デカルトについての質問。

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1初心者
前々から哲学に興味があり最近になって読んでみようと思ってさ。

デカルトって「我思う、ゆえに我あり」で有名でしょ?

我思う、ゆえに我ありって、私は考える、だから私という存在が証明されるってことだよね?

でも私は考えるから存在するって、違くない?

私は考えるから私の思考は存在するってことになるけど私自身の存在は証明されてないよね?

と単純に突っ込んでしまったんだが、どうなの?

誰に聞いていいかも分からず、2ちゃんもほぼ初めてでスレッドを立てるのにもドキドキしたが
すごく気になったので聞いてみました。笑

多分、初歩的な質問なんだろうけど俺には矛盾にしか思えないので誰か教えてくれ。

2考える名無しさん:2009/09/24(木) 11:20:18 O
>>1
その発想自体が単純に間違っている

「我思う、ゆえに我あり」
で、確実にあると言われているのは“私の存在”でもないし、
まして“私の思考”でもないw
「物を考えている私」だよ。
ちゃんと「方法序説」読んだの?
3考える名無しさん:2009/09/24(木) 11:34:20 0

まずはバタイユの『エロティシズム』から読むことをお奨めします。
4考える名無しさん:2009/09/24(木) 11:38:54 O
“俺、すごいこと思いついちゃった〜
 やっぱり俺ってすごいな〜
 どれ、俺は2ちゃんの常連だけど、
 ひとつ初心者をよそおって2ちゃんでからかってやれ
 みんなびっくりするぞ〜。へっへっへ”
5初心者:2009/09/24(木) 11:41:28 0
本読んでない。笑
最近興味持ち始めたもんで。
日本語版手に入らないから英語で読んでみるわ。

2さんの言ってることを理解できた。
本読めばそういう風になってるのね。

明日あたり本屋行ってみます♪

ありがとうございました♪
6考える名無しさん:2009/09/24(木) 11:43:55 O
糞スレ立てんな。質問スレ行けよ。


私の存在が「証明」されたわけじゃないよ。
懐疑に次ぐ懐疑の結果、それでもなお、
考える(疑う)何かはなきゃならない。
それは疑いえない、ゆえに、明晰判明な最初のものである。
「コギト、エルゴ、スム」自体を推論と解釈しちゃダメ。

あと余談だけど、『真理の探究』(だっけ?)で
「私は疑う、ゆえに私はある」って言ってたはず。
うろ覚えだから間違ってたらゴメン。
7初心者:2009/09/24(木) 11:47:20 0
3さん、ありがとうございます♪
バタイユの『エロティシズム』読んでみます!

4さん。笑
そう卑屈にならずに。笑
哲学してるから頭いいんだろうけども一般人はそんなひねくれてないよ。
もうちょっと素直にならないと毎日つまらなくなっちゃうよ♪
8考える名無しさん:2009/09/24(木) 11:50:04 O
文芸って、その程度の屁理屈こいて論として成立して
しまうのだとしたらすごい分野だな
9考える名無しさん:2009/09/24(木) 11:53:11 0
最低限押さえておくべき哲学の名著

プラトン『国家』 アリストテレス『形而上学』 ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 
ヘーゲル『精神現象学』 デカルト『省察』 パスカル『パンセ』 ライプニッツ『単子論』 
カント『純粋理性批判』 キェルケゴール『死に至る病』 バーク『フランス革命の省察』 
ジェイムズ『宗教的経験の諸相』 ニーチェ『道徳の系譜』 ベーコン『ノヴム・オルガヌム』 
フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』 メルロ=ポンティ『知覚の現象学』 
ハイデッガー『存在と時間』 アーレント『精神の生活』 ヨナス『責任という原理』 
サルトル『存在と無』 ベルグソン『時間と自由』 レヴィナス『全体性と無限』 
フロイト『快感原則の彼岸』 ドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』 
フォーダー『精神のモジュール形式』 ヤスパース『精神病理学総論』 エレンベルガー『無意識の発見』 
ラカン『精神分析の四基本概念』 フーコー『言葉と物』 ソシュール『一般言語学講義』  
ヴェイユ『重力と恩寵』 ディルタイ『精神科学序説』 ブーバー『我と汝・対話』 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』 
ミンスキー『心の社会』 ライル『心の概念』 バタイユ『エロティシズム』 アガンベン『ホモ・サケル』 
ラッセル『西洋哲学史』
10初心者:2009/09/24(木) 11:54:43 0
6さん。
今になって自分が本も読まずにアホな質問したことを後悔してます。笑

もっかい本読んで出直します。

ありがとうございました。
11初心者:2009/09/24(木) 11:58:40 0
9さん。
全部読むのには時間かかりそうですが挑戦してみます。

ありがとうございます。
12パロ・リチュール:2009/09/24(木) 12:05:10 0
 ♪  ∧__,∧.∩
    r( ^ω^ )ノ _ 親の年期食いつぶす♪

「人間原理」は「すべてはラカンなのか」と言い替えることも出来るほどです。
「マネーの法則性」が「グルーヴする言語ゲーム」・・ということになります。
「ぴかぁ〜理論の基礎中の基礎」ではありますが・・念のため。
13考える名無しさん:2009/09/24(木) 12:56:44 0
>>1
デカルトさんが初めから間違ってたんだよ。
「我」と言った時点で積極的な自己主張が発生する。

我思う、故に我ありと我思う、と我思う、と我思う、と我思う・・・・という無限の連鎖。
主体を捉えようとすると、捉えている主体が発生し、それをまた捉えようとすると、
また捉えている主体が発生する。

自らを純粋に観察すると、何者でもない純粋観照者になる。
それを「我」とするか「真我」とするか「無我」とするかの問題で、
「我」とすると積極的意思が伴い、「無我」とすると否定的意思が伴う。
よって「何とも形容しがたい何か」とでもしといた方がいい。
それよりもいいのは表現しないで「ある」と感じること。
14考える名無しさん:2009/09/24(木) 16:40:11 0
我思う故に、我有り。

考えることのみが是認された瞬間であり、
よって神にようる証明を無用とした歴史的瞬間である。

つまり科学への信任である。
15考える名無しさん:2009/09/24(木) 22:00:06 0
デカルト
チビルト
ヤクルト
16考える名無しさん:2009/09/25(金) 00:47:56 0
>>14
省察最後まで読めw
デカルトも神なしでは何もはじまんないよww
17考える名無しさん:2009/10/02(金) 20:26:21 0
53 名前: 考える名無しさん Mail: sage 投稿日: 2009/09/16(水) 21:54:19 [ 0 ]
 __デカルトの世界観____      
|    ________  |        
|   |  ____  | |              
|   |/| 精神 | | |
|  /| |____| 自 |       
| 神 |        然 |
|  \| _____  界 |             
|   |\| 物体 | | |
|   | |____| | | 
|   |________| |    
|______________|

 __スピノザの世界観____      
|  __________  |        
| |  __   __ | |              
| | |精 | |物 || |
| | |神 | |体 || |       
| | |__| |__|| |
| |          | |   
| |___神=自然界__| |    
|______________|
18考える名無しさん:2009/10/20(火) 23:09:54 0
今はデカルトのスレがこれと顔スレぐらいしかないことに気付いた
せっかく哲学原理の注付きが出たのに残念だと言えよう
198f 83 95 bd :2009/10/21(水) 19:47:09 0
tetuitade bataiyu susumerunoha reino kichiburoga daro ppp
20考える名無しさん:2009/11/03(火) 13:46:42 O
すげえ
ローマ字かよ!
21考える名無しさん:2009/11/28(土) 02:21:38 O
我思う故に我あり
ってはじめて聞いたときいいなぁって思ったもんですよ
デカルトの意図は抜きにして、この言葉は詩的な広告のコピーのよう

スピノザとかウィトゲンシュタインの言い分はおいといて、知らないでいても、なんだか地道に構築された完全な書物っていう魅力がある
世界全部が詰まってるといった感じ
埃かぶって眠ってる魔術書の同様に

世界と我の疑いぶかい関係のなかで、我思う故に我ありって言葉が我だけに向かってるようで、世界を掌握する我みたいに広がる感じがして好き
22考える名無しさん:2009/11/28(土) 02:30:55 O
いや、率直さと単純さか
最終目的には永遠にたどり着かないけれど、その足取りに意義を与えたのでしょう
23考える名無しさん:2009/11/28(土) 02:33:08 O
僕は死にまシェーンとか
不器用な真実味みたいなもん
24考える名無しさん:2009/11/28(土) 02:36:04 O
差異と反復
25考える名無しさん:2009/11/28(土) 02:38:17 O
差異と反復ってむかつく
差異があることは反復してるってことだろ?
我思う我ありと同じだな
26考える名無しさん:2009/11/30(月) 01:43:50 0
デカルトの「われ思う故にわれあり」って「無知の知」と同じでしょ。
方法的懐疑やコギトって、自分の無知を徹底的に自覚することが真の知に至るための出発点だというソクラテスの認識的自己反省と全く同じ。
27考える名無しさん:2009/12/07(月) 10:48:33 0
我思う故に我ありって、論理的な結論というより、結局、「それは自明だ」と言ってるだけだな。
「私は存在しているように感じるので私は存在しているのだ」と主張しているようなもので、あまり説得力はない。
28考える名無しさん:2009/12/07(月) 11:21:30 0
「我思う、故に我あり」デカルト
「我あり、故に我思う」ハイデガー
「疑いつつ在る」スピノザ
「我思われる、故に我あり」フランツ・バーダー
「我思う、ゆえに我ありと思う我がいる」アンブローズ・ビアス
「我思う=我あり(同語反復)」カント?
30考える名無しさん:2009/12/07(月) 12:03:54 0
河内弁だと「われ」って二人称なんだよね
31考える名無しさん:2009/12/07(月) 16:06:17 0
自分も二人称
32考える名無しさん:2009/12/08(火) 16:09:27 0
>>9
ソーカルが入ってないぞw
33考える名無しさん:2009/12/24(木) 21:03:50 0
デカルトの身体論とは実体二元論、心身二元論の事を指しているという認識で良いのでしょうか
34考える名無しさん:2009/12/24(木) 21:52:57 0
「わい」が自分のことで、
「われ」は相手のことなのか
河内弁 やるなw

>>33
>デカルトの身体論とは実体二元論、心身二元論の事を指しているという認識で良いのでしょうか


間違いではないと思いますが、
マニ教なども二元論だし、実体、心身は曖昧な言葉だから
「機械論的」という枕詞がないと、個人的にはしっくりきません。
3628,29追記:2010/01/19(火) 20:29:51 0
>>28-29
追加:
「存在することは知覚されることである」("Esse is percipi"、エッセ・イス・ペルキピ)ジョージ・バークリー
3728,29,36:2010/02/03(水) 20:11:45 0
『我思うゆえに他者あり(コギト エルゴ エス)』(ラカン、セミナール14)
38考える名無しさん:2010/02/09(火) 01:25:49 0
デカルトはすべての不確かなものは不実として扱い、
今までの価値観は捨て去るっていいながら、真っ先にしたのが
神の存在の証明だよね。存在するという結論ありきの証明のようにすら見える。
神を疑うことはできなかったのかな。
もしかして本当は疑ってたんだけど、当時の時代背景や空気を読んで、あえて
世間の穏当なところにすり合わせたのかと邪推してしまう。

でも本当は疑う余地もない時代だったんだろうな。
39考える名無しさん:2010/02/09(火) 01:30:22 0
デカルトの立論全体の中で、神がどのような機能を果たしているのかを考えずに
そうした通俗的な歴史観に引き寄せても意味がない
40考える名無しさん:2010/02/10(水) 17:49:32 0
神の存在証明については柄谷行人の書評が参考になる。
http://book.asahi.com/review/TKY201002090173.html

<私がつねづね疑問に思っていたのは、なぜ神の存在を証明する必要があるのか、ということである。その時代には
無神論者はいなかったし、キリスト教の異端派も、イスラム教徒も同じことをやっていた。だから、「神の存在証明」を必要としたのは、誰かに対してではなく、いわば「哲学」に対してであった。

 12〜13世紀のヨーロッパには、イスラム圏からアリストテレスなどギリシャの哲学が本格的に導入された。し
かし、それだけではない。その時期、ヨーロッパ各地で発展した自由都市で、自治的な組合組織である、大学が創
(つく)られた。それがもたらしたのは、論争によって真偽を決するという態度である。大学で支配的だったのは
唯名論者であり、いわば「ソフィスト」たちであった。教会や修道院はそれを取りこみつつ、自己を防衛しなけれ
ばならなかった。神学、あるいは、神の存在証明の執拗(しつよう)な議論はそこから出てきたのである。>
41考える名無しさん:2010/02/10(水) 22:19:00 0
参考にならないよ
唯名論者が支配的だったとかいつの時代の中世観だよ
42考える名無しさん:2010/02/11(木) 16:34:02 0
「至高のライバル」
互いがいたから、互いに偉大になれた。「伝説的ライバル関係」といえば!
http://sentaku.org/social/1000017335/
43考える名無しさん:2010/02/11(木) 17:11:13 0
この人発想はいいけど、観察力に難があるよな。
44考える名無しさん:2010/02/20(土) 08:15:06 0
省察読もうと思ってます。訳はいろいろあるみたいですがどれがいいと思いますか?
45考える名無しさん:2010/03/08(月) 00:00:29 0
全集のPDF ダウンロードしてみたら今の綴りと違うね。
デカルト時代のフランス語の正書法についてだれか教えてくれない?
46考える名無しさん:2010/03/15(月) 22:46:11 0
s に Long s ‘ſ’を使っているのにようやく気づきました。
これでどうにか読めそうです。
現代と違ってアクセント記号がないのが目立ちます。
être が eſtre[estre] になっているのは
やっぱり綴りが違うのかな?
j の代わりに i、u の代わりに v が使われているところはラテン語と同じ。
i が y になっているのはどういう法則か分からない。
47考える名無しさん:2010/04/10(土) 20:39:34 0
>>1 >でも私は考えるから存在するって、違くない?

まったく、その通りだよね、存在が先に決まっている。西洋哲学なんか読まないように。
大学の哲学のセンセとかの老人たちを見るといい、悟った人はただの一人もいない。
エゴを肥大化させるだけで、結局、逆方向でしかない。

>>1は、もっと建設的なものに興味を持ち、生きていったほうが利口だし、
より真実に近づくだろうさ。
48Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/04/25(日) 15:35:40 P
デカルトの証明した世界は、視点の一元化という原理に向けて傾向づけられていると思う。
それは結局、思う、という言葉が単数的なものである、ということを、言っており、むしろ意思という言葉が
ぴったり来るだろう。意を思うのである。したがって、思うという行為について、複雑な脳機能による、ということが
抜け落ちており、無意識というのも、当然ではあるが全く考えられていない。漠然とした思考、気分、等が、
思考行為において、重要な意味を持っているはずであると考えると、デカルトの思考のあまりの透明さは、
それ故の限界と、不自然さを感じずにはいられない。思考のみを原理とすることの、独断性を感じずにはいられない。
誤ることの意味をもっと詳しく考えに入れるべきであろう。世界VS人間。
我思う故に我あり
懐かしいな〜
成果が出ないと当時も云われたんだろうね。哲学は
特に宗教がもうエリート達だけのものではなくなって長く経つし
ところで学問は?と知りたがり屋さんの人々は想っていた
当時は馬鹿にされたと思うよ「我思う、故に我あり」という
ことはでもしたり顔を隠しつつ哲学がその後の発展を支えてゆく
鍵となったんだから〜20世紀でしたり顔を罰して
21世紀でそれも第一回目の消費期限だし、「心の時代」
にいままでそれを引っ張ってきた「我思う故に我あり」が悪い
といっても学問の時代じゃないんでまだ宗教の時代なので
「我思う故に我あり」という言葉を(微々たりとも宗教的に)
信じてしまったからなんだよね。
学問とは何か?
哲学とは何か?
「我思う故に我あり」に対してどうすればいいのか?

ってことに答えて欲しいです。
50考える名無しさん:2010/04/26(月) 09:27:14 0
>>46
逆に、現在シルコンフレックスが付いている語は、かつてs(など)があった名残だと考えると分かりやすいです
connaitreの活用とかでも出てきますね
51考える名無しさん:2010/04/26(月) 09:30:56 0
>>48
君、全くデカルト読んでないね
まずはデカルトの情念論を読みなさい
52考える名無しさん:2010/04/27(火) 14:02:16 0
デカルトは基本表現が平易なんだけど、中身が濃い。
この人の考えたことは今でもいろんなことに通じてる。
ギリシャ以降で、近代や現代での最高の大学者だろう。
数学なんかでも、今の代数の表記に単純化したのはデカルトらしい。
その前はa+bとかももっと余計な言葉を付けた表現だったと。座標もそうだね。
物理でも、この人が提案した運動量保存則は今でも生きている。
近代物理の誕生上はガリレイの慣性の原理の提案、デカルトの運動量保存則の提案
そしてニュートンの運動量の変化としての加速度と微積分の提案とつながってる。
まぁニュートンの方が数学的な証明では遥かに精緻だけど。
神学的なところはわからないが。
53ヒ∃コ戦艦 ◆0pPPHCf0SY :2010/05/29(土) 10:47:32 0
デカルト&オカルト&アラカルト&カルト。
54考える名無しさん
>>52
「哲学の原理」で、真理が明らかになるには数世紀かかると言及しているね。
あれからそろそろ数世紀になるのでそろそろ解明されても良い頃。