東浩紀325 ―― あるいは現代のハリ・セルダン

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226考える名無しさん
[2558] このサイトでの言葉づかいの問題について 投稿者:副島隆彦 投稿日:2002/09/02(Mon) 11:31:43
この他には、日本語、という言語が持っている、以上にへりくだってみせる言葉の使用法のことがあります。
これを、「敬語」というらしい。私も一応、日本社会のルールに従って、ものを書いているから、特に、
ネットで、閲覧者と対応する感じで書く時は、かなり、へりくだった感じで、「敬語」(本当は、すべて
「丁寧語」のことだ、とする、理論が国語学者たちの中から出ている。)を使います。
(中略)
こういうことをこの私が、いうこと自体が奇妙なことだ。しかし、今の私の態度はこういう風に決まっている。
「世の中のルールをひと通り、守った上で、そのうえで、自分の才能が伸びるように努力すればいい」と言います。
それでも、この日本社会は、個人に要らぬ強制をして、くだらない事まで干渉してくる。それは、国民文化の
劣勢遺伝だからみんなで改変してゆかなければならない、とおもう。その最たるものが、この国民言語の異常な
使い方である、「敬語」というやつである。私は、敬語廃止論者にはならないが、相当に、不愉快である。

何でもかんでも、頭に、何十度でも「お」をつけなければいけない。「される、してもらう」「してあげる」
「していただく」「させていただく」と朝から晩まで、使わなければならない。やっぱり、いやな言語だなあ、と思う。

それでも、私ひとりでこの現実がどうにかなるものではない。だから、私もこの「させていただく」文化に、
表面上は従っている。自分が変な人間だ、と思われたくなければ、この異常に卑屈(および、過剰な自己卑下)な
言葉づかいをしなければならない。この言語面における国民文化の改良は、何とかしたいと思う。
しかし、今日のところは、これぐらいにします。
つまり、過剰な奴隷・隷従文化でもなく、だからと言って、過剰な個人欲我主張文化でもない、適度の優れた、かつ、
簡素な国民言語文化というのは作れないものか、という提案です。
こういうテーマは、私は、ぼやきの無料版に載せようと思ったのだが、
他のテーマを優先するので、これは、重たい掲示板(総合掲示板)に載せます。
副島隆彦拝