◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない167◆
>>919 >で? それは、新約聖書のどこに書かれているの?
聖書以前に、使徒信経に書かれているよ。
そもそも聖書どうこう言い出す奴ってプロテスタントとか一部の原理主義のカルト。
まともなキリスト教徒は聖書がすべて正しいなんて思ってないから。
925 :
考える名無しさん:2009/10/07(水) 23:54:25 0
>>860 イエスのことはどうでもいいのだが、ハンニ氏がやっているので…w
そのレスは矛盾している。イエスが改革派のユダヤ教徒である、としながら
“父なる神”を信じていなかった? では、彼はユダヤ教徒ではあるまい。
聖書をみるかぎり、イエスは「死ぬ」まで“主”に語りかけている。
彼は“主”に彼のすべてをみせたかったのである。弟子や民衆は二の次。
民衆はゲへナを半ば信じ半ば嘘っぱちと思っていた。
イエスは立法の形式主義を軽んじ、その内実を是としていた。
926 :
考える名無しさん:2009/10/08(木) 00:01:21 0
>>924 まともなキリスト教徒? w
まともたるゆえんは何?
はああ? 使徒信経?
「それは精神状態のことです」なんて文面、どこにも無いんですけどお?
まあ、私のもっている『公教会祈祷文』は昭和23年第1刷発行、
昭和52年第42刷発行で、古いもんですけどね。
ま、それでも、ユダヤ教以前の時代に買ったものじゃないけどw
>聖書以前に、使徒信経に書かれているよ。
それと「以前」て、どういう意味ですか?
使徒信経って、聖書よりも前に成立したんですか? ww
>>925 >“父なる神”を信じていなかった? では、彼はユダヤ教徒ではあるまい。
ユダヤ教の家に生まれただけで、
ユダヤ教の認識の神と、イエスのいう父なる神は、「ペルソナ」として違いがあった。
わかりやすく言うと、ユダヤ教の神は、妬む神、怒れる神だったわけ。
それに対して、イエスの主張する神は、愛の神なわけ。
そしてイエスにとってそれは「信じる」対象ではなく、父であったわけ。
>では、彼はユダヤ教徒ではあるまい。
まあ、実質そうだろ。ピラトという説もあるが、カイファに殺されたようなものだし。
>イエスは立法の形式主義を軽んじ、その内実を是としていた。
まあ、だいたいはそうだね。律法自体を軽んじてはいないけど、
律法を悪用したり、利己的に使う人間を批判してただけ。
>>927 >使徒信経って、聖書よりも前に成立したんですか? ww
そもそも聖書どうこう言い出す奴ってプロテスタントとか一部の原理主義のカルト。
まともなキリスト教徒は聖書がすべて正しいなんて思ってないから。
それほど、聖書は重要視されていないってこと。