東浩紀スレッド311 旧ラルクそろそろ復活して(T_T)
「戦後民主主義万歳」みたいなことを長年書いてきた知識人たちは、このことに自覚がない。
欧米では、戦後の日本社会のことを「ニューディーラーが植えつけて育てた日本体制」と呼んでいる。
これを英語では、‘New Dealr ingrained japan system.'(ニューディーラー・イングレインド・ジャパン・システム)と言う。
引用は副島隆彦「日本の危機の本質」P296
社会党や日教組、それから戦後日本共産党という「反戦平和・護憲、再軍備反対、海外派兵阻止」を主張する勢力は、
ソビエト・ロシアによって作られた勢力ではない。
これらの勢力は、実はマッカーサーが憲法典と共に予め意図的に日本の戦後体制の中に仕組んだ装置であった。
引用は「日本の秘密」副島隆彦 P22
さてユージェニックスにしろ、学問方法(メソドロジー)としては、 social engineering ソシアル・エンジニアリングである。
このソシアル・エンジニアリングなるものの怖さを知らないで、「自分は日本の社会科学者だ」などと信じている土人学者たち
全員を、私は、激しく、蔑(さげす)んできた。この言葉の意味も重要性も知らずに生きてきた、馬鹿たちの群だ。
自分たち日本人(日本部族)白身が、『菊と刀』で真っ裸にされたのち、ロボトミーに等しい、文明化外科手術、すなわち、
ソシアル・エンジニアリングを敗戦後に受けたのだ、と自覚すべきである。
ソシアル・エンジニアリング(社会工学)は、アメリカのリベラル派の学者たちの秘技秘伝であって彼らはこれを肯定する。
しかし、シカゴ学派の本物の保守派やアイン・ランド女史のようなリバータリアンは、ソシアル・エンジニアリングの学問を唾棄
して否定する。未開の現住民たちに施してはならない文明化外科手術である。それをやられたら、原住民たちは、おかしく
なるのだ。 だから、敗戦後にこのロボトミーを施された日本部族の若者が金茶髪にして成人式でも暴れるのだ、とみんな
分かればいいのに。 どうしても、どうしても、敗戦後のアメリカ軍(占領軍、マッカーサー・ニューディーラー)による、
日本国民洗脳がその原因だと、認める訳には行かないのか。そうか、どうしてもいやか。
先生の小室直樹だけが、これが、日本人が敗戦期に天皇=神を否定されて起こした「急性アノミー」だと、はっきりと解明した。
今の私ほどは、あからさまには書かないが。
ソシアル・エンジニアリングというものは、これほどに恐いものなのだ。それが、ソシオ・バイオロジー(社会生物学)と
いう別の名前も持つのだ。ソシオ・バイオロジーについては、コンラッド・ローレンツについて本書の別のページ
でも書いた。だから、シカゴ学派で過激派フェミニストの元祖のひとりであるソニア・シャンクマンが、ウルトラ・
リベラルであるからこそユージェニックス(優生学)をやり、ソシアル・エンジニアリングを治療・方法・政策学
として実践したのだという事実を私たちは確認すべきだ。
副島隆彦『属国日本論を超えて』P120〜121
アメリカのグローバリストが、戦後の日本人を計画的に思想洗脳(ブレイン・ウォッシング)状態に置き、諸外国では
ごく常識のことであり初歩的な政治思想理解であることから日本人が故意に切断された。日本の生来、政治思想を学ぶ
べく生まれた優秀な人間たちが、世界の真実を学び取ることを、遠大で、巧妙なな障壁と仕組みを作って彼らが阻止
したのだ。今の私たちには、それらの策略がはっきり分かるようになった。
(中略)
私は、独力で、世界水準のごく当たり前の政治思想理解に、到達した。これを思想不具者にされた、かわいそうな
日本国民に伝える事が使命・天命である。だからはっきり書いて残さねばならない。彼ら、ニューディーラー=
初期グローバリストは、敗戦後に命乞いをして生き延びた我々日本人に、どのような、洗脳教育(マインド・
コントロール)と、文明化外科手術(ソシアル・エンジニアリング)を施したのであったのか、をこれからも
逐一暴いて証明してみせる。
副島隆彦「属国日本論を超えて」P227〜228
私は、かつて、自分が読みあさった岩波新書を、二十年振りに、書棚の奥から、ひっぱり出して、
読み直してみた。二十年前の昔、高校生・大学生だったときに、岩波新書の青版の洗礼を浴びた。
自分は岩波新書の「思想」の洗礼を浴びながら十年間ぐらいを過ごした、と言うべきであろう。
当時の学生たちのご多分にもれず、自分もその頃「新左翼」という単純幼稚で過激なだけの思想
に走ったので、岩波の影響など、脱した、と思って、「岩波スターリン主義の文化人どもなど
小馬鹿にしていた」のだが、しかし、そうではなかった。今の今に至るまで、自分たちは、岩波
文化の大きな呪縛の下にあったのだ。あの、ソビエト帝国が、目の前で、テレビの画像をとおして、
ガラガラと崩れていったときまで。お釈迦様の掌を逃れられない如く、自分は岩波・朝日文化の
縄張りから自由でなかった。
一九七0年のあの頃、これでもか、これでもかと、社会主義礼讃、資本主義打倒、願わくば、動乱の
革命を、を暗黙の合言葉にした、岩波学者たちの新書版の一般向け啓蒙書が、大変な人気を持ちながら、
次々に出版されて書店に積み上げられていた、岩波新書は、日本の言論市場で、圧倒的に強かった。
そお優勢なパブリシティの前に、黙々と着き従ったのが、私たちの世代だった。
じつに愚かなことだった。今さら、自省の気持ちも起きないぐらいに、自分を恥じるだけだ。
もっと、目を広く、かつ細心の注意を払って、もっと、本当の事実のほうに、目を向けて、書物を選ぶ
力を身につけておれば、と悔やまれる。
今さら、「転向」という言葉は使いたくないぐらいに、左翼的な人間たちは、自分の内心で、既に、
何度となく、転向に直面し、つまづきを感じているものだ。だから、私のような一番最後の左翼世代で
さえ、転向という言葉には、うんざりしてしまう。これは、旧来の転向とはちがう、何ものかである。
しかし、それを、適切に言い表す言葉を、私は、今、見つけることができない。
副島隆彦「切り捨て御免」P103~104