◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない170◆

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409考える名無しさん
>>384
世界の超越性を「ヒトのサガ」なんぞに貶めるのですか?
世界、さらには物自体が「ある」ことは要請されており、「無い」など許されない。
モノを 波動と呼んだり、位相と呼んだり、エネルギーと呼んだり、情報と呼んだりと
唯物論も節操無く忙しいわけで、私も唯物論を支持する立場としてもちょいと恥ずかしく感じる時もありますが、
それが”あるかどうか”については、堂々と「ある」と主張さしていただきます。
それが何ものかを直接には言及できないのでしょうが、しかし最近思うに、
言語及び言語を成立させる力により、今以上にモノに漸近できることはできるだろうと予想しています。
原理的にはあえず想定・描画・区別能力と、その力を成立させる「世界」との定常状態(比喩だが)に限界点があるわけですが、
”とりあえず”やむを得ない。(「原理」などは「とりあえず」的なものでしょう)

あたしゃ カントが何を言ったかほとんど知りませんが、
観念をどれほど分析したところで 自分の中の函数を整理したに過ぎないので、
カントが自分の分析力を信じているとするなら、
その力を成立させ得る世界の(超越的)整合性よりも自分の言葉を上位に置いた(かどうかは知らんけど)理由が 私に理解できませんね。

ついでだが、モノを「意味」にスライドさせるのは筋が悪いと思いますね。
「500意味」とか「意味グラム」とか「意味ベクトル」とか、量的、あるいは(位相)空間的に想定可能なのですか?
できなきゃ文藝であり、観念の浮遊でしょ。

でもネコさん(?)は言説が鋭くて好き。ふふ