1 :
哲学少年 ◆9QdQ7ZM97k :
おお、本棚写真スレか
1年ほど前に文学板でもあったけど、
そのときに俺は結構放出しちゃったか今回は自粛するよ
こういうスレは荒れやすいから、暖かく見守ろうぜ
あと、専用アップローダーを設置しておくなり、
アップローダーをURLで指定しておいた方が、志願者もアップしやすいかと
誰か鷲田清一に傾倒してる人いない?
鷲田先生に私淑したい・・・・・。
中島先生はワンパターンでもう飽きたw
色んな読書スレで皆偉そうにしてるけど、
案外、大した奴いないんだな。
俺は小学生で○○読んだとか、そこら辺の奴よりずっと読んでるとか
吹いてる奴いるけど、みんな知ったかぶりしてるだけだったのか。
文学や哲学、科学ネタの本で1000冊超えるような奴はいないのか?
大体、30歳にもなって1000冊無いなんておかしい。
8 :
考える名無しさん:2009/10/07(水) 19:10:03 O
普通に仕事とかしてりゃ30で1000はきついわな
10 :
考える名無しさん:2009/10/08(木) 20:09:19 O
読書以外にも趣味あるから無理
11 :
考える名無しさん:2009/10/20(火) 18:50:20 0
頭から正確に読んでんだろ。
周りの受験生がしょーもない受験テクニックをあくせく覚え、
皮相的なものでしかない上っ面の学力偏差に満足してる間にも、
ひたすら濫読と精読を重ねて文章トレーニング積んできただけ。
コツコツ漢字のトレーニングから始めて、基本から積み重ねてきたんだろう。
受験勉強や一般教養を経て各分野の必読書を読み込み、
20代のうちに鉄壁の土台を築いた。
だから言語とか学術的基礎知識なんかで足引っ張られないんだと思う。
たとえば山田祐介30冊読めって言われても、ぶっちゃけ大したことないだろ?
漢熟語のレベルが低いから、何度も同じ文読まなくても、あっさり入ってくる。
思うに、奴らは語彙力、論理的思考、学術的土台といった全ての面において、
単純にその敷居が遥かに高いってだけ。
速読力なんて、膨大なまでのトレーニングの末についてきたオマケでしかない。
数年間、暫定的に成績落ち込んだりするスロースターターなタイプだが、
最後に壁をぶち破るのはこういうタイプ(であると信じている)。
-学問に王道なし-
何の壁を破るんですか?
>「一部屋のまんなかに寝床があって、そのスペース以外はすべて本が床から天井までぎっちり積み重なってたんですよ。
>いわば、本の柱に寝床を囲まれてる感じ。地震とかで崩れたらアウトだったでしょうね。
>そういや、電灯に付いてるヒモの先にお札が貼ってあったんだけど、あれは崩れないように、とのおまじないだったんでしょうかね」
>とは、神頼みしてまでも本に囲まれてたかったのか!?
すげーwww
結局、読書版には強者はいなかった件。
てか酉忘れてたw(
>>12は俺)
まぁ、俺も最近、調子乗ってペダンティックになってたが、
実のところ、何も知らないんだよなぁ・・・orz
人のこと言えた立場じゃない。おまいらと同類。
自重するよ・・・・・。
訂正
×読書版 ○読書板
>>11 あるいは素読かもしれん。
暫く前に読んだ『読みの整理学』(外山滋比古)によれば、
嘗ての書生は、文章を読むということに、意味を把握するという
定義は含まれてなかったっぽい。
18 :
考える名無しさん:2009/10/22(木) 15:42:49 0
意味を咀嚼しながら楽しむわけじゃなくて、文章をただ読むだけという感じ?
哲学書を素読とか、無謀だぉ^^
>>18 四書五経とかを音読するんだけど、意味は一切教えないらしい。
文字を追いかけて、それで読めたことになってたっぽい。
むしろ素人に読めてしまう書物は大したことないって判断されたみたい。
文章楽しむも糞もない。
文字追っかけるだけ。
わけのわからん本でも、何度も読んで暗記するまでになると、頭が勝手に咀嚼してくれるんだよな。
ただし、暗記するまで読み返す本の選定には、くれぐれも過ちが無いようにな。
用語の意味がさっぱり分からない哲学書は暗記してもイミフのままだけどね。
23 :
考える名無しさん:2009/11/09(月) 21:23:59 O
さらしあげ
>>6 鷲田先生のどこが気に入ったのか知らないけど、何となく優しそうとか
そういう理由ならやめておいた方がいいよ。悪い人じゃないけど、京都人というか、
人の好みが、千差万別といいますか、選別差別って感じだから。
何と言うか、最近独学哲学史やったんだけど、中島義道や池田晶子は
如何にもって感じの哲学者特有の科学批判をしてるというか。
確かに2人とも人間的には洗練されてるし、池田晶子に関しては極上だと思うけど、
やっぱり少し歪んでるところがある。
たとえば義道は、「悟性と感性によって捉えられた、より厳密で抽象的な言語の
積み重ねによってのみ、真実は踏査出来ると信じている」らしいけど、
世界という書物は何も言語だけで構成されているわけではないと思う。
図形的に読み取るような、所謂パズルのような解釈も全然おkなわけで。
池田晶子にしても、美しい花を見てどう美しいのか科学的に分析して、
出てきたのはただの数字データでしかないと言うけど、それは言語だって同じ。
それ言い出したら代数学なんかどうなるんだって話になる。
まぁこれは芸術家的な理屈なんだろうけど。
いずれにせよ、哲学者は真実を追い求めるあまり砂漠から抜け出せないというか、
真実という言葉も所詮は人類によって物語られた神話であって、何が真実で何が嘘かは、
万物の尺度である俺が決めるものだと思っている。そもそも人生を含む万物を
俺は妄想であると思ってるし、要は世界はどう解釈するかで、誰よりも自由に
解釈したもん勝ちなんだと思う。俺が真実と思えば真実だし、俺が嘘と思えば嘘。
世間一般に通ってる定義、観念というのは、あくまで全体主義に準じたものであって
真実ではないのは当たり前。だから納得いかないのなら切り崩して、
自分向きの観念を再構成し、そうやって世界を自分に合ったものに耕していけばいい。
この2人はそこんところが判ってないというか、この2人を今後読み続けても、
世界をもっともっと自由に読みこなす方法、世界を観念的に支配する方法、
世界の創造主となる方法は何も教われないんだろうなと思った。
ショーペンハウエルは世界という書物よく読めてるよね。
鷲田清一はやっぱいいや。また暇な時にでも読んでみるよ。
>最近独学哲学史やったんだけど
哲学に偏るあまり、プラトンやピュタゴラス、ウィトゲンシュタイン、
ショーペンハウエルの言ってたような基本的な訓えを忘れてしまっている。
すまん、書くの忘れてた。
すまんな、口べただから何から言っていいのか分からん。
説明の足りない、抜け落ちてるとこたくさんあるから、
ツッコミ所あったらどんどんツッコンでくれ。
その都度返答してゆく。
てか問答法こそがそもそも哲学の真髄。
28 :
考える名無しさん:2009/11/27(金) 07:00:10 O
つまんねーよ!
こうですか><
ぶっちゃけ意味が分からない
説明が「抜け落ちている」というよりも、もうちょっと
頭の中で整理をしてから書くべき
まぁてっとり早く言えば、世界という書物はあらゆる学問とあらゆる感覚器官を
フルに使って読まれるものだってことが最終的には言いたいわけ。
図形として捉えられた景色を頭の中で上下左右ひっくり返してみたり、展開してみたり。
思うにルービックキューブの世界チャンピオンなんかは、哲学者とは全く異なった視点で
世界を読んでいるに違いない。他にも、景色、臭い、味、そして音、感触。
世界中の童話を読むのもこれまた必要なこと。
童話は渉猟することそのものが目的であるのに対して、
学術書というのは中島義道のようにただただ冊数を重ねればいい
のではないと思うんだ。
中学(偏差値70クラス)受験や帝国大受験、教養課程なんかで得た教養、
そしてそれを土台として独学で読み込まれた学術書の知は、全て世界という
書物に還元させるべき。専用の哲学ロードを持ち、問答法を通じて動物や植物、
星と対話する。でも生物の教養のない人間がどうやってモミの木やタンポポと対話するの?
あるいはどうやって野良猫と対話するの?
月の教養のない人間がどうやって月と対話する?
星座にまつわる神話を知らない人間がどうやって星々と対話する?
そして旋律を意識しない人間が、丘の上からどうやって街中で奏でられる
リズムを味わうの?
君は何のために大地から生えてきたのか。何故光合成をするのか。
なぜ君はいつも太陽光を反射して俺達に浴びせてくれるのか。
夜空からいつも俺を見ているあなた達は一体何者なのか。
ひょっとして神々なんじゃないのか。
そういった疑問を立てて深く深く追求していくべき。
古代ギリシャで云われた「数学の知識なきもの入るべからず」
「幾何学ならざる者入るべからず」のような訓えをもう今一度考察すべき。
これで少しは説明できたかな。
そうだ忘れてた、アフリカのサバンナをライオンが走りまわるが如く、
河原を走りまわるのも世界読解の1つ。
海の波音の旋律に浸ったり、
シュノーケルやフィンをつけて海底に潜り、平和に魚と追いかけっこするのもありだし、
ワイルドにアワビやサザエやウニ採ったり、モリでイシ鯛突いたりして喰うのも
これまた世界の読解。
32 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 01:21:28 0
一年前くらいから哲学をいじり始めて
もっぱら入門書とその周辺のようなものばっかり読んでる大学2年(国立大経済)ですけど
今の哲学的本の本棚の一部を公開するとこんな感じです
ttp://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org402903.jpg.html 「自分の好き嫌いってなんだろう」
↓
「人は何を基準に価値判断してるんだろう」
という問題意識を端緒に哲学に入ってきました。
で、今なんか哲学的思索の壁みたいな感じの物に突き当たってます
学部が経済だから哲学の相談できる教授もいないし
自分の好きな哲学者・思想家は河合榮治郎(社会思想家かな?)、三木清、西田幾多郎、岩崎武雄
って感じで日本人ばっかり手を付けてるので
今ひとつ外国人の哲学者に手が伸びないのですが、
誰かお薦めの人か本ありませんか
普通にプラトン読んでんじゃんwww 西田幾多郎読んでんだ。格好ぇwww
てか哲学的思索の壁って何?持ってる言葉、知を全て捻り出してしまったから、
考えるためのあらたな材料が欲しいってこと?
それは、知を増やすことで理論と現実の整合性から離れ、経験の可能性を押し
広げることで、それを再編成することを可能にしたいってことでおk?
俺なりにてっとり早く答えるならば、「常識」。
自分の周りを取り巻く環境、所謂「社会」を、一般人は座標軸としている。
その社会とは具体的にどういったものか。オール受け売りだけど、
プラトン読んでるみたいだから、「国家」(多分お薦め)を例に挙げながら論じていきたい。
日本の社会は原理的に老いや病気、死といったものを受け入れない。
だが老いや病気、死といったものは生物として至極当然のことであり、
そういう「社会」に居座りたければ、@この当たり前の姿を否定する か、
A「社会」を変える かのいずれかをとらねばならないらしい。
@はトーマス・モアやサミュエルバトラーの示したユートピア像の内に見ることが出来る。
そこでは病人は監獄に閉じ込められ、老人は暗黙に自殺を強いられる。
プラトンの『国家』に見られるらしいこの種の理想国家は、手を替え品を替え、
様々な時代と地域に登場する。健康論や政治的エコ、民族主義など手を携えたその変種に、
漏れらは性懲りもなくひっかかってしまうのだorz
まるでそれが漏れらの望みであるかの如く。
ヒト以外の生物の観察から引き出されるいくつかの例証に基づいて、病人や老人の排除は
生物の宿命であるとする「科学者」も少なくないとさ。
DNAによるプログラミングをそこに予想する場合すらある。
日本の洗練された社会は、もちろん露骨にそういうことを言うような愚かなことはしない。
その代わり、病人の生活を保障するはずの保険機構は、保険の支払を請求し始めると、
それが「社会」にどれだけ迷惑をかけているか、早く「社会復帰」することが
どれだけ重要か、しつこく説教する文章を送ってくる。
入学や入社など、社会組織への加入にあたっては、儀式的手続きの一部として、
健康度チェックが挿み込まれ、「社会不適合な」構成員を予め排除する。
メディアは、老人の成熟や病人の特異な経験に関しては、興味ありません的な
姿勢を取りやがる。中心に据えられてるのは、限って青壮年の志向や生活、
そして健康な文化で、漏れらのような異端児はそれらを縁取り、彩るために対地される。
といっても、その青壮年とやらが、必ずしも理性的であるとは限らない。
マニュアル(空気(雰囲気)、風潮…etc)を読む、理解する程度の読解力と、
従順な精神さえあれば、こいつらは社会に需要され、立場や権利を行使出来る。
法や通達といった一定の手続きを必要としない、無教養の虫けらどもが何気なく
纏めたマニュアルによって「社会」のフィルターは出来上がってしまう。
まぁこんなもんかな。書写すんのダルくなってきたw
参考:石田秀美『死のレッスン』「壮年不死の思想」
>>32 最後にお勧めの本についてなんだけど、哲学史やった方がいいと思う。
ざっと思想史の全体見渡して、そこから見えてくるものあると思う。
それに、上でも言ったかもしれないけど、学者と天才は違うよ。
ショーペンハウエル曰く、学者は書物を読む者であるのに対し、
天才は自分の持つリベラルアーツを駆使して自分で読む者。
だから哲学史に限ったことじゃなくて、「教科書嫁」てのが正直な話(笑)
常用漢字1945文字が全て書けて、灘や甲陽の算数図形問題が解けて、
日本史・世界史の教科書に載ってるような簡単な通史がインプットされてて、
植物や哺乳類の体内構造知ってて、星座の神話88も全部知ってて、
ブライアン・マギー『知の歴史』に書かれてあるようなのは全部モノにしてて…
といった、神がかり的な知識はなくとも、少なくとも知的レベルに敷居の引かれた
人間になれば、ちゃんと見えてくる景色もあると思う。
まず敷居のない自分を、河合塾全統記述模試なんかで楽勝で8割取れるぐらいに、
偏差値70超、帝国大楽勝で突破という敷居の引かれた人間になってみるといい。
Stage5(博士):Doctorate Level.
Stage4(院卒):修士修了。Master Level.
Stage.3(大卒):大学専門課程。学士。Bachelor Level.
---------小・中・高等教育制覇-----------
(Stage.2.5(大卒?):小学校〜高校時の穴埋め&般教、学術入門書etc)
Stage.2(中高一貫卒):帝国大楽勝突破Level.
Stage.1(小卒):偏差値70台中高一貫入試突破Level.
大体Stage2ぐらいまで行ったら、かなり世界広がってくると思う。
ちなみに学士レベルやMaster Levelというのは、自分の専攻だけの話じゃないよ。
あらゆる分野においての話。このレベルになったら、もう学問人生に捧げてる人、
大学教授や四大予備校・SEGレギュラー講師といったトップレベルの聖職者や
大文豪とかに限られてくる。てか無理やと思う。たどり着けても、多分還暦過ぎる。
俺の場合、大体Stage3で人生終わると思う。
単純に育ちのいい奴が勝つんだよな。現役で京医行くような奴が大学行き直したりして、
予備校講師やったり。
両親揃って帝国大卒で、父は聖職者、母は元聖職者の専業主婦、
家は自分が生まれたと同時に購われた50坪2階立て以上のマイホームで、
もちろん一人っ子。
幼児の頃は絵本童話の溢れる部屋で育って、図鑑なんかも眺めてて、
私立幼稚園を受験。小学校も私立。中高は一貫で家から1時間以内に通えて、
偏差値は70が当たり前。部活もせず、学校終わったら即効で帰宅。そして勉強・読書三昧。
現役で東大or京大理系コース進学。卒業したら入り直して再度卒業。
卒業後は大手予備校レギュラー講師…
こういう奴が勝つ学問という世界。
×学問人生に捧げてる
○人生学問に捧げてる
学部はもちろん文学部か理学部。あるいは総合人間学部か京大経済学部。
(京大経済は専門必修単位がない。何やろうが自由。別名パラダイス経済。)
40 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 04:28:43 0
>>33-36 >てか哲学的思索の壁って何?持ってる言葉、知を全て捻り出してしまったから、
>考えるためのあらたな材料が欲しいってこと?
気持ち良いくらいその通りです。自分の辞書的な意味での概念不足であり、また
独自の概念化をする材料である生活的な経験の量が足りないってことです^^;
大して哲学史的哲学(認識論とか構造主義とか)をまだまとめて読んでないので、
色々昔の人に読まされる前に自分なりの価値判断論(笑)を作りたいなあって思ってたけど
生来の頭の悪さに降伏しましたw
大森荘蔵の「立ち表れ」のように、概念を作る(発想)っての大変なんですね^^;
で、その発想の過程というものも浮気心で気になってもう何が何だかって感じなのが今です。
41 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 04:29:41 0
>それは、知を増やすことで理論と現実の整合性から離れ、経験の可能性を押し
>広げることで、それを再編成することを可能にしたいってことでおk?
一つの生活的経験から得るもの(学ぶ質と量)を最大化するというのなら、
「経験の可能性を押し広げる」で合ってますが、理論と現実の整合性が取れなくなったら理論破綻だと思ってます。
唯一自分の哲学的立場といえるものは、人格形成を最高価値とする河合榮治郎とその時代の理想主義と教養主義ですから
理論(理想)と現実の整合性は絶対なわけです
>俺なりにてっとり早く答えるならば、「常識」。
まさにその通り。概念的にも経験的にも「客観的常識」と「常識を見る目(経験の受容)」と「概念化する頭の良さ」がほしいw
特に「概念化する頭の良さ」(or概念の組み合わせる能力?)を鍛える人か本ありませんか?って質問なわけです。
哲学したいのは「極生活的な価値判断」なので、国家安全保障や企業戦略のようなインテリジェンス的(純理性的・論理的価値判断を志向)
な価値判断や決断という類いではありません。(理性&感性)の所産=極生活的価値判断=常識的判断です。
その感性には上の書写にもある通り社会的背景や歴史(時間)的背景もあるわけで、単なる知識不足とも言えそうなんですがw
42 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 04:30:27 0
「人間いかに生くべきか」(常識の一種?)ってんで「三太郎の日記」や河合榮治郎の「學生に與ふ」に手をつけ
一方で中根千枝の人間関係の考察なんかも読んではいるわけで、どれも良い本なんですが
どうも「コレだ!」って感じがしなくて^^;
今はモラリスト(常識人?)ってんでモンテーニュの随想録(戦前の関根秀雄訳でボロボロになってるw)を読んでる途中です。
その簡易版の随想録抄で西田幾多郎が
「モンテーニュは豊富な大きな人間性を有った人であった。所謂甘いも酸っぱいも
分かった人であった。彼の前には何事も打ち明けて話すことが出来、
それぞれに同情と教訓とを得ることの出来た人であったようにおもう。
彼の云う所はすべて日常茶飯事である。常識である。併しそれは俗に徹した俗である。
人間を知らんとする者は先ずモンテーニュを読むべきである」
って推薦文を書いているので喉から手が出たわけです。
気の利いたことは言ってますけど、実際に参考になるかはまだわからない
西田幾多郎や三木清を読むのは自分的哲学からの脱線だったかもしれません
取りあえず随想録を中断して「国家」読みます^^;感謝感謝
>「概念化する頭の良さ」(or概念の組み合わせる能力?)を鍛える人か本ありませんか?
普通にプラトンのイデア論読めばいいんじゃね?
あとはヘーゲルの精神現象学とか。(ヘーゲルは宇宙語話してくるから注意!)
てか概念化する力は普通に語彙力がものをいうと思う。
中島義道の言ってたように、「悟性と感性によって捉えられたより厳密で抽象的な
言語の積み重ねによって」真実に迫れる(?)わけだから、漢検の勉強とかすればいいと思う。
抽象言語覚えてください!
あぁ、あと、何でもいいから本を読むこと。別に意識しなくてもいいんだけど、
本って読んでるうちにどんどん言葉覚えていくだろ?それに教師に咀嚼して食べさせて
もらったものじゃなくて、自分で狩ったものだからより自由に使いこなせる。
そういう言葉って文脈ごと覚えちゃってるから、いちいち言語ゲームせずとも
1つのフレーズとして浮かび上がってくる。
これは問答法で相当活躍するよ。
44 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 05:13:20 0
>>37 ダ・ヴィンチ的になれってことですかね?今さら無理無理w
一応旧帝大と比べても上の方だけど、文系だし実家は熊本のクソ田舎だし塾なんか行った事無いwww
そういや清水幾太郎が丸山まさお辺りを指して「学問は山の手のものです(だったっけ?)」てなこと言ってますね。
今で云うお受験組ってことかな。
自分は商人の息子の河合榮治郎や清水幾太郎のような野性的知識人を思慕するしかないですね^^;
灘や開成の連中、東大法学部の連中ってもの理解するのに一々つまづきませんもんね。こぎれいに理解して暗記して。
哲学には向いてない連中だと妬んだり^^
ハア、最近経済ほったらかしてるかも・・・ヤバスw
一つ哲学外だけど思考の基点(上で言う教科書的)で哲学的にも参考になってるのがあるんですよね
井上成美(井上成美伝記刊行会・帝国海軍最後の大将)の海軍大学校教官時代の
第31期甲種学生戦略教授方針なんですけど
「・・・教官ノ指導スル研究範囲ハ海軍戦略ノ原論中ノ重要ナル部門ノミトス。
即チトリアツカフ問題ハ兵書又ハ講義録ノ学習ヲ基礎トスル応用問題ニ非ズシテ、
反対ニ兵書又ハ講義録ノ自学研究ノ基礎タルベキ問題ナリ。研究ハ狭クトモ深ク徹底的ナルを本旨トス・・・」
ってダ・ヴィンチ的な志向が今更許されない自分にとってはすくいの言葉かも。
でも帝大以上のエリートが集まった兵学校のなかでさらにエリートを集めた海大で言うことだからなあ・・・
そのまま鵜呑みに出来んわ・・・
45 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 05:30:01 0
>本って読んでるうちにどんどん言葉覚えていくだろ?それに教師に咀嚼して食べさせて
>もらったものじゃなくて、自分で狩ったものだからより自由に使いこなせる。
>そういう言葉って文脈ごと覚えちゃってるから、いちいち言語ゲームせずとも
>1つのフレーズとして浮かび上がってくる。
>これは問答法で相当活躍するよ。
言われてみれば実際にそうなってますねえ
とにもかくにもプラトンってことか
これは収穫でした
西洋哲学史は岩崎武雄の物を読みましたけど概要ってレベルです
あとは大辞林と哲学事典の通読でもして
ブックオフの100円均一岩波文庫やめてプラトン全集買おうかな
ちなみに上でいうようなダ・ヴィンチ的な連中に
同じ土俵(仕事とか)で対抗するにはどういう對立軸が考えられると思いますか?
井上成美の所って言ったように一点突破も違うし、誠実さを磨く(人格)も違うし
土俵を変えるってのは経済的なんですけど気持ち良くないw
46 :
考える名無しさん:2010/01/26(火) 10:52:08 0
。
47 :
考える名無しさん:2010/01/27(水) 10:48:27 0
>>41 43の方も言うように、結論からいえばヘーゲルだと思う。
彼は常識的なことをそのまま概念化している。例えば愛は、自我を互いに
捨てあうことでしか見いだせない自我の事、愛の生命が、自分を二つに分かち
同時に一つに合一していること、他在において自己を保持するとか、いろいろ
いってる。しかも人の精神現象すべてにおいて。さらにその論理的裏打ちまで
して。(論理学)
48 :
考える名無しさん:2010/01/27(水) 11:49:30 0
ヘーゲルのテーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼの概念は
現代ではそれが本当に正しいのか判断不可能という批判をされている。
49 :
考える名無しさん:2010/01/27(水) 13:22:24 0
英語圏の形式論理に依拠する言語論的唯名論の流れ。実存主義の流れ。
言語学と現象学と構造主義を利用したポストモダンの流れ。みんな
ヘーゲルを否定したが、それでも否定できないのがヘーゲルだろう。
なんせ、自分の学説の正当性のためだけに、論理学まで新しく作ったのだから。
50 :
考える名無しさん:2010/01/27(水) 14:24:11 0
ヘーゲル哲学は、哲学書など一冊も読まない人生を送ってきた人の、酸いも甘いも
噛み分けた、言葉にはできないけれど豊富な経験に裏打ちされた人生の、社会の
考えかた、物の見方に近いのではないだろうか。逆に普通の意味での哲学からは
遠いもの。
まぁヘーゲルは若干 俗物入ってるしな。
毎晩 糞面白くもない冗談吹かしては、ゲーテやシラーと酒飲んでる酔っ払い。
精神現象学書いたのだって、人妻(クリスティアーネ)にチンコぶち込んで
子供出来ちゃったから、慰謝料(?)払うために3ヵ月で書き殴ったに過ぎん。
あぁ〜、それにしても今読み返してみると、我ながら自分のレスが痛々しいぜwww
数ヶ月経って読み返してみると、論理が破綻してるなw
まず教養付ければ付ける程世界が見えてくるという思い込み。
学問なんて所詮は仮説に過ぎんのに。それに「人間は万物の尺度である」という理論は、
下手すれば真実の必要条件である普遍性を度外視してしまう。
大陸合理論に奔って自足に甘んじてはいかんな。
知識人はあくまで知識人。哲人は哲人。
52 :
考える名無しさん:2010/01/27(水) 22:17:55 0
西欧哲学読もうとする人は、自分で真理をつかみたいと思ってるんだろうけど
それはその時点でもう真理を喪失してるからだろう。生まれて今日に至るまでに
自然に身に付けた即自的な真理とでもいうものを。誰もが人生について考える
時はある。しかし仲間から外れることはしない。人生についての疑問は深入りすると
危険だと処世術でわかるからだ。「社会に自分を合わせられる人は幸福である。」
(ヘルダーリン)日本の伝統思想に向うならまだいい。西欧哲学の世界へ入れば
混迷する。そこからなんらかの形が見えるようになるまでは相当な時間が必要だ。
青春のモラトリアム期間までに形をつかめるといいけどね。
53 :
パラレルワールド:2010/01/27(水) 22:33:52 0
参考文献:クンデラ「笑いと忘却の書」
54 :
考える名無しさん:2010/01/28(木) 00:53:58 0
>>52 ここは日本だから東洋文化しか認めないってことか?
そりゃ全然違うだろ。
55 :
考える名無しさん:2010/01/28(木) 04:45:19 0
>ヘーゲル哲学は、哲学書など一冊も読まない人生を送ってきた人の、酸いも甘いも
>噛み分けた、言葉にはできないけれど豊富な経験に裏打ちされた人生の、社会の
>考えかた、物の見方に近いのではないだろうか。逆に普通の意味での哲学からは
>遠いもの。
むしろ全く逆じゃないか?
くそ難しい本ばっかひたすら読んで観念的に人生を過ごしている堅物が
経験の裏打ちもなくあふれ出す誇大妄想で築き上げた童貞のような哲学かと。
いやだから悪いってわけじゃないんだけど。
56 :
考える名無しさん:2010/01/28(木) 07:23:58 0
>>52 日本の思想なら深入りしても俗世との疎外感感じなくて済むということ。
もちろん西洋哲学の方が明晰性はあるし、深味と拡がりが違うけど、
ヘレニズムとヘブライズムという知的精神の風土が日本にはないから難しい。
その風土から身につけようとすると、混迷、すなわちアイデンティティの危機、
俗世から疎外されることになる。
>>55 神学校時代の同級生シェリングは机上の論理で早くから哲学界に頭角を
表したが、ヘーゲルは宗教と自分のいきている社会にこだわってそうはしなかった。
『精神の現象学』みれば人生、社会、宗教、芸術、豊富な内容がある。読破は
ライフワークにふさわしいのでは。おれの羨望のまと。
57 :
考える名無しさん:2010/01/28(木) 07:26:50 0
58 :
パラレルワールド:2010/01/28(木) 22:18:29 0
ラッセルの「懐疑論」:あらためて翻訳本を読んでみると、文体に読みにくさを感じたりもする。
59 :
パラレルワールド:2010/01/28(木) 22:29:41 0
萱野稔人「カネと暴力の系譜学」(シリーズ道徳の系譜)河出書房新社 2006年11月発行
60 :
パラレルワールド:2010/01/30(土) 22:44:31 0
ユルゲン・ハーバーマス「コミュニケイション的行為の理論」
第一部「行為の合理性と社会的合理化」
第二部「機能主義的理性批判」(最終章:パーソンズからヴェーバーを超えてマルクスへ)
61 :
考える名無しさん:2010/01/31(日) 06:19:57 0
新フランクフルト学派。しかし博士論文はハイデガー色の濃いシェリング研究。
『歴史と階級意識』『啓蒙の弁証法』読んでから変わる。ニーチェーハイデガー主義の
胡散臭さ。ハバーマスの理想をささえるバックボーンはヘーゲルの血脈につらなる
一種の歴史的目的論であろう。
62 :
考える名無しさん:2010/01/31(日) 10:46:59 0
うpするスレじゃないの?
63 :
パラレルワールド:2010/02/04(木) 21:25:44 0
引っ越しをした時に段ボールに詰め込んだきり、坂部恵のいくつかの著作「仮面の解釈学」等が見当たらなくなってしまった。
64 :
考える名無しさん:2010/02/06(土) 14:57:37 0
>精神現象学書いたのだって、人妻(クリスティアーネ)にチンコぶち込んで
子供出来ちゃったから、慰謝料(?)払うために3ヵ月で書き殴ったに過ぎん。
そうなんだ
ヘーゲルはちょっと論理飛躍しすぎだよな。終いには自分のこと神(絶対精神)とか言いだす始末…
これだから大陸合理論は汚らわしいのだ。
現代日本では、寛容の美徳(ドストエフスキー)がやたら強調されてるが、
これが如何に危険性を内包した思想であるかを大衆はまるで判っちゃいない。ヘーゲルがいい例だよ。。。
大学の講義も大人気で、みんなヘーゲルばっか受けてたけど、実はヘーゲルが超のつく程のペテン師で、
その影で惨めに授業してたイマヌエル・カントが実は真実だったってことを知る人間は数少ない。
人気者=優秀 と俗人は捉がちだが、実は人気者には碌な人間がいない。
むしろ知る人ぞ知るって人間の方が十中八九 大物だったりする。
そして、そういう人気者を冷めた目で見る人間に、どういう仕打ちが待っているか…
集団幻想は本当に怖いよ…さぁ、魔女裁判の幕開けだ!
66 :
考える名無しさん:2010/02/09(火) 06:03:43 0
現代はカント的考えが支配してる。真理は認識できないというと、人はほっと
するんだ。真理追究の努力しなくていいから。ヘーゲルは浮いた存在だ。
「人間が自由になる唯一の方法は、対立の存在しない状態を作り出すことでしょう。
対立がなければ もはや変化も起きません。これを社会全体の歴史的発展に当てはめて考えると、
そのような状態が訪れるのは、対立の存在しない社会が実現したときです。
その時こそ理想的な社会が実現されるわけで、さらなる変化は必要でもなく、望ましくもありません。
ヘーゲルは、この状態をひとつの有機的社会として捉えました。そこでは個人個人が
自分よりも大きな全体の利益のために進んで行動し、全体の一部として調和をとりながら機能します。
このような社会は、自由主義的個人主義の価値観を完全に超越するものです。」
(ブライアン・マギー『知の歴史』 ヘーゲルの項目より)
なるほど なるほど…ヘーゲルがクズ野郎だってことはよぉく判った。
「人は自分の全存在を国家に負っている」だと?ざけんな氏ね!…ってもう氏んでるかw
競争の存在しない社会がヘーゲルの言う理想郷(ガイスト)だってのか?
てことは、現代日本の小学校のかけっこ形態(順位をつけない)が、あれが理想像だってのかよw
それに後半も、これじゃプラトンの『国家』と変わんねぇじゃねーか…
これじゃ『お国のために氏ね』という命法を認めることにもなりかねん。
自由主義的個人主義を超越してるどころか、劣りまくってんじゃんw
これじゃ嘗ての野蛮な大日本帝国と同類だ。「絶対者」の伝道師どころか、「アンドロイド」の伝道師だなw
ドイツが生んだ最高の知識人みたいだけど、所詮 知識人だわこいつ。イデアやヌーメナを無視する奴に碌な奴はいない。
純粋悟性概念には限界があるんだって何故判らんのか。キルケゴールはそこんとこよぉく判ってるよな。
「哲学とは、まさに、その限界を知ることのなかにある。」カント様も流石だw
ただしこれは、思想の虚しさを知れってことじゃないよ。誤った解釈をしないように。
間違えた読み方すると意味が全然違ってくるから。
”あらゆる思考のうち最高の逆説は、
思考が思考出来ないものを発見する試みである”
キルケゴール恰好えぇw 顔もイケ面だけど思想も恰好えぇなぁw
69 :
考える名無しさん:2010/02/09(火) 23:27:46 0
デカルト『方法序説』第三部 「建築にかかってる間も不自由なく
住める他のの家を用意しなければならないと同様に、理性が私に対して判断に
おいて非決定であれと命ずる間も、私の行動においては非決定の状態にとどまる
ようなことをなくすため、そしてすでにそのときからやはりできるかぎり幸福に
生きうるために、私は暫定的にある道徳の規則を自分のために定めた。それは
三つ四つの格率からなる・・・」
70 :
考える名無しさん:2010/02/10(水) 13:19:39 0
くだらない言葉遊びしてないで本棚うpしろよ
第一の格率…国の法律と慣習に従っとけ。
第二の格率…一度決めたことはやり遂げろ。
第三の格率…運命に対してギャーギャー喚いてる暇があるなら、自分を変えてけ。
第四の格率…仕事はちゃんと選べ。
>>69 待つの面倒くさいから 方法序説読み直して自分で調べたw
>>71 は俺ね。コテハン付けんの忘れてた。
第一 …
国の法律と慣習に ⇒ 国の法律と慣習には
74 :
考える名無しさん:2010/02/10(水) 20:06:27 0
資本主義社会なんだから、・・・
75 :
考える名無しさん:2010/02/10(水) 20:19:45 0
哲学板なのにデカルト読んでない人が居ることに驚く。
いたずらに難解なのは読む必用ないがデカルトくらいは理系の人でも読む。
76 :
考える名無しさん:2010/02/10(水) 20:34:18 0
すまそ
実存主義万歳〜!!!
やっと俺の進む道が決まった。
みんなサンキューw
キルケゴールと同様、実存主義哲学者ニーチェの、その偉大なる師、
アルテュール・ショーペンハウアーの思想についてもっともっと知りたい。
『教育者としてのショーペンハウアー』読んでる香具師いたら誰か詳細求む。
キルケゴールが源流かなと思ってたけど、おそらくこのお方が神様にして、
俺の思想を全面的に受け止めてくれる母なる存在。
イマヌエル・カントが前提みたいだけど、俺は別者と捉えているから、そのつもりで頼む。
ショーペンハウアーについて少しだけ調べてみたけど、やっぱり彼は真実だった。
>>65 >その影で惨めに授業してたイマヌエル・カント
これ、カントじゃなくてショーペンハウアーの間違いね、スマソ。
ペテン師ヘーゲルに生徒みんな持ってかれちゃったみたいw
あと、ヘーゲルがチンコをぶち込んだ人妻(クリスティアーネ)ってシェイクスピアの妹のことかな?
てかわざわざ本読まなくてもwikiに書いてたしwww 損した…
俺もまだまだだね。