◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない169◆
952 :
考える名無しさん:2009/11/10(火) 11:07:39 0
>>950 ×
実在を仮定してどうすると批判されるぞ
953 :
考える名無しさん:2009/11/10(火) 12:12:42 0
客観的な存在などない。
客観は主観に依拠してるのである。
つまり意識や主観から独立に存在することを「実在」など証明できない。
神の存在証明と同じ堂々巡りである。
>>953 >客観的な存在などない
それはお前にとってはないってだけだ。頭が悪すぎる。
955 :
ポリシス:2009/11/10(火) 16:12:19 0
最終的には ‘無’ の状態になるんでしょう
無いのと同じに
956 :
救世ハンニバル:2009/11/10(火) 16:15:16 0
ネネオマトト・リリクスス 2039'〜2141'(没
957 :
考える名無しさん:2009/11/10(火) 16:20:27 0
無なんて存在しない
958 :
考える名無しさん:2009/11/10(火) 16:29:10 0
「観念だけ」の世界
959 :
考える名無しさん:2009/11/10(火) 16:32:02 0
観念なんて存在しない
960 :
ネオマトリクス:2009/11/10(火) 16:33:03 0
全部が錯覚である
何も無いと認識する
強制的に見せられ続けている世界
961 :
考える名無しさん:2009/11/10(火) 16:34:18 0
もう逃げられんぞ
962 :
考える名無しさん:2009/11/10(火) 17:39:28 0
>>940 > 観念論者さん達は「神という言葉(概念)が存在する」のだから「神は存在する」という
> 類の「レトリック」を用いますので、結局「言葉(概念)が存在するものは全て存在する」
> ・・・ということになってしまいます。
神という概念が存在するということは脳内には神という概念を扱う情報や機能は実在すると考えられます。
これがどのようなものか考察することは無意味(ナンセンス)とは思えません。
> 従って「存在する」ということについて「言葉(概念)」であれこれ考える(議論する)形而上学
> は「全て無意味(ナンセンス)」なことなのです。
例えばこの無意味(ナンセンス)から考察してみます。
無意味は有意味でないことで、では有意味はというと自分たちが生きる、ということに結びつくことであり、
では生きる意味はとなると生きることに意味があるのは前提となっていて生きること自体が有意味というのを
証明することはできない。
しかし生命が生きてきていられるのは自ら生きる意味を捏造しているからと考えることもできるかもしれない。
論理的考察によらず無条件に生存を有意味とする価値観が脳に実在し、そこから延長してすべての価値判断を
する。人間の生きる意味を有意味としてくれるシンボルとして神という概念があるのかもしれない。
他にもいろいろ考察できると思いますがこれはほんの一例。
>>950 素朴実在論などの哲学上の実在についてはおおまかにその説明でいいと思います。
しかし一般に実在と呼ばれるものにその説明があてはまらないものもあります。
例えば「会社」は我々の意識上にあり、ビルなら意識から独立して実在すると考えられるが
「会社」は我々の意識から完全に独立しては存在できないと思われます。
だが実際は実在する会社という表現も使われます。
唯物論者と似非唯物論者の違いで顕著なのが物理法則や数学法則を物質とするかしないか。
意外と物理法則は絶対の神だとかいう人がいてやっぱり似非かとなる。
966 :
NAS6 ◆YbjyWDyXSc :2009/11/10(火) 23:27:22 O
ルカによる福音書22.24
いちばん偉い者
また、使徒たちの間に、自分たちのうちで誰がいちばん偉いだろうか、
という議論も起こった。そこで、イエスは言われた。
異邦人の間では、
王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。
しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、
いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。
食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。
しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕をする者である。あなたがたは、
わたしが種々の試練に遭ったとき、絶えずわたしと一緒に踏みとどまってくれた。
だから、わたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったように、わたしもあなたがたにそれをゆだねる。
あなたがたは、わたしの国でわたしの食事の席に着いて飲み食いを共にし、
王座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。」
Fuck me! Then I'm right.
ルサンチマン
967 :
考える名無しさん:2009/11/11(水) 01:27:14 0
>>964 だから客観的に確かめる術があるかないかが実在か否かだと平易に教えてやってるだろ
968 :
NAS6 ◆YbjyWDyXSc :2009/11/11(水) 02:42:05 O
969 :
NAS6 ◆YbjyWDyXSc :2009/11/11(水) 03:01:15 O
970 :
NAS6 ◆YbjyWDyXSc :2009/11/11(水) 03:13:54 O
シオンの議定書と聖書を精査すれば
答えは神頼み
971 :
考える名無しさん:2009/11/11(水) 07:29:26 O
郵便局の郵貯銀行
972 :
考える名無しさん:2009/11/12(木) 01:12:22 0
973 :
考える名無しさん:2009/11/12(木) 01:24:18 0
974 :
魔王再来 ◆M0QTTySn5c :2009/11/12(木) 04:03:56 0
ヘレン・ケラーだよ
意味は無い
975 :
魔王再来 ◆M0QTTySn5c :2009/11/12(木) 04:05:34 0
生きるために生きる。
だとしたら
全身チューブだらけでもよかったわけだし
雑草自体でもよかった事になるなぁ
976 :
魔王再来 ◆M0QTTySn5c :2009/11/12(木) 04:13:59 0
自殺は 全部を悟った人間がやれる事であって
ふつうは何も悟れないので出来ないんだよね。
977 :
考える名無しさん:2009/11/12(木) 04:22:14 0
何も悟ってない人間がどうして「全部悟った」と解るのか
それが不思議。
978 :
考える名無しさん:2009/11/12(木) 04:51:19 0
ニーチェじゃよ?
何も悟ってないって事は
悟ってない全てを悟ったんじゃね
980 :
考える名無しさん:2009/11/12(木) 08:26:48 0
年間100万人くらいは自殺している。悟るとか悟らないとか、
そんな大そうなもんではない。
981 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/11/12(木) 08:39:13 O
自然科学の一般的営みとしては、正しい自然の法則の発見により、自然の振る舞いを制御できるようになることで、
物質の世界の正しい扱い方を得ることにあると思う。観念については、自然に沿わない考え方などについては廃棄
していく。決定論は、その究極的あり方であって、言葉の一言も説明に要せずに、物質のみが黙々と全ての決まった
道筋に沿って、変化していくものである。全ての観念は廃棄される。
一方、哲学、分けても形而上学は、観念の説明に強力に働く。そこでは対照的に、ある存在が構築される。全ての
観念、抜け落ちた髪の毛やノミなどの観念までも利用して、神にも似た形而上の存在という観念を構築する。
全てを拾い上げていくのである。形而上学では本質的な対立は起こらないと考える。
自然科学と形而上学の間にあるのが言葉である。形而上の存在を担保しているのは言葉の存在であり、
言葉が存在する限りは形而上的なものがあるからである、というのが形而上のろんりである。自然科学の
物質の存在は、否定しようのないもので、担保を必要としない。言葉が無くても物質はある。言葉で名付けられない
物質というのも存在する。
このように全く接点のない両者の間にあるのが言葉であり、人間である。形而上学は物質を超えた概念を想定して、
人間の思考の頂点に立とうとする。自然科学は物質の存在と、法則の演繹によって、人間の思考を超えた存在まで
想定する。両者はどこかで一致するであろう。それを言葉で語ろうというのが形而上学であり、物質の描像でシミュレーション
するのが自然科学である。
言葉というものを、廃棄するか、掲揚するか、物質を究極と見るか仮象とみるか、言葉と物質の一致しないところを
どちらに向けて説明するかの立場の違いによって、自然科学と形而上学が対立するのである。
982 :
唯意味論:2009/11/12(木) 08:59:09 0
カラス君は宗旨がえしていないようだね。残念。
「ビルは意識から独立して実在する」というあたりは、機械氏と同じである。
機械氏は以前に「ヒト(認識者)が滅びても“地球”は在りつづけるだろう」と
語っていた。素朴実在論である。
が、ヒト(認識者)が滅亡すれば、地球のみならず“存在者(世界)”は消失して
しまうだろう。ただし非・意味として、それは存在するのではないか。
非・意味としてのそれは関心も無関心もなく、“無”に似ているにちがいない。
983 :
唯意味論:2009/11/12(木) 09:22:00 0
>>981 唯言語論だが、言葉の外に“物質”を措いており、不思議な二元論の
ようにもみえる。
「言葉がなくても物質が存在する」か否かはともかく、物質も観念も
『意味』の外には、つまり意味としてしか存在しえない。
984 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/11/12(木) 09:47:39 O
>>983 意味というものは文脈によって変化させられるものであり、そのためやり方によって
意味づけを物質に対して構築できるのであると考えるが、法則や空間や位置といった自然科学的
意味は、意味自体として存在していて、誤った、廃棄される意味というものもあって、
形而上学的イデアというものを想定すると、世界の外にも物質を想定すること自体は可能であり、
現実以前、世界の始まりを思考する材料としては、無意味でもないと考える。
>>984 >現実以前、世界の始まりを思考する材料としては、無意味でもないと考える。
それを神の誕生というのじゃ。背後世界とも。
986 :
唯意味論:2009/11/12(木) 16:34:32 0
>>984 「世界の外の物質」だって? 意味そのものじゃない。w
「思考する」とは“意味”の確定を連続的に行なうことを意味wしている。
>>985 人間にかかれば、「神」もまた意味でしかない。
それを信じるものには高い等級(価値)を有するだろうが、
そうでないものには○○である。
ネコだね
wのつけかたが癖がある
世界に外部があるなら
それは何と呼ぶんだろう?
988 :
唯意味論:2009/11/12(木) 18:00:12 0
>>987 「ある」のなら、それは“世界の内部”に決まっている。w
「世界の外部がある」というは君の嫌いな背理である。w
989 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/11/12(木) 18:17:06 0
>>986 言葉がなくなっても、意味が無くなるわけではない。世界が法則性や階層性を持ち、従って意味づけられているとしても、
それらから自由な物質のみ(物自体)を考えることは出来る。それがどのような言葉で指示されようと、重要な
事ではない。
990 :
唯意味論:2009/11/12(木) 19:47:10 0
ヒトにおいては、主として言語が意味を媒介する。私も唯言語論に
近かった。が、意味は言語によって十全に包摂されるわけではない。
なお、カントの“物自体”のモノは物質ではなかろう。物質である
のがわかっているのなら、不可知ではないことになる。
>>983 意味付けしてないことは無であると結局のところ意味付けをしているのでは?
神奈川ソフトモヒカンムートン出て来いや
995 :
考える名無しさん:2009/11/13(金) 00:04:18 0
既脳論
996 :
「機械的唯物論」者:2009/11/13(金) 00:14:46 0
>>964 >だが実際は実在する会社という表現も使われます。
そうですね、会社は「法人」ですからあくまで「法律(民法・商法)」
が存在する国において成立する概念です。
「法に基づくヒト」が「法人」であり、それは法哲学的に言えば
「法的擬制により成り立つもの」ということになります。
「私達は**する仲間だよな」という「共同幻想」は人間にとって
非常に重要な「考え」なので、近代法はそれを守るために「法律的に
保証された集団」として「法人」という概念を導入しました。
もう少し遡ると「国家」という国際法上の概念もその「俺達仲間だよな」
という共同幻想が起源となっている・・ということです。
例えば江戸時代の日本人には実は「日本国」という共同幻想が共有されて
いたわけではありません。
彼らに「あなたの国は何処?」と聴けば「武蔵の国(東京都西部)だべ」
とか「山城の国(京都)どす」・・とかの回答を得られるでしょうが、
「国籍は日本です」という回答は(徳川幕府の高官に関しても)無かった
・・と思われます。
すなわち「国家(日本国)としての共同幻想」はまだ充分に発現していな
かったのですが、その時代にそういう状況が許されたのは「島国における鎖国」
が地勢的な条件に下に「特別に許された時代・地域」に日本列島が位置していた
・・という「たまたまの条件」があったからこそである・・ということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
997 :
「機械的唯物論」者:2009/11/13(金) 00:31:28 0
要は私達近代以降の人類は「法治国家」の恩恵にあずかっているのですが、
ご先祖達が築いたその「法治国家」というシステムの有り難さを意識することがない
「恩知らず」の状態に陥ってしまっている・・・ということです。
法律が支配する国家、それも(一応ですが)民主主義によって運営されている国家
(立法、司法、行政)の中で生まれ育ったということだけでも「有り難い」と思うべき
なのかもしれません。
アフガニスタンやイラクをはじめとした「政情不安的な国」の特徴は「法律が充分に
機能していない」・・という状況を抜け出せないことが重要な要素になってしまっております。
要は「行政を執行する立場の人間(例えば検察や警察)が現金で動かされてしまう」・・という
状況の中で、「公正な選挙を行う」あるいは「公正な裁判を受ける」ことが出来ない状況がある
・・そういう国に生まれなかったことは「一種の幸運」だと考えるべきなのかもしれません。
本日は就寝させて戴きます。
この宇宙・この銀河・太陽系・地球・日本・東京都・千代田区・丸の内一丁目・東京駅
・中央線・この電車・乗客・この家族・父親・脳・ニューロン・dna・分子・原子・電子・紐
地球は人がいなくても実在する。
東京駅は人がいなかったら実在しない。
実在は人がいなくても成立する物を言う。
普遍論争しようぜ。
999 :
考える名無しさん:2009/11/13(金) 01:57:08 O
そして1000
1001 :
1001:
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