■ ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 7 ■

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952考える名無しさん:2010/04/17(土) 04:55:17 0
『アンチ・オイディプスの使用マニュアル』は誰も買っとらんの?
953考える名無しさん:2010/04/17(土) 17:32:20 0
>>951
そうした留保なきスピノザ主義は、
実在的区別において、
残酷のマイナー幾何学を展開するのですね。
「諸概念が「ドラマ」との関係において、
かつある種の「残酷」の諸方途に
よって行使されるのである。」
(差異と反復p13)
954考える名無しさん:2010/04/18(日) 01:00:13 0
いみわからんw
955考える名無しさん:2010/04/18(日) 02:57:27 0
否定というより限定と言うべきだが、、、
論理学的(唯名論的)否定=false/trueは実在論的な無限と矛盾しない。

そして、
限定された無限としての、アルトーのグロテスクな実在を露にするような演劇(=人生の実演)こそが
論理学(false/true,『意味の論理学』で言えばルイス・キャロルのそれ)の可能性を越える、
ということだろうが、

単なる経験論の賞揚の方が誤解を生まなくていいと思う(とはいえ学問的に症例と判例にこだわった
わけだから一貫してはいる)。




956考える名無しさん:2010/04/18(日) 16:39:51 0
>「すべての規定は否定である」
ヘーゲル的な意味でのこの言葉が意味するところはつまり、「机」と「椅子」は同時に存在できない、
ということになるような気がするんだが、現実にはそんなことはありえないよなぁ…
ドゥルーズからすればだから、ヘーゲルこそ非現実的な思考をしてるとか思えないんだろなぁ。
と、俺は思う。
957考える名無しさん:2010/04/18(日) 16:53:41 0
「すべての規定は否定」と言うのは、規定=肯定は否定の否定に
なるからだよ。つまり、肯定も否定もある規定になり、
規定は、全体としての生の流れからの逸脱になるということだろう。
欲望の流れの切断なのである。こういう風にいえば、より、ドゥルーズ
的だろう。また、この切断を逃れるために、ニーチェは「然り」を繰り返し
ポーは大ガラスで「またとない」を繰り返したんだよ。
肯定は、否定の否定として、概念を紡ぐ。概念は正否によって
欲望の流動する人を縛る=去勢する。この事によって、ヘーゲルは
批判されるのである。
958考える名無しさん:2010/04/18(日) 17:21:28 0
>>957
フーコーが引き合いに出してたので有名なマグリットの絵があるよね?
『これはパイプではない』っていう。
あれでしょ、要するに?
959考える名無しさん:2010/04/18(日) 19:05:07 0
そもそものの始まりは
「差異の理念は概念的な差異に還元される
ことはない」(差異と反復 序論)
であったので。
960考える名無しさん:2010/04/19(月) 17:53:45 0
つまり、差異とは、欲望の流動のことであり、概念を差異化することではない
という事?
つまり、還元する場合には、多様な経験がそぎ落とされ、概念化するからね。
概念は主体前提ににしているという事で、批判される。
961考える名無しさん:2010/04/19(月) 17:58:21 0
もう自演はいいです。
962考える名無しさん:2010/04/19(月) 18:04:49 P
自演と反復
963考える名無しさん:2010/04/19(月) 18:06:38 0
なんだか伸びてると思ったら自演か
964考える名無しさん:2010/04/19(月) 18:46:26 0
どうせだからこのまま自演で1000までもっていきなよ
965考える名無しさん:2010/04/19(月) 18:51:54 0
961〜964も、かなりしつこい。 同一人物か…
966考える名無しさん:2010/04/19(月) 19:08:19 P
具体例を挙げてくれ
967考える名無しさん:2010/04/19(月) 19:12:28 0
私が書いたのは>>964だけだよ
968考える名無しさん:2010/04/19(月) 20:32:27 0
>>960
差異が<理念(イデア)>として
問題的なものとなって現われてきて、
構築されるとしたら
それに対して「概念」が
創造されるというのが、
「差異と反復」で言われること
だと思う。

アンチのほうをまだ
あまり読んでないので、
欲望論のほうは、
わからない。

969考える名無しさん:2010/04/19(月) 20:33:35 0
自演するなら文体変えろよ
970考える名無しさん:2010/04/19(月) 21:03:24 0
だって、957の発言からすると、欲望論
というか、「アンチ」の文脈では、
認識の「肯定」と「否定」が「エロス」と「タナトス」
の力能との関わりになってしまうような。

それが示唆されているとしたら「器官なき身体」
まで把握してない俺が、降りるのは
仕方ないじゃん。
971考える名無しさん:2010/04/21(水) 01:44:28 0
>>970
「器官なき身体」って要するに、「タブラ・ラサ」の集団・モノ版みたいなものだよね。
個人の「タブラ・ラサ」を含むって意味では、その発展版とも言える。
だからこそ欲望する諸機械は絶えず生産しつつ破壊するんだろし。
資本主義機械はそれを内部に吸収し、同時にその原理に規定されている。
つまり、「作っては壊し、作っては壊し…」。その繰り返しだよね。
972考える名無しさん:2010/04/21(水) 09:42:42 P
べつにドゥルーズなんて持ち出さなくてもいくらでも説明できるじゃん
973考える名無しさん:2010/04/21(水) 09:48:12 0
どういう立場からドゥルーズスレに粘着しているの?
974考える名無しさん:2010/04/21(水) 22:31:36 0
>>972
まあ、それを言ったらおしまいだって。
しょせんドゥルーズなんてそんなもの
975考える名無しさん:2010/04/21(水) 23:17:46 0
「襞」を読んでると現代中国が頭に思い浮かぶ
976考える名無しさん:2010/04/21(水) 23:20:24 0
今の中国はバロックなの?
977考える名無しさん:2010/04/22(木) 11:47:11 0
>>971
「タブラ・ラサ」は違う気がする。
978考える名無しさん:2010/04/22(木) 12:04:01 0
>>972
それならドゥルーズ的な意味において
「器官なき身体」について述べて下さいよ。
979考える名無しさん:2010/04/22(木) 20:22:59 0
>>974
「所詮」なんて言い出したら、そもそも哲学を語るのに哲学者の名前は必要ないでしょ。
物理学だって物理学者の名前出して語る必要なんて全然ないのと同じで。
そういう慣習があるからそういう語り方をしてるだけだよね。

>>977
いや、入り口のイメージとして近いかな、と。
結局、何もないところ(あるいは全部あるところ)にいろいろと「登録」してくわけだからね。
ドゥルーズ自身は卵の分割(受精から胚に至る過程)とかによく例えてたよね。
概念として違うのは重々承知。
980考える名無しさん:2010/04/22(木) 21:59:39 0
自演って誰かが言ってからレスが減ったね
981考える名無しさん:2010/04/22(木) 22:51:14 0
それだけ「まじめ」なんじゃない?(笑)
逆に言えば自分の目で見て自分の頭で考えない、他人の言葉を鵜呑みにする馬鹿が多いってことだな。
おれみたいに「内在」をきちんと理解してればそんなことは起こらないのに。
982考える名無しさん:2010/04/22(木) 22:53:26 0
自演しているのはお前だろ。
と、もうスレも終わるし無駄レス叩いてみる。
983考える名無しさん:2010/04/22(木) 23:13:09 0
>>982
おれそんな暇じゃないから(笑)
つか自演だろうがなんだろうが、実のある議論ができるならそれでいいでしょ。
「自演」ってことになんでそんなこだわんのか逆に気になるね。
スキゾ分析したくなる、そういうパラノは(笑)
984考える名無しさん:2010/04/22(木) 23:16:34 0
どこに実があったの?
985考える名無しさん:2010/04/22(木) 23:40:53 0
ageてるやつは全部文体一緒だしな。
986考える名無しさん:2010/04/23(金) 00:07:02 0
>>984
ドゥルーズの「哲学とは何か」で
『「概念」を用いて仕事をすること』
とあるので、その概念規定で、「規定性」
と「否定性」の関係は、どうなるのか
聞きたかっただけ。誰も答えてくれなかった。

へーゲリアンの人のレスもなかったから。
987考える名無しさん:2010/04/23(金) 00:29:26 0
>>984
逆に、何で実がないと思ったの?

>>985
文体なんていくらでも模倣ができるし、反対に変えることもできる。
そんなもん、基準になんないよ。
ちなみにおれは誰の模倣もしてないし、気分で書いてるだけだけどね。

>>986
だからそれが「机」と「椅子」じゃないの?っておれは書いたんだけどね。
「机」の存在が「椅子」の存在を否定するわけじゃないでしょ?
そもそも「存在」をある種の一元性(超越性)に還元することに、
ドゥルーズは猛烈に反対してるんじゃないの?
ドゥルーズ関連の本をずっと読んできて、おれはそう感じるけどね。
988考える名無しさん:2010/04/23(金) 03:48:30 0
というより、ドゥルーズは、数学でいうところの多様体を念頭においている。
座標を前提とした思考に対してのアンチ的な意味合いでさ。

ドゥルーズの数学概念は、ソーカルらによって批判されたわけだけれど、
ドゥルーズが何をいわんとしていたか、を知る意味では、やはりそこから
入る道もあるし、今となっては重要になっている。

そもそもドゥルーズ哲学の源泉は、ハイデガーなんかよりベルグソンだからね。

ベルグソン―ドゥルーズのラインの数理哲学ってすでに分析哲学が覇権を握った
今となっては見る向きもないんだろうけど、実は結構面白い。
989考える名無しさん:2010/04/23(金) 17:43:16 0
>>976
17世紀ヨーロッパ同様、未曾有の大混乱を体現しているって点でね
ネオバロック=資本主義
990考える名無しさん:2010/04/23(金) 21:36:30 0
ネオバロックが資本主義ってどういうこと?
991考える名無しさん:2010/04/24(土) 05:52:32 0
>>975
>
>「襞」を読んでると現代中国が頭に思い浮かぶ

ライプニッツは易の二進法以外にも中国の「理」を(西欧の神と相似だとして)論じていて、
情報源であるキリスト教宣教者達を含めればかなり具体的に当時の中国と繋がっていた。

だから、ネオバロック=資本主義の比喩は正しいかも知れないが、現代の中国を見た時、
潜在的な(経済大国ではない)文化大国としての(今とはまったく別のあり得たかも知れない)
中国を思い浮かべてしまう。
実際毛沢東はアナキズムの影響を受けていて、このあたりが歴史的に抹殺もしくは隠蔽されている。

>>988
>
>ベルグソン―ドゥルーズのラインの数理哲学ってすでに分析哲学が覇権を握った
>今となっては見る向きもないんだろうけど、実は結構面白い。

ベルグソンの『物質と記憶』のなかの図が、ミンコフスキー時空と似ていることに気がついて
驚いたことがある。
ドゥルーズが『襞』のなかで評価するホワイトヘッドは、歴史的にはポアンカレ予想とも絡だ
りしていて、ラッセルとはまた別の理論的な可能性を感じさせる。
992考える名無しさん:2010/04/24(土) 17:27:17 0
>ライプニッツは易の二進法以外にも中国の「理」を(西欧の神と相似だとして)論じていて
詳しく。
どの本が情報源?

ライプニッツっていろいろやっているよね。
993考える名無しさん:2010/04/24(土) 18:34:48 0
今のスレの流れを見ていると、押井守監督『イノセンス』の択捉経済特区を思い浮かべてしまうな。
「チャイニーズ・ゴシック」というコンセプトでデザインされたらしいが、国家主権が曖昧なせいで多国籍企業や犯罪者の巣窟と化しているというバロック的折り込まれ状態。
994考える名無しさん:2010/04/25(日) 19:49:26 0
こんなの哲学でもなんでもない
ポエム板でやれ
995考える名無しさん:2010/04/26(月) 00:30:11 0
じゃあアンタがちゃんと哲学なことをやってくれよw
ピーピーねだったら誰かがクチバシに餌を放り込んでくれるかのように、ひとに文句言ってばっかな奴多すぎだよ。
996考える名無しさん:2010/04/26(月) 00:57:05 0
千葉ってだめじゃね?
997考える名無しさん:2010/04/26(月) 02:32:02 P
誰か次スレ立てろ。俺は哲学科でもないしフランス語もできないからその資格なし。
998考える名無しさん:2010/04/26(月) 13:40:02 0
表象04買ってきた
999考える名無しさん:2010/04/26(月) 14:01:06 0
次スレ。

■ ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 8 ■
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1272258024/
1000考える名無しさん:2010/04/26(月) 14:03:20 0
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