家、地方自治体の間を自在に飛び回り、貧困者の対策に乗り出す湯浅に密着。「誰も
が平等に尊厳を大切にされる社会」を理想に掲げ、現場一筋に解決策を見出してきた湯浅は、
果たして行政に横たわる様々な障壁を乗り越え、効果的な施策を実現してゆけるのか。困難に
直面しながら格闘し、時に挫折する湯浅の100日を通して、政治主導を掲げる新政権、そしてな
かなか崩れない縦割りの官僚組織や、疲弊する地方自治体の現実を描いていく。
<<
NHKスペシャルで湯浅氏が政府で活動するドキュメンタリーをみた。1人で走り回る湯浅氏。そ
れを無表情でみる公務員。そうなんだ、公務員ってこうだよな。彼らが失業者に懸命になる理
由なんかない。今じゃバイトでも勤勉であるというのに。ネオりべの「小さな政府」の弊害が批判
されているが、そもそも「大きな政府」にはこれがある。公務員の非生産性。
211 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/03/12(金) 00:27:24 0
人は普通、懸命に働かない
最近、復刊された二十世紀はじめに書かれた古典、フレデリック W.テイラーの「科学的管理
法 マネジメントの原点」を読んだ。科学的管理法とは、生産活動において手順を標準化・合理
化し、管理者のもとに計画的行うことで生産性を最大化する管理手法のことである。
なにか面白いかといえば、いまや生産現場ではテーラー主義は当たり前だ。当たり前すぎでそ
れが科学的管理方法であることを知らない。しかし本書ではその必要性が書かれている。すな
わち人は普通、懸命に働かない=「怠業」するということだ。
>>
スポーツには全力を傾けても、一夜明けて出勤すると、気合いを入れてできるだけ多くの出来
高を目指そうとするどころか、たいていはいかに楽をしてその場をやり過ごそうかということを考
えるのだ。全力を尽くした場合よりもはるかに少ない出来高、つまり多くの場合は望ましい量の
三分の一から半分ほどの出来高でお茶をにごすのである。万が一、最大限の力を発揮して記
録的な成果を上げたりしたら、仲間たちからは野球やクリケットで手抜きをした時よりも手ひど
い仕打ちを受けるだろう。
あえて仕事のペースを緩めて十分な働きをしないで済ませることは、・・・ほぼすべての工場で
見られ、建築現場でも珍しくない。批判を恐れずに述べるなら、英米の両国において、現状で
はこれこそが労働者を蝕む最大の悪習である。P14
「科学的管理法 マネジメントの原点」 フレデリック W.テイラー (ISBN:447800983X)
<<
今の日本ではバイトでも当たり前の真面目に働く=勤勉である。日本人は気が付かないが労
働の質を高める訓練がなされているのだ。学校だけでなく生活現場そのもので。なにもなけれ
ば人は怠けるし、腐敗する。確かに現代でも安い人件費を求めて途上国で生産する場合には
当たり前に怠けてしまうことが問題にある。どの国に工場を建てるかにはこの国の賃金と勤勉
という労働の質が問題になる。
212 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/03/12(金) 00:28:15 0
ネオリベラルと人的資本
マルクスは労働を時間という量に還元した。そして資本家に搾取される。ネオリベラリストは労
働を人的資本という量に還元できない質をしてみる。だから労働者は学習し自らの能力を高め
ることで富を生むことができる。まさに日本人は人的資本を高めているのだ。
日本人が生政治装置と化している。管理された環境に人々は適合することで規律訓練され、高
い人的資本を保持している。それでも公務員になるとその資本が使われないという。(続)
213 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/03/17(水) 00:17:24 0
■不快に不寛容な日本社会
なぜ電車で携帯通話だめなのか
たとえばなぜ電車で携帯通話だめなのかいまだにわからない。おしゃべり含めて車内ではお静
かにならわかる。この日本の高い潔癖生は豊かさに支えられている。貧しさの中ではこれだけ
の規律は維持できない。
とにかくなぜかはわからないが隣で電話されると不快であると。特に電車内は逃げられない。
禁煙も電車は早くから進められた。だから近いうちに歩き通話禁止、通話エリア内でのみとなる
でしょうね。社会はどんどの不快に不寛容になっています。
最近不快なのが、高齢者に多いのですが食事後に爪楊枝でシーシーすることですね。隣でや
られると不快です。でも高齢者は当たり前に育ってきたので気にしない。昔は道でつばを吐くの
も普通だったとか。最近、人前で性器をさらす立ち小便が恥ずかしい子供が増えているとか。
どんどんナイーブになりますね
214 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/03/17(水) 00:18:55 0
不快への不寛容
このような不快への不寛容は社会が豊かになって、安全に、清潔に、機能的に洗練されたから
ですね。大きな不快が排除されて、小さな不快が浮上して気になるようになった。それがいいこ
となのか、単純には野生の動物と動物園の動物の差ともいえます。
野生の動物と動物園の動物の差といっても、人は檻に入っていません。しかし高度な快適を求
める以上、生活場は限られます。あと動物と違って、快適のためには人は自らコストを支払わ
なければなりません。それは貨幣によってしか可能ではないので、高い賃金が必要で、労働に
時間拘束されます。
あとは、動物園の動物のように、快適すぎることはストレスを生じるでしょう。現代はまさにスト
レス社会です。イジメ、隣人トラブルなど、不快への不寛容はある意味でストレスの一部です。
強迫神経症ですね。先の電車内の通話がなぜ不快なのか。わかりませんが、ストレスを感じます。
いま不快への不寛容社会日本の一番の問題は、長引く経済不況でしょう。貯蓄が多いが消費
されずに内需が伸びずに経済が成長しない。ここにも、過剰な安全性を求める萎縮があると思
います。日本ほど将来の蓄えがある国はないのに将来におびえてひたすら貯蓄する。野生の
動物のたくましさに比べて、動物園の動物は臆病でいきいきできない、ということでしょうか。
215 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/03/17(水) 00:19:42 0
生政治の限界
豊かになればるほど新たに危機が生まれる。危機は発見されるものだ。そして余裕が生まれる
ほどいままで気にもしなかった危機が発見される。たとえば隕石衝突を誰が心配したか。
日本で製造業が困難になりつつある理由。高い物価(人件費)による国際競争力低下、3K労働
の回避。3K労働の回避はかなり根深いだろう。たとえば介護労働者は有名だし、明らかにされ
ない多くの労働がしらずしらずに日本からなくなっているだろう。総中流幻想の国、日本ほどき
たないを回避する国はあるだろうか
生政治とは衛生や安全など予期を中心に生を管理し、自由経済を活性化させる政治形態であ
る。これによって日本は人類史に例を見ないほどに高度に洗練された社会を作った。それ故に
人々は満たされ(動物化し)たが、労働へのインセンティブを失い、国際競争力を失っている。こ
れは一つの行き詰まりなのか
アメリカは生政治とともに絶えず格差を維持すること、さらに新たな移民を入れることによって、
インセンティブを維持してきた。日本もある程度の格差を作り出すことが必然なのかもしれな
い。生政治に回収されない残余。それは資本主義の必然であるのか。
資本主義的には日本初格差という動力源を作り出さないといけないのだろう。今のように社会
階級格差をつくるか、移民受け入れで民族格差つくるか…中国に吸収され 格差に飲まれるか
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
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●●●●●●●●●●●●●●●●異世界●●●●●●●●●●●●●●●●●
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●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
これを見た人は確実に【異世界】になります。どこかに3回コピペすれば実現できます。
これは本当です。やらないと一年無駄になります。
サノスは哲学版でも超究極∞以上を遥かに越える程に最強最高最大無敵ですよねー。
>>215 そこで格差オッケーとか言っちゃうのは思考停止じゃね?
218 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/03/21(日) 01:46:31 0
なう
219 :
社会びたみん不足 ◆zux.LiRqWQ :2010/03/21(日) 06:45:59 0
愚鈍なやつは本の知識に頼るしかない。
220 :
考える名無しさん:2010/03/22(月) 13:25:11 0
221 :
考える名無しさん:2010/03/22(月) 13:27:55 0
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY は特に酷い害コテ
もう少し深い思考をするべき
222 :
考える名無しさん:2010/03/22(月) 15:28:45 0
223 :
考える名無しさん:2010/03/23(火) 23:28:13 0
それはマルチだよ
相手にする必要なし
224 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/03/24(水) 21:49:43 0
■サイバースペースはなぜそういわれなくなったのか
結局、ネットを生きるとはいかなることか
1 ネットの主体存在論
1)コミュニケーションとして存在する。=存在論
2)成立しない中ずり。耐えず誰かに見られていることを意識する=主体
3)ネット上に社会関係資本が蓄積される=疑似身体
ネットでは他者に見られること存在する。想像的他者が大文字の他者のように見える。貨幣価
値より他者関係により社会資本が積みあがる。そして環境の柔軟性が高揚感を産み、新たに
社会が作られているように感じ、ネットアイデンティティーが生まれる。
バノプティコン的、規律訓練装置として働くが、視線はあちこちで捏造されつづける。多様な価
値があるようで、ネットには規律が存在している。ネットという創られる環境からくる情報自由主
義である。ネット民は無意識に訓練される。
人は実社会とネットを二重に生きることになる。しかしこれは分裂病にいたるわけではない。人
は実社会でも会社、家庭、友達などコンテクストを使い分けている程度のことである。
ウェブ上には身体を持たずにマスメディア的な拡張能力をもった主体が登場する。新たなエコノ
ミーをもった新世界が夢見るのは仕方がないことだろう。
225 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/03/24(水) 21:50:33 0
2 ネット環境論
4)環境を安価に創造できる=リバタリアン
5)情報商品が只である=贈与エコノミー
6)実生活の差異=別世界、独立宣言
フーコーの規律訓練権力と生権力の流れは、社会秩序を身体的な訓練によって行うか、環境
によって身につけさせるか行うかという流れであるが、ウェブでは環境は安価に容易に設計可
能であることから、アーキテクチャとして組み込まれる。
環境によって行う方法では従順にするのではなく、欲望を想起して、活発にさせる。生権力で
は主に自由主義経済の活性化である。
とくにウェブでは環境設計が容易である。そして環境設計が目指すのは単に従順な動物として
ではなく、祭りのような活性化である。
ウェブでもコミュニケーションと活発にして、アクセス数を増やしつつ秩序を保つという環境設計
が行われる。活発であり管理されるような環境。ツイッターもさまざまにその努力がされてい
る。これは生権力言われるものと似ている。それは神の手といわれる創発性が重視されるためだ。
2ちゃんねる、blog、mixi、ツイッターにはそれぞれそのような環境設計が行われている。特に
ウェブ上は身体から解放されて、遠隔の多数へ影響を与えることができるという能力を拡張さ
れた状況という高揚状態にある。いかにコミュニケーションを活性化させるか。
自由化とは欲望を想起してエコノミーを活性化させることである。このような自由が可能なため
には単なる放任では困難である。自由は高度な環境管理の元でしか成立しない。これはネット
でも同じだ。
まさにネットは環境整備しやすいが故に、自由化に適している。プロトコルや言語など様々な企
画が統一され、それ故にみなが自由に構築できる。ネットワークとは張り巡らされた規格の高
速道路である。
226 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/03/30(火) 22:08:47 0
ツイッターのいいのはフラットではないところだろう。有名人であり、知識人であり、実社会の実
績、肩書きがきちんと評価される。糞も味噌も一緒でフラットな2ちゃんねるとは大違いだ。そも
そもフラットであるとはみんなとても重圧なことだ。優秀な人についていきたい。
ツイッターで重要であるのはツイッター外である。ツイッターをどうも一つのメディアと考えては
いけないようだ。たえず外部との関係で、補佐的位置で意味を持つようだ。あくまで補助メディア。
ツイッターの最高の形はフォローする人がわずかで、大量の人にフォローされるマスメディア型
だ。ツイッターのみではむずかしく、ツイッター外でいかに名を売るかが重要になる。すなわちツ
イッターは結果系のメディアだ。
単純に文字数の差です。ツイッターでの返信はほぼ賛同です。なぜなら賛同に比べ反論には
単純に文字数がかなり必要です。すごく単純ですがこの環境が人を順応させるのです。ツイッ
ターで人はしらずに順応し訓練されてるわけです。だからツイッターは賛同するコメントに反応
しやすく、2ちゃんねるは反論するコメントに反応しやすい。
俺様超絶究極特別階級非日常哲学派何打よねー。
228 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/04/22(木) 18:08:33 0
■資本主義と欲望
他者の欲望へのせき立て
欲望は他者の欲望への欲望。このへーゲルの真理はラカンのいうように人類共通といえるが、
まさに資本主義が積極的に社会原理として活用した。貨幣により一元価値化することで、みな
なが要求の欲望の対象=商品を生み出した。対象は貨幣価値化することで商品になり、他者
の欲望となる。
マルクスは対象は交換されて始めて商品になるといった。交換により他者が欲望したと宣言さ
れるわけだ。しかし商品はすでに転倒されて現れる。パッケージングされ、大量に積み上げら
れ、ディスプレイされ商品であると宣言されることで他者の欲望として現れる。
他者の欲望が先取りされている。商品は他者が買っているからほしいではなく、他者がほしい
がっているだろうからほしいである。他者がまだ手に入れていない、手に入れる前にほしいも
の。だから欲望はいつも先取りなのであり、せき立てられる一つ動力となる。
229 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/04/22(木) 18:09:32 0
イノベーションというせき立て
資本主義の動力の基本はこのような他者の欲望の先取りへの急き立てである。貨幣価値に
よって整流されることでせき立ては大きな潮流としての動力となる。たとえば資本主義経済が
成長しつづけられるのは資本主義の仕組みがもつ必然ではない。逆に資本主義は経済成長し
続けなければいきながらえることができない、という綱渡りの状態にある。それが産業革命から
数えても200年以上続いていることはある種の奇跡でであるが、いまのところ危うさの欠片も
ないのは驚きである。
このような不可解な経済成長を可能にしているのがイノベーションであると言われる。イノベー
ションとは単に技術革新ではなく、新たな商品を生み出そうとする無数の様々な試行錯誤であ
る。これをケインズ風にいえば、あらたなフロンティアをめざすアニマルスピリッツと言い換えら
れるだろう。そしてフロンティアは地理的なものではなく、急き立ての先に現れる他者の欲望の
先取りである。
230 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/04/22(木) 20:23:12 0
他者との差異化による深化
このような急きたては開拓者の欲望ということではなく、資本主義社会に充満している。なぜこ
んなに急き立てられるのか知らないが、資本主義社会では人はいつも急き立てられているとい
えるだろう。
資本主義社会の前、人々は自給自足の農業生活で貧しく重労働を強いられていたが、急き立
てられることはなかった。他者が同期することがなく自分のリズムを刻む。急き立てられる理由
がない。時計が登場するのは一部都市で賃労働が広まりだしてからである。
現代人の急きたては他者との同期から生まれる。別に自分は自分で他者とは関係ないと言お
うが同期は社会的な拘束力をもつ。貨幣価値に整流されることで双子のような限りなく近似的
な他者の中にいるからだ。そのような状態で同期しないことが不可能だろう。
現代人が多様化しているというが正確は細分化である。他者との差異をより切り刻み深化させ
て、個性を見いだそうとする。これはまた同期の裏返しである。
231 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/04/22(木) 20:23:59 0
パラノイア・イズ・サバイバル
アンディグローブの有名な言葉に、パラノイア・イズ・サバイバルがある。企業では他社がなに
がやってくるんじゃないかと偏執狂のように疑心暗鬼になるものが生き残るということだ。このこ
とばは現代の急きたてをよく表している。
クリスマスの日の焦りは誰かがどこかで楽しくやっているんじゃないかという急きたてである。ク
リスマスが最大の消費を活性化する日であるのは偶然ではない。クリスマスは消費文化が作
り出し、それは人々をせきたてることで成功した。
再度いえば、アニマルスピリットでも、マーケティング手法でもない。それらは資本主義の本質
の一部のあらわれでしかない。資本主義そのものが急き立てにより成立しているのだ。他者の
欲望を欲望する先取りの場によって。
233 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/04/30(金) 09:55:35 0
■世界大戦と資本主義経済の成功
近代、航海技術などの発展が海外への交易が可能になり商業は大きな富を生むようになる。
その富を独占することで資本主義と国家は協調しながら発展していく。やがて世界はくまなく国
家群に分割される。そしてその境界では貿易と紛争が起こる。このために国家は富国強兵のた
めに生産力と武力として人々を国民として規律訓練されていく。
このように考えると、近代における戦争は帝国主義による武力衝突であるとともに、グローバル
に資本主義が発展する過程であったといえる。国の隅々まで資本主義のために必要な良質な
人的資本と貨幣経済を訓練する過程であったといえる。
日本が明治以降進んだ天皇による一元的価値の訓練は、優秀な軍事力と労働力を育てる過
程であった。近代化に乗り遅れた日本が急激な近代化のあまりにヒステリックになり全体主義
化が強調されるが、資本主義経済が発展する過程であった。
234 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/04/30(金) 09:56:33 0
世界大戦後の経済大国への過程がよく語られるが、経済大国への道は明治以降確実に進ん
でおり、敗戦で焼け野原になろうとも、人的資本の高いポテンシャルは蓄積されていたために、
奇跡の復興は可能であった。逆に何もない故に自由な経済活動が行えた面があるだろう。
国家間戦争は資本主義発展の重要な機能であった。もし戦争がなければこれほど迅速に資本
主義は隅々まで浸透せず社会は豊かになることはなかった。というのは言いすぎだろうか。
いまもなぜ資本主義は成功したのか。あるいは発展途上国はなぜ資本主義経済による経済成
長できないのか。という問いがある。これを戦争に求めることはできない。最近の中国の経済
復興には前段の戦争はなかった。しかし欧州で資本主義がまだ危うく、国家が脆弱な時代を考
えると、戦争がその後の経済発展へ貢献した面は否定できないだろう。
235 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/02(日) 21:34:16 0
■エネルギーの分散化革命が世界を変える
ネットは端末のモバイル化によって日常の便利なツールになっている
ここ半年、最近のネットの傾向について考えてきた。一言で言えば端末のモバイル化によって
日常の便利なツールになっている。数年前のサイバースペースという言葉に象徴される実社会
でない新たな秩序という熱い理想の黎明期から現実的に価値を生む成熟期へ。
最近のアップルはとても日本式経営を参照しているように見える。短い期間で少しずつ新機能
を付加し製品価格を維持する。またプラットフォームを抱え込むことで他社を排除する。これで
カラパゴス化しないのは日本企業のように一から市場開拓せずとももともと海外へ地の利があ
るからだろう。
最近ネットに逆行現象が起こっている。アップルのプラットホームの抱え込み、ツイッターの知
名度重視など。電子書籍も利権の取り合いだし。ハッカー文化からグーグルにつながる公開、
平等のネット文化の独立性からの反動か。
あとネットの逆行現象でいうと、ブログを中心とした草の根のネット論壇から、マイナー知識人
たちによるプロへの回帰。このようなネットリバタリアニズムからの保守化の傾向はなぜおこっ
ているか?わかる人いるかい?
236 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/02(日) 21:35:03 0
エネルギーの分散化革命
いまはマサイ族でさえケータイを手放せないらしい。基地局は無線、電源は太陽電池なのでイ
ンフラが低コストで可能になっている。この流れはかなりすごい。たとえば電気自動車は構造的
に簡単にコンパクトにつくれるし、エネルギーは太陽電池から供給される。なんか世界がかわり
そうだね。
ITの便利ツール化で、ITそのものはもうあまり面白くないのかなと思っている。電子書籍で日本
の出版界の既得権益がどうとか、小さな話で、それより分散化電源で世界がどれほどかわる
か。環境問題ではなくエネルギーの解放により生産の民主化が起こるよ。
ハイブリット車とか日本の環境技術はすごいとおもってたけどそういうことではないんだな。電
気自動車は構造が簡単すぎて、プラモデルのようにできちゃうので、もう違う乗り物で、ずごい
安くなる。これだけで生産の分散化革命がおこる。日本人は高いものを作ろうとするけど。
そりゃ、中国と日本の環境技術は比べものにならないわけだけど、中国では電気バイクが普及
して、太陽電池も普及しはじめている。日本では環境技術は地球にやさしい善意によるか、国
の補助金によるか。
中国では国の政策もあるが、インフラが整備されてないから太陽電池、安く使いやすいから電
気バイクとそしていま電気自動車も、きちんと経済則に則っている。日本勝てる?
民主党がどうとか政治が熱いとか言うが、日本の閉塞は世界で進む生産の分散化に対応でき
ないことにある。高度な製品、過剰な品質、高い人件費による高級品による閉塞。
237 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/03(月) 00:42:50 0
238 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/03(月) 00:43:55 0
239 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/03(月) 00:44:42 0
240 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/03(月) 00:45:37 0
241 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/08(土) 16:15:22 0
■日本人は国家依存から脱却できるか
信頼と支える慣習と自然
信頼は二つのファクターにより支えられている。一つはいままでそうしたから今日もそうする「習
慣」、もう一つが経験していないが経験から推測される「自然」。日本人は後者の「自然」への依
存が高い。法律や規律よりみなが「自然」共有していることを信じている。
海外では自然が複数存在するために争いと共に懐疑が生まれる。内的に自然とは何か、外的
に複数の自然を調停する超自然とはなにか?このとき経験では導けない超自然が思考され
る。これが西洋合理論の系譜となる。それを系譜するのが左翼であり市民としての自立した自
覚である。
242 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/08(土) 16:16:18 0
日本の信頼を支えてきた国家主義
日本も明治以降西洋にさらされ、経験では導けない自然への懐疑に陥った。しかしそれを回避
したのが天皇崇拝の国家主義だろう。その間続いた左翼への弾圧は単に市民革命の回避で
はなく、左翼が持つ合理論的思考の排除である。
それは戦後になっても続く。なぜ米国が戦後も天皇制を継続したのか。その一つがすでに始
まっていたロシアとの冷戦構造において、日本を左翼化させないためである。すなわち天皇制
を否定することで日本人が懐疑に陥らないように。だから戦後も左翼への風当たりは強かった。
そして戦前のように天皇信仰のなかにいなかったようであるが、日本の経済成長のために政
府が優遇する大企業を中心とした会社社会として、国家主義は継続してきた。
243 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/08(土) 16:17:05 0
日本の信頼を支えてきた国家主義
日本も明治以降西洋にさらされ、経験では導けない自然への懐疑に陥った。しかしそれを回避
したのが天皇崇拝の国家主義だろう。その間続いた左翼への弾圧は単に市民革命の回避で
はなく、左翼が持つ合理論的思考の排除である。
それは戦後になっても続く。なぜ米国が戦後も天皇制を継続したのか。その一つがすでに始
まっていたロシアとの冷戦構造において、日本を左翼化させないためである。すなわち天皇制
を否定することで日本人が懐疑に陥らないように。だから戦後も左翼への風当たりは強かった。
そして戦前のように天皇信仰のなかにいなかったようであるが、日本の経済成長のために政
府が優遇する大企業を中心とした会社社会として、国家主義は継続してきた。
244 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/08(土) 16:18:10 0
それでも国家に信頼を求める日本
しかし国家に支えられた会社中心社会が解体しつつあるいまの傾向はそれでも国家である。
近年、政府への要望、依存が直接的でヒステリックになりつつある。事業仕分けを象徴として富
の分配への高い関心など、そして次々に首相の首を取り替え、政党を取り替える。
それも限界だろう。そろそろ日本人も、国家とは別の信頼をつくりだす必要がある。そのために
は内的に自然の懐疑とともに、外的な複数の自然と調停する方法を思考する。そのためには
会社としてでなく、市民として海外に出て行く必要があるだろう。
245 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/08(土) 16:18:57 0
>>
日本の良さが若者をダメにする レジス・アルノー
http://newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2010/04/post-158.php だが、こうしたマイナス面があるにも関わらず、18歳になるまで日本で暮らしたフランス人の多
く(いや、ほとんどかもしれない)が選ぶのは、フランスよりも日本だ。なぜか。彼らは日本社会
の柔和さや格差の小ささ、日常生活の質の高さを知っているからだ。
日本とフランスの両方で税務署や郵便局を利用したり、郊外の電車に乗ってみれば、よく分か
る。日本は清潔で効率が良く、マナーもいい。フランスのこうした場所は、不潔で効率が悪くて、
係員は攻撃的だ。2つの国で同じ体験をした人なら、100%私の意見に賛成するだろう。
・・・日本の若者は自分の国の良さをちゃんと理解していない。日本の本当の素晴らしさとは、
自動車やロボットではなく日常生活にひそむ英知だ。
だが日本と外国の両方で暮らしたことがなければ、このことに気付かない。ある意味で日本の
生活は、素晴らし過ぎるのかもしれない。日本の若者も、日本で暮らすフランス人の若者も、ど
こかの国の王様のような快適な生活に慣れ切っている。
外国に出れば、「ジャングル」が待ち受けているのだ。だからあえて言うが、若者はどうか世界
に飛び出してほしい。ジャングルでのサバイバル法を学ばなければ、日本はますます世界から
浮いて孤立することになる。「素晴らしくて孤独な国」という道を選ぶというのであれば別だが。
<<
246 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/09(日) 08:52:24 0
明治時代は江戸時代の体制を使いいかに即興的に西洋へ対抗し得る国家に仕上げることが
目指された。伝統的なムラ社会を天皇を媒介に国家というムラ社会への集約し、また廃藩置県
で財政を政府に集約し、産業分野へ投資する。その場合、国営企業だけではなく、商品資本を
財閥へと優遇した。
このようなシフトによって富国強兵を目指す。経済は国家が主導することで軍事力へもっとも投
資される。その当然の帰結として西洋との対等な帝国主義国家への向かう。防衛としてのアジ
ア進出から植民地化へ。これは結果的に敗北に終わる。
戦争によって大きな負債を負うと共に、国家資本主義は国家の隅々まで行き渡る。戦後は冷
戦構造の戦力になることを求められ、民主主義を導入されると共に、産業推進では国家−財
閥による国家資本主義はそのまま推進される。世界情勢と関係しながらも高度成長をへて経
済大国に成長する。
現代日本の特徴は、大企業による自動車、家電を中心とする高い技術力を背景に輸出を強化
すると共に、内需ではガラパゴス化した高度な商品文化を構築した。生活の細部にわたるまで
開拓し尽くされた商品サービスは貨幣依存を生み、個人の孤立を生み出している。
バブル期を経て、経済成長が鈍化するかで、大企業は全員の生活を支えきれなくなっている。
それとともに商品はより生活の細部を目指し、また貨幣依存を生み出し、個人主義を生み出し
ている。このために個人は貨幣依存する、そして貨幣を分配してくれる先としての国家への依
存を深めている。
247 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/09(日) 22:57:02 0
■日本人はいまも和を重んじる
日本人の特徴…集団を重視し主体性が低い。和を重んじる。散々言われてきたこの特徴は今
もかわらないだろう。どこに帰属意識の重点を置くかだけで。
最近の若者の特徴である他者回避にしても帰属意識の引力がある上の特徴と言える。高度に
発達した消費社会により、安価に他者回避しながらそれなりに快適な生活ができてしまう。
これは日本人が自立した主体として西洋化しつつあるとはいえないだろう。古くからの日本人
の集団圧の裏返しである。だからその反動として、ネットでコンビニエンスな他者とのつながり
を過剰に求める。
248 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/12(水) 05:31:51 0
■日本人はいまも和を重んじている
日本人論の非連続性
日本の大衆音楽史を語る場合には、日本史のみを語っても意味がなく、西洋音楽史と平行して
語る必要がある。連続性を持つのは西洋音楽で、日本の音楽は各時代ごとに西洋から輸入さ
れ改良される。だから日本大衆音楽史としては非連続的である。
これはそのまま明治以降の日本の思想史にも当てはまるだろう。さらには「日本人とはなのか」
という日本人像のとらえにくにも言える。多くにおいて日本人論が世代論として語られるのはそ
のためだ。
249 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/12(水) 05:32:39 0
「和を重んじる」と「他者回避」
それでも一般的に言われ続けたいくつかの日本人の特徴はいまでもかわらないのではないだ
ろうか。たとえば「和を重んじる」。集団を重視し主体性が低い、という特徴は、どこに帰属意識
の重点を置くかの違いだけで今もかわらないのではないだろうか。
たとえば世界的にはいまだに市場(いちば)での定価のない交渉による商品交換が一般的だ
が、日本の商品交換は、ファーストフード、ファミレス、コンビニなどどこでも誰でも等しい価格と
いう平等を重視して広まった。これは当たり前と思うかもしれないが、全国に高度な商品ネット
ワークシステムが張り巡らされている必要がある。
このような高度に発達した消費社会により、安価で「他者回避」しながらそれなりに快適な生活
ができてしまう。このような環境を享受する最近の若者の特徴である「他者回避」は、日本人が
自立した主体として西洋化しつつということではなく、逆にいまも帰属意識の引力働いている故
にそれを回避しようとという特徴と言える。
古くからの日本人の集団圧の裏返しである。だからその反動として、若者はネットでコンビニエ
ンスな他者とのつながりを過剰に求める。
250 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/12(水) 05:37:14 0
>>
私達の伝統的宗教がいずれも、新たな時代に流入したイデオロギーに思想的に対決し、その
対決を通じて伝統を自覚的に再生させるような役割を果たしえず、そのために新思想はつぎつ
ぎと無秩序に埋積され、近代日本人の精神的雑居性がいよいよ甚だしくなった。
・・・問題はむしろ異質的な思想が本当に「交」わらずにただ空間的に同居存在している点にあ
る。多様な思想が内面的に交わるならばそこから文字通り雑種という新たな個性が生まれるこ
とが期待できるが、ただ、いちゃついていり喧嘩したりしているのでは、せいぜい前述した不毛
な論争が繰り返されるだけだろう。
「日本の思想」 丸山真男 (ISBN:400412039X) P63-64
<<
251 :
考える名無しさん:2010/05/12(水) 08:57:05 0
美とはなんなのか
美しい女を美しいと認識して感情が揺れる
景色を美しいと思う
美の根源は秩序と調和と整然が揃った時ではあるまいか
しかして美を見出すのは人のみ
勝手な解釈にすぎんのかな
252 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/14(金) 20:09:11 0
>美の根源は秩序と調和と整然が揃った時ではあるまいか
で、揃った時はなぜ美なのかな?
253 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/14(金) 20:10:36 0
>美の根源は秩序と調和と整然が揃った時ではあるまいか
揃った完璧ではなく、そこからのわずかな崩れが、美だという見解もある
254 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/16(日) 22:32:16 0
■日本人はもう懸命に働く必要はないのか?
・流れとしては、労働時間を減らす→経済成長が低下→雇用が減る→格差が広がる→格差を
生まないよう法的に労働時間を規制する→闇労働が増える?みんな働きたいわけで労働の自
由を奪うのか?あとは外資をどうするかだね。日本企業の価値が下がり外国資本に変われ、
経済的占領されないか?
・社会主義以上の高度な計画経済が必要になるよね。たぶん適度な労働時間調整できずに、
大量の失業者がでて破綻するんだろうね。資本主義は何にせよなるように任せるしかなくて、
それは自由競争による経済成長なんだよね。
・今日本を筆頭に少子高齢化、低経済成長社会さらに環境問題に向かっているけど、これって
案外、自然の資本主義が低労働社会へ成熟する過程かも知れないね。人間心理を含めた大
きな自然の自己調整機能が働いているのかも
・ボクたちは漠然と進歩史観にいるけど、実は量ではなく質も変化している。産業革命以降の
爆発的経済成長、人口増加は一回かぎりのことだし今後はその量的な延長にはない。日本は
その過渡期にいて省エネ型の生活に戻らざるをえないんでしょうねマルクスの予言通りになる
かは知らないけど
255 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/16(日) 22:33:04 0
・資本主義のドライブは鞘取りでしょうか。産業社会という電車に乗り込んだ以上、資本主義以
外にいまの豊かな社会を達成できない以上、後戻りできない。
・確かにいまの日本はむちゃくちゃに働かない選択はあるかもしれませんが、それは個人の自
由と言うことでしょうね。ただあまり働かず、「相対的に」貧しく生きるのは覚悟がいるかと。
・資本の意味は鞘取りが先か、産業社会が先か。たとえば産業革命前にも商人貿易への資本
投資はありましたから。テイクオフは産業社会への人々の殺到による。
・この辺りはまさにマルクスとウェーバーの資本主義起源の対立になるので難しいですが、資
本に関係しないほとんどの労働者のインセンティブはどこにあるのか?ただ資本家に搾取され
ているのか。
・要するに「鞘当て」がドライブなんだから株価が上がらない現状で労働する必要はないという
ことですか。ではなくて価値はあくまでも生産現場で生まれるので株価が上がらなくても経済は
成長し、豊かになっているわけです。
256 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/16(日) 22:34:04 0
・そもそも安心は可能か、という疑問はありますが。どちらにしろ資本主義に安心を委ねている
わけです。かつての農耕のように生産手段を持たないわけで、この電車が破綻したら明日の生
活もできない。これは金持ちでも同じです。だから経済を成長させるしかない。
・ボクが資本の力で重要だと思うのは日常より非日常。ケインズの言うエコノミックアニマル。よ
うするにリスクにあるところに投資しする。いまなら途上国への投資とか。安定した所に投資し
ても儲からないので。もう日本は有望な投資先ではない。
・フリーターが増えているのは雇用がないだけでなく、労働形態の選択肢が増えていることで
しょ。それだけ高度な消費社会になったということでしょ。国内で働かない人がいれば、海外に
でるなど懸命に働きたい人もたくさんいるわけで自由ということですね。
・海外に出ることは海外の安い人件費を求めるので日本の雇用は減りますが、海外で日本製
品が売れるのは、日本で開発され販売された他国に負けない高度な製品だからですね。だか
らなおさら日本人は頑張って働かねば
257 :
考える名無しさん:2010/05/17(月) 03:43:16 0
哲学の本とか読んでいると、いろんな本からつまみ食いしているってのが多いな
論語や韓非子あるいはニーチェから、作者が勝手に選んだのを取り出して用いている
だけど、それでよいのかな?
個々の思想は正しくとも、そのようなつまみ食いでは一貫性を持たないのではないかとも思うが
258 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/26(水) 20:39:09 0
日本の思想 済み
丸山眞男セレクション 済み
日本政治思想史研究 読書中
現代政治の思想と行動 未
忠誠と反逆―転形期日本の精神史的位相 未
259 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/26(水) 20:45:23 0
■AKB48ってまさにポストフォーディズムだな。自己責任、自己勉強、使い捨て。労働組
合作ったほうがいいよ。
■現代はストレス社会である。流動性が増す、すなわち速度を決める時間と距離が人
の生理へのストレス(圧力)を生む。そのために人は絶えずテンションを高めおくことが
求められる。このメンタルの微妙な調整に人は苦労する。
■民主党の強さはまとまりのなさにありますね。総理がヘマしようが誰かがなにを言お
うが、それはその人が言ったことで私の考えはちょっと違う。ということで絶えず前向き
に見える。そこでは責任が回避され続ける。反自民だけで成立してきた信念なき集団。
日本はしばらく浮草の如く漂いそうだ。
260 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/26(水) 20:46:09 0
■昨日のクールジャパンは日本人の雑学好きでしたね。海外の人には系統だたない知
識を覚える日本人の性向はわからない、あるいは人生の無駄、ギーク(オタク)らしく。西
洋の功利主義に対する日本人特有の、方法を目的化するスノビズムの現れなんでしょうね
■日本人はどうしても西洋の宗教や哲学や思想って最後の最後で笑ってしまうよね。そ
んなものがなくても結局やっていけると思っている。それは微積分知らなくても生きてい
けるというに近い。この自信がどこから来ているかといえば、日常の経験である。
■近代化とはなにかといえば、形式的合理化による社会再構築だろう。これは産業化、
資本主義化だけではなく、民主主義にも通じる。君主制から国民主権による法統治。そ
してこの形式的合理化とは貨幣特性に基づいている。これは金で割切るという単純なも
のではなく貨幣のもつ平等性、合理性を転写している
261 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/29(土) 18:47:43 0
■クールジャパンとスノビズム
日本人のスノビズム、手段を目的化する能力の高さは、絶えず文化の閉塞を回避する。新しも
の好き、好奇心旺盛、勤勉、まめさという日本人の特性はここから来ている。
それは現代でも全く変わらない。高度成長期は豊かになりたいという仕事と、奇跡的に価値を
同じくできたが、現代は経済的な閉塞から仕事とは別に迎う傾向があるとしても、日本人は勤
勉でまめで好奇心旺盛であることにはかわりがない。クールジャパンの多くもここから来ている。
262 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/29(土) 18:48:32 0
■「日本政治思想史研究」 丸山 眞男
丸山のおもしろさは特に西洋哲学を知るものには、分かりにくい日本の思想を西洋思想の枠組
みで分かりやすく分析してくれるために面白い。しかしあまりの簡潔すぎる。むしろ西洋哲学理
解を相対化する価値が高いかもしれない。フーコーが気に入ったのはこの辺りか。すなわちマ
ルクス的分析の可能性として
丸山による朱子学と徂徠学の対立は、見事に西洋の合理論と経験論を当てはめている。まず
疑問は儒教前の日本人の経験主義的な感性はどこに言ったのか。
丸山の徂徠学分析はどこまでもマルクス時代的である。観念(イデア)に陥らずにいかに実践的
に世界を変えることができるか。ソライとは江戸時代のマルクスということ。
263 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/29(土) 19:14:34 0
■なぜ日本人にはアイパッドは必要ないのか。
なぜだろう。アイフォン、ツイッター、アイパッドの流れはネットの存在を無視して、すでにネット
に追い立てられた弱退化しつつある既存産業に勝ち誇ろうとするのか。この潮流はなんなのだ
ろうか。単なるパソコン世代の懐古主義か、金儲け社会の延命か
ようするにアイフォン、アイパッドブームはIT産業の衰退の象徴なのではないかということなのだ。
ウェブってほぼテキスト文化だからなあ。キーボードがないのは限界があると思うけど
な。アップルはキーボードがないことでユーザーの自由度を抑えて、課金を成功させてるんじゃ
ないかな。要するにテキストベースのフリーウェブから隔離する。ドコモ商法の2匹目
結局さ、ネット端末としてのパソコン文化って米国だけなんだよね。世界ではケータイが主流だ
からね。アイフォン、アイパッドとか、基本パソコンの補助だからね。テクストはデスクトップで打
つ。机に座る以外に便利な端末。かなり米国文化に根ざした端末。
だから日本でアイフォン、アイパッド騒いでいるのは、パソコン世代のITフェチだけだからね。
ケータイを基本にしているほとんどの日本人には使いにくい端末だよね。
264 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/30(日) 09:35:05 0
■iPadというハッカー文化の終焉
アップルがもっとも重視しているのはiPodをどこまで売り続けるか。動画に対応させ、電話機能
をつけ、アプリを走らせ、大型にして、書籍に対応。ものそのものはそれほど変わっていないが
価格を維持し売り続ける日本メーカーのような手法。しかしiPadは少し安直だったのでは。ただ
大きくしただけで何のためが軽視されている。
ハッカー文化の時代から、ITの原動力はフェチシズムだった。情報交換が目的ではなく、IT技
術そのものを愛でる文化。発売時に行列を作りお祭りをするのにも現れている。それに対して、
ケータイ文化はコミュニケーションが目的でIT技術へのフェチはない。似ているが違う文化、世代。
ハッカー文化は60年代生まれなので、情報の自由というイデオロギーをもつ。だから書籍の解
放とか、既存産業へ対抗を語る。ケータイ文化はケータイ小説など結果的に既存産業を解体し
ているが、イデオロギーを持たず気にしない。
iPhoneの多くのごたくに対して、冷静にケータイに比べると時代遅れ感があったが、iPadでは決
定的だ。ハッカー文化の終焉のようだ。もはやIT技術はイデオロギー、フェチを越えて身近な便
利なツールとなった。電子書籍の衝撃とか騒いでいるのはオッサンだけ。
265 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/05/30(日) 19:54:49 0
266 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/05(土) 19:15:16 0
■なぜ日本人はガラパゴス化するのか
ローコンテクストへの日本人の恐怖心
日本人にとって習慣で処理できないこと、始めての場面に出くわしてフリーズしてしまうこと、は
恐怖である。それは日本人でなくても恐怖であるかもしれないが、多くを習慣で処理できる社会
で生きてきた日本人にはより恐怖である。
このような場面をいかに乗り越えるかといえば開き直りの決断である。はずかしがらずに飛び
越える。外国人は多かれ少なかれ異文化が身近にあり生まれながらにこのような環境に出く
わしてなれている。あるいは訓練として身につけている。明るい社交性の振りもそのための技
術の一つだろう。
ハイコンテクストな社会を生きる日本人は、そのような場面に慣れずキョドってしまう。自らを主
張するとは慣習を越えて、曝け出すことであり、それが苦手なのだ。
267 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/05(土) 19:16:23 0
ハイコンテクストへの強迫性が日本製品を生み出す
日本人の高度な商品文化はクールジャパンとして有名である。生活の細部に渉まで行き届い
た商品群や、行き届いたサービス。粗雑、適当な外国人には驚きであるが、これはまさに日本
人のローコンテクストの強迫的な恐怖心の裏返しである。
日本のガラパゴス化と言われる現象もここからきている。日本製品特有の多機能性は非慣習
排除、過剰サービスの表れである。だから海外製品に比べて日本製品はある種の病的であ
り、海外で売れるわけがなくガラパゴス化する。
日本人が資本主義において成功しえたは高い技術力ではあるが、その背景には内需のもつハ
イコンテクストへの強迫性がある。必要性では満足せず使っていることを忘れる空気のように
なるまで求める。それはスノビズムな文化である。
268 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/05(土) 19:17:10 0
若者の〜離れとは
しかし最近、内需が閉塞しているのはなぜか。強迫性が薄れたのはなぜか。若者の〜離れと
はこのようなことだろう。経済の停滞だけでは説明できないだろう。ハイコンテクストが満たされ
たためか。大きな理由はネットコミュニケーションの発達と関係するだろう。
日本のIT文化はハイコンテクスト、ガラパゴスなケータイ文化とパソコン、アイフォンの外来の文
化に分かれる。属に言う、ITフェチの特徴は、日本人のハイコンテクストへの嫌悪である。ガラ
パゴス化という言葉は彼らが日本蔑視のために生み出した。世界に開かれているリバタリアン。
(つづく)
なるほど、確かにぴかぁ〜は間違いを指摘されても、
『ファイヤー!!』等と叫んで誤魔化してしまいますよね?
それには開き直りによる逃避の技術だったのですね。
オールアバウトなスレですね
271 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/06(日) 00:14:51 0
たとえば?
272 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/07(月) 10:47:14 O
■なぜ日本人は異文化との付き合いがうまいのか
思想は身体訓練で伝承される
日本人に思想が無いわけでなく、わざ、習慣、身体訓練として伝承され、言語化さ
れないわけ
です。実は思想の在り方としてはこちらが一般的です。太古から民族はそうして思
想を伝承し
てきたわけです。
まず理解しないといけないことは言葉は思想伝達法としてほぼ使いものにならない
ということで
す。たとえば会ったことも見たこともない民族がいて彼らの思想を書いた本を読ん
で何がわか
るでしょうか。実際に一緒に生活してみないとなにもわかりません。
たとえば旨いザーサイを食べたリボーターはいかに読者にその旨さを伝えるか。日
本人同士は
親しげに食べてりればわかるといいます。西洋哲学者はそれをメタファーや造語を
駆使して、見
事に言葉にするわけです。それは実際に食べるより素晴らしかったりするわけで
す。
273 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/07(月) 10:48:42 O
言語思想の暴力性
しかし言語で思想を伝えなければならない状況はとても切羽詰まった状況です。そ
の状況は多
民族に自らの思想の正当性を訴えかける弁論述としてです。日本人が日本人論を書
き始めた
のは明治に知識人が留学を始めてからです。島国日本では他者に自らの思想を訴え
ることが
なく、わざ、習慣、身体訓練としてしかなく、当然、うまく言語化できない。それ
が近代日本人の
劣等感になっていくわけです。
よく日本人は言語思想をもち外国に主張しなければならないといいますが、本当で
しょうか。言
語思想を語ればわかりあえるのでしょうか。そもそも西洋の近代思想はいかに発展
したか。世
界の資本主義化と密接な関係があるわけです。すなわち西洋の資本主義、それは海
外に向け
ては植民地主義、軍国主義の正当性を訴えるためです。
274 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/07(月) 10:50:05 O
日本人の思想の成功法則
日本人は辺境島国から言語思想の習慣を持たない。その代わり海外から伝わる言語
思想に
対立ものがなくかぶれやすい。日本人は世代ごとに到来する渡来思想にかぶれる。
いままで
の日本人はダメだと。しかしこれはうわべで、習慣としての日本思想に影響がない
からできてる
わけです。そして外来思想が真に日本人の思想に影響を与えるのは時間をかけて習
慣化する
ときです。その過程で外来思想はかなり日本風に独自のものになっているわけで
す。ここに日
本人の成功法則があります。
近代化の過程で日本人は独自のアレンジしていますが資本主義によく順応しまし
た。これは産
業技術が実践的で習慣訓練化しやすいからですね。それな対して民主主義はうまく
修得してい
ません。これは多分に言語思想だからですね。現代においても、これだけ世界に誇
る技術大国
になっても、西洋の哲学思想という言論術は中二病者の屁理屈としてしか受け入れ
られていな
いの現状でしょう。
日本人が自分たちの言葉を持ちたいという自体で変です。いま留学中ですか?思春
期です
か?童貞ですか?9割これに当てはまりますね。頑張ってください。
275 :
考える名無しさん:2010/06/07(月) 15:35:52 O
あ
277 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/08(火) 14:47:42 0
■なぜ日本人には民主主義は浸透しないのか
「貨幣の前の平等」から「民主主義の平等」へ
人は生まれながらの特性も違うし、育つ環境も違うし、習慣において平等というのはありえない
んですね。そんな文明はなかった。それが資本主義が全面化したときに大きな変化が起きる。
貨幣交換が浸透すると貨幣の前に平等が生まれる。貨幣交換では相手が誰だろうが貨幣を
持っていることで商品交換が成立するという貨幣の前の平等。これは今で言えば自由主義思
想ですね。自由に経済活動を行うことで平等は自ずと達成される。
しかし資本主義が浸透する過程でどうもそうもうまくいかないことがわかってくる。たとえばマル
クスが注目したのが貨幣交換ではなく資本です。貨幣が資本という形態を取る場合には「貨幣
の前の平等」とは異なる挙動をする。
資本は貨幣交換機能を超えて、貨幣を生み出す。そして資本家は生み出された貨幣を独占し
ている。だから平等はもっと能動的に目指すべきものである、ということです。「貨幣の前の平
等」を超えて平等を様々に拡張することが「民主主義の平等」です。
まさに現代の右派、左派はこれを基準にしています。保守派(中道右派)とは、「貨幣の前の平
等」を重視し、市場経済が浸透することで平等な社会が達成されていく。それに対して、リベラ
ル(中道左派)はそれだけでは不十分で富の偏在がおこるから、平等を目指して積極的に富の
再配分の制度を導入する必要がある。
278 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/08(火) 14:48:31 0
「民主主義的な平等」を習慣化することの困難さ
「貨幣の前の平等」は市場経済が浸透することである程度習慣化されて社会に根付くでしょう。
実際日本の資本主義は護送船団型資本主義としてやってきたので、まさに不平等(搾取)がお
こっているわけですが、社会全体が豊かになることで許容されてきた。
それとともに、貨幣の前の平等を超えた「民主主義的な平等」は、まず言語思考して思想として
理論化して、法として明文化して、制度を作り、習慣として社会へ浸透させなければならない。
すなわち実践的に習慣化するのが困難です。
特に言語思考から理論化する習慣に乏しい日本人の苦手な領域です。過剰な平等は習慣に
よって社会秩序を維持することに長けた日本人には、杓子定規で感じるでしょう。だから西洋で
の導入を横目に、理念への理解とは関係なく、導入してみるということになり、浸透するかどう
かは不確定です。
それでも、現在おこっている民主党支持への左旋回はいかなる意味を持っているのか。成熟し
た経済が今後も豊かになることが困難な不安から、遅ればせながらとうとう日本にも市民(プロ
レタリア)革命が起きようとしているのか。ただ富の分配にあずかろうと集っているのか。
279 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/09(水) 18:55:29 0
■なぜ日本人論を語らなければならないのか
日本人は通時的な思想をもつか
日本人論についていくつか読んでいるが、なかなか難しい。有名なところでは丸山の日本人に
は統一した思想がなく、蛸壺的に外来思想を取り入れているというものだ。ここには二つの仮
説が含まれていて、一つは日本人は通時的な思想をもつか、と外来思想を吸収しやすいか
後者は他の論者に共通する所である。吸収するだけでなく、独自にアレンジする。それに対し
て前者の統一した思想がないことには反論が多い。そして加藤は日本人の連続性を土着的と
呼ぶ。現実的、実働的、生活に根ざした。和辻は仏教伝来時を考察し、日本人はその真意を理
解できず現世のご利益を祈ったと
かといって丸山が間違いと言えないだろう。丸山がいう思想とは言語により体系化されたもの
で、他の思想とは相対化しえるが、他の論者が言う日本人の思想なるものは思想なのか。しか
しこのように考えると思想なるものがすでに西洋思想を前提としている。
280 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/09(水) 18:56:16 0
日本人のジレンマ
明治に入り、西洋に占領される強迫状態の中、日本の知識人たちは懸命に対抗しようとした。
それは西洋の中で自らを自立させて見せることである。しかし日本には西洋のような語るような
思想がなく、様々な言語が作り出された。その成功したものが天皇中心思想だったわけである。
長い歴史の中で日本人とはなにかをこんなに語ったことはないだろう。天皇制は西洋で言う絶
対主義のアレンジしたものである。
そもそも思想は言語体系化されるものだろうか。どんな民族にも通時的な文化「思想」をもつ
が、ほぼ言語体系化されないし、する必要がない。ボク達が日本人マニュアルを読んだことが
ないのに日本人的であるのはなぜか。
それは日本人の中で生活しているからである。それはドイツ人でも、ポリネシア人でもかわらな
いだろう。西洋人は西洋思想を読み西洋人になるのではない。ならなぜ西洋的言語思想体系
が必要なのか。
これは日本人が日本人論を語るジレンマなんだろう。すなわちなぜ西洋思想風に日本人論を
語らなければならないのか。語るときまさに翻訳するごとく何かが失われていく。
281 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/09(水) 18:57:04 0
西洋思想という特殊性
思想を言語体系化することが一つの文化であるが、それが土着的な思想を表しているかとい
えば違うだろう。だから西洋人の土着的な思想は西洋体系思想とは異なると思う。なぜ彼らは
言語体系思想にこだわるのか。といっても古いものではない。西洋思想が生まれたのが十七、
十八世紀の啓蒙思想期なのである。
西洋思想の特殊性、そしてなぜその特殊な思想が重要であるのは科学技術、さらには資本主
義の成功のためだろう。この成功の基盤ということであるが、そう単純にはいかない。そのポイ
ントになるのが啓蒙思想だろう。
啓蒙思想はいまや古臭い形而上学と考えられる。科学技術は理性よる基礎付けなど無視をし
て帰納的に発展し続けている。しかし啓蒙主義の自身が資本主義の中から生まれた以上、そ
れはいまも基礎付けをになっている。
(つづく)
素晴らしい理論です
283 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/09(水) 21:53:08 0
すなわち西洋思想−科学技術−国家−資本主義の中に、「合理主義にもとづく統一の要請」
は隠されている。
>>
かくしてわれわれが十八世紀の思想を十七世紀のそれを比較してみても、この両者のあいだ
には厳密な意味での断絶はけっしてないということが明らかである。新しい認識理念は、十七
世紀の論理学および認識論、とくにデカルトとライプニッツが準備した前提から不断にしかも首
尾一貫して発展させたものである。思惟方式の差異はなんら根本的な変化を意味しない。この
区分はたかだか力点の置きどころの移動にすぎない。次第次第に価値の力点は普遍的なもの
から個別的なものへ、「原理」から「現象」へと移動した。だが根本的な前提、すなわちこの二つ
の時代のあいだにはいかなる対立矛盾もありえず、むしろ完全な相互規定が存在するという前
提は−新しいまったく異なった形の問題提起を行なったヒュームの懐疑論を除外すれば−確乎
として存続した。「理性の自己評価」はいささかも揺ぎを見せなかった。何にもまして当時の人
びとの精神を完全に領したものは、合理主義にもとづく統一の要請であった。統一の概念と科
学の概念とはつねに相互依存であった。・・・科学のみならず、宗教や政治や文学の領域にお
いてもこの統一の要請はつらぬかれた。「一人の王、一人の法、一つの信仰」これがこの時代
のモットーであった。P26-27
「啓蒙主義の哲学」E・カッシーラー(ISBN:4314007982)
<<
284 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/10(木) 22:57:20 0
自民党時代にあれだけ騒がれた格差や貧困の問題はどこへ言ったのだろう。民主党政権に
なって消えてなくなってしまった。経済は回復しつつあるが民主党がなんらかの対策をとったこ
とはないだろう。単にマスコミが騒がなくなった。国民の関心が薄れたということかもしれない。
しかしそれはそれで良いのではないだろうか。そもそも貧困が解決された国家などないのだか
ら。鳩山の失敗はまさに自ら沖縄基地問題という蜂の巣をつつきまくったことだろう。社会には
あちこちに様々な蜂の巣がある。政治の問題はどの蜂の巣を対峙するかで、すべてを対峙す
ることではない。むやみやたらにつつけばどれも解決できない。
自民政権時代に民主党は野党なら当然の蜂の巣をつつきまくった。そしてそれをマニフェスト
にした。いざ政権をとるとそれが自らのつついた蜂の巣となってしまっている。鳩山、そして小
沢はその禊ぎとして切られたということだろう。
素晴らしい理論ですね
まるで飲み屋の親父が語る、政治談義のようです。
ぴかぁ〜 『だぁかぁらぁ〜、鳩山なんてよ〜
禊として切られたにすぎないってオレは言ってる訳よ!
ヒック…』
親 父 『ぎゃはは!ぴかぁ〜さんが首相になりゃあ
皆バカになって安泰よ!ぎゃははは!』
あと、面白い事に気が付いたんですが、
このスレッドだけAAが無いんですよね〜
まあ、おそらくは池沼であるぴかぁ〜さんが
自分のスレッドだけ貼り忘れたんでしょうね〜
>>287 _,.-─---- 、__
∠三三三三三三゙ヽ、
/三ニニー''¨¨¨¨¨¨¨¨ヽ:ヽ、
. // ヽ: :ヽ
/:彡 ミ: :゙.i
i゙: 彡 ヾ::}.
l: : / _,,.-、 ニニニヽ ゙ill
l: :ノ /ニニ'き ,ィ弋ラ¨ヽヽ リr‐、
ヽ:i /込='¨´ 〉 i  ̄¨ ̄ i/ i ゙i.
r‐-、! ー''" ,.ノ j トヽ、 }i._V/
l i`ヽl r'__,,、__,r‐‐ \ }L /
ヽ i《 ノ ゙゙´___ `i lLノ.
ヽ.r人 〈 _,,.-'"ニーt‐',ア .l l Really so ?
ヽ-'゙i ! ¨ー'ー'‐'¨ ̄,. ノ イ
゙i `ー‐‐'´ i l.
. ゙iヽ、 ー─ / .ト、.
゙i ヽ ー──'' / .1ヽ
/ ___ ゙ ,:-'´ 丶
/´ ヽ` ̄ ー-゙:.、
i - 、 `ヽ_
l: 、.: ヽ ゙i"
! i ; n .:c.: ', _..ハ
| ハ/ { _,..-ァノ 、r‐、>ー ヽ
| ト./ ` ̄__,.:=彡 :.ヾ、ニ二 /
289 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/12(土) 08:46:11 0
■なぜ日本人論を語らなければならないのか
日本人は通時的な思想をもつか
日本人論についていくつか読んでいるが、なかなか難しい。有名なところでは丸山真男の日本
人には統一した思想がなく、蛸壺的に外来思想を取り入れているというものだ。ここには二つ
の仮説が含まれていて、一つは日本人は通時的な思想をもつか、と外来思想を吸収しやすいか。
後者は他の論者に共通する所である。吸収するだけでなく、独自にアレンジする。それに対し
て前者の統一した思想がないことには反論が多い。そして加藤周一は日本人の連続性を「土
着的」と呼ぶ。現実的、実働的、生活に根ざした。和辻哲郎は仏教伝来時を考察し、日本人は
その真意を理解できず現世のご利益を祈ったと
かといって丸山真男が間違いと言えないだろう。丸山真男がいう思想とは言語により体系化さ
れたもので、他の思想とは相対化しえるが、他の論者が言う日本人の思想なるものは思想な
のか。しかしこのように考えると思想なるものがすでに西洋思想を前提としている。
290 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/12(土) 08:46:57 0
>>
文の構造、すなわち言葉の秩序が、具体的で特殊な状況に超越し、あらゆる場面に通用しよう
とする傾向は、中国語にくらべても、西洋語とくらべても、日本語の場合、著しく制限されてい
る。そういう言葉の性質は、おそらく、その場で話が通じることに重点をおき、話の内容の普遍
性(それは文の構造の普遍性と重なっている)に重点をおかない文化と、切り離しては考えるこ
とができないだろう。この文化のなかでは、二人の人間が言葉を用いずに解りあることが理想
とされたのであり、主語の省略の極限は、遂に、文そのものの省略にまで到ったのである。ま
たおそらく文の構造が特殊な状況に超越しない言語上の習慣は、価値が状況に超越しない文
化的傾向とも、照応している。P19-20
本来日本的な世界観の構造を叙述することは、明示的な理論体系の特徴な列挙するほど容
易ではない。神道の理論的な体系は、ト部兼倶から平田篤胤に到るまで、儒・仏・道、またキリ
スト教の概念を借用している。外来思想の影響をうけない神道には理論がない。そこで儒・仏
の影響の少ないとされる記・紀・風土記から土着的と想像されるものの考え方を抽象するほか
ないだろう。P36-37
「日本文学史序説」 加藤周一 (ISBN:4480084878)
<<
291 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/12(土) 08:47:52 0
日本人のジレンマ
明治に入り、西洋に占領される強迫状態の中、日本の知識人たちは懸命に対抗しようとした。
それは西洋の中で自らを自立させて見せることである。しかし日本には西洋のような語るような
思想がなく、様々な言語が作り出された。その成功したものが天皇中心思想だったわけである。
長い歴史の中で日本人とはなにかをこんなに語ったことはないだろう。天皇制は西洋で言
う絶対主義のアレンジしたものである。
そもそも思想は言語体系化されるものだろうか。どんな民族にも通時的な文化「思想」をもつ
が、ほぼ言語体系化されないし、する必要がない。ボク達が日本人マニュアルを読んだことが
ないのに日本人的であるのはなぜか。
それは日本人の中で生活しているからである。それはドイツ人でも、ポリネシア人でもかわらな
いだろう。西洋人は西洋思想を読み西洋人になるのではない。ならなぜ西洋的言語思想体系
が必要なのか。これは日本人が日本人論を語るジレンマなんだろう。すなわちなぜ西洋思想風
に日本人論を語らなければならないのか。語るときまさに翻訳するごとく何かが失われていく。
292 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/12(土) 08:48:40 0
西洋思想という特殊性
思想を言語体系化することが一つの文化であるが、それが土着的な思想を表しているかとい
えば違うだろう。だから西洋人の土着的な思想は西洋体系思想とは異なると思う。なぜ彼らは
言語体系思想にこだわるのか。といっても古いものではない。西洋思想が生まれたのが十七、
十八世紀の啓蒙思想期なのである。
西洋思想の特殊性、そしてなぜその特殊な思想が重要であるのは科学技術、さらには資本主
義の成功のためだろう。この成功の基盤ということであるが、そう単純にはいかない。そのポイ
ントになるのが啓蒙思想だろう。
啓蒙思想はいまや古臭い形而上学と考えられる。科学技術は理性よる基礎付けなど無視をし
て帰納的に発展し続けている。しかし啓蒙主義の自身が資本主義の中から生まれた以上、そ
れはいまも基礎付けをになっている。すなわち西洋思想−科学技術−国家−資本主義の中
に、「合理主義にもとづく統一の要請」は隠されている。
293 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/12(土) 08:49:28 0
>>
かくしてわれわれが十八世紀の思想を十七世紀のそれを比較してみても、この両者のあいだ
には厳密な意味での断絶はけっしてないということが明らかである。新しい認識理念は、十七
世紀の論理学および認識論、とくにデカルトとライプニッツが準備した前提から不断にしかも首
尾一貫して発展させたものである。思惟方式の差異はなんら根本的な変化を意味しない。この
区分はたかだか力点の置きどころの移動にすぎない。次第次第に価値の力点は普遍的なもの
から個別的なものへ、「原理」から「現象」へと移動した。だが根本的な前提、すなわちこの二つ
の時代のあいだにはいかなる対立矛盾もありえず、むしろ完全な相互規定が存在するという前
提は−新しいまったく異なった形の問題提起を行なったヒュームの懐疑論を除外すれば−確乎
として存続した。「理性の自己評価」はいささかも揺ぎを見せなかった。何にもまして当時の人
びとの精神を完全に領したものは、合理主義にもとづく統一の要請であった。統一の概念と科
学の概念とはつねに相互依存であった。・・・科学のみならず、宗教や政治や文学の領域にお
いてもこの統一の要請はつらぬかれた。「一人の王、一人の法、一つの信仰」これがこの時代
のモットーであった。P26-27
「啓蒙主義の哲学」E・カッシーラー(ISBN:4314007982)
<<
294 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/12(土) 08:51:03 0
>>
19世紀の確率論者たちは自分たちの理論を統計的頻度を用いて理解した。19世紀の社会科
学者たちは規則性を探究したが、それは個人行動というミクロのレベルではなく、むしろ社会全
体というマクロのレベルでの規則性であった。18世紀の思想家にとり、社会は法則に支配
されたものであったが、それは社会が合理的個人の総計であったからである。19世紀の反対
者たちにとっては、社会はその構成員が非合理的な個人であるにもかかわらず、法則に支配さ
れていた。P200
「確率革命」 第6章 合理的個人と社会法則の対立 L.J.ダーストン (ISBN:4900071692)
<<
>>
ケトレーはこれらの初期の著作において、何よりも次の事実に関心を向けた。すなわち身長的
特徴の平均や非身長的特徴、たとえば犯罪や婚姻の比率は、長期をつうじてまた国もいかん
を問わず、年齢その他の人口学的変数と驚くべき安定的関係を示すということである。彼が社
会的世界の<b>「法則」</b>とよんだのはこれらの関係である。平均人という考え方は、1835
年の彼の最初の本で最大の役割を果たしている。しかし彼は1840年以降になると、平均や比
率の安定性だけではなく、それ以上にこれらの特性の分布に関心を示した。彼は人間の身長
や体重の分布をグラフに描いてみると、今世紀初めから研究されていた観測誤差の分布と非
常に似ていることに気づいた。そこで彼は、身長的属性の分布を正規分布であるかのごとくみ
なせるという固い信念を持つようになった。・・・彼の確信によると、十分な観察ができれば、身
長的特性の分布のみならず、身体的でない特性の分布もつねに正規分布になる。P234-235
「確率革命」 第8章 生命・社会統計と確率 ベルナール=ピュール=レクイエ (ISBN:4900071692)
<<
295 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/12(土) 08:52:03 0
生き続ける理性主義
現代では理性は古臭い概念だと考えられている。たとえば思想史で語れば、十七世紀に現代
哲学の始まりとされるデカルトは論理的に理性を担保しようと考えた。十八世紀の啓蒙主義で
は理性の担保はデカルト的演繹から、ニュートン的帰納へ移った。
隠された世界の法則は実験により発見される。理性は真実へたどり着く意志である。しかし
ヒュームの懐疑から、カントの理性批判を経て、十九世紀には隠された真理への到達は断念される。
しかし現実に心理学、社会学など人間科学技術への熱狂は増すばかりでありそこには<b>「神
はサイコロを振らない」</b>という法則性への情熱がある。それは今もかわらない。もはや基礎
付けする主体の理性を求めるよりも人類という全体の理性を求める。
たとえばニュートンが天体の動きを数学の完結性で説明した衝撃はいかほどだっただろう。あ
るいは人口統計から正規分布などの法則性が見いだされた衝撃は。オッカムの剃刀はまさに
人々に理性を信仰させる強烈な魔力である。
たとえば最近では脳科学還元主義がある。様々に人の脳の機能に還元されて語られる。男と
女の違い、様々に人の振る舞い。これは単なる無知ではなく、変わらない理性を求める情熱である。
296 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/12(土) 08:53:05 0
資本主義による流動化と異邦人(ストレンジャー)
確かに近代前にも理性は求められた。しかしそれは学問をめざすものなど一部で、土着に生活
する多くの人は確かなものなど求めなかっただろう。なぜ近代以降に過剰に理性が求められる
のは、始まりのデカルトにすでに解があるだろう。
デカルトはまだ人々が土地に根付いた土着の時代に旅人であった。さまざまな文化に触れて
確かなものとはなにかと考えるようになる。しかしこれを単に好奇心だけといえないだろう。そこ
には現代人につながる疎外からくる恐怖がある。
十八世紀末の産業革命前から西洋はすでに商業を中心とした前資本主義時代であり、商品の
流通の活発化、都市化とともに社会の流動性が向上しはじめていた。「貨幣の前の平等性」が
土着的社会を下から、そして巨大化する資本力が国家として上から解体し、流動性の資本主
義へと再構築されていく。
そして社会の流動性が上がることでうまれる異邦人(ストレンジャー)としての疎外感。その浮
遊感を支え、また目指すべき定点として理性は求められた。それはまた世界へ拡散する資本
主義の西洋的な正当性を支える定点でもあった。
297 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/12(土) 08:57:18 0
開国日本の理性としての天皇
十九世紀には日本を襲った津波はこのようなものだった。日本は江戸時代の安定期にすでに
都市化が進み商業が発達していた。しかし鎖国の中で培養された日本人はあくまでも土着に
充足する人びとだった。
だから開国をするということは西洋に対抗する経済力を身につけるだけではなく、対抗する理
性を見出すことでもあった。急速な富国強兵のために日本が選んだのは江戸時代からの階級
体制を活用し労働力を生み出す方法である。そのための定点として天皇が選ばれた。
298 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/12(土) 08:58:28 0
>>
わたしは教師たちへの従属から解放されるとすぐに、文字による学問[人文学]をまったく放棄し
てしまった。そしてこれからは、わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに見
つかるかもしれない学問だけを探究しようと決心し、青春の残りをつかって次のことをした。旅
をし、あちこちの宮廷や軍隊を見、気質や身分の異なるさまざまな人たちと交わり、さまざまの
経験を積み、運命の巡り合わせる機会をとらえて自分に試練を課し、いたるところで目の前に
現れる事柄について反省を加え、そこから何らかの利点を引き出すことだ。
つまり、われわれにはきわめて突飛でこっけいに見えても、それでもほかの国々のおおぜいの
人に共通に受け入れられ是認されている多くのことがあるのを見て、ただ前例と習慣だけで納
得してきたことを、あまり堅く信じてはいけないと学んだことだ。こうしてわたしは、われわれの
自然[生まれながら]の光をさえぎり、理にしたがう力を弱めるおそれがある、たくさんの誤りから
だんだんに解放されたのである。P17-18
「方法序説」 デカルト (ISBN:4003361318)
<<
素晴らしい飲み屋談義ですね
300 :
考える名無しさん:2010/06/12(土) 14:12:44 0
テンション上がる病治ったかい?
301 :
第三の波平 ◆JXLBLRMhnY :2010/06/12(土) 14:53:48 0
>>300 治りません。
今日も朝からヤク中のようにテンパり気味で困っています。
抑えるのが大変ですよ。
見事な自演ですね
303 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/12(土) 21:07:01 0
■なぜ日本人の「甘え」は礼儀から依存へ変質したのか
日本人にとって「甘え」は社会を支える
日本人にとって「甘え」というのは確かに基本的な行為ですね。「甘える」ことなくいかなる社会
的な行為もできないように思いますね。金を出してサービスを受けるときでさえ金を超えた依存
関係が前提にある。海外でチップを払うときの戸惑いも関係を金で清算してることあると思います。
日本人の「甘え」とは、前提として「言わずもがな」の信頼関係を期待しているということでしょ。
それは知り合いだからではなく、誰に対しても、ということに特徴がある。海外にいくとそのよう
な信頼関係がないという当たり前のことに驚き、戸惑ってしまう。
304 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/12(土) 21:07:48 0
西洋的な甘えと日本人的な甘え
西洋では、甘えは「想像的関係」、子供と母の関係です。このような関係は「象徴的関係」=社
会に参入するときに去勢されると言われる。と考えると、日本では十分に去勢されないというこ
とになる。しかし日本人社会では想像的な関係が社会秩序維持のために組み込まれている。
「甘い」ということではなく、象徴関係を支える一部にある。
これは、フロイト、精神分析の無意識と、ポランニーの暗黙知にまで遡る必要があるだろう。精
神分析では習慣は秩序であり象徴的関係になる。しかし日本人の甘えは日本人の儀礼であり
習慣化されている。他者への依存心よりも他者への礼儀である。習慣をポランニーの暗黙知と
してとらえれば習慣は去勢にあるわけでなく、単に身体の調和としてある。
日本人の「甘え」は単に依存関係ではなく、社会に深く習慣化されている。だから義理人情であ
るとか、さらには組織のミスの責任を個人がとるという日本人的な行為、忠義、社会的責任な
どで死を賭けることまである。
305 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/12(土) 21:08:33 0
日本人の甘えは儀礼から依存へ
日本人には依存としての「甘え」と、礼儀としての「甘え」があるということだ。そしてこれらの関
係はとても微妙であり、容易に転倒してしまう。特に日本に西洋文化、とくに資本主義的な合理
性が浸透していく中で、義理と人情など日本人の礼儀は非合理的なものとして解体されてい
く。そして現代の日本では「甘え」の構造が残存し、むしろ依存の「甘え」が全面化しているので
はないだろうか。
義理や人情などは非合理的なものと排除しつつ、かといって西洋的な去勢を受け入れるわけ
でなく、互いに甘いなあなあの暗黙の依存関係全面化している。特にグローバルな関係におい
ては、日本人内の「言わずもがな」のもたれ合いが閉塞を生み出している。
素晴らしい飲み屋談義ですね
307 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/12(土) 21:32:30 0
甘えられない若者
ネットカフェ難民と言われる若者の問題の一つが他者へ依存できないことにあると言われる。
親に自らの身の上を話して助けを求めることもできない。これは現代若者の特徴、他者回避の
一形態だろう。これは自立した個人の姿だろうか。
高度の発達して消費社会の日本では、他者との関わりを持たずに自らの好きなことをして生き
ることを可能にしていた。貨幣依存によって生きてきた若者はプライドが高く、他者に頼ること、
甘えることを好まない。日本人では甘えることは依存ではなく社会秩序を支える礼儀であった。
だから甘えられない若者とは、日本的な甘えの礼儀を学ばず、西洋的な甘えの去勢を受けず
に、他者との関係をうまく気づけない、しかし高度な消費社会によって何とかなるだろうという姿
勢には、「日本」という漠然として存在への「言わずもがな」としての甘えが前提とされている。
最近はその漠然とした「日本」をになっているのが政府である。それを政治的に利用し得ている
のが民主党政権だろう。
308 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/12(土) 21:33:40 0
■甘えられない日本人若者の「甘え」
親に甘えながらニート生活をエンジョイしてるのは、
どこのどいつでしょうかね〜?
無償の愛以外は受け取れない。
ギブアンドテイクが出来無い。
311 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/15(火) 20:27:33 0
■甘えと構造主義
日本人は儀礼を含み高い予期世界を生きている。こうすればこうするだろうと。例えば多民族
社会が砂利道ならば日本人は舗装道路を走るようなものだ。日本人の新しものずきはこのよう
な余裕と退屈から来ている。
面白いのは構造主義では言語を内面化すると考えない。内面化されるのは意味なき法則性で
ある。それは身体の領域である。しかしこれを甘えとは言わない。甘えは一つの引力であり、力
学である。規律は甘えを切り離すものと考えられる。
しかし贈与関係は法則に還元されない。レヴィ=ストロースがモースから切り捨てたもの。マナ
は持ち主に帰りたがる引力。日本人の義理と人情を橋渡す恩、そこにもマナの引力が存在す
るのではないだろうか。
日本人の甘えとは単に依存ではなく、マナの引力である。そのように振る舞うだろうことが予期
される引力関係。日本人はこのようなハイコンテクスト社会を生きている。しかし儀礼化した規
律がゆるむ中で引力が空回りしつつある。空気を読めとは空回りであり、引力の空回りは依存
の甘えを表出する。
『この全てがパクリだと誰が予想しただろうか』
東浩紀
>>307 貯蓄定職生命保険等の金銭的保険、人間関係等の人的保険、
いつしか保険をかける事が人生の目的となっている旧世代。
国家は信頼せず、自由とプライドを売って安心を買う人生のがよいってかー?
314 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/15(火) 21:41:29 0
■「「甘え」の構造」と贈与の慣習
土居健郎の「「甘え」の構造」
いくつか日本人論を読んでいるかが土居健郎の「「甘え」の構造」は良書の一つだろう。欧米に
「甘え」という言葉がないという事実をもとに日本語の「甘え」に関する豊富な言語群を分析し、
日本人論を展開する。
いかに日本人を語るかというとき、イメージ論以上の証拠として、歴史書分析、経済学分析など
あるが、特に有用な方法が言語論としての日本語分析だろう。「「甘え」の構造」は言語論とま
では行かないが精神分析医という言葉を分析対象とする手法を応用する。
しかし「「甘え」の構造」はあまりに「甘え」還元主義で、なんでも「甘え」になりすぎている。「「甘
え」の構造」の精神分析の展開はラカンで補完するのが有用かもしれない。
甘えとはまず、幼児が母親に依存する状態を基本とする。ラカンではこのような関係を「想像的
は関係」という。しかし成長するうちに第三者(父)が介入する社会性を身につけていく。これを
ラカンは「去勢」された「象徴的な関係」への参入という。
すなわち欧米では甘えは幼児的なものであって、大人になることは去勢されると考えることで、
甘えに関して不寛容な社会ということになる。現に土居はアメリカの精神分析医が患者の甘え
に気づいていないことを問題視している。
日本社会が「甘え」を基本としてときには、去勢不全がおこっていることになる。たとえば柄谷は
このような状態をラカンをつかって日本人は「排除」にあるという。土居も日本人の甘えの社会
を批判している。
315 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/15(火) 21:42:22 0
甘えと贈与関係
これは、甘えを単に親子の依存関係に求めてしまうためにおこる誤解だろう。たとえば「「甘え」
の構造」では甘えの例として、日本人の「義理と人情」が上げられている。ここにあるのは他者
との強い結びつきだが単に親子の依存関係に還元できない。ここでキーになるのが「恩」を返
す、受けるという贈与関係が基本になっていると言うことだ。
贈与交換は貨幣交換と異なり、受けたものを返し精算するものではない。決して返礼すること
ができない負債であって、終わりない贈与返礼関係が継続した関係をつくる。貨幣交換がお金
を持っていれば誰でもよいのに対して、贈与交換は相手が誰であるかが重要である。
このような贈与関係は社会関係を形成する基本単位であり、自らが何者であるかを担っている
のも贈与関係であるといってもいいだろう。贈与関係の研究ではモース、レヴィ=ストロースな
どの人類学者の研究が有名であるが、贈与関係は日本人に特有なものではなく、またどのよう
な社会においても存在する一つの力学であるといえる。
しかし構造主義が示したことは社会に贈与関係が働いているとしても、それは人びとの感情よ
りも先に構造が先にあり、人びとが「去勢」されることで構造に従うように行為しているということ
である。先にあるのは構造であるということだ。
たとえば人類学者が見出した贈与関係も、なぜそうするのかということではなく、習慣として繰
り返されてきたものだろう。贈与交換という引力があり、それがコミュニティの文化として慣習さ
れて、コミュニティの成員の社会秩序の在り方として根付いている。
316 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/15(火) 21:48:17 0
「甘え」の慣習
日本人は、日本語に見られるようにその文化基盤をこのような贈与関係を独自に高度に昇華
している点で特異であるといえる。「義理と人情」とは単に「恩」という贈与関係を基本にしてい
るが、それは感情的なものではなく、慣習文化として体系化されている。
日本人が「義理と人情」に厚いとすれば、「恩」を受けたからではあるがそのような教育されてい
るからだろう。学校で教えられたということではなく、日本人として育つ中で身につける習慣であ
る。このような日本人の特性は島国という閉鎖空間の中で育まれたものといえるだろう。
日本人が誰もが「義理と人情」に厚いというよりも、そのような文化の中で育っているということ
だろう。だから日本人の甘えを単に親子の依存関係に還元することはできない。現に現代では
日本も貨幣交換を基本に社会生活が営まれて、「義理と人情」というものが時代遅れなものに
なっている。たとえば日本語に「甘え」に関する語句が多いというその事実から、「甘え」の慣習
はミームとして文化の中で継承されているのも事実である。
317 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/15(火) 21:49:12 0
甘えと構造主義
日本人は儀礼を含み高い予期世界を生きている。こうすればこうするだろうと。例えば多民族
社会が砂利道ならば日本人は舗装道路を走るようなものだ。日本人の新しものずきはこのよう
な余裕と退屈から来ている。
面白いのは構造主義では言語を内面化すると考えない。内面化されるのは意味なき法則性で
ある。それは身体の領域である。しかしこれを甘えとは言わない。甘えは一つの引力であり、力
学である。規律は甘えを切り離すものと考えられる。
しかし贈与関係は法則に還元されない。レヴィ=ストロースがモースから切り捨てたもの。マナ
は持ち主に帰りたがる引力。日本人の義理と人情を橋渡す恩、そこにもマナの引力が存在す
るのではないだろうか。
日本人の甘えとは単に依存ではなく、マナの引力である。そのように振る舞うだろうことが予期
される引力関係。日本人はこのようなハイコンテクスト社会を生きている。しかし儀礼化した規
律がゆるむ中で引力が空回りしつつある。空気を読めとは空回りであり、引力の空回りは依存
の甘えを表出する。
318 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/19(土) 09:52:40 0
■なぜリベラルは共同体を超越するのか
>>
アメリカでは、所得層の上位10%が富の70%を所有している。アメリカは、民主主義国の中で、
富の分配については、もっとも不平等な社会の一つである。さあ、これは公正か不公正か?サ
ンデル教授の質問から議論が始まる。
<<
リベラルの超越性と貨幣交換
>>
1 贈与交換・・・貨幣交換前の交換。知り合い同士の贈与、返礼。助け合いとして交換し合う。
見も知らない人に贈与する馬鹿はいない。知り合いという信用による信用交換。
2 貨幣交換・・・貨幣、商品の交換。お金を持っていれば、相手が誰だろうが交換する。貨幣の
前では誰もが平等で自由だ。
<<
生きるために交換は基本だ。簡単に交換を上げる。贈与交換は、相手によって価値が異なる
し、1度で精算せざず、価値は明らかにされない。限定されたローカルで可能な交換である。
貨幣交換は、相手によって価値が同じで、1度で精算させ、価値は変わらない。このためにマ
ルクスもいうようにローカルな共同体の間で成立する。貨幣交換はより広域で可能になる交換
である。
このために共同体をまたいだ共同体間に成立する正当性には貨幣交換型正当性=リベラルな
正義が台頭することになる。
319 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/19(土) 09:53:35 0
経済的自由平等から人権的は自由平等へ
歴史的に見ると経済的な自由平等が先で、自由経済が回り始めて、人権的な自由平等が求め
られる感じだよね。
歴史的にリベラルが立ち上がるのは、まず人が自由経済的なマスとして発見され、教育されて
からだ。それは十九世紀だけど、十八世紀はまだ階級、自給自足でマスは発明されてなかっ
た。階級制であるし地域に固定されて自給自足だし、自由平等なんて突破な発想はなかった。
それか貨幣経済が都市から広がるうちに、貨幣の前での自由平等が広がり、流通としての流
動化が始まり、均質なマスが認知されていく。経済的に成功する可能性は誰にもある。しかし
実際は富は貴族、資本家など一部で独占されていく。可能性を知っただけにみんな自由平等
を求める。このとき人権がうまれてくる。
320 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/19(土) 09:54:25 0
統計的正義の系譜
自由主義の新しさは演繹的な法則性を求めないとこれ。いわば統計学的なマスの法則性を重
視する。みんな好き勝手やってもマスでは秩序がある。それがそれ以前の思想と違う。それは
保守の起源でもある。単位に還元されない全体性。だからアダムスミスとヒュームは自由主義
者で保守主義者とだった。
この保守の流れからベンサム功利主義は現れる。最大多数幸福は統計的マス思想。そして
ロールズも統計的思想の現代的回帰。共同体主義も保守系だけど、ヒュームからの流れがマ
スが一つだと考えてきた。なぜなら資本主義経済はグローバルに一つしかないから。共同体主
義は冷戦後らしくマスが複数あると考え、補正しようとする。
321 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/19(土) 09:55:12 0
資本交換
>>
3 資本交換・・・簡単にはお金の貸し借り。贈与と同じで見も知らない人のお金を貸す馬鹿は
いない。贈与と同じ信用交換。ただ信用は顔見知りではなく、相手がお金を持っているかが基
準になる。金持ちが有利な交換。
<<
経済的自由主義しかり、人権的リベラリズムしかり、すべて基本は貨幣交換をモデルにしてい
る。貨幣の前では誰もが主体で自由で平等。でも貨幣には資本というもう一つの面をもつ。資
本の前では、金を持つことが信用を生み強者になるという格差原理がはたらく。
ようするに強者は、リベラリズムを説くことで自由主義経済が暴力的に世界に広がり、自分たち
が有利なフィールドが広がりうはうは、というわけだ。だからリベラリズムと格差は構造的ににこいち。
近代戦争はどのようにして起こったのか考えればわかる。正義の対立で戦争なんか起こらな
い。そのために政治があるんだから。正義の対立でおこったのではなく、安易な功利主義。す
なわち正義論を盾にした利益確保のための侵略。戦争の目的は人殺しではないだろ。そりゃ人
を殺す面倒な手間が省けて戦争に勝てるのがベスト。
ようするに強者は、リベラリズムを説くことで正義の名のもとに自由主義経済を暴力的に世界に
広がて、自分たちが有利なフィールドが広がりうはうは、というわけだ。資本主義は成長増殖す
るときにもっとも利益をあげるという法則があるから。だからリベラリズムと格差は構造的ににこいち。
『この全てがパクリだと誰が予想しただろうか!』
東浩紀
323 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/22(火) 21:10:53 0
■慣習と慣習が交差するときリベラルが生まれる
>>
NHK教育で「ハーバード白熱教室」 Lecture1 犠牲になる命を選べるか
http://d.hatena.ne.jp/happysmiletalk/20100408/p1 あなたは時速100kmのスピードで走っている車を運転しているが、ブレーキが壊れていることに
気付きました。前方には5人の人がいて、このまま直進すれば間違いなく5人とも亡くなります。
横道にそれれば1人の労働者を巻き添えにするだけですむ。あなたならどうしますか?
さらにサンデル教授は別のケースを提示します。「では路面電車の別のケースを考えてみよ
う。こっちのケースでも『5人を助けられるなら1人が死んでも仕方がない』という原理をみんな
が支持し続けるかどうか、見てみよう。
今度はキミは路面電車の運転手ではなく、傍観者だ。電車の線路のかかる橋にいて見下ろし
ていると電車の来るのが見えた。線路の先には5人の労働者がいる。ブレーキは効かない。こ
のままだと電車は猛スピードで5人に突っ込み、5人は死ぬ。今回はキミは運転手ではない。
『なんにもできない』と諦めかけたとき、自分の隣に橋から身を乗り出しているものすごく太った
一人の男がいることに気づく。もしキミがこの太った男を突き落とせば、彼は橋から走ってくる
電車の前に落ちる。彼は死ぬが5人を助けることができる。さて、『彼を橋から突き落とす』という人は?
<<
324 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/22(火) 21:11:50 0
哲学とは限界状況で考えること
この問題は面白いが結果論ってこと。5人殺すか1人殺すか事後的にしかわからない。誰も殺
さないために1人側に向かう。誰が死ぬかなんかわからないのに見学者を犠牲にするわけな
い。ベタに客観主義の誤謬だね。揚げ足とりの様だがこの手の限界問題はいつもこのトリックを使う。
ようするにこのように限界で考えることが哲学な訳だね、日本人のように別に無理に限界で考
えなくても問題もないわけだけど、近代は流動化でせき立てられて限界状況に追い込まれるの
が増えてるのかね。
日本人のハイウェイ社会
海外では多民族間とかあるが、日本では若者かな。世界は狭いが情報は移り変わる。いじめと
か、引きこもりとか限界状況だな。日本では哲学が社会思想として必要とされず思春期悩みで
消費されるのはこのためだね。限界状況がどこにあらわれるかだ。
日本人はハイコンテクストなハイウェイ社会を生きている。単一の価値を共有しそれに合わせ
て社会環境ができているから、日本ないならハイウェイのように鼻歌混じりに生活できる。海外
では生活圏を抜けるととたんに多様な見知らぬ価値につまずく凸凹道で、限界状況にでくわ
す。日本では若者が凸凹道に躓く。大人の引いたレールを走りたくない!とは古くて、最近は甘
やかされて社会ハイウェイを逆走して事故り引き込めるとかかな。
325 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/22(火) 21:12:39 0
ハイウエイとハイウエイが交差するとき限界状況が生まれる
ワクチンの優先順位で子供が先なのが功利主義なら、老人が一番最後になる。そんなの聞い
たことがない。むしろ弱いものを助ける慣習と考えた方がいい。慣習はそうだからそうなので
あって、限界状況は生まれない。ようするにハイウェイだね。
ワクチンの優先順位で、弱い者から助けることを善とする民族と、強い者から助けることを善と
する民族が混ざった集団で、もめ出す。どうするのか。このハイウエイとハイウエイが交差する
とき、限界状況が生まれる。
ここでサンデル先生が登場する。「キミたちの意見が聞きたい!」
議論以前に、ぴかぁ〜が惹かれているのは
議論の中身ではなく、ハーバードという権威である、
という点に注意しなければならない。
それならば余計すばらしい。
ページランク以外に効果的な検索方法はないのだよ純一君
328 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/26(土) 13:13:23 O
日本人の特徴
1 ハイコンテクスト
日本人がハイコンテクストでいられるのは島国に特徴を持つ。
重要なのか外部からの侵入を防ぐことであるが、単に島国と言うだけでなく、
朝鮮が障壁として働くことをカラ谷は指摘している。
329 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/26(土) 13:26:46 O
2 国家主義
現代日本人にとって重要であるのは、明治開国による西洋化だろう。
西洋化には大きく、産業革命と民主革命がある。
日本では武士という特権層により行われたこと、
西洋による侵略を回避する強い国を早急に作ることが目的であったために、
産業革命に重きがおかれ、江戸時代の階級性を活用した天皇制による国家一丸の体制が進められた。
天皇性は戦後解体されたが、財閥を中心とした国家中心体制は今も継続される。
民主革命は曖昧なままで、市民よりも会社中心とした人間である。
330 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/26(土) 13:36:18 O
3 民主主義より資本主義に順応
日本人が民主主義より資本主義に順応したのは、国家中心政策だけではない。
ハイコンテクストな社会は言葉よりもいわずもがなの身体的な慣習により、秩序が保たれる。
産業技術の基本は技であり、身体的な洗練により慣習化されて向上する。
このために日本人のハイコンテクストにあっている。
その洗練さ、とくに品質、改良においては世界有数である。
それに対して民主化とは思想であり、言葉として伝達し深められる。
制度としては導入されたがそのもとにある思想には興味が薄い。
331 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/26(土) 13:49:04 O
4 かぶれた外来文化による世代格差
外部から安全でハイコンテクストな社会は内部に閉塞しやすい。
このために日本人は古来より外来文化に対して貪欲ですぐにかぶれる。
そのときに到来した外来文化にかぶれて、既存の日本文化を遅れているとばかにする。
ばかにすることで外来を吸収する。引きこもる日本人には外来との対立はない。
対立は、かぶれた外来文化による世代格差が対立になる。
332 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/26(土) 14:02:10 O
5 外来文化の日本式改良
外来文化へのかぶれは前世代へ閉塞に対する対立の移民もち、熱狂的に感染される。
しかしこのような表層の世代間対立に対して、ハイコンテクストな秩序は、
言葉よりもいわずもがなの身体的な慣習により脈々と受け継がれている。
そして身体的な慣習を重視される故に、日本人のハイコンテクストな秩序として根付くまでには長い時間が必要になる。
根付いたときには独自に洗練され、日本式の慣習的に洗練された別物なっている。
333 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/26(土) 14:16:29 O
6
これらを応用に現代の特長を考えれると
情報化社会により外来の文化到来が混沌としている。
日本人の世代間対立が逆に連続性を作り出してきたが対立そのものが難しくなり、ディスコミュニケーションを生み出している。
334 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/27(日) 12:22:44 O
7 現世(現場)主義
日本人は慣習により秩序を保つことからも、思弁的、超越的なものより、実働的、現場的なものを重視する。
現代でわかりやすいのが技術立国としての日本である。
日本の技術は現場に根付いた改善、改良を基本とする。いかに製品として実働的な効果があるか。
むしろ理論的なものはあとでよい。日本の大学の位置付けが示しているだろう。
私見では「盆踊り」が象徴的な気がするね
手をやらた動かす割に、下半身の動きがほとんどない
あの文化こそが技術立国の証と見たい。
パラパラは盆踊りの進化
336 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/05(月) 11:07:46 0
■文化は振動によって伝達されていく
動作の同調による振動圏
NHKの実験バラエティ番組「すイエんサー」の中で面白い実験をやっていた。仕切りの前で被
験者に足踏みをさせる。そして仕切りをとると、もう一人の被験者が足踏みをしている。始めは
当然、二人の足踏みはバラバラであるが、しばらくすると自然とあってきてしまう。では意図的
にずらすように指示するがうまくできない。この実験は人は相手を見ることで基本的な動作のレ
ベルで同調してしまう特性があるということを示している。
ボクたちが日々を他者に囲まれて生活しているということでは、しらずしらずに同期していると
いうことだ。たとえばこのような同期を波のようなものと考えると、視線を通して波の振動は絶え
ず人の間を伝達されてつづけているということになる。
また人が生活しやすいように生活環境をつくることは、波を円滑に起こすような場の形成を意
味する。すなわち波は生活環境にも共鳴し、その場にいる人はまた環境によって波が伝達され
やすい状態に置かれる。このようにして生活場は一つの振動圏が形成されているということだろう。
337 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/05(月) 11:08:35 0
振動圏としてのローカル文化
このような同期を軍隊のような規律統制と考える必要はなくて、波は波を交差することで新たな
波を生み出していく。たとえば1/fゆらぎとか、フロー体験とか、同期の中のある離脱が心地よ
さ、楽しさを生み出すといわれている。同期とはこのような遊びも含んだ上での同期だろう。
たとえば会話するということはまさにこのような同調が行われているのだろう。面と向かって話
すことでなにか解り合えるようなことだけではなく、そこでは呼吸から言い回しから同期が起
こっている。このようなコミュニケーションの振動場の中で、ローカルな文化は生まれ、伝達されていく。
杏女王戦争
339 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/06(火) 21:25:38 0
■日本人 資本主義と甘えの暴走
現代は人を愛することが難しい時代
オタクのアイドルへの熱狂を見ていると、人の「愛したいという欲求」の強さがわかる。人は愛さ
れたい欲求より愛したい欲求が強いんじゃないだろうか。心底誰かに愛されるより心底愛せる
人を見いだすほうが幸せですよね。
愛するとは贈与すること、贈与するとは相手に返礼の義務を負わせる抑圧である。有名なとこ
ろではモースなどの未開社会分析では返せない贈与を行うことで権力を保持するポトラッチ。
現代の愛することの困難とはなにか。二面性を考える必要があるだろう。一つは自由を尊重す
る現代では、子供であっても個人を尊重する、他者に対しては儀礼的な無関心によって消極的
な自由を尊重することが求められる。この裏面として、愛したい欲求が加速されているのではな
いだろうか。特に日本において顕著なように感じる。日本人はこんなに愛することに無節操だっ
ただろうか。
現代は人を愛することが難しい時代。そんな難民たちがアイドルへ殺到するのかもしれませ
ん。 さらにいえば親でさえ子を愛せない。だからペットを溺愛する。だれもが愛具にたよる。韓
流、遼くん・・・
340 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/06(火) 21:26:26 0
「甘えの構造」と様式化された規律
土居健郎「甘えの構造」によると、日本人のキーワードは甘えにあるということだ。しかし本書で
の甘えはかなり広義である。幼児の甘えとともに、義理人情の基底にも甘えがあると考える。し
かしこれは一面で正しいが、一面で正しくない。
ここでいう広義の「甘え」とは同調引力でしょう。日本のハイコンテクストな社会とは強力な同調
引力を持った振動圏である。((文化は振動によって伝達されていく
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20100705#p1))
同調引力はたしかに容易に心理的な「甘え」に転倒してしまいます。心理的な「甘え」とは簡単
には母の子供への想いです。母の愛は幼児ならば良いですが、大人になって母が愛したい想
いを抑止しなければ、子供は大人になれず社会秩序に参入できません。
広義の「甘え」=同調引力は必ずしも心理的な甘えに繋がらない。同調引力は心理的であるよ
りも行為的である。土居健郎は精神科医である故に、心理的な甘えに偏りすぎていると言える
だろう。
行為的な同調引力(甘え)とは、たとえば協力して作業を行う場合の「息が合う」ということで
す。日本人はこのような同調引力を単に心理的な幼児の甘えとするのではなく、反復訓練する
ことで様式化して、義理や人情などの社会的な規律にまで磨き上げました。
341 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/06(火) 21:27:13 0
>>
甘えという語が日本語に特有なものでありながら、本来人間一般に共通な心理的現象を表わ
しているという事実は、日本人にとってこの心理が非常に身近なものであることを示すととも
に、日本の社会構造もまたこのような心理を許容するようにできあがっていることを示してい
る。いいかえれば甘えは日本人の精神構造を理解するための鍵概念となるばかりではなく、日
本の社会構造を理解するための鍵概念となるということができる。P45
恩という概念と義理との関係を考察してみよう。「一宿一飯の恩」というように、恩というのはひ
とかけらの情け(人情)を受けることを意味するが、してみると恩は義理が成立する契機となる
ものである。いいかえれば恩という場合は恩恵をうけることによって一種の心理的負債が生ず
ることをいうのであり、義理という場合は恩を契機として相互扶助の関係が成立することをいう
のである。P54-55
義理も人情も甘えに深く根ざしている。要約すれば、人情を強調することは、甘えを肯定するこ
とであり、相手の甘えに対する感受性を奨励することである。これにひきかえ義理を強調するこ
とは、甘えによって結ばれた人間関係の維持を賞揚することである。甘えという言葉を依存性
というより抽象的な言葉におきかえると、人情は依存性を歓迎し、義理は人々を依存的な関係
に縛るということもできる。義理人情が支配的なモラルであった日本の社会はかくして甘えの瀰
漫(びまん)した世界であったといって過言ではないのである。P56
「「甘え」の構造」 土居 健郎 (ISBN:4335651295)
<<
342 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/06(火) 21:27:59 0
資本主義が甘えの様式化を解体する
日本では同調引力は、義理人情、忠義、お歳暮、年賀状などへと「様式」化することで秩序をた
もってきました。しかし義理人情、忠義、お歳暮、年賀状のような様式は慣習の固体化したもの
なので、資本主義によって解体されざるをえないでしょう。
資本主義の産業化も技ですから日本人の同調性は新たな様式を生み出しうまく機能しました。
これによって日本人は技術立国としての成功に導きましたが、資本主義化は旧来の節度様式
は解体されます。
また資本主義の経済的な自由=合理性による秩序は、社会の流動性を高めるために、人びと
に不安を生み出します。このような不安と同調引力の解放を「なあなあな甘え社会」への転倒
を生み出しているのではないでしょうか。人びとは幼児化し、また「愛したい想い」が解放されます。
といっても、「愛したい想い」の受け皿などありません。現代日本人は様式から解放された同調
引力のもとにあり、絶えず引力を自制し続けなければなりません。それも難しく、溺愛してもよ
い対象を見出だすことで回避しているのでしょう。
ちなみにローコンテクストな西洋社会では資本主義とともに民主主義を訓練されます。俗に言
う「去勢」です。なあなあの甘えの母子関係から、大人になる過程で社会の中に自立した自己
となるプログラムが組まれています。しかしハイコンテクストな社会を生きる日本人が西洋的な
民主主義のプログラムを受けることは困難でしょう。
あちらこちらに俺のブログからのパクリが散見しているな
2次創作です
まあ、良いけどね
普通はこんなもん通らないんだけど、
ぴかぁ〜は池沼だし、許してやるよ
346 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/07(水) 13:47:20 0
■日本の超ハイウェイ社会と総オタク社会
日本人はスノビズム性が高い
手段は目的のためにある。しかし手段そのものを目的として一つの様式とするのがスノビズム
である。たとえば古くは武士道、茶道など。そもそも日本人はスノビズム性が高いようだ。現代
でも日本では「手段の目的化」が日常的に行われている。
たとえば日本人の雑学好き。知識とは目的のために体系化され目的のための手段として学
ぶ。しかし雑学は体系化されずただ散らばった知であり何に役立つものではない。西洋人から
すると日本人の雑学好きの意味がわらないだけでなく、オタクでカッコ悪いものにうつる。
アメリカ人もくだらないこと好きだか、いつもどこかジョークであることを担保している。日本人は
マジである。日本では雑学は一つの文化になっている。特徴的なのがクイズである。高校大学
にはクイズクラブがあり、日夜雑学を磨き続け、テレビ番組になるなどいくつも全国大会がある。
347 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/07(水) 13:48:20 0
日本のハイウェイ社会とスノビズム
日本人がなぜスノビズムを愛するのかは、ハイコンテクストな社会にあるだろう。同期しやすい
彼らは誰かが何かをはじめると、隣の誰かもはじめる。するとことに競争が生まれる。他者より
も少しでも先へと差異化の運動が生まれ、やがてそれが広がり様式化され、文化として成熟していく。
この同期しやすさを以前「ハイウェイ」に例えた。多文化でローコンテクストな社会では、まず共
鳴してもらうのに苦労する。しかし日本では共鳴は基礎地盤なので比較的少ない労力で行わ
れる。むしろ共鳴が基礎である故にそれだけではものたらない。ハイウェイではより早くとばし
て、競争してみたくなるものだろう。
>>
日本人はハイコンテクストな「ハイウェイ社会」を生きている。みなが単一の価値を共有し、その
価値で円滑に進行できるように社会環境が整備されている。だから日本に住む限りハイウェイ
のように鼻歌まじりに生活できる。
海外では生活圏を抜けるととたんに多様な見知らぬ価値に出くわし、限界状況につまずいてし
まう、いわば凸凹道である。だから回りに気を配り、鼻歌まじりに生活するわけにはいかない。
日本人が凸凹道に躓くのは思春期だろう。それは若者が大人の引いたレールを走りたくない!
ということもあるが、最近では甘やかされて育った若者がうまくハイウェイに乗れずに、限界状
況に突き当たる。いじめとか、引きこもりなども円滑にハイウェイに乗れない限界状況の一例だろう。
[まとめ]なぜ日本人は民主主義よりも資本主義に順応したのか
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20100625#p1 <<
348 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/07(水) 13:49:10 0
超ハイウェイ社会と総オタク社会
さらに日本のハイウェイは近代化、特に資本主義においてよく機能した。経済的な効率化、合
理化とマッチして、かつてない先進国家を生み出した。現代の日本人は人類史でかつてないほ
どに、発達した科学技術、及び消費、情報社会で中で、ハイウェイを広く、細部に発達させている。
このような現代の超ハイウェイ社会でスノビズムは育まれている。またスノビズム性とは大局に
関係しない細部にこだわることでもある。差異化運動は差異をより細部に、マニアックに追求す
る。だからフェテイシズムと深く関係する。このように特性はもはや総オタク時代とも言われる現
代日本人を表しているだろう。
また、俺のブログからのパクリか
350 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/09(金) 17:54:17 0
■日本人のハイウェイな格差社会
日本人のハイコンテクストはいかに生成されたか
日本人のハイコンテクスト社会がいかに形成されたのか分析するのは困難だろう。まずは島
国、それも辺境で侵略されたことがないということ。二つ目は江戸時代の鎖国の中で独自の市
場経済、文化の成熟を進めたこと。そして何と言っても日本人という統一は、すなわち国家の
成立は明治の近代による。
古くからの日本人の特性は土着的な現世主義であると言われる。地場に根付いた実働を重視
する。言語よりも行為によるコミュニケーションを重視し共同体の秩序を維持する。江戸時代に
はこれらの行為は様式化され規律とされることになる。その地域性を整流したの近代化の国家
中心的は規律訓練である。
このために現代のハイコンテクストは環境技術と深く結びついている。環境と規律は補完し合
いは日本人としてのハイコンテクストな世界を形成している。情報技術も含めた物理的な交通
とともに人々のコミュニケーションが沈黙のうちに円滑に行われる。
351 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/09(金) 17:55:09 0
ハイウェイのランク格差
現代日本ではあまりの快適さが問題といえる。多くが沈黙によって行われるために同期してい
るのに孤独である。あるいはお金によって交通のランク分けされ、貨幣依存を強めている。安
価に衣食住は確保され、趣味、コミュニケーションさえも可能である。
安価で楽しい生活が可能なハイウェイは整備されている。ネットカフェ、100均ローソンで生活
は確保し、ネットでコミュニケーション、創造を楽しむ充実したベーシックインカムな生活。しかし
ハイウェイをランクアップするためにはお金がかかるが就職も含めて格差は固定されている。
高価であるのは知的なサービスである。医療、介護、教育、カウンセリングなど。教育は親の
収入と成績をつなげ、裁判なども収入によって正義がきまる。医療は生死が決まる。さらには
老後の不安を生み出す。貨幣格差がハイウェイのランクを決める。
これも俺のブログからのパクリだな〜
しかも劣化している
353 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/12(月) 09:34:47 0
354 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/17(土) 13:24:49 0
■先進国グローバリズムと後進国グローバリズム
アメリカの消費を中心とした金融型の先進国グローバリズムと、中華ネットワークによる後進国
グローバリズム。先進国グローバリズムが金融の不安定さに翻弄されつづけるなか、後進国グ
ローバリズムは確実に反転し続けている。日本はどのようなポジションにいるか
現代の資本主義のモードはいかに広く資本主義を広げるかである。この役割を担ったのが中
国である。先進国が安い人件費を求めて中国に工場を建てた。その売り先は先進国である。そ
れを真似て中国人が生産を始めるが先進国メーカーにかてない。そこで彼らが見いだしたのは
後進国向けへの商品である。
後進国はなにもない状態から製品を手に入れるので安価であれば品質が悪くても満足であ
る。とても先進国の製品は買えない。少し前は憧れとして棚に飾られていたて日本製品の変
わって今や世界に中国製品があふれている。
家電製品からケータイからそうなった。自動車も時間の問題だろう。特に問題は電気自動車
だ。電気自動車は簡単には電池とモーターで動くプラモデルと同じであり、安価できる。実は環
境製品はエネルギーの分散化であり途上国向きである。すでに太陽電池は途上国に落ちた。
355 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/17(土) 13:25:35 0
中国を中心とした新たにグローバリズムが生まれてるんじゃないだろうか。アフリカの発展が特
徴的だけど、先進国が中国を活用したことで、中国人により変換されて、低コストな製品と技術
が後進国に拡散している。マサイ族がケータイを活用することまで起きている。
この流れの重要性は単に安価品の拡散ではなく、先進国とは異なる新たな文化が生まれてい
ること。たとえば太陽電池は先進国では環境にやさしいボランティアでしかないが、途上国では
インフラにかわる生命線であり、効率が悪くても安価ならよい。
あるいは電気自動車は途上国でこそ求められるだろうシンプルな構造から安価でつくられる可
能性がたかい。これは電気革命である。世界中に電気が行き渡り、安価な家電製品が普及す
る。先進国とは異なるグローバルが中華ネットワークにより広がっている。
これにより自給自足だった多くの労働力が解放され、現金収入を求める。産業が生まれる。
356 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/17(土) 13:26:22 0
日本は中国の研究開発部門の役割を担っている。生産が中国に移る、あるいは日本に残って
も中国との低コスト競争にさらわれ人件費の低減から人が減らされている。多くの人員が高付
加価値製品のための研究人員へ回り、成果を上げているが、それを製品として利益をあげる
役割が中国が担いつつある。
あるいは、製造業では生産現場で働くことが避けられつつあり、多くの人員が研究分野を望ん
でいる。いかに利益に結びつけるかという興味よりも、研究開発を望む。
日本が開発力が落ちている、発想力が落ちているというよりも、いままで得意だった製品へつ
なげる生産技術力が低下しているのではないだろうか。
日本が開発力が落ちている、発想力が落ちているというよりも、いままで得意だった製品へつ
なげる生産技術力が低下しているのではないだろうか。この辺りはガラパゴス化につなげられ
るかもしれない。新技術が投入され続けた痕跡。
357 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/18(日) 14:49:16 0
ロケみつ|桜・稲垣早希の目指せ!鹿児島 西日本横断ブログ旅
http://www.mbs.jp/888/blogtabi/ おもしろくて見てるのだけど、早希ちゃんがお金を持っているときと、
持っていないときの態度の違いは面白いね。
お金を持っていれば、食べるも泊まるも気にせずお気楽旅行。
でもお金がないと、いっきにどん底。人にお願いすることの大変さがわかる。
これって現代の縮図ですよね。
お金があれば一人でやっていける。だから人との必要以上の関係は必要がない。
でもお金がなければこんなこと言っていられない。
あいさつでもなんでも関係を気づいて助け合わなければらない。
自分の正しいことを信じ相手の正しいことも認められる一歩進んだ対応なんて
気楽なことが言えるのは、お金があってのことなんですね。
358 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/19(月) 02:09:22 0
■なぜ日本でアイフォンは作られなかったのか。
高機能だからではない。アイフォンのスマフォの世界シェアは低いし、機能では日本のケータイ
の方が高いだろう。ネットワーク性。日本のケータイはネット端末として十分よく機能している。
ゲームなどのソフトの充実もグリーなどの成功からもわかるように充実している。
違うとすれば日本のケータイは文字にこだわりすぎた。目的の多くがキー入力と関係している。
なぜなら日本人はネットを文字コミュニケーションとして楽しんでいるからだ。ケータイの最初の
成功、そしていまもメールが一番だ。
俳句文化を持つように、ハイコンテクトな日本人にはメールや掲示板などの短い文字のやりと
りはむいている。とくにケータイメールでは意味があり送るのではない。雰囲気の文化である。
それに比べてアメリカ人が親指打ちで英語を打つ場合、文字数が多くて大変である。また西洋
人は指が大きい。そしてなにより日本人のように意味のない短い文字を交換することがない。
ローコンテクストな社会の彼らが、書くなら意味がある文章である。そのために彼らにはタイプ
ライターの文化があり、すでにパソコンが広がっている。
だから彼らは文字文化から切り離されたケータイ端末を開発した。タッチパネルは別に新しい
技術ではないが、アイフォンの象徴的な機能になったのはそのためである。
>なぜ人は上から2冊目の本を買うのか。
一冊目が汚いと思うからよ。
>なぜ夕日は美しいのか。
理由などありませぬwww
>なぜマクドナルドへいくとほっとするのか。
ほっとしないwww
>なぜ人はネットで懸命にコミュニケーションするのか。
人間関係が希薄だからだ、あたしら馬鹿みたいにやってるわねwww
360 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/19(月) 02:16:21 0
>一冊目が汚いと思うからよ。
なぜ汚いとダメ?
361 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/19(月) 02:19:23 0
>理由などありませぬwww
理由がないのに美しいとおもう理由は?
>ほっとしないwww
コンビニとか、ほっステーションだよね。
>人間関係が希薄だからだ、あたしら馬鹿みたいにやってるわねwww
希薄だからなに?
362 :
社会びたみん不足 ◆zux.LiRqWQ :2010/07/19(月) 06:06:49 0
がんばってるかね。
363 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/19(月) 16:56:27 0
■なぜ日本経済だけが取り残されるのか
なぜ日本だけが取り残されるのか
>>
壊滅と言われながらも急速に甦ってきたアメリカ金融業界、巨額の経済対策と土地バブルで興
隆する中国経済。その一方で、世界の経済回復に完全に乗り遅れた日本。このままでは「失わ
れる15年」を繰り返すことになる! 行き詰まる日本経済の課題と今なすべき戦略は何か? 野口
教授が描く経済再生へのシナリオ。
「世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか」 野口悠紀雄 (ISBN:4478013497)
<<
「世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか」 野口悠紀雄
(ISBN:4478013497)を読む。簡単にはいえば、震源地である米国は早々と回復しつつあるの
は、金融と情報産業にシフトしていたので、償却する設備がなく、人員の再配置も進んでいる。
それに対して日本経済はいまだに製造業中心であり、社内の設備償却と余剰人員が重しに
なっている。また日本はアメリカのバブルな消費に依存していた、またこの不景気で製造現場
の中国シフトが進んだために、設備、人員能力を埋めるだけの需要の回復はもうない。
本書ではこれらをデータをもとに示しているが、また実感としても納得できる。設備償却は当然
として、日本では、新規雇用を非正規として低コストしたが、正社員雇用は抱え込んだままだ。
日本では企業の収益より既得の社員を守ることが優先される。
また正規雇用の保護は企業の収益悪化とともに日本の人材が埋もれる結果になっている。こ
の日本の余剰人材をうまく活用しているのは韓国、中国企業だろう。韓国企業の躍進には高額
で引き抜かれた日本人技術者の力が大きいと言われている。
364 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/19(月) 16:58:09 0
日本のイノベーションのジレンマ
日本製造業の余剰人員はどこにいくか。製造現場は中国対抗で加工費削減のために人員削
減が進むので、本社間接機構か研究人員である。また日本企業は中国メーカーが生産する低
価格のボリュームゾーンでは収益を上げられず高付加価値品、あるいは新製品を狙うしかない。
このためにも多額の研究投資が求められて、多くの人員が投入されている。だからいまだに研
究開発力では日本は世界有数である。しかしそれを収益に繋げることが困難になっている。
一つ目の問題は高付加価値商品の市場がない。日本でものが売れない。また頼みのアメリカ
の消費バブルは弾けてしまった。さらにそこにある本質的な問題は高付加価値商品が広義の
「イノベーションのジレンマ」を起こしているのかもしれない。その空回りが「持続的イノベーショ
ン」が投入され続けた痕跡としてのガラパゴス化である。
アメリカが金融、情報産業へのシフトし成功している。求められているのは従来の製造業の先
にあるイノベーション=多機能新製品ではなく、シフトしたイノベーション=金融商品、IT製品である。
>>
バリュー・ネット
ワークのなかでは、各企業の競争戦略、とりわけ過去の市場の選択によって、新技術の経済
的価値をどう認識するかが決まる。各企業が、持続的イノベーションや破壊的イノベーションを
追求することによってどのような利益を期待するかは、この認識によって異なる。実績ある企業
は、期待する利益のために、資源を持続的イノベーションに振り分け、破壊的イノベーションに
は振り分けない。このような資源配分のパターンが、実績ある企業が持続的イノベーションでは
つねにリーダーシップをとりつづけ、破壊的イノベーションでは敗者となった要因である。P59
「イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき」 クレイトン・クリステンセン (ISBN:4798100234)
<<
365 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/19(月) 16:58:57 0
世界に中国製品があふれている
二つ目は世界市場は後進国において旺盛だか、それらはすべて低価格品需要である。そこで
は日本が研究開発し、韓国、中国が低価格化により世界中に売るという構図ができている。
先進国は安い人件費を求めて中国に工場を建てた。その売り先は先進国である。それを真似
て中国人が生産を始めるが、先進国メーカーに勝てない。そこで彼らが見いだしたのは後進国
市場の開拓である。
後進国ではとても先進国の製品は高価で買えない。後進国はなにもない状態から製品を手に
入れるので安価であれば品質が悪くても満足である。少し前は憧れとして棚に飾られていたて
日本製品に変わって、今や手に入る製品として世界に中国製品があふれている。家電製品か
らケータイからがそのように広まっている。そして自動車も時間の問題だろう。また韓国をみる
と低価格品を売った資金力で高付加価値品でも成功しだしている。
>>
〇七年の一人当たりのGDPを見ると、中国は日本の一四分の一、インドは三五分の一である。
「ボリュームゾーン」と呼ばれる年間所得五〇〇〇ドル(約四五万円)以上の消費者がアジア新
興国に八・八億人いると言われる。しかし、そのうち八五%をしめる七・五億人は、年間所得が
一・五ドル(約一三五万円)以下だ。これは、日本における生活保護世帯以下の水準である。
彼らが、先進国と同じような自動車を購入するようになるとは考えにくい。一部の富裕層を除く
大部分の国民は、日本がつくっているような自動車は買えない。新興国需要の中心は一台数
十万円の低価格車になるだろう。これは、低賃金労働力を使える中国やインドのメーカーの守
備範囲だ。P140
「世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか」 野口悠紀雄 (ISBN:4478013497)
<<
366 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/19(月) 16:59:52 0
>>
ハイブリッド車で日本が先行しているのは事実だ。しかし、電気自動車は、従来の自動車とは
きわめて異質な製品である。電気自動車では、ガソリン車と違ってトランスミッションのおうな複
雑な機構が必要ない。だから、日本はこれまで強かった「すり合わせ」の技術で優位性を発揮
できない製品になる。したがって、ハイブリッド車のように機械技術的に高度な製品にこだわっ
ていると、電気自動車の分野でおくれを取る可能性がある。
電気自動車が主流になれば、自動車生産は、現在のエレクトロニクス製品のように、水平分業
化した生産に移行する可能性が高い。新興国需要に対応する場合には、たとえばモーターや
バッテリーだけを担当するというような分業が考えられる。調達先が広範囲になれば、同一の
部品をより安価に製造できる相手を見出すことができる。P124-125
アップルは、「水平分業」(一つの企業が組み立てまで全行程を行うのではなく、多数の企業が
一つの製品の部分部分を担当し、市場を通してそれらを統合する生産方式)という製造業の新
しいモデルを提示している。この点で、ソニーとは対照的だ。P155
「世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか」 野口悠紀雄 (ISBN:4478013497)
<<
367 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/19(月) 17:00:51 0
金融型の先進国グローバリズムと電気革命による後進国グローバリズム
それとともに中国を中心とした新たにグローバリズムが生まれてるんじゃないだろうか。単に安
価品の拡散ではなく、先進国とは異なる新たな文化が生まれている。たとえば太陽電池は先
進国では環境にやさしいボランティアでしかないが、途上国ではインフラにかわる生命線であ
り、効率が悪くても安価ならよい。
たとえば電気自動車だ。電気自動車は簡単には電池とモーターで動くプラモデルと同じであり、
安価できる。実は環境製品はエネルギーの分散化であり途上国向きである。これは電気革命
である。世界中に電気が行き渡り、安価な家電製品が普及する。これにより自給自足だった多
くの労働力が解放され、現金収入を求める。産業が生まれる。
先進国とは異なる電気革命によるグローバリズムが中華ネットワークにより広がっている。先
進国グローバリズムが金融の不安定さに翻弄されつづけるなか、後進国グローバリズムは確
実に発展し続けている。
ここでは日本はどのようなポジションにいるか。環境関連技術では日本は最先端である。日本
は中国の研究開発部門の役割を担い、間接的に世界へ向けな大きな貢献をしている。
368 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/07/19(月) 17:01:47 0
>>
アフリカではいま携帯電話が広く普及しはじめているという。・・・ここで重要であるのがインフラ
である。広大な国で地方まで電力、さらには通信インフラを張り巡らせるには膨大な費用がか
かる。しかし太陽電池などの高効率な分散化電源によって、地方でも安価に電力をえることが
できる。電波塔をたて足下に太陽電池を設置することで、安価に携帯電話の基地局を作るがで
き地方まで通信網が広がっている。
分散化電源によっていま大きく変わろうとしているのが自動車である電気自動車といえば日本
ではハイブリッドのプリウスなどの高級車のイメージがあり、日本が技術的に最先端ではある
が、電気自動車の革命は電池とモーターでできてしまうことでプラモデルのように組み立てられ
るということだ。
アフリカや中国のような貧困層のたくましさをすれば、日本のような安全基準は?走行距離
は?インフラは?などという高いハードルをもうけて膨大な費用をかけなければ普及しないとい
う次元とは異なり、あちこちに太陽電池をおいて、充電しながら乗り回すようなことが起こるの
だろう。それらが輸送インフラになって経済が発展していく。
いま起こっていることはこういうことなんだろうと思う。地球への善意のために普及を強制される
先進国と、安いインフラという生きるための経済効果として普及を促進する途上国とではどちら
のインセンティブが高いか。
「なぜ情報革命は途上国から訪れるのか」
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20100505#p1 <<
相変わらず素晴らしいパクリですねっと
考えていることがうすっぺらすぎてだめだわ。
371 :
考える名無しさん:2010/07/20(火) 11:29:27 0
ぴかぁ〜様をいじめるんじゃないよ!
372 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/08/09(月) 23:47:38 O
ふぅ〜
373 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/08/09(月) 23:51:09 O
しかし2チャンネルもまだ維持されてるのが不思議だ。
といってもまだ十年なんだな。十年でこの退廃ぶり
まあ、でも、2ch始めた当時は
ぴかぁ〜は二十歳だったんだろ?
それが今や三十歳、まあ、体感時間は一分ぐらいだろうが、
お前は確実に歳をとってるって事さ。
375 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/09/05(日) 14:29:21 O
あら書けた。今度はいつまでもつドコモ
まだまだ2ch卒業は無理みたいだな
45 名前: ヘルスボーイ(アラバマ州)[] 投稿日:2010/08/24(火) 00:03:39.48 ID:CT/jPxLp0
レオパレスの裏技として、つっかえ棒ポールを部屋の中央に設置しておくと
隣の奴が壁ドンしてきた時、その衝撃と音が全て逆側の部屋に流れる。
メリットとしては特に何も無いが、
デメリットとして自分が壁ドンしたと思われる事と、
部屋のど真ん中に邪魔なポールがある事と、
あまり強くつっかえさせると壁を突き破ってしまう事くらい。
378 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/09/06(月) 08:19:41 O
おはよ
しょこたんを死ぬ気で応援して3rd Albumの「Cosmic Inflation」も買えよ
ぴかぁ〜が凄いのは31でリアルに無職って事だ
382 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/09/07(火) 08:10:02 O
ドコモ
383 :
考える名無しさん:2010/09/07(火) 08:50:59 0
見返りや保障は求めない
それでも僕は何らかの『自由』を語り
僕が形式に反対するモノリスであるように
形式として宣言にも反対する
論理は全ての文章の常識的な価値を量る単位だ
あまりに便利すぎる
属性は帰属主義者たちによってでっち上げられた
あまりに悲しすぎる
ゆえに僕は、沈黙を帯びた一呼吸の間に
僕が同時に相対する青写真を正確に描くことを示すために
あるいは、錆びついた思案のプロペラを破壊するために活動する
僕は活動にも反対する、絶えざる矛盾のために
そしてこの錯綜的抽象的信仰のために、僕は肯定も否定もしないし
良識なんて大嫌い
384 :
考える名無しさん: