◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない170◆

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424409
>>416
>「私」と「私の意識」って多分「私の身体」と「私の意識」ってことだと思うけど
>認識主観から見るとそれらも客観なのであって観念論と同じだから
>「私」も「私の意識」も世界に含まれる、とするのが、つまるところの唯物論というのは
>当たらないよね。
んー・・じゃあ修正するか。面倒な奴ちゃの
「私の身体」も「思惟する私」も「開闢する観念世界」も、〈世界〉の構成要素であり、
私が生まれる前から〈世界〉はあり、私が死んでも〈世界〉は無くならない、とする”境地”が唯物論。とでもするか。
>時空というのは主観的な構成原理なのであって物自体も主観的なものだからとそういう意味で
>客観自体などというものは錯覚だって言ったんだよ。
主観により構成される「時空」の由来は主観以外には何も無い、と考えるのですか?はー・・。
その主観なる奇天烈なる存在の由来は何ですか。「無」から自発的整合性をもって立ち現れるのですか?へー
「いわゆる客観(こいつも適当だが)」が錯覚でもいいが、その錯覚は無から生じたのですか?んーオカルチック。
およそ「世界記述が観念によってのみ構成される」とする場合、観念を超える世界の存在は既に要請されてるだろ。
「カントの観念」が「俺の云う観念」と違うと貴方は指摘したが、この場合の観念は「一般化した観念」ですよね。
しかし、「世界が観念に過ぎない」と云う場合、この観念は一般化してないだろ?
にもかかわらず、貴方と私で、観念、観念と分かるような分からんような話をしてるのは
貴方と私にパーソナルに観念があることを了解してるってことだな?
なら「貴方の(観念)世界」と「私の(観念)世界」を包含する〈世界〉の想定は可能ってことでいいですか?
これってなんすか?世界の多重構造を認めようっての?
そうでなければ、それは複数の境地を飛び跳ねてるだけだと思いますね。
いま規制中で、シベリア郵便局さんに申し訳ないので、今日はこのぐらいにします。
また年末にでも宜しく。